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瀬口証人 お答えいたします。その点に関しては、私は確かに過去において警察のある種の
取調べの態度に対しては、拒否の態度をと
つて来た。そして最近までは、しばらくの間は安静に療養するために非人道的な追究は回避して時を待
つたのです。そのことは当時の状況をお話すればよくわかると思います。これはさつきの問題とも関連して来ますが、大体私は非常に重い病気で、そしてまだ一日に十五分――これは私が無理に医者からせびりと
つたのですが、その
程度の散歩でも
ちよつと無理なのです。さつき私が
東京くんだりでたびたびかけまわ
つて行動しているようなことを言いましたが、これはお医者さんに聞いてみてくだされば、そんなばかなことができるかどうかすぐわかる。それはもちろんたまに一回くらいは無理をすればこうや
つて出かけられるのです。しかしこうや
つたあとはてきめんに次の二、三週間から一箇月くらいこたえる。しかしこたえた
つてぼくはきようはあなたのおつしやるようなそういう誤解を解きたいためにここに来なければならない。私はそういう
状態でいきなり不法な襲撃を受けて、そして不法な監禁を受けたのです。そしてその中で、そのままの
状態でやみに葬られるか、それとも国民として不名誉な生き方をするかというばかげた選択を迫られて、結局は自分の命を断とうとするようなことにしか行くことができない
状態に置かれて来たのです。それでそのことに関しましては、私はこの問題は
あとで解決する、こういう事実は国民に知らせなければならないという気持と、それからもう一つは、自分の病気の苦しさの上に夜昼寝させないひどいいためつけられ方のために、ぼくは遂に自殺も試みましたし、それから最後にはやつらの一言一辞をのがれるためにやつらの言い分に頭を下げました。しかしこのことは、後に国際的に見れば、ローゼンバーグ氏とか、
日本においては松本三益氏とか、そういうような人たちが非常にりつぱに行動したその態度というものは、陰謀者などにすきを与えない、正義を守るということの態度はこれでなければならないということで、私は非常に打たれた。それで私は、たといここで額にどろをつけられてもやり抜かなければならない、こう今決心しております。それが今度釈放になりますと――釈放ではない、とにかく国民によ
つて私は救い出されたのです。救い出されたときに、すぐさま私に降りかか
つて来た問題は何かというと、私が弱か
つたことのために出て来ておる弱所をつかんで、まだまだ陰謀の継続がずつと迫
つてお
つたということなんです。さつき私がOSSからCICに至る一連の径路の説明をいたしましたが、その中で
はつきりしておるように、アメリカの謀略というものは非常に深く、今ではそのにおいが大分世界の各地でして来たわけですが、それが政府の機関の中へさえも食い込んでおるという事情があるわけです。
あとでいずれ
はつきりするでしようが、しかも
板垣君の例を見ましても、警察がそういう謀略に手を貸しておる。私の
事件にしましても、ちやんと国警長官は知
つておるということを米当局者が私に言明しておる。それからそれを知
つておる人たちが、その
事件が明るみに出そうにな
つたら、今度はその善後措置を相談しておるという事実も、これは国警長官自身がお話にな
つておる
通りです。そういうような事を糊塗するような形があ
つたので、私が外に出て事実を暴露したところが、
電波法違反事件なるものが
あとから
くつついて出て来たのです。しかも私の
発言、それから国民の怒り、国家の尊厳、国民の誇りを守るための怒りというものが非常に強く立ち起
つたときに、その怒りを去らすために、問題の焦点をはずそうとして企てられた芝居があれなんです。しかもその焦点をはずすというやり方でも
つて、当時無理をして病気が非常に重大にな
つておる私のところに、つまり人権を擁護するというここで問題として取上げられた形とは全然違
つた形で私のところに迫
つて来たのです。