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1953-03-12 第15回国会 参議院 中共地域からの帰還者援護に関する特別委員会 第5号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十八年三月十二日(木曜日)    午後三時三十二分開会   —————————————   委員の異動 三月十一日委員上條愛一君辞任につ き、その補欠として曾祢益君を議長に おいて指名した。   —————————————  出席者は左の通り。    委員長     大谷 瑩潤君    理事            瀧井治三郎君            常岡 一郎君            藤原 道子君            堂森 芳夫君            千田  正君    委員            木村 守江君            飯島連次郎君            高田  寛君            曾祢  益君            紅露 みつ君            堀  眞琴君            須藤 五郎君   参考人    日 本 代 表 平野義太郎君    日 本 代 表 工藤 忠夫君    日 本 代 表 加島 敏雄君    日 本 代 表 畑中 政春君    日 本 代 表 高良 とみ君   —————————————   本日の会議に付した事件 ○中共地域在留同胞帰還促進に関す  る中共側との交渉経過に関する件   —————————————
  2. 大谷瑩潤

    委員長大谷瑩潤君) では只今より中共地区よりの帰還者援護に関する特別委員会を開会いたします。  実は今日、中共地区からの帰還者に関する打合せのために民間代表として一月の二十六日日本を御出発下されまして、去る十日、一昨日でありまするが、十日に御無事に御帰朝を頂きました島津団長以下七名の代表者皆さん方に今日御出席を頂きまして、四十四日間に亙りまする北京におきましての引揚に関しまする会議に御列席下されました実情を本参議院特別委員会におきましても承わりたい、こう存じまして、実は御多忙であり且つ又長期の御旅行で非常に御疲労になつておりまするにもかかわらず、押して御出席お願いを申上げましたような次第でございます。ところが快よくお引受けを頂きまして、今日御出席を頂きましたことは我々委員一同に代りまして厚くお礼を申上げる次第であります。つきましては、私どもといたしまして皆様方お話を今日承わりまして、そうしてすべての点に冷静確実なる判断を以ちまして、将来のこの帰還かたがたの運営の面におきましても、当委員会といたしまして全力を挙げて参りたいというような考えを持つておるような次第でございます。ただ、今日島津団長さんが御病気になられまして御出席を頂かれないという点につきましては誠に残念に存じまするが、御病気とあればやむを得ないことでもあり、且つ又一日も早く御平癒を下されまして、そうしてこの引揚の問題に対し、いわゆる帰還の問題に対し、この上ともの御尽力をお願い申上げたいということを、当委員会において他の皆さん方にまでお願いを申上げておくような次第でございます。甚だ失礼ではございまするが、私から一言皆に代りましてお礼言葉を申述べた次第でございます。  これから順次御発言を願いたいと存じまするので、どうぞよろしくお願い申上げます。
  3. 平野義太郎

    参考人平野義太郎君) ちよつと私から……。在華邦人帰国につきましては、国会又この参議院におきまする委員会より特に関心を寄せて頂きまして、そのバツクの下に私ども一昨日交渉を得まして戻りました。その間の御努力に対しまして厚くお礼を申上げます。  又昨日、委員長初め羽田空港まで出迎えを頂きましたことに対しても厚くお礼を申上げる次第であります。丁度島津団長心臓脚気気味で発熱されておりますので、今日は私が代つて概略を先ず申上げたいと思います。  丁度一月の二十六日に出発をいたしましてから三月の十日まで、北京の滞在は三十三日間でありました。初め正式の交渉に入る前に約二週間を要したのでありますが、そのわけは、三万もおりますこの在華邦人が帰るということについてはいろいろと下交渉予備会談というものをやはりして、十分に双方意見を交換した上で正式会談に入ることがスムースにするという必要上、それだけの日数を要して、納得的に両方とも解決することができたわけであります。従いまして正式会談が始まりました第一回で規則的な問題は了解が付きまして、あとは会談は大体において順調に運びまして、四回の正式会談で特に重要である配船その他の具体的な問題も議がまとまつた次第であります。その結果、約五千人が第一回は三月の二十六、七日には舞鶴港へ到着相成つてその後は大体二十日の間隔を置きまして三万前後の邦人帰国されることになりました。その間会談は極めて友好的な雰囲気の中で行われましたが、これは中国側では帰国希望する日本居留民はすべて、技術者であろうと、なかろうと、すべて一日も早く帰国させるために、汽車賃もただでやれば手荷物も制限をしない、金は香港ドルに換えて外貨を持つて来れるというような工合に積極的な援助を与えることをはつきりさせました。而も日本側のほうも中国在住邦人及び留守家族の心中を察して、配船その他のことでも丁度一日前くらいに船が着いて、あちらもその前くらいにぴつちり五千名集まつて、それを船に乗せるならば、これは技術上困難な点もありますけれども、万難を排して我が同胞帰国実現をするようにというところで両方とも話合つた結果、御承知のコミユニケになつたのであります。その結果私どもの署名をいたしました共同コミユニケ中国では公報、コンパオという形で双方の同意の下に共通の文書発表いたしましたので、その細かい箇条々々は発表もしておりますから省き、或いは又後ほど御質問がある場合にはお答えいたしたいと思うわけであります。その中の若干部分については、多少の疑念或いは疑点もおありのことと思いますが、何しろ一番困難な、苦心と申すほどのものじやないけれども、問題は今なお両国の間に国交が回復してないで、外交交渉機関もないという特殊な条件の下であつたということと、三万人前後に及ぶ同胞を一日も早く帰国させ、又五十万以上に及ぶ留守家族に満足を与えて、長きに亙る懸案を実現するということの趣旨において骨折りましたのでありますから、このコミユニケ通りに実施がされるように望み、又そうなることを確信しているわけであります。中国在住居留民たちは、長き者はもう二十年、三十年になる人もありますし、短き者は終戦一カ月ぐらい前に応召してまだ帰つて来れなかつたという、この人たちも八年おつたわけでありますが、多くはまあ大体食うものと着るものには事欠かない程度の生活の安定をしておつた人たちでありますが、一番私ども接触しまして、その人たちが心配して案じておりますことは、一体帰つてから職があるのかないのか、住宅がどうなるかということを案じております。一抹の不安を感じておりますから、この同胞帰国喜びと共に、その喜び生活の不安に打消されないように、これは今後是非国会或いは参議院におかれましても、御配慮を頂きたいということが最後に申上げたい点であります。  又詳しいことは後ほど御質問にお答えいたします。
  4. 大谷瑩潤

  5. 工藤忠夫

    参考人工藤忠夫君) 先ど平野団長から申上げました通り、一月三十一日にあちらに着きまして、二月二日、二月三日に懇談会をいたしまして、以後第一回会談があるまで十五日間もかかつたのでありますが、この間に初めて行つたばかりの関係から、お互いに相互事情もまだはつきりしない、それから会議やり方に関しましても、向うのほうのやり方と我々が日本で慣れているところのやり方相当の食い違いもあります。そういう関係相互意見を交換するということについても、相当暇取つたのでありますが、結局こちらの要望事項などを書きもので向う相当詳しく提出いたしますということによりまして、割合に早く話が進むようになりまして、第一回の公式会談が二月十五日にありました以後は、第四回の会談が三月五日に終るまで、割合に円滑に行つた思つております。それから、この会議進行を図るために、我々の間で全員全員、すべての問題を取扱うことにはなつておりますが、事務の進行を図るために、代表でそれぞれ所管事項を拵えまして、その所管を詳しく掘下げて行きまして、それをまとめて先方に我々の要望なり意見なりを提出するという段取といたしたのであります。こういうわけで、所管の仕事の内容は大体この帰国者範囲を第一とし、第二は配船の問題、第三は在留邦人の経済問題、第四はこれに直接関係はなくても間接的関係のあるものと、こういう四つに分けまして、先方にいろいろ折衝をしたのであります。これにつきまして、先方はこの部内で議をまとめて、そうして我々に対して意見の開陳をやる。個人的な折衝というようなものはないのでありまして、公けの席上で相互に話合うというようなことになつたのでありますが、できるだけこの公けの席上で議を尽しまして、まとまつたものが三月五日の公式コムニユニケ発表された内容であります。  それからもう一つ申上げておきたいことは、この交渉の基本的な先方イデオロギーといいますか、こういうものについて一言申上げておきますが、中国はアメリカに願使されているところの日本政府、殊に吉田政府相手にしない、この吉田政府はサンフランシスコの条約に調印して、そうして又この中国の残党であるところの国民政府平和条約を結んで中国人民を仇に廻している。こういうようなものは全然相手にしない。日本人民代表であるところの団体交渉をして、この問題をまとめる、こういうイデオロギーの上に立つて交渉を進めたのであります。そういう工合で、我々は部内的には日本政府と連繋を保つて、この実現可能なるように努力したのでありますが、先方との関係においては、先方日本政府立場を無視するというような立場でおりますので、その空気は我々において察しまして、民間代表間の協定という形で、この協定ができ上つたということだけを附加えておきます。
  6. 大谷瑩潤

  7. 加島敏雄

    参考人加島敏雄君) すでに平野団長、それから工藤代表から屡々説明があつて特に補足することはないわけですが、今度の帰国の問題について私の感じたことを簡単にちよつと申上げます。  この十二月の一日の中国側の声明の中に、要するに中国としては日本居留民帰国援助したいということが書いてあつたわけです。その援助を具体的には中国赤十字社を通じて、配船その他具体的な問題を日本代表と話合うと、こういう大きな趣旨があつたと思うわけであります。その趣旨に副つて今度の我々の中国訪問が行われたということだと思います。従つて我々がこの会談で実際に中国側協議し、一致したということは、この配船、それからそれに関係ある具体的な問題ということにやはり全体としてなつているということは言えることだと考えるのであります。  それからもう一つは、飽くまでもその帰国援助する、つまり日本居留民が帰りたいという希望を持つている。そうして又日本留守家族がこれを待つている。それを両方中国側言葉で言う人民団体がどういうふうにして援助するかということが今度の趣旨であつて従つて、その中国側としてこれを帰すとか、日本側がこれを受取るという問題でなくして、どういうふうにその希望実現するかというふうなことに一貫して、その点が今度の全体の経過をみるのに、そういう趣旨で一貫しておるということが言えるのではないかということを感じたのであります。更にいろいろな細かい問題は後ほど質問その他によつてお答え申上げたいと思います。
  8. 大谷瑩潤

  9. 畑中政春

    参考人畑中政春君) いろいろ具体的な件につきましては、後刻皆さんの御質問に承知しておる限りお答えするつもりでありますが、前の代表からも感想が述べられましたように、何しろ日本中国との関係が非常に微妙な関係にあり、日本政府中国政府、それからいわゆる台湾政府というような、こういうような関係が、これは議会あたりでいろいろな論議された点からみましても、非常に微妙なことは我々もよくわかつておりました。台湾、東京、北京というような関係、そういう非常に複雑な関係の中で、而も中国のほうでは、北京のほうでは、日本朝鮮戦争の最中に、日本が今日朝鮮を爆撃する軍事基地となつておる、そこから代表を迎え、又そこに、中国に住んでおる日本人帰国さして行くという、誠に複雑微妙な国際関係の中で、この交渉が行われた。又その交渉の結果を我々が実行して行かなければいかんというこの関係を、やはり冷静に考えて行かないというと、到底今度の交渉は履行できないのじやないかと思います。こういう微妙な関係は我々も一応は出発前に知つておりましたけれども行つてみますというと、なかなか我々が想像した以上に、いろいろな点で向う考えとのズレもあります。向うはこう思つておるだろうと思つたのが、実際はなかなかどうしてそうじやないというような点もどんどん出まして、その間よくこれを調整して帰国実現というところに、我々は漕ぎつけることに努力したわけでございます。そういうわけでございまして、一つ中国立場というようなものを、やはり冷静に正視し、又両方立場の違いというようなものもよく考えて行かなければ、この引揚問題というものは到低十分に実行して行けないのじやないかということを、この交渉を通じて感じておるわけであります。なお具体的な問題につきましては、後刻皆さんの御質問にお答えするつもりであります。
  10. 大谷瑩潤

    委員長大谷瑩潤君) ちよつと速記を止めて下さい。    〔速記中止
  11. 大谷瑩潤

    委員長大谷瑩潤君) 速記を始めて下さい。
  12. 千田正

    千田正君 各代表かたがたには非常に御労苦を重ねて来られまして、日本国民の待望しておりましたこの引揚帰国者の問題に対してのこの緒を開いて頂いたことに対して、我々は長い間、引揚特別委員会或いはその他の面から非常に待望しておつただけに感謝に堪えない次第であります。特に私はお伺いしたいと思いますのは、両国事情については今皆さんからお話伺つて、さもありなんということも想定できます。ただちよつと私が疑点を感ずるのは、今度の帰国者を迎える船の乗船に対しての、いわゆる三団体代表以外には乗せない、乗せてもらつては困るという向う立場という点、それからもう一つは、帰国者名簿受領という点について私は非常に疑点を持つておるのであります。というのは、昭和二十四年の秋に、同じ中共政府であつた今の毛沢東の政府から、日本の婦女子並びに病人等、多分私の記憶に間違いがなかつたならば約六十名と思いましたが、大連から二十四年の秋帰国したのであります。子のとき中共側責任者かたが、この人たち帰国者名簿カード作つて、番号、氏名、性別、住所、出生年月日というものを、簡単な帰国者名簿でありますが、記載して、それをこれこれの人間を日本帰国さすのだという責任者の名前を入れてカードを渡してあるのでありますが、同じ中国のいわゆる共産政府である今の政府が、あなたがたがおいでになつたのに対して、どうも今度の場合は調子が違うようであつて帰国者カードは船中で作成するようにというような新聞の発表を見るというと、そういうように書いてあります。更に巷間伝うるところによるというと、名簿が不確定なために、或いはいろいろな人たちが、若しも不幸にして入つて来るのではないかというような記事さえも載つて報道されている向きもありますので、この際代表団かたがたから、どういうわけで帰国者名簿中国かたがたのほうで、出国に際して作成して頂けないのか、何の誰それを日本のどこにやるのだという希望も、一体定着地目的地も十分わからないでそのまま船で引取つて、船の中で作成する、これは四年前、ああいう同じ中共政府であつて、又今日四年後の同じ中共政府である今の段階お話を承わると、ちよつと私はその点がはつきりしませんので、その点を一つお伺いしたいと思います。どなたでもよろしうございます。
  13. 畑中政春

    参考人畑中政春君) 主として私は船舶関係のほうを担当しまして向う折衝しました関係で、而も今の御質問配船に関連しておりますので、私に関連している部門は私からちよつとお答え申上げておきます。  三団体代表乗船させて行くという問題、それから乗船者名簿向うが今度は作つて渡さないというようなこと、いろいろございますが、先ず最初に我々としましては、出発前に外務省とか、或いは援護庁とか、運輸省その他、或いは又家族かた、或いは又各方面のおかたといろいろ協議をしまして、できるだけ日本関係方面意向を十分に中国側に伝えて、そうして話をまとめたいというつもりで参りました。それでいわゆる向うから帰つて来る日本人を我々が出発するときには引取つて、そうして帰つて来る責任者と申しますか、そういうような考えを、外務省その他で打合せをしたときには、そういう考え方でいろいろな協議が行われております。それで外務省のほうの御意見では、独立後のこういう問題の輸送のときには、政府職員が出て行つて、そうして向う日本人引取つて、そうして帰つて来るというようなことに実はなつておるんだというような意向がありまして、そこで我々もこの最初予備会談のときにはどちらのいろいろな帰国者範囲とか、或いは配船の問題、或いは経済問題、こういう問題を詳細に我々の意見をまとめて向うに提出したのでありますが、そのときにははつきりと日本政府職員が乗つて行つて、そうして、それは向う日本人引取つて来る受領責任者になりたいという希望日本政府は実は持つておるんだ、それには外務職員ばかりでなく、まあこれは実はそのときに出した書類の写しでございますが、例えばこういうような文句で以て、我々はこの日本側意向最初に伝えておる、乗船作業責任機関を明確にしてもらいたいということの項目の中で、その責任機関帰国者乗船する前に、乗船者名簿日本側受領責任者に手交されたい、つまりこれは向う中国側責任機関が、帰国者が船に乗る前にその乗船者名簿日本側受領責任者に手交されたい、ところでその日本側受領責任者については、日本政府といたしましては、その職員をこれに充当したい希望であるということを先ず最初に我々は明確にいたしました。それから更に続いて日本政府はその機関である引揚援護庁から、日本人帰国手続援助する職員若干名を乗船させ、日本土陸後の諸手続説明並びに復員手続の一部を行わせたい希望を持つておる、なお法務省からは入国審査官若干名を乗船させて、出入国管理令に基く帰国査証、これは日本国民であるや否やを審査するという任務を持つておる、帰国査証を行いたい希望を持つておるということを正式な文書として、これは予備交渉段階に我々は申入れたのでございます。この点におきまして、つまり重要な受領責任者というものを日本政府職員を以て当てたいという希望日本政府は持つておるんだ。そうしてその日本政府つまり受領責任者に、引取責任者中国側乗客名簿を渡して頂く、こういうことを我々は、日本政府のものは希望をしておるということを文書を以て提出しておるのであります。これに対しまして、中国側ではこの第二回の正式会談におきまして、日本船舶中国領の港に出入りするために特別に今度作りました規則、その規則を我々に提示いたしました。蓼承志団長から逐条説明を我々は受けましたが、第八条に説明が及ぶに至りましたときに、この今の問題が大きくクローズ・アツプされて来たのでございます。それは第八条には、日本側船舶我が国の、我が国というのは中国でございますが、我が国事前の許可なくしては如何なる旅客も来船、船に乗つて来る、来船せしめることを得ずという規則がここにある、これを先ず説明いたしました。そこでこの規則と関連して申上げるが、貴方からは先に文書を以て、私が先ほど申上げましたかくかくかようなるこの意見を申出でられておる、ところがこの第八条の規定に、つまり日本側船舶我が国事前の許可なくしては如何なる旅客をも乗船せしめることはできないというこの条項とこの問題は関連する、ところで中国側としては、今日の日中関係を顧みるときに、日本政府つまり職員中国の港に日本の船に乗つてつて来るというようなことは想像することさえもできないという、実にこの何と申しますか、非常に強固な表現を以てこの我々の意見に対する回答を与えたのでございます。で、私たちは一応向う意向をそのときに聞いて、そこですぐ問題を明らかにしたいと思いましたので、日本政府職員についてはそのような御見解であるということは、今初めて承わつたが、それではここにその中国代表団と相対してお話を申上げておるこの日本の三団体代表がこの船に乗つて来るということに対して、如何なる御見解を持たれるかということを実は明確にしたいと思つて、その質問即座に続けてやつたわけです。そうしましたところが、向うはなおそのときに、私はこういうふうに附加えまして、この問題は今即座にお答えができなければ次の機会でもよろしい、とにかくそういう意思を承わりたいと私が申しましたところが、向うでは即座にこれに答えました。いや、皆さん団体のおかたとこうして帰国の問題をお話をしておるのだから信頼しておる、その皆様団体のおかたがこの船に乗つて中国の港に入つて来られるということは、これは一向差支はございませんという答えが初めて出されたのでございます。で、そのときはそれで以て終りましたが、それでは一体乗船者名簿という問題についてはどういうことになるかという問題を、これを中国側は明らかにして頂きたい。我々は第一の文書による意見を提出したときには、政府職員引取責任者になつて、その人が行つて名簿を受取るというように意見を出しておいたが、それを拒否されたというときに、一体中国側は、この乗船者名簿受領作成、或いはそういうような問題についてどういう見解を持つておるかということを次に明確にする必要に我々は直面した。そこでいろいろ中国側と話をしております間に明らかになりましたことは、中国側ではこの名簿を、乗船者名簿中国側において作成をして、それを日本側に渡すというような考えは持つておらないというのは、そういうことをやるというご上は、日本側、我々が最初文書で出しましたときにも文句がありますように、引取責任者或いは受領責任者というような言葉を我々のほうでは使つておるわけです。つまり引取受領者、こういう日本側の気持に対してこちらで引渡す、こういうものが相対するというふうに向うはとつたわけです。ところが向う側としては、この帰国する日本人を何か一括いたしまして、さあ受取つてくれ、さあどうぞという、物を引渡すという考え方は今度の帰国においては持つていない、というのは、今度の場合は普通のいわゆる外国人帰国手続によつて帰国希望を有するものが自由意思によつてつて行く、たまたま一緒に帰るということが起つたから、それを世話するだけのことであつて、何かこうぱあつと引渡すとか、受取るというような、何かそういう非常時的なものを感じさせるものではないのだという意味から、向うでは乗船名簿というものをみずから作成して、それを日本側に渡すという考え方を持つていないということをその次の機会で明確にして来るに至つた。それでは一体日本帰国者名簿を作らない前にどんどん船の中に入つて来る、一体誰が入つて来たのかちつともわからないということになりはしないかということで、ここに問題が起りました。そこで中国側では、これは最後の第四回目の正式会談においてこのところを非常に明確にいたしたのでございますが、その点は心配要らない、奥地からどんどん天津、秦皇島、それから上海の港に日本人帰国者が集まつて参ります。そうして埠頭の近くに、棧橋の近くに宿泊所を設けてそこにまあ一応宿泊してもらう。そこに宿泊すると中国の紅十字会と、それから日本船会社代理店となるべき、これは国営でありますが、外国船の代理公司というものが、これが協力して一つの何と言いますか、姓名と、年齢と、性別と、それから本籍地と、中国に渡つて来る直前の日本における住所だけを書いた一つの書くべき表を皆に渡しておく。そうすると碇泊所に着いた日本人はそれをもらいまして、どんどんそれに書き入れて、そうして自分が所持しているわけです。或いはあとから来る人はまだ書き入れが済まない人もあるかも知れませんが、とにかく着いた者から順々に書き入れて行く。そこに日本船舶が入つて来る、入つて来た場合に三団体の人が乗つて来ておれば、その三団体の人は埠頭に上陸する、或いは天津の場合は太沽というところでございまして、太沽に碇泊する場合は相当沖合でございます。沖合から今言つた団体代表者がボートに乗つて太沽の波止場に上つて来る。上つて来てそれから日本人の人が碇泊しておる場所に、向う側の紅十字会と外国船代理公司り人が誘導してそこに来る、そしてこの名簿に書き入れていない人には書くお手伝いをするとか、或いはもう書いておる人はこつちへ廻して下さいというような整理をするとか、或いは日本の問題について何か疑問の点があつたりした場合は、そのときに質問に応ずるとか、そこで初めて日本から迎いに来た人と相会しまして、そうして名簿を作る素材を先ずここで作成する。その任務にこの三団体代表が当つてもらう、それは勿論その仕事は紅十字会及び外国船代理公司もお手伝いをするが、これは中国側がみずからやるものではないので、乗る乗船者がみずから作るべきものだ、これは船に乗る場合にずつといろいろなことを書いて船会社に渡す。船員は上陸ができないから三団体代表が上つて来てもらつてお手伝いをして頂く、こういう考え中国側では持つたということが最後段階に至つてはつきりしたのであります。そこで乗船者名簿の問題というもの、それから三団体代表がなぜ乗らなければならんかというように中国側が要求するに至つたかというような事情が一応おわかり下さつたかと思います。  なお、あと加島代表からこの点は詳しく説明して頂いても結構でございますが、昭和二十四年の秋に大連から引揚げたときに、この名簿向うで作つたじやないかというようなお話でございますが、二十四年の秋というのはまだ中国政府が成立していない以前のことでございまして、それはいわゆる大連におけるところの地方官憲がそのときの臨時的な措置としてとつたものではなかろうかと思いますが、この点に詳しい加島代表から説明があれば、その点も明確になるかと思います。
  14. 千田正

    千田正君 三団体代表かたがたがお乗りになるという事情もよくわかりました。ただ私自身が考えるのは、そうしてまあ引取つて来た、ところがこれは中国の今の中共政府日本政府を認めていないのですから、お話通りですから認めていないのだが、現実の問題は、日本の国に上陸すると同時に日本政府の一応行政下に入るわけです。そういう場合において、例えば好ましからざる日本人だ、或いは日本人じやないかも知れないというようないろいろな、仮に不幸にしてそういうトラブルが起きた場合に、その帰つて来た本人は実に気の毒である、逆送還もできないというふうに自分は聞いておりますが、そういう場合は一体どこが責任を負わなければならないのでしようか。
  15. 工藤忠夫

    参考人工藤忠夫君) この問題は引揚者の範囲の問題に関連がある事項でありまして、実は私は担当者ではなかつたのでありますが、とにかく日本政府からの強い要望もありましたので、どうしても一応先方に聞いてみなければいけないというわけで、引揚者の範囲はかねて出発前に話しておきました通り日本人たること、それから日本人に同伴する外国籍の妻、その他いろいろの条件がありましたが、これこれの条件以外の者は、若し誤まつて日本に入つて来たならば逆送還するという趣旨を、まあそういうあまり真正面から思い切つて言えませんから、婉曲な調子でこの範囲以外の者にあらざれば中国を出国して日本に入ることを得ずというような形にいたしまして、書き物にして出したのでありますが、先方では、これは用語は穏やかであるけれども、なかなか相当重要な意思表示である、中国はこの日本側の要求に対しては、これは日本側の国内事項としてこの範囲の問題は了承しておく、そうして中国日本側にこの範囲以外の者を送らないようにここに確言する。又もう一つ明白にすれば、革命は輸出品ではない、中国日本の内政干渉はできない、内政干渉はできないと同時にする意思もない、ですから私の、向う団長でありますが、その御懸念は無用であるから、私の一言を信じてもらいたい、こういうことを非常に強い調子で言つたのでありまして、我々がその条項を協定に入れるということに対しては、範囲の問題と共に国内問題としてこの意見を入れることを拒絶したのであります。殊に逆送還の問題は要求を受けとることを拒絶したのであります。テーク・ノートすることを拒絶したのであります。というのは、この文書は書き物として特に別に出しまして、連絡員を通じて申入れたのでありますが、連絡員が翌日参りまして、これは受付けなかつたことにいたしますということで、私のほうへ返却して来たのであります。こういうわけで、この問題について書き物にすることはできませなんだので、それぞれの国内法によつて律するほかないのでありまして、若し日本側が見て、これが範囲以外の者になりますれば、日本はこれを逆送還する権利は留保されておるわけであります。決してすべてを私たちが呑んで来ておるわけではありません。ただそれぞれの国の法律によつて処分されて一向差支えない事項だと思います。経過は一応省略いたします。
  16. 千田正

    千田正君 ちよつと、今のことで不審な点が非常にあるのですが、気の毒な子供たちが、例えば終戦時において両親を失い、或いはすでに片親が死亡しておつたりして、満洲地区に放浪していたところの孤児が幾多ありますね。それで向う人たちは気の毒がつて自分の家で養つたり、自分の家の子弟として育てたりした人がある、こういう人たちがいわゆる早く言えば二重国籍を持つているような人たちなんですが、実際から言えば誠に不幸な、戦争の最も悲惨な犠牲者のこうした子供たちの帰りが一日も早く、こうした人たち日本人として育てて行きたいというふうに、我々はそういう気持を持つております。併し、向う側ではそういう点については今の問題と絡んでどういうふうにお考えになつておりますか。
  17. 工藤忠夫

    参考人工藤忠夫君) そうですね。こういうことを承わりました。孤児の日本人なりや否やの問題の判定は、大体西も東もわからなかつた時代に孤児になつた子供となれば、どうしてもこれはその孤児を世話をしていた人が国籍を申出るほかはないと思うのでありますが、これらのものはいろいろの場合がありまして、日本人が育てたものもあります。或いは中国人の家庭に入れられたものもあります。或いは孤児院に入れられたものもあります。そういうわけでありますから、今回日本人の調査というものをやつたらしいのでありますが、その場合に日本人なりや否やが日本人団体の中におる人は勿論日本人だということを証明されておると思います。それから孤児院とか、中国人に養われている人たちにつきましては、それぞれの責任者日本人なりや否やを判定して出しておると思います。それからこの成年に達したものですね、中国では十六歳以上を自己の意思表示をする資格者とみておりますが、これらのものはみずから自分の意思によつて資料を整えて日本人なりや否やを申出るわけでございます。そういうわけですから、或いはその中には日本人であることを十分証明できなかつたものがあるかも知れませんが、大体のところは日本人日本人であるという証明はできるのではないかと思つております。これらのものは未成年者につきましては保護者が意思を決定する、帰るや否やを決定する、成年十六歳以上のものについては本人が帰国希望するや否やを決定いたしまて、帰国希望したものについてはすべて日本に帰すということになつております。
  18. 紅露みつ

    紅露みつ君 大変お疲れのところ御出席頂きまして、なお御質問が出まして御面倒かけますが、だんだん話を伺いますと、国交も回復しておらず随分御苦労なさつたということはわかるのでございますが、皆さんのお立場ですが、これは勿論民間団体として向う交渉なさつたわけでございますが、紅十字会のほうはこれは政府と一本になつてつたわけでございますね。ちよつと一問一答を許して頂きたいのですが紅十字会というのは向う中共政府とは一本でございますね、こちらへ当る交渉は……。
  19. 工藤忠夫

    参考人工藤忠夫君) 建前は紅十字会は民間団体であります。これは国際赤十字の規則がありまして、民間団体であります。併し中国におきましては今度の声明によりましても中国政府の依託を受けて交渉しておるわけです。紅十字会は日本側においては、我々は日本政府といろいろ話合つてものを決定するというふうに了解して参つたのでありますが、向うのほうではそれを認めないという立場をとつておるわけであります。日本政府を認めないという立場をとつておりますから、向う側は日本人民団体代表と、こうみておるわけであります。
  20. 紅露みつ

    紅露みつ君 対中共に対しての御関係はわかりますが、日本政府皆さんとの関係は、連繋、今はちよつと違つた言葉のようだつたのですが、どうもお使いになる言葉が非常に微妙なんでございますが、やはり中国政府が紅十字会に委託してというような、そういう意味で日本政府からの委託を受けて行われた。これは公務を帯びた交渉でございましようね。どう御解釈になつておられるのでございましようか。
  21. 工藤忠夫

    参考人工藤忠夫君) 簡単に私が恭答えいたしますれば、政府から正式に委託は受けておりません。民間団体として行くのはよろしいが、政府として要望事項があるということを政府から言われただけであります。
  22. 紅露みつ

    紅露みつ君 公務ですね。
  23. 工藤忠夫

    参考人工藤忠夫君) 団体の仕事というわけですね、建前は……。併しやるに当つては実行機関、この責任を実際に行うのは政府ですから、政府と了解なくしては帰国の問題は実行できないということは私ども十分了承はしております。
  24. 紅露みつ

    紅露みつ君 而も皆さんは国費でおいでになつたわけですから、私ども公務で御交渉になつておられるというふうに解釈しておるのでございますが、そうではございませんか。そこのところをちよつとはつきりして頂かないと、あとの話が進まないと思うのですが。
  25. 加島敏雄

    参考人加島敏雄君) 何かその辺、出発するときに国費を出すから、その場合には身分というのですか、そういうような一定の政府の身分というものは必要だつたということが若干ありましたが、でも我々の趣旨としては、別に政府職員だとかいうふうなものではないわけであります。従つて結局出発するときに、政府といろいろ話合の結果は、何らそういう身分規定は我々に限定ないというので、身分上のあれから行きますると、自由な民間人ということが確立します。ただその費用、それから旅券なんかは、公用旅券というので、費用なんかは国費を出しておる。併し身分としては何らそういうものはなかつたというふうに了解しておるのでございます。
  26. 紅露みつ

    紅露みつ君 勿論身分は公務員ではおありにならないわけですけれども、でもやはり公務で委託を受けておいでになつた、こう解決できるのでしようね。
  27. 工藤忠夫

    参考人工藤忠夫君) それは私から言うのもおかしいのですが、委託は受けておりません。およそ委託をなすに当つては、委託事項というものがあつて相互にこれを受諾することによつて、この契約というものが成立するのでありますけれども、何らの委託の契約もなかつたわけであります。ただ三団体民間代表として行くというだけでして、この代表団に対して政府要望事項を列記して、この実現に努力せられたい、こういう趣旨の申入を受けたわけであります。それでただ費用は政府が出してくれたというわけなんです。こういう事実なんです。
  28. 紅露みつ

    紅露みつ君 そうしますと、政府から委託されておらないということでございますならば、中共側に対してもそうですが、国内的にも皆さんは今度のコミニユケなんかを政府が呑まなくても、政府の承認を得なくても、あなたがたの自由意思によつて取結ばれたことで、それで何ら差支えないというお考えですね。
  29. 加島敏雄

    参考人加島敏雄君) その点は形式上の問題としてはそういうことになると思うのですけれども、実質的には、この問題が円滑に行くために、それはどうしても国費で以て船を動かす、そういう実情にあることを我々十分知つております。従つて実質的には十分な連繋をとつて行く、併しながら形式的に政府の委託を受けて、そして政府の承認という手続、批准というのですか、何かそういうふうな形のものは、これはとつていないけれども、実質的には十分連繋をとつて行く、それをまあ我々としては国内連絡局というものを通じてやつて行くというふうに理解しております。
  30. 紅露みつ

    紅露みつ君 ところが先ほだ畑中さんですか、お話になりましたように、この三団体代表かたがた乗船なさつた結果、非常な事務的な混乱とかいうようなことは、私どもは初めからこの問題にタツチしておりますので、これまでたびたび経験しておる問題でございますが、普通に行きましても大変混乱が来るのでございますが、その上こういうふうに船が着いてから、上陸してからこの調査に当るというようなことでありますれば、これは一般の居留民帰国でございますと、それはもう御自由に上陸すれば、あとは自由行動をとれるのでございますけれども、やはりこれから帰つて来られるかたがたは、それぞれ援護をしなければならないのですね。ですからまあ三泊四日ということになつているのですが、およそこの状態で行きましたならば、舞鶴に上りましてからも所定の日数を超過するだろうということは容易に想像することができるわけでございますね。そういうこともあるのであります。それから先ほど出ました逆送還の問題なんかもございますけれども、これは国内法で以て処理する権限が残されておるということでございますが、それにいたしましても、実際問題としては、これを御承認になつてお帰りになつて、このままこれが進行しますと、相当の混乱がこれは来るのではないかということが想像されますけれども、そのときの責任は、これは一体どこが負うのでございましようか。
  31. 大谷瑩潤

    委員長大谷瑩潤君) ちよつと申上げます。御質問のときにはどなたにお聞きになるかということを初めにはつきりしておいて頂かないと、それぞれ立場の違うかたがおいでになりますので、その辺は一つ御了承願いたいと思います。
  32. 畑中政春

    参考人畑中政春君) まあこの問題は紅露さん大変法律論で迫つていらつしやるわけですが、つまりざつくばらんに言いまして、政府から正式に委託を受けて、政府の命令というか何かを受領して行くということが若しあつたならば、向うでは交渉は恐らくできなかつたでしよう。これはあなたたち政府の代理人だ、こういうことになつたでしよう。それで私たち出発するときに外務省は調査員になれということを一時言出したのです。それはつまり旅費を出す規則からいつて、どうしても官吏にならんことにはあなたたち駄目なんだということを一時言い出しました。これは大変だと我々はそのとき察知したのです。それでそのことは困るというので飽くまで我々はその点を強く突張つて、その点は撤回したのであります。あとで考えてみると、これは非常によかつた。そういうわけで形式的には飽くまで我々は民間団体として、民間団体の責任においてこれをやつたわけです、形式的には……。併し実質的には今申しましたように、政府なんかとよく連繋をとつて、そうして政府意向を十分尊重し、又政府の実行できるような意味においてやることを続けて来たわけです。従つてそのやつた結果が、これは形式的には確かに三団体の責任でしよう、併し実質的にはその三団体がつまりコミニユケに際遇したときには政府側とも十分に連絡をとつて、そうして先ずここらでもう調印する以外は、サインする以外にはなかろうという判断を下したのであります。従つて明らかに責任は三団体が負います。負いますけれども、併し実質的には政府と我々は連絡をとり、留守家族人たち意向も十分尊重して、皆さんと共に外交をやつて来たと私たち考えておるわけであります。それと……。
  33. 紅露みつ

    紅露みつ君 それは非常に御苦労なさつたと思いますがね。
  34. 畑中政春

    参考人畑中政春君) まだ発言中です。なお三団体が乗つたり何かすると大変混乱するだろうという御心配もちよつとわからないこともありませんが、併しあの最後のときに三団体を乗せなければ……、これは乗せるということは絶対必要なんです。これは工藤さんから最後まで政府意向を強く向うに伝えたのです。これは政府政府ということは勿論申しませんが、日本の或る一部に、これに反対な意見があるのだがどうだという意見最後まで出したのですけれども、飛んでもない、こういう三団体が来なければ絶対入れない、若しそういうことに反対する人があつたならば、そのことによつて向うでは帰国、ここでは引揚という言葉になつておりますが、引揚問題が、これに障害が起きたときに、その反対者は責任を負うべきであるということを明確に言つたわけであります。私たちはそのときに、率直に申上げますが、三団体が乗るということが絶対に必要だという中国意向を、若しそれなら私たちはもうサインをやめましようということになつたらどうなつたでしよう。もうすでにどんどん日本人は港に向つて集結をしておる。それから船はもう来る準備をしておる。こういう状態の中で、それは恐らく驚くべき混乱が起つたじやないかと私は考える。そういう意味におきまして、そして従つていろいろ我々もない智慧を絞り、いろいろ判断をしまして、政府その他に一部の御不満もあろうけれども、これは帰つてよく御説明申上げれば必ずや納得して頂けるに違いないという一応の判断の責任を我々はとつたわけであります。そういう工合に、今度のコミニユケのいわゆる性格はそういうものだというように私は了承して頂けるのじやないかと思います。
  35. 紅露みつ

    紅露みつ君 非常に御苦労なさつたということがわかりますし、まあ蹴れば、向うの要求をこちらが拒絶すれば、それは非常な混乱が来たであろうとおつしやる。そうであつたろうと私どもも思いますけれども最後まで日本政府はこれに反対をしておられたように承知しておるのですけれども、どうしてもう少し交渉をなさることができなかつたのでしよう。やはり今のように非常にせつぱ詰つたということで承認をなさつていらしたわけですね。
  36. 畑中政春

    参考人畑中政春君) その点で、いよいよサインを最後の五日にするというときに、つまり日本側の、いわば政府側の最後意向を求めたわけです。それに対する回答が参りまして、我々はいろいろ検討しました。ところがその政府側の回答は、三団体が乗るということは必ずしも必要だとは思えない。そういうような表現なんです。それからこれほど困難な問題でありまして、政府がこれをどうしても交渉しろ、この問題で若し中国が納得しなければ決裂しても引揚げて来いというくらいな、まあ或いはそれに近い、或いはそういう雰園気のある文言はそこに一言もなかつた、実際……。つまりそれは必ずしも必要ないのじやないか、この三団体が乗るということは……、だからこの意向を伝えてくれという式の電報は打つて来たわけけであります。ですから我々もそこで情勢判断をいたしまして、で、もういよいよ六日に出発するということも日本政府は知つておるわけであります。更にこの出発を延期して、多少は配船の期日が遅れるのも止むを得ないから、例えばやつてくれというような言葉の一言も入つていなかつた。その点はやはり日本政府のほうでも、この困難な事情を十分察せられたのじやないか、それでそこは代表団によく判断をして善処してもらいたいというのじやなかろうかというのが我々の判断であつたのです。実際はそういうようなわけでございますから……。
  37. 須藤五郎

    ○須藤五郎君 議事進行について……。この問題につきまして御参考まで申上げたいと思いますが、先日委員会におきまして外務次官に私はこの問題を質問いたしました。外務次官は飽くまでも三団体は乗せないというような意見でした。それで私は突込んで、それは外務次官の最後的な意見か、どうしても乗せないのか、曾つて高良さんに二十一日に旅券を出しながら二十六日まで伏せでおつたじやないか、今度もそういう駈引をしておるのじやないかと言つて、私は最後のぎりぎりの日に返事を聞きたいと申しました。そうしたら外務次官は、いや、絶対に乗せないというのじやありません。代表日本に帰られたらお会いしていろいろお話伺つて、どうしても三団体代表を乗せなくちやならんということを政府がわかりましたら乗せるつもりですということを外務次官は答弁しているのです。それでその間の事情はよく説明がつくのではないかと存じます。
  38. 紅露みつ

    紅露みつ君 それじやもう一点質問いたしまして私の質問を打切ります。まあ須藤委員からの御発言もありますが、いずれにしても、政府はいやいや、仕方なく承認したのだと思いますが、それにしましても不幸にして混乱が起るというようなことになるならば、それは実際問題としては、これは皆さんで努力しなければならない問題ですが、一応代表かたがたに責任がおありになるということを畑中さんおつしやつておられるので、それ以上どうも仕方がないと存じますが、もう一つ伺つて置きたいのは、皆さんがお立ちになりますときに、今後の帰還と申しますか、この帰還については是非留守家族代表を加えて頂きたいということをお願いしたやに聞いておるのでございますが、それは中共側にお伝え頂いたんでしようか、畑中さんについでにお伺いしたします 留守家族団体代表が今度の帰還交渉につきましては参加させてもらいたいということを向うに申入れて頂きたいということを留守家族団体から代表皆様お願いしたそうですね。
  39. 畑中政春

    参考人畑中政春君) さあ、それは私……、その点は出発前ですか。
  40. 紅露みつ

    紅露みつ君 出発前です。
  41. 畑中政春

    参考人畑中政春君) 私はそれほど強く私たちの責任感、義務感を感ずるほど、それほど強い申入を受けたことをちよつと記憶しないのでございます。
  42. 紅露みつ

    紅露みつ君 皆さんそうでございますか。お聞きになつたかたはございませんか、工藤さん如何ですか。
  43. 工藤忠夫

    参考人工藤忠夫君) 私も聞いております。併しその際に先方の態度が最初人民代表としての三団体を選んだということに非常な愼重な考慮をめぐらした上で、この問題について決定されたことがわかりましたので、それからもう一つは、向うが本人の自由意思によつて帰国されるということのみを非常に強調しておりましたので、その点について実は要求することはしなかつたのであります。それから三団体乗船の問題につきまして、私は日本赤十字社代表といたしまして、特に廖団長にもこの問題について代表団の名においていろいろ聞いたのでありますが、廖団長が非常に強硬に今の畑中さんの言われたような理論を述べられたのでありまして、実は私自身も議論は如何ようにでもつくものだと思つて実は感心しておつたのですが、この問題は便宜の問題ではあるまいか、そういうことになれば、たとえ最初に必要であつても、事務的に馴れて来れば、こういう問題は必要がないのじやないかということを特に申入れたのです。そうしましたところが、これは便宜の問題じやない、建前の問題である、飽くまで三団体が乗らなければこの仕事は円滑に行かないということで、原案に、三団体代表者が帰国者の世話をするために乗るものとすとあつたところを、すべからく三団体代表は乗るべしという字を特に加えられまして、どうしてもこうしてもらいたい、非常に強い要求があつたわけなんです。それで私も先方立場が非常に強いということを感じましたものですから、実は止むを得ないと思つて最後に賛成したわけなんであります。併しその場合に、私は両団体ともよく相談いたしまして、この三団体が乗るという問題は、とにかくやつぱり最初に三団体を選んだときのいきさつの延長であろう、だからこうなつた上は私のほうでは、赤十字といたしましては賛成いたします。併し船に乗られる三団体かたがたは立派な紳士を乗せて頂いて、船内において決して秩序が乱れるようなことがないように特にお願いしたのでありますが、両団体からも絶対にそういうことはないという確証を得ましたので、私も最後に賛成いたしまして、三団体一緒になりましてコミユニケに調印したのであります。
  44. 紅露みつ

    紅露みつ君 最後の一致点に行くまでには相当意見の対立があつたんですね。
  45. 工藤忠夫

    参考人工藤忠夫君) それはありました。そうして午前四時まで討論いたしました。日本の電報が来たのが十時です。それから十一時から私がその英語を訳しまして日本文にして、これを皆さんの議に諮つて、そうして最後まで討論に討論を重ねて、そうして大体の方針をきめまして、そうして最後に公の会議に臨みまして、その際でも更に先方の意を確めたのでありますが、先方の態度がまだ、我々の予期以上に強硬であつたので、ここに三団体協議の結果、先方立場が非常に強い、こうなれば四囲の情勢からこれは調印せざるを得ない、これは大事の前の小事だと思いまして、政府が承認してくれることを期待いたしまして、確信して私は調印に賛成したわけでございます。というのは、若しこの問題が政府に取次がれまして延び延びになるか、或いは拒絶されるということになりますれば、三万人の人の帰国の問題が遅れるか、不可能になるかも知れない、そうしてその責任が日本側に来るという危険が非常にありましたので、この責任はむしろ我々民間団体がとつたほうがいいんじやないかと思つて、民間団体として責任をとつたというような経過でございます。
  46. 紅露みつ

    紅露みつ君 大変お時間を頂きましたが、一応これで打切ります。
  47. 常岡一郎

    ○常岡一郎君 実は只今私も感謝しておるものでありますが、今の問題でやはり一番根本的な三万人の引揚が遅れるか遅れないかという大変な問題と、三団体代表向う行つて事務をとることの比重が余りに違い過ぎるということを不安に思うのであります。それからその点で一番最初お話がありました非常に友好的に親しく会談が進められたとおつしやつたので、非常に私は初め喜んでおつたんですが、今そういうお話を承わりますというと、やはり一つの花が咲くためにも環境の温かさというものが必要でありますように、会議が進められるには、どうしてもその環境がどういう環境であつたかということが非常に関係するものだと思います。民主国家の主権は当然国民にありますから、その国民代表である国会というものから参加するように希望の電報を打つたのであります。それも容れられないで、三団体が選ばれておいでになつたときに、これは肩を叩いて語り合うような親しい意味だろうと、我々はそう了解して、そうしてこれは非常に期待しておつたわけであります。若し肩を叩いて語るようなものであつたとするならば、今のような問題は何でもない問題じやないかというふうに我々は考えるのであります。先ほど畑中さんの御説明の中に、この条件を最初出されたのはこちらから出されたように一番最初におつしやつたのでありまして、こちらから出された条件を向うが受けて、それは差支えないと向うは言つた。それくらいに軽い程度の問題が、いつの間にかだんだんとむずかしくなつて、必ず「ねばならん」と変つて来て、而もこれが根本的な問題になるほどの大問題であるかないか、その比重の問題を考えました場合に、非常にこれには疑問を持たざるを得なくなるのは当然じやないかと思うのであります。こう考えました場合に、それほどの大問題を、それを代表団の中で、今お話を承わりますと、二派に分かれて四時までも議論されたというふうな問題を、それをどうして決定されたか知らないが、帰つてみれば政府も反対する、国民の大多数は疑問を持つておる、こういう場合に、この責任は、若し無事に行けばよろしいですが、若し無事に行かなかつた場合の責任はどこにあるかという先ほどからの紅露さんのお尋ねの中にもあつたようでありますが、これは責任ある国会の議員としてお尋ねせずにおられない問題になつて来るのは当然だと思うのであります。その比重の差が非常にあるのに、それほど重大な問題になつた理由を、若し差支えございませんならばお教え願いたいと思います。
  48. 畑中政春

    参考人畑中政春君) それでは関連しておりますから私のほうから申上げたいと思いますが、最初団体が乗つてもいいというところから、「ねばならん」というところまでの発展の過程がよくわからないというお話、一応御尤もの点もございます。ただこれはこういう経過になつておるわけでございます。つまり最初の第二回の会談のときには、船舶の出入に関する特別の規則を審議する会であつたわけであります。なぜこの規則が早くつまり出されたかと申しますと、これは日本船舶に早くこれを知らせておかなくちやならない。これは本当の技術上の問題である。例えば入出港をする場合にはこういうものを持つて来てはいけないとか、こうだというような規則がございます。そのときに初めて第八条に、旅客は乗つて来てはいけないということから、日本政府職員は駄目だというところへ来た。そのときにとつさに私が、それならば船員以外の者は誰も乗つて来られないということになるので、それでは一応念のために聞いておこうということで、三団体はどうかと、こう聞いたら、即座に、それは差支えないと来た。そのときになぜ絶対に来なければならんというのがそこへすぐに出て来なかつたかと言いますと、それはつまり三団体が乗つて来ることによつて一体何をするのだ、それはどういう仕事を受持つかという面についての先ず研究の段階にまだ来ておらなかつたわけであります。その次の会議に入つたときに、初めて乗船者名簿というものは一体どういう工合にして作るんだ、誰が作るんだ、これはもう帰国者がどんどん何も名簿なしに入つて来るというようなことがあつてはこれは困るじやないかというようなところをだんだん審議して行く間に、中国側では、これは成るほどそうだ、これはどうしても三団体の人に上陸して来てもらわなければならん、そうしてその名簿を作る素材を作成する、つまりいろいろな名前を書き込んだり何かして、それを世話をするというような仕事、或いは又何かそこで中国側ちよつとした交渉でもしなければならんようなときに、そういう人がおるということが非常に必要だというようなことが、この問題を討議する間に向うでその技術的な必要からだんだんとわかつて来た。そこで最後に至つて、これはどうしても今の乗船者名簿云々とかいろいろな問題を解決する面からいつて、これは三団体というものはどうしても来てもらわなければならん、来てもらわないということになると誰かが来なくちやならん、誰かが来るということになると、そうすると政府職員とか何とかということになるとこれは困る、そうするとここで皆さん話合つた気心のわかつた団体、而もこの交渉をやつた団体がそれの実行に当るということがこれが一番必要じやないか、こういう工合向う考えるに至つたわけなんです。従つてつまり乗つてもいいというような段階のときには、まだ乗船者名簿とか或いは船が着いたときに、或いは帰国者との結付きをどうするかというような技術上の問題の討議に入つていなかつたわけであります。そこでだんだんとその問題が展開するに従つて中国側ではそういうようなつまり見解に立つて、どうしても必要であるというようなことになつたと私は想像しておるわけです。
  49. 常岡一郎

    ○常岡一郎君 それならば、その場合に、例えば今までのそういう単なる書類くらいの問題なら幾らでも向うにいる人の中で書いてやることもできるんじやないか、我々はこういう考えを持ちます。そういう問題だけなら、それをなぜ交渉なさらなかつたか、こう私は聞きたいんです。
  50. 畑中政春

    参考人畑中政春君) 併しそれはやはり日本から乗つて来る船、そうして又日本のいろいろ事情を完全につかんで来ておる人、そうしてそこに上つて来て、つまり中国から帰つて来る人をお迎えして、そうして皆さんどうぞこの名簿を出して下さい、そうして皆さんこれからお乗り下さい、お迎えに来ましたというような一つ日本側からのあれと、中国から帰る人とがそこでぴたりと合つて、そうしてそこに温い気持で誘導して船に乗せて行くという、こういう一つ考えを持つたときに、やはりそこで日本から来た誰かにそれを手伝つてもらう、その場合にそれでは誰だということをいろいろ向うでも考えたものと思うのですが、やはり三団体代表以外にない、これはやはりいわゆるこの話を最初からつけた、これは工藤さんも言われましたように、いわゆる最初交渉した一つの延長として三団体が一番適当じやないかと私は想像しているわけなんです。それからなお工藤さんのほうで、非常に内部反対のいろいろなものがあつて深更までやつたという話でありますが、これは事実でございますが、併しこの反対の議論というものは、むしろ三団体を乗せるべきか、乗せるべからざるかという議論というよりも、むしろ日本側にこの意見を通達したその返事が来る、或いは来ない場合に明日中国側会議を持つのがいいか悪いか、それはもつと向う意向を待つたらどうかという、そういう手続上の問題においての議論が非常に行われた。つまり日本側意見を言つてつた、併しまだどうも来ない、これは明日中国側では会議をしたいと言つているが、どうするか、これを延期したほうがいいかどうか、或いはもつと待つたほうがいいかどうかというような点においてこれは相当意見が分れたことは事実ですけれども、その問題について、本格的に乗せるべきか乗せるべからざるかというような問題をそんなに対立的に意見を交換したわけではない。その点は一つ御了承を願いたい。
  51. 常岡一郎

    ○常岡一郎君 それならば、それほど重大な問題を一日、二日待てないということはないでしよう。
  52. 畑中政春

    参考人畑中政春君) それは今申しましたように待つたんです。つまり返事が来たのです。つまり最初は四日の午後三時にもうこの仕上をする最後会議中国側がしたいということを言つて来て、我々ももう出発を五日ということに最初予定しました。四日の三時にやろうじやないか。それで二日の晩に日本側にこの中国側最後のコミニユケの案を送りまして、そうしてどうか四日の正午までに回答してくれ、その回答に基いて我々はその日の午後三時の会議に臨みたいからということを言つてつたのです。ところが四日の朝に至つて回答が来ないのです。そこでどうするか、中国側ではもう今日の三時にやる、こう言つておる。日本からは回答が来ない、どうするのかというのでいろいろ議論をしましたが、やつぱり回答を待とうじやないかということで、皆が意見を一致しまして、そうして我々は四日の午後三時に最後会談ということを一旦お約束したけれども、どうか一つ明日の三時まで待つてくれということを中国側に申入れたところが、中国側も譲歩いたしまして、そはでは三時ではいかんが、明日の十時まで待ちましようということで十時まで待つたのです。そこで四日の晩に遂に日本から回答が参りました。その回答を検討した結果、日本側政府のこれに対するいわゆる不満の度合い、深さというもの、それから中国側のつまりこれに対する強行の度合い、それから起るところの混乱、いろいろなものを我々が大局的に判断いたしました結果、これは日本側としても、先ほど須藤委員も言われましたように、やはりこれは代表が帰つて来て事情がわかれば何も根本的に反対というのじやなかろうという、つまり先ほど申しましたように、その回答は日本政府としては、この三団体代表が乗ることに絶対反対であるというような意向が出ておれば我々も勿論考えた。ところがそういう文句一つもない。ただ三団体が乗ることは必ずしも必要とは思われない、こういう表現なんですね。そこで皆さんもう大体御判断を願えると思う。そこで我々はどう判断するか。この程度のつまり不満を持つて明日の場合に、飽くまでも我々は中国側に対してもう反対だという意思表示をするだけの、一体日本側にこれだけの決意があるかどうかということを判断したわけです。そうすると、まあまあこれはやはり日本側のそういう不満があるということはやつぱり伝えたほうがいい、やはり一応中国側にそれを言つてそれで臨もうじやないかということになつたのです。そして五日の最後会談がこういうことになつたのでありまして、我々は日本側のこの回答を最後まで待つて、そうしてそれを中国側意見を伝えて、そうしてできるだけのことはやつた、及ばずながらやつたというつもりは持つております。併しこの問題につきまして、日本政府がああ承諾した、もうそれで結構だという、つまり電報をもらうことは恐らくここは一月や半月待つてもむずかしいじやなかろうか、といつて、併しこれを決裂しても帰つて来いというほどの意向も一向にこれには出ていないのじやないかということをいろいろ勘案いたしまして、大局的にここは工藤さんが言われたように、大事の前の小事だ、これは日本に帰つて国会或いは政府皆様に十分御説明申上げれば納得頂けるのじやなかろうかというので、島津団長もこちらに電報がありましたように、責任を負うてこれをやるのだというような次第で実はやつた次第でございます。
  53. 常岡一郎

    ○常岡一郎君 有難うございました。あなたの御意見としてはよく了承いたしました。その問題は疑問が残つておりますが、将来に残つておる問題でありまして、御意見としてはよくわかりましたので有難うございました。ただ問題がそれが見事に行くときには実に立派なものです。そういうふうになるわけです。もう一つ関連しておりますので、お尋ね申上げますが、その場合に、その船長はただ迎えに行つて、ただ向うに上陸して斡旋するだけであるか、船内においては何ら責任がない、何らその行動も役目もないのかという問題ですね。若しそれで船長が全責任を持つて引受けてやるべきか、その三団体代表者が船長まで代表して行くという問題をはつきりしておかなければ問題だと思うのです。
  54. 畑中政春

    参考人畑中政春君) それは向うでの交渉範囲、又中国側の発言し得る範囲は領海内の話でございますね。これは領海を離れ、日本の領海に入つたことに中国側がとやかく言うあれはございません。結局領海内における三団体の性格なり、或いはいろいろな役目について話合つた向うにも要求があつた。領海を離れて、船内におけるいろいろな三団体の人が船長とどのような関係に立つかということは、これは日本の国内の問題です、その領海を離れれば。そこで昨日も実は十四日に乗る人たち援護庁との間に話がありまして、そうして乗る人は船長とこういう関係に立つて頂きたい、こうだ、こうだという、これは国内の問題としてここに処理されつつあるし、大体そこは相互の良識によつて処理されつつあると私は考える。
  55. 大谷瑩潤

    委員長大谷瑩潤君) ちよつと速記をとめて。    〔速記中止
  56. 大谷瑩潤

    委員長大谷瑩潤君) 速記を始めて。それでは高良先生一つ
  57. 高良とみ

    参考人高良とみ君) 御報告申上げます。遅くなりまして失礼いたしました。  今回の日本人在留邦人帰国援助するという中国政府発表が新華社発表で十二月一日にあつたわけで、それを聞いたのは、それを実際にやるのは紅十字社である、即ち日本から来る民間団体の人は紅十字社に来れば配船その他のことについて相談するということであつたので、あれによつて国家責任を民間三団体に委託したという形を発表したのだと思うのであります。併しこちらの受けますほうは、適当なる国家機関というのは、議会も人民の最良の代表ではないか、或いは適当な機関というのはどういうものを指すのかというような疑問が大分あつたと思うのですが、あちらに行つてみまして、やはりこれはもうすでによほど前から準備された方針であつて、国家と国家の間は戦争終結が行われていないで、いわば戦争継続の状態にある。その間においても人道的な立場に立つた居留民帰国ということは勿論自由だけれども、船の下足のためにできないから、紅十字会をしてその援護の仕事をせしめるというのが向うの国内の決定のようでありました。これを受けて立つものといたしましては、日本赤十字社がこれに対抗するものだということは次第に明らかになつたのであります。聞くところによりますると、これはモナコの国際赤十字社会議において、そこで日本側からの要請があり、それを向うも持帰つて国内問題として一年余り研究したものらしいのです。その頃から日本人の調査が進められまして、夏頃私が内務省に要求しましたときは、早速お答えすべきだけれども、全土広くて公安局を通して日本人がどのくらいかはつきりお答えできないが、いずれ調査したい、お知らせしたいという返事であつたのでございます。それが三万人前後という回答が出ましたのが私十月頃と聞いております。それからああいう国内の決定で赤十字社がこれをやるということになつて向うにおりまする日本人に対しましては、その後再登録の要請があり、写真を付けて出し、それから又改めて帰国申請書というものを出したようです。それを大体年内に片付けたようです。大体方針が立つておりますところへこちらから行つた。その結果、船舶問題が主であつて、その次は国籍法によつて調整する領事関係がありませんから、これは向うの公安局がとる態度としては、御承知の通りな国籍法によらない人道的な常識的な立場ということになり、こちらの日本側の様子は、殆んど新聞とラジオを通して向う政府も聞いておるし、在留同胞もみんな聞いておるわけです。これが又公安局などの人にもかなり伝わつておるようであります。そこでみんなから御説明になつたような、三回の予備会談と、四回の正式会談に入ります前に、日本側の主張する点は皆資料として向うに提出してありましたから了解済みのことで、その上に向うはどういうふうに赤十字社、紅十字会としての仕事をするかということを考慮して答えを持つて来たわけであります。その結果、コミユニケになつたわけでありますが、きつと日本におきましても、だんだんに御認識があると思いますが、重要な点は、民間団体同志でやる。その裏には向う中国国家がありまして、それは紅十字会を通し、公安局を通して、その横の連絡をとらせると共に、居留民を帰すために、費用その他も随分親切に見ておることは誰でも知つておるのであります。こちらも厚生省、或いは外務省その他を通して、国の責任において援護しつつやるということも了承の上です。今回行きました者の公用旅券もちやんと見ておりますし、どういう経過で、どういう人が来たということは、向うも万々承知の上でありまして、いわば了解の下における民間団体同志の接触ということなんです。併しいよいよ、その懇談しておられます領海内に入つて来るということになりますると、日本の領空内に入つて来る飛行機が問題であると同じく、やはりそれは国交回復せざる場合においては、想像もできないことだと向うが答えて来たのも尤もなことであつて、その点日本側としては少しく甘く見過ぎておると私ども思つたのであります。即ち向うは戦時体制である。そうして日本とは法律上の戦時状態であるのでしようが、日本側は自分のほうで現に戦争しておりませんから感じませんけれども向うとしてはその危険及び最近の漁船問題等における両方の沿岸の距離の違いをちやんと了承しておりますし、そこに日本政府の役人が入るということは、どういう名目の下にあつても、これは沿海の領海の安全及び秘密の保持ができないと思つたことはわかつておる。そんな関係から向うでも困つた結果、ああいう決定になり、三団体が上陸するのは、三団体と了承して向う名簿を受取つて、そうして船長に渡す。上陸できない船長に渡す、その仕事をしてもらいたいということを主張したのでありまして、経過については只今屡々御説明があり、又御質問にあつた通りであります。大体船内における世話ということは、初めは強調されていたようでありますが、要はその法的な上陸できない船長、船員、これは初めは中国側で、申請したならば適当に上陸せしめるかも知れないと言つておりましたのに、今度はそれができないという答えが来たのは、これは政府意向かと思います。公安局或いは中国の政治局方面の答えだと思います。船長が上陸できないということになると、誰が名簿を取りに行くか。みんな乗つて来る人が自由に船員として取りに行くわけにはいかない。窮余の策としてとるならば、三団体の人が上陸して来て船長に渡すという役目を依頼的にやつて来たと私は考えたのであります。勿論私ども代表団の中にもいろいろな意見がありましたし、その責任の限度、又代表する機関の限度があつたと思いますが、それは端的に申しますならば、中国の紅十字会側の人が、実は船長も上陸できると思つた、お前のほうにはそういう印象を与えたかも知れませんが、正式には言わなくとも、これはできないことになつたから、これはこれから相談して、三団体が来てここを手伝つてもらつて協定するばかりでなく、遂行までなし遂げようじやありませんかと相談して来るならば、こちらも内地との連絡のしようがあつたと思うのですが、それを呑み込んで時間の急迫などによつて向うがすべからくかくすることにお互いしようということで、署名して参つた、その間内地における政府当局と、又連絡事務所との意向も多少それに食い違いがあつたことを認めますが、これは平たく考えてみれば、やはり大したことではないのであつて、善意に解し信頼を持つて見まするならば、向うもそこのところがちよつと不便だからこうしようじやないかと言つて来たのに対して、こちらも私心なく、我々三団体がこれをなし遂げるのだというような自己意識なく、帰つて来る人に仕えるという意味で、その繋ぎをやることはよかろうと思いまして私も賛成したわけであります。勿論政府関係から行つた人の中には非常に困るという立場の人もありました。が、この点で、内地が余りにそのことに対して固執されることは、やはり将来の日中関係を阻害することになるのじやないか。即ち余りに国家権力に、そうしてその法令、指令、請訓というようなものを、今までのような外交の行き方でお考えになると、こういう特例であり、今まで世界の外交史においても余り例のない民間団体同志が人道的にやろうということに対して支障を来たすのではないかと心配いたすのであります。この点は向う側も、これは特殊な例であつて、我々はできるだけの範囲をやるので、そうして民間団体同志でやるのだから協力してやろうと言つて、特例である、歴史上からいつても特例ということでありましよう。その点は新らしい事例ということを認めて、国会がこれを御支持頂くならば非常に明るくなると思うのであります。
  58. 曾禰益

    ○曾祢益君 各代表のだんだんの御努力を聞きまして非常に敬意を表しておるところでありますが、やはりこの問題はいろいろ大きな問題を包蔵しおるので、第一には、先ほど千田君が挙げた過去の例、即ち二十四年でしたか、私も事情を詳細は知つておりませんが、少くともあの場合には日本政府代表が受取人として行つた、それから向う名簿を渡した、こういうまあ例もあつたわけです。その後の国際情勢の機微な折から、先方意見を変えたということもあり得ると思いますが、ただ戦争状態が法律的にあるからというような理由では、これは非常に理由は薄弱ではないか。その後のどういう事情で以て、あの場合には認めたけれども、今度は政府代表が行くことも認めない。更に又リストを出さない。二つに分けて考えなければいけませんが、この点の先ほどの畑中君の御説明によると、要するに中華人民共和国の成立前の時代とそのあとと違うのだ、なお詳細は加島さんからも聞いたわけでありますが、果してこの中華人民共和国成立ということとどういう関係において説明されたのか。それとも朝鮮動乱の政治的な意味合いで政府代表を入れないというようにしたのか。それも上陸の場合もあろうし、ただ乗船している場合もあろうし、上陸するのは工合が悪いのだけれども乗船ぐらいならいいというような相当細かいけじめを付けて考えられたかどうか。畑中君のお話によると、とにかく三団体の引取り援護或いは送り出し援護という意味もあるようですが、これも中国領海内の話です。一旦公海に出れば、当然日本船舶の中のことですから、一切の権限は船長にある。そういうことになると、非常に見方としては、中国側として重要視する点かも知れない。又日本から見ても、上陸が仮にできないとしても、船中の一切の世話を船長がやるのは当然である。我々がこれを政治的に支持するかしないかは別問題だ。憲法によつて国民が議会に代表を送り、その代表によつて作られた政府、憲法を守る意味において我々日本の正当の機関たる政府従つてそういうものをどうしても乗つけなかつたという理由をもう少し詳細に承わりたい。
  59. 加島敏雄

    参考人加島敏雄君) 先ほど私から申上げたと思うのですが、今度の帰国者援助に関する会談と、そういうような趣旨で一貫しておつたということでありますが、中国側最初から非常に強調しておつたことは、今度帰る日本人は要するに居留民である、決してこれは終戦後行われたいわゆる引揚げと根本的に違うのだということを初めから非常に明確にしておつたわけです。それで先ほど千田さんからの御質問にもありましたが、昭和二十四年、これは私の記憶に若し誤りがなければ九月の末だつたと思いますけれども、中華人民共和国成立の以前に、つまり中華人民共和国というものが成立したのは昭和二十四年の十月一日に正式に国家ができたわけでありまして、その直前に最後の大連からの引揚げがあつたというふうに了解しておるわけです。そのときのいわゆる名簿というものと、それから今度問題になつた名簿というものは根本的に違う。今度の名簿はこれは乗船者名簿である。併し当時のこれはいわゆる送還名簿である、というふうに私は理解しておるわけであります。この点は恐らくその資料は引揚援護庁のほうに保管してあるというふうに私は了解しておりますから、その名簿を是非御覧になつて頂けば、そこに明らかにいわゆる中国語でいう送還名簿、遣送という字が記されておるというふうに私は理解しております。従つてそれが同じ政府というふうなお話もありましたけれども、それは当時においては政府はなかつた、つまり中華民国だつた、そういう点非常に中国側は厳密に区別して今度の問題は処理しておるというふうなことが言えると思います。従つてそういう見地から、前にはこうやつた、併し今度はこうだというふうな点については、一応理論的な説明はつくんじやないかというふうに考えております。
  60. 畑中政春

    参考人畑中政春君) それから続いて曾祢委員の御質問の後段について私附け加えたいと思いますが、まあ乗船はして上陸はしなくてもいいという、いろいろもつと綾があつてもいいのじやないかという御意見もありましたが、これはやはり高良さんも言われたことと私どもも同感なんですが、行つて見て感ずることは、私たちが置いておる朝鮮事変というもののウエイトと、中国が置いておるウエイトというものとは非常な違いがあります。向うに行きますと、抗美援朝、アメリカに対抗し朝鮮を助けるということは国家を挙げての重大問題、そうして帰るときも私見ましたが負傷兵がずつと送られておる。そうしていわゆる出征家族を慰問する慰問隊があつちこつちの家族の前に現われておる、こういう状態でございまして、そうして出征家族の家には光栄軍属という、出征家族のためのマークでございますが、そういうものが随所にある。そうして実際中国ではこの朝鮮戦争というものに非常な大きなウエイトを置いておるわけです。それで高良さんも言われたように私たち中国と戦争していないのですが、中国では、北鮮を爆撃するところの飛行機は日本の領土から飛び立つて来ておる、この事実に非常に重大なつまり関心を持つておるわけです。その国から来る船、その国から来る人というものについては、これは特別な神経を使つておるということは、やはり行つて見ないと私たちには了解しにくいと思うのであります。従つて例えば、いわゆる法律的に戦時状態の継続だと、こういう状態だから、そう余りむずかしく言わないほうがいいのじやないかという面もありましよう。然るに例えばインドならインドと日本が講和条約を結ばない以前の戦時状態、法律的な戦時状態というものがありましたでしよう、その場合の状態と例えば今日中国日本との間にある法律的な戦時状態ということは非常に違いがある、少くとも中国にとつては。そういう状態を考えて見ませんと、つまり領海に入つて来る日本船舶に対してああいう規則を設け、そうして又船員の上陸はこれを認めない、三団体にこの際は一つ手伝つてもらいたいというような、誠に我我にとつては余り何だか固苦しいじやないかというような気分は、これは中国に行つて中国の人の実感、朝鮮事変に対する実感、そこから又そこに現われておるところの日中関係、これは曾祢委員は外交界の大権威であるから十分御承知だと思いますが、その辺はやはり我々が噛みしめて見なければ、今度のいわゆる問題が理解しにくいのじやないかというように私は感じて帰つておるわけでありますから、私も曾祢委員とは前から付合つておりまして、あなたの気持はよくわかるのですけれども、まあこれは向うを視察して来て、私は率直に感想を申上げればそういうように申上げるほかないと思います。
  61. 大谷瑩潤

    委員長大谷瑩潤君) 大分時間が過ぎましたので、皆さん簡単に……。
  62. 曾禰益

    ○曾祢益君 結局政治論になると思いますから、その点は承服しかねますけれども政府代表意見は、主として政府の責任問題ですから、政府との関係において私は追及したいと思つております。  そこで第二の点は名簿の点ですが成るほど加島さんがおつしやつたように、今度のは乗船名簿だ、それはその通りだと思います。併し乗船名簿だけで済まし得るのかどうか。これは中国側でも非常に準備してくれておつたと思うので、只今の高良さんのお話にもあつたように、これは希望者を募つて届出しておる。つまり希望者の、これは完全なものであるかどうかは別として、或る程度リストができておつてここに引取るのだという事態になつておる。日本側としては、政府にも一種のリストがあるらしいけれども国会のほうにはそのリストを見せておられませんのでわかりませんが、五万幾らという大きな数字のリストがあると称しておりますが、五万と三万の違いは別として、少くとも向うではこれだけの者が引取るについて帰国希望を申出たのだ。そういうリストがあつて、それを日本政府代表でなくても行かれた団体かたに示してもらつて、ここに誰が乗船するのかということが乗船名簿希望帰国であろうが、この点について議論はあると思うのです。議論はあると思うけれども中国側の言われた通りとしても、希望帰国者のリストというものはあり得るわけです。完備していなくても、これはこうだ。これは見せてはいけないという理由は何ら成立たない。このことと一船ごとに五千名ずつ乗る人の乗船名簿、これは確然と区別されなければならない。或いは更に希望を言うならば、そういう方々が現にどこにおられるかということも中国側にはわかつておる、これは繰返して申上げますが、はつきりしたリストを要求しなかつたかというやぼなことは我々申しておりません。併し少くとも現状における希望者のリストはこうだ。これはどうして見せてくれないのか。これは我々帰国を待つ国民の気持から言うならば、どうしてもわからない。これに対する代表団の知つておられる限りを、これは工藤さんからお話願いたい。
  63. 工藤忠夫

    参考人工藤忠夫君) この三万人の内訳に関しまして、私たちもこの内容を聞いてみたいと思いまして、資料といたしまして三万人の職業別内訳というようなものを聞いてみたのであります。我々の聞いておるところでは、政府機関、民間の機関、自由職業というようないろいろのものがおるるのでありますから、この方々の空気、或いはそのパーセンテージでも、いいから知らしてもらいたい、こういうことによつてたちは三万人の実態を知ろうと思つて、こういうことを申入れたのであります。それから第二に、在留民の分布状態、どこに何人くらいおるということを地区別に一つ示してもらいたいということも申入れたのでありますが、先方が、これは帰国の問題とは全然異なり、帰国の問題の範囲外であるから、何らお答えはできないという非常に強い回答であつたのでありまして、それ以上聞くことができなかつたのであります。こういう工合で、この三万人の内訳或いは計算の根拠については、先方は回答を拒否したのでありますが、我々としては何とかして聞きたいと努力したのでありますけれども中国側の回答はそういうような工合で、甚だ残念でありますけれども、その実態がつかめなかつたということを御報告申上げておきます。
  64. 曾禰益

    ○曾祢益君 非常にその点は私は残念であり、不可解であると思うのですが、いわゆる三団体代表が上陸されてなさる仕事というものは、いわゆる乗船者名簿を作る、或いは作ることを手伝う、こういうことのようですが、これは先ほど委員からも御発言があつたように、そういう上陸者の名簿を或いは個々の表を作るくらいなことならばこれはとつくにできていなければならん、集つた所の、集結地で出させればいいのでありまして、一部なら、二部出して一部渡せばそれだけで一応仕事はできる。若し三団体代表が上陸して手伝うのだというのだとすると、そういうお手伝いのために一体、それからそういう仕事を始めるのだつたら非常な時間がかかる、時間がかかつたらとんでもないことになるので、そうなると非常に多人数の三団体代表でも繰出さなければならんのか。それとも極く一名か二名ずつくらいの代表が上陸してやられるのか。そこらあたりのことについては、一体コミユニケの問題、協定の問題を離れているか、或いは中に入るか知れませんけれども、どういう打合せであつたのか。そ点は工藤さんからお聞きしたいと思います。
  65. 工藤忠夫

    参考人工藤忠夫君) 決して日本側に全部をやらせるというような趣旨でもなかつたようであります。中国紅十字会の港の分会ができるだけお世話をする、それから外輪公司というまあ外郭団体でありますが、政府の外郭団体らしいのですが、船舶関係の仕事をやつている者、それが手伝う。併し以上、先ほど畑中さんから言つたような公的な態度をとつておりますから、どうしても日本団体行つて世話をしなければならんが、そんなにたくさん来なくてもいいという立場をとつておりまして、各団体から一人ずつ来てもらつた、こういう趣旨であります。そういうわけで三団体から一人ずつ、三人各船について行く、こういつたコミユニケになつております。
  66. 曾禰益

    ○曾祢益君 質問じやありませんが、質問を終りますけれども、この問題については、今度は政府当局を呼んで聞きたいこともたくさんありますから、是非お願いしたいと思います。
  67. 千田正

    千田正君 曾祢さんのに関連して、今加島さんのお答えの中に、昭和二十四年の九月の日本人の送還は、これはまだ中華人民共和国政府が成立しない前であるから送還である。今度の場合のはいわゆる帰国という意味の別の待遇で中共政府一つの好意のある日本に対する現われである。これは了承しますが、ただここに重大な問題が一つあるのは、これを明確にしておきたいのは、然らば中華人民共和国は、日本が敗戦と同時にポツダム宣言を受諾した、ポツダム宣言の条項の中に日本は戦争を終結して、そうして戦争に参加した者、或いは海外の敵対地と称せられるところの相手国におつた人たちが直ちに自分の国に帰国して平和なる産業に従事するというふうなことがポツダム宣言の条項の中に入つておるのです。そうなるというと、今の中華人民共和国政府は、当時はいわゆる蒋介石の政権であるから我々はポツダム宣言の受諾なんということは知らん、これは日本人が勝手に受諾して、そうして当時の蒋介石政権との間にそういうことをやつたのだろう、こういうふうに向うはお考えになつておられるのでありますものですかどうですか。この点は非常に重大な問題であると思います。  この点は平野代表からお伺いしてもよろしうございますし、工藤代表、或いはおのおのの観点が違うかも知れませんが、これは日本国民にとつて重大な問題でありますから、お答え願いたい、向うでお感じになつたままを。ポツダム宣言の受諾というのは、日本国民にとつて有史以来の問題である。而もこれに参加しておる国はアメリカ或いはイギリス、中華民国或いはソヴイエトロシア、これには或いは今の中共政府は何ら参加しておらないから、このポツダム宣言に対する条項に関しては、何ら関知するところなしと、こういう立場で現在の問題が行われておるかどうか。この点を明確にお感じがありましたら一つ聞かして頂きたい。
  68. 平野義太郎

    参考人平野義太郎君) ちよつと私から申上げますと、別にこういうことを直接会談内容として話が出たわけではありませんけれども、ずつと今までの経過から申せば、中華人民共和国というものは、ポツダム宣言というものを基準にしてすべて考えておりますから、今のような問題については、日本人日本へ帰つて、平和な生活を営むことができるという条項に基いてむしろ援助して、できるだけ早く帰すということにきまつたわけであります。今の中国のほうは、むしろ問題とされておるポツダム宣言を基準として考えておるというふうに見てよろしかろうと思います。
  69. 千田正

    千田正君 そうすると、今までの、今日まで日本帰国できなかつたということは、要するにお互いの人民同志の交りが十分できなかつた、そういう支障のために、日本へ送ることができなかつた、こういうまあ向うとしてはお考えのわけですか。
  70. 平野義太郎

    参考人平野義太郎君) その点は一応感じたことは、やはり自分で考えて敗戦……何しろ三万人の人だから集団的にかためて天津まで来て、そうしてこちらから船が行つて五千人分というような手続までの細かい打合せがないとなかなかうまく行かなかつたということです。
  71. 堂森芳夫

    堂森芳夫君 最初からのお話を承わつておりますと、今度の引揚げは希望によつて帰国するという、こういうことでございますから、逆に申します。と、従つて残る人もある、こういうことでございますから、こういうような残る方々の人数がどれくらいあるか。或いはそうした残る人たち名簿というものを御覧になつたようなことがあるだろうか。若しおわかりでございましたら高良さんでも結構でございますから……。
  72. 高良とみ

    参考人高良とみ君) 私からお答えいたしましよう。残る人の数については質問をいたしたことがあります。つまり残留希望と書いて出した人の数を聞いたのでございますが、私どもが帰りますまでには、まだ奥地のほうなどからその資料がまだ公安局を通して完全に揃つていなかつたのが実態であると私は察しました。なぜならば、邦人からもらいます手紙は或る地区では早くつまり帰国申請を出して締め切つてしまつた所もある。北京などでは帰国申請を出したけれども、その末端機関が、なお上から日本代表が来て決定しないのだから、返すといつて突返したというので失望して、私は何か悪いところがあるのではないかということを聞いたのですが、その官僚に言わせれば、まだ命令しない、日本人が来たばかりじやないかと、こういう解釈であつたように思うのであります。従つて残留希望というのは、もう各地の日本人のグループから来た手紙やその報告によりましてですね、かなりあるのです。まあ例えば六十人のうち四十人帰つて、二十人残るということもあります。それからどういう種類の人たちが残るかということは、一番明らかに分類できるのは、中国人と結婚しておる、ここを墳墓の地と考えている人たちであります。男女ともでありますが、特に婦人のほうが多いようであります。大連などには特に多いようであります。東北にも多いようであります。北京にもあります。それから学校の教育の上で残るというのが大分ありまして折角高等学校までき行、ここで無料で勉強ができるんだから、ここで勉強して行きたいが、それは日本に帰れと言わないかといつて相談を受けた。それから奥地のほうで黒龍江、それからチチハルなどで、土地をもらつて開拓をやつておる。相当機械化したものでやつております。それから上海の郊外でありますが、相当な農園をもらつて果樹、豚などをやつておる。これは日本に帰つたらこれだけの大きい土地をもらえないだろうということを考慮して残留する。又上海では農園をみずからやつておる。紡績の技師長とし、或いは民営事業をやつておる人たちは、上海には相当残る人が多いのではなかろうか。そんな種類であります。又帰れないのかと心配いたしました中国人に嫁した未亡人で子供たち中国籍になつておるという人たちがあつた日本人の二十歳以下の未婚の子という点で、連れて帰つて来ることの許可が漸く出たのであります。それまでは親子別々になることはできないということがあつた。そういうふうにこちらの要望が通つたこともあります。
  73. 工藤忠夫

    参考人工藤忠夫君) ちよつと残留者のことについて。この残留者につきましては、やはり特殊の状況にある人は残る人があるのではないかと思いますが、こういうものも将来希望……帰国希望を表示すれば、中国では援助すると、旅費も出すと、その各場合について三団体交渉して援助して帰すということは言つております。そういうわけで多少残留者があるということはありますのです。そしてその名簿なんかにつきましては、大体通信の自由を与えておりますから、大体わかるんじやないかと思つておるのですが。
  74. 堂森芳夫

    堂森芳夫君 大分前でございましたが、はつきり記憶しておりませんが、技術者は帰れないのではなかろうかという記事があつたと思います。それから数日前だつたと思うのですが、技術者は残るのじやないかというような記事も見たことがあります。これは正確ではございません。併しそういう事実内容だけは覚えております。近くそういうふうになると、こういうふうな記事を見たのですが、技術者は帰れない人が相当あるという事実はございましようか。御承知でございましたらお答え願いたいと思います。
  75. 高良とみ

    参考人高良とみ君) 私がそんなことを放送したようなことが伝わつているそうですが、あれは香港の実情から言いますと、国際、而も反共通信機関の作文であつたらしいということを総領事館で聞きまして、私ども到着する前に発送はもう済んでおつたということでこちらに来ているそうでありますが、技術者が残るということは、私どもは少しもそういう印象は受けませんでした。まあ向う機関で働いている人たちは必ず何かの技術者であります。皆技術者であります。技術者というのは工場にもおりますし、或いは医者なども立派な技術者であつて、皆帰すという約束を受けていますし、又そういう意味で分類はしておらないと私は了承いたしております。
  76. 工藤忠夫

    参考人工藤忠夫君) 技術者につきまして、私個人の印象では、中国の科学の進歩ですね。経済再建に引次ぎまして、工業力の発展ということに非常に力を注いでおりまして、その技術的な知識と技術というものの勉強ですね、そういうものに対しましては、今向ソ一辺倒と申しますか、そういう方面に向つて国民に対して非常に宣伝しております。そして私たちが、ホテルにおりました関係から見ましても、ソ連の人が非常にたくさん来ておりますし、それから広東でホテルに泊りましたけれども、そこには部屋の番号、それから注意書はロシア語と英語で書いてあるというような工合で、至る所にソ連の技師が来ているという印象を受けるのであります。それから又ポスターその他につきましても、画で以てソ連の技術者が農業の技術を与えている、工業の技術を与えると無数に書いてありまして、ソ連の技術中国全体に普及しつつあります。政府も又それを非常に奨励しております。他方、日本技術者はどうかと申しますと、十年以上前の技術を持ちまして、それ以上余り進んでいない。そういうわけで技術が遅れているので、中国で新たに学習をしている技術者もあるというようなことを聞いておりますから、最近中国人民政府の成立以後、日本人技術者の必要は、終戦直後に比して非常に減つたのじやないかという印象を持つております。そういう関係から申しましても、多少は残る人もあるかも知れませんが、全体としては技術者だけが残るということはないような印象を受けております。私の個人の印象でございますが。
  77. 堂森芳夫

    堂森芳夫君 私、聞いている話でございますが、日本人帰国発表された後、中国におられる日本人技術家が急に転任を命ぜられた。そして奥地に行かれたというようなことを聞いたことがあるのですが、そういうことを向うでお聞きになつたことがございましようか。それは高良さんでも工藤さんでもいい。それからもう一点畑中さんにお聞きしたいのですが、日本の船が向うの港へ入港するときには、非常な厳重な規則があるそうです。そういうような厳重な規則というのは、日本の船だけでございますか。或いは一般の第三国の船も同様のことでございましようか。その点お話を伺いたい。もう一点は、日本の船ですね、それが向うの港に入るときに、何でも中国の国旗を持つて入航したというふうに私は聞いたのでございますが、そのようなことでございましたのでしようか。或いは向う日本の国旗を立て船が入港することはいかんというようなことがあつたのでございましようか。その点一つお伺いしておきたいと思うのです。
  78. 高良とみ

    参考人高良とみ君) 奥地に移動した人の話は、まあ特殊な例のことは新聞で知りました。それからそのほか北京や、ほかにいる人も最近非常に移動が多いのです。併しそれは帰れないということにはなつていないと私は了解いたします。それで突如として出張命令があつて動くことは常にあることでありまして、その代り一週間も十日も帰れないと思つてつたところが、用が済んだらすぐ帰つて来たという例がある。ですから、これは移動を命ぜられたから、これは意地悪るで帰れないというふうに言われるのは、やはり神経過敏だというふうに私は了解し、又その例を幾つか見ておるわけであります。ただこういう例もあります。例えば黒龍江省などの奥地で伐採している中国人に雇われている日本人がありまして、そして一月早々に六カ月の予定で奥地へ行つてしまつて日本人が来たことも知らないし、帰れることもはつきり知らないで行つてしまつた。こういう人は雪が解けて帰つて来る頃にはもう船が出てしまつたあとではないかといつて親が心配して寄越したのがありましたが、それは七月頃まで行きますし、それから今後帰りたいとか、又今帰れない人はいつでも心が変つたならば申出て来れば、その地方の公安局へ申出るならば、決して帰りそこねるということはないということを確言を得ておる次第であります。
  79. 畑中政春

    参考人畑中政春君) お答えいたします。今度のこの日本船舶に関する規則は、規則内容にも書いてありますように、今度の日本のつまり帰国を扱うこの船に作つた規則で特殊な規則です。その点一つ御了承を願いたい。それから入つて来て中国の国旗を掲げろということになつておるが、これは国際慣例だと思います。これは我々はよく知りませんが大阪商船の支店次長の中村さんにこの意見を聞いているのです。実際私たち率直に言つて、そういうことを知らなかつた。ところが中村さんがおつしやるのには、これは国際慣例だと、船の上では、ということでありました。それで私たちはそういういわゆる専門家の御意見を十分あれをしまして、そのように了承をしております。
  80. 平野義太郎

    参考人平野義太郎君) ちよつと私先ほどの奥地移動の問題、香港あたりで取沙汰されておつたのは、蘭州、天水間に鉄道が新らしく敷設しかかつておるので行つた人は帰れないという話があつたが、あちらで確めたところによると、もうすでに上海の方面へ集結するために蘭州、天水間の鉄道に従事する鉄道関係者が現場を離れているということでありました。もう一つ、国旗の問題は、昨年の十二月に貿易関係における日本船舶協定がされております。領海内に入つたならば日本船においては掲げて欲しいということが。これは国交関係がまだできていないということであつたが、これは悶着が起ることがある、写真を写したとか、或いはレーダーでキヤツチしたとか。いろいろそういう場合のことが起らないように特に明確にしたわけであろうと思います。
  81. 堂森芳夫

    堂森芳夫君 私いろいろお尋ねしましたが、お尋ねしましたことは、皆内地におる留守家族の方々が知りたがつておるので私がお尋ねしたわけでありまして、ほかには他意はございません。いろいろお尋ねして有難うございました。
  82. 藤原道子

    ○藤原道子君 どうも御苦労様でございました。私もいろいろと御質問を申上げたいと思つておりましたが、お帰りになりました夜飛行場へ参りまして皆様のもみくちやになつた姿を見まして、それを今日朝から皆様衆議院、そして又こちらで、六時の会合であるにもかかわらず、時間ぎりぎりまでいろいろお話を伺いましたので誠に有難うございました。御苦労のほどは十分にわかるのであります。私はこの際たつた一言だけお伺いしたいのでございますが、先ほど来の御質問にいたしましても、結局、日本中国との関係を先ず考えてみたいと思うのでございます。結局降伏後中国相手にしないで講和条約を、それは台湾政府とは結んだけれども中国とはそのままになつておる。日本の国内の新聞は事ごとに敵性国家という言葉を使つておる。こういう実情の下においでになつて、そうしてこの困難な仕事をなし遂げてお帰りになつた皆様が、現地において随分と国内事情等も併せ考えながら御苦労であつたことと私はよく了解いたすわけでございます。日本政府が三団体代表を認めないというようなときにも、当委員会におきましては政府を呼び出しまして、若し三団体乗船できないということによつて混乱が起き、妥結が延びた場合に、帰国する人を待つ家族人たちのことは一体どうなるか、三団体を送ることの危惧よりも、むしろ私たちはその点を恐れると、だからこの際お互いに信ずるという立場から乗船させるべきであるということを私は発言いたした一人でございまして、これについては私、皆様方が現地で適宜な措置をされましたことについては、むしろ私は本当によくやつて下すつたと言いたいくらいでございます。ただここまで参りました以上は、もう取極はできたのでございますから、これを如何にスムーズに運ぶか、そして停滞なく帰国される方をお迎えできるかというところに私たちは重点を置くべきである、かように考えておるものでございます。そこでもう時間もあと一分でございますので、ただ私心配いたしますのは今度の乗船の乗組員の点でございますが、過日白山丸を視察いたしまして今夜夜行で舞鶴へ参りまして、そして受入態勢を視察することになつておるのでございますが、帰る人たちには相当女子供が多いというふうに伺つております。ところが乗組員の中に看護婦長及び看護婦さんを混ぜまして七人しか女は乗つていない。それではお世話に対して非常に手が廻りかねるのではないかというふうに考えられて、そのことは当局へ要望しておきましたが、その結果はまだわかつておりません。ただ帰る女の人、子供たちの状態はどうなんでございましようか。病人も相当あるというふうに聞いておりますけれども、それらの点についてちよつとお伺いをしたい。他のいろいろな点は又の機会に伺わせて頂くことにいたしまして、この点ちよつと伺わせて頂きたい。
  83. 工藤忠夫

    参考人工藤忠夫君) 私からちよつと、病人は結核の患者が相当おるようです。そして入院しておる。が、帰つて長期療養を要するが、自分は金もない自信もないので何とかしてもらえないかという手紙を私は受取つておりますが、そういうような工合で長期療養を要する病気の人が相当数いるのではないかと思つております。これらは電報によりまして、国立病院に対して、赤十字病院に対してとにかく受入態勢をよく整えてもらいたいというように申入れております。それから又中国側に対しても、船内において特別の療養室に入れる人はあらかじめ知らせてもらいたいということを申入れておりますから、何とか便宜を図つてくれるのではないかと思つております。それから子供のことですが、私は日本人の子供を現実に中国で見ておりませんけれども北京で経営されております去年でしたか、カトリツクの孤児院を接収いたしまして経営しております孤児院を見たのでありますけれども、いろいろ科学的に子供の栄養ということも研究いたしまして、食糧の点については十分注意をしておるように見えました。それから又実際問題におきましても、日本よりは中国のほうが食糧は豊富のように見えます。これは私の実感でありますから、大体心配ないのじやないかと思つております。
  84. 千田正

    千田正君 最後お願いがあるのですが、この委員会は御承知の通り援護対策の委員会でありますので、今日皆さんが非常に御苦労なすつてお帰りになつたことに対して我々も又勝手な質問をいたした点もありますが、特にお願いしたいのは、今度乗船されるのは皆さま方の代表の方々であります。それで先ほども平野代表もおつしやつたように、帰られる方々が先ず一番心配されるのは、帰つてから一体職があるのか、こういうことが非常な我々の重大なる、これもこの委員会を持つ意味でありますので、名簿を或いは作成され、或いはそれを点検される際に、帰国者の方々が一体何職業を希望するかという面をはつきり書入れさして頂いて、我々の対策の資料にもいたしたいし、又皆さんの御協力を得たいと思いますので、この点を特にお願いしておきます。
  85. 藤原道子

    ○藤原道子君 ついでに、この点に関連いたしまして、どうぞ私特に三団体代表の皆さまにお願い申上げたいのでございますが、この三団体代表が今度船に乗るということに対しましては非常な関心を払い、又或る方面では非常に心配し、反対の空気もあるわけなんであります。従つて今度第一船にお乗りになる皆さま方のその行動は非常に重大だと存じますので、どうか世間の期待に、我々の期待に反しないように、どうぞ十分にお仕事を達成して来て下さるように、特に皆様からお願いして頂きたいということをこの際お願い申上げておきます。
  86. 大谷瑩潤

    委員長大谷瑩潤君) 今日はお疲れのところを長時間に亙りましていろいろお話を頂きましたことにつきまして厚くお礼申上げます。我々、三万人のこの留守家族の方々と共に、今度の困難なるお仕事を達成して頂きました点に対しましても厚くお礼を申上げる次第でございまするが、これが延いては両国の国交の回復ともなり、且つ又貿易の促進ともなりますれば、非常に私は将来に明るい気持を持ち得るのではないかと、こういうようなことを考えておるような次第でございます。どうぞ皆さま方お疲れの出ませんように十分御加養願いまして、この上ともに引揚げの問題に関しましてはよろしく御尽力をお願い申上げたいと存じます。  先に藤原先生のおつしやつた看護婦、保姆の問題、それから十六ミリの映画の問題、これをいろいろ交渉しましたけれども、実は人選も急に行かないし、又看護婦以外にそういう船に慣れた人というものを見出だすに急に行かないというような事情だから、第一船だけは甚だ遺憾ですけれども一つ……、こういう返事がありました。十六ミリのほうも設備万端がちよつと間に合わないので、第一船だけはどうか御勘弁を願いたい、こういうことでございます。  では、これで散会いたします。    午後六時四分散会