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1953-07-22 第16回国会 衆議院 行政監察特別委員会 第9号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十八年七月二十二日(水曜日)     午前十時四十三分開議  出席委員    委員長 吉武 惠市君    理事 塚原 俊郎君 理事 中野 四郎君    理事 久保田鶴松君 理事 小林  進君    理事 松田竹千代君       天野 公義君    長谷川 峻君       福田 篤泰君    三和 精一君       北山 愛郎君    山田 長司君       矢尾喜三郎君  委員外出席者         証     人         (元陸軍兵器行         政本部総務部         長)      伊藤 鈴嗣君         証     人         (元陸軍航空本         部経理部経理課         長)      景山 誠一君         証     人         (元陸軍省軍務         局軍事課員)  國武 輝人君     ————————————— 本日の会議に付した事件  接収解除貴金属及びダイヤモンド関係事件     —————————————
  2. 吉武恵市

    吉武委員長 これより会議を開きます。  前会に引続き接収解除貴金属及びダイヤモンド関係事件につき調査を進めます。ただちに証人より証言を求めることにいたします。  ただいまお見えになつておられる方は伊藤鈴嗣さんですね。
  3. 伊藤鈴嗣

    伊藤証人 はい。
  4. 吉武恵市

    吉武委員長 この際証人に申し上げますが、戦時中多数国民諸君より供出されましたダイヤモンド、金、白金等は、平和条約の発効と同時に接収解除となりまして、現在日本銀行地下金庫に収納され、大蔵省によつて保管されておるのであります。このダイヤモンドの収納、保管の経過、処理方法等につきましては、世上大いに疑惑を持ち、関心を抱いておる向きもありますので、これが真相を明らかにすることはきわめて意義のあることと考え、本委員会は本件の調査を進めて参つた次第であります。証人におかれましては率直なる証言をお願いいたします。  それでは、ただいまより接収解除貴金属及びダイヤモンド関係事件について証言を求めることになりますが、証言を求める前に、証人に一言申し上げます。昭和二十二年法律第二百二十五号、議院における証人宣誓及び証言等に関する法律によりまして、証人証言を求める場合には、その前に宣誓をさせなければならないことと相なつております。宣誓または証言を拒むことのできるのは、証言が、証人または証人配偶者、四親等内の血族もしくは三親等内の姻族または証人とこれらの親族関係のあつた者、及び証人の後見人または証人の後見を受ける者の刑事上の訴追または処罰を招くおそれのある事項に関するとき、またはこれらの者の恥辱に帰すべき事項に関するとき、及び医師歯科医師、薬剤師、薬種商、産婆、弁護士、弁理士弁護人公証人宗教または祷祀の職にある者またはこれらの職にあつた者が、その職務知つた事実であつて黙秘すべきものについて尋問を受けたときに限られておりまして、それ以外には証言を拒むことはできないことになつております。しかして、証人が正当の理由がなくて宣誓または証言を拒んだときは、一年以下の禁錮または一万円以下の罰金に処せられ、かつ宣誓した証人が虚偽の陳述をしたときは、三月以上十年以下の懲役に処せられることとなつておるのであります。一応このことを御承知になつておいていただきたいと思います。  では、法律の定めるところによりまして、証人宣誓を求めます。御起立を願います。  宣誓書の御朗読を願います。     〔証人伊藤鈴嗣君朗読〕    宣誓書  良心に従つて、真実を述べ、何事も  かくさず、また何事もつけ加えない  ことを誓います。
  5. 吉武恵市

    吉武委員長 それでは、宣誓書署名捺印してください。     〔証人宣誓書署名捺印
  6. 吉武恵市

    吉武委員長 これより証言を求めることになりますが、証言証言を求められた範囲を越えないこと、また御発言の際には、その都度委員長許可を得てなされるようお願いいたします。  この際委員諸君に申し上げますが、伊藤証人健康状態がよろしくない由でありますので、着席のまま証言を求めることにいたしますので、その点御了承を願います。  それでは、さつそくお尋ねをいたしますが、第一には、証人略歴をお述べを願いたいのです。終戦前後から今日に至るまでの間の略歴についてお述べを願いたい。
  7. 伊藤鈴嗣

    伊藤証人 申し上げます。終戦時におきましては、陸軍兵器行政本部総務部長という平時職務を持つておりました。そのほか、大本営野戦兵器長官戦時職務として持つております。終戦後は、終戦事務に半年ほど従事いたしまして、それから日本鋼管兵器処理委員会に入りまして、兵器処理に従事いたしました。その後、三年ほど前から運輸会社をつくりまして、その社長を兼務して、去年の暮れまで社長をやつておりました。会社を解散いたしまして、ただま無職であります。
  8. 吉武恵市

    吉武委員長 それでは、次にお聞きしますが、戦時陸軍兵器行政本部においてダイヤモンド取扱つたようでありますが、その入手径路品質、裁量、保管及び処分等についてお述べを願いたいと思います。
  9. 伊藤鈴嗣

    伊藤証人 入手径路といたしましては、物動のきまらない先におきましては、造兵廠みずからが必要数量は購入してありました。物動が始まるようになりましてからは、物動関係筋に申請をいたしまして、そうしてその割当によつて入手をしておりました。そりほかに、支那事変が上海に延びるころになりまして、現地においてこれを調達するの方法を指令をいたしまして、この種の必要金属入手しておりました。大東亜戦争が始まりましてからは、この思想を南方にまで延ばしまして、南方方面からも入手しておりました。その際におきましては、特に現地軍兵器部におきましてこれを購入いたしまして、これを補給廠を経て内地へ還送をいたしておりました。これが入手径路であります。品質は、主として工業用ダイヤモンドでありますが、現地において買い上げるものは、工業用にあらざるものも、万一の場合を顧慮して買い上げております。数量は、そのときの現地状態によりまして、はつきりいたしませんが、南方を占領いたしまして初めて大きな数量が入つたように記憶しております。幾らであるかは記憶しておりません。保管は、内地へ入りますと、補給廠を経ましてこれを造兵廠に送つて造兵廠東京第一造兵廠が担任して保管しておつたように思うております。処分につきましては、兵器製造用に必要なる分だけを造兵廠みずから処分しておつたと信じております。
  10. 吉武恵市

    吉武委員長 次に、終戦当時兵器行政本部及び第一造兵廠その他の工作廠保管しておりましたダイヤモンド品質数量及び処分の概要についてお述べを願います。
  11. 伊藤鈴嗣

    伊藤証人 幾ばくの数量を持つてつたかは、はつきり存じておりません。
  12. 吉武恵市

    吉武委員長 大よそ見当はつきませんか。
  13. 伊藤鈴嗣

    伊藤証人 大よそ数万カラットだつたと思います。
  14. 吉武恵市

    吉武委員長 数万というのは、大体の見当はわかりませんか。
  15. 伊藤鈴嗣

    伊藤証人 五、六万じやなかつたかと思います。これは、そうはつきりとおつしやいますと、私、ここで宙では申し上げかねます。
  16. 吉武恵市

    吉武委員長 それから、処分はどういうふうに……。
  17. 伊藤鈴嗣

    伊藤証人 その処分は、米軍にこれを引渡しただけであります。それから、使つておる分はもう自動的に流れおります。
  18. 吉武恵市

    吉武委員長 それでは、お聞きしますが、終戦当時第一造兵廠保管しておつたダイヤモンドの一部を宮内省の方へ持ち込まれたようですが、その経緯についてお述べを願います。
  19. 伊藤鈴嗣

    伊藤証人 そのときは非常にごたごたしておるときでありまして、どこから出た命令かは存じませんが、特に装飾用のものが宮内省に行つていることは存じております。
  20. 吉武恵市

    吉武委員長 それでは、あなたはそれに関係はなさらなかつたのですか。
  21. 伊藤鈴嗣

    伊藤証人 命令はいたしません。
  22. 吉武恵市

    吉武委員長 そうすると、どれくらい持ち込んだか、わからないですか。
  23. 伊藤鈴嗣

    伊藤証人 一、二万カラットあるのじやございませんでしようか。数量は、私、責任を持つて申し上げかねます。
  24. 吉武恵市

    吉武委員長 それから、次に、終戦前後において、兵器行政本部は、第一造兵廠保管しておつたダイヤモンドのうち、優秀なものを引揚げたいということですが、それはどういうわけですか。
  25. 伊藤鈴嗣

    伊藤証人 そういうことはございません。
  26. 吉武恵市

    吉武委員長 何か兵器行政本部総務部の松尾とかという中佐が、終戦前に、鑑定人を同伴して、第一造兵廠がらダイヤモンドを引き出したという話だが、それは御存じないですか。
  27. 伊藤鈴嗣

    伊藤証人 存じません。
  28. 吉武恵市

    吉武委員長 それでは、委員長からお尋ねする事項は一応済みましたが、委員の方でお尋ねになる方がございましたら御発言を願います。
  29. 中野四郎

    中野委員 絶戦当時までに兵器行政本部で受入れたダイヤモンドは、全部第一造兵廠その他の工作廠に配分されていたのか、または、未配分のもので東京第一造兵廠保管せしめていたものがあるのか、どういうふうか伺いたいと思います。
  30. 伊藤鈴嗣

    伊藤証人 先ほども申し上げました通り、入手径路が、自動的に補給廠を経て送り状とともに造兵廠に入つております。従つて、その途中の径路にあるものがあれば妙なものでありますけれども、そういうことなしにその当時送つて来ておりませんので、必ず第一造兵廠にあるきりだと信じております。
  31. 中野四郎

    中野委員 証人は、森という少佐御存じでございましようか。どうですか。
  32. 伊藤鈴嗣

    伊藤証人 森少佐東京第一造兵廠のこの係であつたと信じております。
  33. 中野四郎

    中野委員 従つて御存じでありますね。
  34. 伊藤鈴嗣

    伊藤証人 はあ。
  35. 中野四郎

    中野委員 そこで、いろいろ伺つておきたいのですが、第一番に伺つておきたいのは、数量のほどは、証人によつてまちまちで、明確でないのでありまするが、昭和二十年の八月二十三日、——終戦直後です。森少佐は、上官の命令によつて相当量ダイヤモンド白金等をば宮内省に持つてつたんです。そうして、宮内省では筧という総務課長がこれを受取りまして、そうして大金宮内次官の手元にこれが一年間保有されておつたわけであります。はたして、そのダイヤモンド、金、白金というものは、献上されたのか、あるいは一応散逸を恐れて預けたものか、この点が明確でないのです。もし、万が一献上されたものとするならば、宮内省においては相当ややこしい献上手続を踏んで——宮内大臣は当時石渡さんでありまするから、ここの許可がなければならぬはずでありまするが、生前石渡宮内大臣と私はお目にかかつて、この点をいろいろお聞きしましたところが、これに関しては一切知らぬと言うのです。従つて大金宮内次官にこちらへ来ていただきまして、証人として喚問をして、いろいろお話をしたのです。その結果、大金さんは、むろん献上品ではない、従つて私一存で私の本箱の裏にこのようなものを置いておいた、しかしながら、世間があまりにもやかましくなつたから、これを連合軍接収してもらうために、昭和二十一年の十月二十一日、すなわち一年後に、当時の幣原国務大臣を通じて第一復員局長であつた上月中将接収してもらつたと言うのですが、当時森少佐宮内省へ持つてつて預けたのか、一体献上したのかということが明瞭でありませんので、森さんに来てもらつて、いろいろ証言をしてもらいました。その結果、本日伊藤さんにおいで願つたのですが、当時、今あなたのお話で、装飾用のものが相当たくさんあつたということであります。そうして、一、二方カラットではないかと申されましたが、装飾用のものになりますと、一カラットが今日においては相当値段をしております。当時でも一カラット千五百円から二千円です。今日においては、最上級のダイヤモンドは一カラット三十五万円です。最悪品といえども一カラツト二十万円であります。金額にすれば相当の額であります。一、二万カラットというと、あまりにも距離があり過ぎるのでありますが、当時いかなる観点に従つてダイヤモンド宮内省に持ち込んだのかは明確でないのでありますから、あなたの御承知範囲をば御説明を願いたいと思うのであります。
  36. 伊藤鈴嗣

    伊藤証人 私は当時その話を聞いておりましたが、これは、当時米軍がみな持つて行くものと考えておりましたし、また恐れ多い話ではありますが、宮内省もどうせこれからお困りになることでもあるだろうし、あそこならば米軍も手をつけないだろうというので、だれが発案したか、たいへんいいことをやつてくれたと実は信じておりました。ただ、その結果が、世間を騒がせ、むしろ弊害になつて現われたということになりますと、なぜこういうことをとめなかつたかとも憂えるものであります。
  37. 中野四郎

    中野委員 そうすると、証人は直接命令を下した系統にはないのでありましようね。
  38. 伊藤鈴嗣

    伊藤証人 はい。
  39. 中野四郎

    中野委員 従つて、その内容については御存じないのでありましようか。
  40. 伊藤鈴嗣

    伊藤証人 中身は知りません。
  41. 中野四郎

    中野委員 そこで、もう一つ伺つておきたいのですが、今委員長からの質問の中に、物動計画がいまだ決定せざる間は造兵廠買い上げておつたというお話でありまするが、買上げ方法はいかなる方法をもつて買上げになりましたか。すなわち、一般買上げは、当時、昭和十九年の七月二十一日ですが、軍需省におきましては、航空機とかあるいは電波兵器をつくるにはどうしてもダイヤが必要なので、従つて科学兵器をつくる意味において、ダイヤの分譲を陸軍海軍に要求したのでありまするが、あなたを目の前に置いて悪いかは知りませんが、敗戦の原因の一つと言われます陸海軍の葛藤の結果——当時陸海軍には工業用タイヤだけでも八万余カラットあつたわけであります。にもかかわらず、これを軍需省に一片のダイヤもまわしてよこしもせんものですから、軍需省においては、残念ながら、一般国民装飾用ダイヤを、高いのを承知買い上げたのであります。従つて陸軍海軍における入手径路というものについては、これからの調査過程において相当重要な要点を含んで参りますので、当時どういうような要綱でお買いになりましたか、あるいは買入れ先はどこでありましたか、また買う方法でにが、業者からお買いになりましたか、あるいは一般国民から買い上げたものか、その点を明瞭にしていただきたいと思います。
  42. 伊藤鈴嗣

    伊藤証人 物動が始まるころになつてからは、先ほど海外からの別径路を申し上げた以外にはありません。国内では手に入れなかつたと思つております。
  43. 中野四郎

    中野委員 参考に承つておきますが、当時中皮、南支あるいは南方で後に買い入れましたが、買入れの方法は、軍直接に買い入れたのか、あるいは何者かを中に介在させて買い入れたのか、その買入れ価格はどういう値段買い入れたのか、それから買入れの方法ですが、現地調達というものはときどき略奪押収等も含むのでありますが、特に国際法に言うところの陸戦法規では、接収を没収として、これをとることができるのでありますから、占領過程においてはそういうことができ得るわけですが、どういう過程においてこれを買い入れたか、この点を伺いたい。
  44. 伊藤鈴嗣

    伊藤証人 私、直接買つたことがございませんので、はつきりは知りませんが、兵器部を通じて金を出して買つておるものと信じております。
  45. 中野四郎

    中野委員 むろん略奪品もあるのです。つまり、略奪という言葉は後に生れた言葉でありまして、接収品です。これは、米軍が上陸以来これをおのおの返しておりますから、よろしゆうございますが、しかしながら、買入れ過程というものがあるはずですが、直接軍が買つたというのか、中に介在した者があつて買い入れたのか、これがおわかりにならないでしようか。
  46. 伊藤鈴嗣

    伊藤証人 いろいろな方法を講じておるから、入つておるものかもわかりませず、直接買つておるかもしれませんが……。
  47. 中野四郎

    中野委員 それでは、お尋ねの核心に触れて参りますが、あなたは、陸軍中佐で当時多摩研究所の第三科長であつた佐竹金次君と、いつごろからお知合いになつたか、今日でも交際をしておられるかどうか、この点について伺いたい。
  48. 伊藤鈴嗣

    伊藤証人 私が佐竹を知つておりますのは、私がまた陸軍省高級課員か、課長か、はつきりいたしませんが、あれをドイツに派遣するときの選考からであります。そして今日では交際をしておりません。
  49. 中野四郎

    中野委員 佐竹君とはドイツに派遣当時に御存じであるならば、なお伺いよいのですが、昭和十八年に佐竹君がドイツから潜水艦で帰国しました際、ドイツ買つたという相当数ダイヤを持ち帰つたことがあるのですが、そのようなことがあつたかどうか、また一体そういうようなことがあり得ると御信じになるかどうかを伺いたい。
  50. 伊藤鈴嗣

    伊藤証人 私は、ヒットラーからの贈りものであるタ弾とともに持つて帰つたということを聞いております。またあり得ると思つております。
  51. 中野四郎

    中野委員 当時のドイツの状況から言つて、そういうことがあり得るかどうか。佐竹君は、日本へ派遣して来る最後の船で日本にのがれて来た。しかも潜水艦であります。そして向うから持つて参りましたダイヤというものは、あなたはごらんになつたことがあるかどうか。
  52. 伊藤鈴嗣

    伊藤証人 ありません。
  53. 中野四郎

    中野委員 それでは、どうしてそういうような多量ダイヤを持つて来ることができ得るか。二粒や三粒ではない。このことの経緯をもう少し詳しく申し上げた方が御了解がつくと思うのですが、実は、新宿区の飯田橋駅のすぐ前に酒井抱州という八卦見がある。この八卦見の友人に松本光三という人がおります。現在は新興宗教等をやつておられるのですが、この松本光三君の紹介で佐竹君が酒井抱州君の家へ持つて行かれましたダイヤモンドの数は、ちうよど碁石を入れるごけに約八分目であります。しかも、その中にありましたものは、相当装飾用タイヤでありまして、工業用ダイヤというものは見当りません。今あなたがあり得るとおつしやるなれば、当時ドイツから佐竹君が本国へ帰ります過程はもちろん御承知だろうと私は思うのです。その過程において、かなり多数の装飾用ダイヤをどうして持つて来れるかということなのです。しかも、本人がどういう過程において調達し得るか、こういう点について証人の御承知の点をば十二分に述べていただきたいと思うのです。
  54. 伊藤鈴嗣

    伊藤証人 私は、中身は何も知りません。持つて帰つたということだけは承知しております。
  55. 中野四郎

    中野委員 持つて帰つたことは本人からお聞きになつたでしようから、そう言えば言えますが、当時あなたはドイツ佐竹君を派遣するについて御関与なすつていらつしやる。しかも、昭和十八年ドイツがあのような惨敗を喫して、危機一発のところでのがれて来るいわゆる陸軍の兵隊が、どうしてそのような多量——少量ならいいですよ。三粒や五粒のダイヤならどこへでも入ります。しかしながら、どうしてそのような多量ダイヤを持つて来たのか、あるいは、どういう形において持つて来たのかしらないが、持参して来ることができるかどうか。あなたは可能だとおつしやるので、私はその数量をお示ししたのです。僅少なものなら可能でありましよう。しかしながら、ダイヤがごけに約八分目ですよ。現物を私は見ておるのです。佐竹君は私と同県の愛知県の豊川の君である。私は、当時佐竹君に国会へ来ていただきまして、でき得ベくんば、後日いろいろな疑惑があつては相ならぬから、これはどうですか、供出なすつてはいかがですか、そうすればあなたに適正なる代価も来るかもしれないし、その方が帝国軍人としての態度もりつばだと言われるのではないか、どうですかということで、お勧めしたのです。しかしながら、御本人は、そういう気持にならないで、一日考えさせてくれと言つてお帰りになつた。そうして、その酒井抱州のところへ持つて行かれましたダイヤは、たまたま神楽坂というところでたいこ持ちをやつておりました井上進という男がおりまして、現在栄屋という芸者屋をやつておりますが、この君は花柳界に顔が広いから、これを売つてくれぬかということで、当時の金にして幾らか知りませんけれども、その者からこれを売りに出した。現在は花柳界が復活して参りましたけれども、当時はなかなかそうは参りませんでしたから、ダイヤモンド買い入れるよりも、むしろバラックを建てる方が重点です。従つて、これは売れない。これが売れないで持つてつて不当財産委員会の盛んな時分ですから、万が一いろいろな嫌疑を受けては相ならぬというので、この品物を供出したいという本人の申出に従つて、私は処置した。数日後に私の家に佐竹君がお見えになりまして、どうかこの問題だけは表に出さぬでいただきたいといつて、何かりんごを十ばかり持つておいでになつた。私はちようど病気で寝ておりましたが、そのまくら元で、私もあなたも同県人であつて陸軍大佐という地位におられるのだから、おやめになつた方がよいといつてお勧めした。当時買入れの経緯を聞きましたところ、それをドイツ買つたとは私に言われなかつたドイツから持つて来たということは言われておりましたが、買つたとは言つておられない。  そこで、私は、あなたに疑惑が生じますのは、あなたがあり得るということをおつしやるなれば、あり得るということは、それは少数の場合に言い得ることで、多量ダイヤがどうして持つて来れるか。しかも、彼は帰つて来てから多摩研究所の第三科長をしております。当然これほどの多数のダイヤを持つて来れば、——日本が激戦のさ中、必勝態勢を確立するために、かしこくも陛下におかせられましては、御自分のお手持品であつた白金ダイヤを全部御下賜になつております。貞明皇太后様は、皇室のいわゆる国宝的存在であるところの宝冠を御下賜になつております。皇后様は二個の王冠をお出しになつて、全国民は、この必勝態勢確立のために、ほしいことをばみながまんをして、そして涙とともに、お互いの大事な、生命に次ぐところの財産相当するダイヤ供出をしておる。時の陸軍大佐たる者は卒先して供出すべきものと私は思います。しかるに、陸軍大佐であり、第三科長であつて、このダイヤを当然必要とするところの陸軍大佐が、このような多数ダイヤドイツから持つて来て、自分で持つておりながら、これを一切供出せず、——一般国民に向つて強制的に供出を強要する、いわゆる国民に号令をかけるような地位におられる人が、一体そういうことをしていいものか悪いものか、私は疑問に思うのです。あなたが常識でお考えになつてもおわかりだと思う。国民が一かけらのダイヤも出すとき、自分の金歯をはずして供出するというこの真剣なときに、軍の中枢におるところの大佐が、このような多数のダイヤを持つて来ておりながら、これを隠蔽してさらに出さず、その後終戦後において、彼が、私はドイツから買つて来たということを言うたのでは、国民が釈然とせぬと私は思うのですが、あなたが持つて来得るとおつしやるならば、どうして持つて来得るというようにお考えになるかをお聞かせ願いたいと思うのです。
  56. 伊藤鈴嗣

    伊藤証人 工業用ダイヤでありますならば、値段も安くありますし、それから、一万カラットといつても、おそらく両手一ぱいくらいのものだと思います。これくらいのものならば、ヒットラーから贈られたあのタ弾一緒に運びますならば、——あれは何十貫とある、日本陸軍に贈られた研究のたまであるのであります。それと一緒にそのくらいは持つて帰れるというので私は申し上げたのでありまして、そういう何百万円もするようなものは、第一入手の方が、私、心配だと思います。
  57. 中野四郎

    中野委員 そういう御所見であれば私も納得するのです。すなわち、当時佐竹君が引揚げて参りました潜水艦は途中において爆撃をされまして、相当苦難の道をたどつて来られたことは、本人の証明で、当時の陸軍報告書を見てもわかるのであります。ただ、私が不審に考えまするのは、佐竹君は多摩研究所の第三科長として、工業用ダイヤモンド装飾用ダイヤモンドというようなものを扱う立場におつたわけであります。いろいろと、技術上、あるいは兵器化する上において扱い得る立場におつたわけであります。特に佐竹君の身辺は、私らの方で調査をいたしますと、いろいろとダイヤが、終戦当時——これは伊藤さんも御承知のように、私はこの委員会でたびたび繰返して申し上げているのですが、あなたはきよう初めですから、申し上げのですが、終戦当時の混乱というものは非常なものでした。特に職業軍人とでも申しまするか、この今々の不安というものは、経済的の不安と将来の生活の不安、それから、自分らの身が戦犯として収容されるかどうなるかというような混乱状態にあつたことはお察しするに余りがあると思う。全部とは申しませんが、中には、この混乱時に乗じて、将来の不安を何らかによつて保障しようというので、国家国民のいわゆる所有物であるところの軍の貯蔵物、これらをば、将官連中はあるいはトラックに積んでこれをあらゆる方面に疎開させようとしたかもしれませんし、佐官、尉官の連中も、これに準じてオート三輪、リヤカーで隠したり、兵隊は背負えるだけ背負つて、全国各方面に散逸せしめたことは御承知の通りであります。これらの品物の中には、毛布、綿布類、地下たびというようなものもあつたが、兵隊の背負つたこれらのわずかの品物をここで論究しようというのではない。当時一番大きな問題は、貴金属、ダイヤモンドを扱つてつた所管課長、所管部長であります。あるいはその部下の人々であります。これは少量にして高価のものであります。従つて、一面においては、米軍上陸以来これが無償で接収されることは、自分らがかつて他国に上陸してやつた当時のことを考えてみて、つまらぬことだ、むしろこれを何らかの有効の方法保管する方法はないだろうか、あるいは有効に使う方法はないかと考えられたのも無理からぬことであります。従つて宮内省に、十貫目あるいは一貫目と言うておりますが、その間のことは明確でありませんが、相当数量の品物を宮内省へ、献上とも預けども、どつちともつかず持つてつた事実でも立証している。ただ、軍人全部が国家の将来をおもんぱかつたとは考えられない節がある。たとえて言えば、私利私欲に走つて、この際、自分の身の安全をはかるために、その役を利用し、あるいはその自分立場を利用して、そうして多量の金、白金ダイヤモンド等をも隠蔽し、そうして、その後においてこれを生活の資に供している人々のあることは、枚挙にいとまないほど実証があるのであります。必ずしも私は佐竹君がそれだとは言いませんけれども、佐竹君が第三科長としておいでになつて、かりにドイツから工業用ダイヤを持つて来られたといたしましても、あの供出の非常にやかましい、日本国民がわいわい騒いでおる最中に、その衝にあつたところの陸軍大佐である佐竹君が、さような多量ダイヤを、それが工業用ダイヤにしても装飾用ダイヤにしても、自分だけは今日まで保管していなければならぬ、隠蔽しておるという気持においては、その立場においてはどうも疑わしい点が多々出て来るわけであります。  そこで、私は、さらに伊藤さんに伺いたいのですが、その佐竹君がドイツから引揚げて来るときの潜水艦状態ですね。これは、私は、すなおにすうつとドイツから日本へ来たのではないと思います。彼の著述を見ましてもしかりでありまするし、陸軍省に当時の報告がありますのを見ましても、そういう品物を本人が腰にぶらさげて持つて来るのはあまりに距離があり過ぎるような実情だつたと私は思いまするが、あなたはどういうふうにお考えになりますか。
  58. 伊藤鈴嗣

    伊藤証人 佐竹が帰つて来るそういう途中の状況や、今お聞きになつたよう中身等は、全然私の知らないことであります。従いまして、いいとも悪いとも、何とも申し上げようがないのであります。
  59. 中野四郎

    中野委員 多摩研究所は一体兵器行政本部とはどういう関係にあつたのでしようか、これが一つ。それから、多摩研究所ダイヤモンド多量に取扱つておるということがちよつと私は疑わしいと思うのですが、はたして多摩研究所においてこのダイヤモンドを十二分に取扱える立場にあつたかどうか。この二つを御答弁願いたいと思うのであります。
  60. 伊藤鈴嗣

    伊藤証人 実は、少し先から申し上げたいと思いますが、兵器行政本部と申しますのは、元陸軍省の兵器局でありまして、その兵器同時代から、技術に関する将校の人事を取扱つてつたのであります。従いまして、この人事を取扱つてつた関係上、ドイツ派遣の際にも選考にあずかる、人事局でやらずに、人事局へその選考の資料を出す、こういうような状態であつたのであります。ところが、途中になりまして、航空というものが異常な発展を来して来たのですが、その際には、人も足りないし、品物もないし、何もない。そこで、航空というものが突然厖大なものにふくれ上るためには、どうしても人事を引き抜いて行かなければならぬというので、元一括して持つておりました技術将校の関係案航空がどんどんひつこ抜いて行つて、そして極端なことを申し上げますれば、地上行政をつぶしてしまつて航空で乗つとるというような勢い込みで、人もとれば、物もとるし、みな持つてつたのであります。それで、あとから航空に人事が移つた、こういう関係にあります。従いまして、多摩研究で何を研究しておつたのか、——実は、佐竹氏が兵器行政本部関係にありましたときは、あれは電波兵器のオーソリテイでありまして、ことに日本の超短波警戒機はあれの手によつてつた言つても過言でないくらいの、その点はりつぱな男であります。ただ、多摩研究所へ行つてからは、どういうふうにしてどんな仕事をしておつたかということは、筋違いの私で、御返事に困ります。
  61. 中野四郎

    中野委員 そうしますと、多摩研究所では大してダイヤモンドを扱うような過程にはなかつたわけでありますか。
  62. 伊藤鈴嗣

    伊藤証人 存じません。
  63. 中野四郎

    中野委員 それから、もう一点伺つておくのですけれども、佐竹という人は、お在所の方を私はよく存じ上げておるが、大して金を持つている人ではありませんか、相当物質的にも豊富な人なんですか、それは御存じでしようか。
  64. 伊藤鈴嗣

    伊藤証人 個人の内容は存じません。
  65. 中野四郎

    中野委員 それでは、さらに伺いますが、当時の軍人は——佐竹君のことを超短波の研究者として権威者だとおつしやつたが、むろん技術の面においては私はまつたく敬意を表します。しかしながら、軍人は技術だけではこの大きないくさには勝てません。要は魂の問題だと思うのです。そこで、私は、魂の抜けた軍人というものは、幾ら技術に長じておつても、決して完全なるところの軍人とは言えない、国家の使命を果す人とは言えないと思うのでありますが、ここで一点疑点の生じて参りますのは、当時の陸軍大佐というのは、経済的にはそう大して楽ではないはずでありまするが、たしか証人佐竹から金六十万円の金を受取つておると存じまするが、この金を受取つておられるかどうか、また受取つておるとすれば、これはどういう趣旨で受取つたか、御説明願いたいと思うのであります。
  66. 伊藤鈴嗣

    伊藤証人 受取つております。これを二、三年間預かつてもらうところがないだろうかというので、私に相談がありました。それで、それを人にお世話をしております。
  67. 中野四郎

    中野委員 昭和十八年から昭和二十年にかけての金の価値と申しまするか、今日のように数百倍も物価指数が上つた段階における六十万円というものはきわめて僅少なものでありますが、しかし、当時のことを回顧いたしますれば、六十万円という金は非常に莫大な金であります。一陸軍大佐の私すべきところの金にしては、ふさわしからざるものと言わざるを得ない。この六十万円の金がどういう形で生れたかということは、後に私から証人に逐次伺つて参りまするが、あなたは、当時佐竹からこの六十万円を受取られるにあたつて、この金はどういう性質の金であるか知つておりましたか。軍人は金銭にきわめて活淡なるをもつて誇りとしておつたのであります。ところが、今申し上げるように、ドイツから相当数量のダイヤモンドを持つて来れるような人でもありまするが、とにもかくにも、六十万円という金をば、一陸軍大佐が、どこかでこれを完全に預かつてくれるところがなかろうかといつてあなたのところへ持つて行くからには、この金の性質というものに対して一応の疑惑を持つのが当然であろうと思うであります。従つて、六十万円という莫大な金を預かられるにあたつては、この金の出所とか、あるいはどういう意味でこれをあなたに申し出たかということは、本人のあなたがつぶさに知らねばならぬと思いますから、当時の状況についてあなたの感じられたことを率直に述べていただきたいと思うのであります。
  68. 伊藤鈴嗣

    伊藤証人 当時はごたごたしておりましたので、そういうふうな妙なところへも——今から思えば妙なんでありますが、感じも何もなく、頼まれるままに預かつたにすぎません。そうしてお世話をしたにすぎません。
  69. 中野四郎

    中野委員 何年の何月にこれをお預かになりまして、どこへお世話をなさつたのでしようか。
  70. 伊藤鈴嗣

    伊藤証人 八月であつたと思います。
  71. 中野四郎

    中野委員 何年でしよう。
  72. 伊藤鈴嗣

    伊藤証人 二十年だつたと思います。終戦の年です。
  73. 中野四郎

    中野委員 どこへお世話になりましたか。
  74. 伊藤鈴嗣

    伊藤証人 それは、日刊工業新聞社の社長でありました増田顯邦という人であります。
  75. 中野四郎

    中野委員 どういうふうな意味合いで増田さんにこの金をば預けたのか。——御融通なさつたのか、あるいは何らかの形において保管を頼んだのか、あるいはこれを利殖の道にしてくれと言うたのか、そこのところをお聞きしないと、お世話をなさつたあなたの立場が立たないと思いますので……。
  76. 伊藤鈴嗣

    伊藤証人 二、三年預かつておいていただいて、二、三年後にはいただきたいという佐竹の条件であつたように思います。
  77. 中野四郎

    中野委員 そこで、私は伺いたい点が出て来るのですが、当時、軍の汚職事件として有名な軍務局軍事課の事件のあつたことは御承知だろうと思います。当事、軍の中には、予算関係においても相当いろいろな問題がありまして——これはここであえて速記録に載せない方がいいと思いますし、あなたは御承知でありましようが、当時佐竹君をめぐつての汚職事件のあつたことを御存じでありましようか。
  78. 伊藤鈴嗣

    伊藤証人 存じません。
  79. 中野四郎

    中野委員 そうしますと、この金は終戦直後に軍務局の軍事課から出たものであるということは当然知らなければならぬと私は思うのですけれども、あなたは全然これを知らずに、佐竹が六十万円という金を持つていることをふしぎにも感ぜずに、その六十万円の金のあつせんをなさつたのですか。この点を伺いたい。
  80. 伊藤鈴嗣

    伊藤証人 知らずにやりました。
  81. 中野四郎

    中野委員 しかしながら、伊藤さん、これは常識で考えましても、私はくどく申し上げるわけではありませんけれども、一陸軍大佐が、六十万円というような、当時にすれば莫大な金を、二、三年後にこれをいただきに行くから預かつてくれと言うて、そのもとを言わずにあなたにお渡しする、あるいはあなたにあつせんを頼むというのは、ちよつと釈然とせぬものがあるのです。これは、なるほどあなた方本人同士の間は了承される信用状態にあつたかもしれませんが、どう考えても、終戦時における陸軍内においては、多くの汚職事件で大分問題があつて、金銭の行方あるいは貴金属の行方等において、いろいろな議論があつた。現に宮内省に品物を持つて行きましても、この品物を上長官の命令によつてつてつたにかかわらず、森少佐は、部内において疑われて、その後同僚を連れて宮内省へ行つて、この通り宮内省に品物があるということを立証しなければならないほど、軍の中は混乱の状態にあつた。私は、終戦時における軍人の心境については、十二分に推測するに余りあるものがあり、御同情もいたします。しかしながら、あの汚職事件のあるさ中、しかも一陸軍大佐が六十万円というような現金をあなたのところへ持つて来て、これを適当に処分してくれと言うことについて、一点の疑惑なしにそのままお受取りになる理由はあり得ない。これは一般国民常識から考えてもあり得ないと思う。当然あなたは疑惑を持たなければならぬと思いますが、疑惑を持たなくてもいいような御関係佐竹との同にあつたのかどうか、この点を伺いたい。
  82. 伊藤鈴嗣

    伊藤証人 佐竹との間にはありません。
  83. 中野四郎

    中野委員 ないとすれば、一応疑惑を持たれたはずでありますが、それはどういうふうにお考えになりますか。
  84. 伊藤鈴嗣

    伊藤証人 私個人のことをちよつと申し上げさしていただきます。その当時、私個人のところで起きます問題は、日々反乱軍が反乱を始める準備であります。そうして、このたびの終戦が問題となつておりました。当時の陸軍の将校の中では、はたして大御心から出たところの終戦であるか、あるいは重臣の陰謀であるか、これらの問題が罪々紛々としておりました。私のところに参りますものは何であるかと申しますと、出動命令であるとか、どこから命令が出るともわからないのに、私のまわりには戦車が集まつて来るとか、機関銃も集まつて来るというふうな混乱した状態でありました。そうして、私は、自殺者の防止と、反乱防止とに専念しておつたのであります。その中で起きた問題でありますので、軽率と言われれば、まことに軽率であつたように思いますが、世話してくれ、預かつてくれというだけのことでありますので、預かり先をお世話したにすさません。
  85. 中野四郎

    中野委員 これは、非常に卑屈な私の想像であるかもしれませんが、当時証人は、ダイヤモンド相当数保管をする役割におられた。十二分にこれを右にし左にし得るところの権限を持つておる方であつたはずであります。従つて、そういう想像の上に立つてあなたにお尋ねをするのではありませんが、私の想像から言えば、また一般国民疑惑から言えば、そういうダイヤを十二分に右左でき得る立場伊藤さん、それからドイツからそれほど多数のダイヤを持つて来れるわけのない佐竹さん、かりに持つて来たにしても、十八年あるいは十九年という熾烈な戦時状態にあるときに、一般国民供出を強要した軍の中堅幹部が、それを供出せずに持つておるはずがない。してみれば、このダイヤは、あなたのところから相当数ダイヤ佐竹の方へ動いた、佐竹はこれに対して、あなたにその代償として六十万円の金を払う、こういう一つの仮定論もできぬことはないわけです。必ずしもそれが当つておるとは申しませんが、一般国民疑惑を持つのは当然のことだと思います。常識論から私が推測をすれば、そういう形になるおそれがあるのであります。従つて、私は、佐竹が無償で証人に金を渡すような理由はあり得ないと思うのです。だから増田さんなら増田さんに、あなたの方でこれをあつせんしてやつたといたしましても、そこに当然証人として、佐竹のこの六十万円という金の出所について疑惑を持たないということはあり得ないと思う。それを、混乱状態であつたから一向気がつかないとおつしやるけれども、混乱状態であつたことは私も承知しております。しかし、混乱状態の中においても、増田さんに、二年、三年平和後においてこれを返してもらいたいという希望について、あつせんなさるほどの精神的余裕が十二分にあつたとすれば、当然この金の出所について疑惑が出なければならぬ。私は、伊藤証人証言については、ちよつとあなたの証言が当を得ておるとは考えられないのであります。さらにもう一回伺いますが、どうも、この六十万円の出所については、相当疑惑の中心となるおそれが多分にあるのですが、当時の感想をもう一回述べていただきたいと思います。
  86. 伊藤鈴嗣

    伊藤証人 先ほど申し上げた通りであります。
  87. 中野四郎

    中野委員 当時の日刊工業には、もと陸軍兵器行政本部長の菅氏が関係しておると思いますが、これはどうなんですか。
  88. 伊藤鈴嗣

    伊藤証人 全然知りません。
  89. 中野四郎

    中野委員 どうも、いろいろ調べた結果、佐竹君がいろいろな不当支出の金の中で、当時の金で五百万円を大阪大学の岡部教授に渡そうとした事実があのです。岡部教授はその中の百八十万円だけを受取つて、残りは佐竹に返しておる。それから、その返つて来た中から、六十万円の金をあなたのところへ出しておる傾向が強い。してみますと、当時の陸軍汚職事件の渦中にあつた佐竹君は、六十万円という金をあなたのところへ持つて来て、これを二年、三年後世の中が鎮まつてから返してもらいたい。もし佐竹君が実質上自分の金で六十万円持つてつたのならば、在所は豊川だから、そこへ持つてて利殖の方法考えたらいい。あるいはほかの方法で利殖の道を考えていいはずです。あえて同僚であるあなたのところに持つて来て、あつせんしてもらつて、そうして知らないところの日刊工業に融資をしなければならないというほどおちついた状態でないはずです。たとえて言えば、人間というものは、心理作用によつて、思いがけない金が不正の道で入りますと、これをどういうふうに隠蔽しようかと、あらゆる努力をすることがある。従つて、まずい方法ではあるが、あなたのところに持つてつて、これを日刊工業に預けておくというような形は、決して混乱状態の人のやる姿とはちよつと考えられない。相当おちついた、前途を見通したやり方です。そこで、私は不思議に思うのは、今申し上げるような不当支出に属しておる金の中の五百万円を大阪大学の岡部教授に渡そうとして、同教授は非常に恐れて、中の百八十万円だけを受取つて、あとの三百二十万円は返しておる。そうすると、この三百二十万円の返却を受けるにあつて、若干量のダイヤモンドを当時佐竹は持つてつたので、これを岡部教授に示して、これを同教授に売つたことにして三百二十万円を受取ろうとしたが、同教授は断つておる。ちよつとここのところがおかしい。佐竹は警視庁に召喚されて、留置された。しかし、警視庁は、残念ながら材料を持たずに調べておつた傾向が強いのです。今日佐竹君は、あらゆる新聞や雑誌に大いに強がつたことを言つておられる。国会の行政監察委員会はふといやつである、あるいは、これを調べる中野はふといやつだ、こういうような言辞をもつて迎えられております。しかしながら、今日憲法において人権がお互いに尊重されており、国会があなたらに圧迫を加えるということはあり得ないのであります。国会は、この疑惑を明らかにするについては、あらゆる角度から資料を集めて、動きのとれぬところに持つて行かなければ、証人を喚問して証言を求めるということはしないように努めておるのであります。警視庁の当時の記録はここにあります。当時佐竹君が警視庁においてあらゆる調ベを受けた状況をつぶさに調べておりますが、残念ながら、警視庁の当時の担当官は、この事実を指摘するところがまだ足りなかつた。このダイヤモンドの出所あるいはこの思いがけない金をば持つておられた佐竹君のその金の出所というような面にわたつて、つぶさに警視庁が調べておらないから、不起訴同様になつて今日に至つておりますが、この問題の陸軍海軍ダイヤモンド買上げダイヤモンド処理に関しまして、買い上げた当時の数量と、処理いたしました数量と、現に残つております数量とが、まつたくマッチしないのであります。買上げ数量はあまりにも多数、処理した数量はきわめて少量、現存しております数量もきわめて少数でありまして、この中間において、先ほど申し上げましたような不正なるところの軍人あるいは不正なるところの係官が、相当数量隠蔽し、あるいはこれを横領した疑いが多分にあります。この点において、正直者がばかを見ない、言いかえれば、道義の確立といいますか、西ドイツでは道義の武装と言つておりますが、やはり正直者がばかを見ないという政治を打立てませんと、いくら自衛軍をつくりまして再軍備をしようと申しましても、根本の国に対する愛国心というような裏づけがなければ何にもならないということは、あなたも御存じの通りであります。私どもは、いたずらに犯人を出したり、いたずらに被害者を出しておるのではないのであります。あくまでも、不正な人は不正、悪い者は悪いのでありまして、これに対しては国家は適正なる措置をとつて、正直者がばかを見ないという制度を打立てたいと考えますがゆえに、こういうような努力を重ねておるのであります。私が今あなたにあえて述べましたように、当時の陸軍の状況から言えば、佐竹君が六十万円というような金を持つてあなたのところに行くということは、どうしても不自然と言わざるを得ないと思うのです。ところが、あなたが疑惑も抱かれずにその金をあつせんしたということになれば、私は、あなたが佐竹君にその六十万円の金が入つた道を十二分に御承知になつていらしたのじやないかという疑いを持つ。さらに、その六十万円を簡単に日刊工業にあつせんしているところを見ると、何かの代償として、何かの裏づけとして、あなたが佐竹から受取るべき理由があつたのじやないかどうかというところに今日の疑点か集中しておるのであります。この点が釈然といたしませんと、せつかくあなたが今日まで国家のためにお努めなさいまして、御苦労なさいましたかいというものが、こういうことから欠けるおそれが多分にあると思いますので、御遠慮なく当時受けられた自分の感想を述べていただきたいと思うのです。どうも佐竹が六十万円持つておるのはおかしい、いや入る理由があるのだ、おれのところに持つて来るのはあたりまえだ、いやそういう筋のものではないのだということが、今考えてみれば思い当ると思いますので、この点についての御説明をお願いいたします。
  90. 伊藤鈴嗣

    伊藤証人 今考えてみると、おかしいのであります。そういうふうに感じなければうそであつたと思います。
  91. 中野四郎

    中野委員 そこで、もう一つ伺つて、ほかの方の御質問もありますから、私はやめたいと思います。ダイヤの問題ですが、佐竹君がドイツから持つて来得る可能性はあつたかもしれません。しかしながら、あの供出のやかましい昭和十八年、十九年、二十年を経て、さらにそのダイヤモンドを彼が保存しておつたということは、おかしいとだれでも考えますね。そこに私は大きな惑疑を持つのです。最初私が伺いましたときに、証人は、佐竹がそれだけのダイヤモンドを持つてつたというその内容を知つてつたと言うが、そのダイヤモンドの内容は相当高級な装飾用ダイヤモンドである。従つて、このようなダイヤモンドを彼がドイツから持つて来て、あの昭和十八年、十九年、二十年に、軍人としてこれを持つていることができるような立場にあつたでしようか、どうでしようか。これはあなたの感想でけつこうです。軍人ともあろう者が、一般国民には一かけらの金でも出せ、白金を出す場合には、はなはだしきに至つては、強要してよい、憲兵を通じて、場合によつては一定期間これを保持することができなくなるぞということを言うてもよいという強い示唆のもとに、強制的供出を求められた状態下にあつて、いわゆる身を国家のために奉公するところの軍人の中堅である大佐が、自分だけは、これは自分の私有財産だと言うて、多量ダイヤモンドをばはたして持つておられるような心境にあつたかどうか、あなたの御感想を伺いたいと思います。
  92. 伊藤鈴嗣

    伊藤証人 おつしやるように、適当でないと思います。
  93. 中野四郎

    中野委員 私はこれ以上深く追究いたしませんが、あなたは、この六十万円の金をごあつせんなさるときに、だれとどこでお会いになりまして、——あるいは借用証とか受領証というものを佐竹に渡さなければならないと思うのでありますが、六十万円の大金に関して、ただあつせんしつぱなしということはないと思いますが、どういうような書きつけを書いたか、だれが受取つたか、どういうような保管方法をしておつたかというようなことについて御説明願いたいと思います。
  94. 伊藤鈴嗣

    伊藤証人 受領証も何もありません。
  95. 中野四郎

    中野委員 そういたしますと、どうして日刊工業の増田君を適当とお考えになりましたか。
  96. 伊藤鈴嗣

    伊藤証人 日刊工業の増田さんという人とは、日本の工業を発達させるには工業新聞、こうした兵器関係の新聞にやつかいになることが多いというので、兵器本部時代から非常に親しくしておりました。そして、私が打明けて兵隊のものを預かつてくれというようなことを言えるところは、日刊工業の増田さんか、さもなければ民間では辻嘉六氏、この二人くらいのものであります。従つて、あのときは、人も逐次首を切られて行くというような場合で、できるだけこの属官連中をひとつ引取つてくれないかというような話もしておつたのでありまして、そのときに折入つて、だれか預かつてくれと言つた、こういうような話は、あそこに頼む以外になかつたのであります。
  97. 中野四郎

    中野委員 ちよつと、そこのところ釈然としませんが、日刊工業の増田さんにしましても、あるいは辻嘉六さんにしましても、あなたは両方とも御存じなんですか。
  98. 伊藤鈴嗣

    伊藤証人 よく知つております。
  99. 中野四郎

    中野委員 そこで、重ねて伺いますが、辻嘉六さんとはどういう御関係御存じなのですか。
  100. 伊藤鈴嗣

    伊藤証人 数年来、辻先生は私のつりの先生と言つてもよいくらいであります。鎌倉の別荘に行つてとまるのは私くらいだつたと思います。
  101. 中野四郎

    中野委員 ところが、この六十万円の金というものは、いわゆる佐竹君の大事なものですね。それを完全に保管して、そうして二年、三年後にこれを完全に返してもらうにしては——私は日刊工業の増田さんはよく存じ上げないのですが、辻嘉六氏は、すぐ近所に住んでおります関係上、よく存じ上げております。もう二十数年来の知己であります。その人を人物として御信任いただいたことはたいへんありがたい。私個人としては敬意を表しますが、どうして適当なのですか。六十万円を辻先生に預けて妥当だということが、ちよつとのみ込めないのです。少しはつたり的の傾向があるように思いますが、どうでしようか。
  102. 伊藤鈴嗣

    伊藤証人 いろいろなことを打明けて話し得る人は、民間人ではあの方と二人だけだと申し上げたのであります。
  103. 中野四郎

    中野委員 よくわかりました。打明けて言えるのは辻さんであり、日刊工業の増田さんである……。そこで、増田さんはこの六十万円の金をどういうふうに使つたのでありますか。もちろん、あなたは中に入られたのですから、対人関係、対信用関係のように見受けられます。すなわち、あなたは領収証もとつておらない、受取りもとつておらないとおつしやるならば、対人関係で、あくまでも信用関係にあるわけです。そこで、この金はどういうふうに使われたのですか。二年後にこれが佐竹に返されておるかどうかということは、あなたは御承知でなくちやならぬと思いますが、その経過はどうなつておりますか。
  104. 伊藤鈴嗣

    伊藤証人 もう済んでおるのじやないかと思います。
  105. 中野四郎

    中野委員 済んでおるのじやないかと言いましても、佐竹君からあなたのところに一言のあいさつもないのですか。あるいは日刊工業の増田さんからあなたに対して、こうしたよというごあいさつはないのですか。
  106. 伊藤鈴嗣

    伊藤証人 私、病気で寝ておつた関係もありますが、ほとんど人に会つておりません。
  107. 中野四郎

    中野委員 いや、あなたは出向かれないでもよいのです。あなたはあつせん役というなら、あなたのところに、日刊工業の増田君なり佐竹君から、この金は借りるとか、どうしたとか、そういう報告がなくてはならぬはずであります。なまやさしい金ではない。今の金額に面すと相当なものになります。特にふしぎでしようがないのは、佐竹君ともあろう者が、当時五百万円からの金を右左でき得る立場にあつたかどうか。大学へこの五百万円の小切手を持つてつておるのです。そうして、そのうち百八十万円を寄付しておいて、三百二十万円の金を受取つて来ておられるのですから、こういうような過程においては、少くとも六十万円の金というものは、これがどこの金であるか——本人が五百万円あるはずがないのだから、そうでしよう。そうして、五百万円ないとすれば、これはどこかの金でなくてはならない。そういうような六十万円だから、二、三年後においてもらいたいと言つたはずであります。そうすると、これに対しては伊藤さんのごあつせんのしからしむるところだから、善なり悪なりの御報告がなくてはならぬと思います。その経過等がわからないのですが、あなたの御承知範囲を御説明願いたい。
  108. 伊藤鈴嗣

    伊藤証人 私にも何もわかりません。
  109. 中野四郎

    中野委員 それでは、私、もう一つ伺つておきたいことがあるのですが、あなたが総務部長をしておられたとき、大よそ装飾用ダイヤ工業用ダイヤと区別をいたしまして、それから、金はよろしゆうございますが、白金、これは、きわめて貴重なものでありますから、それぞれの係に命じて保管をしておつたわけであります。あなたの総務部長の権限において、あなたの部下が扱つてつたはずでありまするが、当時兵器行政本部ダイヤモンド装飾用工業用等が大よそどのくらいあつたか。あなたは数万カラットとおつしやいましたが、これは、連合軍接収されておる分は、リストがありますから明らかになつております。終戦時のいわゆるリストというものは、軍では焼いたと言うのです。近ごろ調べておつて一番残念なことは、軍の品物は全部焼いたと言うのです。それから、その焼いたりストを、こちらの方で難儀をして集録いたしまして、そうして最後の証人を喚問すると、これが死亡した人に全部行つておる。たとえて言えば、鷲尾大佐のようななくなつた人のところへ行つておる。あるいは南中佐のような人のところにおつかぶさつておる。こういうような過程があるのですが、証人の知つておられる範囲でけつこうですから、当時装飾用ダイヤが大よそどれだけどういう形において保管されておつたかという状況について御説明を願いたいと思います。
  110. 伊藤鈴嗣

    伊藤証人 これは、現物を取扱わない私にお聞きになる方が御無理ではないでしようか。
  111. 中野四郎

    中野委員 あなたは大よそ数万カラツトとおつしやつたのですが、何を根拠に数万カラットと言われたか、何か根拠がなくてはならない。
  112. 伊藤鈴嗣

    伊藤証人 現物を見てないのですから、数万カラットだけはあるのではないかと思いますが、現物を見てないのに、装飾用はどうだ、これはどうだということをおつしやる方が御無理なんじやないでしようか。それから、佐竹の金が何か軍事課から出たということも、私の知らないことで、その金がそつちへ行つておるのだからそうやつたのじやないかということも、どうも御無理のように思います。
  113. 中野四郎

    中野委員 そうしますと、佐竹君の持つてつたダイヤをあなたは全然御存じないとおつしやるのですか。これはちよつと名前はここで申し上げられないが、軍の相当な人のところへ持つてつて保管しておいてくれと言つておるのですが、あなたには一ぺんもタイヤ保管しにおいてくれということを言つたことはありませんか。
  114. 伊藤鈴嗣

    伊藤証人 だれがですか。
  115. 中野四郎

    中野委員 佐竹君が。
  116. 伊藤鈴嗣

    伊藤証人 ございません。
  117. 中野四郎

    中野委員 私が聞いた範囲においては、この六十万円の金というものは、少くともあなたのところへ持つて行くへき筋合いのものでなく、本来から言えば、佐竹君みずからがこの金をば保管すべき、あるいは自分が適当な処置をすべきであつたと思うのです。どう割出しても、あなたのところへ六十万円を持つてつたということと、日刊工業の増田君からその後この六十万円についてはつきりしておらぬ点を調べた結果によりますると、どうもこの六十万円をあなたが受取つておられるように思うのですが、あなたはこの六十万円を受取つて適当に処置されておるというような傾向はありませんか。
  118. 伊藤鈴嗣

    伊藤証人 全然ございません。
  119. 中野四郎

    中野委員 その後増田君から適当な金を受取つておるのではないのです。
  120. 伊藤鈴嗣

    伊藤証人 とんでもないことをおつしやつていただきます。
  121. 中野四郎

    中野委員 とんでもないのではない。あなたがはつきりしていただけば、とんでもあるのです。一軍人が六十万円という金をあの汚職事件の最中に持つて来て、しかもこの金をあなたが何の疑いもはさまずに増田君にあつせんをしたというのですから、あなたがもし常識ある軍人であるならば、当然この六十万円の金の出所に疑惑を持ち、しかもこれをあつせんするにあたつては、軍人は金銭に潔癖であるから、慎重を期するのがあたりまえであります。その慎重も期してない、しかもあつせんについては領収証も受領証も受取つておらぬ、その取引についてはその後一向に知らない、こういう点から疑わざるを得ないのであつて、あなたがとんでもないとおつしやるのはごもつともと思いますが、私の方から言えば、とんでもあるのです。従つて、このような疑惑が釈然とするような態度に出られない限りにおいては、やはりここに国民のあなたに対する疑惑の目は向けられつばなしになるおそれがあるので、当時の状況を先ほどから聞いておるのですけれども、当時の状況についてはつまびらかにしておられない。この面を伺つている。当時の状況について、おい佐竹、この金はどこから出て来たか、お前ずいぶん大金を持つているな、お前こんなばかな金を持つておるなら、おれに少し貸せということで、軍人があすの生活の不安におびえている最中に一大佐が六十万円という金を持つて来れば、一応好奇心にかられるのは当然で、人情から言つても、おい、ばかに景気がよいじやないかというくらいなことは言いそうなことだと思う。佐竹君が六十万円の金を持つて来ても、あなたはふしぎに思わないで、しかも増田君にあつせんしておられる。当時の軍人の混乱状態、あるいは軍人の経済状態を臆測しては悪いかもしれませんが、少くとも軍人ともあろうものが、当時の六十万というような金を一個人の所有金として右左するような立場にはあり得ないと思う。ここにもたくさん軍人出の人がおられますし、塚原君は少佐か何かだそうだが、今は金持かもしれませんが、当時そんな金があつたとは思われません。だから、そういう疑惑を持たれる点についてわれわれが説明を求めておるのに、答えられればけつこうですが、そういう点に触れないから、こう言わざるを得ないのです。
  122. 伊藤鈴嗣

    伊藤証人 あまり長くなつて、どういうことをお聞きになつたかわかりませんが、ただ、私ははつきり申し上げておきます。私は、私などは決していたしておりません。また、食うに困るとは実は私も思つておりません。というのは、当時親が古河に勤めておりましたので、遺産もございました。しかし、私はそれを考えたこともありません。むしろ、本部長と二人で、よく行つてあなたと私はアラスカの金鉱掘りに行かせられるのだろう、あとの人たちは残るかもしれないが、大本営野戦兵器長官ともいうべきいすにでもつけば当然そういうことだ、よくてそんなところだというようにも考えておりましたので、その金をもつてどうこうしようというようなことは、疑われるならば疑つてもよろしゆうございますが、私としては心外に存じます。
  123. 中野四郎

    中野委員 だから、あなたを疑うのではなくて、当時佐竹がどうしてそういうような金を持つて来たかということに対して疑いをなぜ持たなかつたかということを聞いておるのです。
  124. 伊藤鈴嗣

    伊藤証人 まことに申訳なかつたと思います。とにかく、人を世話しておつて、そうして円満にこれを反乱に導かずに何とかして行こうというのが日日でありまして、残念な話でありますが、私は毎日泣いておりました。私の後からは、反抗をせいというのがそばについております。こういうような中でありまして、実際、私がぼけておつたといえばぼけなすでございます。からだが悪いのにこんな大きな声を出して申訳ありませんけれども、私の知らない資料で御追究になりますので、実は辞易しておるのであります。
  125. 吉武恵市

    吉武委員長 他に御発言ございませんか。——発言がございませんければ、伊藤証人に対する尋問はこれにて終了いたします。証人には御苦労さまでした。  それでは暫時休憩いたします。     午後零時一分休憩      ————◇—————     午後一時四十七分開議
  126. 吉武恵市

    吉武委員長 休憩前に引続き会議を開きます。  接収解除貴金属及びダイヤモンド関係事件について、引続き証人より証言を求めることといたします。  ただいまお見えになつている方は景山誠一さんですね。
  127. 景山誠一

    ○景山証人 そうでございます。
  128. 吉武恵市

    吉武委員長 この際証人に申し上げますが、戦時中多数国民諸君より供出されたダイヤモンド、金、白金等は、平和条約発効と同時に接収解除となりまして、現在日本銀行地下金庫に収納されて、大蔵省が保管しておるのであります。このダイヤモンドの収納、保管の経過、処理方法等につきましては、世上大いに疑惑を持ち、関心を抱いている向きもありますので、これが真相を明らかにすることはきわめて有意義であると考えて、本委員会は本件の調査を進めて参つた次第であります。従つて証人におかれましては率直なる証言をお願いいたしておきます。  それでは、ただいまより接収解除貴金属及びダイヤモンド関係事件について証言を求めたいと思いますが、証言を求める前に、証人に一言申し上げます。昭和二十二年法律第二百二十五号、議院における証人宣誓及び証言等に関する法律によりまして、証人証言を求める場合には、その前に宣誓をさせなければならないことと相なつております。宣誓または証言を拒むことのできるのは、証言が、証人または証人配偶者、四親等内の血族もしくは三親等内の姻族または証人とこれらの親族関係のあつた者、及び証人の後見人または証人の後見を受ける者の刑事上の訴追または処罰を招くおそれのある事項に関するとき、またはこれらの者の恥辱に帰すべき事項に関するとき、及び医師歯科医師、薬剤師、薬種商、産婆、弁護士、弁理士弁護人公証人宗教または祷祀の職にある者またはこれらの職にあつた者が、その職務知つた事実であつて黙秘すべきものについて尋問を受けたときに限られておりまして、それ以外には証言を拒むことはできないことになつております。しかして、証人が正当の理由がなくて宣誓または証言を拒んだときは、一年以下の禁錮または一万円以下の罰金に処せられ、かつ宣誓した証人が虚偽の陳述をしたときは、三月以上十年以下の懲役に処せられることとなつておるのであります。一応このことを御承知になつておいていただきたいと思います。  では、法律の定めるところによりまして、証人宣誓を求めます。御起立を願います。  宣誓書の御朗読を願います。     〔証人景山誠一君朗読〕    宣誓書  良心に従つて、真実を述べ、何事もかくさず、また何事もつけ加えないことを誓います。
  129. 吉武恵市

    吉武委員長 それでは宣誓書署名捺印してください。     〔証人宣誓書署名捺印
  130. 吉武恵市

    吉武委員長 これより証言を求めることになりますが、証言証言を求められた範囲を越えないこと、また御発言の際には、その都度委員長許可を得てなされるようお願いいたします。なお、こちらから質問をしておるときはおかけになつていてよろしゆうございますが、お答えの際は御起立を願います。  では、お尋ねをいたします。第一に、証人略歴をお述べを願います。終戦前後から今日に至る履歴についてお述べを願います。
  131. 景山誠一

    ○景山証人 終戦の当時、陸軍主計大佐といたしまして、航空本部の経理部経理課長をいたしておりました。終戦と同時に復員軍人職業補導会の設立を命ぜられまして、財団法人復員軍人職員補導会を設立いたし、これに関係しておりました。十二月これが解散になりましてから、在職中経済関係の仕事をいたしておりました関係から、貿易会社に入りまして、日本貿易工業会というものを、美濃部洋次さんや、それから植村甲午郎さんあたりと興しまして、大体中小企業の貿易に関するいろいろなお世話をするというような会をやつておりました。その後、日活会館におきまして、米人と一緒にアメリカン・フアーマシーという会社を興しまして、その会社でもつて大体仕事をして現在に及んでおります。
  132. 吉武恵市

    吉武委員長 アメリカン・フアーマシーというのは、どういう仕事をやつておる会社ですか。
  133. 景山誠一

    ○景山証人 アメリカから大体薬類を輸入する会社でございます。そうして小売もいたしております。
  134. 吉武恵市

    吉武委員長 次に、証人は、終戦当時航空本部が保管していたダイヤモンド保管の責任者であつたと思いますが、そうですが。
  135. 景山誠一

    ○景山証人 そうでございます。
  136. 吉武恵市

    吉武委員長 戦時中、航空本部においては、ダイモンドを取扱つたようでありますが、この入手径路品質数量、それから保管の状況、それから、どう処分したかの点をお述べを願いたい。
  137. 景山誠一

    ○景山証人 大体私が経理課長になりましたのが昭和二十年の六月でございます。六月に経理課長になりましたときに、前任者からダイヤモンドの箱を申送り受けました。そのダイヤモンドは、大体におきまして、これは聞いたことでございますから、真偽はよくわかりませんが、申送りによりますと、南方方面において航空資材班というものをつくりまして、ダイヤモンド並びに貴金属をその当時の時価において購入しましたものを、航空本部に持つて来て、おつたというふうに聞いております。ですから、これはおそらく内地献上品ではないと思つておりました。これは聞いた話でございます。大体保管は、箱に入れまして金庫の中に入つておりました。数量は正確のことは覚えておりませんが、ダイヤモンド類は状袋に入つておりまして、その状袋にダイヤモンドの重さが書いてありました。その内容は大体検査せずに、その重さを看貫にかけまして、ダイヤモンドが何匁あるかということを検査したのを覚えております。数量においてどれくらいあつたかということは、正確に私は覚えておりません。ただ、申送りの書類とその匁数があつたということだけは覚えておりましたので、授受いたしましたが、箱は大体金庫の中に入つた箱でございますから、よく記憶しておりませんが、長さが一尺五寸、高さが五寸ぐらいの箱だつたと思つております。それを大体六月に申送りのときに検査いたしまして、そうして私の方で引受けまして、七月に一回——出納管理というのを藤堂という主計中尉がやつております。その藤堂主計中尉が内容をはかつては検査いたしますので、七月に検査したときは異状ございませんでした。八月になりまして、終戦になりましたとき、航空本部の私たちの保管しておりました食糧倉庫あたりが奪略されたような状況がありましたので、部長に意見を具申いたしまして、これは確実なところに預けようということを申しまして、部長の承認を得まして、そうして三菱信託の金庫に預けました。そのまま私は職業補導会に行きまして、後任者は藤岡業補導会に行きまして、後任者は藤岡大佐が後任者になりました。そのときは、前任者が藤岡大佐でございましたので、申送りということは別にいたしませず、私は職業補導会の方に入りまして、東北地方に復員軍人を受入れる態勢をつくりに旅行しておりました。そこから帰つて参りますとダイヤモンドを至急提出するように、進駐軍から新聞及びラジオで話があつたというので、部長に申しまして、ではすぐ出そうじやないかというので、三菱から受取つて参りましたので、部長に提出いたしました。私は封印をしたままで部長に提出をいたしました。その後私は職業補導会の方の仕事に専心したというようなあんばいでございます。
  138. 吉武恵市

    吉武委員長 そうすると、品質中身はごらんにならない……。
  139. 景山誠一

    ○景山証人 ダイヤモンドの中は、ほとんど見ませんでした。一つか二つあけて、ダイヤモンドがあつたのを見ましたが……。それが南方から来た当時、一ぺんずつと航空本部で展示いたしまして、関係者が見たことがございました。そのときは金及びダイヤモンド白金がございました。そのときは私は内容をよく見ております。
  140. 吉武恵市

    吉武委員長 引継ぎ及び引渡しをしたとき一数量は外から見たのじやわからぬかもしれないが、重さは大体どのくらいの重さでございますか。
  141. 景山誠一

    ○景山証人 それは確かに一々覚えておりません。一つずつ状袋に入つた……。
  142. 吉武恵市

    吉武委員長 全体の箱の重さ……。
  143. 景山誠一

    ○景山証人 箱は相当重いということを覚えておりました。一尺ぐらいの大きさの白金が入つておりました。その白金が非常に重いのでございます。二人で下げるくらいの……。
  144. 吉武恵市

    吉武委員長 白金の塊になつたものですか。
  145. 景山誠一

    ○景山証人 白金の塊になつておりまして、それが非常に重うございました。
  146. 吉武恵市

    吉武委員長 その当時は、やはりそういう数量とか品質についてはリストか何かがあつて保管されていたはずだと思うのですが……。
  147. 景山誠一

    ○景山証人 リストがございましたが、終戦と同時に、大体航空本部の命令によつてすべての書類を焼却いたしましたために、張簿はございませんでして。六月までは確かにあつて、それから預けますときに、私が立ち会いまして、出納管理の藤堂中尉がそれに封をいたしまして、私と藤堂中尉との両方の判を押しまして、信託会社の倉庫に預けたのでございます。
  148. 吉武恵市

    吉武委員長 三菱信託に預けたと言われるが、それから後にそれをまたほかへ移したことはありませんか。
  149. 景山誠一

    ○景山証人 ございません。
  150. 吉武恵市

    吉武委員長 軍務局の軍事課に移したということを聞いておりますが、それは御存じない……。
  151. 景山誠一

    ○景山証人 それは、私が木村航空本部経理部長に提出いたしまして、経理部長から軍事課に渡したのでございます。軍事課が進駐軍に提出することになつておりました
  152. 吉武恵市

    吉武委員長 そのときの事情について御存じの点をお話願います。
  153. 景山誠一

    ○景山証人 それは、私は木村部長に出しますまでいたしました。それから後は、どういうふうになつたか、私は存じません。
  154. 吉武恵市

    吉武委員長 あなたが退職されたのはいつでしたか。さつきお話になつたが……。
  155. 景山誠一

    ○景山証人 私が正式に退職いたしましたのは、八月十一日に予備役になりました。そして予備役の軍人として職業補導会をつくれという命令でございました。
  156. 吉武恵市

    吉武委員長 それからあなたはダイヤモンド関係しては一切取扱わないのでしようか。
  157. 景山誠一

    ○景山証人 私の名前で三菱信託に預けておりましたから……。事実上は、私は次の後任者の藤岡大佐に申し送つた。これは、申し送るひまもございませんでしたが、全部藤岡君は知つておりますから、事実上申し送つたかつこうになつております。
  158. 吉武恵市

    吉武委員長 そうすると、後任者に申し送つたというのは何月何日ですか。
  159. 景山誠一

    ○景山証人 正式に申し送るというかつこうではありませんでしたが、八月十一日をもつて私は予備役になりましたから、そのときをもつて授受したかつこうにはなつておるのでございます。その藤岡大佐は二箇月前には経理課長でございましたから、もう内容や何かは全部知つておるのです。
  160. 吉武恵市

    吉武委員長 そうすると、あなたは、自分関係をしなくなつた後に軍事課の方に移管したのだからわからないと言うのですか。
  161. 景山誠一

    ○景山証人 私は、移管をするまでは知つております。三菱から私が受取りました。部下を二名連れて、自動車で行きました。
  162. 吉武恵市

    吉武委員長 それはいつごろですか。
  163. 景山誠一

    ○景山証人 正確な記憶がありませんが、進駐軍のラジオ放送があつてから、二週間くらい後だつたと思います。
  164. 吉武恵市

    吉武委員長 十月十一日とは違いますか。
  165. 景山誠一

    ○景山証人 それくらいの近所だと思つて、この前お答えしたのであります。
  166. 吉武恵市

    吉武委員長 そのときの事情をちよつと話していただきたい。あなたが三菱信託に自分で行かれたのか、それから、だれとどこへ持つて行かれたか……。
  167. 景山誠一

    ○景山証人 私が私の下士官一名を連れまして、運転手と三菱信託に参りまして、三菱信託から受取つて、それを自動車で航空本部へ持つて参りまして、木村経理部長のところへ提出いたしました。それで私の方はすべておしまいになつてしまつたのであります。
  168. 吉武恵市

    吉武委員長 それから後任者がざらに軍事課へ持つてつたというのですか。
  169. 景山誠一

    ○景山証人 さようでございます。
  170. 吉武恵市

    吉武委員長 そうすると、あなたはこのダイヤモンド連合軍接収されたときの事情はおわかりになりませんか。
  171. 景山誠一

    ○景山証人 わかりません。
  172. 吉武恵市

    吉武委員長 委員の方でお尋ねになる方がありましたらどうぞ。
  173. 中野四郎

    中野委員 戦時中航空本部が受入れたダイヤモンドの中には、相当装飾用タイヤがあつたと思いますが……。
  174. 景山誠一

    ○景山証人 装飾用ダイヤがありまして、たしかあれはデパートから買つて来たのじやないかと思つておりました。ですから、指輪に入つたり何かして、持つて来たときは装飾用になつておりました。それを航空本部としては工作機械用に使いましたので、私の方で受取つたときは、白金白金で固まりにしてありまして、金は金で固まりにしてあつたと思いました。ダイヤは表に入れてみな別々になつておりました。
  175. 中野四郎

    中野委員 ちよつとそこが違いはしないかと思うのです。デパートから買い上げたのは、ただちに航本へ持つて行かないのですか。あなたの言うのは内地のデパートでしよう。
  176. 景山誠一

    ○景山証人 そうじやありません。南方面のジャワ及びシンガポールにおいてデパートから接収したものです。
  177. 中野四郎

    中野委員 わかりました。そこで、外地のデパートあるいは昭和通商というようなもので買い入れた装飾用ダイヤの中にも、相当大きいものが入つているわけですが、一番大きいのは、どのくらいのが、あなたのお扱いになつた過程においてありましたか。それから、色等がわかりましたら、一緒におつしやつていただきたい。
  178. 景山誠一

    ○景山証人 これは、出納管理の話で聞いたのですから、確実でございませんが、一番大きいのは八カラットのがあるということを申しておりました。それから、色は、私たちよく覚えておりません。
  179. 中野四郎

    中野委員 航本に来た中に、シンガポールから持つてつた非常に大きい、世界で三番目といわれるような五十三カラット余のダイヤがあつたと私は記憶しておるのですが、これはごらんになつたことはありませんか。またそういううわさをお聞きになつたことはありませんか。
  180. 景山誠一

    ○景山証人 受取つた当時は、私はその責任者でございませんので、それは藤岡大佐がたしか知つておるのじやないかと思います。最初航空本部の資材班が扱いまして、経理部においては単に物を預かつておるということだけをいたしましたので、資材班の方の係の万に聞いてみたら、その辺のことは詳しくわかるだろうと思います。
  181. 中野四郎

    中野委員 終戦時のダイヤモンドのリストがたしかあつたはずだと思うのですが、これは焼いてしまつたものでしようか、あるいはどこかで保管されたものでしようか。
  182. 景山誠一

    ○景山証人 出納管理の藤堂中尉の答えるところでは、焼いてしまつたと申しておりました。これは、話を聞いたので、確実なことは申されませんが、何か進駐軍に提出のときはリストがついていたという話は聞きました。それが帳簿のリストと同じものであるかどうかということは、私にはよくわかりません。
  183. 中野四郎

    中野委員 航本で、終戦後に、航本に関係のある業者にダイヤモンドを渡した事実があるかどうか、御記憶を呼びもとしていただきたいと思います。
  184. 景山誠一

    ○景山証人 終戦のときに、そちらの方の物品を扱つております杉浦中佐が私のところに参りまして、名前は確かでありませんが、旭硝子とか、旭ダイヤとか、何とか申したと思いますが、それへ、——金額もうつすら覚えておるのですが、たしか二百五十万円ばかりのものと聞きました。それを渡してあるから、この際払い下げようと思うから判をほしいと申しましたので、私は判を押したのを覚えております。
  185. 中野四郎

    中野委員 それから、工業用あるいは装飾用をまぜて大体二万カラット弱はかりあつたと思うのですが、これで航本にあつたものは全部でしようか。まだ他にあつたのでしようか。あなたは経理課長をしていらつしやつた従つて、これが全部のダイヤであつたかどうか、つまり接収され、あるいは三菱信託へお預けになつた、それが一体航本の全部なんですかどうですか。
  186. 景山誠一

    ○景山証人 私は全部と記憶しております。
  187. 中野四郎

    中野委員 そうすると、旭硝子へ持つてつた、代価にして二百五十万円というものは、工業用ダイヤですか、装飾用ダイヤですか。
  188. 景山誠一

    ○景山証人 工業用ダイヤとして払い下げたのです。払い下げた当時は課長でありませんでした。会社の方へもう渡しておつたのでございます。そして、会社の方で買いたいと言うから判を押してくれと係の者が言うて来ましたので、私は判を押したのです。
  189. 中野四郎

    中野委員 そうすると、かりに旭硝子として、二百五十万というと相当数量のものですが、工業用ダイヤというと装飾用ダイヤの十分の一でしよう。従つて、これは数量にして相当多量なものだと思うのですが、二百五十万円ともいう金額はお聞きになりましても、実質上においてカラット数がどういうものであるということは御記憶ありませんか。
  190. 景山誠一

    ○景山証人 金額の点も、実はそれくらいだつたろうと思うくらいでございまして、内容がどんなものであつたか、どういうダイヤモンドであつたかということは、私が課長当時のものでありませんので、存じません。
  191. 中野四郎

    中野委員 そうすると、三菱信託へ保護預けをなさつたのはあなたですね。
  192. 景山誠一

    ○景山証人 そうでございます。
  193. 中野四郎

    中野委員 その当時持つてお行きになつた容器とか重量なんかは、大体の想像がおつきになるわけなんです。従つて、どのくらいの容器で、どのぐらいの大きさのもの、中身はどのくらいで、ダイヤモンドのほかに白金があつたら、白金はどういう形のものという、当時の事情をひとつ御記憶に従つて御説明願いたいと思うのです。
  194. 景山誠一

    ○景山証人 箱は、前に申したくらいの大きさの箱でありまして、もう少し大きかつたかもしれませんが、中はブリキ張りの茶箱を使つたと思つております。その中へ入れて、白金の大きさは、ちよつと手で申しますと、このくらいと記憶しております。三角形になつておりました。ダイヤモンドは、先ほど申し上げたように、全部状袋の中に入つて、その数が大体これくらいあつたように思つております。これは記憶でございますが、ダイヤモンドはこれくらいあつたと思つております。相当数量あつたように覚えております。そのころ、われわれ、カラットの観念もあまりありませんので、覚えておりません。品質など、いいとか悪いとかいうことはよく存じませんので、品質がどのくらいの程度か、よくわかりません。
  195. 中野四郎

    中野委員 そうしますと、これは、相当な重さがございまして、二人ではちよつと重くて持てないというような状態に、御説明が……。
  196. 景山誠一

    ○景山証人 それを記憶しておるのでございます。何か、持ち出すときに、下士官と二人で、重いなあと言つて、自動車で持ち出したのを覚えております。その重さは主として白金の重さだつたと思つております。
  197. 中野四郎

    中野委員 ところが、接収されましたときと、三菱信託へお預けになつたときとの量目が大分違うのです。接収されましたときは、まず申し上げますと、ダイヤモンドが一万八千カラットしかないのです。これは、あなたのおつしやるように、それだけの大きさですと、たとい袋の中にありましても、とても一万八千カラットではおつつかないのです。それから、昭和通商が当時南洋あるいは南支方面から持つて参りましたダイヤと、一般から買い上げましたもの、並びに、今では略奪言つておりますけれども、当時軍が接収しましたダイヤとの合計数量が、三菱信託へ預けたものとどうも合わないのです。だから、航本へ行きました数とあなたが三菱信託へお預けになりましたその内容とがちよつと合わないというのは、あなたの今の御説明によりますと、白金は三角になつたものですが、これはもちろん一かたまりじやありませんね。
  198. 景山誠一

    ○景山証人 いや、一かたまりでございます。
  199. 中野四郎

    中野委員 単にそれだけでは、どう考えましても重さが合わない。白金でそれだけの重さというわけですが、一つで十貫目を越えることはありませんね。その点、いかがでしよう。
  200. 景山誠一

    ○景山証人 ちよつとそれは想像つきません。
  201. 中野四郎

    中野委員 そこで、茶箱ですが、茶箱といいましても、いろいろあつて、大きい茶箱もありますし、中くらいの茶箱もありますが……。
  202. 景山誠一

    ○景山証人 小型の茶箱だつたと思つております。
  203. 中野四郎

    中野委員 小型の茶箱といつても、相当量さがありますが、出されておりますのは相当少い。航本関係で出ておりますのは、白金棒が、小さいのが七本しか出ておりません。それから吹玉、この吹玉というのがそれじやないのですか。白金の吹玉というのが十二本出ておりますが、この吹玉というのは、いわば一つのかたまりになつたものでしよう。白金塊でしよう。
  204. 景山誠一

    ○景山証人 航本から出ましたときは封のまま出しましたので、航本から出しました後にどういうふうにそれを開いてどういうふうにしたかというようなことあたりは、たしかそのときの出納管理は藤堂主計中尉でありますが、これについて聞いていただきますと、その辺はすべてわかると思います。
  205. 中野四郎

    中野委員 そこで、問題が起りますのは、復員連絡委員長のもとへ軍務局の軍事課から持つてつて接収されておりますね。ところが、あなたの方で保護預けをなさいましたその目方、内容と、軍務局軍事課へまわりまして、これが接収に行つて、最終の段階まで参りましたときにおいての、あなたの方からお持出しになつた茶箱の内容、それが、たとい小にしましても、中にしましても、その茶箱の内容とがまるで違つておるのです。従つて、内容を申し上げますればおわかりになると思うのですが、今申し上げたように、ダイヤが一万八千カラットです。それから白金の棒が七本と吹玉が十二個、それで合せて目方が二千百四十三グラムしかないのです。わずかなものです。それから金の棒が中に十二本あつたというのです。それから時計のバンド一つと、タバコのクースが一つあつたというのですが、これを合せますと五千九百四十五グラム、さらにそのほかのもので二万四千八百五十八グラムのものが入つてつたようですが、これをひつくるめて、日本の貫数に直しますと、きわめて軽いものです。それで、当時お預けなさつたものと、軍事課を経て接収されたものと、大分幅があるのです。そこがどうも疑惑がありますので、おいでを願つたようなわけですが、当時あなたの方で持つて行かれましたのは、大体二人がかりでもちよつと重いものであつたということを言われるが、白金が三角の白金塊であつたというと、この厚さはどのくらいあつたでしようか。
  206. 景山誠一

    ○景山証人 三角形になつてつたと思いますが、記憶は確かでございません。
  207. 中野四郎

    中野委員 しかしながら、三角でも、厚さがありますね。それとも丸いものですか。
  208. 景山誠一

    ○景山証人 いいえ、三角になつておりまして、正三角形のようなかつこうをしておつたと思います。
  209. 中野四郎

    中野委員 それでは、別の問題を伺いますが、これは、軍事課へ移管したのはどういうわけですか。先ほど委員長言つておりましたが、軍事課から接収されないでも、航本から接収されていると思います。みなあそこに一箇所に集中されたわけではないのであります。他のいわゆる陸軍省関係とか造兵廠関係とかいろいろな関係のものが、その場所から接収されておるのでありますが、ただ航本関係だけが軍務局軍事課を通じて接収されておるのに、ちよつと疑義があるのでありますが、これはどういうわけですか。
  210. 景山誠一

    ○景山証人 それは、その当時の経理部長にお聞きくださいましたら、おわかりになると思います。私はその辺はよく存じません。
  211. 中野四郎

    中野委員 このダイヤモンドですね。約二万カラット弱のものですね。こういうようなものを、終戦当時、復員軍人の職業補導会の資本金などの捻出のために流用して充当したいというので、このことを協会の理事長に申し出られたことがあるのですが、これはどういう意味だつたのでしようか。
  212. 景山誠一

    ○景山証人 これは、私が復員軍人職業補導会の方の企画部長をしておりましたので、こういうものがありますが、これを正当に払下げを受けて復員軍人、職業補導会の方に使つたらどうでしようかということを意見具申をしたことがあります。
  213. 中野四郎

    中野委員 その結果はどうなつたのでしようか。
  214. 景山誠一

    ○景山証人 その前に提出の命令が来たものですから——進駐軍の命令があつて、そのラジオ放送があつたということを聞きましたから、出してしまいました。
  215. 中野四郎

    中野委員 あなたは協会の理事長から断られておりませんか。そういうものを受けると将来疑惑を受けるおそれがあるからといつて、向うから断られたはずだと思いますが、どうでしようか。命令があつて、ラジオ等の放送によつて、あなたが自発的にお出しになつたのではなく、向うから一応断つておるような傾向がありますが、この点についてはどうですか。
  216. 景山誠一

    ○景山証人 たしかそういうふうに言われたことを記憶しております。これは疑惑があるから受けない方がいいのじやないかと言われたようにも覚えております。従つて、そのままこれは置いておきまして、放送があつてから出したのです。言つたのは終戦直後のことでございました。
  217. 中野四郎

    中野委員 そこで、当時の心境を伺いたいのですが、なるほど、終戦後におきましては、軍隊の解散あるいはそれぞれの責任者の処罰とかいうようなことで、軍そのものが混乱状態にあつたことはお察しするに余りがあると思いますが、少くとも経理課長として、復員軍人職業補導会の方の資本金としてこれを充当するということは、どういう意味からそういうようなお考えになつたものか。敵軍が上陸して来て、かつて日本がやつたようにかつて接収されてしまうおそれがある、あるいはこれを賠償に持つて行かれるおそれがある、兵隊にめちやくちやにされてしまうおそれがあるというので、それよりはむしろ内地における相当有効な方面に使つた方がいいのではないかという気持は、もちろんだれしもあつたと思うのでありますが、しかしながら、その責任の衝においでになつた証人としまして、いわゆる復員軍人職業補導会の資本金にこの物品をもつて充当しようとした気持ですね。当時の心境ですね。これについてひとつお述べを願いたいと思うのであります。
  218. 景山誠一

    ○景山証人 その当時、職業補導会は、大体において軍のいろいろなものを払下げを受けまして、それを資金にしていろいろなことをやる、たとえば飛行場の土地を払下げを受けて、そこで帰還軍人に農業をさせるとか、あるいは軍の建物を払下げを受けて、その建物内において工業を営ませるとか、そういうような計画を立てたのでございます。従つて、こういうものがあるから、そのときの運転資金として使つてみたらどうだろうかと私は考えてお  つたことがございました。
  219. 中野四郎

    中野委員 どうも、常識から考えますと、当時の混乱状態を今の常識をもつて律することは不可能ですから、やぼなことは申し上げませんが、証人直接ではないようでありますけれども、軍事課に行つてから相当長い間これが適当なる接収処置がとつてなかつたですね。あなたの今のお話を聞きますと、ラジオ等の放送によつて、金、白金ダイヤモンド等は連合軍にただちに提出しろという命令があつたので、これを出す手続をとられて、三菱の信託へ行かれて、航本へ持つて来られて、これを軍事課へまわしたと、こうおつしやるのですけれども、どうもこの間にわからぬところがあるのです。それならば、ただちに軍事課の方でこれの接収手続をとつておればよろしいのですけれども、どういうわけですか、昭和二十一年二月七日まで、当時の状況から言うと、ずいぶん時間的ずれがあるのですが、それまで軍事課にとめておいて、そうしてこれを接収されておるのですが、その接収も、どうも普通の接収じやないのです。ちよつとおかしいのです。陸軍海軍のいわゆる国有財産であつたもの、あるいは解散団体の持つてつたものに対しましては、ただちにこの命令従つて、それぞれ軍人が派遣されて、領収証を出してこれを領収しておるのですけれども、航本のものだけは、当時のGHQの情報課長マンソンという大佐のところへ持つてつておるのです。接収官は違うのです。当時おのおの接収官がありまして、法令に基いて彼らも領収書を出して正規に受取るのですけれども、当時の混乱状態から言いますと、進駐軍が上陸して、なるべくそのアメリカの方に近い者とかあるいはアメリカ人に接触の可能な者とかいうふうな方面にいろいろと渡りをつけて、事を穏便に済まそうとする傾向のあつたことはわかるのですけれども、しかし、この場合、あなたのおつしやつたように、ラジオをお聞きになつて、これをすみやかに接収されるために三菱の信託倉庫に行つてつて来て、そうしてそれを軍事課にまわしたといいますと、ちよつとのみ込めないのです。軍事課がただちに接収されておればよろしゆうございますが、ただいま申し上げるように、昭和二十一年のしかも二月七日までこれを持つてつた。しかもあなたがおつしやるように、出しております品物の内容と接収されたものがまるで違うのです。ですから、あなたのところでかわつたのか、あるいはあなたのところから先の軍事課へ行つてかわつたのか、ここのところが問題だと思うのです。あなたが三菱の信託倉庫へお入れになつた品物、これはもちろんリストがあるはずであります。従つて、それを持つていらつしやるときもリストに照合してお持ちにならなければならぬと思いますが、リストに照合してお持ちになつて、そのリスト通り軍事課のどこへお渡しになりましたか。この二点を御説明願いたいと思うのです。
  220. 景山誠一

    ○景山証人 三菱倉庫へ預けるときは、リストは、焼却しておりましたからございませんでしたが、藤堂主計中尉立会いのもとに、二人で厳封をいたしまして預けました。それから、三菱倉庫から持つて参りまして、経理部長に提出した後のことは、私の方は全然存じません。その後のことは、その方の係官から聞いていただいた方が適当だと思われます。
  221. 中野四郎

    中野委員 そうすると、三菱倉庫へお預けになつたときは、その領収証がありますね。
  222. 景山誠一

    ○景山証人 はい、あります。
  223. 中野四郎

    中野委員 かりに三菱倉庫が何かの場合に火災でも起して焼失をしたらたいへんですから、箱一個だとか、内容について何が入つているものだということをあなたから御説明になつて、そしてこの領収証をお持ちになつたと思います。これは焼いたはずがないわけでありますが、これについてはどういうふうになつておりますか。
  224. 景山誠一

    ○景山証人 三菱倉庫へ預けましたときは、内容は言わずに、箱一個として預けたと思います。その領収証は航空本部のたしか藤堂主計中尉かだれか係官が持つてつたと思います。
  225. 中野四郎

    中野委員 そうしますと、藤堂主計中尉においでを願わなければわからぬわけでありますが、特にこの際伺つておきたいのは、この白金塊、これはどういう方面から来たものでございましようか。たとえば、南方買い上げたものなのか、あるいは接収したものなのか。そういうインコツト的な形でもつて置いておつたとすれば、適当に手が加えられていたはずであります。ところが、ここに出ております接収された航本関係のものは、未処理品といいまして、時計の側とか、時計のバンド、それからタバコのクースというようなものが入つてつたのです。お預けになつたときには、金でこういう未処理品が入つてつたのでしようか。それから、今の吹玉十二個というのはどういうものか。一つだけおつしやつたのではわからないのですが、他のものは何であつたか。それから、ダイヤについてあなたのおよそ見当だけはわかりましたが、金塊が一つだけであつては、つじつまが合わないのですが、この点の御説明を願いたい。
  226. 景山誠一

    ○景山証人 その点は、私の記憶が確かでございませんから、できれば藤堂主計中尉を一ぺん呼んで聞いていただきますと、藤堂主計中尉は長くそれを扱つておりましたから、確かなことがわかると思います。それから、出したときと受取つたときの検査あたりも、あけたのはたしか藤堂主計中尉があけたか、あけずに軍事課に渡したか、存じませんが、藤堂主計中尉が詳しいことを知つております。それが物品出納管理をやつておりましたから、それからお聞きくださいますことを希望いたしたいのであります。
  227. 中野四郎

    中野委員 藤堂さんは現存されておりましようか。
  228. 景山誠一

    ○景山証人 この間銀座でひよつと会いまして、和歌山県の県庁に勤めておると思いましたが、名刺を受取つております。必要でしたら、あとから住所等お知らせ申し上げます。
  229. 中野四郎

    中野委員 今の御証言で大体内容はわかりましたし、藤堂主計中尉においでを願つて、そして具体的な内容を伺つた方がいいと思うのです。ただ、先ほどから証人のおつしやつた、このお預けになつた品物については大体間違いないということだけは、あらためて伺つておきませんと、この次に藤堂さんが見えまして——よくあるのです、食い違いが。上官は何と言つたか知らないが、私は知らないというようなことがあるのです。証人を次々と喚問しておりますのもたいへんですし、検察庁や警視庁と違いまして、そのような不見識な質問もできませんので、今まで御証言なさつたことは大体においてお間違いないことであろうと思いますが、これはあらためて御確認願えましような。
  230. 景山誠一

    ○景山証人 その点は、藤堂主計中尉がリストをそらでつくるくらい内容をよく覚えておつたのです。藤堂主計中尉は、帳簿がなくなりましてからも、その点覚えておつて、リストをつくつて軍事課へ出したという話を聞いておりました。藤堂主計中尉がよく覚えておるはずです。私の記憶の方が、預かつてから二箇月しかたつておりませんし、すぐ封をしてしまいましたので、もし食い違つてつたか私の記憶が間違いだと思います。そういうふうにひとつ御承認願いたいと思います。
  231. 中野四郎

    中野委員 それで、あなたのごらんになつた装飾用ダイヤ、それから工業用ダイヤにしましても、ごらんになつた範囲は、どのくらいの程度ごらんになつたのですか。大よそ手ではかつてでもけつこうですが、どのくらいの袋を幾つぐらいあけて見たのですか。
  232. 景山誠一

    ○景山証人 袋をあけて見たのは、一つか二つぐらい検査のときにあけて見たくらいでありまして、あとはさわらぬ方がいいと思いましたから、目方だけはかりまして——目方も表面に書いてあります。看貫を見て、異状なし異状なし。私は検査官の立場でやつてつたのです。藤堂主計中尉が出納管理の責任者でして、それを毎月一回、課長が検査するという意味で検査をしたのであります。
  233. 中野四郎

    中野委員 けつこうです。
  234. 吉武恵市

    吉武委員長 ほかに御発言ありませんか。——発言がなければ、景山証人に対する尋問はこれにて終了いたします。  証人には御苦労さまでした。     —————————————
  235. 吉武恵市

    吉武委員長 引続き國武証人より証言を求めることにいたします。  ただいまお見立になつておられる方は國武輝人さんですね。
  236. 國武輝人

    國武証人 そうでございます。
  237. 吉武恵市

    吉武委員長 おかけになつてください。この際証人に申し上げますが、戦時中多数国民諸君より供出せられましたダイヤモンド、金、白金等は、平和条約の発効とともに接収解除となりまして、現在日本銀行地下金庫に収納され、大蔵省によつて保管されておるのであります。このダイヤモンドの収納、保管の経過、処理方法等につきましては、世上大いに疑惑を持ち、関心を抱いておる向きもありますので、これが真相を明らかにすることはきわめて意義あることと考え、本委員会は本件の調査を進めて参つた次第であります。証人におかれましては率直なる証言をお願いいたしておきます。  それでは、ただいまより接収解除貴金属及びダイヤモンド関係事件について証言を求めることにいたしますが、証言を求める前に、証人に一言申し上げます。昭和二十二年法律第二百二十五号、議院における証人宣誓及び証言等に関する法律によりまして、証人証言を求める場合には、その前に宣誓をさせなければならないことと相なつております。宣誓または証言を拒むことのできるのは、証言が、証人または証人配偶者、四親等内の血族もしくは三親等内の姻族または証人とこれらの親族関係のあつた者、及び証人の後見人または証人の後見を受ける者の刑事上の訴追または処罰を招くおそれのある事項に関するとき、またはこれらの者の恥辱に帰すべき事項に関するとき、及び医師歯科医師、薬剤師、薬種商、産婆、弁護士、弁理士弁護人公証人宗教または蒔肥の職にある者またはこれらの職にあつた者が、その職務知つた事実であつて黙秘すべきものについて尋問を受けたときに限られておりまして、それ以外には証言を拒むことはできないことになつております。しかして、証人が正当の理由がなくて宣誓または証言を拒んだときは、一年以下の禁錮または一万円以下の罰金に処せられ、かつ宣誓した証人が虚偽の陳述をしたときは、三月以上十年以下の懲役に処せられることとなつておるのであります。一応このことを御承知になつておいていただきたいと思います。  なお、証人が公務員として知り得た事実が職務上の秘密に関するときは、その旨をお申出願います。  では、法律の定めるところによりまして、証人宣誓を求めます。御起立を願います。  宣誓書の御朗読を願います。     〔証人國武輝人君朗読〕    宣誓書  良心に従つて、真実を述べ、何事もかくさず、また何事もつけ加えないことを誓います。
  238. 吉武恵市

    吉武委員長 それでは宣誓書署名捺印してください。     〔証人宣誓書署名捺印
  239. 吉武恵市

    吉武委員長 これより証言を求めることになりますが、証言証言を求められた範囲を越えないこと、また御発言の際には、その都度委員長許可を得てなされるようお願いいたします。なお、こちらから質問をしておるときはおかけになつていてよろしゆうございますが、お答えの際は御起立を願います。  では、第一に、証人略歴をお述べ願いたいのであります。終戦前後から今日に至る履歴についてお述べをいただきます。
  240. 國武輝人

    國武証人 どのくらいの程度に……。
  241. 吉武恵市

    吉武委員長 終戦前後から今日まで、その間でけつこうです。
  242. 國武輝人

    國武証人 私は陸軍省の軍事課に参りましたのは、昭和十七年の四月だと思います。それ以来ずつと陸軍省に勤務しております。終戦のあとも軍需品の跡始末の事務に携わつておるのでありまして、途中で嘱託になりましたが、正式に任務を解かれたのは、二十三年の六月ごろだつたと思います。あとで自転車の会社に入りまして、そのあと自分たちで小さく自鉱車の卸といいますか、部品製造にかわりましたが、それをやりまして、去年の七月に保安隊に入りまして、目下保安研修所に勤務しております。
  243. 吉武恵市

    吉武委員長 今の自転車の会社というのは、どういう会社ですか、名前を……。
  244. 國武輝人

    國武証人 暁輪業株式会社
  245. 吉武恵市

    吉武委員長 どこにありますか。
  246. 國武輝人

    國武証人 台東区浅草日本堤四の二八。
  247. 吉武恵市

    吉武委員長 それから、次に、終戦後旧陸軍軍務局軍事課はどういう仕事をしておりましたか、ひとつお話を願いたいです。そのときの課員はどなたたちがおありですか。
  248. 國武輝人

    國武証人 そのときの何ですか。
  249. 吉武恵市

    吉武委員長 そうたくさん残つておられなかつたでしようから、どういう方々が……。
  250. 國武輝人

    國武証人 軍事課について申し上げます。
  251. 吉武恵市

    吉武委員長 そうです。終戦後の軍事課の仕事……。
  252. 國武輝人

    國武証人 軍事課には編制班と予算班と資材班とあります。私がおりましたのは資材班でございます。ほかの班の方は、だれがどういうことをしておつたかということについては、戦時中はある程度覚えておりますが、終戦後たれがいつまでどういうことをしておつたかということは、今はつきりした記憶がございません。資材班は、班長南清志、頼冨美夫、これは航空技術関係のことをやつておりました。新妻清一、これも技術関係事項でございます。それから古川素道、これと私とが軍需品の引継ぎの事務をやつております。それだけでございます。
  253. 吉武恵市

    吉武委員長 それでは、次にお尋ねいたしますが、軍事課では終戦後航本からダイヤモンドなどを受取つたようでありますが、その事情をお述べを願いたい。
  254. 國武輝人

    國武証人 期日は、この前伺うと、こちらに書類があるそうでございますが、私も期日ははつきり覚えてないのでございます。そういうところは書類の方を調べていただきまして、何月ごろだつたか、十一月ごろじやないかと思いますが、そのころに、航本の方から、ダイヤモンド類の引継ぎが遅れておつて、向うでやりにくいから、陸軍省で始末してくれないかという話を聞いた。だれから聞きましたか、これも今になつてみると、だれからどういうふうに聞いたか、私は、初めは航空本部の総務課あるいは補給課と話をしておりましたので、そつちから来たのだろうと思つておりましたが、今ちよつと控室で景山証人と話をいたしました。あの人は経理部長に言つて、私と直接話をしていないと言われますから、そうすると、あるいは上の方から来たのかと思いますけれども、とにかく、引取れということになつて、私が受領をいたしました。持つて来た人は、今聞けば、経理課というか、経理部のどこかの課の若い人らしいのですが、私初めて見た人で、少尉か中尉の人でございます。そこで、私、仮の受領証を出しまして、それで保管して、正式の名前を何といつておりましたか、連絡局ですが、向うの総司令部との連絡事務所がありましたが、そこを通じて、目録と一緒に、翌年の一月か二月だと思いますが、そのころ引渡したと思います。そういういきさつであります。
  255. 吉武恵市

    吉武委員長 それでは、次に、軍事課の方でその航本から来たダイヤモンドを受取られて、翌年の二月かに引渡すまでの保管の状況は、どういうふうになつておりますか。
  256. 國武輝人

    國武証人 初めに航本の方で封印をしてあつたそうでございますが、これを私は一回あけたと思います。目録も来ておりましたので、それを点検いたしまして、また封印をいたしまして、金庫の中にしまつて、ずつと過ぎたわけであります。それから渡す前に、それをそのまま出しまして、私は外に持つてつておりません。確かに陸軍省の中の連絡機関の人か、あるいは軍務課の人に渡したと思う。内部のことで、だれに渡したか、はつきり記憶しておりません。とにかく、私が外に持つてつたのではなくて、中で渡しました。
  257. 吉武恵市

    吉武委員長 その次に、受取られてから渡されるまでに約四箇月ほどありますね。どういうわけでその間おとめになつていたのですか。
  258. 國武輝人

    國武証人 これも、この前言われて初めて気がついたのですが、確かに受取つた期日から渡した期日までが長いのです。そのときには、そんなに長いとも思わずにやつておりましたが、事務がおそかつたと言えばそれまでですけれども、いろいろ考えてみますと、ただ引渡しただけではなくて、こちらで保管して、引渡しの交渉をするのは連絡機関に頼んでおりまして、そとの事務的の連絡が悪かつたということもあると思います。それから、もう一つ、当時はそれ一つにかかつていたのではなくて、ほかに非常に大きな問題もたくさんありまして、そちらの方に追いまくられていたというのが相当な理由だと思います。ちようどその期間でございますが、きよう遺骨で帰つてこられました山下閣下の裁判がマニラであつたので、そのとき私は証人としてマニラに呼ばれたことがありました。そんなことで遅れたんじやないかと思つております。
  259. 吉武恵市

    吉武委員長 その次に、ダイヤモンド連合軍接収されたときの事情を、もうちよつと詳しく御説明願いたい。
  260. 國武輝人

    國武証人 私は全然いなかつた。引渡しは連絡機関の方でやりまして、私はそこに出しただけでございますから、引渡しの状況は全然知りません。
  261. 吉武恵市

    吉武委員長 そうすると、連絡事務所の方から軍務局の方にとりに来たのですか。
  262. 國武輝人

    國武証人 私は、向うの人がとりに来て渡したと思つたのですが、この前、こちらの事務局に呼ばれまして、多分そうだつたろうと言いましたが、そうじやないらしい。連絡局の連絡員が、軍務局の私のところの隣の部屋におつた。そちらに渡していたらしい。
  263. 吉武恵市

    吉武委員長 それは軍人ですか。
  264. 國武輝人

    國武証人 そうでございます。
  265. 吉武恵市

    吉武委員長 元陸軍におつた人ですか。
  266. 國武輝人

    國武証人 そうでございます。軍務局の中に軍務課と軍事課がありまして、私は軍事課、外に対する交渉は軍務課でやつてつた。部内のことは軍務課でやつておりました。
  267. 吉武恵市

    吉武委員長 その連絡事務所というものは、陸軍省の中にある連絡事務局という意味なんですか。
  268. 國武輝人

    國武証人 そうです。大部分が軍務局から出ていた。その中の、向うに出ている人に渡したのか、こちらに残つている人に渡したのか、同じ局内ですから、そこには領収証も何もありません。
  269. 吉武恵市

    吉武委員長 中野四郎君。
  270. 中野四郎

    中野委員 今、冒頭にちよつと食い違いがあるのです。あなたの今のお話ですと、航本ではやりにくいから軍事課の方でやつてくれと言われた……。今景山大佐がここに来られての話は、そういうような接収は軍事課でやつておるので、軍事課にまわした、木村経理部長の命令によつてつたと言うのです。そうすると、ここに根本的な食い違いがあるのです。そこで、逐次伺つて行きたいのですが、終戦陸軍が保有しておつた各種の資材を連合軍接収されるに際して、軍事課はどういう役割を担当したか、同時にまた、軍事課を通じて接収を受けた資材はどういうものか。資材班におられたのですから、当時の詳細なる説明を求めたい。
  271. 國武輝人

    國武証人 これは景山さんの思い違いだろうと思います。軍事課は、そういう実務をやらないところなんです。私たちとしてやりましたことは、二十年の八月、正規の発令は十七日になりましたが、陸軍の軍需品及び軍需工場等の引渡しに関する達と言つたと思いますが、それを起案した責任課といたしまして、班長以下軍事課の方でその執行の事務をしておつたわけです。先ほども申し上げましたように、実際の仕事をしておつた者は二人しかない。それで、陸軍全般の、引渡し書類の目録だけでもトラック何台にもなるようなあの厖大なものを、うちでやれるわけがない。私たちの方は、その発令の補佐をして、あと全般的の問題があつたときに、私は総司令部などに行つて交渉をしておつた。流れをよくしてやつてつたのが、私の仕事なんです。従つて、実務をやつておりません。ただ、あれはどういういきさつか、私も、今言いましたように、はつきり覚えておりませんが、確かに連絡機関を通じてやつた方がよさそうだということで、こちらに持つて来たと思います。従つて、あれは特殊な事件でありまして、全般的にうちで引渡しをやつたということではありませんで、あれだけの特別なケースであります。
  272. 中野四郎

    中野委員 ちよつと伺つておきますが、終戦直後、八月の十七日以後、陸軍海軍にありました資材あるいは物資、こういうものが相当持ち出されました。中にはトラックで運ぶ者もあり、兵隊は背負えるものは背負つて行くというような傾向がありましたね。あれについては、軍需省の竹内次官の次官通牒によつて、全国の県庁あるいはそれぞれの関係のあるものは、それぞれ民間の復興資材として使つていいというようなことを、口頭か書類か知りませんが、言つたような傾向があるわけです。そこで、軍事課でそういう方面の担当をしておられたといたしますと、そのときに海軍陸軍にあつたものは、それぞれかつて処分してよろしいというような命令を、軍事課で出したことがありましようかどうか。
  273. 國武輝人

    國武証人 これは、いきさつがございまして、実際十七日に出た命令には、そういうことはないのであります。全部まとめて整理をして、引継ぎの準備をしろというのが、そのときの命令なんです。ただ、私、それまではずつとあそこにとまつてつておりましたが、いよいよ十四日に終戦ときまりましたので、うちの整理に帰つた。そして十五日の朝、今の気持と大分違うのですけれども、最後だと思つて出て来ましたら、跡始末をやらなければいかぬということです。私が一晩留守をしておりました間に、だれかかわつてつてくれまして、大臣の命令の案を書いてくれておつた。それは十四日の日付になつてつたと思いますが、閣議決定があるのです。それは、今陸軍海軍保管している物資はなるべく関係の民間あるいは官庁に引渡して復興の足しにしろという、文句ははつきり覚えていませんけれども、そういう意味の閣議決定がある。それを基礎にしてやつておりまして、終戦のときのことは今からちよつと想像できませんけれども、非常に激烈な大臣の命令の案が出ておつたのです。これはちよつとひど過ぎるというので、私もそれには同意しませんけれども、一応軍需動員部隊、といいますと、兵本とか、航本とか、被服廠、糧秣廠でありますが、そういうところの総務部長に全部集まつていただきまして、打合せをいたしました。それが十五日に一回ありました。そして、相当修正をしまして、実情に応じた命令でなければいけないというので、各総務部長も、陸軍大臣の幕僚として、一回帰つてもらつて、あともう一回打合せをしようということで、また十六日に集まつてもらつて、大分緩和されましたが、やはり相当適当でないところもありましたので、もう一回解散して、十七日の朝もう一回集まつてもらつて、そうして討議の結果、最後に十七日の昼過ぎに命令が出たわけであります。命令としては、今言われたような違法にあたるようなことは全然ありません。ただ、初めの閣議決定は漏らさぬようにはしましたけれども、そのときには十五日の朝印刷されておつたのです。それがぱつとある程度散つてしまつた。もう一つは、一番初めの陸軍大臣命令の案というものが、これは部隊には出さないようにとは言いながら、当時のことでありますから、電話で連絡したり、あるいは連絡者が現地へ行つたりしてやつておりますので、一般へ漏れてしまつた従つて、この命令が出る前のいろいろないきさつによりましていそういうことが相当行われたことは事実でございます。これは、責任があると言われれば、中央にありましたので、大臣命令が十五、十六、十七の三日間出なかつた、これが一番の原因なんであります。しかし、これは、当時の状況でそのまま出しておつたら、またひどい命令が出たことになりまして、当時の終戦のいきさつから言うと、部隊としてはやむを得なかつたし、もし責任があるなら、中央の命令を出した方にあるのだろうと思つております。
  274. 中野四郎

    中野委員 そうしますと、その閣議決定で大臣命令は出たのですか。それは事実上公布されたのですか。
  275. 國武輝人

    國武証人 閣議決定は出ておりません。これは、陸軍の部隊は閣議の決定では動かないようになつてつた。閣議決定に基く大臣の命令で動いたのであります。従つて、閣議決定の内容を大臣命令に取入れて出してあります。ただ、実際の閣議決定は今はつきり覚えておりませんけれども、そのあとで出した。これは外へ出してはいかぬというようなことになつたような気がするのでありますが、そういういきさつもありますし、閣議決定の内容よりもずつとおちついた大臣命令が出ております。
  276. 中野四郎

    中野委員 その大臣命令は、記憶でけつこうですが、どういうふうな命令が出ておつたのでしようか。その命令のいかんによつては、個人でそれぞれの職務を利用して国家国民の財物を持つてつた場合——あなたのおつしやるのは、大体地方庁とか、それぞれのいわゆる官公署だろうと思うのですが、それ以外に一般の者が持つてつたものがありますね。軍人で相当将官連中があります。そういうのは、その大臣命令の中に、持つてつていいと書いてあつたかどうか。ひとつ当時のことを思い出していただきたいと思います。
  277. 國武輝人

    國武証人 これは、タイプで打ちまして、わら半紙三枚くらいあつたと思うのです。またそれに基く次官通牒その他がありまして、全部を申し上げることはできませんので、私の感じだけを申し上げます。軍事品は、取得したり、こわしたり、隠したりすることなく、これを全部整理しておけというのが根本の方針でございます。それから、ある期間まではこいつは関係の地方官庁に払い下げてよろしいということだつたと思います。地方官庁というのも、県庁までをさすのか、どこまでさすのか疑問がありましたが、当時の私たちといいますか、一般の感じは、これをそのままにしておいたら、アメリカにとられて持つて行かれるという感じが相当強かつたのであります。従つて、それなら、少しは正当でないといいますか、少しははつきりしないかもしれぬけれども、役場くらいまではいいのじやないかという感じだつたのです。それから、部隊の配置されておりますのは大部分がいなかであります。従つて、そういうところは、村あるいは町役場まではやつてもよいというような指導をしたと思います。命令には地方官庁となつてつたと思います。工場は生産をすぐ停止をして整理しておけ、人間は特別の人は復員させる、こういうことでした。質問にお答えになつたかどうか……。
  278. 中野四郎

    中野委員 それだけ伺えばよいのです。これは長年疑問になつてつたのです。ただいまあなたのお話を聞いて、ややわかつて来たのですが、当時閣議でそういう話が出て、そうして一応軍需省もそういう例にならわれて、いわゆる軍需大臣命令を出そうとしたけれども、やはり同じような過程において押えらておつたのです。これが誤り伝えられまして、全国に散在しておりましたすべての物資がかつて処分されたことは御承知の通りであります。これは長い間不当財産委員会で調べまして、特に東洋醸造なんかのブタノールをつくるために持つておりました砂糖なんかの問題は、全部かつて処分したものでありますが、一応あなたがその閣議決定の内容を知つておるというので伺つたのであります。  そこで、本問題に移つてつて参ります。先ほどのお話を聞いておりましても、航本で接収されるべきものであつて、軍事課で接収されるべきものではない。また軍事課を通じて接収の道を選ぶべきではないと私は思う。ここに何かなくてはならぬはずであります。航本では、ラジオの放送によつて、金、白金ダイヤモンド等を持つておる者はただちに出さなければいかぬということを聞いて、三菱信託から持ち帰つており、特に国有に属するところの軍あるいは国有銀行、こういうすのに対してはすみやかにリストを出せ、こういう点に従つて行けば、各方面で接収されている状況を見ましても、必ずしも航空本部からあなたの方に出す必要はないわけです。いわんや、あなたの方は実務をやつていなかつた。これが軍事課にまわされて、あなたの方で接収されるには、おそらくそこに経緯がなければならぬ。特にあなたがその当時直接受取つておいでになつたのですから、上司の命令といえどもそこに何か御存じの点があろうと思います。どういうふうな経緯で軍事課にまわされたか。たとえば、先ほどおつしやつた、連絡の方面が軍事課にあつたから、その方面でやるためにとおつしやるなら、その方に持つて行くべきであつて、資材班に持つて来るべきではない。ここがちよつと釈然としないが、当時の経緯について、感じられたままだけでけつこうですから、ひとつお答え願います。
  279. 國武輝人

    國武証人 私も、実際は正当なルートではないと思つております。なぜこうなつたか、私もこれははつきりしないのであります。私の当時の考えでは、基本のやつは、十一月というと確かに接収は一応済んでいるころだと思います。造兵廠なんかで相当ごたごたしておるのはあとまでかかりましたが、これは覚えておりません。しかし、九月か十月で引渡し終了の命令を出しているわけです。いつまでに終れというのは、そのあとだつたのではないかという感じもありますが、あるいは航空部隊は非常に早く引継ぎをやつたので、そんなことで遅れたのか、とにかく、向うでやるよりもこちらの方がよいからだろうと簡単に考えたので、特に軍務局の中で連絡機関をつくりまして、それで引渡しの連絡はしておりますから、連絡の便利なところに持つて来たのだろうと思います。それも、軍務課に置かずに軍事課に置いたのは、軍務課は外部折衝だけしておつて、物に関するそういう行政をやつているところではないのでございます。同じ局内でございますから、これはどちらに置いても大した問題はないと思います。確かにそう言われれば正当ではないと思いますけれども、あまり深いいきさつもあつたように思つておりませんので、ぼつとしたことしか言えません。
  280. 中野四郎

    中野委員 そうしますと、あなたが航空本部の経理部から物を引継がれたとき、その箱の大きさとか、中の実物はごらんになつておるはずでありますから、どういう品物であつたということをば、記憶に従つて御説明願いたい。もしそれを裏づけるリストがあればお出し願わなければならぬが、リストがなければ、記憶に従つて説明していただきたい。
  281. 國武輝人

    國武証人 これは、今全部言えと言われでも、私もわかりませんが、復員局の方にリストがあると思います。そちらの方で見ていただきたいのですが、概略を言いますと、大きさは、普通のこのくらいの高さの金庫があるのでありますが、あれに入るのでございます。幅がこのくらい、高さはこのくらいありますか、深さは金庫の深さでございますから、このくらいでございます。私もちよつと見ましたが、中身ダイヤモンドと金、金は二通りあつたと思います。紙に包んだ長いやつと、それからタバコのケースとか製品になつたのと、二通りあつたと思います。どれがどれくらいあつたかということは、リストを見まして……。
  282. 中野四郎

    中野委員 全部の重さはどのくらいありましたか。
  283. 國武輝人

    國武証人 一人で持つて、ちよつと重い程度ですから、どのくらいでしようか、二貫目くらいありましたか、あるいは一貫目くらいか、ちよつと感じが出ないのですが、一人で持つて、重くて持てぬというほどじやございませんし、軽くもないし、ちよつと比較にてみないと、私もぴんと来ないのですが……。
  284. 中野四郎

    中野委員 あなたは航空本部のだれからそれをお受取りになりましたか。
  285. 國武輝人

    國武証人 持つて来た人は若い人なんです。
  286. 中野四郎

    中野委員 中尉ですね。
  287. 國武輝人

    國武証人 少尉か中尉の人なんです。私はそれまで経理課とは関係ありませんので、初めて会つた人であります。
  288. 中野四郎

    中野委員 ここに大分食い違いが生ずるのですがね。先ほど景山大佐の説明によりますれば、小さい茶箱程度のものであつた、中にも相当白金塊が入つてつたと言うのです。それから、ダイヤモンド相当袋に入つてつたというのです。重さにおいても大分あなたとは食い違いがある。二人をもつてしても相当重いものだとしてある。ところが、今あなたのお話だと、一貫目ないし二貫目くらいだ……。どうも、航本の経理課で三菱信託え預けたときの品物と、航本へ一旦持ち帰つて軍事課へ渡し、軍事課が接収の任に当りまして接収収されました場合と、大分この品物の中のものに食い違いがあるのです。あなたは今タバコのケースや時計の側があるとおつしやつた。なるほど、接収されたときにはそれがあつたのです。けれども、それが航本にあつて軍事課に渡されるときには、ただ端的にそんなものではないはずですが、これは国武さんが思い違いをしておられるか、あるいは相当内容についてごらんにならなかつたわけはないと思うし、あなたが全部その引継ぎを受けておられる。特に、経理課と軍事課とはそう深い関係はなかつたから、いかに軍人同士といえども、貴重な品物を、特に軍事課を通じて接収が行われるからには、航本の方で詳細に内容を報告して、リストをつくり、これだけの品物があるから適当に接収してもらいたい、お取扱い願いたいということは言うのがあたりまえだと私は思うのですが、その内容は、あなたが見ていらつしやつて、今の航本の景山大佐の言うことと大分食い違いがありますが、どちらがほんとうでしようか。あなたは記憶を呼びもとしていただいて——ああいう珍しい、そうむやみにあるものじやないから、特に人情のしからしむるところで、そういう高価なダイヤモンドはどんなものであるかといつて、あけて見るとか、白金といえばどんなものかといつて、一ぺん持つてみるということは、当然行われると思うのです。ちよつとここのところが釈然としませんが、当時の状況について、もう少し記憶を呼びもとして、明瞭にしていただきたいと思います。
  289. 國武輝人

    國武証人 大きさその他について、私もはかつたわけでございませんから、そんなに食い違つているなら、どこかに違いがあると思いますけれども、控室でさつき会いましたときに、どのくらいの大きさだつたと二人で話したのですが、向うもはつきりしないだろうと思います。確かに金庫に入つたのだからということでございますけれども、あの人も、やはり金庫に入つたのだなと、さつきちよつとそんな話をしたのでございますが、大きさについては、二人で持たなければならぬということはないと思います。一人で持つて相当重いのは重いのですけれども、ちよつと私も、一貫、二貫の重さの判定がはつきりしませんが、二人で持たなければ持てないというほどのものではないと思います。それから、受けましたのは、あの壁の色よりもちよつと薄いのですけれども、相当古い箱ですから、入れかわるようなものじやないのです。
  290. 中野四郎

    中野委員 内容はどうです。
  291. 國武輝人

    國武証人 内容は、中にぎつしり詰まつておりまして、少しとつてもすぐわかるようになつているのです。大きさについては両方の思い違いがあるかもしれませんが、ちやんと目録がついて、中身は一々は調べませんが、数は当れるようになつているのです。大きさについては、私たちも、昔の八年前の大きさをどれだけと言われても、ぴんと来ませんけれども、事務的に言つては間違いないと思つております。
  292. 中野四郎

    中野委員 けれども、あなたが受継ぎされるのに、人情として、中のどういうものくらいは見ることが当然だと思うのですが、あなたは全然見なかつたのですか、どうですか。それから、白金塊、これが一番重量をなしておつたものなんだから、その白金塊くらい、はつぱり出して見たものだと思うのだが、それも見たことがないのかどうか。これを伺つておるのです。
  293. 國武輝人

    國武証人 私、全部は見ないのです。一部見ました。これは、さつき言いましたように、白金と言われておりますが、私は金だと思うのです。長い十センチくらいの金の棒だつたと思うのですが、そういうのが相当数つたと思うのです。ダイヤモンドはちよつと見ましたけれども、よくわかりません。非常に小さな袋に入りまして数が多いのでございますから、また全部見るようなあれもありませんし、一つか二つ見て、数だけ数えておしまいでした。
  294. 中野四郎

    中野委員 航本からこの移管を命ぜられたとき、だれの命令で移管をされましたか。
  295. 國武輝人

    國武証人 これは正式の命令はなかつたと思います。あつたかないか、それを覚えておりませんが、私は班長に言われてやつたのです。
  296. 中野四郎

    中野委員 班長はだれですか。
  297. 國武輝人

    國武証人 南清志という中佐でございます。
  298. 中野四郎

    中野委員 南さんはなくなられましたね。
  299. 國武輝人

    國武証人 はあ。
  300. 中野四郎

    中野委員 なくなられましたけれども、南さんの奥さんのお話を総合しますと、どうもこのダイヤは大分動いている。リレー式に大分あつちこつち動いているような傾向があるのです。それから、遺書もありますけれども、ここでごひろうすべきでありませんから、申し上げませんが、南軍事課員の未亡人は、南さんの存命中に、ダイヤモンドをリレー式に動かしておつた、いろいろ出て行つて行方がわからなくなつたというようなことをばしばしば夫人に言うておられるということを言うておられるのです。ですから、どうも、航本からそのまま来て、そのまま受取つて軍事課に置いたのじやなく、軍事課であなたが金庫の中に入れている間に、大分この箱は動いているのじやありませんか。というのは、十一月にこれを受けられて、翌年の二月七日ですから、少くとも四箇月間です。この間、あなたがおいでにならなかつたかどうか知りませんし、いろいろ忙しかつたか知りませんけれども、四箇月の間接収をされないというのはおかしい理由があるのです。というのは、ラジオの放送によつて、すみやかに接収をされなければならぬ。航本が軍事課へ持つてつて接収されることに第一番に疑念があります。しかも、軍事課がこれを預かつて、早急を要するにもかかわらず、四箇月の間これを金庫の中に入れておいたという点が第二の疑点です。第三点は、その内容において根本的に食い違つていることであります。従つて接収された当時の接収のリスト等によりましては、これまた当時の三菱信託倉庫に置いたるものとはまた根本的に目方において違うのです。航本が三菱から持つて来ましてあなたの方に渡した。そうして接収されて、接収になつた物品の領収証を見ますと、また違うのです。ここに疑点がおのずから生じて来るわけです。あなたは、金庫の中に入れておいたと言われておりますが、当時軍事課の中にこういうものを保管しておかれるような状態であつたかどうか。私らの調査によればどうもそういう状態でないように思いますが、あなたは、いやそうした状態であつたということが言われるかどうか、そうして、その品物が実際金庫の中に入つて、四箇月の間どこへも移動しなかつたということがはつきり証言できるかどうか、この二点について伺いたい。
  301. 國武輝人

    國武証人 この南さんの証言というのについては、私は全然心当りはありません。そういうのも私にはわかりません。少くとも航本関係でこれはリストがあるのでございますから、それと合つておればいいと思うのです。私はリストによつてつておるのでありますから、それが三菱信託に預けたときと食い違つておるかどうか、これは知りません。私のやつたのは、ただリストによつてつたのでございます。だから、これについては、私はそれ以上の責任は持てません。その前にどうなつたか、あとどうなつたか、これは知りません。私は、そのリストによつて、数から言つてもちやんとありましたし、その通り合つておるのですから……。詳しいことは、それ以上はつきりしないのです。それから、金庫は、ちようど書類を焼きまして、非常にたくさんあつたのです。それで、今から思うと、こんなところに保管すべきでないと言われるかもしれませんが、金庫はたくさん重ねてありまして、その中の一つへ入れたのであります。保管できるかできないか、これは自分たちの部屋の中の金庫でございますから、保管できると思つておりました。
  302. 中野四郎

    中野委員 全然移動しなかつたかどうか。
  303. 國武輝人

    國武証人 一回部屋を移つたことはあるかもしれませんが……。
  304. 中野四郎

    中野委員 そのときだけですか。
  305. 國武輝人

    國武証人 全部の部屋は、何か編制改正が十二月ごろあつたのじやないかと思いますから、あるいはそのときに部屋全部が移つたかもしれませんが、しかし、一つだけで動いたということはないと思います。
  306. 中野四郎

    中野委員 特に名前をここで申し上げるのは控えなければならぬと思いますから、申し上げませんが、あなたはダイヤを一部しか見たことがないとおつしやつていらつしやるが、これは間違いありませんか。たとえば、あなたはダイヤモンドを入れた包みを机の上に置いて軍事課員に見せたことがあるのですが、これに対して、いやおれはそんな覚えがないということがはつきり言われますか。その一方の証人がうそをついておるのか、あなたがうそを言つたのかどうか知りませんが、あなたはダイヤを見たことがないと言うが、あなたの机の上に包みを置いて軍事課員に見せた事実があるのですが、これについてはどう御答弁になりますか。
  307. 國武輝人

    國武証人 これは、私としては、そういう不謹慎なことはしていないつもりでおります。あれを保管しますとか、あるいは開きますときには、保管関係のない人は入つて来ていないはずなんです。そういうような、人の好奇心をそそるようなことはしていないと思いますし、そういうことをすべき問題でもございません。
  308. 中野四郎

    中野委員 それでは、ちよつとここで伺いたいが、終戦当時、軍事課において軍事科学研究費というものを管理しておつたが、予算関係の業務を担当しておつた新妻中佐という人が多摩技術研究所において佐竹という人の部下であつた関係から、佐竹と共謀して、軍事課で管理しておつた前記研究費の予算千六百五十万円を大阪大学並びに数人の個人に不法に配付して、その一部を佐竹が横領した事件があります。これは、当時一体あなたは御存じつたかどうか。
  309. 國武輝人

    國武証人 そういうようなことがあつたということは概略聞きました。ただ、私たちは、任務分担がはつきりしておりまして、研究費のことは知りません。引継ぎ事項だけやつておりましたので、その内容については知りません。ただ、何か調べたとかなんとかいうようなことは聞きました。
  310. 中野四郎

    中野委員 そこで、この佐竹が、その後軍事課の方に相当深く出入りしておられたのですが、あなたは佐竹とはいつごろから知り合つてそういう御関係になつたかを御説明願いたい。
  311. 國武輝人

    國武証人 佐竹さんとは、私は深い関係はございませんが、ドイツから帰つて来られたのはたしか戦時中だつたと思います。そうして向うの話をせられたときに、初めて話を聞きに行つた。何回か話はしたと思いますが、特別な関係はございません。あの人は研究の方、しかも電波兵器関係だと思いますが、私はその関係でございませんから、あまり深い関係はございません。
  312. 中野四郎

    中野委員 佐竹ドイツから相当ダイヤモンドを持つて来たという話があつたのですが、お聞きになつたかどうか。もしお聞きになつたなら、どのくらいの数量を持つて来たかということを聞いたことがあるかないか。
  313. 國武輝人

    國武証人 これはうわさでございまして、私は知りません。うわさはちよつと聞いたことはありますけれども、それは、何もそんなに特別に調べたわけでもございませんし、内容は知りません。
  314. 中野四郎

    中野委員 かりに佐竹さんがドイツからダイヤを持つて来たといたしまり。当時日本にはダイヤが非常に欠乏しておつたドイツから帰つて来られたのは昭和十八年です。最後の潜水艦によつて、危機一髪で帰つて来られたわけです。当時ダイヤモンドをそう多数持つて来られるということは、ちよつと私らの普通の常識をもつて考えられませんが、かりにそれはよろしい、ドイツから持つて来たとしますね。内地においては、必勝態勢確立のために、昭和十九年七月二十一日軍需次官の命令によつて一般ダイヤ買い上げたことは御承知の通りです。白金買い上げましたし、ダイヤを早く供出してくれというときです。そうしてみますと、当然工業用なり装飾用ダイヤの欠乏しているときであります。戦争を継続し、そして必勝の態勢を確立するにあたつて一般国民大衆のいわゆる装飾品ダイヤまで供出を求めたそのときに、当時佐竹さんが、しかも軍の中堅であられた佐竹さんが、いかに研究の方面におられたといえども、多数のダイヤを持つておられることは、ちよつと私はふしぎに思うのです。あなたは、佐竹さんがダイヤを持つて来たということはお聞きになつたとおつしやつたが、一粒や三粒のダイやならいざ知らず、持つて来られたその総数はどれだけか知りませんが、私が現実に見た数量は、碁石を入れるごけというのがありますが、あの中に約八分目ですから、相当数量のダイヤであります。こういうような品物をドイツから持つて来ることすら少々ふしぎだと思いますのに、特に日本国民に向つて政府みずからがこの供出を求めているときに、軍の中堅にある大佐中佐というような人が、自分が持つておりながら、これを隠蔽して、国家のために供出もせず、終戦時までこれを保持していることは、ちよつと疑惑が生ずるわけであります。従つて、当時あなた方が、佐竹ダイヤを持つて来たということをお聞きになつて、奇異の感に打たれなかつたかどうか、この点を証人に伺いたいと思います。
  315. 國武輝人

    國武証人 聞いたのは終戦後でございます。戦時中はそういうことは全然知りません。だから、あと調べもしませんし、またあの人がどういうふうに帰つて来たかも私は知らないのでございます。だから、ああいうのは極秘にやつていることで、私たちはそういう内容は知りません。
  316. 中野四郎

    中野委員 軍事課の当時の状況から言えば、大分減つているのです。その中でああいうように経費を千六百五十万円もごまかして、これは、ごまかしたというよりも、不法な配付をしようとした。その中から多額な金をば佐竹が横領して、これは警視庁に検挙になりましたね。こういうような事件があつたことは、当事あなたは軍事課の相当地位おいでになつていたのだから、同地位くらいの人であるから、中佐大佐地位だから、当然評判になつたんだろうと思いますが、あなたはそういうことを聞いただけで、実際上何の関心も持たずにおれたのでしようか。軍事課の中でこのことについて当時お聞きになつた感じを述べていただきたいと思います。
  317. 國武輝人

    國武証人 これは、班長としては一一報告を受けていると思いますが、おのおの分担でやつておりまして、あまり詳しいことは聞いておりません。ただ感じとして何かあつたらしいというのですけれども、ダイヤモンドをそういうふうにしていること、また金をどういうふうに横領したかということは、そういう詳しいことは今初めて聞いたのでございます。そのとき何かあつたなという感じはしておりましたけれども、その内容を詳しく知りませんし、またお前どうしたと一々聞くわけに行きませんので、それ以上つつ込んで聞いてみませんでした。
  318. 中野四郎

    中野委員 そこで、もう一点疑惑を解消して行きたいと思いますが、あなたに先ほどから伺つて釈然としないものは、航本から軍事課に接収を依頼された場合、軍事課の担当官としてあなたが衝に当られたとすれば、当然そのリストはごらんになつていらつしやる。いわんや白金塊などという相当大きなものでありまするから、これに対して目がとまらぬというわけはないと思うのですけれども、内容はあなたは見ておいでにならぬと言うから、はつきりとここで申し上げるわけには行かぬが、景山大佐の方で出されたものと、あなたの方で受取つて、そしてこれを四箇月間軍事課に置いて、その四箇月間の後に接収をされた品物とが、おそろしく食い違いがあるのです。たとえば、接収をされたものは、ダイヤモンドが一万八千カラットです。そして特にその中には白金の棒七本、吹玉と称するものが十二箇、これが全部で二千百四十三グラムあつたわけでありますが、そのほかに金の棒十二本、それから時計のバンドとか、タバコのケースというようなものを合せますと五千九百四十五グラム、そのほかのもので二万四千八百五十八グラムあつたわけなんです。あなたの御証言によれば、きわめて軽いものなんです。接収をされたものは確かに軽いものです。しかしながら、航本から軍事課に渡す間においては、少くとも二人がかりでも相当量さを感じたという品物なんです。ここに疑惑が生ずることは、あなたがお聞きになつてもおわかりであろうと思う。  それから、もう一点私の方で釈然とできないことは、あなたの方で、これは接収後に受けて来られたものですが、特殊軍需品引渡し完了の件として、当時の東京復員連絡委員長から出ておるものであります。これが総務局長にあてて出ておる。昭和二十一年二月七日の九時に出たものでありますが、この受取の中に書いてありますリストを見ますると、これは、当時の関係をした人が、こういうリストには覚えがないと言うのですが、つまり、この上に張つてあります領収をしたという引渡し完了の件と称する表紙と、このリストにある中味とが違うのです。そこに私らの疑惑を生ずる第二点が来るわけです。あなたは忠実にこの職務を遂行されたことと私は深く信じはいたしますけれども、少くとも航空本部から軍事課を通じて接収を要望された場合においては、その担当官として当然中味について詳細なるところの点検をするのがあたりまえだと思う。もしあなたが、先ほどの証言のように、リストに書いてあるからそのまま受けたのだ、何もふしぎはない、ふしぎはないとおつしやるならば、中に石ころが入つていようと、砂が入つていようと、後日国武中佐の責任になるというおそれが多分にある。当然正しい軍人の行動をしなければならぬ方が、航本の経理課員の藤堂中尉が持つて来た場合に、國武中佐が内容について十二分に鑑識しないという理由がどうしても納得できないのです。それは後日の問題ではあるけれども、接収されたその物品と、提出をした物品との間におそろしい目方の食い違いと内容の食い違いが生じて来た。そこで、あなたにはたいへん悪いけれども、担当官として、しかもその衝に当られたあなたに対しては当然疑惑の目が向けられることは一応やむを得ぬと思う。こういうことは、こういう国会の席上を通じて明らかにされて、そして今日あなたが保安隊の班長としてりつぱにお国のために再起して努力していただいておるのだから、私はそういう点について遺憾のないようにおはからいを願うことは、かえつてあなたのためでもあるし、軍のためでもあり、国のためでもあるのですから、どうか当時の状況について明らかにしていただきたいと思います。
  319. 國武輝人

    國武証人 もう少し詳しく申し上げます。職務上適当でないと言われますが、私の言つた説明をもう少し詳しく聞いていただきたい。中味を見ても私たちはわかりません。ただ包み紙に書いてあるのです。たとえば、袋に数字で何カラットと書いてあるのです。それとその表を突き合せれば、ちやんとわかるのであります。中味を見なくても済みます。それから、白金があつたかなかつたか、私が覚えておることを言つておるのでございまして、そこに書いてあるリストと、それから中味は、突き合せてみているのです。これは、開かなくても一応見えるようになつております。従つて、この数字と中味が食い違つていた、これは私としては事務上の責任を負えません。これは、自分で見てわかるものでもございませんし、その数字までは見ているのです。それで、そのリストと間違いなかつたら、私としては完全にやつたつもりなんです。従いまして、その表はだれが書いたか、私は知りませんけれども、この表と中味とは間違いないのであります。これは、私が一々点検しまして、合計までそろばんを入れてみてやつておるのですから、間違いございません。私が言いました見ていないというのは、中味を開いてないのです。袋に全部書いてわかるようになつておりますから……。
  320. 中野四郎

    中野委員 そこで、航本から渡したときには大きい三角の白金塊があつたというのです。ところが、このリストの中には、さような白金塊は、先ほどもお読みしましたが、ありませんのです。白金としては、白金の棒が七本、——先ほども景山大佐は、約七、八寸の長さの白金の棒があつたことは認めると言うのです。これはわかるのです。それから吹玉、吹玉というのは、おそらくそういうかたまりを言うのだろうと思いますが、これが十二個あつたとしてあるのです。景山大佐自分で現実に見たものは三角の白金塊でありますが、これがリストに出ていないのです。航本が実際上景山大佐の言うところのリストのままのものをあなたのところに渡されて、あなたが完全に金庫の中に入れられて、そうしてあなたのところで完全に保管されて、これが完全なる接収行為に移つたとするならば、当然なくてはならない。あるいは、景山大佐がついて来たんじやないのですが、景山さんが藤堂中尉に命じてあなたのところに持つて行く過程において、途中で紛失して、あなたのところにはそれがなかつたのか、——景山大佐の言うには、リストに照合してみて間違いないと言つておる。あなたも間違いないと言つておるのです。しかも現物を見ておられる。これは、あなたがお聞きになつてもふしぎに思いましよう。
  321. 國武輝人

    國武証人 思います。
  322. 中野四郎

    中野委員 これはどういうことでなくなつたかということを究明しなければならない。私は、ここで旧軍人の方においでつて恥辱を与えようとするのじやないのです。またこれを追究することによつて、もう八年もたつて、金にしろ、銀にしろ、あるいはダイヤモンドにしましても、消費消耗されたあとに、この人々をとがめるということは、決して私らのとるところではないのです。しかしながら、終戦後において、どこの国でも敗戦の結果においては道義は乱れた。その国の再建に必要なことは何かと言えば、根本問題は精神です。道義の頽廃をまず直して、道義的な見地からその国に対する救国の情熱をわかし得るような態勢に持つて行かなければならぬ。言いかえれば、正直者がばかを見るというような政治をそのまま放任しておいたのでは、祖国の再建はとうていでき得ないのであります。従つて、お気の毒でも、当時の疑惑はあくまでも国会の責任として追究して、悪い点は悪い、やむを得ざることはやむを得ない、よい点はよいとして、明らかにする必要があるわけなのであります。従つて、あなたはお気の毒だとは思いますけれども、私が今お話をした順序と、私らの気持はおくみとりが願えると思うのです。検察庁でも警視庁でもありませんから、取調べ云々というのではないのです。疑惑の点はあくまでもはつきりしなければならぬ。だから、景山大佐が見てあなたのところに渡す過程においてなくなつたか、中には入つてつたけれども、あなたの保管中に何人かがこれを抜いて、そうして実際上において接収の場合にこれがなくなつてつたか、この二点にかかつておると思うのです。その間の疑点の最も多いのは、きわめて早い機会に接収をされなければならない品物が、四箇月間も軍事課に置いてあつた。これは怠慢というだけでは済まない。その間における軍事課は、当時軍務局の吉積さんは浮いてしまつてつて、むしろ荒尾大佐の方がはるかに権力を持つて、実際上において軍事課を引きずりまわしておつた言つても過言ではないと思う。そういうような形において國武中佐おいでになつたときに、あなたの責任で保管して、ほとんど四箇日間どこへも微動だもさせさせなかつた、何人にもとられなかつたと、自信を持つて言われるかどうか。そうなれば、かかつて問題はあなたのところへ来るまでの航本に疑惑が集中しなければならぬ。このことを伺うのです。どうしても疑惑が解けない。このままでは国民が釈然といたしません。それで伺つておるのです。現実に白金塊は三角のものがあつたという証言をしておるのです。ところが、これは、あなたは接収はリストの通りだと言われるが、リストの中には出ておらない。そこで、私が今申し上げたこのリストを示して、当時の係官にこのリストに覚えがあるかどうかと力をつけて言つたところが、内容において覚えがない、またこういうようなものをあれしたことはないと言う。そうしますと、表面はなるほど引渡しの判が押してありますから、東京復員連絡委員長のものではありましようけれども、中の実際のリストというものが、すりかえられておのではなかろうかというような疑いが起つて来る。だから、私は、今の品物がどうしてなくなつたか、ただこの点がふしぎなんです。あなたが保管中に実際上何人もこれに手をつけることができなかつたよう状態にあつたかという点を伺つておきたいと思います。
  323. 國武輝人

    國武証人 この精神的の問題につきましては、今言われたのと私はまつたく同感なのであります。気持が乱れて再建はもちろんございません。今私たちが痛切に感じておるのは、国民の気持がほんとうに立ち直ることなのであります。私は、そういう変な感じで今までやつて来たことは一回もないつもりであります。これはほかの人に聞いていただいてもけつこうでございます。どこまでも私たちは人間としてはまじめにやつて行きたいと思つておるのでございます。ただ、今聞きますと、私たちが今まで気がつかなかつたところに欠点があつた、これは私も今びつくりしております。私のやりましたいきさつから、さつき申し上げましたように、そのリストは、確かに引渡したときのリストで、引継いだときのリストです。これに違いはないのです。このリスト中身も間違いないのでございます。受取つた箱は、これはさつき言つたように金庫に入るのです。しかも古い箱なので、新しくつくつたような箱じやないのです。それで受取つて、その箱の中には一ぱい詰まつておるのであります。あれ以上のものは入りません。だから、もしそれ以上あつたら箱が違つておるのであります。とにかく一ぱいで、ちよつとほかのものを入れるような余地はありません。だから、私は、これで大丈夫だと思つて信用いたしました。それから、中の問題、あるいは動いたということもあるかもしれませんが、私の持つてつた判で封印したやつの引渡しが、事務的には確かに遅れました。これは私も怠慢であつたかもしれません。そこに責任は感じますが、動いていないことだけは確実だと思います。封印は一つも切れてないのです。
  324. 中野四郎

    中野委員 それで、食い違いが生じて来るのは、景山さんの言われる三菱倉庫から持つて来ました箱は、金庫の中に入るような品物じやないのです。あなたのおつしやる深さ五寸あるいは一尺五寸というような金庫の中に入る品物と違うのです。もつと大きなものなんです。茶箱の小で、いくら茶箱が小さくても、金庫の中に入る茶箱はありはしない。茶箱というのは、大が三尺五寸か四尺ぐらいあります。中くらいのでも、やはり二尺五寸ぐらいあります。小さい茶箱というものはありますが、所々によつて違うかもしれませんが、一尺五寸ぐらいあるはずです。少くとも一尺五寸から二尺あるはずです。深さも相当深いものなんです。してみると、あなたのおつしやる五寸、六寸の深さとは違うわけです。そうすると、軍事課で航本から受取つたその箱というものは、きわめて小さい、金庫の中に入れる可能性のあるものであつて、景山大佐の言うような、一尺五寸ないしは二尺の、深さ一尺あるいは一尺五寸というようなものでないということだけは、あなたの御証言によつて明からになりますか。
  325. 國武輝人

    國武証人 これは、私はそういういきさつはわかりませんが、とにかく幅はこのぐらいでしようか……。
  326. 中野四郎

    中野委員 約二尺ですか。
  327. 國武輝人

    國武証人 二尺ありましようか、どうでしようか。高さがこのくらいでしようね。
  328. 中野四郎

    中野委員 一尺ぐらいですな。
  329. 國武輝人

    國武証人 そんなものだと思います。幅はこのくらいでしよう。
  330. 中野四郎

    中野委員 中にトタンが張つてありましたか。茶箱ですか、トタンに類似するようなもの……。
  331. 國武輝人

    國武証人 トタンはなかつたと思います。
  332. 中野四郎

    中野委員 中に何か張つてつたというような……。
  333. 國武輝人

    國武証人 私の記憶では、そんなものはありません。
  334. 中野四郎

    中野委員 そうしますと、大体今の箱を聞いてみると、似通つておるのですが、茶箱ですから、上の方に少さい薄いふたがかかるわけなんですが、あなたのところの金庫というと、何のことでしよう。そういう箱が入る金庫というと、何か大きい何号金庫というのですか。あるいは鉄のロツカーのことを言うのですが。どういうことですか。
  335. 國武輝人

    國武証人 あれは、どれでございましたか、金庫の厚さはこのくらいあるんじやないですか。それで、幅はこのくらい……。
  336. 中野四郎

    中野委員 何号金庫です。
  337. 國武輝人

    國武証人 どのくらいあるのですか、このくらいあるんじやないですか。
  338. 中野四郎

    中野委員 あなたは長くおいでになつたから、その金庫を——普通竹内の金庫とかなんとかいう金庫がありますね。その何号金庫ぐらいに属するものか。それから、金庫の中は、御承知のように、桐の箱がみなついておりますね。
  339. 國武輝人

    國武証人 ついていません。
  340. 中野四郎

    中野委員 がらがらのものですか。
  341. 國武輝人

    國武証人 書類金庫です。
  342. 中野四郎

    中野委員 そうすると、普通の金銭を入れる金庫でなく、鉄のロッカーのことですか。
  343. 國武輝人

    國武証人 そうです。
  344. 中野四郎

    中野委員 そうしますと、あなたのところの書類のロッカーの中は、当時は書類を全部焼いてしまつて、みながらからだつたのかどうか。
  345. 國武輝人

    國武証人 終戦後につくつたものはありましたが、その前のはありません。
  346. 中野四郎

    中野委員 もう少し詳しく……。
  347. 國武輝人

    國武証人 戦争中のやつはみな焼いてしまつたのでございます。それで、終戦後に、向うに言われてつくつたもの、あるいはこつちでいろいろ準備したものはその中へ入つておりましたが、そのほかは全部からでございます。
  348. 中野四郎

    中野委員 そうしますと、そのかぎはあなたが終始持つてつたわけですね。それは、その鉄のロッカーに入れるぐらいな貴重品ですから、かぎがあると思う。そのかぎはだれが保管して  おつたのですか。あなたが山下奉文将軍の証言に行かれたとき、そのかぎはだれに保管をゆだねて行かれましたか。
  349. 國武輝人

    國武証人 かぎは、かぎ箱に入つておりまして、かぎの保管者が保管しております。
  350. 中野四郎

    中野委員 だれが保管しておるのですか。
  351. 國武輝人

    國武証人 かぎを保管する責任者がおるのです。
  352. 中野四郎

    中野委員 何というんでしよう。
  353. 國武輝人

    國武証人 これは庶務の将校だと思います。かぎ箱がありまして、それに全部毎日しまつてるいのです。個人ではそのとき持つておりません。
  354. 中野四郎

    中野委員 そのかぎを左右しますのに、あなたの命令以外にはかぎを使うわけに行きませんか。他の上官の命令ならばそのロツカーをあけることができるのじやないですか。
  355. 國武輝人

    國武証人 金庫はあけられます。
  356. 中野四郎

    中野委員 つまり、あなたの言うのは、航本から来たその箱にあなたが封印をして判を押したんですね。そうしますと、これを接収されるときには、金庫は自由にあけられるが、その箱だけは一切あなたの封印は破れていなかつた——それは箱の品に封印をしたんでしようね。中身じやなく、箱のふたをしたところに封印をして、そうして判を押したものが、全然間違いなかつた、こういう意味ですか。
  357. 國武輝人

    國武証人 封印をいたしましたのは、箱がかぶさつておりまして、その境目に幾つか封印をしております。一つじやございません。従つて、あけたらわかるはずなんです。判だけは私はいつも持つております。
  358. 中野四郎

    中野委員 大体私が今までの國武さんの御証言を伺つた過程におきますと、中のかんじんなものが漏れておつたとすれば、それは航本からあなたのところまで来る過程と言わざるを得ないのです。ところが、航本の話では、あなたのところへ行くのにそのまま持たしてやつた言つておる。中間に入つた藤堂中尉を呼なければわかりませんが、どちらにしても、内容が相当食い違つておる。これは非常に奇怪しごくだと言わざるを得ない。  それから、もう一つは、たつた一人佐竹さんの問題を目のかたきとするのではないけれども、ああいう第三科長をしておつたような人が、一般国民ダイヤを強要しておつたようなときに多量ダイヤを持つてつたとか、特にダイヤを持つてつたのみならず、一陸軍大佐が何百万円という金を自由に動かし、当時の金にすればたいへんなものですが、六十万というような金を、自分の上官であり、あるいは友人であるところの伊藤大佐に持つてつてこれを渡すとか、——その伊藤大佐という人は、当時のダイヤモンドを管理しておつた一番の責任者です。これはあなたの方の関係ではありませんが、とにもかくにも、今度の陸軍海軍の解散にあたりまして、当時包蔵しておつたところのダイヤとか貴金属をどういうわけか接収をしぶつたのです。この接収をしぶる気持はわかるのです。敵が上陸して来て、これをかつてに持つて行かれるということは、お互い軍が南方にあるいはその他の諸地域において接収したときのことを考えれば、当然起り得ると思うのです。しかしながら、それを私するということは断じて許すべきではない。ところが、そういう私するような過程が多分に出て来たのです。それで、私らは、あなたには職掌柄御迷惑だから、おいでを願うことは好ましくなかつたのだけれども、しかしながら、やむを得ずおいでを願つてつたわけです。私は、今日のあなたの証言を中心にして航本関係の取調べを進めて参りますけれども、ただいままで御証言なすつたことは、もちろん最初に宣誓をなすつて、良心に従つて正直に真実を述べられたことと思いますが、これはあとになつてよくあることですが、あそこのことは食い違つていたというようなことで取消されたのでは困るのですが、今までのあなたの御証言は間違いなく事実に基いて述べられたものかどうかということを、もう一ぺん速記録の上に載せておいていただきたいと思うのです。
  359. 國武輝人

    國武証人 今言われたことに、気持の上ですつかり同意なんです。確かに向うに渡したくないという気持は幾分働いたかもしれません。しかし、それだからといつて、私は、私するようなこともいたしておりません。事務手続は確かに遅れて、これはまずいと思います。ただ、私の言える範囲は、私に入るまでのことは知りません。また私の手を離れてあとのことも知りません。しかし、受取るときは、そのリストに従つて内容を点検して、間違いがありませんでした、保管中は、ちやんと封印をして、その封印は切れておりません。従つて、内容については、そこにあつたものはそれだけ、その内容もかわつてない、これだけははつきり言えると思います。
  360. 吉武恵市

    吉武委員長 他に御発言はありませんか。——なければ、國武証人に対する尋問はこれにて終了いたします。  証人には御苦労さまでした。     —————————————
  361. 中野四郎

    中野委員 証人を喚問する都合もありますけれども、これはいずれ理事会で御相談するといたしましても、この際委員長にお願いしておきたいのは、この日本銀行の地下室にある接収解除の物件ですが、これに対してすみやかに処理方法をとらなければならぬので、かねて理事会でも決定し、委員会においても決定いたしましたように、理事を至急御招集願つて、この処理についての御相談を願うように、特にお進め願いたいと思うことをお願いしておきます。
  362. 吉武恵市

    吉武委員長 次会は公報にてお知らせをいたします。  本日はこれにて散会をいたします。     午後三時四十三分散会