○寺島
委員 ではそういたしましよう。
第二点は――第二点といいますか、本然の議論を元にもどしまして、佐藤検事総長に私は承りたいと思うのであります。佐藤検事総長がただいま
鍛冶委員との問答の中に、いみじくも展開されました考え方の多くは、大体過ぐる七月八日の朝日新聞の紙上に検事総長が、あるいは談話でありますか、談話でなくてこれは原稿でありますか、いずれであるか存じませんが、発表せられました所論とまことに軌を一にするものでございますので、その点議論を進めて参ります上にまことに幸甚であると存じまするが、しかし議会では新聞記事を引用したりする
質疑には答弁をしかねるという政治的な御答弁が比較的多いのでありますが、参考のために、これは参考のためと申しますより、私の議論を進めて参りますために申しますと、佐藤検事総長の所論は、「適正指示は当然、検察官には一貫した責任」という三段見出しでも
つて、「犯罪の発生と同時に公訴権、刑罰権が生ずるのであ
つてその公訴権、刑罰権を行使するについてはまずその一段階として捜査をするわけだ。」「わけだ。」というのですから多分これは談話でしような、「刑罰権、公訴権を離れて犯罪捜査はない。警察官だけでなく、」云々、ここで中途を略しまして、その必要なところを追
つて参りますと、中略、「現行の刑訴法百九十三條はこれを
規定しているのだ。犯罪の予防とか警備とかは公訴権とは
関係ないが、犯罪捜査が公訴権の実行と
関係がないというのは間違いだ。今回の
改正は現行法のこの
規定をさらに明白にしただけであ
つて、検察官の権限をふやそうとしたものではない。」こういうふうに明確に申してお
つて、しかも実に当事者主義の
刑事訴訟法の達成は夢見ておる理想であるが、
日本の現況においてはこれができないから、まあこういう
改正に
なつたのだという考え方は、結局職権主義のいわゆる
刑事訴訟法の考え方に私は
犬養さんとはやりずらいのですが、
犬養さんの申された考え方、いわゆる逆コースと
指摘される――これは主観の相違と申されればやむを得ませんが、重要なる一環をなしておると思うのであります。
〔
委員長退席、
鍛冶委員長代理着席〕
そこでいわゆるこの所論、すなわち検事総長の所論の全体を、これは私はごく端的に申しますと職権主義の考え方なんだ、そうすればアシスタントであるとか、やれ承認でござるとかいうことを
犬養さんが申されましたが、さような議論もこれは納得いたすし、これは肯定できる、かようなことに相なるであろうと私は思うのでありますが、当事者主義の
刑事訴訟法の体系を、将来においてもさらにたくましく推し進めて行かなければならないのだという考え方をここに基本の構想として、考え方におきましては、これはやはり公訴権の内容、手続と、公訴権を忠実に行いますためには、やはりその捜査権に対しても無関心ではあり得ないという
程度において、いわゆる現在の検察官側が捜査権を持
つておるのであ
つて、本来、理論的に申しまして、捜査権というものは警察が把持すべきものであるということは明々白々な考え方であると思うのであります。
犬養さんと私はちよつと議論が違うので、実は昔からの知り合いなもんですから、ちつと横まわしに言うておるので、
岡原さんに笑われるだろうけれ
ども言うならやりますが、実はそういう考え方たろうと私は思うのです。
ところで検察官というものは、しからばさつき私は、検察フアツシヨが起らないかということを大臣に答弁を煩わしたが、その御答弁たるやきわめて抽象に堕したのでございまして、やむを得ず見解の相違ということで、私は議論上においてはわかれましたが、きわめて検察官というものは視野の狭いところの専門家だ。しかもその視野の狭いところの検察官が、これはきわめてまじめな方々であるということを私は明確に肯定いたします。実に検察官というもののほとんど百パーセントがまじめな、まじめにしんにゆうがつくほどまじめな方々であるのであります。しかしそのまじめな方々の、一〇%なり二〇%なりの人々の考え方を、私は方々地方を歩いて考えてみますると、乃公立たずんは蒼生をいかんせんという考え方がひそんでおるように私は明確に見受けられる。代議士と見れば、あんなものは利権屋、感覚の標本みたいなものであると言う。あるいは実業家というものは悪玉だ。乃公立たずんば
日本の蒼生をいかんせんやという考え方を一〇%なり二〇%なりの人がまじめに持
つておるのだ。こういう考え方なんです。私は
犬養さんの所論の冒頭に申し上げましたところの検察フアツシヨ抬頭の原因になりかねない。言うなれば第一点、あなたが考えられるところの、あなたは明確に
日本の将来の
刑事訴訟法の骨格体系はいわゆる現段階においてはやむを得ないのだ。よ
つてこれは職権主義の考え方に逐次改めようとする所論のもとに、かかる議論を展開したものなりやいなやということに対するあなたの、佐藤さんの明確なる見解を第一に承りたいとともに、第二点は、かかるきわめてその視野の狭い、そういうことを申しては恐縮でありますが、きわめて視野の狭い専門家であるこの検察官が厖大なる権限を持
つておられる。厖大なる権限をいかにして検事総長としてはコントロールせられるのか。かりに背後に
法務大臣のもとに検事総長以下まさに源頼朝以来の厖大なる権力を持
つているものができ上るんだ。第三点として聞きますと、大体
刑事訴訟法というものはサイエンスであると言
つて間違いないので、これは決してフイロソフイーでも何でもない。サイエンスであるならば、一個のサイエンスは他のサイエンスと並んでおりますところのサイエンスと相提携、と言
つては恐縮でありますが、その甲のサイエンスと乙のサイエンスの結び目が明確に行われることによ
つて、これか普遍妥当の考え方として行使せられるのであろう。私は厚生
委員長をや
つて、
精神衛生法の
立法をいたした経験がありますが、こういう経験で個人的な問題並びに特定の問題は本日は絶対に申し上げません。総長にもずけずけ申し上げましたが、私は実に不愉快な思いをいたした体験を持
つている。
寺島隆太郎は道聴途説云々という考え方のもとに、今日の
精神衛生医学において、たとえばここに
精神医学の患者を拉し来るならば、抑欝性分裂、進行性分裂、本来性分裂の三症に明確にわけるべく、これは客観的に、具体的にここに臨床のもとに行われなければならないにもかかわらず、こういう継ぎ目に対して、今日どれを見ましても、ここに具体的な、科学的な脈絡、
連絡なく、いわゆる検察の公平化を考えるということは、逆コースの波、逆コースの風潮に乗
つて国警の評判きわめてあしきという好個の事例をとらえて
法制審議会のものの考え方、そのオーソリテイをも
つて国
会議員の所論、考え方を甲にし乙にせんとすることは、大なる冒涜と認める。こいうことを超克して所論があるべきだと思うが、こういうことのもとに行われておるのが今日の
刑事訴訟法の考え方ではないか、一アマチユア、ま
つたくのアマチュアである、
刑事訴訟法の刑の字も知らない
寺島隆太郎、かくのごとく国家の前途を心配するゆえんの問題に関して明確なる御答弁を検事総長佐藤
藤佐氏より承りたい。