○高島参考人 私実は、これはおそらく総評の事務的な手続きからだと思いますが、一昨日初めて本日のことをお聞きしましたので、皆さん方が御審議中の法案の内容についても十分目を通しておりません。それでたいへん遺憾ですけれども、一応
独占禁止法あるいは
独占禁止法を緩和しようとするいろいろの動きにつきまして、私ども労働組合におりますものが
一般的にどういうふうに
考えておるか、どういう点に問題を見ているかということを申し上げて責めをふさぎたいと
考えております。
結論を簡単に申し上げますと、私どもは
独占禁止法を今緩和しようとしておられます案について、これに対しましては全面的に反対でございます。総評に参加しております組合は、
独占企業の従業員も非常に多く含んでおります。たとえば八幡製鉄のような
独占企業の従業員の組合をも含めまして、
独占禁止法を緩和しようとする一切の企図に対しては、私どもは反対の態度をと
つておるのであります。
そこでなぜそれに反対するかということをごく簡単に一つの例だけを申し上げたいと思います。たとえば紡績が、綿糸が売れない、綿糸が不況だからということを
理由にいたしまして、綿糸の生産なり販売なり購入なりを
制限するために
不況カルテルを組織したといたします。しかしながら、これらの
カルテルは決してこの不況を緩和することさえも実はできないのであります。不況を緩和することがこれらの
カルテルによ
つてできないだけではなく、逆にその綿糸を用いますところの、綿糸を需要するところの中小綿織物
業者それから国民の負担を増加させるだけにとどまるのであります。このような
独占のための、
独占価格を維持する目的での
不況カルテルというものは、結果といたしまして、現在中小企
業者を苦しめておる。原料高、製品安という問題をさらに拡大する以外の何らの効果も持たないものと私どもは
考えるのであります。このような
カルテルがそれでは小売商や中小企
業者の中でつくられるかと申しますと、これは現実の問題としてはほとんど不可能に近いことであると思いますし、さらにこれらの小売商や中小企
業者は、実は
カルテルによ
つて制限する以前に金融難であるとかあるいはつぶれてしまうという以外に、生産なり販売なりを
制限せざるを得ない
状態にあるものと私どもは見ております。
カルテルの組織によ
つて不況を食いとめるということができないだけではなく、それは逆にさらに購買力を拡大することによ
つて不況を拡大する役割をするものだと私どもは
考えております。
一つの例を申し上げますと、今物価はどういう位置にあるかと申しますと、
戦前をと
つてみてもよろしいし、戦鮮事変前をと
つてもかまいませんが、卸売り物価が大体一番高い位置にあります。卸売物価の中でも生産財の卸売り物価が最も高い位置にあります。次いで消費財の卸売り物価が高い位置にあります。さらに小売物価はその約半分ぐらいの位置にあります。それから消費者物価はそれよりもやや低い位置にあります。このことが一体何を示しているかといいますと、小売店の店先においては商品は売れもせず値段も上らない、消費者のふところにおいてはこれはさらに買えもせず値段も上らない、しかし卸売り部面においてはあるいは工場の庫出し部面においては需要が存在し、その値段は上
つてしま
つておる。ことに生産財の庫出し
価格においてはこれは相当に上
つておるということを示しておると思います。このことは現在の
日本において購買力、需要がどこに存在しておるか、そうしてどこに存在していないかということを示すものだと思います。このような事実をそのままにしておいて、そうしてしかも特に
カルテルが結成せられますのは、おそらく、今すでにうわさに上
つております、たとえば紡績であるとかあるいは鉄鉱石であるとかいうふうな部面においてこれが行われますことは、さらにこの矛盾を拡大する以外の何ものでもないと私は
考えます。こういうふうにして生産を
制限し、販売を
制限し、あるいは
価格を
制限して
価格を維持し、従
つてまた
利潤あるいは
独占利潤を維持して行きます場合に、そのしわは一体どこに寄るのであるか。生産を
制限し、販売を
制限して行きます場合に、そのしわは必ず金融かまたは財政に寄せざるを得ないことになると私どもは
考えます。必ずこれは滞貨融資を伴うかあるいは補助金を伴うか、財政投資を伴うか、そうい
つた形で、金融なり財政にそのしわを寄せざるを得ないものと私どもは
考えます。このようにして国民は、結局物が買えないという実情をそのままにして、さらにそれを拡大することによ
つていじめられるわけですが、さらにそのしわまで持たせられる、インフレーシヨンと税金によ
つてそのしわまで持たせられるという結果を来す必然性を持
つておるのであります。そのしわが金融か財政に寄らざるを得ないか、またはもう一つの道は、ある種の商品、たとえば硫安というような商品にすでに現われておるわけでございますが、そういう、現在すでにある種の商品に現われておりますように、出血輸出ということによ
つて、そのしわを国民にもう一度寄せざるを得ないことも生ずるのではないかと
考えます。これはどういうことかといいますと、要するに余
つたものは輸出してしまう。その値は安くてかまわない。
国内への供給量を
制限する。供給量が
制限されれば、それによ
つて独占価格が維持されるということがねらいとな
つておるのでありまして、このような形で硫安の出血輸出が行われて、硫安の販売が
制限せられ、そうして硫安の
独占価格、
独占利潤が品維持せられ、あるいは硫安を通じて石炭の
独占価格と
独占利潤が維持される、このような結果が生ずることは明らかだと思います。このようなことは、つまり出血輸出というようなことによ
つて、結局その
カルテルの維持が可能になることを示すものでありして、結局不況ということのために
カルテルをつくるということは、これは不況を解決する策も何も示さず、不況を拡大する一方であ
つて、かえ
つて国民の負担によ
つてのみこれを切り抜けよう、あるいはこれを維持しようということになるのだと私どもは
考えます。そのような
考え方から、われわれは
独占禁止法を緩和しようということ
——今不況がいかに深刻なように見えるからとい
つて、これを切り抜けるために販売を
制限した方がいい、
価格を
制限した方がいいということは、いかにイージーな立場で
考えられるからとい
つて、これに対しては反対せざるを得ないと
考えるわけです。それだけではないのでありまして、私どもの方は、さらに
独占というものに対して、これが
私的独占であろうと、国家的
独占であろうと、これに対しては反対の態度をと
つているのであります。さらに単に
独占に対して反対するだけではなくて、
独占に対して与えられておりますいろいろの優先的な地位、あるいは優先的な特権に対しても反対しておるのであります。今日
独占に対しましては、たとえば資金の面であるとか、電力の面であるとか、資材の面であるとか、その他について優先的な特権がいろいろ与えられているのでありますが、これらに対しても私どもは反対するのであります。そうして私どもは逆に、中小企業に対して国家的援助が
——独占に対してそのような優先的特権が与えられるのでなくて、中小企業に対して国家的援助が与えらるべきだと
考えるのであります。
私たちはこのように現在
独占に対して反対しておりますけれども、この
独占に対して反対しております態度は、実は
独占禁止法がつくられた趣旨、あるいは
独占禁止法の内容に盛られた趣旨とは違うものであることを申し上げなければならないと思います。私たちは現在
独占を強化しようとするすべての政策が、今
独占禁止法を緩和しようとする企図の中に集中的に現われて来たと思いますから、
独占禁止法を緩和するという企てに対して、徹底的に反対する態度をとるのでありますけれども、
独占禁止法そのものにつきましては、これに賛成する態度をとらないのであります。なぜかといいますと、
独占禁止法は、
独占に対して
自由競争を証歌し、
自由競争が万能のものであるということを主張しておるように私どもは見ておるのであります、これは
独占禁止法が制定せられたのは、
アメリカにおける農民の要求を基礎にしてできているというような歴史的
事情があると思いますが、しかしながら同時にまた
独占禁止法が第二次大戦後、あるいはマーシヤル・プランの双務条約といい、あるいは
日本でいいますと、十原則というような、その他によ
つて何回も繰返して、
アメリカの援助を受ける諸国に対して
アメリカから要求せられているものであるということについて、私どもはさらに考なければならない点があると思います。私どもは、
独占が成立することは、
自由競争の必然の結果であると
考えるのです。
自由競争を証歌することによ
つて、
独占を排除することは、これは決してできるものではない、そんなふうに
考えます。私どもが
独占に反対するのは、
自由競争を証歌するためではなくて、逆に労働者であるとか、農民であるとか、中小企
業者であるとか、私どもははこれを平和国民と呼びますが、平和を愛している国民の
独占の政策に対して反対する要求を代表して、
独占に対して反対するのでありまして、決して
自由競争を証歌するためではないのであります。
アメリカがなぜ
独占禁止法を
日本において制定したかといえば、これは単に
日本においてだけではないが、マーシヤル・プランの援助を受けておりますすべての国において
独占が
禁止されておるのでありますが、このようなことがなぜ行われているかと申しますと、これは一つの事実をあげれば明らかになるのではないかと思います。といいますのは、
アメリカの資本と
日本の資本が対等の立場に立
つて競争することがはたしてできるものであるかどうかということをお
考えになれば明らかになると思います。われわれは
アメリカ資本が
日本において自由を獲得することを決して好まないものでありますし、それに対しては反対の態度をとらざるを得ないのであります。われわれは
日本の
産業が
日本の資本が、民族
産業を保護するための団結、民族
産業を保護するための結合を主張することに対しては、これを支持せざるを得ないのであります。そういう
意味で、
独占に対して反対し、
独占に対して闘うものが決して現在の
独占禁止法ではなくして、平和国民の
独占に対する要求、
独占に対する闘いのみであるということを繰返して私は申し上げたいと
考えます。
このような立場で私どもはおりますので、たとえば電気事業のような大
独占体の従業員の組合、電産組合、あるいは炭労、石炭
産業のような
独占資本の組合、これらは今労働者みずからが外に出まして、中小企
業者、農民その他とともに自由なる討論の機会を持ち、自由なる懇談の機会を持
つて、そうして
独占の政策に対していかに平和的な
経済政策、平和的な
経済再建の政策を打立てるかということの討議を十分に開始しておるのであります。そうしてそのような討議とそのような闘いの過程を通じて初めて
独占に対する反対は貫徹されるものと私どもは信じておるわけであります。
非常に簡単でありますけれども
意見だけ申し上げました。