○岡崎国務
大臣 この点につきましては、実は法律的には、はつきりいたしておりません。しかしながら、まずわれわれの
承知しておるところでは、同様の状態はイタリアにもありましたし、ドイツにもあ
つたのであります。そこでそういう援助の
関係については、正確には私は覚えておりませんが、イタリアとかドイツとか
——ドイツなど特に六割ばかりを帳消しにして、残りの三割何分というものをたしか三十年間に
支払うということにいたしておると思います。当時の
状況を見ますと、
終戦のときは私は
終戦連絡中央事務局の長官をや
つておりまして、直接
司令部と交渉する立場にありましたけれ
ども、もう実に内部は、はなはだしく混乱しておりまして、アメリカから何でも援助の
物資が来ますれば、それを帳面につけるでもなければ、量目を正すでもなく、すぐ
公団に渡したりなんかして、配給の遅配しておるところを埋めるということで、ほとんど右から左にという
状況であ
つたのであります。こういう
状況でございますから、その当時これはもらうものであるとか、あるいはあとで返すものであるとかいうことでなく、ともかく物をもらわなければならぬという非常にせつぱ詰ま
つた状況で物が来てお
つた。それはだんだん直りましたけれ
ども、初めは確かにそういう状態でありました。またこんなことを申すと、こういうちやんとした
委員会の席上で、はなはだ恐縮でありますが、笑い話でありますが、こういうこともよく伝えられておるのであります。スペインでアメリカと援助の交渉をずつとや
つてお
つた。どうしてもうまく援助が来なか
つた。そのときにスペインの最も有力な人が、それはもうわけはない、アメリカから援助をもらおうと思うならば、あしたでももらえる、どうするのだと言
つたところが、アメリカに宣戦を布告して、アメリカに負けて、スペインをアメリカに占領してもらう、そうすれば、
日本のようにどんどん援助が来るから、それが一番いい
方法だ。こういう笑い話もあるくらいで、つまりそれを申し上げたのは、占領軍として、占領地の秩序を維持し悪疫を防いでやるという、いわゆる占領行政の範囲だけであ
つたか、それ以上であ
つたかということになりますと、
日本のあの当時からの回復の
状況を見ましても、占領行政の必要限度以上を越えての援助が来たということは、私は否定できない事実だと思います。そこでこれに対して
国民も非常に感謝しておりますが、これはただでもら
つたから感謝したのだとか、返さなければならないなら何も感謝することはないのだという議論もよくありまするけれ
ども、あの当時、かりにあとで返すにしましても、食糧その他非常に不足したときに、とにかく立てかえでも何でも
日本にあれだけのことをしてくれる国は、私はほかにはなか
つたと思うのです。アメリカがや
つてくれたからこそともかくあの急場をしのげたのでありまして、またあの急場をしのいで今日のような一応の経済の基礎が成り立
つたところまで援助が続けられたということは、これは返す返さないの問題にかかわらず、私は非常に感謝してしかるべきところがあると
考えております。そこでわれわれとしましては、ドイツその他の例も
考えまして
——またその前に第一次欧州大戦のあとでルール等を連合軍が占領しましたが、そのときなどは占領費などを非常に強く取立てて、ルールの
国民が非常に困
つた事態な
ども考えまして、これは債務と必得てしかるべきものだとわれわれは
考えておるのであります。但し、いまだ額等において何ら話合いがついておりませんから、債務として国会の承認を求めるところには行
つておらないのでありますが、ともかく債務と必得ておるという立場をずつと続けております。アメリカ側としては、その点いかにするかということについては、明確な意思表示はいたしておりませんけれ
ども、われわれの
考えを了承いたしておるとは
考えられるのであります。いずれにしましても、実際に
ガリオアその他の
物資が正確にどれだけの
数字で来ておるかというその
数字の基礎だけははつきりしようじやないかということは、占領当時からアメリカ側もい
つて来てお
つたのであります。われわれもこれを返すとか、あるいは債務と認定するかどうかというような問題は別にしまして、そういうことはすべきであると思
つておりましたけれ
ども、
先ほど申したように、当時急場に間に合せた意味で
書類等も十分ではないものもありましようし、またそれがどこに行
つたか正確に跡をたど
つて今からはつきりさせるということについても、よほどこれは綿密にその当時の
資料を集めなければできないことであります。またよく
調べると、一部はたとえば
朝鮮に行
つたかもしれぬとか、あるいは沖縄に行
つたかもしれぬという種類のものもあるかもしれないという点もありますので、まだ帳面とつき合せて、これだけが実際
日本に来たのだということをやるだけの
資料が、こちらに整
つておらない、これは早くやらなければ、おそくなればなるほどそういう
資料が散逸する心配がありますけれ
ども、いまだそういうところまで行
つておりませんために、まだ先方の話合いに応じておりません。それが現状であります。