○宮本邦彦君 私は
日本の農村について、ずつと農村の問題として大きな問題は何かというと、やはり今日農村の人たちがこの
事業を安心してやるという気持を持つてもらわなければできないということを私いつも
考えているのです。ところが地方に参りますというと、実に農村はまだ遅れているというか、そういう気持が強いのであります。例えば
地元負担金があるのでこわくてしようがない。地元が
負担する
事業ならちよつと困る。端的に言えば、そういう空気なんです。これはどういうことかと言いますと、曾つての
日本の農村が、農村のこういつた
事業の負債によつて非常に苦しんだという経験から来ているのでございまして、特にそういう主張を強くする人たちは、やはり曾つての農村で非常に負債に苦しんだ年輩、例えば五十歳、六十歳以上の人たちがその負債をたくさん持つたのであります。私は新らしい
事業を御
計画になるときによほど
考えて頂かなければならないのじやないか。特に国が、こういう
一つの
法案を作り、そしてこの
法案によつて
義務を負うて大
事業を執行しようとするときに、もう一度曾つての農村のそういう問題を起して、はならんのじやないかということを私は申上げたいと思うのであります。従つて具体的に申上げれば、
補助率の問題だとか、そういうものも、もう少し再検討する余地があるのではないか。例えば急傾斜、段々畠の問題にしましても、農道は三割或いは二割というような
補助率が
議題に
なつたのです。雪寒
地帯だと農道は二割だからこれは二割でなければ困るというような、全くどこに根拠があるかというようなきめ方をしておるわけです。これは
大蔵省の立場から言えば、雪寒
地帯の農道は二割で、今度急傾斜のほうの農道の
負担を三割にすると、雪寒
地帯の農道を又三割にしなければならないから困るというような、そういつたような全く駈引のようなことで以て、この
補助率をきめるというようなことは困るじやないか。で、私はここで以て一、二例を申上げますると金融の問題でもそうなんです。今の
農林漁業の金融は
補助のないものは四分五厘、
補助のある
事業に対しては六分五厘ぐらい、こういう数字が出ているのです。ところが、この
補助は二割であろうと三割であろうと、五割であろうと六割五分であろうと、皆同じに四分五厘、六分何厘で片付けられる。併しここらは甚だ私何といいますか、杜撰なものがあるのではないかと思うのです。これはこういうようにきまつているからしようがないのだということは、きめたほうが杜撰なきめ方をしておる、ここらは大いに
考えなければならない問題じやないかと思うのです。もう
一つ例を申上げますと、私はここで以て第十二項でございますか、第十二の「第七の
実施計画による
事業の
成果について
調査を行い、その結果を
食糧増産審議会の議を経て、毎年
国会に報告しなければならない」、こういうようなまあ何がありますが、これは従来は非常に不明確であつて、而も不明確であつたために
増産成果が落ちておつた。世間にそれだけ認識されなかつたということを経験する
意味において、又新らしい
事業を、画期的な
事業をやつておいでになる行き方としては当然だと思うのですけれ
ども、この
事業をやるときに大事なことは、これは私はしばしば経験していることでありますけれ
ども、県営以上くらいの段階の
事業になりますと非常に大きいのでございます。この
事業が五割、或いは国営でありますと六割というような国庫
負担分だから、これは非常に地元としては有利だというふうに
考えられるのですが、実際は有利じやないのでございます。私はこの点を実は
はつきり申上げたいと思うのであります。ということは、そういつた広地域の
事業になりますというと、
関係するところが非常に多いのです。例えば国道がある、例えば鉄道橋がある、こういうようなものを改修しなければその
事業はやつて行けないのです。ところが、これは実際問題として全部この
土地改良事業或いは
農地水利
事業というものに責任を負わされてしまう。これは責任を負うのは当然でありますけれ
ども、それはいわゆる国道であれば建設省の
事業であり、鉄道であれば運輸省の
事業なのです。ところが、これは現実にはどうかというと、国営
事業或いは県営
事業をやつておる母体が責任を負わなければならない。責任を負わなければ実際はできて行かないのでございます。ところが、これは附帯
事業として今日やつておる額が相当大きいのでございます。
はつきり申上げると、まだ
農林省のほうでは恐らくこれを御
調査に
なつたことがないのじやないかと思うのです。で、私は昔からその問題は気がついておつて、しばしばそういう矛盾を感じたものでありますから、折々地区によつてテストをするのです。これは全く
農業関係の
事業でなくて国の交通機関だとか、或いはそういうものに投資しなければ
事業が成立たないために、
事業が進行しないために、止むを得ずやらされている
事業が非常に大きいのでございます。これはどうかというと、
はつきり申上げれば、
事業全体から言えば、やはり農民が
負担している。こういうものがすつきり計算に出て来ない限りこの十二の項目でお調べに
なつたらとんでもないことになるのではないかという気が私はいつもしているのでございます。これはどうせ国の
事業、国営
事業あたりでは、国が六割
負担しているのだから、六割はやつているのだからそれでいいのだということは、これは大まかには
考えられるけれ
ども、少くともこの
効果というものが、この
事業によつて算出しなければならないというような
法律に
なつて来て、そういう
義務を負わされるということになりますれば、これは何も国道橋を掛けて、それが
増産になるというところまでここで以て
考えなければならんということは私はないのではないかと思う。そういうことから行くと、まだ従来の
農林省でやつておいでになる
補助規程だとか、或いはういうものに再検討を加えて行かなければならん面が出て来るのではないかということを、実は私は前々から
考えておつたわけなんです。それでこの問題は、なぜそういうことを申上げるかというと、農村の農民の人たちの経済というものは非常に薄弱な経済です。
内容が悪いばかりでなく
性質も非常に
農業経済というものは混沌としております。一農家について見ますと、消費経済であるか生産経済であるか、そんな面は完全になく
なつているわけです。これがいつまでたつても農村の私は発達しない
理由じやないかと思う。その延長が、こういつた
食糧増産の
事業にまで延びてきているということは私は非常に遺憾に思う。特に、この問題だけは
一つ再検討をされて、本当に農家をして経済生活をするという方向に持つて行かれるためには、この
事業の
補助事業としておやりになる、或いは国営
事業としておやりになるというにかかわらず、そういつた面をもう一度再検討される余地があるのじやないか。で、そんなふうにしてやつて頂いて行かないというと、折角の
食糧増産が、金は三千億かかつたけれ
どもその
効果はこれだけであつた。実際は二千億くらいしかその
効果には働いていなかつたということが隠されて来るのじやないか。まあ特にその点について今後これは私希望として申上げてもいいんですが、再検討して頂くように申上げておきたいと思います。