○長戸
説明員 お答えをいたします。先ほど
大臣から御
説明申し上げました
ように、
鹿地亘氏を被害者とします
不法監禁事件につきましては、いわゆる三橋
事件と区別いたしまして、東京地検においてもこの二つを切り離して、別個の検事に当らせまして、取
調べの公正を期しておるわけであります。本年の一月十三日に警視庁から
事件の引継ぎを受けまして、ただちに
刑事部の検事に
担当を命じ、慎重
調査する
ように指示いたしたわけでございます。最初こういうふうな
事件の建前といたしまして、被害者と目せられる
鹿地さんからまず第一に
事情を聴取したい、こういうふうに
考えてお
つたのであります。また猪俣
委員の一方ならぬ御協力もあ
つたわけでありますが、同氏の健康上の
理由等からいたしまして、臨床の取
調べもできない
状況であ
つたわけでございます。そこで
国会におきまする
鹿地さんの証言を一応のよりどころとして、
大臣からも御
説明申し上げました
ように、山田善二郎外二十数名の
参考人を取
調べ、現場検証等をいたして参
つたのであります。二十六年の十一月二十五日ごろ江ノ電の鵠沼付近路上におきまして、五、六人の
軍人になぐり倒されて、岩崎別邸に連れ込まれ、同月の二十九日ごろまでの間同所に監禁されてお
つたのではないかというふうな事実につきましては、問題の岩崎邸の検証さらにそこの元使用人でありますところの齊藤正太郎というものを
参考人として取
調べ、その他についても
調査をいたしたわけでございます。同月の二十九日ごろ川崎の別荘風の家に連れて行かれ、翌年二十七年の三月ごろまで同所に監禁されてお
つたのではないかという事実につきましては、これは
鹿地さんのこちらの御証言その他を参考にいたしまして、大体場所を想定して、東銀の東川クラブというふうな推定をしてそこの検証をいたしております。また東川クラブのコツクでありました山田善二郎、それから雑役の榎本正雄、東川ヤラブの雑役でありますところの渡辺利三郎、それから同じく雑役の松尾良衛その他のものを
調べております。
それから二十七年の三月ごろに茅ケ崎に移されて、その家の二階の一室にとじ込められたまま、同年七月ごろまで監禁されてお
つたのではないかという
条約発効の前後にまたがります事実につきましては、茅ケ崎市の菱沼の中島門吉氏邸の検証、それからやはり同所におりましたところの山田善二郎、それから第一の場所に出て参ります齊藤正太郎あるいは鈴木長松というふうな人
たちを
調べております。
それから二十七年の七月二十日ごろから三十日ごろまでの間に、渋谷の代官山猿楽町小学校前の別荘風の家に移されて、その後十一月の末ごろまで、同所に監禁されてお
つたのではないかという最後の事実につきましては、これも想定でございますが、その家と冒せられる村井恒三氏邸の検証及び村井恒三氏、それからそこの雇い人等の取
調べをいたして参
つたわけでございます。そこでこれらの現場検証なり証人、
参考人の供述等を総合しまして、
鹿地さんがいたのではないかというふうに
考えられますのは、第二の東川クラブと、第三の茅ケ崎の中島門吉氏邸で、ないかと思うのでありますが、その一事実については、ただ病人がいたらしいというふうなことはわかるのでありますが、それがはたして
鹿地氏と合致するかいなかということが
はつきりしない、第四の場所につきましては、当面の
関係人が一名もおらないというふうな
事情にあるのであります。第二、第三の事実につきましても、山田善二郎氏その他の証言が、はたしてそのまま受取れるかどうかというふうな問題もございまして、まず
鹿地さんがこれらの四つの場所におられたかどうかという点だけにつきましても、
鹿地さん御自身の
お話を承わる必要がある。
従つてこれらの場所に
鹿地さんがおられたといたしまして、それが監禁されてお
つたかどうかというふうな問題になりますと、これはまず普通の捜査の常道だと
考えられるのでございますが、
鹿地さん御自身の口からお聞きしなければならぬというふうに
考えられるのであります。
実際を申し上げますと、
鹿地さんの
出頭につきましては猪俣
委員の御協力を仰いで参
つたのでありますが、現在はわれわれの方からは所在不明というふうな形にな
つておりまして、捜査がその
段階で
ちよつと頓挫しておると申しますか、そういう
状態でございます。しかしながら
鹿地さんが出て来られまして、場所の確定なりその他が出て参りますと、それに応じまして検察庁としては現在までの証人
関係人についても、もう一度その話が合うか合わぬかを
考え、さらに外国側に対しましてもそれに基いて申入れができる、こういうふうに
考えております。
従つて現在の
事情ではその程度の
段階にあるということを一応申し上げる次第でございます。