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1953-07-14 第16回国会 参議院 法務委員会 第12号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十八年七月十四日(火曜日)    午前十時二十七分開会   —————————————  出席者は左の通り。    委員長     郡  祐一君    理事            加藤 武徳君            亀田 得治君    委員            小野 義夫君            中山 福藏君            赤松 常子君            棚橋 小虎君            一松 定吉君   政府委員    法務政務次官  三浦寅之助君    法務省刑事局長 岡原 昌男君   事務局側    常任委員会専門    員       西村 高兄君    常任委員会専門    員       堀  眞道君   説明員    法務省刑事局参    事官      下牧  武君   —————————————   本日の会議に付した事件刑事訴訟法の一部を改正する法律案  (内閣送付)   —————————————
  2. 郡祐一

    委員長郡祐一君) 本日の委員会を開きます。  只今より刑事訴訟法の一部を改正する法律案質疑を続行いたします。
  3. 亀田得治

    亀田得治君 総括質問といたしまして、本日は主として刑事訴訟法改正憲法との関係ですね、こういう諸点について細かい点は抜きにして、大きな点について一つお尋ねしたいと思います。  先ず最初に法制審議会諮問要綱を見ますと、「刑事訴訟法運用の実情にかんがみ、早急に改正を加えるべき点についての諮問」とこういうことに名称からなつております。この題目だけを言葉通りにとりますと、極めて何か当面運用して困るというような、末梢的と言つては少し語弊がありますが、そういう実務的なことが非常に前面に出ておるような感じがするのです。併しながらそういう立場から刑事訴訟法を再検討するにいたしましても、恐らく改正法憲法との諸関係というものは、非常に重大な関心を持つと考えておられたと思いますが、その点はどのようにお考えになつてこれらの審議を進められましたか。
  4. 岡原昌男

    政府委員岡原昌男君) もとよりこの日本国憲法の新らしい精神は、これを尊重すべきであるという建前の下に、現在の刑事訴訟法運用三年乃至四年の実績に鑑み、最も不便な点、不都合な点、これをこの際改正しようという根本的な態度をとつたわけでございます。憲法の大枠というものは、勿論これははずすわけには行かないし、又これはその精神は十分に尊重して行くということを建前といたしました。従つて今回の改正のうち、憲法問題と真向から取組んだというのは実は殆んどないわけでございます。
  5. 亀田得治

    亀田得治君 改正法の七十三条の第三項、これが改正されることになつております。改正の仕方としては、殆んど意味は従来と同じであつて字句の訂正のようです、この部分は……。併しこの七十三条なるものを問題にされる際に、私どもはこれは従来からも憲法の三十三条にこれは違反するものであると、こういうふうに確信しているのです。そういうことは一体問題になりませんでしたか。
  6. 岡原昌男

    政府委員岡原昌男君) 七十三条第三項中の改正につきましては、これは現行法上すでに認められているこの制度を、つまり令状を所持しない場合でも、急速を要するときはこれを執行することができるというこの趣旨を、ただ語義をはつきりさせるために「これを示すことができない場合」ということを加えたにとどまりまして、この点は従来とても憲法違反の疑はなかつたと私どもは理解しておつたわけでございます。
  7. 亀田得治

    亀田得治君 一般には憲法違反ではない、こういうふうに考えているようですが、私は法律解釈というものは専門家がいろんな理窟をつけて、そうして理解が行かなければ結論が出てこないようなそういうものではいけないと思うのです。憲法の三十三条、これは明らかにこの明確な理由を付した書類、これがなければ人は逮捕できないことになつております。こういうことは法律家としては専門家立場でいろんな理窟をつけておりますが、こういう刑事訴訟法、これは事務的な改正と言いますが、分量にしても相当広汎な改正です。これは当然問題になつていいことだと私ども考えているわけであります。それが殆んど問題にならないというのは、問題にすべきことを問題にしないんじやないかと考えるのですね。特に緊急逮捕といいますか。令状なしの逮捕、これは統計の上から言つても全体の三〇%くらいあるでしよう。随分多いです。私はこういうことがどうして議論にならないのか。若しならなかつたのなら、その点から聞きましよう。若しそういう点の議論がなされたかどうか新らたに……。
  8. 岡原昌男

    政府委員岡原昌男君) この点はすでに新刑訴の国会の御審議の際にすでに割り切つた問題でありまして、而も学者の中で一、二の人は成るほどおつしやるような意見を述べているのもございますけれども、大勢はもう全部これは合憲ということに一致いたしておりますので、その考えの下に今までの条文が七十三条なり、或いは二百十条の緊急逮捕なりが動いて参つたわけでございます。でありますからその問題はその程度で割り切つてございますので、ただその字句が従来不明確であつたのを「これを示すことができない場合」というのを附加えて明瞭にした、かような趣旨でございます。
  9. 亀田得治

    亀田得治君 従来の学説がそういうことを割り切つていると……、これでは何といいますか、法制審議会としての良心的な審議に私はならないと思うのです。恐らく刑事訴訟法緊急逮捕ということを認めた場合でも、そんなにたくさんの緊急逮捕があろうと誰も予想しておらなかつただろうと私は考えるのですが、そうすれば、これは当然刑訴改正ということを取上げる際には、やはり現実の事実を見なくちやいかん学説がどうなつておろうと、学説が全部一致しておつたつて間違つておる学説間違いなんですから、実際の事態に比較するならば、これは随分私検討すべき問題であると思うのですがね。殆んどそれは自明のこととしてここの部分改正は通つているのですか。
  10. 岡原昌男

    政府委員岡原昌男君) おおむね自明のものとして通つております。
  11. 亀田得治

    亀田得治君 そういたしますと、この法制審議会というのもたくさんえらい人が名前を並べているようですが、刑事訴訟法改正に対する根本的な立場といいますか、足場、そういうものが非常に私間違つているように感ずるのですね。これはぼつぼつ又各条をやつて行くときに言及して行きましよう。  それから次にお尋ねいたしたいのは、勾留開示手続ですね。これと憲法三十四条との関係、こういう点を中心にしてお聞きしたいと思います。この開示手続書面によつて申請する、こういう規定を今度設けられましたが、これは第三回の答申の際に突如としてこれが入つて来たわけです。その経緯を少し先ずお聞きしたいと思います。
  12. 岡原昌男

    政府委員岡原昌男君) 突如としてというわけではないのでございまして、実はこの問題は大分前から勾留理由開示手続というものが一部の者に悪用せられまして、いわゆる公判法廷闘争の具に供せられまして、勾留理由開示手続の本来の意味を逸脱した運用がなされているという点から、この改正は各般の方面から要望せられておつたのでございます。で、裁判所側におきまして、特にその必要を痛感せられまして、今回の改正の際にはこの問題も十分検討して頂きたいというわけで、法制審議会が開かれた、かような事情でございます。
  13. 亀田得治

    亀田得治君 お尋ねしますが、勾留理由開示という制度ですね。これはどういうふうにお考えですか。何のためにこういう制度が置かれておるのですか。
  14. 岡原昌男

    政府委員岡原昌男君) 勾留理由開示と申しますのは、一体本人がどういうことで勾留されたんだろうかということが不明確のままで、身柄が拘束されるというのは問題でありますので、その点について本人が一体どういうわけでしよう、ということを言つた場合に、それはこうこういうわけだということを説明する、かような手続であろうかと思います。
  15. 亀田得治

    亀田得治君 そういう手続法律的な効果というものは何かお考えになつておりますか。ただそういう事実的な説明を受けるだけだということですか。
  16. 岡原昌男

    政府委員岡原昌男君) 結局その説明をいたすということだろうと思いますが、まあ附随的には本人がそれで納得するとか、納得しないとか、或いは説明して更にあと勾留の延長の期間、その他について又裁判所考える場合もありましようけれども、それはむしろ附随的の効果でありまして、本来本人がそれの理由を、どういう点から勾留されたかということを、承知させるというのが中心であろうと、かように考えております。
  17. 亀田得治

    亀田得治君 まあ勾留理由開示制度目的に関する只今のお答えですね、これは少し私ども考えは違います。ただ勾留された理由を明らかにする、それだけでは何も意味がないと思います。法律上こういう制度を設けておる。これは先ず第一には、なんでしよう、勾留された被告人納得する、これは憲法のこの三十四条の規定から言つても正当な理由、こういうことが納得される、これは非常に大事なことでしよう。それからもう一つ効果は、やはり勾留理由開示、この手続を経て、若し勾留に誤りがあればこれを正して行く。これは被告人勾留の取消を要求できるでしようし、裁判所も職権で過ちを発見すれば訂正できるでしようし、やはりそういう一つのいろいろな効果というものは実際上私予定されておると思うのです。ただその理由だけを明らかにしてやる、そんなものじや私ないと思います。これは勿論被告勾留という制度に対する根本的な考え方にも関連して来るわけですが、私ども考えではやはり飽くまでも人を勾留しておく、これは例外現象だと考えております。例外現象です。犯罪があつたつてそれが明確になるまでは例外的な現象です。だから憲法でも理由を明確にする、そういうところから出発しているのですから、納得させると同時に一つ法律的な効果というものをやはり期待しておるのです。私はそういう意味二つ勾留理由開示する意味があると思うのですね。この点はどうですか。
  18. 岡原昌男

    政府委員岡原昌男君) 先ほども申しました通り、附随的にはそういうことも考るということを申上げたのでございますが、そもそもこの憲法第三十四条と勾留理由開示手続との関係には、御承知の通りの争いがございまして、この憲法第三十四条の形が、「何人も、正当な理由がなければ、拘禁されず、要求があれば、その理由は、直ちに本人及びその弁護人の出席する公開の法廷で示されなければならない。」ということを規定するにとどまりまして、それ以上のことは書いてないわけであります。いずれにいたしましてもさような関係から直ちにこれを違憲であるとかいう問題にはならんわけでございます。
  19. 亀田得治

    亀田得治君 まあ違憲であるとかないとか今言つているのじやないのです。憲法並びに法律手続従つた勾留であれば、少しも差支えないわけですね。ただ勾留された場合の勾留理由開示、今度の改正案ではこれを非常に簡単なものにして行こうという一つの含み、狙いがありますから、それで制度根本趣旨というものをもう少し検討してみる必要がある、こう私申上げておるのです。決して、これはどこそこでどういう事件が起きて、そうして勾留理由開示制度というものが濫用された、そういつたようなことで簡単に手を着けては私困ると思うのです。で、ただ単に勾留理由開示だけじやなしに、どんな権利つてみんなそういう現象を持つと思うのですね。だから先ほどこの改正案を出された理由をおつしやいましたが、そう簡単には私行かないと思います。たとえ一、二あなたがおつしやるようなことがあつたにしても……。そこでもう一つ次にお聞きしますが、それじやあなたのように、この制度が主として理由を明確に相手がたにしてやるのだという、こういうところにあるといたしましても、そのためには私やはり今度今までの刑事訴訟法弁論主義当事者主義、こういうものがこの際にも適用されて……、今までの開示制度はそういう立場運用されておりますが、そういうふうにならなければ理由相手方納得させるような開示はできないのと違いますか。それを単に書面だけで言わす、そうして裁判所からその書面を見て、そうしていろいろ理由をちやんと自分の部屋で書いて来て、そうしてそれを朗読して終り、こういうふうにどうも今度の改正案では行く危険性があるのですが、これでは、私ども勾留理由開示制度から見て全く妥当でないと思うばかりでなく、あなたのような立場から言つてもその目的は達しないのじやないかと思いますが、どうでしよう。
  20. 岡原昌男

    政府委員岡原昌男君) いわゆる勾留理由開示手続というものは弁論主義の現われではないのでございまして、単に開示するということを中心にした手続でございます。従つて御疑問のような点はなくなるわけでございます。
  21. 亀田得治

    亀田得治君 いや、弁論主義の現われでないとおつしやいますが、全部現われです。これは弁論主義というものは、あなたはどういうふうに御解釈になつておるか知りませんが、それは非常にやつぱりとらわれた、既成の狭い範囲での弁論主義ということをお考えになつておるのじやないかと思うのです。何も公判が始まつてから初めて当事者主義弁論主義というものが始まるわけじやないのです。憲法が予定しておる弁論主義というものは、飽くまでも被告人なり、被疑者、これはこれを捜査したり、或いは公訴する処分と対等の立場で絶えずずつと進んで行く、こういう立場に立つているわけでしよう。勿論捜査上必要な止むを得ない拘束はして行きます。これは捜査必要性から来ているだけであつて、併しそれ以外の関係においては飽くまでも対等に進んで行く、憲法はそういうことを私予定していると思うのです。単に刑事訴訟法なり、そういう訴訟の段階になつて初めて弁論主義というものは始まるものでは私ないと思うのです。これはどうでしようか。
  22. 岡原昌男

    政府委員岡原昌男君) その手続と申しますのは、弁論する当事者がその主張をお互い弁論合つて、これに基いて一つ結論を出すというものではないのでございまして、いわゆる弁論主義範囲からは、すぐに出る結論ではないのでございます、まあいわば関係のない事項でございます。
  23. 亀田得治

    亀田得治君 そういうふうにあなたが御解釈になつておれば、あなたは憲法を非常に誤解されておると思います。相手方理由をよく納得させる、これはやはり大きな一つ結論です。よ。そういう、手続が始まるまでは、全く勾留をしておる人とされておる人とこれがちぐはぐな気持でおるわけですね。納得行かない。だからそれで勾留理由開示を求めたわけでしよう、憲法はそれを命じておるわけです。納得するようにせい、そういう効果を生むのは、これは何も一つの判決を言渡すとか、決定を出すとか、これはそういうことと同じように大きな効果というものを予定できませんか。そういう点どういうふうにお考えですか。
  24. 岡原昌男

    政府委員岡原昌男君) 附随的な効果として、そういうことはあり得るということは、先ほどから申上げておりますが、法律的な効果としてそういうものが結論として出て来るということはあり得ないと、こういうふうな趣旨でございます。
  25. 亀田得治

    亀田得治君 結論としてではなしに、つまり私がこういう制度に期待しておる効果というのは、二つ考えておるのです。最初申上げたように納得ということが一つの問題、それからもう一つは、それを基礎にして更に勾留を続ける。或いは少しどうもいろいろ審議してみると、軽卒な点があつたとかなかつたとか、そういうことに基いて、次の、なんでしよう、勾留を切替えるとか、いろいろなことに関する影響がこれは当然出て行くわけです。で私そういう二つの点を考えておるのですが、まああとのほうは別として、納得という点から言つたつて、この改正案のようなやり方では、私憲法精神というものを蹂躪していると思う。でそれは単なる事実的な行為一つ効果として、そういうことを予定するだけで、納得の点をあなたはおつしやいますけれども憲法は決してそういうことじやないでしよう。これは憲法第三章のいろいろな基本的な人権項目の中に入つているのです。基本的な人権というものは、飽くまでも人格の問題でしよう。被告人いえどもそれにとけ込んでいる、そういう立場でしよう。これは例えばよく言われることで、私から特に繰返す必要もないことですが、百人の何といいますか、処罰すべき者を逃しても、一人といえども無実の者を処罰してはならない、こういうふうな立場にこれは立つているの思うのです。そういう一つの流れというものは、やはり勾留理由開示の中にも出ているわけでしよう。納得させて行くということ、これは私単なる効果として納得ということがあるかも知れない……、これじやおかしいと思うのですね。それは同じことですか、あなたのお考えは……。
  26. 岡原昌男

    政府委員岡原昌男君) さような事実的行為法律的効果が生するというようなことをおつしやつたようでございますが、これは無論法律的行為による事実的な効果であろうとかかように存ずるのであります。その事実的な効果が出るということは、これは当然予想されるといたしましても、それを目的として訴訟行為当事者から出される、或いは弁論お互いになされる、さようなものではないのでございます。
  27. 亀田得治

    亀田得治君 これはこの八十四条の際にももつと詳しくお尋ねしますが、もう一点だけそれじやお聞きしておきますが、こういう書面による開示要求をすると、その場合に提案者のほうでお考えになつていることは、それに対して裁判官のほうから理由を述べて、その理由説明の不十分なようなところがあつた場合に、いろいろな質問質疑をする、これは差支えないことだと思うのですが、どうですか。
  28. 岡原昌男

    政府委員岡原昌男君) それは当然差支えないということでございます。
  29. 亀田得治

    亀田得治君 それは差支えないのですね。それじや従来と同じことじやないですか。どうしてこんな改正案になるのですか。
  30. 岡原昌男

    政府委員岡原昌男君) その書面を以て出すというのは、意見を陳述するという程度において権利が認められる、かような趣旨でございまして、従来の書き方によりますると、口頭で以て意見を陳述する権利があつた、かようなことになつておるわけであります。そこが今回の違いでございます。
  31. 亀田得治

    亀田得治君 それじやもう一つ聞きますが、質疑ができると……、じやあその被告人のほうから出す書面による申請ですね。それに附加して、説明なり意見は言えますか。
  32. 岡原昌男

    政府委員岡原昌男君) 裁判長が必要と思料するときには、そういうこともあり得ると思います。
  33. 亀田得治

    亀田得治君 じやあまあそれはその程度にしておきまして、それからやはりこの憲法三十四条との関係でお尋ねしておきますが、今度の改正の八十九条で、勾留権利保釈に対する例外を、今度は非常に拡張されたわけですね。でここに今度はずつと六つほど並ぶわけですが、この権利保釈に対する例外規定中心というものはどこにあるのですか。これらの規定の中で……。
  34. 岡原昌男

    政府委員岡原昌男君) 特にどれが中心ということもございませんので、ただかような列記してあるような事項権利保釈になれば工合が悪いという趣旨でございます。
  35. 亀田得治

    亀田得治君 それじやいろいろな現象が又新らしく起きて来た場合には、どんどん追加されることになりますか。
  36. 岡原昌男

    政府委員岡原昌男君) 目下いろいろな場合を予想いたしましても、大体こんな程度じやないかと思うのでございます。
  37. 亀田得治

    亀田得治君 つまりそういう答弁ですと、やはり私この刑訴改正の際に、大事な憲法の基本的な人権というものが非常に軽く見られていたような気がするのです。何と言つても、何回も繰返すように、人を拘束しておる、これは例外ですからね。必要のない者は別に拘束する必要はないのです。私の意見をちよつと申上げないとあなたのお考えも聞けませんから申上げますが、私の考えでは、権利保釈に対する例外中心は、逃亡、或いは罪証隠滅の虞れ、この一点だと思うのです。この一点ですよ。逃亡したり、罪証隠滅されたのでは、これは国家の持つている捜査権公訴権、こういうことに影響して参ります。でこの一点でありまして、それ以外のことは、これは私一つもそんな理由にならないと思うのです。例えば第一項が今度改正になるのですが、今まででありますと非常に重罪なものですね。これはもう重罪だということで権利保釈の除外になりますね。これは私おかしいと思う。感じは、気持はわかりますよ。こんなに重いやつだからこうしておけ、気持はわかりますが、何といいますか、憲法原則から考えたら非常に矛盾があると思います。勿論そういう人の場合には逃亡とか、罪証隠滅とか、そういうことが予想される事態がまた別個にいろいろ考えられるだろうと思います。それでは捜査なり、公訴に困りますから、それで保釈しない、これはわかるのです。併しそれは飽くまでも中心逃亡とか罪証隠滅、それが基本になつておるわけですね。私はそういうふうに考えておるのですがね、平常からでも……。でそういうふうに考えておりますから、今までの権利保釈の制限にしても随分おかしい。逃亡罪証隠滅ということがあるにもかかわらずそのほかのことは一つの客観的な条件によつて全部駄目なんです。全くおとなしい、逃げたりいろいろすることの心配の少しもない者でも駄目なんです。これは非常におかしいと今までも思つていたのですが、今度はそれに附加えて、更にそういう主観的な問題に少しも関係のないほかの項目が客観的に備わつておればそれですべて駄目だと、こういうのを入れて来ているのですね。これは私憲法の三十四条、この原則を我々はいつも大事に育てて行きたいという立場から考えますと、非常な逆行だと考えております。これはどういうふうにその点お考えですか。
  38. 岡原昌男

    政府委員岡原昌男君) いわゆる権利保釈、或いは必要的保釈と申しますのは、さような保釈申請があつた場合にはこれを許さなければならない、そういう意味において認められておるのでございます。それでその中に現在でも列記されている各一、二、三、四、五号までのこの分は、いずれも逃亡の虞れがあり、或いは罪証隠滅の虞れがある。例えば只今お話の重い犯罪等につきましては、これは捕まつた裁判をやればどうせ重いことだろうというので、逃げようともいたしましようし、又証拠隠滅をする可能性も多かろうというようなのをずつと拾つているわけでございますが、今回追加いたしたものも全くそれと同じ考えでございます。只今必要的保釈が拒絶されるということになれば由々しいことだという、又場合によつてはそういう虞れの全然ない者も保釈できないのではないかというふうなお尋ねでございますが、その点は、いわゆる裁量による保釈は従来通り認められておるわけでございまして、裁判所がこれは権利としてはないけれども裁量としてはやり得るという場合には、これは勿論保釈して何ら差支えないわけでございます。
  39. 亀田得治

    亀田得治君 そうすると、あなたのお考えですと、例えば多衆共同して罪を犯したとか、権利としてはそういうようなものは、例えば逃亡とか罪証隠滅という虞れがなくとも権利としては保釈請求する根拠はないのだと、こういうお考えですか。
  40. 岡原昌男

    政府員員岡原昌男君) 保釈請求ができないというのではなくて、保釈請求があつて権利としてこれを許すわけには行かないと、かような趣旨でございます。
  41. 亀田得治

    亀田得治君 そうすると、憲法三十四条、これは理由のない勾留、拘禁は認めておらない。そういうことと矛盾しませんか。罪証隠滅逃亡ということに関係なしに、今おつしやつたようなことが、お情けで裁判所は放してやるかも知れんが、権利としては要求できない、こういう条文を置かれることは、私三十四条の規定と明らかに矛盾すると思うのですが、その点どうなんですか。
  42. 岡原昌男

    政府委員岡原昌男君) 保釈決定をいたしますのは裁判所でございますから、保釈申請がありました場合に、その内容を審査いたしまして、それが八十九条に当るか当らんかということも勿論調べます。それから八十九条にたとえ当らん、つまり権利保釈が認められないという場合においても、酌量によつてこれを保釈したほうがいいか悪いか、すべきかどうかということを当然判断するわけでざいまして、従つて只今のような問題は生じないわけでございます。
  43. 亀田得治

    亀田得治君 そうじやないのです。私の言う意味をよく汲み取つてもらいたいのですが、憲法三十四条から行けば、正当な理由のない拘禁に対しては、おれを放してくれと、こういう権利を持つているのです。明らかにこれはもう憲法第三章の基本的人権なんですよ。権利言つたつて、何か自分の貸金を請求する権利とか、そんな小さな権利じやなくて、基本的人権としてはつきり認められている権利なんです。その権利の行使が、ただ単にたくさんおるからという、そういう客観的な事実だけで権利として認められないということに、この法律によるとなるのです。そんなものは憲法では正当な理由とは考えておりませんよ。憲法言つているのは、何と言つたつて国家の持つている捜査権公訴権裁判権、これに迷惑を及ぼすようなのは困る、こういう意味しか持つておりませんよ。それじやあお聞きしますがね、憲法三十四条であなたはどういうふうにお考えになるのですか。この被告人なり、被疑者なんかがどこまでの範囲を……、この刑訴法を離れて正当の理由というのはどういう意味なんですか、憲法三十四条の……。
  44. 岡原昌男

    政府委員岡原昌男君) 正当な理由というのは、つまり単に勾留の場合のみならず、逮捕等もこれは含む趣旨でございましようが、とにかく何か法律上の根拠があるというふうなことになろうかと思います。
  45. 亀田得治

    亀田得治君 それはおかしいですよ。憲法が最高の法規なんですよ。憲法ができてからほかの法律ができて来るのです。敗戦後の日本の法律を作つたずつと順序から言つたつてそうだし、それからまあものによつてあと先はしております、憲法が遅れたりして……。併し、飽くまでも理論的には憲法が優先しているのです。他の法律で認めたからよいと、そんなようなことを憲法は予定しておりませんよ。他の法律でそんなことを認めたつて、それがこの憲法の三十四条自身の趣旨に反しておれば、そんな法律は無効ですよ。だからこの憲法の三十四条で言う正当な理由がなければならん。これは私はそんな客観的な形式的なものではなしに、実体的なものである。捜査権なり公訴権なり裁判権、これを妨害しちやいかん、これは私も当然だと思う。その範囲を出ないものだと私は解釈する。だから、ほかの法律で認めておればよいでしようと、そんなことにはならないでしよう、どうなんです。
  46. 岡原昌男

    政府委員岡原昌男君) 憲法三十一条に、「何人も法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。」という条文がございまして、いわゆる正当な手続というふうなことがここに書いてございます。で憲法では、もとより細かい、どういう場合にこれを正当と見るか。どういう場合にこれを正当ならずと見るかということは書くことはできません。それで、観念的には正当、不正当ということは言い得るのでありますが、これを結局具現するのは法律規定でございます。その趣旨におきまして、刑事訴訟に関する限りは刑事訴訟法に則つて身柄の拘束が行われると、こういう趣旨であろかと思います。
  47. 亀田得治

    亀田得治君 そういう解釈の仕方は、旧憲法時代の解釈ですよ。憲法の正当な理由なんというものは、そういう無内容な、ほかの法律に内容を一任したようなものではないのですよ。これは憲法則定当時の事情なんかを、十分これはあなたもお知りでしようが、これは本当に良心的に考えたら、そんな無内容な、ほかの法律でこれがきまつて来るのだと、そんなものではないですよ。憲法自身に正当な理由というものの限界性というものを持つておるのですよ。それを認識する人がはつきり認識しておらんだけで、飽くまでも客観的な内容というものを持つておりますよ。だからその内容というものを先ず明確にして、その内容から抜けないようなものにほかの法律というものは組立てられなければ、これはあなた憲法というものは全く無視されますよ。そういう憲法解釈では非常に私困ると思いますね。
  48. 岡原昌男

    政府委員岡原昌男君) 先ほども申しました通り憲法というものは基本法典でございまして、これは各国に共通な現象でございますが、憲法の中に細かい一つ一つの、この場合は正当である、この場合は正当ならずということを書くことはできないわけでございます。つまり大枠を与えまして、この枠内において法律なりが作られると、こういうようなことになるわけでございますが、その枠を外すということになれば、只今お話通りこれは由々しい大事でございます。併し、その枠を超えない限りにおいては、これは当然なし得ることであり、又なすべきことである。さような意味におきまして、刑事訴訟法はその枠内において立案され、そうして憲法精神を具現化したものである、かように存じております。
  49. 亀田得治

    亀田得治君 それは制定された刑事訴訟法憲法を学生に矛盾なく説明するには、そういうふうに言わなければこれはいたし方ない。私の聞いておるのはそうじやないのです。今立法しようとしておるわけですね、これが憲法の枠内にあるかどうか、これは重大な問題です。その前に、こういう法案なんかにとらわれないで、それじや憲法自身の正当な理由言つておるのは、言葉自身は短いが具体的にはどういうことを一体言つておるのか、その点の一つ考えから先に聞きましよう。
  50. 岡原昌男

    政府委員岡原昌男君) いわゆる犯罪捜査、或いは刑罰権の行使に関連いたしまして、身柄を拘束するという必要性が生れるわけでございますが、その際にこの身柄を拘束する限度、或いはその手続方法等につきましては、これはいわゆる公共の福祉と個人の自由との調和点に立つわけでございます。これは従いまして両方の面からの丁度非常に切迫して相接する面でございますので、その点は具体的な例としてはいろいろ問題が起り得るのでございますが、少くとも従来の刑事訴訟法の行き方、或いは今回改正を立案いたしましたこの法案の行き方というものは、その調和がとれておると、こういう意味において我々は合憲であると、かように存じておるのでございます。いわゆる正当の理由云々という言葉も、抽象的に申しますれば、正当というのは、結局妥当であり、正しい適切であるといつたようなことに落ちつくわけでございますが、それでは何にもならん、国民も何を基準にして正当、不正当を判断するかという面で迷うわけでございますが、これを具体化するのが法律でございます。憲法の大精神というものは、つまりそういうふうな公共の福祉というものと個人の自由というものに対して犯罪捜査或いは公判手続に伴う身柄の拘束というものがどの程度まで行くかという点に問題の重点があるのでございます。
  51. 亀田得治

    亀田得治君 少し説明が進んだと言いますか、変つて来ましたが、結局そうしたら憲法三十四条の正当なる理由というのは、言葉を換えて言えば、公共の福祉という意味なんですか。あなた今公共の福祉という言葉を二、三回お使いになりましたが……。
  52. 岡原昌男

    政府委員岡原昌男君) もう一度御説明いたしますが、公共の福祉というものと個人の自由というものが、犯罪捜査或いはこの刑罰権の行使という面で非常に密接な、或いは丁度反対の面がぶつかり会うことになるわけでございます。その間に調和をとらなければいかん。その調和をとるというのが正当の理由の有無を判断する基準になる、こういうような趣旨でございます。
  53. 亀田得治

    亀田得治君 まあ一応そういうふうに聞いておきましよう。これは併しなんですね、先ほどからの御答弁のような考えでいろいろ刑事訴訟をいじられたとしたら、これは大変私不満だと思います。  それから次にもう一つこれに関連する問題として、百五十三条の二ですね。今度の改正法百五十三条の二、まあこれを作られておる気持も私は了解できますが、併し証人というものを一時警察に留置しておく、こういう考え方は極めて適切じやないと考えるのですが、どうでしようか。
  54. 岡原昌男

    政府委員岡原昌男君) 証人と申しますのは、或る事件について特別な知識があるわけでございまして、その知つておる点を裁判の内容に反映させたい、ところが本人が再度の召喚をいたしましても出て来ないという場合に初めて勾引状が発せられるわけでございます。百五十二条にこの規定があるわけでございますが、きようなことになつて参りますのは、要するにかけ替えのない人である。例えば鑑定人等についてはこの規定が準用されておりませんのは、或る大学の先生がその点の専門家であるといつたような場合にも。ほかの大学にもそういう専門家があり得るので、こういつた人は勾引するということはないわけでございますが、証人というのは或る事件の現場に居合わしてよくそれを見ておつたというようなことで、その人でなければその当時の模様を再現して法廷で陳述することができないと、かような人でありまするので、是非とも裁判所に出てもらいたい、これが勾引状の出る趣旨でございます。もう止むを得ないが本人の身柄を拘束してもこれを法廷に連れて来なければいかんと、かようなことになるわけでございます。従いまして、その勾引状の効力というものは身柄を拘束するという趣旨が当然含まれておりますから、それに伴つて、連れて来る途中に例えば真夜中に差しかかつたという場合に、その本人の利便を考えてこれは適当な場所に一時泊つてもらうということにしたほうが妥当であろうと、従来はその規定がございませんためにもう夜通し、夜に夜を継いで引つ張つて来ると、例えば遠くの三十何時間もかかる鹿児島から仙台に連れて来るというような場合には、これはえらい騒ぎでありまして、これは途中泊る規定がございませんので、もう乗りつ放しで駆けつけるというようなことになりざるを得なかつたのでございまして、この点の不便を矯正しようと、かような趣旨でございます。
  55. 亀田得治

    亀田得治君 これは併し罪人ではないのですからね。憲法のどういう条文でこういうことをやられるのですか。
  56. 岡原昌男

    政府委員岡原昌男君) 罪人でないことは勿論でございまして、被告人の場合には最寄りの監獄に留置するということになつております。被告人にあらざる証人、つまりその事件について他にかけ替のない知識を持つておるというふうな大事な証人でございますからして、これに対して是非とも法廷でその当時の事情を述べてもらいたいということになりまするからして、そこで勾引状が出ると、かような順序になるのでございまして、特に憲法条文を引くまでもないのでございますが、(亀田得治君「確めておきます」と述ぶ)先ほど申した三十一条になるわけでございます。ちよつと附加えておきますが、これは根拠法というわけではないので、違反しないという程度に御理解願いたいのでございます。
  57. 亀田得治

    亀田得治君 これは私はこういう改正法が出る前から非常に疑問を持つておるのです。こういうやり方については、成るほど証人が出て来ないと、これは随分、若し必要な証人であれば、国家の義務に違反するとか、そういう面は考えられるのです。併しそういう人を勾引する、無理矢理に引つ張つて来るこれは私どうかと思うのですね。  一般の犯罪なり民事事件にいたしましても、確かに証拠はあるのだけれどもうまくそれが揃わないのだと、こういうことは幾らもありますよ。たくさんあることなんです。それを人間に限つて是非とも力ずくででも引つ張つて来なければならん、こういう制度そのものが、私実は憲法との関連でこれは疑問を持つておる。あなたたちはもう当然と思つておられるかも知れませんが、そういう疑問を持つていたのですが、そこへ持つて来て、今度はもう「警察署その他の適当な場所」こうなつているから、これはまあこういうふうになれば皆警察へ入れて置きますよ、暫く……。証人に対する勾引そのものが問題にさるべき点があるのに、今度留置までする、こういうふうなことが憲法上許されるかどうか、こういうことはどうですか、審議会で問題になりませんでしたかね。
  58. 岡原昌男

    政府委員岡原昌男君) もつぱら今回の改正はこの証人の人権の保障と申しますか、その面から立案したものでございまして、のみならず元の、元のと申しますか、現行法規定の証人に対して勾引状を出すという点については、これは従来学説全部別に違憲ということにもなつておりませんので、さような点については特に問題はなかつたわけでございます。
  59. 亀田得治

    亀田得治君 これは従来のように、なんでしよう、少し手数がかかりまして、警察へ留置するとかそんなことをしないで丁寧に扱うのが当り前じやないですか、どうですか。
  60. 岡原昌男

    政府委員岡原昌男君) 私は丁寧に扱うと申しますと、例えば三十時間あるようなところを汽車に乗りつぱなしに連れて来るよりは、途中もよりの警察の保護室にでも、保護室は或いは御存じないかも知れませんが、畳敷きの炊事場のない部室でございます。そういうところで泊つて頂いたほうが楽ではないだろうか、かように存ずるわけでございます。
  61. 亀田得治

    亀田得治君 こういうことは従来どれくらいあつたのですか、そんなに余計はないでしよう、証人の勾引ということは……。
  62. 岡原昌男

    政府委員岡原昌男君) ちよつと只今手許に統計はございませんけれども、証人に対する勾引状というものは必ずしも少くはございません。ただ夜を日についで護送するというのは、実務家のほうからちよいちよいあれは気の毒だからという声を特に裁判所等から出されておつたわけでございます。数としてはちよつと今のところわかりかねます。
  63. 亀田得治

    亀田得治君 私の意見との食い違いは一応そのままにしておきましよう。  それから次に憲法三十五条との関係でお尋ねしたい。それは今度の改正法の二百十九条の二が一種の緊急差押看守というふうなことになるのですが、私これは明らかに憲法三十五条に違反するものと思う。実際上は令状を持たないで勝手にそれ以外の場所に対して拘束を与えておる、こういう状態が生まれて来るのだと思うのですが、第三十五条との関係はどういうふうにお考えになりますか。
  64. 岡原昌男

    政府委員岡原昌男君) これは三十五条は御承知の通りこの住居、書類及び所持品について押収、捜索等をする場合には、正当なる権限に基く令状がなければならん、こういうふうな趣旨に書いてございます。そこで今回二百十九条の二を新らたに附加えんとするゆえんのものは、さような令状がすでに出ておる。そのものは確かにその場所に、その場所と申しますか、令状記載以外の場所に現認された。併し物は特定はいたしましても、実際に場所が違つているから、これに手をつけるのはどうか、そこまでは従来手が伸びないわけでございます。そこでさような場合にこれを遠巻きに看守するということは、これは新たに令状を持つて来るまでの間の、つまり令状差替えまでの間の暫定的な措置がございます。そうしてそれは憲法精神に何も反していない。かような趣旨からこれを取入れようとかようなことになつたわけであります。
  65. 亀田得治

    亀田得治君 憲法趣旨に反しないでどうしてそうし得るのですか、三十五条にはそんな例外ということが書いてありますか。
  66. 岡原昌男

    政府委員岡原昌男君) 「侵入、捜索及び押収を受けることのない権利、」はと書いてございます。看守を受けることのない権利とは書いてございません。
  67. 亀田得治

    亀田得治君 むしろ憲法精神から言うならば、そういう正規の令状を持たないで自分たちの生活の範囲を看守されることはない。これは言葉は足らんかも知れんけれども、そういう意味でしよう。住居の不可侵と世間の人が言つているのはそういう意味ですよ。むしろそういうふうに解釈すべきなんで、言葉が一つ二つ抜けておる、看守という言葉がないから看守という言葉にしておけばいいのだ。看守という言葉はあつたつて実際上は住居に対する圧迫でしよう。これは私ども成るほど警察官が捜索に行つてどうも一軒間違つてつた、隣りにあるのだ。そういう場合もありますよ。ありますが我々規定を作る場合いつも注意しなければならんのは、間違う場合がたくさんあるわけでしよう、濫用される場合が、憲法がそういうことを恐れて令状なしでは自分たちの住居は犯されないのだと、こういう意味で書いてあるのです。これは明らかに令状はないけれども暫く見張りをして置く、こういうことなんです。これは明らかに矛盾ですよ。これは議論になりましたかね、三十五条との関係……。
  68. 岡原昌男

    政府委員岡原昌男君) この点は法制審議会においても議論になりまして、それで、これは三十五条との関係で正しいというふうな結論なつたわけでございます。
  69. 亀田得治

    亀田得治君 そのなつ理由先ほどあなたのおつしやつたように、憲法条文には看守ということは書いてないから看守の程度ならばいいのだと、そういう意味ですか。
  70. 岡原昌男

    政府委員岡原昌男君) 理由としてはいろいろあつたように記憶しおりますが、要するに憲法の全体の精神、つまりどの程度まで個人の住居の平和を守り、或いは物の差押え等から守るかという点と、犯罪捜査というものはどの点まで行き得るか、いわゆる公共の福祉との関係がどの点まで行き得るか、この調和の問題として議論をせられました。而してこの憲法条文精神から行つても反しないと、かような結論なつたように記憶しております。
  71. 亀田得治

    亀田得治君 そうすると何ですか。憲法条文並びに公共の福祉というふうな実質的な面と二つの考慮の下において憲法に反しない、こういうことですか。
  72. 岡原昌男

    政府委員岡原昌男君) 公共の福祉という言葉をそうたやすく用いたのではございませんので、公共の福祉と個人の自由との調和の点、こういう面からものを見る、かような趣旨でございます。
  73. 亀田得治

    亀田得治君 その調和の点をこういう問題について考えていいという根拠はどこにあるのですか。
  74. 岡原昌男

    政府委員岡原昌男君) それは根拠というよりは学説でございます。すべての憲法学者がこの点について触れております。
  75. 亀田得治

    亀田得治君 これは学説ということではおかしいのでして、その学説がやはり憲法のほかの条文なり、条文に基いた学説であるべきはずです。そんな憲法の条項に基かないようなそういう学説であれば、これは何らの……、私はそれは希望意見ですよ、単なる学者の恐らくその学説を立てられるかたはどつかに憲法上の根拠は求めておられるはずで……。私も想像はつくのですけれどもね、その審議の過程で明らかになつておればその点お示しを願いたい。
  76. 岡原昌男

    政府委員岡原昌男君) その点が法制審議会の速記録に載る程度議論が沸騰したかどうか、これは私もちよつど古いことで記憶がございませんが、公共の福祉という規定憲法第十二条、十三条の規定にございまするので、それとの調和の問題と、かようなことになるわけでございます。これはすべての個人の自由その他の権利の行使について十二条、十三条というものとの調和が考えられる。これはもう憲法学者のすべてがとつている説でございます。
  77. 亀田得治

    亀田得治君 そうすると、あなたがさつき三十四条についても公共の福祉と個人の権利との調和という意味のことに触れられましたが、それは十二条、十三条憲法上の根拠としてはそういうところに足がかりを一応求めておる、そういうことですか。
  78. 岡原昌男

    政府委員岡原昌男君) 足がかりと申しますか、規定は十二条、十三条にあるわけでございます。この精神は、そうして憲法全体に通ずるものであろう、かように考えるのであります。
  79. 亀田得治

    亀田得治君 その議論一つ又別個にまとめていたしたいと思います。そこで一つだけ関連してお聞きしておきますが、例えば甲という家を目標にして来たところが、どうもその警察官がぼやぼやしておつて、それで実際は乙の家なんだ、乙の家を対象にして令状を出して欲しかつたのだ、そういう場合がありますね。ところが甲の家へ行つてだめだということがわかつて、乙の家を看守する。この規定で……。その場合公共の福祉とどういう関係があるのですか。乙の人だけの問題じやないのですか。
  80. 岡原昌男

    政府委員岡原昌男君) 公共の福祉という言葉はそういう個人の甲とか乙とかの問題ではないのでありまして、犯罪が起きた。これに対して捜査権はどの程度まで行き得るか、司法権はどの程度まで行き得るかと、こういう大きな観点と、その甲なり、乙なりの家の人、これがまあ個人の自由になるわけでございますが、それとの間の調昭、さような趣旨でございます。
  81. 亀田得治

    亀田得治君 そうすると、その近所の一人、二人の問題じやないのだと、そういう意味ですね。もつと大きな国家の司法権、捜査権、言い換えればそれがつまり公共の福祉なんだと、こういう意味ですね。
  82. 岡原昌男

    政府委員岡原昌男君) 大体そうでございますが、ただ司法権とか、或いは捜査権ということ自体が公共の福祉というのではなくつて、公共の福祉を守るために、その司法権或いは捜査権というものが動いて行くのだというふうな観点からものを眺める必要があろう、かような趣旨でございます。
  83. 亀田得治

    亀田得治君 そうなると、そういう捜査権、司法権と別個の公共の福祉というものをその際予定しているようですが、それはどういう公共の福祉ですか、具体的に……。
  84. 岡原昌男

    政府委員岡原昌男君) 憲法第十二条、十三条に申します公共の福祉というのは極めて広い概念でございまして、広いというのは要するに一般大衆の利益或いは幸福に関するものというふうないわゆる漠然たるものではございますが、併し概念的には或る程度世間一般の納得するようなものができ上つておるのでございます。その一つの面といたしまして犯罪の発生した場合には、これはやはり何とか手当をせねばいかんというのがまあ出て来るわけでございます。その際にそれは当然悪いことした人の身柄を拘束するという問題もございましようし、或いはその犯人が物を投込んだ、その家の庭から、例えば殺人ならば、凶器を拾つて来る必要もございましようし、そういうような面からものを考えなければいかんと、さような趣旨でございまして、その短刀なり、刀なりを投げ込まれたものは全くいわば迷惑至極な話で、何も自分がいわれ因縁がないのに、自分の庭にどやどやと入つて来られると、そういうような面は公共の福祉の面から忍従しなければならんというその調和をどこにとるかというのが刑事訴訟法規定で具体的にこれを現わしていると、こういう趣旨でございます。
  85. 亀田得治

    亀田得治君 それはうまくそういうふうに的が当つた場合には言えることなんです。ところが的外れに、隣りの家まで看守する……。
  86. 郡祐一

    委員長郡祐一君) 速記をとめて。    〔速記中止)
  87. 郡祐一

    委員長郡祐一君) 速記をつけて。
  88. 亀田得治

    亀田得治君 今刑事局長のお答えになつたように、隣のほうも看守した、それが丁度うまく的が当つていた、そういう場合には公共の福祉に結果から見て合致することになる。ところがこれは必ず間違いを起す場合がたくさんあるのです。そういう場合には一般の人は、荷くも人の家を看守されたりするのに、そんな根拠も令状も正式なものを持たないでやつて来られちや困る。それが百発百中じやなしにこれは間違うこともあるのですよ。こういう気持をやはり持つております。そうするとそういう場合には公共の福祉に合致しませんじやないですか。
  89. 下牧武

    説明員(下牧武君) 御尤もなお尋ねだと思いますが、本来ならば現在その物がある所に向つて令状を求めるべき場合だつたと思います。ですからそういう場合にその間違つたことの責任はこれは警察官なら警察官、或いは検察事務官として負わなければならないと思います。現にその差押えるべき物がその場所にある場合に、その散逸を防ぐために、すぐにどかどかと踏込むのじやなくて、まあ遠巻きに実はこういうわけだから見ているのだという程度でやることは、これはやはり捜査の必要上社会的な通念に従つて許される程度のものであり、その意味において公共の福祉との関係においても調和点が見出だされるのじやなかろうか。まあこういう結論になると思います。
  90. 亀田得治

    亀田得治君 これはなかなか重大な問題でね。そういうふうな解釈を簡単にやりますと、警察官が令状をもらう場合に、行つて見てなかつたら、まあこれで行けるのだから二、三軒隣りあたりまでは何とか行けるわいということでやるならば、非常に杜撰なものを出します。ただルーズになるだけなんです。結局そんな警察官の頭の悪い捜査の仕方、それを公共の福祉を実際は犠牲にして救済してやる、そういう結果に私はなろうと思うのです。それは規定を緩められれば緩めただけそこまで又後退します。きつくしておけば、捜査官のほうで一生懸命勉強していろいろなところから探り当ててここでこうやります。それが私は憲法の三十五条に忠実なゆえんだと思うのであります。公共の福祉が大分たくさん出ておりますが、こういう場合に果して公共の福祉と言えるか、これは間違いなく個人的な問題であります。どこそこにも起きたというようなそういう公の問題じやないのであります。これが経済界にどうい影響を与えるか、そんな問題じやないですよ。公共の福祉ということの概念自身が今随分問題になつておりますけれども、この憲法の司法官憲の、基本的な人権を拘束するために公共の福祉なんということを持つて来られたら大変なことになるのじやないかと私は思うのですがね。もう少し説明願いたい。
  91. 下牧武

    説明員(下牧武君) 只今の設例の場合は、極く例外的な場合だと存じます。それで本来この規定の狙つておりまするところは、ここにあると実際思つて、そこへ乗り込んで見たところが、これは現に実例のあつたことでございますが、その証拠品をぱつと移してしまつたり、そうしたような形勢が如実に現われた場合も少なからずあつたわけであります。そういう場合に、それがどこえ行つたかわかつているにかかわらず、それを押えられん。それじや困るじやないか。と申しますのは、これは成るほど犯罪捜査とそれから個人の個人との間にいろいろフリクシヨンは起る。あのフリクシヨンは、これは成るべく避けなければならんと思いますが、やはりその治安維持の面から捜査のほうは十分遂げる。やるだけのことはやる必要性がございますので、その分をどこで押えるか。で、そういう場合に明らかにその令状には物が記載されていますから、じやその物を押えればいいじやないかという議論も成立つかと思いますが、やはりおつしやつた憲法規定もございますので、それじやすぐ踏込んでつかまえるのは、これは何と言つて違憲の疑いがある。然らばその程度をどこへ置こうか。それじや遠巻きにしておいて、それがよそに移つて、その証拠が散逸するということのないように、この程度でとめたら如何か、この線にやれば一般人が納得を得る程度の合理的な線があるのじやないか。かように考えるわけであります。ですから濫用とか間違つた場合というのを予想いたしますと、これはけしからんということは言い得ますけれども、現に犯罪の証拠物がそこにある。それが散逸をするのを押えるために、遠巻きに、而も一応断つて、そして遠巻きにそれを見ているという程度であれば、まあまあ許されるのではなかろうか。ですから公共の福祉で以てすべての基本的人権を押えるという頭じやなくて、すべて基本的人権と公共の福祉というものは、一つのバランスにかかつて、そして一般人の、健全なる常識を持つた一般人がこの程度ならば調和がとれるのではなかろうかという、そういうところに一つの線がある。ですからやり方として飽くまで理想的に、成るべく個人の権利の侵害のないようなやり方に持つて行くのが理想だと思いますけれども、現実にそういう不都合が生ずる場合の救済ということもこれは考えなければならん点だと、かように考えます。
  92. 亀田得治

    亀田得治君 これは実際問題として、その場所に臨んだ警察官の主観的な意見で処理されて行きます。決してこれを看守していいかどうかというようなことについて裁判所意見を求めるわけではない。で、これは随分濫用の虞れがありますよ。あなたがさつきおつしやられたように、こういう法律なしで違つた場所にあるものを押える。これは違憲の虞れがあるとおつしやいましたね。そうすれば、違憲の虞れがあるものであれば、法律にこれを書いたところで、法律そのものが違憲じやないですか。私はそのことを言つている。こういう法律自身が違憲じやないか。で、捜査の苦心というのは私どももよくわかつているんですよ。わかつておりますが、いろんな処罰をしたり、一定の結論を出すには、こちらが希望する証拠が全部集まらん場合だつて仕方がないと思うのですね。それを全部無理やりに集めよう。そういうことは私は必要はないと思う。全部集まらなくても処罰できるものはできるでしようし、憲法に違反するかどうかというふうな、すれすれのことまでやつて、そういうことをする必要はない。そういうふうに考えております。で、現行規定で、若しそういうふうな差押えをやれば違憲の虞れがあるとおつしやつた。そうすれば法律を作つたつて違憲になりませんか、その法律自身が……。
  93. 下牧武

    説明員(下牧武君) この規定は、すぐ差押えをすることは書いてございません。遠巻きにしておいて、そしてその差押えの目的物、いわゆる証拠物が散逸することを防ぐというために、遠巻きにしておくだけということです。それを踏込んで押える場合には、違憲の虞れがある。だからそこまで規定はできない。併し遠巻きにしておく程度ならいいじやないか。こういう趣旨でございます。
  94. 亀田得治

    亀田得治君 それで、看守という言葉が使われていると思いますが、一つの住居に対する拘束を外部から与えている。遠巻きにして与えている。こういうことは同じじやないですか。こういうことは許されておらんと思うのですね。
  95. 下牧武

    説明員(下牧武君) 遠巻きにしていることもやはり個人の住居に対する一つの侵害であると思います。併しながら、そこに先ほど申上げたように、犯罪捜査の必要の面からすれば、それをまあ先ほど局長からも公共の福祉という言葉で現わしておりましたけれども、そういう面に対する必要性とそのやり方の程度の問題で、この程度ならそう無理がかかつているんじやなかろうと思われる線、これが健全な社会常識によつて、一般人の通常の健全な観念によつて、こういうふうに思われる線が、これが公共の福祉といわゆる個人的自由の制限どのバランスの問題、その線をこの規定は入れていない。これならばまあ誰が見てもこの程度ならよろしかろうと納得され得る程度じやなかろうか。かように申上げているわけであります。
  96. 亀田得治

    亀田得治君 一応この程度にしておきます。
  97. 中山福藏

    ○中山福藏君 時間がまだあるようですから、ちよつと聞いておきますが、この勾引状を持たずに、警察官がよく個人の家に行くのでありますが、そうすると、あとでそれが問題になりますと、任意出頭して来た。だからわしのほうじや調べたのだと、こう逃げるのですね。こういうことが頻々として現在行われつつあるわけなんです。こういう点について何かあなたのほうで相当の手を打つておられるかどうか。ちよつとお尋ねしておきたいのですがね。これはやはり刑事訴訟改正に関連しておりますから……。
  98. 下牧武

    説明員(下牧武君) 直接具体的な点につきまして、事件につきまして、検察官としては、警察官に指揮権を持つておりません。ですから検察官として、警察官にそういうことの指揮をしているということはございません。ただ、今お尋ねのような事情は、これは或る程度任意出頭と申しましても、警察から参りまして、おいちよつと来てもらいたい、こういうことになります。れば、これは心理的な強制を受けるということは、これは免かれ得ないことだと存じます。この程度の心理的強制の面までこれが何といいますか、実力の行使だというわけには参らないと思います。ですから直接腕を持つて引張つて来るということ以外に、それしか逃れる途がないような程度まで強制力が加えられれば、これはやはり実力の行使ということになると思います。ですからその任意出頭の場合にも、その辺にいろいろなニュアンスが具体的な場合にあるのじやないか。ただそれを行き過ぎた程度に、令状も持たずに、非常な強制力を加えたような形において引つ張つて来るというようなことは、これはよろしくないことだ、又もう一般的には警察の職務規程とか、その点で、その辺のことは自律的に警察のほうで、規定の上では押えてあることになつていると思いますが、具体的には、間々この程度の行き過ぎの場合もあるかと存じます。
  99. 中山福藏

    ○中山福藏君 これは昨日でしたか、お尋ねした頼まれ事件と非常に関連があるのでありまして、頼まれ事件には、往々こういうことになつて、この手段を使わなければなかなか目的が達せられんということになつている。こういう弊害というものはお互いに相当注意して矯正して行かなければならん点だと思つておりますが、だから念のために一応聞いておいたのですが、ここでついでに、今亀田委員のお尋ねになつております点でございますが、これは非常に重要な点だと思うのですが、公共の福祉という言葉が、これは憲法規定の中にも所々に存在しておるわけですが、大体定義的な観念、定義的な気持というものはどういうところにおいておられるのか、その定義的な内容を持つておられますか、あなたのほうに……。誰でもこれは常識的に考えられるですがね。公共の福祉と言えば一種の常識になつていますけれども、さらばこれを刑法或いは刑事訴訟法の上から言つてこういう線まで持つて行こうという最低線が一応きめられておるのかどうか、常識のままの公共の福祉どいうものを指しておられるのかどうか、一つ承わつておきたいと思います。
  100. 下牧武

    説明員(下牧武君) 非常にむずかしいお尋ねでございます。公共の福祉というものは、これはやはりその社会の情勢に応じて相対的に考えられるべきものであつて、基本的な考え方といたしまして公共の福祉というものはこういうものだという一つの固定線があるわけじやないと存じます。ですから、御存じのように、この新刑事訴訟法を作りました当時は、非常に理想的な姿を描いて、そしてその程度で一応人権の保障の制限も必要の最小限度にとどめておいた。ところがその後いろいろその当時予想しなかつたような事態が起きて参りまして、例えば公判における審理にいたしましても、訴訟法ができた当時はこれはもう普通に穏やかに審理が行われるという予想の下に作つておりましたところが、御存じのような事態も生じて参りました。そうなりますと、その当時引いておいた公共の福祉の線はこの辺だろうというところと、そういう事態が起きた場合にそれじや困るというその場合の公共の福祉という線と、こういうものは具体的にはやはりこの情勢に応じで違つて来るのだと思います。それで公共の福祉と基本的人権の問題との関係につきましては、これは御存じのようにいろいろ憲法学者の中でも議論がございまして、それで憲法に定められたこの基本的人権というものは、留保条項がない限りは公共の福祉で以つては制限ができない、こう割切つているのもございますし、それから公共の福祉のためなら基本的人権といえども一律にこれは或る程度の制限を受けることは止むを得ないんだと、こういう議論もございますが、これは両方とも私はこれはそう割切るべきものじやなくて、公共の福祉ということと基本的人権ということの相反するテーマを二つながら憲法上に出しておいて、そしてその間健全な国民感情によつてその間のバランスをとつて、そして片一方が行過ぎればこれはいかんということでお互いに調和をとるというのがこの憲法の行き方じやないか。議論をいたしますれば、それは基本的人権を重んじなければならん場合もございますし、公共の福祉が或る程度強くなる場合もございましようが、その二つのバランスというものが破れた場合にこれが違憲だということになるのじやないか。むしろそういう二つの相反する命題を規定しておいて、それをこう互いに天秤にかけていいところで調和を保つて行くように法律なり或いは国政を運営して行くというのが憲法精神であろう、実はかように考えて曲るわけであります。具体的に定義を挙げろと申しますると、これは非常にむずかしいことで……。
  101. 中山福藏

    ○中山福藏君 そこはもう大変なこれはむずかしいところでしよう。又こうだという定義も個々の人によつては違うだろうと思うのです。私がお聞きしたいのは、一体検事一体の原理で、大体指揮権を持つておる最高の地位にある検察官が指揮する。そうすると若い人と年寄りの頭は違うのですね、この公共の福祉に関する観念というものが違う。そこで判事の場合はこれは個々別々に独立した立場というものからその個人の個性による公共の福祉が現われて来る。検事の場合はそうは行かん。私が心配するのは、検事というものは最高の地位におられる人は相当の年寄りです。私と同じような年寄りですね。そうすると頭がいわゆる旧憲法時代に鍛われた頭なんですよ。だからそれが新らしいいわゆる新憲法の民主主義の徹底した性格を把握しておるかどうかということは、非常にこれは問題だと思うのです。それで私はこういう点について検事と判事の立場の違つた点からこれはお尋ねしておるわけなんです。あなたに本当のことを申上げますがね。だから若い人の気持というものを年寄りの頭で判断して起訴するという手続になつて来ますと、大変なそこに時代感覚のズレが生じて来るわけですね。これがまあ検察権を取扱う人の最も注意しなければならん事柄であるし、同時に若い者に対して親心というものがなくなる、下手するとですね。だから時代感覚というものをどれだけ検察当局が持つておるかということは大事なことでして、若い人と年寄りとが命令服従という関係に立つておる検事というものは、若い気分でこれは起訴しちやいかんと思つても、年寄りの古い上司から言われますと、起訴せざるを得ないという立場になる。それで私が検察当局においては一定の公共の福祉に関する線を引いておかなきやならんと言うのはそこなんです。そういう点を今お尋ねしておるわけなんです。殊に憲法の第十二条に、公共の福祉に反する場合は基本的人権すらも一応制約していいというような気持が現われておりますがね。ところが憲法のどの条項を見てもこれははつきり現われていない。ただそれは書きつ放しなんですね。憲法学者の書く書物を繙いてみても、おのおの又これは線が違うわけなんです。そういうことでありますから、私は検察殊に、刑事局にあなたおられますが、刑事局においては殊にこの問題は大きな問題だと思うのです。これは私は、教育問題とも関連しておる問題であつて誠に重大な問題だと思います。大体日本の今の指導的な立場にある人はどういう頭を持つておるかと申しますと、品では民主主義を説くのです。又憲法の各条を事細かに説明する能力は持つておるわけです。各国の先例或いは歴史の上1から誠に御尤もな説明をなさいまするけれども、さらば道徳の概念とか或いは経済上の慣例とか、国民的生活様式という点に行きますというと、全部ことごとく旧帝国憲法時代の方式なんですよ。だからもとの旧帝国憲法は日本人の性格を盛り上げた標準としての憲法、現在のはそうじやないのです。天降りの憲法であつて、肉もなければ皮もない憲法なんです。ただ説明するときだけが民主主義という言葉を以て表現しておるだけなんです。だから起訴する場合も、古い考えで皆やつておるのです。そうして新らしい憲法から出発した法律に合わして行こうというのだから、ここに学生、若い者に対しては一種の悲劇というものが生じておるのじやないかと思つて私は非常に同情しておるわけなんですがね。だから公共の福祉に対するところの刑事局の態度というものは、こういう点に十分な関心を持つて頂きまして、この新旧憲法の間隙から発足しておるところの刑事政策の何と申しますかやり方を十分一つ考えを願わなきやならんと実は思つてお尋ねしておるわけです。若し何でしたらこういう点について一定の何と申しますかね、範疇と申しますか、カテゴリー式なものをちやんとこしらえて、まずこれくらいのところに持つて行けばこれは公共の福祉に反したものだろうというようなことくらいは一遍一つあなたのほうで御研究しておいて頂きたいと私はお願いするわけなんです。
  102. 下牧武

    説明員(下牧武君) 御尤もなお説でございますが、先ほども申上げました通り、この公共の福祉というものが、変に線を引きますと、これはもう動かないものになります。公共の福祉と基本的人権関係というのは、絶えず総体的な面において考えなきやならん。それで憲法なら憲法が非常に理想的にできておる。訴訟法なら訴訟法が理想的にできておる。併しその理想が現実に壊されているということになれば、やつぱりそこの手当をしなければならん。そういう面で具体的な事情を見た場合に、これはどの程度までのものが許されるだろうか、こういう個々の判断になるわけです。それでそこに一つの不動の線を引くということになりますと、それはむしろ弊害が出るのじやないか、能力の問題もおつしやる通りでございますけれども、それ以外にやはり固定した線を引き得ない本質のものじやなかろうか、かように考えます。それとこの若い検察官と、年寄の検察官の問題でございますが、これは私の経験から申上げますと、個人の、一人の判断というやつは非常に危険なのである。それで自分では十分研究したつもりで、これでこれがいいと思いましても、いろいろたくさんの賛を聞いてみますと、やつぱり抜けたところもあり、個人の力というものは私としては知れているものだ、やはり多くの人の意見を聞いて、そうして大体の多数の人が、まあこれならというところで治まる意見というものが正しいのじやなかろうか。そういうわけで検察官が一定の原則というものを悪用いたしますれば、上からの命令ということになりますけれども、これを善用いたしますれば、上に通じて全体の議論を尽した上で結論を出すといういい面もございますので、そういうふうに運用すべきじやないかと、かように考えます。それで個人的な関係を申上げますと、例えば裁判官にいたしましても、憲法上の問題が起きる、それは最後の判断はその裁判官自体が良心に従つていたしますけれども、その結論を出すまでには、やはり個人の裁判官といたしましても各方面のいろいろな意見を聞き、場合によつては鑑定・証人というようなことで、その道の権威者を呼んで、法廷で正式に意見を聞く、又自分でも本を読むというようにして、各方面の意見を聞いた上で最後の判断をする、こういうふうに実情はなつておるわけでございます。でございますから、とにかく個人の判断で以てすべてを行うということが最も危険なので、検察官の今の組織も、やはり新旧の頭のズレというものはございますけれども、その間にお互いに論議を尽して調和を保つたどころで治めて行くというのが本筋じやなかろうか、かように考えております。で仰せになりました点は上司にもよく伝えまして……。
  103. 中山福藏

    ○中山福藏君 実は刑事局に参りますと、上司がきめてほかの人の意見を聞きません。これは実際に言うと、成るほど判事の場合には今おつしやつたような場合がままあります。併し検事の場合は、大体次席検事がきめておるようでありますが、ただ非常に重大な問題は、検事長か、検事正がおきめになりますよ。まあ一つどうぞそういう点はよろしくお願い申上げておきます。
  104. 亀田得治

    亀田得治君 中山先生から、公共の福祉を質問されたので、ついでに一つ関連してもう少しお尋ねしておきたいと思います。今の御説明を聞いておりますと非常に足りないのですよ。そんな最高の尺度がぐらぐら変るものでは私はないと思います。そのときの情勢によつて変るとか、そんなことでは私はないと思う。変るところもあるかも知れんが、全体に変らないという部分があると思うのです。でこういうことはお考えなつたことはありますか。まあ人権問題と公共の福祉ということは絶えず衝突する面はございますが、誰か一人の非常に人権蹂躙の問題が起きた、こういう事件の処理ですね。その人権を守つてやると、これは随分な努力が要ります。そのためには圧迫されて困つておる人の人権を守つてやる。併しそのことは一つだけできますと、この憲法で保障しておる基本的人権というものの考え方がずつと拡まつて来るのですね。でこれは随分いい公共の福祉の問題だと私は思つておる。決してその人一人の問題じやないのですね、で基本的な人権という問題は、恐らくそういう性格のものであると私は思うのです。だから公共の福祉の名において人権を侵害するということが実は公共の福祉に反して来るということが言えるのですね。ただ公共の福祉という立場考えながらも、そういう人権の問題になると、お互いに皆判断に苦しむわけなんですよ。だからそういうわけですから、それを私どもも基本的人権というものは公共の福祉に対しても具体的に楔を打込めるような根強いものを持つているのですね。憲法の中にも書いてある。これは人類永久にこれを失わないように皆努力しなければならん。ほかのことにはこんなことを書いていないのです。人権の尊重、人格の尊重をして行くことが公共の福祉、これが侵害されたら、公共の福祉も消滅してしまう。だからこういう面からも言えるでしよう。大体人権が侵害されがちですわね、役所とかそういう支配者からは……。これはもう歴史的にやつぱりそうです。でそれに対する人権ですからね。だからこつちの左のほうに重みを置いておいて、いい加減なものだろうと思うのです。そうなると公共の福祉というものを、そんな漠然としたものではなしにまあ各人の判断に任す部分もあるけれども、この部分は絶対にもう裁判所であろうが、検察庁であろうが、或いは国会であろうが、内閣であろうが、ちやんとこうはつきりしておかなければならん点があるはずなんです。これは学者に聞いてもわかりませんし、裁判所でもまちまちですし、それじやどこできめるかといえば、むしろ今の最高機関といえば国会ですから、もつと国会なんかがこういう問題について、その中でも法務委員会というものがあるのですから真剣にこれは考えなければならんと平生から思つている。重大な問題になつて来るといつもそういう問題にぶつかる。それで刑訴審議にもこの問題が出ますけれども、あなたのほうで今おまとめになつておる法務省としての公共の福祉の考え方ですね、先ほど一応口頭でお聞きしたのですがね、我々の考え方を発展させる一つの足場として、何か文書にこの程度ならいいだろうというようなところをまとめて出してくれませんか。それも一つの参考にして、僕らは少しこの問題の概念というものを追究してみたいと思うのですよ。何かのやはり収穫はあると思うのです。
  105. 郡祐一

    委員長郡祐一君) ちよつと速記をとめて。    〔速記中止〕
  106. 郡祐一

    委員長郡祐一君) 速記を始めて。
  107. 下牧武

    説明員(下牧武君) 具体的に公共の福祉が如何なる場合にもあてはまつて、びしつとそのどれがどこで線が引けるかという定義的なものをまとめることは、これは非常に困難だと思いますが、公共の福祉に対する基本的な考え方、この線は一応まとめることにいたします。
  108. 中山福藏

    ○中山福藏君 ちよつとそこであなたに、それをおまとめになるときの御参考に申上げておきたいと思いますが、旧憲法は主権在君だつた。今度は主権在民ですから、それでこれは歴史の上から道徳心というものが発展して、これはいわば公共の福祉というのは主観的立場から見た一種の道徳観です。だから非常にむずかしい。ですから、始終道徳は移行して行く、発展性を持つておるのだから、だからそういう一つの範疇をこしらえるということは非常に至難でありますけれども、大体今度はその主権在民の立場から、この公共の福祉はこういう線のうちに弾力性を持つて伸びて行くんだというところをお示しにならんと、あの古い道徳観で公共の福祉をお示しになると、我々の考え方と相当開きがあることになるのです、本当は……。それでですね、多くの書物は、公共の福祉が旧帝国憲法時代の思想で行つておる。あの憲法に現われてありますることを見ておりますとね。私はそれでいつも考えておるのですが、大体日本の現在の識者というものは、新憲法を生かすために、旧憲法時代の考え方を持つて、これに着物を着せたり肉をつけたりしようとしておる。そこに非常に精神的な苦しみを皆持つているわけですね。今日の政治家は殊にそうです。政治家は訳のわからんのが多いのです。それぐらいの頭しかない。そこが本当に日本の国民というものはお気の毒だと私は考えておるわけなんです。そこで私は、日本の司法制度は敗戦後日本の誇り得るただ一つの残されたものだと見ておるのです。その中に幡踞と言つては失礼だが、あなたのような若いかたがたはこういう点に特に御注意願つて、移行する、発展性のあるいわゆる公共の福祉の考え方を年寄りの連中に注入して頂かんといかんと思つております。だから私は亀田さんのあの質問に牽連して、今日は人も少いからこうしてゆつくりとあなたにお願いしておるわけです。殊に私は、司法官の方々が新旧憲法と日本の移行する道徳の姿というものをきつちりと照し合せて、そうしてそこに一つの新らしい、何と申しますか、公共の福祉の概念というものをお示し願うほうがいいのではないかと実は考えておりますがね。この問題を考えなければ、日本は阿波の鳴戸のような社会に思想的にはなつてしまうのです。この阿波の鳴戸のような思想にともどもに巻き込まれておるというのが今日の上層階級の姿です。それだから国民というものはその苦しみから抜け出すことができない立場にあると私は見ておるのですがね。どうかそういう点は十分一つ考えを願いたいと思います。
  109. 下牧武

    説明員(下牧武君) この公共の福祉の概念をお望みのように示せるかどうかはちよつと私お約束いたしかねますが、どういう頭で公共の福祉というものを考えておるかという基本的な考え方、これなら申上げられると思つております。
  110. 赤松常子

    ○赤松常子君 私問題が違いますけれども、たしか三、四回前の法務委員会にお願いしておいたことでございますが、最近新らしい職業分野といたしまして、こういう司法関係に婦人のかたがだんだん出て参りました。そのかたがたの御成績や或いは適否というようなものを一応お願いしたいと思つておりましたが、これをお示し下さい。  それからもう一つは、司法試験法の一部改正に関連いたしまして受験料の割合と試験をなさいますときの費用の割合をお示し願えたらということをお願いいたしておきましたが、その資料をどうぞお願いいたします。
  111. 郡祐一

    委員長郡祐一君) 私から赤松委員に申上げますが、前段お話の資料はできて参りまして、本日多分皆さんのお手許に御配付申上げたと思います。  それから司法試験のことにつきましては、私からもこれは至急督促をいたすことにいたしますから、又下牧君のほうからも関係の部局のほうに言つておいて下さい。  それでは暫時休憩いたします。午後は一時半から再開することにいたします。    午後零時十六分休憩    —————・—————    午後一時三十八分開会
  112. 郡祐一

    委員長郡祐一君) 午前に引続き委員会を開きます。  刑事訴訟法の一部を改正する法律案について質疑を続行いたします。
  113. 亀田得治

    亀田得治君 では憲法三十七条ですね。この関係で少しお聞きしたいと思います。この改正法の二百八十六条の二、これによりますとその当事者が欠席のままで裁判を進行するという規定があります。最初にお聞きしたいのは、憲法の三十七条では速やかに公平な裁判を受ける権利を持つている。それに対して義務ということを書いておりませんがね、どこにも憲法の……。これは被告人裁判を受ける問題ですね。この二つの問題を提案者のほうではどのように憲法解釈しているという意味ですか。
  114. 下牧武

    説明員(下牧武君) 憲法三十七条第一項の公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する、この半面といたしましてそれは応ずる義務ありと、かように考えております。
  115. 亀田得治

    亀田得治君 それは憲法の大変な誤解だと思います。というのは裁判が遅れるということでうね、これは被告人は非常に不利なことなのです。未決定の状態でずつと続いて行くわけですね。これは被告人に非常に不利な状態なんで、実際は裁判しないで放つたらかしておけばいいわけですね。狡くやろうと思えば有罪になるか無罪になるかわからんという場合……、そういうことでは大変人権蹂躙になるから、速かに裁判をすると、こういうわけなんです。そこでお聞きしたいのは、被告人裁判を受けないということを主張するのは利益があるかないかということなんです。受けなければそういう不利な状態になるんですね。
  116. 下牧武

    説明員(下牧武君) 今簡単にお答えいたしましたので少し誤解があつたようですが、言い換えれば国のほうの側としては、被告人に対して公平なる裁判を迅速に行うという義務がある、こういうふうに申上げるわけで、その半面といたしまして、併しこの被告人の公平迅速な裁判を受ける権利というのは、決して放棄し得べからざる権利ではございません。そこで本人がその権利を放棄したような場合、言い換えれば正当な手続によつて裁判にかけられた場合におきましては、これは国民は何人といえどもその手続法の定めるところに従つてその裁判に応ずる義務は当然出て来ると思いますが、それを、その裁判をその手続従つて受けないということは、言い換れば憲法三十七条第一項の権利をみずから放棄したのだと、かように考えるべきだと思います。
  117. 亀田得治

    亀田得治君 じやそういう権利の放棄を許さないという立場で二百八十六条の二は作られたのですか。
  118. 下牧武

    説明員(下牧武君) そこで裁判所から正当な召喚があつたにもかかわらず、正当な事由なくしてそれに応じない、而も勾留中の被告人を監獄官吏がそれを連れて行こうとしてもそれに抵抗したりいたしまして、出頭を拒否する。そうしてその引致を著しく困難にさせるというような場合においては、本人みずからその権利を放棄したものである、かように見るべきものであつて裁判所としてはそこでそのまま被告人不出頭のままでその期日の手続きを進めることは憲法違反の問題は起きないと、かように考えます。
  119. 亀田得治

    亀田得治君 こういう規定を置かれたもう少し具体的な経過と理由ですね。恐らく審議会で問題になつたことだろうと思いますが、それを少し具体的に説明してもらいたい。
  120. 下牧武

    説明員(下牧武君) これは御存じのように主として公安事件でございますが、被告人公判を分離するとかしないとか、まあいろいろ裁判所側との間にもめまして、実際公判期日を裁判所が指定して召喚いたしましても出て参りません。そこで監獄官吏がそれを連れて行こうといたしましても、裸になつて監房の中で仰向けに寝たり或いは鉄柵につかまつて動かなかつたり、又は多勢が寄つてたかつて大きな声を張り上げまして抵抗して来ると、こういうようなわけでございます。そこでこれは理窟から申上げれば勾留されておる被告人でありますから、強制力で以てそのまま連れて行つてもこれはいいと思います。違法とは言えないと思いますけれども、それをやるについては手足を縛るとか、或いは担架に括りつけて行くというようなことをしなければ連れて行けない、そういうような状況下においてなお且つ、出頭を強制して連れて行くことが果していいかどうか。又監獄官吏に対してそういうことが期待できるかどうか。これは恐らく誰が考えても無理なことじやなかろうか。そこでそういう場合においてはみずから裁判を受ける権利というものを放棄している。そういう被告人でありまするからして、それはもう不出頭のままでやつていいではないか。然らば不出頭のままで、この規定なしに不出頭のままでやりまするというと、その欠席した本人に対する関係においては証拠調べの効力も及びません。そういう被告人が次から次へ出て参りますると、一々同じ証人でも何回でも呼んで非常に公判を進める上において不都合を生じて参ります。そこで不出頭のままその日の仮に期日の公判手続を行うことができることにいたしまして、その証拠調べの結果というものは、当然その欠席した被告に対しても効力を持たせよう。こういう趣旨裁判所のほうからの要望もございまして、こういう規定を設けた、こういうわけでございます。
  121. 亀田得治

    亀田得治君 これはまあメーデー事件とかそういう関係に刺激されたということはわかるのですが、そういう場合でも被告人自身の気持は、裁判を受けたいという気持は、少しも放棄しているのじやないと思うのです。でやはり例えば公判を分離するか併合するか、何かほかの問題についていろんな異議なり意見がある場合だと思うのですね。裁判は受けたい、でその受け方についての問題なんですね。そういう問題は勿論弁護人を通じて静かに穏かにいろいろ主張べきものは主張したら実際はいいのですね。そうしないでああいうふうなやり方をとるものだから、それに対して何くそ的にこう出て来られておるわけですけれども、私その際に被告人がともかく裁判を受ける権利を放棄する、こんなことは有史以来あり得ないことなんですね。速かにこれをきめてもらわなければいつまでもそれなんだから、少くも望むわけがないのです。ただその場合における一つの具体的な問題として、こういうふうにしてもらえんかといつた一つの揉めごとだと思うのですね。だからこれはそういう意味で単にそういうことが例外的にある。それを裁判を受ける権利を放棄したものとみなして、憲法上認められたこういう重大な権利を…、これは少し犠牲がといいますか、大き過ぎるのじやないか、そういうふうに感ずるのですね。でそういう点の御論議の模様をもう少し説明して下さい。裁判を受ける権利を放棄したと見ると、そういう前提に立たれるということは、少し物ごとを曲げて見過ぎておるのじやないかと思うのですね。
  122. 下牧武

    説明員(下牧武君) 何と申しますか、やはり裁判を受ける権利を持つておる。併しその裁判を受けるに当つては、一つ手続従つてやるべきものなのです。それでその手続をどう進めるかというのは、それは法律規定した部分もございましようし、裁判所訴訟指揮に任したものもございます。併しそういうものに不服がある場合にこれは法律規定従つて不服を申立てるというようなことでありますなら、これはよろしいのでございますが、それで以て最後の判定が下つて、不服申立の前途がないという場合に、それでもなお且つそれを争つて行くということは、やはりこれはルールを曲げることで、いわゆる訴訟手続という一つの場における手続進行の規律を破ることでございますからして、それに対して理由がありということで駄々をこねて出ないということは、これはまあ言葉の相違かも知れませんけれども、俗な言葉で申上げますれば自業自得ということになつて来るのじやないか。その意味でこれはまあ一種の放棄というような用語例を使つてもいいのじやないか。こういう意味で申上げたわけであります。ですから然らばそこで長く放り込んでおけばいいじやないかという御議論も勿論あると思います。それじやずつと放り込んでおいて、そのままいうまで経つてもおれは知らん、おれは知らん、これで済ませるものかと申しますと、やはり裁判所といたしましては良心的に一日も早く済ませたい。而も本人一人だけの問題じやなくて、一人のために全部の手続が支障を来たすということになりますれば、この全体の手続をうまく進行する上においては、或る程度の、一人の犠牲は忍ばねばなるまい、こういうわけでございますから、この規定は特にこれで本人憲法上の権利が害されるとか何とかいう問題じやないと、こう思います。
  123. 亀田得治

    亀田得治君 憲法原則は、飽くまでも当事者法廷に出て、そうして裁判を進行すると、こういう建前です。これはそれに「対するやはり大きな例外規定になつて来ると思うのです。証拠法の建前にも、今あなたがお触れになりましたが、証拠法自身が本人が在廷して砦ことを前讐しているくな規定刑事訴訟法でなされておるわけですね。そういう点とのギヤツプもありますし、これは私何か非常に新らしい考え方がここに現われて来ておると考えます。欠席裁判ですね。極めて例外的ですが、欠席裁判なんです、明らかに……。
  124. 下牧武

    説明員(下牧武君) その欠席裁判規定は、裁判長訴訟指揮に従わずして退廷を命ぜられたような場合は、これはもう欠席裁判ができることになつております。併し本件の場合は、それじやいやがるものを無理して法廷に連れ込んで、そこで暴れて、裁判長のほうで退廷を命ずるということで動く、そこまでの手続をするのがいいかどうか、言い換えれば担架に括りつけてでも持つて来て、そうして法廷で暴れさせて退廷させておいて、そうして現行法訴訟指揮による退廷の規定で以て欠席裁判にするというのがいいか。そこまで無理をしなくても、初めからこうして抵抗いたしまして公判廷に出て来ないという者は、もうその程度でおさめるほうがむしろ穏当じやなかろうか、これは理窟の上の問題はそういうことになるだろうと思います。それから実際の問題といたしましては恐らくこういう規定ができれば。もう監房の中にしがみついて出て来ないというようなことはせずに、恐らく法廷には一応顔を出すようになるのじやなかろうか。そのほうの実際的な効果も狙つているわけであります。
  125. 亀田得治

    亀田得治君 提案者からお話になるような事例は、これはもう極めて例外的な事例なんですね。そのことのために欠席裁判というような一つ例外的な事柄が、憲法原則に対しては飽くまでも例外的な事柄がとり入れられて来る。そうすると制度全体が飽くまでも当事者主義というものを育てて行こうとして、証拠法なんかも作られたことがやつぱり崩れて来る一つの緒になるのですね。そういう意味でそんな紛争のあることは私どもも知つております。併しそれはそのときの裁判長なり、刑務所の責任者の適宜の処置で適当に片付けて行く問題だろうと思うのです。そのことのためにこういう重要な規定刑訴の中に簡単に次から次に入れて行く、ここに問題が私あろうと思います。例外がたくさんできて来れば、欠席裁判判ということがいろいろな軽微な犯罪の場合にもあるのだし、こういう場合にもあるし、だんだん殖えて行くと思うのです。それは結果においては結局憲法原則をやつぱり破つて行くということになる虞れがあると思うのです。そういう心配はございませんか。
  126. 下牧武

    説明員(下牧武君) ざつくばらんに申上げまして、こういうきたない規定刑事訴訟法に入れるのは、これは私どもの本意じやございません。併しながら現実にそういう面ができまして、そうして裁判の審理が非常に妨げられるということが起きました場合には、それに対する手当をいたさなければならないのであります。飽くまで裁判といい、まあ捜査についてもそうですが、これは現実的なものでありまして、それとその憲法の掲げる理想との調和をどう図つて行くかというのがやはり実情から見た考え方ではなかろうか、かように存ずるわけです。そこでこの規定を御覧になつて頂けばわかりますが、第一勾留されている被告人に限つております。そして今度出頭をあらかじめみずから拒否して「監獄官吏による引致を著しく困難にした」……飽くまでここにかかつておりますこの絞りは、これはレア・ケースとしての絞りがかかつているのでございまして、一般にこの規定が動くものじやない、そう頻繁に動くものじやなくて、レア・ケースの場合にのみこれは動くような規定に、規定自体がなつていると思うのであります。その意味におきましてこういう規定訴訟法に入りますことは甚だ遺憾に存じますが、やはり一種のネセサリー・イーブルじやないか、かように考えております。
  127. 亀田得治

    亀田得治君 それからもう一つの問題は勾留しておらない人には適用しないのだ、こういうことですね。裁判の進行という面から言えば同じことじやないかと思うのですね。刑務所の指示に従わないで出て来ない、或はずるくかまえて出て来ない、同じことです。これは憲法原則でも絶えず不平等取扱の禁止ということを言つておるのですが、これは同じ被告人として随分取扱い方が違うのはおかしいじやないかと思うのですね。若しこういう規定を設けられるのであれば、勾留しておらない被告人、これについてもやつぱり同じようなことが考えられやしませんか、その点はどういうふうにお考えですか。
  128. 下牧武

    説明員(下牧武君) 御尤もなお尋ねだと思います。この理窟勾留されていない被告人についても同様に当てはまる理窟であると存じますが、現実に問題が起きて弱つているのは、殆んど勾留されている被告人でございますからして、成るべくこういう規定は一般に広く拡げたくございませんので、一応まあ気持といたしまして、それで現実に困つている、勾留されている被告人の現実の実例に基いた部分だけは手当をしたいというので、特にこれを絞つたわけでございます。
  129. 亀田得治

    亀田得治君 まあその程度にこれはいたしておきます。  次は三十八条の黙秘権の問題ですね。これと今度の改正法の百九十八条第二項ですね。これとの関係を少しお尋ねしたいと思います。それで先ず最初にお聞きしたいことは、憲法の三十八条が「自己に不利益な供述を強要されない。」こういうふうに規定されております。それに対して現行刑事訴訟法が供述を拒むことができる旨これを告げる、こういうふうに書き方が違いますが、これは憲法制定並びにそれに基いて新刑訴法を作るときにもこの違いは知つて書いておるものですね。これはその当時相当なやはり合理性を以てこういう書き方がわざとされている。その関係をこの改正法の問題に移る前にどのようにあなたはお考えになつておられますか。
  130. 下牧武

    説明員(下牧武君) この立案当時の事情は詳しく存じませんけれども、私の承知してるおところでは、この「供述を拒むことができる」、これはもともと自分の言いたくないことは言わなくてもいいというのは、これは明文化しなくても当然なことでございまして、その意味におきまして供述を拒むことができるというので、軽い意味でまあ憲法趣旨をここに現わそう。そこでこの「供述を拒むことができる」と書きましても、これはまあそのこと自体によつてすぐ自分は検挙されるとかどうとかということは、そういう場合は別としまして、氏名も言わん、住居も言わん、年も言わん、そういうようなことは予想しなかつたのであります。ところが現実に、これがやはり現実の運用の面を見て参りまするというと、只今申上げたような必要以上の犯罪事実に無関係のことまで何も言わない。而もそれが一種の権利であるかのごとく現われて参りまして、最初やはり予想いたしましたところと運用とが違つて参ります。その結果最初予想いたしました程度のところで収めたい。それについては憲法通りの言葉を、内容を告げればいいのじやないかということになつた次第でございます。
  131. 亀田得治

    亀田得治君 憲法通りと言いますがね。憲法で自己に不利益な供述、それを強要されることがない、こう言つている場合には、それは非常に客観的な意味言つていると思うのです。どういう事柄が自己に不利益なことであつて、或いはどういう程度のことはそういうことに関係ないことか。これは憲法では客観的にやはり考えていると思うのです。ただ取調の段階においてそのことを保障するためには同じ書き方ではいけないということで、今の刑訴法ができておると思います。というのは、取調の段階で、被告人、君は自分の不利益なことは言わなくてもいいのだぞ、こういうふうにだけ言うと、あとは取調官と取調べられる人ですからね、一体どのことを不利益な事柄と考えるかということは、これは取調官の主観によつてきまつて行くのですよ。客観的には憲法考えておる標準があつても、具体的には黙つておるとそれは君犯罪事実に関係ないじやないか、それは言つたらどうか、必ずこうなつて来ると思う。もう一方のほうは弱者なんだから、その場合に……。だからそういう関係というものを考えまして、何が自己に利益か不利益かというものの判断は被告人に重きを置いてさせるべきだ。そのためには初め黙秘権を告げる場合には、お前もとにかく言いたくなかつたら言わんでもいいのだぞというふうに大きく出てあげる。そうしなければ憲法言つておる建前が保障されない。こういうところでわざわざこういうふうに違えてきちつとやつておる。これは私はやはり刑訴法としては人権を守る立場で随分考えてやられておると思う。ところが今度はこういうふうにやられてしまいますと、結局取調官が主観的に犯罪事実と関係がないと認めることは、自白を強要されることになりますよ。今度は逆にこの条文が根拠になつて、勿論そういう自白の強要があつたかどうかということは、調べが終つて後に公判なつた場合に、或いはそれは問題になるかも知れんが、そのときはすでに遅いのですよ訴訟のいろいろな段階というものは進んでおるのですからね。だから、私はこういう意味で、例えば今度のこういう改正をされたことは、やはり捜査官と対等の立場において……、現在の日本の段階では………大衆の考え方の段階では三十八条の趣旨を滅却する結果になろうと思うのですね。そうして憲法三十六条拷問の禁止ということも書いておりますが、一種のやはり自白の強制、強く言えば拷問、そういうことが現在の警察官の教養ではやはりある場合が具体的にございます。そういうことに対して何か拍車をかけるような結果になろうと思うのですね。そういう意味でこういう改正は、憲法三十六条との関係で甚だこれは不適当なんじやないかと考えておりますが、これは審議会でも問題になつたと考えますが、もう少しあなたの御意見一つお聞きしたい。
  132. 下牧武

    説明員(下牧武君) 先ほど私が申上げたのは、立案当時の気持でございまして、只今亀田先生がおつしやつたように、この刑訴規定憲法趣旨を実現するためにもう一つ大きく出て、その上に特に被告人にこれだけのものを与えたのだ、こういう見方も一つの立派な見方だと思います。併しいずれにいたしましてもその最初に予想しておりましたところは、そういうふうな権利を与えたといたしましても、これは普通の従来予想されておつたような状況で取調べも行われ、そうしてこの権利も行使されるという前提の下に立つてつたことは間違いございません。而も刑事訴訟法建前といたしまして被疑者を調べてはいけないという規定はないのでありまして、被疑者を調べることはこれはもう当然のこと、言い換えれば、自白も一つの証拠方法とされておることから見ましてもこれは明らかなことです。ただその調べ方に無理があつてはいけない。殊に自白を強要するようなことがあつてはいけないというのが憲法の要請であります。そこでお前は何も言わなくていいのだと取調官がこう言つておいて、そうしてやはり調べることはこれは職権でありまして、権利でもあれば義務でもある。そこでときに聞くがと言つた場合に、何も言わないでいいと言つてときに聞くとは何であるか、こういうふうにしてむしろ場合によつては、この取調官のほうがたじたじになるというような風潮も出て参ります。じやそのへんのところの矛盾をどうして解決するか。それじやいつそこの規定を削除しまして、憲法に明示してあるのだから、それは憲法に反することはもうできないのだから、このままでも、削除してしまつてもいいじやないかという考え方も一部にはございました。併しながらそれじやまだいかん、とにかく一応無理は言わないのだということを、なんらかの形で憲法精神は伝える必要があるのじやなかろうかということで、これがいろいろ法制審議会におきましては、論議があつたところでございますが、結局憲法通りのことを作れば、これで本当の正道に戻るのじやなかろうか。言い換えれば、与え過ぎたがために、その最初期待しておつたところが、逆に作用いたしましたところの線を、又元の線に戻すというのが、この改正の本当の趣旨でございます。
  133. 亀田得治

    亀田得治君 これもまあ極めて例外的な事件に対するこの対症療法のような規定だと考えるのです。そういう事態がどの程度パーセンテージにしてありましたか。
  134. 下牧武

    説明員(下牧武君) ちよつと数字は出ておりませんが、非常に警察、及び検察庁方面でこの規定があるので誠に困るという強い声は、法制審議会においても強く主張されたところでおります。
  135. 亀田得治

    亀田得治君 これはやはり警察なり、検察官のほうが、自白を重点に置いて事件を構成されるというところ、やはり一つ間違いがあろうと思うのですよ。相手が黙つてつても、ずつと事件が構成されて行く。もう黙つておるのなら黙つておるで、そのままどんどんやつて行くというような努力が実際必要なんですね。そういう面のやつは、実際余りやつておりませんよ。やはり自白に頼つたほうが便利ですから、どうしてもそこへ来るんですね。そういう気持がこの背後にあるだけにですね、こういうものができますと、今度は自白の強要、強く進むと、三十六条の拷問、こういうことに私は道を開くと思うのです。そういう心配はありませんか。
  136. 下牧武

    説明員(下牧武君) このいわゆる黙秘の権の規定というのは、法制審議会においても削除意見が一部において出ましたように、相当これは国民に行き渡つておるのじやないかと存じます。そこでそれをこの程度改正いたしましても、特にそのリアクシヨンが強くて、これがすぐ拷問に行くとか、自白強要の風潮に輪をかけるというようなことにはならないか。むしろ取調官が被疑者に一応事情を聞くということは、これはもう当然のことでありまして、その当り前のことを普通の方法においてやらせることになるのじやないか、かように考えます。
  137. 亀田得治

    亀田得治君 それはなかなかそういうわけには行きませんよ。現在でも問題がやはりままあるわけですからね。こういう規定というものは一層悪くなることは、これはもう明白だと思うのです。それじやこの不利益なことは無理に喋らなくてもよろしいという場合に、具体的に個々の事件で、この事件についてはこの程度は利益、不利益に関係ないことだ、こういうふうな示し方はできないのでしようか。ここが非常に大事でと思うのです。若しそういうことができるものなら、これは私は考慮の余地があろうと思うのです。こういうことに対して、実際問題としてそういう明示の仕方はできないでしようか、どうですか。
  138. 下牧武

    説明員(下牧武君) この自己に不利益な供述を強要されることはない……ざつくばらんに申上げますと、自分に工合が悪いことは無理に言わなくてもよろしうございますよということですね。それで被疑者のほうで、これは自分の工合が悪いと思えば、言わなくていいことなんです。でそれを無理に言えというのは、やはり無理がかかる。ただ無理に言わなくてもいい、何にも言わなくてもいいというのじやないのだ、不利益なことは無理に言わなくてもいいのだというだけのことを言うので、その判断は被疑者自身が、これは自分に不利益だと思えば言わないというのが当然、又仮にこの規定がないといたしましても、これは自分に有利なことでも、言わんでおこうと思えば、これは被疑者の当然の権利でございますから、黙つていたつてこれは差支えない。ただそれを余り行過ぎまして、何にも言わなでいてもいいぞというようなところまで言つておいて、その口の根も乾かないうちに、ときにどうだ、ちよつと、というようなころに、やはり取調官として矛盾があり、規定の立て方としてもが矛盾あるのじやないかというので、これをまあ自然な形に直そうじやないかこういう趣旨でございます。
  139. 亀田得治

    亀田得治君 何といいますか、あなたは、さつき事例として氏名とか住所、こういうことをおつしやいましたね。こんなことは関係ないじやないか、ところがこれはやはり事件によつては非常に関係があるのですね。関係があるのですよ。で、そういう場合、捜査官は、必ずそれは君、そんなことは別問題じやないかと、必ずぎゆうぎゆう理詰めで詰めて行くと思うのです。それから氏名や、住所のことはどうでもいいですが、そのほかのことでも、何か仮定的な問題を出して見て、そんなこと君、関係ないじやないか……、それはあなた、そこでぎゆうぎゆう詰めて行けば、必ず強要、拷問のような形になつて行きますよ。でそれをあなたのほうは、そんなことはないぞというような趣旨でお考えになつているのでしようがね。絶対にそういうことはないと思うのですがね。例えば、あなた自身がおつしやつた住所、氏名、これはどういうようにお考えですか。絶対的の条件じや……、利益、不利益という問題に関して、絶対的にこれは区別できない問題でしよう。
  140. 下牧武

    説明員(下牧武君) 住所、氏名が、これは必ず言わなければならん、不利益なことにはならんということにはならないと思います。場合によつては住所ということも、名前ということも本人に不利益の場合もございます。併し何といいますか、氏名もわかつているというようなものでも言わない。それからもう現在の住所、氏名を言つたことによつて、何らの影響もないというような場合も、殊更に嫌がらせで言わないというようなことになりますと、これはやはり行き過ぎなのであります。一応本人にいろいろな事情を聞くということは、これはもう訴訟法の当然予想している事柄でございますから、それに従つて取調官が聞いて行く。ただ無理にそれを押しつけちやいかんということだけですから、住所と氏名にいたしましても、本人が……、取調官がこれは関係ないと思いましても、本人が、これを言つたら、俺は大変なことになるというのであれば、これは当然言わないでいいことであります。それを言えということにはならないと思います。
  141. 亀田得治

    亀田得治君 これは元来、先ほどの三十七条の場合にも申上げたと思うのですが、この三十八条の問題にいたしましても、自分に有利なことはもう言うにきまつているのですよ。そんなことを特に心配しなくともね、言うにきまつているのですよ。だから書くとすれば、やはり旧法のように書いておくことが、捜査官に対する立場上、釣合いがとれるのじやないか、こういうように私はどうしてもこの点は確信するのですがね。で、憲法に書いてあるのもこれは当然なことなんですが、その当然なやつを当然らしくするには、何といいますか、捜査官や、取調べを受ける人が誤解ないようにということで今の規定のようになつておることは結局憲法を無視し、文字は同じであつて憲法を無視し壊していくと考えるのですが、その自分に有利なことを、そういうことをわざわざ被告人は言わないとあなたはお考えですか。
  142. 下牧武

    説明員(下牧武君) これは余り私の経験だけを申上げるのもどうと思いますけれども、私たちの経験いたしました範囲じや、有利なことはどんどん言つて不利益なことを言わないというのもございますし、それから何も言わないのもございます。それは場合によつて……、それは、やはり本人の主観によつてきまつて来るだろうと思います。だから言わないと決心しているものを言わせようというのは無理です。これは有利不利の問題じやない、無理です。併し建前としては不利益なことは無理に言わんでもよろしい、これが筋ではなかろうか。それでもう一つ被疑者のほうのなにを尊重する意味におきまして現行法のように、まあ現行案の立案の当時はその趣旨じやなかつたのですが、現行法のようにもう一歩上廻つて被せて行くことも、これは立法政策としては一つ考え方だと思います。併しその結果取調べというものの本筋が曲つて来るということになりますれば、それに対して必要最少限度において手当をいたさなければなるまい、かように考えられると思います。
  143. 亀田得治

    亀田得治君 それはこの程度にしておきましよう。  それから次は改正法の三百六十一条の上訴の取下げですね。これも認めております。それからこれは四百六十一条の二ですか、略式手続によることについての同意ですね、これを書面で出す、こういう二つ規定が入つて来ております。これも現在の日本人裁判所における常識、そういうところから行くと極めて不適当じやないか、こう考えるのです。一方では上訴の取下げというものが強要されておる。それから又略式命令に対する書面の同意、これは勿論あとから正式裁判要求ができるわけですけれども書面によつてそういう同意書を出さすということはやはり正式裁判要求に対して今の日本人考えでは随分拘束しますよ。そうして殊に略式手続なんかは田舎の人が随分出される手続です。田舎の簡易裁判所で、とにかくお前のやつを略式でやろう、ここへ同意の判を捺せというふうな書類を取られることは、あとから専門家に相談をして、そうして正式裁判を申立てるというふうなことは随分私は拘束すると思うのです。こういうことは一体なぜ、私は現行法のままのほうが、例えばそういう略式手続に対して同意があつたかどうかというふうな問題について、少し事務的に不明確のような問題も起る場合もあろうかと思いますけれども現行法のままのほうがやはり実際の事情に適しているのじやないか、こう思うのですが、これらについての議論はどの程度ありましたか。
  144. 下牧武

    説明員(下牧武君) 上訴の取下、放棄でございますが、これは全く私どもといたしましては被告人立場考え規定だと思つております。と申しますのは、有罪の判決を言渡されまして、それに不服がなくてすぐその日から勤めたいという被告が非常にたくさんございます。その場合でも現在は十四日の上訴期間を過ぎなければ判決が確定しないので、刑の執行に移ることができない。その間未決のままで放つておかれる。それで止むを得ない場合におきましては、本人に控訴をさせませて、そうして即日控訴の取下げを書面でさせる。そこで確定させるというような無理をして本人の希望に応じて早く出させておる。ですから未決の時間が短くなつて、早く執行して、早く出されるということは、これは本人の非常な有利になることであります。そこでそういう一旦上訴してそれを取下げるというようなことをせずに、もう初めからそれを上訴の放棄を認めたらいいじやないか。併しながら単に口頭で放棄するとかいうようなことになりますると、又間違いがあるといけませんから特にこれは書面でやらせる。こういう趣旨書面でございまして、勾留理由開示の場合の意見の陳述の場合の書面でやるというような場合とは、この場合の書面とは違つておるわけであります。それから略式命令の場合は現行法は略式命令を請求することを告げられた日から七日経過した後そうして被疑者にその間異議がない場合にできるとこうなつておりまするが、その七日の猶予期間内に異議を述べたという事例も殆んどございません、一件もないはずであります。そこでこれは無駄に七日間というものを過しているのじやなかろうか。それじや本人に異議がなければ、初めにもう異議があるかどうか聞いて、異議がなければもうすぐ略式やつてもよかろう。併しながらその場合に一体略式というものがどういうものか知らずにすぐ答えるようなことがあつちやいけませんから、そこで一体略式手続というのはどういうものだということを検察官から説明いたしまして、そうしてたとえ略式があつても普通に申立ができる、正式裁判やれますぞということも告げた上で異議があるかどうかということで、異議がないと、こう言つても又口頭だけでは又頼りがございませんから、もう一遍そこで書面でその点を明らかにさせる、本人にそれを署名させるというようなことで書面で明らかにする、こういう考え方で、この書画というのも特に手続を慎重にする、こういう意味書面にいたしたわけでおります。そこで前の七日間というものが短縮されたわけでありますが、まあ最初にそういうことで最初の勾留の期間の七日をはずしましたから、今度はそれじやあとへそれを持つてつて正式裁判請求の期間を今度は七日のものを十四日に延ばしたと、こういう建て方に工夫いたしましたので、これらの一連の手続はむしろこれは本人のためを考えてやつた規定だとかように考えております。
  145. 亀田得治

    亀田得治君 上訴権の放棄の問題では旧法ではできるようになつている。そうして新刑訴では現在のようにできないと改めたわけですね。これはやはり何といいますか、被告人に判決後慎重に考えさせる、そういう意味でやはり置かれておると思うのです。それで、どうせ上訴をやつて行くような何ですから、一週間や十日のことは大した問題じやないと思うのです。それよりも慎重に考え憲法の認めておる裁判を受ける権利、これを十分やはり生かしてやるべきじやないか、そういう趣旨から私、出発しておるせいだろうと思うのです。ですからそういう規定ですから、たとえ本人に少々、もうこれでいいというふうな気持があつても、いやそれは早まつちやいかん、静かに刑務所へ帰つて考えたら又考えが違つて来るかも知れん、その場合には取返しのつかんことになるということで、憲法趣旨を生かすために、こういう規定が私は置かれていると思う。そうだとしたら、これはやはり生かしておくべきが本当じやないでしようか。
  146. 下牧武

    説明員(下牧武君) 現行法只今おつしやつたような趣旨で出ていると思います。そこでこういう規定にいたしましたところが、非常な親心を示したところが、本人がもうこの判決には不服ございません。今日からつとめさして頂いて、一日も早く出すようにして下さい。それも無理からぬ人情だろうと思うのです。その面に非常な手数がかかり、一旦控訴して、又それを取下げるというようなことをしなければ、本人の希望に応ぜられない。又刑に不服がなくて上訴する意思がないのに無理に上訴させる。そうしてそれを取下げさせるということをやること自体が無理がかかつていますので、本人は今日からすぐにつとめて一日も早く出たいという気持を持つているのはすなおにそれを受け入れたら如何であろうか。但し旧法のように、公判廷においては口頭ででも上訴の取下げが、放棄ができるというようなことにいたしまするというと、やはり只今おつしやつたような弊害も予想されますので、この場合は書面に、ただ書面でやる。そしてその確実性を期した、こういうわけでございます。
  147. 亀田得治

    亀田得治君 まあ書面でやるという点は非常にいいと思うのです。ただやはり裁判を受ける権利ということは普通のしろうとの人が有罪判決を受けた場合に慎重に考える期間を置いてやるのが私当然だと思うのです。それでそれがやはり憲法精神を生かすと思いますし、ただそれが確定するまで折角服罪したいと思つているのを無駄じやないかと、そういうことは一応言えると思うのです、結果から見ますと……。併しそういう点に対する救済は大体そういう被告人ならば、相当な体刑になつているのでしようが、その分だけは当然未決を通算してやるとか、何かそういうふうな法律改正をして、救つてやるべきなんで、単にその僅かな日数が無駄になることがあつて被告人自身としても気の毒じやないか、そういうことは、やはり裁判という大きな一つ権利これを慎重に考えさせるという立場から見たら、少し扱い方が悪いのじやないかと思いますね。そういう問題は別個のやり方で、私法律上適当に処理できると思うのです。
  148. 下牧武

    説明員(下牧武君) 刑事訴訟法の四百九十五条第一項によりますと、「上訴の提起期間中の未決勾留の第数は、上訴申立後の決勾留の日数を除き、全部これを本刑に通算する。」こうありまして、これは法定通算がされるわけであります。ただ本人が上訴するかどうか、その判決に従うかどうかというのはこれは本人の自由意思でありまして、本人がその判決に不服がない、そうして一日でも早く出たいということになりますれば、これは本人のその希望を容れてやるのが当然じやないか、かように考えるわけであります。
  149. 郡祐一

    委員長郡祐一君) 速記をとめて。    〔速記中止〕
  150. 郡祐一

    委員長郡祐一君) 速記を始めて。
  151. 亀田得治

    亀田得治君 それから先ほど申上げた略式手続によることについて被疑者書面を出すかけですね。差支えありませんという書面を出すわけですね。署名捺印をして……。
  152. 下牧武

    説明員(下牧武君) 検察官が略式というものはこういうもので、そうして正式裁判ができる。そういう説明をして、そうして説明をしたということと、それに対して略式裁判をすることには異議ございません、こういう書面になります。それに署名するということになる。
  153. 亀田得治

    亀田得治君 そうすると田舎のおつさんなんかは一旦そういう署名をすれば、これはもう何に言うてもあかん、こういう考えであります。それからいや法律的にはこうこうこうなんだというふうなことを専門家説明いたしましても、今度は道義的に一旦そういう署名捺印までしておいてあの無理な裁判を受けたと思つても、やはりやらない人が相当出て来る。私はだからこういう規定は今の現状では憲法裁判を受ける権利を拘束する。こういうふうに解釈するのですが、我々弁護士の実務からそういうふうに考えるのです。
  154. 下牧武

    説明員(下牧武君) これはそういう虞れを避けるために、前段におきまして、とにかく懇切丁寧にその略式というものはどういうものだということを説明させ、而もこれがあつたからと言つてそのままに応じなくてもよろしいぞということを告げさせて、その上でこういうことにしぼりをかけてあるので、この通りこれは運用されるべきものでありまして、又いやしくも検察官たる者がこれに反するようなことはいたさないと思います。それからこれをやるのは検察官だけでございますから、ほかの警察官にやらせるわけでもありませんし、この規定運用というのは間違いがないだろうと存じます。又私どもの昔の経験でございますが、やはり一応、略式にやる場合でも、本人に、略式でやるかどうかというようなことは、規定がなくても話しておつたようなこともございまして、御心配のような点はこれはないだろうと思います。それはまあ無理に検察官がぎゆうぎゆうと押付けてやるということを予想いたしますれば、これは、或いはということも想像されないこともないと思いますが、検察官としてさようなことは、現在のなにから言いまして、そこまでお考え、御心配頂かなくてもいいのじやないかとかように考えます。
  155. 亀田得治

    亀田得治君 これは検察官の問題よりも被疑者の側の心理状態を実は私問題にしているのであります。それが、裁判を受ける権利をやはり結果において拘束している。そういう立場から考えまして、というのは、元来被疑者側からしてみれば、本裁判であろうと略式裁判であろうと、こんなものはいやなんですよ。それは、ちつとも自分で欲しいものじやないのですね。そういう、自分で気の進まんものに署名捺印させること自身が私はおかしいのじやないか。いやそれは違うんだ、手続だけなんだとこう言うたつて被疑者は全部を一体として考えているのですからね。嫌いなんですよ。だから一種のこれは法律規定があるからということに基いて、強制するようなものです。では、私はともかくこんな書類はいやだから、書くのはいやですとこう言うたらこれはどうなるのですか。
  156. 下牧武

    説明員(下牧武君) 実際の運用はこういうことになるわけなんです。大体本人がこの犯罪事実を争つておりまするような場合には、略式ということは本来不相当なんです。それで大体全部事実を認めまして、そうして自分は悪かつたという気持を持つている場合に、罰金で大体これくらいの見当だがどうだろうかというようなことで、それはもう略式で願いますと、こういう場合が主な場合でありますが、又場合によりましては、これを公判廷に出されたら、これは家内にも知れるし、世間にも知れてどうも工合が悪いので、何とか一つ正式の裁判に出ずにやる方法はございませんかということで、相談をかけて来る場合もございます。そういう場合に略式ということが行われると、あとから成るほど本人が自分が悪かつたと思うのに、これは法律的な作用の不足から、或いはそこに勘違いがあつたりして、或いはその罰金額が多過ぎたりいたしまして、不服を申し立てる事例もございますけれども、大部分納得して行く場合でございまして、御心配のような押付けて無理にやるというもので略式というものはこれは現実においては動いておらないのでございまして、まあ運用の実情はそういうことになりますので、余りそこまでお考え願わなくてもいいのじやないかと思います。
  157. 亀田得治

    亀田得治君 私ね、それは被疑者のほうは本裁判にかけられるということなら略式のほうが結構ですとこういう趣旨だと思う。併しその気持は全部いやです、そういう気持にはこれは変りないのですよ。勿論、いやだと言つたつて、国家は処罰すべきものはして行つていいのですがね。ただそういう心理状態にあるときに、いやしくも国家というこういう堂々たるものが署名捺印させるようなことが適当じやなかろうと私は思いますね。進まんものを何も無理やりに書かさんたつて、今まで通りでちつとも差支えないのじやないかと思いますがね。
  158. 下牧武

    説明員(下牧武君) 本人が進まない場合で書きませんときは、これは略式でやりませんので、そういう書面が、任意に取つた書面がついておらないときには、これは裁判としては正式裁判に、たとえそれで略式があつても、正式裁判にひき直さなければならんものであります。ですから、その本人がいやだというのに無理に押付けてやるということは、これはその場で無理に書かせるという前提の下に考えられることだろうと思います。ですから、検察官が、まあ我々の経験からいたしましても、この規定運用として、まあ観念的には御心配のようなことも考えられんことはないかと思いますが、実際的にはこれでもう十分本人のなには達せられるのじやなかろうかと、かように見ておるわけであります。
  159. 亀田得治

    亀田得治君 それでは次になにを、これは憲法と余り関係のないことですが、百九十三条一項と、百九十九条三項、四項の問題ですね。この検察官と警察との関係の問題ですね、この両者の関係、理想的な関係というのはあなたのほうではどういうふうにお考えですか。
  160. 下牧武

    説明員(下牧武君) 立法論といたしますと、言い換えれば政策論といたしましては、いろいろな見方がございます。併し現行刑事訴訟法がとつておりまする建前、而も今度の改正に当りましてもその根本的な建前は壊さないという立場を前提として申上げますれば、この刑事訴訟法がとつているところの理想として考えておる姿というのは、捜査の第一線は司法警察職員。そして検察官はいわゆる公訴権の行使、公訴の実行、言い換えれば事件の起訴不起訴を決定し、起訴した事件について、公判においてその公訴を維持して行くという面に中心が置かれるべきものだろうと思います。但し、それでは賄えませんので、副次的に、検察官はみずから必要と認める場合においては犯罪捜査をすることができるか。それからもう一歩検察官は公訴官の立場として警察の捜査についていろいろ一般的な注文をつける。これは百九十三条の第一項です。それから検察官が或る計画の下に、言い換えれば、例を挙げて申しますれば、一種の一斉取締などをするというような場合におきましては、各所轄の管轄区域内にある警察に対して一般的指揮をすることができると、これは百九十三条第二項です。それから検察官が自分でみずから捜査をする場合には、これは警察を指揮して捜査の補助をさせる、こういう立場になつております。であるから本来の理想的な姿といたしましては、捜査の第一線は警察官で、検察官は第二線に退いてそして専ら公訴の面に力を注いで行く。然らばどうしてこの検察官がみずから捜査をするとか或いはこの警察に対する一般的指示とか、それから一般的指揮具体的な指揮の規定ができておるかと申しますと、これはやはり警察官に全部その捜査というものの責任を負わせて、そして警察が完璧な捜査をやつて来る。それを受けてそしてその捜査が起訴に値いするかどうかを判断して、そして自分が起訴していいものだけ起訴して、それを公判で維持を図るということだけに徹底できるかと言いますと、これは現実の問題としてそうは参りません。そこでその現実の警察の捜査の不十分な点を補い、又検察官として公訴官としての立場から当然捜査に対して注文をつけられるべきものである。その注文のつけ方を如何にしてつけるか、それから警察が事件をやらない、そうして治安の本当の大事な事件が逃がれているというような場合には或る程度検察官は警察を指揮してやらなければならん場合もございます。それから自治体と国家地方警察によつていろいろばらばらになつている。国家地方警察の中におきましてもその都道府県によつておのおの関連がない。中央はそれに対する指揮権がないという場合に、全国的な、或いは一地方にまたがるところの統一的な犯罪捜査というものの調整を誰がやるか。それを検察官にさせるということで、この一般的な指揮の規定ができた。こういうふうな関係で、理想的な姿は先ほど申上げたように、警察は捜査の第一線、それで検察官はその第二線に退いて公訴に勢力を注ぐ、これは動かすことはできない建前だと思いますけれども、それと現実との調整を只今申上げたような検察官の捜査権或いは一般的指示の規定、或いは一般的指揮の規定、又みずから捜査をする場合の具体的指揮の規定、これで補つてその調整をとつているのだと、こういうように考えているわけであります。
  161. 亀田得治

    亀田得治君 それと逮捕に対する検察官の同意ですね、その関係はどうですか。
  162. 下牧武

    説明員(下牧武君) 現行法には逮捕に対する同意の規定はございません。それで今度の法案で逮捕に対する同意の規定を入れましたのは、これは提案理由或いは逐条説明の際にも申上げました通り、かねて国会方面におきましても逮捕状の濫用ということが問題にされまして、それに対する手当をどうするかというようなお話もございましたし、又在野法曹側におきまして非常にこれに関心を持ちまして何とかしようという意向があつたわけであります。そこで我々といたしまして検察庁に対して或る程度どういう逮捕状の実態になつているだろうかというようなことで紹介をいたしましたところが、やはり或る程度の濫用があるという結果も出ておりますので、これは人権尊重の面から何とかいたさなければなるまいということで、このたびそれじや誰がチェックするか。やはり立場として検察官が最もいい立場にあるのじやないかということで今度の規定を入れたわけであります。法制審議会におきましてもいろいろ議論がございまして、警察方面の委員はこれは絶対反対、学者の中にも一部、それは検察官が見るよりも裁判官に見させたほうがいいじやないかという議論も出まして、いろいろ論議が交されたのであります。併しながら裁判官に見させるというのもいろいろ難点がございますので、やはり立場としては検察官が最も適当じやないかということで検察官がチエックするという考え方の下にこの法案ができた、こういう経過でございます。
  163. 亀田得治

    亀田得治君 そういたしますと原則捜査権公訴権というのを警察官上検察官に分離して与えている。但し今回の改正によつて検察官のほうに捜査の段階において指示権を強化する。更に逮捕の同意権これを与える。こういうことになりますと、結局逮捕ということがなければ、これは実際の捜査は進みません。警察官の捜査というものは進みません。そうすると検察官が実際上も捜査中心になつて来ると私は考える。それから更にこの改正法によつて一般的な指示権、これを明確に今度は持つて来るわけですから、逮捕に対する左右する権利と一般的な指示権を持つて来れば、最初に原則というものは二つに分けておつしやつておられるのですが、その点が私崩れて来るように考えるのですが、どうでしよう。
  164. 下牧武

    説明員(下牧武君) その点はまあ私どもといたしましてはそういう議論もお聞きしているのですが、どうも解しかねるのであります。それで刑事訴訟法の構成を御覧頂きますと、先ず捜査の項でありまするが、第百八十九条、この第二項に「司法警察職員は、犯罪があると思料するときに、犯人及び證據を捜査するものとする。」この規定にまつて捜査の第一次責任者が司法警察職員であるということが現われているわけであります。と申しますのは、旧刑事訴訟法におきましては捜査の冒頭のところに「検事犯罪アリト思料スルトキハ犯人及證據ヲ捜査スヘシ」とこうあつて、司法警察官吏はその検事の補佐又補助をする、こうありましたので、検事が中心つた。その規定を今度司法警察職員に置き替えたのがこの百八十九条第二項の規定であります。そういう関係からいたしましてもこの規定が先ず捜査の第一次責任者は警察であるという根拠になる規定であります。それから百九十一条、これの第一項に「検察官は、必要と認めるときは、自ら犯罪捜査することができる。」それから百九十二条に。警察と検察官はお互いに協力しろ、この三つの規定、これがいわゆる本来の建前を現わしているのだと思います。ところが百九十三条に行きまして第一項「検察官は、その管轄区域により、司法警察職員に對し、その捜査に閲し、必要な一般的指示をすることができる。」こうなつております。これは具体的にざつくばらんに、俗な言葉で申上げますれば、司法警察の行う捜査に必要なときに注文をつけることができるということで、それで後段で「この場合における一般的指示は、公訴を実行するため必要な犯罪捜査の重要な事項に閲する準則を定めるものに限られる。」、この趣旨はこの通りすなおに読んで参りますと捜査に対して注文をつける。併しその注文はこれは公訴を実行するため公訴官としての立場でおやりなさい。又細かいことを一々言つてはいけませんぞ、又その形式はいわゆる準則という方法でおやりなさいと、三つの絞りがかかつておる。そこでこの検察官の捜査の一般的指示は現行法解釈といたしましても、その前段にはつきり書いてありますように、その捜査に関し……、その捜査というのは司法警察職員の行う捜査においてで、これは文理上明白だと思う。その捜査に関し必要な一般的な指示、言い換えれば公訴捜査というものはこれは截然と区別されるべき、いわゆる裁判捜査といつたようにはつきり区別されるべきものではございませんので、やはり一連の一つ手続でございます。それで犯罪がありますと、そこに具体的な公訴権が発生する、それでその公訴権の行使の面として一つ捜査ということがあり得る。又その捜査が発展して今度は起訴不起訴を決定し、そしてそれが裁判所にかかつて公訴維持になるということで一つの発展する手続でございます。従いまして捜査というものはあくまで公訴を目標としたものであり、公訴に関連のない捜査というものはあり得ない。これは当然のことであると思う。そこで検事が公訴官で公訴権を持つている。その公訴官としての立場から捜査に注文がつけられんじやおかしいじやございませんかと、これが第一点、それとそういう理論的な面と、それからもう一点は、現在のその警察の捜査というものはこれが完璧であつて、ただそれを受けて検事が立つて、検事がそれを受けてそしてそのまままずいものは捨てて、いいものはそれを取り上げて裁判所へ送り込むというだけのことで、果して現実のこの捜査から公訴に至る警察権の行使ということが適正に運用されるかというと、そこまでのことは参らない。何としても或る程度、検事、司法警察職員の捜査というものに対してのいろいろな問題がある。その面を検察官の一般的指示、公訴官としての立場からの指示によつて賄なつて行こう、調整して行こうというので、これは一つの権限規定のように御覧になつておられますけれども、そういうものじやございませんので、飽くまでこの捜査から公訴、或いは裁判に至るまでの一連の手続を如何に適正に行うかということの趣旨の下にできた一つ規定でおります。でありまするから、現行法解釈といたしましても、今度の改正案と何ら内容は変つておりません。それを一部にはこの捜査とは、ここにいう捜査公訴を実行するというのは、公判に出てから公判廷でやることだけだ、それで捜査自体に対しては検察官は喙を容れるべからず、こういう議論があつたわけであります。併しこれは条文をすなおに読みますと、百九十三条というのはそういうわけでできておる調和の規定でありますから、「その捜査に関し、必要な一般的指示」というので、捜査に注文がつけられるということははつきり書いてあるわけです。ただそれを警察と検察官との間の根本原則を壊すようなやり方でやつてはいかんというので、これを公訴官としての立場から公訴を実行するため公訴官の立場としてやる。それから重要な事項、細かいことにまで一々干渉しちやいかん。それから準則という形で、個々のことを個々の警察官をつかまえて、個々の事件をつかまえてぎつぎつということではいけない、一般的な準則ということでおやりなさい、こういうことが規定されておるわけであります。でありますから、そういうふうに一部にこの規定を誤解される向きもあり、それが相当大きく取上げられておりますので、そういう趣旨じやなくて現行法をすなおに読んだ、その読み方に誤解があるとすれば、これは改め、いわゆる解釈上の疑義というものが法律にあるとすれば、その疑義のないように改めるのが正しい行き方じやないか、これが百九十三条第一項の趣旨であります。だからこの規定によつて検察官がすべての捜査の実権を握るということはあり得ません。それから逮捕状の経由にいたしましても、これは専ら逮捕状の濫用を防止するという立場から出ているのでありまして、それでこういう事件をやるからお前逮捕しろということは検察官としては規定の上ではできないわけであります。検察官として若しそれをやらんと欲すれば、みずからその事件を、こういう事件をやるからどの警察はこういうふうに動け、この警察はこういうふうに動けというのは現在でも百九十三条の第一項であります。それから又自分で事件をやり出した場合に、こういうふうにしろ、こういうふうにしろという積極的な指示はできますけれども、こういう逮捕状を取つてこういう方式でやれという指示は、これはできないわけであります。ただそこの中に頼まれ事件とか、民事崩れの事件とか、或いは告訴事件、その他重要な事件でも逮捕状を出す必要がないようなものまでそういうような逮捕状が参つた場合に、それはちよつと行き過ぎじやないかということでチエツクするというだけの規定でありまして、これらの改正によつて検察官が捜査の主宰者となるということはどこから出て来るのか、まあ私どもは理解にむしろ苦しんでいるという気持でございます。
  165. 亀田得治

    亀田得治君 この百九十三条の検察官の指示権の問題、これは従来の条文を整理した程度だ、捜査権公訴権立場は少しも変えない、こういうふうに聞いてよろしいのでありますか。それから逮捕に対する同意ですね。これは百九十三条の指示権と少し性質が違おるかと思うのです。結局逮捕状を濫りに要求する、それに対する一つの対策として生れたものではないかと考えるのですね。それで問題は現行法のように行くのも一つだし、改正法のような行き方も一つですが、もう一つ逮捕状の最後の判を捺すのはこれは裁判官ですから、裁判官が判を捺す際にもう少し注意をする、慎重にやる、こういうことができれば一番いいのじやないかと我々は考えるのです。でこれは警察官は捜査する立場ですから、やつぱり必要以上に請求だけはして来ると思うのですね。これは請求権があるのですから、どんどんしたらいいのです、請求だけは。これを検察官の同意にかからしめても、その点は検察官自身も大体において捜査上の一般的指示をしていますし、公訴というふうな仕事があとへ控えていますし、やはり警察官の要求のある逮捕状に対しては殆んど同意して行くのじやないかと考えるのですがね。そうすると国民の人権を守るという立場からはこのどちら、現行法で行つてはこの改正法によつても駄目だと思うのです。何かこれがどちらかへ行くかによつて検察フアッシヨだとか、いや、いろいろなことも言われておりますが、これはどつちでも駄目なんで同じことだと思う。現に警察のあれで余計出過ぎるのですから、警察官のほうに持つてつたほうがいいじやないかと、こう考えられているのですが、これは溺れる者藁をもつかむで、どうも検察官のほうが教養も高いようだし、そつちのほうが無茶せんだろう、こういうわけなんですけれども先ほど説明から行けば捜査権公訴権、これは原則として分離されている。従つてそんなに検察官はチェックはできないと思う。そこでやはり一番これは正しい筋途は裁判官が逮捕状に対して判を捺す場合に、もつと慎重にやるような規定刑訴法の中に置くのが筋途じやないかと思う。そういう立場での改正案というものは一体お考えになりませんでしたか。
  166. 下牧武

    説明員(下牧武君) 一応御尤もな点があると存じます。法制審議会におきましても、検察官を経由させるよりも、最後の押えの裁判官でチェックしたらどうだと、こういう議論が有力な学者からも出ております。併し現在の建前といたしましては裁判官は逮捕状を出す場合に、逮捕状の形式的な要件は審査いたしますけれども、その必要性の有無、こういう事件でそういう逮捕状を出したらいいかどうか、その必要性並びに妥当性の有無については、これは審査権なしという建前運用されておるわけであります。そこでそれはどういうところから出て来ておるかと申しますと、第一、裁判のいわゆる裁判官というのは、これは原告と被告の真中に立つて行司の役目をする、こういう役目でございます。そういう裁判官がその捜査についての必要性の有無、或いは妥当性の有無というところまで踏み込みますというと、果してその裁判官というものの性質に合つて来るかどうか。これはもう大きな目で見ますると、裁判官にそこまで捜査に踏み込ませていいかどうかという問題がございますし、それから一部裁判所のほうの事務的な意見といたしましても、裁判官がそこまで泥沼に入るというようなことは、そして責任を全部裁判官に持つてつてしまうというようなことは考えものだということで、今度の改正法案には直ちにその点は実現しない。併しながら十分法制審議会において将来の問題としてこれを研究することにしよう、仮にそれじや裁判官にチエツクさせるという制度なつたといたしましても、その前において検察官にチエツクさせるということは不要かというと、そういうことにはならないのじやないか。その点一応の立場としてはむしろ検察官にチエツクさしたほうがいいんじやないか。法律的な判断も一応検察官のほうが上にあると見なければなりませんし、又捜査についておのおの経験を持つておりまするからして、まあ、ぽつと出の検察官がすぐそれを判断するということはこれはむずかしいと思いますが、併し或る程度経験を経た検察官は逮捕状を見ますれば、これはどんな筋だという匂いは、裏はかげる。そのくらいの能力は検察官が持つておりますので、検察官にやらせるのが筋としては一応いいのじやないかということで、検察官ということになつたのであります。  それから裁判官にいたします場合に、現行の運用のままでこれをすぐ裁判官に持つて行くということになりますと、これは穿つたようなことを申上げますが、ときどき私ども耳にいたしておりますのは、或る簡易裁判所逮捕状がはねられたということになると、それを別のところへ持つてつてもらうということもときどき耳にいたします。そういたしますと、捜査に経験のない裁判官がそれを判断する場合に、果してその逮捕状がどうなるかということを考えてみますると、非常に厳格になり過ぎるか、然らずんばルーズになり過ぎる、この点中庸を得たという判断もなかなかむずかしいのじやないか。そうなると厳格なる裁判官を避けてそうしてルーズなところへ固まるというような傾向も出て参ります。そこで考え方としては、最後に裁判官にこれを見させるという手も、これは勿論十分考えるべき点だと思いますが、一応その前に捜査にも経験のある検察官を出すということがむしろ一番いいんじやなかろうか、こういうことで大体の法制審議会の空気といたしましても、今度のような案のところに落ちついたというわけであります。
  167. 亀田得治

    亀田得治君 これもいろいろ議論のある問題でございますが、私やはり身体の拘束の責任者は憲法から言えば裁判官である、こういうふうに考えておるのであります。午前から問題になつ憲法三十四条との関係からも考えても、これはもう裁判官が勾留の名実共に責任者であるべきはずなんですよ。それが盲判を押すような傾向があるものですから、それでこの問題が起きて来て、で殊に何でしよう、逮捕したり勾留する場合に刑事訴訟法でいろいろな条件がついておる。で拘留を十日間延長する場合には更にもう一つきつい条件がついておる。今度改正法で問題になつておる五日間の延長ということになれば更にその形容詞がきつくなつたものがついておる。ところが形容詞を幾ら強くしても、警察官なり検事なりが持つて来ればぽんと押してしまう、大体において……。でこの点を私は改めなければこの逮捕状の濫用の問題は防げないと思うのです。検察官に持つて行けば幾らかいいじやないか、これは決してそうならない。以前はそうなつてつたのですからね、検察官のほうが中心でやつておられたはずですね以前は……。だからそのときの実績から言つたつて決してそうはならない。やはり検察官の要求があれば裁判所はやつぱり今までの習慣で行けばぼんぽん判を押して行く。それじや駄目なんで、そうするとやはり逮捕状の濫用という問題は、検察官に同意権を与える、与えない、そういうふうな立場改正案じやなしに、これはまあ我々のほうから別個な改正案を出してもいいぐらいに考えておる問題ですが、刑事訴訟法の中に裁判官が逮捕状なり身体の拘束をするものに判を押すにこれこれこれの条件、こういう点を確かめてやれとか、もつと具体的な条件を判事につけてやるべきだと思うのです。そうして又そのために判事に対してやはり時間的な余裕も与えてやるようにしなければいかないと思つておるのですがね。でさつきのあなたのお話で何か裁判官をそういう泥沼に引込んでは適当でないというふうなお話もありましたがな、決してこの裁判官がそれによつて捜査に干与して来る、そういう意味じやないのです。ただ身体の拘束という立場からのこの判断なんですね、これは裁判官も長い経験を持つておりますから、法律の中で十分この点を注意してもらいたいというふうな改正をして行けば、裁判官は十分やつてくれるのです。これは泥沼でなしに実に大事な仕事だと思うのですね。で而も勾留理由開示を求められればこれは裁判官が理由開示しなけ一ればならないのですね。そう、いう点から言つたつて自分の判を押したのは盲判だこういう習慣は絶対改めなければならない、こうこうこういう理由でしたということが一々言われなければいけないと思うのですね。で検察官の同意権の問題が如何ようにこの国会で解決されるかわかりませんが、この裁判官の今の逮捕状なり勾留状に判を押す、そこの点ですねこれは十分一つあなたのほうでも研究してもらいたいと思いますね。
  168. 下牧武

    説明員(下牧武君) 私どものほうでも研究いたしますが、法制審議会でもこれは懸案事項になつておりまして、裁判官が最終の何を見るという、いわゆる実質的な判断をするということは否決になつたわけではございませんので、将来の問題としてまだ残つておるわけであります。それから検察官が見ても同じじやないかというお話でありましたが、旧法当時においてはこれは強制権は警察は全然持つておりません令状は全部検察官が出す、或いは判事の強制処分を求めてやる、そのときの実際の運用は現在よりも非常に御存じのように引締めております。我々の経験を申上げますと、一つの強制処分をやるのにちよつとした事件ではなかなか上司が許してくれません。よほどの見通しがなければ強制処分というものは認められなかつた。これは幾分その点は捜査方式も違つて参りましたので、幾分ルーズになつて来ましたと思いますが、やはり全体としては身柄の拘束というものは或る程度引締めてかからなければならんものだと、そういう意味からおきましてこの検察官がチェックするということは決して無意味じやございませんし、又或る検察庁によつては事実上逮捕状を検察官経由でやらしておるところがあります。そういうところを見ましても相当数チェツクしておる実例もあるわけであります。検察官を経由するが故に逮捕状の濫用が全然なくなるということは私は申上げられないと思いますけれども、或る程度の濫用はこれで防止されるのじやないか、現実の必要は満されるのやないかと、かように考えておるわけであります。
  169. 郡祐一

    委員長郡祐一君) ちよつと速記をやめて……。    〔速記中止〕
  170. 郡祐一

    委員長郡祐一君) 速記を始めて。
  171. 亀田得治

    亀田得治君 この二百九十一条の三以下の簡易公判手続の点ですね。これは何かこの弁論主義を徹底させる、そういう意味で御採用になつたのですか。
  172. 下牧武

    説明員(下牧武君) これは現実の事件を見ておりますと、本人が罪状全一部を認めまして、そしてそのまま片付くという事件が七割乃至八割ございます。それでそういう事件について、々細かい証拠調べをするのも無駄じやなかろうか。そこで本人が異議のない場合には、これはできるだけ簡便にして、そうして複雑な事件裁判所の勢力を注いで、事件審理の促進といいますが、合理化を図ろうじやないか、というのが根本での趣旨でございます。ただすぐ米英流のアレインメントをとつて参りますので、これは自白一本じやいけないという憲法規定もございますので、何かの自白を裏付ける傍証を調べて、それで裁判所がその傍証と自白によつて有罪なりとの心証を得れば、これはこれで、その心証の出たところで片付けたらいいじやないかという趣旨でございます。
  173. 亀田得治

    亀田得治君 これは裁判の促進の便宜、そういう立場ですね。
  174. 下牧武

    説明員(下牧武君) 便宜と申しますか、合理化と申しますか、簡単な事件は簡単にやつて、複雑なものに勢力を注いで、そちらのほうの審理を、重点的にやろう、言い換えれば簡単に片付く事件で、そして特に無駄な手続をかけないものは、その程度で簡便にやつて、それから勢力をむしろ重点的に、この複雑な事件に向ける、言い換えれば審理の促進も含めた意味事件処理の合理化と申しますか、そういう点から出発いたしております。
  175. 亀田得治

    亀田得治君 こういうことにお考えにならなかつたですか。簡易公判手続の場合には、冒頭で被告人が有罪を認める、そういうことが前提ですね。専門家でない一般の被告人は、自分のやつたことが有罪かどうかわからないような場合がよくあることですね。でそういう場合でも、何かこう身に覚えがありますから、一応頭を下げてしまうことが随分日本には多いので、これはまあ簡易公判手続規定の中にも、途中でそういうことが発覚すれば、正式の公判に戻したり、救済規定はあるようですが、やはり何と言いますか、そういうふうに救済されないで、そのままこの真相がわからないままに進んでしまう。こういうことは相当予想されると思うのですがね。裁判の日本の今の実際では、殊に田舎の裁判所なんかにまだ随分そういうのはあります。とにかく被告人法廷に入つて来ると、頭から悪者扱いにしておるのがたくさんありますからね。そういう状態のときにこういう公判手続というものの危険性というふうなことは、お考えにならなかつたのですか。
  176. 下牧武

    説明員(下牧武君) そういう虞れもございましたので、それでこの規定を立てる上におきましては、これは相当慎重に配慮をしているわけであります。それで普通英米流のアレイシメントですと、検事が起訴状を朗読いたしまして、裁判所が有罪か無罪か尋ねます。それでギルテイと言えば、それで済んでしまうということですが、日本の現在の裁判所のやり方は、やはり同じように検察官が起訴状を朗読いたします。でこの事実について間違いがないか、この通り間違いありません、こう言う場合に、裁判所というのは、大体その場で、それじやすぐ証拠調というふうな形式的なことには行きませんで、やはり或る程度の、本人をゆすると言いますか、被告人自身について或る程度のことを聞き出すような前提の手続といいますか、そういう心証を取るだけのことが行われるのが通例でありまして、そういう場合にでも、なお証拠と睨み合せてみて、そうしてこれは間違いないというところできめるわけでありまするから、単にその本人の言葉一つでよしと、こういうものじやないので、やはり裁判所から有罪なら有罪を言い渡すには、その有罪を確信するに足るだけの心証を出さなければならんという建前で、これはちよつと今動かしていないけれども、その心証を取るのは自白一本じやいけませんぞ、必ず証拠と対照した上で、そういう心証を取つた上でやれという、そういう建前で、少しも動かしておらないわけであります。でありますから、その程度の取調べというものは当然行われるべきで、行われるであろうというふうに考えられるわけであります。
  177. 亀田得治

    亀田得治君 これは各細かい点の審議に入つたときにいろいろ又申上げたいのですが、まあこういう制度当事者主義が本当に刑事訴訟法の体系の中で、単に法律制度としてだけじやなしに、実際の運用においても確立するということになれば、本人がもうすでにそれを認めて、これでいいとこう言つているのですから、民事裁判と同じように、どんどんそれを採用し進めていいと思いますね。ところが現実はそうじやない。やはり強い者と弱い者との関係に実際はまだまだ立つおる。そういう状想において、こういう制度を取入れることの危険性裁判の合理的な促進というものは、現在では証拠法の下においても、実際の法廷においてはいろいろそこを便宜進めておりますから、そんな、場合によつて人権が無視されるかも知れないというほどの危険性を冒してまで急いでこういう制度を取入れる必要はなかつた、こういうふうな我々は考えを持つているのですがね。
  178. 下牧武

    説明員(下牧武君) 結局比較考量の問題だろうと思います。それでその危険性をどれだけ防止できるかで、まあ我々といたしましては、今度の法案に掲げたような、相当ないろいろな手当をいたしておけば、これならもう十分じやなかろうかというふうに考えます。これはまあやはり国会の御審議に待たなきやならんと思いますけれども、我々が考察いたしましたこの細かい点は、一つ御留意願いたいと、かように存じます。
  179. 亀田得治

    亀田得治君 こういうふうに細かく書いてもらいますと、この簡易公判手続自身が極めて複雑なものになつて、余りこう役に立たないようにも思うのですがね。途中で何か予定と違つた事実が現われて来た場合には、逆に戻したい……、却つて複雑になる、そういうことも考えられて、余り立法された目的自身も達しないじやないかというふうに、そういう実は心配もしておるわけです。で、まあ、もう少し又日を改めて、そのとき詳しく御審議したいと思いますが、最後に一つだけお聞きしておきますが、この控訴審における事実関係の審理の拡張の問題ですね。で、これはどうなんですか、現在は覆審制度をとつておりませんが、そういう原則は飽くまでも崩さない方針ですか。或いは少し改正法のようにやつて見て、その上で原則をもう一歩改めて、場合によつては覆審制度にまで移る考えもあるということなのか、その辺はどういう考え方でございますか。
  180. 下牧武

    説明員(下牧武君) 審級制度を如何にするかというのは非常に重大な問題でございまして、これは上告、それから控訴、そういう全裁判所裁判組織が関係して参ります。それが現在最高裁判所のあり方につきまして、法制審議会に司法制度部会というものを設けまして、そして如何にその上告審からその裁判制度そのものをどうして行くか、特に裁判所のあり方と性格に関して今審議している最中でございます。そういうものと睨み合せなければ根本的な問題は解決しない。そこで取りあえず、この現在の事後審的性格はできるだけこれを維持して行く。ただこの実際、第一審で現われなくて、どうしても止むを得ない事情によつて公判廷に出なかつた事情が判決後発見されたような場合に、これを無視するということはやはり人情として忍びない。或いは判決後に被害の弁償をいたしたというような場合に、それは、これは控訴審は事後審だから、それに目をつぶるということも忍びないというような事情もございまして、或る程度事後審的な性格は崩れると思いますが、できるだけその現在の建前は維持しながら、ここだけ何とか見なければなるまいという点だけの手当をした、それが、只今申上げた二点でございます。そういう考え方の下で、根本的には成るべくいじらないというのが今度の改正の全体を通じての趣旨でございます。
  181. 亀田得治

    亀田得治君 午前からいろいろお聞きしましたが、今度の刑事訴訟法改正は、随分この憲法とのいろいろな関係考えてもらいたい問題が私としてたくさん持つておるのです。午前中にもお願いしたことですが、例の公共の福祉という考え方ですね、これは一つ至急まとめてお出し願いたいと思います。重ねてこの点は一つ要求しておきまして、本日の質問はこの程度にしておきます。
  182. 郡祐一

    委員長郡祐一君) 本日の質疑はこの程度といたしまして、次回よりは逐条に行つて質疑を続行することにいたします。  本日はこれを以て散会いたします。    午後三時三十五分散会