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岩間正男君 私はこの
法案に遺憾ながら反対せざるを得ないのであります。
第一に先ずこんなに押詰
つた緊急集会でこの
法案を
審議しなければならないというところに追い込んで来たところの
政府の責任を私は問いたいと思う。もう少し十分な準備をして学制の発足をしなければ、これはあらゆる困難が起るということは六三制によ
つてすでに証明されておる。
大学院の今度作られるというのは、まるでところてん式に、年齢がもう
大学を終
つて、それからまあ当然
大学院に入る生徒もあるのだから止むを得ない、いわば進退谷ま
つたという恰好で以てこの
法案を通さなければならない。こういう形でこれはやるべきような筋合いのものではない。もつと一国のやはり文教
政策の中に根本的なこういう施策が貫いてお
つて、そして十全なる準備と態勢を整えて、然る後に発足しなければ、それをやらないことによ
つて、いつでも発足したものは栄養不良で、名目だけは
大学院であり
大学であり、看板は掲げておりますけれ
ども、内容は甚だ貧困であります。こういうような植民地的様相を呈しておるのであります。そういう点から何か一種の、この
大学院を作るということによ
つて、そういう止むを得ない面から仕方がないという形でこの
法案に賛成せざるを得ないところに追込れた形で通すことは私は不面目だ、こういうことではいかんと思います。これが反対の第一点であります。
第二点は、この
法案について十分に内容を
審議するところ少いのでありますが、大体
先ほども問題になりましたところの
大学設置審議会、この
審議会の案というのは非常に
審議会そのものが、構成が、これは官僚的であると思う。もつとやはり学の平等、自由というものを開放し、本当に国民の
大学を作るという建前からすれば、もつとこういうような
大学に対する
見解というものを広く国民の間から求めなければならない。而るにこの構成を見ますというと、いわゆる
専門家というような建前で以てこれは独断されておるのであります。こういう点から作られる
大学院というものは、国民の
大学院になることは到底できない、当然
性格上……。そうして再び昔の独善的な
大学の形態を作り出す危険が十分にある。こう
考えるのでありまして、新しい時代の学制体系の面から見まして、この
大学院というものが再び昔の旧帝国
大学時代的の、象牙の塔に立籠るというような空気をこれによ
つて醸成するというようなことが起るというと、非常にこの点は
日本文教
政策の不幸だというように
考えるのであります。
第三点は、やはりこれに対する財政的裏付の問題であります。
日本の
教育改革のすべてを見まして全般的に問題になることでありますが、財政的な裏付が実に十分でない。今日
大学院を発足させるということを言
つておりますが、そのいわば仮装建築といわれますところの
大学院の実体はどうか、誠にこれは問題にならない。ここで多く言を費す必要がないほどであります。
研究室の状態、それから
教授の
研究費の問題、或いは
研究施設の問題、更にいろいろな諸設備、更にこれを運用するところの
運営費、こういうものにおいて実にこれは貧困を極めておる。そういうような母体の上に
大学院を作
つたものとしても、これは明らかに栄養不良に陥るだろうと思うのであります。
先ほど私は
質問の際に、
学生の
奨学金の問題を一例として挙げたつもりであります。この一例を見ましても、如何に現実はこういうような名前だけ、体裁だけいいところの名
目的な……、学制を真に培養するような経済的な基盤に欠けておるかということをこれは明らかに示しておるのであります。こういう点から
考えて、少くとも文教
予算の十全なこれに対する裏付というものが行われないとするならば、そうして
日本にもこのような
大学院ができた、これが学の最高権威であるというような
一つの幻想を持つとするならば、これは
日本教育改革、
教育体系の中で全面的なやはり
一つの錯覚に陥るのじやないかというふうに
考えられたわけであります。こういう点から
考えまして、どうしても
大学院を
設置するならば、それだけの財政的準備を
政府は今までとらるべきであ
つたと思う。ところがこの点において甚だ欠ける点があ
つた。こういう形で発足するところの
大学に対して、私たちは多く期待することができない。
こういう点から
考えて、私は今反対論として挙げましたそういう点を十全にこれは改革するというような、そうしてその面に立
つて初めて本当のこれは
大学機能というものがここで営まれるのだという観点から、現実に止むを得ないから、仕方ないのだからという形でこういうものを発足させて、あとはこれに十分な栄養を送り得ないという現在の文教
政策そのものの
一つと関連しまして、この
法案に賛成することができないのであります。