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山本(勝)
委員 前回質問いたしましたことをもう一度繰返したいと思うのであります。
年次経済報告、いわゆる
経済自害並びにこれまでの
委員会または本
会議において
経済審議庁が述べられている
日本経済の
現状分析に関する問題であります。
かいつまんでもう一度申し上げますと、
日本の現在の
経済状況を分析すると、
生産面におきましては鉱工業あるいは
農業それぞれ違いましようが、とにかく
戦前基準年度である
昭和九年から十一年までの
平均に比べて四割
生産が超過している。つまり
戦前よりも
生産活動が多くな
つておるというようなこと、ところが
消費水準というものは昨
昭和二十七年はその前年に比べても一六%も
上つたというにもかかわらず、なおかつ
戦前の
基準に比べて九六%、つまり
戦前の線までまだ届かないという。しかも
貿易の方は三〇%そこそこまでしか復興していない。
朝鮮特需の中で
消費特需を含めましても三六%にすぎない。それから
資本蓄積はここに書いてあるかどうか知りませんが、一般に
戦前よりもはるかに低いと言われておる。そうすると全般的に見して
生産がふえて
消費水準が元に届かないで、
貿易はひどく少くて、
資本蓄積は少いということの、そういう
生産のインデックス、指標の間の平仄が合わないと思う。どこかに
門違いがあるのではないか、大ざつぱに考えますと、
生産から
消費を引いて残りが
蓄積にまわるか、あるいは
貿易として
外国に行
つておるか、こういうことがごく大ざつぱに言えるのではないかと思うのですが、
生産が増して
消費がこれに伴わない。
外国へ行くのは少い、
蓄積も少いということはどこかに間違いがあるのではないか。先般も
貿易の三〇%というものは何かの計算の間違いではないかというふうに申したのでありますが、
審議庁の方からいろ川、こまかな調べをいただいて、まだよく見ませんけれども、一応御
説明をただいま聞いたのでありますが、
貿易の方が
戦前に対して
輸出面においては三十何。パーセントにすぎないということは、どうも
根拠がありそうであります。かりにそこに
根拠があるとすると、
欝積の方が実際の世間で言われて出るよりも多いか、あるいは
国民の
消費水準が実際に言われておるよりもひどく高い、あるいは
生産指数がもつと低いということになるのじやないかと思いますが、私が勘で考えたところでは、
国民の
消費水準が九六%というのは間違いで、おそらくこれは一二〇%にも二三〇%にも
戦前よりも上
つておるのではないかというように考える。これは勘で考えたのですけれども、この
年次報告を実はタベもこまかく統計や何やら見てみたした。そうすると、どうもいよいよも
つて私は、
消費水準が
戦前に及ばぬというこのインデツクスが間違いだという確信を深めておるのです。これについて
審議庁の専門にこういうものをや
つておられる方の御
意見をひとつ伺いたいと思うです。
この
報告の
附表の九十四
ページ、76ノ1、それからその次の
ページ、76ノ2、これをいろいろ調べてみたのでありますが、そうするとここに
生活物資主要品目供給量、そういうのが出ております。これが
生活物資の
主要品目供給量でありますから、
消費水準というものもをわれが考える場合の大きな一つの
根拠になるものだと思いますが、これを見ますと、米については一人一日
当りの米の分量が
基準年度である
昭和九年ないし十一年に比べて、三十七年の数量は、これを割合で示しますと七七%にすぎない、これは七七%にすぎないが、その次の
小麦は二七五にな
つている、つまり
基準年度の一〇〇に対して二七五でありますから、これは倍よりもはるかに多くな
つておる、それから
大麦はこれを計算してしてみますと三六六になる。そうすると米の方では二三%ばかり減
つておるんです、七七という
指数になるのでありますけれども、しかし
小麦が二七五、
大麦が三六大といたしますと、これを
平均してみると二三九ということにな
つて、倍よりもはるかに大きいということになる、これは
戦前よりも
米麦を含めた
主食を倍以上食
つているということは常識上考えられないのですが、おそらくこの
国民一人
当り云々というのは、
大麦ないし
小麦において人間だけが
食つたのでなしに、ほかの牛や馬が
食つた分まで入
つておるに相違ないと思うのです。そうでなければどう考えた
つて倍以上
食つたということは考えられない。しかし少くとも
米麦を含めて考えると、
戦前よりも
主食を少く食
つておるとは言えない、二三九%もよけい食
つておるとは考えませんけれども、少くとも
戦前並に食
つているだろう、ことにその次の
魚介類というのが、これは
戦前の
基準に比べて二一七でありますから二七%だけ
戦前より多い、肉類は一二八でありますから、二八だけ多い。その次の卵は一〇八になるからこれも八だけ多い。それから
牛乳及び
乳製品というのでありますが、これは二三八でありますから、倍以上ふえておる。そうすると米は七七%で確かに減
つておりますけれども、それが麦の点でうんとふえて、しかも
牛乳、
乳製品が非常にふえておる、それから卵がふえており、肉もふえており、ずつと後に
行つて食用油というのが一四六で、これもふえておる。こういうふうに考えますと、
ハン食がふえたということは、確かに
結論として言えるだろうと思いますが、肉がふえており、卵もふえており、
食用油もふえておる、そうすると私は、食生活に関する限りにおいては、
戦前よりも
生活程度ははるかに上
つておるという
結論が
——例外はありましようけれども、
平均して出て来るのではないか、こういうふうに思うのであります。それからその
ページの一審しまいに
繊維製品というのがありますが、これを一人
当りの
指数で現わしますと、
戦前に比べて一一〇、二十七年は一一二でありますが、これも
戦前よりは多い。こういうふうに見ると、やはり食糧、衣料、これは私
ども勘で申しましても
戦前の
農村あるいは
農村付近の青年なんかの服装を見ますと、前よりも確かによくな
つておる。それからその次の
ページの表で、
高等教育の
学生数というのが千人
当り二・七であ
つたのが五・八にな
つており、これも二倍以上にふえて、
指数は二一五である。つまり
高等教育を受ける者が
基準年度よりも倍以上にふえておる。特に
高等教育で倍以上にな
つておるが、
中等教育を受けた者は、ここの表に出ておりませんが、これはどれくらいになりますか。お答えになるときについでにお示しを願いたいと思う。おそらく
中等教育を受ける者の数はとても二倍や三倍ではなしに、
全国村々に中学校ができたのでありますから、三年制の中学ではありますけれども、しかし
戦前よりもはるかに私は多くな
つておるだろうと思う。それからこの中には
時計と
万年筆というものがありませんが、これも
平均一人
当りの
時計の数が一体ふえたが減
つたか、それから
万年筆がふえたか減
つたか、それから
自動車を見ますと、ここで国鉄の
利用者一人一年
当りの
キロ数として出ておるのを
指数でと
つてみますと、二五八とな
つて、これは倍以上にふえておる。それから
私設鉄道に至りましては、驚くなかれ四倍にな
つておる。
指数は四百である。これは先般申しましたように、
全国から
国会へ押しかけて来る、あるいは靖国神社とか
国会の見学なりに来る者などがこういうところに存外現われておるのだろうと思います。それから
民営バスの
利用が一人一年
当りの
乗車回数が百五十五、これも一五%ふえておる。なおこれの表にはありませんけれども、
乗用自動車の数が
戦前よりもふえておるに違いありませんが、
一体数の上でどれくらいふえておるか。それからわれわれの勘ですけれども、
戦前走
つてお
つたようなあんなぼろぼろのダットサンのようなものは、東京などではもうほとんどだれも乗り手がないのだ。ですからこれは
消費水準というものを言うときには、
ただ数だけではなしに、あの当時はおそらく住友か岩崎さんでなければ乗れなか
つたような車を今日一般の人々がタクシーで乗りましておるということを私は考えて、一体
消費水準が上
つておるのか、上
つていないのかということは、今後の国の施策を進めて行く上において重大な
関係を持
つて来ると思う。
貿易がべらぼうに少い理由が、もし
国民消費生活がべらぼうに上
つておるという理由に基いておるとしたら、ここに国策の立て方の上に
貿易振興策として、少くとも現在
消費水準を維持するというような、そういう甘いことを
言つていないで思い切
つてそういう水準を下げることを私は
国民に要求すべきだと思う。そういう意味で、今後の国策に重大な
関係を持
つて来るから、くどいようですけれども、私は
審議庁調査の
消費水準というもののインデックスに間違いがあると思う。これは徹底的にひとつ私の方でも
研究して
結論を得たいと思うのです。
それからこれで見ますと、陶磁器というのが減
つております。
昭和九年から十一年の
基準年度で比べますと、陶磁器がべらぼうに減
つております。その当時は一人
当りの陶磁器の使用量が六二であ
つたのが、今は二・一とな
つておりまして、これは三分の一に減
つておる。減
つておりますけれども、この点はアルマイトの使用を考慮の中に入れないと、陶磁器が減
つたから生活水準が低いのだという
結論は出ない。おそらくあの当時
方々の家庭で土びんと称しまして、焼物でつく
つた土びんをずいぶん使
つてお
つたと思う。ところが今日の家庭で土びんを使
つておるうちはほとんどないので、たいていアルマイトの湯沸かしを使
つておる。それから皿などでも、焼物の皿のかわりにアルマイトを使
つておるというのが多いのですから、結局これはいかに三分の一に減
つてお
つても、生活水準が下
つたことにはならぬだろうと思います。それから減
つておるのにくつがあります。皮ぐつが
昭和十一年に千人一人
当りの足数が五十六・四足というのが七%に減りまして、三十九・六に減
つておりますが、しかし私はこれもどうも勘から申しますと、
農村でくつをはいておるような連中がその当時はなか
つたのに、今日は各家庭で少くともくつの一足もないというような家庭はほとんど見当らない。少くとも東京周辺の埼玉などでは見当らない。どうしてこういう計算が出て来たのか、これを聞きたいんですが、皮の輸入量がどれだけだということ、皮革は、御承知のように、
日本内地でもできますけれども、大部分
外国から輸入しているんですが、
外国から入
つて来たその皮革の数量というものをもし人間の数で割
つたとしたら、ここに大きな錯覚を生ずる。それはなぜかと申しますと、その当時
日本には陸軍、海軍がありまして、しかもその当時の軍隊は今日の保安隊や警察予備隊とは違
つて、皮を使うことが非常に多か
つた。第一馬を使うし、くつでもあの当時は長ぐつと称してひざまであるようなものをはいておりますが、最近のくつはそんなに皮を使わわない。三分の一か四分の一で間に合うようにな
つておる。ですから私はその当時の兵隊が豊富に皮を使
つたということを計算に入れて七〇%にな
つたのかどうかということを伺いたい。そうでなしに、ただ皮の国内
生産量、輸入量を
国民の数で、その当時の数を今日の数で割
つて出したものとすれば、
国民の
消費水準が
上つたか下
つたかという
結論を出すためには、この数字は間違いである。
長々と質問して、まだ言いたいことはありますが、
結論としましては、
国民の
消費水準は上
つている。これは
国会の周囲を見渡しただけでもわかるんですが、私はそれが九十何パーセントということは間違いだと思う。先般のお答えの中でも、この数字は今日の家計簿と物価というものを照し合して出したんだ、それが
消費水準だということでありましたが、しかしこれも十常に考えなければならぬのは、この
基準年度のころと今日とでは、いわゆる国家保障とか国家あるいは
地方公共団体の費用において
国民の生活
内容がささえられている部分があの当時よりも非常に多い。たとえば中学校を各村々につく
つたという場合には、個人の家計からは出ていなくとも、それは
国民の生活水準としては非常に重大な意味を持
つている。その当時は、先般も申しましたけれども、今日のように村長だの、役人だのあるいは会社の社員というような者が集ま
つて毎日々々酒を飲むというようなことはほとんどなか
つた、その酒代が家計簿から出てなくとも、実際の
国民の
消費生活水準というものを問題にした場合にはそれは考慮しなければならぬ。結局われわれは
国民に向
つて、
貿易指興の上から申しましても、
日本経済自立の上から申しましても、生活水準というものを全体として、少くともこれ以上下らぬよう忙しないといかぬという線で行くか、それとも敗戦国でありながら上
つているということであれば、もつと耐乏生活を要求してよろしい、こういうことになると思うのですが、質問と答弁という形でなしに、一緒に
研究するというお気持でお答え願いたいと思う。