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参考人(
熊谷正吾君) 当社の合成化学が呼号しておりました春季攻勢の当初の発展過程から簡単に触れさして頂きたいと思います。
当社で
要求が出ましたのは三月の十六日でございます。その
要求の内容は、ベース・アップの線が
一つでございます。それのほかに退職
手当の問題、それから住宅
手当の問題、その他冠婚葬祭の寄贈金額の問題を含めまして六件の問題の
要求がございました。それも而も期限付きでございまして、三月の二十日に期限付回答をせよということなんでございますが、
会社のほうとしまして、重々審議の結果、
組合の要請日に回答をいたしております。そのうち退職
手当の問題と住宅
手当の問題は、これは昨年の秋季攻勢から絡みまして年末のいわゆる越年資金闘争、これの問題の一還として論議され、それがたまたま春の攻勢に持越されて一環として、而も退職
手当の問題などにつきましては、大きな
要求の根幹をなしているとい
つても過言でない性質のものでございます。それ以後
団体交渉をいたして参
つたわけでありますが、その間
会社といたしましては、
只今部長から申上げましたように、
会社の
事情、いわゆる
会社の現況及び見通し等を申しまして、
会社の経理或いは業務
関係、資材
関係、その他の分析を詳細にパンフレットにいたしまして、
組合員に
会社の認識を求めて参
つております。それは昨年の暮に退職
手当の問題をめぐりまして、団交が引続いてずつと行われてお
つた、その過程に一月にパンフレットを配
つている、その後一、二回パンフレットを
中心に、
会社の現状の線を
説明してお
つたわけであります。それにもかかわらず、不幸にも
事態が悪化して参りまして、今日に至
つたわけでありますが、先ず
団体交渉いたしましたのは二十日の回答を含みまして四回でございまして、
組合は初めから今度は強い態度を示しておりまして、
会社のいわゆる要望を聞入れようとしないという態度が明らかに見えて来まして、四回目で
団体交渉を打切
つて、そうして闘争宣言を出しております。而うしまして三月の十三日、十四日二日に亘ります四十八時間
ストライキの通告を、十一日の日に出して参
つております。それ以来現在に至ります間に、十八回の通告を
会社が受取
つているわけであります。その内容を御参考までに申上げますれば、初めは時間外休日出勤労働拒否の
スト通告であります。それから併せまして
倉庫係の
スト通告であります。それに引続きまして分析係の……これは各箇所にございます製品分析、その他試験分析、原料分析、この分析業務でございますが、それの
スト通告を受けております。その後に引続きまして五月七日になりましてから、
肥料係の無期限の
スト通告を受けております。それ以来数度の、而も当社は十一カ所ございまして、その十一カ所がそれぞれ場所的に、時間的にいわゆる
部分ストであると同時に、いわゆる断続
ストの傾向を示しております。ですから
只今申上げました分析係の
ストライキも金箇所入
つておりません。それから
倉庫係の
ストライキ、これも全箇所入
つておりません。
肥料係の
ストライキも要所要所、急所々々を衝くとい
つたような仕組でございまして、
会社の面から見ますれば、非常に痛いところを衝かれておるというような
ストの態様でございます。それで二十二日以降全箇所一齊の無期限
ストライキに入
つておるというのが現在までの
状態でございます。
それで特に
鏡工場について触れさして頂こうと思いますが、全国的に
肥料の
施肥期を迎えまして、業者それから農家に対するこの
肥料の国家的な重要性と、それと社会が公共的な使命を帯びているという本来的な任務に関しまして、
肥料の
出荷を合法的にやるという線を基本的に
ストの当初から
会社は持
つてお
つたのであります。併し当初からそういう線を打出すことはどうかということなので、当初
組合の動向を眺めようということで、やや日を見送
つておりますと、十三、十四日の
ストから大体四、五日を経まして、
本社の指令といたしまして、合法的な線で強行
出荷という線を出しておりまして、大体
九州の
鏡工場以外の箇所は、若干
ピケ隊と
トラブルを起しながらも、大体強行
出荷を合法的な線でや
つておりまして、大半の所におきまして現在までのところ
トラブルなしにや
つて来ておるわけであります。ところが
九州の鏡におきましては、
施肥期がややこちらよりも遅れておるというような
関係もございまして、而も
工場長が非常に慎重を期しておりまして、先ず
組合との間に
トラブルを絶対に避けたい、
組合の勿論基本的な
争議権の正当な行使は、これは無論認めざるを得ないが、
会社のほうの営業権の合法的な正当な行使も認めてもらいたいという考え方から
協議方式、団交を求めまして、
会社の要請を絶えず訴えております。でそれの一環といたしまして、四月の二十八日に
業務妨害排除の、これは予備申請をや
つております。その間に
組合は勿論その当時は
ピケも張
つておりませんでしたし、それから
従つて業務妨害ということもなか
つたわけでありますが、予備申請といたしまして四月二十八日に申請をいたして、地裁で決定されましたのは四月三十日でありますが、これが五月の二日になりまして
執行吏が見えまして公示という段取に
なつたわけであります。
出荷強行の決定を見ながら、
組合と
話合いを進めて行くというほどの慎重ささえ示してお
つたわけであります。ところがだんだん
事態が悪化して参りまして、而も
九州の
肥料需要先の緊急性もございますし、それと同時に五月七日に
鏡工場の
肥料係の無
期限ストというような通告を受けて、この中で
鏡工場が先ほ
どもお話ございましたが、三百九十九名の従業員、
組合員がございます。そのうち百五名がその
肥料係の無
期限ストの結果入
つておりますが、それで
鏡工場は
硫酸と
肥料が生産の主幹でございまして、而も
硫酸は
肥料の製造のための
硫酸であります。従いまして、この
肥料が
鏡工場の死命を制すると
言つてもいいくらいのいわゆる重要な施設でございますが、そこに無期限の
ストライキが五月七日に行われております。それを受けまして一般の
関係機関それから農家は、そんなに
鏡工場がこれから
争議をや
つたなら、これはいつ終熄するかわからんというような、この
ストに対する先行き不安だということから、五月八日に早速
トラックで以て
工場のほうに
肥料の
引取にや
つて来ております。勿論
工場側も
組合に
出荷に協力するように頼んでおりますし、
妨害しないように依頼しておりますし、それから業者のほうも今日は是非
肥料をもら
つて行くのだということで来ておるのですが、業者と
組合とが終日
話合いをしましたのですが、この
話合いがつかないままに分れております。それから五月九日になりまして、午前九時頃でございます。
日通の
トラツク五台を
正門の前に乗りつけまして、
日星産業が参
つておりますが、そこで
組合側と業者側とが問答を始めまして、当日の十一時に
組合からその業者に対しまして、一時から三時までの間に
組合大会を開いて善処したいから、それまで待
つてほしいということで、
日星産業はその要望を聞き入れまして、そのまま待
つております。三時半になりまして、
組合の返事は、やはり総会を開いたが、
組合としては飽くまでも合法的な線で
出荷を阻止するという態度を決定されたという返答だ
つたのであります。更に押問答を重ねまして、それからその
状況をあれしましてか、五時頃に警官が約百名ほど、これは鏡署に待機してお
つたようでありますが、その
心配をされてれ
つたようであります。それが午後七時三十分になりまして、
組合は更に
会社側と業者側とに
団体交渉を
申入れております。これには
警察の署長もお立ち会いなさいまして、それでここで
交渉を重ねてお
つたわけでありますが、夜の九時になりましてもその
交渉が埒があきませんので、夜間に搬出もむずかしかろうということと、それからやはり
工場長が
事態を円満に収拾したいというような基本的な考え方もございまして、九時にそれぞれ分れまして、それから
ピケ隊も九時に解散しておりますが、
会社側の要望は、明日の十一時までに
組合から何とか誠意ある解答を求めたいということで分れておりまして、翌十日を迎えたのであります。ところが十日を迎えたわけでありますが、
組合の
話合いはやはり
出荷しないという基本線一点張りでありまして、それでここも物分れにな
つております。更に五月十一日になりまして
日星産業と県
購連の代表が
トラックで乗りつけて、これも終日押問答を繰返しておるのであります。十一日の
状態は大体
トラックが十数台参
つております。
ピケ隊が百二十各から、四時半頃になりまして三百五十名になりまして、非常に
ピケ隊が増員されたという
状態であります。それで当日は二時半に八代労政事務署長が斡旋に見えまして、それでいろいろ
組合と業者と話合を、円満
解決を要請したのでありますが、結局これも
ピケ隊に押し返されて帰
つたということであります。而も業者の方々はこのときに、我々はやはり強硬に
肥料をもらうんだという決意を現わしております。翌五月の十二日は雨のために、これは
出荷中止ということで、
ピケも前日とは違いましてそうその人数も殖えておりません。十三日になりまして本日のこの
会議で取上げられておる問題に
なつたわけでありますが、午前十時に県
購連の
トラックが十六台、これにほかに
日通の
トラツクが十台参りまして、これは
農民代表が約四百名というような新聞の報道でございます。それでこれが参りました。その前に、
ちよつと話が前後いたしますが、その前に、県
購連の
トラック一台が乗りつけております。そのときの
ピケは大体三百名から三百五十名というふうに
現地からの情報で承知しております。新聞の報道も三百五十名前後こ報道しておるようでありますが、その九時半に参りました一台の
トラックと
ピケ隊とが押問答しておりました。その後十時になりまして、今申上げましたように二十六台の
トラックが引続き踵を接して押し寄せるという
状態であ
つたのであります。ここに
農民の方々が
肥料の
施肥期を迎え、而も今この機会を外したら——ということで非常に強い覚悟と要望を持
つて参
つたということが、この当時の空気であ
つたようであります。
それで十時過ぎに、その押問答の間に、県の
警察隊の後方車に署長が乗られて、そしてそのほかに警官が約二十名来場しております。署長はその
工場に……メーデー以降
組合と業者側と
工場側と、いわゆる斡旋、それから勧告をなしております。これは数回繰返しております。それで十時半になりましてから、
農民の一部が
ピケツト・ラインを突破するということで、
先ほど警備部長のほうから御報告がございましたように、小競合があ
つたわけであります。そのときには
ピケ隊が
工場側のほうに向けまして、いわゆる背をこちら側に向けて、いわゆる無抵抗の
行為を示したということであります。それでこの
状況を申上げますと、
工場の
正門の前が約十四、五メートルの幅があろうかと思います。それで道路から
工場に入ります間が約二十五メートルあろうかと記憶しております。それで道路から
工場の敷地に入ります一番広いところの幅が二十二、三メートルにな
つておると記憶しておりますが、そのうちに
正門の前に八重九重に
ピケ隊が張られてお
つたということであります。それで
工場に向いまして一番先に張られてお
つたのが、これが従業員の、
組合員の家族を含めた主婦隊であります。それから真ん中が当社の
組合員であります。それから一番その前段にあ
つたのは、これは
友誼団体、即ち第三者の
団体であ
つたようであります。当社の従業員が百四、五十名これに参加してお
つたように聞いております。
従つて三百名から三百五十名くらいの者がその狭いところに十重二十重に腰を下ろしてお
つたというのが
ピケ隊の
状態であ
つたようであります。それで、その間に
農民との小競合が、問答がありまして、
農民は何としても突破して
肥料をもら
つて行くんたということで、小競合を生じてお
つたのですが、十一時四十五分になりまして、
警察隊は告示を提示しておりますと同時に、マイクを以て
ピケ隊に解散を勧告しております。その間相変らず署長から業者と
組合との斡旋を続行しておるというのが、内部の
工場との間のことだ
つたのでございます。その公示でありますが、
出荷の
妨害をやめよ。農家の渇望する
肥料出荷を阻止することは明らかに適当な
争議行為を
逸脱した
業務妨害である。
諸君が飽くまでも
妨害する以上、
警察は断乎違反敢行者を逮捕し、一般の
不法行為を
排除するというのが公示であります。午後二時半にその最後の勧告をやるということで放送いたしましたが、それで二時八分に
実力行使をや
つております。その
実力行使は、
現地を見たわけでございませんのでわかりませんが、警官のほうは警棒を収めまして、それでこう、いわゆる腕を組んでお
つたピケ隊に、前列のほうから、まあ業者と小競合をしているところから入
つて行
つたというのが
状態のようであります。従いましてまあ植木を植え替えるというような
状態で、
ピケ隊を何と申しますか、腕を下ろしておる
ピケ隊を、そのまま別のほうに
排除するというようなことでの
実力行使というふうに聞いております。従いまして非常にまあ
実力行使といたしましては、公正な、堂々としてお
つたものであ
つて、而も
組合員の態度も何らこの
警察の
実力行使に対しては、
行為を示さずに、これも非常に穏かだ
つたという話が、
現地の情報であります。それで、一応十分間ぐらいでその
ピケ隊を
排除し得まして、
トラックが中に入
つたというのが、当時の実情でございました。これが二時八分、午後五時に警官隊は解散をしております。
以上がこの五月十三日の
事件の
概要でございますが、当日は気勢が非常に上
つておりまして、外部
団体の応援も、日本共産党の旗を旗頭に十五、六流旗が出てお
つたというのが、写真でも現認されております。
以上で
概要を終ります。