○松岡(松)
委員 川上さんに
お尋ねしたいのですが、今の御
説明を聞きますとあなたは房の中に初めて入
つたということですけれども、私も便器の中は非常に怪しい
箇所だと想像しております。少菅の中は私もよく知
つております。
南舎も知
つておりますが、非常に
逃走容易な
箇所であると思われる。というのは鉄格子の外に廊下があるが、その鉄格子がきわめて不完全であるし、普通鋼にな
つている。おそらくアメリカあたりでは普通鋼は使
つておらぬ。普通鋼で二十二ミリくらいのものはちよつと握力の強い人なら曲る。だからそれを切るにしてもおそらくや
すりが二寸の長さがあれば切れるし、音が出ません。石けん水をつけて手ぬぐいをかぶせれば音は出ない。問題は設備の不完全ということを考えなければならない。第一鉄格子の外に廊下があるが、窓であれば非常に
逃走には困難である。
脱出してさらにぶら下るということはなかなかの技術です。あの場合は一本切ればほかは曲げられますし、容易にからだが出られるということが考えられるのですが、そういう点について今までお考えが及ばなか
つたということは非常に不注意だ。ことに鉄格子の中段がおそらく二本だ
つたと思いますが、二本では不完全であります。それから鉄格子をはめたらがんじような網をつけることが必要である。網がつけてありませんから、棒を一本切ればたやすく外に出られる。出れば屋根伝いに行ける。この間も新聞に出ておりましたように小菅は玄関は無
警備であります。屋根伝いに出れば、飛び下りの達人ならあれから飛び下りるのもそうむずかしいことではないと思う。そういう点をよく見張りをし、注意して見ておらなか
つたというところに大きな遠因があるので、設備の不完全ということを特に指摘したい。人を拘禁する以上は
脱出ということがまず考えられるのだら、
看守するということは
脱出を防ぐということが第一問題である。それについて今小菅では室内の点検に努力しておらないのではなかろうか。こんなことを申し上げては何ですが、私は追放令違反で二十三年に実は見学させていただいた。たいへん貴重な見学でありました。その際には一ぺんも内部、の点検がございません。つまらないことばかり拘束しておる。差入れる本は入
つてから一週間もたたなければ入
つて来ない。そういうことは拘束するが、室内の点検などは一向にしません。それから私が
調査したところによると、終戦直後朝鮮人が多数いた際には、あのドアの下の窓を破
つて自由に横行した。しかも当時それを阻止する力がなか
つた。それが半年にわた
つて行われ、朝鮮人諸君はあの房を自由に横行していた。ようやく
看守の一名が空砲を発砲してこれがとま
つて、その機会に
修理した。おそらく今なおこういう残滓が残
つておるのではなかろうかと思われる。
それから先ほどの綱紀の弛緩の問題がありますが、これははなはだしいものだと思います。現在の
看守諸君は二十三年当時の人も多数おると思うのですが、私が接した
看守は
看守とは思われない。むしろ私をして言わしむれば、房の中におる囚人と友達であります。考え方に至
つては実にひどいものでありまして、人を
看守する人とは思えない。私についた人は何回もかわ
つておるが、私が話をしてその人の考え方というものを確かめてみたことが何回もあります。ありますが、これはな
つておりません。所長はどういうふうにお考えにな
つておられるか知らぬが、われわれ当時拘禁された者から見た
看守というものは、驚くべきものです。これらの人たちによ
つて監視されておるなどということは、まことに驚くべき私は現象だと思
つた。一々例をあげてもよろしゆうございますが、おそらく所長においてはお気づきのことと私は思う。一つは、彼らはもう口を開けば待遇の問題を言います。食
つて行けない、食
つて行けないということは、それではどろぼうでもしなければならぬのかと言いかねないのでありまして、これは十人が十人ともそういう体験をしました。これは非常に驚くべき現象でありまして、この点については根本的にお考えになる必要がある。単に綱紀々々とい
つて武道ばかり教えたからとい
つて、生活上の問題から来ておるものはしかく簡単には直りません。これは、根本的に考えなければならぬことは、
看守の地位というものを確保すると同時に、質を高めることでありまして、いいかげんの者を採用して、
看守に仕立て上げたところで、結局ごろんぼや、やくざの人間に
看守の服を着せてかつこうをつけただけの話であります。こういうもので綱紀が維持されるものとは私は考えられないのでありまして、
看守の待遇をもつと高めて生活の保障を与えると同時に、精神的な訓練を要望する。これは質の向上であります。こういうことから考えますると、私はひ
とつ現在の
看守というものを根底から考え直して、組織の再編成をやる必要があると思うのであります。おそらく今後においてこういうような事態はずいぶん出て参ると思うのです。これはむしろ私は上官の下部に対する
監督というものが、全体の空気が困難な状態にあると思われるのです。一例をあげますると、たとえば病監にいたしましても、私は病監を一ぺんのぞいてみたことがあるのでありますが、この病監などというものは、これこそ私に言わせれば刑務所の中の別荘である。別荘であると同時に犯罪技術の訓練所みたいなものなんです。なかなかむずかしいところであります。幾多のルーズなことがこういうところで行われておる。
それから作業をする場合も外部の人間との接触に起る問題ですが、結局
看守が囚人と同じような考えで不平たらたら働いておるということははつきり言い得ると思
つたのです。だからこの点を私は法務省におかれましても、根本的にお考え願うと同時に、一ぺん
法務大臣が一日くらいあすこへ行
つて、静坐してみることも必要なんです。これは正木
弁護士があの中へ二日間ごまかして入
つたそうですが、たいへんな経験だとおつしや
つた。これはどうも上の人が知
つてお
つたのだから大した経験にならないという者もあるが、私はそうでないと思う。やはりあの空気というものは、一日、二日ぐらいお
つてみて、初めてその欠点なり長所がわかるのです。
法務大臣の
視察といえば、みなもう右へならえで、いいかつこうをして見せますから、欠点などを
発見することはできません。ことに所長の巡視なんかがありますと、みな
看守が起立をしまして、欠点なんか見せません。だから私はこういう巡視に対しましても、所長あたりが巡視をせられるときには、不意に無警告に急所をついて
調査せらるる必要がある。警告を発して巡視されて、欠点などわかるものではありません。みなそれは整頓して、整理しておきますから、ただそれを見に歩くだけだ
つたら歩かぬ方がよろしい。それが帰
つてしまえばまたすぐあともどりいたします。こういう状態であります。
それから外部との出入り、面会人なんかの
監督などはきわめてルーズであります。おそらくや
すり一本ぐらいを所持することは天勝の芸をも
つてすれば、私は困難なこととは思われない。ことに衣服の間にや
すり一本を入れたところで——現在は知りませんが、二十三年当時の小菅の監視状態であ
つたならば
発見なんかされぬだろうと私は思います。ですからこの点について、私はひとり
監督という小さな問題でなく、機構の全体を再検討せられる必要があると思います。つまらない形式的なところはやかましい。私語をしちやいかぬとか、すわ
つたとか、足を投げ出したとかいうつまらない口小言は非常に多い。こういうことは私はどうでもいい。それよりかんじんかなめな急所を押えるところがないから、こういう問題が起る。まず窓のところは鉄格子の改革であります。これをせられると同時に厳重にせられることである。一本のや
すりで切断できる。これを五本も六本も切らなければ出られないということになると時間がかかるから、必ず
発見されます。ところが一本ぐらいで出られるような
施設であ
つたならば、これは今後
相当見張りを厳重にせられましても、こういう問題が起ると思うのです。私は小菅見学中に承りました話によると、当時府中の監獄に有名な脱獄の名人がいた。これなどは天井をはうそうであります。これは所長もよく御存じのはずであります。これなどは夜間に目がよくきくというくらいな人物だそうで、これらに言わせると、小菅刑務所なんか脱獄するのは朝飯前だと言
つていたそうであります。そういう経験が十分生かされてお
つたとしたならば、今日こういうものは防止し得たと思う。
それからもう一つ欠点を指摘しておきたいと思うのは、六千枚の紙を一括して
死刑の
判決を受けて上告中の者にお渡しになることは、根本的に軽率であります。一日の分量をお渡しになればよろしい。要するに取扱者がなまくらであります。怠惰であるために、手数の煩雑を防いで六千枚という、幾日分か知らぬけれども、これを渡しておいて、そしてあとで計算してとるなどという、そういうルーズな
状況は、おそらく今日の整
つた工場ではこういうばかげたことはや
つておりません。工場でや
つておらぬことをどうして刑務所の中においておやりになりますか。これはよろしく御反省願いたいのであります。また伝え聞くところによりますと、小菅などで同性同士の嫉妬から、殺人など起
つたという話も聞いております。それは事実であるかどうかは私知りませんが、根本において考えていただかなければならない。大体日本の官憲は、人民に口小言とか、つまらないことを圧迫することはすきですが、かんじんかなめのところをはずす。この点は人間はきわめて自由にしてや
つてよろしいが、かんじんのところはぐつと押える必要がある。そのかんじんのところをはずしているものだから、こういう問題が起るのでありまして、六千枚からの紙を包括的に渡すなんていうことは、おそらくどこの工場でもや
つておらぬ。これにひとしいような紙の箱をつく
つている工場なり、あるいは製薬工場をお調べになればわかります。一日分を渡して一日分を返して行くのであります。伝票と引合わせて職工が返して行くのが通例であります。六千枚もの紙から、一日に三枚づつ引抜いた
つてわかりません。勘定間違いだと言えばこれはなかなかわかることではない。また
監督し切れるものではない。これはよろしく毎日毎日運んで、包括的にやるなどということは今後やるべきことでないと思うのであります。でありますから一つ一つ指摘するよりも、刑務所全体の機構というものを再検討せられる必要がある。また考えなければならないことは、房にあ
つて監視せられる以上は、あの中において教化するという考えを持つべきである。ことに
死刑の
判決を受けて、控訴上告中の被告などというものは、心理的に微妙な感じがある。こういうような者に対しては特別にその心事をくみと
つて教化し、彼がもし
死刑の確定を受けてこの世に終りを告げるとするならば、やはり人間としての最後を全うせしむるように、日常訓育を与え、感化を与えるように、
相当な人格のある人をしてその担当者たらしめるように努力せられることであります。私は追放令違反であそこに入
つておりましたが、小平と相向いで、私の隣りが殺人、まるで私は殺人犯人と同じ所へ入れられた。ところが彼らを朝夕見ておりますと、やはり彼も人の子であります。小平などというものは、
死刑が確定いたしまして私朝夕見ておりましたが、まことに子供のようなものでありました。しかしながらちよつと感情が激するとかわ
つた動作はある、普通人でないということは十分に見とられる。私の隣にお
つた、これも殺人犯人でありまするから、
死刑になる部類でありますが、これなどは私に呼びかけていわく、お前も殺人で来たかと、これにはいささか驚きましたが、隣と隣との話が通ずるのです。あれを何とか処置をしなければいけない。窓を通じて隣に話が通ずるこの
施設を大いにこの機会にもお考えおき願いたい。こういうケースはおそらく現在の機構においては起る可能性はあると思う。でありまするから、まず物的な改善をはかり精神的な改善をはかる、こういう点に法務省の御努力を私は希望してやみません。こういうことができると人心が非常に不安心であります。どうぞこの点について積極的に勇気をも
つてひ
とつ改善に当
つていただきたいと希望する次第であります。