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1953-03-05 第15回国会 参議院 決算委員会決算審査に関する小委員会 第2号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十八年三月五日(木曜日)    午後二時一分開会   —————————————     委員の異動 三月三日決算委員長において栗山良夫 君を委員に指名した。   —————————————  出席者は左の通り。    委員長     谷口弥三郎君    委員            瀧井治三郎君            宮本 邦彦君            飯島連次郎君            加賀  操君            カニエ邦彦君            村尾 重雄君            岩男 仁藏君   事務局側    常任委員会専門    員       森 莊三郎君    常任委員会専門    員       波江野 繁君   証人    広島海上保安本    部管理課長   鐘築 壽隆君    海上保安庁経理    補給部長    (元第六管区海    上保安本部長) 吉田日出男君    呉警察署刑事部    長       森田 一巳君    呉警察署刑事  堀部 克之君   —————————————   本日の会議に付した事件昭和二十五年度一般会計歳入歳出決  算(内閣提出) ○昭和二十五年度特別会計歳入歳出決  算(内閣提出) ○昭和二十五年度政府関係機関収入支  出決算内閣提出)  (第六管区海上保安本部経理に関す  る件)  (右件に関し証人証言あり)   —————————————
  2. 谷口弥三郎

    委員長谷口弥三郎君) それでは只今から決算審査に関する小委員会を開会いたします。  本日は海上保安庁第六管区海上保安本部経理に関しまして証人出席を求め、慎重審議することにいたした次第でございます。本小委員会におきましては、証人の喚問を必要といたしました趣旨は、第六管区海上保安庁保安本部経理に関しましては種々の不当事項が見受られるのでありますが、これらのうちには架空経理を伴う事項なども含まれておるかに見られるのでありまして、当然会計検査院検査報告に指摘されねばならん性質のものと考えられますが、只今のところ検査院からは指摘されておらないのであります。従いまして本小委員会本件事情を慎重に審議いたしまして、いわゆる不当経理事件会計検査院検査との関係などにつきましても何らかの方針を定める必要があるものと認めた次第であります。  初めに皆さんにお諮りいたしたいことがございます。本日証人として出頭を求めておりました呉市警察署長久城革自君より目下急性腎臓炎のために先月二十六日から呉共済病院に入院加療中のため出頭できない旨の診断書を附して届けて参つておるのでございます。久城証人の欠席を承認してもよろしうございますか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 谷口弥三郎

    委員長谷口弥三郎君) つきましては久城証人より代理として呉警察署経理部長森田一巳、同じく刑事堀部克之両君を本日本院に出頭させておりますが、如何取計らつたらよろしうございますか。
  4. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 署長が止むを得ない病気のために出席ができないので、これはいたし方ないといたしまして、只今小委員長のほうから御報告になりました二名を直ちに証人手続をして、そしてその二名から聞くように諮られたい、かように思います。一応お諮り願いたいと思います。
  5. 谷口弥三郎

    委員長谷口弥三郎君) それでは呉警察署刑事部長森田一巳、同じく刑事掘部克之両君を改めてここに証人として証言を求めることに御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  6. 谷口弥三郎

    委員長谷口弥三郎君) それではさよう決定いたします。ちよつと速記をとめて下さい。    〔速記中止
  7. 谷口弥三郎

    委員長谷口弥三郎君) 速記を始めて下さい。それではさよう決定いたしまして、両君証人として証言を求めることにいたします。  委員及び森田一巳堀部克之吉田日出男鐘築壽隆の四君に申上げます。証人手続が完了いたしましたので、便宜証人としてのお取扱をいたしたいと存じますが、さよう御了承願います。証人の方に御証言を願う前に議院における証人宣誓及び証言等に関する法律第二条によりまして宣誓をして頂かなければなりませんが、宣誓に入ります前に証人に念のため申上げておきます。これから宣誓を行なつて証言をして頂くのでありますが、若し虚偽の証言を陳述したときは議院における証人宣誓及び証言等に関する法律第六条によりまして三カ月以上十年以下の懲役に処する罰則があります。又正当の理由なくして宣誓若しくは証言を拒んだときは、同法第七条によりまして一年以下の禁錮又は一万円以下の罰金に処せられることになつております。但し、同法第四条により民事訴訟法第二百八十条及び第二百八十一条の規定に該当する場合に限り、宣誓又は証言を拒むことができます。以上であります。  なお、議院における証人宣誓及び証言等に関する法律により、証人公務員である場合又は公務員であつた場合、その者が知り得た事実について、本人又は当該公務所から職務上の秘密に関するものであることを申立てたときは、当該公務所又はその監督庁の承認がなければ、委員会証言を求めることができないことになつておりますから一言申上げておきます。  それでは証人のかたがたに順次御宣誓を求めます。総員起立を求めます。証人宣誓書を御朗読を願います。    〔総員起立証人は次のように宣誓を行なつた〕    宣誓書   良心従つて真実を述べ、何事もかくさず、又、何事もつけ加えないことを誓います。         証人 鐘築 壽隆    宣誓書   良心従つて真実を述べ、何事もかくさず、又、何事もつけ加えないことを誓います。         証人 吉田日出男    宣誓書   良心従つて真実を述べ、何事もかくさず、又、何事もつけ加えないことを誓います。         証人 堀部 克之    宣誓書   良心従つて真実を述べ、何事もかくさず、又、何事もつけ加えないことを誓います。         証人 森田 一巳
  8. 谷口弥三郎

    委員長谷口弥三郎君) 宣誓書に御署名捺印をお願いいたします。  なおついでに証人の方に御注意申上げておきますが、証人の御発言はその証言を求められた範囲を越してはならないことになつておりますから、申添えておきます。  それではこれから議事に入ります。それでは堀部さん、森田さんそのままにお残りになつて鐘築さんと吉田さんのお二人は暫らくあちらでお控えを願います。  それでは刑事部長森田一巳さんから先ず……。
  9. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 本件については呉警察署署長以下各員が非常な努力をされて、そうしてこの不正事件に対して捜査をされて来たやに承わつております。ついてはこの捜査の今日までの経過、そうして特に証人のほうでお気付になつた点を一通り只今頂きました資料に基いて御説明を願いたいと思います。そこで証人のほうにも一応この資料をお渡し願つて資料に基いて順次一つ説明をして頂きたいと、かように思います。然る後に我々委員側として御質問を申上げ、そして証言をして頂きたい、かように思います。
  10. 谷口弥三郎

    委員長谷口弥三郎君) それでは先ず最初に刑事部長森田一巳さんから一つお話を願います。
  11. 森田一巳

    証人森田一巳君) 私は只今宣誓いたしました呉警察署刑事部長をしておりますところの森田一巳でございます。本件捜査担当いたしましたことによりまして、本日この席上に証言のために招かれまして伺つたのでございますが、私その捜査に当りましてメモ的なことをして参りまして、それをまとめたものもございますし、それによりましてお話さして頂きたいと思います。只今の御発言がございましたように、先ずこの第六管区海上保安本部呉海上保安訓練所汚職事件の発覚の端緒でございますが、これは昭和二十七年の五月の十三日であります。所轄管内に呉市岩方通四丁目丸菱産業株式会社社長厚井憲策という者ほか四名を横領事件被疑者として呉警察署が検挙いたしました。これを取調中同社から押収した帳簿の上に久間組より昭和二十六年の七月以降からスクラツプ類約八十万円くらいを購入した事実を発見いたしました。これにつきまして相当不審な点がたくさんありましたことを呉警察署長久城革自の指揮によりまして追及取調べせよという御命令がありまして、これを受けまして海上保安訓練所構内中国財務局呉出張所所有の元海軍弾薬試験庫使つてつたタンク一基を財務局から田中興業株式会社が約四十八万円余りで落札いたしましたものを広島己斐中町八大産業株式会社会長村松道司なるものが画策をしまして、訓練所構内田中興業が入つて事業をすることが自分らの目的を果すのに大きな支障があると考えまして、この権利を久間が買取つて譲受けるようその資金として五十五万円で、形式的には丸菱に買取つてもらいたいということで、その実質は五十五万円を出資せしめました。その代償といたしまして同訓練所内から発掘いたしました金属類丸菱が買受けることを契約いたしました。ここにおいて八大産業会社会長である村松道司、当時同訓練所雑役夫として出入りしておりましたところの久間組という組の久間貢というものに、訓練所総務課長五十嵐斉介や或いはその部下の係長である風呂内美登などを紹介いたしまして、顔見知りになつた点を考慮いたしまして、前記タンク一基払下に関連して必ず不正行為があるものと認められるに至りましたので、丸菱産業久間組から買受けましたスクラツプについて調査いたしましたところ、久間貢人夫吉川信雄ほか四名、運送業土井傳などと相談いたしまして、丸菱に売却したタンク解体品のほか訓練所構内に出入りすることを利用いたしまして、同所構内管財所有にかかりますところの金属類を盗んでおつたことがわかつたので、本年六月二十四日、二十五日の両日に亘りまして久間貢土井傳の両名を窃盗罪被疑者として逮捕、取調べました結果、事件八大産業とその共犯関係並びに八大産業対第六管区海上保安本部との贈収賄事件が発覚いたしまして、引続き関係被疑者を次々と逮捕いたしまして取調ベましたところ、その自供に基きまして、お手許にあります通り図解のような汚職事件がいもづる式に次次と発覚したのであります。こういうふうな経過によりまして、本事件は起きたのでございますが、我々はこの捜査に当りまして、被疑者が三十九名ございまして、身柄を拘束した者がそのうちの三十二名で、任意捜査が差引七名でありまして、参考人としては延三百五十名からなるところの人を参考人として取調ベましたのでございます。その結果、昭和二十五年から昭和二十七年の四月頃までの間に、海上保安訓練所構内スクラツプ類窃盗事件、二つには油絵詐欺事件、三つには徳山警備救難所スクラツプ、又は鯛尾倉庫スクラツプ類横領事件、四には、木戸武二三という六管の補給課長ほか二名にかかるところの贈収賄並びに詐欺事件、こういうことが次々と検挙の段階に至りまして、なおそのほかにも我々が捜査中の未着手事件が十四件もそれ以外にありますというような状況にありまして、その未着手事件なども、空輸送とか、空購入とか、又は空工事というふうな状態で、総計の額が二千百五十四万円に達する巨額な国家の大切な国費を、詐欺横領や、贈収賄などの犯罪を犯して濫費したという真相、又は未着手事件によるところの犯罪の見通しがついたのであります。ここにおきまして私どもは呉警察署長久城革自……、この当時呉市並びに広島方面地方的市民感情、又はいろいろな部外者の部面から警察は、この事件をどう思うか、徹底的に究明してやるのか、やるべきものじやないか、こういうふうな激励の言葉もありました。もとより私たちも国民の血税をしぼつて、尊い税金を納めた国民市民に対しまして、我々の警察官としての使命は、この事件真相を究明し、この実態を把握いたしまして、我々がやらねばならんところの任務を遂行するのが、これが我々の職務であるということを、いずれも担当に当つた刑事諸公と固く手を握り、署長命令一下のもと、懸命なる捜査を遂行したのでありますが、丁度その途中におきまして、或る弾圧と申しますか、非常に捜査が困難を来たすような状況になりまして、現在捜査は続行すべき状態にはありますが、一時停頓しなければ止むを得ないというような状況になりまして、私どもこれについて非常に遺憾とも思つておるのでありますが、この犯罪事実の個々の点に亘りましたところの詳細の詳しいことは、直接終始熱心に捜査に当つてくれました堀部刑事がよく詳細を知つておりますし、そのほうからお聞き下さいましたならば、如何にこの海上保安庁乱脈振りが大きくて、どういう真相であるかということがよくおわかりできるような説明ができるだろうと思います。
  12. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 只今説明で、大体大ざつぱな輪郭というものがわかつたわけですが、なおこの表に基いて個々事件について一つ担当の衝に当たられた堀部君のほうから御証言を願いたいと思います。なお只今証人発言中にも、もう一つおかしいと思われる点もありますが、併しこれは後ほどにいたしまして、とにかく事件の具体的なもの、それから捜査過程において被疑者等行動等についても一つ詳しく堀部君から御説明を願いたいと思います。
  13. 谷口弥三郎

    委員長谷口弥三郎君) それでは堀部刑事個々について一つ詳細に御説明を願います。
  14. 堀部克之

    証人堀部克之君) お手許に提出いたしました薄いぼうと、厚いほうなんですが、説明いたしまするのにつきまして、薄いほうは個々のものを簡単にわかりやすくまとめた図解でありまして、厚いほうは調べた都度検察庁へ送致した写しを附けておるのであります。それで一応説明するのにわかりやすいために、薄いほうの図解を以て説明いたします。  先ず一の呉海上保安訓練所構内スクラツプ窃盗事件という図解でありますが、これについて説明いたします。事件昭和二十六年の九月二十日頃から昭和二十七年の二月十五日までの間におきまして行われたものであります。場所は、呉の現在海上保安訓練所構内で、元潜水艦学校があつたところなのであります。そこにありましたところの排水管とか、沈錘、ケーブル線、こういうものが管財の保管にあつたわけであります。その構内久間貢という清掃請負人夫でありますが、これが清掃作業を一手に引受けてやつてつたのであります。それにつきまして久間貢と、それから八大産業株式会社というのが、広島己斐中町にあつたのでありますが、それの会長村松通司社長岩田幸雄、常務の本多正夫、こういう人間と、それから土井傳と言いまして吉浦自動車運転手をしているのでありまして、古物の自動車を持つておるのであります。この三者が共謀いたしまして、前後十回くらいに亘りまして合計約三十一トン四百五十五、時価で百七十五万四千円、こういうものを共謀して盗み出しましてこれを呉市にあります城東金属株式会社、呉市海岸通りにあります松村金属工業所、同じく海岸通り六丁目の呉金物店、同じく呉市丸菱産業株式会社、こういう四業者に対して二百八万七千八百円で買却いたしまして、この買却代金をこの三者で分けてとつたのでありますが、この事案は公然とやつた事案でありまして、その役所であります海上保安訓練所の係のものが知らんうちにこそつととるという事案でないのであります。よく追及して見ますと、同所調度係長風呂内義登というのがおるのでありますが、その上に総務課長五十嵐斉介、この二人が業者と結託して出すということを暗に黙認いたしまして、その謝礼として久間並び八大産業から合計六万円もらつておるのであります。五十嵐斉介は同じく金銭の点はつきりと出ないのでありますが、捜査過程においては五万円行つておることは大体想像がつくのであります。それについて守衛が四名ほどおるのでありますが、この守衛がやはり五十嵐並び風呂内から黙認方を指示を受けまして知らんふりをしておつたというような事件であります。これについて現在いずれも起訴されまして、この点は公判続行中であります。  第二頁に行きまして、油絵代金詐欺事件について説明いたしますと、この事案昭和二十七年の三月十五日に金を六万円騙取しておるということになつておりますが、この犯罪形式を申しますと吉田日出男という男が六管本部長時代に購入して、二十四年度であつたと思うのでありますが、二十四年度の物品購入費から購入しております油絵二枚と、それからA、B、CのCが置き去りにしたところの油絵一枚、それから吉田日出男が友人の丸山某からもらつておる額が二枚、合計油絵五枚があつたのでありますが、この吉田日出男の下におりました西山冨二夫といいまして六管本部総務部長をやつております者、その下に補給課長木戸武二三、こういう二人がおつたのでありますが、吉田日出男が六管本部長を転勤後東京経理補給部長という職にありまして、昭和二十七年の二月頃木戸武二三が東京へ来まして吉田日出夫と会つたときに吉田日出夫が、木戸君、実は小遣がなくて困つておる、五万円ほど何とかしてくれんかという相談を受けまして、いろいろ相談の結果、さつき申しました五万円の油絵を六管自体買つたようにしてくれと、こういう依頼を受けまして、その仔細は西山君にもよく相談してあるからあれと相談して、取りあえず五万円か六万円小遣を持つて来てくれ、こういつて役所で頼まれたのであります。この油絵といいますのは六管本部長部屋に二枚かかつておる油絵と、それから各部課長部屋におのおのかかつてつた油絵であります。それにつきまして木戸武二三が広島へ帰りまして西山とこの旨相談いたしまして、この手続方法については木戸が一任されまして備品台帳に載つてつてはばれる虞れがあるからというので一応備品台帳を整理いたしましたところが、たまたまこれがリスト外であつた。それで木戸武二三はその下にあります佐藤商会佐藤利夫広島市佐官町二三の二でありますが、これに契約書の紙を持つて行きまして判を押さして、あたかも佐藤商会からこの油絵五枚を購入したような形式をとりまして一応六万円支出いたしまして、その六万円のうちの前金として六千円佐藤に渡しまして、残りの五万百千円を木戸西山に渡しまして、西山はこれを吉田東京で渡しておる。これにつきまして係の検収官小井手とか長島、こういうものは一応書類の形式を整えるために事情を打明けて印鑑を押しておる、こういう事案であります。  三に移りまして徳山警備救難所鯛尾倉庫スクラツプ類横領事件という見出しになつておりますが、この事案は二件に分れておりまして、厚いほうの参考書の八頁と十頁にありますが、一応鯛尾スクラツプ横領事件というところの八頁を御覧頂きます。鯛尾倉庫スクラツプ横領事件について申上げますと、この鯛尾倉庫リスト外スクラツプが約三十トン余りつたのであります。そのリスト外スクラツプがあつたのでは会計検査院に引つかかかつてはうるさいと、それからその以前に官服私服代金横領事件で四十八万九千円という六管本部の赤字があつたのであります。その四十八万九千円の穴埋めに何とかいい方法はないかということにつきまして、たまたま木戸武二三という補給課長主管課長でありますが、これが調べに行つたところが鯛尾倉庫リスト外スクラツプがある。この鯛尾倉庫リスト外スクラツプを現金化して一部これに充てたらいいだろう、こういうことを発案いたしまして、そのやりくりは木戸に一任しようということを話しておつたのが、図解にあります当時の経理課長天野一郎人事課長川野恒三総務部長西山富二夫総務課長濱岡由夫、それから本部長太田九州男元本部長粟澤一男、この二人は転勤する、又来るというので二代に亘つてこの事件は敢行されておるために、本部長が二人あるのであります。それで一応共謀いたしまして、木戸武二三は昭和二十六年の十月頃と、それから昭和二十六年の十一月、前後二回に亘りましてこれを売ることについて心やすい出入業者であるところの呉の広瀬産業株式会社支店長村田朝男、それから次長の武本良平、この二人に相談いたしまして起重機ほかスクラツプ合計三十一トン、こういうものを三十二万五千円で売却したのであります。その三十二万五千円の使途につきまして調べたところが木戸武二三が個人で着服しておる分が二万五千円、それから木戸はその残りの三十万円を一応西山総務部長に渡しまして、西山総務部長はそのうちの十八万円を濱岡という総務課長を通じて飲食遊興費の支払があつたものでありますからこれについて十六万円、二万円を官服私服横領事件濱岡から払いますし、川野人事課長に十万円、同じく官服代金横領事件について合計十二万円を払つております。西山個人が着服した額が一万円、吉田日出男に一万円渡したおるのであります。その後太田九州男と粟沢一男というものについては処分の黙認はしておるのでありますが、金銭行つたという事実は今のところないのであります。これが鯛尾倉庫スクラツプ横領事件であります。  次に徳山警備救難所スクラツプ横領事件は十頁にございます。この徳山警備救難所スクラツプ横領事件も先の鯛尾倉庫スクラツプ横領事件と手口は同じであります。それについて同じく木戸を通じまして広瀬産業リスト外スクラツプ六十トンを四十万円で売却した、この四十万円の使途の面について追求して調べた結果木戸個人が着服しておるのが二万五千円、西山に十九万円五千円渡しましたが、そのうち西山は一万円を着服いたしまして、そのうち四万円を吉田日出男に対して東京で渡しておるのであります。二万五千円はまだ使途がはつきりしません。それから西山から十二万円川野に渡しまして、川野はそのうち九万円をさつき官服私服代金横領関係の係でありますところの石津を介しまして九万円やつております。残りの三万円につきましては江草という係を通じまして第三管区の横浜の海上俣安汚職事件弁護士として神戸の徳崎という弁護士弁護代金として三万円払つております。それから木戸のところに戻りまして木戸のところからさつき十八万円、神谷義城という経理課長がおつたのでありますが、それを通じて藤田組に十五万円、この藤田組といいますのは六管本部海港クラブを建てるのにつきまして敷地を買う土地の代金が予算がないというので、このうち十五万円藤田組払つたのであります。それから三万円は貝塚信之貝塚信之というのは元六管の経理課の課員であつたのでありまして、行政整理をされましてやめておつたのでありますが、これが神谷ほか幹部がどうおもかしいことをするということを或る程度材料を握つてつたために、早く言えば恐喝されたような形で三万円やつておるのであります。それで徳山警備救難所スクラツプ横領事件は大体そのような状態であります。  次に四番目で薄いほうを見て頂きまして木戸ほか二名にかかわる贈収賄並びに詐欺事件、これは個人的の贈収賄詐欺事件でありますが、これを簡単に説明いたしますと業者は前に申上げました八大産業村松道司ほか四社から、六管本部のす尾分室主任古川鶴美という人間がおつたのでありますが、これにつきましてさつきお話ししました鯛尾リスト外の三十トンの払下事件につきまして便宜を得たというお礼の下に二十六年十一月九日に一万円、それから同年の十二月中旬に広瀬産業から五千円、これを前後二回に亘つて合計一万五千円職務に関して収賄しております。その右にあります長島実は当時六管本部契約係長でありまして、これにつきましても同じく鯛尾払下事件につきまして一万円を収賄しております。木戸武二三については同じく鯛尾スクラツプ事件、それから石油の納入業者三名、合計前後五回に亘りまして二十六年の三月から二十七年の二月までに合計十万円職務に関して収賄しております。詐欺のほうは芸南石炭株式会社という会社があるのでありますが、それが二十七年の五月七日に三百トン六管側へ納入するような契約書のうち十三トンを事実入れずして、それの代金に相当するところの十万三千七百四十円というものを詐欺し、そのほかペイントとかリスト外の油とかいうようなものを同じような手口で犯罪を敢行しまして、合計二十一万七千三百円というものを詐欺しておるのであります。これは個人的の犯罪であります。  次に五番を御覧頂きます。五番におきましては捜査着手事件、こういう図解になつておりまして、アルフアベツトで書いてありますA、B、C、D、Eというものは、一応まだ証拠とかいうような点ははつきりしておらんのでありますが、大体事件の見通しとしての推定の人物であります。特に名を祕しておきます。それで私のほうが一応そのうちで捜査をしまして実検したのが左から三番目の川原造船所と深田サルベージ、この二つについて一応実検いたしましたし、その左の呉造船、太平工業については現在調査中であります。その右におきましてF、G、H、1、J、K、L、こういうものは各全部業者であります。一応送致いたしました  川原造船所の事件について御説明申上げますと、二十六年の一月五日から十一日頃までに、このEというのがもと燈台部の管理課長の海藏寺という人間でありますが、この海藏寺が業者であります川原造船所の社長の川原吉太郎という人間と共謀いたしまして、安芸白石燈台の見廻船を修理したような公文書を作成いたしまして、事実は全然修理しておら九のでありますが、それにつきまして前後二回に亘つて二十万円詐欺しておるのであります。この右の深田サルベージの事件について申上げますと、二十六年の初め頃、伊予南北航路灯浮標の空設標の事件でありますが、この事案の内容は、当時吉田本部長時代でありますが、海藏寺が深田と話合いをいたしまして、二十六年の一月初旬頃、海上保安庁所有の船であります宗谷丸という船が東京におつたのでありますが、約二千トンくらいであると思うのでありますが、この船を使用いたしまして、又保安庁の職員をそれに乗せまして、材料を全部保安庁持ちで四十六基のうち二十基というものを事前に宗谷丸で工事をしておつたのであります。そして実際はあとの二十六基というものが残つてつたのでありますが、業者があたかも四十六基全部したことく公文書を作成いたしまして、二十六年の三月五日から二十六年の三月三十一日に四十六基を完了いたしまして、約総工費一千四百万円、こういう金額を六管側としては、深田サルベージに支払つておるのであります。そのうちその二十基に相当する代金の二百万円は、一応そのうちの五十万円というものを、海藏寺が東京の或る上層部の幹部のところに持つてつたのでありますが、丁度時あたかも横浜の汚職事件の摘発最中であつたので、一応保留して置けということで、海賊寺はそれを又広島に持つてつたのであります。その後どういうふうになつたかわからんのでありますが、一応深田サルベージ、海藏寺の返還は、二百万円に相当する金は現金は返しておらんのでありますが、それに相当する工事を無償でやつておると言うて答弁しておるのでありますが、それに基く裏付の証拠資料はないわけであります。それについて追及取調べ途中におきまして、さつき森田刑事部長が言われましたように、或る圧力によりまして捜査途中になつております。今未解決であります。そのほかにおきまして、ローマ字でありますところの各業者事案は、俗に言う保安庁の工事はもどり、一割、二割は全部戻さなければいかん、入札のときに、業者に、このたびの工事は五十万見込んで入札してくれとか、三十万円見込んで入札してくれとか、これが一応の通り相場になつておるそうであります。それで九月十五日現在の我々捜査の情報なり犯罪の見通しとして、私のほうとして事件が進展するだろうという推定の犯罪額がさつき説明いたしましたように二千万円余り、こういうことになつておるのでありますが、現在非常に証拠湮滅されまして、捜査が困難に立至つておりまして、これに対する裏付というものがはつきりまだ出ておりません。以上のようなわけであります。
  15. 村尾重雄

    ○村尾重雄君 堀部さんのお話にあつたうち、一の海上保安訓練所構内スクラツプのこの事件については、公判続行中というお話があつたのですが、あとの事件については検察庁に送つたなりになつておるのは、その後公判が行われておるのか、まだ取調中のような話なんですが、その点についての経過一つ……。
  16. 堀部克之

    証人堀部克之君) それでは説明いたします。第二の油絵詐欺事件でございますが、これについて一応検察庁に書類を送致いたしまして、その結果処分が吉田日出男は嫌疑なし、西山冨二夫、木戸武二三、小井手長島は起訴猶予、こういう処分になつておるように聞いております。  第三の事実につきましては、徳山警備救難所鯛尾倉庫スクラツプ事件につきましては、吉田日出男は嫌疑なし、西山総務部長木戸武二三は業遜横領として起訴されまして公判続行中であります。業者の村田朝雄、武本良平、これは臓物故買で起訴されまして公判続行中であります。それ以外は一応起訴猶予という処分になつております。第四の事実につきましては、古川、長島木戸、いずれも起許されまして公判続行中であります。下の業者も全部起訴されまして、公判続行中であります。第五の事実につきましては、いずれも不起訴ということになつております。太平工業と松本利定、吉田菊三郎、青山泰治、呉造船、これは一応起訴されまして公判続行中であります。以上の通りであります。
  17. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 証人に伺いますが、この呉の六管区のほうで、官舎を作つたその官舎が国の金で作られたのか、或いはどのような金で作られて来たのか、官舎の登記の現状や何かを一応聞きますところによると、それぞれ職員の個人の名前で所有登記がされておるように聞くのですが、この点について個人所有物なのか、或いは国の財産なのか、その点についても非常に不明確な点があると思うので、一応この官舎六棟についての今までお調べになつた点について一つ証言を願いたいと思います。
  18. 堀部克之

    証人堀部克之君) この官舎の登記の切替ににつきましては、昨年の九月十日現在の取調べで、それ以後につきましては捜査しておりません。この事件につきまして私のほうが参考人として取調べた人間鐘築壽隆ほか五名を調べております。それと私のほうで関係書類を押収したところの登記書類、それらについて私のわかつておる範囲を御説明申上げますと、官舎が六棟あるのでありますが、この一つは、現在の本部長官舎であります。この本部長官舎の所在地は、広島市南段原字東浦五十九番地の一、三十五坪であります。前所有者が同じく吉田千三郎という人間が持つていたのであります。それから登記名が六管の職員でありまして、上村信行、これの登記になつております。登記の年月日が昭和二十三年の十二月二十日、売買契約年月日が昭和二十三年十二月二十日、契約金額が二十五万円、実質上に買入れた金額が百二十万円、こういうことになつておるのであります。これは本部長は当時柳澤本部長時代であつたように思います。この百二十万円の金の出所は、五十万円が各所修繕費という名目から出ております。残りの七十万円は闇出張、俗に言う空出張の流用から出ておるように聞いております。二つで、次長官舎というのがあるのであります。この次長官舎の所在地は広島市翠町字五の割千五百九の一番地、前所有者が同じく胡籌雄。登記名の所有者が同じく保安庁の職員の海藏寺繁雄。登記の年月日が昭和二十三年六月十五日。売買契約年月日が昭和二十三年五月三十一日です。契約金額が三十五万円。買入れた金額が三十七万円、柳澤の本部長時代であります。これは海藏寺が空の工事とか、空の修理工事の、さつきお話いたしました予算のやりくりの一部で賄うておるように参考人は申しております。三番といたしまして、総務部長の官舎でありますが、これの所在地は広島市段原新町字中北沼三百三の二番地、前所有者が同じく朝日勇、登記名が同じく六管職員の大田正喜。登記の年月日が昭和二十三年十月二十一日、契約年月日が昭和二十三年八月十四日、売買契約金額が三十万円。買入金額が三十万円。同じく柳澤本部長時代であります。この買入れた金の出所も、さつき申したような状態であろうと思います。四つ、警備救難部長の官舎であります。所在地は広島市大手町七丁目の二十四、前所有者が同じく川地賢明、これは未登記であります。所有者が同じく六管の職員の神谷義城。売買契約年月日が昭和二十四年九月一日、契約金額が十六万円、買入金額が四十万円。これは吉田本部長時代であります。五番で共同宿舎というのがあるのでありますが、それが所在地は広島市宇品町御幸通り四丁目三百二十七番地、前所有者が同じく東貞雄、所有者が六管職員で鉾丸吾一。契約年月日が昭和二十四年七月十九日、契約金額が二十九万円。これは吉田本部長時代であります。これも同じく前と同じような方法で予算をやりくりをしたように聞いております。六つで、通信課長の官舎、所在地が広島市段原新町字中比治三百三の二、前所有者が朝月勇、所有が六管職員大田正喜。契約年月日が昭和二十三年十月二十一日、契約金額がこれははつきりわからんのでありますが、八万円か七万円のように書いてあります。これは吉田本部長時代であります。これも同じく予算のやりくりはさつき申したような状態であるように参考人は申立つております。以上の通りであります。
  19. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 そうしますとこれは今のところ所有者が六管の職員になつておる。この職員の中ですでに現在おるものと、もうやめておるものとはどういうことになるのかということ、それから警察のほうで、こういう重要な問題についてすでに昨年の九月からこれを打切つておるということ身体が、先ず基本的に我々としてはおかしいと思うのです。まあそれは一つほかの関連もありますが、それの事情を聞かしてもらいたい。それからこれは六管の個人の名前になつておるのだが、一体国のものなのか、個人のものなのか。その点のお考えは一体警察としてはどういう工合に考えておられるかということと、それから今言つたようになぜ九月頃からこんな重要な問題を捜査しないで打切つておるかということなんです。それを二点について先ず一つ伺いたいと思うのですね。
  20. 堀部克之

    証人堀部克之君) 第二項の個人の名義の官舎の点について更に申上げます。これにつきましては私のほうといたしましてはさつき申上げました参考人をあれだけしか調べておらんので、どうという結論ははつきり申しにくいのでありますが、大体参考人取調べて調書をとつたところから検討をしてみまするとこれは登記済みのものにつきましては法的に個人所有権が移つておるように私は解釈しております。未登記については、これは売買契約者が誰であつても、これはまだはつきりわからんと解釈するのでありますが、それにつきまして捜査過程におきまして六管本部といたしましては、個人の登記したものについては自分の金で家を買つたものを役所に貸してやつておるのだというように答弁をせよというように東京の係の高官と、六管側の係の者と神戸で落ち合いまして、某旅館で暗躙しておつたのであります。それは一応被疑者が自供したことで初めてわかつたのでありますが、その点から推してみましても、この家の購入につきましては役所の金即ち国費の流用を以て家を買うておる。それを個人の名前でしておるといらように私は解釈しておるのであります。第一の点につきましては一応森田刑事部長のほうから一つ聞いて頂きたいと思います。
  21. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 それについて、非常にこれは私のほうが調査をいたしましていろいろと聞いておるんですが、この捜査過程において、先ずその捜査が先ほど言われたように中断した。この中断したことにおいて非常に捜査が困難になつて来た。捜査が困難になるということは、それぞれの証拠書類等が証拠の湮滅をされておるというようなこと、それからそういうようなことからして検挙をする者をも十二分に検挙をすることができなんだ。これには、まあ私は聞くところによれば、このいわゆる事件捜査に当つておるところの警察署長以下それぞれの者に対してはいろいろな形で職務に対するところの圧力が加えられておる。而も、なかんずく署長や何かの罷免説まで出て来ておる。これをやめなければ首にするぞというようなことが出て来ておつたりする。そういうようなことで非常に捜査が十二分に、はかばかしくやれない。併しながら呉警察署においては、そういう圧力にもかかわらずなお苦心をして捜査をやつておるというようなことである。それから又被疑者側のいろいろな話を総合してみると、呉警察署のやり方は非常に行過ぎでもるというようなことを又或る者には訴えておる。それから呉の地方検察庁の行動にも非常な不審な点がある。検察庁の態度のごときは、呉警察署のやり方がこれが今言つたように実に甚だしいものであるというようなことを国会から出向いた某に話をしているというようなこと、この点のいきさつが非常にデリケートである。のみならず、我々としてもこういつた目の財産が、国民の血税が不当に消費されておることに対して、正しきを正しきとし、不正を不正として究明するのに当つて、なぜこんな不明朗なことが行われるのか、その点についても非常に重要視しておるわけです。そこで、非常に言いにくい点があるかもわからないが、併しこの際正しきは正しきとして証人が知る限りにおいて一つ事実をそのままに具体的にお話を願いたい。これは過日我々国会から派遣をされて呉に赴いたときにも、そういつた話は呉市民の間にも、又警察署長の口からも一部そういつた苦衷が述べられたわけです。ついては、そういつた点について今の官舎のこういつた不正の取調ベが昨年の九月頃から中絶しておるということも、恐らくはそういつたような関係にあるのではなかろうかと一応想像されますから、一つこの点を率直に森田証人から述べて頂きたい、かように思います。
  22. 森田一巳

    証人森田一巳君) 只今まで堀部刑事から御説明申上げました通り各種各様な犯罪事件がございましたことは事実であります。その犯罪の扇の要とも申すべきは吉田日出男でございますが、これは昭和二十四年の六月頃より二十六年の三月頃まで第六管区海上保安本部部長として広島の宇品にあるところの庁舎に執務せられたのでありますが、その在職中同本部内の腐敗堕落は、或いはマージヤン、賭博をやる者がおり、部下に競馬や賭将棋又は暮夜飲酒する者があり、それが半ば公然と行われたような状況であつたことは、私らが個々被疑者取調べた場合に、その供述によつて私は知つております。この埋合せといたしましては、遊興費も要つたでありましよう、又物品購入、各種の工事などの随意契約、或いは談合入札、持廻り入札、業者と結託しての空工事空購入、これらに伴う贈収賄事件、そのお金によつてかような埋合せをしておつたというふうに聞いております。それで指定業者間の通り言葉で、先ほども申しました通りその乱脈振りは尽くるところを知らずというような当時の状況捜査の進展に伴いまして同本部内にも正義派もおりましたので、それらの供述で明らかになつたのであります。捜査の結果、着手、未着手の事件を問わず、すべてその大半はこの期間中に、吉田本部長時代に犯したことが殆んどでありまして、その当時吉田を中心とする十五、六名の幹部からなるいろいろな派閥抗争というようなものもあつたということをそれら正義の人から聞いておりました。そういうような情勢でありまして、このような状態の中に吉田は最高責任者の地位にありながら、これを制止したり又は是正することもなく、みずから犯罪黙認し、むしろ助長の言動をするとか、ときには部下に要求して実行させるなどの行為をあえてして汚職事件の重要な地位にあつたものであります。吉田東京海上保安庁へ転勤後、一時長官の代理も兼任しておつたこともありました。第十三国会の政府委員にも任ぜられたこともありました。中央において非常に重要な仕事をしておられたというようなことだつたのであります。そういうような状況でありまして、まあ吉田も逮捕をする段階に至つたのでありますが、吉田さんが逮捕されるまでに、まあそれまでに入つてつた各当時の部下であつた被疑者などの申しますことは、まあ日ならずして吉田さんが中央で何らかの手を打つて近く救いの手が来るだろう、それまで頑張るというようなことを我々に昂然と漏らしておつた人もありました。吉田の逮捕によりましてそれらの望みもそれら被疑者は断たれてしまつたような状況になつたのであります。前の未着手事件などの十分な証拠調べ並びに周到な我々の捜査の前に止むを得ず自供しなければならないというふうな当時の部下も心境となつてつた矢先でありまして、間もなく吉田も捕えなければならないというような場合に至つたのでありますが、その打合せに際しましてどうも吉田は自供すれば逮捕する、否認すれば身柄を不拘束のまま調べたらどうかというようなことが検察庁のほうからもありまして、これに対しましては私ども捜査の常道といたしますと、自供した者こそ任意の捜査をしなければならないというのが、これが建前だろうといつも教わつておりますし、それを私は信じておつたのでありますが、これに正反対するところの指示があつたということは、これは容易ならないことであるという考えから、その頃から私どもは不審を抱いておつたのであります。ところがそれが同人の出頭を求めまして、九月の五日に出頭さしてそれを取調べましたところ、それは私のほうの第三取調室で突然自殺みたいな素振りをいたしまして、当然これを釈放するにおいては我々としてもその後におけるところの彼の身柄に責任を持つことはできませんものですから、止むを得ず検察庁にも連絡をいたしまして、逮捕強制捜査を執行しなければならない段階にそのとき立至つたのであります。そのようなことでありまして、強制捜査で我々が二日間取調べをいたしましたその間、出頭した当日はそんなことは知らないというような否認もありましたが、追々承知するようなことになつて、まあ自供も止むを得ん、事実の前には彼も覚悟しなければならないというような心境でありました。そしてそれを今度送検いたしますることにつきましては、これは自供したら強制捜査というふうなことを聞いておりましたが、前にも私申しました通りに、任意捜査は自供する者についてであつて、これを強制捜査するというようなことは我々の常道に反したことであるということをはつきり私ら自信しておりますから、これは自供調書を附けるといいましても最初否認をしておつたのですから、その否認調書もありますし、これはまあどうせ一日や二日、四十八時間以内にこの大きな問題、又は彼を中心とするところのたくさんのものの問題の個々捜査を一括して四十八時間の間には私どもとしてこれをどうすることもできない段階でございまして、当然刑事訴訟法に許されたところの勾留状の請求を検察官側にして頂きまして、それに基きまして十日間でもこれを又求めさして頂くことが我々の当り前のやるべき正しい方法だろうと、こういうふうに考えまして、自供調書も附けることもどうかというように思つたのでありますが、取調べに当つた検察官は、いやそれはしようがないから捕まえたあとのことはどうにでもするというようなことでありまして、それもそういうような検察官側の要求でそれに従いまして、それもそういうような検察官側の要求でそれに従いまして、そういうように自供調書を附けてお送りしたのであります。自供調書をお送りいたしましたその後におきまして、どういうふうな結果であつたかと申しますと、今度は逮捕するときとは真反対の挙動に出られた。私らが初め常道の捜査をすべきである、こういうことに対して、自供したものを勾留する必要はないじやないか、自供したものは任意捜査したらどうかというような、勾留条件を外れておるじやないか、こういうふうな今度は真反対な指図に変つて来たもので、予期しておりましたことでもありますが、そんなことをしてもらつたのじや私たちも捜査できませんから、何とかそこは一つ責任を以て勾留もしてやる、こういうふうに言われたのだからして、極力取調べの検察官にお願いいたしました結果、それならそういうふうな上層部からの指図もあるし、というようなことだつたのでありますが、それじや止むを得ませんから……、この事件は勿論油絵詐欺事件になつております、一番初め令状を頂きましたのは。それがまあさつき申上げましたように自供とか逮捕するとかしないとかいうような問題になつたのですが、只今説明いたしました徳山スクラツプ事件がありますが、彼が介在しておりますので共犯性が……中心人物であるというようなために、その余罪として止むを得ませんから勾留して下さい、こういうふうにお願いいたしました。初めてこれを何するということはせずして勾留を実現して頂いたようなわけであります。ところが御承知の通り勾留も十日間でございまして、十日間にこれを一切まとめて、官舎の問題もいろいろな空工事の問題も、彼を中心といたした油絵の問題ということは、如何に私どもが七転八倒いたしましてもこれはできないことでありまして、次の勾留延長も許されたるところの刑事訴訟法の捜査段階の方法でありますから、その点をお願いしたのが九月十七日であつたのであります。それが昨年の九月十七日でありますが、これが吉田日出男の勾留満期のときだつたのであります。その前に徳山事件に対しましては、当時彼の部下であつた西山富二夫といいますが、総務部長が非常に吉田に対しての共犯性を初めは何とか手を打つてくれるだろうと思いましたけれども、彼自身は、彼らが吉田の態度によつて断たれたことで止むを得ないことで、自供しなければならないというような段階に至りました。これも自供もしておりますし、その西山冨二夫が吉田日出男から聞きました共犯性についての事実を、証人訊問をしてもらいたいのが我々の念願しするところであつたが、これも訴訟法があります上から、我々として捜査を遂行いたしまする上に、これは当然与えられたるところの証人訊問をさして頂きたいというように極力お願いいたしましたところ、この証人訊問をすることについてやはり圧力がございまして、二日経つても三日経つても、してやるしてやると言いながら、到頭しないで、吉田日出男の拘留満期の九月十七日を迎えました。そして九月十七日に吉田日出男の身柄を再拘留して頂くことについて、署長がお願いをしたのでありますが、これについても再拘留を到頭認めてくまれせんで、十日間の延長だけで、この捜査をあまた余罪を残して吉田日出男を釈放せねばならないというのが、もう九月十七日の午後の十二時頃であつたのであります。我々一同そのとき、これは吉田は再拘留できない、令状をとつて徳山事件で再逮捕をしてくれという、こういうふうな連絡を取調係検察官から私が九月十七日の朝午前十時頃に直接聞いておりますから、その通りにその検察官の指示によつて私が逮捕状をとつてもらつておりまして、この逮捕状によつてその再逮捕をしなければならないという場合に至つたのでありますが、それでは彼を再逮捕さしてくれ、どうしても拘留を延長してくれんと言いますから、それでは検察官が再逮捕せよと言つて令状をとれと、こういうふうな御指示を受けておりますから、それではそのように再逮捕、徳山事件について令状を執行さして頂きとうございますというふうに署長が交渉いたしました。時の上層部はこの再逮捕につきましても、支部長又はその他時の検事正もおられました、そういうような人とこれを署長が交渉をせられたが、私は直接その交渉は聞いておりませんが、私のところの署長は不正なことを言う署長でもありませんし、直接傍で大体署長が言われることを聞いておりますし、事実間違いない、拘留延長の阻止、又令状についての再逮捕の阻止というふうなことによりまして、結局夜中の十二時に至りまして、我々もう十二時が来たら彼を釈放せなければ、もう拘留満期になる。検察庁のほうもどうする言うても我々としてはどうすることもできないので、その間に検事正と会つてくれと言つて署長が再三電話で支部長を介して直接電話をしてもらうように頼みましたが、検事一体の原則でどうにもならないから、とにかく明日の朝これを一つしてくれ、明日の朝会つてくれと言つて、その晩呉に来ておりながら検事正も会つてくれなかつたような事実もあつたのであります。この事実は吉田も、我々として令状を執行するのは、彼が警察署から出門して、検察庁の釈放指揮によりまして、その釈放指揮書も午後五時頃来ておりましたし、そういうようにしましたけれども、午後の五時頃釈放する以前に、検察庁に吉田日出男を直接寄越してくれないかというようなことがありましたので、それは止むを得ないから吉田を検察庁に同行いたしまして、彼が検察庁から戻つたのが午後の十一時過ぎでありました。そうして我々が呉の警察署から出たら再逮捕をしようと思いましたが、丁度それを迎えに検察庁から事務官が来まして、彼の持物や、いろいろな連絡がありまして、いろいろな手廻品をその事務官と一緒に持ちまして、警察署から更に署外に出たものでありまして、いつ再建逮捕すべきものやら、又逮捕、釈放した時間が我々には、検察事務官が帯同しておるものですから、わかりません。遂に彼を逮捕することができなかつたのであります。彼を逮捕できないようになつて、彼は遂に釈放されたのでありますが、そうなりますと、今まで申しました彼の当時の部下が証言をしておつたものが翻りますし、我々は言う必要がない、偉い人がそういうように言うなら、我々は言う必要はないというようなことで、主客顛倒的なことで、我々警察官のやつた行為を嘲けるような結果を招きました。止むを得ず吉田は中心人物で、吉田を釈放するととにおいて、このたくさんの彼を中心とする犯罪をまとめて、我々が捜査を遂行することは絶対にでき得ない中心人物であつたが、何かかようなことで止むを得ず私のほうとしまして、その後一生懸命いろいろなことをしようと思いましても、絶対これができないような証拠湮滅をされまして、甚だ私ども、国民に対しても、この我々の遂行できなかつたことについては、非常に私は遺憾でありまして、なお私もでありますが、私どものところの署長は正義感の強いことに対しましては、行き過ぎはありません。やるべきことに対しては我々の使命でありまして、我々がやることは、こういうことの真実を究明することによつて我々がやらなければならない。我々がこんなことをしなくて誰がしてくれるかということになりますと、我々はその晩十二時から四人も五人も一室の狭い取調室で雑魚寝をいたしまして、蚊に食われながらその晩を過ごしたような結果であります。その結果は只今着手事件というような結果に現われて、如何ともなし得ないという状態に至りましたので、我々の無能であつたことは、私は考えたくありません。
  23. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 私はもう一つ詳しく、その検察庁あたりが上からそういう圧力を加えて来た場合、万事休すというような形に制度上なつておるのか、その点勉強が足りないのですが、いずれにいたしましてもまじめに警察が人民の警察として職務を執行するのに当つて、かようなことが行われるということになれば、下のもの、いわゆる身分の軽いものはそれぞれ検挙ができる、併しながら或る一つの段階に行つて肝腎要のところに行けば、これはもう如何に不正が行われてもそれを究明することができない、これはただ単にこのことだけで見逃がすべきことでなく、国政の上から言つても重要な問題でなければならない、かようなことが行われておりながら、それがそのままに見逃がされたとすれば、この年々決算委員会が締め括くりをして来ます不当経理の一千億になんなんとするこの不正が根が絶えないということになると思うのです。従つて私はやはり警察がもう万事休すというようなことになり得れば、国会がやはりこれに対しては何とか毅然たる公正な態度をやはりとらんければならないと思います。そこで証人のほうに伺うのですが、今後これを国民の前にはつきりとやつて行くためにはどうすれば呉警察署の所期の目的が完遂されるかという点について、一応参考までに証人一つつておきたい。
  24. 谷口弥三郎

    委員長谷口弥三郎君) 速記とめて、    〔速記中止
  25. 谷口弥三郎

    委員長谷口弥三郎君) 速記を起して。
  26. 森田一巳

    証人森田一巳君) 私たち警察のものといたしまして再逮捕することは、それは検察庁にむずかしくしてくれてもできないことはありません。令状の執行はできるのであります。できるでございましようが、これ又四十八時間経ちますと我々には拘留の請求権はございません。ただ令状を執行するだけにとどまるということになりますと、やはりその四十八時間以外には、我々としてすでにそのあとは何もかも検察庁へ頼つてやらなければならない、こういうふうな現在の訴訟法の、捜査しなければならない我々の職務の限界でございますから、まあ我々といたしましては只今御質問がございましたことについては拘留の請求権でも頂くか、或いはその令状を執行したら四十八時間以外はもう我々ができないということの以外のことを与えて頂くよりほかにありません。
  27. 谷口弥三郎

    委員長谷口弥三郎君) ほかに何か御質問ございませんか。
  28. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 もう一つ鐘築証人を今日喚んでおるのですが、鐘築氏は官舎の問題について当初からこれが参画をしておつたように思うのですが、これは官舎以外のことには関係をしておるのかいないのかどうか。この点について一つどちらからでもいいのですが、まあ堀部君から一つつておきたいと思うのです。
  29. 堀部克之

    証人堀部克之君) 鐘築はこの官舎のことについては、一応海藏寺或いは神谷、これの部下で一応使いをしておるのでありますが、これ以外に不正をやつておらないかという御質問ですが、この点につきましては、私の捜査範囲においてはやつておらんように思います。
  30. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 もう一つ、この事件が二十三年頃からずつとやつて来ておると、而も当初は柳澤本部長、いわゆる後の保安庁長官時代からこれをやつて来ておるのですね。それが今日に至るまで、二十三年からその処理がされていないということですね。そうしてこれが今日まで柳澤自身も頬被りして来ておるというような点については、捜査過程においてその点は何か不審を持たれておつたかどうか。持たれておつたらその点について一つお述べ願にいたいと思います。
  31. 堀部克之

    証人堀部克之君) 只今の御質問対しまして、この官舎の事件につきましては保安庁職員自体も殆んど知つておるというような状態で、俗に六管の闇官舎というような呼び名を持つておるように聞いております。それにつきまして私どものほうで事件を進める段階におきましてこの闇官舎の事件が六管の命取りだと、こういうような情報があつたわけであります。そたで一応空工事にしましても、リスト外スクラツプにしましても、あらゆる事件使途の面について如何なる方法使途をごまかしているだろうというように私のほうでは事件の見通しであつた。でございますから先ず第一接待費の関係は何から出ておるか。それからほかに何らか使途をごまかすようなものはないかというようなことを主に内偵したところが、この六管の闇官舎ということがはつきりしたものでありますから、その件の書類を事前に押収しておつたのであります。それで使途の面から衝けば不正に予算を出したという点も出て来る。不正に予算を浮かしたという使途の面を衝いて来れば官舎はこうだということになるが、官舎そのものの予算は二百六十万円くらいの程度のものでありまして、一応二十三年からこのかた、どうして出なんだかということになりますと、今まで未だ曾つて管区警察或いは検察庁が一度も調べたことがないという状態で公けに出なんだのだろうと、こういうように思うのであります。
  32. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 それからかつての保安庁の横浜のほうの、俗に言つておる保安庁事件ですが、この保安庁事件と六管区事件とは、事件犯罪の起されておる時期が大体違うのか、私は同じような内容のものだし、それから時期も同じようなものであるというように考えておるのです。そこで曾つての保安庁の汚職事件、横浜を中心とする汚職事件と六管区汚職事件との繋がりがあつたのではなかろうかというように想像されるんですが、取調べになつた過程においてかような点が窺われるというようなことはあるかないかどうかという点について伺いたいと思います。
  33. 堀部克之

    証人堀部克之君) この点につきまてしては犯罪の形態が総務部を中心としての犯罪の形態と灯台部を中心としての犯罪の形態があるのであります。横浜の事件につきましては詳細は私存じませんが、大体灯台部の事件を中心に摘発したように聞いております。そじにつきまして横浜の事件のときに同じくこの海蔵寺繁雄というものやら、それから工務課長の、今やめておりますが、伊藤工務課長、このほか一、二名横浜へ引つ張られまして留置された事実もあります。そういう点から推して見ますると、二十四年度、こういうものは全国的にこういう灯台部の予算のからくりをやりまして、上層部が相当濫費をしたのではないか。ただ単に大管区だけ、横浜なら横浜だけという個々の問題だけでなくて、一連性の繋がりがあるように見受けました。以上であります。
  34. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 それから今の証言によつて吉田日出男が六管本部長のときに、乱脈を極めておつたということは大体わかつて来たのですが、それ以前の柳澤本部長のときには一体どういう状態であつたか、で、柳澤本部長のときの繋りがたまたまこの闇官舎を通じて繋がつて来ておるんですが、柳澤本部長の当時にはかなり年数を経つておりますが、併しながら大体吉田本部長当時のように、吉田がこのいわゆる不正事件の扇の要になつておるというように柳澤自身もそういうようなことになつてつたかどうか。  もう一つは柳澤が闇官舎を作つて、こうやつてこういうことをやつておるという事実を柳澤自身が知つておるのか、未だにそれを知らんのかどうか。この点について一つお伺いしたいと思います。
  35. 堀部克之

    証人堀部克之君) 柳澤時代に官舎以外の事案はどうであつたかという質問に対しましては、徹底的に捜査がそこまで進んでおらないので、はつきりと、ここでどうだということはわかりません。第二の質問について柳澤がこの闇官舎について事実今現在知つておるか知らんか、当時知つてつたかという点につきましては、柳澤の下でありました塩田という次長がおつたのでありますが、これをまだ直接この官舎の事件について取調べておらんので、はつきりとわかりませんが、大体官庁の形式といたしまして、常識として当然知らなければできないことでありますし、官舎というものは目のつくとこでありますから、これは知つておると私は想像しております。以上の通りであります。
  36. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 大体まあほかにも伺いたいことがありますが、時間も時間でありますから一応あと二人の喚問をやつて、その結果又両証人に伺わねばならないことができるかもわかりませんから、一応そのままに帰らずに待つて頂きたいということに願いたいと思います。
  37. 谷口弥三郎

    委員長谷口弥三郎君) ほかに御質問ありませんか。それでは一応堀部証人森田証人は一応ここに退席して頂いて、あちらでお待ちを願います。それからあとの二人は、吉田日出男さん、それから鐘築壽隆さん、この二人一緒に喚びますか。
  38. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 それはやはり一人ずつのほうがいいと思います。
  39. 谷口弥三郎

    委員長谷口弥三郎君) どちらから、吉田さんからですか。ちよつと速記を止めて。    〔速記中止
  40. 谷口弥三郎

    委員長谷口弥三郎君) 速記を起して。それでは只今鐘築壽隆さんが証人に見えましたからどうぞ御質問があれば。
  41. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 鐘築証人に伺いますが、先ず第一番に現在の身分、それとどういう仕事をしておるか、それから保安庁に入つたのがいつごろで、ずつと今までの仕事はどういうことをやつておられたか、この点について伺いたい。
  42. 鐘築壽隆

    証人鐘築壽隆君) 保安庁に入りましたのが昭和二十三年の七月に入りました。入りますと同時に浜田海上保安部のほうに参りました。浜田海上保安部から二十三年の十一月に広島海上保安本部へ転勤を命ぜられました。広島海上保安本部に参りまして庶務課の管財係長を命ぜられ、それから昭和二十五年の八月に広島海上保安部に転勤を命ぜられました。二十五年の九月に広島海上保安部の管理課長になり、広島海上保安部の管理課長といたしましては、庶務、会計関係担当いたして参りました。以後現在に及んでおります。
  43. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 証人昭和二十三年頃柳澤本部長の時代、それから昭和二十四年頃に至つて吉田本部長になつてから、この二代の本部長時代に本部の官舎六棟、これについてこれが個々個人の名義に現在登記されておるというようなことを聞いておるが、このことについて証人は終始初めから一貫本件の事務に携つてつたということだが、先ず初めにこういう官舎のことについて、その事務折衝或いは買受け等の担当者として活躍をした事実があるかないか。又この官舎が個々個人の名義になつておるということを承知しておるかどうか。この点について伺いたい。
  44. 鐘築壽隆

    証人鐘築壽隆君) 二十三年の十一月に管財係長を命ぜられまして、国有財産の管理の補助をしておりましたのですが、二十三年に参りましたときに官舎が三戸あるからという引継ぎを前任者から受けました。この三戸でありますが、このうちの一戸は又お話しがあるかと思いますが、三戸、官の官舎がある、こういう引継ぎを受けまして、私といたしましてはその引継ぎに当りまして、引継者の契約書を見ましたところが、個人の名前になつておりますから、どうしてこれは個人の名前になつておるだろうかということを前任者に聞いたところが、直ぐ官のほうに切換えるべきであつたのであるが、まだその段に至つていないということでありました。それからあとの二戸でありますが、柳澤前本部長は海運局長と広島海上保安本部長を兼務しておりまして、本部長自体は海運局の官舎のほうにお住いになつてつた。ところがたまたま柳澤本部長が転勤されるという噂がありましたので、私の上司としておりました海藏寺補佐官から本部長が迭ると本部長の官舎が必要になつて来るんだ、まあ私も広島には初めて参つたのでありまして、御承知の通り原爆の都市でありますから、家もないような状態でありまして、本部長が来られて本部長の官舎を作らなければならんということになるとどういうことになるでしようかと、上司に申上げましたところが、家を探すのが一番だということでございまして、それでは家を探さなければなりませんというので、その命を受けましてから殆んど毎日のように借上げの官舎を探しにほうぼうに参つたのでありますが、私もまあ広島は未知のところでありますしいたしましたので、係官を連れまして商工会議所とか財務局とかいろいろそういう関係の所へ行つてみたのでございますが、何分にも原爆の都市で家がない所でありますから、何か国家のものでどこかないのだろうかということを財務局に尋ねたのでありますけれども、財務局といたしましてもそういうところは全然ないんだ、もう全部入つてしまつておるというようなことでありました。まあそういう工合に各方面にいろいろ、依頼して歩いたのでありますが、どうにももう本部長官官舎としての借入れは全然ないというような状態にありましたので、上司に、もうこれ以上私といたしましては、もう借入れの官舎を探すことはできないと、私が至らなかつたから上司にも出てもらつても結構だが、大低のところは上司の指示によつてあそこに行つたりここに行つたりして、行くところは行きましたが、もう殆んど貸してくれる家なんかは到底ありませんという報告をいたしました。そういうような経路を辿りまして、それでは貸家がないとすれば買上げる官舎はどうだろうかという話がありまして、それならば又買上げるという方向になれば、これは別になるということで又いろいろ探しに参つたのでありますが、売家は多少ありましたのですが、何分にも本部長が入られるというような家は見付からなかつたのであります。そのうちに本部長が着任になりました。本部長の官舎がありませんものですから、隊員のクラブの六畳の部屋にお入りになつております。そこで相当暫くお入りになつておりまして、まあ我々といたしましても非常にお気の毒ではありますし、又上司にしても何とか早くしなければならないということで、本庁のほうに文書も出しましたし、又出張の際には、本部長の借上げの官舎がないから購入しなければならんような状態である、購入か又は新しく建てなければならんというような状態になつておるということを、本庁のほうに出張或いは文書も出したと記憶しておりますが、本庁のほうに交渉して頂きましたところが、本庁でも購入の予算もないのだ、勿論新築なんかは、もう二十三年に保安庁ができたばかりで、そういう予算も大蔵省ではなかなかくれないのだというような、出張から帰られたかたの説明がございまして、それではどうにも本部長の官舎は作れないのじやないかというような段階でございまして、まあいろいろ私の上司の補佐官或いは補佐官から課長に話をしてもらつたと思つておりますが、補佐官のほうで、それではもう一回本庁のほうに一つ話を強硬に進めようじやないかという話を聞きまして、是非そうしてもらわなければ本部長の官舎というものは見付からないというような状態でありまして、以後いろいろ本庁に折衝をして頂きました結果、購入費は到底大蔵省から全然もらえないのだから駄目だ、こういうことでありまして、補修費でも少しやるから、それで何とかできないだろうかというような話もあつたようでありますが、まあ私も会計方面は素人でありました関係上、どういう工合にこれを処理していいのかというふうにとまどつたようなわけであります。上司の指示を受けまして、それでは本部長の官舎もさることながら、ほかの官舎もあるのだが、先ず本部長の官舎を何とかしなければならんということで、それでは補修費で何とかなるでしようかというように申上げましたら、経理のほうと相談されたと思いますが、先ず適当な家を見付けることが必要であるということで、まあ私も当事者といたしまして係官と本部長官舎に充てるような適当な官舎を探したのでありますが、私としては家を見付けることができませんで、補佐官の海藏寺さんが見付けて来られまして、適当な家があつたから見に行こうじやないかという話で、私らもお供いたしまして見に行つたようなわけであります。そうして海藏寺補佐官に交渉の任に当つて頂きまして、そうして金額は大体百二十万円ぐらいだつたと思つておりますが、そういう工合に話がついたからという話を受けまして、それじやどういう工合にすればいいのでしようかということから、本部長官舎の補修費として本庁からもらえることになつた五十万円を出し、あとは経理のほうで考えるからということでございまして、命によりまして本部長の官舎の修理ということにいたしまして五十万円を支出したわけであります。あとの金につきましては経理のほうで工面して渡したようであります。それから本部長着任と同時にこの職員が増加して参りますし、又上司の人が着任されるということが、だんだんそういう説明を聞きましたものですから、又それでは上司のかたが来られ、又係の人がだんだん殖えて来ることになればいよいよ広島の家のないところにどうしてそんなに人が殖えるのだろうか、先ず人が殖えるに従つて、家という問題を考えて行かなければならないというように私個人も思いまして、上司に、実際にそんなに殖えるのでしようかと申したわけですが、機構がだんだんに大きくなるのだから止むを得んのだというお話でありまして、今、二棟残つております。機構が大きくなりまして、警備部長が又着任されるのだ、歌備部長はいわゆる海上保安本部の中心になる仕事をされるので、これは是非一定の場所におつてもらわなければ困るのだから、これも又何とかしなければならんという上司からの話がございまして、折角本部長のほうをあれだけ苦心してなにしたのですが、又苦心しなければならないでしようかと申したら、これは役所がそんなに大きくなるのだし、そういう官舎の面もやはり考えておかなければ、仕事とそういう面とがやはりマツチして行かなければならんというように上司から説明を受けまして、これは御尤もなことだと私も考えておりました。それでは又本部長と同様に家を探さなければならんでしようかと言つたら、前回本部長のところは購入費ももらえないでそういうようにやりましたのですが、今度は購入費をもらえるのでしようかと申しましたら、本部長のときに本庁に話しても大蔵省が全然金をくれないのだからして、購入費としては恐らくくれないだろうという上司からお話がありまして、それでは又借入れのほうに主力を注がなければならんというふうに考えまして、これも又本部長と同様に殆んど毎日のように出歩きまして、適当な官舎になるような家を探したのでありますが、本部長と同様に私らとしては借上げの家は毛頭ありませんし、又購入の家も見付からないというような状態でございました。そういう径路を辿りましたのですが、警備部長が来られるということになれば、早く何とかしなければならないということで、それではもう一度本庁のほうにも購入の予算か、新らしく建てる予算を一つ何とかしてもらうように話して下さいと申しましたら、それでは本庁のほうに話そうということで、話してもらつたと思いますが、これ又購入費も新設も、予算が全然ないのでできないのだというようなことだつたと記憶しておりますが、それでは着任されても家がないということでは、業務に又支障を来すようなことになるのだから、何とかしなければならないということで、相当に日時を経過いたしましたところがたまたま海藏寺さんの知つたかたが、貸す家はないけれども、今建てた家を都合で場所を変えなければならんというようになつたから売るのだがどうか、という御連絡があつたのでございます。そこで海藏寺さんが又交渉の任に当られまして、それでは購入費もないということになればどうにも止むを得ないけれども、なければ困る、貸家はないのだから何とかほかのほうで工面しなければならないのじやないかということで、海藏寺さんにその任に当つて頂きまして、その経費は灯台のほうから何とかしようということになりまして、私もその旨を海藏寺さんから聞いたのであります。それでは一つ灯台と交渉して下さいということで、多分海藏寺さんにお願いして灯台に話してもらつたように記憶しておりますが、それでは灯台のほうで何とか差し繰つてしようじやないかということになつたようであります。これはまあ勿論経理を経由して灯台に話されたと思つておりますが、金額は海藏寺さんの交渉の結果、四十万円ということに話がきまりまして、実態調査の面積とか、建物の価値とかいうことは、私は、係員が参りまして調査いたしまして、まあ大体適当であると思われるからという係員の技術屋の話でございまして、大体価格も適当なようでございますということを海藏寺さんに申上げたら、それじやそういうようにしようということになりまして、金額は多分四十万円だつたと記憶しておりますが、四十万円で買おうということになつたようであります。先ほど申上げましたように、いろいろこの機構がだんだん大きくなりますと、上司の人は勿論でありますが、係の人も従つて殖えて参ります。係の人が東京その他から転勤されて来られましても、差当つて入る家がない、入るところがないというような状態でございましたので、まあ私らの希望といたしましては、成るべく広島に家のある人が欲しいのだがな、というようなことも上司に申上げたのでありますが、いろいろの技術面においてそういうことは不可能だから、何とかもう少し人の入れるような家を見付けたらどうか、見付けなければならんというこれ又上司からの話がございまして、もう二回もそういうような苦労を私自身甞めておりまするので、又これに苦労しなければならんかというように考えておりましたのですが、これも役所の業務を遂行するために止むを得んというように私も考えましたし、上司もやつてくれなければ困るというようなお話がございましたので、これ又方々を歩きましたし、又いろいろな知人を頼つて参りまして、又職員も殖えて来るのだが、どこか適当な貸してくれるようなところはないだろうかというように、いろいろ話して廻つたのでありますが、これ又前回同様になかなか借上げ、家を貸すようなところは絶対にないのだ、今記憶に残つておりますが、或る知人のところへ行つたら、君はそういうような無茶なことばかり言つて我々に頼みに来たつて広島に殆んど家がないのに、一軒の家に三世帯も四世帯も入つておるところへ持つて来て、家を借上げられんだろうかというようなことはとんでもない話だ、というような状態でございまして、いろいろ材木等も探しておつたのでありますが、どうしても見当りませんので、又上司にいろいろ話したところが、まあそうだろう、貸してくれるような家はないだろうというような結果になりまして、これも又何とかしなければならんということになれば、購入費か、或いは早くもういわゆる保安庁の仕事を遂行するためには、どうしてもこの保安庁本部の近所に家を建ててもらわなければいかんというように考えまして、これも上司に上申いたしたと思つておりますが、結局これも新らしく家を建てて頂けないというような状態でございまして、上司に相談いたしましたところ、これも又どうしても、これは前回と同じようなことを繰返すようだけれども、何とかしなければならんということになりまして成るべくたくさんの人が入るところを探さなければならんということになりまして、まあこれもいろいろ各方面にお願いしておきましたところが、たまたま大久保さんという人から、こういうような家があるがどうかというようなお話がありまして、それではといつてつてみましたところが、病院に使つておりまして。
  45. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 時間の関係もあつて証人に伺つておる部分だけを極く簡単に述べてもらいたい。今証人発言は同じことを何回も何回も繰返して言つておられるので、そのようなことはその当時、二十三年、二十四年当時には、各省、庁、局とも出先とも住宅がないということは、これは官舎のみならず一般大衆がそういう現状であつたことは、我々よく了知しておる。そこで証人に伺つておることは、この六つの官舎の買入れ或いは登記その他の事務に関して、君が終始一貫その任に当つたというが、それは事実かどうかということと、こういうものが個人の名前で存在しておるという事実については、事実かどうか。この二点について先ず聞いておるので、簡単に、そうでないならそうでない、そうであるならそうである、知つておるなら知つておる、知らなければ知らないという工合に答えてもらいたいと思います。
  46. 鐘築壽隆

    証人鐘築壽隆君) 今の六練ということでありましたですが、先ほど申上げましたように、私が参りましたときには、もう三棟契約になつておりまして、結局私が指示を受けてやりましたのは三棟でございます。それから交渉の任には上司の命を受けて交渉の任に当りました。所有者の名義は現在まだ個人の名義でございます。
  47. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 引継いだ当時三棟はあつたと言つておるが、その三棟は本部長官舎、次長官舎、総務部長官舎、警備救難部長官舎、通信課長官舎、共同宿舎、この六つのうちどれどれが、……三戸が引継を受けたのか、これについて伺います。
  48. 鐘築壽隆

    証人鐘築壽隆君) 総務部長官舎と次長官舎と、それから通信課長官舎でございます。それが引継を受けた官舎でございます。
  49. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 これを引継を受けたのは、誰から引継を受けたのですか。
  50. 鐘築壽隆

    証人鐘築壽隆君) 前任者の青山泰治という係長から引継ぎました。
  51. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 青山は現在何をしておりますか。
  52. 鐘築壽隆

    証人鐘築壽隆君) 現在はやめておられます。
  53. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 その当時はどういう職にありましたか。
  54. 鐘築壽隆

    証人鐘築壽隆君) 当時は管財係長心得だつたかと思つております。
  55. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 それからあとの、証人が直接売買の衝に当つたというのは、今言つたうちのどれとどれですか。
  56. 鐘築壽隆

    証人鐘築壽隆君) 本部長官舎と警備救難部長官舎、それから共同宿舎。
  57. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 そこで、先ずその引継を受けたときには、すでにこれは個個の個人名義になつてつたかどうか。
  58. 鐘築壽隆

    証人鐘築壽隆君) 個人名義になつてつたと記憶いたしております。
  59. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 そのときに証人は、これは官の官舎であつたと思つたか、或いは個人所有のものを官が借りておるというように思つてつたか。
  60. 鐘築壽隆

    証人鐘築壽隆君) 官の官舎と思つておりました。
  61. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 官の官舎であるものをなぜ個人の名義にしておつたかということと、それから証人はこの官舎に関連をその後持つて来ておりながら、個人の名義のものをなぜ官の名義に速かにしていないのか、或いはこれが個人の名義になつておるということについて疑惑を持たなかつたかどうか、この点について。
  62. 鐘築壽隆

    証人鐘築壽隆君) 済みませんが、もう一度只今の御質問を……。
  63. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 先ずそれでは個人の名義になつておるということについて、疑惑を証人は当時持たなかつたかどうか、この点について。
  64. 鐘築壽隆

    証人鐘築壽隆君) 持つておりました。
  65. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 どういうように考えておつたか。
  66. 鐘築壽隆

    証人鐘築壽隆君) 官の官舎でありながら、どうして固人の名前になつておるのだろうかという疑問は持ちました。
  67. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 それについて、その後証人は何も聞いたり、或いは確かめてみたことはないのか、ほかから聞いたようなことがあるのか、或いはそれについて不思議だからというので一応確かめてみたことがあるのか、その点について。
  68. 鐘築壽隆

    証人鐘築壽隆君) はい、詳しいことは確かめておりませんが、官の官舎であるということで個人の名前になつておるのはどういうわけだと言いましたら、これは官に切替えなければならないけれども、まだ手続がしてないのだということでありまして、爾後国有財産法等を研究いたしまして、早く官のほうに切替えたいと思つておりましたが、手続上正当ないわゆる購入費で買つたものじやないということを爾後聞きましたものですから、国有財産にすぐ切替えることが困難だというように思いました。
  69. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 証人は当時引継いだときに、これは官のものであるというように考えたという証言だが、官のものであると考えた根拠は一体どこにあるのですか。
  70. 鐘築壽隆

    証人鐘築壽隆君) 引継と同時に、官で買つたのだから、役所の経費で買つたのだから官舎だというように私は引継を受けたのであります。
  71. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 それでは引継いだときに、官の経費で買つたと言えば、官の経費で買つたその経費は、一体どこから出て来たのかその点について。
  72. 鐘築壽隆

    証人鐘築壽隆君) そこまでは実は私も聞いておりません。
  73. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 少くとも係長をやり、課長をやるものが、自分でこれは官のものであるということを証言をするくらいであれば官のものであるということの一体根拠ぐらいは知らなければならないし、又そこまで確かめていないと、そういうようなことで一体職務が忠実に遂行されるかどうか、その点はどうですか。
  74. 鐘築壽隆

    証人鐘築壽隆君) その点は確かめなかつたのは私の落度でありました。
  75. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 それではこの三つについては現在ではどういう金で買つたというように聞いておるか。
  76. 鐘築壽隆

    証人鐘築壽隆君) ほかの予算から流用されたのじやないかというように聞いております。
  77. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 誰から聞いたか。
  78. 鐘築壽隆

    証人鐘築壽隆君) はつきり記憶しておりません。
  79. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 流用された予算はどの予算から流用されたものと聞いているか。
  80. 鐘築壽隆

    証人鐘築壽隆君) そこまでは聞いておりませんでした。
  81. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 どの予算から流用されたか、或いはどの金でこれが買われたかということを確かめもしない、当時それを確かめなんだことは、今言われたように手落だつたということはあつても、それから後、何年たつか、未だそれを確かめていないというようなことがありそうなはずがない、常識上考えたつてそんなばかな理窟はない。今日に至つてもなおその金の出所がわからん、聞いていないというようなことはないと思うが、警察等で取調を受けたときにどういうような証人は答弁をして来たか、それについて。
  82. 鐘築壽隆

    証人鐘築壽隆君) たしか存じませんと申上げました。
  83. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 それではもう一つ。この当時の責任者は本部長は柳澤本部長であつたが、いわゆる上司は、柳澤以下上司は、官舎がこういうことになつておるということを知つてつたと思うか、その点はどうですか。
  84. 鐘築壽隆

    証人鐘築壽隆君) わかりません。
  85. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 先ほど上司の命令において引継ぎ、上司の命令においてといつているが、上司から引継いだものが、その上司が知つてつたか知らんかという判断は君自身でつかないか。現在君の判断ではどうなんです。それは知つていると思うのか、知つていなと思うのか、重ねて。
  86. 鐘築壽隆

    証人鐘築壽隆君) 柳澤本部長は顔は見ておりますけれども、お話したこともありませんし、ちよつと判断が私もできないと思います。
  87. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 それではその引継いだ三つの官舎は、君は官のものであるということを言つたが、官のものであれば、これに対する六管本部としての扱いは今どういうふうにしておるのですか。資産になつておるのですか、いわゆる官の国有財産として資産に載せておるのかどうか。
  88. 鐘築壽隆

    証人鐘築壽隆君) まだ載せていないそうであります。
  89. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 そうすると、君の言う官のものであるということの根拠、法的根拠は一体何に基いてそういうことを言うのか。
  90. 鐘築壽隆

    証人鐘築壽隆君) 前任者から官の費用で買つたのだからということでありましたから、官の費用で買えば当然国有のものであるというふうに考えております。
  91. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 一前任者が何の根拠もなしに、一体何ら証拠もないのに、言葉の上で官のもので買つたから官のものだと言われたから、私は官のものやというようなことが常識上法的に成り立つのか、成り立たんのか、その点はどうなんです。ただ言葉だけでそういう引継ぎを受けたから、これは官のものだというような、法的にいわゆる根拠が……、それだけのことで官のものだと言い切れるのかどうか、法的に成り立つのか、成り立たんのか、一体君はどう思うかということです。
  92. 鐘築壽隆

    証人鐘築壽隆君) 契約書がございまして、契約書役所の職員の名前になつております。引継を受けますときに、こういうふうにまだ手続はしてないけれども、官のものにしなければならんので、取りあえず官の役所の職員の名前になつておる、こういうことでありましたからへ当然官のものであるというように私は考えておりました。
  93. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 それでは引継ぎ終えた三戸については、又後ほどにいたしまして、証人が直接に扱つておる本部長官舎、これについて証人は誰からこれを買つたのか。
  94. 鐘築壽隆

    証人鐘築壽隆君) 大平……、ちよつと名前は記憶しておりません。
  95. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 それはどこの人間ですか。
  96. 鐘築壽隆

    証人鐘築壽隆君) 現在の住所は記憶しておりませんが、当時は本部長の官舎に住んでおられました。
  97. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 君それは幾ら金を払つた
  98. 鐘築壽隆

    証人鐘築壽隆君) 百二十万円であつたと思います。
  99. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 その金は誰から出たのか。
  100. 鐘築壽隆

    証人鐘築壽隆君) 各所修繕で五十万円と、あとは経理のほうで、全部経理で渡しましたけれども、各所修繕のほうの五十万円は私のほうで手続をいたしました。
  101. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 あとの金は誰から出たか。
  102. 鐘築壽隆

    証人鐘築壽隆君) 経理のほうで払いましたから私は……。
  103. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 経理の誰から払つたか。
  104. 鐘築壽隆

    証人鐘築壽隆君) 多分係長であつたと思います。
  105. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 係長は何という人ですか。
  106. 鐘築壽隆

    証人鐘築壽隆君) 森本、それから海蔵寺さんもおられたように記憶しておりますが。
  107. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 直接受取つたのは海蔵寺から受取つたのか、森本から受取つたのか。
  108. 鐘築壽隆

    証人鐘築壽隆君) いや、皆立会して渡したと思います。
  109. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 そうすると、この残余、五十万円以外の残余の金はどこから入取して来たと思うか。
  110. 鐘築壽隆

    証人鐘築壽隆君) あとから聞きましたら、旅費から出ているのだというように用いております。
  111. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 全部旅費から出ているのか。
  112. 鐘築壽隆

    証人鐘築壽隆君) そのように聞きましたですが。
  113. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 それから次に通信課長官舎については、これは誰から渡したのか。
  114. 鐘築壽隆

    証人鐘築壽隆君) これも私からは渡しておりません。
  115. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 誰が渡した。
  116. 鐘築壽隆

    証人鐘築壽隆君) 多分経理のほうから渡したと思います。あとから渡したからというふうな話を聞きました。
  117. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 経理の誰から聞いたか。
  118. 鐘築壽隆

    証人鐘築壽隆君) 記憶しておりませんが。
  119. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 それから共同宿舎に関しては、これは誰から買つたのですか。
  120. 鐘築壽隆

    証人鐘築壽隆君) 所有者の名前でございますか。
  121. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 いや直接買つた相手方は……。
  122. 鐘築壽隆

    証人鐘築壽隆君) 東貞夫だつたと思いますが。
  123. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 これに幾ら金を払つたか。
  124. 鐘築壽隆

    証人鐘築壽隆君) 二十九万円だつたと思います。
  125. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 いつ頃金を払つたか。
  126. 鐘築壽隆

    証人鐘築壽隆君) ちよつと日にちは記憶しておりませんが。
  127. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 大体何年の何月頃になるのですか。
  128. 鐘築壽隆

    証人鐘築壽隆君) 二十四年の、はつきり記憶しておりませんが、九月か、十月かじやないかと思いますが。
  129. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 このときには証人が直接東某に支払つたのですか。
  130. 鐘築壽隆

    証人鐘築壽隆君) これも経理立会の上で支払つております。
  131. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 買受けのときは、これは柳澤長官のときに買受けたのか、吉田本部長のときに買入れたのか、それはどつちか記憶がありますか。
  132. 鐘築壽隆

    証人鐘築壽隆君) それはどの分でございますか。
  133. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 共同宿舎は……。
  134. 鐘築壽隆

    証人鐘築壽隆君) 二十四年の吉田本部長のときであります。
  135. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 これは買受人の名義は誰に登記ではなつておるか。
  136. 鐘築壽隆

    証人鐘築壽隆君) 登記はまだなつておりません。契約書は交しておりますけれども、登記はまだとつておりません。
  137. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 そうすると、買受主は誰になつているのか。
  138. 鐘築壽隆

    証人鐘築壽隆君) 鉾丸吾一さんであります。
  139. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 鉾丸吾一という人の買受けになつておるということは、一体それはどういうわけでしようか。
  140. 鐘築壽隆

    証人鐘築壽隆君) 当時鉾丸吾一さんというのは総務課長でありました。そういう関係上鉾丸総務課長の名義にした。
  141. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 官が物を買うときに、何で一総務課長個人の名前で買入委任をせなければならんのか、そのくらいなことは君自身も常識があればわかるでしよう。
  142. 鐘築壽隆

    証人鐘築壽隆君) すぐ官のほうの名前に登記しなくてはなりませんけれども、結局前回と同様に一緒に登記しようという考え方から延ばしております。
  143. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 この三つの件については、吉田本部長はこの官舎を買入れることについては知つておるのか、知、つておらないのか、本部長に黙つて君たちが勝手にやつたのか。
  144. 鐘築壽隆

    証人鐘築壽隆君) 私の指示を受けますのは課長か、補佐官程度でありまして、本部長が御存じであつたかどうかということは私も承知しておりませんのですが。
  145. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 その後本部長にそういうことを、話を上司の者がしておるか、その点はどうですか。
  146. 鐘築壽隆

    証人鐘築壽隆君) 存じません。
  147. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 こういうことを、それでは君が直接買入或いは手続等の任務を誰に指揮されてやつたか。
  148. 鐘築壽隆

    証人鐘築壽隆君) 補佐官並びに課長であります。
  149. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 補佐官は誰、課長は誰、名前は。
  150. 鐘築壽隆

    証人鐘築壽隆君) 補佐官は海藏寺繁雄、課長は当時は狩山利見課長だつたと思います。
  151. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 これも同様、仮に君が今言われるように、直ちに国の財産にせなければならないと思つておる、併しながら、いずれも昭和二十三年、遅いもので二十四年のときのものであると、それが今日、昭和二十八年まで何がためにそれを放置しておつたのか。
  152. 鐘築壽隆

    証人鐘築壽隆君) 私は管理係長として勤務しておりましたときには、早く官のものに登記したいと思しいまして、いろいろ規定など財務局等に行つて尋ねましたのですが、大分購入費でないもので買つたものについては、すぐに登記がなかなか困難だということでありまして、爾後いろいろ研究して参つたのでありますが、やはり同じように、すぐは登記できないというような態状でありまして、でき得れば保安庁の援護団体になつております保安協会等を通じて官のものに切替えたいと、かように思つておりましたのですが、話をいろいろ進めておりました際に、途中に広島保安本部に転勤になりましたので、後任者にその旨を引継いでおきました。
  153. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 自分がその職にあつたので、長い間こういうような事実に対して、上司に対して早くこれを正規に官のものにするということについて話したことがあるかどうか。
  154. 鐘築壽隆

    証人鐘築壽隆君) 指導を受けました課長には成るべく早くそれを切替えて下さいというように申して参つて事ております。
  155. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 それはいつ頃、何度くらい言つたか、そういうことを言つたか。
  156. 鐘築壽隆

    証人鐘築壽隆君) 再三、度数はわかりませんが、たびたび申しております。
  157. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 課長は何という人ですか。
  158. 鐘築壽隆

    証人鐘築壽隆君) さつき申しましたように、あと変りました課長ですから、天野課長です。
  159. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 天野課長ですね。
  160. 鐘築壽隆

    証人鐘築壽隆君) ええ。
  161. 谷口弥三郎

    委員長谷口弥三郎君) ほかにどなたか御質問ございませんか。
  162. 加賀操

    ○加賀操君 つまらんことですが、一つ聞いておきたい。個人の名前になつているので、あとで問題が起るから聞いておきますが、固定資産税は個人が払つていますか、役所が払つていますか。
  163. 鐘築壽隆

    証人鐘築壽隆君) 役所で払つていると思います。
  164. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 これは聞きますと、個人のものを官が借りておる形式を整えておると、こう言うが、それはどういう工合にしておるのか。
  165. 鐘築壽隆

    証人鐘築壽隆君) 借りてはいないと思います。
  166. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 そうすると、住んでいる人は誰に家賃を払つているのか。
  167. 鐘築壽隆

    証人鐘築壽隆君) 官のほうに払つております。運輸省の宿舎規程ができまして、その標準に基いて官のほうに家賃を払つていると思います。
  168. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 それはずつと初めから払つておるのですか、入つてからずつと払つているのですか。
  169. 鐘築壽隆

    証人鐘築壽隆君) いいえ、運輸省の宿舎規程ができてから払つていると思います。
  170. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 それじや、何か専門員のほうから証人に尋ねたい点があれば、一つ専門員のほうからお尋ね願つたほうがいいと思う。なければ、私のほうは大体この程度で……。
  171. 宮本邦彦

    ○宮本邦彦君 その個人名義になつている名義は、これは市か何かに出した届がそうなつているのですか、売買契約だけの名前ですか、登記したのですか。
  172. 鐘築壽隆

    証人鐘築壽隆君) 売買契約書は官の職員のほうになつております。まだ登記はそのまま官の職員に切替えないで、そのままになつているのがあります。
  173. 宮本邦彦

    ○宮本邦彦君 わかりました。
  174. 村尾重雄

    ○村尾重雄君 僕の留守中に聞かれたか知りませんが、カニエ君の質問のうちで、通信官舎の経理の支出が幾らかということ、購入価格は幾らかということ……。
  175. 鐘築壽隆

    証人鐘築壽隆君) 七万円とあとから聞きました。
  176. 村尾重雄

    ○村尾重雄君 それから、これはあなたにおわかりかどうか知りませんが、三つの旧官舎はどの程度の購入価格であつたかということをお聞きになりませんか。
  177. 鐘築壽隆

    証人鐘築壽隆君) 総務部長官舎は三十万円ですか、それから次長官舎が三十八万円、通信課長が七万円というふうに記憶しております。
  178. 村尾重雄

    ○村尾重雄君 経理部長官舎は。
  179. 鐘築壽隆

    証人鐘築壽隆君) 四十万円。
  180. 谷口弥三郎

    委員長谷口弥三郎君) ほかに委員のかた、なければ、専門員のかたに質問を願います。
  181. 波江野繁

    ○専門員(波江野繁君) 先ほどの固定資産税は官で払つていると思う、それから居住者は官で家賃を払つていると思うという御証言でしたが、この二つの点は、ただ思うというだけのことですか。事実上払つているという事実をはつきり確かめたのですか。
  182. 鐘築壽隆

    証人鐘築壽隆君) 事実払つております。
  183. 谷口弥三郎

    委員長谷口弥三郎君) ほかにありませんなら、一応鐘築証人に対する御質問はこの辺で終了いたしまして、一応あちらでお休みを願つておいて、又あとで何かあつたら又お呼びしますから、あちらに……。  それでは只今から吉田証人に対して質問をどなたからでも。
  184. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 証人に伺いますが、証人は六管区本部長在勤中においていろいろな被疑事件に関連をしておる。それについて呉警察署のほうでもいろいろ取調べを受けた、その結果、呉警察署で、証人が陳述しておる事柄について先ずこれを証人は認めるかどうか。当然これは本人の陳述である限りにおいては認めないというわけではなかろうと思いますが、先ずその点はどうか。それから取調べを受けて、その後において証人自身がどういうような感じを持つておるか、この二点について伺いたい。
  185. 吉田日出男

    証人吉田日出男君) お答え申上げます。只今カニエ委員から私の在任中の被疑事件について、警察取調べを受けたことについて陳述要旨を承認するかどうかという御質問のように思います。私が呉警察署におきまして取調べを受けた事件は在任中の事件ではないのでございます。被疑者として取調べを受けました事件のあらましを申上げまして、その中で私の陳述した要旨に対しまして申上げたいと思います。私が呉警察署被疑者として取調べられました事件油絵の売却事件でございます。この事件の概要を申上げまして、そしてその中で私の陳述の要旨を申上げます。この油絵事件と申しますのは、私が昭和二十五年の十月頃と記憶いたしておりますが、私の最も親しい高等学校時代からの三十年来の友人から油絵二枚をもらつたんでございます。そしてその一部は本部長室に、一部は自宅に掲げておつたのでございます。家に掲げておりました油絵は、その後呉の航路啓開部が移転いたしますので、部長の新らしい部屋に貸してあげたのでございます。その後その部長が本部長に、六管本部の次長に、翌年三月頃と記憶しますが、転勤して参りました。その際に部長からも、もう長らく預りましたから返しましようかと、上京の際に申したのでございますが、いや、もう暫らくつてつてもらいたい、又あなたも好きなら貸しておいてもよろしい、こういうことを申して、その部長は次長室に掲げておつたのでございます。ところがその当時、本部長室には更に他の六管本部で購入した医学博士の油絵が一枚かかつておりました。この三つが六管本部にありました油絵でございます。越えまして翌年の二十六年の二月頃かと記憶しますが、六管本部補給課長が上京して参りまして、前本部長でもございますので、いろいろよもやの話をしておるときに、おれの油絵二枚置いてあるが、なお預つておいてもらいたい、場合によつては買手があれば売つてもよろしいという話を雑談的にいたしておつたのでございます。
  186. 谷口弥三郎

    委員長谷口弥三郎君) ちよつと待つて警察のかたもあそこに二人まだそのまま待つておりますが、森田刑事部並びに堀部長、それもここへ呼んでおきたいと思いますが、よろしうございますか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  187. 谷口弥三郎

    委員長谷口弥三郎君) それじや呼んで下さい。どうぞ。
  188. 吉田日出男

    証人吉田日出男君) ところがそれから二カ月ばかりたちまして、総務部長が、あなたの油絵を売つてあげたからというて代金をもらいました。従つて自分の油絵を売つたものと思い込んで代金を受領いたしたのでございます。ところがたまたま八月頃になりまして、この油絵売却事件が起りまして、呉警察署において逮捕状を突きつけられました、ところが詐欺罪であるということでございまして、実に驚いたのでございます。これがその後になつてわかつて、その後の調査によりまして、売つてくれと言つた油絵が他の、その後私の転任後、本部で購入した絵或いは所属不明の絵並びに本部で買つてつた絵、都合五枚を第三者の名義にして、その者の所有なるがごとく装うて本部に売つておるということがわかつたのでございます。私といたしましては、自分の絵二枚が売られておるとばかり思い込んでおりました。その点につきまして、呉警察署において陳述いたしたのでございますが、只今カニエ委員から申されましたのですが、陳述要旨を承認するかどうかという点でございますが、現在呉警察において申上げたことは、今申上げたことと相違しておる点がございます。その点は、只今の記憶では友人からもらつたことは、それは本部に寄附を受けたものである、従つて公物であるというふうに記載されておりまして、その点私が署名をいたしております。なぜそういうことに対して、供述書に対して捺印したかということでございますが、そうその供述調書に署名をしなければ、くれた友人を逮捕する、こういうことでございましたので、そうなりますと、折角くれた友人が逮捕されますと、誠に心苦しく、又後日私どもの同僚に対しても申訳ないという気持でございましたので、先ほどちよつと本部にもらつたと申上げましたが、その当時の供述調書は職務に関して贈賄を受けた、収賄であると、従つてくれた友人は贈賄者であると、こういうことでございます。ちよつと訂正いたします。そこで、然らば本部にもらつたことにすれば贈収賄が成立しないじやないかと、こういうことでございまして、止むを得ず不本意ながら供述調書に署名したような次第でございます。ところが検察庁に参りまして、真実そうであるという信念がございますので申上げまして、嫌疑なし、不起訴と決定を受けた次第でございます。一応詳細に亘りましたが、おわかりにくかろうと思いまして、全般について申上げた次第でございます。
  189. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 もう一つの点は。
  190. 吉田日出男

    証人吉田日出男君) ちよつと、先ほどその後の心境はどうかということでございますが、かくのごとき事件が発覚して警察機関に迷惑をかけたということは誠に心苦しいのでございまして、私の不注意から、細心の注意を払わなかつたところから、かかる事故が起つたのでございまして、誠に申訳ないと思いまして、釈放されまするや、直ちにこの金六万円を弁償いたしまして、昨年十一月十七日に、二十七年席予算の臨時歳入の受入に処理して頂いております。
  191. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 この呉警察署取調べを受けたのが油絵事件であつて、他の事件には何ら関係しない、こういうことですか。
  192. 吉田日出男

    証人吉田日出男君) お答えします。私が十日間の勾留を受けまして調査せられましたのは、この油絵事件一件でございます。
  193. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 今証人説明によれば、友人からもらつた二枚の油絵代金であるというように思つてつた、ところがその後そうでなかつた、官物を売払つた代金であつたということがあとでわかつたと言われておるのですが、それはわかつた時期はいつ頃です。
  194. 吉田日出男

    証人吉田日出男君) お答えいたします。警察において取調べ中ごございます。
  195. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 警察取調中にそういうことを知つたと、こうおつしやるのですか。
  196. 吉田日出男

    証人吉田日出男君) お答えいたします。警察取調べ中に知つたと思います。
  197. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 それまでにその金を受取つたのは誰が受取つたのですか。その当時油絵代金を誰が受取つたのですか。
  198. 吉田日出男

    証人吉田日出男君) お答えいたします。西山総務部長が上京して参りまして、当時私が病気中でございまして、枕許へ持つて参りました。その際に受取つた次第であります。
  199. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 それではその西山総務部長は、そのときにこれは油絵二枚のこれこれしかじかの代金であるということを言つたかどうか、又証人は、そのときに西山に、これは油絵二枚の代金だなということを西山に対して明確にして置いたかどうか、その点を。
  200. 吉田日出男

    証人吉田日出男君) 病気中でございまして、自動車で参りまして、玄関に自動車を置いてあつた。入つて参りまして、枕許へ参りまして、油絵代金だから置いておきますと、私はそのときに自分の絵を売つたものであると思い込んでおりましたため、その他のことについては申上げなかつたように思います。
  201. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 証人油絵を売つて呉れという依頼をしたときに、これこれしかじかの油絵を、これとこれと二枚を売つてくれということを明確に証人は依頼したときに言つたかどうか。
  202. 吉田日出男

    証人吉田日出男君) お答えいたします。木戸氏が上京して参りましたときに、軽い気持でございまして、私の油絵が二枚あるということは当時総務部長も知つておるはずでございまして、木戸氏に西山氏と相談してくれたらわかとるいうことは申したような記憶をいたしてあります。
  203. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 そうすると、証人の言葉から総合してみますると、この木戸西山が組んで、そうしてこれらが官物である油絵までも売つてその代金証人に渡したと、こういうことに必然的になるのですか。西山木戸は官の物まで売つて、その代金を持つて行くというようなことをせなければならないような証人との関係にあるのかどうか。
  204. 吉田日出男

    証人吉田日出男君) その点につきましては、どういうことであまりしたか、詳細に聞いておりません。
  205. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 証人は、の油絵が自分の持つておる油絵二枚が六万円も価値があるというように考えておるかどうか。
  206. 吉田日出男

    証人吉田日出男君) お答えいたします。私の友人がかけたらどうかと言つてくれたものでありまするから、そんなに悪いものとは思つておりません。当時本部長室で総務課長から聞いたのですが、一万円でこれを買つたんだと言つて本部長室にかけておつた絵は、後日この一万円は警察の証拠としてつけられまして一万二千円であつたことが取調中わかつたのでありますが、当時一万円と聞いておりましたが、この絵ともらいました絵と比べますと、私も多少日本画を見ておりますし、油絵もうすうすわかるような気がしますので、これを見たときに、私の絵が非常に筆致も奥があつて、重々しいような気がいたしました。当時中部海運局にもたくさん絵がございまして、いろいろお話を承わつておる。当時自分の絵は、どうしても号数から言つて、小さいほうは二万円ばかり、大きいほうは三万円以上するのであろうという気持があつたのでございます。
  207. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 警察取調べを受けておつた際に、証人は、証人の行動についてあたかも自殺をせんばかりの行動をとつたということだが、一体なぜそういうような必要があつたのか、その点について伺いたい。
  208. 吉田日出男

    証人吉田日出男君) お答えいたします。検察庁においてもそういう質問を受けましたのですが、私は逮捕状を突付けられましたときに初めてこれを見た、その驚きと申しますか、そういう感情が手伝いまして、自殺のまねとおつしやいましたが、手を挙げてこうしたのが、そういうふうにとられたのではないか、自分は妻もあり、子供もあり、この程度で自殺しようなんという気持は毛頭ございません。
  209. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 それで、その油絵を友人から二枚もらつたという関係は、どういう利害関係からその油絵をくれたと思つたのですか。
  210. 吉田日出男

    証人吉田日出男君) お答えいたします。友達が八月頃一回来たかと思いますが、その当時、君の家も淋しいな、僕が今度油絵を持つて来てやろうといつたような気がするのでございます。たまたま十月に広島に参りまして、この絵を私にくれたのでございまして、何らそこに利害関係も何もございません。ただ私は友情のみと考えております。
  211. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 木戸西山吉田から言われて、そうしてこれこれの油絵を売つてくれということであつたということを言つておるが、そのときには明確にこれ二枚だけだということは聞いていないというように言つておるようであるが、証人はなぜ一体その油絵について、自分のものであれば、はつきりと私物だから、これとこれとの二枚だということを明確に言つておかなかつたのか、その点はどうなんですか。
  212. 吉田日出男

    証人吉田日出男君) お答え申上げます。私が依頼いたしましたのは、転勤いたしまして後の二十六年三月頃と記憶しますが、私の記憶では、私の在任当時は、二万円と先ほど申上げました一枚と、本部で購入した一枚、三枚以外はなかつたということと、私の絵は本部長室に掲げておりますし、一枚は自宅にありまして、西山総務部長は、十分私のものが二枚だということを知つておると思つておりましたので、よもやまの話の出たときに、ただ私の絵ということを言えばわかると思つていただけであります。
  213. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 それでは、改めて取調べに当つた係官に再度証人として伺いたい。
  214. 谷口弥三郎

    委員長谷口弥三郎君) それでは森田一巳君、堀部克之君。
  215. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 それでは取調べに当つた堀部君のほうに伺いますが、今吉田証人は、油絵代金は自分の絵二枚のであつたと思つてつた、決してこれが官物を売つた金だと思つていない、それから西山木戸は、その後調べられた結果、どう言つておるのかという点ですが、今大体証人が言つてつたことを大体お聞きになつておると思うが、その点について証人の言つておることと、それから取調べに当られた当時のこととが、いささか食違いがあるように思うのですが、その点について一応御説明を願いたいと思います。
  216. 堀部克之

    証人堀部克之君) 只今吉田証人証言した中で違う点を申上げます。一つといたしまして、今答弁されたことは、吉田証人に任意出頭を求めまして、先ず第一に調べたときの弁解がその通りであります。それにつきまして、私のほうで質問したことについて、丸山という人間吉田と非常に親友の間柄で、併し丸山という人間は六管本部の指定業者であります、水野造船だつたと思うのでありますが、水野造船の顧問という形になつてつた。そうしますと、水野造船の顧問である丸山という人間が六管本部本部長であるところの吉田に対してくれたものについてはどうか。役所でもらつたのか、それとも個人でもらつたのか、こういう点を追及したのであります。それについて吉田証人は、それは個人でもらつた吉田本部長個人としてもらつたのだ、さすれば吉田証人は、丸山が水野造船の顧問であるということは知つてつたか、それは知つてつた、水野造船が六管の指定業者であるということはどうか、それは間違いない、そうすると、その油絵二枚が六万円もする高価なものであると認定するならば、そういう高価のものを何がために寄附しなければいけないか、もらわなければいけないか、それでは職務に対して贈収賄になるかどうか、そういうことになると丸山も迷惑するがどうか、こういうことに追及して行つたのであります。そうすると、吉田証人は、初めはあいまい模糊たる回答であつたので、一応署長官舎で極秘に調べておつたのでありますが、どうもおかしい、答弁があいまいだということになりまして、呉署の取調室におきましてなお追及しますると、自殺的行為を認めたのであります。その態度はただ手を、今聞いてみますと、手をこうやつたというように言われましたのですが、手をのどに突込んで、とにかくこういう形で、それからこれをこうネクタイで締めかけたというようなことをして、何をあなたはなさいますか、馬鹿なことをしてはいけない、これはどうもいけんということで、当時呉の支部長検事の岡部検事、それから担当の検事であります河合検事がこの吉田の身柄の処置につきまして呉署に来ておつたのであります。それについて吉田をどうするかということで協議中であつたのであります。それで私が署長室へ参りまして、検事、署長、各関係取調べ官のおるところで実は調べた結果、こういう挙動をするのだがどうかという結果になりまして、自殺されては困る、それでは逮捕状を執行させねばいかんだろうという結論が出まして、初めて逮捕状を本人に見せて身柄を拘束したのであつてさつき証人が言うように逮捕状を見て驚いたから自殺行為に出たんだということは多少違うと、こう思うのであります。それからその日担当の河合検事が直接吉田警察で調べまして、我々は立会をしておつたのでありますが、そのときに吉田は河合検事に向けて、この額は六管本部に寄贈されたものであつて、私個人でもらつたものではない。そういうものを売るということは非常に悪かつた。それから西山木戸に対しても非常に済まないと涙を流して供述をしたのであります。それについて河合検事の依頼によつて、その直後森田部長がその自供調書を取つたのであります。それでさつき証人が言つたように、警察警察官の前で自供したのであるが、検察庁においては、その自供は嘘であるということはこれは成立たんと思う。それで西山木戸についても、それははつきり対決させてその通りでありますという自供の調書の裏付けができておるような状態で、それは逮捕したその晩であつたというように記憶しております。以上であります。
  217. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 今の警察のほうの証言によれば極めてはつきりと吉田証人は、ただ手を上に挙げただけだと言つておるが、一のどういうわけでそれではのどに手を突つ込んだりしたか、その点を先ず……。それはどういうわけですか。
  218. 吉田日出男

    証人吉田日出男君) お答えをいたします。のどに手を突つ込んだということは、私いたしておりませんので、これは何かの間違いかと思います。
  219. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 それから逮捕状を見て驚いてなにしたと言つておるのだが、今の証言によれば、逮捕状はそういう行為があつて然る後に検事とも会議の上で逮捕状の執行をした、こう言つておりますが、その点は……。
  220. 吉田日出男

    証人吉田日出男君) 私は任意出頭を命ぜられましたので、五日の午前に参りまして聞取書はそのとき取られておりませんでした。口頭で以て取調べを受けたのでございますが、その夕方七時に逮捕状が出たわけでございます。従つて口頭で尋問を受けておりまして、当時は、先ほど申しました通りの陳述をいたしておつたのでございまするのに、逮捕状が出ましたので非常に驚いたわけでございます。
  221. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 それでは警察側の証言吉田証言との間の食い違いが一応あるようですが、重ねてもう一度警察側のほうから御証言を願いたい。それじや一応重ねて申しますが、今の吉田証言について一つ
  222. 堀部克之

    証人堀部克之君) どの点を…、
  223. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 いや、今の吉田証人は、その逮捕状を見てそうして驚いたと言つておるが、警察のほうではそうでない。こういうことなんですが……。
  224. 堀部克之

    証人堀部克之君) 逮捕状が執行されて、自殺行為をしたと吉田証人は言うていますが、それはそうでなくて、自殺行為をするから、協議の結果、先ほど言いましたように逮捕状を執行したのであります。逮捕状を執行して後に自供調書は作つたのであります。その通り間違いありません。
  225. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 それで今度西山木戸吉田から頼まれたときに、吉田のもらつた油絵二枚を売つてくれということを頼まれたにかかわらず、官の物まで一緒にまとめて売つた、こういう結果になるのでありますか。その点はどうなんでありますか。
  226. 堀部克之

    証人堀部克之君) 西山木戸被疑者吉田所有である……
  227. 谷口弥三郎

    委員長谷口弥三郎君) ちよつと注意します。吉田のとおつしやつているけれども、証人と適当な敬語を付けておつしやつて頂きたい。
  228. 堀部克之

    証人堀部克之君) 訂正します。吉田証人木戸武二三、西山……敬語を付けなければいけないのですか。木戸武二三さん、西山富二夫さんに対して、自分の所有である額縁油絵二枚を売つてくれというふうにはつきりと指示をしておらん。木戸が供述した点について申上げますが、木戸武二三さんが吉田証人に頼まれた内容は、油絵を六管本部買つたよう形式をして何とかやりくりはつかんだろうか。一つ西山君とよく相談して善処してくれ、五、六万円ほど小遣が要る、こういうような依頼であつて木戸さんは、承知いたしました、西山さんとよく相談しまして善処しましようという気持で、西山さんと帰つて相談をしまして、その結果、たまたま調べてみると、リスト外油絵五枚がありましたので、これを佐藤商会から納めたように書類を作りまして六万円を貸し、そのうち六千円を佐藤商会に出して、残りの五万四千円を西山総務部長を介して吉田証人のところへ持つてつておるのであります。それについて西山総務部長木戸補給課長は、暗に官物を不正に購入したことく書類をごまかして、それの代金に相当するところの五万円であるということは吉田さんも知つておられるだろうと、私どもも気をきかしてやつたわけですが、何も突つ込んで聞かれもせず、私どもも意を体してやつたので、十分知つておられる、意思は十分通じておるものだと思つてつておりましたと、こういうふうに供述しておるのであります。
  229. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 そこで吉田証人に関くが、今警察のほうの証言があつたが、そういうような事実であるかどうか。先ずその点を伺いたい。あなたが木戸に依頼したときに、今言つたように木戸が陳述をしているような依頼をしたかどうか。
  230. 吉田日出男

    証人吉田日出男君) お答えいたします。私は先ほども申上げました通り木戸補給課長が二月頃上京いたしました際には、前本部長でもありますので、いろいろ広島の模様だとか、懐かしく語り合つた当時、雑談的に話をしておつたのでございまして、只今申上げましたように、私は当時生活は苦しくありましたが、是非ともこの油絵を売らなければどうにもならないというような状況でもございませんし、是非とも売らなければならんという状況でもございませんでした。ただこちらへ持つて来ても掲げる所もございませんし、もう暫らく本部で保管しておいて頂こうと、買手があつたら売つてもよかろうかという程度のことを話したのでございまして、その他木戸氏らの陳述は私にはわからないのでございます。
  231. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 あなたの言われておることと、結果行われたこととは非常に、あなたの言われておることをそのままに考えて行くと、やられた行為それ自体は合わないのですね、我々考えてみて。なぜ合わないかというと、あなたが言われておるように、自分のものだからと、勿論自分のものだといことを伝えて、そうしてそれを木戸課長なり西山部長がそれを売つてなにしたというのなら、殊更これを新らしく公文書偽造をやつて、そうして官の物に購入の手続をして、そうしてその金を君のところに持つて行くという理窟がないのですよ。これはそんな理窟が一体どこから出て来るか、それは明らかに、今検察のほうから証言しておるように、何とかならないかということを聞いたからこそ、それではこういうことにすると、こういうことにならないと理窟が合わないのですよ、あなたの証言と実際やられた結果とは。この点はもう少し誠意のある答弁をされないとやはり困ると思うのですよ。それともう一つは、吉田証人に伺つておきたいのは、この油絵は結局は丸山から自分が二枚もらつたということになるのですか。そういうふうに思つているのですか。
  232. 吉田日出男

    証人吉田日出男君) 私は友情から二枚くれたものと思つておりました。
  233. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 この丸山という人については、すでに我々も調査をいたしまして、大体のところはわかつております。そこで水野造船というものも、我々この決算委員会では何度も調査をしておる次第です。この内容も大体わかつております。我々はそこでこういつたいわゆる会社或いは個人から、友人であるにせよ、友人だからといつて、それが直接利害を伴う水野造船のそういう立場におる者から友情においてもらつた、それで一体事が済むと思うか、その点はどうですか。
  234. 吉田日出男

    証人吉田日出男君) お答えいたします。私が丸山君から友情でもらつたと思います。理窟めいて恐縮ですが。と思つておりますのは、第一私が丸山氏と高等学校の一年から三十年来の兄弟のように附合つておる間柄でございますこと、一つは、丸山氏は六管に来たのがこれが初めてでございまして、第六管区本部には誰も知人はございません。私を頼つて来たものと思います。かたがた参りましたときは水野造船は非常に経営に困つておりまして、丸山氏は辞表を持つて辞表提出のために私に会いに来たのでございます。そういう事情でございまして、又水野造船は私が転任する前、海上保安庁が創設せられましたときから、第六管区本部に出入している会社でございまして、私が初めてこの業者を入札その他に入れておるのではございませんので、保安庁ができましてからずつと入つておる会社でございます。そういう諸条件を考えまして。丸山氏が私に世話になつたからとか、或いに六管に寄附するというような意思があつて私にくれたものとは考えておらないのでございます。
  235. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 六管に自分が本部長に就任してからそこに入れたものではないと言われますが、本部長に就任してから入れたなら、そういうことならば余計大変なことであつて、かりそめにも出入業者である限りにおいては、それの最高の顧問の地位にある限りにおいては、それは如何に友情じや何んだと言つたつて、それで事が済むなら、それは多額の金品を友だち関係で……、幾らも日本の国の役人にあると思うのです。あなた一人ではないのですよ。およそ学校友だちで、それぞれの立場を異にしておつて、そうしてそれがたまたま業者役人の関系であると、友情と公務とは私は一緒にならんと思います。それをごつちやにして、もらつたときは友情だと、仕事のときは公務だというような、そういう使い分けでもできるものならば、日本の公務員の制度におけるところのあり方というものは、私はめちやくちやになると思います。証人は一体その点について、どういうふうに考えているか。
  236. 吉田日出男

    証人吉田日出男君) お答えいたします。先ほど理窟つぽく申上げましたのは、一応友情でもらつたように話しておりましても、御理解頂けないと申うので、そういう諸条件を申上げたのでございます。
  237. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 それでは徳山警備救難所並びに鯛尾倉庫にあつたスクラツプ類を、これを売却したと、そうしてその金をですね、西山部長からもらつておる。その金はどういうわけでもらつたのか、その点について。
  238. 吉田日出男

    証人吉田日出男君) お答え申上げます。スクラツプの売却事件は私が転任後起つた事件でございまして、私在任中、かかるスクラツプが本部にあるということは存じておりませんでした。これは私の不注意、監督不行届の点は誠に申訳ないと存じております。昭和二十六年の七月頃かと思うのでございますが、西山氏が上京いたしまして、金子四万円を私に手渡したのでございます。使つて下さいと言つて手渡したのであります。私は当時本部長の持つておりまする報奨費の一部を援助してくれたものと、かように考えておつたから、前本部長でもあるし、総務部長に転勤しておりますので、そういうふうに取計らつてくれたと思つてつたのでございます。たまたま今回事件が発覚いたしまして、西山総務部長が検挙直前東京へ参りました際に、あれはこういうスクラツプの売却代金の一部であるのですといふことを告げられまして、誠に困つたことだと思いましたが、いずれは取調べを受けるであらう、そのときにはこのことを申上げようと思つてつた次第でございます。
  239. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 そこでその件についてはですね、いずれは取調べを受けたら、そう言おうと思つてつたということだが、それについては、取調べを今日まで受けていないだろう。その点はどうです。
  240. 吉田日出男

    証人吉田日出男君) 呉警察署においては取調べを受けておりませんが、検察庁において取調べを受けたのでございます。
  241. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 そのときには検察庁は取調官は誰だつたのか。
  242. 吉田日出男

    証人吉田日出男君) お答え申上げます。杉本検事でございます。
  243. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 この杉本検事は今どこにおるか。
  244. 吉田日出男

    証人吉田日出男君) 先だつて広島からの情報によりまして、はつきりと日にちはわかりませんが、約三週間くらい前かと存じまするが、脳溢血のために亡くなられたということでございます。
  245. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 西山からスクラツプのそういつた不正な金を百万円受取つておいて、そうしてそれは本部長の報奨金からもらつたと思つてつた。少なくともですよ、相当な年配であり、而も責任の地位にある者が金を受取るときに、報奨金であつたか何であつたかということを確かめずにもらうというようなことは、我々了承できない。そこでこの金をもらうときに、この金はどういう性質で私がもらうのですかということを確かめたのか、その点。
  246. 吉田日出男

    証人吉田日出男君) 誠に恐縮に存じます。私がもらいましたのは、私の下宿している目黒寮でございまして、その廊下で、私が自分の居間に行こうとする廊下の途中でもらいまして、そのまま部屋に帰りまして、私そのことを聞かなかつたいうことは、誠に仰せの通り恐縮な次第でございまして、何とも申しようがないのでございます。
  247. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 それで今日までこの四万円に対する……そのときはそういう事情であつたが、その後において領収書は出したかどうか、その点は。
  248. 吉田日出男

    証人吉田日出男君) お答えいたします。本部長の持つておりまする金で、私に援助を受けたと思つておりまするので、持つて来て頂いたのは西山総務部長でありますし、当時のみならず、受取は出しておりません。委員長にお願いします。ちよつと附加させて頂きます。
  249. 谷口弥三郎

    委員長谷口弥三郎君) ええ、どうぞ。
  250. 吉田日出男

    証人吉田日出男君) 四万円と、十二月の年度末にも一回一万円頂いております。この五万円はそういう金であると、不浄な金であると思いまして、良心の呵責に堪えかね、早速五万円を本部に送金いたしまして、弁償の意思を表明いたしておるのでございます。
  251. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 四万円は鯛尾のほうの分の金か、或いは又徳山救難所のほうの分の金か、どちらなんです。その四万円は。
  252. 吉田日出男

    証人吉田日出男君) いずれの金であつたか、スクラツプの金であるということを存じませんもんで、先ほど申した通りでございますので、どちらの金であつたかということは全然存じておりませんので。
  253. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 その後又西山から一万円、それはどこからもらつたんです。
  254. 吉田日出男

    証人吉田日出男君) それは役所で頂きました。
  255. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 そのときにも、その一万円が何の金であるということは確めてないんですか。
  256. 吉田日出男

    証人吉田日出男君) それは年度末でございますので、本部から援助してくれたものと同じ気持で頂いております。その点誠に調査をして頂けばよかつたのでございます。或いはそのことがわかれば峻拒したであろうと思いますが、その点確めなかつたことは重々お詫びいたします。
  257. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 それから本部長当時にいわゆるやみ官舎と宙ぶらりんの官舎があるということを証人は知つてつたかどうか。官舎の問題、官舎六棟の問題。
  258. 吉田日出男

    証人吉田日出男君) お答え申上げます。私が参りまして、当時御承知の通り原爆の広島の地でございまして、貸す家は勿論、売る家もございませんでした。全く焼野原でぼつぼつ官舎は建ちかけては、家は建ちかけてはおりましたが、最小限度の店舗と最小限度の住宅だけでございまして、残るものはうちらの一角と比治山の一角が漸く残つてつたような状況でございます。で、私も当時参りまして四カ月間四畳半の寮の部屋を借受けまして苦労いたしたのでございますが、私の官舎並びにその宿舎につきましては、只今お尋ねの点につきましては当時は正当に購入されたものと考えておつたのでございますが、その後当務者より、実は止むに止まれずこれは予算の不当流用によつて購入いたしましたと、従つて国庫に帰属することができません。止むを得ず管理人の個人名義にしたのでございますということの報告を受けました。困つたことだと、何とかして一日も早く国庫に帰属したいと、さように苦慮いたしておつたのでございます。併しこれを持出すと、この予算の不当流用がおもてに出ますので、何とかこれを流用をおもてに出さずに国庫に帰属する方法はないものかと思つて苦慮いたしておつたのでございますが、在任中にそれが実現できなかつたことは、誠に返す返すも申訳ないことと思つております。
  259. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 この官舎購入のそういう報告を聞いて、証人が知つたときに、この官舎の購入の金がどういう経路で支払われたかということについて部下に部して調査したことがあるかどうか、その点について。
  260. 吉田日出男

    証人吉田日出男君) お答え申上げます。個人名義にしているということは、実に困つたものだと、これを国庫に入れようと思うことばかりでございまして不当流用いたしている金額については当時調査いたしておりません。
  261. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 そういうような不当なものがあるにかかわらず、その責任の地位にある者がそういうことに対して調査もせず、調べていないというようなことで忠実な公務員としての任務が果せていると証人は思うかどうか。この点は。
  262. 吉田日出男

    証人吉田日出男君) 誠に申訳ございません。
  263. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 証人は、御承知のように国の財産が濫費されている。そうして多くの国民の血税の中から、こういつた不当な支出、或いは不当にそれが消費されているというようなこと、これが年々当委員会において、検査院の抜き検査報告を見ても、何百億円という批難された金額が出ている。その中には直接国損となるものも何百億という大きな金があるわけであります。こういうような実情であるということを知りながら、而も国の相当重要な責任の地位におつて、みずからこういうことを犯しているというようなことについて、どのように一体考えているか。その点について現在の吉田証人の心境について一応伺いたい。
  264. 吉田日出男

    証人吉田日出男君) 当時、一日も早く国庫に帰属いたしたいと思つて、当務者にはその方法等については研究さしておつた次第でございます。今日となりましてはその心配もございませんし、一日も早く国庫に帰属するよう目下手続を取計らい中でございます。私といたしましても、この失敗に鑑みまして、今後この経験を活かして、徹底的に調合整理、従業員の質の向上を図つて、再びかくのごときことのないようにいたしたいと考えている次第でございます。
  265. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 それでその宿舎は、証人本部長になる前に参考までに、前本部長の時代にもすでに行われているのですが、証人の前本部長が、このことについては証人に対してどういうふうに言つてつたか、その点お伺いしたい。
  266. 吉田日出男

    証人吉田日出男君) お答えいたします。引継ぎの場合は、書類によつて引継ぐわけでございますけれども、官舎の問題につきましては、何ら引継いでおらないわけであります。私は次長並びに総務部長の入つておりました家は正当に整理されておつたものと考えておつた次第でございます。
  267. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 それで前本部長は、この官舎について引継ぎは成るほとしてない。引継ぐわけにいかんのだから、引継ぐといつたつて、これはあなたの言われるように、引継ぐわけに行かない。併しながらこういうことがあるが困つたものだ。何とか君のときに、これを正規のものに一つしてもらいたい、国の帰属にするようにしてもらいたいというような話が、引継ぎではなく、そういう話がなければならんはずだし、それについてはどうだつたか、こういうことを聞いておる。
  268. 吉田日出男

    証人吉田日出男君) 只今のお話の点は何らお話もございませんでした。
  269. 飯島連次郎

    飯島連次郎君 一言お聞きしたいのです。只今吉田証人証言を伺つて、私ども非常に遺憾に考えるのですが、只今油絵の問題に限らず、恐らく本部長として着任されて、こちらに転勤をされるまでの間、恐らくここへ、我々の目の前に提供されている件数だけを取つてみても、非常に針の莚に坐つているような感じで業務執行をおやりになつてつたのではないかと想像するのですが、本部長として、或いはこういう関係の業務等でしばしば他の管区の人たちと会合する、或いは会議で会い、或いは懇談等の機会もあつたと思うのですが、やはり当時は全般的にこういう情勢にあつたのですか。各管区ももう紊乱の極に達していると思うのですが、各管区ともやはりこういう状況にあつたので、あなたは特に呉に関しては、自分のところだけがこういうふうであるというふうな感じではなかつた、これが一般だと。
  270. 吉田日出男

    証人吉田日出男君) お答えいたします。他管区につきましては、科が広島本部長以前は、海上保安庁創設当時は舞鶴の本部長でございました。科としては舞鶴は初代本部長として、何とか新規な雰囲気を盛上げたいというので一生懸命やつておりました。どの管区もこの通りであろう、負けてはならんというつもりでやつておりました。第六管区に転勤されまして、科としては良心に鞭打つて努力はいたしたつもりでございますが、今回かく事件が起つたのでございまして、誠に申訳けないと存じております。他管区にもこういうことがあつたのではないかという御質問でございまするが、他管区のことにつきましては、恐らく海上保安庁を創設せられまして急遽保安業務の実施を命ぜられました関係上、当時各機関から急遽採用して人員を埋めなければならなかつたというところから、適材を適所に得ることが非常に困難であつたのでございます。従つて適材を適所に得られぬ悩み、いい質の人たちを採用するということも困難であつたのでございます。これは各管区とも共通の悩みだつたろうと存じます。
  271. 飯島連次郎

    飯島連次郎君 私もまあ創設の業務ですから、なかなか容易でなかつたということは理解もできるし、想像に難くないのですが、ただこの六管区の問題については、ひとり油絵の問題と言わず、鯛尾倉庫の問題と言い、或いは徳山警備救難所の問題と言い、これは関係する人たちのこの繋がりを見ると、一番本部長に深い関係を持つておる総務部長なり、補給課長というものが中心になつて、もう経理上実に紊乱を極めているというふうに判定できるわけですが、こういう紊れた経理の最高責任者という地位にあなりがら、さつき油絵の問題であるとか、或いは名目のわからない、総務部長が持つて来たのだから領収書を発行しないで取つてもいいというふうな証言もありましたけれども、幾ら本部長でもそういうことは少くとも私は国家公務員である限りはできるはずはないと思いますけれども、そういうことをあえておやりになつてつたというところを見ると、如何に我々が善意にこれを解そうとしても、やはり本部長みずからにそういう意思があつた。従つて他がこれに倣うというふうに我々はどうもこれを感ぜざるを得ない節があるのでありますが、そういうことが全体の経理が、創設の途上でなかなかその軌道に乗らないということの上に一層拍車をかけたのではないかというふうに考えられるのですが、そういうお感じは当時持たれたことはなかつたですか。
  272. 吉田日出男

    証人吉田日出男君) 只今の御質問の点は、私がこちらに転勤後に起つたことでございまして、只今のお話につきましては、私は第六管区海上保安本部長といたしましては、常に節約ということは強調しておつたつもりでございます。又舞鶴本部長から第六管区本部長に転勤いたしましたときも、経理をよくしようと思いまして、本庁にも相談を申上げ、経理課長補給課長の更迭もやつてつたわけでございます。併しながら転勤後私がこういう被疑者として取調べを受けたことによりまして、他の経理、補給関係にも悪影響があるのじやなかろかうという御心配を頂きまして、この点私も非常に心配をいたしておりまして、後任の本部長にはくれぐれもどうか僕は良心的に誠に、責められる、どうか一つしつかりやつて頂くようにということは再三申上げておる次第でございます。
  273. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 もう一つ警察からあなたが釈放されてから帰るまでの経路は、警察から出て、それから一緒に連れられてどこへ行つて、それからその晩はどこで泊つてどういう工合にして帰つて来たか、その経路について一応詳しく参考までにお聞きしたいのです。証人から説明願います。
  274. 吉田日出男

    証人吉田日出男君) お答え申上げます。たしか昨年九月の十七日かと思うのでございますが、夕方五時頃呉警察署の方に連れられまして、広島地方検察庁呉支部に同行するからと言うので、連れられて行つたのでございます。それから検事、河井検事だつたと思いますが、支部長検事の取調べを受けまして、夜、時計を持つておりませんのでわかりませんが、随分遅かつたと思いますが、これから帰つてよろしいということで、併しまだ他と交渉、面会等は絶対にしてもらつては困る、こういうことでそこを出たのでございます。それで支部の職員の方に宿を世話して頂きまして、近くの宿に泊つた次第でございます。その泊る前に荷物を全部取りに呉警察署に出向いて行つて、それから宿に案内してもらつたわけでございます。
  275. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 それで警察を出てから河井支部長検事から取調べを受けたのは、どういう点を取調べられたのですか。
  276. 吉田日出男

    証人吉田日出男君) お答えいたします。油絵の買却事件並びにスクラツプ代金一部授受の問題だつたと記憶します。
  277. 村尾重雄

    ○村尾重雄君 私はこのやみ官舎の問題ですが、あなたが着任されるまでの三軒は別として、着任されてから購入された、三軒の購入された金の出所、これはどこでこしらえられたのか。又予算を流用されたのか。その点をちよつとお伺いしたい。
  278. 吉田日出男

    証人吉田日出男君) お答えいたします。本部長官舎につきましては、各所修繕から出ておるのではなかろうかと、各所修繕の増額を受けたということを聞いた記憶がございます。
  279. 村尾重雄

    ○村尾重雄君 今の修理というやつが、百二十万円の本部長官舎の購入費のうち五十万円を修理というのから出して、あとの金は知らない、その次に買われた二軒の家の費用を合算してやはり百七、八十万円の金高になるのですが、この金の出所は前の証人にはわからない、知らないということですが、あなたは御承知かと思つて伺つたのですが、あなたはお知りにならない、こういうことですか。
  280. 吉田日出男

    証人吉田日出男君) ちよつとお答えいたします。当時、先ほど申しました通り、国庫に帰属することにやかましく督促、研究を命じておりましたので、不当支出についても、結局調査をせなければならんことと思われますし、あえてその点調査を特別に命じたことはないのでございます。先ほどカニエ委員から仰せられましたごとく、誠に申訳ないことと思つております。
  281. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 一応吉田証人に対する質問、証言はこの程度にしておいて、更に警察側のほうの証人に……。
  282. 宮本邦彦

    ○宮本邦彦君 吉田さんに承わりたいのですが、吉田さんが在任中にスクラツプの問題が多いのです。スクラツプがあつたということは御存じなかつたように先ほどお話になられたようなのです。で、吉田さんの在任中に、吉田さんは御存じなくても、処分された件数はありましたか。
  283. 吉田日出男

    証人吉田日出男君) ちよつとお尋ねしますが、処分……。
  284. 宮本邦彦

    ○宮本邦彦君 スクラツプの払い下げですね、これは売却でしよう。
  285. 吉田日出男

    証人吉田日出男君) そうでございます。
  286. 宮本邦彦

    ○宮本邦彦君 そういうことを在任中に、売却代金処分と言いますか、それをお売りになつたことがございますか。
  287. 吉田日出男

    証人吉田日出男君) 在任中スクラツプを払い下げたというようなことはなかつたように記憶いたします。
  288. 宮本邦彦

    ○宮本邦彦君 結構です。
  289. 谷口弥三郎

    委員長谷口弥三郎君) それでは、一応吉田証人に対する質問はこの程度で終りまして、呉警察署側の二人のかた、前にどうぞ。
  290. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 只今吉田証人から証言をされた点をお聞きになつてつただろうと思います。そこでスクラツプ、それから油絵等に関して、特にスクラツプに関しては、西山総務部長がどういうふうな警察証言或いは陳述をしておるか。吉田証人只今証言と著しく相違しておる点がありますか。こういう点について気付かれた点があれば、御両人からそれぞれ発言を求めて一つお話を願いたいので。
  291. 森田一巳

    証人森田一巳君) 只今吉田証人が言われました証言は、当時の取調べのときと相違の点が私もございます。吉田証人は、徳山スクラツプ売却事件当時六管区本部長をしておられまして、そうして本部長室で、当時の西山総務部長木戸武二三さん、これら補給部長総務部長とお話があつて、そうしてその結果、君、いい工合にやつてくれというふうに、吉田本部長さんが当時説明を聞かれて同意せられておるというふうに西山総務部長さんが、私らが取調中に申しておられました。その調書を私も取りまして、これを先ほど私が申しましたときの証人尋問の申請に検察庁に提出しておつたのを、当時の検察官が証人尋問にも至らなかつたと、こういう事実があります。そして最初の逮捕状を突つけた、そのときの後においてと、こういうふうに吉田証人はおつしやつたのでありますが、これにつきましても、私はその当時、事実先般私が証言いたしましたとき申上げた通り、私どもは検察庁との話合いの節、あのとき申しかしたような事情がありまして、私らはそれをすぐ直接逮捕するとかというふうな挙動に出るためには、必ず令状を突つけねばできないことでありますが、そんな軽はずみのことは検察庁との前の話合いがありまして、決していたしておりませんから、そのような状況があつて、彼の身柄を釈放するならば、これは私らが責任を負うことができないがどうかというふうに支部長並びに係検事へ持つてつてお話いたしましたときに、その責任を検察庁でも負つてくれられれば、これは私どもそれは任意の捜査をしてもよろしゆうございますが、これについて我々は、ああいう態度をするならば自殺行為に出ると、私はその身柄の責任が持てないと、かように署長から交渉をせられました。その結果、それでは強制捜査をせにやいけないだろうというふうな検察側のお話があつて検察庁の同意の下に我々は初めて吉田さんへ逮捕状を示して、私が前回の処置をとり、留置をいたしましたようなわけであります。  更に油絵の問題でございますが、この油絵の問題にいたしましても、本部長であつたときもらつた油絵にいたしましても、自分が個人にもらつておられるものであつたならば、官舎へ掲げられてももいいもんだろうと思いますし、又転任の際にはこれを持つてお帰りになるのは、これは当然なるところの公務員たるべきものの正しいやり方ではないかと思います。而もこれを役所へ持つて、現に自分がこの東京都内に離れておいでになつておるとはいうものの又他の官庁へ転任せられておるわけでもありませんし、自分がその元の官庁におられまして、これを六管本部へ持つてつて売り付けるとかいうようなことをせられるということは、私納得行きません。又そういうような事実が木戸補給部長などにお話があつたことは、その人たちから、私に取調べを受けたとき、何とかこれは役所に買つてくれたようにしてくれんかというふうに私へお話しておりますことも、その申しました人からも聞いております。これは私だけではありません。先ほどお話いたしましたところの堀部刑事その他、ほかに三人当時刑事がこの事件担当しておりましたが、これらもいずれも聞いておりますし、間違いがございません。なお検察庁の河井検事がお取調べになつたときに、我々も吉田さんが真に涙を流して、本当の気持になつて善人になつて森田さん、刑事さん、私は下の下の人間になりました。併し家族がたくさんおることだし、これを学校へ行かせるとか、或いは子供の就職の問題についても非常に困りますというふうな涙を流したお話を私らに述べておられまして、それは調書には取つてはおりませんが、事実はこの私がこの耳で聞いております。吉田さんから聞いておるのでありますから間違いはありません。そういうような涙を流す供述というものは、でたらめで私は涙が出るものではないと思います。
  292. 谷口弥三郎

    委員長谷口弥三郎君) ちよつと速記をとめて。    〔速記中止
  293. 谷口弥三郎

    委員長谷口弥三郎君) 速記を始めて。
  294. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 それでは今の森田証人からのお話がありまして、次いで一応堀部証人から一つ今の点について、いろいろ今証人発言された事柄と食い違う点、或いは又考えられる点があろうと思いますから、一応説明一つ願いたいと思います。
  295. 堀部克之

    証人堀部克之君) 吉田証人徳山リスト外横領事件については、留置中において警察としては取調べされなんだと、こういうように供述しておられるように承わつたのですが、これはそうではないのであります。警察署に留置いたしまして、殆んど検事が、担当検事であります河井検事が呉の警察に出張いたしまして、油絵詐欺事件について拘留請求をする時期について、自供いたしまして、本人について調べる必要はすでにもうなくなつた。次に残る徳山スクラツプ事件についこ、残りの拘留期間でありますところの十日間というものについては、西山総務部長木戸補給課長を調べまして、最後に西山総務部長吉田証人と対決させまして調べております。それについては殆んど河井検事が調べております。私たちもそのそばへ立会いたしまして、合同で調べておるような次第であります。この点決算が食い違います。以上の通りであります。
  296. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 最後に、それでは警察のほうに伺うのですが、本件の今大体表面に現われておる事件としては、先ずこういうような内容のものであるが、これが捜査を目下やられておるかどうかということ、それから捜査がやられておるとすれば、この捜査を進めて行くことにおいて、本件以外のやはり事件が出て来るような感じが持たれるかどうかですね、その点を一つ参考までに承わつておきたいと思います。
  297. 森田一巳

    証人森田一巳君) 先ほど初めの証言にありました、堀部証人が御説明申上げましたときにありました通り、太平工業とそれから呉造船、これら二社との贈収賄又は詐欺事件などに関しましては、昨年の十二月の下旬頃から本年二月頃までにできて、困難ながらも漸くできる範囲内の捜査をいたしまして、目下検察庁へ送検起訴されまして、そうして審理中のことであるような状況でございますが、その他の、このローマ字で書いてありました部分につきましては、遺憾ながら昨年九月十七日以降、先ほど申しました通り状況によりまして、我々が手の付けられないような、付けようがない、付けたところで覆えされてしまつたというような状況に帰結いたしまして、私が只今ここでこれができるとはもう言い得ないような結果になつております。
  298. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 それでは検察庁がいわゆる障害になつておる部分が、これが呉警察署に協力をするという態勢に遅まきながらにでもなつて来れば、多少やはり全面的な捜査ができるというようにお考えですか。その点はどうですか。
  299. 森田一巳

    証人森田一巳君) 私どもは第一線で捜査をいたしておるものでございまして、検察庁は我々の捜査した事件に関しましてこれを正しく判断してもらいまして、我々と相一致協力いたしまして事案の解決に協力しなければならない任務にあられるわけであろうと思います。そういうようなことでありますが、このようになつた現在、これをし通し得るかどうかということは、各被疑者に相当すべき人間が真に真人間になれば我々に供述をいたしてもくれようし、又そうしなければならない人間性の正しい世の中の気持を、人間として正しく生きなければならない。又自分が悪いことをしたことについては、正しく、とにかくもう考えて、悪かつたことは詫びて、そうして真実を犯罪事実についこ申上げてくれれば、これは別問題といたしまして、そうしない限り世の中の人間の情といたしまして、かかる真人間性をそれらの人が得てくれない限り、これはむずかしいと思います。
  300. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 最後に、今これは参考までに聞いておきたいのですが、警察が、幸いこれが呉の自治警察であるということについて、先ずいろいろな圧力があつたにしても、そういう関係でここまでいわゆる捜査がやはり行えて来たというように私は考えておる。これが今国会でやかましく言われている国家権力のいわゆる警察、昔の権力警察になつた場合には、一体その関連において、一線の証人たちがどういうふうに考えるか。これは恐らく私は警察制度の問題になると思うのですが、参考までに一応考えがあれば一つ聞いておきたい。こういうふうに思いますがね。
  301. 森田一巳

    証人森田一巳君) これは大きな問題でございまして、私ごとき一警察官が申上げることも何と思いますが、先ほどの検事同一体の原則と申しますか、やはりそういうような一本化された結果、警察がやはりそういうような原則というふうなことにそれはなつて来る、若しも警察法がそのようにこの前の案の通りになりましたらばなるのじやないかと思いまして、そうすると我々の仕事は、先ほどのお話の通りの結果に困難性を帯びて来ると思います。
  302. 谷口弥三郎

    委員長谷口弥三郎君) それでは、一応質問はこれで終りましたから、証人のかたはあちらにおいで願いたいと思います。  それではこの問質につきまして。今後如何いたしますか。ちよつと速記をとめて。    〔速記中止
  303. 谷口弥三郎

    委員長谷口弥三郎君) 速記を始めて下さい。  それでは本日はこれを以て散会いたします。    午後七時二分散会