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1953-06-30 第16回国会 衆議院 文部委員会 第5号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十八年六月三十日(火曜日)     午前十一時四分開議  出席委員    委員長 辻  寛一君    理事 伊藤 郷一君 理事 坂田 道太君    理事 原田  憲君 理事 田中 久雄君    理事 辻原 弘市君 理事 前田榮之助君    理事 世耕 弘一君       尾関 義一君    岸田 正記君       竹尾  弌君    山崎  猛君       山中 貞則君    今井  耕君       高津 正道君    野原  覺君       山崎 始男君    大西 正道君  出席国務大臣         文 部 大 臣 大達 茂雄君         運 輸 大 臣 石井光次郎君  出席政府委員         文部政務次官  福井  勇君         文部事務官         (初等中等教育         局長)     田中 義男君         文部事務官         (社会教育局         長)      寺中 作雄君         運輸事務官         (鉄道監督局         長)      植田 純一君 委員外出席者         文部事務官         (大臣官房総務         課長)     福田  繁君         日本国有鉄道副         総裁      天坊 裕彦君         日本国有鉄道理         事         (営業局長)  津田 弘孝君         専  門  員 石井つとむ君        専  門  員 横田重左衞門君     ――――――――――――― 六月二十六日  学校教育法等の一部を改正する法律案内閣提  出第一一一号)  市町村立学校職員給与負担法の一部を改正する  法律案内閣提出第一一二号) 同月二十九日  義警教育費国庫負担法臨時特例に関する法律  案(内閣提出第一二六号)  青年学級振興法案内閣提出第一三〇号) 同月二十六日  産業教育振興に関する請願坂田道太紹介)  (第一七六五号)  学校図書館法制定に関する請願辻原弘市君紹  介)(第一七六六号)  同外一件(西村力弥紹介)(第一七六七号)  学校給食法制定に関する請願坂田道太君紹  介)(第一七六八号) 同月二十七日  学校図書館法制定に関する請願林信雄君紹  介)(第一八二二号)  同(廣瀬正雄紹介)(第一八二三号)  沼辺小学校屋内体操場建築費国庫補助に関する  請願庄司一郎紹介)(第一八二四号) 同月二十九日  義務教育費国庫負担額確保に関する請願(菊川  忠雄君紹介)(第一九五三号)  学校図書館法制定に関する請願松山義雄君紹  介)(第一九五四号)  福岡県に公立学校共済組合病院設置請願(福  田昌子紹介)(第一九六一号) の審査を本委員会に付託された。 同月二十七日  文化財保護費の増額に関する陳情書  (第四二三号)  定時制高等学校設備費全額国庫負担に関する陳  情書(第四二四  号)  産業教育補助費に関する陳情書  (第四二五号)  義務教育費国庫負担に関する陳情書  (第四六五  号)  学校敷地買収費国庫補助等に関する陳情書  (第四六六号)  教育施設急速整備に関する陳情書  (第四六七号) を本委員会に送付された。     ――――――――――――― 本日の会議に付した事件  青年学級振興法案内閣提出第一三〇号)  文部行政に関する説明聴取     ―――――――――――――
  2. 辻寛一

    辻委員長 これより会議を開きます。  この際お諮りいたします。昨日付託になりました青年学級振興法案議事日程に追加し、議題とするに御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 辻寛一

    辻委員長 御異議なしと認め、さように決します。  それでは青年学級振興法案議題とし、提案理由説明を聴取いたします。福井文部政務次官。     —————————————     —————————————
  4. 福井勇

    福井政府委員 今回政府から提出いたしました青年学級振興法案について、御説明申し上げます。  終戦学校教育制度が根本的に改革され、勤労青年に対する教育施設として、高等学校定時制課程設置大学夜間学部設置並びに高等学校及び大学における通信教育制度の確立という一連の措置がとられました。しかし勤労青年にひとしく教育機会を与えるためには、これらの措置だけでは、まだ十分ではありません。昭和二十二、三年ごろから、各地青年学級が次々と開設されるようになり、昭和二十四年には全国的な規模でこれが普及するようになつたのであります。  勤労青年教育が重要であるということについては、何人も異論のないところでありますが、高等学校定時制課程通信教育その他の勤労青年のための制度があるのにもかかわらず、現在なお多数の青年教育を受ける機会に恵まれずに放置されている現状であります。  青年学級は、勤労青年に対し、実際生活に必要な職業または家事に関する知識技能を修得させるとともに、一般的教養向上をはかることを目的とし、勤労青年自主性地方実情に応じて開設される社会教育事業でありまして、現在その開設学級数は、約一万一千学級受講生数、約百万人であります。しかしながら、今日、これらの青年学級の共通の悩みとするところは、指導者及び経費不足でありまして、青年学級助成及び振興のための措置を講ずることは、まさに刻下の急務であると考えられます。  右のような理由により、ここに青年学級振興法案を提出する次第であります。  次にこの法律案骨子について申し述べます。  第一に、この法律案は、社会教育法精神に基きまして、青年学級開設及び運営に関して必要な事項を定め、その健全な発達をはかることにより、わが国産業振興と国家及び社会の有為な形成者の育成に寄与することを目的としております。青年学級とは、勤労に従事し、または従事しようとする青年に対し、実際生活に必要な職業または家事に関する知識及び技能を修得させるとともに一般的教養向上をはかることを目的とする事業であります。  第二に、青年学級は、市町村開設するものであることを明らかにし、原則として市町村設置する公民館または学校事業として実施するものであることを規定しております。  第三に、青年学級は、その本質にかんがみまして、勤労青年自主性を尊重し、かつ、勤労青年生活実態及び地方実情に即応して、開設し、及び運営しなければならないことを明らかにし、この趣旨に基いて市町村の区域内に住所を有する十五人以上の勤労青年は、当該市町村教育委員会に対し、青年学級開設申請をすることができるように定めております。  第四に、青年学級を実施する機関に、青年学級主事及び講師を置くものとし、講師補佐を置くことができることを明らかにするとともに、青年学級主事講師及び講師補佐の職務を規定いたしております。  第五は、青年学級に対する国庫補助であります。現在、青年学級は、いずれも経費不足からくる運営上の困難に当面いたしておりますので、国は一定要件を備える青年学級開設する市町村に対し、その運営に要する経費の三分の一以内を補助することを定め、その振興をはかろうといたしております。  以上この法律案提案理由とその内容骨子について御説明いたしましたが、この青年学級振興法案が成立しまして、青年学級法的根拠が与えられ国庫補助の道が開かれますならば、わが国勤労青年教育振興に資するところは、はなはだ大きいものと存じます。  なにとぞ十分御審議の上、すみやかに御賛成くださるようお願いします。
  5. 辻寛一

    辻委員長 続いて補足説明を聴取いたします。寺中政府委員
  6. 寺中作雄

    寺中政府委員 青年学級振興法案提案理由につきまして、ただいま政務次官から説明がありましたが、私から多少これを補足いたしまして、御説明申し上げたいと思います。  終戦勤労青年層が、市町村当局と協力いたして自主的に共同学習組織をつくり、昭和二十二、三年ごろから自然発生的に全国各地において開設されるようになつたのが、現在一万一千学級を数える青年学級であります。これらの青年学級は、主として経費不足等から非常に困難な運営に陥つて来ている現状にかんがみまして、政府といたしましてこれに対し何らか援助の手を差延べたいと考えたのが、青年学級振興法案を上程いたしました主たる理由でございます。そこで私からこの青年学級振興法案を立案するための裏づけとなつ考え方主要点につきまして、以下少しく申上げてみたいと思うのであります。  第一に青年学級存在理由、つまり現状に照して、青年学級がどうしても必要であり、またこれを育成発達させることがぜひとも必要であるという論拠は、どこにあるかという点であります。  現在、義務教育終了後二十五才までの青年総数は、約手六百二十万人でありまして、そのうち高等学校及び大学に在学している学生生徒の数は、高等学校定時制課程のものを含めまして、約二百八十万人でありまして、わずかにその一七%にすぎないのであります。またこのうち、特に勤労青年のための教育施設である高等学校定時制課程及び通信教育について見ますと、前者生徒数は約五十三万人、前者受講生数は約三万三千人にすぎないのであります。従つて青年総数の八三%すなわち約手三百四十万人のうち多くの者はほとんど教育を受ける機会に恵まれていないというのが、今日の実情であります。  そこで一部には定時制高等学校こそはかかる勤労青年教育のための教育施設であるから、その他に青年学級のごときものは必要ないのではないかというような考え方もありうるかと思うのでありますが、勤労青年実態は、その生活的条件、あるいは経済的条件より見まして、定時制高等学校にも通学する余裕のない者が相当多数あると思うのであります。大部分農村青年にとりましては、農閑期を活用して教養あるいは勉学のためにさき得る余暇は、せいぜい年間百二十時間ないし百五十時間、多く見ても二百時間程度下あり、この程度余暇時間上か持たない勤労青年にいかなる形で教養機会を与えるかというのが、青年学級の問題であると思うのであります。定時制高等学校におきましては、少くとも年間七百五十時間くらいの教育時間を必要といたしておりますので、とうていすべての青年定時制高等学校への就学を期待することはできないのではなかろうかと思うのであります。もちろん定時制高等学校就学し得る生活的条件経済的条件を有する者には定時制高等学校への就学機会を広く与えろ必要があるのでありまして、定時制高等学校青年学級は相並行して、その整備、充実をはかり、勤労青年生活実態に即した、教養機会を与えることが必要であると考えるのであります。よつて現に、法制的基礎を持たない青年学級に対しては、この際法制的基応を与え、これに対して国庫補助の途を開くための根拠法規としたいと考えるのであります。  第二に青年学級法制化するについては、つとめて、現在、現実に各地において開設されている青年学級実態をくずさないよう、すなわち自然発生的に青年自主性によつて開設運営されつつある現状のままで国庫補助の恩恵が受けられるようにしたいと考えているのであります。従つて、この法案が成立することによつて、現在の青年学級が非常にきゆうくつなわくにはまり、政府の統制を受けると云うようなことは全然ないのであります。むしろ青年学級使命とする自主的運営を保障するために法制化が必要であると考えているのであります。本法案の世三条に青年学級基本方針といたしまして「青年学級勤労青年自主性を尊重し、かつ勤労青年生活実態及び地方の実状に応じて開設し、及び運営しなければならない」と規定いたしておりまして、また青年学級開設にあたつては、青年の側から積極的にこれを開設してもらいたい旨の申請を提出する途を開いている点等は、一に青年学級運営青年自主性によつて発展すべきことを保障せんがためであります。何ゆえに青年自主性を尊重する必要があるかと申しますと、青年層は、小、中学校生徒と違いまして、相の年令に達し、ある程度判断力を持つているのでありますから、真に自分らの方からこういう計画で、こういう内容の数養を修めたいという願望に応じて、その願望にかなつたものを提供するという組織機構になつているのでなければ、進んでそれに参加する気持を起さないのでありまして、一面、みずから積局的に希望を提出し、その希望によつて開設運営もなされるということであれば、これに対して責任を持つて対処するという気持を起すことになると思うのであります。従つて自分等で計画し、また開設申請した以上は進んで受講を継続することとなり、出席不良のためにせつかく学級が廃絶同様になるというようなことはないと思うのであります。この青年学級におけるカリキュラム等青年自身の参加した青年学級運営委員会等で決定することになるのでありまして、一定カリキュラムの基準のごときものは別に要求せず、真に青年が明日の生活に必要であると考える知識青年の望むままに与えることを使命としているのであります。青年学級課程を修了することによつて、別にクレジットのごときものは与えられないのでありますが、ただ青年生活に必要な教養をみずから求めて与えられるということに、青年学級受講する者の魅力が含まれているようなものにしたいと考えているのであります。  第三に、青年学級振興法案建前は、青年学級の自由な開設、自由な発展を予想しているのでありまして、市町村開設する青年学級以外に会社、工場あるいは私人開設するものも青年学級類似事業として認めております。また、青年学級は必ず一定資格を持つた講師でなければ、これを担当し得ないというような建前をとるものではなく、その開設運営は、きわめて自由なもの品を考えているのであります。ただ国庫より補助金を受けようとする青年学級は、市町村開設するものであつて、通常の観念からして、当然必要と認められる程度の健全な運営行つているものについて、国庫補助の途を開いていきたい、かように考えている次第であります。  第四に右に述べたように青年学級運営はきわめて自由でありますが、ただ教育中立性というような観点よりいたしまして、営利に走つたり、特定政治活動に傾いたり、あるいは一宗一派宗教的色彩を持つたりすることは厳に禁止さるべきものと考えているのでありまして、その意味で青年学級が非常に片寄つた運営に陥る場合にはこれを禁止すべきことを規定いたしまして、その中正健全なる運営を保障している次第であります。  第五に現在青年学級運営に必要な経費は、市町村の公費によつてかなわれておるのでありますが、これを法制化するについては国費助成の途を開いて市町村負担を軽減することに主たるねらいを置くものでありまして、これを法制化することによつて市町村財政に対上過重の負担をかけないように留意したのであります。  すなわち青年学級実施のために青年学級主事青年学級講師青年学級講師補佐職員を置くことになりますか、本法案は別に新しい人をそれらの職員に任命して、そのために職員の増員を必要とするようなことがないように、これらの青年学級主事は現在市町村教育委員会事務局または市町村教育委員会の所管に属する教育機関職員のうちから命ずることにいたしまして、また講師講師補佐についても法律施行に際し専任講師としての常勤職員を置かせるようなことは考えておらないのであります。  従つてこの法案の成立によりまして、市町村財政が緩和されることがありましても、加重されることはないものと考えているのであります。  以上申し述べましたような点が、との法案を立案するにつきまして、特に考慮した点でございます。  次に法案内容骨子につきましては、政務次官より御説明申し上げましたので、私からは簡単に各章別にその主なる点を申し上げてみたいと思います。  第一章は総則といたしまして、青年学級目的、定義、運営基本方針等を述べておりまして、青年学級運営には青年自主性を尊重しなければならないというような点は、前述いたしました通りであります。  第二章は青年学級開設及び運営手続あるいは青年学級のために設置する職員等について規定いたしておりますが、開設手続において勤労青年の側から開設申請をする道を開いていること、青年学級特定の政党の利害に関する事業を行つたような場合には、これを禁止し、この禁止に応じないものを処罰すること、また青年学級学級生が著しい減少を来したような場合には、教育委員会がこれを廃止することができること等が主なる規定であります。  第三章は国の補助に関する規定で上りまして、補助を受けるに適する青年学級要件といたしましては、学級生三十人以上であること、開設期間が一年以上であること、学習時間数が年間百時間以上で、かつ、その学習が継続して行われること、担当する青年学級主事大学卒業生教員免許状所有者社会教育主事、その他各種の委員を勤めたこと等の資格を持つたものであること、おおむね同様の資格を持つた青年学級講師が三人以上担当していること等が規定されております。なお青年学級講師補佐に則することが規定されておりますが、国庫補助要件を備えた青年学級で、三百時間以上学習した者、つまり青年学級卒業生青年学級講師補佐という一種の資格類似の出のを認めまして、その講師補佐を五年以上勤めた場合には、青年学級講師ふるいは青年学校主事になる資格を与えられることにいたしておりまして、これによりまして多少とも青年学級において勉学する者に対する魅力を与えんとするものであります。  第四章雑則では、私人その他のものが青年学級類似事業開設できる旨を規定し、かつ、文部大臣及び教育委員会は、その求めに応じて指導または助言を与えることができるようにいたしたのであります。  附則において、この法律は、公布の日から施行するものであることを明らかにし、この法律施行の際、現に市町村において、青年学級に類する事業開設している場合は、昭和二十八年度中はそのまま特にこの法律規定する開設手続等をとらないでも、ただちにこの法律により開設された青年学級とみなし、第十八条の要件にかなつたものについて国庫補助がなされるように措置いたしております。この場合において一定事項の公示並びに都道府旧教育委員会に対する報告を必要とするのであります。  以上をもつて政務次官説明補足説明といたします。     —————————————
  7. 辻寛一

    辻委員長 次に文部行政に関する件を議題といたします。前会に引続き、文部大臣に対する質疑を通告順に行います。高津正道君。
  8. 高津正道

    高津委員 私は、前回六月二十六日に開かれた衆議院文部委員会において、大達文部大臣教育勅語に関する世耕弘一委員質問に対して行われた答弁内容は、実に重大な問題を含んでいると思うのであります。そこに現れた思想は、現在の憲法以前のものであるのみならず、憲法に背反しているものである。それはまた教育基本法とまつたく相反するものである。もちろん戦後今日まで、歴代の日本政府並びに文部省のとり来たつたところの教育基本方針教育行政とを、根本からくつがえすところの内容を含んでおるものである。ここにこれをいずれの議事よりも先んじて緊急質問として発言する次第であります。  かくのごとく、事ははなはだ重要下ありますので、私は当日の速記録の写しを取り寄せて参つております。まず初めに世耕委員質問大臣答弁とを読み上げるとにより、論点の所在を動かないようにし、明らかにして兼いて、質問を進めよと思います。  世耕弘一君の質問「それからもう一つは、教育勅語の問題です。勅語という言葉はどうかと思うけれども、教育訓話くらいは文部大臣出していいだろうと思う。「朕惟フニ」の「朕」はいらないかもしらぬが、「惟フニ」という言葉で表わしたらいい。私は教育勅語内容を検討して、現在の民主政治に反するようなことは一点もないと思う。ただ用語上に適当じやないところがあれば、それだけ訂正すればいい。こういう点についてももつと大胆卒直に大臣の御批判なり御所見が伺えれば、われわれ非常に心強いと思いますが、いかがでありますか。」文部大臣答弁教育勅語の問題でありますが、仰せ通り、」と言つて、ちつともこれを拒んでおらぬですよ。「仰せ通り教育勅語は、わが国民族伝統道徳勅語の形式をもつて仰せられた。また勅語のうちにもこのことがうたつてあるのであります。私が先ほども申しましたように、民族道義国民道徳というものは、そう無から有が生れるように一旦一夕にしてでき上るものではないと思う。どうしても民族伝統道義伝統道徳というものが基礎になつて、それが新しい時代に適応されるようになつて行くところに、新しい道徳がある、こう考えているのであります。従つて教育勅語内容をなしております徳目の中につきましては、これはわが民族として最も大切にその徳目を保存して、これを履行して行かなきやならぬものだと思つております。」  そこで第一にお尋ねいたしますが、あの御答弁は、世耕委員の古き古き思想、しかしなかなかの雄弁につり込まれて、思わずしらずふらふらとしやべられたものとは私には考えられません。当日の委員会では、大臣文部大臣の最初の施政方針演説として、緊張して四大政策を発表され、その一つ道義高揚というのがあつたところから、道徳内容いかん道徳徳目いかんという質問が現われ、世耕君の「教育勅語内容を検討して現代の民主政治に反するようなことは一点もない」という驚くべき発言があつたのに対し、大臣は少しもそれに反対せず、それを肯定されたのであります。教育基本方策一つ道義高揚であると特に言われる以上、それは大臣にとつてはきわめて重要なる政策であるに違いありません。そうであるならば、あの答弁こそは、大臣信念であり、持論であると思うが、いかん。それは大臣信念持論であるかどうかという点を明白に御答弁願います。つられて言つたのじやない、自分信念であるかどうか。  質問の第二点、御承知のように文部省は、昭和二十一年三月三日、文部省令をもつて国民学校令施行規則及び青年学校規程等の一部を停止して、修身が教育勅語趣旨に基いて行わるべきことを定めた部分を無効といたしました。次いで同二十一年十月九日、文部省令において、国民学校施行規則の一部改正を行つて、式目の行事の中から教育勅語捧読に関する規定を削除いたしました。ちなみにこの行政措置のことを、これによつて教育勅語教育指導原理としての特殊の効力を失効させたものである、というのが政府解釈でありまして、従来それで来ておるのであります。  昭和二十三年六月十九日に、前々年日本国憲法公布教育基本法制定に続く立法措置といたしまして、衆参両院において、日を同じくして、客派共同提案にかかる教育勅語等排除に関する決議が採択可決された際に、政府を代表して時の文部大臣森戸辰男君は、「文部省より配付してあります各学校教育勅語の謄本は、全部すみやかにこれを文部省に回収いたし、他の詔勅等決議趣旨に沿うて、しかるべく措置せしめる所存であります」と、強い決議に恐縮し、「本決議精神の実現に万全を期したいと存じておる次第でございます」と、その演説を結んでいるのであります。その森戸文相演説にはこういう断言があります。「さらに思想的に見まして、教育勅語明治憲法思想的背景といたしておるものでありますから、その基調において新憲法精神に合致しがたいものであることは明らかであります。教育勅語明治憲法と運命をともにすべきものであります。」こういう速記録があります。  そこで文部省は、昭和二十三年六月二十五日に次官通牒を出しまして、発秘第七号で地方長官並びに学校長に対して、その回収を命じておるのであります。文部省及び文部大臣のこれらの措置及び態度はもちろん正しいと思う。しかるにこの毅然たる措置及び態度と相反するものこそ、教育勅語内容はいい、徳目はよいと言われる大達文相の前会の御発言であります。何事も品を開けば伝統々々と言われる大臣が、ふしぎにも、ここでは終戦後の文部省のやり方や方針や、その理解と、明らかに対立していられるのであります。吉田内閣も第五次ともなれば、大臣がかわれば、こうも文部行政が百八十度に転換するものかと言つてのけるにしては、問題はあまりに重大じやないでしようか。過去のそれと新大臣のそれと相違なしと言い張られるかどうか。終戦後の歴代の日本政府及び文部省教育基本方針に反しているのが、大達文相の前会の発言であると私は確信しているのであります。まるで新しく就任して、まるでかわつたことを言い出して来た大臣がここに現われた。これは驚き入つたことである。こういう心境からお尋ねをしておるものであります。それでよいかどうか。第三にお尋ねいたします。文部大臣演説は、教育基本法に反する内容のものであつた。教育基本法と背反する。その理由は、教育勅語は基本的人権を認めるでもなく、民主主義を認めるでもなく、主権在民を認めるでもなく、体育の価値を認めるでもなく、人類の悲願であるところの平和をうたうでもなく、忠孝両全でさえもなく、忠義第一主義で貫かれております。教育勅語は三段にわかれておりますが、その第一段は「朕惟フニ我カ皇祖皇宗国ヲ肇ムルコト宏遠二」と筆を起し、第一段の結びは「此レ我カ国体ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦実二此二存ス」という句で結ばれていることでも御想像がつきましよう。  詩に起承転結という法則がございます。詩吟するときにその転の部分を一きわ声を張り上げるようになつております。教育勅語にも芸術性がございまして、君に忠に親に孝にと、まことに朗吟に適し、あの人民を行動にかり立てる歴史的名文句、すなわち「常ニ国憲ヲ重シ国法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶習スヘシ」これは第二段の徳目の重要なる一つであります。第二段の一部で上ります。戦争が始まつたら皇運扶翼のためだ、それ義勇公に奉ぜよ。教育勅語をもしあるいは瞑目し、あるいは刮目して、虚心担懐に読む人があるならば、ここらが教育の淵源、文書の眼目中の眼目であることが会得されるに違いありません。さればこそ、これでもかこれでもかと続けられたあの戦争が、八月十五日を迎えたとき、その品を境として、国民は頭の切りかえを行い——いわゆる精神革命であります。日本の民主化を志す国会は、教育勅語にかわるべきものとして教育基本法を可決いたしました。私は当時その法案の審議に参加いたしてもおり、教育某本法は教育勅語に置きかえられたものであると理解しておるし、もちろんそれは事実であります。しかるに大達文相は、道徳教育基本方針を語るにあたつて、これを持ち出すことをせず——あのとき持ち出さねばならなかつたのですよ、持も出すことをせず、教育勅語内容はよいよいと申されます。前会の御発言は、教育基本法の魂とも言うべき同法の前文及び第一条と相反し、もちろん従つて教育基本法に相反するものと私は認めますが、これについて率直にお答えを願いましよう。  教育勅語に関する御発言に関する質問の第四点、大臣の前回の御発言は、日本国憲法に反すると私には確信されるのであります。質問を簡潔にするために要約的に申しますと、教育勅語は主権在君、しかるに憲法は主権在民、教育勅語は皇祖皇宗、国体第一主義でありましよう。さきの一旦緩急のときの心得もすべて皇運扶翼のためでございますが、これに反し憲法は徹底した平和主義であります。教育勅語は自由平等なく、基本的人権なく、これに反して憲法は、基本的人権を三本の柱の一本にきめておるのであります。大臣、このくらい憲法と食い違う教育勅語をあなたのようにほめちぎることは、憲法に反する、私はこう信じて、こう申すのであります。憲法第九十八条か九条には、この憲法を尊重し擁護すべき義務を負う者の中に、特に国務大臣を特別に抜き出してしるしてあるのであります。あの二十五日の発言は憲法と相反すると私は断定いたしますが、御所見いかん。私の主張が誤つているならば、あわせてそれをも御指摘いただきましよう。  そこで最後にこういうことをお尋ねいたします。すなわち憲法一つと違つていても、教育基本法一つと違つていても、過去の文部行政を踏襲する腹でいて、反対にそれとまつこうから対立しているというその一事でも、どの角度から考えても、あの演説は誤謬であつたことになるのであります。これは私の考えですから、道義高揚政策となさろうとするお立場の大臣は、男らしくこの誤謬を認めて、これをお取消しになつてはいかがですか。誤つて改むるにはばかることなかれ、これは美徳であり、すなわち日本の道徳徳目一つとなるやに思われます。文部大臣はこの際この道徳をみずから実行して範を示される御意思ありやいなや。  以上大臣信念なりやいなやから始まり取消し勧告に及ぶ五つの点について、明瞭にして責任ある御答弁をお願いする次第であります。
  9. 大達茂雄

    大達国務大臣 三点にわけて御質問になりましたが、関連しておりますから一括してお答え申し上げたいと思います。  お話の通り教育勅語が以前はわが国学校教育道徳教育の中核をなしておつた。この地位は新憲法の実施、新時代が来たに伴いましてその地位を失墜した、これは明瞭な事実であります。私は、教育勅語がいわゆるその形式において天くだり式な形をとつておる。これが新しい憲法、ことに主権在民という考え方から言うと、その形式において矛盾があると申しますか、相いれない点があるので、その意味において学校道徳教育の中心である地位が失われた、かように解釈しております。ただ先日申し上げましたように、教育勅語は、勅語の形式、つまり天くだり式形式はとつておるけれども、その内容におきましては、わが民族伝統道徳精神を盛り込んであるものと思つておるのであります。従つて教育勅語に盛られておるその道徳的な精神というものは、これが教育勅語という形のものがかりになくなつても、その中味までが全部捨て去らるべきものではない、これは私は確信しておるのであります。そこでただ前会答弁の際にも申し上げました個々の徳目につきましては、その時代々々、社会の変遷に伴つて、新しい時代に適応するように、国民道徳的な良識によつて自然に取捨選択せられるものと思うのであります。今日わが国は平和国家として、文化国家として、また民主国家として再出発をいたしておるのであります。また主権在民と申しますか、そういう政治形態において、以前とかわつた形において出発して、おるのでありますから、その社会生活において必要とする道徳が生れなければならぬ。それは徳目として以前と比べて取捨選択せられるべき部面があるということであります。これはその道徳精神がただちにやめられる、こういうものではないと私は思つておるのであります。前会私の申し上げました意味は、言葉が不十分でありますために、形式的にそのまま私が一々の徳目までも是認したというふうにお受取りになつたかもしれませんが、私の申し上げた意味はさような意味であります。たとえて申しますと、今日時代劇などで見る、主人のためには子供を身代りにする、こういうことは封建時代においては非常にりつぱな道徳的なものとして讃美せられた。しかし今日だれもさようなことを是認する者はありません。それは徳目国民の良識によつて、また社会の変遷によつて取捨選択せられた結果と思うのであります。しかしながら恩義に報ゆる気持であるとか、困難にあたつて助け合う気持とか、その底に流れる精神に至つては、時代の移りかわりはありましても、それは形をかえて出て来ることであつて、それは根本的にゆるぎない。教育勅語にたつてあるところのわが国伝統道徳というものは、根から末から全部いけないのだというよなことは毛頭考えておりません従つて私は、私の発言が憲法規定に違反するとか、さようなことは絶対にないものと考えております。
  10. 高津正道

    高津委員 今大臣は、五つ項目をわけて質問したのに対して、実に簡単な答弁で、私はそれをきわめて遺憾とするものでありますが、それでは質問士続けましよう。  教育勅語は従来道徳教育の中核であつた、しかし主権在民と形式的に違うだけで、その精神というものはりつぱなもので、徳目は時代々々によつて新しい時代に適応するように取捨選択さるべきものである、精神はりつぱだ、こう言われるのでありますが、大臣答弁はあの速記に明らかなように、内容を全部承認しておられるのであります。徳目の中には取捨選択せらるべきものがあるなんていうことは全然言わないで、教育勅語内容をなしております徳目の中につきましては、これはわが民族として最も大切にこの徳目を保存してこれを履行して行かなければならないのだと思つておりますと言つて、取捨選択は時代とともにやるものだというような一番大事な部分は全然申しておられないのであります。そうして新しい時代には合せて行かねばならぬということはあつたが、教育勅語のその眼目中の眼目の部分は、ああいうのはいかぬということくらいはさまないならば、私は人を誤るものであると思うし、今の答弁言葉を聞いておれば一々の徳目まで是認したようにお聞きとりになつたかもしれないが、私の考えはそうではなかつた。——あなたの発言が間違つておるので、今の速記を読めばだれだつて——それは発言者の発言の内容が問題で、私が聞き間違つたのでないことは明白ですよ。聞く者の罪にして、自分はそういう意味ではなかつた、そういうようなことを言うて逃げようとするのは非常にいかぬと思う。  それから憲法規定に反しないというそういう答弁だけあつて教育基本法に反するかどうかという質問に対しての答えがない、それをまず聞きましよう。
  11. 大達茂雄

    大達国務大臣 私は先ほど高津さんが私が言うたことを聞き違えられたと言つたんじやありません。私の申し上げた言葉が不十分なために、あるいはそういうふうにお聞きとりになつたか百もしれぬ、しかし私の申し上げた意はこういう意味でありましたと、こういうふうに申し上げたのであります。先般のお答えを申し上げたときも、私は民族道徳というものが無から有を生ずるように、一朝一夕一旦にしてでき上るものではない、必ずや伝統道徳、われわれの民族の長い間の踏み来つた道徳というものが基礎になつて、それが新しい時代に適応される形をとつて、新しい道徳が生れるものと思う、こういうことを申し上げましたのは、先ほどやや具体的に申し上げましたと同じつもりで申し上げたのであります。その点あらためてさように御了解をいただきたいとお願いします。  なお憲法に違反するものではないということを申し上げましたが、従つてもちろん教育基本法に違反するものとは考えておりません。
  12. 高津正道

    高津委員 文部省の従来の教育勅語に対する政策とか、従来の文部省大臣やいろいろの文部省の扱いというものとはまるで違つていると思うが、それに対してはちつとも違つておらぬと考えておられるのかどうか、あらためて速記に残しておきたい。
  13. 大達茂雄

    大達国務大臣 従来の文部省教育勅語に対する扱い方とまるで違つておる、こういうお話でありますが、私はこまかいことにつきましては、従来どういうふうになつておりますか、実は詳しくは存じません。しかしながら教育勅語の朕という字だけとつて、あとそのまままた訓話の形にして出すとか、そういう民族道徳というものを、私は天くだり式な形をとるべきものでもなく、その意味において、教育勅語というものは今日学校における道徳教育の中心であつた地位を形式的に失墜し、また失墜させられたと思うのです。この点におきましては、文部省は従来そういう処置をとつた。これを私が今ひつくり返して、また昔にもどそうというようなことは毛頭考えておらぬのでありまして、大筋のところで文部省の従来の措置と相反する措置をとるつもりもありませんし、またさようにしておるとは思つておりません。ごくこまかい扱い方についてどういうふうになりますか、その点は私は従来のことを存じませんから、何とも申し上げられませんが、気持はさように御了承願います。
  14. 高津正道

    高津委員 訓話を出すか出さぬかは今申し上げられぬというのが前会の答弁だつたのですが、そうすると教育訓話のようなものは出さないという発言だと理解していいですか、今の発言は……。
  15. 大達茂雄

    大達国務大臣 十分検討した上でなければ申し上げられません。その意味において前会さように申し上げました。ただ私は、国民道徳かくあるべしということを、中央から頭から天くだりの形において訓話——訓話がはたして天くだりになるかどうかそれは知りません。天くだりになるかどうかそれは書き方によりましよう。しかし少くとも天くだりの形で徳目国民に押しつける形式はとりたくないと思つております。
  16. 高津正道

    高津委員 前の天野文相の国民道徳実践要綱、そういうふうなものは自分大臣中には出さないという意味であると私は理解したのでありますが、それは私は非常に賛成です。だが文部大臣のセンスあるいはイデオロギーは、現在のPTAあるいは全国五十万の教職員諸君、あるいは文部省の多くの役人諸君、それら教育行政に関係しておる人々のセンス及びイデオロギ—とは、おおよそ大きなずれがあると思いますが、これで何箇月か何年かやつぱりやつて行けるものだとお考えになつておるのでしようか、
  17. 大達茂雄

    大達国務大臣 ずれがあるかないかは高津さんの御観測にまかせる以外にありません。これは私から何とも申し上げることはできません。ただ私の返事で御不明の点があつたようでありますから、その点を申し上げますが、私は教育訓話というものを出さないということをここで申し上げたのではありません。これは訓話の書き方もありましようし、扱い方もありましよう。少くとも天くだり式に徳目国民に押しつける形はしない、こういうことを申し上げただけであつて、訓話というものは表題だけで、中味はまだないのですから、これを表題だけで、出すとか出さないとかいうことを今はつきり申し上げたわけではありませんから、その点誤解のないように願います。
  18. 高津正道

    高津委員 文部大臣はおよそこういうような思想を持つておられるお方でありますから、日教組の思想だとか、活動というものは許すべからざるものと考えておられるらしい。そこで宥和政策で臨む態度は全然なくて、就任以来強硬方針で臨まれておるのであります。第一の例は、日教組幹部に対する面会拒絶事件がその思想から出て来ておる。第二の例は、けさの読売新聞における大臣の談話でありますが、首相からの積極的な発言としては文教の懇話会のことが出た程度で、私からは日教組の問題を報告した。個人の意見だが、今回の日教組の行動といい、山口県下で行われた左翼教育といい、日教組が児童に思想教育をやつていることは事実だ。この点教育行政にとつて重大問題であるので、抜本的対策をこれから考えたい。但しその解決はただ制度をかえるだけではできないことだが、児童教育に影響を及ぼす点は許せない。こういう談話が載つて、きわめて戦闘的なものが現われております。第三の例は、去る二十九日の際、教職員組合に対して、警察が来て、出て行つた諸君もあるが、最後まで残つた数人はいわゆるアクチーブである、——これは世耕君の指摘でありますが、そのような者は、世耕君曰く、自分ならただちに断固処分する、大臣の所見いかんと問うたのに対して、大臣は、その処置を今考慮しておる、処置すべきかいなかを考慮すべきだというのではなくて、処置を考慮しておる、そういうように私は承つたのであります。大臣はさらに進んで、アクチーブのみならず、一般のこういう傾向に対しても処置を考えておるという御発言があつたと記憶いたしますが、これらは吉田政府のいわゆる資本攻勢を文部行政の面においても完全に代表しておるものでおりまして、われわれはこれを黙つて見のがすことは許されないと思うのであります。資本家の団体は日経連あり、経団連あり、経済同友会ありでありますが、総明なる経済同友会は、とのまま強硬方針で資本攻勢でぐんぐん押して行くならば不祥事が起るかもしれない、宥和政策も考えるべきではあるまいかと、ここ数箇年の間の政府の背後にある勢力の一部は、総明であるのか、底が弱くて動揺を来したのであるかは知りませんけれども、そのように憂えております。宥和政策をやれ、宥和政策にかわれということを提案しておるのであります。そうしてわれわれがこの審議をしておる国会の周囲には、スト権を奪われておるがゆえに断食をしておる、そういうような状態の場合に、不祥なる事態が起らないというのんきな考えを持つてつて、間違いが起らなければいいがと、私も三十数年の運動の体験者でありますから、第六感というものも動くので、これはこのままずつと行つてどうなるであろうかと憂えておるのでありますが、文部大臣は、日教組に対するあの強硬方針、就任早々からのあの態度でずつと押し通されるつもりか、宥和政策も考えなければならないものであるか、どうなんでしよう。教育はめちやくちやになりますよ。来るなら来いという態度で臨むなら……。     〔発言する者多し〕
  19. 辻寛一

    辻委員長 お静かに願います——御静粛に願います——御静粛に願います。大臣答弁があります。
  20. 大達茂雄

    大達国務大臣 日教組に対して宥和政策をとるのか、強硬な態度をとるのか、どうするかという意味に伺つたのでありますが、私は日教組に対して宥和政策とか強硬政策とか、そういう線をきめてこれに対するつもりはありません。公正な態度をもつてこれに臨み、何でもかんでも日教組に宥和するという考え方は持つておりません。また日教組の言うことであれば何でもかんでもけんかするということも考えておりません。公正な態度でもつてこれに接して行きたいと思つております。ただ先日の例をもつて、すぐ文部大臣が日教組に対する強硬政策をとつておる、一貫した強硬政策であるとお考えになれば、それは今申し上げたように、私は公正なる態度をとつて行きたい。日教組の行き過ぎがあれば、これに対しては強硬ならざるを得ないということは、あたりまえのことであります。  それから読売新聞の記事、これは実は私まだ読んでおらぬのでありますが、議会の速記録とは違いますから、その一々の言葉、言い表わし方に責任を持つわけに行きません。しかしながら読売新聞の記者諸君と会つて、とにかくわが国教育、ことに義務教育は、もし何らかの政治的の影響を受けるようなことがあつては、これはたいへんなことである。いわゆる教育中立性が脅やかされるというような事実がもしあれば、これは看過すべからざる事態であると思う。十五年、二十年先になつて、もしそういう風潮が瀰漫するということになれば、これはたいへんたことだ、こいうことは言いました。それから、現にそういうことは全然あるかないか、これは私はつまびらかには知りません。しかしながら先日の山口県における、いわゆる教材として採用された小学生日記であるとか中学生品記、これは明らかに政治的意図を持つて教育に及ぼそうとしたものであると断定していいと私は思つております。従つてかようなことは絶無とは言えない。これに対しては今後できるだけさようなことのないようにあらゆる努力を払いたい、こういうことは言いました。
  21. 高津正道

    高津委員 私が委員会でずつと一人で発言することは、まことに相済みませんので、これで発言を終りますけれども、速記録に載つておるこの言葉がそのまま生きて通用するということになれば、日本の民主化というものを文部大臣がはばんでおるものだと理解することになるのでありましよう。(「ノ—ノ—」)あの言葉を取消さないで済む、取消さないと言い張られるのであれば、私は私の党とまだ相談をいたしておりませんけれども、そういう問題は実に重大であつて、取消さないでこれが通用するものかどうか、あなたがこういう発言をしてずつと胸を張つて世の中を歩いて行けるものかどうか、私の意見はきまつておりますが、党へ帰つて相談をいたしまして、あらためて質問をする権利を保留しておきたいと思います。
  22. 野原覺

    ○野原委員 関連質問
  23. 辻寛一

    辻委員長 関連質問をお許していたさぬわけではありませんけれども、質問の通告が相当ございまするし、あなたの番はじきにまたまわりますから、その節にお願いをいたします。前田榮之助君。
  24. 前田榮之助

    ○前田(榮)委員 私は、大臣の先日の教育方針についてのお説に、二、三御質問申し上げたいのでありますが、私の同僚から、私のおらないときにいろいろ質問があつたようでありますから、もしそれと重複する点がございましたら、その点は省いてもらつてもさしつかえございません。そのつもりで御答弁願いたいと思います。  まず第一に六・三制の問題であります。これは自由党の一部の方の中に、六・三制というものは日本の制度に現実に合わない制度であるから、やめたらいいという話があることを私は聞いておるのであります。たとえば、もしあなた方の中にお疑いがございますなら、先の大蔵大臣が、六・三制は反対であることを個人的に発表されている事実があるのであります。従つて大達大臣は、あくまでも六・三制を堅持して、これの発達のために日本の文部行政を進めて行こうという信念をお持ちであるかどうか、まず第一にこの点を明らかにしていただきたいと思います。
  25. 大達茂雄

    大達国務大臣 六・三制、言葉をかえて申しますと、義務教育の年限を従来より三箇年延長した、これが六・三制の骨格であると思います。その制度に関する限り、私はこれを堅持して行きたいということは、先日も申し上げたのであります。ただ私も当時の事情はつまびらかにわかりませんが、戦後非常に窮乏の際、ことに社会的混乱の中において、義務教育の三箇年延長ということは、これは第一教員の養成、設備の充実等あらゆる準備をまつて行われれば非常にけつこうでありますが、申し上げるように、戦後の窮乏混乱の中に、制度の方が先に出発してしまつて、実質がそれについて行かないというところに、六・三制に対するいろいろな論議が行われておると思うのでありますが、今日制度が発足して数箇年を経過いたしまして、政府国民も非常に協力して、六・三制度の、教員の構成についても、施設の充実についても努力していることは申し上げろまでもないのでありまして、これはやはりこのまま育てて行くべきものである、かように考えております。
  26. 前田榮之助

    ○前田(榮)委員 次にお尋ね申し上げたいのは、先日お話になりました中の教育内容刷新に、道義高揚を強く主張されておるのでありますが、道義高揚については、今高津君からもいろいろ論議になりましたし、先般も世耕君からおもしろいお話が出たのでありますが、今高津君の質問に対する答弁の中で、もつと明らかにいたしておきたいことは、勅語の問題でありますが、その勅語の問題の中に、個々の徳目については時代の推移に即応することはあるが、大体として教育勅語の、つまり日本民族伝統によつてつくられた道徳というものは尊重しなければならぬ、この点で教育勅語を、いわば推奨されておるのであります。私は今のお話を聞いておりますると、教育勅語の根幹をなすものは何であるかということに、非常に説明不足の点があるように思うのであります。今大臣は、たとえば教育勅語の中の、兄弟相和しとか、あるいは勤倹でなければならぬとか、こういうことは非常にいいことだ、だから教育勅語はいいのだというふうに言われるのでありますが、そんなことは伝統でも何でもないのであります。そういうことは日本民族だけのいいことではなしに、アメリカにおいてもイギリスに、おいてもいいことであります。この教育勅語伝統は、いわゆる皇室中心主義の、国家主義にのつとつたところの軍国主義が織り込まれたころ、いわゆる義勇公に奉じて一旦緩急あるときにはどうするかというところに根幹がある。この根幹をどうするか。この教育勅語がいいとか悪いとか言うのは、この根幹なんだ。しかもあなたは伝統々々とおつしやるけれども、そういう伝統は大東亜戦争までの伝統である。大東亜戦争後の八年間伝統をあなたは無視されている。つまり大東亜戦争までの軍国主義の日本の伝統から、日本があの戦争に追い込まれた。しかし日本民族の歴史をここで八年間つくつている。この八年間伝統をあなたはどう考えるか。これは民主主義であり、いわゆる天皇中心の政治ではない。あなたは伝統々々と言われるけれども、この伝統こそあなたは無視されていることになりはせぬのか。あなたが教育勅語のいいところはいいのだ、悪いところは捨てるのだ、こういうことならば、私らはまたうなずくところがあるのでありますが、その教員勅語のほんとうの真髄はどこであるがという、そのどこをあなた方は推奨されるかの問題なんだ。この真髄について、今の時代に、この戦争にぶつかつた日本民族伝統がここで反省されている。反省されている結果、教育基本法ができ、新しい時代が生れて来ている。これについてもつと明確にならなければ、あなたのいわゆる教育方針、道徳高揚、こういうことを言われても、それはどうも私らにはつきり納得が行かない。この点ひとつもう少しはつきりしてもらいたいと思う。
  27. 大達茂雄

    大達国務大臣 私は先ほど申し上げましたように、一つの時代、一つ社会においてこうであるべきだというその徳目というものは、その次の時代、次の社会においては、事情の変遷に伴つて民族の良識によつて取捨せられる筋合いのものであると、芝居の例まで引いてお話を申し上げたのであります。その基本的の精神、なかなかそう一朝一夕に——何と申しますか、その社会生活の環境と要求に応じて平和な幸福な社会が成り立つようにするための必要なる徳目というふうに申し上げてもいいのじやないかと思うのでありますが、それは従つてその社会生活の様相の変遷に伴つて、具体的な問題としては置きかえられるものであるし思うが、その精神というものはそうかわるものでないと思う、こういうことを申し上げたのであります。  そこでまた勅語の問題でありますが、私は勅語という字をかりに離れて勅語の中に入つている内容は、申し上げました通り、日本民族伝統としてふみ来つた道徳精神を、その時代に即応するような徳目をもつて示されたものだと思うのであります。従つて御指摘の通り、あそこに掲げられてあるその徳目自体は、今日いつまでも絶体に尊重しなければならぬ、その形において尊重しなければならぬとは思つてお底ぬのであります。しかしながらその声に流れている民族伝統的な道徳精神というものは、これは維持せられなければならならぬ。教育勅語の眼目として「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壞無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」というこれが眼目だと教えていただきましたが、これもただわが民族が国を愛し、民族を愛する意味で、「一旦緩急フレハ」の「緩急」というのはそのときの情勢でありましようが、とにかく民族愛、国家愛という精神が私はうたわれておるのだろうと思う。明治の時代は、わが国がいわゆる立憲君王制という政体であり、そういう国家社会の情勢でありましたから、さような表現が用いられ、さような意味において、その徳目が掲げられておる。しかしその根本を流れるものは、国土を愛し、民族を愛する精神がうたわれておるのだと思います。
  28. 辻寛一

    辻委員長 前田君にちよつと御了解を得たいと思いますが、実は竹尾委員から、文部行政に関連しまして、運輸省首脳部に緊急質問をいたしたいという申出がかねてございました。ただいま運輸大臣と国鉄副総裁が来ておりますので、時間の関係上その方を先にいたしたいと思います。あなたの方はまた後刻継続してやることに御了解を得たいと思います。竹尾弌君。
  29. 竹尾弌

    ○竹尾委員 委員長及び皆様の御了解を得まして、私は国鉄副総裁、運輸大臣並びに文部大臣に対しまして、これは文部行政の一環になることでございますので、お尋ねいたします。  去る五月二十四日に修学旅行の団体で旅行したときに、途中でウイスキーのびんを投げつけられて傷をした、こういう事件が起りまして、それが犯罪心理学と申しましようか、何かそういうような学説の伝播とでも申しましようか、そういう事件が伝播をいたしまして、その後二、三類似の事件が起つた。これはわれわれといたしまして相当考えなければならぬ問題でありますので、これからお尋ねを申し上げたいと思うのであります。  私は実は長崎総裁にぜひ来ていただきたいと思つたところが、天坊副総裁が来られましたので、まあどちらでもいいと思つておりますけれども、ひとつ天坊副総裁からまずお答えを願いたいと思います。  五月二十四日の午後八時ごろに東京駅を発して京都に向う列車、これは臨時列車であつたそうですが、これで千葉県のミッシヨン・スクールの聖書学園という高等学校の学生が七十六名、それに引率教官の五名がついて旅行した。そういたしますると、大井と大森の間で上りの列車からウイスキーのびんを投げつけられて、その高等学校の三年生である高石繁君というのが、そのウイスキーのびんの破片が左の目に当つて左眼が負傷した。これはお医者さんの説明によると、左の目が視力を失うと、反射的に右の目も視力を失うそうであります。そういう事件であります。それから引率の教官はすぐにその事故を知りまして、車掌にその話をしたところが、この列車は十七両連結であつたそうですが、第三両目と八両目がかぎがかかつて鎖錠されておつた、こういうことでございますが、まずそこからお尋ねいたします。この列車は団体集約列車と申しましようか、いわゆる集約臨の三三一一列車であつたそうでありますけれども、三両目と八両目にかぎがかかつておつたということについてまずお尋ねします。どういう理由でかぎをかけてあつたのか、それをお尋ねいたします。
  30. 天坊裕彦

    ○天坊説明員 ただいま竹尾委員から御質問がございました一つの傷害事件、被害者の方には非常にお気の毒な事件を起しておりまして、私ども申訳なく思つておるのであります。そのいきさつ等につきましては、繰返して申し上げるのもどうかと思いますが、今お聞きの問題だけについて申し上げますが、御承知の通り学校の修学旅行の申込みが非常にたくさんございまして、私どもといたしまして、これを一一お受けして、便宜にそれぞれ臨時列車等を出してお申出通りのかつこう下輸送をいたすということが、ただいまの客車の事情、機関車の事情、いろいろな輸送力不足の点から、お申込み通り受けられない、そういう事情がございまして、便宜に集約臨と申しますか、そういう臨時列車を、区間をきめまして動かしまして、東京でお申込みの団体、あるいは静岡でお申込みの団体、あるいは横浜、こういうような各地の団体の修学旅行の大々を便宜にそこから乗つていただくというような式で、お申込みにできるだけ応じられるようなかつこうで動かしておるわけであります。たまたま当時その途中でかぎをかけておりましたというのは、その次の駅で乗つていただく団体のために車両の一両なり、二両なりをあけておくためにかぎをかけて——二つの種類の違つた団体が混雑して、あとから申し込んだ方々の席がなくなるというようなことを防ぐためにかぎをかけておつたというのが実情でございます。
  31. 竹尾弌

    ○竹尾委員 その点は了解をいたします。おそらく小口団体の扱いのために、かぎをかけておかなかつたら、ほかの子供さんが先に入つてしまう。そういうことを防ぐために鎖錠しておつた、こういうことだと思いますが、その点は了解いたしました。  今副総裁のおつしやつたお言葉の中で、修学旅行の申込みが非常に多い。多いから一々この要求にも応じかねる点もあるので、集約臨を出すのだ、こういうことでございましたけれども、具体的に申し上げますと、この聖書学園の教官が旅行の申込みをしたときには、できるだけ——これは鉄道もある意味ではもうかるのであります、損をしてはやりはしない、もうかるのだから、できるだけサービスをよくいたしまして、座席の方も三人がけもさせないし、その他きゆうくつな思いをさせない、できるだけ愉快にひとつ旅行をやつていただくようにとりはからいます、こう申されたそうです。ところがその中に入りますと、これは文字通りぎゆうぎゆう詰めにされて三人がけをした上に、むしろも持つてかなかつたでしようから、床の上にきゆうくつな思いをして旅行した、こういうことです。でありますから、あなたのおつしやられることとずいぶんそこに食い違いがあると思いますが、この点はどうでございましようか。
  32. 天坊裕彦

    ○天坊説明員 私ども、ただいま御指摘になりましたように、旅客収入をあげるために、団体を広く募集するというようなことも、輸送力の繁閑に応じて、ひまなときには、できるだけ、そういう旅行もしていただきたいというように、勧誘いたしておることも事実であります。しかしながら、ただいまは、全体的に言いまして、やはり輸送力が詰まつており、不足が多いものですから、積極的に大きく勧誘いたしておるということも、そう強い意味ではないのであります。しかしただ学校の修学旅行というものは、これは私どもも記憶がございますが、在学中に一回の非常に思い出になる旅行でありまして、できるだけこれは御要望にこたえたいというふうに考えております。ただ私どもが、これは積極的に勧誘するんだ、あるいはそうしないのだと、こう申しましても、現場で一々そういうことをかげんして、この使いわけをうまくやるということは、いろいろむずかしい問題もございます。従つて旅行を受付けますれば、できるだけ座席もゆとりがとれるように、これはそういこうふうにすべきであろうと思うのでります。ただ学校まで参りまして、ぜひやつてくださいというかつこうで申しておるかどうか、あるいはまた、どうしてもこの汽車ではお申込みに応じられないというようなときにも、込んでもいいから乗せてほしいというようなこともございますので、実際問題としては相当きゆうくつな目にあわして、愉快な旅行が愉快でなくなるというようなこともあり得るかと思います。ただいまの輸送の情勢から申しますと、ひとつある程度までその点は録許し願いたいといわざるを得ないと思います。
  33. 竹尾弌

    ○竹尾委員 お許しを願いたいとおつしやいましたから、これはやむを得ませんから、この点は追究いたしませんそこで三両と八両は、そうして鎖錠されておつた。そういう場合には、その三両目あるいは八両目に、客扱いの車掌がとにかくついているべきものであると考えられる。そうしてまたこの団体旅行を申し込んだときに、列車関係の方では、そういたしましようとおつしやられた。ところが旅客課の方では、実際そうしておらなかつた。これはまあいずれにいたしましても、もつと追究するなら追究しますけれども……。そこで問題は、この十七両というのは、大体今優等列車は十六両ぐらいついているのがあるでしようが、十七両というのは、これはちよつと質問がそれますが、重量関係で十七両つけてもよかつたのですか。
  34. 天坊裕彦

    ○天坊説明員 そうです。
  35. 竹尾弌

    ○竹尾委員 そこで当然列車には客扱いの車掌と運転の車掌と二人は乗つていなければならない。ところが、こうした混雑するこの列車の中に、客扱いの車掌が乗つておらなかつた。この乗つておらなかつたという事実はすつかり調べて私どもは知つているのですが、その点はお認めになりますか。
  36. 天坊裕彦

    ○天坊説明員 ただいま列車を動かします際に、機関助手のほかに車掌を乗せておりますが、車掌の仕事は運転に関係する運転車掌というものと、客扱いをいたします旅客車掌というものと分けておりますが、どの汽車でも運転車掌というものは必ず乗せなければならない。しかしながら客扱いの車掌というものは、場合によつて乗せる場合もあり、乗せない場合もあるわけなのであります。乗せない場合は結局運転車掌が旅客車掌の仕事をするという建前で、これは一方で私どもできるだけ人間の整理もしたいというようなこととにらみ合せまして、場合によつては運転車掌に客扱い車掌の仕事をさせておるということになつておりますので、たまたま今問題になりました汽車には、お話の通り運転車掌がおりまして、これが客扱い車掌の仕事をするということになつておつたのでございます。
  37. 竹尾弌

    ○竹尾委員  そこが非常に問題なんで、私はそこをもう一層突きたいのです。大体臨時列車というのは、臨時に出す以上は、そこに何らかの意味があつて出されるのですから、これに対しても普通列車以上の扱いをしなければならぬと思う。またそういう交渉の場合には、十分愉快に心地よく旅行できるようにいたしますということを言明しておる。そういうときにあたつて、しかも普通であれば、これは客扱いと運転車掌と二人は必ずいなければならぬものであつて、それを故意にこういう混雑する列車に一人しか車掌を置かなかつたということは、私は当局の非常な怠慢であると思うのでありますが、そこをお認めになりませんか。
  38. 天坊裕彦

    ○天坊説明員 私どもといたしましても、できるだけ運転車掌と客扱いを別別に乗せたい気持はあるのでございますが、何分人員の関係等もございまして、特に五月という時期は修学旅行その他お客さんの往来のはげしい時期であり、臨時列車等も平常月に比べましてほとんど一割近くもふえるという時期で、そのときに結局問題になりますのは、先ほど申しましたように車の問題もございますが、同時に車掌というのも臨時に乗るための予備員が相当苦しくなつて参るというようなことで、私どもできるだけそういうサービスはいたしたいのでありますが、場合によるとやはりそれをいた上かねる場合もあり得るのでありまして、その点御了承願いたいと思います。
  39. 竹尾弌

    ○竹尾委員 あり得るということはわかるのですが、こういう場合には特に車掌の増員までもして、局長の命令一つで客扱いの車掌が一人でも二人でも、場合によつては三人でもできないことはない。そういう手配をしなかつたという点に私は非常に責任があると思う。これは従業員とか何とかいうのではございませんで、これは国鉄の首脳部の責任だと私は思うのです。その後に横浜におりて引率の教官が車掌に頼んだところが、それは後部の車掌に言つてくれ。行つたところが汽車が出てしまつた。大船に行つたら時間がなくてまた出られない。それで今度は小田原で医者を呼んでくださいということを言つておいたけれども医者も何もおらなかつた。そうして病院にかけつけるのに自動車もなければ何もない。十二分ばかりのところを徒歩で医者のところに行つた、そうして治療が非常に遅れてしまつて失明の憂目を見た、こういうような実情なのであります。そこでそういうことをされるのは今の車掌の問題にも関連いたしますが、当然必要なところにそういう設備をしないということについては、これは従業員や職員の責任ではなく、その上に立つ首脳部の責任であると私は思うんで、その点はどうですかと私はお尋ね申したい。責任であるのかないのが……
  40. 天坊裕彦

    ○天坊説明員 いろいろな場合に車掌に連絡するような用事が起るということはよくわかるのでありますが、そうしてまた運転車掌もうしろにじつとしておるというのが建前ばかりではございませんので、特に客扱いというようなことを兼ねてやる場合には相当中を通り抜けて、いくら長い列車でありましても、客扱いの仕事を一緒に兼ねてやつておるという意味で動いてもらう。これは汽車が長くなりますと、客扱いが乗つておりましても、ときによつては車掌を呼ぼうと思つてもなかなか出会わないこともよくあるのであります。ただいまこれは国鉄全体といたしましてももう少し人手をふやすことができますれば、サービス等についても御満足の行くようなところまでできるのでありますが、ただいまのところ安全の問題で手一ぱいというようなところでございまして、この具体的な側におきまして非常にお気の毒な結果を来したことは非常に申訳ないと思うのでありますが、まだただいまでは車掌が一人という場合もありますし、これはやむを得ないと私は思うのであります。  それからまた団体等におきましても、最近修学旅行の学校の先生方の御統制も、むしろ学校の方の御協力でよくやつていただいておるというような、こういう悪い例の問題でなくて、いい例の話を私どもたくさん承つております。相まつてこの旅客団体というものが規律のあるいいものになつて行くものと私は考えております。
  41. 竹尾弌

    ○竹尾委員 天坊副総裁なかな答弁がお苦しいように思うのですけれどもあなたのお気持はよくわかります、しかし私の問いたいことは、そういう従業員が足りないということであれば当然定員を増せばよいのであつて、国鉄は損しておるか得しておるか、私もはつきりしたことは申し上げられませんけれども、おそらくもうかつているに違いない。とにかくもうからぬでももうかつていても、国民を相手にしておるこうした公共企業体において、不備な点があれば、それは当然人も増さなくちやならぬし、増すべきだと思う。その点も私は怠慢だと思うし、そうした怠慢の結果こうした問題が惹起したと私は思うのです。でありますから、そうしたところの責任は国鉄の当局にあるかどうかということを私はお尋ねしたいのであります。そこをはつきりひとつお願いしたい。ないならない、あるならあるとおつしやつていただきたい。
  42. 天坊裕彦

    ○天坊説明員 非常にむずかしい問題でございまして、たとえば最近必ずしも悪意ばかりでなくて、子供さんがいたずらをして線路に石を並べておいて汽車の脱線事故を起させるというような事例も相当あるわけなんであります。こういう場合線路の見まわりの人間が十分であるならば、そういうことは全部取除くことができるということは言えるのでありますが、やはり一定の常識的な幅でやつて、そういう場合には汽車をできるだけひつくり返さないように、事故を起さないようにとめるといういろいろなほかの条件とにらみ合つて、ほどほどで行くより私はしようがないのではないかというふうに考えております。
  43. 竹尾弌

    ○竹尾委員 しかたがないということは、いろいろ心配をし、何かいたしましたけれどもやむを得ないのだ、であるから国鉄には責任はないのだ、こういうふう受取つてよろしゆうございますか。
  44. 天坊裕彦

    ○天坊説明員 ただいまの御質問は、この具体的な事例で私どもの方で被害者の方にお見舞なり、慰藉なりというような点をどう考えるかという意味のお尋ねでありますならば、これはもう全然災難だというふうにしてしまうにはあまりに大きな問題でありまして、私どもといたしましてはできるだけの慰藉の方法は考えなければならぬといふうに思つております。
  45. 竹尾弌

    ○竹尾委員 これは話が少し飛躍するのですけれども、慰藉の問題が起りましたから申し上げますが、この事件につきましては、私が質問するということがどこかに漏れたのかどうか知りませんけれども、この前に学校の教官がせめて被害者にお見舞くらいは差上げたらどうかということを申されたそうです。ところがそれには一顧だもいたさず、今日に至りまして、きよう私が質問するということがわかつたせいか、十日前に急遽金何千円かの見舞金を持つて被害者のところに行かれたということです。これはうわさで私は真接まだ聞いておりませんけれども、そういうことをされた、これも私ははなはだけしからぬと思う。最初に見舞に行つたらどうかという示唆を与えられておりながら、そのときには一回もそういうことをしないで、つい最近になつてあわてて見舞に行つたということを私は聞いておる。今副総裁から慰藉とか、見舞とかいろいろなことをおつしやいましたけれども、そういう前提になるべきものは、国鉄にそうした責任があるのだということをお認めになつたからだと私は思いますが、その点はどうでございますか。
  46. 天坊裕彦

    ○天坊説明員 国鉄で、御承知の通り踏切りその他のところでいろいろ事件が起ることは事実でありまして、その場合に私どもといたしまして、やはりいろいろそういう個々の例なり振合いなりを考えまして、これは全然知らなぬ話だというふうにいたしておるわけのものではございませんで、それ相当にいろいろお見舞申し上げたり、慰藉を申し上げたりしているのは事実であります。ただいまの具体的な例につきまして、私も実は調べてみてわかつたのでありますが、被害の事実がありましてから少し遅れ過ぎてではありますが東京の監理局長が見舞に行かれたということは事実でございます。
  47. 竹尾弌

    ○竹尾委員 私は法律のことは専門家でありませんからあまりわかりませんが、民法上の不法行為による賠償責任というようなものは私は起らぬと思います。しかしこれは過失がないとも言われないので、もし過失でなかつたとしても、無過失の責任論というものは法律上当然成り立つのですから、その点について、今副総裁ちよつとつかりおしやべりになつたかどうかしりませんが、賠償も十分されるというようなことでございますから、これは人間の情味によつてそういうことをされると思いますが、見舞は別として、その賠償の御意思はあるのでございますか。
  48. 天坊裕彦

    ○天坊説明員 おけがをなすつたり、あるいはそういう事故のために死亡されるというような場合に、決してこれは金銭的に換算してそれで済むというものではないのであります。ことに今のお話のように法律問題にしてどうするというようなことではなくて、やはりいろいろ振合いを見ましてのお見舞等で円満に話合いをつけたいと思います。
  49. 竹尾弌

    ○竹尾委員 どうも金のことをあまり申し上げるのに非常にきたなくなりますけれども、この間見舞金は余数千円であつた。私のお尋ねしたいのは、これは見舞金じやなく、無過失による責任の賠償の問題がここに起つて来るだろうと思うけれども、その点はどうであろうかということを聞くのであります。その点はどうでございますか。
  50. 天坊裕彦

    ○天坊説明員 ただいまこの問題で当然の無過失賠償の責任があるかどうかというお尋ねでございますが、その点は私どもももう少し研究いたしたいと思います。
  51. 竹尾弌

    ○竹尾委員 研究するということは、場合によつては出されないということになりますか。
  52. 天坊裕彦

    ○天坊説明員 その点は十分お話合い等もいたして、法律論はともかく、具体的に円満な解決をいたしたいと思います。
  53. 竹尾弌

    ○竹尾委員 これは副総裁としてではなく、人間として、とにかくあなたもお子さんをお持ちになつているだろうと思いますけれども、その子供の目が両眼消失してしまつた。聞くところによると、この被害者は一人むすこだそうであります。そういうものが目を消失してしまつたら、これはもうたいへんな問題で、これは人間として何とかしなければならぬという側隠の情が起るのは当然でございまして、副総裁は当局の最高責任者の一人として善処してくださるというお考えをお持ちでございますか。
  54. 天坊裕彦

    ○天坊説明員 十分善処いたしたいと思います。しかもこうした例がまた起るというようなことのないように、しかも一番こういう問題のもとの問題といたしまして、車内におきましてこうしたあきびんを窓の外に捨てるというふうな車内の交通道徳と申しますか、そういうものについてもより多く関心を一般的にもお持ちいただいて、両々相まつてそういう事故がないようにいたしたいと思います。
  55. 竹尾弌

    ○竹尾委員 私は天坊副総裁には個人的にもずいぶんお願いにも参りますし、知つておる仲であつて、きようはあまり副総裁に出てもらいたくなかつた。総裁に出てもらいたかつたのでありますが、この具体的な列車事故はこのくらいにいたしまして、これに関連して、私は機会があればお尋ねしたいと思つておつたことでありますので伺います。これはひいては運輸行政にも関係するし、こういう事件を起すことにもなれば、文部行政のみならず、国政全般に関係することですから、運輸大臣にお尋ね申し上げたいと思います。ただいまの国鉄の機構は、御承知のように日本国有鉄道法と運輸省設置法によりまして国有鉄道の仕事は法定されている。そういうぐあいになつている。そこで運輸省の方は、鉄道を監督する立場にありながら、陸運の国有鉄道を監督するのは鉄道監督局という局一つである。局長それから国有鉄道部長、こういう人たちはあなたよりは大学や何かは後輩であつて、あなたの言うことを聞かなければならぬ立場にあつて、監督するかしないかは、機構によつて監督するから監督できるようなものであるけれども、非常に機構が弱い。運輸省は、今船舶、港湾、海運等昔の逓信省がやつておつたようなことをしておつて、そうして一番日本の交通の根幹の一つをなす陸運に対してほとんど発言権を持つておらない。パスの問題一つつてごらんなさい。鉄道監督局は国有鉄道を監督する機関だ。それでありながら鉄道のハスなんてほとんど共済組合の形でもらつているような形です。パス一つつて国有鉄道として出しておらない。これはただ一つの例示でありますが、こういうことをしておるのです。そうして国有鉄道の監督機関は何かといえば、総理大臣直属の国鉄監理委員会というのがある。ところがこの委員長は銀行屋さんか何かで四人の委員があるが、ほとんど国有鉄道に対しては監督ができないということである。こういうことではどうも私は承服できない。国有鉄道だけはオ—ルマイテイであつて、運輸省もなければ国鉄監督委員会も何もない、こういうような実情であると私は思います。そこでこういうような行政は私はかえつてかなければならぬと思いますが、この点につきまして運輸大臣の御意見をひとつ伺つておきたいと思います。
  56. 石井光次郎

    石井国務大臣 国鉄法によりますと、運輸省は国鉄を監督するということが明らかに書いてあります。監督をする責任を持つております。しかし御承知のように予算その他の数字に関する問題になりますと、大蔵省が第一の監督者になつております。そうしてまた一方から申しますと、これは数年前に公共企業体にしたときの精神からいたしますと、なるべく国鉄は国鉄の立場においてその仕事を運行して行つて、運輸省の監督はできるだけ少くして行く方がうまく運営できるのではないか、こういう心持でその規定がこしらえてあると思います。同時に重役陣のような形で今おつしやつたような監督委員会があるわけであります。そういうことで、まだまだ今の状態では、独立企業体の運営としては少し政府の監督が多過ぎる、政府の干渉が多過ぎるというようなことがよく言われるのであります。その中間を縫いながらだんだんとりつぱな運営の形ができ上るようにと私ども思つているわけであります。その意味からいたしまして、運輸省の監督についてその力が弱いというのも事実でありますが、それをあまり強くすることはどうであろうかと思います。ただいまのように、今の状態で何か問題が起きますれば、必ず報告もされ、私どももそれについて意見も述べるというようなことをやつております。しかし大体の小さい日常の業務その他それに関連する普通の仕事は、ほとんど独自の立場でやつていただいている、そういうような状態であります。
  57. 竹尾弌

    ○竹尾委員 運輸大臣の御答弁によりますと、国鉄に対する監督が非常に弱いのだ、しかしこれから大いに企業体としての態勢を整えたい、こういうような御答弁でございました。しかし国鉄でいろいろな問題の起こるその原因というものはやはり運輸省の監督が脆弱であり、微弱であり監督が行き届かない、こういう点にもあろうかと私は思うのです。その意味で大臣は今のこういう機構で御満足をされているのかどうか一つ伺います。またその機構を改革する御意思がございましようか。
  58. 石井光次郎

    石井国務大臣 国鉄法の一部の改正を今度出しておりまするが、大体におきまして私どもの考えは、ただいま申し上げましたように、国鉄に対する運輸省の監督を強化することはただいま考えておりませんで、今の公共企業体としての運営をもつとよくやつてもらえるような方向に進めたい、こういうふうに思つております。それでもしいろいろやつてみてもいけないときは、皆さん方の御意見またいろいろ御討議によつてかわる問題もあるとは思いますが、ただいまのところはそういうふうに考えております。
  59. 竹尾弌

    ○竹尾委員 文部大臣は参議院の予算委員会においでになるので、これは締めくくりで一言申し上げたいと思うのです。修学旅行は各都道府県の教育委員会でいろいろ通牒を出しているようですが、文部省といたしましても指導、助言をしなければならぬので、どうも修学旅行の期間が少し長過ぎやせぬかと思うのです。東京都の例をとつてみますと、中学は三泊四日、高等学校は四泊五日になつております。修学で学を修めるのだから、これは旅行で物見遊山をしながら勉強することもけつこうでしようが、どうもその点にいろいろの意見もあるようです。修学旅行に対する何か特別のお考えというようなものがございませんでしようか。私はこのままではいけないと思うのですけれども……。
  60. 大達茂雄

    大達国務大臣 今お尋ねの通りに、これは府県の教育委員会でやつておりまして、実は御質問があるということで先ほど聞いたのでありますが、文部省としては戦後非常に交通が困難のときに大体二泊三日という標準で各府県の教育委員会の方に助言と申しますか、そういう意味で指導しておるのですが、その後多少交通関係も緩和して来たような関係で、その助言の線を強く推進しておるという事実は実はないのであります。お言葉の点もありますし、ことに修学旅行についてはいろいろ世間でその他にも問題があると思いますから、この点は実情に合つた修学旅行の目的を達成するという見地で、またあまりいろいろな問題が起こらないように検討して参りたい、助言をしたいと思つております。
  61. 竹尾弌

    ○竹尾委員  時間がないようですから、私は文部大臣にはこれでやめます。  運輸大臣にさらに一問申し上げまして、これで終りにいたしますが、ただいまの運輸大臣のお言葉では、このままでとにかく国鉄がよりよくなるようにひとつ仕向けて行きたいというような御答弁だと思います。そこで国鉄を監督する国鉄監理委員会の機構を何とかもつと具体的、積極的なものにしなくてはならぬと思うけれども、大臣の御所見と、これは監督される方だから天坊副総裁がどうというようなことはちよつとどうかと思いますが、国鉄の御意見はどうでしようか。
  62. 天坊裕彦

    ○天坊説明員 監督の問題を私の方から申し上げるのはどうかと思うのでありまするが、今の御質問の中でもいろいろ監督の内容についてわけて考えなければならぬのではないかというふうに思うのでございまして、私どもの方から経理的あるいは予算的ないろいろ機宜に応じた処置をやらなければならぬという問題につきましては、だんだんと便宜のおとりはからいも願えるようになつておりますが、まだ運輸省なり大蔵省なり両省にいろいろお願いして、御助力をいただかなければならぬという形になつております。そういう意味では簡素化をしていただきたいという面もございます。そのほか法律に定められた範囲内での監督は十分受けておるわけでありますが、ただ私どもの業務の中でどれもこれも監督するというかつこうにいたしますのには、これは同じような機構が同じような大きさでいるというような問題もありましようし、私鉄、地方鉄道というようなものもたくさんございますが、それらに比べてある程度私どもの方は監督がゆるい点もありますが、これは結局できるだけ臨機の便宜の措置がとれるようにということでありますが、そのとつた措置がいつも必ずしも満足されるようなかつこうで動いていないという点でいろいろおしかりを受けるわけであります。私どもの方から申しますと、できるだけ早く、そうして臨機の措置がとれるという点を主眼にして——ただ私どもの方は国民の鉄道ということで非常に大きなものでありまして、これを野放図にするということはとうてい許されない話でございまして、そこの必要な点だけを押えて監督していただくことができればと思つております。
  63. 石井光次郎

    石井国務大臣  国鉄の監理委員会は、今の規定では非常に不明確な点もありますので、今度の国鉄法の改正の中にこれを取上げまして電電公社と同じようにこういう点は解決するという点をはつきりさせて、今起草しておるわけであります。
  64. 竹尾弌

    ○竹尾委員 ここは運輸委員会ではありませんからこの程度にいたしておきますが、列車の先ほどのいろいろの問題については、ぜひひとつ国鉄当局におかれてせつかく善意の御処置をとつていただくように希望いたしまして、私の質問を終ります。どうも長いこと失礼いたしました。
  65. 田中久雄

    田中(久)委員 たいへんよい機会ですので、副総裁に伺いたいと思いますが、学校の修学旅行の申込みをお受けになるに何か時期的にお考えになつておるかどうか。ただむぞうさに申込みを片つ端からうけておられるのか、そ
  66. 津田弘孝

    ○津田説明員 ただいまに御質問でございますが、先ほど副総裁からも申し上げましたように、この四、五月という両月、あるいは秋の十月、そういつたような月は一般の旅客も非常に混むのでございますが、ことに団体旅客が非常に輻輳いたします。大体この三月で一年間の団体旅客——国鉄で一年間の団体旅客が三千三百万くらいあるのでございますが、この三月くらいの間にその約八割を消化するというような状況で、さらに輻輳を加えているというようなことでございます。そこで何とかこういつたいわゆるいいシーズン以外のときにも旅行をしていただいて、いわゆる鉄道の輸送力を有効に活用していただくというような意味におきまして、団体旅客運賃においてもこういつた一般の旅客と輻輳しないような季節、シーズン・オフのときには、特に団体の割引率を多くしておるというようなとりはからいもいたしております。  それから修学旅行等に関しましては、先ほど副総裁からも申し上げましたように、本来ならば昔は発駅から着駅まで一本の列車でお申込み通りの汽車を動かすことができたのでありますが、今日におきましては、客車事情等が非常に逼迫いたしておりますので——われわれ部内では集約臨と称しておりますが、たとえば一番修学旅行の多い東京、大阪間、あるいは京都、奈良間というようなところに集約臨を動かしております。今御質問の野放図に受け手おるということはないのでございまして、毎シーズンの始まります前に、各鉄道局のもとに出されておりますところの輸送の要請を、それぞれ局の連中を本庁へ集めまして聞き、そして何日の集約臨にとどこどこの学校はどこどこと一緒に込みで乗つていただくというような輸送の調整をいたしておるのであります。ただそういたしましても、ときたまお申込み通りの列車にお乗りにならずに、別の列車にお乗りになるというような関係もありますし、あるいは予定以外の団体が乗つて来るというような関係で、実情といたしましては、ときに非常に集約臨が込み過ぎる、またときによつては案外すいているというようなこともあるのでございます。  現在の実情といたしましては、そういつたように鉄道局に参ります輸送の要請を本庁が鉄道局を集めまして、輸送の調整をいたしておるというのが実情でございます。
  67. 辻寛一

    辻委員長 田中君、簡単にお願いします。
  68. 田中久雄

    田中(久)委員 大体わかりましたが、農繁期にはやはり農村は非常に旅行に出したりすることは困るのです。と申しますと、時期の非常にいいときだけ農村の子供が行くように見えますが、都会地の学校の子供さんはできれば十日か二週間、少しずらすとよほど楽になるのじやないかと思います。六月になるとぴつたりやむようでありますが、学業の関係もありますが、時期的に少し寒くて十一月になるとか、あるいは少し暑くて六月中旬までくらいならば旅行に必ずしも無理とは思いませんので、そういう御配慮をなるべく願つたらどうかと思いますので、御参考までに……。
  69. 辻寛一

    辻委員長 前田君の質疑は次会に継続してお許しすることにいたしまして、本日はこれにて散会いたします。次会は公報をもつてお知らせいたします。     午後一時三分散会