○鮎川義介君 私は今回の御諮問の点三つあると思います。
一つは
私的独占の
禁止及び
公正取引の
確保に関する
法律の一部を
改正する
法律案、二が
特定中小
企業の安定に関する臨時
措置法の一部を
改正する
法律案、三が輸出取引法の一部を
改正する
法律案、この三つだと思います。これはいずれも非常に重大な問題でありまするが、私は実は日本が敗戦いたしましてこういうふうに
なつてから、日本を復興するにはどうしたらいいかということを大分研究して見ました。恐らくこういうふうな
法律で頽勢を盛返すということは不可能だと私は思うのです。
改正してもせんでも同じことになるのではないか、いずれは……、という
考えがございますから、私は今回これはいいとも悪いとも何とも申し上げまいかと思
つておりましたけれ
ども、併し他日やはりこういう問題は何か言うておかないと賛成いたしました場合にもどういうわけで賛成するのか、不賛成であればどういうわけかということを言わないといかんような良心もございましたので、一応私のこれは質問ではありません、
意見です、申立てることをお許し願いたいと思います。それはこの一番主にありまする
独占禁止法のできた原因から申上げまするというと、私から申上げるまでもなく、これは占領政策がこれを命じたわけでありまして、いわばこれは戦勝国の、日本に科した一種の罰則と思
つたらいいと思います。私は皆さん御
承知のように、大
企業をや
つて参
つたものでありまして、殊に財閥扱いを受けたのであります。そのことに関しまして随分深刻な取調べを受けたのでありまして、その間に感じましたことは、日本があれだけの戦争をや
つたというのは原動力の
一つとして財閥が非常な大きな力を振
つた、少し極端に言えば財閥が儲けるために戦争に加担して戦争を始めさせたんだ、というようなことまで
考えて我々の取調べに当
つたと思われる節が多々あるのです。で殊に私なんかは満洲にその力を伸ばしたものですからああいう国を取
つて、そうして財閥的な利益を壟断しようというふうなことでかか
つておりはしないかというサスペンスを持
つて随分そのほうから申されたのです。結局これはそうでなか
つたということがわかりましたけれ
ども、併しああいうふうに財閥の解体をするというようなことをや
つたのは全く日本を無力化しよう、再び戦争を始めるがごとき力を持つ、即ち強くなるということはいかんから、弱く弱化するという
一つの建前からああいうことをや
つたものにほかならないのです。日本のために善政を施して日本の民衆をよくしてやろうということは、それは無論そういうことは謳われておりますけれ
ども、本当は再びああいう戦争を起さないためには財閥のようなものがあ
つてはいかん、だから成るべくこれを小さく小分けにして、砂のようにする。コンクリートじやいかん、コンクリートでは力が出るからして、どうしても
一つ砂のような無力なものにして、おのおの小さくして無化力するということが一番必要だということからああいうことが出たものと思われるのです。でありますからして、我々はそれを
国内的に
考えまするというと、従来財閥に対するいわゆる今日の民衆といいますか、中小
企業というか、そういうふうなものとの間に
一つの溝のようなものがありまして、これがいわゆる思想的にいろいろ私は問題があ
つたと思うのですが、この点は私は先だ
つても公聴会のときに社会党のかたがおつしや
つたようなことは、あれは観念的にはそういうふうにお
考えになるけれ
ども、実際財閥というものはそういうものじやなか
つたということはいつでも私は証明ができるのであります。この事実でないことを
一つの観念、前提
条件としてものを判断して行くということは非常に恐ろしいことになりはしないかという私は
考えを持つのであります。若しそれが本当に事実であれば、これはどこまでもその問題を解決して行かなければならない。誤解によ
つてものを
処置して行くことは非常にこわい。というのは戦勝国が日本に科したところのその
一つの取極というものに却
つて乗じて、そうしてだんだんやればやるほど、志は日本を民主化してよくしようと思
つても、逆に日本が弱化して立つ能わざる境地に立ちはしないかということも
一つ考えなければならない。こう私は
考えたのであります。これは
一つの誤解というものがもとをなしておることから、そういうことに行きますので、私は従来昭和十二、三年頃の、明治御維新からこつち日本の力が出て来たということは、これはやはり財閥のようなものが、丈夫なものが出て来て海外に対しても対抗力を持ち、又
国内においてもそれが
一つの財の大きな塊りがあるために下草が育
つたということで、下草だけじや育
つて行かない。要すに
一つの大きな松の木があ
つてその松の木の露に下草が潤うて下草は繁茂し、松の木も又その下草があるがために自分が青々として行けというような、相互関係というものがあるということが、大体世の中にあることでありますから、それで財閥があるために非常に下草が栄えたという事実はたくさんあります。若しあれが、財の塊りが相当なか
つたらば、昭和十二年頃までの日本の
経済的の、あれだけの発達というものは恐らくなか
つただろうと思うのです。ということは、日本にどうしても資源が乏しいのでありますからして、資源の多い国と同じことをしてもいかんのであります。資源の少い国は少い国のような
やり方があと思う。今日必ずしもアメリカの言うておるような問題が、すべてが世界的に及んで行けものじやない。立地
条件も違
つておりますから、いわゆる貧乏人は貧乏人の
やり方というものがあると思うのです。それをつまり占領されて、負けたがために何でもかんでも勝
つた人の言うことを聞かなければならんということは、非常に私は間違いだと思う。
そこで私はその中小
企業問題というものを相当実際に研究して見ましたが、結局中小
企業というものは今日のような情勢に陥
つているということは、行政とかいろいろな他の圧迫というものよりも、じかに非常に病気がある。中小
企業者の内部に殆んど逸すべからざる病根を持
つているということです。それは何かと言うと、業者が、同業者というものの組合があ
つても、それがお互いに強力な結束をすることができないということなのです。これは殆んど例外なしに私は申上げることができる。ということは、中小
企業者というものは大体個人的に立身出世のつまり達人がそういうほうに行くわけでありまして、いわゆるマス・ゲームできない、マス・ゲームには適しないような性質のかたがたが中小
企業者になるわけであります。むしろ一緒に
なつてや
つたらいいというのは、サラリーマンになるとか、お役人になるとかいうような人が却
つて一緒になる力が強いのでありまして、中小
企業者は、その者は非常に立派な人であし、又刻苦精励もされるし、財産がないとい
つたところで普通の労働者よりも財産を持
つておる。それから自分のところには労働問題にしても、オフ・リミットに
なつておるというようなことで、大体はいい
条件に恵まれておりながら、同業者が集まるというと結局損ばかりするということは、結局お互いが相反揆して、結束しないということから来る。その病気を治さなければ、対外的な問題から言うて、財閥があるから自分たちは駄目になるのだという観念は私は間違いだと思う。じかにその根、下の大きな病気を治して、そうしてそういう問題に取組まなければならないと私は思う。その点は私が随分長い間実際問題として研究して見まするというと、これは殆んど私は、漏れなく日本全体の中小
企業者間にはびこ
つている大きな、深い病根というものは、そこにあと思う。それでありますからして、若しこれが、自分たちがよくなろうと思うならば、お互いが相助け合
つて、強力なる、要するに力を以て行くこと以外には方法はないのです。それを持たないで、そうして自分たちが今日都合の悪いのは、強力なものがあるからして駄目だという
考え方は、それは
一つは現象として現われますけれ
ども、大体において私は自分のほうがまだベストを尽しておらんというところに大きな欠陥がある。それで私はどうしてもそういうふうにするには政治力というものがなくてはならんというようなことから
考えまして、今回参議院に出たような次第でありますが、この点について私は確固たる信念を持
つておりまして、それは悪いことは悪い、いいことはいいということに
なつております。併しながらそれだけでありませんけれ
ども、それは非常に中小
企業者自体が顧みて是正しなければならん大きな私は欠陥だと思う。でありまするからして、それがあるために或いはこういうふうの
法律がいろいろできましたところで、その問題はますます直らんほうに近付くんじやないかという虞れがありますから、私をして言わしめれば、この
独占禁止法というものは全然ないがいいと思うのです。私はこの日本が敗れて今日復興するには、これを少々これぐらいいじ
つたところでは日本の
経済力というものは復興しないと私は思う。やらんでもや
つても同じことになりはせんかと私は思う。けれ
ども若し本当にこれは日本の中小
企業なり或いは
財界をよくしようというなら、この
独占禁止法というものは全部私はやめることがいいと思う。そうすればおのずから自己に立返
つて、自分が必ず……、貧乏人は貧乏人の長所を持
つておるわけです。必ずしも貧乏人が金持のまねをすることはない。金持を羨むこともないと思うのです。自分が、金を持
つた人は非常に体が弱いということのためにそればかりを気にしておる。又貧乏人は金がないために金の持
つておる人を羨む、権力のない人は権力を持
つておることを羨むという、いわゆるジェラーシーの落伍心理というものが非常にあるんです。そういうことについてこうい
つたものでは私は駄目だと思うのであります。やはりそれは正々堂々の自然の法則に
従つて行くべきものであから、私は中小
企業者というものも自覚して行けば必ず中小
企業は中小
企業で
独占禁止法がないほうが、むしろよく行くという場面もあると思います。これは私の議論でありますからここでどうこうということを申上げる時間もありませんから申上げませんが、私はそれを確信しております。若しも
独占禁止法がなく
なつて、そうして自己がどうしてもこういうふうにして行かなければならんという場合に、そういうところの境遇を与えれば必ず私は発奮して今よりよくなる。こういう
法律ができて保護するよりもう少し一段と発奮した大きな産物が私は出て来るのじやないかという自信を持
つているのです。だからこんなものはおやりに
なつても又これは変えにやならんということがある。ただ併し
政府のあり方といたしまして漸進的でもこういうことをやらなければいかんというお
考えでおやりになるならばそれはよろしうございますが、私はこれがや
つたからして、不景気がよくなるとか、中小
企業者が非常に全幅的に立直るだろうということは私はあり得ないと思うのであります。それだけ
考えているということを私は申上げまして、そうして本法案はどちらでも私は大差ないと思いますけれ
ども、まあ併し折角できたことでありますからそういうことにするのだ、将来は
独占禁止法というものは全部やめるのだというお
考えを私は持
つて頂きたいというために賛成したいと思
つております。