○
木村(忠)
政府委員 第四次
引揚船のこちらに帰還いたしましてから後に、
援護庁といたしましては、第五次の
配船の問題につきまして重大なる関心を持
つて対処いたして
参つたのであります。御
承知の
通りに、そのころから、
一つはフィリピンのモンテンルパから釈放される、あるいはこちらに
送還される方の
輸送の問題があり、それに引続きまして、
マヌス島からこちらへの
送還問題がございましたので、これが離船につきまして、
一つは
引揚船の
白山丸をこれに使い、もう
一つは
引揚船の
白龍丸をこれに使うことにいたしまして、大体
白山丸の方は、その次のこちらから
中国の方に
配船をいたしますまでに聞に合うという
一つの確信をも
つていたしたのでありまするが、
白龍丸につきましては、これは
中国側からの
配船の請求にはおそらく間に合わないであろうというような
考えで、これに対します
準備をいたしたのであります。先般
工藤日赤外事部長が
中国から帰
つて参りまして、そのときの御報告によりますと、この次の第五次には秦皇島は使わない、
従つて使う港は
天津と
上海である、現在
集結中であるから、いつ
配船になるか、何人ぐらいになるかということははつきりしないが
——おおむね三千ないし五千である、
——工藤外事部長の感じといたしましては、三十前後であるというような
お話であ
つたのであります。従いまして、一応第五次
配船は四隻、船がなくても三隻でも何とか間に合うのではないかというところでも
つて、
白龍丸を
マヌス島の方に派遣をいたすことにいたしまして、万一五千人という
指定がありました場合については、前に制定されました
就航命令を発することができる法律によりまして、適当なる船を
運輸省において
準備するという
手配を全部いたしまして、
マヌス島に
白龍丸を出すことにいたしたわけであります。その間におきまして通常の、最初の第一次から第三次までの
状態によりますと、
先方からの
配船の
指示は、大体最終の船が帰ります前後にあるのが従来の
状態であ
つたのであります。これは、
当方におきまして
配船をいたしまする
都合上、
相当の
余裕をも
つて配船の
通知をしてもらいたいという
先方に対します要求に応じてお
つたものなのでありまして、第四次の
配船になりましてそれが非常に遅れました。第五次につきましても、こちらの方には何らの
通知がない
一つまり一次から三次までの間にありましたような時期に
通知がないという
状態でございましたので、
当方といたしましては、
華人の
送還の問題がございましたので、できるだけすみやかな
機会に、これの予想を早く知らせてもらいたいというふうに
考えまして、
配船の状況、
計画等につきまして、
先方にこれを問い合せ、あるいは依頼をいたしますように、
日赤を通じまして申し入れたのでございますけれ
ども、これに対します
照会等の
電報は遂に出されずに終りまして、今回の
配船通知とな
つたのであります。二十六日の
配船通知は、
中国紅十字会から三
団体連絡事務局にあてまして、第五次
日本人帰国船の
到着港及び
到着時間次の
通り通知いたします、
興安丸は八月三日から五日の間に
天津に到済、
乗船人員は約千二百名、
高砂丸及び
白山丸あるいは
白龍丸の二隻は八月六日から八日までの間に
上海に
到着、
乗船人員約二千名、以上
帰国者総数三千二百名という
通知が
参つたのであります。従いまして、この
通知は非常に遅れまして、
当方といたしましては、これによりまして、従来
華僑を
向うに
送還をいたしますにつきましての第一次の
華僑送還の際とは違いまして、非常にその間の
余裕がない。
従つて華人送還につきましては、非常な困難を来すということが予想されましたので、実は、昨日午前中、
関係者が集まりまして、この際に
華人を
向うに
送還しないということは、
向うに対しまする信義に反するのではなかろうかというふうに
考えましたので、従来の
いきさつを全部一掃いたしまして、新たに、この無理な
期間にもかかわらず、何とかして
華人を幾らかでも
希望する者を
向うに送り返すようにいたしたいと
考えまして、
興安丸を
横浜並びに
神戸に回航いたしまして、少くとも
横浜あるいは
神戸近在におります者で、
希望いたしまして
手続をいたしております者が、これに乗りまして
向うに帰ることができますようにいたしたい、かように
考えまして、その
手配を全部了し、特に
興安丸におきまして、石炭の積み込みに二日ばかりかかりますというものを、
運輸省のはからいをもちまして、一日でこれを全部積み込んで、船をこちらの方にまわすという
手配までいたしたのでございますが、昨日の午後三
団体におきまして、
華僑総会も集まりました席上におきまして、これは私も、出ていないので、わかりませんが、本日承るところによりますと、
華僑総会におきましては、
帰国希望者の中の一部の者を今回
向うに帰すということについては、第一次の際にも同じような
状態にな
つてお
つたために、
東京及び
大阪から離れた地域にあります
華僑に及ぼします
影響等を
考えて、この際出ます
興安丸には乗せないで、別にその
あとで仕立てて
向うに帰すようにしてもらいたいという
希望を申し入れて来たようでございます。つまり、
向うで
指定して参りました八月三日から五日までの間に、
向うに
到着いたしまする
興安丸に乗せることはできないというふうな話だ
つたのであります。
そこで、昨日三
団体が集まりまして、
申合せをいたしまして、本日私の方に参りまして説明いたしました
事項を申し上げますと、昨日三
団体が集まりまして、
華僑総会をその中に入れまして御
相談になり、こちらに申し入れて参りました
事項は、次のことでございます。これは三
団体の
申合せでございまして、この
申合せによりまして、こちらに
申入れをするということでございます。第一が、第五次
邦人帰国については、
中国紅十字会七月二十五日
付電報の趣旨により、三船を
先方指定の港に送る、
うち興安丸は往航を
空船とし、八月三日
天津に入港する、
高砂、
白山の二隻は八月六日
上海に入港する、第三は、
右興安丸は、
天津から
帰国の後、第五次船の一部として
折返し華僑及び
遺骨を乗せて
天津に
向う、
入港予定期日は八月十八日ないし十九日とする、
右興安丸はなるべく多数の
日本人を乗船
帰国せしめるよう
中国紅十字会に依頼する、三、
別紙華僑総会の
要望事項については、
政府において適宜の
措置を講じなければ、
華僑総会としては財政上はたまた
帰国者の
集結及び組織上実際業務を開始できない
実情を了承した、右は明日午前十時
政府に
申入れることとするということで、本日これについての
申入れがあ
つたのであります。
これによりますと、三
団体の
申合せとしては、第五次の
帰国の
配船については、
先方の
指示通りに船を出す、そうしてその際に
華人を乗せて帰る
予定である、
興安丸はからで
向うへ参りまして、つまり、先ほど申しましたような
事情で、
華僑総会の方で乗せることができないという
事情のもとに、からでも
つて向うへ行く。しかし、それでは、第四次と同じような
状態でも
つて、
向うから乗せて帰さないというような事態が起るかもしれないから、
輿安丸は
向うから
邦人を乗せてこちらに帰りましたら、
折返しもう一回
華人を乗せて
向うに行くことを約束する、こういうことなのでございます。
華人を乗せて
向うに帰すについて、現在われわれの
考えるところによりますれば、非常の手段を用いますれば、先ほど申したように、
興安丸を
横浜並びに
神戸に回航して、一日の間でも
つて大体の
手続を全部終えて、これに乗船させるという
措置を講じましたならば、大体三十一日及び一日の二日において
横浜及び
神戸で
華僑を乗せて
向うに行くことができる、大体五日までに
向うに行くことができるという
手配ができたのでありますけれ
ども、そうした場合には遠隔の地の者が乗れないということになりますので、それでは困るということで、
先方はこれを断
つたのであります。そういたしまして、われわれとしては、ここに書いてあります
通りに、
華人を乗せて
向うに第二回目に
行つた興安丸に、ある
程度の
日本人か乗
つて帰ることができますれば、早期の
引揚げができるということになりますので、われわれとしてはこれに対して異存はございません。
運輸省と
相談した結果、
運輸省としては、この
方法によ
つてやることについてさしつかえないという
お話でございましたので、われわれとしては、その
旨先方に返答いたしたのであります。但し、この
配船の日でございますが、
興安丸は八月三日
天津ということにな
つております。これはよろしい。しかし、
高砂丸、
白山丸の八月六日
上海入港は八月七日にしてもらいたいということ、並びに第二回目の
興安丸が
向うに参りますのは、
配船のいろいろな
準備等のことも
考えますと、
運輸省において八月二十四日以降にしてもらわなければ無理であるということでありますので、その旨あわせて三
団体の方へ
申入れをいたすということにいたしております。すでに
申入れを終
つたことと思
つておりますが、そういうことにしております。
なお、
華僑総会の
要望事項は、いろいろ項目があるのでありますが、第一に、
華僑総会が
華僑を
向うに
送還するについて立てかえた金を払
つてもらいたいということと、それから、今後の
事務費その他についての
経費を
日本政府において負担してもらいたいということ、並びに
華僑総会等で
赤十字社とともに
送還事務の
手続をいたします人間の処遇とか、
特別輸送列車に乗せる
添乗人員とか、それから船に乗せて
向うに帰る場合に一緒に乗
つて行く
世黄の勢あるとか、いろいろな点についての
要望が入
つておるのでありますが、これと
配船の問題とは別個の問題でございますので、われわれとしては、事務的にこの点については今後折衝いたしたい、われわれとしては、必要なる
経費を惜しむものではありません。しかし、そのかわり不必要なる
経案われわれ負担するわけにいかぬ。筋の通るものには出すように努めるし、筋の通らぬ金を出すわけにいかぬ。たとえば、これについてはどの
程度の人を乗せるか、これをどういうふうに処遇するかという点については、
日本政府として十分
考えて、今後
日本赤十字社と折衝した上できめるようにしたいということで、
先方の了解を得たのであります。なお、これについては、今日の夕方までに
返事をもらいたいと申し薫りましたが、われわれとしては、こういう事務的な問題については今日の夕方までに
返事をすることはできない、なお、これと前の
配船の問題とは直接
関係のないことであるということで、この点については爾後の問題にいたしたのであります。
最後の
遺骨の
送還の問題でございますが、これについては、私のほうの
所管ではございませんので、この直接の
所管であるところの
外務省に
行つて御
相談になるように、われわれの方では何らこれについて意見は述べられないということを申しました。これによ
つて、大体三
団体としてはわれわれの
意向を了といたしまして、
向うに
帰つたわけでございます。先ほど申し上げました日の変更については、
上海を八月七日にするということは、その場で申しました。それから
興安丸の二回目に
向うに参りますのを八月二十四日にしなければならぬということは、その後
運輸省と連絡して明らかにな
つたことでございますので、これはたしか今少し前に
向うに連絡いたしたと
考えております。
大体そういうことで、現在では
向うの申します
通りの
配船ができる
状態にな
つておると
考えておるのであります。