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衆議院議員(橋本
龍伍君) 提案者の橋本であります。
財団法人労働科学研究所に対する国有財産の譲与に関する
法律案につきまして、提案の
理由を御説明申上げます。
財団法人労働科学研究所は大正十年当時の続発いたしておりました社会問題、特に労働問題と時の労働
事情とに鑑みまして、その
対策の科学的基礎を打ち立てるために倉敷紡績株式
会社の社長をや
つておられました岡山県の大原孫三郎氏が
考え始められまして、自分の経営してお
つた倉敷紡績株式
会社の一
工場を研究実験場に開放して出発いたしたものであります。当時は
工場の内容等は非常に秘密といたしておりましたので、これは非常に新らしい試みでありましたが、その後十余年間に亙りまして、医学並びに心理学を中心として労働の諸条件、労働者の生活の諸条件を科学的に究明をいたしまして、改善の方途を講ずる研究を各方面に亙
つて集積をいたしまして、次第にその研究が
国家的に認められるようになりまして、昭和十二年に日本
学術振興会からの勧めがごさいましたので、大原氏は更に私財の追加をいたしまして、これを
学術振興会の処分に委ねたのであります。
振興会の意見によりまして、その肝入りで新たに財団法人日本労働科学研究所が創設をされまして、東京の祖師ヶ谷大倉に今日の研究所の基を築いたわけであります。その間研究所は施設設備の充実と研究業績を上げるためにずつと努めて参りました。当時は今日の労働省は勿論、厚生省の設置も未だございませんでして、労働行政が内務省、農商務省その他の各省に分散されておりまして、其だ不完全でございましたが、その時代からすでにこの研究所は
我が国唯一の先駆的存在といたしまして、労働行政並びに労働現場の条件の改善に関する指導的な役割を果して貢献いたして参りました。その後厚生省の設置後におきましても、その労働監督、指導、保護とい
つた行政に関する科学的資料の殆んど唯一の提供者でありました。過去におきまする業績といたしまして女子の深夜業撤廃に関しまする資料、それから戦争のために企てられて中絶いたしましたが、
義務教育の年限を十二年から十四年に延長しようといたしましたときの
文部省の資料、又労働最低年令の引上等の科学的根拠の資料は一に本研究所の研究であ
つたのであります。このように科学的な資料作成についての国の代行
機関的な役割を果しておりましたために、太平洋戦争が始りましてから、政府の勧奨によりまして、労働に関する唯一の中央研究
機関といたしまして、大日本産業報国会の傘下に統合をせられたのであります。まあ政府の勧めというより命令によりまして、この法人の所有財産は無償で大日本産業報国会に譲渡をいたしまして、この両団体は昭和十七年一月十日に正式に統合せられました。この報国会が特殊法人でありましたので、譲渡資産の研究所の物的資産等は財団法人産業報国会財団というものを設立して、その所有に帰したのであります。この際の附帯条件といたしまして、将来産報が解散をいたします際には、無償譲渡された全財産は再び労働科学の研究の目的のために、研究所を
作つてそのほうへ移すということが申合してあ
つたのであります。戦さが終りまして、昭和二十年九月三十日に産報が解散いたしましたので、当時の財産は厚生省監督の下に労研に移されることになりまして、労研は一度産報と合体をいたしましたが、戦後再び
財団法人労働科学研究所といたしまして、新たな法人を
文部省監督の下に作
つたのであります。この財産は全部一応ここに引継がれることになりましたが、御
承知のように産報が解散団体に指定をされまして、解散の団体の財産の管理及び処分等に関する政令の規正を受けることに相成
つたのであります。その第三条に解散団体の動産、不動産、債権その他の財産は
国庫に帰属し、これを目的とする留置権、先取得権、質権、及び抵当権は消滅することと相成りました。従いまして、この研究所のいろいろの研究設備でありますとか、図書その他の文献も全部没収されて、普通ならばこの譲渡処分をしてしまうということに相成
つたわけでありますが、これでは困りますので、当時総司令部としても、又日本政府の側におきましても、そういうことをする気は毛頭ございませんので、いろいろ研究の結果、この政令の第十一条の中に国又は
地方公共団体において公共用又は公用に供すべきものとして連合国最高司令官から指定されたものについても法務総裁はこれを各省各庁の長に所管替えして監視させることができるという規定を適用いたしまして、事実は労働科学研究所が昔の研究をやるわけであります。一応の形として、この研究所は
文部省所管の行政財産で大
部分は今まで
通りに使う、ただ公用財産としての形を整えまするために、たまたまその当時建物がなくて困
つておりました
文部省の直轄研究所であります統計数理研究所に一部を使わせ、それから労働省の仕事を一部代行しておりますので、まあ衛生課に一部を使わせる、それから図書については国立国会図書館にこれを使わせるということを総司令部で指定をいたしまして、日本政府もそのように措置をいたして参
つて今日に至
つたのであります。戦後におきましてもいろいろな多難な労働
事情の下にありまして、労働行政の実施
基準でありますとか、いろいろな点につきまして、やはり労研はいろいろと半
国家的仕事を続けて参りまして、例えば職業別食糧配給の
基準を定めましたり、農家の保有米の
基準を定めましたり、或いは電通省、郵政省その他の労働
基準を定めましたり、いろいろな点において本研究所は働いて参りました。ところが今日の
状態で誠に困りますのは、従来から引続いてずつと研究所がや
つておるのですが、財産は全部国有ということに相成
つたのであります。形式的には約年に二十万円ばかりの借賃を払いまして、
文部省のほうは、やはりそれに
相当するくらいの極く僅かな維持費を
国家において払
つておるような恰好でありますが、何分にも全部国有財産でありますので、勝手にまあ手が着けにくい、それかと申しまして、
文部省のほうでは格別自分の仕事ではないわけでありますから、
予算をと
つてこの設備の改善拡充をやるわけでもないということでありまして、その後新規の研究、設備の改善拡充ということなどにもいろいろ支障がありますので図書の研究につきましては、国会図書館に非常に御厄介になりまして
予算を追加して頂いて、いろいろ戦時中乱雑にな
つておりました図書の整備をいたしたり、いろいろな点で恩恵をこうむ
つたので、感謝いたしておるところでありますが、ただやはりこれにつきましても、従来からありました図書が一応国にとられた形で国会図書館が持
つておられ、その後国会図書館が買わされたものであります。
なお又労働科学研究所の研究のレポートと引替えに全世界の各国から集
つて参ります労働科学研究所で新規に集めた書籍とか、いろいろなふうにごちやごちやいたしまして、これもやはり末長い将来の問題としては、本来の研究所がやはりこれも持
つて利用するという形が一番便利なわけであります。こうした
事情から見まして、いろいろ大蔵省、
文部省、国立国会図書館その他の方面とも御相談を申上げました結果、単に戦時中国に移
つたものを返すというふうな趣旨の問題ではありませんけれ
ども、やはり従来からずつと研究所が利用して参り、今後といえ
どもやはり研究所に利用させるより仕方がないし、又、研究所にフルに利用させることによ
つて国家的にも非常に工合がいい、今の犠牲的な
関係をおいておくことは非常に困りまするので、
本法の第一条に書きましたように、唯一の労働科学研究
機関でありまするこの研究所を助成して、労働科学に関する研究調査の発達に資するために、本来の財産を研究所のものにして行きたいというのがこの
法律の趣旨でございます。なお図書或いは統計数理研究所と、現在労働科学研究所の施設を御利用願
つておる分につきましては、引続いて国が使用することを必要とするときは引続いてや
つて行けるようにこの規則で書いてある次第であります。
なお簡単にこの研究所の今日の形を申上げます。この労働科学研究所は
文部省所管の財団法人でありまして、財団法人として
文部省の監督を受けておりまするほかに、
予算的にも約年間三千万円ばかりの
予算の中で六百万円ばかりが
文部省の科学研究費その他政府のいろいろな
機関からの委託調査費であります。この科学研究費の面から通じても、
文部大臣の監督を受けておるのであります。理事長が松岡駒吉、理事が大原総一郎、桐原葆見、工藤昭四郎、森戸辰男、野田信夫、提案者でありまする私、進藤武左衛門とい
つたような人、東畑精一、永田清とい
つたような人々でありまして、全部理事の給与は、無給であります。今日までかなりな業績を挙げて参りまして、今後におきましても
相当な働きをすることができると
考えられておるのであります。何とぞ御審議の上、御賛成あらんことをお願いいたします。