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高津委員 私は、前回六月二十六日に開かれた
衆議院文部委員会において、
大達文部大臣が
教育勅語に関する
世耕弘一委員の
質問に対して行われた
答弁の
内容は、実に重大な問題を含んでいると思うのであります。そこに現れた
思想は、現在の
憲法以前のものであるのみならず、
憲法に背反しているものである。それはまた
教育基本法とまつたく相反するものである。もちろん戦後今日まで、歴代の
日本政府並びに
文部省のとり来たつたところの
教育の
基本方針と
教育行政とを、根本からくつがえすところの
内容を含んでおるものである。ここにこれをいずれの
議事よりも先んじて
緊急質問として発言する次第であります。
かくのごとく、事ははなはだ重要下ありますので、私は当日の
速記録の写しを取り寄せて参
つております。まず初めに
世耕委員の
質問と
大臣の
答弁とを読み上げるとにより、論点の所在を動
かないようにし、明らかにして兼いて、
質問を進めよと思います。
世耕弘一君の
質問「それからもう
一つは、
教育勅語の問題です。
勅語という
言葉はどうかと思うけれども、
教育訓話くらいは
文部大臣出していいだろうと思う。「
朕惟フニ」の「朕」はいらないかもしらぬが、「
惟フニ」という
言葉で表わしたらいい。私は
教育勅語の
内容を検討して、現在の
民主政治に反するようなことは一点もないと思う。ただ用語上に適当じやないところがあれば、それだけ訂正すればいい。こういう点についてももつと
大胆卒直に
大臣の御批判なり御所見が伺えれば、われわれ非常に心強いと思いますが、いかがでありますか。」
文部大臣の
答弁「
教育勅語の問題でありますが、
仰せの
通り、」と
言つて、ちつともこれを拒んでおらぬですよ。「
仰せの
通り、
教育勅語は、
わが国の
民族伝統の
道徳を
勅語の形式をも
つて仰せられた。また
勅語のうちにもこのことがうた
つてあるのであります。私が先ほども申しましたように、
民族の
道義、
国民の
道徳というものは、そう無から有が生れるように一旦一夕にしてでき上るものではないと思う。どうしても
民族の
伝統の
道義、
伝統の
道徳というものが
基礎にな
つて、それが新しい時代に適応されるようにな
つて行くところに、新しい
道徳がある、こう考えているのであります。
従つて教育勅語の
内容をなしております
徳目の中につきましては、これはわが
民族として最も大切にその
徳目を保存して、これを履行して行
かなきやならぬものだと思
つております。」
そこで第一にお尋ねいたしますが、あの御
答弁は、
世耕委員の古き古き
思想、しかしな
かなかの雄弁につり込まれて、思わずしらずふらふらとしやべられたものとは私には考えられません。当日の
委員会では、
大臣が
文部大臣の最初の
施政方針演説として、緊張して四大
政策を発表され、その
一つに
道義の
高揚というのがあつたところから、
道徳の
内容いかん、
道徳の
徳目いかんという
質問が現われ、
世耕君の「
教育勅語の
内容を検討して現代の
民主政治に反するようなことは一点もない」という驚くべき発言があつたのに対し、
大臣は少しもそれに反対せず、それを肯定されたのであります。
教育の
基本方策の
一つは
道義の
高揚であると特に言われる以上、それは
大臣にと
つてはきわめて重要なる
政策であるに違いありません。そうであるならば、あの
答弁こそは、
大臣の
信念であり、
持論であると思うが、
いかん。それは
大臣の
信念、
持論であるかどうかという点を明白に御
答弁願います。つられて
言つたのじやない、
自分の
信念であるかどうか。
質問の第二点、御承知のように
文部省は、
昭和二十一年三月三日、
文部省令をも
つて、
国民学校令施行規則及び
青年学校規程等の一部を停止して、修身が
教育勅語の
趣旨に基いて行わるべきことを定めた
部分を無効といたしました。次いで同二十一年十月九日、
文部省令において、
国民学校施行規則の一部改正を
行つて、式目の行事の中から
教育勅語捧読に関する
規定を削除いたしました。ちなみにこの
行政措置のことを、これによ
つて教育勅語は
教育の
指導原理としての特殊の効力を失効させたものである、というのが
政府解釈でありまして、従来それで来ておるのであります。
昭和二十三年六月十九日に、
前々年の
日本国憲法の
公布、
教育基本法の
制定に続く
立法措置といたしまして、
衆参両院において、日を同じくして、
客派共同提案にかかる
教育勅語等排除に関する
決議が採択可決された際に、
政府を代表して時の
文部大臣森戸辰男君は、「
文部省より配付してあります各
学校の
教育勅語の謄本は、全部すみやかにこれを
文部省に回収いたし、他の
詔勅等も
決議の
趣旨に沿うて、しかるべく
措置せしめる所存であります」と、強い
決議に恐縮し、「本
決議の
精神の実現に万全を期したいと存じておる次第でございます」と、その
演説を結んでいるのであります。その
森戸文相の
演説にはこういう断言があります。「さらに
思想的に見まして、
教育勅語は
明治憲法を
思想的背景といたしておるものでありますから、その基調において新
憲法の
精神に合致しがたいものであることは明らかであります。
教育勅語は
明治憲法と運命をともにすべきものであります。」こういう
速記録があります。
そこで
文部省は、
昭和二十三年六月二十五日に
次官通牒を出しまして、発秘第七号で
地方長官並びに
学校長に対して、その回収を命じておるのであります。
文部省及び
文部大臣のこれらの
措置及び態度はもちろん正しいと思う。しかるにこの毅然たる
措置及び態度と相反するものこそ、
教育勅語の
内容はいい、
徳目はよいと言われる
大達文相の前会の御発言であります。何事も品を開けば
伝統々々と言われる
大臣が、ふしぎにも、ここでは
終戦後の
文部省のやり方や方針や、その理解と、明らかに対立していられるのであります。吉田内閣も第五次ともなれば、
大臣がかわれば、こうも
文部行政が百八十度に転換するものかと
言つてのけるにしては、問題はあまりに重大じやないでしようか。過去のそれと新
大臣のそれと相違なしと言い張られるかどうか。
終戦後の歴代の
日本政府及び
文部省の
教育の
基本方針に反しているのが、
大達文相の前会の発言であると私は確信しているのであります。まるで新しく就任して、まるでかわつたことを言い出して来た
大臣がここに現われた。これは驚き入つたことである。こういう心境からお尋ねをしておるものであります。それでよいかどうか。第三にお尋ねいたします。
文部大臣の
演説は、
教育基本法に反する
内容のものであつた。
教育基本法と背反する。その
理由は、
教育勅語は基本的人権を認めるでもなく、民主主義を認めるでもなく、主権在民を認めるでもなく、体育の価値を認めるでもなく、人類の悲願であるところの平和をうたうでもなく、忠孝両全でさえもなく、忠義第一主義で貫かれております。
教育勅語は三段にわかれておりますが、その第一段は「
朕惟フニ我カ皇祖皇宗国ヲ肇ムルコト宏遠二」と筆を起し、第一段の結びは「此レ我カ国体ノ精華ニシテ
教育ノ淵源亦実二此二存ス」という句で結ばれていることでも御想像がつきましよう。
詩に起承転結という法則がございます。詩吟するときにその転の
部分を一きわ声を張り上げるようにな
つております。
教育勅語にも芸術性がございまして、君に忠に親に孝にと、まことに朗吟に適し、あの人民を行動にかり立てる歴史的名文句、すなわち「常ニ国憲ヲ重シ国法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶習スヘシ」これは第二段の
徳目の重要なる
一つであります。第二段の一部で上ります。戦争が始まつたら皇運扶翼のためだ、それ義勇公に奉ぜよ。
教育勅語をもしあるいは瞑目し、あるいは刮目して、虚心担懐に読む人があるならば、ここらが
教育の淵源、文書の眼目中の眼目であることが会得されるに違いありません。さればこそ、これでもかこれでもかと続けられたあの戦争が、八月十五日を迎えたとき、その品を境として、
国民は頭の切りかえを行い——いわゆる
精神革命であります。日本の民主化を志す国会は、
教育勅語にかわるべきものとして
教育基本法を可決いたしました。私は当時その
法案の審議に参加いたしてもおり、
教育某本法は
教育勅語に置きかえられたものであると理解しておるし、もちろんそれは事実であります。しかるに
大達文相は、
道徳や
教育の
基本方針を語るにあた
つて、これを持ち出すことをせず——あのとき持ち出さねばならなかつたのですよ、持も出すことをせず、
教育勅語の
内容はよいよいと申されます。前会の御発言は、
教育基本法の魂とも言うべき同法の前文及び第一条と相反し、もちろん
従つて教育基本法に相反するものと私は認めますが、これについて率直にお答えを願いましよう。
教育勅語に関する御発言に関する
質問の第四点、
大臣の前回の御発言は、
日本国憲法に反すると私には確信されるのであります。
質問を簡潔にするために要約的に申しますと、
教育勅語は主権在君、しかるに
憲法は主権在民、
教育勅語は皇祖皇宗、国体第一主義でありましよう。さきの一旦緩急のときの心得もすべて皇運扶翼のためでございますが、これに反し
憲法は徹底した平和主義であります。
教育勅語は自由平等なく、基本的人権なく、これに反して
憲法は、基本的人権を三本の柱の一本にきめておるのであります。
大臣、このくらい
憲法と食い違う
教育勅語をあなたのようにほめちぎることは、
憲法に反する、私はこう信じて、こう申すのであります。
憲法第九十八条か九条には、この
憲法を尊重し擁護すべき義務を負う者の中に、特に国務
大臣を特別に抜き出してしるしてあるのであります。あの二十五日の発言は
憲法と相反すると私は断定いたしますが、御所見
いかん。私の主張が誤
つているならば、あわせてそれをも御指摘いただきましよう。
そこで最後にこういうことをお尋ねいたします。すなわち
憲法一つと違
つていても、
教育基本法一つと違
つていても、過去の
文部行政を踏襲する腹でいて、反対にそれとまつこうから対立しているというその一事でも、どの角度から考えても、あの
演説は誤謬であつたことになるのであります。これは私の考えですから、
道義の
高揚を
政策となさろうとするお立場の
大臣は、男らしくこの誤謬を認めて、これをお取消しにな
つてはいかがですか。誤
つて改むるにはばかることなかれ、これは美徳であり、すなわち日本の
道徳の
徳目の
一つとなるやに思われます。
文部大臣はこの際この
道徳をみずから実行して範を示される御意思ありやいなや。
以上
大臣の
信念なりやいなやから始まり取消し勧告に及ぶ五つの点について、明瞭にして責任ある御
答弁をお願いする次第であります。