○山本(勝)
委員 私は、皆さんがほんとうに自分のや
つておる仕事が何かということを
はつきり自覚してやられないと、法の末節を適用することにな
つて、結局
独占禁止法そのものの究極の目的に相反する
ような結果になると思うのであります。現にこの「勧告、審判開始
決定事件一覧表」という私がいただいたのを見ますと、昭和二十二年にできて、二十三年には一月、二月、三月、四月、五月とこの五箇月には勧告、審判のこれに載
つておる事件というのは
一つもありません。それから
あと七月、八月に合計二件ありますが、その次の昭和二十四年を見ますと二十二件あります。二十五年に至
つては、これはまたべらぼうに多くて六十七件あります。ところが二十六年になりますと、また急に減
つて十六件、しかも八月、九月の二箇月間は何にも受けていない。それから二十七年でありますが、これは一月、二月、三月、四月、五月、この五箇月間は全然なく
つて、
あとに十件あります。しかもこの三十七年の十件というのを見てみますと、洗濯屋が十軒か十二軒ばかり集
つてクリーニング料金の引上げの協定をした。これが取上げられて、勧告審決が行われておる。こういう洗濯屋の料金引上げの事件がこの十件のうちで二件である。あるいは散髪屋が散髪料金の値上げを相談したというふうなことがありますが、大体自由
競争の
経済秩序を守るというふうな非常に重要な理由を持
つておるものが、十軒や十二軒の洗濯屋が、洗濯賃を相談をしたからとい
つて、そんなことを扱
つておるというのでは、はたしてほんとうにこの仕事に魂が打込まれておるのかどうかということに私は疑いを持つ。それはもちろんこの
公正取引委員会の陣容が少いというか規模が小さい、経費が少いというふうな理由もありまし
よう。そのほかいろいろな事項もありまし
ようが、しかし何にも増してこういう結果を来す一番根本の原因は、自由
競争の
経済秩序とは何か、自分たちが守るところの、自分たちの仕事にしておるところの自由
競争の
経済秩序というものは何か、どの
ような
行為が真にこれを侵すのであるか、ということに対する
はつきりした認識が欠けておるのではないかと私は思うのであります。それを一どきに十分了解してほしいというふうに私は注文するわけではありませんけれども、
栗田委員あるいは他の
委員から申されました
通産省がこれを
認可する、
公正取引委員会の
認定に基いて行政庁が
認可するという
ような制度に対して、賛成するか反対するかということは、一に
通産省の方々と、
公正取引委員会の方々とが、どちらが真にこの法の目的である自由
競争の
経済秩序を守ろうとする理解と熱意とを持
つておられるかどうかということで、われわれは
態度をきめたいと思う。もし
通産省が公の力でやるならば、自由
競争の
経済秩序を侵害するのは一向さしつかえないのだ。
独占禁止法にそむかぬのであるから、どしどし侵害してよろしいという
ような
態度をとるに反して、
公正取引委員会の方々が厳正中立に自由
競争の
経済秩序を守り抜こう、こういう
精神で、現在の
法律で十分守れないならば、今後この
法律の
改正を要求してでもその目的を達成し
よう——先ほども申した
ように、たとえば悪うございますけれども、一家をどろぼうから防ぐという任務を完全に尽すためには裏口だけを守らされたのではとうてい目的は達せられない。表から入
つて来るどろぼうも、われわれの力で守る
ように
法律を改めさせるというくらいの熱意で進められるならば、私は
通産大臣がかれこれこの法の適用で干渉をするということには絶対反対をして、もつぱら
公正取引委員会がこれを
決定する方式に、改進党の修正案として出
ようとしておるものに賛成したいのです。こういうわけでありますから、どうか長い間の御経験からほんとうのことをお答え願いたいと思う。これは私の
考えで、よく御参考にしていただきたいと思う。その点の
質問はそれぐらいにいたします。
次に
お尋ねいたしたいのは、これは
中村委員の
質問と
政府委員の答弁との間にしつこく繰返されました点に関係するのでありますが、私の
考えから申しますと、およそ自由な意思において、しかもそれが気狂いとか特別なかたわ者でなしに、常識を備えた人々が、自由な意思において組合を結ぶという任意
カルテルの場合、あるいは労働組合で申しますと任意の労働組合、そのかわりこれに入りたくない者は入らないし、入
つておる者でも自分の自由なる意思において何どきでも脱退することができる。また自由に入
つたり、自由に脱退したりすることに対しては何らの
制限をも加えない。ストライキの場合を申しますと、自分はストライキがいやだと言
つてやめる者に対して、これに暴力を加えるとか、あるいは監禁するとかいうことを全然させない。ほんとうに自由な意思で行動できる
カルテルの場合においても、同じ
ような意味で自由なる組合、いわゆる完全な任意組合というものでありまするならば、これは
取締らなくても独占化するおそれはない。こまかいことは時間をとりますから
結論だけを申しますが、任意組合の場合は必要やむを得ず組合をつくらなければ生産費が償えない、組合をつくらなければ共倒れになるという
ような状況のもとにおいては組合が有効に働きますから、その組合は実質的にある程度
競争を
制限します。ある程度
競争を
制限するがゆえにこそ組合が効力を発生するわけであります。しかしそれが度を越して独占利潤をほしいままにする。滅亡を防ぐがためではなく、組合をつく
つて積極的に、よその産業の利潤よりも、それらのものがより以上の独占利潤を獲得するという
ような状況になりましたら、自由なる任意
カルテルすらも必ずこれはくずれて行く。くずれて行くところの事情を説明すれば時間が長くなるから、その事情は説明しません。
結論だけを言いますと、くずれる心配なのはこういうことである。恐るべきものは何かといいますと、この任意
カルテルをつく
つてみたけれども、アウト・サイダーが出て来て、どうにもその
カルテルが効力を発生しない。か
つてセメントの
カルテルができました当時・小野田セメントがアウト・サイダーとしてがんばり抜いたことがありますが、いつも
カルテルの外にアウト・サイダーが出て来て、おれは
カルテルに入らずに自由にやるというものが出て来る。それが出て来るために、せつかく
カルテルをつく
つてみましても、ある程度までは効力を発生するが、ほんとうに思う
ように行かないというときに、その任意
カルテルを構成した人々が
政府につながりをつけて、政治力に訴えてアウト・サイダーを許さぬという立法を要求して来る。任意
カルテルがほとんど十中八、九政治的権力によ
つてアウト・サイダーを禁ずる強制
カルテルの要求をするに至るということは何を物語るかといいますと、任意
カルテルの
範囲では絶対に
競争を排除してしまうということができない。ただ破滅的
競争を防ぐことはできる。その点で
経済界に貢献をしますけれども、それ以上の独占をほしいままにしたいと思いましても、アウト・サイダーが出て来るから、どうしても独占の目的を達せられない。そこで政治を動かして強制
カルテルを結ぼうとしてつくるのである。ここに危険性が生れるのであります。ですから私は同じ
カルテルと申しましても、政治的な権力というものによ
つてささえられるところの強制
カルテルと、それから政治的な背景がなくて自由に参加し自由に脱退することができるという任意
カルテルというものの間には、
競争ないし独占との関係において本質的な
相違のあるということを御承認になるかどうか。この点を伺いたい。