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証人(
鐘築壽隆君) 二十三年の十一月に
管財係長を命ぜられまして、国有財産の管理の補助をしておりましたのですが、二十三年に参りましたときに官舎が三戸あるからという引継ぎを前任者から受けました。この三戸でありますが、このうちの一戸は又お話しがあるかと思いますが、三戸、官の官舎がある、こういう引継ぎを受けまして、私といたしましてはその引継ぎに当りまして、引継者の
契約書を見ましたところが、
個人の名前にな
つておりますから、どうしてこれは
個人の名前にな
つておるだろうかということを前任者に聞いたところが、直ぐ官のほうに切換えるべきであ
つたのであるが、まだその段に至
つていないということでありました。それからあとの二戸でありますが、柳澤前
本部長は海運局長と
広島海上保安本部長を兼務しておりまして、
本部長自体は海運局の官舎のほうにお住いにな
つてお
つた。ところがたまたま柳澤
本部長が転勤されるという噂がありましたので、私の上司としておりました海藏寺補佐官から
本部長が迭ると
本部長の官舎が必要にな
つて来るんだ、まあ私も
広島には初めて参
つたのでありまして、御承知の
通り原爆の都市でありますから、家もないような
状態でありまして、
本部長が来られて
本部長の官舎を作らなければならんということになるとどういうことになるでしようかと、上司に申上げましたところが、家を探すのが一番だということでございまして、それでは家を探さなければなりませんというので、その命を受けましてから殆んど毎日のように借上げの官舎を探しにほうぼうに参
つたのでありますが、私もまあ
広島は未知のところでありますしいたしましたので、係官を連れまして商工会議所とか
財務局とかいろいろそういう
関係の所へ行
つてみたのでございますが、何分にも原爆の都市で家がない所でありますから、何か国家のものでどこかないのだろうかということを
財務局に尋ねたのでありますけれども、
財務局といたしましてもそういうところは全然ないんだ、もう全部入
つてしま
つておるというようなことでありました。まあそういう工合に各方面にいろいろ、依頼して歩いたのでありますが、どうにももう
本部長官官舎としての借入れは全然ないというような
状態にありましたので、上司に、もうこれ以上私といたしましては、もう借入れの官舎を探すことはできないと、私が至らなか
つたから上司にも出てもら
つても結構だが、大低のところは上司の指示によ
つてあそこに
行つたりここに
行つたりして、行くところは行きましたが、もう殆んど貸してくれる家なんかは到底ありませんという
報告をいたしました。そういうような経路を辿りまして、それでは貸家がないとすれば買上げる官舎はどうだろうかという話がありまして、それならば又買上げるという方向になれば、これは別になるということで又いろいろ探しに参
つたのでありますが、売家は多少ありましたのですが、何分にも
本部長が入られるというような家は見付からなか
つたのであります。そのうちに
本部長が着任になりました。
本部長の官舎がありませんものですから、隊員のクラブの六畳の
部屋にお入りにな
つております。そこで相当暫くお入りにな
つておりまして、まあ我々といたしましても非常にお気の毒ではありますし、又上司にしても何とか早くしなければならないということで、本庁のほうに文書も出しましたし、又出張の際には、
本部長の借上げの官舎がないから購入しなければならんような
状態である、購入か又は新しく建てなければならんというような
状態にな
つておるということを、本庁のほうに出張或いは文書も出したと記憶しておりますが、本庁のほうに交渉して頂きましたところが、本庁でも購入の予算もないのだ、勿論新築なんかは、もう二十三年に保安庁ができたばかりで、そういう予算も大蔵省ではなかなかくれないのだというような、出張から帰られたかたの
説明がございまして、それではどうにも
本部長の官舎は作れないのじやないかというような段階でございまして、まあいろいろ私の上司の補佐官或いは補佐官から課長に話をしてもら
つたと思
つておりますが、補佐官のほうで、それではもう一回本庁のほうに
一つ話を強硬に進めようじやないかという話を聞きまして、是非そうしてもらわなければ
本部長の官舎というものは見付からないというような
状態でありまして、以後いろいろ本庁に折衝をして頂きました結果、購入費は到底大蔵省から全然もらえないのだから駄目だ、こういうことでありまして、補修費でも少しやるから、それで何とかできないだろうかというような話もあ
つたようでありますが、まあ私も会計方面は素人でありました
関係上、どういう工合にこれを処理していいのかというふうにとまど
つたようなわけであります。上司の指示を受けまして、それでは
本部長の官舎もさることながら、ほかの官舎もあるのだが、先ず
本部長の官舎を何とかしなければならんということで、それでは補修費で何とかなるでしようかというように申上げましたら、経理のほうと
相談されたと思いますが、先ず適当な家を見付けることが必要であるということで、まあ私も当事者といたしまして係官と
本部長官舎に充てるような適当な官舎を探したのでありますが、私としては家を見付けることができませんで、補佐官の海藏寺さんが見付けて来られまして、適当な家があ
つたから見に行こうじやないかという話で、私らもお供いたしまして見に
行つたようなわけであります。そうして海藏寺補佐官に交渉の任に当
つて頂きまして、そうして金額は大体百二十万円ぐらいだ
つたと思
つておりますが、そういう工合に話がついたからという話を受けまして、それじやどういう工合にすればいいのでしようかということから、
本部長官舎の補修費として本庁からもらえることにな
つた五十万円を出し、あとは経理のほうで考えるからということでございまして、命によりまして
本部長の官舎の修理ということにいたしまして五十万円を支出したわけであります。あとの金につきましては経理のほうで工面して渡したようであります。それから
本部長着任と同時にこの職員が増加して参りますし、又上司の人が着任されるということが、だんだんそういう
説明を聞きましたものですから、又それでは上司のかたが来られ、又係の人がだんだん殖えて来ることになればいよいよ
広島の家のないところにどうしてそんなに人が殖えるのだろうか、先ず人が殖えるに従
つて、家という問題を考えて行かなければならないというように私
個人も思いまして、上司に、実際にそんなに殖えるのでしようかと申したわけですが、機構がだんだんに大きくなるのだから止むを得んのだというお話でありまして、今、二棟残
つております。機構が大きくなりまして、警備部長が又着任されるのだ、歌備部長はいわゆる海上保安本部の中心になる仕事をされるので、これは是非一定の場所にお
つてもらわなければ困るのだから、これも又何とかしなければならんという上司からの話がございまして、折角
本部長のほうをあれだけ苦心してなにしたのですが、又苦心しなければならないでしようかと申したら、これは
役所がそんなに大きくなるのだし、そういう官舎の面もやはり考えておかなければ、仕事とそういう面とがやはりマツチして行かなければならんというように上司から
説明を受けまして、これは御尤もなことだと私も考えておりました。それでは又
本部長と同様に家を探さなければならんでしようかと言
つたら、前回
本部長のところは購入費ももらえないでそういうようにやりましたのですが、今度は購入費をもらえるのでしようかと申しましたら、
本部長のときに本庁に話しても大蔵省が全然金をくれないのだからして、購入費としては恐らくくれないだろうという上司からお話がありまして、それでは又借入れのほうに主力を注がなければならんというふうに考えまして、これも又
本部長と同様に殆んど毎日のように出歩きまして、適当な官舎になるような家を探したのでありますが、
本部長と同様に私らとしては借上げの家は毛頭ありませんし、又購入の家も見付からないというような
状態でございました。そういう径路を辿りましたのですが、警備部長が来られるということになれば、早く何とかしなければならないということで、それではもう一度本庁のほうにも購入の予算か、新らしく建てる予算を
一つ何とかしてもらうように話して下さいと申しましたら、それでは本庁のほうに話そうということで、話してもら
つたと思いますが、これ又購入費も新設も、予算が全然ないのでできないのだというようなことだ
つたと記憶しておりますが、それでは着任されても家がないということでは、業務に又支障を来すようなことになるのだから、何とかしなければならないということで、相当に日時を
経過いたしましたところがたまたま海藏寺さんの知
つたかたが、貸す家はないけれども、今建てた家を都合で場所を変えなければならんというようにな
つたから売るのだがどうか、という御連絡があ
つたのでございます。そこで海藏寺さんが又交渉の任に当られまして、それでは購入費もないということになればどうにも止むを得ないけれども、なければ困る、貸家はないのだから何とかほかのほうで工面しなければならないのじやないかということで、海藏寺さんにその任に当
つて頂きまして、その経費は灯台のほうから何とかしようということになりまして、私もその旨を海藏寺さんから聞いたのであります。それでは
一つ灯台と交渉して下さいということで、多分海藏寺さんにお願いして灯台に話してもら
つたように記憶しておりますが、それでは灯台のほうで何とか差し繰
つてしようじやないかということにな
つたようであります。これはまあ勿論経理を経由して灯台に話されたと思
つておりますが、金額は海藏寺さんの交渉の結果、四十万円ということに話がきまりまして、実態調査の面積とか、建物の価値とかいうことは、私は、係員が参りまして調査いたしまして、まあ大体適当であると思われるからという係員の技術屋の話でございまして、大体価格も適当なようでございますということを海藏寺さんに申上げたら、それじやそういうようにしようということになりまして、金額は多分四十万円だ
つたと記憶しておりますが、四十万円で買おうということにな
つたようであります。先ほど申上げましたように、いろいろこの機構がだんだん大きくなりますと、上司の人は勿論でありますが、係の人も従
つて殖えて参ります。係の人が
東京その他から転勤されて来られましても、差当
つて入る家がない、入るところがないというような
状態でございましたので、まあ私らの希望といたしましては、成るべく
広島に家のある人が欲しいのだがな、というようなことも上司に申上げたのでありますが、いろいろの技術面においてそういうことは不可能だから、何とかもう少し人の入れるような家を見付けたらどうか、見付けなければならんというこれ又上司からの話がございまして、もう二回もそういうような苦労を私自身甞めておりまするので、又これに苦労しなければならんかというように考えておりましたのですが、これも
役所の業務を遂行するために止むを得んというように私も考えましたし、上司もや
つてくれなければ困るというようなお話がございましたので、これ又方々を歩きましたし、又いろいろな知人を頼
つて参りまして、又職員も殖えて来るのだが、どこか適当な貸してくれるようなところはないだろうかというように、いろいろ話して廻
つたのでありますが、これ又前回同様になかなか借上げ、家を貸すようなところは絶対にないのだ、今記憶に残
つておりますが、或る知人のところへ
行つたら、君はそういうような無茶なことばかり言
つて我々に頼みに来た
つて、
広島に殆んど家がないのに、一軒の家に三世帯も四世帯も入
つておるところへ持
つて来て、家を借上げられんだろうかというようなことはとんでもない話だ、というような
状態でございまして、いろいろ材木等も探してお
つたのでありますが、どうしても見当りませんので、又上司にいろいろ話したところが、まあそうだろう、貸してくれるような家はないだろうというような結果になりまして、これも又何とかしなければならんということになれば、購入費か、或いは早くもういわゆる保安庁の仕事を遂行するためには、どうしてもこの保安庁本部の近所に家を建ててもらわなければいかんというように考えまして、これも上司に上申いたしたと思
つておりますが、結局これも新らしく家を建てて頂けないというような
状態でございまして、上司に
相談いたしましたところ、これも又どうしても、これは前回と同じようなことを繰返すようだけれども、何とかしなければならんということになりまして成るべくたくさんの人が入るところを探さなければならんということになりまして、まあこれもいろいろ各方面にお願いしておきましたところが、たまたま大久保さんという人から、こういうような家があるがどうかというようなお話がありまして、それではとい
つて行
つてみましたところが、病院に
使つておりまして。