○田中
参考人 ここにお呼び出しを受けましたのがちようど一昨日の朝でございまして、少し
数字的の
資料をつくろうといたしましたが、つくるひまもありませんでした。今お話に
なつたことにつきましても、大分われわれの
調査と違
つておりますので、
意見もはなはだ違
つて来るのであります。これから大体順序を追うて話を進めて参ります。
ただいまお話がありましたように、こんにやくは嗜好品でありまして、必需品ではございません。しかしながら、こんにやくは老若男女を問わず
日本全国民が食べるものでありまして、もうこれは長年の習慣に
なつておる。今嗜好物に
なつたものじやない。では
戦前はどうであつたかと申しますと、今お話に
なつた点がちようどそれでありますが、単位を一つにせぬとお聞き苦しいと思いますから一定いたしますが、今の荒粉に換算いたしまして、
戦前には大体一年に四万駄、トン数にいたしまして一万一千三百トンくらいです。これだけの
生産があつた。これは
戦前と申しますか、もう
統制に
なつた
昭和十六、七年までの
数量でございます。そのときに
輸入物がどれだけあつたかと申しますと、大体二千トン内外、多いときは二千五、六百トン入つたこともあります。それを駄数に換算いたしますと六千駄。四万駄に対して六千駄入
つておる。大体一割七分見当になります。そしてその当時の
価格はどうであつたかと申しますと、相場は大体二割か三割の変動であります。これはきわめて普通の変動であります。
従つてそれでも
つて戦前の普通の
供給は
需要をまかなえた。これで大した相場の変動もなく、いわゆる相場の調節ができた年なのであります。ところが戦争勃発と同時に、食糧事情のために他の作物への転作が行われて、こんにやくは非常に減
つたのであります。そして
昭和二十年、終戦のときにどうであつたかというと、四千駄なのです。ちようど
戦前の十分の一に下
つてしまつた。そしてこれは非常な暴騰をいたしました。その後年々
増産をしておりまして、だんだんと出て来ております。しかしながら今お話のように、なかなか遅々として振わない。昨年の統計は——今申し上げたのは農林統計であります。昨年はまだ農林統計はできておりません。一昨年の
数字でありまして、こんなに数はふえておらないのです。われわれ業者が
生産者とも結びついて調べたところによりますと、大体昨年の
生産高は一万八千駄ないし二万駄、ちようど
戦前の半分でございます。それから、それがためにこの商売はどう
なつたかと申しますと一あくまで私申し上げますが、
需要があ
つての
生産なんでございます。
生産だけで
需要はほう
つておいてもいいものではありません。そこでこの変動はといいますと、
昭和二十二年の相場から申し上げますが、終戦時に四万円のものが十二万円に高騰した。三倍です。それから二十三年は十六万円のものが二十九万円に
なつた。これは上る方から申し上げましたが、反対に上から下へ落ちているのです。それから二十四年は二十万円のものが三十八万円に
なつております。たつたこのくらいの俵四俵を一駄と申しますが、この相場が二十万円から三十八万円に
なつた。それから二十五年は十三万円のものが十八万円に上
つております。この範囲で動いておるのですよ。それから二十六年は十六万円から二十九万円。二十七年は安値が十万円、高値が十七万円、
戦前とは比べものになりませんけれ
ども、昨年は割合よかつた。それが今年はどうです。まだ半年にしかなりませんが、十万円のものが二十六万円に
なつております。まさに三倍になろうとしている。戦争後こういう相場の上げ下げがあつた。上げ相場に
なつて投機の目標に
なつてしまつた。投機の目標に
なつたということは、
原料の獲得が困難になることです。業者はもちろんのこと、場合によ
つては小さいこんにやく屋さんにもなかなか
原料が入らない。入
つてもぽかつと、安くなるんだから非常に損する。そういう
状態なんです。これには業者も
消費者も困
つております。
消費者は、今申しました
通り必需品ではない、なくてはならぬものではありません。しかしこんにやくは大体下層階級が食いますから、現に
九州の水害で非常に困
つている。十万のものが二十六万、二倍半なんです。こういうことは国家の
経済政策としていいかどうか。非常にこれは業者としても困
つております。
生産者もそれは困ります。
生産者も、こう上げ下げがあつたんでは、計画が立ちません。そこでわれわれは、何とかしてこれを防がなければならぬ。そのためには一結局絶対量が不足なんですから、この
需給を並行させなければならぬ。今の
需給は平均しているとさつきもおつしやつたけれ
ども、はたしてちやんと平均しているかというと、そうじやない。そこでこれを解決するためにはどうしたらいいかといいますと、絶対量をふやすために、外産を入れる以外に道はないのです。
戦前ですらもやはり二千トン以上入つた。
日本の一番大きな
生産があつたときにも六千駄入つた。今まだ
戦前の半分にも足らぬのに、昨年が一番多く入りまして千三百トンであります。こういうことで相場が維持できるわけはない。相場というものは非常によくわかります。こんにやくというものは、これだけなくてはならぬというものではない。しかしつくつたものは必ず食べてしまいます。そのかわり少かつたら暴騰します。これが商人が生きるか死ぬかの問題です。
需要があ
つての
生産、その
生産したものが非常に少いので、こんなに迷惑がかか
つている。そこでこれをどうしても
輸入しなければならぬ。こういうことに
なつて来るのです。そこで昨年あたりはわれわれも大分いろいろな努力をして、
輸入運動までや
つて外産が多少入
つて来た。千三百五十トン。そのために昨年は戦後一番相場が安定しています。ところがことしに
なつてからみな暴騰しているのは、この面なんです。そこでこの外産を
輸入して、
価格の調整をして、業界の安定に役立てるには、どれくらい
輸入したらいいかという問題が起
つて来る。そしてその安定した
数字は、どういう税率をも
つてやるべきかという問題に入
つて来るわけです。そこでこのためには三つのことを
考えなければいかぬ。まず第一に、
日本内地の安定相場、いわゆる適正
価格というのはどこにあるか、これを一つ
考えなくちやならぬ。もう一つは、安定相場に調整して行くためにはどれだけ
輸入が必要か。これが一つ。この適量を
輸入したら安定します。その適量を
輸入するにはどれくらいの税金をかけたらいいのか、現行税率は妥当かどうかということになるのであります。なるほど
日本の農家が非常に困つたら、保護政策をとることは
当り前です。これは世界の通則であります。
そこで第三の問題がきようの問題ですが、順序として、適正
価格は幾らであるかということから申し上げます。これについては、
生産費をもとにすることは当然ですが、私自身
生産しておりませんから、
数字は
はつきり申し上げられません。しかしこれに関して今年の三月四月だと思いますが、朝日
新聞に、群馬側の中曽根さんの名儀と、それから大阪のわれわれの会長の名前で、両者の
意見が出ておりますが、その中曽根さんの話を見ると一
日本のこんにやくの
生産費は一駄
当り十五万ないし十八万に
なつている。しかし私はこれは実情から見て承服できない。その理由を申し上げます。これはこういう
生産費のもとにしないけれ
ども、業界のいろいろな団体があ
つて、そういうものが寄
つてたか
つてつくつた適正
価格が幾らかということを、昨年十二月に業者が集まて、そこで発表したことがある。それによると、生王が一貫目二百五十円、精粉が一駄十一万円に
なつている。これが適正
価格である。これでも
つて日本の
需要供給を安定さすべきである。これが今まさに二十六万円に
なつている。二倍半です。だから十万ないし十一万というのが適正
価格である。今度は他物価との比較を見ると、戦後各商品の物価は大体
戦前の百五十倍から二百倍に
なつておる。米にしても何にしてもうすべての指数がそうです。それから見ると、二百倍と見て、十万円です。
戦前の相場が五百円だから、まさに二百倍です。これから見ても、その辺が適正
価格だと思う。さらにわれわれは米とこんにやくの収穫をよく比較して聞かされますが、私も元来こんにやく屋ではありませんから、よく知りませんが、こんにやくは一反歩に四貫目とれるそうです。これをかりに二百倍で換算すると、十万円です。同じく一反歩に米は幾らとれるか、これは
地方によ
つて違いましようが、大体四石、これを今やみと公定
値段の中をとると、一升百円として四万円です。これだけの相違があります。十万円と四万円では非常な差です。そういつたことから
考えても、十万、十一万というところが適正だと思います。それから本品は、他の作物の適しない山間僻地につくるということに
なつておりますが、事実はそうでない。これは群馬県でも行けばわかりますが、畑地でほとんどつく
つておる。ひどいのは、米の田をつぶしてこんにやくを植えようという人がある。これは事実であります。きのう聞いたのです。こういつた実情であります。いかにこんにやくが農家としてもうかるかということなんです。そういうふうないろいろなことを
考えまして、こんにやくの適正
価格はやはり十万か十一万ということになる。
それでは外産の
輸入数量はどうしたらいいかというと、
戦前でも二千トン入
つておつた。戦後は絶対量が少いから、相場を維持するためには、四千トン、五千トン入れても間違いでない。暴騰させるならば別です。それで昨年は千三百五十トン入つたために、相場が安定した。これらの点から見て、やはり二千トン内外の
輸入は必要だと思う。今年はいろいろな問題のために一トンも入らない。そこで先月の初め十四万五千のものが、もう二十五万に
なつてしまつた。こういうばか相場を出しておる。しかもこれは農家の手を離れておる。今持
つておる者の分が暴騰しておるというかつこうであります。
そこで今度はどれだけの
輸入レートにしたらいいかという本論に入ります。こういうふうに内地粉の適正
価格、外産を入れなければならぬ
数量等を勘案して、どうしたらいいかということになると、税金の問題は、前国会で出たときに、やはりわれわれは
意見を出したことがあります。当時は相場が十万円、ちようど適正
価格だとわれわれは見ておりますが、その際に、その当時一トンの
原料を
輸入するのにどれだけの税金負担ができるか、いわゆる担税力がどこにあるかということをいろいろ
考えた。それを元にして言いますと、当時、内地の相場が一駄十万円。そして外産の
輸入が、話を縮めるためにジヤワ品だけを例にとりますと、ジャワ品は一トンのものが二駄半とれます。そこで同じ基礎で話すと、二駄半ということは、十二万五千円になる。
日本の半値です。
日本の
値段はどうかというと、一駄二十五万円が今の市中の相場です。ところが当時の
輸入の採算はどうかというと、さつき百八十ドルと申しましたが、これは
運賃や何かを入れると二百三十ドルでなければ買えない。二百三十ドルを換算すると、八万二千八百円になる。そのほかに
輸入諸掛りが
相当かか
つて来る。最近は御承知のように食物検査がありますから、
戦前になかつたものがかかる。われわれの口銭が五分ないし六分で五千円か六千円、加工賃が一万二千五百円、合計十一万三千円ぐらいになります。そこで当時の十二万五千円という
日本で売れる相場から、この原価の十一万三千円を引くと、一万二千円になります。これが税金なり何なりを負担し得る力であります。これをCIFの
値段の割合で出してみると、一割七分になる。現状においてはこの
輸入税は一割五分です。二分の違いです。ですからこれをひつくるめて
考えますのに、現在の
関税一五%はきわめて妥当だと思います。これ以上げると、
輸入が入らぬと思います。
輸入が入らなければ、今のような暴騰を繰返します。内地産は少いのですから、どうしても
輸入しなければならぬ。これが根本であります。もし現在のように
輸入防遏の政策をとられる限りは、税金を上げることは無意味です。むしろ幾ら入れるということをまず第一に考慮に入れて、それでこの税金はこうするのだ、こういうふうにしなければならぬ。今は本末を顛倒しておる。入れないようなことにしておいて、税金をいじくる必要はない。われわれを縛
つておいてやれ、こういう政策では、われわれは合点が行かない。そこでわれわれ商売人なり
生産者なりのすべての実情を——
生産者だけじやない、
消費者あ
つての
生産ですから、これをよく聞いて、これを円滑な商売をさせる、
市況を安定させる、暴騰をやらせないというためには、絶対量をふやさなければならぬ。そのためには、足らぬところを
輸入しなければならぬ。そういうことをきめてそれから税金をきめてやるということになる。この保護政策をとるならば、その基礎になることをしないで、われわれを縛ることだけ縛
つておいて
輸入をさせないということは、本末転倒だと思います。
簡単でございますが、これで私の
意見を終ります。