○片山委員 積極的な対策を聞きたいのです。具体的な民主政治確立についての対策及び
国民の民主教育についての対策、
国民の精神についての対策、これらの具体的対策及び
国民大衆の生活向上安定による
国民経済の充実、こういう対策を伺いたいのでありますが、ただいまの総理
大臣のお答えでは、はなはだ抽象的で、や
つておる、自由党としてもや
つておる、こう言うだけで、はなはだ不満足であります。しかしこれは政策等と
関連をいたしておりますから、他日に譲りまして、次の問題に移りたいと存じます。
しからば、憲法は軽々にかえるべきではない、憲法の精神は常にこれを尊重して、進んで政治対策を立てておるのである、こういう建前であることを前提として
質問をいたすのでありますが、
政府の言われますところの自衛力漸増、あるいは自衛権確立とか、自衛権の充実とか、こういう
意味を伺わなければ、これだけではよくわからないのであります。御
説明によりますと、自分の力で自分の国を守ることは当然である。これは包括的には、自分の力で自分の国を守
つて、ほかの国で守
つてもらうことはいやであるという、独立の
国家としての心持はわかるわけでありますけれども、さて具体的に自衛力の漸増ということを
考えて行くと、何になるか、結局のところは、これは武器を充実する、あるいは保安隊とい
つておる軍隊まがいのもの、これにも議論はありますが、そういうものの人数をふやす、つまり七万五千を十一万に、十一万をさらに二十万か三十万にする。武器もいろいろと近代的な科学武器を保安隊に持たして、軍隊まがいのような構想に持
つて行く。つまり人数をふやすことと、武器をふやして充実をするということが、自衛力の漸増になると
考えて行くべきが常識であろうと思うのであります。最近の情勢から見ましても、どんどんそういう様相が見えるのであります。日米間の船舶貸与協定によりますと、千五百トンのフリゲート艦十八隻、及び上陸用舟艇五十隻の、五箇年間の無償貸与があります。これはいずれ
国会の問題にな
つて来ると思うのでありますが、これが海上警備隊の自衛力漸増であるといわれておるのであります。しかしこの漸増は、本質的には軍隊であり、武力であり、戦争用に使われる品物であるということには
間違いはないと思うのであります。
いま一つは、かねがね問題の旧四日市の海軍燃料廠などの軍事施設の払下げの問題でありますが、いろいろとごたごたをいたしておりましたが、結局のところ
政府発表によりますならば、一切を白紙に還元して、新たな見地から適宜にこれを処理する、こういう
閣議決定があ
つたように報道をせられておるのであります。これは何でしようか、これは旧軍事施設である。何に使うか、
政府が、白紙に還元して、
政府の施設としてこれを使う。これも自衛力漸増にな
つて来るということも明らかであるといわねばならないのであります。さきに申し上げました海上警備のために艦船の一時借入れという、治安維持が軍備の準備かわからない性格不明の自衛力漸増、それから兵器発注によ
つて防衛生産
設備を整える。これも性格不明の自衛力漸増であろうと思うのであります。これらは武器または
設備の
内容で充実して来るのでありまして、再軍備の準備、再軍備の用意と何ら限界がないのであります。治安維持のための自衛力漸増といいながら、ずるずると吸い込まれるように、そのまま何らの境目なしに、事実上の再軍備または再軍備の用意、準備にな
つて来る。
そこで私の聞きたいことは、限界を定める必要があるんじやないか、かりに治安維持のために、それらのある程度の保安的
設備を認めるといたしましても、ずるずるとひつぱり込まれることはいけない、限界を定めるべきである。国連の軍縮
会議においては、一応の兵力の定義を下しておるのであります。ソ連のゲー・ぺ一・ウーや、あるいはスペインの特別警察隊や、大砲を積んでこれを監視しておる監視兵などを兵力とさす、こういうふうに一応の限界を定めておるのであります。私はその
意味において人数を限定すべきである、人数によ
つてその限界がわかるのである。さらにまた、その兵器の種類を明らかにすることによ
つて限界を定めるのである。そうしないことには
国民の疑惑は解けない。また
説明も非常にあいまいにな
つて来るのであります。よ
つてここに
政府といたしましては、ただ漫然と言い訳をするのではなくして、
国民の疑惑を解くために限界点を明白にすべし。明白にすることが必要である。私の
考えておりますように、人数と兵器とを明らかにいたしまして、限界点を明白にすべしと思うのでありますが、これについての首相の御所見を伺います。