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1953-07-17 第16回国会 参議院 法務委員会 第15号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十八年七月十七日(金曜日)    午前十時三十六分開会   —————————————  出席者は左の通り。    委員長     郡  祐一君    理事            宮城タマヨ君            亀田 得治君    委員            小野 義夫君            楠見 義男君            赤松 常子君            棚橋 小虎君            一松 定吉君   政府委員    法務政務次官  三浦寅之助君   事務局側    常任委員会専門    員       西村 高兄君    常任委員会専門    員       堀  眞道君   参考人    東京大学教授  團藤 重光君    東京地方裁判所    判事      栗本 一夫君    協同通信社論説    委員      牛島 俊作君    弁  護  士 小野清一郎君    弁  護  士 毛利 與一君    東京地方検察庁    検事正     馬場 義續君    警 視 総 監 田中 榮一君    愛知県国家地方    警察隊長    小倉  謙君     —————————————   本日の会議に付した事件刑事訴訟法の一部を改正する法律案  (内閣送付)   —————————————
  2. 郡祐一

    委員長郡祐一君) 只今から委員会を開きます。  本日は刑事訴訟法の一部を改正する法律案につきまして八名の参考人かたがたより御意見をお伺いいたします。参考人各位は非常に御多端なお仕事にお当りかたがたでいらつしやいますにもかかわらず、本委員会のために時間をお割き下さいまして刑事訴訟法の一部を改正する法律案についての完全な審議に力をお加え下さいます段、心からお礼を申上げます。  なお念のために申上げますが、参考人のおかたの御意見は大体お一人三十分程度でお述べを願うこととし、委員各位参考人に対する御質疑は午前午後とも、それぞれ午前午後の参考人のかたの全部の御意見を伺いましたあとで、まとめてお伺いいたしたいと思います。又地方行政委員のかたからも当委員会に出席したいとの御希望がございますので、地方行政委員のかたが参考人かたがたに対して御質疑をされまする際には許可いたすことにあらかじめ包括的に御了承を得ておきたいと思います。  それでは先ず東京大学教授團藤重光君からお願いいたします。
  3. 團藤重光

    参考人團藤重光君) 御紹介にあずかりました團藤重光でございます。  今回の刑事訴訟法改正案につきましては大小とりまぜて非常にたくさんの問題があると思うのでございますが、特に重要と思われます点を六つばかり選びまして、それについて多小詳細に意見を申上げたいと存じます。その六つの事項と申しますのは、第一に強制処分、第二に捜査、第三に時効、第四に第一審公判、第五に控訴審、第六に略式手続でございます。  先ず第一の強制処分に関しましてはこれ又いろいろの問題があるかと存じますが、その一といたしまして、勾留期間更新及び保釈について申上げたいと思います。勾留期間更新に関する六十条の改正につきましては権利保釈に関する八十九条が援用されておりますので、先ず保釈関係の八十九条から意見を申上げたいと思います。現行刑事訴訟法は言うまでもなく英米法の考え方を大巾に採入れたものでありまして、権利保釈制度もその重要な一つであります。従来までは権利保釈が大体において原則として認められ、特に例外となるべきものが八十九条各号に上げられておつたのでありますが、今回の改正案のようになりますというと、先ず第一号によりまして短期一年以上の御役、禁錮にあたる罪にまで例外が拡げられましたので、かなり権利保釈原則的地位が揺いで来たように思われるのであります。そのような意味で第一号については積極的に賛成することはいたしかねるのでありますが、ただ一方において問題は治安の点に関係いたして参りますので、この点については学者としての立場で十分に責任を持つて、これはどうしても困るというところまでは言い切れませんので消極的ながら第一号については積極的な反対は申上げないことにいたします。  問題となりますのは特に第四号でございます。即ち「被告人が多数共同して罪を犯したものであるとき。」という点についてであります。まず文字解釈としまして「多衆」という言葉が甚だ明確を欠くのであります。例えば騒擾罪に関する刑法の規定でありますとか、或いは暴力行為等処罰に関する法律第一条でありますとか、これらの規定において「多衆」という言葉が使われておりますが、それらの場合には例えば多衆集合してとか、或いは多衆の威力を示すというような言葉が併せて使われておりますために「多衆」という言葉かなり限定して参るのでありますが、この案のように単に「多衆共同して」というだけの言葉遣いになつておりますというと、或いは二人以上だつてもすでに多衆ではないか、少くとも二人以上になれば多衆ではないかというような疑問も起つて参るのであります。恐らく併しこの法案の狙いとするところは、いわゆる集団犯罪についてであろうと思います。従つてこの点について先ず文字の上でもう少し工夫をすることができればそのほうがよろしかろうと思います。併し文字論はおきまして事柄自体について考えまするというと、成るほど一方において集団犯罪でありますという権利保釈を許さないということについて治安当局側の希望があるということは了承できないわけではないのでありますが、同時に又集団犯罪等におきましてしてはしばしば無実の者がその中に捲込まれるという惧れもあるのでありまして、そのような点から考えますというと、これを権利保釈例外事項にするということについて大きな疑問があると思うのであります。その意味において第四号については反対いたしたいと思います。  第六号の関係はいわゆるお礼まわり弊害を主として考えたものだと思われるのでありまして、これはこの文字等について或いはもう少し明確にする必要があるかとも思われますが、その趣旨においてこれは止むを得ないものとして賛成するほかないと思います。  第七号につきましては従来は氏名及び住居の双方がわからない場合に限つて権利保釈例外とされておつたのでありますが、住所がわからないという場合にこれを保釈するということは全く意味をなさないことでありまして、住所がわからない場合について権利保釈例外を認めるということについては賛成いたします。住所はわかつているけれども氏名だけがわからないという場合については特に黙秘権との関係においてこれは問題であろうと思います。従つて氏名又は住所」とやるよりも、むしろ端的に「被告人住所がわからないとき」とやつたほうが或いはいいのではないかという感じを持つのでございます。  でこの関連において第六十条の勾留期間更新について申上げたいと思うのでありますが、もともと勾留に関する被告人の保護といたしまして、大体において英米法系においては権利保釈制度を以てこれに充てているのに対してドイツ法系においては勾留期間制限ということでこれを量つているのでございます。然るに現行刑事訴訟法はその両方を採入れましたために少し窮屈になり過ぎている感があるのでございまして、その意味で私の意見を申しますと、むしろ権利保釈例外は成るべくこれを限定すると同時に、勾留期間については或る程度ゆとりを置くということがむしろ妥当であろうかと思います。特に審理期間等との関係において三カ月以内に全部事件が終つてしまうということは必ずしも期待できないのでありまして、若し不当に長い勾留が行われる場合にはこれは又別個の条文でこれに対する対策が講ぜられているのでありますから、そのような意味において勾留期間更新について多少これを緩和するということは認め填よろしいと思います。ただその認め方につきまして、八十九条を援用してこのような形でこれを認める、特に先ほど申上げました集団犯罪について当然に勾留期間更新制限を除外するという点については賛成いたしかねるのでございます。  強制処分に関するその二といたしまして勾留理由開示に関する八十三条乃至八十六条について申上げます。この改正によつて意見陳述が書面によらなければならないことになりましたのは、実際に勾留理由開示において法廷闘争の名の下にかなりな騒ぎが行われているという点から見て、かような改正を当局が企てられたことについてその趣旨は了承いたすのでありますが、そのような点については私はもともと反対ではありましたけれども、法廷等秩序維持に関する法律が制定されている今日においては、その法律の運用によつてこれを適当に押えて行くのが本筋ではないかと思うのであります。現在においては意見陳述勾留理由以外に亘つて勝手なことをしやべつておりますので、そのような点についてこれを制限して、意見陳述勾留理由に関するものに限定するということにいたしますならば、若しそれ以外に亘る意見陳述があればこれを制限し、制限に従わない場合は法廷等秩序維持に関する法律を適当に発動する、かようなやり方によつてこれを押えることができるのではないかと思うのでございます。このように申しますのは、実は勾留理由開示に関する規定憲法の第三十四条後段に関するものでありまして、このような改正が違憲になるのではないかという見解を私が持つからでございます。と申しますのは、憲法第三十四条後段は言うまでもなく英米におけるペービアス・コーパス手続刑事手続に関する限りにおいて少くとも採入れたものでありますペービアス・コーパス手続においては裁判官令状によつて拘禁者と被拘禁者裁判所に呼び出して双方の言分を十分に聞いた上で、若しその拘禁理由があればそのまま拘禁を続けさせる、若し拘禁理由がない場合には即時にこれを釈放する、こういう制度であることは各位の御承知の通りでございます。従つてこの手続において被拘禁者の側において意見を述べる機会が与えられるということは憲法三十四条後段の当然に要請するところであると思うのであります。三十四条後段には単にその理由を告げなければならないとだけ書いてございますけれども、この制度をその沿革の背景の下に理解いたします際には、かような解釈にならざるを得ないのであります。特に被告人のみならず被告人及び弁護人の出席する公開法廷において理由を告げなければならないということになつております趣旨は、その機会に被告人及び弁護人意見を述べる機会を同時に与えなければならないという趣旨を含蓄するものと考えなければ、この憲法規定が甚だ意味の弱いものになると思うのであります。憲法解釈として公開法廷において意見を述べることが要求されるといたしますならば、これは当然に口頭で以て意見を述べることを許す趣旨と見ないわけには行かないのであります。ただ書面を出して出し放しであると、公開法廷では何らそれを朗読もしなければ言及することもないというのでは、公開法廷意見を述べるという趣旨とは全く相反するのでありまして、かような意味において書面で意見を述べることができるようにしましたこの改正案については、私は憲法違反の疑いが甚だ濃厚であると考えるのであります。むしろこれに対する対策は先ほど申したような方法によつてこれを行うべきであると思うのであります。のみならず実際の運用から申しましても、勾留理由開示のところで勾留に関する意見を十分に述べさしておけば、本案の審理のほうではその点はそれ以上論じないで済むのでありまして、却つて本案審理自体が円滑に行われるゆえんにもなると思うのであります。かような趣旨において私は勾留理由開示に関するこの改正案規定については積極的に反対意見を述べたいと存じます。  その三といたしまして、鑑定留置に関する百六十七条及び百六十七条の二について申上げます。これは結論としましては私は必ずしも反対ではないのでありますが、ただ資料として配布になつておりますところの法務省刑事局逐条説明書によりますと、現行法解釈として勾留中に鑑定留置が行われた場合には、当然に勾留執行停止になるという解釈になる、又実際もそれによつて行われているということが述べられております。実際にそのように行われているということは私の関知するところではないのでありますが、解釈としてそうあるべきだという点については反対でありまして、私の解釈によれば、勾留中に鑑定留置が行われましても勾留期間は進行するものと思うのであります。従つてこれは単なる現行法解釈を明確にしたというだけではなく、現行法に比べますというと被告人不利益になる改正であると思います。ただ実際上かような改正の必要があるかと思われますので、積極的に結論としては反対するわけではございません。解釈論の点について念のために意見を申上げたに過ぎないのでございます。  次に第二に捜査関係について申上げます。先ずその一といたしまして、検察官司法警察職員との関係に関する百九十三条及び百九十九条の改正について申上げます。百九十三条は一般的指示に関する規定でありまして、現行法においてもこの規定はあるのであります。而も現行法解釈といたしまして、公訴の実行のために必要である限りにおいては、捜査の適正の点についても一般的な指示をすることが広くできるものと私は解釈いたしております。従つて何故に特にかような改正規定を必要とするのかということが十分にわかりかねるのであります。前国会における改正案におきましてはこの文句が「捜査を適正にし、公訴遂行を全うするために」云々とありまして、公訴遂行を全うするため以外に、捜査を適正にすること自体のための必要な事項に関する一般的指示を認める趣旨かなりはつきりしておつたのでありますが、今回の改正におきましてはその間に「その他」という文句が入りましたために、恐らくこの解釈としては捜査を適正にするということが公訴遂行を全うするために必要な一つの例示として挙げられたことになるかと思うのであります。若しそれが単なる例示であるといたしますならば、これは現行法解釈で十分に賄えるのでありまして、かような規定は必要ではないと思います。併し又条文の読み方によりましては、必ずしも例示とだけは読み切れないようにも思われるのであります。捜査を適正にするということが当然にすべての場合において公訴遂行を全うするために必要なものであるとみなしてしまつたような形にも読めるのであります。若しそうなりますならば、公訴遂行を全うするため以外に捜査を適正にすること自体のために一般的指示をするということも認める趣旨になつて来るのでありまして、さようなことになりますならば、これはかなり大きな問題になつて来ると思うのであります。言うまでもなく現行法建前といたしましては捜査機関の主力は司法警察職員に置かれておりまして、検察官はむしろ主たる任務公訴官としての仕事に持つているのであります。捜査については補充的規正的な任務を原則としては負つているのに過ぎないと思うのであります。かような建前をとつておりますのは、言うまでもなく現行刑事訴訟法が当時者主義という根本的な構造をとつているということに関連して参るのであります。旧刑訴のように公判手続に入つてからはすべて裁判所が職権で以て審理を進めて行くという建前でありますならば、検察官公訴官としての任務はそれほど重要ではないのでありまして、むしろ捜査のほうに相当の主力を注ぐということが妥当になつて来るのでありますが、これに反して現行のとつている当事者主義建前の下においては、検察官捜査の方面に余りに首を突込むということは、その反面一において公訴官としての当事者的活動がおろそかになるという結果になるのではないか、そうでなくても忙しい検察官がますます忙しくなつて公訴官としての仕事がおろそかになる結果になるならば、それはひいては当事者主義運営そのものが揺がされて来るということになりはしないかと思うのであります。現在までについて考えましても現行の予想いたしましたところの当事者主義の運用というものが必ずしも期待した通りには参つておらないのでありまして、これからの改正の方向としてはむしろ検察官公訴官としての面において強化するというほうに持つて行くべきではないかと思うのであります。かような意味において検審査目に、司法警察職員に対する一般的指示公訴遂行を全うするため以外に捜査を適正にするためだけの目的を持つても与えるということについては、私は賛成いたしかねるのであります。この規定が直ちに当事者主義を破壊してしまうというのではありませんが、改正の方向として、現行法のとつているところが検察官のあり方としてはぎりぎりのところでありまして、これ以上に捜査の方面について力を入れさせるということについては疑問を持つのであります。  なお、司法警察職員の上に、或いは言葉を換えて申しますならば、警察の上に検察官を置くということが政治的な見地からもいろいろな弊害が予想されるという点につきましては、これは刑事法学者としての私の領域を超えるものでありますから、この点については特にここでは申上げないことにいたします。  この関連において、百九十九条第二項における逮捕状請求検察官同意を要するという点について申上げたいと思います。この点はついても只今検察官司法警察職員との関係について申し上げました一般論がそのまま援用され得るのでございますが、それ以外になお若干技術的な面について申し上げたい点がございます。先ず検察官同意ということが、一体どの程度に実質的に行われるかということが、疑問になると思います。恐らく現在の状態から申しますならば、この改正案通りましてからかなり期間この同意について相当慎重な運用が行われるということは私も疑わないのでありますが、これが時を経るに従いまして次第にルーテイン・ワークになつて行く。司法警察員が持つて来れば、検察官はそう深く追及しないで簡単に同意を与えるということになれば、この規定は無意味になります。否無意味になるばかりではありませんで、むしろ弊害を生ずると思います。と申しまするのは、警察に対する不信用ということは私も否定しがたい事実であると思います。従つて現在の状態については、裁判官令状を出す際に検察官請求ならば、まあ大体そうひどい不信用は持たないで令状を出す。警察から請求して来た場合にはより余計の不信を以てこれ臨む。十分にいろいろと聞いた上でこれを出すというようなことが行われると思うのでありますが、若し検察官同意がありますならば、これは検察官同意があつたのだから先ず問題あるまいというので、盲判を押す傾向が出て来はしないか。若し検察官同意が盲判的に行われ、又検察官同意が形式的になるが故に裁判官が盲判的に令状を出すということになりますならば、これは現在の弊害がより一層ひどくなるということさえも私は恐れるのであります。これは差当りの疑問と申しまするよりも、将来の、何年か先の見通しとしてそういうことを私は恐れるのであります。のみならず通常逮捕についてかような厳重な制限を置くということは、半面において緊急逮捕或いは現行犯逮捕司法警察職員によつて濫用される弊害を生みはしないかという点を心配いたします。今までならば比較的簡単に逮捕状請求ができたのが、一々検察官のところに持つて行かなければならない。勿論この改正規定によつて同意がなくても裁判官令状を出す場合もありますから、緊急を要する場合等においてはそれでもつて運用されるかと思いますが、併しかような必ず検察官同意を一応は少くとも得なければならないということになりますと、それよりも緊急逮捕のほうが簡単でいい、或いは多少無理でも準現行犯逮捕ぐらいでやつてしまうと、こういうことになるといたしますならば、これは私の杞憂に終れば幸せでありますけれども、万が一でもそういうようなことが行われることになれば、これは現在以上の恐るべき弊害になろうかと思います。更に根本的に考えますというと、強制処分に関する抑制ということは、これは憲法三十三条、三十五条によつて司法官憲即ち裁判所又は裁判官にその任務が与えられておるのであります。逮捕状請求が不当である場合は、これを抑えるのが裁判官であるべきであります。そのようないわゆる司法的抑制の道を正面からとらないで、裁判官には単に逮捕状が法定の要件を具備しているかどうかということだけを審査させて、その当否或いは良否については審査をしない建前にしておいて、そうして検察官にその実質的な抑制をさせようというのは、憲法三十三条、三十五条の本来考えているところの趣旨とは副わない方法であると思います。これは必ずしも違憲だとは私は思いませんが、憲法の精神、趣旨に十分に副うゆえんではないように思うのであります。そのような趣旨からいたしまして、私は百九十九条にも賛成いたしかねるのであります。  捜査に関するその二といたしまして、供述拒否権告知について百九十八条の第二項について申上げます。これは率直に申しまして殆んど無意味改正であると思います。と申しますのは、供述拒否権を濫用して、実は濫用という言葉は私はこの場合妥当ではない。如何なる場合においても行使できるものと思いますが、仮に濫用という言葉を使うとしますならば、供述拒否権を濫用して始末におえないというのは、特殊の事件についての被疑者であることはほぼ周知の事実と見てよろしいかと思うのであります。この種の人たちは、何も捜査官憲供述拒否権告知するまでもなく、十分にそういう権利があることを知つておるのであります。この規定は何も実質的にその権利自体制限するのではなくして、単に告知制限するだけでありますからして、その種の被疑者に対してはこの告知をやめることは何ら痛痒を感じない結果になろうと思います。而も無意味なばかりでなく、これによつてばつちりを受けるのは、弱い普通の事件被疑者等であろうと思います。例えば自分の氏名などにつきましても、通常は氏名がわかつたからといつてすぐに犯罪事実がわかるわけではありませんが、氏名捜査の端緒になる、端緒と申しますか、捜査を進める上の手掛りになる場合もありますし、又場合によつては、氏名がかわることによつて、その本人が犯人自身であるということが判明する場合も出て参ります。氏名必ずしも憲法三十八条一項にいわゆる「自己に不利益供述、」の中に含まれるとは言えないのであります。そこで実際問題としまして若しこのように「自己に不利益供述を強要されることがない旨」だけを付加えるといたしますならば、例えば氏名などは何も不利益供述じやないぞと言つてこれを強いて言わせるというようなことも起つて来得るかと思います。要するにこの規定は、本来この規定が狙つているであろうところの人たちに対しては無意味であり、その以外の人たちに対しては、しばしば陥し穴に入れるようなことになるのではないか、かような点に深い疑問を持ちます。のみならず公判手続に参りましてからは、全面的な黙秘権被告人が与えられるのみならず、冒頭手続においてこれを告げられるのであります。併し実際に供述強要の虞れがあるのは、公判手続に入りましてからよりは、むしろ捜査の段階においてでありまして、三百十一条において公判手続についての全面的な黙秘権を認め、冒頭手続におい填その告知まで認めておきながら、他方において弊害がより恐れられるところの捜査の段階についてかような改正をするということについてはどうしても承服いたしかねるであります。若しどうしても何らかの改正を必要とするといたしますならば、「自己に不利益な」という文字を削つて、単に供述が強要されることがない旨を規定する程度のものならば、これは実質的に見ましてもそう弊害を生ずるわけではないので、さような線であるならば私も必ずしも積極的には反対いたさないのであります。このままの形では反対せざるを得ないのであります。  捜査に関するその三といたしまして、起訴前勾留期間に関する二百八条の二について申上げます。逮捕期間を通じて二十八日までの起訴前の身柄の拘束が認められることになるのでありまして、而もその条件はかなり限定されておりますけれども、ここに挙げられております条件を見ますというと、共犯が多いというようなことが挙つております。例えば集団犯罪のような場合がここでも主として予想されるかと思います。併し先ほど権利保釈例外の点について申上げますと、同じ趣旨において共犯者多数の場合には無実の者が巻き込まれる可能性もそれだけ多いのでありまして、かようなことを理由として期間を延長するということは納得しかねるのであります。ただこの点も治安の問題に関連いたしますので、学者の立場としてこれ以上強くは申上げることができないかも知れませんが、仮に止むを得ないものとしてこれを認めるといたしますならば、私はその半面において是非とも刑事補償制度をかような場合に拡張して頂きたいと思うのであります。現行法においても、若し一旦起訴されて無罪になりますというと、起訴前の抑留、拘禁期間についても刑事補償が与えられるのでありますが、不起訴になりました場合にはこれは刑事補償が全くないのであります。二十八日も抑留、拘禁を受けて、結局嫌疑なしで放されてしまつて、而も泣き寝入りになるようなことは通常の法律常識から見ましても甚だおかしいのでありまして、このように勾留期間の延長がどうしても止むを得ないということになるといたしますならば、是非とも刑事補償の改正によつて、かような場合も補償の原因として加えて頂きたいと思います。  捜査に関するその四といたしまして、差押に関する緊急処分についての二百十九条の二の規定について申上げます。これ又実際上の必要がしばしば起ることについては私も了承いたすのでありますが、問題はやはり憲法三十五条に関連いたして参ります。差押をする場合には、特にその物を特定した令状で以てこれを行うことが必要になるのであります。そこで先ず現行法の運用自体といたしましても、実際はどこそこの家屋の中における何々被疑事件に関する証拠物件というような場所で以て物を特定するということが行われているのでありまして、これは実際の必要上止むを得ないのかと思いますが、憲法三十五条の「物を明示する」という文句、特にこの英訳によりますれば、個別的に物を記載するというこの文句からいたしますれば、現行法のその運用自体がすでにかなり問題であろうと思います。然るにそのような令状が仮に出た場合に実際行つて見ますというと、当該の被疑事件に関する証拠物件が全くその家にあつたであろう物が隣りの家に移されている。かような場合にこの規定が動いて来るかと思うのでありますが、若し令状を発付したその当時においてその家にあつたものであれば、これはまあ場所的に特定された範囲内に入る。だから或る程度の緊急処分も許されるということになるかと思いますが、若し令状を出す前にそれがすでに隣の家に運ばれたということになれば、その令状の効果は全く及ばない。全く令状と無関係なことになるのであります。その区別が果してこの条文の運用によつて付くかどうか。令状発付当時その家にあつたかどうかということが言えるか。少くともそれが言える場合でないと、それは動くべきものじやないと思うのでありますが、実際そこらの認定があやふやになると、これはやはり憲法問題に触れて来ると思うのであります。のみならず、この規定ではかなり慎重に、この最後のあたりでありますが、「場所を看守する」という言葉を用いております。物自体を押えるのじやなくて場所を看守するのである。言い換えればその家を周囲から取り巻いて見ているのである。この程度のことであるならばこれは必ずしも憲法違反とまでは言えないかも知れません。相手から言えば迷惑千万に違いありませんが、まあこの程度は許されるかも知れません。然るに刑事局から出されております逐条説明書によりますというと、この内容として、かような場合にはその場所に出入りすることも禁止することができると、又その物が他に移動し、又滅失しないように監視し、危険がある場合にはこれを制止することもできるのだというような解釈になつております。若しそのように解釈になれば、これは場所を監視するということとはかなり違つたことになると思うのでありまして、解釈論として私はそのように考えることはできないと思いますが、若し立案当局のお考えのように実際運用されるといたしますれば、それはすでに物について官憲が管理を取得して、占有を取得しているのと殆んど違わないことになります。言い換えますならば、令状なしに仮に差押をするということを殆んど同じことを認めることになります。現在でも憲法三十三条の関係緊急逮捕が特に認められておりますが、同様のことを憲法三十五条の関係でも認めるということは、これは甚だ問題であろうと思うのであります。憲法上の疑義及び実際の運用の両面からしまして、この規定にはどうも反対せざるを得ないのでございます。  大変長くなつて恐縮でございますが、あと成るべく端折りまして……。  第三に、公訴の時効に関して申上げたいと思います。二百五十四条及び五条の関係でございます。二百五十四条で、現在の一項但書を削ることになつておりますが、これを削るといたしますと、公訴棄却の決定が送達不能の場合にどうするかという問題が起つて参ります。起訴状の謄本の送達ができない、それでありますから、恐らく公訴棄却の決定の謄本を送達することもこれ又できないのではないか。そういたしますならば、いつまでも公訴棄却の裁判は決定しないわけであります。言い換えますならば、このような場合には、公訴提起によつて時効が停止したままで、いつまでたつても時効は完成しないということになるのでありまして、これは旧刑訴の規定における公判の処分によつて時効が中断するという考え方よりもより本人にとつて不利益な結果になる。而も、単に不利益というだけでなくして、本人が知らないうちに検察官が起訴し、裁判所にかかつている。そして時効がずつと停止したままでいるというような状態を生ずるのでありまして、これは結論的に甚だ不都合であると思います。  従つて二百五十四条につきましては、送達制度に関する規定を完備する、今の送達不能の場合にどのようにして告知をするかという点についての規定を完備することを是非とも必要とすると思います。そうでなければこれは甚だ片手落の改正になると思います。送達に関する規定ができますまでは、むしろこの但書を現在のまま存置した上で、而もそれにこの改正案の四百六十三条の二第一項の場合をも但書に追加することが必要であろうと思います。若し送達の制度について規定を完備されるならば、問題は別論でございます。  二百五十五条については、送達の関連において、同じく非常な疑問があるのでありますが、時間が経過いたしましたので、この点は省略いたします。  第四に、第一審公判関係について申上げますと、その一としまして、先ず二百八十六条の二の被告人の出頭に関する規定であります。    〔委員長退席、理事宮城タマヨ君着席〕 これはいろいろと問題があろうと思いうのでありますが、結論といたしましては私は賛成であります。と申しますのは、恐らくこの規定ができれば、現在のような弊害が初めからなくなるのではないかと思います。そうような予防的効果を持たす意味において賛成であります。従つて法律の上で直接に規定するか、或いは裁判所の規則で規定するかは別といたしまして、かような場合には被告人が出頭しないでも公判手続が行われるものであるという旨を被告人に十分知らせる。例えば召喚状の送達によつて召喚をする場合には、その召喚状にその旨を記載しておくということが必要になつて来ると思います。そのような手当を一方で予想いたしますならば、この規定は、無論積極的に非常に賛成するというような性質のものではありませんが、止むを得ないものとして認めるはかなかろうと思います。  第一審公判に関するその二といたしまして、簡易公判手続の点について申上げますと、これもいろいろの問題を含んでいると思いますが、かような改正案の形は必ずしも憲法三十八条第三項と矛盾するものではないと思います。裁判の促進の点から申しますならば、より徹底したアレインメントが必要かと思いますが、それは憲法上の問題に触れて参りますので、差当りこの程度において簡易公判手続を行うということは、半面において裁判所の精力をセーブして複雑な事件に十分の力を注がしめることにもなるのでありまして、かような趣旨において簡易一公判手続に関する規定には賛成いたします。将来としては、むしろこの方向をより強化するのが妥当であると思います。  第五に控訴審について申上げます。その一といたしまして、控訴趣意書に関する三百八十二条の二の点について申上げますと、これは現行法の三百九十三条第一項但書ができます際に原案になかつたものが国会で突然に入りましたために、多少穴ができていた点でありまして、私は解釈上でこれを補つていたのでありますが、かような明文を以てこれを明確にしたという点については私は積極的に賛成いたします。  その二といたしまして、刑の量定に関して続審的な性格を或る程度控訴審に持たせるという点につきまして三百九十三条の第二項、及び三百九十七条の第二項の点について申上げますと、これは遺憾ながら私は反対せざるを得ないのであります。実際に問題になりますのは、第一審で判決がありましたあとで示談が成立して被害弁償が行われるというような場合に、これを控訴審でとり上げて欲しいということであろうと思いますが、併しそれは又半面において第一審の判決があるまでは示談なり、弁償なりを暫く見合せておいて、第一審の判決が若し不利益、自分のために不利益なものであつた、執行猶予になるつもりであつたのが実刑になつた場合に、それでは一つ控訴審で緩和してもらいたいということで初めて示談に応ずる、弁償すると、かような弊害も出て来得るのであります。言うまでもなく現行刑事訴訟法は全体として英米法の考え方を大きな骨子としておるのでありまして、これは言い換えますというと、第一審に重点を置いて考える建前であります。で止むを得ない場合に第一審判決に若し誤りがありますならば、それが事実の点に関してであろうと、量定の点に関してであろうと或いは法令の違反の点であろうと、上訴審においてこれを是正するということは、これは必要でありますが、併し第一審判決以後にできて来たものについて起つて来た、生じて来た事情についてまでこれをとり上げるということについては、上訴審の構造をかなり根本的にゆるがすことになつて来ると思うのであります。無論控訴審を広く大きくして参りますというと、それは被告人には十分の救済になるかも知れませんが、併しその半面において第一審がそれだけ精力をそがれる、本来最も力を入れられるべき第一審が弱められる結果になるのでありまして、全体として果してそれが大きな眼で見て、被告人の利益になるかどうかやはり問題であろうと思います。のみならず上告審が最高裁判所であり、最高裁判所が現在のような、憲法で認められおるような力を持つものである以上は、事実審と上告審との間に位する控訴審としては現行法建前が最も妥当なやり方だろうと思います。のみならず解釈論といたしましても、例えば傷害被告事件について第一審判決後に被害者が死亡した、言い換えれば傷害致死の事犯になつた。かような場合に三百九十三条の二項の改正規定で参りますというと、刑の量定という面ではこれをとり上げる、併し事実としては認定しない。言い換えますと被害者が死んだことを情状としては認定しながら而も傷害致死の認定はできないというような甚だ割り切れない結果になるのであります。そういうような点において理論的にも甚だこれは中途半端なものでありまして是認しがたいのであります。中途半端なものであるということから、もつと徹底した続審制度にするということになれば、これはなお更先ほど申した趣旨に反することになるのでありまして、成るべくならば現行法のままで置きたいと思います。ただより徹底した続審に比べますならば、まあせいぜいこのあたりで我慢するほかないと思います。  第六に、略式手続について申上げますと、これ又いろいろ問題があると思いますが、結論的に賛成でございます。特に正式裁判の請求期間を十四日に拡げ、又この手続をとるについて事前に本人に対して十分に略式手続趣旨を説明してやるということになつておりますので、かように改正いたしましても弊害は殆んど予想されないのみならず、そのような軽微な事件についてどしどし事件を処理することが、大事な事件について精力を十分に注ぐゆえんになると思うのでありまして、これについて賛成でございます。  大変時間の制限を超過いたしまして……。   —————————————
  4. 宮城タマヨ

    ○理事(宮城タマヨ君) 有難うございます。  次に東京地方裁判所判事栗本一夫参考人にお願い申上げます。
  5. 栗本一夫

    参考人(栗本一夫君) 限られた時間でございてので、全面的に一つ一つに当つて意見を申上げることは不可能と思いますし、又必ずしも私は申上げるのも適当でないこともございますので、主として裁判所側の立場から一番関心が深いと思われるような点につきまして御意見を申上げてみたいと思います。勿論刑事訴訟法でございますので、全面的に関係は勿論ございますが、中には関係が深い部分と多少薄い部分とございますので、主として深い部分について意見を申上げてみたいと思います。で一番関心を持つておりまするのは、二百九十一条の二以下の簡易公判手続でございますが、これは結局被告人犯罪事実を自白いたしました場合、公判廷において自白いたしました場合に、証拠調べの方式を簡略にいたしましたことと、むずかしい証拠能力の制限を撤廃しよう、こういうことに帰するようでございますが、これは我々第一審をやつております者の立場からいたしますと極めて適当な改正ではなかろうかと考えております。と申しますのは、只今團藤教授のお話にもすでに触れられております通りでありますが、やはり争いのある事件に精力を我々としては注ぎたいのでありまして、被告人犯罪事実をすつかり認めておりまするような場合に、あえて必ずしも否認しました場合と同じように厳格な手続で必ずしもやらなくてもいいのではなかろうか、こういうふうに考えるもので、簡易公判手続といたしましてはこれは裁判所側として採用類いたいと考えておる次第であります。なお、ここに強いて欲を申せば、短期一年以上の懲役又は禁錮にあたる事件は死刑、無期の事件と同様に簡易公判手続から外されておるのでありますが、どういう理由によつてこうなつたかはよくは存じませんが、折角採用なされるならば少し窮屈過ぎはしないだろうか、死刑無期というようなものは別でございますが、短期一年以上と申しますと、強盗のようなものまで簡易公判手続に廻せないというようなことに考えられますので、比較的数がたくさんありますところの強盗のようなものは、簡易公判手続で行き得るようにお考えを願つたほうがいいのではなかろうか、かように考えております。その次に勾留理由開示手続のことでございますが、これは八十四条の関係でございますが、これも只今團藤教授からすでにお触れになつたところでございますが、裁判所関係の者といたしましては、原案通りして頂いたほうがよくはないかと、こう考えております。で勿論憲法論といたしましていろいろ、疑義があるということは今團藤教授もおつしやいまして、確かに疑義はないではないと思うのであります。法務省刑事局逐条説明書に書いてございますように、これは勿論私個人の考えでございますが、必ずしも、この書面意見を述べるというように改正いたしましても、憲法に必ずしも違反するものではないのではなかろうか、こう私個人の考えでございますが考えておりまして、そうなれば原案通り改正して頂いたほうが、いわゆるこの手続を利用して非常に法廷闘争をするというようなことも防ぎ得ると思います。勿論この手続改正いたしましたのみを以てすべて法廷闘争の、不当の闘争がなくなるとは考えておりませんが、少くともより少くして行くということには大いに力があると思いますので、これは改正して頂いたほうがいいと考えております。  その次に、被告人の出頭拒否の問題でございますが、これは二百八十六条の二の関係でございますが、正当な理由がなく被告人が出頭いたしません場合に、欠席のまま審判をなし得るという点でございますが、勿論これは勾留されておる被告人に限られておりまして、保釈中の者には適用がない、こういう趣旨規定されておりますが、これも我々の立場といたしましては、かような改正があつたほうがいいのではないか、こう考えております。勿論私は團藤教授がおつしやつたように、このような改正をいたしますと、恐らく出て来ないということはなくなるだろうというようなことにも大いに力がございましようし、また裁判所の裁判と申しますのは、多少理窟に亘りまして恐縮でございますが、やはり被告人権利でございまして、公開法廷において審判を受けるという権利をみずから放棄するというに至つては、もはや必ずしも保護する必要はないのじやないか、こういうふうにも考えられますので、理論的に申しましてもさような考えもできますので、正当な理由なくして出て来ないような場合にはかような規定を置いてもよくはないかというふうに考えております。但しこれは私の意見でございますが、二百八十六条の二には、事件制限がございませんので、死刑事件であろうと無期の事件であろうと、いわゆる非常に重大な犯罪であろうと、かようなことができるようになつております。勿論裁判所の裁量の問題といたしまして、さような重大な事件はかような手続ではやらないだろうとは思いますが、法規の上ではそこまで行き得るようになつておりますことは、多少考える余地があるのじやなかろうか。従つて死刑に処するとか、無期に処するとかいうような事件は、やはり明文を以て除外したほうがよくはないか。これは法定刑を言つておるのではございませんので、法定刑の場合でございますと、殺人罪であろうが放火罪であろうが、ともかく死刑がございますので、法定刑を私は申上げておるのではなく、現実に死刑とか無期に処するような場合には、明文を以て避けたほうがよくはないかと、かように考えております。  それからその次に権利保釈の問題でございますが、飛び飛びになりまして恐縮でございますが、八十九条の権利保釈のところでございますが、この点で改正案裁判所側の立場といたしましてやはり支持したいとこう考えております。その中で問題となりますのは、現在第一号の点でございますが、死刑、無期に当たる事件というのを、短期一年以上の懲役又は禁錮に当たる事件をも権利保釈から除外しよう。この点でございますが、これは短期一年以上と申しますのは、何しろかなり重大な犯罪でございますので、法務省の逐条説明書にもございますように、強姦とか、強盗とか、こういうようなかなりの兇悪犯も入つて来ておりますので、やはり改正案通りして頂いたほうがよくはないかと、かように考えております。それから「氏名及び住居が判らない」という現行法規定を「氏名又は住居」と改めたいという点も、裁判所側といたしましては極めて尤もでありまして、現行法が施行されまして直後からすでに実際に運用いたしておりました全国の裁判官等においてこの要望がかなり強かつたのであります。これが今日法案になつて出ておるのだろうと思うのでありますが、とにかく今團藤教授もおつしやいましたように、住居がわからないとか、或いは氏名がわからないというような場合に保釈を当然なく得るということは甚だ意外をなさないことでありまして、将来召喚状の送達もできなくなつてしまうということになりまするので、この点はやはり改正して然るべきじやないかと、かように考えております。なお第六号のお礼まわり規定でございますが、これも改正して然るべきじやないかと考えております。ただこの点につきまして最後に今團藤教授からもおつしやいましたまうに、第四号の「多衆共同して罪を犯したものであるとき」、この点でございますが、これが恐らくかなり問題になるのじやなかろうかと私自身も考えております。これは結局罪証を隠滅するという虞れがかような場合には顕著であろうということだろうと思うのでありますが、そういたしますと、罪証を隠滅する虞れがある場合は現行法でもすでに権利保釈から除外されておりますので、そうなれば非常な若し御反対があるならば必ずしも追加しなくてもいいのではなかろうかとも考えられるのでありますが、併しながら裁判官の立場といたしますと、権利保釈の範囲が狭いということは、逆に申しますと、裁判所の裁量が非常に広くなるということでありまして、権利保釈規定に当らないからといつて裁量保釈ができないということはないのでありまして、これは当然のことでございますが、権利保釈に該当しなくても裁最保釈に当然できる。権利保釈の範囲が狭いということは勢い裁量保釈の範囲が広くなるということでございまして、第四号のごとき規定を置きましても、まあ置かれたほうが裁判所の執務といたしましては極めて便利なことになつて参りますので、その意味におきまして、私もこの案に賛成したいと思います。但し今申上げましたように罪証隠滅という規定があれば、絶対に必ずしも置かなければならないものでもないのじやないかと考えております。  次に勾留の点でございますが、これは六十条二項但書と三百四十四条の改正双方に触れるのでありますが、これは結局実質的事項といたしましては現行法勾留更新の回数は六十条二項但書によりまして一定の場合以外は一回しか更新できない、こういうような規定を置いておる。この更新回数の制限を緩和し、且つ一審において実刑の判決がありました場合には、更新回数の制限を全然撤廃しようというのが六十条二項但書の改正及び三百四十四条の改正と見受けられるのでありますが、これは現在すでに実務上の運用方針といたしますと、これは事は上訴審、高等裁判所及び最高裁判所のやつておることでありますが、すでにこの改正案に出ておりますような運用がなされておるのでありまして、これはかような運用をせざるを得なくなつた、一見多少明文に反するような嫌いがありながらも、かような運用をせざるを得ないということは、決して裁判所側が不当にやつておるのではないと私は考えるのでありまして、即ち六十条二項但書自体がすでに相当無理な規定でありまして、これは形式的に見ますると一から三までを通じての規定は総則規定でありますから、せざるを得ないのであります。それが上訴審まで行きますと、すでに必ずしも守つておらない。勿論これとても実刑の判決があつた場合に限るのでありますが、守つておらんということは、難きを裁判所に強いているのではないかと、かように考えられるので、六十条二項但書の改正及び三百四十四条の改正は現在すでに行なつておるところでもありますので、是非御改正を願いたい、私一存でございますが、さように考えておるのであります。  それからその次に控訴審改正の点でございまするが、内容につきましては、今團藤教授がすでに指摘されましたので私からは省略いたしますが、結論的に申上げますと、三百八十二条の二の追加でございますが、これは私も必ずしも反対ではございませんので、控訴審において取調べなければならないようなことは、すでに控訴趣意書に書いてもいいのじやないかと、かように考えます。三百八十二条自体には異議はございませんが、私は団藤教授と全く同意見でございますが、問題は三百九十三条の中に「控訴裁判所は、必要があると認めるときは、職権で、第一審判決後の刑の量定に影響を及ぼすべき情状につき取調をすることができる。」、かような規定を入れることでございますが、これはすでに今も團藤教授も御指摘になりました通り、主としてかような場合は財産犯における被害の弁償の点だろうと思うのでありますが、かような規定を明文を以て入れました場合には、やはり何と申しましても一審軽視の傾向が生じないとは断言できない点でありまして、それでなくてさえ現在におきましても高等裁判所運用自体におきましてもすでにかような場合には大体において高等裁判所でも採用いたしておる。それを殊に明文を以てかようなことをいたしますと、なお且つ一審を軽視する傾向が生じて来やしないか、かように考えられますので、我々一審の裁判官の立場といたしますと、かような規定はないほうがいいのではないか。殊に運用で以て賄つておられるならば、今暫らくかような控訴審の構造を如何にするかという問題はかなり重大な問題でありますので、見送つたほうがいいのではないかと私は考えております。  それから次に略式手続改正の点でございますが、これは裁判所側の立場といたしますと、是非御改正を願いたい、かように考えております。この内容自体は非常に技術的なことで、かなりごたごたしておりますが、併し事柄自体は決して大したことではないのでありまして、事柄の改正といたしますと、結局現在は被告人略式手続によることについて異議がなくても、更に七日の猶予期間を置かなければならないという非常に鄭重な規定になつております。その異議がなければ、もはや七日の猶予期間は置かないでも、即ち異議がなければすぐ略式手続請求をしてもいい、こういう改正とそれから一体起訴状の謄本というものを、略式手続によつて刑事手続を行う場合は、これは送達する必要があるかないか、こういう問題でございますが、事柄は非常に技術的になつて参るのでありますが、これが全国の裁判所におきまして、現行法の不備もございましようが、解釈上まちまちになつておりまして、かなりの混乱を来たしておる実情でございますので、これを今回の改正によりまして抜本塞源的に技術的な解釈上の混乱を防ごうと、こういうような趣旨に見受けられるのであります。これは是非技術的な面で無用の混乱を起させないという点で是非御改正を願いたいと、かように考えております。  それから、裁判所に面接関係が深い点につきましては大体以上申上げた通りでございますが、二、三捜査関係のことにつきまして意見を述べさして頂きますれば、捜査のことでございますが、裁判所としては勿論関係はございますが、余り出しやばるべきではないと思うのでございますが、一、二意見を申上げますれば、    〔理事宮城タマヨ君退席、委員長着席〕  先ず百九十三条一項の改正でございますが、これはまあ恐らくこれは従前の司法警察職務規範というようなものを検察庁乃至は法務省で書こうという規定ではなかろうかと思われるのでありますが、これは我々裁判官の立場として考えてみますと、検察官は何と申しましても公訴権を独占しておりますので、公訴権を持つております。公訴維持のためやはり或る程度反射的作用として捜査の点についてもいろいろ指示をしたいということは、これは尤もなことではないかと考えられますので、百九十三条一項の改正自体には我々は尤もではなかろうか、こう考えておるのであります。  その次に逮捕状請求に当つて検察官同意を要する。司法警察員逮捕状請求に当つて検察官の、検事の同意を要するという百九十九条の改正の点でございますが、これはかなり問題があるようでございまして、結局いろいろな利害得失が考えられるのでございますが、かような制度が絶対的に満点なもの、どこから見ても非難がないというような制度では勿論ない。いろいろな利害得失が考えられるのでございますが、結局といたしますと、逮捕状、人間を逮捕するというようなことは、非常に人権に重大な影響を及ぼすことでございますので、それに干与する者が多ければ多いほど鄭重になるということは、これは当然なことでございまして、被害者の人権を厚く保護したいということになるならば、この改正は尤もだと、こう考えるのであります。併しながらそれに必らず弊害が伴うということも考えられるのでありまして、弊害と申しますと、今團藤教授も指摘されましたように、何と申しましても、現行刑事訴訟法は当時者主義公判手続をとつておりますので、検察官が一番働くべき刑事訴訟手続ではなかろうか。勿論最後の裁判は裁判所がいたしますが、何と申しましても、原告官が縦横無尽の活躍をいたしませんことには、現行刑事訴訟法は成り立たない。かような重大な公訴維持の責任を持つておる検察官が逮捕の請求にまで一々干与して行くというようなことになつたのでは、時間的、精力的に公判のほうがなおざりになりはしないかという懸念が、これは老婆心かも知れませんが、我々の立場とすれば、かような懸念も考えられないことはないのでありまして、結局かようなことを逮捕状請求に当つて一々同意を与えるというようなことをしても、公訴維持のほうは一向従来と変りなく、むしろ、それよりも十分に公訴維持ができるというような十分な自信がおありになるならば、先ほど申上げましたように、人権擁護の上におきましては、決して悪いことではないのでありまするので、その意味におきましては、私はこの改正に賛成したいと思います。  あとまだ随分ございますが、大分もう十二時も過ぎておりますので一応この程度で私の意見を終りたいと思います。
  6. 郡祐一

    委員長郡祐一君) 有難うございました。  ちよつとお諮りいたしたいと存じますが、午前中牛島俊作君までお願いをいたすつもりでおりましたけれども、時間が十二時になりました。若し牛島さんがお差支えなければ、午後の冒頭にお願いをいたしまして……。
  7. 牛島俊作

    参考人(牛島俊作君) よろしうございます。
  8. 郡祐一

    委員長郡祐一君) ちよつと速記をとめて下さい。    〔速記中止〕
  9. 郡祐一

    委員長郡祐一君) それじや速記を始めて下さい。  次に共同通信社論説委員牛島俊作参考人にお願いいたします。
  10. 牛島俊作

    参考人(牛島俊作君) 只今卸紹介にあずかりました牛島でございます。今度の刑事訴訟法改正問題につきましては、非常に多方面かたがたからすでに新聞にも雑誌にも御意見が述べられております。それを聞いておりますと、皆さんが真に国民の人権を尊重してやるのだ、まるで人権擁護競争のような観を私たちは感ずるのでございますが、双方の言い分は検察、警察全く対立しておることでありまして、私たちとしましても非常にむずかしい問題のように考えるのでございます。改正案は六十数箇条に亘つており、これに対する本格的な意見を述べますには、高慶の法律的な、専門的な知識を必要とするかと思うのでございます。私は元来法律の専門家ではございません。ただ社会の出来事を若干批判的に解説して世間の人に伝えることを仕事としておりますので、そのような立場から今度の改正案のうち比較的に重要と思われる個所について若干の意見を述べたいと存じます。  一番最初に申上げたいのは、第八十四条の勾留理由開示に関する修正であります。法務省刑事局の御説明によりますと、意見陳述書面によるように改めても違憲ではない、口頭で述べさせるほうが妥当ではあるが、権利として認める建前をとると濫用の口実になるとしておられるのであります。メーデー公判その他思想関係の裁判で法廷がしばしば混乱に陥り法廷秩序が失われることは、我々新聞記者も直接に見聞しておりますので、定めし裁判所の側では非常に困つておられるだろう、大変御迷惑をしておられるだろう、裁判所としても何らかの対策が当然必要なことは今日国民の誰もが理解しておることと思います。併しながら原則として書面陳述の方法をとると、私のプリミテイヴな意見かも知れませんが、裁判の公判性が害われるのではないか、このように考えられるのでございます。法務省のほうの御説明では、裁判所通常の場合には口頭陳述を認めるであろうと申されます。併しながら書面によるという大変便利な法律を作つておきますと、初めの間は着実に、実直にやつても、いつかその便利な方法があると、人間の弱みとしてついその便利な方法によつてしまう、そういう方向に将来走る虞れはないか。私には裁判官が将来この安易な方向に走る危険性があるように感じられてしようがないのでございます。裁判や法廷を一般の社会における例えば労働組合の団体交渉とか、国会の運営とか、そういうものに比較するのは必ずしも妥当ではないでしようが、団体交渉とか国会運営においても、発言者に持時間とかいろいろの制限がございます。層にそういう会議、会場が混乱に陥りましても、若干の時間を経過しますと、互いに会議を進める方法が双方から考えられまして、初めは相当秩序が繁れても、いつかはその秩序が大体妥当な方向に向つて行くものではないかと私は考えるのでございます。意見陳述原則として書面によるように改めることにどうしても賛成することはできないのでございます。  次に申上げたいのは権利保釈の除外事由の拡大でございます。現行法では死刑又は無期に当る罪とあるのを、改正案では短期一年以上に当る罪と拡張されるのでございます。実は私は今日ここへ出て来て意見を述べます準備といたしまして、私の同僚と二人で現行法改正案を読み比べてみたのであります。そのとき私の同僚は、一年以上というのは十年以上の誤植ではないか、突然そういうことを言うたのでございます。死刑又は無期であつたものを一遍に一年以上にしてしまう。尤もその一年の中には強盗もあり或いは婦女暴行罪もあるかも知れませんが、余りにも拡張の仕方がひどい。そういうような率直な、端的な印象を受けると私の同僚が言うのでございます。こうした印象を強く受けるのは単に私の同僚だけではないと思われます。若しこの改正案がこのまま法律になるといたしますと、世間の人は保釈は恐ろしくむずかしくなつた、これでは単なる改正ではなくて一大改革である、大きな変革であるというような工合に、大きな衝動を世間の人が受けるのではないかと思うのでございます。現行法によりますと、婦女暴行、営利誘拐、人身売買、強盗など誠に憎むべき犯罪を犯したものに対しても保釈を許さねばならないことになつておるのは、私も誠に不都合だとは思います。法務省刑事局の長島さんのお書きになつたものによりますと、昭和二十六年末で保釈中の逃亡者は約二千五百人、又昭和二十五年の統計だと保釈中の再犯者人員は七千六百六十三人で、保釈総人員の一割を超えておると申されております。確かに保釈されてはならない者が保釈され過ぎている、現行法はそういうことが言えると思います。併しそれだからと言つて権利保釈の除外事由を一挙に大拡張するときは、今度は逆に保釈されねばならない者が保釈されずに終る危険性も大いにあるのではないかと考えるのでございます。私が理解している限りでは、近代の刑事訴訟法というものは原告たる検察官被告人とは共に当事者として訴訟上お互いに攻撃し、防禦し得る対等の権利を有するという原則が織り込まれていると思うのでございます。併し検察官たる検事には捜査に関する権限がありますから、一方で被告人の利益の保護に特別の考慮を払わねばならないというのが近代的な考え方であるように思うのでございます。保釈制度については多分に甘過ぎると思われる現行刑事訴訟法も又この当事者訴訟主義の上に立つていると考えるのでございます。権利保釈の条件を現在よりも厳重にして保釈中の逃亡再犯を減らすようにする必要は認められますが、余りに厳重にし過ぎた結果、折角の当事者訴訟主義が壊されることがあつてはならないと考えるのであります。誤つて罪を犯した人についても、その人権は大いに擁護される必要があります。権利保釈が除外理由の拡大は保釈中の逃走防止、再犯防止というところで一線を引くべきではないか。私は実際の法律を作つたことはございませんが、実際法律をお作りになる場合には、理論上一線を引くと言つても実際上はむずかしい問題かも知れませんが、婦女暴行とか強盗とかいうものは必ずしも絶対にこれを保釈の範囲外に置いてしまう、勿論裁判所としての保釈はできるでありましようが、請求権の外に置いてしまうということは、いささか強過ぎるのではないかと考えるのでございます。次に先ほどもいろいろ申されました、團藤教授も申されました通り、「被告人が多衆共同して罪を犯したものであるとき。」も範囲拡大の中に入つておりますが、この場合保釈を許されないのは、共同して罪を犯した全部のものを指しているように思われます。そうしますと首魁、或いは主謀者、或いはこの間のメーデー事件の場合では率先助勢したものは、そういうもののほかに非常にたくさんの附和雷同して皇居前広場になだれ込んだ人間がおるのでございますが、主謀者も、率先して助勢した者も、それからまあその辺の学生が一緒に入つて附和雷同してやつた者も皆一緒に許さないのだとすると、私はこの法律は非常な悪法のように、非常な改悪のように考えられるのでございます。法務省の御説明では証拠隠滅の危険度が高いと申されますが、犯人というものは元来すべての犯人は証拠隠滅に努めるものではないかと考えるのであります。特に集団犯罪だからとて証拠隠滅の度が高いとは私にはどうも理解できにくいのでございます。  それからもう一つお話しがありましたお礼まわりの件でございますが、お礼まわり防止案が入つておりますが、拘留されておる被告人が俺は出たらお礼まわりをやるんだとわざわざ予告するものはいないと思います。「疑うに足りる」十分な理由がある、こういう「疑うに足りる」十分な理由は、予告するような場合はこれは当然「疑うに足りる」十分な理由が発見できると思うのでございますが、実際こういう条文を作つておきましても、十分な理由を発見できるかどうか非常に私は疑問だと思うのでございます。私たちが新聞の仕事にタツチしておりまして、警察とかそういうところへ出入りをしておつて聞いておりますのでは、このお礼まわりを防止するのに一番よい方法は結局警察が、勇敢な警察官が有効適切に活動するのがその町の不良分子の、不良な徒輩に対して十分な有効適切な活動をやつて断固一撃を加えるのが、不良のお礼まわり防止に最もよいのであります。警察官が強ければお礼まわりという虎は私はだんだんとなくなるものだと考えておるものでございます。  次は百九十三条の、これは私たちとしては非常にむずかしい問題でありますが、検察官の司法職員に対する一般的指示権の改正、それから百九十九条の逮捕状の問題、この二つであります。このうち百九十三条の改正案の字句は一般世間の人にはこれを理解するのはなかなか困難でございます。大変むずかしい文句でございます。併し世間一般の人は法律文句はむずかしくてわからないが、この法律ができ上つたらどういうことになるかということについては、一般の世間の人は大体よい見通しを持つておるように思われます。私も又今度の改正案が通ると、検事の警察官に対する指揮権が強大になる。昔は警察というものはいわゆる検事の補助機関であつたのでありますが、この改正案が通つても、一挙に昔のような状態に戻るのではないが、だんだん昔のものに近付いて行くというふうに私は考えるのでございます。この問題について東京で発行されておるいわゆる朝日、毎日、読売その他のいわゆる中央、地方の新聞、そのほか全国の地方紙、地方紙は大体百数十でございますが、そのうち東京と地方併せて百紙のうちに近いものがいろいろ評論を加えております。その中には、この改正ができると国民の警察であつたものが、これから政党内閣の使用人になる、そういうものもあります。それから「捜査を適正にし、」という一点こそ、これを検察官が拡大解釈して来る場合、旧法の建前に戻つて司法警察職員捜査上検察の従属機関となる危険性がある。そうしてこれこそまさに検察フアツシヨの再現だ、検察フアツシヨという表現を使つておる新聞がかなりございます。併しフアツシヨというのは、それは国民大衆の自由を奪つて階級対立を認めず、社会関係すべてを国家の有機的な統一の中に投げ込む、いわば国を戦争機械化することでありますから、私は今日これだけの改正案を以てフアツシヨと批評するのは言葉が非常に苛酷過ぎると思うのでございます。これくらいではフアツシヨではないと思うのでございますが、さてこうしたこのような改革の傾向は決して又フアシズムと反対の側にあるものとは害えないのであります。御承知の通りその国家公安委員の下にあるところの国警、自治体公安委員の下にある自治警、この国警と自治警との間の中に国家権力であるところの一本の筋金の入つた検察という柱が一本入り込むことは、いわゆる戦後の日本における地方自治、或いは日本の民主化、そういう問題とはつきりこれは逆行するものだと理論上は言えるのであります。改正案では、この司法警察職員逮捕状裁判官に対して請求するには、原則として検察官同意を要するとしてありますが、同意権者のほうが請求する者よりも実際的には遥かに強いのは私が申すまでもございません。私は検察官のほうでは本当はこの逮捕状請求権について実際は内心もつと強い希望を持つておられるのではなかろうかという気がするのでございます。太平洋戦争が起つた年にできました国防保安法、それから同じくその年に改正されましたところの治安維持法には、明らかに検事自身が容疑者を召喚できる。又その召喚を司法警察職員に命令してやらせることができたのであります。それはこの二つの国防保安法、治安維持法に明記してございます。そういうような方向に、現在の検事の同意を必要とする、条件とするということは、必ずしも国防保安法、治安維持法そのままではございませんが、ただその方向に一歩でも近付くことは誠に感心ができないのでございます。現在逮捕状濫用されておるとかどうとかいうことがいろいろ言われますが、濫用、不濫用の問題は、一つの同じ統計についても立場々々で結論が違つて来るのでございます。警視庁のほうの私が聞きました数字では、逮捕状によつて逮捕された者のうち一二・六%が起訴にも微罪にも起訴猶予にも又少年犯罪にもならなかつた。即ち捕えてみたが罪にならなかつた、嫌疑にもならなかつた、そういう者が一二・六%おるというのであります。この一二・六%が逮捕状濫用という非難になるのでありますが、逮捕状請求に検事の同意を必要条件といたしましても、果してこの一二・六%の数字が大きく引下げられるかどうかは疑問と思うのであります。世間には検事のほうが警察官よりも一般的に言つて教養が高いからそのほうが安心だと簡単に割切るかたもございますが、私は問題の最重要な点は、そういう点にあるのではなくて、検察という国家の権力が公安委員の下にあるところの警察へ強く介入して来る、いわゆる警察という面に対して国家主義的な色彩を急激に強くする、こういう点は非常に心配せねばならないところであるかと思うのでございます。現行法では、原則として巡査部長以上なら誰でも逮捕状請求権があるという現状は、私はこれは若干怪しからん話だと思うのでございます。これは恐らく……、恐らくではございません、当然警視とか或いは署長とかに限つて認むべきものではないかと思うのであります。昨年の話でございまするが、大阪府下の警察の下僚が、自分の上司である署長に対して逮捕状を突きつけまして、警察の下僚が署長を逮捕してしまつた事例があるのでございますが、そういう点から見ましても、逮捕状濫用ということは確かに全国的にあつたのでございます。それを絞るという意味におきまして、もつと高級な地位にある署長とか、警視とか、そういう人に限つて逮捕状請求権を持たしたらどうかと思うのでございます。  次に申上げたいのは、起訴前の勾留期間延長問題でございます。起訴前の容疑者勾留期間は、現行法によりますと原則として十日、止むを得ないときには更に十日以内の延長が認められ、計二十日間となつておるのを、改正案では更に五日以内の再延長を認めさせようとしております。法務省の御説明では、集団暴力犯罪のごとき、又は特殊な大規模な事件に用いられるものであつて通常事件処理に予想しておるものではないとおつしやつておられますが、この改正が認められますと、容疑者の逮捕後の留置期間三日間七十二時間を含めると最長二十八日間となるのであります。人身拘束の時間がいろいろ理由はつけれれながらだんだんに延長されて行く、こういう傾向は誠に芳ばしくないと思うのでございます。私が聞いたところによりますと、この問題は、法制審議会では初め五日間となつておつた。それを政府のほうであとで七日に改めて法案を提出した。それがやかましく言われたので、今度は又元の五日に直したというのであります。これが若し事実とすれば、誠に首尾一貫を欠く信念のないやり方のように思われるのでありますが、特に国民の大事な人権が何だか法律をこしらえる人たちによつておもちやにされておるような感じを強く受けるのでございます。  さて全体的に見まして、この改正は、名前は改正でございますが、急激に且つ広範囲に改められる、或いは法の性格にも触れる大きな変革のように思われるのでございます。その結果、現行法に盛られておるところの当時者主義が、全く抹殺されないまでも、著るしく曲げられて、いびつにされてしまうのではないかと思うのであります。  私の話はこれで終るのでありますが、最後に一つだけ附加えて申上げたいことがございます。中国に「老残遊記」という名前の小説がございます。老残という人が支那各地を旅行して、そこの政治を見て歩いた。その記録という形で作られた小説でございます。これは今から約五十年前に清朝の末期に作られた小説でございますが、その内容は、要するに非常に廉潔なかたが、信念に固まつた人が権力のある地位に坐ると、実は賄賂を取る役人よりも世間に対して害毒を流すと、そういうことを書いた小説でございます。それはこういうのでございます。そういう廉潔な信念的な人は、犯罪事件に対しては遮二無二追及する。是非とも犯人を作り上げねば承知しない。その結果たくさんな人が無実の罪に泣いたり、殺されたりしたと、現実に自分がそういうことを見たと、そういうことを書いた小説でございます。顧みますと、日本にも戦争中或いは戦争前この小説と誠によく似たことがたくさんございます。現に支那大陸では、この小説と同じことが現在大規模に私は行われておるのではないかと考えるのでございます。今度の刑事訴訟法改正がそのような方向に、権力政治の方向に一歩でも近付くことがないようお願いしたいと思うものでございます。これで終ります。
  11. 郡祐一

    委員長郡祐一君) 有難うございました。ちよつと速記をとめて。    〔速記中止〕
  12. 郡祐一

    委員長郡祐一君) 速記を始めて。これで午前中の委員会を一応休憩いたしますが、参考人の皆さんはお忙しいところ御熱心な、又有益な御意見の御陳述を頂きまして、誠に有難うございました。厚く御礼を申上げます。    午後零時三十九分休憩   —————————————    午後一時五十一分開会
  13. 郡祐一

    委員長郡祐一君) 只今から休憩前に引続き刑事訴訟法の一部を改正する法律案につきまして参考人のかたから御意見をお伺いいたします。  参考人のかたに一言お礼を申上げます。参考人各位は極めて御多端なお仕事にお当りかたがたでいらつしやいまするが、当委員会の要請を快くお引受け下さいまして、当委員会が審議をいたしておりまする法案について有効にして重要な御意見陳述を願いますることを誠に喜ばしく存じております。開会に当りまして二言お礼を申上げます。  なお念のために申上げまするが、参考人かたがたの御意見は大体お一人三十分程度でお述べ願うことといたし、本日はおおむね参考人かたがたの御意見陳述を伺うことといたしまして、委員間で更に必要がございましたときには再度お越しを願いまして質疑等をいたしたいというのが委員各位の御希望であります。そのお含みを以ちまして、特に遠隔の地等で、本日御質疑をいたしますることが自他共に便利のかたについては個々にお願いをいたしまするが、然らざる限り、御陳述が終りましたらば御退席を願いまして結構でございまするから、さようお含みを願います。  それでは先ず最初に弁護士小野清一郎参考人にお願いいたします。
  14. 小野清一郎

    参考人小野清一郎君) それでは私より意見を申し述べます。時間の関係もございますから、極めて重点的に、問題となる箇所だけについて申上げたいと思うのであります。  第一に、検察と警察との関係について今回の法案がいささか手を加えようとしております。これが世上一番この頃では問題となつて、いるかのごとくでございますが、その内容は御承知のように、第一には検察官の一般的掲示権を拡張するということ、第二には逮捕状請求当りまして検察官同意を必要とする、この二点でございます。  御承知かと思いますが、法制審議会における審議は三回に亘つて行われ、そしてそれぞれ三回に答申がされておるのであります。これは第二回目の答申の内容になつていたものであります。  これにつきましては、当博から警察側からは極めて激しい反対があつたことを承知いたしております。現在におきましても警察側からは強い反対があるかのように承わつております。その御趣旨は、大体新刑訴によりまして警察に独立の捜査権が認められて、旧刑訴においては検事の指揮の下に捜査をするという建前であつたのでありますが、新刑訴では警察が独自の権限に基いて捜査をいたすということに相成つておるのであります。然るに今回検察官の一般的指揮権を拡張することによつて再び警察検察官の指揮の下に羅かれるようになるのじやないか、こういう一種の危惧の念がおありのようであります。これは一応御尤もとも思いますが、併し新刑訴といえども検察官を単なる公訴を提起し、遂行する公訴の機関とはいたしておりませんので、検察官も又捜査権を持つております。しかのみならず検察官一般的指示権というものは新刑訴の上においてすでに認められているところであります。いだ今回の改正安穴は従来この公訴の実行に必要な一般的指示を行うというような規定になつていたのを、捜査を適正にし、その他公訴遂行を全うするために必要な事項について一般的な指示をする、こういうようなことに改めようというのであります。つまり一般的指示権は従来からあつたものなので、それをいささか拡張するということになるわけであります。もとよりこの新刑訴の何と申しますか、根本の建前として警察にこの独立の捜査権があるということは、この改正案においてもいささかも変更していないのでありまして、ただこの捜査というものと公訴の提起との間における密接な関連に鑑みて捜査を適正にしておかなければ公訴遂行を全うすることは困難である。こういう考えからいたしまして、捜査の適正を期するために一般的な指示権を持つことができると、こういうことにしようという趣旨であると私は解しております。  私の考えではこの捜査というものと公訴の提起、遂行とは到底切離すことのできない。その間に無論段階はありますけれども、前段一貫して捜査活動というものが行われなければならないということは、これは到店否底することはできないと思うのであります。  で、新刑訴は大体アメリカの考え方を採人れたものでありますが、併しアメリカであつて警察だけが捜査を実行するというようなことにはなつていないと思うのであります。いわんやこれは要するに一般的指示権でありまして、具体的な事件をどのように捜査しろということまで指示する権限を検察に与えているのではないのであります。でありますから今回若しこの改正案法律となりましても、警察は独自の権限を持つて捜査をするのであり、一々捜査について検察官の指揮を受けなければならないようになるという筋合いのものでは決してないのであります。更に逮捕状請求について検察官同意を必要とするということでありますが、これは民間法曹の間においては是非そうして頂きたいということを要望しております。殆んど民間法曹一致の要望であるといつていいと思うのであります。これは先ほど申しました第二回の法制審議会の答申をいたします際に、いささか審議がどうも不完全と申しますか不十分であつたと思うのでありまして、警察側の御反対もそこから大分来ているように私は考えるのでありますが、何と申しましてもこの警察のスタツフと、それから検察のスタツフを比較して見ますと、その教養、資格の点でやはり検察官のほうが一般の警察職員よりも上にあると思うのでありまして、国民としてはその逮捕状令状の一点についてでありますが、警察のほうを信用するか検察のほうを信用するかと言つたら、明らかに検察のほうを信用すると思うのであります。この新刑訴を実施の後における実情について民間法曹の間に逮捕状の葉がしばしば濫用されておる。殊に民事々件の解決などについて地方の自治体警察などの職員が相当な顔の人から頼まれて刑事問題として逮捕状を出す。そのことによつて民事々件を解決に導こうとするような、そういうようなケースも少くはないというように民間法曹側では申しております。若しそういうことがあるとすれば、これは勿論甚だ不都合なことで、それは是非是正を必要とするのみならず、現在におきましても大半は逮捕状を出すというような場合に、警察から検察官に連絡をした上で請求をしておられると私は見ております。この改正が成立つても現状にそれほどの変更を加えるものではない、かように考えております。  なお、学者側の反対といたしまして、検察フアツシヨにになる慣れがあるということを多くの人が言つておられるのでありますが、検察フアツシヨのいけないことは申すまでもありませんが、警察フアツシヨが一層危険であるということは、戦前の経験に徴しても明らかであります。又学者の中には、責任の所在がわからなくなるという議論もあるようでありますが、それならば一体逮捕を裁判官令状によつてするということがいけないのではないかとさえ思われるのであります。捜査はやはり検察、警察密接な連絡によつて行われて行かなければならない。刑事捜査の能率を高める上においてこれはどうしても必要なことでありまして、その責任争い、検察に責任があるか、警察に責任があるかなどということを問うて見たところで、これは仕方のない問題であると考えております。要するに私としても警察捜査の第一線に立つて十分の権限を持つて活動をすることには賛成なのでありますし、その点を改めるということには無論絶対に反対いたします。併し一般的指示権はすでにあるものなので、而も公訴の実行と捜査の適正とは密接な関係があつて、切つても切離すことのできないものがありますから、私は一般的な指示権が検察官にあつて少しも差支ないと思うのであります。逮捕状について学者側の言つておられることは、おおむね実情の認識不足から来るものがあると思うのであります。先ほど申しました通り実情はすでに大半検察官と打合せて逮捕状請求しておられるようでありますから、そこにはそう大した問題はないのだろうと、こう思います。以上が第一点。  次に第二点、起訴前の勾留期間の再延長の問題であります。これは民間法曹といたしましては反対であります。この問題は法制審議会において検察官側から十日間の再延長を必要とするという御意見があり、これに対して民間側法曹は終始一貫絶対に反対であるという意見を述べておつたのであります。又学者側もおおむね反対であります。これは第一回の法制審議会の答申の中に含まれておるのでありまして、実は私が刑事法部会の部長といたしまして、十分に討論を尽した上で、甚だなまぬるいようでありますけれども、五日というところで妥協したらどうかということでそういうことにきまつたわけでございます。然るに前回提出された改正案では、いつの間にか五日が七日と直されておつたので、私はその点も甚だ不満であるということを一昨年でありましたか、衆議院のこのような公聴会の機会に述べたことがございましたが、今回の法案は法制審議会の答申通り五日になつております。併し若しできるならばこれは検察陣を強化することによつて十日延長十日、即ち二十日の期限をつけて捜査をして、少くとも起訴をするなり、しないなり、その決定をするということ、これは人身の自由拘束に関する重大な問題でありますから、相成るべくはこれは再度の延長を認めないようにして頂きたい、民間法曹としては一貫してそういうような考えを持つてつているのであります。以上第二点。  次に第三点、有罪の答弁に基く簡易な公判手続を設けようということであります。一これにも多少疑義がないわけではありませんが、私は賛成いたします。新刑訴は公判手続英米流の当事者主義なものといたしました。証拠法について証拠の面で煩瑣な制約を設けております。ここらの手続上の拘束は軽微な事件で、而も被告人が有罪をみずから認めているような場合には必ずしも必要ではないのではないか。英米におきましても一方この公判手続かなり当事者主義的な形式になつており、又証拠法の面でいろいろ煩瑣な制約を持つておりますが、その代り簡単な事件についてはいわゆるアレインメントと申す制度があるのでございます。併し我が国ではこの英米のアレインメントの制度を採用することには憲法違反になる虞れがあるのであり、そこでこの法案は英米法のアレインメントの制度をそのまま採用しようというのではなく、単に被告人が有罪の答弁をした場合に、その審判の手続を簡略にするというに過ぎないのであり、殊に証拠調べについても裁判所が適当と認める方法で証拠調べをすればよいということになるわけであります。これは新刑訴実施後の実情から見て、実際にそのような場合には現在でも被告人が有罪を認めているような場合には、弁護人も又その証拠書類等を証拠とすることに同意しておりますし、これも現状に甚だしい変更を加えるというほどではない。ただ制度といたしましていささか英米のアレインメントに類するような簡易な手続をとろうというに過ぎないのであります。以上第三点。  次に第四点、控訴審における事実取調べの範囲を拡張するということ、これは民間法曹といたしましては挙つて賛成いたしておるのであり、御承知のように新刑訴は控訴審の事後審の構想といたしまして、事実問題についてもただその判断の当否を再審査するという建前に相成つているのであります。併し特に刑事問題につきましては、事実の認定ということが極めて重要な問題であることは申すまでもないことでありまして、而し事実の認定というものは如何に慎重に取扱いましても、人間のすることである以上、誤認が絶対にないということを保障することはできないのであります。そこで新刑訴も事実の取調べを全然認めないわけではないのでありますが、それを甚だしく制限しているのでありまして、新刑訴施行後における控訴審の実際を見すると、控訴審というものは全くの書面主義になつております。単に控訴趣意書に基く陳述を申しても控訴趣意書通りということで、それに対する検察官の控訴申立理由なしというくらいのことで片付けられているのでありますが、これはどうも被告人として如何にも残念な場合が多いように見受けられるのであります。最高裁判所事務当局としては、第一審を強化するごとになつてその事実の審理は第一審にすべて集中するということを申されるのであります。誠に結構な話でありますが、実際に第一審をどのように強化されるのか、現在におきましては決してそれほど強化されていないのみならず、将来どの程度に強化されるかもちよつと見当がつかない。のみならず如何に強化しても、事実の問題は、弁護人として事件を取扱つた経験から申すのでありますが、判決になつてみて初めてそういう点を裁判官が問題をそのように考えていたのであるかというふうに、思わない点で被告人不利益な事実を認められるような場合もあるのであります。そういう点からいたしまして、私はあえて覆審に帰る、旧刑訴の覆審に帰ることを主張するものではありませんが、新刑訴の事後審の建前を維持しながら、一度でも事実取調の範囲というものをもつともつと拡張すべきであるということ、而もそれは解釈論としても相当の程度まで拡張できるんだということを、この法案のできるずつと以前から主張しているのでありますし、又だんだんそのよう歩くと複雑な事件については、相当事実の取調をしておられる向もあるのでありますが、一般的にはまだまだこの被告人に如何にも残念な遺憾の感を与えている場合が只今多いと思うのであります。そこで今回の改正でありますが、これも実はほんの少しばかり事実の取調を拡張するに過ぎないのでありまして、在野民間法曹側としてはもつと拡張して欲しい。できれば覆審に持つてつてもらいたいというような要求が強いのであります。この程度改正ならば、解釈論でも行けると私などは考えるのでありますが、併しやはりこれを明文化するごとによつて一般的に実務を控訴審における実務をより親切にする効果があるのではないか。そうならばこの改正も又結構であるというふうに考えます。以上第四点私の意見は大体以上に尽きるのであります。  ところで今回の改正について、この今回の改正は全く国民の権利を縮小する方向に向つている、こういうように批評しているかたが多いのでありますが、私は必ずしもそうとばかりは言えないと思います。只今申上げました控訴審改正のほかに、なお例えばこの逮捕状請求検察官同意を必要とするというようなことも、民間人として熱望している点でございます。なおこの権利保釈制限とか、勾留理由開示手続とか、公判に被告人が殊更出頭しない場合といつたような点についての改正法案の規定については、確かに従来新刑訴の認めていた被告人権利を縮小する方向に向つております。併しながらそれらの点ではこの新刑訴実施の過去数年間の経験に徴して、かなり濫用されているような面もあるのでありまして、私といたしましては甚だ遺憾なことではあるが、現実の必要に即してこの程度改正は又止むを得ないことである、かように信ずる者であります。  以上を以て私の陳述を終ります。   —————————————
  15. 郡祐一

    委員長郡祐一君) 有難うございました。  次に弁護士毛利與一参考人にお願いいたします。
  16. 毛利與一

    参考人(毛利與一君) 私も時間の関係から重点的に申上げたいと思います。  一番最初に取上げて申上げたいのは、百九十八条の改正でございます。つまり供述拒否権告知することの制度についての改正、これは私かなり何でもないことのように取扱われているように見えますのですが、これは実は大変な大きな問題を含んでおる、こう思いますのです。と申しますのは、今度この改正しようとするその案は、文字から見ますると憲法の字句をそのまま引移しになつておるわけなんです。憲法には「何人も、自己不利益供述を強制されない。」と、こういうふうに憲法にある。この憲法規定をそのまま引移して今度は「自己不利益供述を強要されることがない旨」を告げれば、それでよいというように改正なさろうというまあ立案者の御意向でございますが、これは憲法文字通りに引移しているのでありますが、憲法の書いてあることと、これが一たび訴訟法に引移された上とは非常に意味が違うのですから、憲法に書いてある通りに改めるのであるから、別に不都合はなかろうという立案者の御意見か存じませんですが、これをこの字句通り訴訟法に持つて行きますと非常に意味が変わると思います。と申しますのは、この改正案の提案理由を拝見いたしますと、これは法務省のお書きになつたものでございますが、有利、不利を問わず一切の供述を拒否すべきものとする傾向をこれによつて幾らかでも矯正し得ることになるかと考えると、こういうように理由が付いておるのです。有利、不利を問わず何でもかんでも拒否すべき傾向はこれによつて矯正し得ることができるであろうと考えると、こうなつております。そうしてなお被疑者に対し憲法上の保障を了知せしめようとするものである、こういうようになつております。ところが私がこれは非常に疑問に思いますのですが、一体その有利、不利ということは誰がきめるのか、そうしていつきまつて行くのかということの問題、この問題に対する疑問が全部お留守になつておる。憲法はすでに不利益なる供述というものはもうこれはわかつておるもの、如何なる供述不利益であるかということがわかつておるという前提に立つて、さような不利益供述は強要されないということを憲法規定いたしております。ところが訴訟法によつてこれから言わして、そうして資料を集めて裁判しよう、或いは捜査しようというときに何が利益になるか不利益になるか、そんなことは初めからわかつておるものではない。これは私はそういうことは私は理窟として申上げるのでなくて、現行法自体がそのことは認めておると思います。と申しますのは、刑事訴訟規則の百九十七条が裁判官がその黙秘権告知を被告にいたしますときに、「陳述をすれば自己に、小利益な証拠ともなり又利益な証拠ともなるべき旨を告げなければならない。」となつております。ですから、お前が利益なつもりで陳述しても、それは利益になるか不利益になるか、そんなことはわからん。それは判断するほうの側にあるから、心しながらしやべろということなんです。ですから、法律自体現行法、つまり現行法がそういう利益、不利益はこれは判断する側できめるということを明らかにこれはもう明文を以て宣言いたしておる。にもかかわりませず、今のような、法務府の御提案の理由のような利益、不利益でもかかわらず、何でも黙つているという悪い風習を直してやろうというお考え、そのお考えは大変結構なようでありますが、一体そんな何が利益になるやら不利益になるやらわからん、御当人としては、そういうものをお直しになるというのはちよつとおかしいと思うのです。被疑者が如何に利益なつもりで申しましても、これは不利益にとられる。又被疑者に質問するところの巡査部長なんとかいう人が、これは利益なつもりで、被告人の利益になるだろうと思うて御親切に聞いてやつて、そうして言わされてみたところが、それが後に不利益にとられるかわからん。裁判におきましても、殊に私は事実認定の証拠においても私の言う通りではなかろうかと思いますが、殊に情状の証拠なんかに至つては、裁判が進行してトータルを出しますときになつて、初めてこれは利益な情状とか不利益な情状とかということが決定するのである。ですから裁判官自身でも供述を聞いているときに、この供述は利益な供述であるとか、この供述不利益供述であるとかそんなことは断片的に判断すべきものじやない、又できるものじやない。全体のトータルが出て総合判断をするときに或いは利益にとる、或いは不利益にとる。さようでございますからこういうものを、不利益になることは強要されないと憲法が言うておりましても、憲法はそういうことは不利益なる供述というものを客観的に見てわかり切つたこととして規定を設けているのである。ところが訴訟法はこれから裁判を受けるのだ、何が利益になるやら不利益になるやらわからん。しつこく申すようでございますが、例えば巡査部長なんかが被疑者に質問するときに、利益なことであると思うて聞く。そうすると被疑者はそれは不利益になるからと思うて言わん。併し余りしつこく言われるからこれは利益になるかなと思うてしやべつた。それが後になつて不利益にとられたというようなことになるならば、これは改正案運用すればまさに憲法三十八条の第一項を正面から無視する結果になる。ですからこれは憲法三十八条と同じ文句を使いながら、実はその憲法三十八条第一項を破壊しようとする、或いは蹂躪しようとする規定なんだ。これは私は明白に憲法違反になる。むしろこういうことを立案者のほうでお見落しになつたのか或いはどうか存じませんが、これは不思議な提案である。でございますのでこれは私は参議院におかれまして是非御審議の結果さような憲法違反規定、明らかな憲法違反規定を削除して頂きたい。これを第一点として申上げたいのであります。  それから第二に、これはいわゆる簡易公判手続の新設でございます。これはいろいろ裁判所としては御便宜もあろうかと存じます。併し私どもからいたしますると、これはむしろ場合によりますと全刑事訴訟法を骨抜きにする非常なる危険を孕んでいる、こういうことを考えざるを得ないのであります。これは一概に申しますことはどうかと存じますが、東京のような場所とそれからだんだん地方一参りまして僻陬の地に参りました場合とによつて非常に違つて来ると思う。例えて……ということは言葉が適当でございませんが、田舎に行きますと今でもお上のお手数を煩わすということがございます。お上のお手数が未だにある。そういう言葉を使うか使わんかということで、お上の手を煩わすということは顔に書いてある。殊に被告人の顔にははつきり書いてある。被告人に対してさような便法がある。お上のお手数を相かけぬ便法があるということになりますと、これは被告人心理と申しますか、何と言いますか、中世的な、封建的な迎合心理と申しますか、これらのほうに、お上のお手数を相かけんほうが有利であるという甚だ卑屈な、よくない考えで、又非常に歎かわしいことではございますが、そういう傾向は多分に地方へ行くとあるのであります。ですからそういうことから言えば、これはもうこの簡易手続原則化を生む。これは日本全体に生むとは私は申しませんが、生む。地方によつて生む危険が非常にある。そんなら弁護士がしつかりしておつたらいいじやないかという御議論があるかも知れませんが、被告人がもはやさような非常なお上のお手数を相かけることに非常に恐縮する場合には、卑屈になる場合には、弁護人には如何ともできない。而も提案の理由を拝見いたしますと、共犯者がある場合に、その共犯者の一人が簡易手続で結構でございますと言つたような場合は一その者だけが簡易手続に廻されて、然らざる者は通常手続でやるということになる。こうなりますと、一人は簡易手続のほうへ廻され、お上のお手数に対して大変恐縮する者が出ますと、ほかのやはり共犯の者は、自分はさようなことに附和雷同しなくても、よほど意思の強固な者でも、或いは裁判に不利益になる結果を招来しては困るのではないかというつまらない配慮から、痛切にやはり自分は通常手続でやつてもらいたいと思つておつたけれども、他の共犯がどうしても簡易手続でやると言うので、又簡易手続のほうに流れ込むということも考えなければならん。でございますから、私はこれはアレインメントということは大変結構なものらしいのでございますけれども、それはそれだけの民主主義というものが発達して深い根を下ろした国では結構ですけれども、まだ日本の現在、お手数に対して恐縮する心理が彌漫しておる、普遍化しておるところにおきましては、これに対して選択の自由を与えるということは、これは実は選択の自由によつて刑事訴訟法によつて与えられた権利を放棄することを馴致することの危険を孕んでおると思いますので、これはそこで一つ御一考を賜りたいと思います。曾て売春法が布かれておりました。売春法の第六条によりまして売春にかかる事件であつても辞退することができる、辞退いたしてお上のお手数を相かけんようにすることができるという規定がございます。それがために売春に対しては辞退が続出した。そして売春法は実は利用するものがないということで、売春法が枯死してしまつた。これは私はこの簡易手続制度なんかを御採用になる上には、非常に私は御参考にして頂ける事例じやないかと思うのです。尤も売春法にその辞退の多かつたのは必ずしも全部がお手数に対して恐縮することによつたものとも言い切れませんけれども、併しやはりお手数に対する恐縮心理が働いておることはこれは否むことができない。さようなことで私は簡易公判手続に対しては反対意見であります。  それからなおこれと相合しまして、旧刑訴におきまする上訴権放棄制度を更に今度の改正において復活なさろうということは、やはり簡易公判手続というものを設けようとなさることによると同じ弊害を生む。やはり控訴放棄、成るべく控訴をしないということが非常に立派なことのように考える誤解を生みやすい。ですから上訴権放棄による旧刑訴への舞い戻りはこれは適当ではないと、かように存じておるのでございます。  それから権利保釈の除外例でございます。これは午前中からも大変いろいろ皆さん反対意見が多かつたようでございますので、私時間の関係もございますので、多くを申し上げることはいたしませんが、やはりこの除外例がすでに現行法で五つもあるのに又もう二つ、七つも除外例ができるということは、殆んど藻抜けのからになる。殊に被告人が多衆共同して罪を犯したときには権利保釈にせぬということになりますと、それは提案理由でも成るほどそれは騒擾罪とか集団犯罪に適用するものであるという提案の御趣旨はそうなつておりますが、併しこれが通常犯罪で二人や三人で強盗に入つた場合にも、やはり多衆共同してと判断されれば、やはりこれは権利保釈から締め出されることになる。そうなると一体権利保釈に何が残るかということになる。提案理由が如何にはつきりいたしましても、法文の上において明らかにならん提案理由というものは、これは信頼いたすわけには行かんわけであります。ですからこれはもう多く申しませんが、権利保釈の除外例については、少くとも現行法のままにとどめておいて頂きたい。  それから第四点は、起訴前の勾留期間の延長でございます。これは先ほど小野弁護士も反対とおつしやつております。私もこれは同じように反対でございます。これに対しては何か非常な長い委になつて、いろいろな条件がなければ五日間の延長ができないことのようになつておりますけれども、こんな幾ら長い作文を作つてみましたところが何にもならない。現行法におきましても十日間延長するときには「やむを得ない事由」がなければ延長しないように文章の上においてはなつておりますが、実際の運用上においては、何も止むことを得ないということはすこぶる宙に浮いてしまつて、余り止むことを得ないということはものを言つておらん。今度の長々とした五日間延長の言訳のような文章は、いろいろなことを言つておりますが、結局これは何でもないことになる。そうすると大分期間が延びて二十五日間おるということが原則化いたすことは、これははつきりしておる。決して例外現象は起らんのであります。  それから第五点ですが、勾留されておる被告人が公判期間に出頭しないときは、出頭しないでも、その公判手続が行うことができる。これはいろいろ提案の理由はおありになるようでありますが、これは私ども考えても妙な規定なんで、一体被告人を勾引するとか、勾留するとか、強制を加えることは、一つは公判に間違いなく出頭させるために勾引をする。更に条件が加われば勾留をするわけであります。ですから勾引とか、勾留とかいうことは、出頭させる自的のためにそういう強制権が加えられることとなつておる。保釈の取消のときでも、正当の事由なくして出頭をしないときは保釈を取消すということは、保釈を取消して勾留にすれば、出頭するということの可能性が、現実性ができて来るから、そういう保釈の取消ということもできるわけでございます。そういう全体の思想から考えてみまして、勾留されておる者と勾留されておらん者と区別して、勾留されておらん者は出て来なければ裁判はせんけれども、勾留されておる者は出て来なければお留守でも裁判するとおつしやるのは、何か物事が逆のようになつて、一体勾留とか勾引とかいう強制手段を加えておるのは何のためにあるのか、どうもこれは私誤解しておるかもわかりませんけれども、何かこうなると法律の全体の体系がわけがわからんようなことになるような気がいたしますのでございます。でございますから、私は勾留されておる被告人勾留されておらん被告人を別扱いにするという差別主義は、これはお考え頂きたいと思います。  それから第六点といたしまして、百五十三条の二でございますが、「勾引状め執行を受けた証人を護送する場合又は引致した場合において必要があるときは、一時最寄の警察署その他の適当な場所にこれを留置することができる」。これは一時となつておりますのですが、証人を一体こういう強制留置するなどということは、随分思い切つた御処置でございますが、それならそれで期限でもきまつておればいいのですが、被告人でも二十四時間以内しかできないという被告人でも時間がきまつているのに、証人に対して一時……一時というのは余り長く置かんことでしよう、余り長いのは一時と言いませんから、日本の場合は……。併し一時というのは、かような大きな拘束を受けるのを期間も何もきめずに一時というのは、これは御便宜もあると思いますが、余りこれは便宜のために人の人権をおろそかにするものじやないか。殊に証人は第三者であります。第三者を一時というのはどういう一体根本的なお考えか知らんが、人権を何と考えていらつしやるか。一時なんという形容詞は法律の世界にそういう……、被告人に対する五日間の延長、あれが問題になつておるのに、何でもない証人に対して一時ということでとめ置くということはどういうお考えか、これは私は勿論削除に願いたいと思います。  さようにいたしまして、現行の訴訟法は、今度の改正案と比較いたしまして、それは改正案にも成るほど結構な点はございます。私どもといたしまして、今の控訴審に事実審理の範囲を拡張して頂く、拡張されるという御意図は誠に結構でございます。これは私ども決して不賛成ではございません。それから又、逮捕状検察官同意が要るということは、これは成るほど午前中に私は御意見つていろいろ反省させられる点がございましたが、併しこれは……警察の中に、公安委員会の下にある警察の中に、国家権力としての検察官が割込むということは適当でないという体系的な見地からの御議論がありましたが、成るほどこれは傾聴に値いすることでございますが、併しやはり現在逮捕状濫用されておるということは、これはもう在野におります者の痛切な経験ですから、これに対して検察官同意が要るということは、むしろ今回の改正はもう少しお考え頂かなければならんというくらいに思つている私ともどしては、この趣旨には反対はございません。でございますから、改正案に対しては全部が全部反対というわけではございませんが、遺憾ながら私どもが賛成さして頂くというところは極く僅かで、そしてむしろ反対のほうが多い。この改正案全部を逆戻りであるとか何とかいう総括論は、これは言葉で表現することはちよつと差控えるといたしまして、私どもの希望するところと希望しないところを差引くといたしますと、大分私どもから言うと大きなマイナスになる。而もそのマイナスが一部改正する法律案という名前において出ておりますが、実際のこれをよく見ますと一部の改正でない。下手するとこれは全部骨抜きになるような危険を孕んでおるのでございます。ですから、これは一部改正案というと、成るほど条文の数の整理、文字の使い方から言いますれば、これは一部改正かも知れないが、精神全体の骨をどうするかということになりますと、これは全部改正の危機を孕んでおるのでございます。さような点におきまして、私は、参議院で公聴会をお開き下さつたことに深く敬意を表するのでございますが、実を申しますと、或いは欲を申しますと、これは労働関係法規の改正の場合におとりになつたように、全国各地の主なる土地に御出張下さいまして、そうしてそこで在野法曹の意見というものをつぶさに聞いて欲しいと思うのでございます。私どもはなぜ在野法曹の意見を聞いて頂きたいということを申すかと言いますと、大体この刑事訴訟法というものは、大変立派なことが書いてありましても、これは運用上すぐ読み替えて行かれるのです。こんな簡単な実例を申しますと却つて恐縮でございますが、この、公判調書は、各公判期日後速やかにこれを整理しなければならんという規定がございます。ところが、この速やかにということは、いつの間にかまあそのうちにということに読み替えられてしまう、速やかどころではございません。十日や二十日ぐらいそのままになつてつても、整理されておらなくても、さようなことは少しも驚くに当らないということが現状なんでございます。ですから抽象概念的にどんな立派な規定があつても、これはじきに読み替えられる。読み替えるということは、これは読み替えなさるお役所のほうでは、それは御都合のよいことに相違ない。御都合がよいからお読み替えになる、併しそのお読み替えなさることの結果によつて、苦しむのは被告人とか弁護人なんでございます。さようなことでございますので、お読み替えになる役所のほうは、そうお読み替えのことは大して気にしてはいらつしやらないけれども、在野法曹のほうは、実はこれは身に泌みておることなんでございます。さようなことで、いろいろ体系上の議論というようなことは別といたしまして、在野の人間の非常に読み替えによる苦しみを味わつておる実情は、この参議院においてもつとお聞き下さいますればなお結構であつたわけなんでございます。例えば私は今回の改正案でも、二百十九条の二でございますが、この刑事訴訟法に、差し押えるべき物の所在の記載ができておつて、而もその記載が間違つておる場合の規定でございますが、これは午前中は團藤教授から憲法論の話もございましたので、大分私ども傾聴いたしましたのでございますが、これは憲法論も憲法論でございます。大変これは貴重なんでございますが、実際これを読み替えられますと、差押物件の記載なんかはそうやかましく言わんでも一応記載しておけばいい。そんなふうに記載以外の場所で物件のありそうなところをあらかじめ何とか監視しておく、そうなるとこれによつて差押物件の記載、場所の記載ということが空文化すると同時に、人を諸方に張込ます、監視さすというようなことになりまして、非常な行過ぎが行われなければ幸いなんでございますけれども、ですからもう従来の例によつてややもすると読み替えが行われます。これはそういう読み替えの危険ということについて十分御留意頂きたいと思います。  最後に私は、まあ本日喚ばれまして……、我々弁護士側で二人喚ばれましたわけなんでございますが、私ども在野の代表的意見というものを申上げるということについて誠に危惧をいたします。幸いに弁護士連合会の意見というものは、この修正の法案に対して従来文書を以て出ておりますので、私の今日申上げたことも決して連合会の大体の線に従つて申上げており、個人的意見もそうそれとは背馳いたしておらんつもりでございます。さようなことにおきまして、今度の刑事訴訟法の全体のバランスということについて十分にお考え頂きたいのでございます。それで私どもといたしましては、控訴における事実調べの範囲の拡張、これは刑事訴訟法の体系上いろいろな議論もございますけれども、法律の体系よりも、実情に沿つた線においてこれは私どもは賛成いたしたいのであります。その他は警察官の逮捕状に対するところ等賛成いたしたい、その他は大体全面的に反対いたします。私の意見はこれを以て終ります。   —————————————
  17. 郡祐一

    委員長郡祐一君) 有難うございました。  次に東京地方検察庁検事正馬場義続参考人にお願いいたします。
  18. 馬場義續

    参考人(馬場義續君) 私は主な点といたしまして、百九十三条の、検察官一般的指示権の問題、逮捕状の発付について検察官同意を必要とする問題、起訴前の勾留期間の問題、権利保釈の除外事由の拡張、この四点を主として申上げまして、時間があつたら他の点に及びたいと思います。  先ず最初の検察官司法警察職員に対する一般的指示権の問題が今日非常に論議されておりますが、私どもの考えでは、今度の改正は、今までの百九十三条の解釈について私どもは疑いを持つていなかつたのでありますが、疑いを差しはさむ向きがありますので、これを明らかにしたものであるというふうに承知いたしておるのでありますから、特にこの点について説明を申上げるまでもないと思いますが、誤解を解くという意味で二、三点所見を申述べたいと存じております。  元来、この百九十三条は、訴訟法の制定、新刑事訴訟法の制定されるときに入りました経過でございますが、御承知のように警察法の改正によりまして、警察が多数の自治体警察と、それから国家地方警察に分れまして、その間に統一する機関が全然なくなつた。そのほかに又特別司法警察官も、鉄道公宏官、郵政監察官、その他たくさんできた。そういう状態でありますときに、例えば犯罪捜査を公正適法に遂行せしめる諸注意でありますとか、公訴を実行するに必要な書類作成に関する事項とか、或いは公訴を実行するために必要な証拠の蒐集保全に関する事項とか、或いは公訴実行のために必要な重要な事項に関する報告、こういうものはどの司法警察官にも共通の問題でございますから、それらを定める者を誰にするかという問題が起きました場合に、結局どの警察官に対しましても指示し得る立場にある者は、検事総長を中心とする検察官以外にはならないということになりまして、あのような条文ができたと思うのであります。併しながらこれも決して個々の具体的事件について、一般的に捜査を打切れとか、或いは捜査をしろとかいうような趣旨指示ではなくて、準則によつてきめられるものだけに限られておるのであります。今日まで出ておりますのは、この書類作成に関する問題規定でありますとか、或いは先般問題になりました破防法の事件捜査に関する、……まあ特殊な場合でありますが、指示とか、或いは微罪処分についても出ておつたと思いまするが、そういうふうな極く少数の限られた問題にしか出ていないのであります。いわば最小限度の非常に消極的な役割を演ずるような規定であると思います。  で御承知のごとく、今日国家地方警察本部というものがありまして、警察の、自治体警察並びに国警との調整をとつて行かれる上において、非常な働らきをしておられると思いますが、国家公安委員会には、警察に対する運営管理の権限は全然ないのでございますから、どうしてもそういう面では検察官がその役割を演じて、捜査の調整、或いはこの公訴実行のために必要な指示をする権限がなからねばならないと思うのであります。で最近例えば北大西洋条約ができまして、日本の行政協定が改正され、外国の駐留軍に対して或る範囲の裁判権を回復するというような問題が起きました場合に、この外国人に対する犯罪捜査というような問題につきましても、結局統一的な指示を考えなければならないのではなかろうかというようなことを考えておる次第であります。  それからこういう権限を与えることは、いわゆる権力の集中になつて、検察フアツシヨの虞れがあるというようなことを言われる向きがあるのでありますが、今申しましたように、改正趣旨が、現行法規定趣旨を明確にするということでありますし、又規定の内容も具体的事件について指示をするというのではなくて、準則に従つて一つのルールをきめるというようなもので、決して権力の集中というようなことを言われる筋合のものではないと私は考えておるのであります。でよく旧刑訴時代は、検事が一手に指揮権を持つて、全国の警察官を左右したように言われる向きもありますが、これは少しく戦争前の警察官と検察官関係を御存じのかたには、もういわれなき非難であると考えておるのであります。なるほど、訴訟法上検事が捜査の中心ということにはなつていましたが、実際の運用上は決してさようでなかつたことは、すでに明確な事柄であると思うのであります。例えば法制上古いことを持出して恐縮でございますが、裁判所構成法、これは旧憲法下の裁判所構成法の八十四条に、「司法警察官ハ検事ノ職務上其ノ検事局管轄区域内二於テ発シタル命令及其ノ検事ノ上官ノ発シタル命令二従フ」「司法省又ハ検事局及内務省又ハ地方官庁ハ協議シテ警察官中各裁判所ノ管轄区域内二於テ司法警察官トシテ勤務シ前項ノ命令ヲ受ケ及之ヲ執行スル者ヲ定ム」というような規定は置いてありますけれども、これは殆んど空文であつて、司法警察官、例えば司法主任なんかをきめる上において、人事上の協議を受けたというような事例は、私は皆無であると考えておるのであります。で結局身分上の監督権のない場合には、法律上いわゆる指揮権というようなものがありましても、旧刑訴の場合といいましても、決して検事が恣意を通してこれを左右するということはでき得るものではないし、特に今回は第一次の捜査権というものは、警察官に与えられておる。ただ、今申しましたような消極的な意味で、共通的な指示をする権限を与える。で又先ほど小野博士も言われましたように、捜査公訴というものは、しかく裁然と区別されるものではないのであります。加うるに新刑訴は、決して検事を公訴官のみというふうにきめておるわけではなく、やはり一面においては捜査官という権限を与えておりますから、検事にこの程度の権限を与えることは当然のことでありまして、これによつて権力集中を来たし、延いて検察フアツシヨになるというようなことは、ただ昔日を開けば国体明徴といつたような、相手の言論を封じたような一つ文句に過ぎないというふうに私は考えておるのでございます。さようなわけで、決してこの規定によつて検事が一手に捜査権を握つて警察官の権限を制約するというようなことは全然ないと私は断言して憚らないのであります。  次に検察官が現在以上に捜査に乗り出すことは公訴官としての職務に支障を来たすのではないかと、これは後に申します逮捕状の問題のときにも同じ問題が起きると思いますが、即ち検事は公訴官たる仕事をしておればいいので、捜査に手を出すということは公訴官たるの仕事をおろそかにすると、こういうような考え方であります。成るほど本新刑訴では旧刑訴時代に比しまして、検事の公訴官たるの任務は非常に重くなつたのではありますが、この公訴捜査というものは、先ほども申上げましたように、区別できるものではなくて、むしろ不可分の関係にあると言わなければならないのであります。捜査がうまく適正に行われておれば、公判は非常に円滑に進行して短期間審理が終る。捜査がまずいと公判は非常に混乱を来たしまして却つて手がかかるというようなわけでありますから、公訴捜査というものは、ただ机の上で考えるようにそう簡単に区別できるものではないということを申上げたいと存ずるのでございます。  次に逮捕状請求について検察官同意を要するという点でございますが、この規定が立案されるに至りました経過は、先ほど小野、毛利両参考人からも申されましたように、在野法曹の強い要請に基いて私は立案されるに至つたものと承知いたしておるのであります。これは我が国のこれまでの犯罪捜査において一つの習弊と言つてもいいかと思いますが、どうかするとやはり、身柄を先ず逮捕して供述を求めるとい弊風はだんだんなくなりつつはありますが、今日否定することはできないと思うのであります。それが今日逮捕状が濫発されているということを言われている一つの大きな原因ではなかろうかと思うのであります。旧刑事訴訟法では、御承知のように、住居不定とかその他常習窃盗とかいう特殊のものについては検事がみずから勾引状を発し勾引するということが許されておりました。それからそのほかに刑訴の二百五十五条で一定の要件の下に検事が裁判所被疑者の勾引、勾留を求める規定があつたのであります。このほかには訴訟法としては被疑者勾留する方法はなかつたのであります。これは法制上狭きに過ぎた結果が御承知のように検束を機会犯罪捜査をする、検束を犯罪捜査に利用するというような弊風を馴致いたしたのであります。二百五十五条の運用の実際を私ども今飜つて見ますというと、これはかなり厳格に運用されておりまして、検事がこれを運用する場合は、必ず検事正の許可を受けなければなかなかこの規定を使うことは許されなかつたのであります。又所によつて期間は十日でありますが、五日ぐらい経つて更に拘束を継続する場合には、検事長の認可を得させるぐらいにやかましく言われておつたのであります。然るところ新刑訴になりまして逮捕状が一般司法警察官にも請求することが許されるようになりまして、先ほど申しました二百五十五条の場合は、先ず被疑者を調べる場合には任意出頭を求めまして、そうして軌から晩まで調べまして、そうしてその上で勾留するや否やをきめて勾留状を請求する。従つて勾留状を請求するためには夜遅くまでやつてつたのでありますが、今日は任意出頭を求める前に先ず逮捕状請求するということが運用の実際になりつつあるように私は思うのであります。これは又あながちこれをそのまま批判するわけに行かない事情があるのであります。と申しますのはこの百九十八条で、「検察官、検察事務官又は司法警察職員は、犯罪捜査をするについて必要があるときは、被疑者の出頭を求め、これを取り調べることができる。」とありますが、「但し、被疑者は逮捕又は勾留されている場合を除いては、出頭を拒み、又は出頭後、何時でも退去することができる。」とこういうことになりましたので、任意出頭を求めに行つて、そうして令状がなければ行かないと言われて、今度は帰つて来てあわてて令状請求しているとその間に証拠隠滅をされてしまうというようなところから、逮捕状を持つて行くという例はこれは否定できないと思います。そういう場合は勿論なければなりませんが、そういうことがありますために、先ず逮捕状請求して捜査を始めるというような面が少くないように思うのであります。これが又更に進んで参りますと、先ほど小野参考人からも言われましたように、民事くずれの頼まれ事件について、被疑者の弁解を聞かずに、いきなり逮捕状請求するとか、或いは検挙成績を競うのあまり、古い軽微な犯罪又は当事者間で円満に解決済みの重要ならざる犯罪について逮捕状請求するとかというようなことになつて来るわけであります。それで在野側の非難が非常に起つて参りましたので、昨年の初め御列席の警視総監も非常にその非難を耳にされて、さようなことのないようにしたいという御意見でございました。私も全く同意見で御協議を申上げました結果、東京におきましては、警視庁の七つの方面本部に対応しまして、私のほうにも七人の担当の検察官を置きまして、そうしてその方面事件につきましては、成るべく私のほうの担当の検察官一つ相談をしてもらうというようなことでやつてつておるのでございます。だんだん改善されておることは思いますが、そのうち私が特にここで申上げたいと思いますのは、いわゆる強力犯事件捜査一課の本部事件と申す事件でございますが、いわゆる死体が発見されて犯人が誰かわからない。これは捜査上非常な困難な事件なんでありますが、この検挙の成績も非常によろしいのでありますが、この捜査のやり方も私は非常に優秀であると考えておるのであります。例えば平沢事件のごとく、あれだけの難事件でありましたが、真犯人なりとしての想定の下に、嫌疑ありとして逮捕したのは私の記憶では平沢ともう一人あつたと思います。これは非常に似た人で、御承知のように似顔からも捜査をいたしますために、たしか逮捕状を取つて逮捕したか、或いは任意出頭を求めたか……、その結果、調べた結果全然違うというので釈放し、警視庁として恐らく平沢真犯人が二人目に逮捕されたように思うのであります。その一ほかに似た二、三他の犯罪があつて、同時に他の犯罪の容疑で逮捕して、帝銀事件関係があるか否かを調べたようなことがあつたように思うのであります。それから又御記憶に新たな荒川の、小学校の女教師が夫である警視庁巡査を殺したという事件のごときも、これも死体のこま切れの一部が浮び上つて来てだんだんわかつて来た事件で、これも捜査としては非常に困難な事件であると思う。これにつきましても警視庁の捜査一課は非常に綿密な捜査をして、結局犯人の目ぼしをつけて、諸般の証拠を集めて目ぼしをつけてこれを逮捕したというので、非常によく行われております。ところがこれに反しまして、詐欺とか、横領その他のいわゆる知能犯事件のほうにつきましては、これに比してよほど私は劣つておると思うのであります。これはやつておる警察官諸君が主観的にはこれが正しい、これで相当なりというふうにやつておられるに違いないのでありますが、何分これらの事件法律的な素養が大切なのでございますから、その点について例えば債務不履行となる事件を告訴人の言い分だけにまどわされて、詐欺だと言つて逮捕状請求するというようなことがまあ行われるという結果、逮捕状請求についていろいろな非難が起きて参つておると思うのであります。そこでこの問題につきまして、検察官同意を必要とするというのは、今申しましたような逮捕する必要のない者の逮捕を抑制しようというのが趣意でありまして、これによつて警察官の捜査に掣肘を加えるというような考え方ではさらさらないのでございます。  それからもう一つ現行法建前といたしまして、独自の捜査権は認められておりますが、身柄を拘束する事件につきましては司法警察官に与えられております権限は四十八時間だけでございます。そのあとは結局検事のところに送致して参りまして、検事が二十四時間以内に勾留するか否かをきめて、それから現行法では二十日間、更に必要な場合は五日間更に延長をお願いするというまあ案になつておるわけでありますが、いずれにいたしましても四十八時間で捜査は終る筋合のものではなくて、そういう逮捕状請求するような事件は、いずれは勾留に持込んで捜査が行われる事件でございます。そこで若し事件によりまして内偵を相当にしなければならない事件を、警察官諸君が早く逮捕状請求されるということになりますと、二十日間にまとまる事件もまとまらなくなるという私は虞れが起きて来ると思う。そこで成るべくならばいずれ四十八時間後には検事のところに参る事件でございますから、初めから相談されて、そしてこの点が足りん、この事件はまだ身柄を逮捕するには少し早いよという相談をしてやりましたほうが、この捜査の経済上から申しましても私は有利ではなかろうか、かように考えておるのであります。権力集中というようないろんな議論もありますけれども、これはどうもやはり捜査の実際を離れた観念論ではないかというふうに思われるのでございます。それで試みに私どもの管下で、二十六年、二十七年、二十八年の身柄送致人員に対する釈放人員の割合を調べてみますと、これは現行犯と緊急逮捕通常逮捕と三つ含まれておりますから、今当面の問題になつております逮捕状請求の問題の直接参考数字にはならないのでございますが、二十六年度は送致総人員に対して二六・九%を検事の手許で勾留しないで釈放しております。二十七年には二六・六%を釈放し、二十八年の上半期には三二%を釈放いたしておるのであります。勿論この中には現行犯で逮捕し、或いは逮捕状請求したのが不当」という事件ばかりではなくて、逮捕して四十八時間以内に捜査が終つてもうあとは在宅のままでいいという事件も含まれているのでありますから、直接の比較はできないのでありますが、今回の選挙事犯の場合は、身柄の拘束につきまして一応事前に検事に御相談を願うというやり方をいたしました結果、現われました数字は、逮捕状請求をいたしまして裁判所から却下されましたのは〇・六五%、一%にも及ばないのであります。それから勾留請求をいたしましたのが九一・三%、検事の手許で釈放しましたのが八・七%というように捜査かなり実質的に行われるという結果を数字上現わしておるのでございます。それから警視庁管内で只今令状請求をいたしますにつきまして、検察庁を経由しておる署が五十署、それから経由しない署が二十三署になつておりますが、このうち特に注目すべきは、渋谷区検察庁の管内にある九つの警察署が横察庁を経由しないで令状請求しておるのでありますが、そこでは裁判官から却下されている数が九・四%約一割近く却下されておるのであります。これは恐らく手続……、犯罪事実記載の不備とか、或いは理由が不十分というようなことで検察官に相談されると、この却下の割合は、他の経由されているものとの比較におきましても相当減少するのではなかろうかというふうに考えられるのでございます。それから又逮捕状請求につきまして、裁判所理由があれば逮捕状を出すべきだという考え方と、理由つて捜査上必要でない、この程度のことは任意捜査でやつてよろしいという判断まで裁判所はすべきであるという二つの考え方があるのであります。私どもは前の考え方を持つておるのでございますために、これまで相談を受けました場合に、理由はあるが、この点ならば在宅で捜査はできるのではなかろうかというような事件につきましては、司法警察官の諸君と相談をして逮捕状請求を控えてもらつて捜査をする、これは決して命ずるわけではなくて相談ずくでやつて来ておるわけであります。でありますから、そうすればもう少しこの逮捕状請求数は減るのではなかろうかというようなふうに考えるのであります。この逮捕状請求につきましても、検事の権力集中というような非難をされる向きがあるやに承わつておるのでございますが、犯罪捜査は決して身柄事件だけではなくて、任意捜査の面が非常に大きくあるわけであります。理論的に申しますならば、むしろ任意捜査原則で、強制捜査例外でなければならんと思うし、又任意捜査で相当やつて行ける余地があるわけであります。でありますから仮に百歩を譲りまして同意を得ることが権力集中だというような説をとりましても、それは決して犯罪捜査の全部について言われるのではなくて、相当広く又全然検事の干与しない部分があるということも言われるのではないかと思うのであります。  それからもう少し実質論から考えて見まして、先ほど申しましたように、四十八時間後にはいずれ検事のところに来ると、その後で勾留して、勾留後は法律上検事の責任において捜査をしなければならないのでありますから、四十八時間前に検事に相談することが非常に警察官の捜査権を侵害するというようなことには、私はならないのではないかと思うのであります。それよりもむしろ事前に御相談頂ければ、先ほど申しましたように、最も勾留期間を有効適切に使うように、初めから計画を立てて、そして最もいい時期に逮捕状請求をするということになつて捜査の経済という点から言つても、又人身の拘束をできるだけ短かくするという点から申しましても、私はこのほうが適切であるというふうに考えるのでございます。で、殊に検察官につきましては、身分の保障がありますと同時に、検察官の誤まれる捜査につきましては、御承知のように検察官の適格審査がありまして、国会議員、弁護士、学識経験者等を含む委員によつて、定時、随時の審査を受けておるのでありますから、言われるごとき検事が権力を集中して、使命を遂行するというようなことは、仮にやろうとしてもできない今日の建前になつておるというふうに私は信じておるのでございます。  それから更にもう一点、これも或いは重複することになるかも知れませんが、この捜査というものは何と申しましても公訴というものを前提にいたしておるのであります。即ち公訴を提起して、そうして有罪の者に対しましては有罪の判決を受けるということが、最大の眼目になるわけでございますから、公判廷においていろいろな批判、或いは攻撃を受けた検察官にはよくこの捜査のあらと申しますか、捜査の欠陥というものがわかつておるのであります。でこの経験を持つた検事が捜査段階において警察官諸君に指示をし、適切な捜査をしてもらうということは、結局犯罪検挙の目的を達する上において、非常に私は有効適切な方法であると、かように考えておるのでございます。  次に、起訴前の勾留期間の問題でございますが、で、これは先ほど在野法曹のかたからは全面的な御反対を受けておるのであります。併しながら今回の改正は先ほど毛利参考人からはかような条件があつても、それは結局運用上は役に立たないというような御非難を受けたのでありますが、裁判官は死刑若しくは無期若しくは長期の三年以上の懲役若しくは禁錮に当る事件というのが一つの制約でありまして、その上に犯罪の証明に欠くことのできない共犯又は関係人又は証拠物が多数あるため、検察官が現状の期間内に、その取調べを終ることができないと認めるときには、その調べが被疑者の釈放後は甚だしく困難になると認められる場合に限り、更に五日この延長の請求をすることができるというかなり強い条件が加わつているのであります。これにつきまして、現行法でも十日から二十日に延ばすときは、真にやむを得ざる場合ということになつているにかかわらず、二十日が原則になつているのではないか。こういうふうなお叱りをこうむつたわけでございますが、これは数字の上ではそうではないのでございます。現行法で、十日を超えて更に勾留の延長されるものは、東京地検では、本年の一月以降五月末日までの東京地検の統計によりますと、勾留総人員の三一%、即ち六九%は十日以内に釈放されているのでございます。それから今度は、十六日以上に及んでいるのは全体の二二%、決して何でもかんでも二十日間置いているわけではないのでございます。而もその統計は、東京地検は比較的事件が非常に多いので、検事が多忙であるのと、もう一つは、事件が他の地方に比較しまして複雑であるというような点からかような数字が出ているんでございまして、恐らく政府委員から御説明申上げていると思いますが、全国的統計で申しますと、もつとこの延長している割合は減つていると思うのでございます。で私どもか更に実務家といたしましては、十日間の延長をお願いいたしたのでございますが、法制審議会でいろいろ論議を尽された結果、結局五日だけの延長を求める、検察官は十日を希望するという附記をして答申をされたわけでございますが、御承知のように、今日多衆犯罪、例えば昨年のメーデー事件というような犯罪、或いは各種の紙幣とか手形、株券の偽造事件、又複雑な詐欺事件、或いは計算の複雑困難な社会事件又は巧妙な手形の操作による金融事犯等、こういうような事犯の捜査の実際を御説明申上げますと、多衆犯罪の場合は、例えばメーデー事件のごときは、一千二百六人を逮捕いたしまして、二百三十六人を起訴したのでありますが、参考人の取調べを加算しますと、その取調べの総人員は、ゆうに二千人を突破するというようなことであつたのであります。この事件は、幸いに、他の地方に同種の事件が同時に起きなかつたために、各地の地検から多数の検事の応援を求めて捜査をいたした結果、比較的早く捜査を完了することができたのであります。これにいたしましても、起訴後相当の捜査をせざるを得なかつた点があるのであります。で、こういう事件は、御承知のように、互いに証人になるという立場の事件でありまして、一方を釈放しますと、未逮捕の者とすぐ通謀して証拠を隠滅するというようなことになつて参りまして、到底捜査の目的を達することはできないのであります。メーデー事件におきましても、御承知のように、背後関係が明白にならないというのは、この辺にやつぱり原因の一端があると思うのであります。公判事件につきまして、私どもが非常に遺憾に思いますのは、末端で踊らされた者が現行犯等で逮捕されて処分されますが、これを踊らした、いわば奥座敷にいる人形使いは常に免かれている。こういうことではこういう事件を抜本的に防圧するということはできないと思うのであります。これもじやあこれが五日延びたからできるのかと言われると決してそうは言えませんが、もう少し延ばしてもらえれば、幾らかでもそのほうに近寄れるのじやないかというふうに考えるのであります。又偽造事件の特徴といたしまして、決して偽造した本人かこれを使うのじやなくて、次々に転々して行つてどこかで捕まる。それをだんだんたぐつてつて偽造を逮捕する、検挙することになるわけでありますが、それには相当の時間的な経過がある。最初の者は二十日して出てしまう。そうするともう仮りに二段階段階上の者は、捕まつてもその次の者と通謀しておつて結局目的を達しない、こういう結果になるわけでございます。又会社事件等につきましては、そういうものは帳簿をよく調べてそうしてそれから逮捕したらよかろうという反対論が必ずおありかと思います。まさに考え方はその通りで、私どももそういう方針でやつておりますが、帳簿を見ればすぐ犯罪がわかるような記帳をしているような殊勝な者はそうたくさんいないのであります。何とかごまかしている。或いは帳簿を作らずにいる。そういうものを或る程度内偵して、そうして逮捕して、その帳簿の虚偽の記載を見破つて、それから調べて行くということになりますから、どうしても全部傍証で調べて、そうして二十日あればできるというときにはじめて逮捕するというわけには行かないのであります。時間がございませんから実例を申上ることができないのは非常に残念に思いますが、実例もここに持参しているのでございます。今度の改正は実務家といたしましては、こう条件を付けられては、果してこの条文が動くだろうかというくらい心配しているほどの規定でございますから、どうか私ども実務家の苦心の存するところも一つお汲み取りを願いたいと存ずるのでございます。  時間がございませんから簡単に申上げますが、次は権利保釈の除外事由の拡張の問題であります。この権利保釈の場合に、これを立案したときに逃亡の虞れあるときということを入れないことは非常におかしいじやないか。逃げるとわかつているものを保釈するのは変ではないかということを大分これが議論になつたのでありますが、同時に立案を主宰しておつた司令部側の考え方は、それは保釈保証金で逃げれば損をする程度保釈保証金を取ればいいのだという主張であります。そこで例えばそれはアメリカでは行えることかも知らんけれども、それでは結局金持は助かるが貧乏人は困るじやないかということが、私どもの反駁であつたのであります。それからもう一つ裁判官が頭を利かして多額の保釈金を取る。どうもアメリカの考え方では保釈保証金をたくさん取つて実は保釈保証金ができないから、権利保釈は与えているけれども実際に出られないということによつて運用している。どうも英米法の考え方は実際的な常識で運用して行くという面が強いようで、それがここにも現われているのであります。而もアメリカでは実際に保釈金を貸す会社があるそうであります。そこで保釈金を借りに行くと、その会社で保釈人の信用状態を調べまして、そうしてこれは逃げるかも知らんというものは保釈金を貸さない。それで結局運用されているというふうに承わつているのであります。その結果今日の運用の事例を見ますと、保釈金が非常に安いのであります。日本の裁判官は払えないような保釈金を科してもこれは意味ないじやないか。それじや保釈を許さんと同じだろうという大陸法式の考え方を持つておりますが、最近では身元保証金と申しまして、現実の金は一部分で、あとは弁護人なりそれから親類縁者が保釈を保証するという保証書を取つて出すというようなことになつているのであります。そういう結果保釈になつて更に再犯を犯す。或いは又逃亡するというような事例が非常に多いのであります。そういう実情でありまして、この多衆犯罪の場合その他捜査上、非常に困るという点からここに取出したものであるので、決して権利保釈の本体をどこかに持つてつてしまうというような改正ではないと私は信じているのでございます。で、この多衆共同につきましても意味が不明確という点を学者からも指摘されておりますが、これは法制審議会のときも決して暴力行為処罰に関する法律の多衆のように、三人おつても多衆というような趣旨ではなくて、いわゆるこの集団犯罪を考えて規定したものである、こういう次第であります。  それから時間がございませんからこれでやめますが、先ほど毛利参考人がおつしやつた中で、この法廷に出頭しない場合は、出頭しないまま裁判をするという改正案でございますが、これはお説のように保釈の場合当然法廷には出て来るのが、これは法律としては当然の建前でございますが、今日の事例を見ますと、監房の中から出て来ないのです。出ろと言つても出ない。それから看守が実力を以て出そうとするともう何かにつかまつて絶対に出ないというような、特に集団犯罪の場合にはそういう状態があるために、裁判所側の要望によつてこの規定が入つたということを附加えまして私の意見陳述を終ります。   —————————————
  19. 郡祐一

    委員長郡祐一君) 有難とうございました。  次に田中榮一参考人にお願いいたします。
  20. 田中榮一

    参考人(田中榮一君) 只今委員長から御紹介にあずかりました警視総監の田中でございます。今回政府におかれまして刑事訴訟法改正法案が国会に提案するに当りまして、私としまして司法警察職員側の意見を代表いたしまして当委員会におかれまして本日司法警察職員側の意見をお聞き下さる機会を与えて下さいましたことは、誠に私としましてこの上もない有難たいことでありまして厚くお礼を申上げたいと存じます。只今馬場検事正から縷々検察官側の御意見がございましたので、私から司法警察職員側の意見をこれから率直に申述べさせて頂きたいと思います。  今回の政府の御提案になりました刑事訴訟法の法案につきまして司法警察職員側といたしましては、第百九十三条第一項の改正の点と、それから百九十九条の規定改正、この二点につきまして甚だ残念でございますが、政府原案に対しまして反対の態度をとつているのでございます。この法案に対しまして司法警察職員として反対意見を全員が持つていることをここに御紹介いたします。そのほかの改正諸点につきましては政府の法案に対しまして司法警察側といたしましては賛意を表しているような次第でございます。  そこで現在例えば警視庁……私は警視庁を統括いたしておりまするので、警視庁の例をとつてみますと、先ず劈頭に申上げなくてはならんことは、警視庁と検察庁との関係は、かかる法案を作らねばならぬほど、さように相互が対立もしておりません。極めて密接な連絡協力の態勢にございまして、今警察、検察は全く融合一体、おのおのその分野に応じましてその職責を完遂いたしております。従つて今ここにかような法案を御提案なさる理由は何らないのでありまして、私どもといたしましては、平地に波乱を起すような結果になるのではないか、かように考えております。以上は二つの点についてでございます。そのほかの点については我々は賛意を表している次第でございます。  即ち公務員犯罪、選挙事件、公安事件等、重要、複雑又は特異な事件につきましては、逮捕状請求はもとより、捜査の着手及び捜査の実行過程におきまして、随時検察官と連絡いたしまして密接に協力して検察官公訴維持の見地からする法律的なアドバイスを快く受けまして、その意見を尊重して捜査の万全を期している次第であります。従つその間何らの支障はないのであります。これは捜査公訴と密接不可分の関係にあることからして当然でございまして、このような警察と検察とお互いの立場を尊重して相協力するという姿が現在の刑事訴訟法建前であると存ずるのでございます。現在の刑事訴訟法によりますれば、少くとも捜査に関しましては司法警察職員にお委せを願う、それから公訴の提起並びに維持に関しましては検察官がこれをお取扱いになる、それがまあ主たる両分野をはつきり明定したものと考えたのであります。併しながらこの犯罪捜査というものは、必らずこれは公判廷におきまして有罪無罪が論争されるものでありまして、その捜査の過程において証拠蒐集の点において遺憾の点があり、又法律を議する上におきまして若し齟齬がありますれば、結局公判廷におきまして罪を犯した者がこれが無罪になる、かようなことは、社会公平の観念から言つて全く由々しき問題でございますので、司法警察職員といたしましては、捜査の過程におきまして公訴維持の建前から、検察官が御助言をして下さるということにつきましては、これは当然私どもとしましては受入れ又これを歓迎せねばならんと考えております。ただこの助言が、今度は百九十三条の規定によりまして一般的に指示権を獲得するというようなことに相成りますると、そこに現在の刑事訴訟法の性質といたしまして、司法警察職員捜査に従事する、検察官公訴の提起維持に従事する、この両分野を侵すようなことになりまして、折角警察が独立した自主的な捜査権によつて従来犯罪を検挙しつつあるものが、それが警察官の上に検察官が来る、検察官警察官を指揮命令するという関係になりますることは、我々として到底忍ぶことのできない問題なのであります。よく世間で、検察官警察官の上に立つことは、検察フアツシヨになるというような御意見もありまするが、私どもとしましてはそうした考えでなくして、現実に制度として警察制度というものがある、そこに検察制度がある、この両者が並行いたしまして、そうして相牽制して行くところに人権の擁護というものが守られて行くのじやないかと考えるのであります。例えば調べの上におきまして、警視庁側におきまして是非これは逮捕令状を取つて調べたいという場合におきまして、検察庁側としましてはそれに逮捕令状を取ることはまだ早い、逮捕令状を取つてはいかん、こういう場合もございます。で、逆に今度は検察庁側で以てこれこれの容疑者は逮捕令状をとつてこれを調べろという場合もあります。その場合におきまして、警察側としましては、それを調べるについてはまだまだそういう時期でない、証拠が不十分であると申しまして、検察庁の、逮捕令状を取つてこれを捜査しろということに対しまして、警察側は飽くまでこれを拒否してお断りいたしたのです。そういうことによつてお互いに捜査の上におきまして相牽制し合うといいますか、これはよい意味におきまして相牽制し合つて、そうして人権というものは擁護されるわけであります。若しも今後これが全く検察制度の下に警察制度が従属的な地位になるということでありまするならば、たとえ警視庁がまだ逮捕することは早い、逮捕する必要がないのだ、こう言いましても、当然これは検事の命令でございますからして、若しその命令に従わなかつたならば、又別途にいろいろな御置を受けることになるだろうと思うのでありまするが、かような点から言いまして、現在警察と検察とは極めて密接に、而も円満に事務の連絡をやつております。先ほど馬場検事正から警視庁を五十経由をする二十三経由をしないというお話でございまするが、私の聞いた範囲におきましては経由するとかしないとかいうのではなくして、大体におきまして、殆んど全部犯罪着手に際しましては、検事さんに連絡をとりながら、そうしてこういう事件をやりたいが、逮捕令状を取りたいがどうだろうか、検事さんも、それはよかろうということによつて事実上の連絡をとつて、そうして現在逮捕令状請求いたしているのであります。そこで先ほどちよつとお話がございますが、逮捕令状司法警察職員裁判官請求いたしまして、そうして却下せられました率が、昭和二十五年におきまして、これは通常逮捕だけを申上げますると 〇・六六%、それから二十六年度におきまして通常逮捕が〇・七%、それから昭和二十七年度におきまして通常逮捕を申上げますと〇・七九%、平均いたしまして通常逮捕で〇・七二%。千枚の令状を持つて行きまして七件だけが却下されるわけであります。それは裁判官も当然令状審査する権限を持つているのでありまするからして、司法警察職員の持つて来たものを全部受入れる必要がないのであります。併しながら当然職権によつて令状審査される権限を持つておりまするので、とにかく一千枚、一千件の令状請求を持つてつて、そうして七件だけが却下される。まあ九百九十三件が受入れられて七件だけが却下される、こういう状況であります。従つて私は、仮にこの法案が通りまして検事の同意を得てやつたといたしましても、恐らく将来千件持つて行つたうちで、千件が全部これが同意を得てそのまま通るとは私は考えられないのであります。やはり或いは千件のうちに七件か、或いは千件のうちに九件が、それが令状が却下されるということに恐らく私はなるだろうと思うのであります。こういう点から申しまして、単に逮捕令状が却下されたからといつて、それが司法警察職員令状を濫発した、徒らに令状を取つて逮捕を急ぐ、こういう議論は私は当らんと思うのであります。それからなお御承知のように捜査というものは、私どももまだ実際捜査に従事したことはございませんが、犯罪捜査というものは、我々の考えることのできないような非常な苦心がございます。殊に捜査、内偵するにいたしましても、とても一日や二日でないのであります。或いは三月、四月、半年、一年と刑事が苦心惨胆の結果捜査、内偵をいたしまして、そうしてその上で令状請求する。それから又令状請求する場合におきましては、単に令状請求の書類だけを持つて行くのでなくて、それには相当の疏明資料というものを用意いたしまして、疏明資料を蒐集するだけでも相当に苦心惨胆であります。従つてそのような苦心惨胆の結果蒐集した疏明資料を持つて参るのでありますからして、刑事といたしましても司法警察職員といたしましても、相当自信を持つてつているわけであります。それから又犯罪捜査というものは、これは多年の経験と申しまするか、実地の多年の経験というものが必要でございます。勿論検事さんもいろいろの公訴提起維持の上から非常に貴重な体験、経験をお持ちになつておりますからして、その御意見を拝聴することは非常に結構でございますが、刑事は刑事としての一つの勘なり経験があるのであります。この経験を生かし、この勘を働かして行くところに犯罪捜査の能力というものが現われるのでありまして、検事さんが仮に事件についてああだこうだというふうにおつしやいますより、むしろ私は検事さんは公訴の提起、維持に全力をお尽し願う、そしてそれによつて得た知識をアドバイスいたして頂く、これが両々相待つて犯罪捜査というものに非常に目的を達成するのではないか、こう思うのであります。現在警視庁管下には、大体五千七百数十名の私服の警察官がおるわけであります。警視庁管下におきましてこれは一般の刑事事件捜査するもの、それから主として防犯措置を講ずる者、それから思想関係、公安の関係の刑事、こういう公安関係犯罪捜査するものを含めまして本庁並びに各庁に、七十三の各庁に五千九百四十七人の私服刑事がいるのであります。東京地検には、検事、副検事合せて約百七、八十名の検事さんがおられるのでありまして、現在五千九百、六千人近い刑事がおりまして、犯罪捜査をいたしましても、それが的確に行くかといいますとなかなか行かない。この百七十人の検察官はいずれも有能なかたでございますが、事実上の捜査、指揮を実際行なつて頂くことは困難でありまして、むしろこの六千人近くの刑事が犯罪捜査をして、どしどし書類を提出いたしますので、この書類をどしどし一つ御進行願う。公訴の事務に専念して頂いて、そして事務を処理して頂くということこそ、現在の裁判というものを早く進行して行く……。そして若し必要がなければどしどし釈放する、無駄な勾留を排除して行く、そうして一日も早く身柄を釈放してしまう、こういう措置に出ることが、将来本当の人権の擁護になるだろう、かように私は考えておるわけであります。それから昨年の丁度今頃でありましたか、破防法が議会を通過いたしまして、破防法の実際の運用につきまして最高検察庁から、検事総長から各検事正に通牒が参つたのであります。その通牒によりますれば、通牒の文句は今ちよつと記憶しておりませんが、いやしくも破防法に関する問題については必ず検事正の指揮を受けて、着手する問題においでは指揮を受けろというような御通牒を頂いたのでありまして、私はこれは現在の刑事訴訟法原則に違反しているものであるというので、これは国家地方警察並びに自治体警察におきましてこの通牒を一つお返ししようじやないか。この通牒は我々が受けるべき性質のものではないから、お返ししようというような話にまで参つたのでありまするが、併し事はやはり国家の根本的の治安の問題に関する問題でありまして、かようなことは穏やかでない。できるだけこの線に沿うて我々は協力しようということで、国家地方警察並びに自治体警察協議の上で、できるだけその線に沿うようにする。併しその命令に従うということは、これは現在の刑事訴訟法建前からどうかと思いますので、一応この線に沿つて協力しようということでまとまつたのでありますが、このときにおいてすら相当司法警察職員内部におきましていろいろ論議せられたのであります。  それから今一つ申し上げたいのは警察は組織体でございますので、およそ犯罪捜査する場合におきましてその部下が犯罪捜査した場合におきましては、その結果について責任は当然その上におるものが負わなくてはならんと思うのであります。これが民主警察のあり方であろうと思うのであります。現在捜査官は全能力を傾けてやつておるのでありますが、私も司法警察職員の一人としまして部下司法警察職員を指揮、命令をしてやつております。ところが若しも別の系統といいますか、警察系統以外の外部の系統からいろいろ指揮というようなことになりますると、総監の考えている捜査方針と仮に検事の考えている捜査指揮とが異なつた場合におきまして、かようなことは恐らくないと思うのでありますが、仮に不幸にして検事の指揮に従つてやつた捜査の結果が非常に人権蹟礪的な行動になつた、仮にそういう場合があつた上した場合におきまして、やはり総監といたしましては、当然部下のやつた行為に対しましては、部内において処置もし、又それぞれ責任を負わなくてはならん、こういう建前なのでありまして、やはり責任を負う以上は、その責任者が飽くまで内部的にしつかりした指揮命令権を完全に掌握することによつて責任が持てるのであります。それが外部から、そごに横合からの仮に指揮があつた場合におきまして、その最南の責任者というものは完全に責任を快く負うということは、これは人情としてできないのであります。私どもとしましては、どんなことがありましても部下の責任は当然上に立つ者が負わなくてはならんのでありまして、我々としましても責任を完全に引受ける建前から申しましても、やはり横合からの指揮ということは、これは成るべく避けたほうが至当ではないか、かように考えておるわけであります。  以上は九十三条の点につきまして一応反対意見を申上げたのでありまするが、次に百九十九条の司法警察職員逮捕状請求について検察官同意を要するという点につきまして……。これにつきましても我々としましては、むしろ現在は実際問題として同意を、同意といいますか、話合いの上でやつている事実があるのでありまするからして、何もこれを今法律に明定して法文化してやる必要はない。むしろ現在実際問題としてやつている、これを更に一つ強力に推し進めることが本当に捜査の能率を上げるものと考えておるわけであります。それから巷間司法警察職員令状を判事に請求する際に課長とか或いは署長といつたような幹部の知らないうちに令状請求を行なつているんじやないか、下級の司法警察職員が勝手にやつているんじやないかというようなことも言われるのでありまするが、絶対にそういうことはないのでございます。現在警視庁におきましては警視庁犯罪捜査規範、こういう厖大なものができております。この条文は全文で二百四十七条の非常に長い条文からできておりまして、すべてこの犯罪捜査規範に従つて司法警察職員犯罪捜査する、又司法事務を取扱うということがきめられております。この中には司警察官として相当こうしなくてはならない、こうしなくてはならないというように、いろいろ規定されておりまして、その中に司法警察職員令状請求するときには、必らず署長、課長の指揮を受けねばならないということになつております。で、これは又一面においてこういうことを規定することはおかしいじやないか、課長、署長の指揮下に置くこと自体が少しおかしいじやないかという議論も又あるくらいであります。併しながら警視庁の例をとつて甚だ恐縮でありますが、私は警視総監であり、司法警察職員であります。而も令状請求権利を持つております。併しながら年間十九万件に上る事件について私自身が令状を一々判事に請求することはできません。従つてその信頼する部下にその令状請求の実情を審査させまして、そうしてその審査した結果、これは令状請求するに該当する事件である、逮捕しても差支えない事件である。逮捕せねば又実際において犯罪捜査ができないという事件についてのみ一応これを許容し、これを認めるわけであります。従つて信頼する部下である署長、課長に下級司法警察職員令状請求について指揮をさせることは当然でありまして、又当然責任を負わねばならん最高責任者のやるべき仕事と考えております。そして又現在指揮も事前に必らず一々具体的の事件について捜査主任が署長の所へ持つて参りまして説明して、そしてその決裁を取つて令状請求をするというふうにいたしております。従つてこの令状請求について署長、課長が知らんうちに令状請求をしておるということは殆んど今ないと思つております。ただ曾つて昔におきまして若干署長が忙がしかつたために或いはつい知らんうちに令状が出たという例は、曾つては極く稀な場合において起つたと考えておりまするが、現在におきましては厳重にその点を戒しめ合いましてさようなことはないのであります。  それから又先ほども馬場検事正からお話がありました通り犯罪捜査というものはできる限りやはり任意捜査によることが私は常道であろうと考えております。併しながら任意捜査では或いは被疑者の逃亡の虞れがあり、或いは罪証隠滅の虞れがある場合に限つて止むを得ず強制捜査を行なつているのでありまして、併しながらこの逮捕令状請求の場合におきましても、止むを得ずとらなくてはならない強制捜査の方法におきましても、必ず令状請求の妥当性、容疑の内容であるとか、それから容疑の軽重、影響等十分に検討いたしまして、被疑者の年齢、健康状態或いは逃亡の虞れがあるかどうか、罪証隠滅の虞れがあるかどうかということを十分に勘案いたしまして、逮捕の必要があり又速かに逮捕せねば被疑者が逃げてしまう、由々しき結果になるという場合に限つて請求を行うものでございまして、我々としましては飽くまで任意捜査ということを建前にいたしているのであります。それから先ほども馬場検事正から、どうも任意捜査で差支えないものも逮捕令状を取つてやるというようなお話がまああつたように聞いているのでありますが、私どもとしましては、この逮捕令状を取つて何でもかんでも犯罪の容疑者を取調べるということは、これは捜査官としては先ず下のほうでありまして、やはり任意捜査によつて或る程度捜査を進めるというのがこの捜査官としてはやはり有能なものであろうと考えております。従いまして現在あるこの警視庁といたしましては、これは恐らく全国ともさようであろうと思うのでありまするが、任意捜査ができるものをいきなり逮捕令状を取つてやるというようなことは恐らくないのでありまして、やはり現在は成るべくこの容疑者の立場を考えまして、いきなり逮捕令状を突きつけることは、その者の名誉もございまするので、一応任意出頭によつて事情を聞いて、そうして罪状がはつきりしたときに、本人だけに逮捕令状を示して逮捕をするというような機宜の処置をとつているわけでありまして、逮捕令状は実際必要によつて請求しているのでありまして、任意捜査でできるものを逮捕令状在取つてやるのは、実際問題としてあり得ないと、かように思います。  それから今一つ申上げたいと存じまするのは、この令状請求にどうも警察官は余り頼り過ぎてみだりに請求する、そうしてその結果身柄を釈放されて不起訴になつたりなんかして、人権蹂躙的なことをやつているのじやないかというような非難もあるのでありますが、これは警視庁だけの例をとりますと、御承知のように警視庁には自治体警察関係上、都会というものがございまして、いつも私は都会に引張り出されまして、相当警察官個々の行為につきましていろいろと御質問を受け、批判を受けているのであります。そうしてそれに対していろいろと弁明もし、又実際悪い点につきましては調査もいたしており、又実情調査の上で措置すべきものは措置いたしております。それからそのほかに常設の警務委員会がございまして、これは月に二回若しくは三回常時開かれまして、この席上においても、常に警察官個々の行動につきまして、非常に峻烈なる御批判を受け、又御質問を受けております。従つて我々は常にかようなことを部下に徹底させまして、いやしくも令状請求等について軽々しくやつてはいかん、人権を十分尊重してやらなければならん、又民衆処遇についても懇切丁寧にしなければならんということを常に訓示もし、徹底さしているのでありまして、又我々は私自身もしばらく国会にお呼出を受けまして、警察官個個の行動につきまして御質問を受ける、又これにつきまして御説明申上げているという状況でありまして、相当司法警察官の個々の行為につきましては、いろいろと直接間接に国民の鋭い監視を受けているのであります。従つて司法警察職員といたしましても、令状請求につきましては、こうした点を十分勘案いたしまして、極めて慎重な態度で令状請求いたしておりますので、令状請求についてみだりにやるということは恐らく私はないと考えておる次第であります。  それからいま一つ申上げたいと存じますのは、現在刑事の素質の向上でございまするが、これに対しましては勿論検察側の御協力を得まして、捜査に関する知識の訓練を検事さんの御指導の下に受けておりまするし、又我々自体といたしましても、刑事の司法警察職員としての事務の講習並びに質の向上ということに最善の努力をいたしまして、何回となく講習を重ねまして、そうして特にこの人権擁護ということに最も重点を置きまして、今申上げましたような令状請求手続その他令状請求の必要性ということにつきまして十分に教養を重ねております。過去におきましては或いはそうした令状請求濫用の点が或いはあつたかも存じませんが、恐らく現在におきましてはさような例はなかろうと私は信じておるような次第でございます。  以上極めて抽象的なことでございましたが、司法警察職員として、今回の政府御提案になりました刑事訴訟法改正法案に対しまして、百九十三条一項の改正の点と、百九十九条の規定改正の点につきましては、司法警察職員として全員が反対の態度をとつておると、こういうことを申上げまして、なお最後に附加えて申上げたいことは、この意見は国警、自警全部同じ意見で、私の申上げたような意見は大体国警、自警全員が一致した意見でございまして、私並びにあとに申述べまする小倉隊長さんと二人が代表して申上げるのでありますが、大体全員の意見でございます。  それからなお私どもの考えとしましては、こうした問題を政府におきまして強行されることによりまして、将来の警察並びに検察の間に大きな溝を作るようなことがあつては誠に刻下重要なる時局に際会いたしまして最も憂慮すべきことと考えますので、我々は飽くまでこの国内の治安維持のためには警察、検察が一体となつて強固なる協力体制で進まなくてはならんと考えておるのでありまするが、かような最も重要な時期にこうした法案が提案されまして、あたかも警察、検察がお互いに縄張り争いをしているような恰好を国民の前に見せるということは、私どもといたしまして誠に残念に考えておる次第でございまして、どうか委員会の皆様がたにおかれましても、より高度の政治意識をお持ち下さいまして、何とぞ一つこの法務御当局の御提案になりました法案に対しましては御慎重審議を重ねて頂きまして、司法警察職員側の立場、意見ということも十分一つお汲み取り頂きまして、適当なる御決議あらんことをお願いを申上げまして、私の説明を終えたいと存じます。   —————————————
  21. 郡祐一

    委員長郡祐一君) 有難うございました。  次に愛知県警察隊長小倉謙参考人にお願いいたします。
  22. 小倉謙

    参考人(小倉謙君) お疲れのところと存じますが、私からも意見を申述べさして頂きます。只今田中警視総監からお話がございましたが、私も今回の改正案の百九十三条第一項及び百九十九条の問題につきまして申述べたいと思うのであります。  私第一線におりまして感じますのに、今回の改正法律案改正理由を読ませて頂いたのでありまするが、何が故にこのような改正を早急に行わなければならないかということについて非常に疑問を持ち、納得できないのであります。殊に只今の、現在の刑事訴訟法の基本的な構造を崩すような慮れのあるような今回の改正が、何が故に早急に行われなければならないかということについて納得しかねるものがあるのであります。只今警視総監からお話になりました趣旨と大体において同じでございまするが、多少ダブる点があると思いますが、できるだけ捜査の実情といいますか実態といいますか、そういう面に即してお話をいたしたいと思うのであります。  先ず第一に、逮捕状の問題から申上げたいのでありますが、逮捕状濫用せられておるということが最近言われるようになりました。私たち非常にこの点について真剣な反省をしなければならないと思つておるのでありまするが、又実態を見ましても、勿論改善の余地があるということを率直に認めておるのであります。併し申されるようにそれほど濫用せられておるかどうか。又それほど濫用できるものかどうかという点をお考え頂きたいのであります。その逮捕状請求の際の実際のやり方という点について、若干お話してみたいと思うのであります。国警のほうにも御承知のように犯罪捜査規範という訓令が出ておりまして、すべて犯罪捜査につきましてはこれに基いて行われておるのであります。これは私のほうと最高検察庁とお打合せいたしましてその御了解を得まして作つた規定でございます。東京警視庁及びその他の自治体警察においてもそれぞれ大体同じような犯罪捜査規範を持たれまして、これ又地元の検察庁と十分お打合せの上作つておられる、これに則つて犯罪捜査を行なつておるわけであります。これによりますと、これは刑事訴訟法の精神でもありますが、犯罪捜査は任意捜査原則とする。どうしても任意捜査により得ない場合に強制捜査を行うという建前でございまして、又令状請求には必ず隊長又は警察署長の承認を得てこれを請求するということになつております。又その通り行なつておるのであります。それから令状請求することのできるものは、刑事訴訟法によりまするならば司法警察員となつております。これは警察では巡査部長以上ができることにしてありまするけれども、実際にはこの令状請求する者は、私の県で言いますならば刑事係長、或いは職長から請求するのが大部分であります。それから刑事係の主任、これは警部補又は少数の巡査部長がなつておりますが、いずれにしましてもそういう面で専門的な教育を受けました者でございます。この署長、刑事係長、刑事係主任、この者に限つて令状請求ができる。而もそれは署長又は隊長の承認を得て請求するということを励行いたしております。それから請求書に記載する事項或いはそれに添付する疏明資料でございますが、これが相当たくさん必要なんでありまして、窃盗事件なんかでも、被害にかかつた顛末書を被害者から取りまして、それを添える。或いは目撃者があれば目撃者の供述の調書を添える、或いはその臓品を買い受けた者、古物商なんかでありまするならば、これにこれからの供述書といいますか、上申書を添えて出す。その他捜査関係の報告書を添えるというふうに、疏明資料につきまして相当必要なのであります。  それからこれを判事さんに見て頂くわけでありまするが、判事さんは、勿論その人によりまして、非常に細かく御覧になるかたと比較的そうでないかたとございますけれども、いずれにしましても、その疏明資料につきましては十分目を通されて令状を出されるのであります。このような段階を通つて参りますので、令状請求という場合には、警察としましても、非常に慎重に扱つておるのであります。又普通の犯罪、一般犯罪よりも、主要な犯罪或いは重要な犯罪につきましては、これは捜査全体につきまして部内でもいろいろ検討しますし、又令状請求いたします場合においても、極力検討いたしまして、本部のほうでも重要な事件につきましては関係の部課が検討いたしますし、又重要なものの中で、私のところまで持つて来まして、私が一々指示をする場合も少くないのであります。そのように、部内で検討いたしました上で、更に検察庁と打合せしまして、検察庁ではその重要の程度によりまして、或いは刑事係長、或いは署長、或いは本部の部課長が出向きまして、いろいろ打合せをし、検察庁側の御意見もいろいろ承わり、又こちらの意見も申上げてそうして令状請求するというような極めて慎重に扱つておるのであります。  私の県で昨年中に令状請求関係で現われております数字を申上げますならば、昨年中に私のほうで捜査をいたしました人員が約一万四千名であります。そのうち、在宅捜査といいますか、任意捜査によりましたものが七一・五%であります。そして通常逮捕令状請求をいたしましたのは一九・七%、約二千七、八百件になると思いますが、そういうような数であります。そして令状を却下せられました数は、昨年におきましては二件であります。緊急逮捕関係が三・四%、現行犯が五・三%というような数になつております。そしてこの通常逮捕令状を取りましても、更にそれをできるだけ執行をしない、まあ任意で取調のできるものは任意で来て頂いて取調を済ませるという方針で行つておりますので、執行しましたのは八三%ぐらいになります。そして通常逮捕令状を執行しました中で、起訴され、或いは起訴猶予となりました数が大体八七%ぐらいであります。不起訴になりましたのは約六%、まあそのほかは未済事件等であります。こういうような状況でありまして、私は最近非常にやかましく言われておりまするけれども、それほど濫用できないような手続にもなつておりますし、又相当私どもとしましては真剣にこの問題を考えて慎重に扱つておるということをお含み頂きたいのであります。勿論今後更にできるだけこれを少くしたいということは考えております。後ほど若干その点について触れてみたいと思いますが、例えば任意同行を求めに行つたところが、相手方がこれに応じないという場合に、ちよつと役所へ帰つて来まして上司と相談し、すでに取つております逮捕令状を持つて行くというような場合に、相手方から見ますると、今任意同行を求めに来て数時間後にすぐ逮捕令状を持つて来たというような感じを与えるのでありまして、如何にも逮捕令状が簡単に出るかのごとき疑いを抱かせる場合もあるのじやないか。或いは任意同行を求めます場合、或いは取調べます場合に、逮捕令状がすでに出ておるかのごとき口吻を、気振りをするとか、或いはすぐ逮捕令状が取れるような気振りというか、口吻というような、非常にいけない不用意な言動が如何にもその逮捕令状が濫発されておるというような疑いを増すようなことがあるのではないかという点を私反省しまして、こういう点には厳重に戒めて行きたいと思つております。なお、任意で取調べるものまでも、あらかじめ逮捕令状を取つて置くことはどうかという先ほどいろいろお話がございましたが、やはり事件によりましては、どうしても証拠隠滅等を防ぐ意味から、これはその余罪がいろいろあるという関係からどうしても来てもらわなければならないという場合には、やはりあらかじめ十分な捜査をしまして、その捜査に基いて令状請求をし、令状を受けまして、その上で任意同行を求める、その場合、任意同行してくれるものはできるだけ任意で調べて成るべく早く帰す。併しこちらに相当証拠があるのに、その取調に対して本当のことを言わないというような場合には、止むを得ず逮捕令状を執行するというようなこともございます。そういうようなことで非常に余罪が出た事例も相当あるのであります。いずれにいたしましても、令状請求当りましては非常に慎重に、又できるだけ少くするように努力いたしておるということを申したいのであります。  それから先ほどちよつと警察官の教養の程度検察官に比べて低い、だからその逮捕令状警察官に委すのは危いというような御意見もあつたのでございますが、これは警察官の教養程度、巡査の中にも非常に立派な人もおります、人間的に立派な人もたくさんおります。その教養程度がどちらがどうか、上かという点は別問題といたしまして、又検察官のかたの中にも非常に若い検事さんもおられる、副検事さんなどもいろいろおられる。いずれにいたしましてもこの令状請求という問題から言いますならば、先ほど申し上げましたように請求する者を本当に限定しております、幹部に殆ど限つておりますので、そういう教養の程度如何という点はこの令状の問題につきましては、私は問題がないのじやないか。これは別個の、警察全体の別個の問題であるというふうに考えるのであます。  それから次に申し上げたいのは、今回の改正案のように逮捕状請求に当つて検事の同意を要するということにすれば、果して言われておりますような濫用が防げるかというような問題でございます。果して実効が挙るかという問題でございます。この点で先ず考えてみますのに、先ほど申し上げたように、令状請求する数は全体の捜査人員から比べますと少数ではありまするけれども、やはり或る程度の数に上ります。これを全部検事さんのところに持つてつて、その同意を受けるというようなことは、これはもう不可能である。これは私は検察官のかたもお認め頂けると思いますが、私たちの県では検事さんが警察署の所在地に常駐されておるというようなところは、むしろ少いのであります。又検事さんは非常にその事件の処理或いは警察から送られました事件の補充捜査、取調べ或いはその他のみずから行われる犯罪捜査、或いは公判の仕事というように、非常に御多忙でありまして、そこに一々すべての事件について令状請求書を持つてつて、その同意を受けるというようなことは、これは不可能であります。従いまして、まあ今回の改正の逐条説明の中にもありますが、窃盗とか賭博などは、まああらかじめ同意を与えるようにしたらどうか。選挙違反、涜職それから破防法違反というようなものは同意を要することにしたらどうかというような御意見が出ておりますが、ところがこれらの重要な事件は実は先ほど申し上げたように、実際においては検事さんと膝を突きあわせて十分に打合せをし、お互いの意見も言い合つて事件捜査に当つているのであります。これについて今更同意を要するということにしましても、果してこういうような重要な事件令状請求は非常に慎重でありますから、その数が減るかどうかということもこれも又私はむしろ期待できないというよりも、むしろ余り意味がないではないかと考えるのであります。私たちが一番やはり心配いたしますのは、重要な事件は、我々が手からがいろいろな相談にも乗り、或いは指示もいたしますが、やはり普通の窃盗或いは詐欺というような事件、こういうようなものがやはりよほど気を付けておらないと、必要以上に令状請求するということになりやすいのでありまして、そういうような面については一々これを本当にその検事さんのところに持つてつて同意を求めるということを、これは実際行いましても、殆んど形式的な、何といいますか連絡に過ぎないことになつてしまうと思うのであります。又、私のほうの署の実実情から言いましても、或る職などはまあ検事さんの御意向もありまして、できるだけすべての事件検察官にあらかじめ連絡する、令状請求する場合にあらかじめ連絡するということでやつておりますが、そういうことをやつております署の方から出ましたいろいろな統計も、そうでない署から出ました統計も、やはり同じようなことでありまして、やはりすべての事件について同意を求めるというようなことは、実際実行不可能である。又重要な事件については、普段から十分連絡をしておるというようなことでありまして、今回の改正の検事の同意を必要とするということによつて逮捕状をなるべく少くしよう、濫用を防せごうというようなことは、私は実効がないと思います。  それからこの実効がない反面考えなければなりませんことは、マイナスの面が相当出て来るのではないかということを私は非常に心配をいたしております。その一つはこの令状請求に当つて同意を求める、この同意を本当に責任を以てなされるというような場合には、その事件の全貌、捜査端緒からすべてのことをよく肚に呑み込まなければ、軽々に同意をするということはできないのであります。申すまでもなく犯罪捜査は非常に複雑でありまして、ただ令状を持つて来て、ただそれに同意を与えるということだけでは、果してそれが適当であるかどうかということの判断はできないのでありまして、どうしても犯罪の全貌、或いは捜査の進行状況、その他すべての点を考慮に入れなければ、この同意をするということはできないのであります。そういうようなことから私は若しこの改正案通りまして、検事の同意を要するということになりましたならば、自然自然に検事さんが犯罪捜査の中に深入りして行くというようなことになることは、これは自然の勢いで当然の結果であるというふうに考えるのであります。殊に改正提案者側の言われているような、重要な事件について同意を必要とするということをなされるならば、余計一層そういうような選挙違反、或いは転、破防法違反というような事犯について全面的に検事側が捜査の中に深入りして行くというような危険が非常にあると思うのであります。このことは、勿論現在の刑事訴訟法建前趣旨にも反しているのでありますし、又捜査公訴というものは、これは密接不可分のものでありまするが、やはり捜査には捜査の本質があります。私は犯罪捜査は、常にいろいろな証拠に基いて、その真相を明らかにする。事実を明らかにするという点を強調してやらせているのでありまするが、そこにやはり将来の公訴というようなことを考えて捜査の中に入つて来られるという場合には、やはり捜査の本質からやや外れたような御意見が出て来るのじやないかという点も懸念いたすのであります。又、実際にいろいろな事件で検事と落ち合わせをしている場合に、必ずしも検事さんの意見が適当でない場合があるのであります。併しそういうような場合には、こちらの事情もいろいろ申上げて、それじや警察側がそういうふうな意見ならそれでやつたらいいだろう、やろうじやないかということになるのであります。ところが、これを同意を必要とするとか何とかいう法律上の要件になつて来ますと、非常にその間の結局責任問題が附随いたしますから、その間の話合いがスムースに行かない、何となくぎごちないものになつて行く。而も捜査の本質という面から言つて甚だ適当な意見が出て来るかどうかという点をも懸念いたさざるを得ないのであります。  なお警察は、御承知のように、犯罪捜査のほかに、防犯、或いは警邏、その他のいろんな警察部門を持つておりまするし、全体の活動を通じまして犯罪を少しでもなくする。又犯罪捜査当りまして、いわゆる刑は刑なきを期するというような気持でできるだけやりたいと思つておりますので、ただ、犯罪捜査公訴の前提である。だからどういうというような御意見は私はどうも納得できないのであります。勿論関係が深いことはありますけれども、やはり公訴機関は公訴機関の本質を守る。又捜査機関捜査機関の本質を守つて、お互いによく連絡しながら、又或る程度、或は意味におきましては、お互いによい意味の牽制をしながら、反省をしながら進んで行くというところに、人権の保障という面から言いましても、犯罪捜査の適正という面から言いましても妙味があるのじやないかというふうに考えている次第であります。  なおもう一点、私が非常に心配いたします点は、若し仮に、今度の改正が行われまして、事実上検事さんが捜査の過程の重要な部分を握つてしまう、同意権という面から握つてしまうということになりますれば、警察官のほうの責任感、犯罪捜査を誤りなくやろうというこの責任感も、やはりどうしても薄らいで来るというのは、これはやはり人情じやなかろうかと思うのであります。やはり自分が責任を持つ。責任のないところに反省と努力はないと思うのであります。やはりどこまでも自分の責任でやつているから、誤りなくやろうという気持が出ますが、どうせ検事さんの意見同意してくれるかどうかということはきまつてしまうのだからという気持に警察官がなりますれば、やはり勉強することも勉強しない、反省する点も真剣な反省をしないということになつて、やはり却てて私は全体から言つて非常にこれはマイナスになるというふうに思うのであります。ただ他に依存して安易な気持になるということから、自然その職権の運用も繁れて来るというような危険性が多分にあるのじやないか。なお先ほどの参考人からの御意見に、何もそう心配することはないじやないか、戦前においても今でも同じであるが、人事権というものは警察が握つておるのである、だからそう簡単に検事の言うなりにならんであろうというふうに言われるのであります。併し戦前においては、これは決してよいことではなく、悪いことでありますが、刑事訴訟法による刑事手続と申しますか、処理のほかに、いわゆる検束の利用ということが実際行われたのであります。従いまして警察といたしましては片一方において刑事訴訟法に縛られておる半面、検束の脱法的な利用といいますか、そういう面から警察独自の活動が行われておつたのであります。そこで警察側と検察官側とのバランスといいますか、均衡がとれておつたのであります。ところが今日では勿論そういうことは絶対許されない。すべて任意捜査原則とし、而も強制力を用いる場合には令状によらなければならない。その令状が全部検事の同意を要するということになつて、検事さんの意見によつてその捜査が動かされるということになりますと、これは非常に大きな問題になると思うのであります。これは単に人事権をこちらが持つているということだけで解決できるものではないのでありまして、警察官の犯罪捜査に対する熱意も、或いは責任感も、反省と努力も、こういう面で非常に低下して来るのではないかということを恐れるのであります。その他余りこの問題に検事さんが深入りされて来ますと、本来の公訴の維持、或いは公訴の提起或いは公判等のほうに非常に手が廻りかねることになりはしないかという点もありまするけれども、この点は省略させて頂きまして、次に百九十三条の第一項の問題に入りたいと思います。  捜査を適正にするために、一般的指示をなすという改正であります。これは私、先ほども総監が申されましたが、第一線におりまして、なぜそんな改正が現在必要なのか全くわかくらないのであります。私たちは検事さんとはしよつちゆうよく連絡をいたし、仕事のほうも又公私共にいろいろつき合つておりまするが、又は署長会議の場合とか係長会議、その他いろいろな講習会の場合とかに、検事正以下次席さん、各検事さん極力来て頂きまして、いろいろ議についての教えを受けておるのであります。公訴の維持上得られました捜査上の欠陥とか、その他法律の疑義、或いは適用に関する問題等、いろいろ私たちは事実問題として非常に貴重にアドバイスを受けておるのでおります。そのようなアドバイスを受けながら、而も我々の責任において反省と努力をしながら捜査をいたしておるというのが現在の実情であります。そういうような際に何が故にこのような捜査を適正にするために一般的指示をなすということが必要であるかどうかということは、まるで私たちとしましてはどうもぴんと来ないのであります。私前に本部の捜査課長をいたしておりましたので、若干経緯を存じておるのでありますが、この百九十三条の一般的指示権に基づく指示といたしましては、司法警察職員捜査書類様式例に出ております。その他において検察庁からお話が、これは正式にではございませんが、いろいろありましたのは、犯罪捜査規範として現在私たちが持つておりまする規程と同じような、捜査をやるときにはどういう心がまえでやらなければならないかというような、昔の司法警察職員職務規範と殆んど同じようなものを一つ出そうというような話があつたのであります。併しそれはおかしいじやないか、非常に現在の刑事訴訟法建前が変つて来ているので、警察警察として、責任を以て捜査をやるという建前になつて来ているから、そういうような心がまえとか、規程とか、いろいろな点、そういうような従来旧刑訴時代の職務規範として規定されておつたような事柄はやはり警察独自できめたほうがいいのではないかというような話合いをいたしまして、最岡検の御了解も得まして、これが我々のほうの犯罪捜査規範という規程になつ填おるのであります。そのような司法警察職員職務規範というような昔の旧刑訴時代のようなものを出そうというような話があつたのが回あります。それからもう一度は、先ほどお話がありましたが、破防法の適用についてのことであります。これは総監のお話で御了解を得ておると思いますが、これは破防法関係事件についてはすべて所轄の検事正の承認を得てから捜査をせよということであります。このようなことは百九十三条の文面から行きます石と、一般的準則と書いてございまして、個々の捜査の指揮はやらないということを極言といいますか、極力言われておりまするが、実際こういうような一般的指示及び破防法関係事件はすべて検事正の承認を得てからやれというようなことは、事実問題として個々の事件捜査を検察庁が握るということになるのでありまして、どうもそのようなお考えが今あるのじやないかというような懸念を私たちが抱いても、これは納得して頂けるのじやないかと考えるのであります。そのほかに、この一般的指示権に基いてお申入れのあつたことは全然ないように私は聞いております。現在の法文の規定から言いましても、それがただ法の精神を変えるわけではない、解釈を明瞭にするという意味だけで果してこのような重大な、捜査を適正にするために一般的指示をなし得るという改正をする必要があるのだろうか、どういう意図でそういうことをお考えになつたのか。又この改正が通つた場合に果してどういうような具体的な事柄を一般的指示をされる意図があるのだろうかという点の御説明が全然ありませんので、私たちといたしましては、どういう意味でこのような改正をされるのか、全く見当がつかない。折角今気持よく警察と、検察庁との間がやつて行こうというこの空気を不必要に紊されると思うのでありますが、そういうような感じがするのみであります。この点も全く納得できないのであります。又捜査の、いろいろな捜査機関があるから捜査の調整のために一般的指示を出すのだという御説明が先ほどありましたけれども、捜査の調整のためでありますならば、これは百九十三条第三項の問題になつて来ると思います。この第二項に基いて必要なる捜査の調整ができますし、その他たびたび申上げましたように第一線では極めて緊密にやつておりますので、談笑の問にいろいろな検察庁側の御好意というものは警察に反映するのじやないかというふうに考えるのであります。  大分時間が経ちましたので、逮捕状濫用防止すると言いますか、少しでも逮捕状の不必要な請求のなくなるようにというような方法としまして、私若干考えておりますことを極めて簡単に申上げて見たいのであります。先ほど申上げましたように、やはりこれはどうしても警察官自身の責任感を一層強めまして、而もこれに対する教養指導という点を、従来も勿論やつておりまするが、従来以上に一層深めて行くということが一番のこれは根本問題であると思うのであります。私たちの県でも司法警察官の人選、教養ということは一般の警察官と更に別に特別の関心を以てこれを行なつております。又最近ではこれは国警本部の御指示もありまして、なお有能な係官を指導係ということにいたしまして、これが各署を廻りましてこういうような場合の間違いのないことを期するためにいろいろ指導をいたさせております。又講習会等の場合には判事さん、検事さんに極力来て頂いて講習をして頂いているというようなことをやつておりますが、この責任感を持たして、これをもつと教養するという点はどうしても今後私自身としてもやつて行きたいと考えております。それから令状請求書、これを場合によれば請求者を更に上級の幹部、例えば署長或いはその代理者或いは刑事係長といいますか、そういうような者に限定するというような措置も考えていいのじやないか。或いは令状請求書に署長なり、署長の代理者が認印を押しまして、署長や代理者がちやんとこれを見て、而も責任を以て令状請求するというような形にするということも考えられるのじやないかというふうに思います。それから裁判官のほうでいろいろ審査をされますが、これはだんだん私細かく見て頂いている傾向にあるということは、非常に私としましては幸いであると思います。やはりそういうような面からも、できるだけこの濫用というようなことの一つでもありませんように、よく審査をして頂く必要があると思います。その他検察庁との密接な連絡等は申すまでもありませんが、こういうような方法によつてやはり警察側がこの問題を自主的に、真剣に考えて反省するという面で解決する以外に方法は私はないというふうに考えております。  最後にこの今回の改正事項につきましては警視総監も申されましたように、警察官の全員が非常に関心を持ち、又心配をいたしております。終戦後警察の側でいろいろな面が改善されましたが、教養施設の面、或いは科学捜査の研究所でありますとか、或いは鑑識部面、こういうような面は非常に進歩、改善をしております。そういう教養或いは科学捜査という面を更に一層これを強調し、又施設も改善しまして、それと同時により一層捜査の第一次責任機関であるというような責任感を強固にいたしまして、運営に当つて行きたいと思つているのであります。現にそれが終戦後の警察官の状態から言いますならば、今日は相当、本当に白紙で見て頂いたならば相当進歩している。教養の程度も、又いろいろな技能の面も相当進歩して来ているということを私は断言していいと思います。勿論十分でありませんし、大いに更に改善する余地はありますけれども、相当進歩をいたして来ている。そういうような矢先にこのような法律を以て、再び事実上検察官の、検事さんの補助者となるような結果に終らざるを得ないような改正がなぜ行われなければいかんかという点については、私は慎重にお考え頂きたいということをお願いするのであります。警察の改むべき点がありますならば、これは更に一層一般のかたがたから、或いは検事さん、判事さん、或いは弁護士さんのかたがたから大いにこれはアドバイスをして頂きたいし、又私愛知県におりますると、県会議員、或いはその他の地方のかたがよく私の部屋に来てくれます。そうして警察の悪い点、こういう点があるというようなことをよく言つてくれます。又新聞も又必要以上と思われるくらいの、若し警察の間に誤りのあるという点、悪い点がありました場合には、相当新聞にも善きます。そういうような世論の批判ということを常に考えながら、又反省しながら我々はより一層最善の努力をいたしたいと考えているのであります。そのような批判というものも比較的私は少ないと思いますが、検察庁側に果して直ちに今回の改正を行いまして捜査の指揮権を強める、或いは捜査の実体、一番重要な部分を握るというような措置は必要が果してないのじやないか。仮にその必要があるといたしましても、現在の段階ではいま一応警察側の十分な反省を求める。警察側でなし得ることをもう少しやらして見る。そうして折角第一次捜査機関として今まで育つて来ているのでありますから、これをもう少し温い親心で見て頂きまして、よりいい方向に育てて行くというようなふうに進んで行けるならば、私は非常に幸いであると思うのであります。再び警察が以前のような状態に戻る懸念が私多分に考えられますので、どうか慎重にこの点御審議頂きまして、我々の意見の存するところを十分御了承頂きたいと存ずる次第でございます。  以上であります。
  23. 郡祐一

    委員長郡祐一君) 有難うございました。参考人の皆さん大変御多忙のところを大変有益な御意見の御開陳を頂きまして誠に有難うございました。今後いろいろ当委員会の御協力を願う機会があろうと思いますからよろしくお願いいたします。本日はこれを以て散会いたします。    午後四時五十九分散会