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一松政二君 今の
海運局長の
お話を承わりますと、いよいよ以て事務担当者の
考え方が露骨に出ている。この
日本の国民が一番迷惑しておるのは各省の縄張り争いである。私も曾
つて行政官吏の政務次官をしておるときに、
行政制度審議会に列席して、つぶさに各省の
意見を聞いて、そうして私
ども或る省の管轄を共同にな
つているということを、或る省の主管にしたほうがいいという
意見を述べたところが、もうその取られるほうの側に立
つた省からは、目の仇のように私に、私の言論は人間に対してはあれは今度は出せないくらいのところまで言うた。或る省が或る省の
局長以下の役人がいるわけですが、今私はなぜさつき速記をとめさしたかというと
大臣がロボツトにな
つてしまう。
大臣は主管
大臣以上、一歩も出なくて、そうしてどうにもならんようにな
つて、
国務大臣としての働きは公然なくな
つて、
政府の決定
意見でさえも各省の事務担当者はそれに甚だ不服であるということになる。不服は止むを得ません。今の
海運局長の輸入船を例にとられたことを私は見込違いだと思う。私はこの見込違いは朝鮮事変が起
つたときに
日本国家全部が見込違いしておるのです。あのときに、あのときの
政府が備蓄輸入を極力奨励しておる。そうして
日本の
経済は今日不渡手形でいろいろ騒いでおりますけれ
ども、その原因はあのときの輸入過多にあるわけです。今の船腹の輸入もこれは見込違いで、もつと
海運の好況が続くであろう、朝鮮の戦乱も続くであろう、或いは第三次大戦にこのまま行くかも知れないというようないろいろな想定から、そういうものをや
つたのであ
つて、
最初に輸入した人は、今日でもなお算盤がとれているが、もうこれはああいう事変なり何なりが起
つたときには、必ず輸入超過や、輸入過多の問題、これは遠くは大正十二年の関東大震災の
あとに、あれも輸入、これも輸入で、
政府自身も又輸入を奨励しながら輸入過多に悩んだ。今度の朝鮮事変でもこの輸入過多に悩んで、そうして昨年の一月二十七日参議院において私は大蔵
大臣にこの責任の問題について正式に
自由党を代表して
質問演説に起
つたところ、池田大蔵
大臣は、
政府にも責任があり、銀行にも責任があり、当
業者にも責任があるということをはつきり言いました。ただ責任の帰趨を明らかにしたけれ
ども、その処置について荏苒今日に及んでおる。
従つて今日の
日本の財界の病はますますいわゆる膏肓に入りつつあ
つて、決して表面を糊塗しておるような、そんな平穏なことではない。今日
海運局長は非常に造船
業者と
海運業者のことを御心配にな
つておりますが、これは
日本経済の全般を最も端的に現わしておるものであ
つて、ほかの
業者とい身
ども今日満足に税金を本当に納められる
業者というものは少い。ただこれは借金が増しておるだけだ。決して正当な利益から配当をし、金利を払える会社というものは実に少い。これは見込違いである。見込違いというものは私は
政府がどんどん見込違いをするのですから、如何に
許可制を持
つていようと、見込違いというものは起る。
従つて過去の見込違いを例にと
つて政策の根幹に織込んではならない。如何に聡明な
海運局長であ
つても、如何にこれをリードしてお
つても、
あとから
考えればこれほど人間のしたことで無駄なことはないことはお互いに百も
承知しておりますが、見込違いなんです。けれ
ども許可制があ
つたから見込違いをしている、
許可制がなければますます見込違いが大きくなると言うが、それほど
日本の
業者というものは馬鹿ではありません。お互いに
自分の身がかわいいのですから、
自分の危険においてするのですから、よほど慎重にやりますからこれは
許可制の有無と私は
関係がないと思う。
それから今の
管理法の問題についてはこれは
一つ運輸大臣にお任せを願
つて、そうしてそういうことがあるから二重に
許可制を持
つていなければ
日本政府の
政策に矛盾を来たす。
あとから
考えればどんな批判も起ります。それは私は
総理大臣以下いわゆる
政府、
内閣というものに対して頗る私は不信の言動であると思う。これは私は
事務当局としては或る
程度反省をして頂きたいと思うのです。で私は今の
理由では私は納得行きません。併しながら私は最前も申上げましたように、
泥棒にも三分の利がある、それを私はいつも例に引きます。でありますから、必要であるという理窟も立つのですよ。併し必要でないという理窟は更に以上立つ。その割合はどつちかということになると、それは見る人によ
つて違うと、こういうことになる。でありますから、あなたは必要であると言うし、私は必要でないと言う。これは或る
程度平行線を描くかも知れません。でありますけれ
ども、私はさつきの
理由では納得の行かないことを申上げて置きたい。
そこで私は今度は
船舶建造調整
法案のことですが、そこで一方では一万トン或いは七、八千トン以上のいわゆる遠洋航海に向く船において何らかの紐をつけて置きたいというくらいのことなら私はわかるのです。それは紐をつけなくても私はいいのですよ。いけるのです。けれ
どもその
程度のものだ
つたらあ
つて邪魔にならないという
考えですけれ
ども、今の五百トンに下したのは思想的に矛盾があります。五百トンのほうはこれを抑えよう、遠洋航海のほうはうんと造らせようというのです。金を無理して、
日本のこの足らん金を
運輸省が一生懸命にな
つて我が田に水を引いて船のほうにできるだけうんと持込みたいという
考え方から来ているのです。一方五百トン
程度のものは
建造を抑えようという精神から五百トンにしたと、こういう
説明になるので、私はその必要はないと思う。それなら私は要らんけれ
ども、なぜそれだ
つたらもういわゆる
日本の旧領土であ
つた程度の或いは中国に行ける
程度の
船舶においては、私はそれは要らん。
船舶がいろいろ
変化して今日では不適当であるというような船もあることは、これは占領
政策が悪か
つたからそういう問題が起きて来る。占領
政策で
日本に船を造らせるつもりはなか
つた。
日本を
海運国にするなんてことは到底占領の当時では
考えていなか
つたことで、
建造を第一許させないし、僅かに辛うじてだんだん
情勢が
変化しても、船が一番遅れている。
建造を
許可するときにはスピードの制限をして見たり、型の制限をして見たり、大きさの制限をして見たり、あらゆる妨害をした。そうして
日本の近海の運賃を高くして
日本は占領によ
つて苦しんだ上に、運賃によ
つて世界の各船会社或いは各国から大いに搾取されている。或る船会社の者に私は三四年前に汽車で一緒に乗り合せたときに、もう二年ぐらいはいるけれ
ども、
日本の船会社ができ上
つたら僕は用はないから帰るよと言
つておりました。
日本の船の高いときに来てしこたま儲ける。その間に儲けて、それから
日本の船ができれば我々は用がないから帰るとはつきり言
つておりましたが、そういうわけで、
政府の金を使
つたりなどしても、今から見れば好ましくなか
つた船もできているわけです。それは依然として
許可制があ
つたけれ
ども、更にもう
一つ強い占領当局によ
つて制限を受けたんですから、これは私は自由にしてはどうかと思います。この
許可制を見れば、輸出船も当然私はこの中に包含するのだろうと思うのですけれ
ども、輸出船に対して運輸当局は何の条項によ
つて抑えられるとお
考えですか、この法文から言
つて……。