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永田(亮)
委員 次は問題をかえまして、
文部大臣に対して、道義の高揚の問題について
お尋ねいたしたいのであります。芥川龍之介氏が自殺を遂げたときに、その遺書の中に、将来に対する漠然たる不安という意味のことが書かれてありました。今日の人間は龍之介ほどの繊細な神経の持主は少いかと思ふのでありますが、特に政治家にはあまりいないかと思うのでありますが、多かれ少なかれ、今の人間には、心の奥底に何か漠然とした不安を持
つているのじやないかと
考えられるのであります。その現われが、龍之介の場合には内攻的なニヒルと
なつて現われております。戦後派では現実的なデカダンスと
なつて現われておると思うのでありますが、その不安の最大なるものは、私は戦争の脅威ではないかと思うのであります。一昨日の新聞でありましたかにも、根室にソ連の飛行機が侵入して来て、アメリカの飛行機と交戦して撃退されたと報じられておるのでありますが、いつ米ソ戦争が始ま
つて、そうして国内が混乱するかもしれない。国内に内乱が起きたり、革命が起きたりするんじやないかというような不安を持
つておる人も、必ずしもないのではないかと思うのであります。青年は、あるいは強制的に徴兵をされたり、あるいは海外に派遣されたり、派兵されたりするのじやないか。
一般国民は、いつ日本が戦場に
なつて、どこへ原爆が落ちて来るかもしれない、もしも米ソの大戦ということになりますと、地球は焦土と化してしまうじやないか、ローマが滅んだ後の一千年のあの暗黒時代がまたや
つて来るのじやないか、こういう不安がありまして、生きているうちに、若いうちに、大いに生の享楽を楽しもうというような
考えが起きて来るのじやないかと思うのであります。いわゆるよい越しの金は使わない、刹那の享楽を追う気分というものは、こういうところから生れて来るのではないかということを
考えるのであります。人間はパスカルの
考えるようなあしでありまして、思惟する能力を与えられ、しかもあしのようにもろい人間であるがゆえに、迷わざるを得ないのであります。青年が世紀末的な傾向に
なつて来るという原因も、こういうところにあるのじやないかという気がいたします。堀田善衛氏の書いた「広場の孤独」という小説がありますが、これは芥川賞を受けた小説であります。これな
どもたしかにニヒルを肯定した小説だと思うのであります。今の人の心がこういうふうに
なつて来ておるのであります。競馬とか競輪とかあるいはパチンコがいけないとい
つても、これをやるということは、
ちようど酒飲みが酒を飲んでうさを忘れるように、こういう不安に対する一つの逃避であり、また悲しいしジスタンスではないかと私は
考えるのであります。しかしもちろん私はそう申したからとい
つて、あのハイアライなどのばくち法案を認めようといろのでは決してございません。一方ではこういうようなばくち法案を出しておいて、他方で道義高揚などと言
つても、世間の者は何を言
つておるのだと
思つて信用がなくなる。私は
岡野さんが一生懸命に道義の高揚を叫ばれておられるのに、他方でこういうようなハイアライなどの法案が出るということは、
岡野さんに対してもずいぶんお気の毒だと
思つている次第でありますが、ただ私が申し上げたいのは、表面に現われた点だけを指摘して、パチンコであるとかハイアライというようなものがいけないとい
つて攻撃をしてみましても、その根本的になるもの、こういうものがなくならなければ、いつまでた
つてもやはりこういう享楽を追う気分に
なつて来るのじやないかという気がいたすのであります。道義高揚ということも、こういう不安が解決されなければ、根本的に解決されないじやないかという気がいたすのでありまして、これは
岡野文部大臣を含めた
政府の政治家が、戦争を起さないようにしていただきたいと思うのであります。しかし私はこういうことを申し上げて
岡野さんを困らせるつもりはないのでありまして、これは私の
意見としてお聞きくださればけつこうであります。ただ先日
岡野さんが、わが党の北
委員との間に道義高揚についているく問答をされました。その中で、柔道の方がいいのだ、あるいは剣道の方がいいのだということで、大分はげしい論争をされたようでありますが、私はもちろんこういう柔剣道というような伝統あるスポーツは、りつぱなものと思うのでありまして、大いに奨励されることはけつこうだと思うのであります。ただ速記録を
ちよつと読んでみますと、
岡野さんはこういうふうに言
つておられる。「柔道にしろ、剣道にしろ、精神修養、魂を入れるという意味では非常に役に立ちますから、今後そういう方向に進んで行きたいと思います。」こういうふうに
答弁されておるのであります。この「そういう方向に」ということは、前後の
関係から
考えてみますと、柔道、剣道というものはたいへんよいものであるから、だんだんと
学校では正科として取入れて行くようにして行きたい、こういう意味かと思うのでありますが、この点をひとつはつきりしていただきたいと思う次第であります。