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小倉政府委員 ただいま御配付に
なつたと思いますが、
農業災害補償制度に関する基本問題と、非常に簡略に言葉だけで書いてございますが、概略私
どもが基本問題ということで
考えれば、こういうことが根本的に
考えられなければならぬという気づきを例示したのであります。なおいろいろお気づきがありますれば、これに附加して、もつと詳細なものを次の
機会にでも用意したいと思います。
第一に、
農業災害にいかに対処すべきかの問題としまして、「(1)
農業災害の
性格と現われ方」「(2)
農家経済の構造」、こういう見出しにな
つておりまするが、この
意味は、
農業災害という
災害の現われ方が、火災であるとか、人間の
死亡といつたような
災害と非常に
性格がかわ
つておるということであります。たとえば本年のような凍霜害、水害といつたような
災害が連続に起る年もございまするし、昨年のように、
水稲で申しますると、比較的
災害のなかつた年もある。よほど長期的に、しかもまた広汎に
危険分散をしないと、なかなか対処することができない、こういう問題であります。しかもこういう
災害に対して、受けこたえる
農家というものの
経済状態を見ますると、こういう異常な
災害には、とうていたえがたいような
農家の
経済状態であるということであります。問題の根本はそこにあると思うのであります。現在まで
考えておりますところは、長期に、広汎に危険を分散するという
意味で
災害補償制度ができておるわけでございまするが、どちらかと申しますれば、国が
災害について
補償するということよりも、
農民が主体とな
つてこれに対処する。それに対して国が
助成をする。こういう立て方に現在はな
つておるのであります。
それからまた、こういう
災害の現われ方に対しまして、どういう
補償の立て方をしているかと申しますると、
末端では
共済関係ということで対処をしており、
連合会、それから国という
関係においては、
保険の
方式をと
つておるということであります。
末端の
保険方式を徹底するということにつきましては、今までの
農家の
経済状況と、
農業災害の現われ方ということから見まして、なかなか困難な問題があるということであります。
次は
共済目的と
共済対象の問題であります。まず
共済目的でありまするが、
現行制度は
農作物、
蚕繭それから
家畜と、こういうふうにわかれております。いわば
作物別と申しまするような
関係にな
つておるわけです。
農作物と申しましても、
水稲、陸稲、麦というものでは、別々に
共済関係が成立しておる
関係にな
つておるのであります。この
関係を、たとえば
農作物ということでも
つて統一的に、総合して
損失補償をするという
制度が
考えられはしないか、現在はいわば
品目別でありまするけれ
ども、これを総合の
損失補償ということにすると、
農家の所得の
補償ということに近づくわけでありますけれ
ども、そういう
考え方がありはしないかというわけであります。
二番目の、
生産力の諸
要素というところに出ております点は、今の
考え方は作物あるいは
家畜ということでありまするが、
農家の
生産力を支えている要素は、作物、
家畜といつたもののほかに、土地とか自家労働というものがございます。現在の
制度では、
農作物の
共済金のきめ方等から申しましても、自家労働を
補償するということにはな
つておらないのであります。そこで一般の社会保障
制度の進展とともに、
農家の労働力を
補償するという観点がいかに考慮さるべきかという問題があろうと思います。それから土地につきましては、土地の
災害復旧の補助
制度で現在は対処いたしておりまするが、土地が流失する、荒地になる、こういうような事態に対処をして、
災害補償制度として対処し得る
——共済なり
保険といつたような形でも
つて対処し得る
方法があるかないか。こういう問題があろうかと思います。
そういう点を総合してみますると、結局は
農家の所得を
補償する。こういう問題になると思うのでありまするけれ
ども、この点どういうふうに見るかというのが、
共済目的から見まして、根本的な問題であろうと思うのであります。
次は、
共済対象でございます。現在は
作物別に、あるいは
家畜を持
つている
農民ということで
考えておりまするが、たとえば特に零細な
農民、農業所得では大して所得に期待をしておらない
農民と、相当ゆたかな
農民であ
つて、自家
保険も十分でき得るといつたような
農民もあろうかと思います。そういう観念から言いまして、現在
考えられるような
制度、あるいは将来
考えられるような
制度の問題といたしましては、
共済制度を取入れる
農民の範囲ということが問題になろうかと思うのであります。
次は
共済引受けの単位の問題であります。これは(1)の
共済目的と関連をいたしまするが、
現行の
方式は、作物で申しますると、一筆単位でも
つて引受けをしている
方式であります。このことは現在
考えてみれば、必ずしも必然性はないと思うのでありますけれ
ども、一筆単位の
保険方式が行われましたゆえんは、おそらく小作
制度、小作料の減免と関連があつたと思うのであります。これが農地
制度の改革の結果、必ずしも一筆単位の
補償制度ということは必要がないのではないかということであります。従いまして、そういう
趣旨もございまするので、現在
農家単位の
方式でもちまして、実験が行われております。この
農家単位と申しまするのは、作物全体を合せたような
農家単位ではございませんで、
水稲なら
水稲、陸稲なら陸稲ということで、別でございまするけれ
ども、一筆単位ではないわけであります。
水稲の作付け全体を、何石の収穫高というようなことを見まして、
農家単位にな
つておるわけでございまするけれ
ども、そういう
方式が一体よいかどうか、これはだんだん実験の結果も出て参りまするので、そういうことも御参照願いたいと思います。一筆単位から
農家単位の
方式に切りかえるがいいかどうかということが、やはり問題になろうかと思います。
農家単位にしろ、一筆単位にしろ、損害評価の問題、あるいは
補償を適正にするということから見ると、必ずしもそれで十分ではないのであります。そこで、むしろ
保険的な
補償制度の問題としては、もう少し集団的に
考える集団引受けといつたようなことが
考えられはしないか。たとえば部落単位でやる。あるいは村単位でやる。こういうことが一応
考えられるように思うのであります。こういうふうに集団引受けをした場合に、
連合会と村あるいは部落、あるいは国と
連合会という
関係は、ある
程度見当がつきますけれ
ども、その引受けをした団体の内部の
関係をどうするかということが、依然として問題であるわけであります。
その次は、
補償の
限度、それからこれに関連しまする料率、あるいは
農家負担の問題であります。(1)の「料率の個別化の限界」と書いてあります点は、一筆ごとでございますれば一筆ごとの被害率、あるいは
災害の危険率というものを参照して、料率がきまるはずのものでありますけれ
ども、なかなかそこまでは参らないわけであります。せいぜい村単位
程度の危険率の分散しかできないわけでございます。そこでおのずから、
一つの村としては被害率が適正に把握できましても、その内部の一筆々々ごとの被害率が現実には
違つておる結果、いろいろの不平不満がどうしても生ずる。そこで個別化をしたいのでありまするが、今申しましたように、一筆ごとに被害率を算定する、そして個別化をするということにはおのずから限界がございまして、それは事実上不可能のことに属するということであります。
それから
補償の
限度の問題でありまするが、一筆単位では、なかなか
補償の
限度を引上げるということが困難なのであります。と申しまするのは、ある筆ができが悪くても、他の筆はできがよろしいと、
農家全体としてはさほどの被害がない。ある筆をと
つてみれば非常に被害があるという場合には、必ずしも
災害補償ということで
考えなくてもよろしいのでございますから、一筆単行でありまする場合には、
補償限度を引上げるということは、これは実際上必要がない場合もありまするし、また必要があ
つてやります場合にも、いたずらに
掛金の
負担が増大するということでございます。そこで
補償の
限度を引上げるということのためにも、一筆単位ということでは、なかなか困難な問題が生ずるのであります。
それから
負担の限界でありまするが、
掛金の
負担の限界は、
水稲で申し上げれば国が六割、
農家が四割、こういう
共済掛金の
負担にな
つておりまするが、それのどの
程度のところが最も妥当な線であるか。国が全部
補償するといつたような議論の立て方もあり得ると思いますけれ
ども、自主的に
農家が対処し、これに国が援助するといつたような建前をもし
考えまするならば、その
掛金の
負担の度合、国と
農家というものの
負担の度合いが問題になるのであります。これはいつでも問題になるわけでありまするが、根本
制度を打ち立てる場合にも、そこに問題があるわけであります。
それから、支払いの
責任の問題であります。これは
共済組合、
連合会、国ということで、
共済金の支払い、
保険金の支払い、再
保険金の支払いの三段階にな
つておりまするが、この
責任をどういうふうに分担するか。現在で申しますると、
末端の
組合は一割、それから
連合会はこの通常の
部分、国は以上、頂上の
部分について支払いをする義務がございまするが、そういう
責任の分担というものをどういうふうに按配をするかということが、やはりむずかしい問題であります。そのことはまた逆に、一筆単位でやるか、
農家単位でやるか、あるいは集団引受けてやるかという引受けの単位にも関連があると思うのであります。
なお、ここで補足して申し上げますと、料率の個別化に限界がある。
従つて一筆単位でやりまする場合には、どうしてもこういう限界に突き当
つて、矛盾に逢着しますから、その矛盾をなくすために、無事もどしをする必要があるのではないかという問題が起
つて来るのであります。これはあくまでも一種の便法にすぎないのでありまして、根本問題としては、無事もどしはいかがかとも
考えられまするけれ
ども、一筆単位といつたようなことを
制度の建前として
考えまするというと、無事もどしというようなことを
考える必要が生じて来るように思うのであります。
次は、五番目でありますが、
補償事業の担当者と体系の問題であります。現在の
補償事業の担当者は、
組合と
連合会、それから国、こうな
つておりまして、府県あるいは町村というものは、いわば
制度的には無
関係にな
つているわけであります。まつたく
関係がないとは申し上げられませんが、
災害補償制度自体においては、必ずしも
関係が濃くないわけであります。監督とか指導という点については
関係がございまするが、
災害補償制度の中身自体、たとえば
掛金の
負担でありますとか、あるいは支払い
責任とかいうことになりますと、地方自治体は何ら
制度的には関連がないわけでございます。そこで、国も持つ、
農家も持つといつたようなこの
制度の建前で
考える場合に、地方自治体は何ら財政的な
負担をしなくてよろしいといつたような理由が一体あるのかないのか。その辺のことが、根本問題として当然に
考えられなければならぬと思うのであります。
それから、
共済制度の担当者としての団体という点から見ますると、
共済組合なり
連合会と、協同
組合の
関係がございます。
共済組合も強制加入がございまするが、
農家の協同組織の一種であることは申すまでもないわけでございまして、協同組織という点から見ますると、必ずしもそこに、現在のところ、本質的な相違は、法制上はあまりないのでありまするけれ
ども、
災害の
補償制度の持
つて行き方によりましては、担当の団体の
性格が根本的にかわ
つて来るのではないか。あるいはまた立て方によりましては、現在の協同
組合的なものに担当させるといつたことも
考えられるのであります。
事業の
内容をどう持
つて行くかということによ
つては、より公的な団体でなければならぬということになりますし、持
つて行き方によりましては、より自主的な団体、たとえば協同
組合でもよいと、こういうことになろうかと思うのであります。それから、この新しい
制度ができるとして、それに一体いつから移行するか。これまでの経験もございまするし、また過渡的な問題もありまするけれ
ども、移行の時期としては、なるべく早い方がいいことはもちろん当然でございます。しかし作物の
関係から申しますれば、新しい植えつけが始まる時期ということに当然なります。そういう時期はもちろん問題はないとしましても、いつごろから
実施するかということは、予算の
関係、あるいは法案の成立の問題、あるいは
内容によりまして、いろいろ準備をしなければならぬ段取りの問題がございまするので、これも
制度の
内容いかんによりまして、時期がいつごろになるか、あるいは
方法をどうしたらいいかというふうな問題に相な
つて来ると思うのであります。
概略でありますけれ
ども、以上、御
説明申し上げます。