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政府委員(鈴木俊一君)
只今のお尋ねの点についてお答え申上げますが、
町村合併を促進しなければいけない、言い換えれば
町村の規模を適正化しなければいけない、こういう議論がだんだんと起
つて参りました一番のもとが何であるかと申せば、これは御
承知のごとくいわゆる神戸
委員会といわれておりました
地方行政調査委員会議の勧告からでございます。でこの神戸
委員会の勧告において
町村の規模を合理化せよということをいわれましたのは、やはりあの神戸
委員会の生れましたいま
一つ前を遡りますと、いわゆるシヤウプ博士の勧告に基いてでございまして、シヤウプ博士の日本の
地方自治に対する
考え方、勧告というものはやはりこの
市町村の基礎を確立をして、自治の基本を
市町村に置くということを強調しておられたわけでございまして、なかんずく、この市と
町村を日本の
地方自治の基盤にするということになりまするならば、
町村の規模態様というものが誠に千差万別であ
つて、甚だしく大きい場合には六万くらいにも達するものがあるかと思いますれば、千にも達しない
ようなものがまだ
相当残
つておるという
ようなことで、やはりこのいわゆる弱小
町村を一定の
水準まで引上げて
行政の能率化、自治の能率化ということが可能である
ようにし
ようというところに出発しておつたと思うのであります。そういう見地から
町村の規模の合理化の
水準、
基準をどこに置くかということを神戸
委員会が研究をされた結果、人口七、八千、面積にして三十平方メートルという
ような
一つの線を出したわけであります。この勧告がやはり日本の
地方自治の歴史を
考えてみまするというと、非常に画期的なことでありまして、これは明治の二十一年の、初めて市制
町村制が施行されましたときに七万五千有余の
町村を一万三千に大合併をした、爾後やはり
市町村、殊に
町村の合併を
行なつて
町村の基盤を培うことが日本の
地方自治の基本であるという
考え方は、何も戦後シヤウプ博士の勧告によ
つて初めて出て来たことではなくて、やはり近代的な市制
町村制というものが、いろいろ批判の余地はありましたけれども、とにかく新らしい姿で明治二十一年に導入されて以来の、いわば一貫した
中央地方を通じての
考え方、基本方針であつたと思うのであります。そういうところから
考えて参りまするというとやはり今日の
地方制度の改革の上で一番重点は、
町村の規模をできるだけ適正化して、弱小
町村を
行政能力の上からも財政の能力の上からも一定の
水準にまで引上げて行くということにあろうと思うのであります。殊に戦後非常に
市町村に要求される
行政が殖えて参つた以上は、どうしてもこの弱小
町村を引上げて、法の要求する各種の
町村行政事務を能率的に処理する
ようにするということが喫緊の第一の目的ではないかと思うのであります。そういう
意味から申しまして、やはり
町村の合併をして、或る
水準の有力な
町村にするということがやはり第一義であろうと
考えるのであります。ところが一方
行政の簡素化或いは国民負担の軽減という見地から申しまするというと、何も私は
町村の合併だけがいいということではなくて、市の中に近接の
町村が編入される、吸収されるということになりましても、
市町村長なり或いは各種の
行政委員会なり或いは
市町村議会なりという
ようなものも、それによ
つてなくなるわけであ
つて、そういう
特別職なら
特別職のなくなること、それに応じて又
事務処理が合理的に能率的に行われるという点を
考えますると、必ずしもこれは市に近接の
町村が編入されるということを不適当である、そういうことが望ましくないという必要はないので、そういうこともやはり大いに望ましいことであると思うのであります。ただ
相当基礎の有力なる市に隣接の
町村が編入されるということは、やはり経済の勢い、自然の勢いで吸収されるということが非常に、非常にといいますか、むしろ容易であろうと思うのであります。同じ
ような姿の弱小
町村が合併をして、
一つの新らしい
町村になるということについては、やはりそこに何らかの推進、促進の
措置がないと、市の中に隣接の
町村が編入されるという自然の流れの場合よりも少しむずかしい点があるのではないか。そこにやはり
町村だけの合併については特に促進をするという必要があるのではないかというふうにまあ思うのであります。そういう観点から申しまして、大体この原案にございまする
町村合併というものを基本にして人口五万未満の市に編入する場合、或いは人口五万以上十万未満の市に一定のものを編入するという場合には、準用すると申しますか、そういう
考え方というものはやはり今私が申上げました
ような基礎に立
つて考えまして、確かに
一つのこれは解決案だとこう思うのであります。併しながらこの人口の五万で切る、或いは十万で切るということが絶対的な合理的な
理由があるかと申しますと、これはまあむずかしい問題でございまして、私どもも十万が絶対によくて、それ以上に上げることが絶対に悪い、こういうことはまあ申上げられないと思うのでございますが、併し今申しました
ような
考え方から行きまして、一応のこれは案ではないかと思われます。
なおいま
一つ付加えて申上げたい点は、
町村合併ということを又別の観点から
考えますれば、国土全体の
一つの再編成と申しますか、都市集中、過大都市の抑制ということを、これは日本全体といたしましても、やはり別の見地から
考えて行かなければならんと思うのでありまして、
東京がやがて一千万の人口を擁することにな
つて、この調子でどんどん殖えて行
つて一体人間生活というものが成立つかどうかという根本の問題にも触れて来ると思うのでありまして、やはり国土全体を成るべく琴瑟、琴瑟というと語弊がありますが、或る
程度人口も疏散をし、過大都市を或る
程度抑制をして行くという
ような
考え方の見地に立
つての調整も、やはり
町村の規模を
考えまする場合においては必要ではないかと思うのであります。そういう
意味で、このただ大都市に
市町村を編入するということが
市町村の数が少くなるということだけでよろしいということにはならんと思うのであります。そういう
意味から申しまして、十万とか十五万というところでなくて、非常に大きな都市に
町村が編入されるということを促進する必要は、これはないので、むしろその場合にはやはり過大都市抑制という
ような要求を一面において考慮して立案をする必要があるのじやないかという
ように
考えております。少しお尋ねの点にそれた
ようなことを申上げたかもわかりませんが、大体その
ような
考えを、私見でございますが、持
つておる次第でございます。