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参考人(島田武夫君) 私は先日衆議院のほうで
意見を申上げましたので、大体
趣旨は同じことを申上げることになりますのですが、その点は悪しからず御了承をお願いいたします。
このたび
刑事訴訟法改正案が提案されておりますが、その中にはいろいろのものが含まれておりまして、
改正の方針を一口で言い切ることは到底できないのでございます。その中には占領行政中の行き過ぎ是正の
意味のものもあるように見受けますし、又旧
刑訴への逆行を偲ばせるものもあるようであります。又新らしい制度をとり入れたように見える点もありますし、単に手続の簡捷を図
つたというようなものもあるようで、内容はいろいろであります。これを大別しますと、私の見るところでは改善する案と改悪の案とが、二つがあるように思うのであります。
改善案として第一に挙げたいのは、
現行法の百九十三、百九十九条の
改正であります。この
改正は、
警察の
権限を制限して、検察の
権限を拡大するものであるように誤解され、新聞紙上で見ましても
意見が
対立しておるように見受けますが、これは各
機関の
権限の拡大や縮小を
意味するものではなくして、
現行法の
意味を明確にするに過ぎないものではないかと私は考えておるものであります。言うまでもなく憲法は過去の中央集権的な官僚的独裁政治形態を排斥して、地方分権的な民主
的責任政治を建前としておる次第であります。
従つて基本的人権を侵すことのできない永久の権利に持ち上げて、これと同時に国民はこれを
濫用してはならない、常に公共の福祉のために利用する責任を負わされておる次第であります。この憲法の精神は
刑事訴訟法の第一条に殆んどそのまま受け入れられておりますし、
警察法の第一条にもやはり
警察の
立場からこの憲法の精神がそのまま受け入れられておるように思うのであります。そのほかあらゆる法令の面には公共の福祉と個人の人権との調和ということが生命とな
つて流れているように思うのであります。ところが憲法が布かれて五年を経過する間に、いつの間にかこの調和が破れんとしている憾みがないでもないのであります。憲法の保障する人権がややもすれば
警察権によ
つて蹂躙される危険を感ずるようにな
つたように思うのです。これは単に時代の流れとして傍観すべきものではないと私は考えます。私は
警察関係の諸公が火炎びんやピストル弾の中を潜
つて個人の人権や公安の維持に当られる犠牲的精神と勇敢なる行動に対しましては心から感謝を捧げるものであり、又その労を多とするものであります。併し他面において職務に忠実の余りといいますか、又は多数
警察員中の少数者といいますか、
警察の責務に反する行動に出る者もないとは言えないのでありまして、この点は誠に遺憾とするものであります。この風潮を放任するにおきましては、過去の
警察国家に逆転する危険が多分にあると考える者であります。この
意味から
刑事訴訟法の百九十三条一項
後段、百九十九条三項、四項の
改正には私は賛成いたす者であります。
百九十三条の一項
後段は、前段の
一般的指示権を受けまして、「この場合における
指示は、
捜査を適正にし、その他
公訴の遂行を全うするために必要な
事項に関する
一般的な準則を定めることによ
つて行うものとする。」かように
改正案ではな
つております。この
捜査を適正にすることは
公訴の遂行を全うするために行われるのであ
つて、
両者別個のものではないと考えます。
捜査権は
公訴権の一部である、
捜査に触れないで
公訴の遂行を全うするということは、これは不可能なことである。
従つてこの
改正によ
つて警察職員の
捜査第一線主義が変更されるものとは解せられないと思います。この
改正は、
一般的準則の範囲を明確にしたものに過ぎないのであ
つて、実質的内容の
改正とは考えておりません。なお
現行法の百九十三条二項によりますれば、
検察官は
司法警察職員に対して
捜査の協力を求めるために必要な
一般的指揮をすることができ、第三項によれば
検察官みずから
犯罪捜査をする場合には
警察員を指揮して
捜査の補助をさせることができることにな
つております。この一連の
規定を見ますと、司法
警察員は
検察官から
独立して
捜査をするのではなく、
検察官の
一般的指示又は個別的な指揮を受けて
捜査を行うのであります。
捜査という困難な仕事は
警察職員だけで行えるものでもなく、又
検察官だけで単独で行えるものでもないのであ
つて、
両者協力一致して初めて完遂されるものと考える次第であります。
百九十九条の三項、四項の
改正も
検察官の
警察職員に対する
一般的指示並びに個別的な
指揮権を明らかにしただけで実質的な
改正とは受取れないと思うのであります。百九十九条の第一項は逮捕状に関する
規定であ
つて、
検察官や
警察員は裁判官の発する逮捕状によ
つて被疑者を逮捕することができることにな
つております。第二項には逮捕状は
検察官や
警察員の請求によ
つて裁判官が発することを
規定しております。これによりますと、
検察官も
警察職員もおのおの
独立して逮捕状の請求ができるのでありまして、この
規定だけを見ると、
警察員は
検察官から
独立して
捜査ができ、
独立して逮捕状の請求ができる。併し今申しますように、
検察官は
警察員に対して
捜査に関する
一般的指示権並びに個別的
指揮権があるのでありますから、この
指示権を行使して逮捕状の請求についても
警察員に
指示を与えることができねばならんと思うのであります。これは
検察官が
指示権を有する当然の結果であると思うのであります。尤も
現行法には
検察官は
警察員に対して
一般的指示権を
規定しているだけで、みずから
捜査をする場合のほかは個別的な
指揮権を認めてはいません。併し
検察官はその管轄区域で
一般的指示権を有するだけで、個別的な
指示権を有しないとする
立場は到底了解できないところであります。
検察官が
捜査権の主体であることは、これは言うまでもないのでありまして、
検察官がこの
捜査権に基きまして、例えば微罪は
捜査しないように
一般的指示を行な
つたのにかかわらず、
警察職員が微罪の
捜査をした場合に、
検察官はこれを如何ともなし得ないでありましようか。又強窃盗罪は厳重に
捜査せよと
一般的指示をしたのにかかわらず、
警察員がその
捜査をしないような場合が仮にあ
つたとすれば、この場合に
検察官は何もしないで傍観するに過ぎなか
つたならば、治安は紊れてしまうと思うのであります。
一般的指示ができるという以上は、個別的な
指示も当然できなければならない。反対に
個別的指示ができるのであれば
一般的指示もできねばならんのであります。そうでなか
つたら
検察官の
一般的指示権は骨抜きにな
つてしまうと思うのであります。例えば人類を愛せよと命令されたから人類は愛するが、
個々の人間は愛しないというのでは、この命令は無価値な命令になります。であるから
一般は個別を含んでおると思うのであります。一粒々々の米を除いて米一升というものはあり得ないのである。
従つて、
検察官に
一般的指示権がある以上は、個別的な
指示権は当然認められねばならんのであります。ところがこの
現行法の百九十九条二項は、「逮捕状は、
検察官又は司法
警察員の請求により、これを発する。」と
規定して、この
警察員と
検察官両者の間には連絡がなく、おのおの
独立して逮捕状の発行を請求し得るように
規定したために、逮捕状の発出請求については
検察官は
指示権を有しないかのように解せられるのは、これは誤りであると私は思うのであります。これはかように解することは大変な誤解で、
現行法の百九十三条は、明らかに
検察官の
警察員に対する
捜査の
一般的指示権を認めているのでありますから、
捜査のために行うところの個別的な逮捕状の請求についても
指示権を行使してよいわけである。
改正案の百九十九条に、「司法
警察員は、第一項の逮捕状を請求するには、
検察官の同意を得なければならない。」というのは、
検察官の
指示を受けなければならないというのと同じ
意味であ
つて、
指示と言
つても、同意と言
つても、その内容に違うところはないと思うのであります。
一般のかたがたは、逮捕状を示すのは裁判官であるから、裁判官のほうで逮捕状の発出について十分な吟味をすればこれで足りるではないか、裁判官のほうで果して逮捕状を出す必要があるかどうかを調査して出せばよいではないかという
意見もあるようであります。併し裁判官は
捜査権がありませんから、逮捕状を出すことの適否を自分で
捜査する手がないわけであります。結局請求者の言い分を聞いて、これを信用するほかにはないわけであります。尤も
先ほど団藤教授に御質問がありましたように、これが
法律上罪となるかならんか、或いは時効にかか
つておるかどうかというようなことは、こういうことはまあ万が一にもないので、殆んど具体的な事実の問題であります。例えば、某選挙運動者は誰々候補者から選挙運動の報酬として金員の供与を受けた嫌疑事実と、こういうふうに書いて出されるのでありますが、その
法律問題については何ら疑問はないのであ
つて、ただそういう嫌疑が果してどの程度あるか、かように嫌疑をかけることが適切妥当であるかということが問題である場合、かような場合が専ら多いのであります。こういうことにつきましては、やはり
捜査権のある
検察官が判断するのが最も適切であ
つて、裁判官のほうでは、そういうことについては請求者のほうで言
つて来るのを信用して令状を発出するよりほかはないというのが現状であります。アメリカでは、
警察員は
捜査を専ら行い、検事はその結果に基いて裁判所に対して
公訴権を行使するということにな
つておるのでありますが、日本では未だ
警察員が
独立して
捜査権を行使するほどに発達していないと思うのであります。尤も
警察員を養成されるかたがたは、非常に熱心に十分な教養を与えておられるとは考えますが、何分にもその修習期間というものは短く、又教育の程度も低い人が多いために、
一般に見てこの重要な
捜査権を
警察員が
独立して行うということにはまだ相当期間を要することと考えるのであります。
警察員が
捜査をするには
検察官の指揮を必要とするということが現状であ
つて、これは
刑事訴訟法にこれを明らかにしておる次第であります。
刑事訴訟法が
改正されたからとい
つて、
改正前の
警察員や
検察官がそのまま居座
つている現状においては、
法律が
改正されたから人間の素質も直ちに変
つたということは到底言われないのであります。これはやはり悪い風もあり、良い風もありましようが、
警察にも、又検察の方面にも、いい傾向と悪い傾向はあるのでありまして、これは前の人から順次引継がれておると考えられるのであります。司法
警察員の
捜査、特に逮捕状が往々にして
濫用せられるということは、我々のしばしば耳にするところであります。衆議院のほうでも一、二の実例を申上げたのでありますが、同じことを繰返して御披露申上げて甚だ済まんのでありますが、昭和二十五年の十一月十八日に被疑者は任意出頭の形で静岡県三島署に
警察員に連行せられたのでありますが、翌十九日に逮捕状が執行されました。これは横領罪の告訴をされた
事件であります。その逮捕状を執行された被疑者は、
警察の調室で、告訴人のおるところで調べられた。それで告訴人は、お前の横領した金を返せ返せと弁済を強要するわけであります。いわば刑事とそれから告訴人の二人が二人がかりで金を返すことを強要したという事実があ
つたそうであります。これは告訴状に書いてあることだけで以て逮捕して、そうして民事の
関係にまで
警察員が
関係したと、これに類似する
事件は多数あ
つて、弁護士連合会に来ておる報告にも、福岡県にもありますし、群馬県にもありますし、殆んど挙げるに遑がない状態であります。それから次に兵庫県の某
警察署でありますが、これは十六歳と十四歳の少年がキャッチ・ボールをしてお
つた際に、ボールがえんどう畑に入
つたが、畑の所有者である某女がそのボールを拾
つて返さなか
つたために、その子供たちがその人を強く引つ張
つた。その際に畑に尻餅をついて傷ができた。これをバットで毆
つたというふうに
警察に訴え出たのであります。その日が五月四日であ
つたのに、診断書は五月十八日附の診断書が添付されてお
つた。その点も非常に疑問であり、疑惑を持たれるのでありますが、それにもまして、
警察員は親権者に何ら通知をせず、白昼公然学校へ行
つて授業中のこの両少年を逮捕したということであります。こういうようなことも、教育の面から見ましても、家庭の平和という点から見ましても、余りにどうも常識はずれのやり方であると思われるのであります。それから大阪府の某署長、これは国鉄のパスをもら
つて、日通の職員であると偽
つて国鉄のパスをもら
つて、東京から日光の方面に旅行した。それが詐欺であるという容疑で同じ署員の巡査部長に逮捕された。こういうようなことがあ
つたわけであります。こういうようなことも甚だどうも
警察の名誉の上において遺憾なことだと思うのであります。それからこれは私が直接知
つておる、
関係したことでありますが、昭和二十六年の五月頃の東京都での出来事でありますが、不良少年の或る家庭でありますが、その少年が窃盗をしたという嫌疑で某
警察署員が逮捕にや
つて来た。丁度夕食中でありましたので、玄関で待つでもら
つてお
つた。それで食事が済んでから、
警察へ連れて行かれるのに身仕度するために、その少年が二階へ上が
つて、なかなか降りて来ないので、母親が二階に上
つてみるといない。少年は屋根伝いに逃亡したということが想像されるけれ
ども、そのことを玄関で待
つている
警察員と巡査の二人に申上げて謝
つたところが、二人はかんかんに怒りつけて、犯人を隠蔽したというのでひどく怒
つて畳を叩いて怒号した。丁度そこに運悪く進駐軍の煙草の空箱があ
つたのを見付けて、お前の家は進駐軍物資を持
つているというので、二人で上り込んで、二階から下から押入れからふとんから道具類から皆引出して家探しをして
捜査をした。それで家中のものが泣いているという状態でありました。これは逮捕状ではない、捜索令状を持たないで勝手に家探しをした。それから又近県の某代議士のかたでありますが、この人は昨年の選挙のときに突然
警察員が乗り込んで来て家宅捜索をやる。選挙最中に……。それで弁護士を頼んですぐ検事正に面会を求めで
事情を聞いたところがさつぱり知らん。次席に尋ねたところが自分も知らない。
警察員が勝手に捜索令状を持
つて家宅捜索をや
つた。これも逮捕状ではありませんが、同じ令状の執行についてかような場合がある。そのほか
警察における取調の方法が往々にして無理があるということは頻々と聞くことであります。昨晩も聞いたのでありますが、北九州の或る地方で食管法違反の女が逮捕された。申上げにくい
言葉ではありますが、陰部を調べた。これはどうも穏当でないというと、或る
警察員はそれは現在婦人警官がいるのだからいいのだ、こういうことを
言つたそうです。ところが実際は婦人警官というものはそこにいないのです。そういうようなことで、まだ申上げれば幾らでもある。例えば選挙で誰々の家へ出入りした者はことごとく逮捕する。そうして一週間乃至十数日勾留して釈放するとかい
つたようなことはもう至るところにある。これは余りにそういう例は多いのでありますから、一々私は申上げませんが、こういうようなわけで逮捕状の請求について
検察官の同意を得なければならないことにして、
警察の行き過ぎを是正することが望ましい。かようにすることによ
つて人権が或る程度擁護されるということは憲法の精神にも或る程度合致するゆえんであると思う。併し私は
警察員と
検察官が
権限の争いをすることを好ましくは思いません。
両者いずれも国民の生命、身体、財産の保護に任ずるものでありますから、お互いに協力してその目的の達成されることを望む者であります。将来
警察員の素質が向上して
独立してその職務を行い得るよう、
捜査の職務を行い得るようになることを祈
つてやまんものでありますけれ
ども、現状におきましては
検察官の
指示を受けるのは止むを得ないことであると思います。これを今直ちにアメリカの
警察と同じような扱いをするということは、これは時期尚早であると考えるのであります。
それから次に
刑訴の三百八十二条の二、三百九十三条の
改正でありますが、これも改善案として私は賛成いたすものであります。これの
改正は控訴審の事後審制度の一部を
改正して覆審制の一部を加味したものでありますが、現在の第一審裁判所は予想したような完全な構成ではない。御
承知のように昔の区裁判所と同じように、単独判事が
原則にな
つて会議制の第一審というものは誠に少いので、大部分の刑事
事件というものは単独判事が裁かれている。
従つて証拠調その他被告人の権利の擁護ということにつきましては遺憾な点も甚だ多いのです。それから又
一つは国民が新
刑訴にまだ馴れないということと相待
つて第一審の審判が欠陥を持つということは、これは
一般の認めているところであります。
従つて第二審におきまして覆審の一部を取入れるということはこれは誠に結構なことである。かように考えるのであります。
それから次には改悪の点でありますが、
刑訴の八十九条の
改正、この
改正中の「氏名及び住居」を「氏名又は住居」と改める以外は改悪であると考えるのであります。「無期の懲役」を「無期若しくは短期一年以上の懲役」に改めると、保釈の許される範囲が狭くなります。更に第四号として「被告人が多衆共同して罪を犯したものであるとき。」を加えるときには、二人以上の共犯はすべて保釈は許さなくてもいいことになる。例えば選挙離反のごときは殆んど保釈は許さなくてもいいことになるので、金銭の供与ということは、供与をする人と供与を受ける人とありますから、殆んど大部分のものは「多衆共同して罪を犯したもの」に該当するのでありますが、そのほか単独犯というよりか数人共同で行う場合が事案としては非常に多いのでありますが、これが保釈を許さなくてもいい部類の
事件になりますと、人権の自由を制限し過ぎると思うのであります。
従つてこの
改正には反対であります。
このように
改正案の八十九条の二は保釈の許される範囲を狭ばめておりますが、更に
改正案の二百八条によりますと、起訴前勾留期間を延長しているのであります。これによ
つてますます身体の自由は抑制される結果にな
つております。これも私は改悪であると考えるのであります。で、
現行法の二百八条によりますと、起訴前の被疑者の勾留は十日間ということに
原則はきめられており、止むを得ない事由があるときに限
つてこれを更に通計十日間まで延長することができることにな
つております。これで勾留前の拘束期間の三日間を加えますと、二十三日間拘束することができることにな
つております。この期間に起訴しないときには当然被疑者の身柄は釈放されるのであります。この二十三日という期間は相当長い期間で、このくらいの期間があれば、どんな
事件でも
捜査に支障はないと私は思う。現在どんなふうに
捜査が行われて、その起訴前の勾留期間が十分に利用されておるかどうかと言いますと、この二十三日という期間は必ず被疑者を拘束せねばならない期間ではありませんから、嫌疑が晴れたら直ちに釈放すべきである。然るに実際には一松さんもよく
御存じだと思いますが、この期間の終るまでは
法律上被疑者を拘束し得るという
考え方から、
捜査が終
つて嫌疑が晴れても釈放しないで置く場合が相当あるのです。出て来た人に聞いてみると、出る前の数日、或いはその前の数日何にも調べなか
つたというような例はもう殆んど例外なくあるのです。又
捜査の途中で数日間放任しているように思われる場合がある。
検察官はほかの
事件もあるから、その人たちだけに付いておるわけには行かなか
つたと、こう言いますが、それならそんなに早く逮捕、勾留する必要はなか
つたわけであります。
改正案にも書いてあるように、証拠物が多数で二十日の期間に取調が完了しないというような
事件については、あらかじめ証拠物を取調べてすぐ身柄を引取
つて調べができるようにして、そうして逮捕状を執行し、勾留をするということが望ましいのであります。被疑者が多数で二十日間で取調ができないというような場合があると
検察庁では吉
つておりますが、これは
捜査の方針が確立しないためにかように長い期間取調が完了しないという結果が起るのであります。むしろ
捜査が拙劣だと言いたいのであります。例えば内乱罪とか或いは騒擾罪というような
事件については首魁とか率先助勢者、選挙離反であれば事実上の主宰者或いは会計の担当者のようなものを拘束して速かに
事件の全貌をとらえて時を移さずこれを拡大して他の者に及ぼして行くならば、
捜査は短時間で終ると思うのです。
現行法の被疑者拘束期間の二十三日は現在のところ未だフルにこれが利用されていないと思う。これだけの期間があればどんな
捜査でもできないことはないと思うのです。取調べの終
つた者から順次に起訴して行けば、
関係者が多数あ
つても取調べが付くと思います。これ以上延長する必要を認めないのであります。然るに
改正案ではこれを更に五日間延長しようとする。これは布野法曹挙
つての反対の声であります。
改正案は
最初十日の期間延長を
規定していたのでありますが、厳しい反対にあ
つて七日に短縮し、更に五日に短縮したものであります。我々はたとえ一日に短縮せられてしま
つてもその必要なしと考えるのであります。若しこれを是認するときには、五日を七日にし、更に七日を十日にする危険があるのであります。この一角が崩れると、人権擁護は危殆に瀕すると思うのであります。
改正案では五日の延長にはいろいろの制限があるから
濫用されることはないと、かように
検察庁では言
つております。即ち五日間の延長には、第一に
犯罪の証明に欠くことのできない共犯その他の
関係人又は証拠物が多数ある場合である、こういう限られた場合であると言
つておりますが、
法律上多数というのは二以上のことを指すのであ
つて、どんな
事件でも
関係者が一人もいないという場合はないのであります。又証拠物が
一つしかないということも稀であります。それから第二に、二十日間では
関係人や証拠物の取調べが終了しない場合があると申しますけれ
ども、二十日間の長い期間をフルに利用していたかどうかということは取調べる人以外に証明者がいない。果して二十日間を無
意味に過さなか
つたかどうかということは局外者には判定ができません。第三に、被疑者の身柄を釈放したのでは、
関係人又は証拠物を取調べることが甚だしく困難になるということを挙げておりますが、果して困難であるかどうかは、取調べておる人以外に誰も知る人はない。
従つて検察官の考え
一つで勝手に勾留期間が延長されるという結果に相成ります。第四に、死刑、無期若しくは長期三年以上の懲役若しくは禁錮に当る罪の
事件に限られることを挙げておりますが、併し刑罰法の
規定によりますと、殆んど大多数の
犯罪が三年以上の懲役若しくは禁錮に当る罪であります。長期三年以上とこの
改正案で言
つておりますが、刑罰法規には三年以下と書いてある場合が多いので、この三年以上といううちには三年以下の懲役若しくは禁錮が含まれるのは言うまでもないのであります。例えば選挙法違反の罪は形式犯以外は殆んど三年以下の懲役若しくは禁錮というのは軽いほうで四年、五年というのがあります。政治資金規正法の罪は形式犯のほかは三年以下の禁錮、そのほか刑罰法でも賄賂罪、名誉毀損罪、傷害罪、偽証罪、常習賭博罪等は殆んど三年以上であります。
改正案の
説明書では本案は特殊の
事件について五日の範囲で勾留期間を延長すると言
つておりますけれ
ども、
改正案の
条文の文句から見れば、むしろ
一般犯罪についての起訴前の勾留期間を延長ずるということにな
つておるようであります。私の経験では二十日の勾留期間で証明ができなか
つたという適切な実例を見たことがありませんし、又当局からさような実例について
説明されたこともないのであります。これは私のところに
検察庁のかたが多勢見えていろいろ
議論したのでありますが、その適切な例をお聞かせ願えなか
つたのであります。二十日の期間が十分に利用されていることの確証が挙らないうちは、更にこれを延長することは賛成しかねるのであります。
それから次に、第二百十九条の二、差押令状に記載された場所以外の場所を看守することができる
改正案にな
つておりますが、これは
濫用される慮れがありますし、憲法の三十五条に抵触する虞れがあると考えるのであります。
従つてこの
改正案にも反対であります。
次に二百八十六条の二は欠席裁判の
規定でありますが、これは暴に報いるに暴を以てするかの感を抱かせる
改正案であります。被告人か公判出廷を拒否し、監獄官吏による引致を著しく困難にしたことに対する反撥として欠席審理をやろうというのではないかと思われるのでありますが、これは
刑事訴訟法の汚点ではないかと思うのであります。出廷を拒否するには何か理由があることであり、その理由が正当であるか否かを勝手に判断して正当な理由がないというので、欠席裁判をやるのは困ることであります。
先ほど一松
委員から
団藤教授にこの
改正安以外に
改正する点があるかどうかをお尋ねにな
つておりましたが、私は
刑事訴訟法で最も重要な
改正点としては、第一に上告制度の
改正ということを挙げたいのであります。これはこの
改正案に載
つておらん点であります。第二には、この集団
犯罪の公判手続の
規定を
刑事訴訟法に設けることを挙げたいのであります。この二つの大きな
改正点に比べれば、今回
国会に提案にな
つておる
刑事訴訟法の
改正案は、むしろこれは小さい問題であると思うのであります。現在の日本の司法は、上告制度が満足に行
つていないということと、集団
犯罪に対する公判手続きがないということで、むしろ半身不随といいますか、血液の循環が満足に行われていないという現状であります。集団
犯罪につきましては、これは各地で神戸、平、東京その他殆んど
刑事訴訟法は麻痺状態に陥
つているのであります。これが完全に
改正されないうちは、日本の刑事訴訟というものは甚だ不健全な状態に置かれていると言わねばならん。それでこの欠席審判の
改正でありますが、この
改正をしても、現在のように法廷で騒擾している悪弊は除かれることはないと私は思うのでございます。もう
一つ遡
つて集団
犯罪に対する公判手続を
規定して、その上でこの
規定が初めて生きて来るのであ
つて、運用されるのであ
つて、この末端を取上げて
改正するのでは、これは満足な
改正にはならない。むしろこういうふうな
規定は、日本の
法律にこういう
規定があるということは、むしろ恥とすべきものではないかと思うのであります。
それから
改正案の二百九十一条の二、三、三百七条の二、三百十五条の二……、二百九十一条の二に
規定する簡易公判手続の制度でありますか、これも私は時期尚早であると思うのであります。この制度は
改正説明書に言
つているように、公判審理手続を簡素化し、審理の促進を図るために認められようとしているものであります。ところが日本人は英米人のように
民主化されておらず、
法律的、打算的な判断にうといために、起訴状に対する認否の判断にみずからの運命を賭するというような勇気に乏しいのであります。かような国民にアレイメントの制度を布くことは危険であると思うのであります。被告人が法廷で有罪の
陳述をしても、なお証拠の取調べをするのでは、公判手続の簡素化、審理の促進にはならないのであります。このアレイメントの制度をとらなくても、被告人が
公訴事実を肯定し、
検察官の提出した証拠に同意したときには、証拠調べは簡単に事実済んでいるのであ
つて、
現行法の
通りでもう結構で、これを今
改正する必要はない。殊に私の現在や
つておる
事件で、これは放火の現金詐欺の
事件でありますが、非常に大仕掛けな放火をや
つたのでありますが、この被告人二人、親子三人でありますが、この親子は第一回の公判廷で
公訴事実を認めて、被告席の床の上に土下座をして、どうか寛大な御処分を願いたいと、こうい
つて哀訴歎願したのであります。弁護人のほうから
犯罪の情状に対する証拠調べを願
つて情状に関する証拠調べを順次進めて行
つたのでありますが、第五回の公判にな
つて被告人は突如前言を翻して自分は放火したことはない、あれはみんな嘘だ。それで前に起訴状の事実を認めたがこれは撤回します、又
検察官が提出された証拠も全部否認しますというので、第五回の公判で前出自を翻したのでありますが、裁判所は勿論そんなことを取り入れないで、その申出を却下して審理を進めたのであります。併しまあ被告人から申出た証拠は一々調べてはもら
つたのであります。そういう例があるのです。それから又東京で起
つたことなんですが、贈賄者が数口贈賄しているのですが、その一部を認めて他の部分を否認した。ところが収賄者は自分はもら
つたことはない、こう言うのです。それで贈賄者、収賄者の
意見が相反することにな
つた。証拠調べをしているというと、どうもや
つたことはないというふうな、その点は授受したことはないような証人が出て来た。そうすると自分は前に認めましたがあれはやめます。自分はや
つたことはありません。こういうようなことを言い出した人があります。そうでなくても田舎の人はもう
警察とか裁判所とかいうところは、もう特殊な世界のように思
つて、何でも言われることを肯定する癖があるので、何でもさようでございますさようでございますという返事をするのが多いのであります。そういうところで起訴状にある内容を自分ではつきり認識し、吟味してイエス、ノーを明答するというようなことを求めることは、これは日本の
一般の人を標準にすると時期が早い。又その手続を改めて見ても、簡素化される部分というものは殆んどない。現在や
つているので十分間に合う、かように考えます。
大体
只今申上げたので尽きますが、なお細かい
条文の
改正もありますが、御質疑がありましたらその点についてお答えさして頂きたいと思います。