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国務大臣(大逹茂雄君) 大変御尤もな御
意見だと拝聴しておるのでありますが、御承知の
通り、従来
越中島の
保安庁の庁舎、これが元々
水産大学の
校舎でありますから、そこへ移れば一番いい。けれ
どもこれは御承知の
通り今日では狭くて全部収容することが不可能である。そこで
文部省としまして、従来の
海軍経理学校が
場所から
言つても非常に適当な
場所であるし、これが使えれば申し分がない、こういう
考え方で今まで来ていたように私は思うのであります。そこで経理
学校を何とか早くあけてもらいたい。こういうことに大体目標を置いて、従来
関係方面と
交渉を続けられてお
つたかと思うのでありますが、これが又あきそうに見えてなかなかあかん、朝鮮の戦争の模様で今にもあくようにも見えたり、又駄目にな
つたりして、結局そのほうに多少こだわ
つて参
つたという事情があるんじやないかと思います。で、今の代替の
建物につきましても、まあ大蔵省としては、これは私が
言つていることが或いは間違
つている点があるかも知れませんが、その点は間違
つておりましたら訂正いたしますが、
駐留軍のほうでは五億円ぐらいを必要とする代替
建物を建てる。大蔵省のほうでは迚もそれはできんから一億円とか一億五千万円
程度のもので
一つ勘弁をしてもらいたいということで押問答をして今日まで来た。漸く最近に
なつて大蔵省も止むを得ず三億八千万円か四億円ということに折れ、そこで漸く話合いがついて今の四千坪六棟のものを開け渡す、こういうことになりまして、実はその初めからの
考え方が、それだけの金が初めから予定されているならば、別に
考えもし、
お話のようにな
つたかも知れんと思うのですが、これが向うと押問答をして
折衝して、結局何カ月でもないでしようが、四億円取られたという話に
なつちま
つたものでありますから、御破算にして、元に戻
つてということにならずに、実はそのまま継続して来ていると思うのであります。やはり私
どもは
海軍経理学校というものが将来いずれは戻
つて来るものだから、そうすれば一番
場所から
言つても
敷地も非常に広い所でもあるし、これは非常に結構である。こう思
つているのでありますが、これは余り遠いものではなかろうと思う。とにかくいつ
明け渡しができるものであるか、この点は
はつきりした見通しが立たない。そこで取りあえずその四千坪六棟の
建物に
学生の半分を収容する。これは是非来年の四月一日の新学期からは、これはずるずるべ
つたりにならないで実行したい、それで
建設省にもいろいろお願いいたしまして、それであれば来年の二月の末までに大体
建築物は建ててやろう。併し非常に営繕
関係の仕事がたくさん溜
つてお
つて非常に困難な点もあるから、
文部省のほうで技術者を二、三人出して手伝
つてもらいたい。必ず二月末までには仕上げるようにする。こういう非常に好意のあると言いますか、
はつきりした話合いになりま参して、恐らくそれで来年の四月一日からは二月の末までにできますれば、それから準備もありましようし、それから他の
関係もあるかも知れませんが、大体四月一日の新学期からは入れる。それでその翌年の四月一日、つまり三十年の四月一日からは
あとの残りの人を入れたい。それが若しそれまでに経理
学校のほうがあかなければ
越中島の
校舎、今の
保安庁の庁舎にこれを収容する。そこで
保安庁のほうも実は初めは是非そうしたいから、こういう話しであ
つたのです。先般衆議院で
予算が修正になりまして、
保安庁の
経費が
相当行政費節減とかということで削られたので、まあこれは打明け話しでありますが、
木村長官のほうから、あれは折角ああいうことに話して置きましたが、どうもむずかしくな
つたようだからという実は話があ
つたのであります。それは困
つたものだと
言つているうちに
保安庁のほうから、いろいろやり繰りされたと言いますか、又その後二、三日してから、あれはあのまま当てにしてもら
つてよろしうございますから、何とかやることにしますから、こういう話が実はあ
つたのです。成るほどこういうことは今
お話がありましたように、予定は立てましても、まじめに予定をしてお
つても、なかなか
関係方面のことがあ
つたりいろいろ予定
通りぴちんといかないということはしばしばあることでありまして、絶対に来年四月一日と、
あと再来年の四月一日までに全部
久里浜を引揚げるようになるということを、今から何と言いますか、請け合うということは実際これはむづかしいと思うのですが、今までのところでは
関係方面においても決していい加減なことでなしに話が進んでおりますので、少くとも来年の四月の分は私は先ず間違いなくそうなるのではないかと思
つております。再来年のほうも仮にこれも
保安庁の庁舎を実は建てるについてはまで
敷地も決
つておらんそうですということでありますから、どうもその辺は私自身も果して三十年の四月一日から
久里浜が全部引揚げられるようになるかどうかは、多少実は私自身
はつきりしないというふうに
考えております。併しこれは
関係方面の協力される
気持も、これもいい加減の話をしておられるのではないかということが
はつきりしておりますので、できるだけ今の線でや
つて行きたい、
お話のように私
建築費にどれくらいかかるものかよく分りませんが、成るほど
お話を承
つてみると四億円出すくらいなら、この際一気に別に
校舎を造
つて入るということも、これもなるほど一案であると思います。ただ
敷地の
関係等今地図を見ましても非常にごたごたしてまあ
あとに
明け渡しにでも
なつてみると非常に変なものになる感じもいたしまして、それと漸く
駐留軍との話合いで四億円出すというのがそれをほつちらかして、
文部省予算としてそれだけの金が出るものか出ないものか、この点も実はなかなか実は
はつきり私としちや必らずそうなるということは自信が実はないわけでありまして、今のところ長い間辛抱されたのでありますが、まあ来年度もう一年経
つて、再来年には全部
久里浜を引揚げることができるようになるという大体の見通しが立
つておりますので折角各省
関係のほうで非常に熱心な協力の下に、この話合いが或る
程度具体的にできておりますので、又話をもとに戻すということも実は戻すことはうまく行くものか実は自信がありませんので、若しこれは話のようなことがうまく行けばそのほうが早いのですから一番いいと思いますが、その点はなお
研究をさして頂きたい、一応は各省の間で相話し合いました線で御了承願いたいとこう思います。