○
岡崎国務大臣 今回の
旅行は三
国ともに
国交がまだ正常に回復しておりませんので、
国交回復、それに続いてのいろいろの輸出入の
円滑化とか
経済的の
提携の問題とか、その土台をつくるために
国交回復を促進したいと思いまして出かけたわけであります。従いまして、
向うに行きましての
話合いは、もつ
ぱら条約の
関係あるいはこれに伴う当然の
賠償の問題ということになるのでありますけれども、その他にもずいぶん各般の
話合いはいたしました。
これを
国別に申しますと、
フィリピンにおきましては、ただいま
ちようど選挙の最中でありましたので、いずれにいたしましても
政府側との
話合いは重要でありますが、同時に、
野党である
ナシヨナリスタ党の
領袖とも
面会をいたしまして、特に
野党側とも
話合いをいたしました。そして大体において
フイリピンにおきましては、これは多少
意見があるのであります。つまり桑港
条約の
批准か、二
国間条約を別につくるかという問題は、ほかの
インドネシアや
ビルマにおいて二
国間条約という声が非常に多いものですから、
フィリピンにおいても多少あるのでありますが、大体の傾向は桑港
条約の
批准ということに傾いていると認められました。そこでそれにはもちろん
賠償の問題が片づかなければならないわけでありますが、折から
選挙の最中でもありますので、
先方におきましても、
賠償の問題なり、
日本と
フィリピンとの
条約の
関係なりを
政争の具に供したくないという
気持は十分認められました。もちろん
先方におきましては、これは従来から超党派的に
取扱つていわゆる十九人
委員会等をつく
つておりましたが、今回特に私が参りましたについても、できるだけこれを
政争の具に供したくないという
意思表示は、
与党のみならず
野党側からもはつきり聞きました。そこでいろいろの話はいたしましたが、これにつきましてのさらに具体的な
話合いというのは、どうしても
選挙後にまたなければできない、これはいずれの党派が勝つにしてもその
関係はかわらない、こう
考えておりましたが、
先方も大体これを了承したようでありますので、基礎的な
話合いはいたしましたが、
額等については、いずれこちら側からさらに具体的な
意思表示をいたしましようということを
言つておられました。
それからもちろんその間にいろいろ
話合いをいたしまして、
先方が
賠償問題全般についてどういう
気持でおり、どの
程度の
腹案を持
つておるであろうかということをなるべく知ることに努めまして、やや
先方の意向もわか
つたと思いますが、この点は
向うも
選挙前のことでありますから、非常に慎重に
取扱つております。
選挙が終りました
あとでひとつさらに具体的なことを申し上げたいと思いますが、
先方側の
考え方につきましても、具体的な
数字等につきましては、ただいまのところ差控えて申し上げない方が両国のためであろうと
考えております。もちろん
先方においても、具体的な
数額について話し合
つておらないということは、
野党側、
与党側双方において発表しておられます。私も実際上具体的
数額について話し合
つたことはないのであります。そうしてそれに関連いたしまして、私は
日本としてはいろいろただいま財政的には非常に困難な
事情にあり、ことに本年は農作物が非常に不作であ
つて、それの救済にも相当多額の費用がいるというような
説明もいたしまして、かりに
賠償を実行する場合にもこれを何年にするかは別として、初めが少くてだんだん毎年の額がふえるようにして
行つた方が、
日本の
経済からいえば、やりよいのであるということを
説明いたしまして、これは
先方でも納得いたしました。
それから年数につきましては、五年ないし七年ということを言われておりましたが、これは私は長い方がよろしいのである、その方がやはり支払いも容易であるという
説明をいたしました。たとえば五年よりは七年がよいが、七年よりは十年がよい、十年が十五年になればなお
都合がよいのだというような一般的の話をしましたが、この点も何年で話がついたということはありませんが、
先方としては了承したように思います。そうしてもしうまく
話合いがつきますれば、いずれの党が
選挙で勝つことになりましても、超党派的にできるだけすみやかに
賠償の話を片づけて、
条約の
批准まで持
つて行きたい、そうして
日本と
フィリピンとの間のいろいろの
関係、
経済的その他の
関係において、もつと
親善の度を深めて行くことが必要であるということに、大体
意見の一致を見たのであります。もとより
フイリピンの
マニラにおきましても、実は中身は
正味三日でありまして、はなはだ短かい期間でありましたから、そう非常な詳細な話をする余裕はなか
つたのでありますが、しかしかなり
先方でも時間をさいてくれまして、
大統領初め、
外務大臣はおりませんでしたけれども、その他の
閣僚にも会いました。
大蔵大臣とか
通産大臣とか、いろいろ
閣僚にも会いました。また
野党側の
領袖であるロドリゲス氏、ラウレル氏、デルガルド氏その他多数の人に会いまして
意見の
交換をいたしました。
次に
ジャカルタに参りましたが、これは
合計五日いたのでありますが、初めの日が日曜日で、次の日がアーミイ・デーというので半日つぶれましたから、
正味はやはりあまり
マニラとかわ
つておりません。ここでも
外務大臣は
旅行中でありまして、
総理が外相を兼任いたしておりましたから、私の話は主として
総理に対したものであります。しかし
ジャカルタにおきましても、ここは非常に多くの
政党があるのは御
承知の
通りでありますが、各
政党の
領袖にも
面会をいたしました。それから
マニラでもそうでありましたが、
ジャカルタでも、アメリカ、イギリス、オランダ、
フランス等いろいろ
外交団の人々にも
面会をいたして
意見の
交換をいたしました。
ジャカルタにおきましては、
新聞等に出ておるような
賠償額というのではなくして、
損害額というものが非常に大きく
取扱われておりました。これはある者は、米ドルで百七十二億ドルといい、ある場合には八十億ドルともいわれております。これは
損害額であろうと思いますが、まだまだいろいろ
話合いをいたさなければならぬような
情勢のように思いました。二国間の
条約につきましては、
インドネシアは
サンフランシスコ条約に調印したのでありますが、その後の
国内の
情勢は、
サンフランシスコ条約の
批准を不可能とするような
情勢のように思われました。そこで、やはり
サンフランシスコ条約に調印したのだから、早く
批准をするようにとい
つて要求しましても、これは結局
正常関係を延ばすことになるほか何ものも
意味しないと思いましたので、私は
総理その他と
面会の後、これはどうしても二
国間条約で行くよりほかはないのじやないかと思いました。
日本側としても、二
国間条約で満足に
話合いがつくならば、これに異存がないという
趣旨の話をいたしました。
賠償問題につきましても、いろいろ
意見の
交換はいたしましたが、
数額等については、これはまだもつともつと相互の
実情の
認識のし合い方が必要であると思いまして、具体的な話はいたしませんでしたが、おそらく今月中にでも、
先方から
調査団が参るのじやないかと思
つております。うわさされるところでは、その
調査団には、
インドネシアの
大使として、インド及び
ビルマに約六年も駐在されてお
つたスダルソノという人が、
団長格で見えるのじやないかというふうに聞いておりますが、まだこれは決定したようではありません。
従つてもう少し
向うの決定を待
つてから、はつきりしたことは申し上げたいと思いますが、この
調査団が参りますれば、一層具体的な
話合い、
日本側の
実情等についてもよく
認識ができて、実際的な荒合いに進み得るであろうと
期待いたしております。今回の
会談にあたりましても、
スダルソノ氏は、元
大使でありましたが、今は
アジア局長というような役割のようであります。非常に外務省でも重きをなしておる方のように見られました。
会談中も
滞在中も毎日
面会をいたしてお
つた人であります。なお
インドネシアにつきましては、ここにおられます倭島
アジア局長を、今般
公使の資格をも
つてジャカルタに
出張駐在をさせる。そしてさらに
調査団が来た後の
話合いも、倭島
公使で話をするということにいたしまして、
先方の了承を得ております。
アジア局長は来月にも赴任をいたすことになろうかと
考えております。
それから
ビルマにおきましては、これも非常に短
かい滞在で、
合計三日でありましたが、
大統領初め
総理、
外務大臣に
面会いたしまして、いろいろこれも話をいたしました。非常に
ビルマにおきましては
自力更生といいますか、
経済の復興ということについて努力をいたされておるようであります。
賠償問題についても、非常な実際的な
考えを持
つておられるように思いましたし、また
経済的な
提携についても、何とかすみやかに実現をしたいという
気持もあるように看取いたしました。
総理大臣も非常にこの点は積極的なように見えました。ただ
戦争の
損害につきましては、
ビルマは
フィリピンに劣らないのだ、
インドネシアよりももつと
戦争の
損害は多いのだというような口ぶりも見えておりまして、この点で将来なおいろいろ
話合いをいたさなければならぬ点があると思いますが、全体から見て、
賠償問題等を非常に実際的に
取扱おうという
気持がよく見られたのであります。ここにおきましても、二
国間条約の問題を
話合いいたしました。これは
サンフランシスコにも参加しておらないのでありますから、当然二
国間条約を結ばなければならない
関係にな
つております。いろいろこちらからも二
国間条約の案を示して、これは出発前から研究して持
つてお
つたものがありましたから、その案を示して
先方の
意見を求めたのでありますが、
先方においてはまだ
考慮中であ
つて、しばらく時間をほしいということでありましたので、そのまま結論を得ずして帰
つて参りましたが、しかし大体において、こまかいことは別として、大きな
意見の相違はなか
つたように思います。帰りは、実は十四日の朝バン
コックに到着しまして、それから
香港に向
つて、十五日に
日本に帰
つて来る、こういう
予定でありましたが、前に東京の
駐箚大使をしておりました
フランスの
ドジヤン氏が、自分の
飛行機をも
つてバン
コックに飛んで来られまして、
久しぶりで会見したのでありますが、
ハノイへ行くからついでに同行して、
インドシナの
状況も見たらどうかということでありました。
久しぶりで
面会したし、いろいろ
インドシナの
事情も知りたか
つたので、
予定の
飛行機に乗らずに、
ドジヤン氏の
飛行機に乗
つてハノイに参りました。その間いろいろ
インドシナ三国の
状況も聞きました。また懸案にな
つております
中間沈船賠償の話もいたしました。また一般的な
賠償関係、あるいはヴエトナムとの
公使の
交換、カンボジアとの
公使の
交換等の話もいたしました。そして
ハノイを早朝出まして、
香港で
飛行機を
予定の
飛行機に乗りかえまして、ちようど
予定通り帰
つて来たようなわけであります。
以上非常に簡単でありますが、経過だけを申し上げまして、
あとは御
質問に答えて詳しく御
説明いたしたいと思います。