○
鈴木義男君 私は、日本社会党を代表して、ただいま上程されておりまする
警察法改正案に対して基本的な問題若干について、主として
総理大臣並びに
法務大臣、本多
国務大臣等に
質問せんとするものであります。
総理大臣が出席されないことは、はなはだ遺憾に存じます。
政府は、近来、
占領政策の
行き過ぎを
是正すると称して、
わが国民主化のために最も必要なる諸
制度を廃棄して、
戦前または戦時中の旧
制度に還元しようとしておるのでありますが、これは、
政府がいかに
民主主義を
理解せず、いたずらに行政の安易だけを求めて保守反動独裁におもむかんとしているかを示すものでありまして、この
警察法の
改正のごときは、そのクライマックスにあるものと信ずるのであります。(
拍手)
警察制度のごときは、単に
占領政策の
行き過ぎというがごとき片の抽象的お題目によ
つて葬り去るには、あまりにも国家の
性格の根本に触れる重大な問題であります。(
拍手)この際、われわれは、終戦後いかなる理由と経緯とをも
つて旧
警察制度が
現行警察制度のごとく
改革されたかを、いま一度回顧する必要があると信ずるのであります。
戦前並びに戦時中における
わが国は、世界にも類例の少い、
組織の完備した
警察国家であ
つたのであります。百内務
大臣、警保局長のもとに、全国津々浦々まで
警察の触手が張りめぐらされ、どろぼうや強盗を捕えるよりは、
国民の反
政府的言動の抑圧、換言すれば、言論と
思想の自由に対する弾圧並びに
政府与党を多からしめるための
選挙干渉に汲々としていたことは、天下公知の事実であ
つたのであります。(
拍手)人はよく、
警察が
民主化されたために、たとえば地下にもぐつた共産党の幹部諸君がなかなかつかまらないではないかと言うのでありますが、これは、正しい
警察ならば、なかなかつかまえにくいのが当然でありまして、旧
警察が
能率の高か
つたのは、主として医大な機密費の濫費によるおとり
政策、スパイ
政策のたまものであ
つたのであります。たとえば、
治安維持法時代においては、共産党を一網打尽するために、幾多の青年に官費で共産主義を勉強させ、やがて入党させ、各段階に活躍させておいた。その中には、警視庁から
月給をもらいながら、党の最高幹部にまでのし上つた者があ
つたのであります。一網打尽することが、いとたやすいことであつたわけであります。このために、党の内部には混乱を起し、疑うべからざる者を疑い、幾多のリンチ事件を起して、遂に無事にして殺された者も出だことは、諸君御承知の
通りであります。(
拍手)はなはだしきに至
つては、学費を
警察からもらい、大学に通い、教授や講師の言動を一々
警察に報告する任務を果していた者も少くなか
つたのであります。(
拍手)博徒の親分などは、たいてい
警察の犬であつた、自分だけが免れて仲間を
警察に売ることを業としていたと申しても過言ではなか
つたのであります。犯罪がなくなれば、
警察の成績を上げるためには、あえて犯罪を製造することをもいたしたのであります。(「ヒヤヒヤ」)戦争中に至
つては、
国民相互がスパイとなり、風呂屋でしやべつた、床屋でしやべつた、隣組でしやべつたというので検挙され、拉致されたる者幾千に及んだのであります。
警察が用いた最大の武器は、長期の勾留と拷問とであつたということはもちろんであります。
かくて、一糸乱れざる
統制を誇
つたのであります。もしこういうことを
警察の
能率化と言うならば、こういうことは、われわれが最も歓迎せざるところであります。(
拍手)窃盗や強盗や詐欺や横領は、いかなる社会においても捕えられなければならず、また、たいてい検挙されるものであります。こういう点では、今日の
警察も次第に成績を上げて、
戦前のそれに近づきつつあることは申すまでもないのであります。ただ恐るべきは、少数のこれらの者を検挙するために、多数の良民までが戦々きようきようとして、安心して生きて行けないような
警察制度の
行き過ぎであります。(
拍手)
およそ
民主主義の要諦は、モンテスキユーがきわめて適切に喝破しました
通り、
国民が安心して生きて行ける
制度、トランキリテ・デスプリ、すなわち
国民が心の平らかさを得ることであります。そのために、牽制と平衡、チエツク・アンド・バランスの方式にのつと
つて一つの権力が濫用されない保障を
制度の上に樹立するにあるのであります。こういう見地からして終戦後非常な困難を冒して手をつけられたのが、世界
中央集権の完璧を誇
つていたわが
警察権を
地方分権化し、
民主化する仕事であ
つたのであります。
現行警察法の
前文は、先に床次君が引用いたしました
通り、「人間の自由の
理想を保障する
日本国憲法の
精神に従い、又、
地方自治の
真義を推進する観点から、」——ずつと読むことは省略いたしますが、とに
かく、こういう大切な項目のために
警察法を
改革するということ、すなわち
国民の権利と自由を保護するために、お上の
警察でなく、われらの
警察をつくるということにあ
つたのであります。この
精神は、当時自由党の諸君も賛成されたはずであります。これを
実施してわずかに三、四年の経験で、早くもこの
精神を捨てる理由と必要とがどこにあるのでありますか。まずお伺いをいたしたいのであります。(
拍手)
今度の
改正において最も注目すべき点は、床次君が指摘したように、この
前文を削り去つたことであります。そのかわりに第一条、第二条に
警察の任務を規定したと
犬養法務大臣はお答えにな
つたのでありまするが、しかし、ここには大事なものが抜けておる。すなわち、
前文にあつた「
地方自治の輿義を推進する」ためという、この
制度の根本特徴を抹殺しておるのであります。(
拍手)
民主政治とは、
地方自治、
地方分権の確立の上に立つ
政治であります。しかるに、この
自治を蹂躪して何の
民主主義ぞやと申すべきであります。何
ゆえに
政府はこの最も大切な文句を削除したのであるか、これでもなお
民主的警察制度であると強弁されるのであるか、伺いたい。(
拍手)なお、
改正案の第二条、第二項は、前の
前文の一半を温存して
警察は、いやしくも
日本国憲法の保障する個人の権利、自由の干渉にわたる等その権限を濫用することがあ
つてはならない、こう銘打
つておりますが、第四条以下の
組織を見ると、権力を濫用しようと思えば幾らでもできるようにな
つておるのであります。これでは、序論と本論とが少しも平仄が合わないのであります。法衣のもとからよろいがのぞいておるとは、まさにこのことであります。深憂にたえない次第であります。
もちろん、
現行制度を樹立するとき、分権化の
行き過ぎのあつたことは、われわれも認めるのであります。当時、総司令部にも、
行き過ぎはせぬかという牽制論もあ
つて火の出るような論争も行われたのでありますが、軍隊的、封建的
警察を
民主化するには、し過ぎるくらいの分断をしなければだめだという
見解から、五千以上の町村にはみな自分自身の
警察を持たせ、その間隙を埋めるために
国家地方警察をも
つてしたのであります。五千は小さ過ぎるとか、三万、五万を単位にすべしとかいうことは十分論議の対象となり得ましようが、一気にすべての
自治体警察を抹殺し去るということは、
民主主義そのものの否定と存ずるのでありまするが、
政府はいかなる
見解を持たるるのであるか、承りたいのであります。
地方分権化された後の
警察を批評する者、異口同音に、
能率が下つたと言うのでありますが、われわれも、ある面では
能率が若干下つたことを認めるにやぶさかではないのであります。しかし、民主的
制度は、若干の
能率を
犠牲としても、権力の濫用を阻止するように仕組まれるのが原則であります。(
拍手)旧時代のように、むしろ
能率の上り過ぎることをわれわれはおそれるのであります。ことに、
わが国は、終戦までは名にしおう封建的国家であ
つたのであります。
警察官だけが短時間に
民主化し得るはずはないのであります。頭の切りかえは、完全にはゼネレーションをかえることを必要とするのである。三年、五年で思うように行かないというので元に返すということは、
制度をもてあそぶことであります。
民主化されたはずの
警察ですらも、昔の「おいこら」式が今なお跡を断たないことは、至るところに伝えられておるのであります。これをやめて、
国民に親しまれる
警察にするには、すなわち
国民の善意と良識とに信頼して、
国民による
国民のための
警察をつくるには、かすに時をも
つてし、
教育と啓蒙と
制度の補強を続けて行くほかはないと信ずるのでありまするが、
政府は、この労力を捨てて、あたかも
国民を敵のごとく
考えて、一気…官僚的
中央集権の昔に返そうとするのは、はたしてまじめに
民主化を育成せんとする誠意があるのでありますか、お伺いいたしたいのであります。(
拍手)われわれは、
占領政策の
行き過ぎよりは、
警察権の
行き過ぎの方をはるかにおそれるものであることを断言いたすものであります。(
拍手)
政府は、今回の
改正において一気に旧
制度に復元するという印象を避けるため、
国家地方警察と
市町村自治体警察とをともに廃止して、その中間体として、
都道府県警察を置くというのでありますが、これは、名称をも
つてごまかすだけであ
つて、
制度の全体は完全に
中央集権化されることはきわめて明瞭であります。
中央に
治安警察庁を置き、
国務大臣をも
つてその
長官とし、——すなわち
警察大臣である。その任命する次長、
地方警備局長、すなわち
府県ブロックとしてそこに警備局長を置くというのであります。これらが
治安事務全般について
府県警察を指揮監督するというのであります。それで、いかなる事務について指揮監督をするのかというと、濫用しないために列記限定するというのであるが、これを読んでみると、国の
治安にかかる次の事案として——一々読むことを略しますが、その中には、「国の利害に係り、又は国内全般に
関係若しくは
影響ある事案」などとありまして、ほとんど
警察行政の全部が含まれておるのであります。どんなにでも拡張解釈ができる。私は、将来必ず、
国会議員の
選挙も国内全般に
影響ある事項だと言い出す
治安大臣の現われることを予言いたすものであります。このほか、さら
に「前六号に掲げるものの外、
警察行政における調整に関すること。」などとありまして、何でもこの中に入るようにできておるのであります。
かくては、昔の内務
大臣とどこが違うのかを伺いたいのであります。いな、昔の内務
大臣は、そのほかにもいろいろのことをしたのであるが、今度の
大臣は、警保局長を昇格させたにすぎないのでありますから、フランス革命における、かの有名なるフーシエとなり、あるいはゲー・ぺ一・ウーの
長官となる危険性はすこぶる大であります。最も警戒を要するのは、警視総監並びに
府県警察本部長及び警視以上の高級
職員が官選になることであります。
命令一下、時の
政府の自由に使うことができる
警察となるのであります。
政府は
責任の
明確化ということを言うのであるが、単独でなければ明確でないというものではありますまい。今日の
国家公安委員会を活用して、これをして直接
国会に対して
責任を負わしめてよろしいはずであります。
今回の
改正で最もよろしくない点は、
警察民主化のために最も重要な役割を果すところの
中央、
地方の
公安委員会を有名無実のものにしてしまうことであります。すなわち、
中央のは国家
公安監理会とし、一つの
諮問機関として飾りものにしてしまうこと、
地方の
府県の
公安委員会も、最も大切な
警察長の任免には関与できないのでありますから、これまた一種の
諮問機関的
性格しか持たないのであります。
政府はこれで
警察の
民主的運営ができると思
つておいでになるのでありますか、伺いたいのであります。
行政
制度において最も大切なことは、
機関体の任免権がどこにあるかということであります。今後
わが国においては常に
政党内閣だけができるものと思わなければなりません。しからば、原則として政党員が
警察大臣となるのである。ここから次長、
地方警備局長、警視総監、
警察本部長及び警視以上の高級
職員の任免が一元的に行われるということになりますれば、旧時代よりも一層悪い
警察の政党化ということが起るおそれは十分であります。
警察は、検察、裁判とともに政党に対しても中立でなければなりません。この
改正案において、どこにこれら
警察が政党の私兵化することを防ぐ保障があるのでありまするか、伺いたいのであります。
なるほど、都
公安委員会は警視総監について、
府県会安委員会は
警察本部長について罷免の勧告をすることができるというのであるが、しきりに
犬養法務大臣がそこのところに力を入れて、それだから大夫夫だと仰せられるのでありまするが、われわれの心配するのは、罷免ではなくして、むしろ、よい人があつさり他
府県に転任させられたり、
大臣の意のままにならないというので罷免されることを阻止する権能を与うべきではないかということにあるのであります。
今度の
改正は、平仄の合わない点が多々あるのでありまするが、その弊の最も強く現われる面は、政党
政治の時代において、国家
公安監理会や
府県公安委員会の選任
方法をほぼ今日のままにしてすなわち
内閣総理大臣や知事に選任させ、しかも従来の政党別割当制や資格条件の制限を撤廃してさらに
府県会安委員会にあ
つてはその人数を増加し、副知事や
府県会議員を加えて一層政党勢力の進出を許すという点であります。
吉田内閣のごとく、同一の政党の政権が比較的長く続く場合にあいては、公安監理委員も次第に同一
内閣によ
つて選任された者に片寄
つて行く
傾向を持つのであります。これに厳正な監視を求めることは困難である。
府県にあ
つては、知事の党派別または
府県会の多数派の副知事や議員が加わるのであり手から、いよいよ政党色を濃厚にして、
警察本部長以下は常に
中央地方の政党勢力の鼻息をうかがいつつ仕事をして行かなければならなくなると思うのであります。われわれは、
自治体警察を本体とし、公安委員はすべからく公選にせらるべきものであると
考えておるのでありまするが、
政府は、今回のごとき改悪によ
つて、どうして政党
政治の弊を
警察行政の中に持ち込む危険なしとせられるのであるか、伺いたいのであります。
また、この
改正案によれば、前に
警察を持
つていた
自治体並びに現在
警察を持
つている
自治体は、その
警察が
都道府県に移管されましても、その費用は支出することとな
つて、庁舎や率両、装備等の施設も
無償で
都道府県警察に移されるというのであります。
かく自治体の
財政負担によ
つて警察を国家権力化しようとする
考え方は反動的であるとともに、
自治体の
財産を
無償で取上げる点は、
地方財政法第八条や、
憲法の
財産権保障の
精神にも反するのではないか。この点は、
先ほどからお答えにな
つておりまするけれ
ども、われわれは断じて納得が行かないのであります。国家が
自治体にくれる場合と、
自治体が今日貧弱で、他の事業を
犠牲にして
警察に多くの投資をしております。る場合に、これをただで取上げるということとは、大いに問題を異にすると思うのであります。いかなる
自治体においても、従来何をおいても
教育と
警察とには全力を尽したのであります。そのために、幾多重要な公益事業を
犠牲にしてや
つて来たのである。この際、過去に、おいて
警察に注ぎ込まれた経費が償われまするならば、
自治体のなすべきことは、はなはだ多いのである。それを
無償で取上げるというのは実に冷酷である。今後よい施設をしても、随時
無償で国に坂上げられるという例を開けば、
自治体はまじめに公共事業に経費を出すことを渋るに至ると思うが、いかがでありますか。(
拍手)
また、二十八
年度は
自治体に経費を持たせると言
つておるが、
年度半ばにして移管されることがわか
つておるので、そのために多くの
予算をさくことを渋るということは人情の自然であるが、その場合、
政府はいかなる
方策をも
つて運営の万全を期するつもりでありまするか。
自治体が少き
予算を組んだことを矯正するということは、今日の法制上ないと存ずるのでありまするが、本多
国務大臣に明快な御
答弁を願いたいのであります。
次に、国家消防本部を
治安大臣のもとに置くのでありまするが、消防行政は純然たる
自治行政であり、
地方行政でありまして現在の消防本部は、消防機能の調査研究の
機関であ
つて、権力的
機関ではないのであります。これを
警察の一部のように
考えて、国家権力の中に取入れるのは、
まつたく過去の
制度への復元でありまして、はなはだ不当と信ずるのでありまするが、この点に対する
政府の所見を承りたいのであります。
さらに、現在の
自治警察と国家
警察との
職員の
給与について、
先ほど来繰返して問答がありましたように、勤続年数の五年、十年、十五年、二十年等に応じて違いますが、少くも二千四、五百円、多きは一箇月一万円、五千円の開きがある。
退職金に至
つては、
自治体と
国家地方警察職員の間には、何倍という開きを持
つておるのでありますが、これを
法務大臣は一時金で調節すると言うのであるが、はたして一時金で調節し得る
程度の開きであるか。了われわれはそうは信じないのであるが、これをいかにして真に公平に調整することができるのであるか、もう少し具体的に御
説明を願いたいのであります。
その他のこまかいことは、時間の
関係上委員会の
質疑に譲りまするが、思うに、
警察行政は、
地方自治体のおのおのの
性格によ
つて行われる面が多いことを度外視してはならないのであります。画一的
警察権の行使は、
地方住民の反感と恐怖心とを挑発するのである。犯罪の防止、検挙は、
地方住民の協力と
理解とによる
警察への信頼と親しみによ
つてのみその効果をあげるのでありまして、イギリスやアメリカにおきまして、いわゆる
自警団から自然発生的に
市町村警察ができ上
つて、これが
警察の母体とな
つて、
国家地方警察はただその間隙を縫うために補充的に活躍しているのが、まさに健全な形であると思うのであります。権力と威圧だけでは、決して
警察の目的を達するものではないのであります。われわれは、数年前、
わが国民主化の最も大切な根幹として、農地
改革と、
地方自治の確立と、
警察の
地方分権化を
実施したのであります。われわれがこれを立案して、
吉田内閣に譲
つたのである。しかるに、
民主主義に好意も
理解も持たざる自由党
政府は、弱小
市町村がその
財政負担に耐えられないのを助けようとはせず、これを国家に回収することに専念したのである。
負担能力の弱小を理由に
自治体事務を取上げるという
考え方は、
地方自治の否定であり、
民主政治の放棄であります。
政府の
努力すべきは、
自治体の財源
確保について助力するか、または保安隊に投ずる額の数分の一をこれにさくことであ
つたのであります。(
拍手)これをなさずして
自治体の
警察を非難するのは、あたかも石炭を投げ込まずして汽車の走らないことを責めるにひとしいと思うのであります。(
拍手)
さらに、
警察が分断されましたために、犯罪の検挙や
治安の
確保の上に
能率が低下したとの非難でありますが、これは当然最初から予想されたところであります。さればこそ、連合軍が撤退した後は、この間隙を縫うものとして国家
警察が整備され、科学化されまして、アメリカのFBIのように、全国に無電網を敷設し、各
警察署にジープその他の機動力を備えて、管区本部の予備隊と相ま
つて、連絡調整並びに機動性の充実に資する約束であ
つたのでありはす。このために必要とする
予算は、保安隊の
予算の何分の一で足りたのであります。こういう方面に少しも
努力することなく、一旦与えた
警察椎を国家にとりもどすことにのみひたすら専念する
政府の
方針は、われわれの解しがたいところであります。
政府ほ何
ゆえに
自治体警察の育成に
努力しないのであるか。もはや、
政府は、
国民を敵視し、
国民にあいそをつかしたのではないかと思うのでありますが、所見を承りたいのであります。
政府は、口を開けば内外の情勢緊迫を告げていると称して、
警察の
中央集権化を呼号するのであるが、これは一種の恫喝ではないか。
政府は共産党の蜂起を恐るること虎のごとくであるようであるが、共産党は悪魔でもなく、強面でもないのであります。ただ、その持
つている政見がラジカルだというだけであ
つて、これを弾圧するだけのために、水も漏らさぬ
警察網——保安隊のほかに
警察網をも
つてするというがごときことは、犬養
大臣のお答えでありまするが、間違いであります。
警察も軍隊も共産党を排除し得るものではないのである。ただ、よい
政治のみが共産主義を阻止することができるものであることを銘記すべきであります。(
拍手)のみならず、
警察は、軍隊とは異なり、また軍隊の代用でもないのである。国外の緊迫を理由として中来集権化の必要を説くのは、鬼面人をおどかすものであります。また、国内にあ
つては、悪いことをした者が
警察を恐れるのは当然であります。大切なことは、そのために善良な
国民に恐怖と反感と威圧とを感ぜしめてはならないということであります。
政府は、
警察民主化のために、一応本
法案を撤回して、
警察機構についてわれわれとともにさらに再思三考される雅量がないかということをお尋ねして、私の
質問を終る次第であります。(
拍手)
〔
国務大臣犬養健君
登壇〕