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軽石参考人 私はただいま御
紹介をいただきました盛岡第一
高等学校の
教諭をいたしております
軽石と申します。今般御提案に
なつております
一般職の
給与の一部を
改正する
法律案に対しましては、全面的な賛成をいたすものでございますが、その賛成の趣旨につきまして、ここに申し述べさせていただく機会を得ましたことを光栄に存ずるものであります。
申し上げるまでもなく、終戦以来教育に関するところの制度、あるいは機構などが、しばしば変革を見て参つておるのでありますが、その実情を顧みますとき、またさらにその間における社会の情勢を顧みますとときに、文化国化を標榜いたしまして発足したところのわが国におきまして、教育者の使命、その責任の重大さを痛切に感じておるものであります。しかるにもかかわらず、いつの時代におきましても、経済的にもあるいは社会的にも恵まれないのが教員の生活でございます。今回の立法措置によりまして、
大学、高校、義務制校教員とも、従来よりもかなり優遇の道が講ぜられておることは、本立法に賛意を表する第一の理由でございます。
次に、昭和二十四年国家公務員法が制定されまして以来、四箇年にわたつて慎重なる御検討の結果、ようやく勧告されました今次の
給与準則を——本国会において全面的な審議、立法が困難である現状におきまして、最も緊急を要する
教育職員の
待遇改善並びに
給与制度を、一日も早く今次国会中に立法化されることは、六十万
教職員の真の希望にこたえるゆえんであろうと思うのであります。
世界の教育文化の水準よりも十数年遅れたといわれておる日本の教育界に、人材を吸収するという点においても、また現場の
教職員のよりたくましい情熱を振起せしむる点におきましても、これはむしろおそきにすぎるのでありまして、今国会御提案に対しましては、心から敬意と謝意を表するものであります。この成立の一日も早からんことを念願する次第であります。
第三に、この
法律案の内容についてでございますが、これは今次勧告された
給与準則制定の精神に立脚いたしまして、長をとり、短を補つたものであると信ずるのであります。すなわち
大学、
高等学校、義務制校の三表とし、それぞれ
最高号俸に若干の差を認めた点は、まつたく人事院の勧告の通りでございます。ただ人事院勧告におきましては、
初任給並びに昇給規定が同一でございますので、せつかく御苦心をされました三表の趣旨が、実質的にはほとんど現われておらないのでございます。そこで、この趣旨を生かし、
高等学校、
大学において、その途中より一
号俸の添加措置を講じたにすぎないのでありまして、現段階におきましては、当然の措置と存ずるのであります。この一
号俸の添加が、一部におきまして宣伝されるごとく、はたして
高等学校職員の大幅の優遇であり、あるいは封建的な職階制の確立でありましようか。
私はここで、何がゆえに私
どもは
大学、
高等学校、義務制校の
教職員三本建給与体系を主張するものであるかということを申し述べたいと思いますが、順序としてまず
教職員の
給与の最近の実情と経過を簡単に申し上げさせていただきたいと思うのであります。戦争前の
給与は、確かにあまりに封建的な組立て方でありまして、特に
小学校教員の待遇が不当に低かつたことは、改めらるべきものであつたのであります。終戦後これが次第に
改正されまして、
大学から
小学校までの教員
給与の差が次第に少く
なつて参つたのでありますが、昭和二十三年まではおおむね各職域において、若干の差があつたのでございます。しかるに昭和二十三年一月より施行されました二九ベースの切りかえによつて、この立場はまつたく逆転いたしたのであります。すなわち当時
大学、
高等学校、
中学校、
小学校等四本建の
給与体系を主張いたした片山内閣に対しまして、
大学から
小学校までの一本の
給与体系を主張いたしましたる日本教員
組合の交渉が強力に続けられました結果、遂に
大学と
高等学校以下との二つの
給与体系にわけられたのであります。しかも旧師範
学校卒業以上の学歴差はほとんど認められず、他の職歴もきわめて不利に換算されましたので、ほとんど最終学歴以後の教職年数が主体と
なつて級が決定されて、切りかえられたのでございます。差上げました資料の十七ページをごらんいただきたいのでございますが、たとえば当時同じ三十六才の者でも、小
中学校の教員が九級で切りかえられたときに、
高等学校の教員はほとんど八級または七級で切りかえられまして、
高等学校教員の方が三、四号から七、八号くらい低い現状にあつたのであります。その資料にございますように、二十七年一月一日現在で、他の職歴のない師範卒の方が四十六号の際に、専門
学校を出て他の職歴のあるような方が四十一号、同じく旧大卒の方が三十九号、かように
なつたのであります。
高等学校におきましては、他の職歴経験を持つておる者が約七〇%を越しておるのでありすすが、いずれの府県におきましても、このようにして同年齢の者の平均と比較いたしますと、
高等学校の方が小
中学校よりも三、四号から五、六号低いという実情が生じたのであります。これは生活
給与という当時の立場から申しましても、まことに矛盾もはなはだしい結果に
なつたのでありまして、何がゆえに
高等学校の教員の
俸給が、低くならなければならないのかという疑問が、全国至るところにほうはいとして起つて参つたのであります。従つてこの問題を根本的に研究調査いたしました結果、学歴差を認め、あるいは他の職歴の換算率を有利にするということはもちろんであるが、これには限度があるので、これだけではどうしても
高等学校教員の
給与の陥没を全面的に救うことができない。根本的な欠陥は、学歴や職歴の点もさることながら、ここに
高等学校としての別の
給与体系を設定しなければならないという結論に達したのであります。小、
中学校の
給与の決定と同じものさしでこれを制定したときには、どうしても
高等学校の方が陥没を来すということが明確に
なつたのであります。ここに
高等学校は、昭和二十三年以来、この陥没を救うためにも、別個な
給与体系を設立すべきであるという結論をもつて、当局に陳情し、運動を開始いたしたのであります。爾来五箇年、
給与の改訂を叫び続けました
高等学校教員のこの熱願が、今まで当局においても遂に取上げられる機会がなかつたのでございます。幸いにいたしまして、五箇年八箇月を経ました今日、ここに人事院勧告の中にその萌芽を見出し、今や国政立法の府におきまして正式にお取上げくださり、御審議くださいますことは、われわれも実に感慨無量なるものがあるのでございます。日教組の一部におきましては、昭和二十三年当時に比較しますと、われわれのこの問題に対しましても相当認識が改められまして、学歴差やあるいは経歴換算率等においては、私
どもの主張を認めて参つております。しかしながら、この
三本建給与体系に対しましては、今なお十分なる認識がないのではないかと存ずる次第であります。そうして、この陥没を是正するためには、一本建の
給与体系で、昭和二十三年の二九べースの当時にまで、さかのぼつて是正したならばよいであろうと、こういうようなことも申しておるように聞いております。しかしながら、現実にかかることがはたして可能でありましようか。予算上におきましても、また
法律上におきましても、五年半も前にさかのぼつて、いろいろの法規を越えてそれをここに施行し直すということは、とうてい不可能なことであります。のみならず、もしも二九ベース当時までさかのぼりましたならば、実質的には大幅な
三本建給与体系となるのでございます。なぜかと申しますと、たとえば専門
学校を卒業いたした者が、当時の
中学校に就職した場合には八十円、当時の
小学校に就職した場合には、代用教員として四十円ないし五十円というような
給与の差があつて、その差は相対的には縮まつておりましたけれ
ども、やはり昭和二十三年前までは若干の差があつたのであります。従つて、そこまで今さかのぼつて施行し直しましたならば、当然今回の一
号俸どころか、もつともつと大幅な実質的な
三本建給与体系となるのであります。
以上申し上げましたように、過去の教員に対しましては、昭和二十三年以来の陥没を救うためにも、
高等学校に別個な体系が必要であるということは、明確に
なつたと存ずるのであります。生活給という立場においてさえ不当な待遇を受けておつたのが、
高等学校教員の大部分であつたのであります。ましてや、生活状態はいまだ窮乏いたしておるとは申しながら、終戦当時よりは相当に安定して参りました今日、職務の実態に即しまして、その努力、能力、能率に応ずるごとき
給与の体制を生活給の上に加味して行くことが必要なのであります。
しかして、
大学から幼稚園まで職務の内容が同一であるかどうかという点でございますが、先ほどの
校長先生の申された理論も一応はわかるのでございますけれ
ども、おのおのの職域に必要とされる能力なり、学識に程度の差があると存ずるのであります。この点の詳細につきましては、時間がありせんのでさらに別の方に申し述べていただきたいと存じますが、
高等学校と義務制校との間に
給与の差ができますというと、人事交流を妨げて、六三制教育が破壊されるというようなことも、一部で申しておるようでございます。しかしながら、現在におきましても、
大学と
高等学校の場合を見ますと、大幅な
給与の差があるのでありますが、本人の努力研修によりまして、あるいは
高等学校から
大学に移る方もございますし、あるいは家庭の生活環境等の
関係から、
大学から
高等学校の方に移る方もあるのでありまして、決してそこに
高等学校教育の破壊が来されるというようなものではないと私
どもは感ずるのであります。すなわち、職場においては、その能力と適性に応じまして職域が決定されるのでありまして、かぐつてこそ六・三・三制が質的に真に輪化されるものであると存ずるのであります。ことに
高等学校の教員は、民間の会社あるいは官庁等との交流がきわめて多いのでありまして、それとの
給与のバランスということが、非常に考慮されなけばならない点であると思うのであります。もし教育界に人材が集まらないで、六・三制が破壊されるとすれば、それは決してこの
高等学校あるいは義務制校との間に、若干の
給与の差を設けたからという理由によるのではなくして、それは一般の
給与のベースと教員の
給与のベースとの均衡がとれないために、そういう実態が生ずるのであると、私は確信するのであります。
なおいろいろ申し上げたいのでございますけれ
ども、時間の
関係もございますので、以上をもつて私の
意見を終ります。