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本間委員 時間がおそくなりまして恐縮でありますが、ひとつ私の日ごろ
考えておりますることでお尋ねをしたいと思うのであります。
最近の
教科書と申しますか、教材がどういう
内容のものか私は十分承知しないのですが、たとえば昔儒教の非常に盛んな時代は、いろいろその当時の道徳と申しまするようなものに、なじむ機会が非常に濃いわけだと思うのであります。たとえばイギリスでもアメリカでも、宗教と申しましてもキリスト教が中心で、それが一つの
社会的な基盤にな
つておりますから、そこで人として必要ないろいろの教えなり何なりを受ける機会があるわけであります。ところが
わが国では、御承知のように
終戦後、従来
考えられておりましたいろいろな価値とか道徳の基準とかいうものも、異常なあらしで荒されているわけでございます。なるほど
日本の
教育が一宗一派に偏さないということも大事なことだと思いますけれ
ども、今の
教育制度、たとえば
義務教育で算数を習う、あるいは読み書きを習う、音楽を習うということは、それでけつこうなんですが、たとえば人に親切にするとか、博愛だとか、あるいは責任を重んずるとかいうような、一つの道徳と申しますか人の道と申しますか、そういうものを教わる機関というか、機会というものがやはり大切なのじやないか、実はこういう気がするのでございます。従来、昔の
教育制度で申しますと修身というような科目がございまして、そこでいろいろそうい
つたような題材が取上げられてお
つたかと思うのであります。これはかりに修身を復活するにいたしましても、その道徳の基準をどこに置くか、あるいは題材の選択をどうするかということは、今の時代から申しますと非常にむずかしいと思いますけれ
ども、しかし何かやはりそういう教養を得る機会が、
日本の今の
教育の中になくちやならぬのではなかろうか。そうでないと、宗教と申しましてもたくさんの宗教がありますし、ことに仏教が一番多いのでございますが、仏教はただ死んだときに葬式をする場所にな
つてお
つて、そういう機会は実際の問題として非常に少いわけでございます。だから
日本の
教育制度の上で、そういう道徳
教育と申しますか、言葉はどうでもいいのですが、そういう機会がどうしても今後
考えられて行かなければならないのではないか、実はそういう
考えをふだん持
つておるのであります。それは修身というような科目が設置されて行
つた方かいいのかどうか、その点まで私は突き詰めて実は
考えておるわけではございませんが、一般的にそういう感じを持
つておるのであります。そこで
文部省として、道徳
教育と申しますか、そういうものについてどういうお
考えを持
つておるか。もし今までにそういう
教育の面を、やはりいろいろな角度から
検討して行かなくちやならぬではないかということで
検討されたことがおありならば、こういうつもりでこの問題を実は
考えているのだ、今までこうな
つているのだという程度でけつこうなのでありますが、あるいはそういう機会が今までいろいろな仕事の
関係でなか
つたとすれば、今後ひとつ
考えていただきたいというような
考えを持
つておるのでありますが、
大臣からでもその他の方からでもけつこうでございますから、御見解を承ることがでざますれば仕合せだと思います。