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小川説明員 当時の
新潟少年鑑別所の観護課長として、
板垣幸三の少くとも
身柄の件、それから鑑別の件に関しまして、直接
少年を扱いました立場から、当時の
事情をなるべく詳細に御
報告いたしまして、そうして先ほどからの
委員の方々の御質問の点、それから過日サンデー毎日誌上に出ました記事につきまして、私としてもいささか十分でないと思われる点がございますので、御
説明申し上げたいと思います。あらましの
経過は、先ほどから政府
委員の方から御
説明がありました
通りでありますけれ
ども、なおその
身柄の扱い方に関しまして、私の側から申させていただきたいと思います。
高田の
家庭裁判所の
事件の扱いとなりまして、先ほど申されたように、
高田の代用
鑑別所に数日収容されてお
つたのでありますが、
少年法の
趣旨に基きまして、
新潟にありますところの、私
どもの
新潟少年保護鑑別所に
身柄を移送されたわけです。そのときの移送の執行者は、私の記憶では
高田の
警察吏員二名であ
つたと思いまするが、この
高田の
警察吏員の私への話では、これはおそらく先ほどから話の出ております
通り、占領治下であ
つたという事実に基くものと思いますが、これはすでに
CICが
事情を知
つておる、それでひよつとすると、
CICの方からいろいろ
調査があるかもしれないということを言われてお
つたのであります。従
つて、私としましても、そのことを予期してお
つたのでありますが、なるほど私
どもの方へ入りましてから一日、二日かと思いますが、一日、二日して
新潟の
CICの――サンデー毎日の記事にはオニェール中尉と書いてありますが、私の記憶ではオニェール中尉ではなく、ブーアン中尉だ
つたはずでございます。それからもう一人はフルカワという二世の下士官、それから私の記憶にはなか
つたのでありますが、きのう伺いますれば、
新潟の国警、たしか防犯課の吏員であ
つたと思いますが、その三名が参りまして、この
板垣少年の背後
関係、今までの
経過についていろいろ
取調べたいから、
身柄を貸してくれという申入れがあ
つたのであります。しかしながら私
どもも、
家庭裁判所から
身柄をお預かりしている以上、単に
CICだからと申しまして、
警察に渡すというわけには行かないという
態度は私披露しておりました。しこうして
事情が
事情と申しますか、
本人の申して立てるストーリーというものが非常に複雑怪奇でありましたし、
事件の性質も非常に、重大なものかと思いまして、このことはすぐに
家庭裁判所の方に
連絡して、
身柄を
調査のために貸してや
つていいかということについて相談したわけであります。なおその三名の方が来所されましたときには、私としては先方に対して、次のような
趣旨のことを申し上げておいたわけであります。それは当時
警察その他の政府
機関で、
鑑別所で
身柄を預か
つた少年について、なお余罪その他あるいは現地検証等の必要があ
つて調査するというようなときには、原則としては所内の特定の
調査室で
調べるのを原則とするけれ
ども、場合によ
つて何とも必要があ
つて外へ連れ出さねばならぬというときには、できるだけ短かい時間ということにいたしておりました。その具体的な方策としましては、二日以上つまり一泊以上の時間にわた
つて少年を外へ連れ出すというようなときには、これは観
護措置を一時取消して、
身柄を一時軽くして、そうしてその
調査機関あるいは
関係機関に引渡しする。それからもしそれほどの時間を要せずして、一日でその日のうちに帰
つて来れるということが
約束されるならば、これは場合によ
つて検察庁、主として最終的には
裁判所でありますが、そこの許可があ
つた場合、
身柄の受書をと
つて、必ず帰すという
約束のもとに出してやるという方法をと
つております。お宅の場合、われわれもその
一般原則あるいはその具体的なやり方について当てはめるにしては
事情が全然違うので、大体その内規の中に入
つておらないのだけれ
ども、まあ事の性質上お貸しすることは
裁判所と協議の上でいいということにな
つた、しかしながら一日以上とまりがけで毎日
調べられるというようなことでは、観
護措置の取消しの
決定をしてもらわなければならぬので、非常に複雑になる、もしとめる必要があるならば、毎日迎えに来てくれ、こちらの方からも
身柄の
責任上、教官をつけてやるからということを申し上げてお
つたのであります。それでこのブーアン中尉という人も年配二十代の人でありまして、非常に物わかりのいい八という印象は私として受けてお
つたのであります。なおフルカワという下士官は、いわば通訳の役をしてお
つたわけであります。よくわかる人で、
日本側のそうした
規定については十分尊重しようということを言
つてくれまして、私
どもの主張
通り、
警察その他で
身柄を
調査のために連れ出すときのやり方を準用してこれをや
つてお
つたわけであります。そうして朝になりますと、必要のあるときには車で迎えに来て、うちの教官をつけて、なお昼食等も携行させてや
つてお
つた。そのときは必ず
身柄の受書を私としてと
つておきました。このことは間が若干ずつ抜けたことがありますが、私の記憶では、後ほどそのときの記録が私の手元に届くのではないかと思いますが、おそらく一週間くらいは
CICの事務所へ連れて行かれて、そうして
調べを受けておりました。
ところがこの教官をつけてやるということにつきまして、若干の問題もありまして、一応
向うの方で
責任を持つからということで、
警察の場合もそうでありますが、
警察の場合でも教官が同行するということはない。
身柄の受書をとりまして間違いなく何時何分までに帰すから……、こういうことでや
つてお
つたのであります。そ約の束事項は
CICとしては厳守しておりました。必ず夕方までには返してお
つたと私は記憶しておりす。それからその
調べの内容については、私は詳しいことはあえて聞きもいたしませんでしたが、要するに問題にな
つておりました
密輸船に乗せられてお
つたということ、それから満州におりましたときにいろいろ共産教育を受けたとかいろいろなことがありましたので、その
関係のことを主として聞いてお
つたということを私聞いております。なお
調べ方につきましてもサンデー毎日の記事によりますと、いささか何か体をがんじがらめに縛
つてまでひどい
調べ方をしたような印象を与えるごとき記事にな
つておりますけれ
ども、これは事実と違うことと私は推測します、というのは、そこでや
つておりますことは、うそ発見器というものに体を縛りつけるというのは言葉が悪いですが、うそ発見器を用いて
調査をした、これは私の持
つております観念では、
アメリカでは一般に俗に言ううそ発見器がこれは学術的にはいわゆる精神検流計、P・G・Rというものでありまして、当時私
どもの
鑑別所にも一台和製のものが購入されてお
つたのです。
本人がある日
調べから帰
つて来まして、うちの精神検流計を見て、これと同じようなものが
CICにあ
つたというとを言いました。私もその心理学の方の知識で今の
関係のところに勤務しているわけでありますが、
アメリカの精神検流計、俗に言ううそ発見器はいろいろな式がございますけれ
ども、身体の多少の動揺があ
つても非常に鋭敏な機械でありますので精神電流が移動するのであります。そういたしますと的確なる診断ができかねるものですから――
アメリカのある種の機械は体をいすに固定して、そしていろいろな式がございますけれ
ども、腹部それから腕部、そうい
つたところにバンドをかけて精神検流をやるのです。そのとき
板垣少年がその機械で
調べられたということは――私記憶いたしませんけれ
ども、少くも
本人は同じものが
CICにあ
つたということは言
つておりました。今から察しますにおそらくその式の精神検流計でテストをされたものと私は解釈しておるのであります。一般的に言いましても、
CICにおける
取調べが苛酷であ
つたかどうかというようなことにつきましては、私の印象としてはむしろその逆であ
つたのではないか、少くも
新潟の
CICにお
つた限りにおいてはさようなことはなか
つた、その証拠には
少年は連日の
調べにもかかわらず比較的喜んでお
つたのであります。当時はまだ食糧
事情もあまりよくない時分でありましたわけですが、進駐軍
関係は御存じの
通り非常に食糧
関係はよろしい、それで
向うで――うちでも昼食は持たしてや
つたのですが、ほとんど握りめしに若干の副食があ
つたくらいのもので、それは一般の
少年とかわらぬわけですが、それよりも同じ
向うで出してくれる食事の方がすばらしい、それでほかの、同時期に収容されてお
つた少年たちがむしろうらやましが
つてお
つたくらいであります。そしてまた
少年の間で
新潟の
CICで苛酷な
調べを受けたというようなことがあれば必ずそうい
つた話が伝わ
つて、それがまた
関係しておるところの職員に伝わるはずでありますが、いささかもさようなことはなか
つた。従
つて私といたしましてもその間
取調べについていささかの疑念も持たなか
つた、むしろそうい
つた点では背後にそうい
つた事実があります
関係上私
どもの方へ収容されて、そして
調べを受けております
保護事件の内容、これは先ほど字田川局長から
お話がありましたけれ
ども、単に
少年法の制限内では行き倒れとい
つたようなことで
保護事件とな
つたわけなのでありますが、それ以上の
CICの
調べたような
事件の内容であれば、これは
少年の
保護事件を超越した問題と私は解釈いたします。これを
調べる
機関としては当時の
日本政府
官憲も当然参与してしかるべきものでありましようが、当時はとにかく占領時代でありまして、
CICがこれにタッチして来たところで、私はいささかの疑点もないと思います。しこうして先ほどから
少年の
調査の請求に当
つての私のと
つた処置というものにも私はいまだ間違いはないと思います。それから同時に
CICのブーアン中尉に対しましては直接今のようなことを申し入れて滞りましてこれは私
どもは
少年の
身柄を預か
つたのだ、しこうして
事件は
新潟の
家庭裁判所に係属しているのだが、
日本の
裁判、
日本の法律というものは、これは厳に遵法してもらいたい。従
つて決定に影響があるようなことは差控えてもらいたいというようなことを申し入れましたところが、ブーアン中尉という万は非常に理解のある方で、よろしいというようなことでありまして、なお
アメリカにおける
少年保護事件の扱い方というようなことにつきましても彼の知
つている限りのことを私に教えてくれなどしまして、きわめて友好的にしかも守るべきところは厳に守
つて、お互いにや
つたつもりであります。それからなお
向うとしましては一体
決定がどういうふうになるであろうかというようなことについては、私が折働の前面に出ておりました
関係上私によく聞きましたけれ
ども、御承知の
通り決定は
家庭裁判所でやることで、私
どものあずかり知らぬところである。従
つてあなたに対してそのような情報を提供することはできないという旨をはつきり申しております、そのこともわか
つてお
つてくれたのであります。いかなる
決定があ
つてもよろしい、しかしわれわれの方にも
調べたいことがあるから、さつき
言つたこういうことで
調べたい、そういう話で、それから最後に行きまして、どうか
保護処分の
決定があ
つたならば、
自分の方へすぐさま
連絡してほしいという要請がありました。これは何ら他意のあるものでありませんので、私としてはよろしいというので承知をいたしております。そうしておそらく審判の期日も五月の三日だ
つたろうと思いますが、その日までこれはどういう
決定を下されるかということは部外者としては知らないわけでありますが、その日に係判事の審判でいわゆる
保護処分ではなくてそれのらち外に若干出る、これは宇田川局長さんの範囲になるでありましようが、
保護処分のややらち外に出ている、
試験観察という
決定があ
つたわけであります。この
決定がありますれば同時に出所の指揮書が出るわけであります。そういたしますとその実施をせねばならぬということになりますと、うちの
身柄ではなくなる、
鑑別所の
少年についての
身柄上の
責任は
決定があれば切り離すわけであります。ですから先ほどからの
委員殿の
お話にありました
通り、あるいは役所流の考え方をすれば、そこでわれわれとしてはしでに手を切
つてもいいはずであります。少くとも
鑑別所としましてはもう
あとのことはどうでもいいということにな
つてもいいわけでありましたのですが、私がその
約束に従いまして
CICに
決定を伝えたところが、実は
新潟でいろいろ
調べたけれ
ども不明な点が多い、ここではらちが明かないので
東京の本部ヘと称して、
東京の本部へ連れて行
つて調べたい、こういう申出がありました。これも私
ども鑑別所職員の場合は法的にあずかり知らぬところでありますが、今まで私が折衝の前面に出ておりました
関係上、これを今度は
身柄並びにその
試験観察処分の実施については
家庭裁判所の手の中に入
つて来たわけでありますが、これをすぐ
家庭裁判所に知らして、
矢部与作さんのところに
試験観察のために
保護委託されるわけだが、
CICからこういう依頼があ
つたということを私は伝えた。そうしてそのことに対しまして、
裁判所側からは、結論的に、その必要があるのではないかということでよかろうという話にな
つたのであります。それで私
どもといたしましては、
決定があ
つてすぐに所に連れて帰りまして、そして
矢部与作方におもむかすべく準備をしてお
つたのですが、そういう話になりましたので、急遽その事由を変更しまして
CICとその実施方について打合せをや
つたわけです。そのときは私
どもの役所としてはすでにうちの
責任ではないのでありますけれ
ども、私も
板垣少年の身の上について非常に気の毒には
思つておりましたし、それから
CICがいかに親切にや
つてくれたとはいいながら、やはり
少年のことではあり、
CICというような国柄も人間も言葉も違うようなところに毎日のように
調べに連れて行かれて、一抹の不安を感じていたことを私もよく看取しておりましたので、中間に立つ私としてはいろいろ骨を折
つてや
つてお
つたのであります。それで私
どもも、これも私
どもの仕事としてはそれ以上のことはせぬでもよろしいわけでありますけれ
ども、念のためにブーアン中尉に対して、
家庭裁判所から許可があ
つた、従
つて身柄はお貸しする、しかしながら何しろ
決定の内容は
矢部与作さんのところに
保護委託にやることにな
つておるのだから、
東京での
調べが済み次第できるだけ早く
矢部与作方に帰るようにとりはから
つてもらいたい、それで後々の証拠のために、済まぬけれ
ども一筆書いてくれというところまで私は押しておるのであります。そのときの書面も、
新潟から後刻到着するはずです。そうして、あれはたしか五月三日の昼の急行で立
つたのではないかと記憶しておりますが、その当時の進駐軍のRTOの待合室で何時何分に落ち会う、
向うの方では
CICの
新潟の隊長、これは大尉でありましたが、これがじかに連れて行く。それではうちの方では
自分のところの車で昼食、夕食を携行させて、そうして駅で
身柄をお渡ししましよう。そこまで
約束してその実施方にかか
つたわけです。そのほか、私としてはそのようなことは別にせぬでもいいことでありますけれ
ども、間食等までいろいろ買い求めて、そうしてこれを駅ヘ連れて行きました。そこで先ほど申したような文書をとりまして、駅頭で私がじかに見送
つておるのであります。それでその後
板垣少年と相まみえることはないのでありますが、その後もあの
少年が一体どうな
つたかということについて常々非常に気にかか
つてはおりました。これも私
どものところの
身柄を離れたわけなんですから、何ということはない、
試験観察処分を実施していただけばそれでよいわけですが、どうも長引くような模様でありましたので――それからつけ加えますが、記事にありますように、三日間貸してくれということは、私は記憶しておりません。当分の間というようなことであ
つたと覚えております。
それからもどりますが、その当分の間が、なかなからちが明かない、十日二十日したかしないか私ははつきり記憶しておりませんが、当時私が直接に記載してお
つた観護日誌というものがいずれ参ると思いますので、それを見ればわかりますが、十日、十五日してなお帰
つて来ないので、
少年のために気の毒だと考えまして、その後ほかの用件もありますので、ブーアン中尉のところへ行
つて、
板垣少年はどうな
つたのか、早く帰してくれということを
言つたのであります。先ほど
中尾局長から
お話がありましたように、その話は私が再三足を運んで
CICに行くと同時に、また
家庭裁判所側も
試験観察実施者でありますところ三輪
調査官自身も
CICへ行
つて、
板垣はどうなるのであるか、早く帰してくれぬかということを言
つております。それに対してブーアン中尉の話は、どうも
調べが長くなりそうだ、済まぬけれ
どもしばらく貸してくれということであ
つた。これは当時の
事情からお考えくださればわか
つていただけると思いますが、いかんせん、これは他国の政府
機関であり、その内容の微細な点までついて行くことはできない、それで私
どもとしてはそれ以上追究することができなか
つたのであります。なお補足いたしますれば、三輪
調査官もじきにその後別のところへ転勤になり、私も実は
新潟の地を離れて一年間長期出張をしておりましたために、気になりながらも
少年の
あとのことはわからなか
つた、決して
お話のようにやるだけのことをやればよいというような
態度で私たちは終始したのでもなければ、また連合軍に押されたというよう
なつもりもない、私としてはできるだけのことはいたしたつもりであり、それも一応の範囲においてや
つたつもりであります。