○古井
委員 私はこの
ただいままでの御答弁を伺
つて、これまたまことに了解のできないことばかりでございます。そうまでして
教育委員会制度を設け、またそうまでして後日大きな
弊害を起させる必要はないと思います。この辺についてはもう少しさらつと、すなおにものをお
考えになる方がよいだろうと思うのであります。私はもつとこの問題は論じたいのでありますけれども、その他の問題に移りたいと思いますから、この問題はここで打切
つておきます。
次は、私は
地方財政の問題について主として
大蔵大臣にお伺いいたします。この吉田
政府の施政の状況を見ますと、一つの大きな特徴は、外交偏重、内政軽視だと思うのであります。外交ということからほとんどすべての内政が割出されて来ておるように思うのであります。内政というお互いの生活生存というこの問題からむしろ割出して外交を
行つてこそ、初めて確固たる外交も基礎を持つと思うのであります。今の状況を見ますと、外交、これが第一であ
つて、これにまつたく無
方針、無計画に追随しておるのが内政の姿のように思うのであります。そこで、とりわけ吉田
政府の
政治において軽視されておるものに、
地方行政があると思うのであります。府県
市町村の
行政であります。この府県
市町村の
行政が、国政全般の上でどれだけの重要さを持
つているか、どれだけの地位を占めておるかということを、閣僚の何人の方が一体
知つておるかということを私は疑
つておるのであります。まことに初歩のことを申し上げて失礼でありますが、
財政規模からい
つて、一体
地方財政の
規模と国庫
財政の
規模とどつちが大きいのか。国庫
財政を一〇〇と見れば、
地方財政の
規模は一体どのくらいの
規模になるのか、こういうようなことさえあるいは御認識のない閣僚もおいでになりやせぬかと思う。あるいは御
承知にな
つているかどうか伺
つてみてもよい。しかしこれはあまり失礼でありますから伺う必要もありません。しかしこれはもう御
承知のように、平和時においては、国庫
財政よりも
地方財政の
規模の方が大きいのであります。一方を一〇〇とすれば、一〇〇以上にな
つておる。
昭和十一年、支那事変の前の年を見ましても、軍事費も含めた国庫
財政、これに比べて
地方財政は一二〇ということにな
つておる。その後戦争になりまして、戦時
財政で国費が非常に膨脹しましたために、比率は落ちて来ましたけれども、また
終戦後だんだんにこの
地方財政の比率が上
つて来ておる。もう国庫
財政に対して八〇%以上の比率にな
つておるはずであります。軍事費あるいはああいう国防的な経費を除いた一般
行政費を比べれば、ほとんど
地方財政の方が倍に近い
規模にな
つております。それだけのウエートを持
つておるのであります。これだけの大きな
地方行政というものがあるにかかわらず、まことに
地方行政は軽視されておる。実にこれに対しては理解がない
政治が行われておると私は思
つておるのであります。ことに今日この
地方行政がどういう状況にあるか、まずも
つてこの
財政面からもうつぶれかけておるのであります。
大蔵大臣は、つぶれかけておればうれしいのかもしれませんが、つぶれかけておるのであります。特に今の
地方財政の状況につきましては、これは
大蔵大臣も十分に認識をしておいてい
ただかなければいかぬと思う。
昭和二十五年度の決算において、赤字を出した
地方団体が一体どれくらいあるものか、翌年度の歳入を繰上げてやつと参決算をしたという
地方団体がたくさんあるのであります。それから翌年度の歳入の繰上げはしなかつたけれども、事業の繰越し、支払いの繰延べということをや
つて、そうしてやつと年をしのいだという、そういう
地方団体になれば実に多いのであります。私はここに
数字を持
つております。一々申し上げてもよろしいと思います。しかしこれは特に
政府に資料の提出を求めております。その趣意は、大臣にもひとつ見てい
ただきたいという趣意であります。
昭和二十六年度の決算の見込みにおいても、状況はかわ
つておりません。おび
ただしい赤字団体を生ずることが明らかであります。私はこういう状況が一体ほう
つておけるものかどうか、よくほう
つておくものだということを疑
つておる一人であります。
数字を多少は例として申し上げませんと、実感も出ますまいが、
昭和二十五年度の決算で申しますと、ほんとうの赤字団体、これが都道府県のうち十五であります。十五は実質上の赤字団体であります。五大市のうちの四市は、やはり赤字団体であります。またその他の市におきましても、八十五は赤字団体であります。そういうことで年を越しておるのであります。二十六年度の状況も似たりよつたりであります。こういうふうに
地方財政が窮境に陥
つている、今にもつぶたそうにな
つているということは、今までの
地方財政史上か
つてないことであります。これはほう
つておけない問題だと私は思うのであります。一体これはどういうところに原因があるのかというのが、一番の問題点だと思うのであります。よく
地方費には濫費が多い、こういうことも申せましよう。しかし濫費が多い
程度でこのような大きな事実は起りません。これだけの事実がそういうことで起るはずはありません。また
行政機構が複雑だという意味のことを、
本多国務大臣は午前もおつしやつたと思いますが、それもありましようけれども、そういうことでこれほど大きな事実が起るはずはないのであります。各
地方の
市町村、府県の状況は、
行つてごらんになればわかる。小学校などは実に危険きわまる校舎が直せないでおるのであります。なおかつ代用校舎を
使つても足らないというので、二部教授、三部教授までや
つているところもあるのであります。その
程度の必要やむを得ぬ校舎の改築、増築さえもできないくらいに事業を切り詰めてお
つても、なおかつ赤字なんであります。
財源を
使つていないのではないのであります。使えるだけの与えられた
財源は使い切
つております。これに一体どれだけ標準課税率を越えた
地方団体があるか。また法定外の独立税をしいてと
つている団体があるか。この
数字をごらんになれば明らかなことであります。使えるだけの
財源は
使つております。しかもやりたい事業もやれないでいる。これは要するに与えるべき
財源を与えないからであります。参必要な
財源を与えないからこういうことになるのであります。ここに一番大きな問題があると思うのであります。
一体税源がどれだけ
地方団体に与えられているか。これは私が申すまでもなく、よく専門の方は御
承知でもありましようが、
昭和二十五年度の決算を見ますと、総収入の中に税が何ぼ占めているかと申しますと、三〇%であります。これは都道府県では三〇%が税であります。その他の七〇%が税以外のものであります。税はこれだけしか与えられておらない。この府県と
市町村との総体を見ましても、税は三五%。六五%というものは税以外のものである。税の与えられたものは三五%、二十六年度、二十七年度を見ましても、若干の変化はありますけれども、大きな違いはございません。与えられた税源は実に乏しいのであります。そういたしますと、税以外の
財源でや
つて行こう。健全
財政の趣旨から言うならば、税をと
つて足らないところは交付金で全部をまかなわなければならないはずである。ところが
昭和二十五年度の状況を見ますと、
平衡交付金は千五十億であります。実際決算の上では千八十四億と出ておりますが、結局これでも足らぬというので、二十五年度では三百二十二億の起債をいたしておる。健全
財政からいうならば、税で足らなければ、交付金で全部を満たしてやるべきものではないかと思うのであります。しかもこれだけ起債をしたあげく、
さつき申したような赤字を生じておるのであります。税のほかに、交付金で満たすべきものを満たさないで、起債をたくさんしておる。それでやつと年を越して、そのあげく非常におび
ただしい赤字団体を生じている。これが
実情なんであります。
地方財政はつぶれようとしているのではない、つぶされようとしているのであります。ちようど中小商工業者に対すると同じように、十や二十の
地方団体がつぶれようがどうしようがかまわぬのだという政策が、やはりこの
政府にあるのかもしれません。私は、結局これは必要な
財源を与えないからだと
考えるのであります。なぜこれを与えないのか。ひとつここでお伺いしておきたいことは、国の
財政については健全
財政の主義をとるとおつしやる。昔は均衡
財政、超均衡
財政、かわ
つて健全
財政でありますが、健全
財政を貫く。こういうことにな
つてお
つて、
地方財政については健全
財政の主義は否認するんだ、とらないんだという理由はどこにあるか。借金で行け。国の
財政については健全
財政と看板を大きくして言いながら、
地方財政については健全
財政の主義は否認する。この理由はどこにあるかということを
大蔵大臣にお伺いしたい。