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伊藤卯四郎君
事件の結果についてだけ、いろいろ
議論をされおるようでありますが、私は、
同僚各位にお聞きを願いたいと
思つておりますことは、なぜ、だれがこの
導火線をつく
つたか、導いたかということを、冷静に御
判断を願いたいと思うのであります。
あの
予算委員、会が開かれました当時、御
承知のように
保安隊の問題、MSAの問題、再軍備の
問題等が、この
国会で最大の政治上の重大な問題として、なお割切ることができない
状態にありましたので、
野党各派から
政府側に
質問要請をしまして、三十日の日に再開されまして、五人のそれぞれの党の
代表者が
質問を展開することにな
つていたのでございます。最初に
芦田さんがやり、その次に
和田さんがやり、そういうことで
質問が行われておりました当時、
芦田さんが行われて、
委員長は、
理事に
相談をされて、その結果によ
つて暫時休憩をされたのでございます。その次に
和田博雄君がやられてから、
委員長は、今度は
理事に諮らないで独断的に
休憩を宣せられたのであります。
そこで、問題が紛糾しまして、当時の
尾崎委員長に、なぜ独断で
休憩を宣するかということが問題にな
つたのであります。ところが
尾崎委員長は、
政府が所労で
休憩をしたのであるから、
政府を
出席さして、
質問を行わしめたらいいじやないか、再開したらいいじやないかと
言つて、
尾崎委員長は非常に
興奮されていたのであります。それはそうだということで、それなら
自分は
政府側を迎えに
行つて来ると
言つて、当時の
尾崎委員長は立たれた、ところが、聞くところによると、
吉田総理大臣は、衆議院の表玄関から、いずれにか行かれて
しまつた、
尾崎委員長も、
政府側を
つれに行くと
言つてどこかに行方不明にな
つた、そういうことで、
野党側の方で、なお
質問の残
つておる方では、
委員長と
政府側に一ぱいかけられた。大体
委員会の
運営を円満にするためには、
理事会に絶えず諮りながらや
つておることは、
お互いに
知つての
通りであります。ところが、そういうことで
ペテンにかけられたというので、問題が残
つたわけでございます。
ところが、その翌日
皆さん御
承知のようなことになりまして、そこでまた
尾崎委員長が、紛糾しておるところに、
委員長席からおりて、いずれかに行こうとされてお
つたのであります。そこで私は、そういうことがなお繰返されるならば、また議場が非常に紛糾してはいかないというところから、
尾崎さんに、あなたが
お立ちになるのならば、またきのうのような紛糾が起
つてはいけませんから、御
相談をされて、
理事でも代理に置かれて、よく話合いをして
お立ちにな
つたらどうかという
相談をしていたのでございます。そこで紛糾いたしておりました。ところが、
あとで
尾崎さんが、
自分は
小便に行きたいんだと言われておりましたから、
ちようど木村武雄君が横におりまして、
小便に行くということなら、それは行かなければならぬというので、私と
木村武雄君とで
小便所にお
つれをしたのでございます。その当時
自由党の
羽田武嗣郎君も
一緒でございましたが、私と
木村君に握手されて、
ほんとうにありがとうと
言つて、礼を言われておりました。それから
尾崎さんも、お聞きになればわかりますが、ありがとう、ありがとうと
言つて、何回か繰返して私
ども礼を受けたのでございます。
そういうことが私
どものありのままの姿でありましてそうして今度は、もうこの
予算委員会の中はきわめて平和にな
つて、皆がじようだんを
言つていたのでございます。その当時
自由党の方で
予算委員会の
開会について
幹部会を開いているという話がありましたので、
尾崎さんにも、あなたもお行きにな
つて、まとめられたらどうかという話もしましたけれ
ども、
尾崎さんは、もうその当時別に
委員長席から立とうともされなか
つたのでございます。そういうことで、皆が
談笑裏に、
自由党の方から何か
開会に対するまとま
つたものが来たら
開会をするか、あるいは
休憩するか、とにかくそれを待
つていたところであります。
そこへ
篠田君が何を誤解されたか、血相かえて入
つて来たわけでございます。そうして一人で非常にたんかを切りますので、そこにおりました皆はこれを笑
つていたのでございます。あるいは皆が笑
つていたから、なお
興奮して、しや
くにさわつたのか、それは知りませんが、私はそうでなかろうかと、いまなお
思つておるのでございます。ところが、酒を飲んでおられたかどうかは私
どもは知りませんけれ
ども、非常に
興奮して、顔が赤くな
つて、一人でむちやくちやに怒
つておりましたから、皆は笑
つている。そこで今度、
春日君であ
つたと思いますが、酒を飲んで来てそういうことを言うのは、けしからぬじやないかというような
言葉がありました。そうしたところが、何を、というので、
飛びかかつて行
つたことは、当時傍聴されたお方もおられることと思いますから、御
承知であると思いますが、まるで猛獣が獲物に飛びついて行くような
勢いで、
春日君に飛びついて
行つたのでございます。
それ以後というものは、そこで
混乱に陥りましたから、だれがどういうことをや
つたかということは、
さつき田中元君が言われておりましたように、これは私は何人でもよくわからなか
つたろうと思います。私もやはり年をと
つている者の一人として、その問題に対していろいろあつせんしてお
つた一人として、何とかそういうことで、より以上
混乱に陥れてはいかないというので、割込んで
行つて、私も何とか中に入
つてとめてやろうということで、
自分の全力を尽してあつせんしたことは事実であります。しかし私には、
篠田君をなぐらなければならぬという理中は何もありません。まただれをなぐらなければならぬという
理由も、私には何もありません。ただ、問題がそういうことで、
灰ざらを投げて割れる、水さしが割れるという
状態にな
つている。そういうことをそのままにしておくことは、けが人でも出したり、いろいろ問題がより以上に重大化してはいけないという心配の余りに、飛び込んで
行つて、何とか割込んでその
状態をとめようというので、
精一ぱいに努力をしたつもりでございます。
私は、
自分としてはそれ以上に
記憶もなければ、また何もありません。私は、
皆さんに御
判断を願いたいと思いますことは、
尾崎委員長の問題についても、私は
羽田君初め
尾崎委員長からも
感謝をされておる。なおまた、
篠田君の問題についても、
精一ぱい自分がとめたということが何でいけないかということを、私は心外にたえません。むしろそういうことを論ずるならば、
予算委員会において、五人の
質問者中二人しかや
つておらないのであるから、
あとの残りの三人になぜ
質問をやらせなか
つたのか、
政府がなぜもつと
国会の
運営に対して熱意をも
つて、誠実に
国会に対する義務を尽されなか
つたかと、私は言わなければなりません。それさえや
つてくれるならば、あの二日間にわたる
混乱も何もありません。その責任を感じておられるから、
尾崎前
委員長もおやめにな
つたことは明らかである。また、
吉田内閣が、
民主議会運営上そういうことをや
つたことはいけないと思われておるから、さらに明日また
予算委員会を開いて、
質問戦を行おうとしておるじやありませんか。この事実を私は
知つていただきたいのでございます。できた結果の派生的なことだけを論じないで、根本的に何がかくさせたかということについて、私は、
民主的議会運営のために、
同僚各位が冷静な
気持でこういう点の御
判断もお願いしたいと思うのでございます。
私は、今日この
懲罰委員においでにな
つておる
皆さんよりも、私が一番年が多い。もう
皆さんが押せば私はひよろひよろしておる者でございます。この私が、一体そういうようなことをやるかやらないか、これは
常識で御
判断ください。そういうことよりも、むしろ、私が申し上げるように、よく骨を
折つたと
感謝こそしてもら
つても、私は
懲罰に付せらるべき何らの事由がありません。私ははなはだ遺憾にたえないと存じております。
以上がありのままの真相でございますから、ひとつ冷静に
皆さん方のおさばきをお願い申し上げます。