○
北村委員 現在
世界情勢が容易ならぬときに、
国内の
情勢もまたはなはだ容易ならぬものを感ずるのであります。かような際に、われわれは新しく独立した
日本として、
世界的視野に立
つてどういう進路を求むべきか、このことはきわめて重大な問題であり、
国民の
関心事であると思うのでありまするが、先般
政府から発表せられました新
内閣の
重要施策要綱というものを一応拝見いたしました。これが現在
国民の問いかけに対する答えであると存じたのでありますが、読んでみるとまことに事務的な
作文であ
つて、具体的な
方法が示されていない。いろいろな
政策が並べてありますけれ
ども、おのおのの
政策の間の統一がない。単なるお題目のような
感じがするのであります。従いまして、私はこういう
要綱に基いて、さらに
首相以下の
施政方針演説というものを十分傾聴いたしたのでありますが、これも必ずしも
要綱以上のものではなか
つた。はつきりした
使命観も出ないし、熱意も感得することができなか
つたのであります。但しその中で
国民道義の
高揚とい
つたような、ある
意味からいうと、
復古調だといわれるような
言葉が出ておるのでありますけれ
ども、
道義を高めるということにむろんだれも異存はない。これは
政党政派の問題ではございませんで、今の
日本の
現状というものをまじめに
考えて、そのことがいかに必要であるかということについては、もちろん私
どももそのことを痛感いたしまして、こういう呼びかけに対しては、これは
ほんとうに真剣に
考えなければならぬ、かように思
つておるのでございます。
しかし何よりも
道義の問題は、まず手近いところ、
法秩序に対してこれを尊重するということが第一歩であろうと思うのであります。
従つて、
法秩序を守るということを
政府みずからもしなければならぬ。
人事院があ
つて、
人事院の存在の意義が明らかであ
つて、また
裁定機関等があ
つて、それぞれのそういう
政府の重要なる
機関が厳密に考案いたしました
勧告あるいは
裁定等があ
つても、
政府はこれに
従つていない。
政府みずからが
法秩序をはなはだしく軽んじて、その結果
労働秩序の確立さえもはばんでおるやに思われるのであります。これでは
道義高揚問題を唱えましても、はたして
国民が納得するかどうか。こういうことが非常に問題として
考えられるのでございますし、また
国民全体の
道義高揚は、われわれもまたやはり共同の
責任として負わねばならぬことであると存じます。
しかし
政府の部内においてどういうことがあるか。今日ほど
汚職事件の頻発することはない。
毎日汚職事件の記事のない日はないというくらいな
現状であります。
電力会社の利権をめぐ
つて国民の納得し得ないものが今なおある。
電気通信省においては三百人以上の
汚職者を出しているけれ
ども、当の
責任大臣はあまり
道義的な
責任をお
感じにな
つていらつしやらない。
公明選挙が
国民あげて非常にやかましく叫ばれたのでございますけれ
ども、その
公明選挙の目途とすることとは反して悪質な
選挙違反が行われた。そうしてその悪質な
選挙違反に関係あるやに聞く人が、依然として閣僚の地位におる。(「そうだそうだ」と呼ぶ者あり)こういうことで一体
政府が
道義高揚の宣伝をやられても効果があるかどうか。まずお
ひざもとの方からこれは少しく粛正して行く必要があるではないか。青年の
不良化の問題、学生に近ごろはなはだ不届きな行動があるといわれておりますけれ
ども、こういうような
政治の
現実面並びに今われわれが毎日ぶつか
つておる
生活環境というものが、この
状態のままで
道義の
高揚ということができるかどうか、これは非常に大きな問題であると私は思うのであります。
ある中国の有力な新聞は
論説にこういうことを書いております。「
日本の
東京においては、三歩歩めば酒庫あり、五歩歩めばキヤバレーあり、十歩歩めばヌードあり」とこういうことを書いて、「われわれの友だちは
道義高いかおりを持
つてお
つたけれ
ども、今やこのていたらくである。」と
論説に掲げておるのであります。こんなふうな
状態で
道義の
高揚を一体どこから手始めに、どういう
方法でどうしてやろうとされるのであるか、こういうことについて非常にまじめに
考えねばならぬ。
一面もう
一つ考えねばならぬと存じますことは、最近の
政治の中に
陳情政治という
言葉で呼ばれるほどの
陳情がどうもずつと続いておる。
全国都道府県市町村、その
責任者はもとより、その
会議体の議員の面々がほとんど連日
引返し引返し東京に集まりまして、
陳情運動をや
つておる。
陳情をやれば
やりがいがあるという
政治である。
運動しなければだめだという
政治である。こういうような
政治の暗い面が
東京をにぎわして、そうして
東京の
料理屋の繁昌にな
つている。こういうようなことは非常に情ないことである。ひとりこれを
自由党内閣の
責任に帰するというような
意味ではございません。これは国のために非常に憂うべきことであ
つて、どうしてこういう
陳情政治をやめるか。これは国費の濫費である。新たに国を興す力がどこにあるか。こういうようなことをや
つてお
つてよいのであるか。これは実に大きな問題であると存じます。私は一昨年ボンで
アデナウアー首相に会いました。
国会も見て参りました。多少
向うの
事情も見て参りましたが、
日本における
現状のような
陳情というものは見つからなか
つたのであります。
陳情をやり、
運動をやれば
やりがいがあるというような
政治の現在の様相というものを改めなければならぬ。なかんずく
社会全般のことはさしおいても、
公務員の
秩序というものを引締める必要はないか。
第三次
吉田内閣は
綱紀粛正内閣であると
首相みずから言われた。これに私
どもは期待をかけた。しかるに相次いで
スキャンダルが起
つた。これはまことに残念なことでございまして、昔の
官吏服務紀律には、
官吏は宴席に列してはならないというような戒律さえもあ
つた。それが行われたか行われないかは別問題でございますけれ
ども、こういうさ中に
自由党は
遊興飲食税を軽減せられた。これは
党勢拡張になるかならぬか知りませんけれ
ども、こういうような矛盾というものは、やはり心ある
国民はまじめに
考えておる。こういう点を私は問題といたしたい。
道義の問題は
さきに申しましたように、単なる
経済政策等の問題ではございませんので、これは
国民全般が
責任を負うべき問題であるし、われわれもまた
道義を高めるということのためには
努力いたしたいと思いますが、
せつかく新しい
施策要綱の中に
道義高揚ということをわざわざうた
つておられる。第三次
吉田内閣は
綱紀粛正内閣であると
首相はみずからおつしや
つた。そこでこの重大な問題に対してどういうふうな
方法、どういう具体的な
施策をも
つて道義高揚をおやりになろうとしておるのであるか、私は率直にそのことを伺いたい。このことに関しては決して
協力を惜しむものではない。どうかその
意味でまじめにこの問題を取上げてお
考えを願いたいと思うのであります。
以上のような理由でまずこの第一点について
首相の御
答弁を煩わしたいと思います。