○加藤正人君 経済問題を中心として若干の
質問をいたしたいと思います。
先ず第一に、
総理に対し、
政策の混乱乃至矛盾についてお伺いしたいと思うのであります。我々が独立を回復して初めて本格的な
予算を我々の見解に基いて自主的に編成することができることは、誠に御同慶に堪えないのでありまするが、それと同時に、
政府の施策に種々の混乱或いは矛盾が現われ始めたことは誠に遺憾であります。例えば、国税は減税を断行したが地方税は増税せんとしておること、又減税はしたがそのために財源が不足して、好ましくもない
公債政策をとらざるを得なく
なつたこと、又金利を引下げようとしておる半面、
財政より来る
インフレを抑制するため高率適用が
強化されること等、その他いろいろな矛盾が指摘されると思いまするが、特に致命的なものとして私は次のことを指摘しておかねばならんと思うのであります。
即ち、
我が国の物価は諸外国のそれに比較して相当割高であること、そのため
我が国の
輸出が不振を極めておる事実を
考えると、
貿易によ
つて国を立てる以上は、この割高を
是正することこそ現下の至上の命題であり、あらゆる
政策の
基本でなければならんのであ
つて、
政府においても漸く真剣にその
対策に乗出しておりながら、一方においてこれに逆行するような、米価、運賃等の
基礎物価の引上げを行
なつたばかりでなく、今や
財政政策を殆んど根本的に変更して、相当なる
インフレの要素を孕む
予算案を編成したのであります。即ち、蔵相自身がその害阿片のことしと称する
公債政策の採用、或いはインベントリーの廃止、
財政投資の
特別会計化、その他実質的には本年度に比べて一千億円にも達する
予算規模の拡大、更に一千数百億円に上る
財政資金の撒布超過等、どう見てもこれは健全なる
財政とは言えず、現在の経済情勢から見てこれが直ちに
インフレを招来するとは言えないにいたしましても、少くとも従来の超均衡
政策から一挙にぐるりと百八十度の方向転換をみたことだけは事実であります。これを九十度の程度にとどめ、いわゆる超均衡の超の字を削除する程度に収むべきであ
つた。而も
公債政策を採用したということは、このぐるりと転換した新らしい方向へ一歩踏み出そうとしている態勢を意味するもので、全く致命的な
政策の矛盾と言わなければなりません。
私は過般の
補正予算の審議に当
つて、当時すでに問題とな
つてお
つた貯蓄
公債案に反対し、その理由といたしまして、「ドツジ
政策の目標は国際価格の線で
我が国の物価と通貨を安定させることである。そうして我々は過去数年間に亘
つてこの目標達成のために
努力して来たのであ
つた。併し我々のこの数年の
努力にもかかわらず、遂に
我が国の物価は国際物価に鞘寄せすることができなか
つたのであります。而も、今や我々は、この超均衡
政策を修正して超の字を削除することを余儀なくされており、このことは少くも物価引下のための
努力の
一つを棚上げすることを意味するものであります。
従つて、このような事情にあるときに
公債政策を採用することは、
健全財政、通貨の安定を目標とする
基本政策そのものを破壊する端緒になる虞れがあるのであります」という点を指摘しておいたのである。我々がこの
基本目標を達成するためには、本来なら歯を喰いしば
つてでもなお超均衡
政策を続けるべきであろうが、併し残念ながら戦後の
日本経済の健康状態が甚だ悪いために、これ以上超均衡
政策を強行すれば、栄養失調から生命そのものにまで
影響する虞れがあるために、不本意ながらも
政策を修正せねばならなか
つた。これが
日本経済の持つ最も本質的な二律背反的な悩みにほかならないのであります。私はこの意味において、現在の
為替レートも、我々の願望と
努力にもかかわらずこれを維持することが困難で、引下を余儀なくされるのではないかという危惧さえも持
つておるものでありまするが、とにかくこの超均衡
政策の修正がここまで来てしま
つては、明らかに今後の
インフレ傾向を押えることが精一ぱいであ
つて、物価の引下等は到底及びも付かぬものではないかと思うのであります。この意味におきまして、
政府は今や致命的な
政策の混乱を示しつつあるのでありまするが、これは畢竟GHQの制約を離れ、右大臣が
予算の分取りのみを事とした結果であ
つて、今後もなおこの傾向はよほど反省のない限り続くのではないかと憂えられるのであります。
総理は、この
政策の混乱矛盾をどのように認識し、今後これらの傾向に如何に対処せんとするのであるか、伺いたいのであります。
なおこの問題に関連して、今回の
予算編成過程の経験に鑑みて、
予算の編成権をどこに置くかという問題についても、改めて検討を加える必要があるのではないか。つまり国政全般を通じて何に
重点を置くべきかということを策定する国策の立案者と、これに順応する
財政政策の立案者とは、切り離して
考えるべき性質のものではないかということ、
従つて国策全般に亘る立案者は、一応各省を俯瞰し得る立場に置くべきではないかという問題であります。現在の予寡算編成の方式の最も大きな欠点は、
大蔵省が機構上国政全般を俯瞰する立場にないために、その編成する原案は、勢い総花式、つまりどこにも余り当りさわりのないようなものになりやすく、且つ権威がないことであります。
従つて大蔵大臣対各省大臣の折衝に当
つては、それぞれの大臣の発言力の大小、或いは分取り技術の巧拙によ
つて、妙に歪められてしまう結果となることが多いのであります。成るほど
予算編成方針即ち国策の骨組を決定するものは閣議には違いないが、この閣議に出される原案を立案する所が問題なのであります。なぜならば、一度原案が作成されると、如何に
国務大臣としての資格ある閣議とはいえ、それぞれ各省大臣としての利害
関係が伴う以上、原案の根本的或いは大幅な修正は殆んど不可能に近いのではないか。而もこの原案が
大蔵省によ
つて作成されるとせば、前に触れた事情で総花式のものになりやすく、
従つて閣議決定による
予算の骨組も又勢い総花式のものたらざるを得ないと
考えるのであります。このように
考えて参りますと、
予算編成権をどこに置くかということは、非常にむずかしい微妙な問題ではあるけれども、この機会に改めて研究し直して見る必要が痛感されるのであるが、
総理は如何に
考えられるか。この点も併せてお
考えを願いたいのであります。
次に、
大蔵大臣に対し、
補正予算の問題について伺いたいのであります。
政府が今回
公債政策を採用せんとしていることは、すでに指摘されておるよううに誠に重大なる
財政政策の転換であります。そうしてこれは誠に好ましくない方向への転換であると思う。
予算案編成の過程において、蔵相が極力これを避けんとした態度と
努力には、私は満腔の敬意を表するものでありまするが、結果は党との妥協に終らざるを得なか
つたことは、
我が国の将来のために誠に遺憾でありました。我々が自主的に編成し得ることに
なつた最初の
予算の編成が、このように歪められてしま
つたことは、誠に残念で、私は自由党のためにこれを悲しむものであります。(「その
通りだ」と呼ぶ者あり)
公債政策そのものが直ちに不健全であるかどうかというような議論は、今ここでするものではありませんが、ただ我々が心配するものは、蔵相が常に口にされておるように、
公債というものは、一度
発行すると、ずるずると易きについてしまう虞れのあるものであるということ、並びに今後の
財政需要は、
防衛費の増加、
賠償の具体化等、ますます多くなるに反して、財源は枯渇の状態にある事実を併せ
考えますると、結局初めはびくびくとしておりまするが、終りには大胆にな
つて、
赤字公債へ移行する
可能性が非常に多いという点であります。そこで伺いたいことは、かかる重要な
政策の転換に当
つては、
大蔵大臣としては当然に、
補正予算についての
見通し、或いはそれが不可避と
なつた場合にとるべき措置等についても併せ検討されたことと思います。そして蔵相は現在のところ
補正の必要のないことを衆議院において答弁しておられるのであるが、併し更に一歩突込んで、若し必要が起
つた場合どうするかということまで
考えておかねばならんはずである。我々が現在の情勢において、この程度のものは真に止むを得ないとして認めるためには、当然、将来の
見通し、或いは最高責任者の決意のほどを十分に見届けておかねばならんと思うのであります。勿論これは将来に関する仮定の問題ではあるが、併しそれは当然に予見されることであり、又予見すべきことであるので、あえてお伺いするわけであるが、蔵相は、この若しという場合のことについて考慮を払われたかどうか。そして又、たとい若しそのような場合が起
つたとしても、
公債政策だけは絶対にこれを避けるという決意を堅持しておられるかどうか。この点についてお伺いしたい。
なお、私の希望として、
補正予算などというものは、
予算執行上に現われて来るでこぼこを調整する程度のものは止むを得ないとしても、新たに
支出を要するような
項目のためには断じていたさないという慣例を、この際打ち立てるべきであ
つて、従来のような安易な行き方は絶対に慎しむべきであると思うので、一言附加えた次第であります。
続いて
大蔵大臣に
財政と金融の調整について伺いたい。今回の
予算案が相当
インフレの要素を持
つておるために、
政府並びに
日銀では、
金融面からこれを調整する必要のある旨を明らかにされております。これは当然
考えられるべきことであるが、果してうまく調整が図られるかどうかというについては、必ずしも疑いなしとしないのであります。先ず散布された
資金の吸収についてであるが、これは先ほども木村議員が申された
通り、市中銀行としては、散布される
資金が主として一般民間企業を通じて流れるというような場合ならば、貸付金を引揚げる等の方法により吸収は可能であろうが、今回のような、軍人恩給その他広く
国民各層にばら撒かれるところのもの、平衡交付金として散布されるものの多い時に、果してこれが貯蓄としての吸収が可能であろうか。
政府としてもこれが吸収を図るために源泉選択課税の引下げ等を
考えておられるようでありまするが、
資金の性質が性質だけに、市中銀行側ではこれを困難だとしておる。次に、貸出の引締めについてであるが、これに対して
日銀総裁は高率適用の
強化を言明しており、市中銀行も協力をせざるを得ないと思います。併しよく
考えてみると、現在のような経済事情の下で、果してこれを強行することがよいかどうかという疑問もあるし、又事実上引締められるかどうかの疑問もあると思うのであります。デフレ
政策の「しわ」を民間金融で面倒を見、そのために著しいオーバー・ローンに
なつたときでさえ、一般民間企業が金融難に喘いでお
つたことは周知の
通りであります。それが今度は丁度その逆にな
つて、民間金融を引締めるとなれば、一般企業は相当な混乱が起るのではないか。そうでなくても
公債の
発行は、貯蓄の極めて乏しい現在、必然的に民間
資金を圧迫することは明らかであるから、若しこれを強行するならば、
重点産業と非
重点産業のアンバラソスは余りにも激しく、
政府の施策の過ちを民間企業に拭わすことになり、片手落も甚だしいと言わなければならんと思うのであります。
大蔵大臣はどのように
財政と金融の調整を図る
方針であるか。これを具体的に承わりたいのであります。
更に、法人の配当について
大蔵大臣に
最後にお伺いしたい。
大蔵大臣はその就任以来機会あるごとに、法人の配当は高過ぎるということを口にせられておる。又最近は、
従つて業種別に配当基準を設けて、著しくこれを超ゆるものには勧告したいという意味のことを新聞記者に
発表せられておるが、私はこれは重大なる問題であると
考えるのであります。勿論、業種別に基準を設けて云々ということは、これは言い得べくしてなかなかむずかしい問題で、恐らく実行は不可能ではないかと思われるし、又仮に実行するようなことがあれば、それは株価への
影響となり、ひいては法人の資本調達面に悪い結果をもたらすことは明らかで、冷静に
考えれば悪い面のほうが多いばかりでなく、又このような経理統制的な
考えは到底是認せられるはずがないのであります。まさか本当に、本気で
考えておるのではなく、恐らく
大蔵大臣は警告としての効果を狙
つておるのではないかと思うのであります。
従つて、ここでは、この問題は暫らくおき、この蔵相の思想の根源である配当率の問題について
意見を伺うことにいたします。成るほど現在の配当が三割、四割と言えば、率としては勿論極めて高率と言わねばならない。併しこれは現在の法人の資本が余りに過小であるために、単に高く見えるというだけのことであ
つて、実質的には
戦前に比較して極めて低いものであることは周知の事実であろう。即ち法人の資本構成は、
戦前には自己資本七、借入金三の割合であ
つたものが、現在は大体において丁度その逆にな
つて、自己資本三、借入金七の割合にな
つておるのであります。この結果、利益から配当として社外に出す割合は、
戦前の低い配当の率を以てしても大体四乃至六割、つまり利益金の約半分を配当してお
つたのであります。然るに現在では高過ぎると言われる配当率を以てしても、大体二割程度に過ぎないのであります。即ち資本が余りに過小に過ぎるために、配当率は如何にも高く見えるけれども、実質は配当金は
戦前の半額にも満たないということを現わしておるのであります。企業を経営して行く上において、この程度のことは最小限度是非必要なことであ
つて、これをしも高過ぎるとして非難される蔵相は、果して何を基準として言われておるのか。実は私はさつぱりわからないのであります。或いは社内保留が極めて乏しい事実に鑑みて、相対的に配当が高過ぎるという意味であるとすれば、わからぬこともないのでありまするが、併し資本に対して妥当なる程度の報酬を与えるということは、経営を維持して行く上において必要であります。
戦前は実質的に利益金の四乃至六割を配当しながら、なお且つ相当の社内保留をなし得たのは、言うまでもなく
税金が安か
つたからであります。反対に、現在の配当金は
戦前に比較にならぬほど少いにかかわらず、社内保留が少いのは、
税金が余りにも高過ぎるということを蔵相自身が指摘しておるのであ
つて、そのことを以て法人を非難されるということは本末を顛倒するものではないかと思うのであります。或いは又蔵相は、西ドイツでは配当を六分に制限しておるのではないかと言われるかもわからん。成るほどそうであるが、併し西ドイツでは戦後の経済
政策の
重点を産業自体の立て直しに集中して、
税制その他の面で法人の社内保留を助成するため、実に思い切
つた施策を集中し、例えば特別償却の制度にしても、全産業に亘
つて全面的に実施したのであ
つて、同じ敗戦国でありながら、
我が国と比較にならぬほど強力且つ果断な
政策を遂行し、いわば法人の健全化を図るためには、国としても能う限りの優遇措置をとるに代りに、法人自体も配当を制限され、官民
一体とな
つて努力して来たのであ
つて、
我が国の場合とは全然その事情が違うのであります。又西ドイツの六分というのも、丁度
我が国の
戦前の一割と戦後の三割が実質的には全く反対の
関係にあるのと同じような事情が、
我が国の二、三割と西ドイツの六分にも当てはまるのではないかと思うのであります。即ち、資本構成の相違或いは通貨価値の相違等に慎重に検討を加えなければ、一概には言えないのではないか。
以上これを要するに、法人の配当は高いどころか、むしろまだまだ低いと言わねばならん状態であるにもかかわらず、なお且つ責任ある蔵相がこれを不用意にも高過ぎると非難することは、多くの人に徒らに誤解を与え、甚だ好ましからざる
影響を与えると思うので、この際、高過ぎると断定される基準を示して頂きたいと思う。若し蔵相の真意が、配当は必ずしも高くないにしても、それをしも今しばらく抑制して貯蓄に廻すべきであるとするならば、おのずからその表現の仕方もあろうと思うのであります。要は官民
一体とな
つて現在の不健全な資本構成を
是正することにあるが、現在、法人が自己資本の不足に悩みつつも、なお増資をあえて行い得ないのは、配当金の負担が借入金の利子負担よりも遙かに大であるためである。
従つて政府としても、この際、真に法人の資本構成を
是正し、高率配当を修正せんとする熱意があるならば、この配当に対する
税制上の考慮を払い、以て法人の増資を容易ならしめると共に、資本蓄積を積極的に促進せしめるため、先ず
政府みずから
行政整理を断行し、そうして
財政支出を削減して、法人税を軽減することが先決問題であると思う。蔵相の見解果して如何。
次に外務大臣に対して、東南
アジア開発の問題について伺いたい。中国の厖大なる市場を喪失した
我が国にと
つて、東南
アジア諸国は最も多くを期待される市場であるが、これが市場の開拓に当
つては、当面外交上の折衝に待たなければならぬ要因が山積しておるのであります。曰く
賠償問題の解決、曰く通商航海条約の締結等々、我々は一日も早くこれらの問題を解決して真の友好
関係に入らなければならないと同時に、これらの諸国との交易を盛んにするためには、先ずこれらの諸国の資源を開発し、民度を高める必要があることは言を待たないのであります。
政府は
賠償問題の解決のために積極的な熱意を示し、その結果フィリピンとの
交渉がやや明るい様相を呈して来つつあることは、甚だ喜びに堪えないのでありまするが、東南
アジアの開発のほうについては、ただ掛声だけで極めて消極的であり、一に米英の動き出すのを期待しているに過ぎないと思われるのであります。
我が国としては、もつと積極的に又能動的にこの問題を取上げ、
賠償との関連において
考えることができないであろうかと思うのであります。つまり資源開発に、役務、技術を提供することによ
つて賠償を支払うという形であるが、これは沈没船引揚げ等と違
つて、将来の
我が国の市場を開拓することにもなり、又ドル地域よりの輸入を非ドル地域に転換することにも役立つのであるからして、若しこういう形で
賠償支払を認められるようであれば、
賠償金額も我が方が或る程度譲歩してもいいのではなかろうか。そうして我が方が若干でも譲歩できるなら、
賠償の
交渉そのものも解決が促進されると思うのであります。相手方のあることであるが、かくなればまさに一石三鳥くらいの効果があるのであります。東南
アジア開発問題を
賠償問題に連関して考うべきであると思うのであります。而も若し右のようなことが可能として実行の段階に入れば、
アメリカに呼びかけてポイント・フォア・プランを促進することもできるわけであると思うのであります。このような
考え方について外務大臣は如何なる見解を持たれるか、お伺いしたいのであります。
次に
通産大臣に対して、中小企業金融について伺いたい。
政府が今回中小企業金融公庫を設立することに
なつたことは、一歩前進には間違いないので、喜ばしいことであるが、併し我々がここで注意したいのは、従来の中小企業専門店の
資金がフルに活用され、それでもなお足りないために新たに公庫が設けられるというならば、大変結構であるが、従来の実績を見ておりますると、その必要が叫ばれておる割合に余りに活用されておらないという事実があるのであります。これは畢竟手続その他が非常に煩瑣なためではなか
つたかと思うのであります。非常に煩瑣なために中小企業には甚だ向かない。この意味で、新たに公庫を設置する前に、この点が果して改善されておるかどうかという、それがなか
つたならば、必ず意味をなさないと
考えるのであります。果してこの点が改善されておるかどうかということをお伺いしたいのであります。常に窓口を増加するというだけでは甚だ無意義であると思うのであります。又従来の
国民金融公庫、商工中金との
関係も、この際明らかにして頂きたいのであります。
次に労働大臣にお伺いしたい。
政府は今後の施策の
重点の
一つに
占領行政の行過ぎ
是正の問題を取上げておるのは、非常に賛成であります。ついてはこの機会に、経済
関係のものとしては、独禁法と共に行過ぎの最たるものであ
つた労働基準法の改正を
考えるべきではないかと思うのであります。今更申上げるまでもなく、基準法そのものは世界に類のない完備した
法律であり、又、それが
規定する労働
条件の基準も恐らく世界で最上級の水準にあり、その限りにおいては誠に理想的なものであり、結構なものであると思うが、惜しむらくは、戦後の荒廃した
日本経済の実態並びに中小企業の圧倒的に多い
我が国産業の特殊性を無視し、現実を著しく遊離したものであ
つて、そのために企業が今日まで体験した苦悩は並大抵のものではなか
つたのであります。いわば子供に大人の着物を着せたようなものであ
つたのであります。例えば有給休暇の制度等も、
我が国のごとく、やれ年末年始の休暇、やれ祝祭日、やれお盆とい
つた調子に、休日の多い国は、世界にも例が少いのであるが、そういう
我が国の特殊事情を度外視して、そのために、これらの休日休暇のほかに所定の週休日を
計算に入れると、ほぼ一カ年の四分の一近くが休日とな
つておるのであります。又割増賃金の二割五分も、戦後の企業経理を相当無視したものであるが、特に中小企業にと
つては、その負担は余りにも過重であり、而もこれが大企業も中小企業も一律に適用されるのであ
つて、余りに実情に副わないと思うのであります。更に労働時間を八時間に抑えていることは、外国よりも一時間でも多く働いて、一日も早く戦後の窮乏を立て直さなければならぬ深刻なる
国家の現状を無視し、富裕なる諸外国並みの労働だけしか
法律は認めないのであります。而も多くの労働者は、女子、年少者を問わず、家計を少しでも豊かにするために、もつと働きたいという意欲は実に旺盛なるものがあるが、
法律はこれを許さないという、(「紡績の女工哀史ほどうした」と呼ぶ者あり)深刻なる矛盾を表しておるのみならず、その他、安全、衛生
関係については、実に理想的な高度の施設を強要しており、運転
資金にも事欠くようなボロ会社の負担能力を遙かに超えるものがあり、完全実施は現状では不可能に近い。このような世界最高水準にある労働
条件が、五人、十人、或いは二十人、三十人程度の家内工業的な企業にも一律に適用されるなどということは、およそ現実遊離も又甚だしいのであります。勿論、基準法の改正に当
つては、諸外国に与える
影響を慎重に考慮すべきことは言うまでもないのであるが、ただ観念的にその
影響のみを恐れて、手を拭いて何らなすところなく、徒らに歩きにくい大人の着物を着せられて転げ廻
つているのも愚の骨頂であると思われるのであります。要は、戦後の
日本の実情をよく諸外国に認識せしめる熱意が肝要であると思うのであります。そして基準法を中小企業の実態に応じて、(「騒ぎ出すぞ」と呼ぶ者あり)又、戦後の特殊な事情にマッチするように改正し、企業経営の能率化を図ることこそ、一見廻り道のようではあるが、真に労働者の福祉の増進に通ずる道であると私は信ずるものであります。(「おつしやるね」と呼ぶ者あり、
拍手)昨日の御答弁によれば、この改正はなお慎重に検討を要するとのことであ
つたが、この着物が、我々の体によく合
つたものであるかどうかは、もはや検討の余地はない。ドイツが丁度このような
法律を
占領軍当局より強いられたときに、ドイツは曰く、「我々は他国より二倍も三倍も多く働かなければならない国情にある」と言
つて、頑としてその圧力に屈しなか
つたという、その信念こそ、現在の我々に最も必要なことであると思うのであります。労働大臣の見解を伺いたいのであります。
最後に吉田
総理に要望いたしたいことは、それは
行政整理の断行についてであります。民間企業においては極力合理化に努め、その成果にはいささか見るべきものがありますが、最も大きな機構である
政府機関の合理化が掛声だけに終
つて、いささかも進展を見ないことは、誠に遺憾千万であり、特に
国家財政が漸次
インフレの傾向を濃化しつつある今日、殊更その緊要性が痛感されるのであります。今までに提出された
政府の合理化案が
国会において殆んど骨抜きにされてしま
つたことは誠に遺憾の極みであ
つたが、これは
政府原案が誠に杜撰であり、或いは弱い者いじめ式のものであ
つたことにも大いに原因があ
つた半面において、我々
国会議員のほうにも反省するべき点がなか
つたとは言えないと思うのであります。(「何言
つてるんだ」と呼ぶ者あり)
総理が過般の自由党大会において、
国会の意思を無視してでも国費の節減を図る旨の発言をなされたことが大分各
方面に問題を提供しているようである。暴論と言えばまさに暴論である。併しかかる暴論を吐かせるに至
つた原因がどこにあ
つたかということも、又、我々議員はこの際大いに反省すべきではないかと思うのであります。(「必要ない」と呼ぶ者あり)ともあれ(笑声)
行政費の節約は多年に亘る
国民の熱望でもあるので、(「選挙が近ずいたからか」と呼ぶ者あり)
政府においては改めて、早急に且つ慎重に成案を得られるように期待するものであります。選挙が近ずいたとは何だ。そういう情けないお
考えを持
つている議員があることは大変残念であると思います。そんな卑劣な
考えではない。(
拍手、「何を言
つているのだ」と呼ぶ者あり)
〔
国務大臣吉田茂君
登壇、
拍手〕