○一松政二君 そこでもう
一つだけ伺
つておきたいのですが、これは先日監督
局長にも伺つた問題ですが、人間の欲望には限りがない、
従つて戦前の我我の生活の水準に返りたいということは、もう
国民等しく願うところであるが、負けた日本がそう簡単にそこには到達できないことは、これは何人もわか
つておりますが、或る意味においては団体交渉の威力をか
つてそうして
経営者又は
国鉄のごときは、
国鉄の
責任者に今日でもいろいろな要求をつきつけておる、これは一面私は大いに同情し、理解し得るべき点もあるとは
考えますが、
国鉄のごとき大きな厖大な財産を擁する
経営にと
つては、多少無理なことをやりましても、或る
程度食い延ばしができる、
国鉄を食
つてしまえば相当期間私は食えるのは食えるかも知れませんが、これは結局
国民の租税
負担によ
つてこれを補うよりほかにないわけです。毎年々々裁定、或いは賃上げ、或いは年末資金その他で、私は将来頗る
国鉄の
経営は、今のような組織と今のような従業員の
考え方であるならば、
赤字は毎年累積するだけだ、そうして
運賃は
値上げできないという窮境に私は必ず追い込まれる。現に農村のごときは
運賃どころの話じやない、現に最近においては野菜とか果物とかというようなものは
運賃にも足りないという現状に追い込まれたわけです。ということは、過去の肥料なり労賃は只にしても買手がないような羽目に立至つた場合には、
収入というものは元入はしてお
つても、
収入は皆無な
国民が現におるわけです。必ず
自分たちがやつたものは報いられなければならん、大体報いられることを念願するのですけれども、先ほど
運輸大臣も同感の意を表せられましたが、
運賃の
値上げのみによ
つてこれはできない、さればそれに携わる
国鉄の従業員も等しくこれを私は認識してほしい、そうして
国鉄のごときは、私は
国鉄の従業員四十幾万人の中のその大部分は、私は田舎の居住者が多いと思う、田舎の居住者と、それから都会の菜葉一葉もできないところに住む者とが同一
賃金と同一待遇を、これは地域差の別は問題外にいたしますが、
賃金を要求することそれ自身に、私は労働組合の中にも或る
程度の矛盾はないか、田舎で
自分の家から通い、或いは女房や子供が田地を耕やして、米は別に買
つて食う必要もない、そういう人も等しく同一
賃金を要求するわけです。今の組織は或る
程度それも止むを得ませんでしよう。そうすれば田舎におる従業員は比較的裕福だ、裕福という言葉は差控えてもよろしうございますが、或る
程度満足ゆき貯金もできておるが、都会にいる者は
赤字に追われている。そうして常に
赤字を標準として
賃金を要求されるということになりますれば、私は結果これより不幸なものはないと思う。だけれども、今のいろいろな言上或いは慣習上差別待遇はできない。併し
自分が就業しておる
経営そのものはすでに
赤字の累積に悩む時代が私は目の前にあると思います。そうすれば私は鉄道従業員の全体として、これは団体交渉その他のときにそういう点をはつきり私は認識せしめてほしい。従業員仲間で何か調整ができないものか。それからただ要求すれば必ず通る。それは或る場合には無理が通るでしようけれども、その無理は必ず将来尾を曳いて
経営を弱化せしめ、鉄道というものをいわゆる時代遅れのものにしてしま
つて、英国あたりに見るような、私も最近は
行つて見ませんけれども、ものの本の報告によれば、随分もういわゆる時代遅れにな
つて、これを新らしくすることもなか、て困難な模様に書いてあるものを見たことがある。私はそういう轍を
国鉄が踏まざらんことを念願するわけでございますから、今の抜本的な
経営方法、或いはいわゆる公社
制度、これらも厳に検討を加えなければなりませんが、と同時に、私は従業員諸君が
経営それ自身というものの実態を把握するように、私は
国鉄当局は勿論でございますが、
運輸大臣がそういう観点から、私は
経営のやり方について監督もされたいし、それからそういう
方面で指導を怠らないように願いたいと思いますが、
運輸大臣の御所見をもう一応伺
つておきたい。