運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login

1952-12-16 第15回国会 参議院 文部委員会 第9号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十七年十二月十六日(火曜日)    午前十一時二十五分開会   —————————————   委員の異動 十二月三日委員小串清一君辞任につ き、その補欠として山縣勝見君を議長 において指名した。   —————————————  出席者は左の通り。    委員長     若木 勝藏君    理事            木村 守江君            梅原 眞隆君            堀越 儀郎君    委員            白波瀬米吉君            高橋 道男君            山本 勇造君            梅津 錦一君            矢嶋 三義君            相馬 助治君            棚橋 小虎君            木内キヤウ君            三好  始君            岩間 正男君   国務大臣    文 部 大 臣 岡野 清豪君   政府委員    文部大臣官房会    計課長     小林 行雄君    文部省初等中等    教育局長    田中 義男君    文部省管理局長 近藤 直人君    文化財保護委員    会委員長    高橋誠一郎君    文化財保護委員    会事務局長   森田  孝君   事務局側    常任委員会専門    員       竹内 敏夫君   —————————————   本日の会議に付した事件 ○教育及び文化に関する一般調査の件  (文教政策一般に関する件)  (新潟大学新発田分校統合に関する  件)  (文化財保護行政に関する件) ○派遣議員報告   —————————————
  2. 若木勝藏

    委員長若木勝藏君) 本日の委員会を開会いたします。  先ず岡野文部大臣文教政策についてのお話を伺いまして、次に新発田分校問題の調査報告を聞くことにいたしたいと思います。
  3. 岡野清豪

    国務大臣岡野清豪君) 文教政策一般方針と申しますことは、私やはり吉田内閣の引継ぎでございまして、天野先生がずつとやつて来られたということを引継ぎましてこれを実行して行きたい、こう考えております。先般新政策といたしまして第四次吉田内閣道義の高揚とか、文教の刷新とか何とかいうことの項目を挙げましたけれども、これは今まで引続いて考えておりましたことを新らしく内閣が迭りましたものでございますから、その方針従つて方針と申しますか、従前の方針を繰返し新らしい内閣において再明したわけでございまして別に変つたこともございません。ただ問題は丁度今度の内閣独立最初内閣でありますので、今まで長い間被占領下におきましてできました制度などいろいろ改革がございましたが、それを再検討して本当に独立日本の国情並びに、と申しましても主として今貧乏になつておりますから、その日本財政状態に合わして何とか工夫ができないものかということを検討したい、こういう考えでおります。そういう点につきましては文部当局にその趣旨をよく徹底しまして、そして今後その方向に向つて研究を進めて行く。研究ができましたら皆様がたの御審議を願いまして、そして改善して行きたい、こう考えております。
  4. 若木勝藏

    委員長若木勝藏君) 次に新発田の御報告を願います。
  5. 三好始

    三好始君 本委員会決定に基きまして、去る十一日より十三日に亘る三日間新潟県の新潟大学新発田分校問題について調査をした結果を御報告申し上げます。新発田分校問題の調査は曾て本委員会から一度調査に出かけたことがあるわけでありますが、その後更に事態が紛糾しておるようでありましたので、重ねて調査に参つたわけであります。派遣されました議員として現地に参りましたのは梅津委員岩間委員三好委員三人でありまして、更に文部委員会調査主事の瀧君、それから参事の山木君二人が同行し、文部省からは田中施設部長吉開事務官が同行いたしました。期間が非常に短かかつた関係上、効果的な調査をするためにいろいろ協議いたしまして、慎重な計画を立て、できるだけ公平な態度で事実の究明に当りました。以下大要を御報告申上げますが、若し足りない点等がありましたら、他の出張委員より補足することをお願いすると同時に、後ほど書面を以て委員長調査内容を提出いたしたいと思つております。  問題の経過の概要を最初に申上げますが、新発曲分校発足から今日までの経過は、先ず昭和二十四年に新潟大学が発足した際に地方要望によつて高田、長岡、新発田の三カ所に分校設置して一般教養課程を履修させることになつたわけでありまするところが文部省の示した設置条件の中には一般教養課程新潟に集中するという一項があつたようであります。更に昭和二十五年三月に、文部省設置条件実施後の分校の学力の状況等に鑑みまして、分校全部を新潟に集中しようということが持上つたようでありますが、地元の反対会つて知事大学長その他関係者の間で分校統合しないという約束をいたしております。昭和二十六年六月に大学設置審議会第九特別会員会答申によつて文部省次官通牒新発田分校統合方針を示しました。そこで大学県側了解をも得、教授会評議員会議決の結果、本年六月十五日に統合実施するという力針決定したようであります。ところが世論の反対や本委員会調査の結末に基く要望等もありまして、この統合は暫く延期されておつたわけであります。爾後施設厚生両面に亘る受入れ態勢整備大学当局としては進めたようでありまして、その後再び教授会評議員会に諮つて十一月三十日附を以て統合実施するということを決定したようであります。そこで借用しておつた新発田分校施設は十一月三十日附を以て関東財務局返還をいたして、又同日附で分校教職員人事発令を行なつて行政的事務的な統合手続は一応終つておるような状況であります。分校の授業については十二月十二日まで行なつて、十三日は閉校式、その後十七日までは進学適性検査準備実施というような関係上休暇に入る予定になつておりました。ところが統合反対側反対の意向はますます激しさを加えておるようなふうに見受けられるのでありまして、十一日の農業実習のための家畜であるとか飼料の運搬のためにトラックが新発田分校向つた際には、統合反対側はバリケードを作つてこの運搬を事実上阻止したというような事態になつておりました。次に統合に伴う受入れ態勢整備状況でありますが、施設のほうから見ますというと、新発田分校学生受入れするために新たに作られた新校舎一棟が予定されておりました。これは三百五十坪、十三教室、予算一千万円で建築されたものを受入れに充てる。なお他の教室研究室、図書館、体育館、講堂などは共用にする予定になつておりました。  次に寄宿生収容設備でありますが、新発田分校男子学生入寮希望者百二十五名、女子三十七名で全部収容できると学校当局は言つております。但し寄宿舎そのものは四十年を経過した非常に老朽建築でありました。内部を多少改装しつつありますけれども、非常にひどい設備であるという感じがいたしました。  教職員学生に対する厚生面でありますが、従来新発田分校に在職しておつた職員は当分新発田より通勤してもらつて、一方大学側では極力新潟市内において県営、市営住宅等に斡旋するという方針を取つておりました。又新規入寮生に対しては入寮準備費なり生活費補助のために毎月千円を補助する。或いは現在の学生中学業の継続に支障がある生活困窮者に対しては査定の上一時金を五千円程度支給する。或いは現在の通学生新潟に通学するために交通費が増加する学生に対しては、その増加分を補助するとか、或いは現在の入舎生には移転費を補助するとか、又通学者のために新発田から新潟まで専用バスを運転する、こういつた計画を立てられておりました。この財源に関しては約二百万円を要する見込みでありますが、これは県側から支出してもらうべく、知事学長との間に大体約束ができているような話でありましたが、これは確実な文書を取交しているとか、或いは県議会の議決を経ているというところまでは進んでおらない了解程度のように見受けられました。なお受入れ整備のための計画については、文部省は今後新潟大学整備についているくな計画を持つているようでありまして、例えば寄宿舎の新築であるとか、附属小、中学校を他に移転して建物を新設するとか、運動場を拡張するとか考えているようであります。  次に新発田分校状況について御報告申上げますが、山崎分校主事説明を要約して申上げますと、大体次のようになります。  分校側教職員統合についての手続或いは受入れ態勢不備などに相当不満を持つてつたようでありまして、最初分校統合反対空気が強かつたわけであります。その後統合問題の騒ぎが非常に拡大する一方であり、他方大学側は六月以降受入れ態勢を不十分ながら最低限度のものを整備するというようになつた関係もあり、更に分校主事が十月二十三日に文部省に呼ばれて、文部次官より文部省基本方針に副うのが公務員として妥当ではないかというように勧告をされたようでありまして、その線に従うことを約束して帰つたように見受けられました。十一月に入つてから数度の教授会が開かれて、分校代表は三月まで統合を待つことを主張したようでありますが、大学方針に不満ながら従うということになつて、急速な統合によつて起る無理な点は十分考慮して協力して万全を期するということで十一月末の統合了解したようでありました。十二月に入つてからは統合の時期の問題が中心となつて学長教育学部長分校曲事の三者の間で決定されることになり、その線に沿つて十二月十八日に分校教官会議が開かれ、いろいろ論議の結果、主事一任となつたわけであります。その後十一日から移転を開始して、十三日閉校式の線で決定がなされましたけれども、各方面に了解されない向きがある点については分校主事は非常に責任を感じ且つ悩んでおつたようであります。なお当調査団質問に対して本委員会自分調査の結果に基いて文部大臣要望した点については分校主事としては文部省からも大学側からも正式には知らされたことはなくて、ただ新聞で承知しておる程度のような答弁がありました。又調査団質問によつて分校主事答弁で明らかになつた点として、そのほか保安隊との関係については、自分としては観念的には切離すことはできるけれども、生徒や父兄には理解されない向きがあつて苦しんでおるというような話があり、更に教員住宅対策には非常に不十分な点があることを認めておりました。生徒寄宿舎設備については、これは一応収容し得るという点については了解しておるようでありました。十三日の閉校問題については反対意見が強いので、結局緊急に教官会議を開いて更に善処するというような話でありました。新発田分校校舎の問題につきましては、学長関東財務局より一時借用の形で借りていたもので、十一月以前に契約期間が満了になり、再契約の手続をとらないで十一月三十日付を以て返還手続を完了したというような説明つたと記憶いたしております。なお新発田分校施設状況は、校舎或いは敷地面積、こういうものは相当つたりしておるようでありましたが、内部施設はそれほど充実したものとは認められませんでした。  新発田市側の状況を次に簡単に申上げます。六月以降最近までの状況分校統合賛成側反対側運動が非常に激しくなつておりまして、市民の多くは早く町に平和が来ることを望んでおるような模様でありました。市の理事者或いは市議会の大多数は市の財政困難などを理由に、保安隊誘致に熱心なようでありました。調査団が多数市民の集つておる市議会議場賛成反対、両者の陳情を聞いたのちに、挨拶を行おうとした際、市の理事者議員その他から相当激しい妨害がありました。挨拶が止むなく途中で中止された、その後市民の間には多少の混乱が起つたという状況もありました。ともかくこのような統合賛成派反対派双方とも昂奮した状況の下で移転を行うことは、どういうような椿事が持上るかも知れないというような感を深くしたわけであります。  次にこの調査を通じて一応問題となつた点を簡単に要約して申上げますが、昭和二十五年三月に分校統合をしないという約束をした点と、それからその後の学校側統合態度との食違いについて、学長は我々の質問に答えて、事情が変つたために県側の了承も得て統合実施することにした、こういうように言つているのでありますが、この事情変更内容学力差の問題、或いは大学設置審議会勧告等内容のようでありましたが、十分にはつきりしない点も残されているような感じがいたしました。  更に問題と考えられる点は、移転に関連しまして、反対派が非常に強く移転反対し阻止しようというような空気のあるために、場合によつて警察力の援助を以ても移転を強行しようというような新聞報道がありましたけれども、この点はもう少し慎重な態度をとる必要があるのではなかろうかということが考えられました。  次に最も問題となつている点で、保安隊との関係があります。保安隊との関係で、大学当局その他から聴取した結果、大体こういうことになつております。大学当局説明では、保安隊との関係は基本的には無関係である。統合そのもの昭和二十四年設立当初の大学設置審議会設置条件、或いは昭和二十五年三月の、大学統合実施しようとして失敗した事例、或いは昭和二十六年六月の第九特別委員会答申に基く文部省統合基本方針、或いは昭和二十七年度の新発田分校学生募集要綱に掲げられている、学習地は変更することあるべしというような但書、こういうものの中にも基本的には保安隊の問題が起る以前から統合の問題はあるのであつて、基本的には無関係である、こういうふうに学校当局説明しております。成るほど資料の面から見るとそういう説明も裏付けられているようにも見受けられるわけであります。併し昭和二十七年度に保安隊増強計画が進められ、新発田保安隊設置条件を備えているところの元の聯隊施設であつて、こういう関係から本年度五、六月以降は、大学整理統合計画保安隊誘致運動とが急速に関連した形で、問題が非常に複雑になつて来たことは争えない事実だと考えられるわけであります。  なお次の問題点として、本年六月本委員会が、文部委員長名義文部大臣要望した要望書の問題でありますが、学長稻田局長から口頭で本委員会要望の諸点を伝え聞いたという話でありました。併し大学統合基本方針には変更がない、又統合実施するについて慎重を期すべきことも伝えられた由であります。又二年制の課程新発田に存置するという、委員会口頭による要望については、学長はつきり伝えられたかどうかについては、やや疑問があるような感じもいたしました。ただ本委員会大臣に対する要望によつて統合に関する受入態勢が急速に進められたことは事実のように感じられます。  調査の結果は大体以上の通りでありますが、この新発田分校統合問題が、このように混乱した原因について考えて見ますというと、遡つて言えば新制大学設立当初の整備計画不備そのもの原因があつたよう考えられます。文部省教育予算が不十分な際に、地方の一時的な寄附金等によつて大学及び分校を乱設した傾きがあつたということ、それから第二の混乱原因として、警察予備隊保安隊等設置伴つて、旧兵舎利用の問題が大学競合関係を生じて、これが今日国内で対立的な状況の見られる再軍備問題と非常に複雑な関連を持つに至つたということ。  第三の混乱原因としては、昨年十一月に新潟大学附属病院火災焼失によつて新潟大学整備計画の推進が遅れたということも一つ原因をなしておつたかと考えられます。更に老朽化した教育学部設備が極度に悪い状態でありまして、受入れ態勢不備で、むしろ現状と比較すれば却つて新発田分校のほうがいいくらいな状態にあると感じられたのでありますが、こういう受入れ態勢不備混乱の大きい原因作つたようにも考えられました。そこでこの問題を解決するための対策について簡単に意見を申上げさして頂くならば、この移転には適当の冷却期間を設けて、この間に双方の了解を深めるように努力する必要があると考えられました。又根本的には新潟大学総合整備費を国庫から大巾に支出して大学設備充実を図ることが根本的な解決策になると考える次第であります。又単にこの問題は新発田分校統合問題として部分的な問題だけでなくして、一般に与える示唆はかなり大きいものがあるように考えるのであります。時間の関係上それを結論的に申上げますというと、教育予算充実を図ることが、こうした問題の中にもはつきり現われておるわけでありまして、私たちは教育予算充実のために一般と努力しなければいけないということを痛感いたしました。又教育養成大学のありかたについて多くの示唆を感ずるのであります。即ち僻陬地に赴任し得る教員を養成するためには総合大学集中主義をどの程度まで教員養成大学においては修正を要するのか、こういつたような問題について大学制度にも触れる問題を投げかけておるような感じがするのであります。こうした問題については、本委員会において更に努力して根本的に解決するように進めて行かなければいけないような感じを持つた次第であります。  以上御報告申上げます。
  6. 若木勝藏

    委員長若木勝藏君) それでは文部大臣文教政策一般お話について質問のあるかたから質問を願います。
  7. 梅原眞隆

    梅原眞隆君 ちよつと私は他に行かなくちやならん用事があるので、ごく簡単に申上げておきたいと思います。大臣の御回答は十分にお調べになつた上で、あとでお答え頂けば結構です。私三点一つお願い申しておきます。  第一は、前大臣天野先生の示された政策を受継いで行かれるということ、なお特に近頃道徳教育とか、歴史教育とかいうことが吉田内閣にも取上げられておつて、これにしましても元の天野先生が示された政策の拡充であると信じますが、これは十分に一つ御努力をお願いしたいと思うのであります。これができなかつた最も重要な蹉跌点は、これは文部省関係予算の貧弱にあつたということは事実であります。そこで占領政策治下時代から我々がこの文部委員会最初から、田中耕太郎君あたりが委員長をしておつた時代から、我々が持つておりました意見一つとしては、文化国家を作るということに当つては、特別な経済措置が革新せらるべき必要がある。そこでこれまでのような文部省の従属的な立場においてとられてきた予算、そういうものでは到底今持つている新らしい文教政策の確立が実現されない、これについてはよほど果断な国家予算の上の新らしき体系を作らなければならんというのも我々の意見であつたのでありますが、とき占領政策下であるので、諸般の問題もあり、我々は沈黙を続けてきておつたのであります。そこで独立後の文教政策を実現して行かれる重要な地位に現大臣が御就任になつたことに我々は深い尊敬を持ち、又信頼も持つておるのであります。それで今年の文部予算を見ましても、来年度の文部予算を見ましても一々説明しませんが、とにかく甚だ貧弱である。尤も今日日本国家財政上困難であることは知つておるのでありますが、この困難な財政の上におきましてのバランス若しくはどこに集中性を置くかという非常な高邁な識見の上にこの予算が成立されるに至つたと我々は信じておる。そういう観点から見るというと、今日の文部予算殊に来年度の予算にしましても我々は非常に納得のされない状態があると思うのであります。これは具体的なことは詳しくその場所をあとで申上げる。そういうことでこの際一つ大臣就任をせられた一つの使命として又そういう点において一層適任者であるとも尊敬をしておりますが、どうか文部予算を今までの様式でなしに、新らしき文教政策における新国家体制の樹立に伴う一つ予算の革命的な措置を十分にお考えになつて十分な予算をとつて頂きたい。これは詳しく言えばきりがありませんが、私はその問題として一つお願いいたしておきます。  それから第二は、今も出ましたが、道徳という問題が出ましたが、御存じの通り、新らしい日本教育基本法というものに、明治以来排仏棄釈というような宗教軽視間違つた文教政策を修正しまして、今の教育基本法には宗教は尊重すべしと書いておる。而も同時に、而もじやない、尊重するが故に、宗教の自由を尊重して公立及び国立の学校では特殊な宗教を教えるということに対する制限がある。併しこの制限宗教を尊重した上から起つた制限であつて、つまり社会教育宗教は特に尊重すべしという教育基本法一つの革命的な点というものは、今の文教政策が深く認識すべきである。然るに現在ある日本教育の上から宗教というものが、ただ第九条の制限というところに引つかかつてしまつて、殆んど宗教絶縁状態にあるというのが今日の状態である。これに関して余ほどつまり、高邁な識見を以て今の日本教育の場面に宗教を如何に織込んで行くべきかということには我々にも相当な案があります。ありますが、こういう点に関して、十分に衆智をお集めになつて、そうして新らしき文教政策を確立せらるべきであると私は一つ要望しておきたい。新らしい児童憲章をやつたときにも、殆んど文部省の我利の意見が通らなかつた、殆んど相談しかなくて、そうしてあの児童憲章の中には宗教というものはオミツトされて、世界各国つまり児童憲章を見ても宗教というようなことが入る余地が殆んどすべての憲章にあるのに、日本憲章において特に削つた。その原案を見ると出ておる、出ておるにかかわらず削つておる、そういうような状態である。こういうことに関しては相当意見相違のあることは私は認識しておる。併しながらそういう意見相違があるにしても、これは立派に教育基本法宗教尊重の大方針というものは、今の文教政策による画期的な、革命的な一つの要点を持つておる、要因であるということを十分に御認識の上で十分設備をしてもらいたい。これは第二の要望であります。  第三は神社問題、殊に今の吉田内閣の側近には宗教に関する相当経験者がおる。この点において十分御研究願いたいが、今日における神社の存在というものは非常な重大性を持つておる、重大な疑問を持つて、これは下手をするというと、つまり元のフアツシヨ的な日本の逆転の立場になろうともする、又下手をするというと誤つて日本道義中心を危くするような一つの点もある。そういう点においてこの占領政策下において、明治以来非常な苦心の結果神社宗教にあらずという或る種の聰明な政策を打立てて来たが占領政策下において除外された。果して今後もあれは宗教として終始取扱い得るかどうか。現在やつておる神社に対する国家方針を見ましても、果して憲法に当嵌るような宗教として神社を処して行けるかどうか、重大な疑問がある。ここに更に今神社宗教であるという立場制限を加えるだけが問題でないところの要因があると私は見ておる。これは先般読売新聞が、我々三十名ばかりの意見を徴しましたが、私はそれに関しても言つておいたんですが、大体その神社の持つておる素質というものは幼稚な宗教性を持つておるが、高度の日本道徳性も持つてつて、単純に宗教という枠の中にあれを取扱うということに相当な難点があるのではないか。だから占領政策も過ぎ去つたから我々日本人としてはこの神社をどう生かすか、こういう点におきまして、やはり幼稚な宗教的な素質が歴史的な発展的な解消を遂げて、これが純粋な道徳的な思想として、新らしく明治以来の苦心を持つあの政策に対する醇化を行なつてやるべきが、至当ではないかという私見を吐いておいた。併しこの私見とは言いながら相当時代つまり意見を代表しての意見であり、又日本の今後の神社問題を解決して行く重大なそこに命題が示されているという、甚だ失礼ながら一種の自信も持つておるのであります。そういう点において今日の前に宗教及び神社との関係教育及び宗教との関係、この関係値においては相当文教的な研究を要し、又適切な施策を要する重大な謎が横わつていると信ずるのであります。どうか誠実に文相の手によつてこの重大な時代的な謎を十分に御解決下さることをまあお願を申上げたいと思うのであります。
  8. 岡野清豪

    国務大臣岡野清豪君) 只今のお説至極御尤も且つ私としては同感でございます。私は今日の日本が今日に至つたということについては、これは非常に浅学非才でわかりませんけれども、併しこれは明治維新以後の欠陥が今日現われているのじやないか、こういう感じを持つております、と申しますことは、我々爺さん、婆さんから聞きましたところによりますれば、昔は儒教、仏教と言いますよりは、論語ではこうであるとか、お釈迦さんの教えではこうであつたとかいうようなことが一般の人心に非常な威力と、それから又敬重の念を起す国民性ができておつたのであります。でございますから、論語にこう書いてあるからそれはいかんことだと言いますと、成るほどそうだなあと言うし、それから又仏教のほうではそういうことをしちややはり極楽に行けんぞというようなことを言いますと、成るほどと思つて人がそれに傾聴して、そうして日本の国民道徳というものができておつたように私は朧げながら感ずるのであります。ところがその後明治維新になりまして、排仏棄釈というようなこともありまして、物質文明ばかりは真似をしましたけれども、今まで日本道徳の根本をなしておりましたところの、そういうようなものは顧みないというような、こう一般の国民の感情になつて来て、そうして日本には宗教もない、まあこれは極端でございますけれどもないと、又頼るべき心の糧がない、こういうようなことが日本の国民を堕落させたのじやないか、こう私は考えます。これは間違つておりますれば御是正を願いたいし、私の感じでございますから十分御指導を願いたいと思いますけれども、そういうふうな感じを私は只今持つております。そこで今度二千何百年の間の政治形態がすつかり変つてしまつて天皇制から民主主義へ変つた、併しこれに対してはやはり国民が何かに頼るべき精神上の拠ろを持たなければいかん、こういうことを考えて、それ、につきましては新日本憲法が立派に我々の国が如何にして行くべきかということが各条章に出ておりますし、只今仰せのごとく教育基本法にも宗教というものに対して非常な重点をおいておりますから、そういうことをよく勘案いたしまして、これは遅れちやいけませんから、できるだけ早く民主日本における国民の頼るべき何かの精神的の拠ろを生み出して行きたい、こういうような考えを持つております。併しこれは漠然たる私の考えでございまして、皆様がたの御指導を受け、当局にこれを更に形成させて行く、こういう方向に行かなければならんと考えます。至極お説は御同感でございまして、御尤もだと存じまして、よく尊重いたしまして、今後の施政方針にいたしたい、こう考えております。
  9. 岩間正男

    岩間正男君 議事進行。文相は何時までいられるのですか。先ず委員長に伺いたいのですが、その時間との振合いによつてこの一般問題についても質問し、今の施政方針に対する質問は十分あると思うのですが、一応当面しておる先ほど報告しました新発田の問題があるわけです。その点について是非時間的に急を要する問題があるわけですから、文相がいられる時間とのこれは振合いになりますけれども、その時間を承わつてこの運営について一応目安をつけて頂きたい、こう考えます。
  10. 矢嶋三義

    ○矢嶋三義君 議事進行について。私は大臣質問があるのでございますけれども、只今議事進行の発言が岩間君からありましたが、私もそれに関して議事進行の発言をいたします。それは衆議院は予算委員会審議が最終段階に参つております。その段階に来るまでは衆議院の予算委員会重点主義で、文部大臣はこちらには殆んどお見えがなかつた。やがて衆議院において予算案が打上げられた上においては参議院の予算委員会に重点を置かれて参りましよう。再び文部大臣は本委員会に出席できがたい状況になるかも知れません。ところが大臣就任されて以来、大臣のいわゆる文教に対するところの方針、御見解というものは今日初めて我々は承わつたのであります。これから補正予算も或いは来年度の予算の問題も起つて来るわけでございますので、その中の一つとして、又新発田の問題もあり得るわけなんです。従つて私は本日或いは本日未了ならば明日、更に大臣はこの文部委員会に是非とも私は出席して頂きたい。出席すべきである、こういうことを私は要望するものであります。従つて本日この新発田の問題を取上げて、後で先ほどの文部大臣方針に対する質問を継続するにおいては、私は新発田の問題を先にやることに敢えて反対いたしませんけれども、私は岡野文政の方針について、更に来年度の予算の問題について、更に当面の新発田の問題とか、或いは山本委員から提出せられておりますところの文化財の問題、こういう問題は今明日中に私は是非とも解決すべき問題である。従つて岩間委員からの議事進行に関する、新発田の問題が本日中に取上げられるならばよろしいと、若しこういう御意向であつたならば、私は先ず一般的な問題から入つてつたらどうかと、我々はこういう議事進行に対する提案を申上げる次第で、一応お諮り願いたいと思います。
  11. 若木勝藏

    委員長若木勝藏君) それではお諮りいたします。今大臣の時間の都合を伺いましたところ、十二時半から日教組との交渉があり、それからそれが済んで午後からは衆議院の予算のほうに行かなければならない、こういうような予定でございますが、これは先ほどの二つの動議を如何ように取計らつたらよろしうございますか。
  12. 矢嶋三義

    ○矢嶋三義君 大臣にお伺いいたしますが、我々は先ほど申上げましたように文政方針について、一或いは来年度の予算、来年度の予算は下旬に第一回の内示が大蔵省からあるということを、我々は承つておるが、未だに説明も承つておらない。質疑は勿論済んでおらない。従つて十時には是非とも始めるというので、委員の諸君、特に速記者の諸君はあちらこちらから貰いを受けておるのに十時からおいでを願つた。それを文部省の時計が止まつていたかどうかしらんが遅れて来て、それで十三時半からは日教組、午後は衆議院の予算委員会からということである。今後お約束した時間にはこれはお障りはございましようけれども、重大な問題があるときは万障繰合せてお約束の時間には来て頂きたいということを要求すると共に、私は一応大臣の御釈明を願いたいと思います。
  13. 岡野清豪

    国務大臣岡野清豪君) 至極御尤もなお話でございますが、御承知の通りに只今炭労のストがあり、電産のストがある、こういうようなことが今重なつて、一日を忽せにすべからざる重大な時期に到達しておるのでありまして、そのため閣議が非常に延びましたので、時間が遅れましたのでございます。遅れました点は恐縮でございますけれども、只今の閣議の趨勢といたしましては、又午後三時から臨時閣議を開くというようなことにもなつておりまして、甚だ恐縮でございますが、時間を遅れましたことを御了承願いたいと思います。
  14. 岩間正男

    岩間正男君 矢嶋君の先ほどの議事進行に関する発言は尤もだと思うのです。従つてこれは当然明日の時間は、計画は明日は委員会がないのですが、明日だつたらこれはどうなんですか。明日は文相やはり出られるですか。私は相当この施政方針に対する問題は、皆多くの委員意見を持つておると思うのです。又これは質さなければならない問題をたくさん持つておると思う。従つて時間的に見ても、あともう十五分くらいしかないのですから十分にやれない。ところが現実的には先ほど矢嶋委員から話されたように、ここで是非明らかにしなければならん。ですからできれば委員会予定を明日にでも又継続してもらつて、是非文相の出席を求めてもらう。若しその了解がつくとすれば、この新発田の問題につきまして、緊急を要する問題をあとの短かい残された時間でやつて頂きたい、こういうふうに考えるのです。その点について併せて一応これは文相の意見を質し、又委員長のこれに対する、大体明日開いてもらいたいという要望をどういうふうに考えておるか、その点を伺いたい。
  15. 若木勝藏

    委員長若木勝藏君) 先ず文相の明日の御都合を承わりたいと思います。
  16. 岡野清豪

    国務大臣岡野清豪君) お答え申上げます。これは率直に申上げますと、明日炭労ストに対する、保安要員の引揚げというふうに組合から指令してきまつておりますが、それにつきまして緊急調整を出すということにつきまして、今日三時頃から臨時閣議を開きまして、これに対する対策考える。それからもう一つつておりますことは、十八日から二〇%、十九日から八〇%、電産のスイッチを切るとかなんとかいうことがございまして、そうしてこの問題を如何に処置するかということにつきまして、まあ通産大臣あたりのお話を聞きますと、これは一般の産業界に非常に影響を及ぼすことですから、これもやはり炭労ストと同じように明日中にはどうしても何とか適当な措置を、政府の態度をきめなければならないということでございますから、これも又明日朝早くから臨時閣議を開くという予定になつておりますので、十七日、十八日頃はお約束を申上げましてもその方面にとられまして、或いは出て来られなくて皆様がたにお叱りを蒙るということが出て来んとも限りませんので、確たる御返事はいたしかねますけれども、そういうふうな特別の臨時の必要がない限り、できるだけ出席さして頂きたいと、こう考えております。
  17. 若木勝藏

    委員長若木勝藏君) 文相から今お聞きのような御答弁がありましたが、如何いたしましようか。
  18. 矢嶋三義

    ○矢嶋三義君 議事進行について。岩間君が言つたように時間の関係もあるから、新発田の問題をここで要点的に質問したらどうかと思います。(「賛成」と呼ぶ者あり)その前に僕は報告者に一点質問したいのですが。
  19. 若木勝藏

    委員長若木勝藏君) 今お聞きの通りの文相の御答弁でありまして、確定的に出る時間ということは言えないけれども、極力出たいというような御意見でありましたが、それでお諮りいたしますが、大臣の気持もよくわかりましたので明日委員会を開くことをお諮りいたしますが、如何でしよう。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  20. 若木勝藏

    委員長若木勝藏君) それではさように取計らいます。ちよつと速記を止めて。    〔速記中止〕
  21. 若木勝藏

    委員長若木勝藏君) 速記を始めて、  それでは新発田分校の問題についての質疑に入ります。
  22. 矢嶋三義

    ○矢嶋三義君 新発田のことに一点だけお伺いいたします。承るところにより、ますと地元で非常に対立が激しい、従つて報告によりますると、この問題は暫く冷却期間を置くことが妥当である、こう承つたのですが、如何なる方法で解決したらいいかという方法について視察団で何か結論を持たれましたかどうか、この点承わりたいと思います。
  23. 三好始

    三好始君 視察団といたしましては、衆議院も更に調査に出かけるような予定になつているそうでありますから、それらの結果も待たなければ、今きまつている方針で急にどうこうするというのは適当でない、この調査の結果に基いて委員会としても政府側に質さなければいけない問題もあります。そうした問題を十分に検討した上で合理的に結論を出すべきだ、こういうことで話合いをして帰つたわけです。
  24. 梅津錦一

    梅津錦一君 三好さんから大部詳細な報告がありましたけれども、私はここで一つ報告の中で特に注意しなければならないのは、新発田分校新発田分校といつていることになつておりますから、新発田の市だけが問題になつているように考えられるのです。ところが実は懇談会をいたしましていろいろ意見を聞いたときに、強く出ているのは岩船郡或いは北蒲原郡、東蒲原郡、中蒲原郡、その他新発田周辺の土地の人が反対しているんです。これは徹底的な反対なんです。新発田の町に対して殆んど行政的に将来協力しない、ここまで行つている。若し新発田が断じて統合するならば我々郡部は新発田に協力しないというところまで行つている。それで新発田分校と言つているから新発田だけお考えになつているようですが、新発田を取巻く周辺の郡部が相当反対している。この点もお考え願いたいと思います。特にその点だけ報告を附加えます。
  25. 岩間正男

    岩間正男君 私は今の報告とも兼ねまして、文相に質したいと思うのでありますが、今度視察して見まして我々の一番腑に落ちないのは、当文部委員会で今までこれに対してしばしば委員会を数回に亘つて開き、一応結論が得られたわけです。その得られた結論が従前にこれは大学当局に伝つていないということ、一応文相の線はこれは口頭稻田局長から伝えられたと大学当局は言つておりますが、併しその中で最も結論的に重要な二年課程は、これを新発田に存置すべし、特に当委員会としては立法府の立場として行政府を縛るのはまずい、これを具体的に明文化することはまずいので、特に口頭にしようという実は配慮を持つてした、ところがそれがどうも大学当局には伝わつていない、向うの学長にそういう点を聞きましたが、文部当局から聞きましたかどうかということを質しましたところが、今聞いたか聞かないか覚えてないというのが学長答弁であります。実にあいまいであります。そうしますというと、当院がこの問題を今重要視しまして調査団を派遣し、又しばしば熱烈な論議を交し、又一応の結論を出しまして、そうして努力したことが殆んど何ら現地においては考慮されていないということが明らかである。又私は、これは名前を上げませんが、この学部の関係者からこういうことを聞いた。そのとき文部省から意向について伝えがあつた、併し口頭で言つたことは委員長が何か大臣の耳許でこそこそ囁いたんだから大したことはないのだ、ということを稻田局長が現に話したその人から話があつた、こういうことを聞いた、これは私非常に重要な問題じやないかと思う、これは当委員会としてあれだけの審議をして、そうしてできるだけこの問題を教育的に扱うようにした努力が、そういうふうに執行機関において受取られる、丸でそんなことは聞いておけばいいんだ、何もこれは国会の意向というものは関知する問題じやない、こういう形で受取られていることは重大問題だと思う、更にその形は、あそこの教育学部長の千葉氏が、今度の国会の視察に当りましても、視察団が来るそうだが、同も視察団が来たからと言つてそういう方法は変える必要はないのだ、そういうことは全然問題じやないのだというようなことを言つて、それが新聞に現に出ているんです。学長も同じような意見を持つておられたと言います。我々の前では公然と言わないけれども、蔭ではそう言つて生徒や父兄を脅かしておつたということを私は聞いております。こういうことは非常に私は重要だと思うのですが、一体当委員会でこれだけ論議したこれらの結論、殊に日本の全体の大学行政に関知する問題として、相当中心的に十三国会では論じられた議論がこのような形で運営されるということについて、これは文相はどういうふうにお考えになりますか、この点を私ははつきり承わつておかないというと、我々が忙しいところを調査団として出て行つた、このように時間を使つて、そうして僕は重要な文相の施政方針質問さえあるこの時間を割いて頂いて、我々がここで論議する、又多くの時間と精力を傾けるということが殆んど無意味になるのです。こういう論議そのものが無意味になる、こういうふうに考えられますが、基本的に文部省としては一体当委員会の我々のこういうふうな一つの論議の結果というものについてどのような責任を負われ、今後これに対してはつきりした考えを持つておられるか、先ず承わりたいと思います。
  26. 岡野清豪

    国務大臣岡野清豪君) 只今岩間さんからお話を承わりますというと、何か文部省は行届きませんような感じがございますが、実は私、就任前のことでございまして、事情をよく存じておりません、事務当局をして答弁さしたいと思います。
  27. 岩間正男

    岩間正男君 細かい具体的な内容については、それはいいんですけれども、ただ今のような受取られ方がなされているのは、調査の結果はつきりしたわけでございます。これについては文相、どうお考えになりますか。
  28. 岡野清豪

    国務大臣岡野清豪君) 若しそういうことでありますならば、文部省が不行届きであつたと、こう私は考えます。
  29. 岩間正男

    岩間正男君 今後我々の、まあこれは言うまでもないと思うのですが、委員会審議並びに結論というものは、相当これは行政面において考慮され、そうしてそれを適当に勘配してやつて頂く、こう了解してよろしうございますか。
  30. 岡野清豪

    国務大臣岡野清豪君) 国会は国家の最高機関でございますから、我々といたしましては国会が御決議になつたり、又こうしろああしろというようなことが正式にきまりましたならば、我我といたしましては、これを尊重するに決してやぶさかでないばかりでなく、必ずそうしたいと思います。
  31. 岩間正男

    岩間正男君 当委員会の過日の結論というものは、これははつきりまだ委員会が継続しており、意思として表明されたのでありますから、この意向は継続するものと考えますが、如何でありますか。
  32. 岡野清豪

    国務大臣岡野清豪君) ちよつともう一度。
  33. 岩間正男

    岩間正男君 この前結論を一つ出したわけであります。この統合に関するいろいろな意見を出して、更に口頭を以つて伝えました。二年制の課程についてはこれを新発田に存続すべきだ、但し先ほど申しましたように口頭で出したのであります。こういうことは今まで余り考慮されなかつたようでありますが、今後再考慮をされる余裕があるかないか。
  34. 岡野清豪

    国務大臣岡野清豪君) 先ほども申上げましたように、よくそのときの事情を承知しておりませんから、事務当局に詳しく報告を受けまして、それから御返答申上げましよう。
  35. 岩間正男

    岩間正男君 それではその点は十分に調べて又御返答承わりたいと思います。時間の関係から細部に亘りませんで、結論的にお聞きしたいのですが、当委員会調査団報告としまして、先ほど述べられましたように、冷却期間を置いて、そうして両院がわざわざ視察に行つておるのであるから、両院の視察の結果をも総合して十分にこの問題が論議されて、公平妥当な立場で解決するという立場をとることが少くとも現実的には一方で強制的にトラックを七台も引張つて行き、これに対するところの父兄や生徒反対側の大きな抵抗があつて、このままで見ておりますというと、或いは非常に不吉な予感もするのです。流血の惨事ということもこれは考えられるような状態にあるのであります。それを而もこれが学期半ばにおいてなされるということの非教育的なことについてはこの前の第一回の統合のときに、六月十五日において十分に当委員会でも論議したはずであります。何故に一体学期半ばにやるかという理由がさつぱりわからないのです。それは速刻やむべきである、もつと公平妥当な方法で十分な態勢がとられてからこの問題は検討されなければならん、こういうことになつたのでありますが、又このたび学期半ばにおいてこういうことが強行されるということは教育的に望ましくないし、而も今言つたように強制的にやられようとしておる、而もそれに対する抵抗というものは非常に強い、学校側ではこれをもつと強引に押切つて、或いは場合によつて警察力の出動をも考えておるというようなことも洩らされておる、これは非常に教育上由々しい問題であると私は考えておりますが、こういう点から考えまして先ずこの問題は冷却期間を十分に置いて、両院において十分にこれは審議した結果によつて今後・統合されるということが望ましい、少くともこれはもう良識ある立場から考えたならば当然こういう方向に従う以外には教育的な解決というものはあり得ないと私どもは判断し、意向もまとまりまして、そういうことを特に附加えておるのでありますが、これに対して文相はどういうふうに考えられますか。最も当面した問題でありますから、この点を承わつて置きたいと思います。
  36. 岡野清豪

    国務大臣岡野清豪君) これは私衆議院の文部委員会でもお話申上げた次第でございますが、参議院で調査団を御派遣になつて、それから衆議院も調査団を御派遣になる、併しながらこの調査団というものは、私の想像いたしまするところによれば初めからこうしろああしろという意思を以つてその材料を集めに行かれるのじやなくて、向うへ行かれてそうして実際の実情を見て来られて、そうしてその実情に即応して如何に判断すべきかという結論を出されるものと私は心得ております。でございますからその調査団が向うへお出でになつて、そうしてお帰りになつて、両委員会で十分御審議の上、結論を出されましたならば、その結論が国会の正式の意思となりますならば、それに従つて我々は善処いたしたいと、こう申上げてある次第であります。
  37. 岩間正男

    岩間正男君 只今の御答弁頂きましたので、これは教育の、当然教育的な統合ということを考えるならばこれは当然だと思います。その点を我々は確認したいと思うのですが、現地におきましても必ずしもそのような方向をとつていない、まだまだこれを強行しようという空気が非常に強いと思うのであります、こういう点については文部省は今の大臣の御答弁の線によりましてこの趣旨を徹底される必要があると私は思う、こういうふうに考えるのでありますが、こういう点の御処置は如何でございますか、どうなさるおつもりですか。
  38. 岡野清豪

    国務大臣岡野清豪君) お答え申上げます。只今の点にもう一つ言葉が足りませんでしたことを一つ補足させて頂きますが、御承知の通りに学園の自治ということが法にあるかどうかこれは存じませんけれども、長年の習慣になつておりましてそうして又文部省設置法を見ましても、一旦大学が行政権の発動としてこれをやつておることにつきましては、文部省並びに文部大臣はこれは何らの処置ができないというように私は教えられておるのでございます。併しながら何を申しましても国会というものが今の日本の憲法上最高機関でございますから、その最高機関の御意思に従つてやる分には、恐らく何か文部省としてできる筋が出て来るだろうと考えておりますから、その辺のところは一つよく御了承を願いまして、私の一つ良識の判断に任して頂またいと、こう考えます。
  39. 岩間正男

    岩間正男君 今の御答弁通りであると思う。無論文部省設置法によりまして、これは今までのような指揮監督はすべきじやない。併し助言と勧告ということはこれはできるわけです。そうして又今まで相当な問題についても文部省は実質的にはこれをやられておることを私たちは知つております。又この問題の経過の中にもそういうようなことが相当なされていることを知つております。当然これは問題を今申しました最も公平な線で解決するためにその措置をとつて頂きたいと思うのであります。  それから先ほどの大臣お話の中にありましたが、無論調査団が出まして、その調査の結果によつて公平妥当な線をきめる、こういうことは当然でありますが、ただ当委員会調査の場合は二回目なんです。第一回目は御承知のようにこれが報告され討論されまして一応の結論が出ておる。我々の調査のやはり今度の努力点というものは我々の出したこの結論というものがどういうふうに現地で執行されておるかということがやはり調査の一番眼目点になつたはずであります。そうでないというと元へ戻つて全部が元へ戻るという形だけでこれは進められて、国政というものは絶えず後戻り後戻りということになる。従いまして今度の調査の一番眼目はそこにあつたわけでありまして、そういう点からも先ほど御報告があつたと思うのです。無論その後の変化については実情をいろいろ見て来るということは必要でありますが、併し主目的はそこにあるべきだと考えられるのです。そういう点からすでにこの当委員会の意思は表明され、それからそれについての再検討という形になると思うのでありますが、少くとも参議院の今までの意向というものはこれは全会一致でもつてそういう意向が指示されておつたのだということをお忘れないように願いたい。これはプライベイトでありますが、これはこの前劔木次官に会つたところが、参議院の文部委員会了解をすでに得ておる。そうしてそれによつて今度の統合問題は進められておる。殊に八月以降あたりからああいう建築が始まりまして、そうしてこれが相当態勢が強化されて来たのでありますが、そういうことを参議院の文部委員会の意向を、了解を得ておるのだということを、これはこの前劔木次官は公式会見の席上において申しておられる。これは甚だ奇怪に私は存ずるのです。若しそういう形でこの問題を文部省が取上げ、進めたとすれば、全くこれは当委員会の意思というものは無視されたと思うのでありますが、こういう点について文部省考え方の間には食違いがございませんか。この点だけ一応確めて置きたいと思います。
  40. 岡野清豪

    国務大臣岡野清豪君) 只今のお話は私は初耳でございまして、劔木次官にその点につきましてよく話合いもしておりませんから、いずれ劔木次官に会いましてこのような御発言があつたことについて後刻御答弁いたしたいと思います。
  41. 木村守江

    ○木村守江君 さつきから大臣の話もありましたし、午後から再開する予定になつておりますし、この辺でどうですか休憩して。(「異議なし」と呼ぶ者あり)
  42. 若木勝藏

    委員長若木勝藏君) それでは今の動議もあつたようでありますので午前の部はこの辺で終りまして一旦休憩し、午後は一時半から再開することに御異議ありませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  43. 若木勝藏

    委員長若木勝藏君) さように取計います。  休憩いたします。    午後零時三十九分休憩    —————・—————    午後二時開会
  44. 若木勝藏

    委員長若木勝藏君) それでは委員会を再開いたします。  文化財保護行政の件を議題といたします。
  45. 山本勇造

    ○山本勇造君 今度アメリカへ日本の古美術品を出品することについて、新聞等でも知つておりますけれども、そして又つい先ほど書類を頂きましたが、これは順序として一応当局から、このアメリカとの、こういうふうになるといつたことについての交渉の経過並びにその内容について一応の御説明を伺つたほうがいいと存じますので、一応御説明を願いたいと思います。
  46. 高橋誠一郎

    政府委員高橋誠一郎君) それでは私から一応経過を申上げることにいたします。このアメリカ展覧会の催しにつきましては、最初一昨年と記憶いたしますが、日本に長くおりましたデユーマンと申します人から、吉田総理宛のお手紙がございまして、講和条約締結以後において、文化交流、日米親善の目的を以て、米国各地において日本の古美術展覧会を開いてはどうか、こういう申出がございました。当時まだ文化財保護委員会が成立しておりませんものでありましたので、総理から手紙が国立博物館長に、只今の東京国立博物館長に回付されましたのであります。当時はまだ平和回復いたしておりませんので、暫らく時期を待つことといたしておりました。ところが昨年の九月、サンフランシスコにおきまして、平和条約が締結せられることに相成りましたので、これを機会に日本の古美術展覧会をサンフランシスコで開いたらばどうかという申出を、サンフランシスコのデヤング・メモリアル・ミュージアムの館長のハイルから受けたのであります。これは最初博物館の原田治郎君宛で来たものでありますが、原田治郎氏から文化財保護委員会のほうに話がございまして、御承知のように、昨年の九月から十月に亘りまして、サンフランシスコにおきまして、日本古美術展覧会が盛大に催されたのであります。その際にサンフランシスコに丁度ロックフェラー三世が滞在しておりまして、原田氏並びに私と会いました際に、サンフランシスコ展覧会の成功を喜び、併せてこの展覧会をもう二、三の都市で開いたらばどうかと、こういうような話を受けたのでありまするが、我々といたしましては、サンフランシスコだけで大よそ一カ月間の展覧会を開くということに決定して参つたのでありまするので、他の都市で開くことは今回はできないという返事をいたしたのであります。で、私どもがサンフランシスコから帰りますると、間もなくロックフェラー氏は日本へ参りまして、会いたいということでありましたので、原田氏と私がロックフェラー氏と会見いたしたのでありますが、そのときには又重ねてサンフランシスコの展覧会の模様を聞きたいということでございましたので、原田氏からいろいろ話をいたしました。ところがロックフェラー氏は更にもつと大規模の展覧会をアメリカの各都市で開いたならばどうか、日本の古美術に対する米国の関心は非常に高まつておるので、この際この機会を逸しないで、米国各地で展覧会を開いたらどうかと、こういうことでございました。で、我々といたしましては、無論頗る意義あることとは存じまするが、何分日本の尊い古美術を海外に運び出すばかりでなく、サンフランシスコの場合と違いまして、長い間アメリカの各地で展覧会を開くということになりまするというと、危険も甚だ大でありまするので、慎重を期さなければならん、こういうようなことを申したのであります。ところがロックフェラー氏が言われますのには、自分もこういうことについて誠に不慣れであるので、米国のワシントンのナシヨナル・ギャラリーの館長をしておりまするフインレイという人が、頗るこういうことに関しては適当な人と思うので、自分は帰つてフインレイ氏によく話をし、又フインレイ氏から日本に種々交渉をするようにしたいというようなことを申しておられました。そうしてなお附加えて言われますのには、その前においてアメリカからして専門の学者を寄越して、これと文化財保護委員会の諸君といろいろ打合せをすることはどうか、意見の交換を行うことはどうであろうか。例えばどういう品物を出品すべきであるかというような点に関しまして打合せをすることがどうかというのであります。それならば、どういう人たちが来るのかと言つて聞きましたところが、ロツクフエフー氏が申されるのには、ウオーナー博士のような人が最も適当と考える。そしてなおウオーナー氏は高齢のことでありますので、もつと若い元気な学者を添えて日本に派遣するということにいたしたい、こういうことを申しておられたのであります。で、無論我々といたしましては、これを拒む理由はありませんので、それならばおいで下されば、我々もよく協議を遂げよう、お互いの意見を交換しよう、こう申して別れましたのであります。御承知のように、今年の夏に三人の専門家が米国から参りまして、こちらの文化財保護委員会の人たち、そのほかの人たちと会見いたしまして、大よその案を作ることにいたしたのであります。先方は非常に謙遜な言葉を使つてつたのであります。決して自分のほうから強いるわけではないのであるが、ただこういうような品物を出して頂きたいと希望するのである、要求するのではない、希望するのである。これは誠に夢のようなリストであるが、成るべくこの夢に近い展覧会が開かれることを希望する、こういうことを会まするたびに申しておつたのであります。私どもといたしましては、これは非常に危険なことでありまするので、殊に私のサンフランシスコの経験などによりまするというと、どうも彫刻のほうが絵画と比べると危険なように思われるので、彫刻は御免こうむりたいということも申したのでありまするが、彫刻は数が少くともやはり出してもらいたいと、こういうような希望を述べておつたのであります。で、保護委員会におきましては、このドリーム・リストに対しまして、こちらの案を作成いたしまして、向うの人にもいろいろ研究してもらい、更に又専門審議会の絵画彫刻部門の諸君の意見を伺うことにいたしました。初めは専門審議会を開きませんで、先ず非公式と申してもいいような会合を開きまして、その内意を聞きました。いろいろ意見が出ましたのでありまするが、やがて又専門審議会を正式に開くことにいたしまして、いろいろな点を協議いたしたのであります。そうしまして、結局これはお手許に差上げてあると存じまするが、最後案に到達することに相成りましたので、期間が長いということ、この点につきましては、いろいろこれも交渉に交渉を重ねたのでありまするが、最初は先方では八カ所で開いてもらいたい、で、約二カ年かかることに相成るのであります。これならば到底応じることができない。これはフインレイとの交渉になつたのでありまするが、到底応ずることができない。だんだんあちら側も譲歩いたしまして、結局五大都市五カ所というところまで参つたのでありまして、期間は一カ年、この一カ年でも非常に長いのでありまするので、そのために損傷の虞れのありまするものでありまするならば、これをリストから除かなければならんということが、我々並びに専門審議会の委員諸君の考えにありましたので、主としてこういう点を考慮いたしまして、損傷の危険の少いものを挙げることにいたしました。そうしてこの最後的な取極めができることになつたのでありますが、まだ二、三の点におきまして多少交渉をしなければならんところがあるのでございまするが、サンフランシスコの例などによりまして、展覧会場におきましては、いささかも危険のないように期したいと、こういうようなふうに考えまして、いろいろ交渉を重ねたのでありますが、なおこの展覧会の決定内容につきましては、局長から詳細申上げることにいたしまするが、大体そのような経過を辿りまして、米国における展覧会が明年一月、先ずワシントンを振出しにいたしまして、五大都市で開かれることに相成りましたのであります。まあおよそ経過はかくのごときものでございましたので、なお御質問がございますれば申上げることにいたします。
  47. 森田孝

    政府委員(森田孝君) 高橋委員長から只今経過の御報告がありましたが、ちよつと恐らく言葉の足らなかつた点だろうと思つておりますが、最初のドーマンから来ました手紙は、講和会議終了後においてやりたいという手紙でなくて、ウイーンの展覧会をアメリカでやりました直後に、日本の展覧会をアメリカでやつたらどうかと、こういう手紙がたしか樺山愛輔氏を通しまして吉田総理にもたらされたと聞いております。これに対して、第二次吉田内閣のときでありますが、吉田総理大臣から、講和会議終了後において展覧会をやろうという回答がされておつたのでありますので、その点言葉の足らなかつた点だろうと思つておりますが、訂正申上げておきます。  それからお手許に配りました協定は、委員長が申されましたように、当初の向うのほうの申出の案に対して、各所におきまして修正を希望しまして、殆んどこちらの希望が全部容れられたのでありますが、その結果本年の十月の七日の閣議で決定を見まして、アメリカのほうに通達をいたしたのであります。最初に書いてあります一九五二年十月七日の日本内閣決定によつて文化財保護委員会の委員長高橋誠一郎氏に権限が与えられたということになつておるのであります。  それでこの協定の内容につきましては、逐条お読み申上げるとよろしいのでありますけれども、時間がかかりますので、概略御説明を申して参りたいと思つております。第一条は主催でありまして、日本国政府とアメリカの参加美術館との共同主催ということにいたしてあります。そうしてアメリカ側の代表は、只今高橋委員長から申されましたように、ワシントンの国立美術館の館長のデイヴット・フインレイ氏であります。日本側の現地における代表は、アメリカに行つた日本の百席官吏が代表となるということになつております。なお日本の係員は六人を超えない範囲において係員を伴う、これは六人というのをここに限定いたしましたのは、後に出て参りますが、十六条でありますか、この第十三条による日本人の旅費及び生活費全部が向うの経費で持たれることになるので、人数が一応限定されたのであります。  それから次に、第二条は品物の選択でありますが、このところは「展覧会は、双方の同意の上で日本の美術品中から精選された名作をもつて構成される。」と書いてありますが、双方の同意というのは話合いで、最後の決定権は飽くまで日本政府にあるということを文書で念を押して、この表現に同意したわけであります。で、事実上最後の決定日本の政府においていたしまして、アメリカ側に通告した形になつておるのであります。  それから次に第三条でありますが、これは展覧会の開催につきましての美術館が、これ以外の美術館では特別の取極めのないときには展覧しない。つまり独占権を各この五つの美術館がそれぞれの展覧期間中は持つということであります。それからその順序は、参加美術館のほうで協定によつてきめてもらう。それでこの順序につきましては、お手許に資料として、決定いたしました一覧表がここにお配り申上げてあるのであります。  それから第四条は期間でありまして、これは一カ所一カ月を越えることはできない。但し状況によつて日本側の代表が参加美術館と協議する場合においては、一カ月を越えることができるようになつておりまして、別の資料、只今申上げました半ペラの日程表を見ますと、ニューヨークのメトロポリタン・ミュージアムだけが一カ月半になつておりまして、あとは全部一カ月ということで決定いたしております。それから次が展覧会の、各美術館の間の期間でありますが、展覧期間であります。展覧期間と申しますか、展覧を終つてから次の展覧を始める期間でありますが、これは私のほうの希望によりまして、四週間以上ということにいたしてもらいまして、これは解梱、包装、運送及び飾り付けを慎重にするように配慮をいたしたわけであります。それからアメリカにある全期間は一カ年ということになつておりまして、一カ年以上は絶対やらないということにいたしたのであります。これは向うのほうが、最近の折衝におきましても、夏休みは殆んど皆地方へ旅行に出ますので、展覧がしにくいから、二月までという希望が出たのでありますが、この協定によりまして拒絶いたしまして、従いまして展覧の順序が若干狂いまして、ワシントン、ニューヨークが終つたあと、西海岸のシアトルに持つてつてしまうというような、若干輸送の順序が変つたわけであります。  第五条は輸送でありまして、アメリカ軍の船で行う。これはすでに先月の二十八日に船積みをいたしまして、二十九日に出発しまして、アメリカの軍用船で送つたのであります。これにつきましては、この委員会においても問題になりました倉田技官と、鈴木技官と、彫刻、絵画両方の各技官が附添つて同乗して参つたのであります。それから第二項は、日本からの出発でありますが、十二月一日となつておりましたが、一日二日、これよりも早くなつた。これは軍用船の関係でこれより早くなつたのであります。それからアメリカの国内の輸送が第三項に書いてありまして、日本の係官がこれに附添つてつて行くことになつております。第四項についても同様であります。それから日本の国内における荷造りについては、日本政府の費用で行うことになつておりまして、これはすでにそのようにいたして、予備金を頂きまして、予備金で行なつたわけであります。  それから第六条が非常に大切な点でありまして、「この協定にもとづく展覧より生ずるすべてのいかなる責任をも問われない」、これは次の第二項に書いてありますように、各参加美術館が日本政府に三千ドルずつの、つまり合計一万五千ドルの金額を支払つて日本政府が自由にこれに対して保険をかけるなり、その他の補償の方法を講じてもらいたい。従つてそれによつてアメリカ側の美術館は、この協定に基く展覧より生ずる一切の責任を問われない、経済上の責任は問われないというように規定はなつております。併しながら次にありますように、当該従業員の怠慢、これは私のほうの希望によりまして、内容はつきりいたしましたが、梱包その他、例えば陳列、展覧の場合における当該美術館内の監督に対する怠慢も含んだ意味におきまして、従業員の怠慢によつて生じたところの滅失、毀損については、これはこの協定以外の責任として、アメリカ側で負つてもらうことになつております。それから第二項は只今説明申上げました。第三項が、これは今申上げましたように、軍用船で運ぶのでありますので、それについてアメリカの軍は責任を持たないということであります。併しながら、これにりきましても、駐日アメリカ大使館を通じまして先方に依頼をいたしまして、国防省を通じ、又直接こちらに駐在しております海軍の代表者に対しまして、例えば船の中におけるところの荷物の位置、それから場所、積み方、それから室内の温度、湿度、そういうようなものにつきましての希望を出しまして、先方は全部これを容れてくれまして、詳細な湿度計、それから温度計まで出してくれておるような状態であります。なお又大圏コースをシアトルに向つてつておりますけれども、荒れるというので、特に美術品を守るという意味で、日数が若干かかるけれども、南のほうの静かな海を通る、通つて行くということにまで、アメリカの軍が配慮をいたしておつてくれる状態であります。それから四番目が、これはつまり今度持つて行きます美術品については、アメリカの国内における限りにおいて、全部外交財産として、アメリカの駐在日本大使がこれらの維持に必要な手段を講ずる権限を持つて、つまり管理の責任を持つことになつておるのでありまして、すでにこの手続は外務大臣のほうからいたしてもらつてありまして、アメリカにおいての、現在におきましては荒木大使がアメリカにおける管理責任者としてこれを管理することになるわけであります。それから第七条、これは博物館の中における、展覧中における保護の特別方法、措置であります。  それから第八条は、この陳列設備に関する問題でありまして、これにつきましては、只今高橋委員長から申上げられましたように、我々のほうから目下なお折衝が終つていない部面もありますけれども、保存管理について必要詳細な要求書が出ておりまして、この設備について、大体我々のほうの希望に近付いて参つておりますが、何分にもこの五つの博物館の中には、従来東洋のものの、殊に日本のものの陳列に馴れていない博物館も若干ありまして、そういうところにおきましては、新らしく、例えばガラスのダースを作るとか、そういうような措置を講じなければならん関係上、なお折衝が全部終つたという段階にはないのであります。近くこれは意見が一致して参ると考えておるのであります。  それから第九条は、カタログでありまして、これは日本の政府官吏が編集して、アメリカで出版印刷する、アメリカで印刷して、そうして各五つの博物館が必要なカタログの数を申出て、つまり何と言いますか、予約出版というような形で出版をアメリカでするということになつておるのであります。その場合に、カタログ百部を日本国政府用として、別に各出品所有者用として一部ずつを、これは向うの博物館が合同で出すということであります。  それから第十条が、複製品の問題でありまして、これについては現在積極的な何らの申出はないのでありますが、申出のある限りにおいて、我々のほうでも御協力して参りたいと思つております。  それから第十一条は、博物館の入場料の問題であります。これは自由に向うの博物館同士で決定するということでありまして、又学生生徒その他については安くして行くというようなことが書いてあります。  第十二条は修理の問題でありまして、この修理責任者というものをきめまして、その指示を得なければ一切の修理はできないということのようになつているのでありまして、日本から附添つて参りますところの専門の技術者の誰かがこの方面の責任もとることになるのであります。それから第二項は、これについて臨時に閉鎖する場合に、陳列期間を、閉鎖された期間と同じ期間を延長することができるが、この場合は日本国政府及び他の参加美術館の同意を得なければならんようになつております。  それから第十三条は拠出金額でありまして、これは五つの博物館の均当割当で、五つの博物館がそれぞれ出すことになつております。  十四条は宣伝計画、これはアメリカ側において行うもので、日本はこれに協力するということであります。  第十五条は「展覧会後援委員会設立された場合には日本国政府はこれに勤務する日本人の氏名を、また参加美術館はアメリカ人の氏名を通知するものとする。」、これは御承知の通りにカタログにはつきり出すことになつておりますところのいわゆる名誉委員と言いますか、そういうような顔ぶれのことであると考えております。  十六条は総経費でありまして、このA、B、C、D、E、Fは、それぞれアメリカ側において負担する金額の内訳が書いてあります。それから又第二項は、これは総額約七万ドルの均当割当で出したお金をアメリカの国立美術館の会計係にあらかじめ預けておくということで、向うのことであります。  それから第十七条は、展覧会の結果、この七万ドル、各五つの博物館がそれぞれ出し合つて五つの博物館が損害をこうむつて日本政府はそれに対して責任はないということであります。なお先ほど委員長からもお話がありましたように、最初の案には、このあとヘカナダ或いは又今のこの五つの博物館のほかにアメリカの中の三つの博物館の参加のことも書いてありましたが、これは高橋委員長の発言のように、折衝によつて全部落してもらつたよう状態であります。  以上であります。
  48. 山本勇造

    ○山本勇造君 大変詳細な御説明を頂きまして有難うございます。この問題は非常に結構な催しでありまして、恐らくこれに対して反対をする人は一人もないだろうと思う。誰も皆賛成することだろうと思います。今度アメリカに日本の美術品を持つてつて展覧をするというこのことは、二つのあれがあると思うのですね。一つ文化交流と言いますか、日本の古美術品を向うに紹介して日本の国柄を知つてもらうという上で非常に大事なことであります。もう一つは、そういうことをするためにこちらの国宝級のものを相当数出すが、それに対する保護がうまく行くかどうか、この二つの問題だろうと私は思うのであります。そこで先ずその保護のほうのことで、日本では大分心配している向きがあるのでありまして、先ほど委員長お話でありますと、二カ年も向うで展覧をしたいというのを一カ年に縮めたのだ。或いは場所も八カ所を五カ所に縮めたということでありましたが、併しながら世間ではこちらから持つてつたものを一年の長い間、それは寒いときもあるし、暑いときもあるという、そういうこと、そして一つのものを五カ所でするということは荷解きを十度もやらなければならんという点で傷みはしないかという点が非常に心配でありまして、現に私はこの秋京都に行きまして、今度これに出ております智積院の屏風等を私は京都の博物館で、行かないほうの、日本に残しておくほうの搬装をみまして、このもう一つの搬装が向うに行くのだ。併しながら胡粉がこんなに盛上げてありました。これが十回も荷解きしたりすると、非常なあれが起りやしないかと思うので心配でたまらないのだということをその場で私聞いたのでありますが、その他そういう例の心配が相当美術愛好家の間で言われておるようでありますので、この点これはもう大丈夫だ、大丈夫でないというのは水掛論でありまして、実際やつてみなければ結果は出ないのでありますけれども、併しながら、あなたのほうといたしまして、こういう大事なものを向うにやるのに、一カ年の間五カ所やるということでは、僕は委員会でも相当御議論があつたのじやないか、或いは少くともこの専門審議会のほうではあつたように伺つておるのですが、この点あなたがた一カ年、五カ所やるというので、大丈夫というような見通しはどういうところからお付けになつているのでございましようか。その点お伺いしたいと思います。
  49. 高橋誠一郎

    政府委員高橋誠一郎君) 只今の御質問でございまするが、専門審議会におきましては全面的にこういう展覧会などの開催には賛成することができないという意見を吐かれたかたもございます。すべてが賛成というところへは参らなかつたのは誠に遺憾でございまして、向うの人が日本の古美術を鑑賞したければ日本に来るのがいいのではないかというようなことまで言われたかたがございまするが、併しながら、かくのごとき意見は極めて少数であつたように私どもは見ております。そして先ほども一言いたしましたように、二カ年、八カ所ということでは到底賛成ができなかつたのでありまするが、これを一カ年、五カ所に縮めまして、そうしてこの範囲内において先ず心配がないと考えられまするものだけを選びましたのでありまして、所蔵者のほうで、これは甚だ脆弱な品で、長い年月の間にもうもろけておるのであるから、甚だ遺憾であるが、御免こうむるというようなことを申されましたものにつきましては、無論我々強いてお願いするということもいたしませんでございましたし、又専門審議会におきましても、これは危険であるというふうに考えましたものは、ことごとくリストから除き去つたのであります。私どもといたしましては、先ほども申しましたように、彫刻を除きたいという考えを持つ者もあつたのでありまするが、彫刻を出品するにいたしましても、乾漆類はでき得る限りこれを避けたい。先方では又それを了といたしまして、国宝級の彫刻の出品を求めたのでありますが、その場合には特に銅のものを挙げて参りまして、我々といたしましては、薬師寺の東院堂の聖観音が一点選ばれることになつたのでありますが、これならば大した心配もなかろうということを考えたのでありまするが、これも薬師寺のほうで、一カ年は困る、是非三カ月にしてもらいたいという申出がございましたので、重ねて協議いたしまして、アメリカのほうとも連絡をとりまして、これも見合せることにいたしたのであります。それから会場の点、先ほど私も申し、局長からも申上げましたように、注意に注意を重ねる。それから又我々のほうの技官の研究によりまして、湿度そのほかなどにも遺漏のないようにいたしましたので、先ずこれくらいならば大丈夫と考えましたものだけを出品することにいたしたのでありまして、なお又今日は本間美術工芸課長が出席いたしておりまするので、いろいろ注意につきましては、美術工芸家であられます同君から申上げることをお許し願いたいと存じます。
  50. 山本勇造

    ○山本勇造君 いや、私のほうは、私も専門家じやないですから、細かい問題をお聞きしようとするのではなくて、今のような問題、あなたがそれで責任を持つ、委員会が責任を持つて大丈夫だというのならば、それ以上細かい問題に触れると、やはりほかの問題もありますから、それは結構でございます。それじやもう一つ伺いますが、この間のサンフランシスコに出品しまして、それから又持つてつた、その間においていたむというか、何か間違いみたいなことはございませんでしたろうか。
  51. 高橋誠一郎

    政府委員高橋誠一郎君) サンフランシスコにおきましては、やはり私どもは乾燥度が甚だしいためにひびが入りはしないか、彫刻類につきまして、ひびが入りはしないかということを一番恐れたのでありまして、これにつきましては、陳列場の中に鉢植えの植物などをたくさんに入れまして、乾燥を防ぐとか、水を入れるとかいうようなことをいたしましたのでありますが、私どもの見ましたところ、又技官たちから報告を受けましたところでは、木彫類が新らしく割れたということ、新らしいひびが入つたということはないが、併しながら今まですでにもう入つてつたひびが大分大きくなつた、こういうことを聞きましたので、この点特に考えなければならんと思つてつたのでございまするが、又こちらへ持つて帰りまして、何カ月かの後に報告を聞いたのでございまするが、サンフランシスコで深くなつた、或いは広くなつたひびは、こちらに置いておくその間に、又はぼ元通りに返つた、こういうことを聞きましたので、大分安心いたしましたのであります。絵画類につきましては、私どもはどうも一カ月何がし、一カ月と二、三日陳列されております間に、槌色したと思いまするものは殆んどなかつたのであります。浮世絵、版画類などは殊に色のさめやすいものでございまするが、博物館所蔵品はもう相当色がさめておりましたものもありまするが、槌色を甚だしからしめたとか、又いささかでも今までよりも余計に槌色したと考えるものはございませんでございました。今度も出品いたします際に、初めのリストには渡邊華山の鷹見泉石の肖像が入つてつたのでございまするが、御承知の通りこれは非常に色がよく保存されておりまするので、長い間向うに置きまするというと或いはいささかでも褪色する虞れがありはしないかという意見が出まして、これは取止めにいたしまして、そうして市河米菴の肖像を以てこれに代えるようにいたしました。米菴の肖像はサンフランシスコでも一カ月陳列して置きましたし、もうすでに或る程度まで色がさめておりまするので、先ずこの程度のものならば安心だと、こういうふうに考えましたのであります。そのほかに私只今特に状態が悪くなつた考えますものはございませんでしたが、ただ彫刻類などでありまするというと触つて見るとか、或いはどうかしますというと少し酒などを飲んでおりまする者が寄りかかるというような心配がありましたので、これはアメリカの陳列の慣習とは違いまするが、是非さういうものは手を触れることのできないようにしてもらいたいという注文も出しまして、大体これが聞かれているのでありますが、この点なお一層確めなければならんと考えているのであります。大体そんなような点でございまして、特に損傷のあつた考えますものは今思い出せませんのであります。
  52. 相馬助治

    ○相馬助治君 私ちよつと遅れて参つて委員長お話を聞かなかつたので、或いは食い違いがありましたら御答弁なさるときに一つ訂正してお話し頂いて結構ですが、只今事務局長からの説明を聞いて協定を読んで見て、率直に申して私は意外であるという一曹で表現したい。と申しまするのは、日本の古代美術は特に絵画においても、木彫類においても繊細であつて、而もいわゆる堅牢という点から見れば、西洋人の考えているところの美術観とは根本的に違つている。それから又日本の地理的環境が極めて濃度が高く、それに適応した形においておのずから美術品が生まれている、今日まで保護されて来た、こういうことになつている。この日本の古美術をアメリカに出すという場合には、この協定は、どうしたら日本の古美術が折角アメリカにまで行つてみんなにこれを展覧するという目的を達して、而もこの古美術が保護されるかということが、協定の中心題目でなくちやならんと、こう思うのですが、これを読んで見まするというと、何か不測の事態にアメリカ側が責任を負わないということが極めて力強く強調されているという点、これはアメリカ側といたしますれば当然の主張でしようが、それに対応して、一体文化財を最終的に保護する責任のある、日本政府を代表しているところの保護委員会が、これに見合う強力な主張の跡が、残念ながらこの協定に読み取れない。そこで私がお尋ねする第一点は、この協定がなる過程においてそういうことが委員長の下においてはどのように考えられたか。又交渉の過程においてそのようなことがあり、且つ主張が削られたという点があるか。もともと主張していないというのか。これらの点について一つ委員長から篤と承わりたいのです。  それから第二は、日本独立した後において展覧会は持たれるのですけれども、誠に不幸なことに、つい先だつてまで占領治下にあつた、そういうさ中において、こういう取極が行われたという政治的な不利な条件、これは私もよく知る者であり、この角度から委員長を責めるというような不見識は私もいたさぬつもりであります。勿論日本の置かれていた立場というものがよいとか悪いとかということを抜きにして、この現実は雄弁な問題でありますから、いろいろな制約があつたであろうということが私には納得されます。そこで私は、そういうことを知つておりますが、而も伺わなくちやならないという点は、これは聞くところによると、吉田内閣総理大臣が向うと話合いによつてこの話ができた。こういうことを我々は聞いておりますが、吉田内閣総理大臣の責任であるとか、こういうものに対する取扱が慎重さを欠いているとか欠いていないということを私はここで問題にせずに、この取極が行われた場合に、文化財保護委員会として吉田首相から事前に何らかの相談を受けていたかどうか。こういう申出をアメリカとするつもりだが、委員会意見はどうなんだというような諮問を受けていたかどうか。仮に受けていたとするならば、その際に保護委員会としては吉田首相に向つてどのような要求をされたか、これです。又そのような相談を事前にしていなかつたとしたならば、内閣総理大臣がきめて来たものだから仕方がないといつてこれに応じたのか。きめて来たその枠内においても一つの抵抗と申しましようか、保護委員会としての見解を何かお述べになつておるかどうか。この二点について私は基本的な問題としてお尋ねをし、御答弁の如何によつては具体的なる問題に突込んで伺いたい点がございます。
  53. 高橋誠一郎

    政府委員高橋誠一郎君) 只今の御質問にお答えいたします。この取極を行いますにつきましては、これはこれが行われました国際間に亘ります展覧会の先例と申しますか、取極をもとにいたしましたものでありまして、日本も大分以前のことでありまするが、二回海外におきまして大規模の展覧会を開いたことがありまするので、それらのものをもととして、又アメリカにおきましてオーストリアあたりからの出品を展観いたしました際の取極、そういうような点をいろいろ考慮をいたして作りましたものを向うから送つて参りましたのでありまして、我々といたしましても大体これは認めまするが、いろいろな点におきましてこれに満足しないものがございまして、先ほど局長の申しましたように、いろいろの点におきましてこちらから意見を述べて、それが大体におきましてあちらでも認めることになりまして出来上りましたものであります。なおこの交渉の顛末などにつきましては局長から申上げることと存じます。  第二の点でありますが、これは先ほど申上げましたグルー大使の時代に参事官でありましたかをしておりましたドユーマン氏の手紙が総理のほうへ廻つて参りました際に、総理から時の博物館長にこれが交付せられまして、博物館長の意見を求められたのであります。これに対しましては先ほども申上げましたように、まだその時期でないということを申しましたのに対して、総理はこれを了としておられましたのであります。その吉田氏は国策としてこういう展覧会を行うということには無論賛意を表しておりまするのでありますが、併しながら文化財保護委員会に対しまして特にこれをやれと言つて積極的に申出られたことはないと存じます。私も吉田氏に会いました場合、特に吉田氏からしてこういう展覧会を是非やれというようなことは一度も伺いませんのでございます。この交渉は先ほども申上げましたようにロックフエラーの仲介によりましてフインレーとの間に取交されたものでありまして、総理が特に積極的な意見を出すというようなことはございませんのであります。ただアメリカの大使から吉田総理に宛て手紙が参りました。こういう点を後ほど資料によつて申上げたいと存じておりまするが、無論これに総理は非常に協力はしておらるると思うのでありますが、積極的に自分のほうからこの展覧会を開催するようにという意見はなかつたと存じます。最近に会いましたときなどは、どうもアメリカはこの展覧会をやるまでは注意を十分にするとか何とかいうようなことは言つおるが、併しながらいよいよ品物を送つてしまうというと不注意に流れる虞れがあるのでそういう点は十分注意してもらいたい、こういうようなことを申しておられましたのでありまして、総理から特に動かされて我々が行動したというようなことは全然なかつたと申してよろしかろうと存ずるのであります。
  54. 相馬助治

    ○相馬助治君 私が聞いたのは、政治的な責任の問題でお尋ねしたのですが、今の後段の答弁は要約いたしますると、吉田首相の意図によつてこの展覧会が持たれたのではなくて、文化財保護委員会の、それが積極的であつたか消極的であつたかは別として、文化財保護委員会の意思によつてこの展覧会が行われ、これを別な面から見れば文化財保護委員会の責任においてこのものが、この古美術が外国へ渡つて行くようになつたのだ、かように私には聞きとれたのですが、さよう間違いございませんですか。
  55. 高橋誠一郎

    政府委員高橋誠一郎君) これは文化財保護委員会で作成いたしました案を政府に送りまして、政府はこれを閣議にかけまして決定いたしましたのでありまして、政府が責任を持つてこの展覧会を行う、そして文化財保護委員会がこれを代表してやる、こういうことに相成つておると思うのであります。
  56. 相馬助治

    ○相馬助治君 ですから私は政治的な責任の所在をはつきりしたいという前提を置いてお尋ねしておるので、形の上からは今委員長おつしやつた通りです。それから協定の面から申しましても、相互に分担金を持つてこれが成立するのですからこれは双務協定です。私がお聞きしておるのは、この展覧会を持つことを最も積極的な意思として持つていたナンバーワンの者は何人なんだかということを聞きたいのです。アメリカなのか、日本吉田内閣総理大臣によつて代表されている日本政府なのか、それとも文化財保護を当面の責任として担当されておりまする文化財保護委員会それ自体なのか、これを私は尋ねておるのです。それで当然答弁としてはアメリカ側と日本の政府側とで話合いができたもので、双方で責任を持つものでありますという、こういう答弁のあることは私は想像するのですが、事と次第によつては速記でも何でもとめて、私がお尋ねしておりますことは、その辺の政治的な状況というものは何なんだろう、こういうことを私は端的にお尋ねしておるのです。
  57. 高橋誠一郎

    政府委員高橋誠一郎君) 積極的にこの展覧会を行おうという決意をいたしましたものは、先ず文化財保護委員会と申してよろしかろうと存じます。いろいろに文化財保護委員会に対して助言を与えたものなどはございまするが、先ほども申上げましたように、ロックフェラー氏と私そのほかの人たちが会いまして、氏の非常に熱心な勧告を受け、それからその後におきまして丁度文化財保護委員の一人でありまする矢代幸雄氏がヨーロツパ並びにアメリカに参られまして、帰つて報告を聞きまするというと、実に欧米において日本の古美術に対する関心が高まつておるという報告を受けたのでありまして、本委員会の諸君、先ず殆んど全部と申してよかろうと思うのでありますが、何人の無論もなかつたと存じまするが、この機会においてロックフェラー氏の申出を容れて展覧会を開くべきではないか。で、どうせ開くならば、本当に日本の立派な美術品、アメリカ人の感心するような立派なものをむしろ出すべきではないか、無論先ほども申すように、危険の伴うものは、これを考えなければならんのでありまするが、危険のない範囲内においてでき得る限りいいものを出すべきではないか。又私どもがサンフランシスコに参りまして、今回のは政府のやることでありまするので、当時とはいささか事情が違うかも知れませんが、日本の古美術品としてあちらの博物館そのほかに陳列されておりますものが、如何にもお粗末なものが多い。それから又あちらの富豪などに呼ばれまして、いろいろ鑑定などを頼まれまして見まするというと、やはりいかがわしいものを多く買つておる、こういうようなことでありまするので、本当の日本の最も優れた古美術をアメリカ人に知らしめるということが、文化財保護委員会としてなすべきととではないか、こういうような計画をそうたびたびやることはできないのでありまするので、これが実現せられまするならば、この機会においてでき得る限り優れたものを向うの人に見せてやりたいという考えに燃えて決意いたしました次第でありまして、文化財保護委員会の内部を除きましては、ほかに特にこの展覧会を非常に強く主張したというものはないと申していいのではないかと存じます。
  58. 相馬助治

    ○相馬助治君 今の委員長お話のようですと、こちらの文化財保護委員会が強力に積極的な意思を以てこの展覧会を運ぶようになつたのである。そういう前提に立てばアメリカ側に非常に有利な協定が結ばれても、これは話の筋道上我々としても納得せざるを得ないのですが、私はこの問題については事は極めて重大だと思うので、実は事務局の某氏とも会つてこの問題についてお尋ねをいたしました。プライヴエートな立場ではあるけれどもという前提をされて、某氏としても、この文化財保護委員会の置かれている立場というものを概略私に説明されたのです。要約いたしますると、日本独立したこの現在において、今までの経済的なアメリカの援助というのは没すべからざるものがあつた、そういう広汎な一つの国際間における政治情勢下において、こういうやはり展覧会もその一環の、一つの仕事として持たれたのだと、こういう説明を聞いて、私は議論は別としてその話そのものには私は同感したのです。ところが今の委員長お話ですと、文化財保護委員会の積極的な意思によつてこれが持たれたのだということになりますると、私は今度は問題を自分文化財保護委員会に質問を予想していたこととは反対の方向に向つて質さなければならない点が出て来ます。と申しまするのは、御承知のようにアメリカのような物質文明の国であり、それから近代において急速度に興きた国であり、あのような建築様式を持つておる国であり、あのような性格を持つておるアメリカに、日本において信仰の対照として、今日古美術品と言われておりまするけれども、信仰的な雰囲気の中に民族の文化としてはぐくまれ、誕生を告げて来たこういうものが送られて、一体どの程度に共感を得るであろうか、こういうことについて我々は心配するのです。聞いてみますというと、或る絵画は色彩が槌色することを恐れて、すでに槌色したものを送つた。言葉を変えて言えば、一級品は勿体ないから二級品を送つたというようなものも、恐らく課長に聞いてみれば、そういう一つ二つの現実はあろうと思うのです。そういうことになりまするというと、私はこれほどの苦労をして、そうして又この協定を見ると、何かこの古美術品に損傷を来たしても損害賠償も明確にできないのではないかというような、こういう協定の下に一年間に亘つてこういう古美術が海外にある。成るほど聞けば乾漆物のようなものは成るべく除外したと申しておりまするけれども、中にはそれもあるようですが、一体それで本当にもう議論を抜きにして、文化財保護委員会の委員長にしては、この古美術の声なき声を真に代表し、この古美術を本当に愛するという角度から自信をお持ちでしようか。私は新聞等に出ているように、あれは文化財保護委員会でなくて、何とか屋だというまぜつ返しみたいな批評をまともに聞きはいたしません、聞きはいたしませんけれども、例えば一部にでもそういう声が出るということを考えたときには、これは如何なものかと思うのですが、甚だしつこいようですけれども、未だに委員長としてはこの展覧会は極めて妥当であるというふうにお考えになつておられるかどうか。又文化財保護委員会の当面の使命をお果しになつていらつしやるとお考えであるかどうか、私は文化財保護委員会というものは、単に保護という言葉にとどまるごとなく、これを海外にその真価を知らしめるという責任を持つておると思うのです。思いまするけれども、この委員会が真になさらなければならない中軸的な使命は飽くまで私は保護だと思うのですが、そういう角度から一つ委員長の御見解を承わつておきたいと思うのです。私が聞いておることはいささかも抗議的意味を含んでおりません。私は飽くまでも、世論に追随しておるのでも何でもなくて、古美術の保護という角度から委員長がそういう自信をお持ちになつて下さるならばそれは非常に有難いことで、私は抗議的な意味でこれを聞くのでなくて、みずからの気持を安堵させるためにも、それらの点について一つ率直なる委員長の見解をこの際承わりたいと思います。その御見解を承われば私は具体的にどういう作品が行つたのか、それからこの協定の第何条がどうだとかさようなる問題にかかずらう気持ちは全然ございません。最終的質問でございます。
  59. 若木勝藏

    委員長若木勝藏君) 速記とめて。    〔速記中止〕
  60. 若木勝藏

    委員長若木勝藏君) 速記開始して下さい。
  61. 高橋誠一郎

    政府委員高橋誠一郎君) 文化財保護委員会にアメリカ展覧会の問題がかけられました際には、いろいろ無論議論はあつたのでありまするが、併しながら外部から強いられたとか、或いは又日本の置かれました悲劇的な運命からどうしてもこれを拒むことができないというような意見若しくは空気というものは、私は委員会にはなかつたと申すことができると存じます。保存の点に重きを置かなければならんという点は無論言うまでもないことでありまするが、これをアメリカに出すことは非常に危険ではないかというような意見が出ました際にも、保護委員会におきましては相当強い、どこまで本当に言つておられるかわかりませんが、むしろアメリカに送つたほうが、たとえ一年間でも送つたほうが日本に置くよりもむしろ安全ではないかというような発言をされる人などもありまして、無論この危険に対して十分注意をしなければならんということは 誰の心の中にもあつたと思うのでありまするが、先ほども申上げましたように、先ずこの辺の物であるならば、これをアメリカに出して、そうして日本の古美術の価値を十分に認めてもらいたいという考えが非常に強かつたようでありまして、他から強いられたというような気持は全然少くも委員会審議に現われましたところではなかつたと私は断言することができると存じます。信仰の対象となつておりまするものをアメリカに出して、果してアメリカの人たちが本当にこれを理解してくれることができるかどうかという疑問もあるのでありますが、やはりこれによりまして、宗教と芸術との間の関係、あちらにおきましてもキリスト教と芸術との関係というようなものは非常に深いのでありますので、日本の仏教そのほかの宗教日本の芸術との関係というようなものも或る程度わかつてくれる人たちが相当多いのではなかろうか。随分サンフランシスコで展覧会を開いております際などでもそういう質問を受けることなども幾たびかございましたが、今度のアメリカ展覧会におきましては、そういうような点におきましても、アメリカ人の理解を深からしめることに役立つのではないか、こういうふうに私は考えておるのでありまして、ただ時期が長過ぎるというような点につきましては議論があつたのでありましようが、委員会の全員ことごとく皆他から強制せられることなく、自分たちの考え方によりまして、今回の展覧会を行うことに賛意を表したと申すことができると存じます。
  62. 若木勝藏

    委員長若木勝藏君) 速記をとめて。    〔速記中止〕
  63. 若木勝藏

    委員長若木勝藏君) 速記を始めて。
  64. 梅津錦一

    梅津錦一君 いろいろ伏在している理由があると私は思つたのだけれども、まあ併しもうすでに船に積んでしまつたのだからどうすることもできない。そこで私は文化交流という意味が、アメリカの文化があるのだから……、アメリカはアメリカなりに文化があるのです。併し更にアメリカはまあ東洋並びに西洋のを集めた、財にあかして集めた世界の文化があると思うのです。日本人自体がアメリカに行つて見なければならないような文化が、古代美術が流れていると思うのですよ。特にフランスあたりは相当あると思います。で、こつちも貸してやるから向うも日本から持つてつたやつを少し貸してくれないか、こういうことでこれをきつかけにしてアメリカ文化並びに日本から流れ出た文化をいいものを、古美術をこつちに貸してもらいたい、これは言い得ると思うのです。こういうような交渉はできれば非常に仕合せだと思うのだけれども、私はまだ寡聞にしてアメリカに行つて見ませんし、調べて見ませんが、相当いいものがあちらに行つているんじやないか、こう思うのですが、そういうことに対して交渉の余地があれば非常に面白いのじやないか、これをきつかけにして、総理大臣を呼ばなくちや工合が悪いですが、委員長のほうからそういうことで外交交渉というのが、やはりそういうような外交交渉ができるのじやないか、こう思うのです。
  65. 高橋誠一郎

    政府委員高橋誠一郎君) この考えも無論我々にございましたのであります。こちらばかりでございませんで、昨年サンフランシスコの展覧会が終ります際に、ハイルという館長が私どもを午餐に招待してくれまして、その席上におきまして、今回は日本の優秀な古美術をアメリカで展覧してもらつて誠に有難い、これに報いるがために、アメリカのほうでも何か日本文化に役立つような芸術品を送つて展覧会を開きたいと思うのであるが、どういうものを出したら一番よかろうかというようなことを申入れられたのでありまして、私ども突嗟の間でちよつと返答に悩んだのでありますが、アメリカの絵画は割合軽蔑されているようであるが、今この博物館に陳列されているものなどを見まするというと、そう言つては失礼であるが、案外いいものがあるように思うし、又この博物館に所蔵せられておりますアメリカの絵画に関して書きましたものなどをところどころ読んで見まするというと、なかなかアメリカには立派な絵画が来ているように思われるからして、こういうものの展覧会を日本でやつてもらうことはどうかということを申しましたところが、ハイル首をかしげまして、どうも日本の国の絵画は日本に持つてつてお目にかけるほどそれほど立派なものとは自分考えることができないのです、一番誇ることのできるものは、生活の中に入り込んで来た芸術である、こういうものの展覧会を日本で開きたいと考えている。こういうような意見などを述べておりましたのでありまして、向うでも相当考えている人たちがあるのではないかと思いまするが、併しこちらにおきましては、どうも帰りましていろいろお話をいたしてみまするというと、アメリカのそれでは何を持つて来て見せてもらおうか、これにきまつた意見がないようでありまして、フランスのルーブルのものを持つて来てもらいたいというような要求は強いようでありまするが、特にアメリカでこういうものを持つて来て展覧会を開いてもらいたいというような注文がはつきり出ておりませんのでありまして、若しそういうよう意見がだんだんまとまつて参りまするならば、我々といたしましても及ばずながら努力したいと存じておりますので、アメリカも決して日本のものだけを見ておつて自分のものを見せないというようなつもりは本当にないようでございまするので、その点を一言申上げておきます。
  66. 山本勇造

    ○山本勇造君 実は、私は一間一答でだんだんやつて行こうと思つていたのですが、併し僕だけやつていてはいけない、ほかのかたからの発言があつたので中止したのですが、さつきのに引続いて、もう少し僕に質問させて頂きたいと思います。先ほどサンフランシスコに持つてつたときの場合には、木彫のようなもので罅の入つたものが少し大きくなつたというふうなものが、あれがこちらに持つて来たらよくなつたという話でありますが、今度の場合だというと、サンンフンシスコのときは一カ月ばかりの話ですが、今度は一年間ですからね。向うに一年も行つていて、それが暑い土地とそれから寒い土地、而も今度の寒いときに最も寒いニューヨークやワシントンあたりに持つて行く、勿論向うは設備がいいんですから、日本の博物館と違つてそんなに心配することはないのかも知れませんが、併しながら又荷造りするとか、送り出すというような場合のときは、博物館の中に陳列してあるような、そういういい設備の下にあるわけじやない。そういう酷寒のとき、酷暑のときに荷造りするとか持ち歩くとかすれば問題が起るのじやないかということを私は心配するのですが、それと同時に私はもう一つお尋ねいたしますけれども、今の程度のことだけで、それ以上のつまり毀損と言いますか、何か傷むというようなことがありませんでしたか。委員長はないと言うのですが、ありませんでしたか。
  67. 高橋誠一郎

    政府委員高橋誠一郎君) 何かお聞きになつていることがございましたら、私思い出しましたならば申上げます。
  68. 山本勇造

    ○山本勇造君 それはあなたが当事者なんですから、あなたが知らないことはなかろうと思います。
  69. 高橋誠一郎

    政府委員高橋誠一郎君) 私が今頭にあるのは申上げました通りのことでありますが、ほかに何かありますか。
  70. 山本勇造

    ○山本勇造君 私は現実に見ているのじやないからわかりませんが、それならば委員会一つ調べてもらいたいと思うのです。
  71. 高橋誠一郎

    政府委員高橋誠一郎君) これはよく調べますが、私の記憶にあります今のところではそのほかにないようであります。
  72. 山本勇造

    ○山本勇造君 それじや委員会でもお調べになつて、場合によつてはこの委員会でもできたら調査してもらうようにしてもらつてもいいと思います。続いてお尋ねいたしますが、サンフランシスコの場合は、結局先ほど座談的に話したのですが、七人の人がついたわけです。一カ月で七人……今度の場合は一年で五カ所廻つて歩くんで、この協定によりますと、六人を超えないということが書いてありますが、こういう点大人だけで大丈夫でございますか。
  73. 森田孝

    政府委員(森田孝君) この点につきましては、実はサンフランシスコの場合におきましては、御承知かとも存じますが、絵画、彫刻のほかに工芸品が入りましたし、内容的に非常に雑多なものが入つて参りましたので、七人が必要になつたのでありますが、その後いろいろ研究いたしまして、例えてみまするというと、梱包については、サンフランシスコの例で考えますというと、あのときは民間の梱包堪能者をその期間だけ保護委員会の職員にいたしまして、在員に加えたのでありますが、その結果は技官自身が自分でやるほうがむしろ適当であるというサンフランシスコの例によりましてそういうふうになつた事情もありまして、新らしく梱包責任者というものは加えない、従つてつた技官が自分でやるということに変えました点も又あります。  それからもう一つは目下外務省その他の関係庁と折衝中でありますけれども、若しその折衝か成功いたしますればこの六人というのは本当の事務に携わる人々の数でありまして、その以上に何と申しますか、外交上の文化使節と言いますか、そういうような人が派遣できますればそれに必要な、一人になりますか数人になりますかわかりませんが、人数は殖えて来るのでありまして、この前はそういうふうに高橋委員長がこの在員の中に、七人の中に加わつて計算されておつたのでありまして、今度の場合はでき得る限り外務省との協議が成功するようにと思つて目下努力いたしておるような次第でございます。そういう意味で前が七人で、今度は六人でいいかという御質問に対しましては、今申しました内容の種類が今度は絵画と彫刻、而も絵画が大部分で彫刻は数点に過ぎないという点と、梱包の外部の責任者は加えていない、そのほうがいいということ、専門家が今度の梱包を見られまして今まで日本の梱包でこれほど完全な梱包を見たことないという批評を伺つたのでありますが、技術者が自分で梱包の監督なり、或いは又自分で梱包の責任を負つているほうがより完璧だという結論になつたために六人で技術的には間に合うというように一応考えた次第であります。
  74. 山本勇造

    ○山本勇造君 今の御答弁で私一応わかりましたが、そうして殊にこの外務省と話して、更に文化使節に当る人ですか、そういうものを今折衝中だということも大変いいことだと思います。私は最初のときに申上げた通り、今度の問題についてはこの文化交流という面と保護の面と二つある。その意味で文化交流の上では然るべぎ人が、ただ美術品だけでもそれは日本のあれを物語るわけですが、併しながら声を出して物語ることができないので、どうしても文化使節のかたに行つて声を出して日本の実情を知らせる、説明するということは大変結構なことだと思うのですが、それならばここに六百万円ですか、予算を、予備金を取つておりますが、そのときにはあなた方はその問題は触れておらなかつたのですか。どうして今頃になつてそれをやつているのですか。
  75. 森田孝

    政府委員(森田孝君) その前におきましては何と申しますか旅費その他についての予算は、これは割合に内輪を申上げてどうかと思いますけれども、出したのでありますけれども正面のことを言いまして大蔵省で削られたのでありまして、これに対して我々のほうの考えといたしましてはむしろ閣議決定の上で外務省と文部省との共同提案になつて共同責任において今先ほどから委員長が申上げておられるように国際的な文化政策一つとして、一環としてこれが行われるという立場からむしろ外務省との共同責任においてさような人は派遣したほうが、より現地においても活動が広くできると思いますし、又国内の行政官庁の建前から行つてもそのほうがいいと考えまして本年度の実は旅費は落されてそのままになつたような次第であります。
  76. 山本勇造

    ○山本勇造君 それで今改めて又再交渉をやるというわけですか。
  77. 森田孝

    政府委員(森田孝君) いや、そうでなしに外務省のほうにおきましては外国旅費というものはすでにたくさん計上してあるわけでありまして、それを改めてこれに対して外務省と協議をして共同で大蔵省に予備金をもらうか、或いは又事実上外務省に現在あります外国旅費を使うかということは今まだ折衝中でありまして、そのどちらに行くか、又両方とも駄目になるか、或いはどちらかで成功するかということはちよつと申上げる段階にまだ来ておらないような状態であります。
  78. 山本勇造

    ○山本勇造君 先ほど相馬君からの、私も丁度聞きたいと思うことを相馬君から聞かれたので、やや重複する形になるのでありますけれども、第六条がやはり問題で、どうしてこういう協定を結んだのかというきつい相馬君からの質問で、これはこの協定を初めて私は今日見せてもらつたわけですが、事実これだとどうしてこういう協定を結んだのかというような疑問を持つわけでありますが、殊にこの六条のところですね、「日本国政府側においては、次の事項に同意するものとする。(1)いかなる滅失又はき損の場合にも(但し従業員の怠慢による場合を除く)いかなる参加美術館或いはその理事会職員又は従業員に対しても損害賠償請求を主張しない。」それから(2)に「私人の貸与者又はその代理者がこのような損害賠償請求をした場合、日本国政府は賠償を行い、右の美術館並びにその理事会職員及び従業員にあらゆる、いかなる責任もかかることなく害の及ばないようにしなければならない。」というこれはどうも非常に私たち何だかすつとしないのですが、これだと何ですか、出品をした人のものが毀損するなり、滅失するなりした場合は向うは三千ドルかの保険をかけてあるのだからそれだけだ、あと日本国政府がやるべきであろう、こういう意味にとつてよろしうございますか、これは。
  79. 森田孝

    政府委員(森田孝君) 先ほど相馬委員の御質問で、委員長が私からいずれお答えするのだろうと言つておられた点がありますが、それも併せてここでお答えを申上げますが、これは結局先ほど御説明申上げましたように責任の問題であります。それでこの全体の建前といたしましては三千ドル、各博物館が三千ドル、合計一万五千ドルを日本政府にそのまま渡してそれで保険をかけてもらいたい、日本政府が自由にそれで保険をかけてもらいたい、そうして従つて損害賠償についてはその保険をかけた保険契約によつて損害賠償をやつてもらうことにして個々の博物館とか或いは従業員とか或いは理事会職員というものに個別的に持主なり或いは関係者から損害賠償をすることをやめてもらいたい、こういうことであります。併しながら我々のほうといたしましては、当該従業員の怠慢によつて生じたような場合には困る、例えば地震でも揺するとか、或いは汽車が顛覆するとか、或いは船がどうかするというような損害についてはこれはもう当然に損害賠償になるのでありますし、それから又自然損耗というのがある、これはまあアメリカなどでは保険の対象にならんそうでありますが、自然損耗、例えば今高橋委員長の申されましたように湿度が違うために木彫の罐が大きくなるというふうな、或いは又それが回復できないような罐であるというような自然損耗についてはもう我々としては保険の対象にいたしたわけでありますが、つまり従業員の怠慢によつて生ずる滅失、毀損に対しての責任以外の損害については全部保険で金銭的には解決できるようにこの条文でいたしたわけであります。従つてその保険料が、一万五千ドルの保険料を向うから出してもらつたので現に保険契約はいたしておるわけであります。併しながら従業員の怠慢による場合には保険は取れないのでありまして、その場合においてはこの第六条の規定によりましてそれぞれの従業員が責任を負う、そうして国立博物館は公務員でありますからアメリカの改正連邦違反行為損害賠償請求法によつて決定して措置をして行くというようにこの規定がなつているわけであります。先ほど相馬委員の御質問になりました点は、こ従業員の怠慢ということの内容はつきりすると共に、如何なる場合についても従業員の怠慢については保険の対象にはならんから全部責任は常にその従業員なり博物館にあるということをはつきりしてもらいたいというので、それぞれ括弧の中の但書は全部こちらの要求で入れたものであります。それから又これはちよつとこの問題にはずれて来るかも知れませんが、この第三項の軍艦に乗せる場合におきましても「日本国政府の附添係官の要求する滅失、き損、悪化についての予防措置に関する申出は、これを尊重するものとする。」これを入れるものとするという実際上の意味でありますけれども、アメリカ側は又アメリカ側で軍の独立の問題もありますので日本政府が直接アメリカの軍に要求を出す手続上の問題もありますし、ただ尊重すると一応はいたしたのですが、とにかく日本政府の申出ということをいろいろと容れる規定も委員会からの要求によつて加えたのであります。従つて今申上げましたような損害につきましては、これによりまして一切の損害が、勿論設備その他の例えば百万円積んでも千万円積んでもその物は返つて来ない。こういう考え方による損害のそのものの何と言うか、元へ戻るということについては非常にできないことでありますけれども、金銭的にはすべてこの条文で、先方のアメリカ側の負担において解決しているということが言えるわけであります。
  80. 高橋誠一郎

    政府委員高橋誠一郎君) 先ほど森田局長から申上げましたところで尽きていると存じますが、サンフランシスコへ参りました際には、工芸美術のものがかなり出ておりましたので、向うでは頻りに何と言いますかギヤラリイー・トークを求められたり講演を求められたりしておりましたので、絵画、彫刻方面の人では十分に話をすることができないというようなところから、特に人を多く要したと考えられますが、今度は絵画彫刻だけに限られておりますのでその点はいささか人が少くて足りるところがあると存じます。  それから梱包でありまするが、これはサンフランシスコでたびたび聞かされたのでありまするが、どうも梱包の専門家を連れて行く必要はない。これは博物館の人が多く行つたのでありますが、我々博物館員というものはもう若い時から梱包の仕事をさせられているので、特に工芸屋などの仕事をして、梱包の名人というような人を連れて来なくてもいい。これから重ねてこういう催しをするときには必要がないということをどうか頭の中へ入れて置いてもらいたいということを一再ならず聞かされましたので、今度の梱包は実に見事にいつているということを我我の委員の中で明るい人たちが申しておりまするので、先ずその点心配はないのじやないかと思います。  それからいま一つ先ほど山本さんからお話のありました木彫の罐がひどくなつたということのほかに、何かないかという御質問でございましたのでありまするが、鏡について一つ問題がありましたのであります。これは丁度サンフランシスコの展覧会が閉じられまして、帰りの梱包をいたしておりまする頃のことでありました。もうみなぼつぼつ帰路につく間際のことでありましたので、夜集まりまして、食事などをして、いろいろ話をしておりました際に、私が只今と丁度同じような質問を出しましたのであります。何か今度の展覧会で特に損傷を受けたものはないか、又危険にさらされたものはないかという質問を出しました。ところがそれに対しまして、いろいろな話が出たわけであります。只今の罐が少し広くなつたとかいうようなお話も出ましたし、どうも彫刻、木彫などをたださらしておくのは危険だというようなことも出たのであります。その際に鏡の話が一つ出まして、これは鏡を陳列しておきましたところが、見物が、どうしてこれが鏡だという質問を出した。つまり裏のほうが出ておりまするので、顔などはちつとも写らんじやないか、これがどうして鏡なのか、こういう質問を受けましたので、ケースから出しまして、鏡のことでありますので人に見せたのであります。表のほうはこういうことになつていると、こう見せたのでありますが、併しながらこの表が相当もう曇つております。長い間磨かなかつたものでありまするので、人の顔などは殆んど写らんのであります。これじや写らないじやないかという質問が出ました。これはもう古いからこういうことになつているのだ、磨けば写るという話をしましたときに、それならば磨いて見せろとこういうことを言われた。これは到底求めに応ずることができないと言つて断わつた。ところがこちらの人がおりませんときに向うの番人が、アメリカ人の番人がついておりましたところで、やはり同じようなことを申して磨いて見ろ、こういうようなことを言われて、その番人が心なくこれを磨こうとして、非常に乱暴な話でありまするが、何か磨砂のようなものをつけて磨こうとしているところへ、こちらの山邊君という人物が参りまして、あわててとめた、実にあのときは危なかつた、鏡に傷がついてしまいますというと、これはどうしても元に返らんということをそのときに聞かされたのでありまして、これはまあ、甚だ危ないことであつたと言つて、みなで話をいたしておつたのでありまするが、私はそのときに、本当に磨かれなかつたのかどうか、或いは磨きかけたのじやないかと言つて聞いたのでありますが、どうも磨砂などでこすられたらば、必ずそれはもう傷がついている、私見ましたところでは、私どもの素人目には全くわかりませんでございました。それから持つて帰りまして、これを田澤金吾氏という、この方面の専門家でありますが、この人に聞いたのでありまするが、田澤氏は、あちらへ積み出したときの状態である。こういうことを申しておりました、それから今年になつてからかと思いますが、私が京都の宿屋におりましたときにこの鏡の所有者、これは全然私は知らない人であつたのでありまするが、或る人の紹介によりまして私のところ一参りまして、いろいろ話をしたのでありまするが、その際、サンフランシスコには特に出品してもらつて誠に有難いという礼を私が申し、実はこういうことが鏡について言われておつたのであるが、所有者であるあなたは、お受取りになりまして果して元の通りであつて、いささかも傷がついていなかつたかどうか、若し傷でもついておつたならば、どうか率直におつしやつて頂きたい。こう念を押したのでありまするが、いやもういささかの損傷もございませんでして、私がお渡ししたままの状態で以て返つて参りました。こういうことを申しておられましたので、私もいいよ安心いたしたのであります。こんなようなことがありましたことを思い出すのでありますが、或いはそのほかに何か又ありましたならば、思い出すに従つて申上げようと思います。
  81. 堀越儀郎

    ○堀越儀郎君 アメリカへ日本の古美術品を出品される、これは私も結構だと思いますが、先ほどから各委員質問は、要するに保存をどうするか、万一の場合を懸念されてのことであります。この点もう何回も繰返し委員長も、それから局長も答弁しておられるのでありますが、重ねてその点について万全の策を講じてもらいたいと思うのでありますが、と同時にアメリカに日本の古美術品を出品されるという問題とからんで、文化財保護委員会の性格の問題であります。貴重な日本文化財を文化財保護委員会としては十分保存され、保護されるに万全の努力を払われなければならないにもかかわらず、その点がおろそかにされる、第二次的にされて、むしろ外部に、一般に普及という点から言えばこれも意義のないことではないのでありまするが、その点にむしろ重点を現在の保護委員会としては置かれているのじやないかというふうにも考えられるのでありまするが、そういう点に対して、本末の顛倒のないように十分考慮を払われているかどうか。問題は勿論更にアメリカへ持つて行かれたものに対する尊重、向うで如何に取扱われたかどうか。勿論日本の専門の人も、技官が行かれて、湿度など違つた、或いは温度など違つた国における万全の措置も講ぜられると思うのでありますが、先方の国が日本の古美術品に対して非常に敬意を払つているということ、これは事実であります。例えばボストンの博物館などでは、特に日本の芸術品に対して、日本の美術品を陳列するために、特に日本間を作つて、或いは庭園を作り、部屋を型取り、或いは障子を張りなどして、特に日本の芸術品を一般のアメリカ人に、アメリカを訪問するヨーロツパから来る人のために、非常に紹介に努力をして、非常に日本の芸術品を尊重し、それに対して大切に保護しているという有様をよく窺われるのであります。更にニューヨークあたりでは、太平洋戦争が始まつてから、向うにある博物館に従前陳列しておつた日本の美術品を、万一損傷するようなことがあつてはならないというので戦争中はすつかり格納してしまつて一般には展覧させないで、日本の貴重な芸術品に対して損傷があつてはならないというので戦時中は全く隠されていた。それが平和回復と同時に又再び出されて一般に公開されて、世界の各国のアメリカ訪問者に対しても紹介するように努力しているという点から見ると、単に宣伝とかいうことでなしに、日本の古代芸術品に対する非常な尊敬なりあこがれの精神がよく現われるのであります。そういう点で万遺憾なきを向うでも期するだろうと思うのであります。併し更にみんなが心配されるのは、向うへ出品すること自体でなしに、保存、保護すべきことよりも、宣伝し或いは外部に知らせるということが委員会の使命のようになつているんじやないか、という心配が各委員の間にあるように思いまするし、又我々もそう考えている。こういう点に対して委員長として、当局としてもどう考えて行かれるか、今後のこともあるのでありますから、十分御覚悟のほどをお聞きしておきたいと思うのであります。
  82. 高橋誠一郎

    政府委員高橋誠一郎君) 只今の御質問でございますが、先ほど来申しておりまするように、我々はやはり文化財の保護に特に重点を置いておりまするので、今度の展覧会につきましても、保護の原則を侵さないで展覧会を開くことができるようにということを期しておりましたので、先ほど申上げましたあちら側のドリーム・リストに対しているく手を入れ、又こちら側の意見を出しまする際などにも、特にこの保存の点に重きを置いて考慮をいたしたことでありまするし、そうして又専門審議会にかけまして、専門審議会でも一年間アメリカの乾燥度の高い所で展覧会を開いて差支えないものだけを選んで報告を受けたのでありまして、それから更に又所有者との交渉をいたしまして、所有者側でこれは危険だということを申されましたところのものは、こちらからは強いてお願いすることもなく、ことごとくリストから除く、こういう態度をとつたのでありまするし、そうして又梱包その他陳列場のことなどにつきましても、でき得る限りの注意を払つておりますのでありまして、我々といたしましては、やはり飽くまでも保存に重点を置いて事を処理しておるのでございますので、この点お答え申上げます。
  83. 森田孝

    政府委員(森田孝君) 只今堀越委員の言われました点につきましては、実は文化財保護委員会といたしましては、内部においても非常に皆さんがた心配をしておられるところでありまして、高橋委員長の御説明になりましたほかの点で、現に所有者が出品を承諾し、専門審議会においても出品然るべしと言われたものにつきましても、現物は東京の博物館に全部集めまして詳細な調査をいたしまして、これは到底一年間五カ所の展覧には堪えられないというような判定を下したものについては出品を取りやめたのであります。それから又小修理をすればいいだろうというものについては特に予備金で修理費を取つておりますので、これによつて修理を加えて出したのであります。又保存措置と申しますか、例えば絵画などの剥落止めとか、或いは又軸などの紐の修繕とか、そういうような点につきましてもあらゆる措置を講じたのでありますし、又もう一つ、これはちよつと御質問にはずれるかも知れないのでありますが、中にはそれに対しての模造品も一応は大体彫刻につきましては作りまして、万全を期したつもりで出したのであります。それからなおたしか湿度につきましても、東大の教授に委嘱いたしまして、最も適当な湿度というものを研究して出して頂きまして、たしか六十六度だつたと思いますが、これを先方に通告いたしまして、各物品について、この六十六度を基準にして湿度を守るようにという通告がいたしてあるような次第でありまして、従いまして、湿度はこれは博物館の中におきましては或る程度スチームなり或いは又冷房装置によりまして温度を保つことができると思うのでありますが、ただ輸送の場合はそれが到底不可能でありますけれども、とにかくそういうような万全の措置を一応は講じたつもりでおります。
  84. 若木勝藏

    委員長若木勝藏君) 展覧会に関してもう御質問ありませんか。
  85. 山本勇造

    ○山本勇造君 それではちよつとこの機会ですから……。もう遅いから簡単に僕は御質問したいのですが、あなたがたのやつておいでになる財団法人文化財協会のことについて簡単にお尋ねしたいと思います。この協会は民間の団体なんでしようから、従つてあなたのほうから今まで我々のほうに特別な御報告もなかつたようでありますが、なくてもこれは仕方がない問題だと思うのですが、併しこの財団法人文化財協会というものの会長が高橋さんであり、又理事に局長の森田さんも入つている。それから幹事というのか、そういう人も会計の人が入つているというようなことで、文化財保護委員会の首脳の人が民間の団体に入つているので、これはそうしますと、この文化財保護委員会は、これを許可したり監督したりする立場にある。ところがその保護委員会委員長がこつちの財団法人の、又会長になつて、そうして今度許可を求めたり或いは監督されたりする立場にある。同一の人が監督をしたり監督をされたり、許可を願い出たり許可をしたりというような、どうも我我には変な気がする。尤もこういう実例は今まで役所になかつた例でもないように思いますが、併し仮にあつたとしてもどうも好ましくないあり方なので、これについて意見があるように私は聞いておりますが、今以て高橋さんは一方監督する立場のほうの委員長であつて、同時に監督されるほうの財団法人の会長でもあられるのですが、又それであるならば、どういう御心境でやられておられるのか、その点をちよつと承わりたい。又同時に局長が理事を兼ねているのもどういうおつもりであるか。これは道義的な問題になるのかも知れません。無論例がないでもないのですから……。併しちよつとその御心境を承わつておきたい。
  86. 高橋誠一郎

    政府委員高橋誠一郎君) これは実は問題があるように只今伺いましたが、私は今までその問題のありますことを甚だ迂潤で存じませんでございましたのでありまするが、文化財協会は官庁でありまする文化財保護委員会の成し得ない仕事であつて、而もなおなさなければならない仕事、予算が甚だしく少いというような点からして、寄附を集めてやらなければならん仕事というふうなものがありまするので、文化財保護委員会と、この文化財協会とは表裏一体をなすべきものというふうに考えておりまして、で委員長であります私が協会の会長に就任いたしますることも矛盾がないように実は考えておりまして、むしろそうあるべきだというふうに考えておつたのでありまするが、保護委員会は申上げるまでもなく、会議によるところのものでありまして、許可を与えるとか何とかいうような場合には、すべてこれを委員会にかけることにいたしておりまするので、そう不都合なことも生じないように、只今では考えておりますのでありまするが、こういう点に問題があるように伺いましたので、今まで全くこの点を考慮しなかつたのでありまするが、委員会に諮りまして、この点を一つ考慮研究いたして見たいと考えております。
  87. 森田孝

    政府委員(森田孝君) 只今高橋委員長からお答えになりましたのと同じでありますが、ただ私は高橋委員長とは違いまして、法科出の事務官でもありますので、今山本委員の申されました点を、恐らく同じ答弁では御承知にならないと思いますので、ちよつと申上げておきますが、実は監督者と被監督者とが同じ人であるというのは、行政官庁の中の審議会等にもその例はたくさんあるわけであります。そうして又各官庁におきまして、その外郭団体といたしまして、事務をとつているものにつきましても、例えば理事長と次官が同一人というようなものはたくさん例があるのであります。結局事柄の内容文化財協会というものが世上これは非常に極く少数の人で、何か私はためにするデマだと自分で信じておりますが、若しデマがあるとすれば、何か私どもが文化財協会を利用して金儲けをやつているのだというようなデマが飛んでおるということを仄かに私は聞いたことがありますが、文化財協会が今までやつておりました、又現にやりつつあります事業の内容につきましては、只今本省の方から資料を取寄せておりますので、間に合いますれば、お手許へ全部お配りいたしまして、その現在行なつております事業の内容を御覧になればおわかりと思うのでありますが、文化財保護委員会におきまして、例えて申上げますと、昨年発行いたしまして、本年度全国に講習会を開きました学習指導における文化財手引という学校教育上における文化財の指導上の取扱についての手引の編纂を、これを予算を取つたのでありますが、非常に厖大なものになりまして、その予算を使つてしまつても、最後の編纂が終了しないような事態になつて、もうちよつとのところでこれが終るという事態にあつたのでありますが、その場合におきまして、これを文化財協会の事業に移しまして、そうして文化財協会の寄附金によつて集まりましたところの金によつてその編纂を続けてこれを完成したというような仕事であります。  それから又ユネスコ委員会におきまして、日本の浮世絵の版画のプリントを百種類、五十セットでありますが、ワンセット百枚でありますが、これを買上げて、そうして世界の各学校、博物館、図書館ヘユネスコ本部から貸与えて、日本の浮世絵についての世界的な宣伝をするので、その選択をしてもらいたいというので昨年参つたのであります。これが選択をいたしましたところが、本部の意向で明年度の予算に入ることになりまして、本年度の予算ではこれはできなくなつたのであります。ところが版画協会においてはすでに仕事を始めてしまつたのでありまして、金融の関係でこれをすぐ引取つてくれ、こういうことになつたのでありますが、これは役所の仕事としてはできないことであるのを、文化財協会におきまして、それぞれ寄附を頂きまして、この寄附によつてこの処置をつけたのでありまして、来年度はユネスコ本部において、今文化財協会の持つておりますところの版画はそのまま引受けるということは最近通知をされたのでありますが、とにかくそういうような事態、つまり文化財保護委員会の活動を、表裏一体となつて援助する性質を持つ団体としてこれを役所で寄附を、たとえ一円でももらえば国庫の雑収入に入つてしまうのでありまして、文化財のほう並びに活用に対してのこれを直接使うことは不可能であります。従いましてどうしてもこういう場合におきましては、直接その寄附者の趣意を達成する必要な手段として、文化財協会のような外郭団体を作る必要があるために、まあほかの省の外郭団体としてできておりますものは、どういう意味か私は一々調べておりませんけれども、文化財保護委員会の外郭団体としての文化財協会はさような目的を達するためにいたしたのでありまして、最近におきましては、委員の中の一万田さんが中心になつて頂きまして、たしか二千五百万円だと思いますが、二千五百万円の寄附募集計画作つて頂きまして、目下着々その仕事が進みつつあるのでありまして、それができますればもつと広汎な文化財保護委員会の活動を援助し、推進する仕事ができて行くと思うのでありますが、現在においては職員の俸給も出せないような、まあ貧弱な財政状態で、ひたすら寄附金の集まるのを待つているような状態であります。
  88. 山本勇造

    ○山本勇造君 私の問うておるのは、文化財保護協会がけしからんというのではなくて、この趣意そのものについてあれを持つているのではなくて、委員長にしろ、局長にしろこつちの文化財保護委員会のほうの仕事が非常に多い。昔の国宝保存会であると、工芸であるとか、美術とか建築の程度に限られておつたのですが、今度の文化財保護委員会のほうは、それに加うるに埋蔵文化財もありますし、古文書もありますし、それから又無形文化財のようなものがあつて、それから更に名勝天然記念物というふうなものもあり、非常にあなたのほうの保護委員会の仕事というものは甚だ広いものになつて来た。而も実際言うと、僕は人員が足りないんじやないかと思つている。その足りないところでその首脳の人が又更にそういうものに加わつてやるということは、一体それで以て本当によくやつて行けるかというところに疑問を持つのです。で、この例えばこの間の質問でわかつたことですけれども、月光菩薩のあれを取下という話であつたと、ところが鉄心を切つてしまつた。それで問題が出た。ところがその鉄心を切つたというあれほど大きな問題になつたこを、委員長は一月以上も知らないでいた。下からも報告がなかつた。又課長、局長に聞いて見ても、帰つて来たら鉄心切つた話が当然なければならんと思うのだけれども、その話がこの間の答弁では非常にあいまいで、いつ聞いたんだか、即刻その人が行つてつて来た話が通じてたんだか、通じてないんだか、殆んどわからない。こういうふうな保護委員会のほうの事務的の方面にそういう欠陥があるにもかかわらず、一方においてこういう文化財保護協会というような財団法人を作つて、作ること自体は別ですが、あなたがたも又そのほうに入つてつて、やつているということは、ほかに例があるということは先ほど私が言つた通りつている。知つているが決して僕はいい例だと、真似すべき例だと思わない。而もあなたがたのほうは今言う通り非常な広汎な仕事をやつている。而も人数が少い。更に又そつちのほうをやつておるということはちよつと我々には解せない。
  89. 高橋誠一郎

    政府委員高橋誠一郎君) この点の御批判、文化財協会の仕事は、私が会長になり、副会長に川北禎一氏を煩わしております。川北氏がこの寄附金の募集などについて専ら奔走しておられまするし、それから事務のほうは、以前文化財の部長をしておりました冨士川金二君が当つております。これはもう部長をやめまして、専念この協会の仕事をしておりまするので、森田君その他の人たちの仕事に対しましてそれほどの支障を生ずるようなことはないと思つております。無論いろいろ連絡をとらなければならんような必要はございましようけれども、それほどどうも今のところ、少くとも今のところでは事務局の仕事に支障を生ずるとは考えておらんのでありまするが、先ほども申上げましたように、私そのほかの者がこの協会の要職に就くことの当否につきましては更に考えて見たいと存じております。
  90. 山本勇造

    ○山本勇造君 よほどよく考えてもらいたいと思います。そうして或る種の人がやめて向うへ行つたというようなことについては何か文化財保護委員会のつまり出店のように考えられている噂も聞くくらいで、何か明朗を欠くところがあると思います。殊に前の委員会のときにも申しましたが、今度は常勤のかたはあなた一人になりまして、ほかの委員は非常勤でありますから、そういうほうから言つて文化財の保護ということは、先ほどもしばしば出ましたが、非常に保護委員会というほどあなたのところは大事な点なんですが、展覧会の問題にしろ、どうも世間で問題の起つて来るのは非常になげかわしいことだと思う。我々といたしましては、あなたの個人の問題をどうこうと言つているんじやない。如何にしたらば日本の有為な文化財が保護されて行くか、或いは育成されて行くか、それをよくして行くために我々は百質問しているのでありますから、あなたもよほどその点考えて頂かなければならんと思う。どうもあなたが今やつている保護委員会とこめ文化財協会の会長であるだけでなくて大分たくさんお持ちのように聞いているんですが、ここであなたに何と何をやつていますかと特にお聞きしません。お聞きしませんが、よほどその点はあなたに考えてもらいたい。
  91. 木村守江

    ○木村守江君 いろいろ山本先生からの御質問、我々も賛成の点が非常に多いので、要するに文部委員の山本先生として文化財を如何に保護して行くかというようなことでありまして、それに対するいろいろ適切な御答弁もありましたが、なお一応御注意下さるように私からもお願いいたしておきます。大体委員長もう時間も相当過ぎましたので散会後いろいろ相談することもありますので、今日はこの辺で散会して頂いたらどうかと思います。
  92. 若木勝藏

    委員長若木勝藏君) どうでしようか、そういう動議が出ておりますが……。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  93. 若木勝藏

    委員長若木勝藏君) それでは本日の委員会はこれで散会いたします。    午後四時十八分散会