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1953-07-17 第16回国会 衆議院 内閣委員会 第16号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十八年七月十七日(金曜日)     午前十一時十五分開議  出席委員    委員長 稻村 順三君    理事 大村 清一君 理事 高橋  等君    理事 上林與市郎君    江藤 夏雄君       永田 良吉君    長野 長廣君       平井 義一君    船田  中君       牧野 寛索君    高瀬  傳君       粟山  博君    神近 市子君       中村 高一君    堤 ツルヨ君       辻  政信君  出席国務大臣         国 務 大 臣 緒方 竹虎君  出席政府委員         内閣官房長官 江口美登留君         総理府事務官         (恩給局長)  三橋 則雄君         総理府事務官         (南方連絡事務         局長)     石井 通則君         行政管理庁次長 大野木克彦委員外出席者         専  門  員 龜卦川 浩君         専  門  員 小關 紹夫君     ――――――――――――― 七月十六日  委員長谷川保辞任につき、その補欠として帆  足計君が議長指名委員に選任された。 同月十七日  委員西村榮一辞任につき、その補欠として堤  ツルヨ君が議長指名委員に選任された。 七月十五日  元南西諸島官公署職員等身分恩給等特別措置に関する法律案内閣提出第一六二号) 同日  軍人恩給復活に関する請願小高熹郎君紹介)(第三九〇六号)  同(三和精一紹介)(第三九八九号)  同(夏堀源三郎紹介)(第三九九〇号)  同(木村武雄紹介)(第四〇四〇号)  同外二件(牧野寛索紹介)(第四〇四一号)  同(福井勇紹介)(第四〇四二号)  同外三件(黒金泰美紹介)(第四〇四三号)  同外一件(佐瀬昌三紹介)(第四〇四四号)  埼玉開拓地保安隊飛行場設置反対請願黒澤幸一紹介)(第三九〇七号)  公務員給与改訂に伴う恩給改訂に関する請願杉村沖治郎紹介)(第三九九一号) 同月十六日  軍人恩給復活に関する請願池田正之輔君紹介)(第四一七三号)  同(田渕光一紹介)(第四二六四号)  同外三件(黒金泰美紹介)(第四三三八号)  同(坊秀男紹介)(第四三三九号)  戦没者遺族公務扶助料復活等に関する請願外一件(逢澤寛君紹介)(第四一七四号)  戦傷病者増加恩給復活に関する請願(小金義照紹介)(第四二六五号)  結核戦病者恩給項症基準引上げ請願内藤友明紹介)(第四四三五号) の審査を本委員会に付託された。 同月十五日  恩給法の一部を改正する法律案の一部修正に関する陳情書(第八三五号)  同(第八七五号)  軍人恩給復活に関する陳情書(第八七六号) を本委員会に送付された。     ――――――――――――― 本日の会議に付した事件  恩給法の一部を改正する法律案(内提出第一三三号)  昭和二十七年十月三十一日以前に給与事由の生じた恩給等の年額の改定に関する法律案内閣提出第一三五号)  元南西諸島官公署職員等身分恩給等特別措置に関する法律案内閣提出第一六二号)     ―――――――――――――
  2. 稻村順三

    稻村委員長 これより開会いたしす。  元南西諸島官公署職員等身分恩給等特別措置に関する法律案議題とし、その趣旨説明を求めます。江口官房長官
  3. 江口美登留

    江口政府委員 ただいま、議題となりました元南西諸島官公署職員等身分恩給等特別措置に関する法律案につきまして、その提案理由及び要点を説明申し上げます。  北緯二十九度以南南西諸島につきましては、昭和二十一年一月二十九日付連合国軍司令部覚書「若干の外かく地域政治行政日本から分離することに関する件」によりまして、同日以降わが国は、これらの地域政治上、行政上の権力を行うことを停止せられましたため、同地域にあつた官公署職員身分恩給退職手当死亡賜金等については、その後措置することができず、今日に至つたことは御承知の通りであります。  ところで、平和条約が成立し、わが国の独立を見ました現在においても、なお、これら元官公署職員身分恩給等をこのような状態に放置しておきますことは好ましくないことであるのみならず、現地該当者及びその遺族生活困窮は見るに忍びないものがありますので、すみやかに、その身分を確定し、支払うべき退職手当恩給等支給して本土公務員並取扱いをいたしたいと存じ、本法律案提出した次第であります。  次に本法律案の大要を説明申し上げます。まず、いわゆる行政分離覚書の出された日の前日昭和二十一年一月二十八日に南西諸島にあつた官公署職員で、引き続き琉球島民政府職員となつた者及び未帰還職員以外は、同日をもつて退職したこととして取扱い、それらの者に対しましては、その日までの未払い俸給俸給その他の諸給与支給することとしたことであります。  次に、元南西諸島官公署職員で、引き続き琉球島民政府職員となつた者については、恩給退職手当及び死亡賜金に関する法令適用上勤続したものとみなし、恩給退職手当及び死亡賜金本土公務員に準じて支給する取扱いとしたことであります。  第三に、元南西諸島官公署職員で引続き、琉球島民政府職員となつた者在職のまま恩給を受け得る道を開いたことであります。  第四に、元南西諸島官公署職員琉球島民政府職員なつた後、さらに本邦官公署職員なつた場合には、引続き本邦官公署職員として勤続するものとみなし、また未帰還職員については本邦の未帰還官公署職員の例に準じ措置することといたしたことであります。  第五に、元沖繩県職員について支給すべき諸給与及び恩給は、国庫負担することとし、元沖繩県以外都道府県職員琉球島民政府職員となつた者について支給すべき諸給与は、その都道府県が支弁し、その経費は国またはその都道府県がそれぞれ分担することとし、また、これらの職員について給すべき恩給は、その都道府県負担し、その経費は、当分の間、国庫が交付することとしたのであります。  以上が、この法律案の概略でありますが、何とぞ慎重御審議の上、すみやかに御賛同あらんことをお願いいたします。
  4. 稻村順三

  5. 石井通則

    石井(通)政府委員 ただいまの提案理由補足説明をいたします。  北緯二十九度以南南西諸島地域は、元沖繩県の全部並びに鹿児島県の元大島郡を含み、平和条約第三条の規定によりアメリカ合衆国が行政、立法及び司法上の権力を行使している地域でありまして、人口は、元沖繩県地域は約七十四万、鹿児島元大島郡の地域は約二十一万合計約九十五万であります。御承知のごとく、南西諸島ことに沖縄本島は、戦争の惨禍がまことに甚大で、昭和二十一年三月以降は官公署機能はまつた混乱状況に陥り、大部分の職員はその後は俸給支給されておりません。また昭和二十一年一月二十九日の行政分離に関する連合軍司令部覚書が発せられた後においては、官公署職員としての身分についても、恩給死亡賜金退職手当等給与についても何ら措置することができない状態のままになつておりましたが、昨年八月那覇に日本政府南方連絡事務所が設置せられまして以来、元官公署職員に関しまする実態の調査をいたし、またその身分並びにこれらに対する諸給与支払いに関する措置についても検討いたしまして、今回ここに法律案の御審議をお願いすることになつたのであります。この法律案により元南西諸島官公署職員として措置することを予定いたしておりますものは、関係官庁出先機関関係職員及び元沖繩県鹿児島元大島支庁関係職員並びに公立学校教員等でありまして、沖繩本島混乱に陥りました直前、昭和二十年二月末日における在籍人員は、総計一万一千六百九十二名であつたのであります。そのうち、アメリカの同地域占領官公署等職員は、「米国軍士官の命令によりその職務に従事すべし」という米国用政府布告第一号に基きまして、昭和二十一年一月二十九日の行政分離後引続き米軍管理下の諸機関職員、すなわちこの法律案にいう琉球島民政府職員として勤務いたした者が、八千三百二十四名、その当時における未帰還者が六百六十一名、行政分離の際他の職業に転業した者等琉球島民政府職員とならなかつた者が九百九十五名、昭和二十年二月末日より行政分離の日までに死亡した者が一千七百十二名ということになつております。  次に、この法律案につきまして逐条の御説明をいたします。  第一条は、この法律の目的を規定したものであります。  第二条は この法律において使用する南西諸島、元南西諸島官公署職員琉球島民政府職員及び本邦官公署職員の用語についてその定義をしたものであります。  第三条は、元南西諸島官公署職員は、この法律で別段の定めがある場合すなわち引続き琉球島民政府職員となつた者や未帰還者等を除き、昭和二十一年一月二十八日に退職したものとし、その身分関係を明らかにした規定であります。  第四条の第一項は、昭和二十一年一月二十八日において施行されていた恩給法第十九条に規定する公務員または公務員に準ずべき者として在職していた元南西諸島官公署職員が、引続き琉球島民政府職員なつたときは、その琉球島民政府職員原則として、すべてその恩給法の第二十条に規定する文官または準文官として勤続する者とみなし、ただ例外としてその恩給法第二十三条に規定する警察監獄職員であつた南西諸島官公署職員が、引続きこれに相当する琉球島民政府職員なつた場合には、これを警察監獄職員として勤続するものとみなして、恩給に関する法令規定適用するという規定であります。この恩給に関する法令規定適用する場合、琉球島民政府職員としての在職につきましては、諸般事情を考慮し、実在職年に付すべき加算年勤続在職年についての加給及び納金の規定適用しないものといたしております。  第二項は、前項の規定により琉球島民政府職員普通恩給を給する場合において、昭和二十一年一月二十八日以前の教育職員及び警察監獄職員としての勤続在職年が、それぞれ十七年または十二年を越えるものについて、その当時の恩給法規定により加給すべきこととなる場合は、その規定により加給を行うという趣旨であります。  第三項は、恩給基礎俸給は、その者が昭和二十一年一月二十八日において受けていた俸給基礎とし、本邦公務員恩給増額改訂の例にならい増額した額とする規定であります。  第四項は、第一項の規定適用を受ける琉球島民政府職員が、本邦官公署職員なつた場合、恩給に関する法令規定適用する際において必要となる細目の事項政令で定めることとした規定であります。  第五条の第一項は、元南西諸島官公署職員で、国家公務員等に対する退職手当臨時措置に関する法律施行されていたとした場合に、その法律第二条に規定する職員として在職していたことになるものが、引続いて琉球島民政府職員なつたときは、その者を同法第二条に規定する職員として在職したものとみなし、国家公務員等に対する退職手当支給に関する法令規定による退職手当を、昭和二十一年七月一日以降の給付事由の発生した分から支給するという規定であります。退職手当法第二条の職員とは、国の予算により俸給が支払われる職員をいうのであります。昭和二十一年七月一日は、現在のように使用者支給義務のある退職手当制度ができたときでありまして、それ以前は各省庁が予算の範囲内で支給していた恩恵的なものでありましたので、退職手当法適用があつたものとする場合も、この昭和二十一年七月一日からとしたものであります。なお、昭和二十六年十二月五日に復帰した鹿児島大島郡十島村の場合も、これと同様の取扱をいたしておりますので、その例にならつております。  第二項は、退職手当の額の計算基礎となる俸給月額は、その者が昭和二十一年一月二十八日に受けていた俸給月額基礎とし、給与事由の発生した日における本土公務員給与水準に切りかえた額とするという規定であります。  第三項は、元沖繩県及び鹿児島県の職員についても、国家公務員に準じて退職手当支給できることにいたした規定であります。  第六条第一項は、第四条第一項の規定により恩給に関する法令適用がある琉球島民政府職員が、すでに普通恩給についての最短恩給年限に達し、恩給法上の在職年の通算を辞退したときは、琉球島民政府職員として在職のまま、恩給を受け得る途を開いた規定であります。すなわち、昭和二十一年一月二十八日においてすでに最短恩給年限に達しているときは、同日を退職とみなして恩給支給し、昭和二十一年一月三十九日以後において最短恩給年限に達したときは、最短恩給年限に達した日を退職とみなして恩給を給することができることといたしております。  第二項は、右の辞退をすることの申出は、事務処理上、この法律施行後または最短恩給年限に達した日から六箇月以内にしなければならないこととした規定であります。第三項は、第一項の辞退があつたときは退職手当法関係におきましても、それぞれ恩給法退職とみなした目に退職したものとみなして、退職手当を同時に支給することとした規定であります。  第七条の第一項は、官吏または待遇官吏であつた南西諸島官公職職員が、引き続き琉球島民政府職員なつた場合には、その在職の間、引続き官吏または待遇官吏として在職していたものとみなして、死亡賜金に関する法令適用することとした規定であります。なお、目下提案中の退職手当に関する法律の一部改正案で、昭和二十八年七月三十一日後は死亡賜金制度をなくし、退職手当制度一本となることになつておりますので、その後は死亡賜金支給しないことになつております。第二項は、死亡賜金計算基礎となる俸給月額は、退職手当計算基礎となる俸給月額と同様に取扱う規定であります。  第八条の第一項は、元南西諸島官公署職員であつた者が、昭和二十一年一月二十九日以後九十日以内に琉球島民政府職員なつた場合には恩給及び退職手当に関する法令適用上、引続いて琉球島民政府職員として勤続するものとみなす規定であります。九十日以内というのは、行政分離の日から引続き琉球島民政府に勤めることは、住宅その他の事情のため困難な者があつたことや、同年四月二十二日に沖縄民政府の創立があつたこと等、諸般事情を考慮して、九十日間の猶予を見まして、その間に同政府に勤めた者は、引続き勤務するものとみなしたのであります。第二項は、元南西諸島官公署職員が、行政分離の日以後、九十日以内に本邦官公署職員なつた場合におきましても、前項同様に引続き勤務したものとみなす規定であり下して、この場合の九十日は本土へ渡航する日時や受入れの手続に要する日時等を考慮いたしたものであります。  第三項は、引続き恩給、または退職手当法令適用を受ける琉球島民政府職員となつた者が、その後退職して、本決施行前は九十日以内、施行後は三十日以内に、本邦官公署職員なつた場合にも引続いて勤務したものとする規定であります。  第九条の第一項は、未帰還職員については第三条に規定する退職とはいたさない規定でありまして、その身分措置は第二項以下に規定いたしております。第二項は、未帰還者昭和二十八年七月三十一日までに帰国して、九十日以内に琉球島民政府職員または本邦官公署職員なつた場合には、元南西諸島官公署職員昭和二十一年一月二十九日から引続き琉球島民政府職員となつた者または本邦官公署職員となつた者の例にならい、その身分を引続かせることとし、また、これらの職員にならなかつた者は、外地帰還公務員について適用されておる外地官公署所属職員身分に関する勅令、すなわち昭和二十一年勅令第二百八十七号と同一趣旨により、帰国の日以後三十日後に退職したものとする規定であります。第三項は、昭和二十八年七月三十一日までに帰国しなかつた帰還職員のうち、恩給法適用を受けるものについては、本邦官公署職員と同様に、現在御審議中の恩給法の一部を改正する法律案附則第二十七条の規定により退職とみなされる日または死亡した日まで身分を継続させ、恩給法適用を受けないものについても、これに準じて政令で定める日東で身分を続かせようとするものであります。第四項は、昭和二十八年七月三十一日までに未帰還者である元沖縄県の職員に対する給与については、本邦官公署職員の例、すなわち未帰還職員給与に関する人事院規則に準じて俸給その他の給与支給する規定であります。  第十条に規定する疎開学童担当教育関係職員は、昭和二十一年一月二十八日においては南西諸島官公署職員ではなかつたのでありますが、昭和十九年に沖縄県より疎開学童とともに熊本、宮崎、または大分の三県に転じ、昭和二十一年一月二十九日から同年十二月三十一日までに南西諸島に復帰した教育関係職員についても、本法律案に掲げる元南西諸島官公署職員と同様の取扱いをすることにいたす規定であります。  第十一条は、南西諸島地域内の区裁判所に置かれていた執達吏が、これに相当する琉球島民政府職員なつた場合には、執達吏または執行吏恩給に関する法令適用する規定であります。  第十二条は、南西諸島官公署職員身分に基いて生じた恩給請求権その他国または地方公共団体に対する債権は、昨年までは同地域との通信も行われず、またこの法律施行されるときまでは職員身分も明らかにされておらなかつたので、その権利時効により消滅しないようにするため、戦争により南西諸島官公署機能混乱に陥りました昭和二十年三月一日からこの法律施行の日の前日まではその消滅時効が進行しないこととする規定であります。  第十二条の第一項は、元南西諸島官公署職員について元沖縄県が支給すべき俸給給与等でまだ支払われていないものは、沖繩県かわり国負担する規定であります。第二項は、この法律規定により琉球島民政府職員とななつた者支給すべき退職手当及び死亡賜金は、原則として国庫負担することにいたし、特例として昭和二十一年一月二十八日において、元沖縄県以外の都道府県がその俸給を支弁していた職員については、その都道府県が支弁し、その経費行政分離前後の在職期間国庫補助職員についての補助割合等事情を勘案いたし、国庫及び当該都道府県負担区分政令で定め、それぞれ分担することにいたした規定であります。  第十四条は、琉球島民政府職員についての恩給は、原則として総理府恩給局長がその恩給を裁定し、国庫がこれを負担することとし、ただ特例として昭和三十二年一月二十八日に元南西諸島官公署職員として恩給給与事由が生じたとした場合において、元沖網県以外の都道府県知事がその恩給を裁定し、その都道府県経費負担すべきであつた南西諸島官公署職員にかかる恩給は、その都道府県知事が裁定し、その都道府県負担するものとし、その経費は、政令で定める日以後に支給すべき恩給の分を除き国家が交付することといたした規定であります。  第十五条は、本法律案実施に関し必要な手続等事項について政令で定めることにいたした規定であります。  附則一項は、この法律昭和二十八年八月一日から施行するのでありますが、恩給退職手当死亡賜金等支払いに関しましては、昭和二十一年一月二十八日から適用することとした規定であります。  附則二項から四項までの規定は、南西諸島に居住する者に対し給する恩給で、国庫負担にかかるものの支払いに関する事務の一部を郵政大臣政令で定める者、たとえば琉球政府郵政機関に委託して取扱わせ、その者に必要な資金を交付し得ることといたした規定であります。  附則五項は、所得税法施行地外である南西諸島に住所または居所を有する者が、この法律施行後、この法律適用によつて支払いを受ける場合、またはこの法律施行前に国もしくは地方公共団体職員退職し、その退職以前になされた勤務により、この法律施行後に支払いを受ける場合に、その支払いを受ける給与所得または退職所得を、所得税法規定する所得とみなして同法の規定適用し、一〇%の所得税を課するという規定であります。しかしてその税率は、所得税法施行地外個人所得に対する税率二〇%に比し半減した税率といたしております。  以上簡単に逐条の御説明をいたしましたが、よろしく御審議をお願いいたします。
  6. 稻村順三

    稻村委員長 これより質疑を行います。質疑の通告があります。これを許します。辻政信君。
  7. 辻政信

    ○辻(政)委員 この問題と関連しておるのでありますが、最近、台湾の旧軍人恩給をもらつてつた人たちから、復活してもらいたい、こういう請願が来ておるのであります。文官についても同様であろうと思います。私は、戦争には負けましたけれども、信義だけは永久に残しておきたいという見地から、政府とされましては、できるだけそれらの人にも、われわれ日本人同様に取扱いなさるということを希望したいのでありますが、本店であなたの御回答を得ることは困難かと思いますから、その点を政府にお伝えになりまして、十分御研究の上で、日本国際信義を維持するという大所高所から、責任のある御回答をこの次にいただきたいと思います。
  8. 稻村順三

    稻村委員長 他に御質疑はございませんか。
  9. 神近市子

    神近委員 今附則でお読みになつた文書は、われわれに配付していただいておりますか。
  10. 石井通則

    石井(通)政府委員 附則説明は配付してございません。
  11. 神近市子

    神近委員 それでちよつとまごつきましたけれども、第一に伺いたいのは、今沖繩諸島あるいは大島諸島やなんかは、国税の対象になつているのでございますか。どうでございますか。
  12. 石井通則

    石井(通)政府委員 所得税に関しましては、いろいろ複雑でございまして、過去の所得税がその時期々々においてかかることになつております。たとえば、行政分離前のもの、あるいはその後のもの、いろいろ課税が違うのでございまして、本邦官公署職員として勤務する者につきましては、税金がかかることになつております。ただ沖繩奄美大島は現在所得税法施行地外なつております。従いまして本法によりまする琉球島民政府職員として勤務した場合におきましては、所得税はかからないということになつております。
  13. 永田良吉

    永田(良)委員 ちよつと関連して……。旧大島郡、あの地方に内地の鹿児島県などの者が山林等を持つてつた。その所有権は、やはりまだ権利はあると思いますが、それには課税はどうなつておりますか。ちよつとお伺いいたします。
  14. 石井通則

    石井(通)政府委員 御回答申し上げますが、現在向うにありまする個人の物件につきましては、ほとんど本邦施行されておりまする各種の税法等と同様な税法施行されておりまして、具体的に御回答ちよつと申し上げかねますが、原則的にすべて町にある財産には、税金を課せられるということになつております。
  15. 永田良吉

    永田(良)委員 私は、この大島復帰問題等も非常にやかましくとなえられておる際でありますが、今、フイリピン辺の戦犯の関係等たいへん調子よくなつて、平和的になつて来たという際において、沖縄大島とかいう、こういうところの役人は、今辻さんがおつしやつた台湾とか沖縄とかの軍人恩給等関係も恩典に浴せしめられたいということで、そういう財源はむろん日本政府から出すわけであります。こういう際において、これはたいへんデリケートな問題だけれども、外交問題として、アメリカの方から軍事援助なんかもありますので、巧妙な外交手段にとつて日本向うとの国民感情の融和をはかるとか、そういう点から、向うからの財政援助の交渉をつけられるような方便があれば、皆さん方から上司の方に御申達願つて、そういう便法も講じていただきたいということをお願い申し上げておきます
  16. 稻村順三

    稻村委員長 他に御質疑がなければ午前の会議はこの程度にいたし、午後は総理のおいでを願つて恩給法の一部を改正する法律案についての質疑を行いたいと存じます。  午後三時まで休憩いたします。     午前十一時四十九分休憩      ————◇—————     午後三時五十三分開議
  17. 稻村順三

    稻村委員長 これより内閣委員会を再開いたします。  恩給法の一部を改正する法律案及び昭和二十七年十月三十一日以前に給与事由の生じた恩給等の年額の改訂に関する法律案を一括議題とし質疑を続けます。高瀬伝君。
  18. 高瀬傳

    ○高瀬委員 実は前会の内閣委員会におき摂して、改進党のいわゆる修正的立場について、各項目別に三橋恩給局長質疑いたしましたが、今回われわれが最も重要に考えておりますところのその項目について、三、三副総理に政府の所信をただしておきたい、かように考えます。  実はこの恩給法の改正のうち改進党か最も主張しております点は、恩給権に達するまでの加算を認める、こういうことであります。恩給法の改正によりますと、この加算については考慮を払つておらない。従つてわれわれとしてはその理由もわからない。但しその加算を認めろということは、たとえば戦車に乗つた、あるいは潜水艦に乗つた、飛行機に乗つた、こういう場合は、いままで戦時危険業務に対する加算として一年を四年とするというようも点がありますが、この点は一率にわれわれは二年というふうな考えを持つております。従つてこの受給額は引続き七年と、つておりますが、それは在職年数による、しかも在職年数はこの加算を認めて受給額は在職年による。在職年はどういうふうにして計算するかというと、通算してほしい。引続き七年などということは、そういうふうにいたしますと恩給受給資格者がなかなか少くなりますので、召集されて二年おつてつた、そしてまた召集された、こういうような場合には、それを通算して七年になれば恩給の受給資格の対象になる。こういうふうにしてほしい。こういうことで実は三橋恩給局長にその事務的な所見をただしました。ところが、調査が非常にむずかしい、あるいは財政的処置がなかなか適当にできない、もしそういう通算、加算を認めてこの恩給法を改正すると、政府の財政的負担が非常に多くなるというような事務的答弁を私は伺いました。しかしながらこれは少くとも、多数の、約二百万に近い恩給を期待している人にとつて大きな問題でありますので、いわゆる事務的な答弁だけでなく、政府の責任者である副総理から十分誠意ある答弁を伺つておかなければ、私どもはこの問題に対して所見を述べることはできない、こういうふうな次第でありますので、その点について副総理から政府の誠意ある所見をこの際十分拝聴したい、かように思う次第であります。
  19. 緒方竹虎

    ○緒方国務大臣 お答えを申し上げます。加算、通算につきましては、今回の法案をつくるにあたりましても、政府といたしましては慎重に考慮研究いたしましたし、またそれに先立ちまして恩給特例審議会におきましても、同様慎重に研究いたしたのでありますが、その結論を申上げますと、先般恩給局長から申し上げましたように、加算、通算を認める場合にはその該当人員が相当の数に上りまして、今の底の浅い国家財政ではその負担に耐えない、それからもう一つは戦時または終戦後その書類があるいは戦災に焼け、あるいは紛失いたしまして、今日これを整備いたしますことは非常に困難でありまして、結局きわめて不完全なものしかできないように感ぜられる。従いましてその処理が不可能であるという理由によりまして、これらの該当の方々に対しましては、政府といたしましてもまことにお気の毒に感ずるのでありますが、以上のような理由で加算、通算はこれをいたさないということにいたしたような次等でございます。
  20. 高瀬傳

    ○高瀬委員 ただいまの御答弁によりますと、相当に書類が不備である、あるいは財政的に非常に支出が多くなるということの理由のようでありますが、政府としてはこういうような問題について、ほんとうにまじめに通算、加算を認めて、少しでも多く恩給の受給権者を救つてやろうということについて、過去において具体的に非常な努力を捧げて来られたかどうか、この点は非常に重大問題だと思うのです。単にただ書類がない、あるいは財政の負担が多くなるからというような簡単な理由でこの問題を片づけるわけにはいかない、そういう点について政府ま今までどんな処置をして来られたか、一応伺つておきたいのであります。
  21. 緒方竹虎

    ○緒方国務大臣 政府といたしましては、恩給特例審議会を設置いたしまする前後から、その審議会の御審議を願う資料を集めますに際しましても、この問題は相当考慮を払いまして、いろいろ研究いたしたのでありまするが、資料を集めることがほとんど不可能に近い困難でありますので、結局審議会の結果は、御承知のように遺族、ひどい傷病者、老廃者というものを中心にして、今日の財政としてはそれ以上のことはなかなか容易でないというような意見も出て参りましたし、結局加算、通算のことにつきましてはこの法案に入れないという結論にいたした次第であります。
  22. 高瀬傳

    ○高瀬委員 私がいくら聞いても、この問題については、政府としては、それ以上おそらくお答えにならないし、また答えることもできない。事務的に、たとえば加算を二年にすればおよそこのくらいの金になるとか、あるいは復員局にはこのくらいの書類があるとかいろいろなことがありますけれども、資格について一々ここで論議しても始まりませんから、私としては、この問題は相当に将来にも大きな問題になるだろうと思いますので、政府としては将来加算、通算問題については慎重に考慮して善処ざれることを特に希望いたします。あまり事務的に副総理を責めてもしかたがありませんから、この問題については、将来政府も事態の変化と同時に、日本財政の確立あるいは書類の整備にも事務的に努力されまして、将来でき得ることならば、これらの問題について慎重に考慮されんことを要望いたしまして、この点はこれだけにしておきます。  それから次に戦争犯罪人として死刑に処せられた者を公務死として認めるかどうかという問題もありますが、この点はこの前辻議員から聞かれたようでありますけれども、これに関連して今回の法案では拘禁中の者については恩給支給しないということになつております。しかしながらこの問題で非常に問題になりますのは、未帰還者公務員に対しては、戦争受刑者たるといなとを問わず恩給をその家族に支給する、こういうようにきめられておりますので、拘禁中の受刑者に対しても恩給支給するようにしていただきたいと考えます。この問題と特に戦犯で死刑になつた人に対しては、政府は公務死ということにこの際取扱つてもらいたいのでありますが、もしこれがどうしてもある理由でできないとすれば、これに対して特別な立法をする意思があるかどうか、この点もこの際伺つておきたい。
  23. 緒方竹虎

    ○緒方国務大臣 恩給局長から申し上げます。
  24. 三橋則雄

    ○三橋(則)政府委員 外地において拘禁中の方々に対しては、内地において拘禁中の方々と同じように取扱うことにいたしておるのでございます。外地において拘禁中の方々に対しまして未帰還公務員についてこの法案に書いてあるような措置をすることにはなつておりません。ただソ連側に抑留されておる方で、ソ連においていわゆる戦犯者として発表したような方もあることを耳にしておる方々がありますが、あの方々につきましては、総司令部から戦犯者としての通知は日本政府の方には来ておりません。従つて戦犯者としてのいわゆる恩給法上の取扱いは従立もいたしておりませんし、これからもいたさないつもりに考えております。  それから今のお話の公務死の取扱いができないならば、何か特別なことを考えたらどうかというお話でございますが、その点につきましては、おそらく戦犯として刑死になられた方とか、あるいは拘禁中獄死された方々で在職年数が短くて恩給年限に足らなかつた方を主としてのお話だろうと思いますが、そういうような方々につきましても何かできはしないかということで、恩給と別にほかの方で考えられるかどうかということは検討を加えておりますが、まだ具体的に関係当局との結論を得ておるわけではありません。ただ今回におき市しては、拘禁を解かれた方と同じように、すでにこの今度の恩給法一部改正案によりまして拘禁前恩給権を取得せられたと思われる方に対しましては、その遺族に対してそれ相当の扶助料を給するような処置はいたしておるわけであります。
  25. 高橋等

    ○高橋(等)委員 議事進行について。副総理が多忙でまた席を抜かれると困りますので、できますれば副総理の方の質問を先にしていただいたらどうかこ思いますが、お諮り願いたいと思います。
  26. 稻村順三

    稻村委員長 それでは堤君。
  27. 堤ツルヨ

    ○堤(ツ)委員 緒方副総理は恩給法の一部改正案をお出しになつたのでありますから、これは恩給局長の責任ではなくて、当事者として大体頭の中に構想を持つておいでになると思うのでございますが、ただいま一時恩給政府が認めないについて書類不備でとうてい困難だということがございました。この書類を整えることがとうてい不可能で、不備なもので、しかもこれの犠牲になる人はどれくらい、総額にして何ぼくらいかかる、だからやめたという構想があると思いますが、それをどれくらいに考えておりますか。
  28. 緒方竹虎

    ○緒方国務大臣 正確なことは局長から申し上げますが、加算、通算を一緒にいたしまして二百万近いものではないかと思います。金高にしては千億以上であろうと思います。
  29. 堤ツルヨ

    ○堤(ツ)委員 一時恩給政府案によるところの認めないということに対しましての概念はわかりましたが、それではこの法の表に打出して来られました改正に伴うところの必要な参考書類ですね。たとえば一時恩給を打切られたについての書類を整えることは不可能であつて不備であるということを原因にしておられますが、打出して来られた改正せられる対象になるものについては書類はどれくらいお整いになつておるか、確かな数をつかんでこの構想をお出しになつたと思いますが、その点について伺います。
  30. 緒方竹虎

    ○緒方国務大臣 恩給局長からお答えいたさせます。
  31. 三橋則雄

    ○三橋(則)政府委員 三年以上の在職者が大体どれくらいあるか、こういうことの推計をいろいろしてみたのでありますが、海軍の関係におきましては割に書類が整つております。しかし完全にきちんと一々調べるというようなことはできませんので、その中から一応抜き検査式の調査をしました。陸軍の関係におきましては、先般御説明申し上げましたごとき書類の実情でありますために、軍事常識をもつて一応の終戦の際における総兵力からいたしまして、各階級について在職年のこれくらいの方はこれくらいだろうという推計を立てましたところを総合目しました。この陸海合計数が大体百八十万くらいと推計されるのでございます。そういうような方に対しまして、この法案に規定いたしておりますがごとき一時恩給遺族に一時扶助料を給するといたしますと、先般申し上げましたように、四百五十億円前後の金が一時金としていることになるかと思います。  なお今度の法案につきましては、先ほど副総理も仰せられましたごとく、遺族、重傷病者、老齢軍人の方々に重きを置いて考えたことでありますが、もちろんできることでありますならば、ほかの方々につきましても恩給を給し得るような事情でありますれば、考えたのでございますが、それはとうていできないような事情でありまして、財政上の許される範囲内において、しかも国民感情として遺族、重傷病者、老廃者というようなことを考えて恩給ということを考えた結果、自然こういうことにおちつかざるを得なくなつて、一時恩給なんかにつきましても今の御質問のような意に満たないようなことに相なつた次第でございます。
  32. 堤ツルヨ

    ○堤(ツ)委員 私の質問と局長のピントが合わないのでありますが、あるいはわざとそらしていらつしやるのかしれませんけれども、私はこの法案を出すにあたつて、対象とするものについてどれだけの資料が完全にそろつたものがあつて、資料の困難なものはどれだけであるかという概数を承りたいのです。だから答えが全然はずれている。今までの答弁なら聞いております。
  33. 三橋則雄

    ○三橋(則)政府委員 資料の完全なものはこれだけで、不完全なものはこれだけだということにつきましては、大まかに申し上げますと海軍の関係におきましては大体資料がございます。しかし終戦当時から今日までまだ完全には整理されてないものももちろんあります。陸軍の関係におきましては資料というほどのものがどのくらいあるかということになりますと、非常に少い数としか言えないと思います。
  34. 堤ツルヨ

    ○堤(ツ)委員 私はこの恩給法の一部を改正するにあたつて政府の一番頭痛鉢巻の種は、いかんせん資料があまり整つてないので、うつかりそれが国会議員に知られるとその適正な根拠をもつて反対される危険があるということを政府首悩部で御案じになつている、こういうことを仄聞しておりますが、今のお答えで大体見当がつきました。そういうことで一体この法案を処理して行けるかどうか。それに関連してお伺いしたいのでありますが、そういう漠たる資料しか持たれない不安な政府が、これが完全に苦情の出ないように処理して行けると思つていらつしやるかどうか。だからこういう資料しかないのだ。海軍においてはそろつているけれども、終戦後のどさくさが問題で、陸軍においてはほとんど資料と言えるものがなくて困つていると内々お案じになるのでありましたならば、政府は調査資料の不十分なもの、査定の困難なもの、それからだれが常識で考えてもこの対象に入れなければならないと思われるようなものについては、市町村や県知事とはかつて、ひとつ適宜に個々のケースについて苦情を処理して行くような苦情処理機関のようなものを設けて、資料不十分なものに対処して行くという良心的な裏づけがあるならば、私はこういう質品をしないのでございますけれども、それがなくて、今のようなお答えだとどうも政府の態度が疑わしくて、戦傷病者戦没者遺族等援護法に現われたような怨嗟の声、泣寝入りの英霊というものがなお出て来ると存じ、この法案を通すのには非常に重要なポイントであるので、私はなぜ恩給局長はそういう措置をとられなかつたのか。何か構想をお持ちかどうか。
  35. 三橋則雄

    ○三橋(則)政府委員 そういう点を私は非常に考慮いたしまして、実は引続き七年という条件をつけたのでございます。そこで実はこの引続きという条件をつけるにあたりましては非常に苦慮したのであります。今お話のように苦情処理委員会というものを設けることも考えてみました。苦情処理委員会を設けるにいたしましても、苦情処理委員会委員になられる方々が一体実情がわかつているかどうかということが問題になるのであります。そういうことをいろいろ考えた結果、引続き七年ということであればどうしてでもこれはやれることではなかろうか、こういうことがわれわれ事務当局の中の一般の考え方になつたわけであります。そこでこの引続き七年ということにしたのであります。具体的にいいますと、自分の家に帰つて来た人はその人がいつ出たかということ、数年も前に出ている者はごくまれでございますので、そういうところの調査は大体できるであろう、こういう確信を持つわけでございます。  それから今伺つておりますと、何でもかんでも不安全な資料に基いて私たちがこの恩給法の一部改正法案を施行するがごとく誤解されているようでありますが、この増加恩給支給につきましては、大部分の方は終戦前にもらつている。終戦後の方方につきましても大部うは傷病という事実を押えて今まで処理をして来ているところでございます。この方々につきましてはまず履歴も在職年の短い方が多いので、大体問題なく処理されることと思つております。それから傷病の問題についていろいろ問題がありますが、これは厚生省の国立病院の協力を得て処理して行けば円滑に処理できるのではないかと思つております。それから死没者、戦死者の問題でありますが、戦死者の方々につきましては、戦死という事実ははつきりしているわけであります。そこでこの戦死者の方々について考えてみますと、在職年というものは大体短い方でありますから、恩給法におきましては在職年数が十三年、十三年未満の場合にはきつちり十二年、十三年としての取扱いをすることになつておりますので、これもまた問題なく事務を処理して行けるのではないかと思つております。結局問題は生還された方々の問題になつて来るわけであります。そこで生還された方々につきましてはたいへん苛酷な取扱いのようになつておりますが、引続き七年というかなり厳格な条件をつけて、今堤委員の仰せられますようなことの起らないように考えているところであります。
  36. 堤ツルヨ

    ○堤(ツ)委員 恩給局長のただいまの御答弁は、私納得行きませんからまたやり直しますが、私が今申し上げておきたいのは、あなた方が恩給特例審議会の結果をもつて恩給法の一部改正として打つて出られる前の、昨年戦傷病者戦没者遺族等援護法の実施を見るときの援護庁の答弁を聞いておりますと、まだ十万ぐらい援護庁でわくに入れようか入れまいかということですつたもんだしている。そうするとこれはまだ援護庁の手元で審議していただく可能性があるものでありますけれども、しかし市町村役場や県庁の世話課ではねられてしまい、厚生省で全然相手にしてもらえないものがある。しかも各村や字に帰つてみれば、だれが見たつて国家公務のために倒れたものであつて、ぜひとも戦傷病者戦没者遺族等援護法で取扱つていただかなければ仏も浮ばれないというものが一ばいある、新聞の投書欄をごらんになつてもわかりますように、読売新聞なんかはなはだしいときは半月に四つくらい出た。こういう仏が浮ばれぬという例がたくさんあるのです。そうするとこの恩給権を持つた人も持たない人も含めて、この中から恩給権を持つた人をひつこ抜いてあなたの所管に移行されたとしても、全国にはまだ二十万や三十万の問題のあるものが起つて来る。調査資料不十分の査定困難なもので、だれが見たつて公務死と肯定されろけれども、ただ政府が相手にしてくれないという、こういう個々のケースについては政府は徹底的な処置をもつてお答えになる必要があると私は思うので、なぜその処置がこの法案の改正でとられなかつたか、非常にふしぎであります。あなたはなかなか練達の士でありまして、滔々とお述べになりますからしごくごまかされやすいが、誠意は少しも打出されておりません。この点に対して法文にうたわなければならないという答弁をぜひともいただかなければわれわれ納得できないのですが、どうですか。
  37. 三橋則雄

    ○三橋(則)政府委員 先日厚生内閣引揚連合の委員会におきまして、あのときは、なくなられた方々の死亡原因の問題につきまして御質問がございました。その際に私はお答えいたしたのでございますが、これについては今後いろいろな研究にまたければならないことでございますが、今この法案はこういうふうになつておりますけれども、今後実際やつた結果によりましてはこういうような状況の場合においてはこういうような取扱いをするという特別に法定するような措置をとる、すなわち、今堤委員の仰せられるようなことを必要とするのではなかろうかと思つておりますことをはつきり申し上げております。ただ具体的にどういうような案をつくつたらいいかということにつきましては、まだ遺族の問題に具体的にぶつかつておりませんのではつきり自信を持つて法案をつくり出すまでに至つておりません。それを申し上げたのであります。私は今もそういうような心持でおるので、ございまして、死因の問題につきましては決定するような措置を必要とするかと思います。御承知の通りに、終戦の際の恩給法におきましては、そういうようにある地域のある病気につきましては法定する措置をとつてつたのであります。そういうような措置かあるいは今後も必要かと思つておるのであります。
  38. 辻政信

    ○辻(政)委員 関連して。ただいまの堤委員の質問に対しては私もしごく同感であります。昨年の三月遺族に対していわゆるお燈明料といいますか弔慰金と公債が渡された、それが今日一年たつてもまだ渡つていないのであります。これは私はまことに心外でありまして、昨年の十月厚生大臣に強く要求をし促進をしていただきましたが、郷里へ帰つて見るとまだ三割程度のものに渡つていない。現に私の秘書は毎日郷里から訴えられ、それで秘書の仕事が手一ぱいになつている。そうしてみると役人がきわめて不親切だということになる。また規定が煩雑であつていなかの人にはわからない。その一つの例を申しますと、戦死公報があつたにかかわらず、公報を裏づける資料証明がないと言うてやらない、こういうことなんです。公報というのは政府が責任をもつて死んだということを確認した書類であります。それがあればいいはずでありますが、さらにその公報を裏づける詳細な資料がないと渡されない、これでどうして遺族が一体浮ばれるか。今日厚生省の倉庫には遺理帳というものがありまして、それにひつかかりまして、たとえば極端に言いますと、支那の河南省においては肺炎で死んだ者は取扱わない、あるいは河北省においてはマラリヤはないからマラリヤの病人にはやらないというとんでもないことまできめておられるのです。病因、病気の種類によりましてそういう状態でありますから、この恩給法を渇望して待つておる二百万近くの人たちは、今までのやり方で行きますとおそらく三年たつてももらえない人が出て来ると思う。これではせつかくの政府の誠意をもつてしても救われない。その点堤委員の意見にまつたく同感であります。いなかにおきましても、村長はどこのむすこはどこで死んだということがわかつている、それが東京へ行きますと厚生省の方ではじくから、役人のわからない仕事がまだほんとうにたくさんあるというので、倉庫に山のように書類が積つておる。そうじやなしに死因の不明なものとか、あるいは非常にやつかいな書類のものであつたならば県知事にその責任を持たされて、市町村長の証明のあるものを知事が責任を持つてやるような政治を考えないと、この恩給法が出てもおそらく三年たつてももらえない人がたくさんあると思います。いわゆる紛争処理機関といいますか、苦情を聞いて万人が納得行くためにはその資料の書煩が焼けてなくても認めてやるだけの大きな心を持たなければならぬ。それでなければせつかくの法が死んでしまうと思う。はなはだ失礼ですけれども役人の仕事というものは末端に行きますと必ずしもそうじやない。私のところは、しかたがありませんから復員局へ飛んで行つて毎日それをやつている。そうしますと割合に早くやつてくれて数十日間のうちに八割くらいのものは今日すでに解決を以ている。それをやらないといつまでたつても解決しない。実情をよく来て見ていただきたい。あなたは実に熱心にやつておられますけれども、末端に行きますと役人というものは必ずしもそうじやありません。堤委員の質問に関連いたしまして私はこのことをつけ加えます。
  39. 稻村順三

    稻村委員長 辻委員に申し上げますが、この問題は事務的な答弁とりもこういうときこそ副総理ないしは官房長官のような政治的責任を持つものが答弁に当るべきでございます。従いましてこういうふうな御意見はやはり次の機会まで副総理なり官房長官の出席を持つて御質問なされた方が適当と存ずるのでございますが、本日は三橋局長からいろいろ事務的な問題に関して御答弁を願うことにいたします。
  40. 三橋則雄

    ○三橋(則)政府委員 ただいま辻委員の御質問ごもつともなことでございまして、私堤委員の尾質問に対しましての答弁が簡略に過ぎたために徹底を欠いていたと思うのでありますが、私が法定すると申しますのは、法律でもつてある地域において死んだ場合には、これは公務死の取扱いをするかどうかきめるということであります。これはかつて恩給法の中におきまして、しておつたことがあるのであります。それについてはどこまで、いつのときからどうするかということにつき、いろいろ問題が出て来ます。  終戦前のことにつきましては私の方に恩給局で実際恩給法規定を運用しており征したからわかつているのでありますが、終戦のころの死亡者の書類はあまり受付けておりません。また終戦後死亡した人の場合には遺族扶助料もなかつたのでありますから、実際の死亡者の状況は把握できていない状況であります。厚生省の復員局の諸君からときどき聞いたこともありますけれども、まとまつてこういうふうにやりたい、またこういうようにするというような結論的話は聞いていないのが実情であります。もちろん私がこういうような繁忙な仕事に追われているからということもありましようが、しかし私はこれは何とかきめなければならないことでありはしないかという心持をいたしております。もちろんそうしないで私限りにおきまして、私の自由裁定において処理のどんどんできることならばいたします。しかしそれが非常にむずかしいというようなことでありまする場合におきましては、これは法定することが最も便宜と思います。末端におきましてもその通りさつさと機械的に仕事を運ぶことになるからであります。そういうことを考えておるのであり下してこれをちよつと一言申し上げておきます。
  41. 辻政信

    ○辻(政)委員 いわゆる公文旅行という言葉がありますが、そういう書類を出しますと長ければ一年たつても出て来ない、文書の旅行です。早くて三箇月、しかたがないから私のところに直接来て直接やると一週間くらいでできる、そこでこういう問題の処理を各県において世話課が主体になつてやる。遺族扶助料とか恩給の資料というものは世話課といつて世話課長があつて五、六十人、七、八十人の者を持つて仕事をやつている。その世話課長の大部分の意見は、苦情の起つた非常に紛争のあるまぎらわしいものは責任を持つてやる、良心を持つてやるから、府県知事において証明したものは中央部において早くさばいて処置をしてもらいたい、ということがすべての意見です。公文旅行に三年かかつてどうします。これをひとつ申し上げて終ります。
  42. 堤ツルヨ

    ○堤(ツ)委員 重ねて辻委員からお話がありましたが、私は恩給局長に申し上げておきたいのですが、恩給法の一部を改正する法律案と並行して戦傷病者戦没者遺族等援護法の一部を改正する法律案をやつております、恩給法でお拾い願えるものを除いたあとのものを、戦傷病者戦没者遺族等援護法でもつてつて行こうというのでありますが、この改正にあたつて私たち援護庁に質問をしますと、私たち援護庁においては、委員さんのおつしやるように、さように善処いたしたいのでございますけれども、恩給局で何と申しますやら、恩給局かノーと言えば私たちもそれに歩調を合わせなければならない。従つて私たちが対象にして何とかして入れたいと思つても、恩給局が同調してくれないと見殺しにするよりほかないということをしばしば援護庁が答えている。私はどうも聞いておりますと、何か恩給局の方は援護庁よりもそのあたたかさにおいてはやや度合いが低いように思つております。ふろにいたしますならば、援護庁が四十度くらいならば、恩給局長あたりのお心持は二十度くらいしかない。少くとも国家の至上命令として、当時三銭や五銭のはがきで、赤紙で集められ、国家総動員法に基いて兵隊の仕事と同じようにやらされ、ともかく私事にあらずして国家公務のために散つた人たちに対しては、この際すべて国家か清算するという気持になるならば、恩給局長がしばしばお述べになる公式論は捨てることができると思う。これは経済再建と同時に、民主本再建の大きな基盤であると思います。戦争に負けたという歴史の変転、大きな社会革命が敗戦によつて行われたのでありますから、旧憲法時代の恩給局長の頭で公式論を割り出されますと、そこに非常にちぐはぐなものが生まれて参りますから、どうか清水の舞台から飛んだと思つて援護庁と調子を合せて、私が申し上げたようなあたたかい心を持つていただくと同時に、苦情処理機関を設けて、資料の困難な者や査定の困難な者並びに個個のケースについて、市町村長や地元の意見を取入れて、ごまかしておらない者はこの際入れてあげる処置をするということをお約束にならないと、調査資料をお持ちにならない恩給局としてははなはだ根拠のない法案になつてしまうと思います。これを特に重ねて申し上げておきまして、残る政治的な見解による御処理を願う問題は、また大臣にお願いすることといたします。これでこの問題は一応打切ります。
  43. 三橋則雄

    ○三橋(則)政府委員 厚生省との関係において云々の問題については、私具体的にまだはつきりしたことを堤委員から承りませんし、どういうことについてそういうような問題があるのかはつきりのみ込めませんので、私からかれこれは申し上げません。  それから苦情処理委員会の問題でありますが、それについては先刻お答え申し上げたごとくに、そういうような苦情処理委員会でもつていろいろなさばきをすることのないようにするがために努力しておるところでございます。そこで問題は、今のお話は、死亡者の死亡の原因の問題についてのお話でありますが、それにつきましては、先ほどから私が辻委員に申し上げておりますごとくに、申し上げておるのであります。厚生省におきまして私が申し上げたようなことを言つておるかどうか知りません。私は厚生省の諸君からそういうこと聞いておりませんし、厚生省の諸君がもしも私と同じようなことを言つておるとすれば別でございますが……私はあえて苦情処理委員会の必要があるかどうかということについては、今後検討にまつべきものであつて。今のところそういうような必要は認めないという考えであります。
  44. 神近市子

    神近委員 私は簡単な問題でございます。私どもが基調としてもつと違つた構想を持つておるということは御存じだろうと思いますが、どうせこの法案が一部改正されるかあるいは改正されないで通るといたしますと、少し恩給局長に御再考願つておきたいことがあるのでございます。今苦情処理の問題が出ましたけれども、たとえば私の実際に存じている方で、第三項症として医者の診断書が渡つておるのでございます。それが恩給局に持つて行くと第四項症に扱われるのはどういうわけでございますか、ちよつと伺いたいと思います。
  45. 三橋則雄

    ○三橋(則)政府委員 恩給法にはこれこれの場合においては何項症ということを規定しております。そうしてその規定されておることに該当しない場合においては、その規定してある傷病とその傷病とを比較をいたしまして判定をするということがあの表のうしろの方に書いてございます。あの表に掲げてあるような症状でございますれば、医者の方で三項症に該当するものとして診断されたものでありますならばおそらく間違いなく三項症に該当するものと思います。問題は、あの表に掲げてある傷病と違う場合、その傷病をあの表に掲げてある傷病と同程度のものと見るか見ないかということによつて意見が違つて来る場合が出て来るのであります。その意味において、事は非常に専門的でございますから、恩給局においては顧問医を数名の方にお願いし、それらの方に審査していただいて判定していただいているわけでございます従つて請求者の方の考えられておりますことと恩給局の顧問医の方で判定されたところと食い違つて、あるいは適当する場合もありますけれどもそれは少くて、大体は今お話のように低くなる場合が多いかと思います。そういうことからしまして、神近委員の言われた場合も、三項症として出されたのが四項症になつたのではないかと思います。
  46. 神近市子

    神近委員 その点でございますけれども、役人の方から苦情をつければいくらでもつくと思います。今局長自身も、この額が悪くなるおそれがあるとおつしやつていますけれども、ともかく責任ある医者が診断しているのでございますから、その通りにやつていただくというくらいの、二十度を少し上げた温情を示していただけないかということ一つ。  もう一つは、この間の公聴会において、妻と子との団欒がこの人生にとつて一番幸福じやないかというようなことを言つた方がございましたけれども、青年で応召をして癈疾になつても、結婚生活の可能な場合、その妻、子に対する扶助は、その査定された当時なかつたものには得られないのか、どうか、そのことをちよつとお伺いいたします。
  47. 三橋則雄

    ○三橋(則)政府委員 前段の御質問の、お医者さんが三項症として診断書お書きになつたものであるならば、そのまま認めるようにしたらどうかというお尋ねでございますが、もしもそういうことができるならば、それに越したことはないと思うのです。そうすれば恩給局に顧問医なんか高い経費を使つて置いて、各受給者から出して来る書類を一々審査する必要はないのです。しかしながら受給者の方がお医者さんに頼んで書いて出して来る診断書については、どうしても顧問医の方にもう一ぺん見ていただかなければならないのが実情でございます。そして顧問医の方に非常な手数を煩わして審査してもらつた結果に基いて、恩給局長としては裁定をいたしておるような次第でございます。従つて、今の神近委員のお心持はよくわかるのてございますけれども、すべての場合に先生の仰せられる通りにとりはからうということも、必ずしもできかねることでございまして、顧問医の意見も十分尊重しなければいけないことだと思つております。その点はあしからず御了承願いたいと思います。  後段の点でございますが。これについてはほんとうに御同情申し上げるところでございます。しかし、恩給法法令については、昔からそういうことはずつと入つていないのでございます。今度旧軍人の方に対しまして恩給を給するについて、神近委員の仰せられるがごときことを組み入れて改正するかどうかにつきましても、もちろん検討はいたしました。が今現に給するような措置をしてない者に給することは、これは昔からそういう人には給されない建前になつておつたのであるから、この際はあとまわしにしたらどうだろう、部内のことをざつくばらんに申し上げますと、こういう意見もあつたのであります。そういうことは結財政的な理由もありますし、恩給全体についてのつり合いということもありまして、かくなつて来たのであります。そういうようなことからいたしまして、いろいろと一応は入れるようなことを考えたこともあつたのでありますが、遂にこのたびは、この法案からこれは除いたというような次等でございます。
  48. 神近市子

    神近委員 その点は、この恩給法が、私どもの考えから見れば、非常に前時代的なものでございます。それで、せめて、これから妻子ができる場合を御考慮いただけるように、なるべくこれに附加ができるように御尽力を願つて、この問題を打切ります。  もう一つ、この間これは私がこの席上で申し上げませんで、多分恩給局長と廊下で立話を申し上げたと思うのです。まだ納得が行かないことがございますのは、等一項症と第二項症、第三項症までの開きは、二三%、二五%となつているのでございますが、第三項症から第四項症が、約八三%開いて来るのであります。それから、第四項症から第五項症が七三%開いて参ります。その次はそれほどでないのでございますが、これはどういうことによつて、こういう開きをおつくりになつたのか、その項症の性格から参りますのか、あるいはそのほかの、こういう表が届いておりますが、この赤線のところが現行法でございますけれども、その理由ちよつと承りたい。     〔委員長退席、上林委員長代理着席〕
  49. 三橋則雄

    ○三橋(則)政府委員 項症間の差等をどういうふうにするかということにつきましては、実は、本案をつくりますときも非常に考えました。それから、こういうところでこういうことを申し上げるのは何んですが、実は恩給法特例審議会におきまして庶務当局の仕事を仰せつかりまして、審議会の委員の方々の意向を参酌いたしまして、この問題を取扱うときもいろいろ考えたのでございます。項症間の差といたしましては、従来の沿革もございます。大正十二年に恩給法ができましてから、その後昭和十三年に改正されておりますが、その改正されますときに、実はかなりかわりました。私はそのときどきらいのところで、一応考えたこともあるのでございます。ところが、何と申しましても、今度のこの法案は、恩給法特例審議会におきまするところの審議の結果を尊重して法案をつくつたわけでございますが、その審議会におきまして、まず等一に遺族と、それから傷病者の中の重傷病者に重きを置いて、それから老齢軍人、それからその他の者を考えるというような順序でこの恩給は考えるべきである、こういうことであつたのでございます。そこでそういうような前提に立ちまして、いろいろと考えて来ました結果、この下の方の傷病者、すなわち、第七項症以下の者は、御承知の通り、今度は全部一時金にすることにいたしました。そこで、それならば今お話のよのに、六項症から上の方の一項症までを従来のような割合でずつと行くというと、一項症の方が割合少くなるのであります。そこで、そういうふうに少くしてしまうのか、あるいは重傷病者だけは特に重く取扱いをするかが、また一つの論議の問題になつたのであります。できるだけ重傷病者に対しまして、手厚い取扱いを何とかしてすべきではないか。こういうような観点からいたしまして一項症、特別項症については、もちろんできるだけのことをする、こういうことを考えて参りまして、そうして三項症と四項症の間はこれは少し差をつけられるところなんです。顧問医とかいろいろのところに行きますと、必ず差をつけられる、といいますのは、片方は、軽症者については一時金の制度をとります。それから重症者というところと、中程度と、こう考えてみますと、中程度のところに段階をつけざるを得なくなつて来たわけです。そういうところからいたしまして、今までよりも少しはなはだしい傾斜をつけたような次第でございます。従いまして従来のように、全体に相当の金があつて傷病者恩給を給せられるということでございますれば、もちろんよかつたのでございますが、予算の制約を受けまするし、また片方においては七項炭以下は一時金にしなければいけない、こういうようなことでございましたために、そこに段階を設けざるを得なくなつたような次第でございます。
  50. 神近市子

    神近委員 大体御説明はわかりましたけれども、これは一時これで見送つておいても、将来可能なときになつたら、これは改善なさつた方がいいと私は感じます。それから私どもはもちろん第四款症まではごく薄給であつても中金をあげてほしいのでございます。これはいろいろな方の御意見を聞いてみますと、ごく少額であつても、年金がほしい。これはいろいろそういう不幸にあつた方々の心理を救うもののようでございます。これを希望として、私の質問は終ります。ありがとうございました。
  51. 中村高一

    ○中村(高)委員 今神近さんから触れた問題でありますけれども、項症のベースについて質問があつたようでありますが、項症のベースのほかに増加恩給を受ける者では階級別があるのですね。これを今度は予算関係で非常に階級別になるために、下の方の人は援護法に基くものよりはかえつて少くなる状況になるので、この増加恩給の点についてだけは階級制をなくしてもらいたい。どうせ併給される普通恩給の方で階級差があるのだから、増加恩給の方では努めて階級をなくすることが当然ではないか、こういうことを傷痍軍人の方がさつきも来て言われておりましたが、私らもどうも普通恩給で階級別をされて、また今度増加恩給で階級別をされるというと、階級別が二つも重なるように思われるのでありますが、その点はどういうことになるのですか。
  52. 三橋則雄

    ○三橋(則)政府委員 傷病者に給せられます恩給も明らかに退職時の条件において私は考えられるべきだと思つております。といいますのは、労働基準法におきましても、あるいは厚生年金保険法におきましても、国家公務員災害補償法におきましても、傷病者に給せられるものは常に退職時の条件に応じて給せられておるものでございます。そこで旧軍人及び国家公務員に対して傷病を受けた場合に給せられるところの恩給は、これは普通恩給と増加恩給、こういうふうにわけておるのでございまして、傷病者恩給というものは、これを一緒に合したものがすなわち傷病恩給であります。その合したものをもつて退職時の条件についてお考え願いますれば、どういうことになつているかと申しますと、退職時の条件のよかつた者ほど、すなわち俸給の金額の多かつた者ほど割合が悪くなるよりな措置を講じて来ておるわけでございます。その措置を講ずる方法といたしまして、増加恩給普通恩給に区別したような形になつて来ているわけです。これは私、少しは間違いがあるかもしれませんが、大体大きな間違いはないと思いますが、古いことでございますが、大正十二年に現行恩給法をつくります前は、文官につきましても退職時の条件に応じます、すなわち一定の率をかけておつたように思つております。そうしますと、今のようになるわけでございます。そこで軍人の方々につきましては、階級の上になるほど傷病恩給として普通恩給を出した場合ですが、割が悪くなるような措置を講ずる方法といたしまして、私は、今のとうな増加恩給の定額制というものはできて来たのではなかろうか、こういうふうに思つております。これをこう解する以外に、この合理性というものは見出し得ない、こう思つておるところでございます。従いまして今の新しい立法でありますところの労働基準法とか、そういうふうなことも考えまして、そしてまた今の委員の仰せられまするような上灘下厚の心持ちも入れまして、今度の増加恩給の上下の差をでき限り少くしつつ、若干の差をつけたような次第でございます。
  53. 中村高一

    ○中村(高)委員 増加恩給が一本で給されるのでありまするならば、今の局長の言われるように、やはり多少は階級をつけておいてもいいのですけれども、増加恩給のほかに通恩給かもらえるのですから、そうして普通恩給の方はもう階級別になつておるのですから、せめて増加恩給の方は、大将がけがをしても、兵卒がけがをしても、そのけがに相違があるはずはないのでありますから、けがの方だけぐらいは同じようにしてもらつて、そうして階級は片つ方の普通恩給の方でつけてもらう。私はこの方がりくつが正しいよううに思うのですが、どうも普通の方で階級をつけられて、またけがの方でつけられる、こういうふうに下の者はいつまでも階級がつけられると——今局長が言われるのでは上を薄くするために階級をつけることを考えたというのですが、それはあなた、りくつになりませんよ。上の方を薄くするというのであれば、これは階級をなくすれば最も薄くなる。それを階級をつけたということは、上の方の人を高くするということである。これはどうもりくつに合わぬと思います。これはせめて増加恩給の方だけは階級性をなくすることの方が正しい、こう私は思いますから、もう一度これはお考えを願いたいのであります。  それからもう一点、先の一時恩給をもらえる者についてですが、これも財政の関係だというのですが、引続いて七年おる人には一時恩給をやる、こういうことになると、切れぎれに二度も三度も召集を受けて七年になつても、これはもらえないわけである。ところが実際の苦痛のことから考えると、二度も三度も呼び出される方がはるかに苦痛であつて、一度行つてそのまま引続いて七年いた者よりは、一ぺん帰つて来たと思つたらまたやられたという人の方が実際はかわいそうなんだ。それを何度も続いて呼ばれた方が悪いのだというのは、私はどうしてもりくつに合わぬと思う。どういうわけで引続いて七年いた人には一時恩給が出て、数回にわたつて七年いた人には恩給をくれぬのか。そういうことは一体どういう根拠から出るのですか。
  54. 三橋則雄

    ○三橋(則)政府委員 前段の御質問に対してお答えいたしますが、傷病者の恩給を、増加恩給普通恩給と、両方を合したものとして、お考え願いたいと思うのです。恩給法の中にも、はつきりと公務のために傷痍を受けた者は増加恩給及び普通恩給を給すると書いてある。増加恩給だけが傷病者の恩給であるとお考えになるところに錯覚があるわけです。私はそう思つている。この恩給法にもはつきり書いてあります。そこで増加恩給普通恩給とをひつくるめましたものとしてお考え願いますれば、退職時の条件に応じまして、一定の率をかけて金額を出しました場合におきましては、退職時の俸給の多い者ほど率が悪くなつて行くわけでございます。増加恩給普通恩給とにわけまして、そうして増加恩給の方を見ますれば、上の方になるほど金額が少くなるように押えられて来ているというのが実情なのです。  それから、切れ切れに行つた者と、引続いて行つた者との間にたいへん不公平な取扱いをしておるのではないか、こういうお話でございますが、その点につきましては、私はほんとうにでき得るならば、今の委員の仰せられますようにしたいと思つておるところでございます。ところでそれに対しまして私たちは二点において考えておるのです。一つはこの今度の恩給措置は、先ほども申し上げまするがごとくに、遺族と傷病者、それから軍隊勤務のために老齢になられた方々をまず第一に考えて、それからそのほかの方に及ぼすということにするよりほかには、この限られた予算の範囲内において恩給を給する措置、なかなか困難でございます。そうしますと短い軍隊の在職年によつて恩給を給するというような措置も考え直して来なければならぬ、こういうことになつて来るわけであります。そこで引続き七年ということに切つておるわけです。それから短い在職年の方にもやればいいのでありますけれども、やるということにつきましては、国家財政その他に非常に大きな困難を来しますから……。それから切れぎれの在職につきましては、この間も私いろいろと御説明申し上げましたがごとくに、実際にこれをやるといたしました場合におきまして、公平なる給与が可能かどうか、こう考えました場合においては、公平なる給与ということはなかなか困難ではないか、こういうようなことをまた考えたわけであります。今のお尋ねは、切れ切れの在職年で七年になる場合と、それから引続き七年の場合との間において理論的な差をどうしてつけたかというようなお尋ねだろうと思います。これは今のお話の中に引続き七年行つた方の方が苦痛が少い、こういうような御意見もあつたと思います。しかしながら一面におきましては、七年も引続いてしやばから離れていたならば、それこそつぶしのきかないような人になつてしまうのじやなかろうか。それより間にちよちよこしやばに帰つてしやばとの連絡をつけた者の方が、かえつてしやばでつぶしのきかないこともないではなかろうか、こういう点からも考えたわけであります。
  55. 中村高一

    ○中村(高)委員 とんでもない今の局長の答えでありますが、二度も三度も召集をされた人に、お前は途中で息を抜いたのだから、七年だけれども引続いていた者と区別されてもがまんしろというようなことを言うのは、これはとてもりくつに合わぬですよ。それは七年以上の者には一時金をやるというのに、召集された回数が多くて途中うちに帰れた者はまあがまんしろというようなことは、そんなりくつに合わぬ話はない。同じ七年ならば、七年ちやんと行つて参りましたと証明書類が出たならば、かりに三回でも四回でも召集された者でも、これは私は一時金を出すべきがまつたく当然であると思う。それを政府は、おそらく何回も出た人の調査がめんどうだという、先ほど来・辻さんや堤さんの言われるように、代人としてはそんな二度も三度も行つたり来たりした者なんぞ調べ出したらとても際限がない、まあ引続き行つたくらいの程度で打切らないとやり切れぬというような、これは夜つた事務上の、いかにも日本の官僚主義的な冷い一片の事務的観念から来たものであつて、公平性というような見地からは少しも理解されていない。私は局長説明はもう幼稚園の生徒に向つたつて、これは、だめだとはねられると思う。この点をひとつよくお考えを願いたいのであります。  それからもう一つは、さつきの傷病増加恩給普通恩給とが初めから加算を二つが並用されるから、階級を二つ里ねることはよくない、一つならいいと言つているのです。私は先ほどから増加恩給が一本であるならば、これはあなたの言うように階級があつてもしかたがないかもしれないけれども、そこへもつて来て普通恩給が重なつて来た。こつちの方は大将から兵卒までわかれているのだから、せめてけがくらいには区別してやるなと私は育つたので、これは局長の答えが全然合つていないから、もう一度答えていただきたい。
  56. 三橋則雄

    ○三橋(則)政府委員 大体先ほど申し述べたところでございますが、ただ一つ中村委員に申し上げておきたいことは、引続き七年でありますが、四年なら四年行つてつた者につきましては、つまり三年以上行つてつた者につきましては、一時恩給を請求して、もらつている人もあるかと思います。それから従前におきましても、三年未満の者につきましては一時恩給は給されていなかつたのでございます。ですから何べんもべんもひつばられというような人は、結局大東亜戦争のあとということに大体なるのではないかと思います。そういうふうにお考えいただけばよろしいと思います。それからその前の在職の方は三年以上でありますれば、一時恩給は給してあるわけであります。  後段の傷病者の恩給の問題でございますが、それにつきましては、私がここに表にして退職時の条件に応じまして労働法準法の算出率のようにして金額を出してみますといいのでありますが、実はその表を持つて来なかつたのでありますが、そういうことをいたしますると割合に御理解をしていただけるのではないかと思います。もちろん中村委員の仰せられるような、すなわち増加恩給一本とすることも、私は一つの意見だと思つておりますが、それかといつて、今の政府の考えております案そのものが根底から理由がないものである、こういうことになるかと申しますと、私も必ずしもそうではない、こういうような気がいたしておるところでございます。
  57. 中村高一

    ○中村(高)委員 私今度の恩給法の条文を見ませんが、やはり七年以上引続きという字が入つておりますか。そういう人は、今局長の言葉を聞くと、大東亜戦争以後であるから大して数はないだろう、こうおつしやいましたね。そうするとその引続きという字を削除しても、予算関係におきましては大した違いはないと思いまするけれども、いかがですか。
  58. 三橋則雄

    ○三橋(則)政府委員 引続きの文字を入れない場合におきましては、あるいは満州事変とか、あるいは何々事変とか、ずつと昔にさかのぼりまして七年の通算をしなければいけないことになるわけであります。あるいは上海事変とか何々事変とかずつと背に出征された方、それから勤務召集、演習でちよつと二箇月行かれた三箇月行かれたというのも全部入れなければいけない、こういうことになるのでございます。従いまして予算的にも相当の問題が起つて来るのではないか、私はこういうような気がいたしておるのでございます。
  59. 中村高一

    ○中村(高)委員 もう一つ、今度のには年限の加算がこれからつかなくなるのでありますが、今まで実際の年限はわずかであつたけれども、加算のために恩給をもらつてつたという既得権者に対しては、これは別に影響がないということのようでありますが、さよう解釈してよろしゆうございますか。
  60. 三橋則雄

    ○三橋(則)政府委員 旧軍人の方につきましては、普通恩給の年限に達していない方につきましては、その不足する分だけ減額するようになつております。今のお話で見ますと、かつて加算をつけて恩給を給された方については昔のままと同じように考えてよいか、こういうお尋ねだつたと思います。それにつきましてはもう少し詳しく言いますと、二つの点についてお考え願つておかなければならぬ点がございます。その一つは、実際の在職年限で恩給の金額を計算する建前をとつております。従いまして実際の在職年をもつて計算しました場合に、普通恩給の年限に達しない場合が出て来るわけであります。そういう場合におきましては、若干の金額を減額するような措置を講じております。
  61. 中村高一

    ○中村(高)委員 そうすると、今まで加算をもらつて恩給をもらつてつた人は実際の年数が少い場合には、多少引かれるかもしれないけれども、実際職十二年に達しなくても、今度はそれは取消されるということはないわけですね。そうすると支那事変などで早く帰つて来て、加算をもらつて恩給をもらつたという人は相当恩給をもらえるが、あとの人との間のアンバランスはやむを得ないという建前で今度は出発しているのですね。それはどうです。
  62. 三橋則雄

    ○三橋(則)政府委員 軍人恩給を廃止されました際に、すでに恩給を給されまして、具体的に恩給権を取得して、恩給を給されて恩給をもつて生活の資に充てられて来ていた方々につきましては、恩給を給するような建前をとつていることは、今中村委員の仰せられる通りでございます。その後の方につきましても、もちろん何とかしたいということで考えて来たところではございまするけれども、いろいろな点からしてどうしても差別の線を引かざるを得なくなつて来ました。そこで線を引くといたしましたら、今のようなところで引くのが一番合理的なところじやなかろうかということで、実は引いたのでございます。
  63. 高瀬傳

    ○高瀬委員 ただいまの中村委員の問題と関連いたしまして、先ほどこの通算、加算の問題について緒方副総理から大あらましの答弁がありました。ところで私は事務的に三橋恩給局長に伺いたいのですが、この加算の問題あるいは通算の問題について村政的な処置、今岡は四百五十億しかないのですから、そのわく内でやるとしますと、この問題を取上げてもなかなか解決不可能であるということは、私ども常識的に考えられる。しかしながら将来の問題として、事務的に、この材料がない、だからこの処置はなかなか急速にはできない、あるいは正確にはできない、こういうお話がありましたが、それもおそらくあるのもあり、ないのもあるというので一応了とします。それでは一体事務当局といたしまして、これらの問題について今後事務的にいかに対処して行くのか、あるいはこの前永田委員も言われましたが、各位場へ行けば、兵籍簿も何もみんなそろつている。ですから恩給局としては、恩給支給の対象になるこれらの詳細な材料の収集あるいは整備、こういうことについて今後、どういうふうにして行かれるつもりであるか、この法案がこのまま加算、通算について政府の言うがごとく通つてし生えば、事務的処理は全然やらないか、今後少しでも恩給局は事務を整理して、事務的にこの問題について突き進んで、恩給をもらえる期待権者に満足を与えるように事務的処理を行つて行くのかどうか、これはどうしても恩給局長から私は聞きたい。緒方副総理に何を聞いたつてあの程度しか言えないのですから、これはぜひ三橋さんに聞いておかぬと私は満足できない。今後これを捨ててしまう、この法案が通れば通算、加算の問題はこれでいいのだ、恩給局としてはこれで法案が通つたから解決したのだとお考えになるのか、それとも一人でも多く、国家財政が許すならば、そのときにはこの人たちを救済しようということで、こういう書類あるいは統計あるいはいろいろな材料の整備に当られるつもりかどうか、これだけは伺つておきたい。それと同じで先ほど神近さんの言われた第三項症と第四項症の給付の非常な開きなどもこれは一に国家財政にかかることですから、今回できなければ将来われわれの政治力で解決するほかない、こういうふうに考えておりますが、特にその点をひとつ……。
  64. 三橋則雄

    ○三橋(則)政府委員 第一の点でございますが、これはこの間永田委員もおつしやいましたように、役場の兵事薄といいますか、それも承知しておるのでございますが、いろいろ所によつて違う所がありますが、私の承知しておるところでは、兵事薄は、召集を受けにときのことははつきりわかるように書いたものかございます。召集のときのことははつきり書いてありましても、帰つたときのことははつきりしない点がないではない。というのは召集令状は役場を通すからはつきりわかるのであろうと思います。役場の書類ということは、実は私も考えました。しかし役場の書類だけでもつてこの加算に関することを片づけるということは不可能です。役場でそれまではつきりとしたものを押えるということは困難であります。それから一般的にこの軍人の履歴簿を整備するということにつきましては、私どもでき得る限り努力をいたしまして、今後続けて行きたいと思つております。これは私ども事務当局といたしましては、いろいろな場合に処するような準備を次々とやつ行くべきだと思つております、その一つといたしまして、今高瀬委員の仰せられましたようなことは、今後続けて行くようなふうに関係者と協議を進めて行きたい、こう思つておるところでございます。  それからその次の傷病者の問題でございますが、この点につきましては、私はまつたく高瀬委員と同じような心持でおるところでございますが、それならいつからこれを実行するかいうとことでございます。これは今ちよつと私申し上げかねるところでございますが、これは急を要するところから先にできる、たけの措置をしたということで、御不満ではございましようが今回は御了解を願つておきたいと思うのでございます。
  65. 上林與市郎

    ○上林委員長代理 他に御質議がなければ、本日はこの程度といたし、次会は公報をもつてお知らせいたします。これにて散会いたします。     午後五時十三分散会