○
濱田委員 国政調査の北海道班を代表いたしまして、その
調査の
概要を御
報告いたします。この
調査に参加いたしましたのは川村、山中、淡谷及び
濱田の四
委員でございまして、なお随行として
水産常任
委員会の菅原
調査主事が同行いたしたのであります。
調査期間は九月三日から十六日までの二週間でありまして、今回は主として
漁業災害の
実情、北海道北部及び東部海域における
漁船拿捕の現況、駐留軍の
演習による
漁業損害の
実情、港湾修築事業の進捗状況を中心にいたしまして、その他一般的な
漁業に関する事項を
調査して参
つたのであります。
調査中は日程の
関係もありましたので、道内石狩その他九支庁管内に限定せざるを得なか
つたのであります。先ほども
中村委員からお話のありましたように、北海道の今回の
調査にあたりましても、道庁
当局はもちろん、
関係市町村あるいは
関係漁業協同組合等から、非常な御
協力と御
便宜を賜わりましたために、非常に迅速かつ詳細なる
調査を行うことができましたことは、衷心欣快とするところでありまして、特にこの際に私も地元各位に対して深甚なる感謝の意を表したい次第であります。以下
調査の内容について申し上げなければなりませんが、時間の都合もありますので、なるべく重要と思われますことを、簡単に申し上げたいと思いますが、なお今回の
調査にあたりましては、今手元に
報告書も準備してございますから、この
報告書を
委員長のお手元に差上げたいと思います。できればそれによ
つて速記の方に御登載いただければけつこうではないかと思います。
まず北海道庁において、道内の
漁業全般についての
説明とか、あるいはその陳情を受けたのでありますが、申すまでもなく、従来北海道は世界三大
漁場の
一つに数えられるほどの
漁獲量がありました。わが国蛋白
資源の補給の面からいいますると、大きつ
一つの宝庫であ
つたのでありますが、終戦後における定着性
魚族の濫獲とか、あるいは千島、歯舞諸島の
漁場を喪失したこととか、あるいは海流の変化その他いろいろの
事情によりまして、近年
漁獲高が減少しておるのであります。一々数字について申し上げる必要もないと思いますが、たとえば
昭和十年から十六年にかけての戦前七箇年にわたる平均の
漁獲高を見ますると、三億二千四百万貫くらいに達しておりますが、戦後二十年から二十六年までの統計を見ますると、平均して一箇年二億四千四百万貫程度に達しておる次第であります。戦前に比べて約七割五分という程度であります。最近二、三年の統計を見ましても、戦前に比べて八割程度に回復しておると言えるのですが、そういうような
事情にな
つておる。また今回私北海道の
漁場を親しく見せてもらいましてから痛切に感じたことでございますが、
漁村経済の面について見て参りますると、北海道の
漁業経営の主体というものは、専
業者が全体の大体三割六分、大部分が兼業的のいわゆる沿岸の零細な
漁業者であると言えると思います。しかも
漁業制度が改革せられましてから後、弱小
漁業協同組合の濫立があり、また
組合の
経営そのものも必ずしも全部がうまく行
つていなかつたというようなこと、また戦後、国内市場における有効需要がかなりかわ
つて来ておること、さらにまた世界市場を失つたというようなこと、特に今申しました、
漁獲高が近年減
つておるにかかわらず、
漁業者はかえ
つて増加しておる、そういうような
関係から見まして、北海道の
漁村経済というものは、かなり逼迫しておるように見受けたのであります。遺憾ながら不安定なる
状態であると考えなければならぬと思います。ことに北海道の南部、道南
地区の渡島、日高、胆振というような支庁の管内におきましては、近年不漁が続きまして、その
経済事情は非常に窮状にあると見受けて参つたものであります。たとえて申しますと、そういう方面の
漁業所得一月当りを見ますると、年十五万円未満というような、比較的所得の低い
漁業者というものが、全体の八割二分を占めておるというような
状態であります。そういう点から考えましても、今後の北海道の
漁業というものは、かなり問題が蔵せられておるのではないかというふうに私は見て参りました。こういう窮状打開のために、国はもちろんでありまするが、北海道庁におきましても、いろいろの対策を講じております。
漁業権証券の
資金化の好機をとらえて北海道
水産振興五箇年計画というものの作成を今年からいたしておるのですが、その骨子は、言うまでもないが、
水産資源の培養とか、
保護助長、これによ
つて増産をはかるとか、あるいは系統共同販売機構の強化と販路の確保、自己資本の造成並びに貯蓄の増進を推進するということ、
生産施設の拡充あるいは
経営技術面の指導というような点に重点を置いておるようであります。これによりまして、
昭和二十八年度以降
昭和三十二年度までの五箇年間に、戦前以上の
漁獲高を予想いたしまして、
漁民の
生活の安定を期しておるのですが、私どもはそういうような理想が十分に達成せられまするように念願をしておる次第でございます。
調査の内容について多少具体的に申したいと思いまするが、まず
漁業災害の点であります。本年北海道における
漁業災害は、御
承知の
通り、七月のあの四号台風による水害、そうしてちようどあの直後に高潮の影響もありましてかなり広い地域つにわた
つて被害を
漁業面においても受けております。大体十勝、日高、胆振、渡島、檜山、そういうような支庁の管内でありますが、その
被害の状況は、これももうすでにこれまで当
委員会でも
調査が済んでおる次第でありますが、総額において大体五億五千万円程度にな
つておると思います。これがための
復旧は、おそらく六億前後は当然必要ではないかと思います。今回の
災害におきましては、幸いに
漁船の
被害はあまりなかつたようでございますが、漁具とかあるいは漁網の流失、それから
浅海養殖施設、こんぶなんかの採取をやるための
施設でございますが、そういうもの、あるいはこんぶをほす場所、いわゆる海藻の干場、そういうものの
被害がかなり大きいものがありました。北海道といたしましても、これに対してさつそく緊急対策を講じて、漁具とか漁網なんかの
被害につきましては、北海道漁連を通じて、かれこれ二千七百万円程度の資材を現物補給するというようなこと、あるいは道の
漁業信用基金協会の
融資保証のもとに、道の信漁連から約六千四百万円のつなぎ
資金を融通したり、あるいは海藻の干場につきましては、道の信漁連から三千四百万円程度の
融資が行われておるというようなことをすでにや
つておりますが、しかし今申しましたようなかなり大きな
災害がありましたので、単に道庁だけの対策によ
つて十分にこれが
復旧をはかることは、もちろんできないのです。第十六
国会において、本年の水害地に対する対策についての種々の法律が制定せられたのですが、これに基きまして
国家が積極的にこれに対する施策を講じなければならぬ立場に立
つておることは、もうすでにここで私が申すまでもありません。なお
災害地の
漁業者からの
要望といたしまして、
復旧に要する
自己資金の充足ということをやらなければならぬのですが、その
一つの方法といたしまして、例の手持ち
漁業権証券でございますが、これを金にかえるのに大体一億五千万円程度のものがいるのでございますが、これを早く
資金化してもらいたいというような
要望が強くあつたことを御
報告申し上げます。
以上は大体本年の七月の
災害についての
概要でありますが、昨年の十二月のあのオホーツク海のしけ、それからカムチヤツカ沖の地震、これによる
漁業災害がありましたことは言うまで心ないところであります。これにつきましては、第十五回
国会におきまして、当
委員会におきましても立法いたしたのでございますが、特別
措置法に基いて、すでに約八億円程度の
資金が農林中央金庫より
融資をせられております。この
災害復旧につきましては、大体順調に今日まで行われておるように見受けまして、地元の
漁民からも
政府の施策に対して感謝の意を述べられたことを、特にこの際御
報告いたします。
次に北海道の北部とそれから東部の海区において、
日本の
漁船がソ連側に拿捕せられておりますが、その様子を概略申し述べたいと思います。私どもは九月六日に稚内に参りまして、北部海区といいますか樺太に面した方面のあの海区、あの海区の拿捕の様子を
調査したのです。
昭和二十三年から最近まで、ソ連側へあの方面で拿捕せられました
漁船が二十七隻、人員が二百九十六名であります。そのうちまだ帰
つていないのが十三隻、おそらく途中で死亡した人もあるだろうと思われますが、そういう人を入れましてまだ帰
つてない人が三十名ということにな
つております。拿捕されました場所は、おもに亜庭
湾内であるとか、あるいは能登呂半島の南の方に二丈岩という島があるのですが、その島の
南方数海里の付近とか、あるいは海馬島
南方十数海里あたりで、これまでよく拿捕せられておるようであります。そのほか元のマツカーサー・ラインと、樺太沿岸十二海里以上離れた地点との間においても、これまで拿捕されております。いろいろこれについて
現地の様子も聞いて参
つたのですが、もちろん地元におきましては、この拿捕については、非常な重大な関心を寄せておるのです。また九月の二日ですか、この拿捕問題を議題といたしまして、稚内市におきまして、宗谷方面の
漁民大会を開いておる。そしてこの大会におきまして、日ソ講和の促進とか、不慮の災禍によりまして、いろいろの
被害を受けた者に対する
国家からの
補償をやるべしというようなこととか、あるいは現にソ連の方に拿捕せられております抑留者、あるいはその船舶、これを至急釈放させるようにすべしというような事柄について、決議をいたしたりしておるのですけれども、これはもちろん稚内方面だけではありません。北海道全体の
漁民の
要望であるかとも、私ども見ていいと思います。今、北方における
漁業につきましては、このソ連との
関係を真剣に、早く
解決をするような方向に進むべしというような
要望が強くな
つておることを御
報告申します。
北方の海域における拿捕の様子は、以上の
通りでありますが、さらにこの東部海域であります根室方面でありますが、あの方面における
漁船の拿捕は、北方の海域におけるよりも、さらにこれまで多く行われております。私どもは、九月の八日、九日ごろに、釧路とか、根室方面に参りまして、
現地の様子を見て参
つたのです。この東の方の海域におきましては、二十三年から本年の七月の末までに、
漁船が二百五隻拿捕せられておるのであります。人員が千六百九十七名ということにな
つております。そのうち、私らが参りました当時に、まだ帰
つてないのが三十隻、人員で四十三名ということにな
つておつた。いろいろその拿捕されました船の種類などについて御
報告申したいこともございますが、これは省略いたします。
結局、こういうような北部及び東部海域における
日本の
漁船の拿捕の状況を総合してみますると、一般にこの宗谷海峡方面ですが、北の方における拿捕は、東の海域における拿捕に比べましては、件数は少いのです。しかしどうもこれまでの例を見ますると、拿捕せられましたものの抑留期間と言いますか、割合に長いようです。そして
漁船の没収なども多く行われております。そして聞いてみますると、全体を通じて、通信士の釈放というものが、どうもよく行われてないようです。そういう人が割合に長く抑留せられておるようであります。ソ連側の拿捕の理由としてあげておりますることは、言うまでもなく、スパイに対する嫌疑とか、あるいは越境というようなこととか、あるいは密漁の罪というようなことによ
つて、ソ連側の刑法に照らして抑留をし、拿捕しておるようであります。当時
現地に行きまして、いろいろの話も聞き、また特に私どもがあの歯舞という村に参りまして、ちようど天気もよか
つたのですが、歯舞諸島の様子を、割合に詳細に見ることもできました。よく問題にな
つておりますが、あの貝殻島という島なんかも、私どもが参りました納沙布燈台——岬のとつぱなにある小さい燈台ですが、その燈台から見ますと、すぐ目の前に望まれるようなところであります。聞いてみますると、終戦直後は、あの貝殻島のようなものは、いわゆる
日本の領土として、
日本の
漁船が自由に出漁しておつたようですが、マツカーサー・ラインが引かれた際に、その貝殻島とこちらの陸地の方との中間に、その境界線が設けられたために、事実上貝殻島その他の歯舞諸島というものは、ソ連の支配下に入
つておるのです。これまでその方面では、今申しましたような、かなり
日本の
漁船に対する拿捕が行われたのですが、最近、本年に入りましてから、
日本の
漁業家のうちには、かなり大胆に、あの方面に出漁しておる者もあるようです。そしてあの海域における
漁業というものは、かなりの
漁獲高をあげておるのです。そういうような微妙なる情勢に現在あることを御
報告申し上げます。
次に駐留軍の
演習による
漁業損害のことについて申し上げますが、これも九州における今の
中村委員からの
報告と、大体似たようなことで、私どもは、ちようど今度の
調査期間中に、日高管内の門別町における
実情を聴取することができたのです。
昭和二十六年から、この門別町のシノダイ岬を中心にしたところの
海岸地でありますが、七十三町歩を高射砲の対空射撃
演習場として、
米軍で使用しております。かなり広い
海面にわた
つてこれを射撃
演習に使
つておるのです。これがために当地の
漁業にいろいろな影響があることは申すまでもありません。二十六年、二十七年、本年と、この三年にわたりまして、実弾射撃をいたします
演習の実際の日数がだんだん多くな
つて来ておる傾向にあります。これに対する
漁業の
損害の
補償ということにつきましても、地元の方の
要望は必ずしも十分に通
つていません。またこれに対する現実の
補償金の支給でありますが、これも百済的な
事情もありましようが、かなり時期がずれて行われておるというようなことであります。今後こういうような面について、
国家的にもよほど善処する必要のある点が少くないのじやないだろうかというふうに考えております。特にこの門別方面では、現在使
つておりまする
演習用地としてのこの七十三町歩のほかに、近ごろさらに三千五百町歩くらいの上陸
演習地を提供するかせぬかというようなことにつきまして、日米合同
委員会において、今
折衝中であるようでありますが、もちろん地元の方におきましては、そういうような広大な上陸
演習地の提供には非常に
反対をしておるのです。今後これをどういうふうに国の方で処理して行きまするか、私どもは十分関心を払うべきものじやないかと思います。またこれと似たようなことでありますが、渡島支庁管内の例の大島—大島村のあの大島という離島でありますが、これをも
演習のために使いたいというような話合いが、日米両国間にあるように聞いております。この大島という島は、御
承知の
通りに、あの海域が
一つの大きな
漁場にな
つておりまして、最盛期になりますると、単に北海道方面の
漁船だけでなくて、東北あるいは北陸
地方の本州側の
漁船もあそこにたくさん出漁するようであります。これをもし艦砲射撃なんかの目標として使うということになりますれば、単に北海道の一部の
地方的な
漁業問題というよりも、かなり大きな範囲にわた
つての影響があることになるのでありまして、これもよほど慎重に研究を要すべき点じやないかと思うものでございます。北海道で今回、駐留軍の
演習による
漁業損害の問題といたしまして、おもにその二箇所を直接
現地に行
つて視察することができたのですが、これは全国的な問題でもありまするので、私どもは国全体として、これをよく慎重に研究をし、将来
日本の
漁業という面について、十分適当な
措置が講ぜられることを希望しておるものでございます。
次に
漁港でありますが、私は今回の視察にあたりまして、かなり広い地域にわた
つて漁港を見て参りました。現在
漁港の指定港が二百二十二港とな
つておりますが、そのほかに将来指定を受けたいというような
要望をいたしておりまする予定地が約二十港くらいありますが、そのうちのかれこれ九十港くらいの
漁港を見ることができました。そしてこの北海道の
漁港の改修につきまして、いろいろ感じた点がありますが、二十六年度の
漁港法制定に基きまして、二十六年度以降第一次整備計画に入
つておるものが七十七港でありまして、二十八年度において、そのうちの一港は改修を完成する見込みにな
つておる。そして二十八年度以降継続してまだ改修を続けて行くべきものが五十二港、二十八年度から新しく着工するようになりましたのが十二港、そういうふうなわけにな
つております。未着工の分——二十八年度になお着工のできてない
漁港が十二港、そしてこれまでに着工したものの総計が六十五港であります。六十五港の工事量でありますが、改修に対する工事量が、金額にいたしますると約百二十億円程度であります。ところが、この二十八年度までに工事をいたしまする金額がわずか十九億に達しない
状態であります。もしこういうような
状態でずつとあの改修を続けて行くとすれば、今後おそらくこういう指定を受けまして、現に着工いたしておりまする
漁港の改修につきましても、十年以上、十数年の年数を要することと思うのです。これはもちろん全国的な現象であるのです。この問題につきましては、いわゆる集中的に
漁港の改修をやるべしというような
意見も強く唱えられておるのですが、今後国の全体の経費を効果的に使うためにはどうするか、こうするかというような問題もありまするし、かなりむずかしい問題でありまするが、何かの
措置をとるべきものでないだろうかというふうに私どもは見て参りました。
そのほかに北海道のいわゆる単独事業といたしまして、比較的小さい港湾を、北海道自体の事業といたしまして、約三十港くらいこれまで改修をや
つております。これもやはり全体の工事量がかれこれ六億数千万円かかるものが、二十八年度までには、その半分以下二億七千万円程度しか仕事が進行していません。いろいろ
漁港のことについて感じたこともありますが、あとの時間の都合もありますので、全部省略さしてもらいたいと思います。
ただ一言感じたことをつけ加えて申したいと思いますが、北海道の
漁港の改修につきましては、第一種港は、北海道庁で工事をや
つております。二種港、三種港は、北海道開発庁の方でや
つておりますが、こういう行き方が、はたして適当であるかどうか、いわゆる港湾の改修につきましては、いろいろの機械とかあるいは
施設を十分に活用しなければならぬのですが、工事の主体が二つにわかれておりますために、その間の融通というものが、必ずしも円滑に行われないようなことがあるのじやないかということを感じた次第であります。いろいろのほかの
事情もあると思いますが、この点につきましても、将来国としては研究をしておくべきものでないかというような感想を抱いておるものであります。
漁業金融のことにつきましては、これも先ほど
中村委員から四国、九州方面の
事情について
報告がありました。大体北海道におきましても、同じような問題があるのであります。その他北海道といたしましては、魚田の開発あるいは
魚族の保存というような観点から、本州側からの東北
地方の底びき網
漁船の入会
操業に対する地元の
反対の空気もかなり強いのですが、しかし、これは
国家的に見まして、必ずしも地元の
要望通りに処理すべきものであるかどうか、私どもは必ずしもそういうことについては全面的に賛成ができないのでありまして、いろいろそういう点について
意見の交換もいたしたいと思つたものでございます。なお詳細は先ほど申しましたように、
報告書にまとめてありますので、ごらんをいただきたいと思います。以上御
報告申し上げます。