○
松岡平市君 去る六月下旬、
九州地方に発生いたしました大
水害に対し、本院の
議決によりまして、自由党の
谷口弥三郎君、
剱木亨弘君、
高野一夫君、
緑風会の
溝口二郎君、
三浦辰雄君、
社会党第四
控室の
内村清次君、
白井勇君、
社会党第二
控室の
三木治朗君、改進党の
松浦定義君、
無所属クラブの
加瀬完君、純
無所属クラブの
野本品吉君及び私
松岡平市の十二名は、
現地の
慰問及び
被害状況並びに
災害後の
事情調査のため、去る六月二十九日より昨七月三日までの
間現地に派遣せられましたので、
一行を代表して取りあえず
概要を御
報告申上げます。ただ
一行は今暁漸く帰省いたしたばかりでありますので、
報告の粗漏については
あしかじめお許しを願います。
慰問調査団一行は、六月二十九日飛行機で
現地に到着し、直ちに
福岡県庁にて各
方面より
九州全般の
被害状況について
実情聴取の上、
調査の便宜上、第一班
福岡、
大分、第二班
熊本、第三班佐賀、長崎の三個班に編成して、
交通通信殆んど杜絶の悪条件と闘い、今暁帰京するまでの間、
日程の許す限り広汎且つ詳細に
調査慰問をして参
つたのであります。
現地におきましては本院を代表して
見舞金を呈し、
慰問の
言葉を申述べて参りましたが、各県とも衷心より
感謝の意を表し、旺盛なる
復興再建の決意を示されましたことは、深く感銘いたした次第であります。
以下各班の
調査に
従つて、その
概要その他について御
報告申上げます。
先ず
福岡県について申上げます。六月三十日現在の
県下の
被害総額は約二百十一億、
罹災民約百万といわれ、
農林関係百七十八億、
商工関係百八億、
民生関係七十八億で、特に
土木関係は百十六億の多額に及んでおります。
災害の最もひどかつた
地域は、
筑後川の
流域一帯、久留米市を
中心として、
朝倉、
浮羽、
三井、三潴の
筑後平野の各郡、
矢部川流域の瀬高町、三橋町、大和町及び柳川市、
遠賀川流域の植木町、剣町、
中間町、古月村等で、いずれも各
河川の
堤防を
決壊し、非常なる
惨害をこうむ
つております。六月二十八日には、再び北
九州を
襲つた豪雨により、
門司、小倉両市を新たに
惨害の街と化したのであります。殊に
門司市は、突如ものすごい山津波に襲われ、全
半壊住家千数百戸、
死亡、行方不明百六十名に達しているのであります。又
昭和十七年開通以来初めて
国鉄関門トンネルは丈余に及ぶ
浸水で不通となり、本土、
九州を結ぶ
交通の大動脈を切断されるに
至つたのであります。更に、
筑豊炭田地帯の
完全水没二十数坑、一部
浸水三十四坑に及び、これが
産業経済に与える
影響は、けだし計り知れないものがあるのであります。
筑後川中流部の
被害激甚地である
朝倉、
浮羽の両郡は、
河川及び
道路の
決壊それぞれ百七十カ所、
橋梁は
昭和橋を除いてすベて
流失し、
死亡者二十名、
罹災民二万に及んでいるのでありますが、殊に
原鶴町は、六百メートルの
堤防決壊により、一瞬の間に五十九戸の家を
流失、妻子を
目のあたり濁流の中に失う幾多の哀話には、慰める
言葉もなか
つたのであります。又その
上流の杷木町は、これ又、一挙に五、六百メートルに及ぶ絶壁の
道路を
人家もろとも
決壊、
流失し、対岸の古川町の壊滅に近い
惨状等、誠に目を蔽わしめるものがあ
つたのであります。更に下流の
三井郡十七
カ町村は、私
どもがその日漸く
味坂村まで参りました三十日現在、通信可能の所は七
カ町村だけで、
衣食や
飲用水の
補給は困難を極め、見渡す限りの
濁水に
電燈もつかず、漆黒の闇に、或いは安否を気ずかい、或いは
救援に赴く
人々の胸を一層憂いにかき立てている光景に接して参
つたのであります。
県当局におきましては、二十七日朝これら
朝倉、
三井、
久留米等四十五
市町村に対し、続いて残余の
県下各
市町村に
災害救助法を発動して、
応急救援措置を講ずると共に、
海上保安部、
米軍等の
救援を
要請し、その献身積極的な
活動を得ておりますことは
感激に堪えないところであります。
連絡が杜絶し孤立した幾つかの
地域は、今
全力をあげて、
道路の
復旧、或いは舟艇による
衣食の輸送に、
県民一体とな
つて努力が払われております。
罹災民も又惨禍の中に早くも立ち上り、更生への一歩を踏み出しておりますが、未だ食糧の
補給も十分でなく、米或いは衣料の配給を強く
要望いたしております。又、
農家関係につきましては、
水田冠水面積が
県内水田の約六%に及んで、
水稲植付不能面積が約五千
町歩に達している
実情でありまして、何をさておいても
稲苗の
確保に最も心を痛めている
現状であります。又、今なお
浸水地帯におきましては勿論のこと、晴れやらね
梅雨期に、或いは
台風期を控えて、
決壊個所を早急に修復して欲しいとの切なる
要望があ
つたのであります。その他、
地方債の枠の拡大、
応急金融措置、
悪疫防止、
住宅復旧の
特別措置など強力な
措置が
要望されております。
大分県の
被害総額は百二十七億と言われ、
農林関係五十億、
土木関係二十五億、
民生関係四十億、
商工並びに
教育その他の
関係十二億に及んでおります。
被害の
中心地域は
大分川と
筑後川の
上流の二
水系を結ぶ県の
中央部でありまして、この
地域の
山間部、森、庄内の
降雨量ば実に九百ミリを突破すると記録され、
九州屈指の
木材産地である
日田市は殆んど
流失、倒壊に近い
惨状を呈しているのであります。即ち、
道路の
決壊、山崩れ、
橋梁の
流失、
堤防の
決壊等はおびただしい数に上り、加えて
水稲の
植付期に当り満水の
状態にあつた
耕地の
流失、
埋没、
浸水等による
被害は甚大であります。殊に
本県は、さきに
ルース台風により、その過年度の
復旧も漸く半ばに達したのに過ぎない
現状でありまして、今次
豪雨災害の
影響は極めて深刻であると思われるのであります。死者、行方不明百三十名、
重軽傷者五百三十余名、
罹災民十六万七千有余に及んでおります。
日田市は全く
交通通信を絶たれ、私
どもが参りました前日、漸く徒歩で
連絡がとれたほどでありまして、
現地に参ることができませんでしたが、
大分川
流域の
被害地を視察して参りました。植田村は、
大分川
右岸上流の
決壊により、田地の
埋没二百二十
町歩、家屋三十戸を
流失し、全く耕作不可能に陥つた
現地の
状況は、誠に惨たるものがありました。この村は
ルース台風の際にも
右岸堤防が
決壊し、漸く千百万円を以て
復旧したところを再び
決壊するの
悲惨事を見ているのであります。
大分県は、六月二十六日午後三時、全
県災害救助法を
適用、二十九日には
緊急県議会を招集して、四億七千九百万円の
緊急支出を決定いたしております。又
救援活動につきましては、中津の
保安隊が二百五十名、
日田、玖珠の
被害地に出動いたしております。主食については二千石を
救援米として放出し、
毛布については県が四千枚直ちに放出しておりますが、
米軍からも二千枚の
毛布、更に二十九日には莫大な
携帯食を供与されております。地元の
要望といたしましては、苗の
補給、
営農資金は
開拓者並みの取扱とし、五カ年間を据置とされたいこと、
離作農対策の
資金を拡大すること、
砂防事業を強力に進めること、特に繋ぎ
資金の融資について強い
要望がありました。
次に
熊本県について申上げます。六月二十六日朝来の
豪雨は、
熊本市以北に激しく、先ず
県北部を貫流する
菊池川水系の鹿本、菊池両郡に始まり、
五名郡これに準じ、続いて
県中央部を貫流する
白川水系の
阿蘇郡
方面に移り、転じて
熊本市を
中心とする
地域に猛威を振
つたのであります。その雨量はおおむね六百ミリ前後で、
熊本測候所創設の明治二十二年以来最大の記録と称せられております。これがため、
白川水系及び
菊池川水系を初め、
河川は忽ち怒濤の奔流するところとなり、
熊本市を初め、小国町、内牧町、山鹿町より隈府町に至る
沿岸町村並びに江田町より
五名町に至る
沿岸町村は、一瞬にして悲惨を極め、
被害の甚大を現出したのであります。
熊本市のごときは、
京町方面の高台を除く殆んど全部が
浸水し、
市内の
白川の
橋梁十七カ所のうち、完全に残るものはただ一カ所に過ぎない
状態で、
路面水深が五尺より一丈に達した所もあると言われております。かくして
県政史上未曾有の
災害と称せられる今回の大
水害は、現在判明しておる
部分だけでも、
罹災者概数三十八万、人命を失う者五百を下らず、
流失、
埋没、
冠水の
耕地面積は一万六千七百
町歩と言われ、
物的損害は七百億を突破し、更に今後の判明によ
つて増大の公算が大きいのであります。一応六月二十九日現在におきまする
水害の
被害額は、
土木関係六十五億、
農林関係二百六十六億、
商工関係五十一億、
民生関係二百九十八億、
教育その他の
関係十九億、合計六百九十九億と推算されておりますが、これは
阿蘇地区の大
部分が不明でありますのと、
熊本市の厖大な堆
土排除費を含まないものであります。
本県における
水害の特質といたしましては、
熊本市を
中心とする
通信交通は杜絶し、わずかに無電を以て
被害の数字だけを
中央に
連絡するという
状態でありますから、県の
中枢機能は全く
麻痺状態に陥つたことと、
阿蘇山塊の
火山灰土を主とする泥濘と
濁水の奔流であつたこと、並びに
熊本市の
浸水によりまして
中小商工業者のこう
むつた
被害の甚大であつたことであります。
阿蘇山塊の山肌は
豪雨に洗い落されまして、ために
耕地を
流失して岩盤を露出した所もありますが、
濁流に運び込まれた
火山灰土の堆土は、
熊本市だけでも約六百万トンに達すると推計されております。
熊本市内の堆土を排除するだけでも非常な困難を極めるのでありますが、更にこれが粒子の微細な
火山灰土でありますので、晴天の市街は微風を
伴つても
灰かぐらのように舞い上る
状態でありますから、これを清掃するだけでもなお相当の月日を要するのであります。我々が
現地視察をいたしましたところでも、
坪井川流域の新
土河町
一帯の
耕地は、河水の氾濫によりまして堆土に
埋没され、水の引いた跡はすでに飛行場のように固くな
つておりましたが、
耕地を
失つた農民は、
失業救済の意味においても
是非自分たちの手で開拓させてくれるようにとの熱意を示しておりました。
県当局は、
新規開拓を中止しても、必ずこれに思い切つた予算を投入すると言明した次第であります。又、
白川と
坪井川の
河口に挟まれた
小島町を視察した場合のごときは、
中間の
堤防が
決壊したために、この両河は
河口において合流し、それに海水が逆流いたしまして、満々たる水をたたえ、
小島町
一帯の
耕地は完全に海底に沈んだ形とな
つているのでありますから、これが
復旧は真に困難な
状態とな
つたのであります。各地の
現地視察にも見られますごとく、水の引いたあとの
水田は、流出堆土のために
一帯に床が高くな
つて、灌漑が不可能となり、
冠水のため苗代は全滅の
現状と相成
つております。
阿蘇地区を初め、
交通不便なる
山間僻地における
連絡は未だ不十分で、不明の
地区もありますが、これらは訴えるに人がなく、その
惨状は想像に余りあるものがあります。住む家を失い、働く土地を
失つた人々の上に、更に思いをいたすべきであろうと考えます。かような有様で、
災害救助法の
適用は勿論、
保安隊の出動を
要請し、更に
駐留米軍にも協力を依頼する等の手段に訴え、現在いずれも多
方面に活溌な
活動を見つつある
状態であります。
現在の
状態におきましては、専ら
応急援助の面に
全力を傾倒するだけでありますが、
在庫政府米三カ月分を確認いたしました
県当局は、主食の臨時配給、炊き出し、給水を初め、生活必需物資の配給に鋭意
努力し、人心の不安を一掃すべく努めておりますが、
交通の便は意のごとくならない
状態であります。衛生対策といたしましては、汲取便所の氾濫と便壺の泥土による
埋没、井戸水の汚染等により、伝染病の発生が憂慮されております。
本県は二十七年度の赤痢指定県でありますが、すでに赤痢の発生が見られ、下痢患者の多いことが発見されております。目下衛生試験所、医科大学が
被害を受けておりますので、赤痢菌の検出に困難を極めております。
応急金融措置としては、鳥取大火災の例による手形決済の延期、罹災者への融資斡旋、枠の拡大が
要望されております。応急
復旧問題としては、
災害救助補助金の早急なる交付、
被害農作物に対する特別助成、生産者に対する米麦の還元配給、予防、防疫薬品の
救援対策等が痛感され、
災害復旧問題としては、
河川の改修工事、
阿蘇地方の
砂防事業が早急に実施せらるべきものとの感を深くしました。なお
保安隊及び警察官、消防団員等の
活動につきましては、その
努力によ
つて見るべき成果が挙げられており、今後も引続きこれらの
努力に待たなければならない問題が残されております。特に大
災害に際しては、
保安隊の訓練と物資の
確保は強く
要請せらるべきものと思います。
第三班の佐賀、長崎班は、鉄道不通のため、第二班の
人々と共にトラックに便乗し、
災害直後の悪路を南下、先ず鳥栖町に着き、町長から町内の
被害状況を聴取しました。駅長の
好意により、不通と
なつた鉄道線路をモーター・カーで下り、同町及び佐賀県旭村の
浸水地帯をお見舞しました。遥か久留米市を望む
筑後川西岸
一帯の
耕地は、
堤防決壊のため一面の泥海となり、旭、基里等の村々の農家や部落が点々と水中に孤立し、舟で
連絡しておる
状態でありましたので、村の代表者とも会
つて実情を聴取した次第であります。次いで水浸しの
道路を県のバスで神崎郡に入り、神崎町、千歳村の
災害状況を視察、地方事務所長等から郡下町村の
被害状況を聞きました。ここでも城原川の氾濫と
堤防の
決壊により、
橋梁、家屋の
流失おびただしく、
耕地は見渡す限り水没し、食糧、家財、農具等も
浸水し、苗代、蔬菜畑等も水中に没している
状況でありました。
次いで佐賀市に入り、直ちに県庁を訪問、今次
災害に対する御見舞をいたしますと共に、
県下全般の
被害状況を聴取いたしました。佐賀県では
農林関係の
被害最も激甚で、
県下五万
町歩の
耕地はその四万
町歩まで
浸水し、県の
調査によ
つて見ますると、
土木関係二十五億、
農林関係八十一億、
民生関係四十億、その他二十億で、合計百六十六億の
被害であります。県庁を辞して佐賀郡南部の穀倉地帯たる東川副村、中川副村の
浸水状況を視察し、更に北上して
県下最大の
堤防決壊と言われる嘉瀬川の
決壊口を見て参りました。このため反収十俵平均と言われる鍋島村
一帯の美田は砂礫の海と化し、この
浸水は七月三日もなお減水しない
状況でありました。第二日は北上して東松浦郡に入り、唐津市周辺の
被害状況を視察しました。小城、東松浦の両郡は炭鉱が多く、松浦川に沿
つて、相知町、久里村、鬼塚村の各町村の
被害状況を見ましたが、鉱山
被害も甚だ大きく、中小炭鉱の中には廃坑の運命にあるものも多数ある
現状であります。その半面、これらの炭鉱のボタ山が流出して
耕地を埋めているのが相当広範囲に及んでおります。県北の
被害の特質は山崩れや地すべりを
伴つている点で、唐津市の上水道の
決壊を初めとし、死者、行方不明者も多く、家屋の倒壊、鉄道、
道路、
堤防、溜池等の惨憺たる
被害が連続して見られました。唐津市では、崖崩れと
水害のため、学校の
被害、校庭の
埋没、漁港の
埋没等もあり、
浸水も、農
耕地のみならず、商店、一般住宅に及んでいる
状態にありました。次いで伊万里に入り、西松浦郡下の
被害状況を聴取すると共に、郡下各町村長から
復旧に対する誠に哀切なる
要請や陳情を聞いたのであります。
次いで
調査班は長崎県に入
つたのでありますが、県の
被害は北部が特に著しいので、佐世保市に参り、ここで長崎県の
災害に対する御見舞を申上げると共に、
県下の
被害状況を聞いたのであります。長崎県では地すべりによる
被害最も大きく、
土木関係二十五億、
農林関係二十五億、
民生関係九億、その他六億、計六十七億に上
つております。
一行は船で北松浦郡今福町に参り、同郡及び同町の
被害状況を聞きました。この地方も、地すべりによる死者、行方不明、家屋倒壊、
埋没、
耕地流失が多く、
水害の惨禍を一層大きくしているのであります。
従つて一行は石倉山の地すべりの
惨状を視察しましたが、この山
一帯は大雨ごとに地すべりが起り、鉄道や
道路を破壊しているのであります。今次の
水害により地すべりは最も大きく、六月二十七日より始まり、山頂から三百
町歩に亘る土地が海岸まで、押し出しているのでありまして、家屋は倒壊
埋没し、
耕地は堰かれて池となり、下流は何メートルもの厚い土砂に
埋没しています。このような地すべりは至る所に起り、鉄道、
道路、炭鉱に再び起つ能わざる致命的
被害を与えているのであります。更に海路を利用して、北松浦地方の各町村の
被害の
報告と、町村長の
要望事項を承わつた次第であります。この地方も炭鉱の
被害が大きく、志佐川の氾濫による炭鉱住宅の
流失や
浸水等も見られたのであります。以上が長崎
県下の
現地調査の
概要であります。
次に応急対策に対する所感を申述べますと、地すべり地帯については科学を動員し、予防対策について根本的な
調査研究を行う必要があると思われます。又これらの緊急避難のための特別助成
措置を講ずる必要があります。差当
つて家屋の
流失倒壊等により住宅を失つた者に対する住宅対策も又必要であります。後来、住宅金融が一般市民を対象としている傾きがあるが、これを農家住宅にまで拡大して
考慮する必要があると思われるのであまりす。これらに必要な
資金、生活、
営農資金については、枠を拡げ、額を増し、長期
資金とすべきは言うまでもないことであります。更に
災害者のための失業対策事業を起し、生活安定の途を開くことも必要であるし、罹災地の物価漸騰に対処するため、生活必需物資を現物で
現地に送ることも緊急に必要であると思われます。そのためにも、
交通通信連絡の杜絶している地帯、離島等との
交通通信機関の
復旧に
全力が注がれねばならないし、又校舎の
災害と同時に校地についても補助の途を
考慮すべく、教科書、学用品の
補給の方法も講ぜらるべきものと思われます。
政府が対策本部を
現地に設けたことは極めて適切な
措置として、地方のことに対する期待は特に大きく、すでに発表された応急対策要綱は大体において罹災地の
要望に応えているものと思われますが、更に以上の点を附加えておきたいと思います。
最後に、今次大
災害の原因と今後の
復旧対策について一言申述べたいと思います。
このたびの
九州北部を
襲つた豪雨が九百ミリにも達するという未曾有のものであつたことは申すまでもありません。併しながら
現地の
実情を仔細に視察いたしますと、なお、いわば人工的
災害によると見られる点が少くないのであります。その一つは、
河川の管理について一元的な責任のある
措置がとられていないという点であります。例えば
筑後川について見まするに、
河口より中流部までは建設省直轄
河川に、中流部より
上流は中小
河川として、それぞれ
福岡、
大分両県の管理に委ねられているのであります。両県の県境から僅か二、三百メートル
上流大分県内に工事中の夜明ダムは、工事の途上にあ
つてこの大降雨に会いましたが、或いは洪水に対する適切なる
措置が十分講ぜられていなかつたとも考えられるのでありますが、川は増大する水量と流下する幾万石に及ぶ流木その他によ
つて十七メートルの高さにまで堰き止められ、遂に両岸の幅七十メートルに亘
つて決壊し、一挙に八尺の増水とな
つて、下流古川町、杷木町、
原鶴町等を一瞬に呑む
惨状を呈しているのであります。この
筑後川の全
河川について果して何ぴとが管理の責任を持
つておるのでありましようか。
言葉を換えて言えば、全き管理が行われておつたかどうか、甚だ疑問とせざるを得ないのであります。
第二は
堤防の修築についてでありますが、例えば
筑後川について、直轄工事の
部分は対岸の県工事
堤防より一メートル高く、或いは
大分川の下流左岸の直轄工事は右岸よりも三メートルも高く改修されているため、いずれも低い
堤防を
決壊し、
惨害を与えているのであります。又多くの
堤防決壊は、地元民の言によれば、堤外よりもむしろ堤内からの漏水によ
つてその最高増水時よりも以前に
決壊を見ているというのであります。これらのことは
堤防修築について再検討を要すると考えるものであります。
第三点といたしまして、
災害復旧の査定と技術者の欠如についてであります。その査定は机上査定によるものが大
部分を占めているのでありますが、その原因は、現在の
災害復旧費の予算上の制度の欠陥と、更には技術者の欠如によるものでありまして、その結果は、完全なる設計施工が行われていないということであります。この大
災害を契機といたしまして、恒久対策につきましては、根本的に治山治水の考え方を改める必要があることを痛感するものであります。
以上、今回の
九州地方における大
水害の
実情について申上げましたが、これが
復旧につきましては、累年の
災害による財政窮乏の上に、更に今次の未曾有とも言うべき大
水害の
実情に鑑みまして、誠に容易ならざるものがあると痛感いたされます。殊に、零細農民、
中小商工業者等の住宅、生業
資金等の回復、並びに校舎の建築等は、法令的にも救済の途が殆んどないようであります。幸いに罹災者
諸君の復興意欲は旺盛でありますので、国会、
政府、地元当局一体とな
つて、能う限りの
努力をいたしまするならば、復興は必ずしも至難ではないと考えられまするが、当面の生活及び
台風期を控えての
関係当局の
措置に若し欠くるところありとするならば、民生の不安を招来し、容易ならざる事態を惹起することも図り知れざるものがありまするので、本院といたしましては、是非この際、特別委員会の設置等を我々
調査団は
要望したい考えでおりましたが、幸いにしてすでに早く特別委員会も設置せられておりまするので、本院は
政府を鞭撻して、これら
関係方面よりの
要望に対し、適切且つ緊急なる施策に最善の
考慮を払いまして、一日も早く
災害を復興いたさねばならんと信ずる次第であります。
以上を以ちまして御
報告といたします。(
拍手)
—————・
—————