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戸塚国務大臣 このたびの西
日本における
災害は稀有のことでありまして、まことに遺憾なことであります。ただいま宮中に
伺つて概況を奏上して
帰つて参つたようなわけであります。つい遅れて参りまして、まことに申訳ありま
せん。
二十六日の午後三時ごろ第一報を受取
つたところ、増水の
状況、
降雨量等を勘案して、これはたいへんなことになりそうだという予感がいたしました。飛行機の都合がありましたので、その翌朝
河川局長と厚生省の
社会局長にただちに行
つてもら
つたのであります。その後の
状況で、一応こちらの
打合せを済ませて、二十七日の夕方三時二十分
日航機で東京を出発いたしました。
福岡に着きましたときは非常な雨の中で、着陸など困難であ
つた関係もあ
つて、
福岡県庁に
参つたのは十時過ぎでありました。その後三日間滞在いたしまして一昨七月一日の夜の十時ごろ羽田に
帰つて参つたわけであります。その間最も
被害の甚大であ
つた福岡県、
佐賀県、
熊本県のほんの一部ではありますが、なまなましい
被害状況を視察いたしました。親しく
罹災者に接して慰問と激励の辞を送り、なお
現地当局とも
打合せもし、督励もいたしました。それぞれ必要な
措置を講じたつもりでございます。
今回の
梅雨災害は主として
福岡、
熊本、
佐賀、
大分、長崎、山口の六県にわた
つて、甚大なる
損害をもたらしておりますが、その主たる原因は、従来の
記録をはるかに突破したほんとうに異常なる
降雨によるものと考えられます。その雨は二十五日の朝以来二十九日に至る五日間、二十九日は大体小やみにな
つておりまして、
福岡辺ではほとんどやんでおりました。このときは
梅雨前線がやや南の方に行き、その前日は北の方に行
つた。とにかくこの五日間あの辺に
梅雨前線なるものが停滞してお
つたような
状況でございます。その
ために連続の雨とな
つて熊本県の小栗、その他の
山間地帯における総
雨量は千ミリと称せられております。また
平地におきましても、
福岡あたりで六百ミリ、いずれもいまだか
つてない
記録である。
福岡の
気象台長に聞いたところでは、従来の六月の
雨量の
記録は四百五十と言
つておりまして、かれこれ
平地においても倍の所が
相当に多か
つたということであります。これが
ために各
河川は増水して、降水、すなわちオーバー・フロウ、そういうわけで
堤防が至るところで破壊されました。特に
大分、
熊本、
福岡、
佐賀の四県にまたが
つております
筑後川は、全面的に
堤防が
決壊したとい
つてもよろしい。また
決壊箇所は、ただいま四十一箇所と
調査をされております。こういうわけで、濁水が
筑後平野に浸入して、五万
町歩に及ぶ
沿岸一帯がど
ろ海と
なつたというわけであります。
また遠賀川は、直方の少し
下流に
植木町というのがありますが、この
植木町から一キロばかり
下流の所で
左岸が
決壊をいたしまして、
植木町
はちようど孤島のようにな
つてしま
つた。その
左岸から流れた水が突き当る所が鹿児島本線、
国道三号線、こういう
重要幹線交通路まで破れたのであります。もつとも
鉄道の方は、水がかぶ
つておるのであ
つて、ひどくこわれたところはないように聞いております。そのほか矢部川、
熊本県では菊池川、白川、緑川、
大分の
大分川、大野川なお
佐賀県の嘉瀬川、こういう川の
本川、支川がほぼ同様な惨状を呈した。この
ために道路、
鉄道の
交通機関が杜絶して、家は流れあるいは屋根まで浸水をする、
耕地は土砂で埋まる、
耕作物は流れる、炭鉱は水につか
つて作業停止のやむなきに至
つたものもある。
総
被害は目下
調査中ではありまするが、おおよそ一千数百億に及ぶものと見受けられております。また人命は、これも
損害の莫大なものでありまして、三十日現在で死亡、行方不明、負傷合せて二千名と
報告をされております。家屋の
損害は三十一万戸
罹災者は百五十万人に達しようとしている、
耕地の
損害も十伍万
町歩になんなんとしておるのであります。特に
筑後川下流部の
平野の広汎な区域にわた
つて、
筑後川の
本川の水位が低下しない
ために、今なお湛水してその減水はきわめて遅々としておる状態であります。
なお、特に惨状のはなはだしか
つたと思いましたのは
熊本市であります。子飼橋という橋がありますが、その
左岸地帯で——これはなお後に詳しく申し上げますが、二十六日の夕方一瞬にして百数十世帯を流した、人命も百数十を失
つたというような状態であります。
炭鉱の
被害は、
福岡県で百八坑、
佐賀県で二十坑、計百二十八坑が水が入
つたというように
報告されております。この
被害額が二十六億と見られております。
鉄道の
被害については、
河川の氾濫と同時に鹿児島本線、長崎本線、日豊線を初めとして、ほとんど全線が不通になり、現在なお十数本の不通線がありまして、特に関門隧道は浸水の
ため本州と九州との連絡が杜絶し、ただいま海上連絡をはか
つておる実情であります。目下の予想では、九州地内の
鉄道はおおむねこの五日ごろまでには全通させたいという努力をいたしております。関門隧道の開通は今月の二十日ごろになるものと予想をいたしておるのでありますが、交通、通信諸施設の復旧が、今次
災害復旧施策中最も緊要なことと考えられますので、この点に重点的に努力をいたしております。
なお、この
災害につきまして、各県ともそれぞれ
災害対策本部を設置し、ただいままでのところでは——と申しますのは、私が帰るまでのところでは、人命の救助及び
罹災者に対する食糧、衣料の配給あるいは伝染病に対する予防というようなことに全力を注いでおるのでありますが、これらに必要な運搬用の船が非常に熱望されたのであります。
災害突発当時から各地に船が不十分であるので、ほかに
方法がないので、特に船が方々から要求をされておるような次第であります。これには米軍の援助を求めたり、あるいは保安隊の出動を要請するというようなことで、いずれも非常に熱心に協力して救助、救済の活動が続けられております。なお重要交通路を確保する
ために、流失した橋に対しては仮橋をかけたり、あるいは迂回路を設けるというように緊急な
措置をと
つております。
久留米の病院から患者を輸送するのに、非常に米軍が協力してくれた。これは一例でありますが、そういうことがあり、また
佐賀県の神埼町というところに城原川という川があります。これは小さい川でありますが、
国道の橋が流れたのに対して保安隊が出動して、たまたま持
つてお
つた資材で短時間に仮橋をかけたというようなことも目ざましい活躍の一つであります。
政府におきましては、今回の
災害の甚大なのにかんがみて、
災害発生とともに、時を移さずという
意味で、私並びに篠田農林政務次官以下
関係官が現地におもむきまして、各
関係機関を督励して、
罹災者の救助、水害防除及び応急復旧に当るとともに、現地並びに内閣に西
日本災害対策本部を設けまして、
災害対策に万全を期しておることは御承知の通りであります。水も一両日前からだんだん減水して参りました。これからいよいよ本格的の復旧工事も可能とな
つて参つたのであります。とりあえず
筑後川外直轄
河川の応急復旧費として
昭和二十八年度
災害予備費から六億円の支出を決定いたしました。これと同時に、地方団体の公共施設応急復旧の質金に充当する
ために、これもとりあえず
資金運用部資金から
福岡、
佐賀、長崎、
熊本、
大分、山口の各県に対して、合計十億円を融通することにいたしたのであります。また今回の水害によ
つて流出、倒壊した戸数は四千五百戸に達しております。これらに対しましては、とりあえず、
災害救助法を
発動して、応急バラックを
建設して、
罹災者を収容いたし、なお今後は公営
住宅の
建設なり、
住宅金融公庫の特別
融資というようなことによ
つて遺憾なきを期して行きたいと考えております。
なお、以上のほか、被災地の国税の減免あるいは稲の苗の補給等の応急
措置を講じておるわけでありますが、さらに根本的に将来再びかような
災害の発生することを防ぐ
ために、従来の治山治水の計画にさらに再検討を加えて、治水の万全を期する要があると存じまして、さつそく研究にかか
つておるような次第であります。
このほか治安
状況は、最もはなはだしか
つた熊本市内におきましても、
熊本県
知事が申しておりましたが、こうした非常な混雑の割に平静であるというようなことで、全体もそのように承知いたしました。
それから、先ほど申しましたが、伝染病のことは、すでにこの
災害の前から
福岡県あたりには二千名も赤痢患者があ
つたというようなことでありまして、こうしたあとは、どこでも伝染病が非常に蔓延するものでありますから、私は各県の
当局者に会う人ごとに、この点を特に注意をいたしておきました。
その他ただいま申し上げましたようにまだ交通、通信いずれも困難あるいは不能の
状況でありまして、各地との連絡はきわめて不十分であります。まだ私が帰りますまでは、どつちかといえば今申し上げたように救助、救恤、救護というようなこと、あるいは物資の手当というようなことに全力が注がれておるようなわけでありまして、まだ復旧という段取りには十分に入れないような
状況であります。今後湛水しておる水が引いて来るに
従つて、
被害もまだふえて参りましよう。同時に、それによ
つて各地からの
報告な
ども詳しくわかることと思います。各県ともほぼ連絡ができておりますが、まだその県内の各地には、とうてい連絡等がとれない所が多いような
状況でありますから、おのおのさらに今後の
報告を待
つて皆様にも御
報告申し上げたいと存ずる次第であります。
一応の
報告でありますが、今申し上げたように、実際交通が不便でありますので、どこへ参りたいと思
つてもなかなか参れま
せん。私としては、せめて
福岡、
佐賀、
熊本、これだけは県庁だけでも何とか行
つて来たいという気持は初めから考えてお
つたのでありますが、二十七日の夜着きまして、その日は県庁でいろいろ
打合せをし、当時
知事は久留米へ見舞に行
つたまま帰れなく
なつたというような
状況であります。そのあくる日の二十八日は、御承知のように非常な豪雨でありまして、この日だけでも一つの洪水になろうかというような、二百ミリくらいの雨が降
つたようでもります。そういうわけで、その目に駐留軍の飛行司令官が、何とかして上空から見せてやろうということで、私
ども飛行場まで行
つてしたくをして、しばらく待たされて待
つてお
つたのでありますが、どうしても雨がやまない。やむを得ず今日はだめだということなので、ついでと言
つてはあれですが、
筑後川の沿岸になるべく近いところ、ちようど
佐賀県と
福岡県の境目で大木川という支流がありましてその支流の行けるところまで行日
つてながめて帰
つて来ました。その辺に支流がだんだんとありますが、いずれも本流の
決壊から来たので、横つ腹をみな破られたようなかつこうで、一望のど
ろ海でありました。その次の日には、また飛行機のことを考えましたか、まだ天候が定ま
つておりま
せんので、そうこうしておるうちに時間をむだにしてはいけないと思
つて、
佐賀県にとにかく入ることにしました。鳥栖から久留米の方へ行くところを少し入るだけ入
つて筑後川に約三キロの地点まで参りました。その辺は
鉄道の線路もまだ水につか
つておるというような
状況で、久留米に入ることはできま
せんでした。
それからただちに
佐賀県に向いまして、先ほど申し上げました保安隊が仮橋をかけてくれたところを渡
つて、また
佐賀へ行く
国道はトラックの輪がちようどつかるくらいに、
国道自身がまだつか
つておりました、
佐賀へ三キロか四キロあるでしようか、そのうち三分の二くらいはまだ水であ
つた、こういう
状況であります。県庁でいろいろ話を聞いたりして帰
つたわけでありますが、
佐賀市内も、全部ではありま
せんが、ほとんど水をかぶ
つたのであります。私が行
つた時分には少し低いところはみな水につか
つていた。
国道も、反対側の
国道もやはり水につか
つてお
つて行くことができないというような状態でありました。
その次の目の昼ごろ、幸いにようやく飛行機が出られるということで、昼少し前でしたか、軍用機に乗せてもらいまして上空から
筑後川の河口、それから
佐賀市、ずつと上流へ行
つて大分県に入
つた夜明という発電所のあるところ、その辺までずつと見てまわ
つて続いて
熊本に入
つたのであります。
熊本市は上空から見たところ、これはほんとうに全面的に水をかぶ
つたということが明らかにわかるような状態でありました。と申しますのは、上から木材の流れ着いたのが至るところにばらばらと上から見える。郊外二里のところに着陸いたしまして、それから県庁へ行き、その間に市内の急所を見せてもら
つたり、先ほどの
報告の中で申し上げました子飼橋というところ——これは
熊本市内の一番おもな道路、
国道で電車の通
つておる大きな道からちよつと横へ入
つた、つまりそれに沿
つた白川にかか
つておる橋であります。この橋の——たとえばこれだけが橋といたしますと、この橋はコンクリートづくりの橋なんですが、これに流れて来た木材や家のこわれたのが全部ここにとま
つて、それがどのくらいありましようか、ここにほかの写真の例がありますから、あとでごらんに入れますが、水口をふさいだようなかつこうにな
つておる。そこで水がはけ口を求めた結果、この川はちようど向うからこういうふうにまわ
つて来ておるのでありますけれ
ども、そこも家があ
つたところらしい。これををぶち抜いて、この家を全部流してしま
つて、そしてこつちが詰ま
つておるから——ここも道路があ
つて、両岸も家でしようけれ
ども、これをぶち抜いて、新しい川ができているただいま百数十世帯と申し上げましたが、まだまちまちで、その
土地の人の言うことでもわからない。二百世帯という人もあれば、いや百何十世帯だというような状態で、またさつきも死骸が一つ上
つたというようなぐあいで、流れたのももちろんありますというような惨状でありました。
熊本市内の白川にかか
つた橋が十三あるそうで、そのうち残
つているのが二つだということです。市内は完全にオーバー・フロウで、上流から持
つて来たどろがみな各家に入
つている。県庁も水が入る。
知事公舎などは、川岸にありますから、ずいぶん高いところまで入
つておりました。私の行
つたときは、ちようど水が引いておりましたので、各戸家の中に入
つたどろをかき出しておる。それが雪国で屋根から雪を落して雪がたまるように、一間ぐらい両側ずつとどろがたま
つている。これをぼつぼつ運んでおるというような、ちよつと見た者でないと、ぴんと来ないかもしれま
せんというような状態であります。
一昨日、五時の飛行機に乗る前に、今度は遠賀川の筋へ行
つて見たのです。遠賀川の
植木町というところから
左岸に普通水路がこうあるのが、これを
堤防式に打切
つて川筋がかわ
つておる。それで
左岸一帯が水浸しにな
つていまだに湛水しておる。そして途中の道路もこわれておるというようなわけで、現場へ行くことができま
せんでした。行くにしても非常に迂回するので、時間がかかるというので、やむを得ず私はむしろ湛水の
状況を見る
ためと思
つて——これからちよつと五、六キロ下が
国道で、遠賀川の駅があります。その方へ行
つてみよう。そこへ行く
ために、海老津という駅から——海老津は遠賀川駅の手前の駅でありまして、それを通
つて行くと、間もなく
国道が水につか
つておる。そこを船で渡してもらいました。和船で十分か十五分ぐらいこいで行く距離がある。それから今度線路へ上
つて、そして駅へ出る。駅からさらに鉄橋まで行
つて、様子を見て来ました。本線の方は水がすつかり引いてしま
つて、ほとんど平生に近い。これも河口がとま
つたようなもので、
左岸一帯芦屋に至るまでが水浸しにな
つておる、まあこういうような
状況であります。
そのほか門司は風師山という山があ
つて、その山は
国道の南側でありますが、山くずれがあ
つて、
国道を突破して
国道の向い側まで行
つております。これは行
つてみることができま
せんでした。
小倉は山くずれでなく、水の方である。これが関門隧道におどり込んだという状態であります。
相当どろを運んでいるので、この片づけが二十日ころまでかかるという状態であります。
かわ
つたところでは、長崎県の北松地帯と申しますか、炭鉱のあるところでありますが、ここはこの前にもあ
つたらしいんですが、地すべりが数箇所あ
つて、それと隣接した
佐賀県にも地すべりがあ
つた。これはほんのお話ですが、私が
佐賀の県庁に行
つているときに、そこヘ
報告の出てお
つたのでは、死者二十四名と書いてある。と言
つているうちに、鉛筆で直して来たのが、もう二十五人追加するという。それは北松地帯の地すべりです。
まだ何分にも混雑しており、繰返し申し上げますように、交通なり通信が十分でありま
せんから、各地の模様がまだすつかりわか
つておりま
せん。順次
報告に
従つて申し上げたいと思います。簡単でありまするけれ
ども、大体以上でございます。