○帆足委員 先ほど来各地の
俘虜対策、
戦犯対策について御意見がありましたが、私は、
犬養法務大臣の
お話を聞いて、保守政党でありますけれ
ども、非常に情味兼ね備わる御答弁で、これを外務大臣の御答弁と比較いたしますと、ま
つたく雲泥の相違がありまして、さすがに不信任案を出される方はかくのごときかと思
つて、感慨無量でありまして、その下にお働きになる政務次官の御心中のほど、ひとしおとお察し申し上げます。何事にも忍耐と寛容が必要でありますゆえに、大いに各委員の御意見を御参照くださいまして、この問題の解決に御努力願いたいと思うのでございます。
そもそも理解しやすい相手または語りやすい相手と外交するのならば、これはだれでもできることでありますが、鉄のカーテンとか竹のカーテンとか、理解しがたく、理解されがたく、交渉しがたき相手と交渉をつけることこそが外交官の本領であるということを、まず十分
考えていただきたいのでございます。さらに、先ほど自由党の委員の方から非常によい御発言があ
つたのでございますが、いわゆる自由諸国の
方々と話し合うにあたりましても、
戦犯釈放その他の問題につきましては、民間人がとくと語り合
つた方が筋が通り
人情が通りやすいというのが近代社会の一つの特色でございますが、鉄のカーテンのかなたと交渉する段になりますと、一層その必要が痛感されるのでございます。今から二十年前に
ソ連というわれわれの理解しがたい新しい体制がこの地球上に生れましたが、
アメリカもイギリスも長い間これを承認いたしませんでした。しかしながら、存在するものを無視して政治というものを行うことはできません。大陽が暑いといいましても、暑ければ、パラソルをさすか、軽井沢へでも参ればよろしいのでございまして、暑い太陽の存在を最初から無視して、宇宙の外にこれをけ出してしまおうなどということは、夢物語りでありますから、存在するものを前提としてこの
委員会で相談いたすとするならば、やはり英国の例をとりましても、まず通商から話を始めまして、あとで承認問題が起
つて来た。
アメリカもまたそのようでございました。
日本におきましても、後藤新平伯がこのために民間外交の実をあげ、またそのほかに、文化人、学者、地理学者等がかの地に往復いたしまして、かの国を承認いたします前に既成の事実としてそういう一連のことが行われた。今日の岡崎外交と違いまして、当時の保守政党の指導者
たちは多少今日より聡明でありまして、後藤新平伯のごときラジカルなデモクラットを十分に駆使されたという点が今日の保守反動内閣との若干の違いであろうと私は思います。従いまして、そういう過去のいきさつから
考えましても、民間外交が
政府の交渉よりも多少先駆する傾向があるということは、これはもう歴史の示すところでありまして、外務省
当局が、帆足とか高良などという鼻息の荒いのが、まるで外務省のようなことをや
つて、お株を奪
つてしまうなどという、くだらぬやきもちなどやかれずに、
自分らの手の及ばぬところを多少でもや
つてくれた、有能な人物もおるわいというように御理解くださいまして、さらにまた、改進党の方や自由党の
方々も、いやしくも国の利益ということになれば、やはりこれは超党派的といいますか、
国民的感情のもとにやることが私は必要であろうと思います。特に、昨今における原爆の発達は著しいものがありまして、超音航空機、レーダー、ロケツト砲の発達はまた驚くべきものがありますので、外務省の首脳部の
方々は、自衛権とか戦力とかいうようなかわいらしいことを論ずる前に、まず近代兵術の初歩の書物と原爆と航空機の最近の発達の状況くらい一応お調べくださ
つて外交をお
考えに
なつた方がよいのであるまいかという感じすらいたすのでございます。そういうきびしいときでありますので、国と国との間を昔のちやんちやんばらばらというような一面からお
考えなさらずに、原爆の時代に、二つの世界が全面戦争をすることはもうできぬところに追い詰められまして、平和いうことが人類の今課題になりつつある時代でありますから、せつかく新憲法を持
つている
日本政府としては、もう少し高邁な見地に立ちまして、なお寛容な見地に立ちまして、
ソ連、中国との問題を
考えていただいたらどうであろうか。幸いにして、先般私
どもが参りましたときの経験から見ましても、語り合
つてみればまた道も開けるという感を深くいたしたのでありまして、中国では南漢宸華北銀行総裁が私に言われるのに、中国におりました
戦犯の
方々は、南とかビルマの方に
国民党と一緒に逃げて行
つた者もあるし、一部台湾に逃げて行
つた連中もあるが、多くは閻錫山将軍と一緒に籠城して戦
つて、非常に多くの犠牲者を出した。それらの方方は
戦犯という名前を着せられているけれ
ども、
日本の過去の監獄のような生活をしているわけではなくて、一部は労働には従事しているし、一般の市民と同じ生活を許されている者もあるし、いろいろ学校のようなところへ入れられている者もある。しかし、健康その他については中国
当局としても十分気をつけているつもりであるというような話がありまして、私が、
ソ連でもうすでに手紙の往復を許しているのであるから、ぜひとも手紙の往復だけは許してもらいたいと言いましたところが、それは黙して、答えを聞くことが遺憾ながらできませんでした。しかし、あとで上海へ参りましたときには、これは漁船の別の
意味の捕虜で、終戦後収容された
方々ですが、漁船の乗組員の捕虜の健康その他については特によく気をつけて、手紙のやりとりについても便宜をはかろうということでありまして、国に
帰りまして、さつそく一まとめにして手紙をわれわれが添書をして送りましたところ、非常にたくさんの返事が参りましたが、その返事はほとんど全部奥さんとおつかさんにあてたものばかりであるのに驚きました。おやじにあてた手紙はほとんどありません。
人情というものは、これは国のいかんを問わぬものでございますので、語り合
つてみればぼつぼつ開ける点もある。また漁船問題などの例でも、
向うもいろいろ
誤解がありまして、こちらは気象通報とか飛行機の通報であるものを、
向うではスパイと思う、領海の定義が違う、案外行き違いがあ
つたということも私は発見いたしました。また、シベリヤの諸君の手紙が着き、カン詰な
ども送れるようになりましたことも高良さんが
向うへ行きまして捕虜収容所長と会いましたことも一つの動機となりましたことは
皆様御
承知の通りですが、その後、当然来るべき父親
たちからの手紙が来ない方がありまして、そういう
方々には、私
ども、捕虜収容所長あてに実は添書をつけて出したのでございます。すると、うまくその当人に着きまして、御返事をいただいたような例もございました。従いまして、とにかく国体も違い、政体も違い、イデオロギーも違いますけれ
ども、しかし、同じ人類に属するわけでありますから、語り合えば意思の疏通はある
程度できるという次第でありますので、
政府当局としては、いつまでも過去のいきさつにとらわれず、そうして、
日本も相当意地が悪いし、ソビエト
政府も相当のものでありまして、意地の悪い同士でありますので、お互いさまでありますから、むしろお互いに相手の心理もわかるというくらいの寛容の精神をもちまして、また両方ともアジア人種でありまするがゆえに、違うところもございますけれ
ども、非常に共通性もあり、特に中国におきましては非常に理解しやすい同文同種の間柄でありますから、中国の問題としては、
ソ連ですらが文通の自由を許しましたので、誠実に中国と話し合えば、文通の自由も許してもらえ、やがて
帰還することも認められる日が遠くはないのじやないか、また
ソ連におきましても、そういう空気が至るところにみなぎ
つているふうでありますから、この際ひ
とついつまでも頑固な
立場にお立ちにならず、もつと緩やかな
気持でこの糸口を開いてやるというようなお心組みに願いたいのでございます。
どうか、次官におきましては、
外務委員会においてもしばしばわれわれが主張したことでありますが、これは超党派的な願いでありますから、
アメリカに遠慮してお答えしにくい節もございましようけれ
ども、ヒューマニズムの見地から、なるべくその
方針に沿おうと努力しているという
程度の御返事でもいただけるならば仕合せでございまして、一挙に解決というわけにも参りませんけれ
ども、国際情勢の見地を見ながら、ぼつくその方向に御指導あらんことをお願いする次第であります。