○中曽根
委員 私は改進党を代表いたしまして、ただいま上程されました諸議案に反対の意を表するものであります。
池田
財政にかわりました向井
財政に
国民が期待をしましたのは、冷酷な池田氏の薄情政策に対して、駘蕩たる向井氏の温情政策であります。ドツジの申し子的な貨幣的安定に対する産業的かつ社会的安定であります。また八方ふさがりの貿易政策に対して、練達なる向井氏の貿易打開に対する放胆なる政策であります。この三つを
国民は期待して新大蔵大臣を迎えました。そして現在の日来の
国民経済を
考えるならば、今や政策の重点の切りかえが行われなければならない。すなわち今までのような貨幣的安定に対する新しい構想に重点が切りかえられて、そこに政策が集中されなければならないのであります。重点を切りかえて政策が集中されるということを
要求しているのであります。従来は
インフレの終焉期でありましたから、貨幣的安定を中心にする政策がとられたのは無理もありません。
しかし今日においては十一億ドルに及ぶ外貨の蓄積があります。滞貨の激増もあります。輸出はストップであります。物価は下落しつつあります。
しかも雇用指数は日に日に減
つております。失業の増大であります。それから綿紡績その他における操短の拡大であります。そういうようなデフレ的な
国民経済の中にあ
つて、未曽有の金詰まりと高金利が支配しているのであります。
由来
日本は後進資本主義の国でありますから、この貧張な
日本が外国に対して対等に国際競争力をつけて行くためには、明治以来の伝統であ
つたようにある程度の
国民経済、特に産業に対する積極助成政策、これは不可避であります。
しかるにこれに対して、ドツジ氏が参りまして、竹馬の足を切ると称してこの足をずばりずばりく切
つて行
つた。これは終戦直後の
インフレを終焉させるための
一つの政策としては
考えらるべきでありましよう。
しかしそれが終焉して、
しかも
日本が独立して国際競争に耐えて行かなければならないという新しいスタートに立
つた今日においては、ドツジの政策は再
検討を要するのであります。
しかしながらここで
考えなければならないのは、それはいたずらに
資金量をふやすということではありません。積極的な助成政策の背景には、必ずきちんとした総合的な
計画性と政治力が伴わなければならないのであります。重要なことは総合的な
計画性であります。そのもとに
資金の供給量をふやすということ、その
資金を的確に使うということ、金利の引下げを断行すること、それから税制の改革をや
つて、税の部面から来る産業に対する圧力をなるたけ排除してやるということであります。
資金量をふやすということは、必ずしも私は不況
対策として言
つているのではない。現在デフレである、不況であるからとい
つて、これが
対策として
公務員の賃金を上げるとか、あるいはその他の
インフレ的政策をやるということは、まだその段階ではないと思う。
国民経済の基礎を拡大するために、そうして
生産を迂回化して行くために、そうして国際競争力を増して行くために、すなわち
国民経済の正常な発展を育成するために、そのような
資金量の増大ということを不可欠としているのであります。そこで今までの政策に対して反省を加えなければならないのは、従来は
インフレ終焉を旨といたしましたから金が中心であ
つた。すなわち
財政あるいは金融あるいは租税、これが中心である。そうして貨幣的安定が講ぜられてお
つたのであります。
従つて今までの
国民経済の指導者を見ると、池田前大蔵大臣以来、すべて
財政の権威者あるいは金融の権威者あるいは特に租税が権威者が国の指導者であ
つた。これらの人々は
国民経済の主権者として君臨してお
つたのであります。
しかしこれは今や改められなければならない。そこに民間人である向井氏登場の意義があ
つたと私は思うのであります。こういうような重要な意義を持
つた向井大蔵大臣は三井物産から大蔵大臣になられたのでありますから、それだけの政策を
国民が期待したのはまた当然であります。
第二は、現在は十一億ドルに及ぶ外貨やあるいは国内の遊休
資金が約二千億円ほどあります。これらの遊休
資金や外貨を使うことが
インフレになるという恐怖症が財界や政界の一部にあります。この
インフレ恐怖症を払拭しなければなりません。それは自由
経済によ
つて放漫に使い、あるいはキャバレーができる、ビルがめちやくちやにできる、そういうことをや
つておれば、なるほどこれは
インフレ恐怖症にとりかかるでしよう。
しかし総合的な
計画性と一定の政治力、
国民の支援のもとに行われるそのような遊休
資金の活用というものは、絶対に
インフレの原因にはならない、またさしてはならないのであります。すなわち電源開発のために
政府は外貨を
要求しておられる。外貨を持
つて来るということは、国内に持
つて来ればこれは円になるのでありますから、これが電源開発に使われれば当然
インフレになる。
従つて円に関する問題については、
日本が持
つている十一億ドルの外貨と吉田内閣が入れようとしている十億ドルの外資というものは
性格は同じであります。
インフレになるというなら、外資の導入もやめた方がいいのであります。そういう点を
考えてみても明らかでありまして、総会的な
計画のもとに遊休
資金を活用するという方向に、政策の重点が向けられなければならないのであります。
ところがそういうような
日本経済の
要求に対して、今日の
日本の
状態はどうであるか。私はつらつら
考えますのに、ちようど
日本が満洲事変に入
つた前、
昭和四、五年のあの不況期の門口に
日本は立
つている。さらにもう少し近くの例を見ると、朝鮮事変勃発前の
昭和二十五年四、五月の情勢に
日本が入
つているのであります。なぜそれを言うかというと、
一つの例を申し上げますれば、まず第一に貿易は春以来縮小しております。七月―九月の平均を見ますと、貿易は輸出が九千六百万ドルであります。一月―三月から比べれば二〇%減であります。
しかも外貨の蓄積はやや減りつつある。これがふえるならばいいのでありますが、逆に減りつつある。特需はどうかというと、九月の契約は朝鮮動乱以来の最低のベースに入
つている。将来はどうかわかりませんが、そう期待することとも無理でありましよう。企業整備の
状態はどうであるか、
生活が困
つて店をとじねばならぬという数字を調べてみると、
昭和二十五年上半期においては四百九十六件であ
つた。それが本年七月においては三百三十五件。昨年上半期が百三十九件であります。この企業整備の数字を見ても、朝鮮動乱勃発直前に今や近づいている。人員の整理はどうであるか。
昭和二十五年の上半期においては月平均一万七千四百三十一人であります。ところが
昭和三十七年、月平均上半期は二万七百五十人であります。朝鮮動乱勃発直前よりも首切りの数が多くな
つているという
現状であります。失業はどうであるか。完全失業の数を調べてみると、
昭和二十五年八月、五十四万人であります。それが
昭和二十七年三月ことしの三月においては五十三万人にな
つている。朝鮮動乱勃発直後すなわちドツジ・ラインが一番ひどか
つたときと完全失業の数は同じにな
つている。離職の数はどうであるか。安定所に来た離職数を調べてみると、離職の表を見れば
昭和二十五年の四月においては八万三千件であります。
しかるに
昭和二十七年六月においては七万八千件、五月においては八万四千件、すなわち離職者の者も、朝鮮動乱勃発直前と同じ
状態に入りつつある、あるいはさらに最近の
状態を調べれば、大学の卒業者の就職難の
実態が、これを明瞭に現わしております。
昭和三、四年の
状態を調べてみますと、
昭和三年においては、大学卒業者は九千五百四十人です。それに対する就職者は五千二百九十一人、就職率五五・四%、専門学校は七九・六一%の就職率であります。ところが
昭和二十七年、最近の
状態はどうであるか、これは九月の情勢でありますから的確なことはわかりませんが、大体就職の見通しのついた者は、九月末において一〇・五七%である、一〇%
しかいない。就職の見通しのつけられる予想のある者は四八・八九%、あとの五〇%というものはまだ全然就職の見当もつかない。
昭和三年においてすら五五の就職ができておる。これを見ても最近の
日本経済の情勢というものは、
昭和四・五年、満州事変の
インフレに入る直前、あるいはさらに朝鮮動乱直前、その門品まで入りつつあるということが歴然としておると思うのであります。これを放置しておいてはよろしくない。
しかるに
日本経済には、後進資本主義の
ゆえもあ
つて、構造的な矛盾が非常に露呈して来ておる。何であるかといえば、まず第一が国際的均衡と国内的均衡が矛盾するということである。国際的均衡とはどういうことであるかと申しますと、国際的に
経済のバランスを合せようとすれば、国内に不景気が来るということである。すなわち国際的に輸出力を伸ばして行こうとすると、物価を安くしなくてはならぬ。物価を安くしようとすれば、操短あるいは失業、首切りという問題が起きて来るわけである。こういうように国際的均衡と国内的均衡は矛盾しておる、あるいはさらに長期的
対策と短期的
対策というものがここで矛盾して来る。すなわち長期的
対策というものは投資をやることです。
しかし投資は今何から出すかといえば、
節約から出す以外にはない。
節約を強行するならば、需要が減ります。消費需要が減
つて来る。
従つてある一定の期間においては不景気が出て来るわけです。そういう
意味において長期的
対策と短期的
対策というものは明瞭に矛盾しておる。あるいはさらに投資の内客にしても、
生産的効果を上げようとすれば、所得効果が減る。すなわち
生産的救果といえば基礎産業を拡充するという方面です。
しかしそうすれば
公務員のベースをそう上げるわけに行かない。あるいはそうすれば公共的事業を短期的に起すわけに行かない。失業救済事業を起して所得的効果を上げようとすれば、
生産的効果はマイナスになる。こういう矛盾がある。あるいは貿易にしても地域的均衡と貿易量の増大というものは矛盾する。これはドル圏とポンド圏の決済を見ればわかることである。こういうふうにして長期的
対策というものと短期的
対策というものは、ここに明瞭に矛盾して来る。
あるいはさらに第三には
経済的合理性と社会的合理性、社会的福祉性の矛盾であります。すなわち合理化を促進しようとすれば、必然的に過剰雇用を整理しなければならない。これは社会的合理性に反する。あるいはさらに単価を下げようとすれば、
生産や資本の集中を強行して行かなければならぬ。それをやれば
中小企業は参
つて来る。
農村の二、三男は参
つて来る。こういうふうに、社会的コストの高いものは、犠牲にならざるを得ぬ。これは
しかし向井さんの責任ではない。
日本が敗戦あるいはその前から背負
つて持
つておるものである。資源が貧弱で、人口の多い
日本が、宿命的に背負
つて来た
一つの構造的な矛盾である。これが満洲事変の前に露呈して来た。それを打開するために打
つたのだ満洲事変である七朝鮮動乱の直前にドツジによ
つてまたそれが露呈して来た。それが朝鮮動乱によ
つて打開できた。
今日再びこういう
状態が出たのに対して、
政府はいかなる
対策を持
つておるか。今日大きな両ストライキが荒れ狂
つておりますが、単にあれは一部の人間が使嗾していると
考えてはならない。
日本の社会にはああいうものを起すような地盤が、培養菌が毎日々々うん醸しているということを
考えなければならないのであります。それに対する政策がないということは、政治家として責任きわめて重大であるといわなければなりません。われわれはこういう点について、内閣の抱負を聞きたか
つた。遺憾ながら与党は時間をくれなか
つたために、われわれはこれを追究することはできませんでしたけれ
ども、大臣やあるいは総理大臣の御答弁に関する限り、そのような矛盾をいかに克服して行くかという政策の片鱗だに見ることができなか
つたのは遺憾であります。
一体どうしてやるか。ここでわれわれの所見を申し上げますならば、やはり産業の合理化あるいは
農業の拡大再
生産という方向に向
つて資金量を集中しなくてはならぬ。言いかえれば、
生産の迂回化です。そのためには一時の欠乏や困苦が出て来るでありましよう、イギリスがや
つたような一時的なものが出て来る。
しかしそのような長期的な拡大再
生産へ向
つて前進するということは、必然的にまた雇用の増大を次の段階には持
つて来るのであります。そういう大きな太い、
しかも長い見通しを持
つた強靱な政策をや
つて行かなければ、この満洲事変やあるいは朝鮮事変前の悲劇をまた
日本は繰返さなければならぬということになる。それは自由
経済ではできない。やはり総合的な
計画を持
つた太い線で推進されなければならないと思うのであります。そういうような
生産構造の迂回化、一時の耐乏は忍んでも、全力を振
つて国際競争に耐え得るように、その
生産財の拡大再
生産をや
つて、雇用の増大をして行くその方向に、集中的に政策の重点がかえられなければならぬ。それは基本的安定に対する
一つの大きな変革でなければならぬのであります。
そういうような
計画性を持
つた方向へ
経済が推進されなければならないのでありますが、それに対して自由党の政策がま
つたく不安定な要素から行われているという顕著な例が
一つあります。
一つの例を申し上げれば、物価の問題であります。
米価あるいは石炭の値段の問題であります。一体
米価は、
生産者価格にしても消費者価格にしても、
経済的数量を離れて今きめられている。ま
つたく政治的
米価であります。一体
米価はどうしてきめられているか、七千五百円というものをどうしてきめられたか、これは
生産費計算による
米価でもない。パリテイ指数かといえば、パリテイ指数でもない。これはやめたらしい。では国際
米価かといえば、国際
米価でもない。では何であるか、
経済的数量というものを離れて、
米価というものが浮動してきめられている。ま
つたく政治的
米価である。あるいはさらに消費者価格にしても同じであります。消費者価格の決定にあたりましては、御存じのように、農林省と大蔵省の案があ
つて、結局きめられたのはその中間の数字であります。六百七十円と六百九十円でありましたが、それを六百八十円にきめた。
しかもそのきめるにあた
つてはどういうことをや
つたかというと、
政府は二重価格を否定している。二重価格を否定したくせに、供出完遂奨励金と称して、
一般会計からこの金を
出しておる。供出完遂奨励金の
一般会計から補填しているということは、これはすでに二重価格であります。
政府はこれを行政
経費であるから
生産費その他に織り込む必要はないと言
つておるのでありますが、明らかにこれは二重価格であります。実は二重価格をやりたいのだけれ
ども、やれないから、これで妥協したというのが
政府の
態度であるだろうと思います。このような
消費者米価の決定というものを、
生産者価格からは離れて政治的にきめられている。ここに一番根本的な問題があるのであります。
しかもそういうような政治的な腰だめによ
つてきめられている
米価によ
つて、都市の
生活者や農民、特に零細な階層がいかなる影響を受けるかといえば、この点についての思いやりも全然ない。すなわち一キロ十円上るとなると、
国民全体を計算すると、一箇月には十億円の金がいるのであります。そうすると、六十円上
つたことになりますから、一箇月に六十億円の金がよけいにいる。これが一月から三箇月でありますから、百八十億円の金がいるわけであります。鉄道の値上りが約四十五億円です。この二つを足しただけでも、二百二十五億円の金が
国民はいる。ところが
政府は減税で二百三十億円安くしておる、こうい
つておる。それだけでもすでにもうとんとんであります。ところが
政府はこれを計算するにあた
つて、米は何日配給しているか、十五日
しか配給していない。残りの十五日は計算に入
つておりません。それだけではない。その
米価の値上りによ
つて、諸般の物価が上
つておる。この大きな圧力を受けたならば、家計費は、八%
米価が上
つたので減税によ
つてまかなえるということは、ある階層になれば吹つ飛んでしまう。それだけではない。なるほど減税によ
つて生活を救われる層はあるかもしれない。問題は減税の恩典に浴さない層である。減税の恩典に浴さない一万円以下の
生活者というものは、
国民の中には莫大にあります。その中で一番低い層は何であるかといえば、これは
生活保護法で適用を受けておる層である。
従つてこの層はある程度
国家の恩恵を受けております。
生活保護法で適用を受けている一番低い層と、一万円以下の減税の恩典に浴さない層が、今度の政策によ
つては全然手当が講ぜられていないのでありますが、これを何で講ずるかというのが、政治の基本にならなければならぬ。こういうような切迫して来た苦しい時代にあ
つては、政治のヘッド・ライトは常にその下層に向
つて向けられておらなければならないのであ
つて、ここに何ら
対策を施さないという点に重大な欠陥があると思うのであります。
そこでこれらの層が今まで一体どれくらいの影響を物価騰貴によ
つて受けて来たか、私の調べたところによりますと、終戦後
昭和二十一年以来麦の値上りは十回あります。そして
昭和二十一年三月から昨年の八月までで三十二倍上
つております。電力料金はどうかといいますと、二十一年の一月からことしの十一月までの間に七回上り、五十五倍に上
つております。あるいはガスばどうか、ガスは二十一年の八月から二十七年十一月までの間に九回上
つております。そして料金は二百十七倍上
つております。水道はどうかというと、二十一年一月から二十七年十一月まで七回上
つており、二十四倍上
つております。家賃は同じく五回上
つて、これは十倍上
つております。都電はどうか、東京都の都電は
昭和二十一年から二十六年十二月までは九回上
つて、これは五十倍に上
つております。鉄道はどうかといいますと、二十一年八月から二十六年十一月まで六回上り、二十七倍に上
つておるのであります。こういう層はなるほど
給与ベースは多少上
つて行くでしよう。
しかし上るにしても、一万円以上の組織労働者やその他と比べたら、格段の小さな値
しか上
つていないのであります。現に最近の情勢を見ると、大企業と
中小企業の間の賃金の格差が非常について来ております。たとえば二十七年上半期を調べてみると、五百人以上の
規模の会社の労働者が百円と
つているとすると、三十人から九十九人の間は五九・五%であります。すなわち六割
しかと
つていないのであります。さらに昨年の十一月調べで見ると、五百人以上の会社が百円と
つておるのに対して、十人から十九人――
ほんとうのこれは手工場です。この零細な手工場は四七・一%であります。九人以下に至
つては四四・一%であります。こういうふうにして下層の方は賃金の値上りが少い、組織労働者と比べて上らないのであります。
しかるに物価騰貴の圧力はその層にじんじん寄
つて来るのであります。この層に対して
政府はいかなる
対策を講ずることがいいかといえば、それは社会保障制度であります。少くともこれらの層にまずやらなければならぬのは、医療費の
国家補償であります。現在
国民健康保険があるけれ
ども、
赤字が三十億円ある。これを拡充して、われわれが主張するように、少くとも医療費の二割は
国家が負担せよ。お医者の払いというものは、実際は実庭の主婦の重大な圧力にな
つておるのです。これくらいのことをやるのは当然のことでなくちやならぬ。そういうような点に対する愛情も政策も全然ありません。ここに今日の
政府の重大なる政治の盲点があるのであります。
こういうふうにして、現在の
政府のや
つておる政策の基準というものは、きわめて政治価格であり、政治的である。向井さんの
財政は新聞記者の
諸君に言わせると、棒読み
財政だと言いますが、まるで流れに浮ぶ丸太棒のようなものである。(笑声)これは漂流
財政である。流れに浮ぶうたかたの
財政である。一体どこへ流れて行くのでありましようか。
国民がお伺いしたいのはこの点であります。こういう点についてもう少し明快なる責任ある基準を示されなくちやいかぬ。
米価は何できめられたか。諸般の数字は何できめられたか、炭鉱に対する二十三億円の利子は、どうして払いもどしたか。みな政治的な腰だめか、利権か、あるいは
選挙対策である。(
拍手)こういう基準によ
つて政治が運行されておるというところに、今日の政治に対する不信があるのであります。そこでそういうような
国民経済の指標というのは、満州事変前あるいは朝鮮動乱前の
状態に悪化しつつある。これを辛うじて今までささえて来たのは何であるか。まず第一は内需であります。第二は金融であります。滞貨金融であります。第三番目は操業短縮である。昨年の暮れからことしの上半期にかけて、ともかく物価は朝鮮動乱前の五割程度を低迷しておる。
生産は一三〇%を低迷しておる。これで横ばいに低迷している
理由は何であるかといえば、
一つは昨年の法人の収益が非常によか
つた。そのためにベースが上
つて、一般の消費水準が上
つた、それによる内需であります。これで
国民経済をややささえて来た。その次は滞貨金融である。大体上半期、第一・四半期において、約四千億円の銀行貸
出しが出ておるけれ
ども、その九〇%は運輸
資金である。その大部分は滞貨である。これでささえて来た。もう
一つは操業短縮である。
そこでわれわれが心配しておるのは、では来年度はどうなるか、これからどうなるかということなのであります。
昭和二十八年度の展望を大蔵大臣に聞いても明らかにしない。
しかし
政府が
出した数字を見れば、
国民所得は二―三%くらい
しか増さない。
しかもあの数字を見てみると、貿易量をやや過大に評価している。貿易は輸出がすでに十一億ドルから十億ドルに減
つている。そういうふうに悪化している。その安易な数字で来年というものを測定している。そういう点において来年度の
経済規模いうものは、われわれからすれば、今の
状態ではきわめて悲観的であります。そういうようなときにあた
つて、ことしの
補正予算から来年度の
一般会計予算に向
つてどういうつなぎで、どういうふうに
国民経済を拡大して行くか、その重大な点に対する
政府の解明が何らなされておりません。これは一番重要な問題であります。今
政府は来年度
予算を編成中であると思いますが、私が申し上げた点、特に内需の問題――内需ということは必然的には物価騰貴をもたらす、
しかし国際市場打開をやらなければらぬ。
しかし
日本の
経済の弱点というものは、国内市外が非常に狭隘であ
つて台湾や満洲へ進
出して行
つたことであります。
しかし国内市場を適度に拡大し安定せしめながら、国際市場を展開して行く。むずかしいところであります。
しかしそれをどういうふうにしてバランスをと
つて財政的にや
つて行くか、この点に関する
政府の明確な政策を示すのが、三井物産出の向井さんの重要な
国民に対する責任であると思うのであります。いろいろ御研究中であろうと思いますが、そういう今までの点をよく
考えられて、この
補正予算の運用、あるいは来年度の編成については御研究願いたいと思うのであります。
以上申し上げましたようなわれわれの構想からすると、今般提出されました
政府のこの
補正予算案というものは、依然として池田ラインの延長線にある。依然として
インフレ恐怖症にある。依然としてマネタリー・スタビリゼーションの段階にある。そういう
意味において、向井さんはおそらくあなたは民間人でありますから、不本意ながら前者のこれを追
つて、いやいやながら答弁をしたと思う。
しかし来年一月以降は、こういういやいやながら答弁しないような
予算をあなた方が
出してくれることを切に望んでやみません。これはわれわれ先ほど申し上げましたような
修正案及び
動議を提出いたしました。この
動議の中で、一般が批判されるのは
給与ベースが高い、これは
インフレの要因になる、こういうことであります。
しかしそのことは、ただいま申し上げましたような総合
計画のもとに遊休
資金を活用して行くという政策をとる限り心配はないのであります。これは来年度
予算の編成にあた
つてもよくお
考えを願いたいと思うのであります。特に大事なことは減税の恩典に浴さない、
しかも
生活保護法の適用を受けない一番下層の中間の層に対して、
政府が社会保障によ
つて恵みを与えるということを
考えなければならないことでありまして、これを強調してやまないのであります。
ことしの四月以来
政府は
財政を運用して参りました。またこの
補正予算を運用して参るのでありますが、この
補正予算を運用するにあたりまして、特に
政府に警告しておきたい点があります。
まず第一は外貨及び余裕金の運用であります。この点はきわめて怠慢でありまして、先ほど申し上げた通りであります。
政府が外資導入を叫ぶのならば、先に外貨を使わなければいかぬ。
政府が
インフレを恐れているというならば、外資導入はやめなさい。同じことではありませんか。こういう理論が成り立つのです。これが第一であります。
第二番目には、防衛支出金及び
安全保障諸費、
平和回復善後処理費、これらの対外
関係の
経費の使途がきわめて不明確であります。また
経費の内容が、われわれから想像すると、きわめてずさんであると言わざるを得ないのであります。まず防衛支出金はおいて二百二十一億円の残が十一月末現在にあるのであります。この使途はこれこれでありますと
政府は答弁して来ておるけれ
ども、この使途はわれわれが想像するに、
予算委員会に聞に合せるためにつくられた数字であるとわれわれは
考えざるを得ない。(「その通り」)あるいは
安全保障諸費にしても、五百十五億円というものがまだ使
つていない。あるいはさらに
平和回復善後処理費にしても、二百億円がまだ余
つている、全部合せると一千億円です。この一千億円を今まで
政府が税金でとらないで民間の中に置いといてや
つてごらんなさい。相当な
生産資金になり、運転
資金にな
つて活動しております。使わないものをなぜ先にとる必要があるか。この
政府の責任は免れないのであります。一千億円であります。こういう点ついてわれわれは
政府に対して重大なる警告を発しなければならない。防衛支出金に至
つては分担範囲が明確でない。これも私は
政府に所信を伺いたいと思
つてお
つたのでありますが、時間がなくてできなか
つた。防衛分担金は御
承知の通り合同勘定を設けて、
日本側の支出金とアメリカ側の支出金を
出しておる。そうしてアメリカ側が小切手を発行しておるわけです。ところが最近においてはアメリカ側の繰入れが非常にあいまいにな
つている。
日本は六百五十億円入れておる。アメリカはおそらくそれ以上現に入れておるでしよう。その入れている金額が行政協定に約束した範囲外のものを
出しているではありませんか。われわれは時間がなか
つたからこれ以上追究できなか
つたけれ
ども、特需やその他の金をこの防衛分担金から
出しておる。これは重大なる行政協定違反であります。岡崎外務大臣もこれはよく聞かれて訂正されたい。これは重要な問題であります。あるいは
安全保障諸費の問題についても同様でありまして、五百十五億円という金が不確定費として現在に残
つておるということは、
国民に対する責任を免れるものではありません。これらの点について
政府は今後重要なる反省を要すると思うのであります。
第三番目に、それらの
経費を背景にして行われた吉田内閣の政策であります。この点についてまずわれわれが言わなければならないのは自衛
対策であります。自衛
対策の中で約千八百二十億円の金が使われていることは先ほど申し上げた通りでありますが、この金の使途が的確でない、将来が明らかでない。これは非常に重要な問題であります。特に大事な点はかねがね論議された通り、吉田内閣のやるなしくずし軍備のやり方であります。われわれはこの国会の当初に重光総裁を立てて総理大臣に御質問をいたしました、われわれの総裁の発言は、ごまかしてはならぬ、
国民に相談をかけようという
態度であ
つた。われわれはなぜ吉田さんがまだあのようにごまかした、何というか
国民を恐れた
態度でこれを運用しているかふしぎでならない。事態はここまで来ているのである。
従つてこれをどうしますと
国民の前に相談をかけて、
国民にげたを預けたらどうですか。
国民がみんなでさわ
つてみてどうするか。
日本国民は純心な
国民です。
政府がそんなふうにごまかさなければ一体どうしたらいいか真剣に
考える。そういうようにずばりとげたを
国民に預けて
考えさせるという
態度をやらないで、何だか自分のふところに入れて、人が見るのを恐れて隠している、こういうかつこうが政治に対する不信と国防問題に対する
日本国民の疑惑を生んでおるのであります。学生や文化人の中に軍備に反対する人がかなりある。なぜあるかといえば、必ずしも彼らは軍備反対ではないのが多い。吉田さんのや
つておるあのごまかしのやり方、ああいうごまかしをやられたのでは、今やらない、やらないと言われても朝鮮に連れて行くだろう、こういう疑惑からそういうものに反対だということにな
つておる。大事な国防問題から焦点をそらされておる。あるいは吉田さんのや
つている冷血政策が、軍をつく
つたら、また税金をとられる。そのことから不必要に国防問題に対する関心を失わせているのである。こんな点が悪い。このもつれた糸巻の糸をほごして行かなければならない。そこに今日の政治の課題があると思うのであります。
しかも最近に至りましては対外
関係は進んでおる、もはや
国民に対して相談をかける段階である、そういう勇断を
政府はやらなければならないと思うのであります。外交は、私らは若輩でありますから吉田さんの御心情はわかりませんが、潮どきがあるだろうと思います。この潮どきを逸したらチャンスを逃がします。そういう
意味で決して
国民を不信に思
つたり、
国民を恐れたり、
野党を恐れたり、そういう
態度を一働して、勇敢に国の進む道を
国民に訴える
態度に出ていただきたいと思うのであります。特に最近におきましてはフリゲート艦の問題がある、か
つて予備隊の高射砲の問題について論議したことがありますが、あのころはまだ吉田内閣の
態度は法衣の下によろいを隠して、ちらつかせてお
つた程度であ
つた、最近においてはどうかというと、よろいをも
つて法衣である法衣であるとい
つて強弁しておる
態度である、このことは
国民は許さない、そこで
政府は所信を表明して
国民に相談をかける
態度が必要であると思うのであります。
第二の問題は、
政府の政策には国連
対策というものが全然ない、
政府の
対策に、外交
対策は、なるほど対米
対策らしいものはややある。これは迎合
対策である。
しかし国連
対策というものは何らありません。国連
対策というものは決して国連協会を各県につく
つて行くことではない。国連
対策というものは、国連憲章や国連精神あるいは平和条約のあの精神というものを、
国民のすみずみまでに認識さして、心の構えと、国内の総合態勢をつくるということであります。そのような
対策が講ぜられておるか、そのポイントはどこから来ておるかというと、
一つは自衛問題に対する
政府の韜晦あるいは逃避した
態度から来ておる。もう
一つは国連というものに対して、もつとまじめな国全体をあげての関心と、これに対する決心がまだないということであります。必ずしも私は情報局をつく
つて国民に宣伝しろということを言
つておるのではない、
政府の政策でやろうとすれば幾らでもできます。国連
対策の
一つのことを申し上げますならば、たとえば労働
対策である、なるほど
政府は労働問題については関与しないと言
つております。
しかしここに重要な問題がある。それは何であるかというと現在の
政府の労働
対策というものは、せいぜい保安要員を撤収するということになると緊急調整を発動する、それくらい
しかない。これではならないのであります。
政府は労働組合や労働政策に対する明確な原則なり所信を先に出されなければならぬ。すなわち労働
関係のいろいろな法案に盛られたいろいろな精神がある。それを敷衍してその教育を実施して行くということは、決してこれは民主主義に反するものではありません。