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1953-07-10 第16回国会 衆議院 外務委員会 第12号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十八年七月十日(金曜日)     午前十時三十九分開議  出席委員    委員長 上塚  司君    理事 今村 忠助君 理事 熊谷 憲一君    理事 福田 篤泰君 理事 並木 芳雄君    理事 田中 稔男君 理事 戸叶 里子君    理事 池田正之輔君       麻生太賀吉君    増田甲子七君       岡田 勢一君    喜多壯一郎君       須磨吉郎君    淡谷 悠藏君       上林與市郎君    穗積 七郎君       岡  良一君  出席政府委員         調達庁長官   根道 廣吉君         外務政務次官  小滝  彬君         外務事務官         (国際協力局         長)      伊関佑二郎君  委員外出席者         総理府事務官         (調達庁不動産         部次長)    大石 孝章君         農林事務官         (農地局入植課         長)      和栗  博君         参  考  人         (山形農地部         農地開拓課勤         務)      阿部幸一郎君         参  考  人         (山形北村山         郡戸沢村村長) 後藤 三郎君         参  考  人         (山形北村山         郡戸沢村青年団         代表)     笹原次郎君         参  考  人         (山形北村山         郡戸沢村農業) 細谷 忠治君         参  考  人         (日本機械株式         会社社長)   林屋亀次郎君         参  考  人         (石川河北郡         内灘村長)  中山又次郎君         参  考  人         (農業委員石川         県協議会長)  西  外居君         参  考  人         (石川河北郡         内灘村漁業) 二ツ谷外次郎君         参  考  人         (石川河北郡         内灘村民)  北川 フデ君         参  考  人         (東京都北多摩         郡大和村長) 内野祿太郎君         参  考  人         (立川市子供を         守る会運営委         員)      須田 エン君         専  門  員 佐藤 敏人君         専  門  員 村瀬 忠夫君     ————————————— 七月九日  委員須磨吉郎辞任につき、その補欠として  本名武君が議長指名委員に選任された。 同日  委員本名武辞任につき、その補欠として須磨  彌吉郎君が議長指名委員に選任された。 同月十日  委員帆足計君及び武藤運十郎辞任につき、そ  の補欠として淡谷悠藏君及び上林與市郎君が議  長の指名委員に選任された。 同日  委員上林與市郎辞任につき、その補欠として  武藤運十郎君が議長指名委員に選任された。     ————————————— 七月九日  沖繩に抑留中の善進丸返還に関する請願(片島  港君紹介)(第三一九五号) の審査を本委員会に付託された。     ————————————— 本日の会議に付した事件  日米行政協定に基き駐留軍に提供する施設及び  区域に関する件     —————————————
  2. 上塚司

    上塚委員長 ただいまより会議を開きます。  本日は日米行政協定に基き駐留軍に提供する施設及び区域に関する件を調査するため、参考人より意見を聴取することといたします。  議事に入るにあたりまして、本日御出席参考人各位にごあいさつを申し上げます。本日は御多忙中のところ、遠路わざわざ御出席をいただき、厚く御礼を申し上げます。当委員会におきましては国政調査の一項目として、日米行政協定実施状況を調査して参りました。その方法として関係方面より資料を収集し、政府当局意見をただして参つたのでありますが、今回現地方々の意向をも伺う必要を生じましたので、特に参考人各位の御出席をお願いした次第であります。  本日の議事の順序について申し上げますと、まず参考人方々よりおのおのの関係区域に関する御意見を開陳していただき、その後において委員より質疑がある予定でございます。なお御意見の開陳は一人十分ないし十五分程度にまとめていただきたいと存じます。念のため申し上げておきますが、衆議院規則の定めるところにより、発言委員長の許可を受けることになつております。また発言内容意見を聞こうとする案件の範囲を越えてはならないことになつております。なお参考人委員に対し質疑をすることはできませんから、さよう御了承をお願いいたします。  なおこの際委員各位にお諮りいたします。本日招待しました参考人中内灘関係出島権二君が都合により欠席され、その代理として二ツ谷外次郎君がお見えになつておりますが、ただいまの二ツ谷君を参考人決定いたしたいと思いますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 上塚司

    上塚委員長 御異議がなければさよう決定いたします。  なお同じく内灘関係実行委員婦人部代表北川フデ君を参考人に追加いたしたいと存じますが、御異議ございませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  4. 上塚司

    上塚委員長 御異議がなければさよう決定いたします。  それではこれより参考人から御意見を聴取いたします。
  5. 喜多壯一郎

    喜多委員 議事進行について。御報告は了といたしますが、内灘関係参考人としておいでを願つた林屋亀次郎氏はお見えにならぬようですが、どういうことになつておりましようか。
  6. 上塚司

    上塚委員長 林屋君は先ほど医者の診断書を持つて咽喉カタルの傾向がありますので、しばらく別室に休んでおるかちということであります。自分の順番になりますとこちらへお見えになることになつております。
  7. 岡良一

    岡委員 私も議事進行についてこの際動議を提出し、同僚委員にお諮りを願いたいと思うのであります。本日は行政協定実施に伴い、在日米軍日本土地等を提供することについて、この関係地元代表者参考意見を聴取しようとするものでありますが、実は昨日予算委員会において私の質問に対し、岡崎外務大臣の御答弁によりますと、占領下にあつて強制的に使用に供されておつた占領軍使用しておつた土地等について、これが講和発効とともに当然国内法に基くあるいは日米合同委員会の議にかけ、あるいはまた閣議決定により、日本政府としてその使用についての通知を米軍当局に発した上で当然使用されなければならないにもかかわらず、現在のところ岡崎外務大臣ラスク氏との話合いによつて、いまだその措置がとられておらざるところが二十箇所余もあるという御答弁があつたのであります。この問題は私ども外務委員といたしましても、重視し得る可能性のある問題と存じますので、願わくは委員長におかれましては、すみやかにこれらの土地等がいかなる所にあり、またその領土、領海の区域面積はどれだけであり、いかなる目的にこれが使用されておるかなど、詳細なる資料外務当局より提出方をごあつせんいただくように、この際動議として提出いたしたいと存じます。
  8. 上塚司

    上塚委員長 岡君の御動議に対しましてはさようとりはからいたいと思います。  ではこれより参考人の御意見を聴取いたします。山形県大高根関係阿部幸一郎君。
  9. 阿部幸一郎

    阿部参考人 山形農地部に勤務いたしております阿部でございます。大高根射撃場調達に関して陳情せよということで参つたわけでありますが、大高根射撃場は現在日米行政協定実施に伴う施設区域として調達を受けている状況にあります。その以前の関係から申し述べまして、調達実態について深く触れて参りたい、こう存じております。  まず現在の在日米軍使用する以前の状態はどのようであつたかということを申し述べたいと思います。この地区は二十一年の十二月三十日連合軍使用する地域として命令が発せられまして、引続き占領軍の撤退すべき時期である二十七年の七月の二十七日まで使用を受けました。その後在日米軍使用する地域として要求があり、合同委員会の討議が重ねられましたが、七月二十八日まで決定に至らず、本年の二月十九日第四十一回の合同委員会において協議がととのい、五月一日の閣議決定した地区でございます。面積が四千七百余町歩にわたりまして、使用目的大砲射撃場でございます。砂座並びに被弾地区でございます。その他陸上演習場としての使用もされるように条件としてなつておるようでございます。占領期間中はPDの内容によりますと、米軍使用に必要な権利政府が獲得いたしまして使用に供せよという内容のようでございます。立入り禁止の札がこの四千七百余町歩の要所々々に立てられまして、事実上立入り絶対禁止、この禁止を侵す者は軍法会議にかけられるという制札が立てられておりました。二十二年の五月ごろから連日大砲が撃ち込まれております。  講和発効後の使用状況を見ますと、占領当時と同様でございまして、ただこの地域に加えられた制限としまして立入り禁止措置が強化され、地区内に居住する住民退去はつきり条件として打出されてございます。また大砲射撃場の増強は、占領中よりも盛んになつております。このような状況によつて調達を受けているところでございます。  次に若干調達に関しての県として意見を申し上げておきたいことがございます。その一つは今御説明申し上げた七月二十八日以降五月一日の閣議決定までの期間において、国が当然とるべき措置についてとられなかつた遺憾の点がございます。この点はあと補償等の問題、最近の地元民の動きの問題と関連いたしますが、それは当然岡崎ラスク交換公文によつて、一時使用手続がとられるはずであろうと承知しておりますが、その手続がとられておりません。かかる行為は、われわれ県といたしまして、国の政策に、国の方針にできるだけ関係者協力せしめようと考えている立場を、非常に窮地に陥らしめております。この点御注意をいただきたいと思います。次に五月一日に閣議決定がありまして調達されることになりましたが、調達手続はいまだもつてとられておりません。このことは国内法的にはいかようなものであろうかと存じます。先ほどの一時使用の問題と同様に、われわれとしてきわめて遺憾であり、現地方々協力を求める上に大きな苦痛となつております。御注意をいただきたいと思います。その間における米軍使用は、先に申し上げた通り決して中絶いたしておりません。内灘参考人の方も見えておりますが、内灘地区にある十二町歩民有地にとられた処置とはまつたく違つております。くれぐれも御注意をいただきたいと思います。  次に調達に伴う補償のことに関しましても、発言させていただいてさしつかえないのでしようか。
  10. 上塚司

    上塚委員長 さしつかえございません。
  11. 阿部幸一郎

    阿部参考人 補償のことについて若干申し上げます。占領期間中における損害補償の問題につきましては、当時の諸法規によりまして損失補償ではなく、見舞金という制度によつて片づけられております。このことに対する批判は、われわれとして申すべきものではないと存じますので省略いたしますが、講和成立後における在日米軍使用に伴う補償の件に関しましては、先ほど申し上げましたように、調達に必要な権利の獲得さえまだ行われていない状況であります。従つて補償措置は全然とられてございません。講和成立以来すでに一年有余箇月なります。この間現地住民は四千七百町歩関係五箇村ございますが、その中に最もひどい戸沢村、富本村、大高根村の三箇村は、村内山林野の大半を調達地区内に入れられております。この農村形態は、村収益の約三十数パーセントを林野関係の収入としております。この形態山村以前の状態であります。こういう山村形態農村のほとんどの林野調達を受けて、法律的にも立入りが不可能であり、また実情実態からいたしましても、連日砲撃を受けておりますので、まつたく立入りは不可能のような状態にございます。昨年合同委員会の方で立入りの問題に関しまして、いろいろ好意あるとりはからいをいたしていただきました。その内容は春秋一週間ずつ二回、この期間は採草、採木その他類似の生産目的のために、立ち入つてよろしいという条件をつけていただきました。しかしながら農村実態を御承知いただきます方は、今のような条件がはたしてどのような効果を持つものであろうかということは、あえて御説明申し上げるまでもなく御了解願えると存じますが、炭焼きは一週間に一回入つただけで炭は焼けないのであります。きよう一日炭を焼きまして、明日かまを冷したならば、その次の日曜日に行つて炭を焼くわけには行かないのでございます。山形県の山菜が非常にやかましくなつて参りましたが、山菜と申しましてもあまりピンと来ないかもしれません。この地域内において山菜を取るために、約六百戸のものが、食うためではありません、山菜を取つて生活をしているものがあります。なめこというのを御承知いただきたいのでありますが、一週間過ぎますと適期に採取すべきなめこがこんなに大きくなりまして、市場価値が何十分の一になります。このようにせつかく御努力をいただきまして、一週間に一回立入りを許可していただきましたが、実質的には地元民に対する好影響はほとんどないといつてもよろしいのでございます。そのような状態に置かれているわけでございますが、冒頭申し上げましたように、補償は何ら払われておりません。  もう一つ事例を申し上げて御注意願いたいのは、五月一日の開議決定をいたしましたその直後、六月九日から米軍が従来と違つた砲撃を開始いたしました。と申しますのは、昨年までは米軍は四千七百町歩のごく一部分使用していたにすぎない。というのは、一部分に向つて砲撃をやつておりました。
  12. 上塚司

    上塚委員長 時間が来ますから注意しておきます。あと一分です。
  13. 阿部幸一郎

    阿部参考人 本年の六月から四千七百町歩の全地域にわたつて立入りが不可能になるような砲撃を開始いたしました。このとき米軍は全住民にただちに退却せしめよ、もし退去せしめずして死傷があつても知らないぞという通告を出されました。われわれは非常に驚きまして、政府に対してただちに退去に必要な補償措置を講ずるように申入れをいたしました。しかしなかなかお役所式仕事で、私も役人でありますが、スムースに行かずして、県では乏しい財政の中から一戸当り六万円の緊急退避の費用を一時立てかえをいたしまして退去せしめました。このような実情もございます。そういうことはすでに諸法規の中にきめられているはずでございます。昨年の七月にできた駐留軍の用途に関する損失補償の要綱の中に、今のような損失補償はただちに調達以前に前払いするような措置まできめているはずであります。しかしながら何ら行われておりません。この点補償措置として、特に御要望申し上げたいと思います。  次は、まだ立法化されずして、非常に生活が圧迫を受けているものがたくさんございます。これは間接補償に類するものでございますが、しかしこれは承りますと、衆議院の方の……。
  14. 上塚司

    上塚委員長 阿部君時間が来ました。  次は山形戸沢村長後藤三郎君。
  15. 後藤三郎

    後藤参考人 ただいま御指名いただきました後藤でございます。駐留軍射撃演習場として、先ほど阿部さんからもお話がありましてダブるかもしれませんが、一町四ケ村にまたがつておりまして、接収面積は四千七百余町歩からになつています。ただいま大高根射撃場について県の阿部さんから大分御説明もありましたから、私は私の村のみを対象として申し上げることを御了承いただきたいのであります。  本村は全戸数九百七十戸、人口は約六千名で、総面積は全部で二千二百七十町歩となつております。そのうち接収されているのは五百三十一町歩で、内訳すると田は十町三反、畑は三十三町三反、原野は五十町、山林四百三十七町四反となつております。そのほかに村民一般入山権利を持つている官有地が、戸沢地区内に七百十町歩、大高根地区内約三百町歩くらいかと思われますが、官有地合せて千十町歩民官有地合計千五百四十一町歩からの村民生活基盤である広大なる面積を、演習用地として終戦直後、すなわち昭和二十一年十二月三十日から無条件にて砲座地の構築並びに県道修理軍専用道路開鑿等に着工されて、昭和三十二年の夏ごろより実弾射撃を開始したように記憶しております。  昭和二十三年以降は射撃も猛烈の度を加えまして、かつまた各通路の要所には哨兵等のためにまつたつた立入り禁止なつたのであります。昭和二十四年二月二十日でありましたか、山形県庁渉外課仙台特別調達局より係官が来村されて、関係者一同を役場の楼上に集合を求めて座談会を開き、その席上での話には、これまで進駐軍関係については渉外課で取扱いして来たが、今後は調達局で扱うように改めたことと、演習用地昭和二十一年十二月三十日からすでに接収されている話を聞き、接収地という言葉は、昭和二十四年四月二十日初めて耳にしたので、村民も驚き、それで立入り禁止地域なつたことについて村民の一部から質問もありましたが、特調官吏の回答には、演習並びに射撃をしないときは立入りするもさしつかえなかろうかと思われると申されました。これに対して村民も不安でおりましたが、戦争に負けたわれわれ国民として耐え忍ばねばならぬとも思い、食糧その他の増産にはもとより努力して、進駐軍に対してもできる限りの協力をして、幾多の悲劇や被害損失あるとも後日政府においても補償され、立入り等についても還元されるものと思いを深くして、政府の事業なるを感じ、駐留軍演習等に対してはほんとうに協力して来たのであります。しかるに講和発効後においても、なお一層実弾射撃演習も猛烈の度を加えられ、村民精神的苦労はもちろん、一般損失等も高まり、ことに民家上空弾道なるがため空中炸裂等にて接収地外民家その他にこうむる被害はもちろん、人命の危険を案じられる現状でありまして、なお接収地内とは申しても、昨年の春は十数日射撃による山火事引続き、民家に延焼のおそれあるために消防団員出動等をなし、その経費面も莫大なものであります。それから接収地内の事故であるとは申すものの、これまで三人の死亡者、三人の負傷者まで出していますので、家族に対してはまつたく申訳ないのであります。なお現在においては、軍の射撃着弾地並びに目標地点を延長した関係からして、村内民家上空弾道は拡張し、なお先にも申し上げました民官有山林地域は全面的に着弾地となりまして、現在では製炭業者等資材立木を購入することもできなく、至るところで路頭に迷つておるものもいるのであります。  その他の損害や危険については、申し上げれば数限りありませんから、あとは略すことにいたしますが、特に申し上げたいことは、村財政に及ぼした損失並びに村民一般損失と苦しみからして、昭和二十六年中に関係官庁衆参両院議長殿あて請願書を提出いたしておきました通り、以上両面損失についてはもちろんでありますが、別紙として添付しておきました事業計画実施遅延実情としてお願いしておきましたはずですから、左記事項政府の責任をもつて実現してくださるようお願いするものであります。  一、中学校校舎建築について、一、造林、植林等実行難による将来の見通しについて、ほかに、去る六月二十九日に日米合同委員会方々が来村されまして、現地調査後の座談会において村民から要望された弾道変更並びに数々の事項については省略いたしますが、これが一日も早く実行に移され、解決されて、民心の安定と生活の確立を念願するものであります。  なお御参考までに、接収されてから現在までに補償された分を申し上げれば、昭和二十三年四月一日より昭和二十八年三月三十一日まで合計金三千五百九十一万六千五百七十四円七十六銭となつております。その内訳は省略いたします。但し昭和二十六年中の請願に対する一般補償として百九十九万五千九百円をいただきましたが、それを一戸当りに見た場合に金二千百円に満たないし、またこれを昭和二十三年より二十七年まで五箇年に割当てて一箇年分としてみると四百円にすぎないのであります。  以上のような村内事情にあつて、莫大なる物心両面にわたり損害をこうむつておるにもかかわらず、村民は耐え忍んで来ましたが、村長として、限りある村財政に対し、接収地を持つているがために村費の支出が限りなく高まるばかりでなく、山林生活基盤を持つ村民の大部分は、今廃業して転業しなければならない悲惨なる状況に立つに至りました。しかしながら私はもちろんのこと、村民基地反対を叫ぶ者は現在ではいないようですが、損害に対する完全なる国家補償がされない場合は、いかに民心がかわるか予測しがたいのであります。なお仄聞するに、内灘村はわずか四箇月に対して実に驚くほどの国家補償をされたにもかかわらず、当村は前に述べました通り、過去七箇年にわたる接収に伴う損害に対し、ひとしく日本国民であることを考えるとき、政治は公平であれかしとこいねつてやまない次第であります。  以上申し述べまして終りといたします。
  16. 上塚司

    上塚委員長 次は同じく大高根関係で、山形戸沢青年団代表笹原次郎君。
  17. 笹原三次郎

    笹原参考人 青年代表として、いろいろ村の一般的な情勢なり、また村の要求なりを皆さんにお知らせ申し上げたいと思います。  アメリカ軍射撃場として七年間弾丸の下で暮らして、いろいろ苦しんで来た大高根射撃場下住民状態村長、また県の阿部さんもいろいろ御説明申し上げられましたので、私から何も言うことはないのですけれども、とにかく炭焼きであろうと、また接収地内に田畑を持つている農民であろうと、一般大衆であろうと、みんながみんなの物質的なまた間接的な被害は、とうてい言葉では言い表わせない悲憤なものなんです。炭焼きのごときは、いくら立入り禁止の表札が立てられても、またあぶないと思つても、やはりその山に行つて焼かなければ、あすから生活して行けないのです。接収地内に田畑を持つている農民もしかり、その田畑生活して、品物を生産しなければあすから食つて行けないのです。どんなにあぶなくてもやはり行くのです。炭焼きなんかは山に防空壕を掘りながら仕事をしておるのです。そうして一旦射撃が始まれば防空壕へ入つて射撃がやむのを手を合せて待つていなければならぬ状態です。小学校生徒たちつて、村の中央に学校があるために弾丸ちようど頭上を飛びます。そうしてその弾丸が裏山で破裂するために、射撃のある日なんか満足に授業ができないと、はつきり中学校小学校校長先生が申されております。  このように七年間ありとあらゆるものに苦しんで来た大高根射撃場住民に対して、政府は現在までどのような措置をとつてくれたでしようか。さつき村長さんから申されました通りに、なるほど三千五百九十一万の補償金は出ました。しかしたつた四、五箇月間接収された内灘村に対してあのような厖大な補償金が出たのに比べますと、七年間も苦しんで来た住民に対してはものの数にならない、まつたくすずめの涙ほどなんです。この三千五百九十一万の補償金、そんな少い補償金が大高根射撃場に来ておるのですけれども、そのうちの七割以上、二千六百万以上は実際に射撃のために苦しんでおる炭焼き農民に対してわかたれたのではない。山を持つておる大地主であるとか、また村のボスとか、そういうものに大半握られているのです。一例を申し上げますれば、戸沢村の村会議長齊藤吉太郎氏は、わずか六十六町二反そこそこの山林しか持つていないくせに、宅地の損害補償として百八十七万円ももらつておるのです。そうしてほんとうに山に行つて、命がけで仕事をしておる炭焼きやそのような人に対しては、一年間わずか一千円そこそこの金しかくれない。だからいくらおとなしい村民、また消極的な村民でもやはり怒るのも無理ではないと思うのです。せつかく少しの金であつても持つて来てくれた金が、そのようにほんとうに村の苦しんでおる人にわけられたのではなくて、大した苦しみもしない山地主などにわかたれているのです。だからこそこういう炭焼き農民たちは、それではだめじやないかというので、いろいろ関係官庁に抗議なり、また交渉なりして迫る。五月三十日に会計検査院の方々山林損害の実地検査に来たのです。その時だつて一般大衆を立ち会わせないで、たくさんもらつた齊藤吉太郎氏らの村会議員たちが、その会計検査院の人々に、説明なり案内なりをやつているのです。そして人の分の山までこれはおれの損害の山だといつてみな見せたのだそうです。このように実際に困つている人たちにはわずかの補償金しかくれないのです。だから村の中で補償金がどのように分配されているか、最後の最後まで政府の監視する必要があると私は思うのです。そして間接的な損害補償はそのように法律がないから上げられないの、根拠がないからだめだの、いろいろ政府の方からお聞きしているのですけれども、しからば内灘村にあのような補償金が来たのは、何か法律があつて来たのでしようか。もしそのような法律があるのならば、やはり大高根射撃場にも適用されるはずだと思うのです。  また六月二十一日に日米合同委員会の方が戸沢村に来ていろいろ調査して、これはなるほどひどい。そして現在大高根射撃場に三つの砲座があるのですけれども、そのうちで最も危険な第二砲座、第三砲座を移転することを確約して行つたのだそうですが、しからばその移転先はどこなのでしようか。戸沢村の村民は、おれの部落に来るのではないか、おれの山に来るのではないかというので夜もろくろく眠られないと言つております。だから現在三つある射撃場を、何とか第一砲座一つだけ使つてもらつてあとの第二砲座、第三砲座を移転することではなくして、撤去するようにしてもらえないでしようかという切実な要求を出しているのです。  とにかくあぶなくて山にも行けない、だからといつて、ろくな補償金も来ないとすれば、村民はやつぱり怒り出すのです。今信じられないほど一般村民は怒つているのです。これに対して政府はよく検討して、村民が納得の行くような措置をとつてくださるようにお願いいたします。
  18. 上塚司

    上塚委員長 次は同じく大高根関係参考人農業、細谷忠治君。
  19. 細谷忠治

    ○細谷参考人 御指名をいただきました細谷であります。私は弾道下の生活において、アメリカ軍実弾射撃演習による直接関係の深い宮下部落の者であります。過去七年のうちには直撃弾の落下や空中炸裂による破片の危険を身をもつて体験したものの一人であります。占領という名のもとに、平和という日本昭和二十二年以来講和発効、独立後の今日まで、七年の長きにわたつて常に実弾が住民の頭の上を飛ぶという、いかに危険な生活であつたかということについて御説明をいたしまして、なお特に地元民として今後政府にお願いいたしたいことについて申し上げたいと存じます。  まず地図によりまして、第一より第三までの砲座が、一つの村に一つずつ約千メートルより二千メートルの間隔の三角形を形づくり、最上川を最低としまして海抜百三十メートルより百五十メートルの丘の上に位置し、海抜百メートルの低地にある村落の上を、砲弾が砲座より千五百メートルにより六千メートルの距離にある西方の海抜二百メートルより七百メートルの山地に弾着爆発するものであります。着弾場の接収地を除いては、砲座のある位置だけが接収地であり、その他は日本の領土であると私は解するものでありますが、その接収地以外に直撃弾が十五発も落下して多大なる損害を与え、空中炸裂や弾着地における爆発によつて、部落や耕地にはね返つて来た大破片だけでも十二個もあります。これがその一個であります。もつと大きいのがありますが、重いから持つて来ないのであります。小破片に至つては、身をもつて危険をのがれ、直接拾つたものだけでも二百三十余あることが報告されております。その他山地の弾着地の弾着による損害、山の資源を遮断されることによつて起るあらゆる重圧は、年月の長きとともに、年々その被害は累増の一途をたどつているありさまであります。それらの損害に対しまして、これまで払われた補償は実にわずかなもので、たとい接収地に入ることは禁ぜられておつても、一家をささえて妻子の生きるためにはわずかの離作料や、借上料によつては満たされず、理論によつては生きて行くことができないのでありまして、自力の限りを投じて、涙をのんで命をかけた耕作に炭焼きに従事せざるを得なかつたのであります。いつ米軍が撤退するかもわからないという一縷の希望を抱いて、せつかくの先祖の土地を荒らすことにはまことに忍びない気持と、自分の土地に対する農民としての愛着から、不自由な立入りの間に不完全なる耕作を続けておるものであります。立木の損害に対しまして、中間補償として契約者の損失に対して二千四百余万円を除いては、雑補償として一戸二千円程度のわずかなものであり、それも二十六年度一年分であるとのことですが、二十二年より二十四年までの分は一銭もなく、二十七年度分はいまだに一銭もいただいておりません。二十二年以来の損失補償がたつた千円程度では、一年四百円であり、一日の賃金にも満たないものであります。このような現況でありまして、地元住民の最も関心をもつものは新契約の問題でありまして、昨年五月ごろ、仙台の山田局長さんが村においでになつて、今後の借上げ契約は一年ごとに更新するものと説明されましたが、本年一月十六日付土地所有者に往復文書をもつて借上げに対する承諾を求めております。大部分の人は署名捺印して調達局に差上げておるわけですが、それは最も大切な期間の明記がなく、五月一日付閣議決定には期間は無期限と明記されておりますが、今までのような生命の不安と危険と損害とに対して、重大なる関心を持つ事柄であり、一部内灘のような、同じ政府にしてとても考えられぬ見舞金が支給されたり、借上げについてのこれからの条件等を考え合せるとき、政府の明確なる措置村民は期待するとともに、これからの村民の動きも、非常な関心を持つておりまして、ぜひ政府の回答を一日も早くお伺いいたしたいものであります。  最後に、あまり長くなりますので簡単に村人の切に実現していただきたいことについて申しますが、一つは、われわれの頭の上を実弾を飛ばさないようにすること。二つ、これまでの損害に対して政府は十分なる補償を行うこと。ことに弾道下においては、実弾の危険と迫害に終始した精神的物質的損害に対する特殊地帯としての見舞金を早急に支給すべきこと。三つ、これまでに不発弾による事故を二回出して、宮下部落の人で三人が死亡し、三名が負傷したという事故を起しておりますが、これはあまりにも部落より接収地が接近しているところに機銃座、バズーカ砲座があるために起るものと考えられますので、少くとも現在の線より二千メートルは西方に移していただきたいこと、四、先祖のお墓参りも自由にできませんので、白鳥三百戸の共同墓地の接収解除をしていただきたいこと。  以上でありまして、私は決してアメリカの兵隊よ帰れとか、基地反対を言う者ではなく、あの寛容な、そうして紳士的な兵隊さんたちと手を携えて、なおもお互いに気持よくこれからも長くその栄を保たんためにも、八千万国民の犠牲のために七年の苦難の道より救われたいと念願してただいま続けて参つております打開運動の解決には、二十九日の日米合同委員会実態調査の折、伊関局長殿の口約くださつた点や、自由党の高橋総務殿の口約を一日千秋の思いにて待つ住民の上に、今また外務委員会には私たちのお呼び出しといい、何とぞ実態の十分なる御理解の上、あたたかい政府の援護と、正しい良識によられます措置と、アメリカの善意によりまして、早急なる解決によりまして不幸なる事態の起るようなことのないように念願いたしまして、私のお話を終りたいと存じます。御清聴まことにありがとうございました。
  20. 上塚司

    上塚委員長 これにて大高根に関する参考人の陳述を終ります。  次は内灘関係参考人の陳述を願います。金沢市林屋亀次郎君。林屋君は御病気のようでありますから、この陳述が終りましたならば、一応退場せられまして、他の部屋にて御休憩をせられることを認めます。なお午後委員よりの質問の場合に、あるいは再び御来場を願うことに相なるかと思います。林屋亀次郎君。     〔「あるいはじやない、必ずだよ」、「仮病じやないか」と呼び、その他発言する者多し〕
  21. 林屋亀次郎

    林屋参考人 今の出席者有無に対しての質問ですか。
  22. 上塚司

    上塚委員長 内灘関係について……。
  23. 林屋亀次郎

    林屋参考人 委員長に伺いますが、ただいま向うから仮病だというお話がありましたが、何なら診断書をお出しいたします。
  24. 並木芳雄

    ○並木委員 議事進行委員長発言の中にあるいはという言葉があつたから、それはいけない。あるいはじやなくて、ほかの部屋で待つていただいてもいいから、午後われわれ委員質問が始まつたら必ず出席されますと委員長がおつしやるなら問題はないわけです。あるいはと言うから、場合によつて林屋さんどこかへ行つてしまうかもしれない。そこで私は発言をしたわけです。どうしてもそういう心配があるなら林屋さんの場合は、今陳述が終つたら、ただちにわれわれの質問に移つてもいいわけです。そこのところを委員長はつきりしてください。
  25. 上塚司

    上塚委員長 林屋君。質問は、全部の陳述のあとになりますが、午後は御出席ができますか。
  26. 林屋亀次郎

    林屋参考人 ただいまの健康状態つたならば、出席できるかもしれません。
  27. 上塚司

    上塚委員長 出席できるそうですから……。
  28. 林屋亀次郎

    林屋参考人 内灘射撃場使用の問題は、私がちようど国務大臣をいたしておりました時代でありまして、昨年の十一月二十四日の閣議かと思いますが、突然外務大臣より内灘使用の問題の話がありました。閣議におきましてぜひ私にその折衝方をせよということでありましたので、承諾をいたし、ただちに超党派的に石川県の国会議員の御参集を願つたのであります。その席においでくださいましたのは、改進党といたしましては、大森玉木君、武部君の両名でありました。自由党では坂田君、南君、益谷さんも来られたように思います。無所属では辻政信君が来られまして、政府の意のあるところをお伝えを申し上げ、御懇談を申し上げたのでありますが、全会一致をもつて、地元が了承するならばさしつかえがないという御了承を得たのであります。その際皆様から、御苦労様であるが、ぜひ地元へ行つて納得行くように説得いたしてくれというお言葉まで賜わつたのであります。従いまして、国会議員各位の思想統一をいたしまして私は地元へ向つたのでありますが、地元では意外にも停車場においてたくさんなデモ隊が控えておられたので、私は石川県の県会議長の太田君に対しまして、どういうわけで反対をいたすのかということの理由を聞いたのでありますが、第一番には風紀問題であります。実はこの話が出ます以前、十月ごろかと思いますが、アメリカ軍使用いたしております小松市の飛行場の付近におきまして女が強姦され、なお惨殺されたという一つの事件が起きたのでありまして、そのしわざすべてが、いかにもアメリカ人がやるような残酷なものだつたというように非常にアメリカ人を侮辱した見方をされたことを、ある一部がこれを宣伝いたしましたか、聞き伝えましたのがそもそもの大原因なのであるということを私は事詳細に聞いたのでありますが、この席でありますからその内容について申し述べることは差控えたいと存ずるのであります。従いまして、内灘問題は、御承知の通り、ここに内灘村民の方もおいででありますが、由来彼の地は私ども子供の時代から不毛の地でありまして、陸軍が演習地帯として使用し、かつ今保安隊も現に使用しつつあるのでありますから、恐れるものは風紀問題であつたのであります。さような内容を聞きまして、ここにおられる村長並びに議長等有志を県に集めまして、また県会議員の方も反対の理由を唱えておられたのでありますが、私が懇談した結果、県政に大多数を持つております改進党はまつ先に了承をされ、自由党もこれを了承をされたのであります。  さようにいたしまして、私は内灘村に乗り込みまして、この際ぜひとも冬の四箇月だけは使用を許してもらいたいということを懇談をいたしまして、村民大会にもまかり出たのであります。その際、内灘使用いたしますことは、皆様御承知の通り、独立茂あれほど広大な地面を使用することは内灘をもつて初めといたすのであります。今まで使用されている七百箇所というものは占領中からのものでありますので、私は民主的に内灘の意思を十分に尊重して、これを使用することが政府として当を得ているという態度をもつて迎えたのであります。従いまして、私の宅へ三日間村の有志三十名等においでを願いまして、またその間県会議員の方々もともに私の交渉に御努力を願いまして、その結果が、とりあえず四箇月だけ了承するということで、私に対して非常な好意をもつて迎えてくれたのであります。そこでただちにこれを閣議に報告いたしまして使用に移したような次第でありまして、いきさつはこの程度でとどめたいと存ずるのであります。
  29. 上塚司

  30. 中山又次郎

    ○中山参考人 ただいま林屋氏からお話のあつた通りに、私どもは、国家の重大事というお話でありましたから、国民としてはやむを得ないじやないかという見地から、冬季四箇月間だけの使用ということで承諾したのであります。目下の内灘村といたしましては、われわれ四箇月間のお約束をしたのだから、このまま引揚げていただきたいということ、そうしてわれわれは、先ほども話がありましたように、アメさんをおつぱらうというような考えではなく、国家の経済上の関係と、それから、朝鮮の動乱の進捗しないのも砲弾が足りないからだと言われたような、そういう関係で承諾したのであるが、元の内灘村の姿に返していただきたいということ、そこにわれわれの念願があるのでございます。  そこで、何がゆえに今日のような事態を引起したかということについて少し私は述べたいと思います。石川県の社会党に属しておられる議員諸君が常常村へ来られまして、そうして反対実行委員会を督励しておられましたが、それは、県の実行委員会とともに手を握つて運動するという建前から当然なことであると思います。共産党あるいは社会党の方々は、村の人ががんばりさえすれば米軍は引揚げるに間違いない、ことに民有地も含まれていることであるから、強制接収など民主政治下の今日あり得ることではないと言うておるのであります。それから、村長初め村議会が最初から非常に弱かつたというようなことを言う人もあります。これは政府が、村民全部が反対ではない、多数政府に同調する向きがあると言われたり、またいつかの新聞紙上で、益谷代議士が、条件さえよければ村民を説得し得るだろうと言つたというような記事がありましたが、この二つがとうとう政府をして強行させろ段取りになつたのだと、かように解釈されて、私どもがいわゆるつるし上げ等を受けたような次第であります。六月十四日の村議会の協議会においては、傍聴の村民が議員を袋だたきにしたというような不祥事が起りました。これもやはり村当局や村議会がはなはだ軟化しておるということをなじつたものであります。それから六月の十五日に労組のデモ隊が役場の前に殺到しました。その指揮者は、県の議員だつたか、私は事務室にいて顔はよく見なかつたのでありますが、村長は議会を招集せんとしておるというようなことを言い、それからあと言葉はちよつとわからなかつたが、これを監視せねばならぬと堂々と演説をしている。それから袋だたきになつたときには、労組のデモ隊の一部が役場の会場に押し入つて来まして、そして議員をたたいておるような事実もあります。それで私は県議会の社会党に属する方々に対して、この責任は諸君にある、いかにこれを処置するのか、諸君の指導よろしきを得た結果で、社会党としては成功したのだろうが、村民の苦悩と生活をどうするのか、説明を願いたい、社会党や共産党としてはよいえじきを得たことであろうが、内灘村民は今日の食をいかにすればよいのであるか、返答を承りたい、かように申し上げたのであります。無知な村民を扇動したり、あるいは犠牲者を出させたり、その責めはまつたく社会党にある、われわれのような小さな自治体に弾圧を加えたり、あるいは村民に暴行させるような指導は、はなはだ遺憾に思うのである、自重を望む、かように私は申し上げたのであります。それから一部民有地がありますが、これは唯一の場所である、すわり込みはここでやるのである、ここへはたまは落さないであろうと言われた代議士の方もあります。それから私は来訪の岡田、猪俣、亀田、古屋、飛鳥田各代議士に以上の次第を申し上げて、貧弱なこの自治体を圧迫したり、食に泣かしめるような方策をとられることはいかなるゆえんであるかと申しましたところが、古屋代議士は、村長の言はなはだ心外なりと憤激されたのであります。しかし私は、扇動云々の言葉が悪いならば取消してもよいが、以上の事実は私をして扇動なりと直感させたのである、民有地に関しては、憲法をたてに提訴すればよいと思うという古屋代議士のお言葉もありましたけれども、私は皆さんの政策であるアメリカさんおつぱらえ、あるいは憲法をたての提訴等の闘争については、御親切ははなはだ喜ぶが、それは一体何年かかるのであるか、この間内灘村民は何によつて生活するのか、生活の保障法でもあるならばひとつお教えを願いたいと申しましたが、それについては何らの答えも得られなかつたのであります。要するに、これらの人たちは、自分の主義政策のために内灘問題をえさにするだけであつて、村のためには何の得るところもないと思います。すでに村から数名の暴行容疑者を出しておるのであります。それから全学連の数十名がいまなお村にとどまつて、七つ中山村長をあやまらせというような数え歌のようなものをこしらえて配布をしたり何かやつております。それからある代議士は村の人の集会の場所で、これは六月の二日のときの、外務大臣に私どもがお目にかかつたときのことを言われておるのだろうと思いますが、中山村長は、他に同伴者もあることであるから、外務省と秘密折衝をするようなことはあるまいということを言われました。それから六月の二日、政府内灘使用継続の方針を決定したということの発表と、条件のいかんによつてはあつせんの労をとるということをある新聞紙が書いたのであります。この三つが内灘村民をして蹶起させるの導火線となつたと私は思つております。六月の三日の朝、東京から私が帰ると同時に村民大会を開いて、村長辞職勧告の決議をしたりしたのであります。それから社会党の方々は、内灘地区接収反対決議案を提出するのであるけれども、改進党の同調が得られないと言つてすでに逃げを打つておられたのではないかと私は考えております。外部の……。
  31. 穗積七郎

    穗積委員 ちよつと議事進行について。きよう参考人にお尋ねしておることは、村長の政治的立場やあるいは私見ではなくて、接収に至りました経過と、現在の地元の事情並びに地元民生活実情を聞くのがわれわれの目的である。従つて今言いましたような各党派または団体、あるいはは村外の人人の行動について村長の政治的意見や私見を聞いておるのではないのであります。とうといわずか十五分の時間でわれわれは事実を聞きたいのです。それを判断することは村長の指示でするのではなくて、われわれ自身がするのでありますから、ひとつその点を委員長からはつきり指示していただきたいと思います。
  32. 福田篤泰

    ○福田(篤)委員 今穗積委員から御注意があつたようでありますが、参考人の陳述中に途中から一種の牽制手段のごとき発言することは慎んでもらいたい。参考人意見意見として静かに聞くべきでありまして、いわゆる外部の云々というお話がありますが、これは現状における一つの厳然たる事実があるので、われわれはそれを一応聞いて、午後の質問のときにまたやりたいと思います。
  33. 並木芳雄

    ○並木委員 福田委員のおつしやること一応ごもつともなんですが、さつき理事会の始まるときにおいでにならなかつたから今のような発言になるのです。あのときに委員長から注意があつて、了解しておる範囲を逸脱しないようにということになつておるのです、だからその点において今穗積委員から注意が出たのであります。しかし一応村長なら村長の言うことを聞いて、短かい時間だから、私見が強過ぎると思つた質問のときにあとで十分にやつたらよいのじやないか、だからこういうことに時間をとらないで、続行を希望いたします。
  34. 上塚司

    上塚委員長 委員長の先ほどの注意は、発言内容は、意見を聞こうとする案件の範囲を越えてはならないと申しました。従つてその範囲内であればさしつかいないと存じます。できるだけ参考人は意を尽してやつていただきたいと思います。
  35. 中山又次郎

    ○中山参考人 話を続けます。先ほどから私の述べたことにいかぬことがあれは何どきでも取消すことは取消しますが、経過と現状を述べておるのであつて、私見を述べておるのではありません。  外部団体の介入は以上の通りでありまして、私どもの村出身の県会議員三名が村へ来られて、村の自主性を失わないようにやれと勧告せられたゆえんは私はここにあると思うのでありますが、そこで政府の現在までの態度を申し述べますならば、政府村民とひざつま合せての折衝ということは一度もない。三月二十五日に継続使用については村のための施設案等を示されたのみであります。それから六月ニ日、副知事、県会を代表した議員、地元三町村長が外務省へ反対陳情に行きましたときにも、外務大臣に会しましたが、君たちの来ていることを全然知らなかつたと話しているところへ大臣を呼びに来る、しばらくするとまた呼びに来るというような始末で、今日のような事態をしでかすような国家の重大事を、日常茶飯事のごとく考えておられるようである。この日は継続使用の方針決定と発表になつたのでありまして、この上は問答無用であると私どもは引揚げたのであります。なお六月二十七日ごろ、村の運動に来ておる一班が外務大臣に面談すべく待ちに待つてようやく院内廊下で会いましたが、そのときにも内灘地区使用方針にはかわりなし、それだけであつたということであります。それから七月三日の参議院の水産委員会参考人として私が出席した際に、伊関局長さんから、反対云々というけれども、十二、三日ごろ議員の多くが賛意を表していた、こういう御答弁がありましたが……。
  36. 上塚司

    上塚委員長 中山君、あと三分ですからそのつもりでやつてください。
  37. 中山又次郎

    ○中山参考人 そのお言葉村民が非常に村当局の弱腰であるということを攻撃して来たのであります。それから村民一致の反対の決議をし、公約履行の請求書を提出しておるのでありますが、政府は一方的に使用された、よつて今日のような状態を引起しました。これはその責任いずれにありや、言うまでもなく全国民がひとしく認めておるところであります。それから昨日私の村の婦人団が外務大臣にお目にかかつたときに、大臣は、すでに二戸当り五万円の金を出しておるが、これを多いとは思わなかつたか、政府は最初から永久接収でこの多額の金を出したのである、県当局や村当局がその意を通じてなかつたのか、こういうふうに言われたそうであります。われわれ村当局はこんなことを聞いたことも約束をしたこともありません。小さな県や村を殺して政府の責任をのがれようとなさる腹は見えすいておると私は申したいのであります。婦人団の人たちは五万円くらいの金などは何どきでも返すから早く撤退してもらいたいと卓をたたいて号泣したということであります。この外務大臣のお言葉は何を語るものであるか。賢明な委員各位の御判断にまちたいのであります。
  38. 上塚司

    上塚委員長 中山君、時間が来ました。  次は石川県農業委員会委員長石川県協議会長西外居君。
  39. 西外居

    ○西参考人 まず少しく経過を御報告申し上げまして、私の意見を申し上げたいと思います。内灘の砂丘地は県農業委員会の前身でありますところの県農地委員会が農地として造成すべく買収いたしました。従つてこの地区は国有地でありますけれども、すでに売渡しを予定された地区でありまして、国有地でありながら国有地でない開拓財産であるということになつておるのでありまして、いまだ元の所有と金沢地方裁判所におきまして係争中の土地であります。従いまして、われわれ農業委員といたしましてもきわめて関心が深いのでありまして、本問題が発生いたしましてから慎重審議検討いたしました結果、昭和二十七年九月二十六日、同十一月十七日、昭和二十八年五月十四日の三回にわたりまして、関係方面に反対の陳情をいたしております。なお昭和二十七年十一月二十日には農業委員会の総会におきましても反対決議をいたしております。本地区昭和十九年に軍用地として収用されまして、終戦後元の地主に払下げになつたのであります。軍用地として収用されましたときは総価格が七十一万円でありまして、当時一万円の現金を政府が支払いまして、あとの七十万円は政府の保管になつておりましたので、昭和二十四年の六月八日、大蔵省から元の地主に払下げをなされたときは、元の地主が一万円を政府に支払つただけで取得いたしたのであります。地元民といたしましては、長い年月にわたつて防風林等を植林いたしたことでもあり、農業経営の拡充並びに増加人口の対策上、ぜひとも地元増反として開発されることを、県の委員会にもしばしば希望をいたしておるのであります。そこで昭和二十四年の六月三日に開拓委員会の適地部分が開かれまして適地の判定をいたしております。しかしながらこれは砂丘地でございますので、きわめて不安定な状態といたしまして、六月十日にも例外容認の申請を農林省に提出いたしましたところ、六月二十四日付をもつて農林省の農地局長から許可吉が来ております。同年七月二日に県の農地委員会が開かれまして、この土地の買収を決定いたしております。しるかところ元の地主から七月二十二日に異議の申立てがありましたけれども、八月十二日にこれを却下しております。さらに八月二十日に石川県知事に対しまして訴願がなされておりますけれども、石川県知事は九月九日付をもつて訴願を否決いたしております。その後十月八日に至りまして県の農地委員会及び石川県知事を相手といたしまして、元の地主が行政処分取消請求事件を金沢地方裁判所に提訴いたしております。提訴の理由は、開拓適地として不適当であるというのがその申分であります。しかしながら委員会といたしましては、同年の十月二十六日に買収令書を発行いたし、十一月八日に買収金を支払つたのでありますけれども、受領いたしませんので、金沢地方裁判所に供託しております。昭和二十七年七月五日に金沢地方裁判所におきまして判決があり、県農業委員会並びに石川県知事の勝訴となりまして開拓適地に決定いたしたのであります。しかしながら元の所有者は、さらに七月三十一日付をもちまして名古屋高等裁判所金沢支部に控訴いたしておりまして、現在進行中でございます。また元の地主は、昭和二十四年十一月二十四日に法務総裁植田俊吉を相手といたしまして、買収金の増額請求事件を金沢地方裁判所に提訴いたしておりますが、この事件は前記の行政処分取消請求事件の決定を待つておるような状況でございます。次いで県の農業委員会は昨年ようやく立竹木の調査が完了いたしましたので、昭和二十七年の五月七日に立竹木の買収計画を決定いたしたのであります。七百町歩余にわたつてこの複雑な防砂林の面積並びに石数調査でございましたので、相当時間が経過いたしたのでございますが、この買収計画に対しまして五月二十日に元の地主から異議の申立てがあり、六月三日にこれを否決いたしております。六月十九日に石川県知事に対しまして訴願が行われたのでございますが、八月二十九日には県知事もこれを否決いたしております。そこで元の地主は昭和二十七年の十一月十四日法務大臣の犬養健を相手といたしまして、立竹木買収金増額請求事件を金沢地方裁判所に提訴いたしております。現在これも進行中でありますが、このようにして本件に関してましては、行政処分の取消請求事件と、買収金の増額請求事件、立竹木買収金の増額請求事件と、このように三つの事件が現在金沢裁判所におきまして進行中でございます。このうちの一番先の行政処分の請求が最も重要な事件でありまして、県の農業委員会が第一審におきまして勝訴になつておるのでございますが、この接収の問題が起つてからこの裁判は暫時停頓いたしております。  そこでこの接収前におきますところの、県農業委員会といたしましての開拓計画でございますが、内灘地区の開拓計画は七百十五町歩の買収地に既存の村有林を合せまして八百四十三町六反について立案されております。八百四十三町六反にわたる開拓計画の内訳といたしましては、海岸から百メーターを隔てて海岸に並行いたしまして百メーター幅の主防風林を設ける、その後方に五十メーターないし百メーターの間隔を置きまして副防風林の五線を設ける、さらにこれと直角に一百メーターの間隔を置きまして二十メーター幅の副防風林を設ける、そういたしますと耕地は防風林の間に五十メーターないし百メーターの幅をもちまして、五ないし六線が造成される、こういう予定でございます。  こういう計画によりまして耕地が四百六十三町七反、防風林が三百四十八町三反、道路が二十四町三反、水槽用地が四反、宅地が九反、採草地が六町、合計八百四十三町六反、こういう計画でございます。現在この計画によりまして接収がなされておるのでございますが、現在の接収面積は四百九町六畝二十四歩、そのうち山林が二十一町一反三畝、原野が三百七十三町七反三畝五歩、農地が十四町二反十九歩、このほか波打ちぎわの国有地の百町歩を加えますと、試射場に現在使用されておる面積は約五百町歩であります。  強制接収なつた場合には、統計的に見ますと、開拓計画に上りますところの現在の接収面積が四九%に当つておりますので、開拓計画の半分に減ずるというような考え方を持たれますけれども、しかしながらこの地区は風が非常に強くして、どうしても先ほど申しましたような大規模な防風林、防砂林を設けなければなりませんので、従つて設計の変更が相当大幅に行われる必要があるのであります。その設計変更が大幅に行われるにつきましても、一時使用であるか永久使用であるかというような、その使用方法の年月によりまして、開拓計画は相当変更をされるのであります。すなわち海岸より百メーター離れて百メーターの防風林を設けるのであります。これが主防風林となつておりますが、この地点は現在接収されておりますので、防風林の設置はできない、そうなりますと永久使用の場合には、現在の接収地区を離れまして主防風林を設定しなければならぬ、こういうことに相なります。そういたしますと、さきの農地に予定されておりましたところの部分が防風林に食い込まれまして、農地に造成される部分が非常に少くなり、まだ設計変更ができておりませんけれども、大方農地は三分の一に減するのじやなかろうかというように推定されるのであります。  このように強制接収されるにつきましては、適用される法律並びに条文によりまして、開拓計画並びに訴訟事件につきましても違つた影響が出て来るのであります。現在これに対する適法といたしましては、法律第百十号と農地法の第七十八条並びに第八十条があります。第一の第百十号が適用されました場合には、開拓財産は特別会計でございますが、これは一般会計に組み入れまして、農林大臣の管轄から大蔵大臣の管轄に移りますと開拓財産でなくなりまして、強制接収の体制ができるのであります。この場合には開拓計画は大幅に変更されなければならないのであります。第二の農地法の適用の場合でも、一時使用は第七十八条によりますし、永久使用は第八十条によるのでございますが、新聞でわれわれが知つておるところによりますと、政府の考え方は永久使用ということになつておりますし、現地におけるところの相当長期を予想される設備を見ますと、一時使用ということは考えられないのであります。私どもの考えでは第八十条を適用されておるのではないかと思うのでありますが、開拓財産以外に使う場合には元の所有者に返還しなければならぬ、このような措置がとられる場合には、われわれ農業委員といたしまして国の法律に基いて私どもが未墾地買収計画を立て、長い年月にわたつて係争して、第一審に勝訴となりました開拓適地、この地区が元の所有者に返還されるということは、地元民の地元増反の意思を無視し、営農生活の目標を奪うとともに、長年月にわたつてこの地区の農地の造成に努力して参りましたところの県当局並びに県農業委員会の労を蹂躙するものでありまして、われわれといたしましてはこの措置に対して言うべき言葉を知らないのであります。
  40. 上塚司

    上塚委員長 西君あと三分ですから、そのつもりで……。
  41. 西外居

    ○西参考人 もしこのような事態に相なりますれば、どうしても政府と元の所有者の間におきまして地価の単価の問題、あるいは立竹木の単価の問題等について複雑な問題を生じ、訴訟関係におきましても重大な影響があると私どもは推定いたしております。  結論といたしまして、内灘村は現在農家戸数九百三十七戸でありまして、耕地面積が水田がわずかに四十一町歩、畑地が百十七町歩、平均耕作面積が一反六畝であります。村の昭和二十七年度の予算は一千万円でありますが、このうち四百五十万円が平衡交付金でまかなわれておるというような貧村であります。よつて農業のごとき固定した産業によつて村の発展をはかることが望ましく、開拓計画通りの農地が実現するならば、平均耕作面積は五反前後になり、砂丘地といいましても現に河北潟の水を揚水いたしまして、灌漑してりつぱな畑地ができておるのでありまして、約五十町歩ほどございますが、このようにして今後この計画を進めるならば、すいか、ぶどうかんしよ、葉タバコ耕作等によりまして生計の安定が推進されるものと信じます。われわれ業委員といたしまして農地の造成、農業生産力の向上、農家経済の安定を任務とし、食糧増産の国策を背負つておるものにとりましては、この地区が軍用地として接収されることについて賛成することができません。
  42. 上塚司

    上塚委員長 次は内灘村漁業ニツ谷外次郎君。
  43. 二ツ谷外次郎

    二ツ谷参考人 私は村民代表いたしまして、現在までの経過を申し上げます。  まず政府は四箇月を公約したのですが、現在公約を無視してたまを撃つております。公約を実行しないばかりか、かえつていろいろな機関を通じまして、部落民は共産党に扇動されておるというような報道をしばしばしております。私たちはそういつたようなことに扇動されてやつているのではなくて、まず政党的にいいますと、私たちの部落は九十九パーセント保守党であります。扇動されて現在の鉄板道路やたまの炸裂する前にすわり込みのできるものではありません。祖先伝来の土地を守るべく、愛の力によつて闘争を続けておるのであります。まず委員の各位にこれを御了承願いまして、公約通り履行すべく御協力を願いたいと存じます。
  44. 上塚司

    上塚委員長 次は内灘村反対実行委員会婦人部代表北川フデ君。
  45. 北川フデ

    北川参考人 私たち内灘婦人は、政府は冬季四箇月間というかたい約束をされながら、なお今のように継続使用されることはもつてのほかでございますから、われわれの死活問題として、特に婦人はもう死にもの狂いで闘つておるのでございます。どうぞ広大なる政府のおさばきで、この四箇月使用政府公約を実行していただきたいのでございます。
  46. 上塚司

    上塚委員長 これにて内灘関係参考人の陳述は終りました。  次に、日立工場跡東京都北多摩の空軍施設についての御意見を承ります。大和村村長内野禄太郎君。
  47. 内野祿太郎

    ○内野参考人 私は大和村村長の内野禄太郎であります。まず私の方の兵舎問題に関しますことを申し上げますが、見意はあとにいたしまして、事件の内容と経過を簡単に申し上げたいと存じております。  まずこの問題は、昨年の十月三十日付をもちまして、大和村村長あてに、都の経済局の農地課長から在日合衆国軍に提供する飛行場の新規採用について、ということの通知がございました。これはどういうことであるかというと、その内容は、立川飛行場の兵舎施設地区、それは所在地は北多摩郡大和村でございます。所有関係民有地であります。土地の面積が十二万六千坪でございます。使用目的は兵舎施設建設のため、使用計画は別紙図面の通り、こういう通達が参つたのでございます。ところでこれがそもそも問題の一番の具体的なる発端でございまして、このことは重大な問題であると私存じまして、ただちに緊急村会を開きまして、このことをお伝えしたところが、それはたいへんだ、大和村に兵舎が建設されるということは、実に重大この上もないことであるからと申しまして、結局村民の大会にも諮り、いろいろなことをいたしました。その内容あとで申し上げますが、ともかくも反対するということを決議いたしたのでございます。  まず反対の理由を一応申し上げます。言うまでもなく、その建設の決定された土地は、私ども大和中学校のすぐ道一つを隔てた前でございまして、大体百五十メートルばかりのところでございます。この土地に米軍の兵隊さんの基地ができる。しかもそれが聞くところによりますと、あるいは朝鮮に出動する人、また帰つて来た人、要するに兵隊さんが寝とまりをするということであります。それでありますからして、まず反対の第一の理由といたしまして、学校の環境、教育上——これは三つ子でもわかることでございます。第二には風紀の問題、これももう立川の問題やらほかの問題も聞いております。第三は、まず所在地に一千有余の世帯があります。それは地下水を利用して飲料としております。その水も、進駐軍が来て使つたならば、そうでなくても地下水の少い場所でありますから、これは一大事である。その他あるいは、その土地は今までは西武会社が持つておる土地でありますから、税金が徴収できますが、もし基地になりますと、これは無税地になり、税金の対象にならぬというようないろいろな観点から、まずもつて反対をいたしたのであります。そして反対は、その当時からつい最近まで、六箇月有余にわたつて極力反対をしたのであります。この反対は、ただ米軍をいたずらに排撃するとか、あるいは日米行政協定をみだりに否定するということではございませんで、ただ私の村といたしましては、ともかくも教育しただいま申し上げたようなことでありますから、ぜひこの基地を他に移してもらいたいということを、ずいぶん長い間陳情いたしたのであります。言うまでもなく、陳情は外務省、衆議院、参議院、その他東京都あるいは文部省と数限りなくいたしました。村民の大会をすることも二、三回に及んでおります。また昨年当時も、時の代議士、現在でもさようでございますが、並木代議士、中村代議士、山花代議士等にもいろいろ御援助を願つて、ずいぶん反対を継続したのでございますが、とうとういかんともしようがなかつた。というのは、一応政府におきましても、村山村に元少年航空学校跡がありまして、そこへ移していただくように私どもずいぶん運動したので、一応現地も調査いたされましたが、どうもそこはとうていできないという。最後に本年のたしか三月と記憶しておりますが、私村長あてに——私はここでこれを最後通牒と申しますが、外務省の国際協力局長からかような文書をいただいたのであります。お前の方の所在地の西武鉄道の持つている土地に空軍施設を建設するについては、もう二十七年の十月十四日付で閣議において決定済みである、その後お前さんの方の関係者からたびたび陳情があつたから、村山村の少年航空学校跡に計画を変更しようと思つたが、どうもその可能性がない、いろいろな理由からその計画は困難であることが明瞭となつたから、当初の予定通り、その西武所有の土地を使用するから、さよう承知を得たい。なお軍施設については、大和村関係者の懸念せらるる問題の解決のためには、可能なる限りの措置をとるから、もしそういうことにおいて意見を聞きたければ来い。こういうような通知が参つたのでございます。つきましては、これをまた議題にいたしまして、村民に諮りましたところ、どうも困つた問題だが、ともかくも一応まだやつてみようというので、やはりまた反対陳情に行きましたところが、局長さんにお会いして何とかならぬかと言うと、どうしてもならぬ、あなたの方でどこまで反対なさつてもこれはしかたがない、私の方は私の方、あなたの方はあなたの方だといつたようなことで、最後の談判が破裂しました。どうもやむを得ぬ、水のあわに帰したというのでございましようか、とにかくそういう結論になつたのであります。
  48. 上塚司

    上塚委員長 内野君、あと三分ですから御注意いたします。
  49. 内野祿太郎

    ○内野参考人 その後いろいろと運動いたしましたが、村の方においてはもうこれはいつまで反対してもどうにもならないじやないかというので、村民大会にかわるべきいろいろなことをいたしたのでございますが、とどのつまりそれでは反対を一応打切るとでもないが、まずそれよりも今後の条件獲得に邁進したらどうだというので、日時は覚えておりませんが、最近やはり伊関局長さんのもとに、ぜひ中学校を無償で移転してほしい、もちろんその中に小学校もあります。それから風紀の問題につき、あるいは飲料水の問題につき、その他いろいろと私の方で条件を付しましてぜひこれをお願いするということで折衝しております。大体承知はしたとおつしやいますが、決して局長さんを疑うのではありませんが、なかなか御多用ですから、まだその結論は私聞いておりません。何とかしましようというお答えでありますから、この席をかりまして各委員方々にお願いいたします。大和村は非常な貧弱な村でありまして、こういう教育のことについては反対のための反対でありませんから、学校、風紀その他私どもが申し上げましたことにつきまして、ぜひとも国家の費用をもつて全面的に実行に移してもらうことをこの席をおかりしてぜひお願いする次第であります。これで一応私の陳述を終ります。
  50. 上塚司

    上塚委員長 次は立川市子供を守る会運営委員須田エン君。
  51. 須田エン

    ○須田参考人 御紹介いただきました須田でございます。  終戦後間もなくアメリカの兵隊が進駐して参りまして、満七年間基地において市民生活をいたしました。その経験を通しまして、すぐ近くの大和村に今度独身者の兵舎ができるということを聞いて、立川の現在の状況を御報告いたしまして、どうあるべきかということを御参考に供したいと存じます。  まず御存じでもございましようが、このガソリンの井戸水はほんとうに市民が一番困る問題でございまして、ただいま市内の約四〇%にその汚水地帯が広がつております。水道のメイン・パイプはほとんどできたのでございますが、支管というものがまだできておりません。そして引きますと約十メートル九千円くらいの値段でございますので、表通りの商店あるいはいろいろな営業をしておるようなおうちは引けるのでございますが、少し横丁へ入りますと、いくら表に水道がありましても、いろいろ経済上の事情や何かで引くことができません。そして今でも赤ちやんをおんぶした主婦が両手にバケツを下げて、一町も遠い共同水栓まで雨の目も風の日も毎日くみに行きます。そのメイン・パイプも通つておりませんところは、御夫婦でお勤めにお出になる方々は、給水車が来る時間に間に合いませんもので、その水さえもらえない状態でございます。ただいま市民といたしましては、どうしてもこれは何とかして台所まで無償で引いていただきたいという声が強いのであります。第二回の日米合同委員会の方が御視察になりまして、その後昨年の七月までは、アメリカの油送管のパイプが破損して、そのためにそういうようになつたという司令官からの発表があつたのでございましたが、その後分析の結果は、どうも旧日本陸軍がガソリンを埋めたのではないかというような見解が出て、非常に今あいまいな立場で補償問題も行き詰まつた状態になつております。どちらの原因にいたしましても、これはぜひ何とか災害と見なしてただして、台所まで無償で引いていただきたいというのが、市民のほんとうの強い願いでございます。この点皆さんのお借りいただけましたらばほんとうに仕合せだと思います。昨日私基地のすぐそばの曙町の水をもらつて参りました。もし後ほど御参考にごろんになつてお飲みに——これはちよと飲めないのでございます。非常に臭くて、そばへ持つてつてガソリンがぷんぷんにおつて、これはたしか燃えると思います。このような井戸水でございます。日本国民感情といたしましても、どちらでも井戸というものはほんとうに財産の一つにしているようなわけでございまして、お正月は松飾りを飾つて祝うようなものが侵されたのでございまして、ほんとうにその痛手というものは強いと思うのでございます。この点なども十分御考慮くださいまして、ぜひ何とか台所まで無償で引いていただくことを強くお願い申し上げます。  それから次に私は母親の立場といたしまして、風紀問題を強く申し上げたいと思います。七年間の結晶として、いろいろな結論あるいは現象が出ておるのでございます。私は四人の母親でございます。長男がことし立川の高等学校を出ました。その長男のお友達が四月から三人も自殺をはかりました。最後のお子さんは約二週間ばかり前におなくなりになりましたが、その方の遺書を拝見いたしますと、ほんとうに世の中が騒々しくて、自分のような弱い気持の者にはどうしても耐えられないから、もつと静かな世界に行きたいというようなことが書いてございました。これにはいろいろ複雑な事情もございましようけれども、確かに現在の社会の圧力というものが非常に強いのではないかと思うのでございます。そして思春期のそうした内攻する青年たちは耐え切れないでそういう厭世的な方向に行くと思います。また半面非常にデカダンになる青年もありますし、非常に軟派の方向に行く青年もあります。こうしてただいま日本のむすこたちというものが非常に悩んでいるということを考え、ぜひ皆さんはお父様の立場あるいはお母様の立場で強く御自分のお子様を顧みてくだすつて、基地の子供たちがどんな環境に置かれているかということを十分お察しいただきまして、何とかお力を貸していただきたいと思います。私はその子供の臨終まで看病をいたしましたが、うちの子供などはその子供とほんとうに仲がよかつたのですが、お母さん、お母さんみたいに一生懸命に町のことをやつたつてちつとも世の中がよくならない、だからそんなに骨を折るのはやめなさいと言うのです。そう言われると私ほんとうに答える言葉が何にもないのです。子供を育てる母親として、ほんとうに勇気も何もなくなるのでございます。その点をぜひ十分お考えくださいまして、教育者の方も政治家の方ももつと子供を大事にしていただきたいと切実に思います。  それからパンパンの政策でございますが、昨日の朝日の都下版にございましたが、立川のただいまのパンパンの政策というものはこんな状態ではないかと思うのであります。ただいまこれをお読みいたしますけれども、この点で二つの非常な疑問を持つておるのでございます。それは米国の当局が現地の機関と直接交渉ができぬものかということと、いま一つは、これをずつと読んで行きますと、検診カードというものを発行するということがあります。ただいま日本は公娼を廃止しておりますけれども、こういうものを認めた場合に、公娼をまた認めることになるのではないか。こういう二つの疑問を私は抱いております。御参考までに大急ぎで重点のところだけお読みいたします。「ホテル、バー業者組合でつくつた美化協力会発行の身分証明書、検診カードを持たせる」「営業者は自発的に洗条器、その他衛生器具を整える」「検診は週二回とし、このほかに場合によつてはその都度検診する」「身分証明書、検診カードを持たない女は業者で雇わないこと」「検診で被病とわかればカードを渡さない」「カードを持たぬ者はホテル旅館で泊めないこと」「女が病気にかかつた場合は治療代は雇主が持つ」——なおいろいろございますが、この検診カードにつきまして町のいろいろな方にお聞きしますと、その検診カードには写真が張つてありますが、その写真をとつてしまつて売買されておるということが聞かれるのであります。そうしますと、それがほんとうに罹病しているかいないかという判断が非常にあやふやになりますし、またホテルへ持つてつた場合にも、女中が、その検診カードと本人とがほんとうに一致しているかどうかを見わけるのにも、非常に不明瞭だと思います。こんなあいまいなやり方では性病の対策というものはほんとうにできないと思うのでございますけれども、この点も御参考に申し上げます。  また私たち母親として一番嘆かわしいことは、業者の方のお言葉を——それは全部の方ではないでございましようけれども、業者の言うことをお聞きしますと、アメリカがどうなろうとアメリカの青年がどうなろうとかまいやしない、この際持つている物ならとれるだけとつてやろう、そういう主義であります。これは私母親の立場として、アメリカのむすこたちがそういう持つているものをとられるために堕落するということは、ほんとうに見ていられないのでございます。この点どうしても私が強く申し上げたいと思いますのは、業者にいま少し自粛していただいて、ほんとうに正しい立場で営業をしていただきたいということでございます。日本の子供もアメリカのそういう青年たちも同じことでございます。どうなつてもいい、今の時勢だ、とれるたけとつたくるという主義でなさる。ことにこれは業者ばかりではありません。市の理事者もそのような傾向がございます。話に聞きますと、市会議員の二、三人の人は置屋をしているということもございます。町の有力者までがそのような方向に行くということが、どのような結果をもたらすかということは、十分皆様お考えいただけると思います。そして私たたちがいろいろ風紀問題を市の当局などに申し上げますと、町がそれで潤つているのだから何もそんなに言うことはないということをおつしやいますけれども、市民税一つをとつてみましても、私たちの立川市は地方税法の第三百十一条第二項で市民税をとられておりますが、これは御存じの通り非常に富裕な町に適用される税率でありまして、八王子あたりよりもずつと高うございます。このように税金というものが基地の町の経済にどう影響しているかということを考えますと、非常にその点私たちは疑いを持つのでございます。私たちはこうしてたくさんの税金を払わなきやならない。それなのにどういう点でこの町は潤つているというのでしようかという疑問を抱くのです。そして、やはり一部のそういう業者だけが潤つているという結論が出るのではないかと思います。また私たち母親は、いろいろ基地の教育対策といたしまして、図書館の設立とかあるいは運動用具の整備というような問題で、毎日のように子供たちに学校からいろいろと寄付を持つて来られます。その寄付の紙というものは税金の紙よりも恐ろしいのです。税金は市役所にお願いして幾日か待つてはいただける。ですけれども、子供たちから、お母ちやん、これまた持つて行くよと言われると、うんうんなんて言つて、ほんとうにない金を持たしてやるような状態であります。この点などを考えますと、どうしても、基地の特別予算というものをいただかなければ、基地の家庭の経済というものはなかなか守れないのでございます。また、先日も読売新聞だかにございましたけれども、基地の子はめしべ、おしべじや間に合わずというような川柳がございましたが、これはほんとうにそうだと思うのでございます。衛生具まで路傍に落ちているような状態であります。そんな上品な教育をやつていたつてとても行かない面があるのでございます。この点文部省あたりでは基地の特別の教育対策というものを十分に立てていただかなければならないと思うのでございます。  それから日米合同委員会のことでございますが、各地にそういうものかできるということを新聞で承りましたけれども、もうほんとうに私たちはお役人だけにはとてもこのことはおまかせしていられない時期ではないか思います。どうしてももつと市民の声というものがそういう日米合同委員会に強く反映しなければ、ほんとうに問題は解決されないと思います。どうしても私たちにそれを強く申し上げたいのでございます。  それから爆音でございますけれども、御存じの通り立川には朝から晩まで大きな飛行機が飛んでおります。先日落ちまして全部で百二十何名の犠牲を出されたあの大型の飛行機も二、三日前からまた飛び出しております。そして生徒たちは授業をしましても、一一そのたびでごとに先生はお話をやめなければならない。そして通り過ぎますとまた初めから繰返してやり直しておられるような状態で、ほんとうに困るのでございます。また、睡眠不足になりましたり、あるいはいつ飛行機が自分の頭の上に落ちて来てあのような惨事にあわないとも限らないという危険感を非常に覚えております。こういう問題はほんとうに目に見えない問題でございますけれども、精神的な影響というものはほんとうに強いものでございますから、ぜひこの点も御参考にしていただきたいと存じます。
  52. 上塚司

    上塚委員長 須田君、あと三分です。
  53. 須田エン

    ○須田参考人 このように私たちが七年間立川に、基地の市民として生活いたしました結論といたしましては、進駐して来た当時とは市民感情というものが非常にかわつております。それはほんとうに生活を通してアメリカに対する感情というものがかわつているのです。これは決してイデオロギーから出た反感ではないのでございまして、毎日の生活を通していろいろな圧力を感じた結果の感情でございまして、これはアメリカの方も十分御参考になさらないといけないのではないかと存じます。この市民の反米感情というものはほんとうに根強いものでございまして、ある例をとりますと、お隣で御飯をたいておりましたら、煙が出るというので、その隣に住んでおいでになつたオンリーのアメリカの人が、御飯のまだたけないうちに水をかけてしまつた。そのときに日本の警察へ行きましたら何もとり合つてくれない。そこである方が基地へ行つてお願いしてMPにやめさせていただいたというような、そういうほんとうに毎日の一番大切な御飯をたくとか、それから水をくむ音が朝から晩まで非常にうるさいというので、その井戸の手を縛つてしまつて水がくめなくなつてしまつたということもございます。そのようなことはほんとうにささいなようなことでございますが、生活にはなくてはならない水でございます。こういうことからの反感というものが大きくなると、ほんとうに大きな問題になるのではないかと思いますから、その点十分お考えいただきたいと存じます。  まだいろいろございますけれども、またの機会に申し上げることといたしますが、ぜひ何とぞ——私は全国の基地の母親を代表したつもりで、何とか皆さんのお力によつて、基地の子供やお母さんが幸福に毎日を過せるようにしていただきたいということを、強くお願い申し上げまして、御紹介のごあいさつといたします。
  54. 上塚司

    上塚委員長 これにて暫時休憩いたします。午後一時三十分より再開することといたします。参考人各位には、一時三十分までにこの委員会においでくださらんことをお願いいたします。     午後零時四十一分休憩      ————◇—————     午後一時五十六分開議
  55. 上塚司

    上塚委員長 休憩前に引続き会議を開きます。  これより参考人に対し質疑を行うことといたします。質疑は各地区ごとに進めることとしまして、所要時間は各地区一時間といたしたいと思います。政党順によつて発言を許します。まず大高根に関する質疑をいたします。喜多壯一郎君。
  56. 喜多壯一郎

    喜多委員 私は先ほどの大高根参考人の中の笹原さんにお尋ねしたいのですが、笹原さんの発言中、七年間も使つてしかも金はその村の大地主とかボスへ補償された。特に齊藤村会議長には六十八町歩の所有地にもかかわらず百七十八万円も行つておる。しかもその日その日をその土地で暮しを立てている灰焼きの諸君には手薄であるという発言がありましたが、これはあらためて何ゆえにそういうようなことが起きているか、それは外務当局の手落ちであるか、あるいは特別調達庁あたりの手落ちであるか、あるいは村当局の手落ちであるか、参考人はどうお考えになりますか。
  57. 笹原三次郎

    笹原参考人 齊藤吉太郎が六十八町歩と今おつしやいましたけれども、六町歩とちよつとです。それが百七十万円もらつた、これは事実なんです。それでほんとうに苦しんでいる炭焼きとか接収地内に田畑を持つている農民、ほんとうに苦しんでいる一般大衆はほんとうに涙金しかもらつていない、そは事実なんです。だけれどもそのいきさつ——どこに手落ちがあつてだれがどうした、どうのこうのということは私どもはわかりませんけれども、とにかく現実は現実なのです。だから喜多さんからおつしやられましたように、どこに手落ちがあつたと私ははつきり断言できないのです。ただ現実の問題を私は言つたのであります。
  58. 喜多壯一郎

    喜多委員 わかりました。そこで伊関政府委員にお尋ねいたしますが、かような事実が現地から委員会に報告されましたが、外務当局としてはいかにお考えになりますか。
  59. 伊関佑二郎

    ○伊関政府委員 補償の問題は私どもの所管ではありません。特別調達庁です。
  60. 喜多壯一郎

    喜多委員 特別調達庁の主管だということですが、この点については保留しますから、至急出席を求めておきます。  もう一つ外務当局にお尋ねしますが、特別調達庁にもしかような手落ちがあつて、私たちも聞き捨てならない事情があつて、反米感情等が培養されるということに対しては、外務当局は役所と役所の関係でどういうふうにお考えになりますか、局長の御意見を伺いたい。
  61. 伊関佑二郎

    ○伊関政府委員 私はこの間大高根に参りましたときも申したのでありますが、補償が遅れておるとか不十分であるという点は、政府としてまことに申訳ない、この点は政府としては敏速に改めなければならぬ、こういうふうに考えております。
  62. 喜多壯一郎

    喜多委員 重ねて局長にお尋ねしますが、改めるのに何か現実的な方法をお考えになりましたか。
  63. 伊関佑二郎

    ○伊関政府委員 私もあまり詳しくは存じませんが、一つの問題は概算払いという制度を今研究いたしております。これができるようにしたい、こう考えております。そのほかにもいろいろとまだ改めるべき点があるだろうと思いますが、私どもが聞いております一番大きい問題は概算払いの制度である、こう思つております。
  64. 喜多壯一郎

    喜多委員 たいへんいい御意見です。私どもは今の笹原参考人の事実の陳述等によると、やはり政府部内における手落ち、政府部内におけるところのなわ張り争い、そういつたことから遅れて来ることを非常に遺憾に思いますから、概算払い等のことがもし実行できるならば、大いにこの委員会に諮られて、委員会の力によつて実現するようおはからいになることがいいと思います。  同時に重ねてお尋ねしますが、伊関局長は先般大高根に行かれたそうだが、問題は砲座の位置だということです。私どもが見ると、この狭いところに大きな地域を持つ砲座、しかも機関銃とバズーカの砲座を入れると四つありますが、こういうものは日米合同委員会において集約して、地元民の迷惑を最も集約するというふうな名案はありませんか。
  65. 伊関佑二郎

    ○伊関政府委員 私は現地に参りまして、現実の要望といたしましてはその第二、第三の砲座を移してほしいというのが現実の要望でございましたので、その通りにはからうことにいたしております。
  66. 喜多壯一郎

    喜多委員 大高根村長さんの後藤さんにお尋ねします。今の伊関局長の答弁によると、砲座を移転し、少くするようですが、それは村にとつて最も望ましいことであるように私ども思いますが、どうですか。
  67. 後藤三郎

    後藤参考人 ただいまの質問に対してお答えします。去る二十九日、合同委員会の方からおいで願いまして、現地を調査され、また村民の要望もお聞きくださいましたが、砲座の移転位置については申しかねたのであります。あの当時現状を視察されて、どなたから見てもあの射撃場は危険だということも見ていただきましたように感じております。だからしてこの辺について、村民も何とか弾道を変更してくださるならばという考えを持たれて、弾道の変更の結末について一時も早く連絡を待つておる現在であります。
  68. 喜多壯一郎

    喜多委員 参考人のうちの細谷さんの発言中にありますことを細谷さんにお尋ねします。伊関局長の公約云々という言葉がありましたが、これは現地における公約でありますか。
  69. 細谷忠治

    ○細谷参考人 それは六月二十九日に、日米合同委員会から現地に調査に参られましたときに、伊関局長さんが小学校の講堂に地元の人たちと一堂に会した席上におかれまして、視察されました当日、第二、第三砲座は危険ですから、早急に処置したいというふうにお話になつたように私は受取つております。
  70. 喜多壯一郎

    喜多委員 ただいまの細谷参考人のお聞きになつた公約ということは、伊関局長が先ほど私に答弁してくださつたいわわる砲座の位置の移転及び数を少くすることとわれわれは解釈してよろしゆうございますか。
  71. 伊関佑二郎

    ○伊関政府委員 その通りであります。
  72. 喜多壯一郎

    喜多委員 私はこれで大高根質問を打切ります。
  73. 上塚司

  74. 上林與市郎

    ○上林委員 私がただいまから質問をする参考人の皆さんは非常に遠隔の地の方々であるばかりでなく、非常にお忙しい時期にこちらに来て実情を訴えておられるのでありますが、これも関係者の希望する問題を全面的に解決するためにはやむを得なかつたと思います。時間の関係もありまして先ほどの陳述に足りない点もあつたかと思いますので、具体的に二、三質問を申し上げたいと思います。  まず村長さんにお伺いいたしますが、この前私が地元にお世話になつた際に、かつて提出されました進駐軍射撃用地接収による減損に関する請願書の写しを私いただいております。この書類は昭和二十六年とあるだけで月日は明らかでありませんが、これはおもなところでよろしいのですが、どこどこに出しているか、まず最初に伺いたい。
  75. 後藤三郎

    後藤参考人 ただいまの御質問でありますが、昭和二十六年から中央にこの射撃場について請願書を提出してありますが、おもなるところは、先ほどもかいつまんで説明申し上げました通り、小林のあらゆる方面の所得というものはまつたく大なるものでありまして、海岸に生活をしておる国民は海を基盤とする、山間地に生活しておる国民は山を基盤とするということを申して過言ではなかろうと思います。それで現場の面積からいいますれば四千七百町歩というような大面積であります。先ほども私は私の村のみを対象として申し上げましたが、この三千町歩については、ほんとうに百姓といわず事業家といわず山林をほんとうの力としておる。たとえば農民については家畜の飼料、そのほかに肥料等の原料となる青草、干草、こういうものがなくしてはほんとうの食糧増産はあり得ない。なお金肥のみではとうてい採算をとり得ないのであります。これは大事な問題でありまして、なおそのほかに山菜、燃料、製炭、その他あらゆる方面のものを山林から収穫して生活生命線を補つておるのであります。  なお大きく申し上げたいのは、農林省が終戦早々より全国にわたつて緑の山をつくるようにというわけで、補助金なり苗木を無償で交付して造林を国民実行させておるやさきでありますが、私どもの射撃演習用地として接収された土地に対しては、その実行は不可能でありまして、三十年、五十年後において該当している町村がどのくらいの苦しみを受けるかということを考えますのに、どの線まで政府補償してくださるかどうかということもかたくお伺いいたしたのであります。  なお私どもでは義務教育が延長されまして、中学校を他に建てなければならないという関係から、接収される前もつて村民座談会を開き、村当局、議会におきましても相談一決して、二十三年から五年まで三箇年間において全体計画を実行する運びになつていたのであります。突然接収されました結果、学校の全体計画はとうてい不可能となりまして、小刻みに学校を建築して、現在までに全体計画の三分の二経過しております。だから三分の一は政府において補償してもらいたいという心持は十二分にあるのです。私から言えば、村民もこういう線で相談一決なりましたが、進駐軍接収されたがために、一家ごとの収入面がずつと少くなつて、寄付も何もできなくなつたというような観点から、現在のような建前になつております。
  76. 上林與市郎

    ○上林委員 最初に私が質問いたしましたのは、今村長さんの言われましたような請願書の内容質問以前に、請願書を提出したおもなる箇所を聞きたかつたのですが、この次の質問の場合に二、三指摘してもらえばよろしいのです。請願書の内容は今承りました。  そこで第二にお伺いしたいのは、これに対する回答と申しますか、先ほど参考人が述べましたことで漏れた点があつたらお伺いしたいのですが、総体の金額は幾らだつたか、もう一つは、いわゆる大高根射撃場と言つているのですが、関係村は西郷、冨本、戸澤、大高根、この四箇町村になつているのですが、この四箇町村に対する補償金額になつているかどうか、この二つを承りたい。
  77. 後藤三郎

    後藤参考人 これは一町四箇村において請願書に調査されて来た額は、昭和二十三年から昭和二十六年の八月末日現在であります。この分については一町四箇村で村財政から見た損失額は九百三万円と若干であります。それから二十三年から二十六年の八月末日現在であらゆる方面の村民の減損額と申しますか、これは一億七千六百……。
  78. 上林與市郎

    ○上林委員 この一億七千六百何がしに違いありませんか。
  79. 後藤三郎

    後藤参考人 そうです。
  80. 上林與市郎

    ○上林委員 そこで政府当局にちよつとお伺いいたしますが、今まで補償した金額と、関係町村で要求いたしました補償金額とは大分開きがあるようであります。この間現地合同委員会関係者が参りまして、砲座の移転につきましては、ただいま同僚の喜多委員質問に対する答弁がありましたように、一部明るい希望が持てる節もあるが、今まで出した補償金額でいいと思つているかどうか、また今後関係町村の期待に沿い得るような用意が今すでにできているかどうか、この点を伺いたい。
  81. 伊関佑二郎

    ○伊関政府委員 先ほどもお答えいたしましたように、補償の点は私の方の所管でございませんから、調達庁にお尋ねを願います。
  82. 上林與市郎

    ○上林委員 それでは調達関係の分は保留いたします。  次に、詳しい数字はいりませんが、今まで補償を受けた金額を配分するにあたりまして、疑点が二、三残つておるようです。それで配分の内容は今私ここでただちに聞こうと思いませんが、村長さんでもその他の方でもよろしいのですが、これを配分する機関と申しますか、それは村当局でやりたのか、あるいは村議会でやつたのか、あるいは他の団体がやつたのか、それをお答え願いたい。
  83. 後藤三郎

    後藤参考人 ただいまの御質問でございますが、関係方面からおもらいした金は、離作料、借上料、そういう方面は規定されておりまして、特別調達局の方で個人別に割つて支払いされております。そのほか立木の中間補償も、本人から申告した書類によつて査定して本人に直接支払いされております。それから最近いただきました一町四箇村に対する一般補償といいますか、四百千万と若干、これも各部面にわけて、採草、製炭、山菜、まきというような四項目にわけて各村ごとにもらつております。
  84. 上林與市郎

    ○上林委員 細谷忠治君にちよつとお伺いしますが、先ほどあなたが公述する際に、基地反対ではないのだ、こういうことを述べておりました。この問題をよりよく解決するためには、政治問題にはあまり触れない方がいいのじやないかという地元の方々の——私のそんたくでありますが、そういう趣旨は了解できないこともありませんが、なお念のために申し上げておきたいことは、第一の希望は、やはり砲座がない方がよろしいのじやないでしようか。政治問題に触れない方がいいのじやないかという気持は十分わかりますけれども、これは今後砲座問題を取上げるについて非常に大事な問題ですから、村民代表して来た人が、こういう席上ではつきり言つた方がいいと思うので私はあえてお尋ねするのですが、大多数の村民の第一の希望は、基地がない方がいいのだ、反対とか云々は別にして、砲座がない方がいいのじやないか、こう理解してよろしいですか。
  85. 細谷忠治

    ○細谷参考人 ただいま上林委員が申されましたように、砲座がない方がいいのじやないか、これはないに越したことはないのであります。しかし今まで七年も使つて来た砲座をすぐになくしていただきたいというふうなことは、基地反対であろうというふうに解されることに対して非常に懸念を持つ村民は、そのことを言い切れないままに、頭の上を飛ばないようにというような表現で現わされたわけでありまして、実際問題としてどちらがいいかということになれば、できれば大砲だけでも射たないで、あの接収地は普通の歩兵隊の演習場に使用されることはしかたがないではないか、しかし一歩進んで現在使用されている砲座が全然なくなれば、なおさら村民のためにも、周辺の住民のためにもどれだけよろしいかということははつきりとしているのであります。
  86. 上林與市郎

    ○上林委員 これは皆さんが答弁に苦しむような質問をするようで無慈悲に聞えるかもしれませんが、これは全面的な解決をするために非常に大事な問題ですから、私はあえて聞くのですが、この点について村長さんは別な考えを持つていらつしやるのでしようか。
  87. 後藤三郎

    後藤参考人 ただいまの質問をもう一回お願いしたいのです。
  88. 上林與市郎

    ○上林委員 第一の希望は、やはり砲座が全然ない方がいいというのが村民の希望じやないのでしようか。
  89. 後藤三郎

    後藤参考人 ただいまの御替同に対しては、ただいま細谷忠治君が申し上げました通り、ないのをほんとうに村民が希望しておりますが、いまさら反対というようなことは申し上げかねる
  90. 上林與市郎

    ○上林委員 よくわかりました。それでもう一つお伺いしますが、この間聞きますと、六月二十九日日米合同委員会が視察と申しますか、向うに参つておりますが、この席上で、この第一希望を率直に申し上げているのでしようか。この点を村長さんでもよろしいし、他の村民代表者でもよろしいからお答え願いたい。
  91. 笹原三次郎

    笹原参考人 私からお答えいたします。二十九日に日米合同委員会の人たちが現地にお見えになりましたとき、各種団体、また各階層から要求書を出しましたが、その中には、どれ一つとして基地をなくしてくれというような要求はないのであります。だけど、ほんとうに困つておる製炭業者や一般大衆農民は、これははつきり言つておるのであります。どんなことがあつてもなくしてもらわなくては困るんだ。だけどなくしてくれと言つても、今すぐにはなくならないだろう。そうしてまたこんなことを言うとあれは共産党だとか、赤だとか言われるから、何も言えないで村の幹部にまかせているような状態であります。
  92. 上林與市郎

    ○上林委員 従来の村民の帰境から生れて来る——これは悪い口葉ですが、事大主義と申しますか、事大思想と申しますか、七年も砲弾下に苦しい生活をして参りまして、なおどうにもならないんじやないかという一つの諦観、あきらめがあつて合同委員会の席上でも、村民の胸の中にある第一の希望を言わなかつたことはまことに遺憾ですが、政府当局は、一町四箇村の町村民は、第一希望としては、やはり砲座はない方がよろしいということをこの記録にとられてありますので、この第一希望を考慮に入れて、今後補償その他砲座の変更等について善処されんことをこの席から要望しておきたい。
  93. 上塚司

  94. 池田正之輔

    ○池田(正)委員 今の上林君のお尋ねに関連してまず伺つておきたいと思うのです。今までの補償はつまり立木の中間補償ということになつておる。それからそのほかの、たとえば肥料あるいは山菜、私の持つている資料によりますと、その村の大多数の人たちは、春になればわらびをとつたり、たけのこをとつたり、秋になれば、きのこをとつたり、一日きのこをとりに行けば、いい日には千円以上になる。ところがわずかに一人当り千五百五十九円しか行つていない。それから堆肥の関係で一戸当りに配分されたものはわずかに七百六十九円十銭、それから燃料代としては三百二十五円六十七銭、一体こんなものを出して——今特調の長官は来てないようですが、これは伊関君も関係があるので、あなたの御感想を伺つておきたいのだが、これで十分だとお考えになるかどうか。
  95. 伊関佑二郎

    ○伊関政府委員 被害実態を調査いたしておりませんから、十分かどうかお答えできませんし、よその所管でありますから——この間行つて見ましたときには、ずいぶん少いのじやないかというふうな、これはしろうととしての印象を持つただけであります。
  96. 池田正之輔

    ○池田(正)委員 そこで地元の方にお伺いいたします。立木払下げについて笹原君からさつきお話もありましたが、立木補償の金が齋藤某という村会議長には不当にたくさん行つておる。それだけ聞くと、どうもあまりたくさんで、これからの補償はいらないというふうに響くのです。おそらくあなたの言わんとするのは、よその人と比較して齋藤成長は多い、こういう意味だと思う。そうじやないと、これは立木補償のときにうんともらつてしまつて、全体多いのだという印象を与える、そこのところをもう少しはつきりおつしやつていただきたい。
  97. 笹原三次郎

    笹原参考人 ただいま池田さんから言われたのはその通りであります。立木の損害補償金が齋藤吉太郎村会議長さんにたくさん行つてあといらないと皆さんがお受取りになるように誤解されるといわれましたけれども、立木の損害補償百八十万、二百万近くの金をもらつたのはほんの一部分二、三人だけで、たくさん土地を持つていても千円とか二千円とか一万円とか五千円とか幾らももらわない地主が五、六十人おるのです。決して立木損害補償が多過ぎたというのじやなくて、立木の損害補償自体すらももつともつともらわなければならない。それに比較すれば、炭焼き農民はものの数でないというふうに私は説明したいのです。
  98. 池田正之輔

    ○池田(正)委員 それで大体趣旨はわかりますけれども、さらにぼくはこの機会にむしろ笹原君の説を敷衍して、これは各位の御注意を喚起し、さらに政府委員が今来ていないが、ぼくはほかに行く関係上待つているわけには行きませんから、これだけにとどめたいと思いますが、さつきたまたま名前が出ました齋藤吉太郎君の先ほどの数字は全体で、一部をとりますと、一箇所百二十五万六千百五十四円という金が支払われておる。この間会計検査院に行つて調査したところによると、八十四万八千三十円という数字が出て来ておる。これをもつて見ても、その一箇所ですでに四十万円以上の不当支出がなされておる。それから大沼某は三十六万八千余円を出ております。ところが会計検査院は十四万が至当である。それから細谷金次郎には三十六万円千円払つておる。これは実際には会計検査院では十五万幾らが至当である。こういうような数字を出しておる。そこで、今の笹原君を初め地元の諸君が政府のとつた措置に対して全体の額が少いということがまず第一であるが、それともう一つは、今言つたように、そういう不公正な取扱いをしたということに私は大きな問題があると思う。これについては、後の機会にはつきり調達庁にも申すつもりでありますが、合同委員会の伊関君もここにおいでですから、十分あなたの頭に入れておいてもらいたい。これは私の想像でも何でもない。昨日私が会計検査院の検査院の検査課長から手に入れた資料である。そういう不当なことになつておるようだから、この点について、つまりこうした問題を解決する上におきまして、政府はあらゆる面に十分留意して、国民に不満をなからしめるという行政措置をとつてほしい、こういう点を一つ警告しておく。  さらに県の当局の方にお尋ねしますが、この村の上を大砲のたまが飛んで行つておる。先ほどの御説明ではなるほど時間がなくて、あなたは打切られてたいへんお気の毒いたしましたが、私も現地を知つておるのですが、頭の上を飛んでおる。しかもそれが占領中よりも講和条約発効後においてはげしくなつておる、こういうばかげた状態になつておるのですが、一体県当局は、それに対して、たとえば中央官庁からどういう命令を受けてやつたのか、その間に処してどういう処置をとつたのか、その点を伺いたい。
  99. 阿部幸一郎

    阿部参考人 お答えいたします。弾道下に部落がある。しかも絶えず空中炸裂の危険が伴う、まさに人道上許すべからざる事態であります。現地民にとつては日夜戦慄すべき状況下に置かれ、こういう事態の改善につきまして、昨年から政府の善処を要望しております。幸い去る二十九日に合同委員会現地見えまして、この戦慄すべき事態をはつきり認識され、近く砲座を変更する意思であるということを言明されました。県といたしましても、合同委員会の善処を首を長くして待つておるような状況であります。先ほどのように規模が小さくできるかどうか、そういう技術的な面は県としてわかりません。少くとも人が住んでおる上をたまが通らないという事態に改善したいことには疑念なく期待できるものと考えております。
  100. 池田正之輔

    ○池田(正)委員 そこで伊関局長に私はお尋ねしますが、先ほどの同僚の御質問に対する答弁では、ちよつとあいまいなところがあるのですが、この図面によると、現地状態から見ますと、これは第二砲座、第三砲座というのは無理なんですね、これを全部やめてまたほかへ持つて行くとすれば、またそのほかで問題が起ることは明瞭です。おそらく不可能ではないかと思うのです。そうなつて来ると、第二、第三はあつさりおやめになつて、そうして第一だけを使つて、しかも部落の上を通つておりますものは補償してやるというお考えがありますか。
  101. 伊関佑二郎

    ○伊関政府委員 第一だけにいたしますと、第一の砲座の面積が狭いのであります。それからもう一つ第一に参ります最上川の鉄橋も木橋でございますが、これも鉄橋にでもかえませんと、重い砲が持つて行けないというような点がございますので、第二、第三を一緒にしまして、どこか人家の上を通らぬところを探す、その探す仕事は県知事と現地の部隊の司令官、この二人が至急やるということになつております。
  102. 池田正之輔

    ○池田(正)委員 別のところに持つて行けば、またほかの土地を使う、その場合にそうした了解を得られるものとあなたはお考えですか。
  103. 伊関佑二郎

    ○伊関政府委員 その場合県の方で善処してくれるものと思つております。ともかくほかへ持つて行きますれば、現在の場所は人家の上をたまが通りますが、今度は人家のないところへ持つて行く、それから現在のところは解除になるわけでございます。これは現地の希望が移してくれという希望でありますから、移すことを原則にして私の方は話をつけたわけであります。場所を探すということは県の方でやつてくれるわけであります。
  104. 池田正之輔

    ○池田(正)委員 これは大体今あなたがおつしやるように、そういう人家の上を通らない、たんぼもつぶさないというようないいところがあつてくれれば、それでけつこうでありますが、しかし私はそこまで詳しくは知らぬから、これは県当局なりあなた方におまかせしますから、そういう趣旨でお考え願いたい。それから今後の賠償の問題になつて来ますが、一番大きいのは何といつても製炭業者がその一つだと思う。そこで製炭業者に対して、たとえばその人たちが製炭にさしつかえる、そうするとその損失を毎年々々、その年その年によつて捐害額を割出して、それに基いてやつて行こうとなさるのか、それとも一時金でなさろうとするのか、一時金でなされるとすれば、一どきにどのぐらいをお払いになろうとされるのか、その点を伺いたいと思います。
  105. 伊関佑二郎

    ○伊関政府委員 遺憾ながら私の方の所管でございません。
  106. 池田正之輔

    ○池田(正)委員 委員長政府委員はどうしたのですか、こんなだらしのないことでは困ります。
  107. 上塚司

    上塚委員長 たびたび督促はいたしております。
  108. 池田正之輔

    ○池田(正)委員 院内にいるのか、どこにいるのか、料理屋へでも飯食いに行つているのか、はつきりしてもらいたい。
  109. 上塚司

    上塚委員長 午前中より数回時間を示してやつております。
  110. 戸叶里子

    戸叶委員 局長がいらつしやるまで、一点だけ質問させていただきたいと思います。  細谷さんに伺いたいのですが、この土地を射撃場決定するにあたりまして、村なりあるいは県なりが村民の方方の同意を得られたかどうか、得られたといたしましたならば、そのときに村民方々がどういう態度をもつて臨まれたか、あるいは知らずらずのうちに決定されたというようなことはなかつたかどうかを承りたいと思います。
  111. 細谷忠治

    ○細谷参考人 ただいまの御質問にお答えいたします。接収射撃状況という記録をとつておりますが、それを簡単に読んでみます。「昭和二十年九月十五日神町にアメリカ軍先発隊到着の日、昭和二十一年三月接収のうわさあり、山は射撃場となることなどとても信ぜられぬままに五月になる。五月大高根射撃場に義務人夫として発射場整地のため村民が動員されるようになり、ほぼうわさがほんとうらしく感ぜられるようになる。六月標的の設営作業に動員される。八月完成してみると、一番から十三番まで標的が全部民有地の海抜二百メートルより六百メートルまでの宮下に面せる山の斜面にでき上つて、初めてうわさの真実性を加えた。しかし実騨が撃たれようとはとても信ぜられなかつた。十二月四日最初の実弾射撃が数発城見沢に命中、雪中爆発して黒く四散したなまなましいあとを見ていまさらのごとく驚く。十二月三十一日接収地となる。」これは非常にあとで村の人にわかつたことであります。先ほど村長さんが申されましたように、接収地だというような名前すら非常にあとでわかつたのでありまして、二十二年四月ごろから引続き射撃が行われてしまつた。それで村の人はそれに対して肯定も否定もなく、ずるずるべつたりに、昭和二十一年の五月から設営作業に使われて、現在のような使用状況に入つてしまつたのであります。
  112. 阿部幸一郎

    阿部参考人 関連して申し上げます。占領期間中の調達のことにつきましては、御質問の趣旨でないと思いますので省略いたします。大高根地区講和発効後の調達に関しましては、あらかじめ合同委員会より県を通じて現地民に対して調達の意思を伝えて参りました。これにつきまして県は地元の意見を総合して調庫に一応は反対をいたしました。反対といいますのは、大高根射撃場調達されることについてやめてほしい、他に直接こういう大きな損害の発生しない地域に持つてつてもらいたい、こういう要望をいたしました。しかし合同委員会のいれるところとならずして調達をする大体の方針が決定しましたので、関係者の利益を最大限に守り、犠牲を最小限度に食いとめたいという考え方から、現地民の要望である地域内の立入りあるいは農耕等について、さらに合同委員会意見を出しました。しかしこの点につきましても、午前中に申し上げましたように採草採木に類似する生産の目的は許可されました。しかしながら立入りの日にちは一週間に最小限度一日、春秋一週間に二回というような限度を付され、農耕、居住は全面的に禁止された、こういう過程であつたわけであります。現地関係者に対しては、その都度村当局を通じて関係者の大会等を聞きまして、会議をいたして参りました。但しこの点御質問からそれるかと思いますけれども、調達についての基本的な態度は先ほど触れましたが、大体県が見ておるところによりますと、関係者の大半は、日本の今置かれている状態から判断いたしまして、やむを得ないものじやないかという態度でありました。以上お答え申し上げます。
  113. 戸叶里子

    戸叶委員 今阿部さんのおつしやつたことと細谷さんのおつしやつたことには、非常な食い違いがあると思うのです。細谷さんの御報告は村民接収地になることさえ知らなかつたというようなお話でございましたが、その点は一体どうなつているのか。それからついでですから、伊関局長に伺いますけれども、先ほどの阿部さんのお話だつたと思いますが、非常に破片から受ける影響が大きいので、そこで合同委員会に申し込んで、一日も早く調査してもらいたいと百を長くして待つていたので、伊関局長がいらした、こういうふうに聞いております。そうであるといたしましたならば、一体伊関さんは、各地においてそういうふうないろいろな問題があると思いますけれども、先ほどどなたかもおつしやいましたように、あるいはそういうような国の政策に反対すると、赤だとかあるいは共産党だとかいつて宣伝されるのがこわさに、うやむやのうちに泣寝入りをして、不便をも黙つておるというようなところがたくさんあると思うのです。それがあるにもかかわらず、現地からやかましく要望されなければ行かない、そうするとそこに非常に大きな予盾がある。村民が非常な迷惑をこうむつているときに、声を出したくても赤だ共産党だと言われるし、またそういうような声を出さなければどんな不便も黙つていなければならない、こういうような不合理な点もあるだろうと思う。こういう点に対して一体どういうふうに日米合同委員会で解決しておられるかを伺いたい。
  114. 伊関佑二郎

    ○伊関政府委員 私の方はちやんと県体的な理由をあげてこういう点が困るということを言つて来られれば必ず取上げております。非常に全国に数が多いので、処理する面におきまして時間が遅れるという点はございますが、必ず取上げております。私の方は決してそういうふうな具体的な理由に対して、これを共産党とかなんとかいうふうなことを申したことはございません。
  115. 阿部幸一郎

    阿部参考人 細谷参考人と私の陳述が食い違つていると御指摘ですが、細谷参考人が述べられたのは占領期間中における調達の過程を述べられたのでありまして、私は講和発効後の講達の状況を申し述べたのであります。従つて意見は食い違いますわけであります。  それからもう一点、これは私への質問ではないのですが、騒げばということについてちよつと触れさしていただきます。この点は騒げばという言葉は非常に語弊がある言葉であります。やはり従来政府のとつて参りました措置については現地関係者としても、いつまでも黙つておれないという状態がたくさんございました。午前中のそれぞれの参考人が陳情されました通りに、被害はきわめて大きい。しかも製炭業者のようにあすからどうして行こうかというふうな実態に追い込まれている者がこの地区内だけで六百四十何戸もある、農地をとられて生活ができなくなつた者が三十何方もあるがどうするかということになつた。ところが先ほど喜多委員政府委員との間でとりかわされた補償に対する明るい見通しということ、これは私は了解に苦しむ。というのは損害に対する補償法規がまだはつきりなつていないのがたくさんある。第一点は間接補償に対する法規が実際はできてない。実際に昨年の七月一日から使つている、大砲を撃つている、大砲を撃たれた以上に損害が発生するし、当然食えない人間が出て来る。ところが、それに対する損害補償法規がまだできていない。製炭業者に対する補償法規も、できたようなできないようなあいまいな措置になつている、このあいまいな措置を明確にするために、県なり地元なりは一生懸命になつてつて参りました。こういうような騒ぎがある——騒ぎがあるというと語弊があるのでありますが、正当な要求であつても戸を大にして言わなければ、政府は早くやつてくれないという点は多々あります。この点はお願いいたしてつけ加えて置きます。
  116. 池田正之輔

    ○池田(正)委員 委員長にちよつと私は警告を発しておきたい。一体特調の長官は、きつきから今すぐ来る、今すぐ来るといつて、いつまでたつても来ないが、今厳重に申し入れたところが、どこへ行つたかわからない、それを委員長は漠然とわれわれに申される。お互いが忙しいのに、そういうあいまいな態度では、委員長ははなはだけしからぬ。今後注意してもらいたい。  それじやしかたがない、時間がないから、農地局の和栗課長が見えておるようだから、そこで今の明るい見通しに関連してお尋ねします。三十何戸の農耕不能な土地を持つ農家も出ている。そうするとこれに対してはたとえば内灘の方面ではいろいろ土地改良をやつて、そして耕地を与える方法を講じられているというように私は聞いておる。そこで大高根の場合も、あそこには水利の便さえつけてやれば開拓可能なところもまだあるはずである。当然それには前提として溜池をつくる。溜池をつくるようないいダムサイドもあるはずなんだ。それに対して一体農地局は何か考えておるのか、ひとつこれを承りたい。
  117. 和栗博

    ○和栗説明員 お答えをいたします。ダムをつくつたらどうかというお話がただいまございましたが、農林省の立場といたしましては、できるだけこういつた演習場の設置その他に伴いまして、地元の方々がいろいろな面において損害をこうむられる、そういう場合に現在農林省でやつておりますいろいろの工事などがございますが、できるだけその地元の方の負担を軽減するという意味におきまして、直接なり間接なりに関係がございまして、これはぜひそういう工事を早く着手して差上げるべきだというふうに考えました場合は、そういうことをやるような考えでおります。なおただいまの大高根のお話につきましては、その工事を必要とされる理由、動機が、たとえていいますと、たまが飛んだので、地形がくずれて土砂が非常に流れ出るとか、そういうように演習そのものと直接の関係があるか、あるいは関係がないのだけれども、特に付近の方が非常に困つておられるとかというようなものによりまして、多少取扱い方が異なつて参りますけれども、私どもとしてはただいま申し上げましたような考え方で、できるだけのことはして参りたいというふうに考えます。
  118. 上塚司

    上塚委員長 これにて調達庁に対する質疑を留保しまして、一応大高根に対する質疑を打切ります。  次に内灘関係質疑をいたします。喜多壯一郎君。
  119. 喜多壯一郎

    喜多委員 私は第一に林屋参考人にお尋ねをいたします。先ほど参考人が陳述なされた中に、昨年十一月二十四日の閣議決定後、外務大臣から頼まれて内灘のことについて交渉を始めた、そのときに超党派的に全会一致で賛成されて、皆様から御苦労という言葉をいただいた、参考人はそのときに超党派的に集められた代議士の諸君の会合の席に、四箇月一時使用ということでお話をなさいましたか、それとも四箇月の一時使用を試みた後に、風紀問題などが起らないならば、無期限使用に行くのだというふうに明確にお伝えになりましたか、御記憶がおありだろうと思います。
  120. 林屋亀次郎

    林屋参考人 お答えします。その当時は地方において風紀問題等のある限り反対であつたということも何ら知りません。ただ内灘村を使用するということについて御了解を得たのであります。
  121. 喜多壯一郎

    喜多委員 林屋参考人は今風紀問題その他などということを言われましたが、このお言葉あとにすぐに、第一に問題は風紀でありますとおつしやつた、何なら後ほど速記録について調ベてもよろしゆうございます。第二は不毛地の問題であるということも言われた、私はその間に参考人が風紀の問題などについて触れないとしても、私のお尋ねした点は、一時使用四箇月ということた明示されて超党派的にお話をなさいましたか。それとも無期限ということを腹の中にお入れになつておいて一時使用で行かれたから、全会一致と私の常識では——私の常識ではですよ、参考人の常識は知りません、そんたくいたしません、こう考えるのですが、この点をお尋ねしたのであります。
  122. 林屋亀次郎

    林屋参考人 先ほどお答え申し上げた通り、その当時は期限の問題は何ら触れないで御了解を得ております。
  123. 喜多壯一郎

    喜多委員 これはたいへんな参考人発言です。期限の問題に触れないで発言なさつたとしたらば、あなたは国務大臣として吉田政府代表して交渉の任に当ることの、その力なしと言わざるを得ない、あなたは何と言われてもその当時は第四次吉田内閣の国務大臣であります。しかもその当時において期限なしに、ただ漠然と石川内灘地域を試射場にするのだ、どうか御賛成くださいと言われたのですか、もう一ぺん重ねてお尋ねします。
  124. 林屋亀次郎

    林屋参考人 その通りであります。
  125. 喜多壯一郎

    喜多委員 その通りというのは、喜多委員がお尋ねした期限もない何もなくてただ漠然と、あたかも子供が使いするように石川内灘を試射場とするのだが、諸君御意見いかがとお尋ねになりましたか。
  126. 林屋亀次郎

    林屋参考人 その通りであります。私は子供ではありません。ですがその通りであります。ただ内灘現地に行きまして、一時、四箇月という問題もそこに現わたのであります。
  127. 喜多壯一郎

    喜多委員 初めて伺います。現地へ行つて現地の人が四箇月と言い出したように、参考人言葉では私はとれます。おそらく委員の諸君もそうおとりになると思う。政府が言い出したのか、または交渉の任に当られた林屋参考人が国務大臣として言われたのか、それとも現実に今の参考人言葉のよりに内灘の方の地元民が言つたのか、重ねて私は明らかにしたいと思います。
  128. 林屋亀次郎

    林屋参考人 特に先ほどから申し上げた通りに、超党派的に御相談を申し上げたのは、期限を何ら発言せないで御相談をしておるのであります。
  129. 喜多壯一郎

    喜多委員 どうも私の常識では参考人の言われることとまるで南極と北極り違いなのですが、これほどの大問題になるべきものであることは予見しないとしても、初めての折衝のときに内灘試射場が一体永久に使われるものか無期限であるか、あるいは三箇月であるか一日であるかという期限などについて、何も考えなさらずして超党派内に相談せられたということは、世の中ははたしてこれを、参考人の言われるのが正しいといれられるとお考えになりますかどうかお尋ねします。
  130. 林屋亀次郎

    林屋参考人 お答えします。あなたの御想像におまかせいたします。
  131. 喜多壯一郎

    喜多委員 私の想像にまかせるというのですから、私の想像によりますが、重ねてお尋ねいたします、参考人政府代表としては——外務大臣が私に対して六月二十日の外務委員会答弁ではこう言つております。「別に林屋国務大臣に対して、正式な辞令を出したわけでも何でもありません。しかしながら閣僚の了承を得まして、林屋前国務大臣に政府代表して行つてもらつたのであります。」と答弁されております。正式な政府代表の当時の林屋国務大臣、今の参考人が期限などを全然考えられずにこの交渉に入られたと想像してよろしゆうございますか。
  132. 林屋亀次郎

    林屋参考人 お答えいたします。あなたの先ほどの私への質問は、超党派的に国会議員として発言をされたときに期限を触れられたかという御質問と違うのですか。
  133. 喜多壯一郎

    喜多委員 そうです。
  134. 林屋亀次郎

    林屋参考人 そのときには期限は触れません。私は政府代表としては、もしいけなければ、冬四箇月だけでもよいから村民各位に懇願をしてくれということは、これは少しも間違つておりません。
  135. 喜多壯一郎

    喜多委員 お尋ねします。林屋参考人は十一月二十四日の閣議できまつた後、外務大臣から頼まれたからみなを集めて話をしたのだ、そのときはあなたは政府の正式代表ではありませんか。一個人でありますか。
  136. 林屋亀次郎

    林屋参考人 お答えします。私は参議院議員とし、また国務大臣として皆様にお集まり願つたのであります。
  137. 喜多壯一郎

    喜多委員 参議院議員であることは当然だ、また国務大臣であることも事実、しこうして閣議決定を聞いて、外務大臣から頼まれて超党派的にあなたがなすつたことは、あなたがよしんば参議院議員であるという意識を持つておられても、世間は吉田内閣の国務大臣として、しかも正式代表として集められたととられたらどうなさいますか。
  138. 林屋亀次郎

    林屋参考人 それはお集まりの方の御判断よりしかたがありますまい、私は超党派的に相談いたしましたのは、期限のことを言わないで、今回内灘使用する問題に対して地元に反対があるということだが、この際超党派的に皆様と御協議申し上げたいということを言つております。それで地元が承知するならば御苦労さまだが、どうかおいでくださつたらよいだろうと言つて一議員からは激励の言葉さえ与えていただいたくらいでありまして、期限の問題はその当時申しておりません。
  139. 喜多壯一郎

    喜多委員 重ねてお尋ねいたします。先ほどの発言中、一は風紀の問題、二は不毛地の問題、三に当時の改進党の県会議員を集めて話をしたらば賛成した、あなたはこういう言葉を使つております。私は後ほど速記録を調べて、委員長に提出しますが、とりあえず四箇月使用という言葉を使われた、御記憶がありましよう、きようの午前中のことです。
  140. 林屋亀次郎

    林屋参考人 あるいはとりあえずということが失言ならば取消しておきます。
  141. 喜多壯一郎

    喜多委員 重大な問題ですよ。四箇月使用ということは、これはもう内灘問題の根本的な事実だ。それを一国の国務大臣の経歴を持たれるあなたが、いかにお年寄りとは言いながら、きようの午前の陳述の中に、私はここに自分で書いてある、とりあえず四箇月使用ということで石川県の改進党の県会議員諸君も賛成せられたと言われてしる。それをきよう午後の私の質疑に対して取消しをするというに至つては、何たるあなたも━━━━たものだと言わざるを得ない。
  142. 林屋亀次郎

    林屋参考人 いかに年がいつても、若くても、言葉の相違があればこれはやむを得ません。四箇月ということは参議院の水産委員会の速記録をごらんになればおわかりになります。言葉のあやで言つたことはいたしかたがありません。     〔「無礼だよ、━━━━は取消せ」と呼ぶ者あり〕
  143. 喜多壯一郎

    喜多委員 ━━━━は取消しましよう。委員長においてはかられたい。
  144. 上塚司

    上塚委員長 激昂せずにやつてください。静かに、冷静にやつてください。
  145. 喜多壯一郎

    喜多委員 しかしですよ、これは委員長にお尋ねしますが……。     〔「委員長注意してくれ」「今取消したんだよ」と呼び、その他発言する者多し〕
  146. 上塚司

    上塚委員長 静かに、興奮せずにやつてください。
  147. 喜多壯一郎

    喜多委員 それではこの点後ほど速記録によりますが、とりあえず四箇月使用ということで賛成したということであります。従つて私は、きようの午前の十一時半ごろと今ですから、遂にそういう言葉を使いましたが、これは委員長においてはからうことをおまかせいたします。おわかりですか。よろしゆうございますね。  それでは続いてお尋ねします。一時使用とかあるいは四箇月使用ということは、私はこれでその当時のことは残しますが、外務大臣は先月の二十日の外務委員会で、林屋国務大臣に「白紙委任ではありませんで、一定の条件をもつて交渉をお願いしたわけであります。」と、こう答弁しておりますが、その一定の条件ということはどういうことでありますか。
  148. 林屋亀次郎

    林屋参考人 一定の条件ということは、地元で村意を十分に尊重いたしまして、善処して来てもらいたいというほか何らありません。
  149. 上塚司

    上塚委員長 喜多君、時間が迫つて参りましたから注意をいたします。
  150. 喜多壯一郎

    喜多委員 時間で制約されて、とても十二分の質疑はできませんが、岡崎外務大臣は、一定の条件とは、「地元の人々をできるだけ説得することと、その説得にあたつては、補償等を十分にするという——こまかい金額等もありますが、」と言つて条件をあげておりますが、そういうお話はございませんでしたか。
  151. 林屋亀次郎

    林屋参考人 もう一度お聞かせを願います。
  152. 喜多壯一郎

    喜多委員 「地元の人々をできるだけ説得することと、その説得にあたつて補償等を十分にするという——こまかい金額等もありますが、そういうこと、及び補償以外に地元の人たちが農地を失つたり、漁業ができなくなつたりするため、働くために、たとえば畑地灌漑であるとか、あるいは船着場であるとかいう点についてできるだけ考慮するように、」この地元の事情を調べた上でというふうにお願いしてありますと、こう言つております。
  153. 林屋亀次郎

    林屋参考人 その通りであります。
  154. 喜多壯一郎

    喜多委員 林屋参考人は、政府が一時使用四箇月ということをはつきりと言つたのはいつであるか、御承知でありますか。
  155. 林屋亀次郎

    林屋参考人 十二月五日の閣議後であります。
  156. 喜多壯一郎

    喜多委員 十二月五日の閣議了解要旨によりますと、内灘問題は一時使用に関する件と、こう出ておりますが、時使用四箇月ということを地元の者に正確にお伝えになつて——そこに参考人として村長もおられますが、そのことを了承せられましたか、そしてそのときに無期限使用のことについて言及されたことがありますか、ありませんか。
  157. 林屋亀次郎

    林屋参考人 それは私、三日間村長並びに村会議員、村の有志それぞれ私の自宅に来ていただきまして三日三晩交渉に当つたのであります。最初の日は非常に硬化しておつたのでありますが、あと二日間というものは非常になごやかに——喜多さんも御承知の通りであります。内灘村は一方には河北潟を控え、一方には日本海を控えた棒のようなものでありまして、出かせぎに出られる村民は三分の二以上と聞き及んでおるのであります。でありますから、この機会に内灘の百年の計を立つべきであるということをじゆんじゆんと説いたことは、——この席に村会議長もおられますし、村長もおられます。しかも非常になごやかに話を進めたのであります。
  158. 上塚司

    上塚委員長 喜多君、時間が参りました。次は穗積七郎君。
  159. 穗積七郎

    穗積委員 内灘村の参考人すべての方にお尋ねいたします。内灘使用を承諾されました最後のときに、林屋国務相から四箇月を限つてであるということを条件として御承認になつたと思いますが、その点をはつきりお答え願いたいと思います。
  160. 中山又次郎

    ○中山参考人 私どもはこの四箇月を限つて承諾したのであります。
  161. 穗積七郎

    穗積委員 なお重ねてお尋ねいたします。冬場四箇月が済んだならば、たとえば青森県その他の他の地区へ、今後も必要であればこれを移転するつもりであるからという言葉を、林屋国務相が当時地元代表の方に話されたようでありますが、そういう御記憶がどなたかございませんか。
  162. 中山又次郎

    ○中山参考人 今お尋ねの、他に移転するという話はそのときありました。移転するまで、道路を一本建設せねばならぬのだから、それは突貫工事でやつても四箇月かかるのだ、だから四箇月間だけ使用させてくれろ、こういう話でありました。
  163. 穗積七郎

    穗積委員 そうしますと、四箇月というのは、まず試験的に風紀問題その他の問題を考慮するための、試験的な四箇月として理解されたのか、あるいは四箇月をもつて打切りだと理解されたのか、その当時の林屋国務相との話合いを明確にしておいていただきたい。四箇月ということの含みの中には、試験的に四箇月やるというのか、あるいは四箇月をもつて必ず打切るというのか。他へ移転しようとしまいと、これは別でありますが、私どもの聞くところによりますと、四箇月は試験的な意味でなくて、四箇月限つた、それ以後はやらない、もしそれ以後継続して日本として必要ならば、青森なりその他の地区へ持つてつて内灘には決して迷惑をかけない、四箇月以上は決して使わないということを特に主張されて、地元の方がようよう了承されたと承つておるのでありますが、その事実はどうですか。
  164. 中山又次郎

    ○中山参考人 ただいまのお尋ねでございますが、われわれは、四箇月を終つたならばただちに引揚げてもらうという、承諾のときの大箇条の項目の中に一項目はつきりとしるされてあります。
  165. 穗積七郎

    穗積委員 林屋参考人にお尋ねいたしますが、その通りでございますか。
  166. 林屋亀次郎

    林屋参考人 四箇月には相違ありませんが、期限に至つて、あらためて政府が交渉するということでありました。
  167. 穗積七郎

    穗積委員 それでは両者の参考人の間に食い違いがございます。地元の方は責任を持つて、四箇月というのは試験的の意味ではなくて、四箇月以後はもう絶対に来ないという意味の四箇月であると理解されておるのでありますが、そうすると地元の方の理解があるいは約束が、誤りであるということになりますが、その点は一体どういうわけでそういうことを言われるのか伺いたい。
  168. 林屋亀次郎

    林屋参考人 四箇月契約したのには間違いありません。その際、私が先ほど申し上げました通り、灌漑とか河北潟干拓であるとか、また村からも、電車を敷いてくれとかい、いろいろ要求も出まして、なごやかに話をしておるうちに、とにかく四箇月ときめて、あと政府が必要ならば、政府直接に話を進めてもらいたいということであつたに相違ありません。
  169. 穗積七郎

    穗積委員 その当時は、林屋国務相は地元の関係もあつて、口説き落せということで選ばれた。そういうことも一つの理由であろうと思いますが、そのときに、とにかく四箇月で切るという印象を与え、しかも今日村長はわれわれの前で、地元のすべての人を代表されて、四箇月以後はここへは来ないという確約は、六箇条の中の一つの約束として、われわれはやつと承認したのだ、地元の選出でもあるので、その顔も立てようじやないかという情にからんで、温情をもつてこれを承認されたということであります。そうなりますと、地元の人をだまされたことになる。その点についてあなたの責任をどうお考えになつておられるか、それを伺いたい。
  170. 林屋亀次郎

    林屋参考人 私は責任は果したつもりであります。私の契約しておる通りに、四月三十日をもつて打切つております。なお出入りはすべて自由にしております。だから私の契約はそれで果しておるということを私は信じております。
  171. 穗積七郎

    穗積委員 きのうでありますか、内灘村の代表者の方が外相にお会いになりましたら、前と違いまして、二戸当り五万円ずつの補償金をやつたことでわかるじやないか。すなわちそれは初めから政府は継続使用のつもりであつた。お前らも受取る以上は、他の地区よりもよけい金をもらつておるのであるから、むろんこれは継続使用のつもりで受取るのがあたりまえだ、というような意味の話をなさつた。これは今まで議会の速記録等で拝見いたしますと、岡崎外相の御答弁も新しい違つた答弁になつております。そういうことは、政府としては初めから継続使用のつもりであつた。それを地元の連中を納得させるために、いなか者扱いをして、言葉の上でごまかして、とにかく冬場四箇月で済ますのだからということで、あなたは口説き落された。今になつてからじやない。交渉する初めから、四箇月を限つて地元を納得せしめる、そのときから、すでに継続使用の意思ありということを、岡崎外相は今日言つておられるのであります。これは政府として、あなたも当時国務相をしておつた責任ある政府の一員とされて、そういうことを岡崎外相が今日放言されることは、政府の威信を傷つけ、同時にあなたの立場を非常に悪くするということをお考えになりますか、どうでありますか。
  172. 林屋亀次郎

    林屋参考人 これは四箇月にはもう相違ないのであります。私が政府の使いをいたして参りましたときには、冬四箇月だけという話があつたのであります。内容をざつくはらんに申し上げますが、先ほど申し上げた通り、もし村が承知しないで、今冬だけでもやつてくれなければ——御承知の通り、その当時は六千万ドルの発注を受けております。またこれに関係する会社は十七会社あります。それに従事しておる勤労者は五万四百七十四名おります。これらを勘案し、すべてを考慮に入れまして、私は村の反対のところを懇願いたしまして、四箇月でやつたことは相違ありません。従つて約束通りでありますが、政府の都合によつて、冬だけでなく、再びこれを永遠に使うということは、これは政府としてやられることでありまして、私が違つた言葉をはいてだまして、これを使わしたというようなことは、少しもないのでありますから、御了承願います。
  173. 穗積七郎

    穗積委員 重ねてもう一つお尋ねいたしますが、当時の交渉並びに補償決定せらるる場合に、他の地区と比べて、客観的に見て非常によくなつております。従つてあなたも補償額その他の条件決定せらるるにあたつて、いろいろ意見を言われたと思う。そのことは十分御承知だと思う。そのいろいろな補償の中に、これだけのものをやるという交換条件として、岡崎外相のきのう言われたように、あなたの腹の中に、言葉の上では四箇月だが、実際は永久使用の身のしろ金だというつもりで、そういうあれを計算ざれたのであるかどうか、ちよつとお尋ねいたします。岡崎外相は永久使用の身のしろ金のつもりだと言つておるが、あなたが補償額を決定せらるるにあたつては、そういう永久使用のつもりでそういうものを計算されたのかどうか、あなたの当時の腹を伺つておきたい。
  174. 林屋亀次郎

    林屋参考人 お答えします。四箇月をもつてこれを了承してくれたから、私は出したのであります。そうして村の人々ももう御承知の通り、お聞きくださればわかるのでありますが、非常になごやかでありますし、また補償を渡したときは、各村の有力者は私を総理官邸に訪ねて来られまして、食事をともにし、われわれが一番心配しておる風紀問題は何ら心配はいらないというような考えを持つておるくらい、なごやかであつたのであります。この補償金問題に対しては、有無相通ずると思います。
  175. 穗積七郎

    穗積委員 時間もありませんから、この辺でやめますが、ここではつきりしておきたい。内灘地元の方と林屋前国務相のお話の間に食い違いがある。四箇月は試験的な四箇月でなくて、打切りの四箇月だということを、地元の方がはつきり言つておられるという事実をはつきりしておきたい。それから補償金の計算が、継続使用のつもりではなくて、四月末までの金であると計算したという事実を、はつきり記録に残しておいていただきたい。それでは他の同僚委員から関連質問があるそうですから、私は譲ります。
  176. 淡谷悠藏

    淡谷委員 関連して。内灘の婦人代表の方にお伺い申したいのですが……。
  177. 上塚司

    上塚委員長 淡谷君、何に関連するのですか。内灘のことならば、まだ通告が先にありますから、それが終つた後にお願いいたします。岡良一君。
  178. 岡良一

    岡委員 先ほど来の参考人の各位と同僚委員との論争点は、やはりこの問題の大きなかぎになつておることは申し上げるまでもない。そこで内灘からせつかく来られた参考人の方は、三名までは品をそろえて、政府は確かに四箇月で打切るということを確約せられておるにもかかわらず、その公約が無視せられておるというところに、純粋な郷土を守らんとする村民の反対の中心があるのであるということを訴えておられた。そこでお聞きしたいのであるが、実はこの問題について衆参両院ともいろいろ勉強いたしておりますが、その中に、たとえば伊関局長のお話として、こういうことが出ております。それは六月一日の参議院の水産委員会の席上において、「現地に参りまして、ですから初め非常に反対が強いときに四カ月でもやむを得ないというふうな話をされたのであります。併し現地でいろいろその後交渉をしまして、だんだん空気が緩和して参りますと、この大体の見通しは無期限に使えるだろうという見通しが付いた。ですから交渉中にずつと変つて来ているわけであります。」こういう発言が局長にあります。そこで林屋参考人の御意見を聞いておりますと、お宅の方に三日間村民代表が三十名近くもお集まりになつて、初日はなかなか強硬であつたが、二日目、三日目になると、いろいろ補償条件などが話題になつて、空気がなごやかであつたと言つておられる。それは伊関局がだんだん交渉しておるうちに空気がかわつて来たというのは、今林屋参考人の言われた事実をお示しになるのですか。
  179. 伊関佑二郎

    ○伊関政府委員 その通りでございます。
  180. 岡良一

    岡委員 そういたしますと、この際私ははつきりいたしておきたいのでありますが、局長は政府の公式な代表に随行しておられた公人として、まさか村のどこの何者かわからないような人たちの私語を信用されたとも思えませんが、そのときに中山村長は、あなたが今ここにお述べになつておられるように、空気が緩和して参つて、大体の見通しとしては無期限に使えるだろうというような推定を下し得るかのような言動がありましたか。
  181. 伊関佑二郎

    ○伊関政府委員 この問題につきましては、現にまだ問題が未解決でありますので、私はこういう公開の席上で、その当時におけるだれの発言がどうであつたかということは、もちろん十分には記憶しておりませんし、申し上げることはどうかと考えますが、いずれにいたしましても私が受けました印象では、初めは確かにやむを得なければ四箇月というのが政府の腹だつたのであります。そしてそれを大臣が申されたのでありますが、その後交渉しておりますうちに風紀の問題がまず出まして、私の方はやつてみればわかるであろうということを盛んに申した、もう一つ前大臣が盛んに内灘村の将来のことをお話になりまして、そういう話をしておりますうちに、村当局としましては決して永久使用に賛成するということは言つておられません。しかしそうした政府の村の将来に対する具体的な施策というものを聞いた上で、かつ風紀問題について問題がないということがわかつた上で、あらためて御相談をしましようということは、私たちの方から申しております。これに対しては当時の出席者異議はなかつたと私は確信いたしております。
  182. 岡良一

    岡委員 そこで私は中山村長にお伺いします。中山村長はそのときに村を最も公式に代表する方として列席しておられたのでありますが、今伊関局長がおつしやつたように、もろもろの難点としてあげておる点についてそういうことが杞憂に終つた、またそれと同時にいろいろな条件等が示されて、その条件によつてはあるいは内灘村の使用について、その期限を多少延長することを考慮し得るかのようなことを、あなたはお話になりましたか。
  183. 中山又次郎

    ○中山参考人 期間を多少延長するとかしないとか、そういうような話をしたことは一向ございません。
  184. 岡良一

    岡委員 私は別にいずれの側に味方をするというわけではありませんが、こうして皆さんのいろいろの御発言を聞いておりますと、ここに一つの問題があると思うからお尋ねしておるわけなんです。そこで実はなぜこういうことを特にお願いするかと申しますと、たとえばこういうことを外務大臣が言つておる。六月二十二日の参議院の水産委員会において、私は内灘地方の試射場は初めは継続的にずつと使用したいつもりで考えておつたのであるが、反対が多い。その反対の方面のことも考えて、閣議においては四箇月の一時使用ということで林屋国務大臣に当時お願いをした。ところが村の反対理由が杞憂であることがわかり、また政府施設等を十分に見てやることで納得が得られるならば、四箇月の使用後も使用することについての話合いは可能であろうという見通しがあることを承知して非常に喜んだ。それでは、外務大臣に対してあるいは継続使用が可能であろうという見通しを与えられたということは、もちろん政府代表して現地に出向かれた林屋国務大臣と伊関協力局長等が報告をなさつたのでありますが、こういう可能であろうという見通しを与えた——初めは反対が相当強烈であつたが、しかしながらその後の様子によつては、継続使用が可能であるという見通しが非常に強くなつて私は喜んでおるということを言つておる。一体こういう報告を岡崎外務大臣になさつたのはどなたなんですか。
  185. 伊関佑二郎

    ○伊関政府委員 私は先ほど申しましたように、将来話合いをするという点は村の当局に異議がない、従つて私は風紀の問題は自信を持つておりました。そこでそういうふうな観測をいたしまして、私から大臣に報告しております。
  186. 岡良一

    岡委員 私はいずれその席上の問題については、参考人を交えなくとも、秘密会等において、列席者の方々、特に当局のはつきりとしたその当時の事情をお聞きしたいと思いますが、一応反対は初めは盛んではあつたが、しかしその後継続使用についての可能性が見出されたと外務大臣は言つておられる。それでは次に、三月に至つて外務当局と村当局あるいは村の実行委員会との間にいかなる折衝があつたか。いつ幾日村当局あるいは実行委員会外務当局に向つてどんな折衝をされたか、二ツ谷さんでも村長さんでもいいから御説明願います。
  187. 二ツ谷外次郎

    二ツ谷参考人 一時使用から継続使用に移る期間はつきり存じていませんが、六月八日に小沼事務官と篠浦事務官と二人初めて折衝に来られたかと私は思います。そのときまず村民代表の一部の方は、現地折衝をしないように宿屋へ押しかけて返したと思つています。
  188. 岡良一

    岡委員 それは三月ごろでありますか。
  189. 二ツ谷外次郎

    二ツ谷参考人 六月の……。
  190. 岡良一

    岡委員 三月下旬に外務当局と村当局なりあるいは村の反対運動を代表せられます実行委員の方かどなたかが確かに外務当局と御折衝があつたかと思いますが、御記憶があつたら、そのときどのような最終的な態度の表明をされましたか。
  191. 中山又次郎

    ○中山参考人 ただいまの岡委員のお尋ねにお答えいたします。三月の下旬に私と議長と外務省へ呼ばれて伺いましたときに、先般来新聞等にも報道されている通り、畑地灌漑、船だまりの増築等それらで三億五千万くらいの予算をもつて施設をしてやる、これで継続使用を承諾してもらえませんか、こういうお話がありました。しかしそこでそれに対する意見を述べるようなこともむろんできませず、さつそく私は村へ帰つて、村の人と相談をいたしました。村の人は全部それは絶対反対である、どうか四月一ぱいで公約を履行していただくように努力してもらいたい。そこで村議会でも全員反対の決議文を外務省へ送りました。そういうわけであります。
  192. 岡良一

    岡委員 それでは、村長参考人として述べられるところは、先ほど来いろいろ条件として持ち出されている点でありますが、船だまりの問題であるとかあるいは畑地灌漑の問題であるとか、いろいろ三月も押迫つてから外務省はかねてからの懸案ともいうべきこれらの条件を出し、村長並びに議長に対してこの条件をもつて再考を促されたことと私は思う。ところが村長はそのときには返事はしなかつた。村へ帰つて、村の成規の機関である村民代表するところの村議会にこれを諮つた。ところが全会がこれに承認を与えないということに決定した。その決議を外務省へ送つたと言つておりますが、それでは外務省の方ではこれを受取つておられますか。
  193. 伊関佑二郎

    ○伊関政府委員 受取つております。いつごろになりますか日付ははつきりいたしませんが、受取つております。
  194. 岡良一

    岡委員 それでは引続き四月になりましてから、先ほど申しましたように、村当局あるいは村議会の実行委員会等が外務省とこの問題について折衝をなさつたことがありますか。あつたとすれば、簡潔に結論でよろしゆうございます。結論として、四月に村当局が外務省当局にいかなる意思表示をされているか。
  195. 中山又次郎

    ○中山参考人 四月に入りましてから、いかなる条件にも応じがたし、公約の履行をしていただきたい、五月一日からさつそく漁業をしたいからという決議文をまた外務省の方へ送つて、設備の撤退等を請求したのであります。
  196. 岡良一

    岡委員 ただいま村長が申されたことについては、やはり外務省の方でお受取りになりましたか。
  197. 伊関佑二郎

    ○伊関政府委員 そういうのは受取つております。
  198. 上塚司

    上塚委員長 岡君あと三分になりました。
  199. 岡良一

    岡委員 今お尋ねをいたしまして、まだいろいろと究明をしたいと思いますが、要するに林屋さんのお宅で村の代表方々が御会合になり、初日は非常に強硬であつたが、三日目、四日目は非常になごやかであつた。しかもそれを表現して伊関局長は、速記録に残る参議院水産委員会において、初めは反対が強硬であつたが、その後は継続使用の見込みもつくような空気も見受けられたということを言つている。そのことをあなたは岡崎外務大臣に報告されるから、岡崎外務大臣は同様の席上においてやはりそのことを確認しておられる、ぼくはここに一つの甘さがあると思う。しかしこれは伊関局長も人に及ぶごとであるから、こういう席上においては述べがたいと言われますが、しかしこれはやはり重大なポイントだと思う。もう一つは三月、四月において村議会あるいは実行委員会等の代表というものは、絶えず外務省に対して反対であるということを言つておる、しかもかつていろいろ条件として持ち出されたものを拒否しても反対でめるという意思表示をして、成規に文書をもつて外務省に伝えておる。そうすれば伊関局長の何とか継続使用も可能であろうという空気が見えた、こういうふうな観測をされ、岡崎外務大臣もそれを聞いて喜んでおるという政府のその当時の事情というものは、むしろ三月、四月における村議会の成規な意思表示によつてつたくくつがえされてしまつておる、このまつたくくつがえされてしまつておるという事実を外務省としては御承認になるかどうか、この点をもう一つ承りたい。
  200. 伊関佑二郎

    ○伊関政府委員 三月の末に村長、村会議長に来ていただきましたのは、それまでに、政府の案をつくりますのにやはりかなり時間がかかつた、もう一つ射撃の開始が遅れまして、たしか三月の十四日射撃をやつてみた上でという約束でありましたから、射撃を始めるのをまちまして、かたがた干拓等につきまして政府の案ができるのをまちまして、そうしてそれが三月の末になつたわけであります。そのころになりますと総選挙が始まりまして、そこで事情が一変いたしたいわけであります。
  201. 岡良一

    岡委員 ただいまの伊関局長の御答弁答弁になつておらない、しかし時間がないということであります。いずれ政府委員方々との間にこの問題を究明したいと思いますので、私は一応打切りますが、しかしまつたくこれは答弁になつておらない、この点は十分御準備の上であらためてひとつ対面いたしたいと思いますから、そのように御覚悟を願いたいと思います。
  202. 上塚司

    上塚委員長 戸叶里子君。
  203. 戸叶里子

    戸叶委員 北川フデさんに伺いたいと思いますが、先ほども林屋参考人が言われましたように、内灘村は出かせぎ人が三分の二以上で、その留守を守る者が大部分婦人であるということを私どもはほかから聞いております。そこで昨日急に婦人の方々がやむにやまれない気持で今回十四名御上京されたことも伺つておりますが、その内灘に残つている婦人たちが、聞くところによりますと、何の仕事もしないでやはりあちこちですわり込みをしているということを伺いましたが、その点はどうでありましようか。
  204. 北川フデ

    北川参考人 お答えします。その通りでございます。主婦はみな仕事も何も手につかないで、鉄板道路と権現森に毎日すわり込んで、政府当局の正当なる御考慮をもつて四箇月撤退を実行してくださることをお待ちしておるのでございます。
  205. 戸叶里子

    戸叶委員 その婦人たちのすわり込みは、だれかの扇動によるものでありますか、それとも自発的な意思によるものでありますか。
  206. 北川フデ

    北川参考人 お答えします。私たちは自分の生活の大問題でございますから、決して外郭団体に扇動されたり、指導されたり、そんな甘い問題ではございません。死を賭してでも守り抜く一生懸命の盛り上つた私たちの力でございますから、どうぞその点をはつきり御了解くださいますようお願いします。
  207. 戸叶里子

    戸叶委員 村長さんに伺いますが、先ほどの村長さんのお話を承つておりますと、社会党が扇動をいたしましたためにたいへん迷惑をかけられた、政党としては成功したかもしれないけれども、迷惑をかけられたということをおつしやいました。そうであるといたしましたならば、村長さんは、もし社会党の人がそういう反対運動をしなかつたならば、そのまま黙認の形でうやむやにしようとせられたのであるかどうかを伺いたいと思います。
  208. 中山又次郎

    ○中山参考人 お答えいたします。ただいま村長北川参考人とのすわり込みに対する食い違いがある、もしも社会党の人たちがさように指導しなかつた村長は黙認するのであつたか、こういうふうに仰せでありましたが、なるほど先ほど私の申したのは、社会党をまるで攻撃するような話であつたから、そういうお尋ねも出て来たのだろうと思います。しかしながら先ほども申しました通りに、十五日のデモ隊のときの演説、それから十四日の騒ぎがあつたときなどは、労組の連中が中に入つて来て、議員を袋だたきにしておつたというような事実から考えて、私はそのときにこれは扇動なりと直感したのであります。その通り先ほど申し上げました。しかしそれがなかつた村長は黙認するつもりであつたかというお尋ねでありますけれども、村長はそれがなくても黙認するようなことは決していたしません。
  209. 戸叶里子

    戸叶委員 今お話を承つておりますと、村長さんは現象の一つの事件をとらえられまして、まるで社会党が扇動をしたので迷惑をこうむつたかのように先ほどはおつしやいましたが、今はそれは言い過ぎたということをはつきりお認めになりましたので私どもも了承をいたします。今度の問題は当然村をあげて一致してやるべきであつて、決して一つの政党がどうのこうのというような問題はないと私は思います。ただ村長さんの今のような発言が非常に災いすることがございまして、先ごろの本会議において岡崎外務大臣は一部の人たちが扇動をしている事実さえもあるということで、本会議をたいへん混乱状態に陥らせたこと等もございます。そういう点から考えてみまして、村長さんの今のような発言が、かえつて皆さん方の意のあるところを反対の方向に持つて行くと思いますので、今後においては慎んでいただきたいと私は思います。  そこで伊関局長に伺いたいことは、今北川さんのお話をお聞きになつ通り、村の婦人たちが何もしないで二箇所に集まつてすわり込みをしているということでございます。これは人道上非常にゆゆしい問題でございまして、昨日も陳情団の人から聞いておりますと、たくさんの病人さえも出ているといわれております。これに対して一体どういうふうな解決の方法をとられようとなされるか、御所見を承りたいと思います。
  210. 伊関佑二郎

    ○伊関政府委員 私は早く円満に解決してもらいたいと思つております。私がここでいろいろ申しますと、それが解決を遅らす結果になるというふうなことを各方面から申されますので、遺憾ながらお答えいたしかねます。
  211. 戸叶里子

    戸叶委員 かえつて解決を遅らすという各方面から注意を受けているというお話でございましたが、どういう方面からの注意を受けているかということがまず一点、それからまた具体的な何らかの方法を早急にとらなければならないと思いますが、その具体的な方法を教えていただきたい。私どもが考えますのは、それほど重大な問題化いたしておりますから、この際村民の方方ともう一度話し合うために射撃を一時中止してもらつて、そして何らかの解決をなされたらどうかということを一応提案してみたいと思いますが、その点についてどうお考えになりますか。以上の三点についての御回答を承りたいと思います。
  212. 伊関佑二郎

    ○伊関政府委員 いろいろと解決方法については考えておりますが、ここで申し上げない方が解決が早かろうと考えます。
  213. 戸叶里子

    戸叶委員 おつしやらない方が解決が早いというのは、どういう意味なんですか。
  214. 伊関佑二郎

    ○伊関政府委員 先ほど申し上げましたように、私が申しますことは一々新聞に載つて向うへ参りますので、いろいろとこれがいい面もあり、悪い面もありますので、解決いたしましたならばざつくばらんに申し上げますが、それまではお控え願いたいと思います。
  215. 上塚司

    上塚委員長 淡谷君にちよつとお諮りいたしますが、調達庁長官は今予算総会より要求されて呼ばれておりまして、四時十分までにはどうしても行かなければならぬのでありますから、その前に調達庁長官に対する質疑を保留してありますから、その保留の人から先に質疑を許したいと考えます。喜多壯一郎君。
  216. 喜多壯一郎

    喜多委員 調達庁長官にお尋ねいたしますが、行政協定による地域設備等からの紛争、不平、不満、行き違い——いろいろわれわれが陳情及び委員会等で参考人の諸君らから承つておりますと、特別調達庁の手続といいますか、措置といいますか、一口にいえば全部手ぬるい。むろんそれには補償法規が十分でないということもわれわれ委員は了承します。しかしいかにも繁文縟礼であつて、しかも官僚的であつて地元民の感情をかえつて激発させるるような点が、特別調達庁の行き方にかなりあるということを発見したのですが、最も必要であると思うことは、伊関協力局長が自分の所管ではないが、なるべく補償その他のことについて概算払いというふうなゆるやかな行き方ができるならば、幾分が行政協定に上る悪条件、反米感情などの盛り上りも、防げるじやないかというような感じがするが、この点至急大蔵当局と外務当局調達庁と三者一体となつて、まず概算払いであと事実がはつきりしてからきめるというふうな、いわゆる速戦即決主義のお考えをやるつもりがあるかないかお尋ねいたします。
  217. 根道廣吉

    根道政府委員 補償の問題につきましてできるだけ早くするのが至当であります。そうすることによつていろいろな問題を防ぐことができる、いろいろな争いも防げると思うのでありますが、ただいまお尋ねの支払いを早くするために概算払いの方法をとるかどうかということですが、実はこの補償の事務というものは非常に複雑であり、われわれといたしましても、できるだけこれを簡便にいたしたいとかねがね努力中であります。また今の問題につきましては特に最近痛感いたしまして、そういうことについて関係当局において実現方せつかく研究中でございます。
  218. 喜多壯一郎

    喜多委員 研究中ということでありますが、研究を至急おやりになつて、少しは巧遅拙速の意味から言つても、拙速でけつこうですから、さようおとりはからいあらんことを希望して、調達庁に対する質疑を打切ります。
  219. 上塚司

  220. 上林與市郎

    ○上林委員 調達庁長官にお尋ねいたしますが——あなたそういうものを見ているとまた時間をとりますよ。私の質問中にあなたが別のものをやつてつたら時間をとつてしようがないから……。
  221. 上塚司

    上塚委員長 上林君、質問を進めてください。
  222. 上林與市郎

    ○上林委員 前の質問をあなたが聞いておらなかつたので時間を非常に制約されまして、あるいはわからぬことも出るかと思いますが、まず最初に山形北村山郡大高根村から射撃場補償請願書が来ておりますが、あるいは調達局の方には陳情書になつているかしれませんが、大体一番初めに来たのはいつごろであるか、御記憶ございませんか。
  223. 根道廣吉

    根道政府委員 私は記憶しておりませんが、大高根等の関係のことにつきましては、大体口頭ないし陳情書等で承つております。つい数日前、先週でございましたか、山形の県当局よりそれぞれ口頭及び陳情書をもつていろいろお話を承つております。
  224. 上林與市郎

    ○上林委員 陳情、請願に対して一部補償している事実が明らかになつておりますが、その金額はどのくらいであつたか。さらに大まかな内容ですが、たとえば山林補償は幾ら、薪炭関係補償は幾ら、山菜、そういう関係は幾らと大きな項目があるのですが、それは今おわかりでしようか。
  225. 根道廣吉

    根道政府委員 立木の補償が二千六百余万円、薪炭、山菜等が四百数十五円、こういうことになつております。
  226. 上林與市郎

    ○上林委員 この金の交付を受けた主体と申しますか、政府から申しますと金を交付した先、これがどこであるか。もう一つはこの交付をするにあたつて、何と申しましようか、言葉が短かくてわからぬのかもしれませんが、わくがあつたかどうか。山林に対しては何のたれそれに幾らやる、それから山菜に対しては何のたれそれに幾らやる、こういうふうなさしずをして交付したかどうか。
  227. 根道廣吉

    根道政府委員 これは実損を支払いましたもので、山林等につきましては、それぞれ被害者に払う建前になつております。山菜についても原則として同様であります。
  228. 上林與市郎

    ○上林委員 そのものの明細の報告が調達局の方にあつたかどうか。それから、あなたが非常に時間がないということでございますから、こういう関係資料をお出し願つていただくことをお願いいたします。
  229. 根道廣吉

    根道政府委員 ただいまの資料等提出いたします。
  230. 上林與市郎

    ○上林委員 最後にもう一点、現在交付された金額、それと地元から要望されておる要望額とはまだ相当な開きがあります。これを先ほど質問いたしましたところが、外務省の方では所管の事項じやないということで、あなたも待つてつた。あなたがこの間の合同委員会の視察に同行したかどうか、今つまびらかにいたしませんが、村の、今まで出されておる要望額と申しますものは、あなたは一体妥当と思つているのかどうか、それからこれを処理するにあたつて一体どの程度の段階まで進んでおるか、これを承りたい。
  231. 根道廣吉

    根道政府委員 ただいま申し上げました数字につきましては、現地被害者等と話合いをつけまして、納得の行く支払いを完了した分であります。従いましてこの点については双方納得が行つていることでありまして、問題はないだろうと考えております。ただその後同じような事柄に関しまして、またその他新たなるいろいろな申立てが地方からございます。過去においてなした種類と同種類の補償については、将来も同じように当然すべきであります。また新しい問題については目下いろいろ研究の段階にある面もございます。
  232. 上林與市郎

    ○上林委員 請願陳情を出したのは、昭和二十六年である。これは先ほどあなたの留守中にちやんと村当局に聞いております。その金額が一意六千七百万程度出されておる。それに対して現在交付されたのはごく少い。だから今度新しい事情で起きた金額じやない。今の話を聞いてみると、あるいは私の聞き違いかもしれませんが、現在交付したので今までのものは終つているんだという印象が強い。これは大きな問題ですから、私は念を押して聞いておきたい。
  233. 根道廣吉

    根道政府委員 ただいま申し上げました立木、山菜、薪炭等に関しましては、これは話合いがついて終つた部分であります。ただ開拓団関係のいろいろな問題につきましては、まだ話合いのついておらぬものがあつて、これについては、なお双方いろいろ研究を重ねなければならぬ問題がありますので、お話の大きな数字は多分そちらの方にかかるものと心得ます。
  234. 上塚司

    上塚委員長 次に淡谷悠藏君に関値質問を許します。
  235. 淡谷悠藏

    淡谷委員 特別調達庁の長官がお急ぎのようですから、先にお尋ね申し上げたいのですが、この間水産常任委員会で、しばしば質問を申し上げまして、長官の答弁を得ておりますが、内灘村に他の演習地、基地とは別個に多量の額である五千五百万円を支払いましたが、その理由としては、あの村が貧しいためであり、生活を破壊されるから払つたので、それ以外にはない、こういうような長官の答弁がございましたが、内灘村の関係者が出て来られておりますこの席上において、もう一ぺん長官からはつきりお確かめおきを願いたいのであります。
  236. 根道廣吉

    根道政府委員 内灘村に対して支払いましたのは、単に内灘村が貧しいからということではございません。当時政府といたしましては、とにかく内灘村を射撃目的使用せねばならぬという現実の必要に迫られておりました。従いましてこれを滞りなく持ち運んで行きますためには、現地の人たちの不安を除去しなければならぬという現実の必要があつたわけでございます。その現実の不安と申しますことは、われわれが考えておりましたのは、とにもかくにも内灘村というところは、ほとんど全部が貧困なる漁家であります。この漁家のほとんど全部が、あそこを射撃場使用される結果によりまして、おそらく将来に向つての生業の不安に脅かされる、これが非常に大きなものである。この不安をいかにして除去するか。これはとにもかくにも見舞金というような形においてものを処置するのが一番適切である、こういうふうに考えたのであります。
  237. 淡谷悠藏

    淡谷委員 端的にお尋ね申しますが、これは永久使用のためにそのような処置をとられたのか、あるいは閣議決定通り四箇月間の見舞金として出上れたのか、その点を明確にお答え願いたいのであります。
  238. 根道廣吉

    根道政府委員 調達庁といたしましては、四箇月といたしまして、とにかくその場合、村といたしましては四箇月の将来に対しての不安というものがあるわけであります。四箇月は場合によりましては、気持の上において非常に長いものであり、不安それ自体が将来にわたるものという気持を、村の人は当然持つであろうと私は考えたのであります。その全体を含めましての気持、それに対する見舞、こういう意味でございます、
  239. 並木芳雄

    ○並木委員 私はあとの日立の問題でお聞きしようと思つたのですが、長官がお急ぎのようですから、一言だけ聞いておきたいのです。それはきよう私聞いたのですけれども、問題になつております西武電車は対して、土地收用法による強制の手段に出られたそうですが、長官ももちろん御存じのことと思うのです。日立の土地は国有地ではありませんで、民有地であります。西武電車が所有しているので、前から西武電車としてはあそこを列車の編成工場及び総合食品デパートの工場に使おうというので売りたがつておりませんでした。また値段が折合わないということを聞いておりましたが、とうとう強制的に法を発動したということなのですけれども、もしそういうことになりますと、これは相当な問題だと思います。たとえば道路とか河川、軍用施設のようにほかの土地をもつてかえがたいような問題ならば、これはまだ一掬の考慮の余地がありますけれども、単なる兵舎住宅にするというだけで、民間の土地を収用するとなると、憲法の私有財産にも抵触すると思うのです。その点長官は御存じで、また自分の責任でやつているかどうか。詳しいことはあとから次長その他に聞きます。
  240. 根道廣吉

    根道政府委員 まさに御指摘の通りの事実はございます。この問題は、西武電車といたしましては、初めはできるだけ土地を出したくないという考えがあつたことは事実であつたようであります。しかし後に至りまして、土地は出してもいい、但し値段はこれでは困るということになつたわけであります。調達庁といたしまして事務的にこれを処置いたしますと、どうしても西武電車の要求するような金額を出て来ぬのであります。従いまして金額を裁定してもらう一つの事務的手段といたしまして、そういう法的措置を先方も了解の上とつて、本日現にその妥結を得まして、金額の支払いを円満に了しました。
  241. 淡谷悠藏

    淡谷委員 伊関局長にお尋ねいたします前に一言申し上げておきたいのですが、先ほどからの御答弁を聞きますと、所管外であるとか、あるいはそれはかえつて言わぬ方が解決に役立つであろうから、今は言わないとか言つておられる。しかし現実の内灘状況というものは、すでに閣議決定により強制使用が一箇月以上に及んでおります。この間漁民が生活の道を失い、炎天の砂の上に命を賭してすわり込んでいる現実であります。しかも政党政派はたいへんきらいでございますから、政党政派に関係のない日蓮宗のお坊さんたちが、この気の毒な状態を見かねまして、断食までして解決を待つているのが現実でございます。これをあなた一人が考えて、あなたたちの考えらる最もよき方法で解決ができるという信念のもとに、あるいは国会その他の社会の援助なしにりつぱに大部分解決して見せるから、ここで答弁する必要なしという考えであのようにつぱなした答弁をされるのであれば、質問いたしません。少くとも私どもこういう問題を国家の問題として最もよき解決をするために骨を折つている代議士といたしまして、あなたがまつとうに返答して、われわれの助力もまたあわせ用いるというお気持であるならば、私は質問をしたいと思うのでございますが、この点明確にあなたの御所信を伺いたい。
  242. 伊関佑二郎

    ○伊関政府委員 問題の積極的解決に貢献いたしますならば、私は喜んで皆一様の御意見を伺いたいのでありますが、ここでいろいろ申し上げますことが、全部新聞に出ますので、先ほども申し上げましたように、秘密会ならばともかく、新聞に出る限りいやだと申したのであります。
  243. 淡谷悠藏

    淡谷委員 そういたしますと、伊関局長のお考えでは、一切は秘密会でなければ言えないというお話で、新聞に出たりあるいは世間のいろいろな批判になつて衆知を集めることは、かえつてこの問題の解決を阻害するという御信念でございますか。
  244. 伊関佑二郎

    ○伊関政府委員 ものによりましては、新聞に出てもけつこうでございます。それから衆知を集めると申されましたが、新聞に出さずに集める方法がいいのじやないかと思います。
  245. 淡谷悠藏

    淡谷委員 それでは具体的にお尋ねいたしますが、内灘を強制使用されてから一箇月以上になります。この間あなたは何か特別調達庁に対して、こうして現実に被害を受けております漁民や農民被害を、救済するような処置をとられておりますかどうかをお伺いしたい。
  246. 伊関佑二郎

    ○伊関政府委員 内灘につきましては、最初に五万円というものを渡してございます。それから一月—四月の分につきましては、たしか千四百何ぼになりましたか、これは地元が納得しまして、漁業補償の金額がきまつております。ただこれを現地で受取りましたかどうか、私は最近のことは存じませんが、いつでも払えるようになつております。ですから今から四月、五月は半分使つたような形でありますから、どうなりますか。五、六、七、また八ですか、三箇月か四箇月たちますと、またそれを払うのであります。
  247. 淡谷悠藏

    淡谷委員 答弁が食い違つているのでございます。今度の強制使用に関しまして、六月から一箇月以上たつております。これに対する御処置をされたかどうかという問題であります。
  248. 伊関佑二郎

    ○伊関政府委員 補償につきましてはあと払いになつているわけであります。先ほど申しましたように、一月から四月までのものをこの間金額をきめたわけでありまして、今の分はまた二月か三月たちましてから、おそらく金額をきめるということになると思います。
  249. 淡谷悠藏

    淡谷委員 補償につきましては、あと払いになつているということははつきりしておりますでしようか。特に強制使用に対する補償の仕方が、一体局長のお考えではどうすべきものであるとお考えになりますか、この点をお聞きしたいのであります。
  250. 伊関佑二郎

    ○伊関政府委員 強制使用の場合と普通の場合と補償の方法が違いますかどうか、ちよつと存じません。調達庁の方からお答えいたします。
  251. 大石孝章

    ○大石説明員 お答えいたします。今伊関局長のお話のように、六月以降使用している分についての漁業補償につきましては、まだ補償実施いたしておりません。現在のところでは御承知のように漁船の操業制限に関する法律によりまして、内閣総理大臣が告示をして、それで制限をしている。それに基きまして、その制限によつて損失を受けた分として、現在の制度では過去三月分くらいを区切つてお支払いをするということにいたしております。ただその点につきましては、先ほど私どもの長官からお答え申しましたように、先に解散でもつて渡せないというものは、目下関係各省協議中で、たしか近い将来にその実現方法が可能なのではないかということになつております。
  252. 淡谷悠藏

    淡谷委員 強制使用とそれから納得した場合の使用との間に、補償法上何か差別があるかどうか、まだお答え願つておりませんが、その点……。
  253. 大石孝章

    ○大石説明員 強制使用します場合は、御承知のように土地收用法、それを大体読みかえた法律の土地等使用等に関する特別措置法という法律がございます。この法律を適用いたしてやりますときには、補償金額を都道府県の土地収用委員会に申し出まして、そこで裁定せられまして、その金額を先にお支払いするということになります。
  254. 淡谷悠藏

    淡谷委員 伊関局長に一言お尋ねいたしますが、閣議決定したことは、たとえばこの決定に重大なあやまちがあり、あるいは認識上の相違がありましても、意地を張つていやでも応でもこの決定は取消さないというお考えをお持ちかどうか、率直な御意見を承つて、私は質問をやめます。
  255. 伊関佑二郎

    ○伊関政府委員 どの場合か存じませんが、一般的に申しまして、間違いがあれば改められることと思いますが、本件に関しましては、私は意地を張つておらないつもりであります。
  256. 喜多壯一郎

    喜多委員 議事進行について。私は思い違いして林屋前国務大臣との時間をとりましたが、ここに参考人でわざわざおいでになつたのですから、ほかの方にも質疑されるようおはからいを願います。
  257. 上塚司

    上塚委員長 この際須磨吉郎君に緊急質問を許します。須磨吉郎君。
  258. 須磨彌吉郎

    須磨委員 今日は外務大臣の御出席がないから、小瀧政務次官に伺いたいのでございますが、けさの情報によりますと、アメリカの議会におけるダレス国務長官の証言によりますと、わが日本の保安隊は十個師団増設の計画をもつて予算を進行中であるが、これに対してアメリカは援助するための予算を必要するものであるという証言をいたしている次第でありますが、これは事実なのでございましようか、承りたい。
  259. 小滝彬

    ○小滝政府委員 私どもまだ何ら公の電報には接しておりません。ただUPのキヤリアーいたしました情報を読んだだけでありまして、日本に非常に重大なる関係もございますから、さつそくワシントンの大使館へ訓令をいたしまして、その事実を取調べるようにいたしております。
  260. 須磨彌吉郎

    須磨委員 この件は仰せの通り非常に重大な問題でございまして、ことに私はかくのごときことがあるべしとも思いまして、六月十八日の本会議における質問演説の際にも、実はアメリカの情報としては、日本の保安隊増強についてアメリカ側と連絡あるかのごとき情報があるが、いかがでございましようか、と伺いましたときに、これは私二度目に立ちました質問でございますが、これに対しまして木村長官からはつきり、さような事実はございませんとお答えになつているのでございます。今お調べになるとおつしやいましたから申し上げたいのでありますが、お調べの結果もしさようなる事実があつたといたしますならば、政府は御責任をおとりになるおつもりでございましようか、いかがでございましようか。
  261. 小滝彬

    ○小滝政府委員 ただいま申しましたのはダレスの証言について照会しているということを私は申し上げた次第であります。こういう事実は私どもは全然承知いたしておりませんので、あるいは最後の十個師団云々の点は誤りではないかと想像いたしております。
  262. 須磨彌吉郎

    須磨委員 その点はそれでは後日お調べの結果をお待ちいたすといたします。  ところが本日さらにいま一つの大きな情報は、ベリヤ秘密警察隊長、長官がソビエトにおいて逮捕、追放等の手続に訴えられているという話が出ているのでございますが、これが先般来朝鮮問題の休戦会議に関連いたしまして、しばしばマレンコフ、ベリヤ両者の確執ということが伝えられておつたわけでございます。これはもちろんおわかりにならないかもしれない、私もわからないのでございますが、この一衣帯水の朝鮮における事態といたしましては、わが日本も非常に関心を持たなければならぬ事態でございますから、これについて外務省方面に何らか情報のお持合せがございますか。あるいはこれに対する御観測等が伺えればけつこうだと思います。
  263. 小滝彬

    ○小滝政府委員 私ども外務省におきましても、本日この新聞情報で知つただけでありまして、特別の情報を持ち合せておりません。しかしこれは朝鮮事件に非常に関係があり、また自由国家群にとつても非常に大きなできごととして関係の深いものでありますから、各方面の情報を収集いたしまして、また必要あらば皆さんの方にお渡しいたすように情報局を指導いたしたいと考えております。
  264. 須磨彌吉郎

    須磨委員 それでは今日お伺いいたしました第一点に関しまするお問合せができ上つてその御回答がございました節には、われわれ外務委員会にまず御発表をお願いいたします。さらに第二点に関します情報並びに観測につきまして御見当のつきました際にはさようおとりはからいを願いまして、それまで私の質問を留保いたしておきます。
  265. 上塚司

    上塚委員長 それでは第三、日立工場跡の件に関しまして質疑を開始いたします。参考人としては大和村村長内野緑太郎君、子供を守る会運営委員須田エン君が見えております。並木芳雄君。
  266. 並木芳雄

    ○並木委員 まず先ほど根道調達庁長官にお尋ねした点で疑義が残つておりますから詳しく聞きたいのですけれども、どうもアメリカの兵隊さんの宿舎のためだけに土地收用法という強制手段に出るのは穏当でないと思うのです。それほどアメリカの圧力があつたのかどうか。単に住宅なんですからそこのところを十分考慮して、土地收用法の発動にまで持つてつたのかどうか、詳しくその辺の事情をお尋ねいたします。
  267. 伊関佑二郎

    ○伊関政府委員 単に住宅とおつしやましたけれども、兵舎であります。それからこの場合は値段の件についてのみ土地收用法の特例を適用したわけでありますが、兵舎等そういうものの提供ということを考えてあの法律はつつてあるわけでございます。  それからアメリカ側から。プレツシヤーがあつたかという問題でございますが、これはむしろ日本側からプレツシヤーがあるわけでございまして、現在東京の中心地におります空軍は全部あちらに移つて行くわけでございまして、その関連施設としてあれは必要になつて来る。日本側の現在東京の中央にある建物の持主、これらの方から非常なプレツシヤーがあります。米軍はおつてよろしいということであれば喜んで東京のまん中にいるだろうと思いますが、これは独立しました日本側としてはおもしろくない、こう考えて移すわけであります。
  268. 並木芳雄

    ○並木委員 値段と申しますけれども、どのくらいの開きが実際にはあつたのですか。
  269. 大石孝章

    ○大石説明員 お答えいたします。特別措置法を適用いたしましてその結果妥結を見た金額は、坪八百五十五円と記憶いたしております。当初私どもいろいろあの付近の土地の値段の出し方を専門技術的に係が研究いたしました結果、五百五十円ないし六百五十円くらいというところだろう、そういつたような線で当初折衝を重ねたわけでございます。ところが所有主の方としては坪千円程度が妥当であるというような主張がございまして、いろいろその間にまた私どもの方は近傍類似のものの価格等を参照したりして、八百円程度までどうかといつたような交渉その他があつたわけでございますが、どうしても御納得が行かないので収用法の適用を見たというわけでございます。先ほど申し上げたようにあそこを国に売り渡すという点については異存はない、ただ価格の点について異存があるのであるという御意見であつたように拝承いたしております。
  270. 並木芳雄

    ○並木委員 双方の開きにはそれほど大したものはないように受取れます。そうだつたとすれば、やはり私はあくまで価段だけの問題であつたならば納得ずくでやつてほしかつたと思うのです。いやしくも土地收用法というのは伝家の宝刀ですから、ほんとうは抜くべきものではないわけでありまして、よくよくのときでなければ私有財産というものを侵すことはよくないと私は思う。おそらくこれが行政協定に基く最初の土地收用法発動であろうと思いますが、そうであるかどうか。
  271. 大石孝章

    ○大石説明員 調進庁の所管いたしました特別措置法の適用は、単なる使用問題に関してはほかにも例がございますが、いわゆる収用という、国の買上げというような強制行為については、この事案が最初だつたと私も記憶いたしております。
  272. 並木芳雄

    ○並木委員 伊関局長日本全体としては土地收用法の発動はどうなつておりますか。——今の確認するなら確認してください。
  273. 大石孝章

    ○大石説明員 今手元に材料を持つておりませんので、確かな数字は御要求がございますればあとで差上げますが、さきに申し上げたように、賃貸借契約に応じていただけないという方のその理由は、所有主が前から判然としないといつたようなことで、どうしてもそういう手続をとらなければいかぬといつたような事案が、全国で二十数件あつたように記憶いたしております。ただそういう手続をとつているうちに、相手の方も御納得行きまして、協議で済んだというような事案が大部分であつたように思います。
  274. 並木芳雄

    ○並木委員 要するに私は、納得行けば異存がないのです。しかしMSAの問題も起つて来つある今日、いたずらに一方が官憲の力でもつて私有権を侵すというような印象を与えて来ると、それこそそこに排外思想というものがまた出て来るのじやないかということをおそれますので、この点は十分注意していただきたいと思います。  それから伊関局長にお尋ねすることになると思いますが、先ほど内野村長からお話のあつた中に、最後通牒のようなものを突きつけられて、談判は破裂したけれども、今後の条件を十分満たしてもらいたいというお話がございました。その中に中学校の問題、小学校の問題、それから風紀の問題、飲料水の問題、大体三つくらいあつたと思いますが、それについて村長から、伊関局長としては大体承知をしたらしいけれども、それについてまだはつきりした回答はいただいておりません、というふうに私はお聞きしたのであります。従つてこの機会にひとつはつきりここで局長に確言をしていただきたい。
  275. 伊関佑二郎

    ○伊関政府委員 この土地の値段の問題で係争になつておりましたので、最終的にきまつておりませんでしたが、これがやつと片づきましたので、近く最終的にきめることにいたします。関係各省いずれもそれらの点については原則的に同意いたしております。
  276. 並木芳雄

    ○並木委員 それを具体的に、どこをどうするというのをもう少し詳しく……。
  277. 伊関佑二郎

    ○伊関政府委員 学校の点は、あの学校はすぐ近所にございますので、あれを買い上げまして、施設の一部にいたそうと思つております。その買い上げました代価でもつて、村の方では別にどこかに学校をつくられるということになろうかと思います。  風紀の問題につきましては、隣に多数の民家がございます。これは現地の御希望にも応じまして、現地協議会等もつくつていただきまして、必要ならば立入り禁止ということもできます。これはむしろその事態が来ましたときに、十分現地米軍側とお打合せを願いまして、そうして立入り禁止等がよろしいならば、それをやつていただく。そういうふうな全般的な指令を米軍側も日本側も両方出してあります、これはこの土地には出しておりませんが、今まで問題の起つたところに出しておりますので、そういう方法で参ります。  地下水については、もう少し工事を進めてみないとわからないのでありますが、もう一つの候補地でありました村山の方に非常によく水の出る井戸があるというふうなお話もございますので、掘つてみまして、工事をやつて、いろいろと専門的に研究しまして、どういう方法をとりますか、これも具体的な米軍側の結論によりまして、具体的な方法をとろうと思つております。
  278. 並木芳雄

    ○並木委員 内野村長にお尋ねいたします。ただいま伊関局長から割合はつきりして答弁があつたわけでございますが、この程度ならば、大体村としては御納得が行くのでございましようかどうか、それでもなお強硬に反対が残るのであるかどうか、この際お尋ねしておきたいと思います。
  279. 内野祿太郎

    ○内野参考人 お答え申し上げます。今伊関局長さんのお話は、大体そういうことをお認めになつたということでございますが、これは私の方の村といたしますと、貧弱な町村でありますから、今六三制の問題でずいふん困つておる。ところが借金も村債もいたしまして、学校も建てておるような状況でございますから、現在のごとき、大和村にふさわしいりつぱな学校を完全に建つていただくならば、私ども村民一致の意向でございますから、私初め村民も納得すると思います。ただ問題といたしますと、あの学校につきましては、ずいぶんな補修も要しております。大体数百万円以上の補修費がかかつております。ですから、できることならば、私の村は貧弱町村でありますから、そういう補償もぜひしていただきたいと思つております。要するに学校は、村で一文も出さずに、村にふさわしい学校をぜひ建ててもらうことが確実にお約束できるならば、納得してもいいと存じております。但し、くどいようでございますが、ときどき政府の方は、ああでもない、こうでもないというようなこともありますから、その点が私どもは非常に憂慮にたえないのでございます。その点はどうか議員諸賢におかれましても、御協力を特にお願いいたしたいと思います。また政府方々にもぜひお願いいたしたいと思います。また風紀の問題は、先ほどおつしやいましたように、私の方の村と米軍あるいは政府とよく相談して、一番障害のないようにしていただきたいことをお願いいたします。
  280. 並木芳雄

    ○並木委員 ただいまの村長言葉は私もつともだと思うんです。局長もお聞きになつていたのですから、その通りやるということをここで確認をしていただきたいと思います。
  281. 伊関佑二郎

    ○伊関政府委員 やろうと思つております。
  282. 並木芳雄

    ○並木委員 時間がありませんから、あと要点だけ、須田さんの御発言に関連して、やはりこれは伊関局長にお尋ねすることになると思います。須田さんの御発言は、例のガソリン問題で、いまだにアメリカ側の原因か、日本の陸軍のガソリンの原因かわかつておらないというようなことで、要するに原因のいかんを問わず、早く補償してもらいたい、水道まで無償でやつてもらいたいという、ごもつともな御発言ですが、この点についてのお尋ねをいたしたいと思います。
  283. 伊関佑二郎

    ○伊関政府委員 これは両方でもつて専門家が寄りまして調べておるのですが、非常に結論を下すのがむずかしいわけでありまして、まだどちらかということがはつきりいたしませんが、これはそれとは無関係に、現地としますれば、いずれにしろ補償は受けるわけであります。ただ政府として払いました補償につきまして、もし米軍の責任ならば、あとで七五%を米軍日本側に払うという政府米軍との間の問題であり、地元としますれば、いずれにしろ補償は受けるわけでございますから、それで補償手続は進んでおり、水道も逐次できつつあると存じますが、詳細は特調の方が詳しいのであります。
  284. 大石孝章

    ○大石説明員 正確な数字でもつてお答えできませんが、今伊関局長のお話のように、原因関係については、なお両者において研究が進められておるわけであります。さしあたつて措置といたしましては、りつぱな飲料水が飲めるというような措置を講ずる手段を、関係でありますところの厚生省において、いろいろ立案実施中だというふうに承つております。
  285. 並木芳雄

    ○並木委員 補償の点で、先ほど喜多委員発言に対して、調達庁な概算払いのことも考えておるという非常にけつこうな答弁つたのです。この立川方面の問題でも、やはり地方財政が非常に苦しゆうございますから、その点はほかの地元の国会議員さんからも、ひとしく当局にお願いしているのですが、この機会に私からもあらためてお願いをいたしたいと思います。  時間がありませんのでもう一点だけ伺います。さつき須田さんが風紀問題その他でアメリカ軍当局と現地で話し合う機関が持ちたいということですが、これもごもつともな発言だと思う。直接交渉したいということなんですが、一昨日伊関局長は私が質問したときに、立川の基地に周辺に現地委員会または協議会のようなものを設けるということを言つておりますので、それによつて、この要望に沿うことができやしないかと思いますが、あれは、どこあてに通牒を発したのですか。もう一度この機会に伺つておきたいと思います。
  286. 伊関佑二郎

    ○伊関政府委員 立川には、あそこは問題になつておりますから当然出ておると記憶しております。ですから立川の水道局あるいは東京都に参りまして、東京都から立川市に参りますが、もうついておるのではないかと思います。
  287. 上塚司

    上塚委員長 並木君、時間が参りました。
  288. 並木芳雄

    ○並木委員 もう一問だけお許し願います。そういう機関ができますれば、さつきの御要望にも沿うのじやないかと思います。そこで最後に須田さんの発表の中に風紀のための検診カードの問題が起つたのであります。これはとりようによると、確かに裹から言うと、そういうことを是認する、黙認するということにもなるので、微妙な問題になると思うのです。伊関局長はこの問題をどういうふうにお考えになつておるか、あるいはアメリカ軍当局の方から、検診とか身分証明書とか、そういうものをつくるように要望があつてのことなのかどうか、かなり専門的のことでありまして、私自身にもよくわかりませんが、そのところをひとつ伺いたい。
  289. 伊関佑二郎

    ○伊関政府委員 遺憾ながら事実を存じませんので、もう少しよく調べましてお答えしたいと思います。どういうふうになつておるか、調べないとわかりません。
  290. 上塚司

    上塚委員長 この際皆さんにお諮りいたしますが、大高根関係参考人の諸君は、この際退席を願つてよろしゆうございますか。
  291. 穗積七郎

    穗積委員 ちよつと大高根関係で伺いたいと思いますが……。
  292. 上塚司

    上塚委員長 それでは大高根のことだけ簡単にお願いします。
  293. 穗積七郎

    穗積委員 補償問題につきましては、全体として感じますことは、非常に遅れておる。それから不均衡であることが特に感ぜられるわけですが、大高根に関しましては、特に弾丸の破片その他のために死者または負傷者が出たということで、それに対する補償はまだ何もない。これは事実でございますか。
  294. 細谷忠治

    ○細谷参考人 お答えいたします。先ほどの発言の中にありました三名は、私の部落なんですが、三名の死者と三名の負傷者を出しているというのは、ちようど部落から二百メートルが、接収線になつているのですが、接収線から二百メートルぐらい入つた地点において、アメリカ軍演習して捨てておく不発弾に触れてなくなつた事故なのであります。接収地の中には入ることが厳禁されておりまして、はつきり立札も立つております。それで、その接収線の中における事故に対しては、見舞金とか、補償金とか、そのような措置は全然とられないように聞いておりますので、やはりこれまで慰藉料とか、そういう名目の見舞金は全然いただいておりません。
  295. 穗積七郎

    穗積委員 これに対して調達庁はどういうふうにお考えになつておりますか。特に土地の問題とか経済的な損害等につきましては、われわれは感情的になるわけです。死者、負傷者等が目の前に出ると、問題が感情的になり、日米間の関係からいたしましても、非常に好ましからぬことだと思います。このことはなるべく急速に、しかも温情を持つてやられた方がよかろうと思うのですが、どういう要望がお手元に参り、どういうお考えであるか伺いたい。
  296. 大石孝章

    ○大石説明員 ただいま穗積委員の御趣旨、私ども補償を担当いたしますところの官庁といたしましては、もつともだと存じます。いろいろな問題を扱います場合に、私どもとしましては慎重に、しかも事案の解決にあたりましては、今日の段階で国民感情が納得の行くような手段でやらねばいかぬということは、常々考えておる次第でございます。今のお話の点につきまして一一の事案を実は存じていないものですから、正鵠を得たお答えができませんが、ただこれらの接収地外の問題でございますが、流弾、砲弾の炸裂によりまして家屋に損害が起きた、それから軍の演習等によつてそういう施設区域以外で損害を受けたものについては、見舞金をそれぞれ、片方は九十五万七千円、片方は六十九万六千円、その関係の方は、片方は六十六名片方は四十名といつたように支払つた事実はあるのであります。その他の御発言内容について詳しく存じないものですから、はつきりお答えできないことは遺憾でございます。
  297. 穗積七郎

    穗積委員 村長さんにお尋ねしますが、さつき細谷参考人のおつしやいました死者並びに負傷者に対する補償問題について、村当局はどういうようにお考えになつておるか、どういうことをなさつたか伺いたい。
  298. 後藤三郎

    後藤参考人 ただいまの御質問に対しては、先ほどお話のありましたように、接収地区内に入つてはいけないことになつておる建前上、村当局としては若干の見舞金を上げたにすぎません。     〔「質問時間はみな紳士的に守つておるのだ」「残つておればあとでやればいい」と呼びその他発言する者多し〕
  299. 上塚司

    上塚委員長 私語をやめてください、穗積君には次の機会において発言の機会がございますから、この際大高根参考人方々をお帰ししたいと思います。  それではさらに日立工場跡の件につきまして質疑を継続いたします。穗積君。
  300. 穗積七郎

    穗積委員 簡単に一言だけ須田さんにお尋ねしたいのですが、さつき風紀問題でいろいろお話いただいて、これに対して伊関局長から対策の一端について御説明がありました。あなたがごらんになつてあの程度の方法でもつて風紀または子供の教育を守ることができるとお考えになるか、あるいはあれ以上の具体的な方法をさらに地元の要望としてお持ちになつておられるかどうか、お尋ねいたしたいと思います。
  301. 須田エン

    ○須田参考人 お答え申し上げます。伊関局長さんは御意見ではなく御伝達を私の方へ申し述べられたのです。その対策をおつしやつたのではないと私は思います。それで新聞によりますとあのような対策でございましたら、それはただ非常に性病にかかるパーセントが多くなつたから、いま少し清浄な日本の女性を提供せよというような対策であつて、決して浄化というような方向とは少し違うのではないかと思います。このパンパン問題というのはいろいろの日本の政治を見ましても、なかなか急には解決はできない問題でございまして、福祉法とかいろいろな方面の関係があると思うのでございます。けれども私たちが考えますときに、やはりもう日本は独立したのでございますから、アメリカがもし性のコントロールを必要としましたならば、アメリカ自身で御自分の国のそういう女性をお用いになつた方が私はよいのではないかと思うのでございます。もう立川あたりでは全市をオフ・リミツト・オーケーという声もありますし、なお業者の中にはそれではたいへんだというので今非常なてんやわんやの騒ぎでございまして、せんだつてあまりにも罹病のパーセントが多いから、何とかしてもらいたいというような基地からの申入れがあつたらしいのでございまして、それについて業者が非常に今悩まされておいでになるらしいのでございますけれども、私たちが業者などとお話いたしますと、そんなことを言うと、あなたたちの家の娘がさつそくあぶなくなりますよ、そういう女がいなくなると、良家の子女があぶなくなるとおつしやるのですけれども、私たち女の立場で良家というのはどういう基準をもつて言うのか非常に疑うのです。どんな方だつて人間の尊重に軽重はないと思うのです。私はどうしても今のパンパンの方の更生対策というものをしつかり考えていただいて、一日も早くそうした方がほかの方法で生きる道を考えていただいて、一人でも少くなつていただいて、結局はアメリカは御自分の国のそういう必要な女の方で、性のコントロールというものをしていただきたいというのが私たちの層の考えでございます。
  302. 穗積七郎

    穗積委員 私がお尋ねしたいと思いますのは、直接肉体的な被害をこうむる婦女子だけでなしに、さつきあなたが御報告になりましたように、その他の一般の市民または子女に対しましても、思想的にあるいは教育上非常な悪影響があるわけであります。そういう問題を含んで——この問題はただ日本の女がサービス・ガールになるか、アメリカからそういうサービス・ガールを連れて来るかという問題だけでなしに、地元に住んで接触しておられるわけですから、そういう広い意味であなたが今まで経験されたり、あるいは仲間の方とお話合いになつた上で、今の政府のそういう風紀問題に対する対策について、具体的にこういうことをしたらよかろうというような御意見があつたら承りたい。これは一立川だけの問題ではない、全軍事基地にわたる問題でありますので、どこからでもそういういい意見と施策が生れて来ますと、全地区にわたつてだんだんそれを敷衍して行くことができると思うのです。そういう意味でお尋ねしているのです。従つてそれを防止するために政府に要望される具体的な御意見がおありになるかどうか、それを伺いたいと思います。
  303. 須田エン

    ○須田参考人 現在しつかりした対策というものはなかなかこれはむずかしくて、どなたがお考えになつつてないと思うのでございます。私もこれが一番よいと提案を申し上げられるようなしつかりした自信もございません。けれども私は大東亜戦争の際に支那へ参りましたときに、日本軍のピーというのを見せてもらいましたが、日本軍はやはり支那の女を日本の軍の管轄で経営をさしておりましたけれども、今一番毒を流しているのは町の女の方でなく、そういう人を利用してもうけようとするその中間の悪徳業者じやないかと思うのです。そういう人の自粛というものがなければ、とてもこれはどんどん悪くなるばかりだろうと思うのです。検診カードなんかができても、さつそくそれを売買するような医師までできるような状態でございまして、決してそれで性病が浄化できるというようなことは考えられないのでございます。もつと真剣に——私せんだつて基地の中を参観させていただきましたけれども、軍隊でございますから非常に基地の中は殺伐として、やはり母親としまして若い青年がこういうところにとじ込められていたらとてもさびしいじやないかというふうに、非常に同情をして見て参りました。アメリカの方も、もつと兵隊さんの文化対策というものを、再検討なすつていただいた方がよいのではないかと思うのでございます。そのくらいな程度で私は決定的なよい対策というものを持つておりません。
  304. 穗積七郎

    穗積委員 伊関局長にお尋ねいたします。先ほど地元における現地協議会のお話がございましたが、これはたとえば地元の団体の代表者とかあるいは理事者、これらの人と向うの軍の首脳の立場に立つておられる責任者の方と話合いをするということですが、その方々はどういう人ですか。
  305. 伊関佑二郎

    ○伊関政府委員 米軍側は基地の司令官とか、あるいは憲兵司令官とか、医者とか、宣教師というような方であります。日本側は公共団体の長、PTAの会長とか、少年保護関係の方とか、いろいろ関係のあるような団体を十ぐらいあげてありました。それで現地で解決するものはしてもらう、何かよい案があつて政府がやらなければならぬようなものがあれば政府に行つてもらいたい。非常に目立つところ、ことに学校なんかあるところでは相談して立入り禁止区域をつくる。それからそれと別に警察の取締りは予算を考えましてもつと強化して行く、こう考えております。もちろん今おつしやつたように根本的な解決にはならぬと思いますが、今ほど目立つ事態を軽減したい、こう考えております。
  306. 穗積七郎

    穗積委員 それはむろん常置的に置くわけですか。そうして同時に日本政府関係機関の方も参加されるわけですか。
  307. 伊関佑二郎

    ○伊関政府委員 直接中央政府からは関係いたしませんが、あるいは東京都の方から出るということはあり得ると思います。これは現地に指令もできませんので、関係各省の次官名でもつて勧告するというふうな形でやつて行くわけでございます。米軍側の方は日本側の方の申出があればつくれという命令が出ております。
  308. 穗積七郎

    穗積委員 質問を終ります。
  309. 上塚司

    上塚委員長 次に戸叶里子君。
  310. 戸叶里子

    戸叶委員 すでに前の委員から質問されましたので、私は重複を避けまして一点だけ伺いたいと思います。須田さんに伺いたいのですが、すでに検診カードというのは売買されているのですか。まだ発行されていないじやないでしようか。その点を伺います。
  311. 須田エン

    ○須田参考人 一部はもう発行されて、何かそういう売春婦のグループがございまして、そのグループではそういうものを持つております。まだ持つてないグループもございまして、ここで全部そういう女の人は持つようにみんなで話合いをしておいでになる過程なのでございますが、これも市役所で非常にお困りになつておいでになる。業者の方ではそういうもので何とか基地の了解を得てほしいとおつしやつておるらしいのでございますけれども、厚生省あたりでそういうものを許すかどうかという見解から、非常に市長さんあたりは板ばさみの立場にお立ちになつておいでのようでございます。私はそれをいま少しよく研発しますけれども、これはほかでも一度こういう問題が起つたそうでございますし、非常に不安定なカードだと思うのでございます。
  312. 戸叶里子

    戸叶委員 もしもそういうものが日本側から発行されているといたしましたならば、非常に重大な問題だと思います。日本では公娼制度を認めておらないのに、それを発行したということは、認めて行くということになると思います。そこで私はどこから出ているかということをいろいろ伺いたいのですが、その点はまだよく御存じないようですから次の機会にでも調べようと思いますが、いかがでしようか。
  313. 須田エン

    ○須田参考人 キャバレーとか置屋、ダンスホール、そういうものが網羅された立川市美化協力会というのがございます。その辺がこの対策について皆さんお寄りになつていろいろ話し合つておいでになるらしいのでございます。日米合同委員会などができましたらこの点も申し上げたいと思うのですが、日米合同委員会地区ごとにできる場合に、構成メンバーに十分お考えいただきたいと私思うのです。ただいまのPTAなどの構成を見ましても、会長さん初め幹部には非常にボス的な方が多いのです。そういう方は今基地あたりではほとんど利益につながつている方でありますから、そういう方がもし代表してお出になりましたならば、御自分の利益になるような発言ばかりされまして、ほんとうに市民生活の声というものが盛られない面が多いのじやないかと思うのです。その点十分構成メンバーというものに関心を持つていただきたいと思います。
  314. 戸叶里子

    戸叶委員 伊関協力局長、お聞きの通りでございますから、総元締めの局長のところでどうかそういう通達なり何なり出していただきたいと思います。  それで局長にお尋ねしたいのですが、この基地と風紀の紊乱という問題はどこでも起ることで、切つても切れない非常に困つた問題だと思うのですけれども、日米合同委員会でこういうような問題について、かつて討議せられことがあるかどうかをお伺いいたします。
  315. 伊関佑二郎

    ○伊関政府委員 昨年暮れから十分討議いたしました結果、そういうような指令を日米両方で出したわけであります。
  316. 戸叶里子

    戸叶委員 その場合に合同委員会で問題になりましたかならないか知りませんけれども、解決策というのはなかかむずかしいと思います。たとえば基地の中へ売春婦を認めて入れたらいいとか、あるいは基地外に置くとか、立入り禁止をした方がいいとか、きつといろいろ御意見が出たと思いますが、アメリカ側の意見としては大体とういうふうなことを言われていたかをお伺いいたしたいと思います。
  317. 伊関佑二郎

    ○伊関政府委員 日本側も同様でございますが、向うのはもつと厳重で、売春婦は認めておりませんから、これを認めるような制度というものは向うとしてはできないのであります。ですから立入り禁止を——むしろこれを認めますならば赤線区域をつくるわけなんですが、立入り禁止区域をつくつて入れぬところをつくる。これがたくさんできれば、結果においては赤線区域になるわけでありますが、初めから直接に赤線区域をつくるということになると、向うは主義上の問題として向うの国内法の適用を受けてできない。ですから今立入り禁止区域というように、間接に赤線区域ができる結果になるようなやり方に持つてつているわけであります。向うとしましてもこれは本国の父兄の間で非常な問題になつておるわけであります。ことに母親あたりは、非常に若いいまだかつて遊んだこともないような兵隊がおりまして、それが日本へ来ますと、営門を一歩出ると群がつて来る。こうなればやはり若い者だからつい誘惑に負けて遊ぶ、性病にかかるということで、向うでも非常にやかましい声が起きている。何とか取締れということを言われている。ですから米軍の方でも一生懸命です。また性病の罹病率がふえると基地司令官の成績にもかかわる。病人が出ることもまた司令官としては困る。日本側も米側も取締りたい、何とかしたいという気持は同じなのです。これがなかなか名案が浮ばない。各省で集まりまして、何べんか協議しておりますけれども、結果として出ましたものが先ほど申し上げたようなものであります。
  318. 戸叶里子

    戸叶委員 この問題はなかなかむずかしい問題でございますけれども、むずかしいといつて放置できないと思うのです。そこでやはりアメリカ側の方にも厳重に、そういうふうなことを日本の女性にしないという指令を出してもらうとか、何か積極的な案を考えてしていただくなり、あるいはまた先ほど須田さんのおつしやいましたように家族を連れて来るとか、そういうふうなことによつて一日も早く解決されますことを要望いたします。
  319. 上塚司

    上塚委員長 この際内灘問題について喜多君の質問を許します。
  320. 喜多壯一郎

    喜多委員 かいつまんで中山参考人二ツ谷参考人にお尋ねいたしますからお答えを願いたい。私どもが委員会として手にしている内灘試射場に関する期限に対する材料は、二十七年十二月五日の閣議了解要旨に内灘演習場一時使用に関する件として  一、石川河北内灘地区昭和二十八年一月一日より同年四月末まで一時使用する。  二、内灘地区において米軍との間に事故をなからしめるために同地区国家地方警察を増強する。  三、(イ) 内灘地区を一時使用するに当り同村に対し七千五百万円を道路改條文化施設厚生施設等建設に対する補助金として交付する。   (ロ) 将来本地区を無期限使用とする場合内灘村以外の関係町村に対し適当なる補助金の交付を考慮する。  四、内灘地区使用に伴う政府補償昭和二十七年七月四日閣議了解を得た損失補償等要綱により行う。 というのがあります。これによつて見ると、どうもあなた方の言う公約というのは、やはりこの了解要旨による一月一日から四月末までを一時使用ということで終始お話を進められたと思うが、その話の間に今読み上げた三の(ロ)の中の「将来本地区を無期限使用とする」という文句がありますが、このことについて政府代表当局なりその他から、村長さん並びにその他がお聞きになつたことがありますか。
  321. 二ツ谷外次郎

    二ツ谷参考人 お答えいたします。部落としましては聞いたことはありません。
  322. 喜多壯一郎

    喜多委員 中山参考人村長さんとしてお聞きになつたことはありませんか。
  323. 中山又次郎

    ○中山参考人 私もそういうことは全然聞いておりません。
  324. 喜多壯一郎

    喜多委員 伊関協力局長にお尋ねしますが、地元の参考人は二人ともこういうことを聞いてないというのですが、これは発表しなかつたのでありますか。
  325. 伊関佑二郎

    ○伊関政府委員 林屋さんのお宅において二日二晩くらいですか話をしましたときに、政府がそういう意図を持つているということは十分通じたと考えております。
  326. 喜多壯一郎

    喜多委員 政府はそういう意図を持つてつた、二日か三日にわたる話の間に示したと言う。村の方の参考人は聞かないと言う。ちようど鐘と撞木の間が鳴るのか、どつちが鳴るのかというようなことです。しかし参考人たちはこういうことは気がつかれませんでしたか。一時使用で話を進めて行くときに、地元の方と政府当局との間に、書いたものをとりかわしたことはありますか、ありませんか。
  327. 中山又次郎

    ○中山参考人 今お尋ねの書類についてお答えいたします。書類の交換は村としてはありませんが、漁業協同組合と調達局との間に一月一日より四月三十日までの契約書がりつぱにできております。
  328. 喜多壯一郎

    喜多委員 そうすると、内灘の漁業組合と特別調達庁との間にとりかわしておるというその書類は、一時使用でありますか。四箇月使用でありますか、無期限使用でありますか。
  329. 二ツ谷外次郎

    二ツ谷参考人 お答えします。私が漁業組合の理事をやつております。一時使用四箇月と決定しておりました。
  330. 喜多壯一郎

    喜多委員 この点について特別調達庁の答弁を求めます。
  331. 大石孝章

    ○大石説明員 お答えします。漁業補償関係につきましては、補償契約でございまして、一月から四月まで四箇月分の漁業の損失補償村民に出すのであります。契約は私どもの方の担当長が名古屋の調達局長でありますが、名古屋の調達局と漁業協同組合との間にその補償契約がとりかわされたわけであります。
  332. 喜多壯一郎

    喜多委員 ただいま御答弁された方にお尋ねいたします。四箇月の契約というのは何に基いて四箇月の契約をなさいましたか。
  333. 大石孝章

    ○大石説明員 私どもの補償は先ほども若干触れましたが、過去に使用した分の、その実損の補償であります。ですから一月から四月まで使つた分に対する実損の補償でありますから、四箇月分の補償契約となるわけであります。
  334. 喜多壯一郎

    喜多委員 過去に四箇月使つたのだから四箇月分払つたとすると、この補償契約の日にちはいつになりますか。
  335. 大石孝章

    ○大石説明員 現在の補償制度では、前に使つて損失の起きたものを、あと補償するところの制度であります。従いまして四月末をもつて一応あすこの漁業制限が終つたという形で、その後にいたす補償ということでございます。ですから実際の補償金額を私どもの方が払つたのは、私の記憶に間違いがなければ六月十三日に補償金を払つたと思います。
  336. 喜多壯一郎

    喜多委員 重ねてお尋ねいたします。それでは何ゆえに一月から四月まで使つたのだから四箇月分だとして特調は払つたか。それはやはり内灘演習場一時使用に関する件という、昨年十二月五日の閣議了解要旨によつてなさいましたか。それとも実際に使つた四箇月によつてなさつたか。実際に使つたのは一体四箇月使つておるかどうか。
  337. 大石孝章

    ○大石説明員 あすこの試射場は、実際の試射は三月の中旬か何かから行われたというふうに私承知しておりますが、私どもが漁業のできないようにあの地元を制限したのは、一月の初めから四月末までであります。そこで一月から四月まで補償いたした次第であります。
  338. 喜多壯一郎

    喜多委員 重ねてお尋ねいたします。すると一月から四月までとあなたの方で認定なすつたことは、要するに内灘演習場一時使用は四箇月だという政府の通達によつてなさいましたか。それとも特調一個のお考えで四箇月の補償契約をなさいましたか。
  339. 大石孝章

    ○大石説明員 先ほど申し上げましたように、私どもの補償のやり方は実際使つたと申しますか、そこのところにある漁業が制限せられた実際の時期に合せてやつている次第でありまして、まず一月から四月までがあの地先で制限せられたので、従いまして一月から四月までの四箇月分の補償をいたした次第であります。
  340. 喜多壯一郎

    喜多委員 どうも答弁なさる政府委員は私の質問をつかんでおられない。故意にそらせるならば私は重ねてお尋ねする。あなたが一月から四月まで制限したというのは、実際に制限したという法的根拠はどこにお求めになりましたか、ということであります。
  341. 大石孝章

    ○大石説明員 私ども承知いたしているのは、とにかく六月以降新しく使つたものではなくて、一月から四月までの件は一月から四月までと承知いたしております。
  342. 喜多壯一郎

    喜多委員 だから一月から四月まではというのが、実際は一月から四月まで使つていないのです。建築しておつて制限したというのまで補償するということになるから、それを政府としては何を根拠に置いてなすつたか。この閣議決定了解要旨によつて外務省の協力局かどこか私はそこは詳しく存じませんが、調達庁ではこういう補償契約をしろということが来たのでなすつたのか。それともあなたの方から偶然に四箇月、一月から四月まで制限したのだから契約したものか、よりどころは何によつて来たのか、その補償が何によつて払われたか、一体漁業組合に対する四箇月分補償契約のスタンドポイントといいますか、法的根拠は調達庁としてはどこにお求めになりましたか、ということなんです。
  343. 大石孝章

    ○大石説明員 私どもは施設区域としてあの内灘の場所が閣議決定せられて、それに基いて漁船の操業制限に関する法律がございますが、その法律を適用いたしまして、内閣総理大臣が制限の告示をいたした次第であります。それによりまして一月から四月まで実際使つた、使わないにかかわらず、さつき申し上げましたようにあすこは操業することが制限されたわけであります。従いまして四箇月分の補償契約をいたした次第であります。
  344. 喜多壯一郎

    喜多委員 そうすると特別調達庁の漁業補償契約は、やはり内灘演習場一時使用に関する件の一の「一十八年一月一日から同年四月末まで一時使用する。」という閣議了解要旨によつた、一によつたと了解すべきでありますね。もう一言つけ加えておきますが、内閣総理大臣の告示はおそらくこれによつて告示になつたものだとこう法的に解釈します。従つてあなたの調達庁の方ではこれがあろうとなかろうと、告示によつてなさつたということだ、そうでしよう。そうするとその告示のオリジナルはどこにあるかというと私どもはこれだと解釈するのですが、あなたもそう解釈せざるを得ぬでしよう。
  345. 大石孝章

    ○大石説明員 内閣総理大臣の制限の告示は直接的には昭和二十七年法律二百四十三、漁船の操業制限に関する法律第一条によつてつたわけであります。
  346. 喜多壯一郎

    喜多委員 参考人にお尋ねしますが、漁業補償を確かに四箇月一時使用ということによつてなされた。そうして先ほど私がお尋ねしたように、将来本地区を無期限使用する場合ということについては一言も政府との話合いがない。伊関局長は了解行くように話し合つたという。何だかこれは私どもから言わせると、化かされたような、ぼやかされたような、どうも私はここに食い違いがあると思うのですが、この点に関して伊関局長は、漁業補償は四箇月で調達をした、契約をしたという。片方は無期限の腹であつたというようなことでは、地元の者が納得するかしないか、どうお考えになりますか。
  347. 伊関佑二郎

    ○伊関政府委員 漁業補償は過去の実績によりまして、実際に制限しました期間に対して払うわけであります。これは実際に制限した期間が四箇月であつたからそれに対しての契約をしてあるのであります。それと五月一日以降使うか使わぬかという問題とは直接には関係なかろうと思います
  348. 喜多壯一郎

    喜多委員 直接には関係ありません、そうも言えますが、しかし特別調達庁の方の根拠は、少くとも内閣総理大臣の告示だと言う。その告示によつて出るところはどこかと言えば、二十七年十二月五日の閣議了解要旨——関係ありますよ、ちやんと。あるのです。私はそう解釈する。なぜ片方を二十八年一月一日から同年四月末まで一時使用とすると言いながら、(ロ)の方へ持つてつて、将来本地区を無期限使用とする場合というふうに言つたか。この間に関しては、あなたの所管のあれから出たと思うのですが、これはどういう含みを持つてこういうふうなものが出たか、御答弁願いたい。
  349. 伊関佑二郎

    ○伊関政府委員 政府としましては、やはり内灘が一番適当な土地であると初めから思つてつたのであります。しかし非常に反対が強い情勢に応じまして、やむを得なければ四箇月というふうな点まで妥協して行かれたのであります。そうして最初に話をつけましたけれども、その後いろいろ話をしておりますうちに、将来いろいろと条件がかなえば五月一日以降も使うことについて話をしようということをわれわれの方は申したわけであります。その話が成功するのではないかと思いましたのでそういうふうに報告しました。その場合のことを考えてそこに書いたのであります。
  350. 上塚司

    上塚委員長 もはや二十分に相なりました。
  351. 喜多壯一郎

    喜多委員 はい、それではこれだけ参考人の二人に聞きますが、政府は公約を守ると言う、あなた方は公約を守つてくれとさつきも陳述の中におつしやつたが、その公約というものは一時使用四箇月ということでありますか。
  352. 二ツ谷外次郎

    二ツ谷参考人 お答えします。その通りでございます。
  353. 喜多壯一郎

    喜多委員 そうすると政府は試射は公約に従つて四月末日限り停止すると言つた。停止すると言つたらその後はないものだというふうに参考人たちは解釈しましたか、これが一つ。もう一つはその後に政府の態度がかわつて来て継続使用という言葉を使つたときには、どこから、いつから、何から継続するのだ、ふしぎに思いませんでしたか。
  354. 二ツ谷外次郎

    二ツ谷参考人 お答えします。第一点の質問に対しては一時使用で打切られると思いまして、村民は全部従来通り操業を続けております。  第二点につきましては、何もわからないうちに、まず操業を続けておる、そのままの形で撃たれたのであります。現在浜ではわれわれの生活のかてとする船も、また網もなぎさにそのままにあります。
  355. 喜多壯一郎

    喜多委員 きようの中山参考人発言中、昨七月九日外務大臣に陳情したときに、外務大臣は、内灘の試射場に対して見舞金としての五万円は多過ぎるとは思わぬかという言葉があつたと言われますが、これはときどき他の委員からも指摘されておるし、私も指摘したい点なんですが、多過ぎるということは四箇月に対し多過ぎるので、同時にこの裏を言えば無期限使用に対しては少な過ぎるというふうに解釈しますか。
  356. 中山又次郎

    ○中山参考人 四箇月が非常に多い、永久使用ならばその逆で非常に少いということはおつしやる通りだと思います。しかし私どもはその永久使用という含みを持つてそういうことをお約束した覚えはありません。
  357. 喜多壯一郎

    喜多委員 ではこれでお約束を守ります。
  358. 上塚司

    上塚委員長 これをもつて本日の質疑を終了することにいたします。  参考人各位より長時間にわたり、種種有益なる御意見を拝聴いたしまして、委員長より厚く感謝申し上げる次第であります。  本日はこれをもつて散会いたします。     午後五時二十八分散会