○
加藤(勘)
委員 ただいまの御
説明ではまだ納得が行かないのです。なるほど
NATO協定通りということを当時
日本の外務省側で
主張されてお
つたが、それは根本の精神においては、なるほど現在の段階においては
NATO協定の精神にのつとる。しかるに部分部分においては当然その
協定締結の当時の実情に即して、実際に合
つたものでなければならぬということが、私はこの
協定締結の建前だと思うのです。
NATO協定が結ばれるときは、言うまでもなく当時の
ヨーロツパ諸国の不安、ソビエトに対する脅威が非常に大きく政治的に作用しておりまして、その当時においでは
アメリカの力を非常に必要とした。そういう
関係で、多少
アメリカ側から言われた点において無理だと思われる点があ
つても、政治的な考慮の点から、私はそういうことが了承されたと思うのです。しかし今日の
日本の
立場においては、
NATO協定が結ばれる当時において
ヨーロツパ諸国が対ソ脅威を感じていたような脅威を、われわれは
国際的に感じていない。当然平和の方向に向
つて行きつつあるというこの現実の段階において、
日本の実情が土台として
協定が結ばれてこそ、両国の親善を増進して行くことになる。一方が何かしら押しつけられたような感じを受けるようなことでは、ほんとうの親善の意味は失われて行く、こういうように思うのです。私はこのきわめて簡単な
代表者を立ち会わせるということは、これを
法律的にずつと見のがしてしまえば、おつしやる
通り傍聴人とま
つたく同じもので、何らの
権利も持
つていないというのならば、
権利という言葉も使う必要はありませんし、
傍聴人同様として
裁判を
傍聴することができるということを言えば、それでいいわけでありますが、この立ち会わせる
権利ということの中には、
法律的な意義が相当あると思いますが、同時にこういう
協定においては、
法律上よりも、もつと政治的な意義が重大に感じられなければならぬと思うのです。そうい
つた点を
ただ法律的な技術的な問題として事務的に扱われるというのでは、どうも私どもとしては得心が行かないわけですが、そういうことについて、
条約局長は一体どういうようにお
考えにな
つておるか。この言葉の中には政治的意義をお感じにならないのか。単なる
法律的な技術的な事務的な問題として片づければいいと思
つていられるのか。そのいずれであるかをはつきり聞かしてい
ただきたいと思う。