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1952-12-23 第15回国会 衆議院 法務委員会 第16号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十七年十二月二十三日(火曜日)     午前十時三十五分開議  出席委員    委員長 田嶋 好文君    理事 松岡 松平君 理事 小畑虎之助君    理事 石川金次郎君 理事 猪俣 浩三君       相川 勝六君    久野 忠治君       小林かなえ君    花村 四郎君       福井 盛太君    古島 義英君       大川 光三君    清瀬 一郎君       後藤 義隆君    長井  源君       木下  郁君    田万 廣文君       多賀谷真稔君    古屋 貞雄君       木下 重範君  出席国務大臣         法 務 大 臣 犬養  健君  出席政府委員         検     事         (法制局次長) 林  修三君         国家地方警察本         部長官     齋藤  昇君         検     事         (刑事局長)  岡原 昌男君         外務事務官         (国際協力局         長)      伊関佑二郎君         郵政事務官         (電波監理局         長)      長谷 愼一君  委員外出席者         証     人         (著述業)   瀬口  貢君         証     人 瀬口 幸子君         参  考  人         (警視総監)  田中 榮一君         専  門  員 村  教三君         専  門  員 小木 貞一君     ――――――――――――― 十二月二十三日  委員風見章君辞任につき、その補欠として木下  重範君が議長の指名で委員に選任された。     ――――――――――――― 本日の会議に付した事件  人権擁護に関する件(鹿地亘関係事件)     ―――――――――――――
  2. 田嶋好文

    田嶋委員長 これより会議を開きます。  人権擁護に関する件のうち、鹿地亘関係事件について調査を進めます。昨日決定いたしました通り本件につきまして、鹿地亘君こと瀬口貢君及び瀬口幸子君の二人の証人より順次証言を求めることといたします。  ただいまお見えの方は瀬口貢君でございますね。
  3. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 はあ、そうでございます。
  4. 田嶋好文

    田嶋委員長 筆名鹿地亘君とおつしやるのですね。
  5. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 はい。
  6. 田嶋好文

    田嶋委員長 瀬口君に申し上げますが、去る十二月九日以来、本委員会におきましては、人権擁護の面より看過すべからざるものと思いまして、本日まであなたの事件に対しまして調査を進めて、去る十日には瀬口君の証言を求めたのでございますが、おからだ都合等もあつてかと存じますが、その日のあなたの証言内容が、その後の新聞紙に対するあなたの発言その他周囲の状況等を見ますとき、不十分であり、なおかつ悪意に解釈いたしますなれば、偽証の疑いもできる等の関係もありまして、本日あらためてここに御出席を願つたようなわけであります。その意味におきまして、先日お述べになりました以外の点を主として、本日は本委員会においてお尋ねをいたし、そのお尋ねに対しましてお答えを願いたい、こう思つております。その意味で十分なる御協力を願つておきます。  本日も証人としてでございますから、宣誓を求めるわけでございますが、証書を求める前に証人に先般申し上げました点は、本日はあらためて申し上げませんが、偽証の制裁等あることをお知りになつた上で、お答えを願いたいと思います。  それでは、法律の規定に基きまして、宣誓を求めます。御起立を願います。     〔証人瀬口貢君朗読〕    宣誓書  良心従つて真実を述べ、何事もか  くさず、又何事もつけ加えないこと  を誓います。
  7. 田嶋好文

    田嶋委員長 それでは宣誓書署名捺印を願います。     〔証人宣誓書署名捺印
  8. 田嶋好文

    田嶋委員長 それでは委員長よりお尋ねをいたしますが、本日は先日と違いまして、あなたの本名によつて宣誓を求め、本名に基いて尋問いたすことにいたしますが、鹿地亘という名前はいつごろからお使いになつて、どういうような場合にこれを用いておるのでございますか。
  9. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 きようもすわつたままで……。
  10. 田嶋好文

    田嶋委員長 どうですか、からだのぐあいは。
  11. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 相かわらずなんです。
  12. 田嶋好文

    田嶋委員長 それじやすわつてけつこうです。
  13. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 どうもすわつたままで失礼ですが、この前と同じような限度でしかささえられませんから、きようも多分そんなに長くお答えできないかと思います。あらかじめ御了承願います。  鹿地亘という名前は、東京帝大の三年生のころ文章を書くようになりましてからその筆名を使いまして、ずつと今日に至つております。
  14. 田嶋好文

    田嶋委員長 魯迅全集を発行したということですが、これはどんな名前で発行したのでございますか。
  15. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 やはり鹿地亘の名で翻訳しております。
  16. 田嶋好文

    田嶋委員長 それでは事件内容についてお聞きいたしますが、あなたが、逮捕と申しますか、拉致と申しますか、先般の証言によると、ジープで運ばれたときの状況は、何ら理由なくして、しかもおそらく自分鹿地亘ということを知らなくて拉致したのではないか、こういうあなたのお答えでしたが、ここあたりがどうもあいまいで、委員会にもわからないのですが、当時の状況新聞等の報道、その他その後スパイ事件として三橋という人が国警に検挙せられまして、その入が言つたこととして新聞紙等に報道せられておるところを見ますと、あなたが三橋君と某国の諜報関係の手伝い、要するにスパイといつていいと思いますが、スパイ行動をとるためのレポをやつておるときに、たまたまあなたということを知らずに米国官憲においてあなたを逮捕して行つた、こういうようなことがうかがわれるのでございますが、この点についてはつきりしたお答えができますなればお答えを願いたいと思います。
  17. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 この前の証言お答えしましたように、相手が私を知つてつかまえたか、知らないでつかまえたか、私には何とも申し上げられない。その通りなんです。三橋某なるものは、新聞で見ましたが、私は知りません。別にこれ以上そのことについて申し上げることはありません。
  18. 田嶋好文

    田嶋委員長 あなたに対するスパイ記事が現われているのでございますが、これに対して述べることはございませんか。
  19. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 これは私としてはいずれ明白に反駁したいと思いますが、この点に関してはまとめてお答えすることにして、今日は、私としてはからだ状態もありますから、なるべくまず人権問題に関してのお答えを先に申し上げたいと思います。
  20. 田嶋好文

    田嶋委員長 逮捕されたのか、拉致されたのかということが、やはり人権の問題になります。それに対して、理由なくして拉致したということになれば事は大きいし、理由があるとすれば、一応法的手続をとつてあるならば、それは正当だということにもなりますから、やはりスパイで逮捕されたという事実が世間に公表せられておる以上、この点に対して何らかのあなたの反駁がなければ、委員会として事件調査する上に非常な支障を来すと考えております。
  21. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 拉致されたことに間違いはないと思います。それから、いずれにせよ、何らの手続なしに逮捕され、拉致され、そうして拘禁されたわけでありますから、この点について不法監禁は非常にはつきりしておると思います。それから相手方言いがかりをつけて来る問題の中に、そういうスパイ問題とかいうことがありました。しかし、私にどうしてこういうことを言いがかりをつけるか、私は知りません。そのことに関しまして相手方の意図は、相手方の尋問の最中にかなりはつきりして参りましたが、やがて私が自殺後にその筋書従つて私にいわゆる自供書なるものを書くことを強制し、それには一定の筋書といいますか、書き込むべき項目をずつと示されて書いたのですから、それを書いてから後そのことについて一切触れず、これで一段落という形で彼らが私に特別の目的を持つた行動を開始したということからして、私はこれはたくらみであるというふうに考えております。
  22. 田嶋好文

    田嶋委員長 そこで、今書いたということを申しておりますが、この点は前に証人としてお聞きしたときにあまり触れてなかつた点なんです。それが新しく、あなたの証言にないのに出て参りましたので、本件が起きているようなわけですが、あなたは監禁せられている間に何回書面をお書きになつたのですか。回数だけ言つてください。いつごろ何回か。
  23. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 これは多少説明しなければわからないと思います。
  24. 田嶋好文

    田嶋委員長 内容あと委員長から聞きます。
  25. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 自供書としては一回です。
  26. 田嶋好文

    田嶋委員長 その他書いたことはございませんか。
  27. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 その他は、私の思想テストというような形で求められた感想をいろいろ思い出してみまして三、四回書いております。
  28. 田嶋好文

    田嶋委員長 感想ですね。
  29. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 そうです。
  30. 田嶋好文

    田嶋委員長 自供書はいつごろお書きになつたのですか。
  31. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 これは私が自殺した後、まだ意識薄弱な間でふらふらしている時期ですから、十二月の中ばころ、約一週間ないし十日かかつて書いたと思います。
  32. 田嶋好文

    田嶋委員長 昨年の十二月の半ばごろですね。
  33. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 そうです。
  34. 田嶋好文

    田嶋委員長 一週間か十日かかつて書いた。
  35. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 ですから、終つたのは二十日過ぎになりましよう。
  36. 田嶋好文

    田嶋委員長 その内容はどんな内容でしたか。
  37. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 これについては、さつき申し上げましたように、疲労し切つて、昏睡それから睡眠を繰返しておる時期でありましたから、詳細について思い出すことができません。けれども今思い出してみまして、こういうことはあります。最初自分の履歴を書かされたように思います。それから二、三、帰国して後の私の生活環境、そういつたことについての答え書きまして、そのあとが、つけ加えられた、つまり私にたくらまれた問題であつたように思います。その筋書は大体こういうものです。一九五一年夏に、鵠沼海岸散歩中、私は国連軍上陸演習を見物しているときに、一人の外国人に話しかけられて、朝鮮戦争のことなど語り合つて互いに共鳴したというようなこと、それからその人と知合いになつて、次第に定期的に会うようになつたということ、多分夏ごろ、私にその人が何かの協力を申し入れたということ。  それから第三に、その人の紹介で――これは名前を忘れていましたが、今度の新聞で、ああ、やはりそうだつたかと思つたその三橋某です。それにレポを頼まれたということ。多分それは秋ごろのことになつておると思いますが、その人と数回会つた。それで外人はその人との連絡方法を私に示した。つまり道をたずねている私が、お互いに同じ友達を探し合つているというようなことで話が合うように仕組まれるということ。大体そういうふうな内容のものだつたと思いますが、それを実話風書きおろさせられたわけです。
  38. 田嶋好文

    田嶋委員長 それは向うから原稿でも持つて来て、この通り書けと言つたのですか。
  39. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 黄色い大きい状袋鉛筆と消ゴム――しかしその鉛筆は使わずに、あとペンを買つて来て、ペン書きました。原稿用紙あとで届けられましたが。その状袋の中に以上言つたようなことが項目別要項として示されたわけです。
  40. 田嶋好文

    田嶋委員長 その要項に基いてあなたは書いて、そしてそれに署名捺印したわけですか。
  41. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 捺印はしなかつたように思いますが、日付と署名はしたと記憶しております。
  42. 田嶋好文

    田嶋委員長 それは横書きですか、縦書きですか。
  43. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 日本原稿用紙ですから、縦書きです。
  44. 田嶋好文

    田嶋委員長 その後あなたは横書きの同様なものを書いているのじやないですか。
  45. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 ありません。
  46. 田嶋好文

    田嶋委員長 事実ですか。
  47. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 ありません。私の記憶にはありません。
  48. 田嶋好文

    田嶋委員長 偽証になりますから、その点注意して……。
  49. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 ええ、どうぞ……。ありません。
  50. 田嶋好文

    田嶋委員長 横書きのものはないですね。
  51. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 ありません。まつた記憶にありません。
  52. 田嶋好文

    田嶋委員長 もしあつたとしたらどうします。
  53. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 それは私はないと思つているのですが……その同じものがですか。
  54. 田嶋好文

    田嶋委員長 あなたの今言つたようなものが、横書きのものもあるとしたらどうしますか。
  55. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 さあ……。何しろ私は非常に弱つている時期が続きましたから、百パーセントの断言はできませんが、私の良心従つて言えることは、そういうことはないと思います。
  56. 田嶋好文

    田嶋委員長 自供書は一回……。
  57. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 そうです。
  58. 田嶋好文

    田嶋委員長 二、三回書いたというあなたの心境ですが、それはどういう内容のものでいつごろお書きになつたのですか。
  59. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 それは大体こういつた仕組みのことが終つて――つまりスパイ問題なんということは全然あの人たちにとつても問題でないような顔で、私に協力せよということを迫り始めてからのことです。いや、協力せよというのは初めから言つておりましたが、これが終つて今年の三月ごろから何とか協力させようとする圧迫が始まつたわけです。最初に書いたのは、茅ケ崎に来て、私はどういう協力かというと、まあ、とにかくあなたも私もお互いに知り合おうということで――つまり知り合うとは私の思想調査であつたわけです。その問題としましては、第一のものは、ある日、これはガルシェーが共産主義に対するいろいろな誹議をやつて、私にそれの賛成をしいようとしたわけです。共産主義は個性を殺すという思想問題を出して、きつと私に興味の持てる文献だからといつて、この前申し上げました「ゴット・ザツト・フエール――ケスラー以下六反共作家体験」というのを持つて来て、その読後感を求められました。私はこの前言つたような態度から、敵に言質を与えない、しかし時を待つ、機会を待つという立場から、共産主義とも反共とも言質をとられないように、自分文学的体験に基いて、それをあげながら、ぬらりくらりとしやべり抜けるような感想を書いて渡した。これは山田善二郎君も言つている、例のじらしてやるでありますが、多分横書き原稿用紙二十五、六枚前後のものではなかつたかと思います。これがあなたのおつしやる横書きのものだろうと思う。それから次に……。
  60. 田嶋好文

    田嶋委員長 申し上げておきますが、私は横書きのものも縦書きのものも見ておりません。
  61. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 そうですか。――次は宣伝について。これはやはり先生方テストなんです。心理作戦協力せよということの伏線をつくろうとしまして、内容中国における私の組織した反戦同盟宣伝の経験を教えてくしれ、こういう形で出て来ました。それに対する答えを書いたのです。内容は、宣伝とは私にとつて真実を伝えることである。相手の人格を尊重し、だますのでなくて、日本国民の蒙を開くごとである。平和な中における日本、の独立の道を開く、こういう蒙を開くということが、そして人民の自由な新日本というもの、それから国際的友愛、これを綱領として、私にとつて宣伝真実を伝えることだ。言いかえれば、人々の心の弱点につけ入るような心理作戦というものと、私の宣伝の見解は違うということを記しました。これが第二です。第三には中国に関して、やはりガルシエーのテスト答えました。人民中国独裁政権ではないかというようなことをしきりに同意させようとしますので、私は人民中国の成立の必然、あそこで国民がどうして、大きく結ばれて行くかということを明らかにするために、封建的、半植民地的中国、つまり国府の性格、その内容を分析して見せました。これも原稿用紙十五、六枚あるかと思いますが、この文章は、私はぬらりくらり書いたのではありませんから、今でも発表してさしつかえありません。その他は断片的なものがあつたかと思いますが、大して意味のないもので、よく覚えておりません。それから第四に、新聞でちらりと見て思い出したのですが、これもはつきりしておこうと思いますが、ノートを四冊差押えられております。これは監禁中、向うの人たちのためでなく、私が自分のつれづれのために、機会があれば詩を書いたり小説を書いたりした。それを最後に持出しを私要求したのですが、検閲してからといつて差押えられました。これについては、返してもらいたいと言つたのです。これは総じて申し上げますが、彼らの言う事件関係のあるものは、第一の三十枚前後のものです。それからそのほかに二件短かいものがあります。一つ質問書答えたものです。米軍の医療や待遇はどう思うかとか、アメリカ人をどう思うかとか、共同の活動の基礎があると思うかとか、米国政府があなたに何か仕事の機会を提供できると思うかとか、こういつた質問でした。これに対する私の原則的な答えは、米国極東政策に反対だから共同基礎はないということ、米国に私の要求することは、私に自由を与えることである。これだけです。そのほかに、これはもうはつきりさせますが、出るときに誓約書として二箇条とられました。強制されたのです。ソ連のスパイとして勾留されたというふうに認めること、二、米国政府に賠償を要求しないこと、この二箇条です。今私はこの書かされたことについて、新聞に発表されている限りで私の言い分を申し上げれば、一番大事な彼ら自身の弱点になるようなこの二文献は、口をぬぐつて知らぬ顔をしているということです。
  62. 田嶋好文

    田嶋委員長 あなたはこの前証人としてこの委員会に参りましたとき、最もあなたにとつて大切なしいられた自白調書、しかもあなたがさきにスパイの事実を認めろとしいられているような、そんな重大な書面を書いたことをなぜ言わなかつたのです。
  63. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 申し上げます。私としては体力も十分でありませんし、もう一つ人権問題について今後国民立場が保障されますならば、そうしてすなおに相手方によつて認められますならば、ことさら彼らを苦境に陥れたくはなかつたからです。
  64. 田嶋好文

    田嶋委員長 スパイ事件で彼らが苦境に陥るよりも、あなたが苦境に陥るんじやないですか。
  65. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 そういう彼らがでつち上げたことを持ち出す以上は、私としてもお答えします。
  66. 田嶋好文

    田嶋委員長 そうするとこの前その点に触れなかつたのは、相手方をかばう意味において触れなかつた、こういうことですか。
  67. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 つまり原則の問題が明らかになれば、枝葉は私にとつては今そんなに荒立てる必要もない、そう思つたのです。
  68. 田嶋好文

    田嶋委員長 この点は委員長としても納得が行きませんが、いずれ委員諸君からもお尋ねがあると思います。  そこでもう一点お尋ねいたしますが、なたがスパイをやつたということをしいられてつくつたというその書面の中に、三橋正雄と称する男――三橋某といつた方がいいでしようが、その男とレポをした場所は、何か電車に乗つて何分か行つた散歩コースとは別のコースである、こういうようなことがこの書面の中に書かれているわけですが、記憶はありませんか。
  69. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 それを申し上げます。大体私の健康状態を見て五分かそこら電車に乗ることは入れましても、行帰りの全体のコースが二十分範囲内に三箇所ぐらいつくられたと思います。
  70. 田嶋好文

    田嶋委員長 あなたが逮捕せられたというか、拉致せられたというか、その場所電車に乗つて行く場所ですか、いつも歩くコースですか。
  71. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 いつも歩くコース一つです。
  72. 田嶋好文

    田嶋委員長 それを詳しく言つてみてくたさい。
  73. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 私のいたのは本鵠沼の住いですが、そこから湘南学園や屋敷町のあたりをずつと抜けまして、そうして右に出れば海岸に出ます。左に出ますと江ノ電の鵠沼駅に出ます。右に出れは右側からずつと海岸に出て、それからまわつてつて来ます。左に出れば鵠沼駅の方から藤沢の方に向うコースを引返して帰つて来ます。つかまつたのはその後者の方です。
  74. 田嶋好文

    田嶋委員長 わかりました。それから次に前の委員会で明らかになつていなかつた点ですが、最後にあなたがとめられておつたと称する代官山の家なんですが、どういうような状況でとめられ、どういうような状況でこの場所で生活し、また間取り等はどうなつてつたか。
  75. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 これは大体この前申し上げたと思いますが、…。
  76. 田嶋好文

    田嶋委員長 この点はこの前速記録を調べましたが、詳しく載つておりません。これが一番大切だと思いますから、その点をひとつ
  77. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 代官山は――いつものやり口がつまり私を、目分の生活すところへ連れて行つてから目隠しをとることになつておりますから、最後まで私は階段から下を知りません。二階は畳の間が八畳二間、それと廊下を隔てて六畳が二つあります。その一方の六畳には近づかせません。それから一方の六畳というのが物置風に窓のない部屋です、小窓はありますが、それはこの前申し上げたようにふさがれております。そしてその入口は三尺ばかりですが、そこには金網張りのドアをつけられてそれに錠がかかります、夜綴るときはその錠をかけられてその中におります、そして二階の八畳にピストルを持つた連中が二入おります。そういう関係になつております。
  78. 田嶋好文

    田嶋委員長 その代官山の家は日本人はおつたようですか、おらないですか。
  79. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 おりません。
  80. 田嶋好文

    田嶋委員長 これは二世だけですか。
  81. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 二世だけです。
  82. 田嶋好文

    田嶋委員長 あなたとして代官山のその家の状況等を立証するについて適当な人が見つかりませんか。
  83. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 適当な人は見つかりません。
  84. 田嶋好文

    田嶋委員長 外から見てその家はわかりますか、あなたの説明したような状況が……。
  85. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 いよいよ釈放されるときは実は目隠しのすきから私はちらつとのぞき見たので、大よそのかつこうがわかるのですが、新聞に出ておる家が大体そうだと思つております。
  86. 田嶋好文

    田嶋委員長 ピストルを持つた男が二人というのですが、これは夜だけですか、昼間はいないわけですか。
  87. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 昼間はいつも二人が私を監視している形で、物置の中では息苦しいので八畳の間に休ませてくれました。そつちへ私はベッドのマットを引きずり出してその上で寝ていましたが、しかし監視人たちは何か台所に用事があつて、一人が下るとすれば呼鈴で他の者を呼び上げて必ず私から目は離しませんでした。
  88. 田嶋好文

    田嶋委員長 代官山監禁せられておつたときとその他の監禁場所とどちらが厳重でしたか、そこに差はあつたのですか、なかつたのですか。
  89. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 厳重さは同じことだと思いますが、やり方に多少の違いがあります。
  90. 田嶋好文

    田嶋委員長 どういう違いがありますか。
  91. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 茅ケ崎では私を二階の奥まつた一室にとじ込めたまま二世も光田以外は会わせません。その光田がなまけものだつたから山田に食事を運ばせたのです。今度は二世三人が私に、代官山では会うようになつています。しかし日本人に対する不安、日本人日本人としての心でつながり合うということを非常に恐れて、決して自本人を私の雰囲気の中へ入れて来なかつた
  92. 田嶋好文

    田嶋委員長 そうすると、後者の方が厳重だつたということになりますか。
  93. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 ええ。但し二世間ではもう少しひろかつたです。
  94. 田嶋好文

    田嶋委員長 二世間ではひろい、日本人を近づけないということにおいては後者の方がきつい、こういうことになるのですか。
  95. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 そうです。
  96. 田嶋好文

    田嶋委員長 人に会わすという点においては、代官山の方が寛大であつたわけですね。
  97. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 ええ、三人だけおりましたから……。
  98. 田嶋好文

    田嶋委員長 おつた連中に会わすということにおいては寛大、しかし日本人を近づけないという新しい事実……。
  99. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 そうです。
  100. 田嶋好文

    田嶋委員長 十二月の十六日ごろの新聞はお読みになつたでしようね、毎日新聞、朝日新聞と。
  101. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 ええ、見ております。
  102. 田嶋好文

    田嶋委員長 これには、本人に頼まれて保護したというようなことをアメリカ側でにおわしているというような記事が大々的に報道されているんですが、この点何か弁解する気持はありませんか。
  103. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 いろいろあります。頼まれてやつたんでしたら、私はここに来て皆さんにこういうことは申し上げません。
  104. 田嶋好文

    田嶋委員長 先般委員長からあなたにお尋ねをいたしまして、答えられないという点がありました。それは最後になつて遠くへ運ばれるような状況が生れた、こういうことを言つて、それはどこで、だれだつたかと言つたら、外国人であるとだけおつしやいまして、詳しいことは言えない、こういうことでありましたが、これは委員長も了といたしましたが、本日でもその気持でおりますか。この点について何か語ろうというような気持になりましたか。
  105. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 これは委員長が話せとおつしやれば、私話します。
  106. 田嶋好文

    田嶋委員長 私はしいるものではございませんが、心境の変化によつて、話してさしつかえないという気持になりますれば、お話を願つていいと思います。
  107. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 ではお話しましよう。国会の前に何も包み隠ししないという私の気持からお話します。それからもう一つは、まるで誠意のない、私がまるで頼んだようなことを言つているので、事の真相をこの際申し上げます。  実は、彼らが自分の企図をどんなに恐れていたかということを証拠立てるような事理があります。それは十一月ごろからでありましたか、私に新聞を見せなくなりました。新聞を見せないということは外に何かあつた。つまりあとになつて自由になつてからわかつたことですが、そのころ外で私を釈放する国民の間の、それから新聞記者、家族、そういつた動きが始まつたということだと思いますが、ラジオも聞かせません。それで感じているやさきに突然十一月の二十九日、これは土曜日でありましたが、その土曜日にまた急に私に移動の空気が感じられて来たのです。朝方からごそごそかわるがわるガルシエー大佐が下に来て、一人ずつ呼びおろして何か言いつけておりました。昼ごろ光田というのがトランクを一つつて来まして、そのトランクに私の荷物を詰めろと言うのです。それはこれまでの移動にないことなんです。このトランクは私は証拠品として持つて来てあります。それから私は、どこか移動するのかということを聞きますと、わからない、だが東京ではおれたちがあぶなくなつたということを光田が言いました。午後四時ごろガルシエーが上つて来て、実は日本ではない所に行く、まあ機密上私からは言えないけれども、行つたらあなたにもわかる、こういうことを言いまして、午後六時過ぎでしたか、私をまた目隠しして連れ出しました。それから羽田飛行場に持つて行き、その羽田飛行場からほかのだれも乗せない私たちだけを乗つけた軍用機で実は沖繩へ連れられて行きました。沖繩へ行つて、実は私は飛行機の上ではもう目隠しをとられましたから、つまり私に何かを見られてもさしつかえないのだな、言いかえれば私は帰れないのだ、それで実は私もう死を決心しておつたんです。まあ命は風前のともし火ということになつてつたんですが、六日の昼になつてから非常にあわただしい東京から何か電報が来たらしいのです。それで急に帰れということになつて、その夜の十二時に、沖縄の連れられて行つている所から自動車で僅び出されて、飛行場に着いたのが二時で、それからこれも、夜間飛行で約四時間、しばらくたつて立川飛行場にもどつて来ました。そうしてまた代官山に連れられて行きました。そしてそこで急に釈放されることになつたのですが、あとでわかつたことは、結局法務委員会でこの問題を取上げてくださるということがわかつたので、裏づけも証拠もある問題が取上げられるということに非常に狼狽して、彼らは口をつぐんでくれと言つて私を釈放したのです。その点を私国会に重々お礼を申し上げます。
  108. 田嶋好文

    田嶋委員長 そうした重大な事件をなぜアメリカに遠慮して言わないのです。
  109. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 これは軍機保護法――私法律はよく知りませんけれども、そういうこともあるので、それから行きも帰りも軍用機ですし、それから基地らしい所に連れ込まれたので、そ、ういつたことの説明をしなければならないはめになることを遠慮したし、そこまで言われては、そこまで言わないうちに私はアメリカとしては当然誠意を見せるべきだという気持から……。これは私がさつき申し上げたことと一貫した態度なんです。
  110. 田嶋好文

    田嶋委員長 あなたは前回の委員会でも、本日でもそれをにおわしているのですが、要するに、アメリカに協力しないということを自分で信念として持つているというように伺つているのですが、あなた自体で有利なことでしかもアメリカに不利なことを、先ほどの自供調書といい、あなたの言うことがほんとうであるとすれば、これはあなたに有利なことであるが、それを特に重大な点であるにかかわらず、隠している。こうした点はどうも納得しがたいのですが、それは今申し上げたように、アメリカに対してしいて遠慮しなければならぬという原因がほかにあるのじやないのですか。
  111. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 別にほかにありません。これはさつきも申し上げたことを繰返すことになりますが、問題は、しかも猪俣先生からも人権問題をはつきりさせればいいのだというふうな重点をお示しになつたので、私としてもいろいろな周囲の方々のことも顧慮した上で、自分としても国民の権利をはつきりさせればいいのだという限度から最初は申し上げました。だが相手に誠意がなければどこまでもやります。それが私の態度です。
  112. 田嶋好文

    田嶋委員長 相手の誠意というとどういうことですか。
  113. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 つまり私が保護を頼んだのだというばかばかしい言い方です。
  114. 田嶋好文

    田嶋委員長 あなたは監禁せられたと言つて抗議をしているのたから、そうした点に対してもう少し強く証言してもいいはずじやないですか。
  115. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 御忠告に従いましてこれからやります。
  116. 田嶋好文

    田嶋委員長 これからではちよつと間に合わないような気がする点もありますね。  最後にもう一点お聞きいたしておきますが、確かに自供調書というものは一通ですか。重ねて当委員会に呼ぶ必要のないように、ここではつきりしておいていただきたいと思います。
  117. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 一通だと思います。それで、もしあつたとしても違つたものじやないか。しかしそれについて私の……。
  118. 田嶋好文

    田嶋委員長 十二月の中ごろ書いた部厚い縦書きの自供調書以外に、最近になつて横書きの自供調書を書いたのではないのですか。
  119. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 覚えありません。ないと思いますけれども……。とにかく記憶にありません。まあ、私としてあまりそれに重きを置いてないのは、いずれにしたつて最初のときからつくられたものですから、あるいは、そんなものなら幾らでも同じものだという気持があつたかもしれませんが、書いた記憶はありません。
  120. 田嶋好文

    田嶋委員長 しかしおかしいですね。スパイをしたという自白調査を書くのに、大した問題ではないということが言えますか。あなたがスパイをするということは、これは正々堂々と他人に恥ずべきことではないと思つておりますか。
  121. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 私がこれまで申し上げたことから委員長質問が出て来ると思いませんが…。
  122. 田嶋好文

    田嶋委員長 スパイをしたという自白調書をつくられたのでしよう。強制されたのでしよう。
  123. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 そうです。
  124. 田嶋好文

    田嶋委員長 それを大したことでないとあなたは証言している。だから委員会で言わなかつたとも言えるし、だから本日も大したことでないと言うのですか。私たちにとつてはその点納得が行かない。
  125. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 大したことではないと言つたのは、つまりでつち上げであるということなのです。ですから私はそういうことについて心覚えが全然ない、責任の負えないことだという意味で大したことはないと言つたのであつて、そのもの自体がでつち上げとしてつくられたことは大したことなのです。
  126. 田嶋好文

    田嶋委員長 大したことならば、それを堂々と反駁し、堂々と委員会で積極的に証言すべきじやないですか。だから委員長は、あなたの人権を守るために重大だと思つて特に聞いているのです。
  127. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 ありがとうございます。
  128. 田嶋好文

    田嶋委員長 では、自分記憶では一通縦書きのものを書いただけである、こうお聞きいたしておきます。  それから代官山に来た日時、これはまだ記憶が生れませんか。
  129. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 七月末であつたと思います。二十日と三十日の間です。
  130. 田嶋好文

    田嶋委員長 私の質問はこれで終ります。猪俣浩三君。
  131. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 アメリカ大使館の発表は、あるいはアメリカ軍の発表は、スパイ嫌疑で捕えたけれども、短期間であなたを釈放した。あるいはこれはアメリカ大使館の正式の発表ではないと思いまするが、新聞紙の伝えるところによれば、釈放後鹿地氏自身が身の危険を感じて保護を求めた。そこで私人がこれを保護しておつたのだ。その危険を感じた原因は、アメリカのスパイをやつてつたので、鹿地をスパイに使つてつた首領から危害を加えられることを恐れて保護を求めたのだというような意味の発表が連日ありました。私どもは人権問題としてあなたのことを取上げたのであるが、ここ十日間ばかり新聞記事というものは、三橋何がしの電波法違反をめぐりまして、いち早くあなたの名前が出された。しかし関係者の名前は今日まで発表されない。しかもアメリカ側の出す情報というものが、それを裏書きするような情報を出している。実に不愉快きわまる状態であります。そこで、あなたが何か身に危険を感じて保護を求めたのであるかどうかということが、この人権問題としては重大問題である。のみならず、なおまた保護を求めたということになるならば、それはスパイをやつてつたということの裏書きにもなると存ずるのであります。今聞くところによれば、沖繩へ連れて行かれたということであるが、これは重大な問題だと思う。そこで、この問題についていま少しく具体的に述べていただきたいと思うのであります。十一月二十九日の夕方、ガルシェーが、遠くへ連れて行くと称して羽田へ送つた。その羽田から棄つた飛行機はいかなる飛行機で、羽田へあなたを送りに来た人聞はどういう人たちであるか、それをひとつお聞かせ願いたい。
  132. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 まず出発に際しては先ほど委員長質問お答えした通りで、準備が終つてまぎわになつてから、ある外国へ連れて行くと――つまり、沖繩もアメリカにとつて日本から外国にされているわけでありますが、その外国に連れて行くということを言われました。それから私たちは――私たちというのは、つまりガルシェー大佐自身と川田、光田の二人が同乗して、光田が運転して乗用車で羽田に連れて行かれましたが、ジャック・高橋というのが向うへ先にまわつておりました。飛行場には双発の軍用輸送機がとまつていて、それには、乗務員のほか、私に付添つて沖繩まで行くことになつているジャック・高橋と光田の二人の軍曹が伴つて出発しました。それで、羽田ということがわかつたのは、非常に外が明るかつたことと、飛び立つてから、東京湾の上を南に飛んで行つたのでわかりました。それから向うから帰つて来た飛行機は、急拠用意したものと見えまして、私初めてB一七なる爆撃機に乗せられました。これも私たちだけが、乗務員のほかに乗せられました。
  133. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 そこで、あなたが着いた所が、沖繩なりとして認定しました事情をおつしやつてください。
  134. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 外国に行くといつて連れて行かれましたが、到着したとき光田が、飛行場に着いたときに、沖縄に来ましたよと口をすべらしました。それが第一です。それからもう一つは、行つた所で蚊が出ておつて、まだ軍の施設ではかやをつつておりました。それから労働者が話している言葉で、私に意味はわかりませんが、私は昔鹿児島で育つたために、沖縄語の調子が多少わかります。それで、ははあと思いました。それから光田が、そこで食堂の人たちの話でも聞いたのでしよう。沖繩では今一ドルが沖縄の百二十円であるということ、そしてそういう所で働いている人たちは、月給七十円のひどい暮しをしておるということ。そしてそれでも食べ物や住いなどあてがわれるので、沖繩の人たち一般の人から見ると、たいへん楽な生活だというので、私は沖繩人が今どんな惨苦な生活をしているか、日本に復帰する願いを持つ気持がよくわかりました。そのほかいろいろありますが、そういつたことは軍の施設の問題になりますから、ここでは遠慮した方がいいかと思います。
  135. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 これは法務委員会であつて、あなたは宣誓しているのであるから、私はあるいは行政協定に伴う刑事特別法との関連があると思うけれども、委員会質問されれば、答えられてさしつかえないと私は考えます。それは、なお詳しくあなたに言つてもらいたい意味は、これを裏づけするものは何ものもない。あなた自身の言しかないのでありまして、これに対してあるいは、デマであるがごときことをまた宣伝するかもわかりません。そこで具体的に言つていただかぬと、またデマ宣伝に消されないとも限らぬのであります。  これは委員長に伺いますが、刑事特別法とこの法務委員会における証言とは、どういうふうに相なりますか。私はさしつかえないと存じますが、よろしゆうございますか。
  136. 田嶋好文

    田嶋委員長 私、委員長としてお答えいたしますが、当委員会で発言することが、軍の機密に関係がないことなれば、これはさしつかえないと思います。なお今のお答えの範囲においては、機密と考えられない事項だと思いますから、お答えつてさしつかえないと思います。
  137. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 委員長お答えします。これからお話することは、私はそういう法律上のことはよく知りませんけれども、機密と言いがかりをつけられることになるかもしれぬと思いますので、機密に触れてさしつかえないとおつしやれば、私申し上げます。
  138. 田嶋好文

    田嶋委員長 委員長といたしまして、機密に触れてさしつかえないとは申しません。機密に触れると考えましたときは、適当に委員会の運営を委員諸君と協議して行きたいと思います。
  139. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 そこで、あなたが沖繩に着かれたのは、どの辺の場所だかわかりましたか。
  140. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 大体わかりました。
  141. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 どの辺ですか。
  142. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 後に連れて行かれた所との関係でわかります。大きい町と言つていましたから、それは那覇ではないかと思いますが、そこから約自動車で一時間半以上の山の中であります。
  143. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 大きい町と言われている町から、自動車で一時間半くらいかかる山の中である。なおその場所についてあなたが耳にした、これはどういう場所であるかというようなことを聞いたことはありませんか。
  144. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 それは光田がこういうことを言つておりました。ちようど私たちのいる所のすぐうしろが山の壁のようになつていました。その山が何だか旧噴火口だというふうな話をしておりました。で、その旧噴火口のうしろにがけがあつて、かつて日本軍がそこに立てこもつたとき、最後に司令官が身投げをして自殺して、軍の他の者が相次いで、そこから飛び込んで死んだ、そういう戦跡がある、非常に険しいがけだ、そこヘジープで、時間を聞きませんでしたが、あまり遠くないから、ぜひ見に行つてみたいということを彼らが話しておるのを聞きました。
  145. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 そこで、そういう場所で、あなたが連れ込まれた建物ないし部屋の状況をお話ください。
  146. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 それは施設の問題ということにはなりませんか。
  147. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 あなたは話をして、もしそれが、委員長から適当に……。
  148. 田嶋好文

    田嶋委員長 私が注意します。
  149. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 あなたはあなたで、遠慮なしにお話ください。
  150. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 承知しました。私はやはり飛行場からそこへ着くまで目隠しですから、着いて、ある一部屋に連れ込まれてみますと、それはあるバラックの形式につくられた建物で、そして六畳ばかりの、あたかも監獄の監房のようにわけられた部屋が、廊下の両側にありまして、その窓は鉄のわくに金網が張つてありました。それから今度はむろんそこから出されないわけですが、便所に行くのには、廊下を通つて――浴場と便所がついております。その浴場と便所は、外から絶対にのぞかれないようになつておりました。しかもそのまわりに、私たちが来たことを知らずに、うつかり近寄つた労働者がありましたが、それは最初の一日のことで、それ以後絶対にその付近に人を寄せないようになりました。私がちよつと昔の物語りで言うなら、鉄仮面というような物語に出て来るものを想像して、さて私の運命もこれでおしまいになつているんだなということを感じておりました。  もう一言つけ加えて申し上げれば、私のその感じを一層強くするものとしまして、出発に際してガルシエー大佐が、ほかの連中もだれか言つたように思いますが、外が非常に危険になつた、それから、君の処置のきまるまでしばらく外国に行つてくれ、こういう言葉でしたから、さて私の処置というのはこういう方法だというふうに、私としては感じておつたわけです。
  151. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 そうすると、十一月二十九日の出発の際にガルシエーその他から君の処置がきまるまで外国へ行つてくれと言い渡されておつた。そこでなおあなたにお聞きいたしますが、そうするとあなたを十一月二十九日以来そこへ監禁をしておいて、その処置をどこかへ求めておつたような形勢がありますか。
  152. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 それはかルシエーとしては、私はトップ・ジエネラルではない、私の処置に関するトップ・ジエネラルでないということは言いました。それから光田に至つては、はつきりとワシントンからの命令を待つておるというふうな言葉で私に言いました。
  153. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 ワシントンからの命令を待つているということを光田があなたに言つたというのであるが、それはいつ、どこで言いましたか。
  154. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 それは代官山の終りのときです。
  155. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 代官山の終りのとき……。
  156. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 つまり琉球に出発するしばらく前だつたと思います。
  157. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 光田があなたにワシントンからの命令を待つていた……。それは何に関してですか。
  158. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 私の処置に関してです。
  159. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 鹿地の処置に関してワシントンからの命令を待つておる、こういうことを光田言つたのですね。
  160. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 言葉は同じでなかつたかもしれませんが、そういう内容のことを言いました。
  161. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 内容のことを言つた……。
  162. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 つまりワシントンという言葉は入りました。
  163. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 沖縄で、さつき委員長質問に対してお答えになつたのだが、何らかの命令がどこからか来たというのですか。
  164. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 それは六日に電報が来たとき彼らがこそこそ話し合つている模様、それからやがて二人が来て私に話したところによりますと、ともかくも今東京の状態が非常に危険になつた、それで外で騒ぎが大きくなつたから、もう私に関するいろいろな計画や処置というようなものはこれは一時うちどめだ、ともかく一応うちどめにしておくから、そういう意味で、すぐ連れ帰るということを二人が言いました。
  165. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 だれとだれがいつ言つたのですか。
  166. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 ジヤツク高橋とビル光田とがその東京からの電報を見て言いました。それは東京かららしいです。
  167. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 東京から何らかの命令が来たということは、あなたはどうしてわかりましたか。
  168. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 それはこの二人とも電報が来たということを言いました。そしてすぐ電報が来たから帰るのに待機してくれ。それですぐ荷物を詰めて待機して、次の電報ですぐ出発するから――次の電報、つまり飛行機の用意ができた、何時に出るという知らせがあるのを待てという電報らしかつた……。
  169. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 そうすると、その言葉の内容をいま一応確かめますが、とにかくひとまず東京へ帰る、こういう言葉だつたのですか。
  170. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 そうです。
  171. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 あるいはひとまず東京へ帰つて釈放するというような言葉だつたのですか。
  172. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 釈放するということはなかつたように思います。それは東京へ着いてからガルシエー大佐から言われたのです。
  173. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 最後お尋ねしますが、あなたは沖繩で殺されるのじやないかと思つたということですが、さつきもちよつとそれに触れられたと思うけれども、それはどういう根拠でそういうふうに感ぜられたか。殺されると思つた根拠をおつしやつていただきたい。
  174. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 その前にさつきのことで一つ補足いたしますが、沖繩に送られて来た電報は、概略の内容光田と高橋が私に話したのであつて、その二人の秘密にいつも相談しておりますから、それが全貌であるか、あるいはそのまま確かなものであるか、それは何とも私としては言えません。それから今私がどうして死を感じたかということを申し上げれば、外の騒ぎが、つまり国民の救出運動、それから新聞、家族の動きというものに恐れをなして、私をどうきめるか、つまり彼らの隠謀のしりぬぐいをするのにどう手段をとるかということがきまらないまましかもその犯跡を隠すことのできるように、内地から連れ出させるということ、そのことでぼくは事態がゆゆしいという感じを受けましたし、それから今度は沖縄に行く途中の飛行機などでは、目隠しもとつて見せるわけでありますから、見たつて何とも言わないわけでありますから、これはもう私を帰らせないつもりだなという気持はぴんと来ました。それから向うで食事が運ばれるごとに、私一人だけに食事を運んで来て、その二人はかわるがわる外で食べておる。その食事の内容は比較的よいのです。それで私はははあ、時が迫つておるのだなということを感じたのでありまして、これはどつちにころぶかということは、決定を待つという言葉で、非常に不安にされた気持で、私はそれを推測したまでです。
  175. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 それから帰りは六日ですか、七日ですか。そしてその時間は……。
  176. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 その時間は、六日十二時に向うの山地の基地を立ちまして、二時に飛行場でB一七に乗りまして、それから明け方私が見たのは、富士山と伊豆の島々の上を越えて、江の島を越えて、立川に着いたのが午前六時で、そこヘガルシエーが迎えに来ておりました。
  177. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 そうするとB一七ということはどうしてわかりましたか。
  178. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 それは私も輸送機とそういう戦闘用の飛行機との区別は常識的につきます。つまり、乗るときだつて台がはしごになつて上らないのです。私はあんな飛行機、B一七というのに初めて乗つたのです。二、三段踏んですぐ乗つかれるくらいに機体が低い。入りますといろいろな――私は機械は全然わかりませんが、爆撃用のいろいろな機械だろうと思いますが、人の乗るところが非常に狭い。光田、高橋が、これはB一七です。そして十トン爆弾を詰めて第二次世界大戦中はこれを使つたものですよ、という話をしてくれました。
  179. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 そうすると、行きも帰りも、飛行機には高橋、光田とあなた以外には乗つていないのですか。
  180. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 乗務員だけです。
  181. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 だれも乗つていないということになりますね。それから立川へ朝六時ごろ着いた。それからどうなりましたか。
  182. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 今言つたように、ガルシエー大佐が迎えに来ておりまして、すぐ小型自動車に乗せられて、目隠しをされて、代官山に連れ込まれて、そして朝には、とにかくもうこれはおかしな話で、ぼくの病気療養をやつてくれたという人たちが、私の身体にはとうてい耐えられないめちやめちやな夜間飛行やら、自動車やらに乗せて旅行したあげく――私はもうそのとき熱を出しておりました。とにかく休みなさいといつて、午前中休ませられて、やつと息がついたところで、さつき言つた二箇条の誓約書をとられた。それから実はきようは釈放する、あなたの意思を尊重して、私たちとしては何も制限は加えない。だが、また協力する意思でもできましたならば、そのときはまた考え直してくれというふうなことを言つて、それから午後の六時過ぎ、暗くなつてから、七時ごろでしたか、これはこの前申し上げた通りの方法で道のまん中にほうり出された。
  183. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 なお、お尋ねいたしますが、あなたは相当恐怖心を今なお持つておるようであつて、私のところへ書いた法務委員会に対する嘆願書の中にも、自分の生命身体を保護するような万全の策をとつてもらいたい、こういう文書を書いておるのでありますが、その恐怖の原因は、沖繩でひとまず釈放する、ひとまず帰すというような言葉にあるのですか。
  184. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 それもありますが、全体として今度のやり方、それからいろいろ状況を考えてみますと、これは一種の非常に悪質で残酷な謀略が日本でかつて気ままに行われておるという証拠になると思います。そしてこの種の謀略は私一人ではないので、たくさんの人がやられている。しかも、今度は私が自由になりましてからでも、まつたくばかげ切つた宣伝をやつておりますが、これはいずれゆつくり調査していただきたいのですが、その悪宣伝でもつて、あたかも私は殺されてもいいやつだというような謀殺的環境をつくり出す、そういうけはいが濃厚に見える。しかもそれは新聞社の人たちから漏れ聞くところによりましても、某権威筋からしばしばそういう流言が出るという。それからもう一つは、こう謀殺的環境というやつに、かてて加えてアメリカ筋の宣伝として、鹿地はだれかスパイの首領から殺されるかもしれぬとか、あるいは共産党から殺されるかもしれぬというようなばかげたデマを飛ばされるのじや、そういうばかげた謀略をいつやられるかしれぬという不安は、ああいう宣伝によつて感じられるのであつて、私は日本国民の中にあつてこそ安全を感ずれ、私はそれ以外にそういうものに対して何の不安も感ずる理由はない。そういうことが盛んに権威筋というところから出るとすれば、これは国会並びに政府に対して厳重な確約をつくり上げていただきたいというふうにお願いしたわけです。
  185. 田嶋好文

    田嶋委員長 関連しますからもう一度お尋ねしますが、今日までのあなたの証言、猪俣委員あたりのあなたに対する質問から生れた言葉等を総合してみても、何のためにアメリカがあなたをとめなければならなかつたか。監禁しなければならなかつたかということが納得できない。それはあなたにもわからないと言つている。どうですか、その点まだわからないのですか。
  186. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 お答えします。非常に疲れましたから……。
  187. 田嶋好文

    田嶋委員長 ちよつと休んでいただいてけつこうです。
  188. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 なるべく、そろそろ切りにしていただきたいのですが、このことだけは続けてお答えします。  今度の事件からだけ見まして言えることは、初めつかまえたときから、味方になれということを言つております。それから今度は、彼らが一つの条件をでつち上げてつくつたと思つた瞬間から、今度はその内容には一切触れずに、ずつと、味方になれ、協力せいです。そしてその内容は、この前申し上げた通りに、初めは、あなたはいろんな国際的な宣伝や、それから国内宣伝や、そういつた経験を持つておられるから、その力をぜひとも借りたい。具体的にどういうことかと言うと、まあそれはお互いによく知り合つてからというようなことで、てんで答えてくれないのです。そして最後になつてから、共同の活動の基礎があるかというようなことを言い出す。そして最後に、どうも脈がないと見たら、自分たちの企画を私に察知されないように、何の返事もしないでつつぱなした。こういう関係になつているわけです。そこで私としては、いわゆる行われたところの歴史的環境、これを探つてみるよりしかたありません。そうしますと、私には若干思い当ることがあります。それはいずれ詳しくその真相を発表しますが、今ごく簡単にこの歴史的な思い当る点を申し上げます。  それは第一には、私は中国で――中国日本の戦争のときに向うに渡つて中国の民族連合戦線と協力する形をとりました。その目的については、申し上げましたように、中国の民族連合戦線は、日本人民との協力を非常に希望している。アジアにおいて平和的な関係を求めるということがモットーでありましたから、アメリカが今日やるような日本の国家の権利、自主権を抹殺するというような方向でなくて、日本人民の立場というものを非常に大事にして、独立的立場を大事にして、私を協力させてくれました。ですから、私の当時の立場というものは、この前も申し上げましたように、平和と、そして軍国主義の打倒と、日本国民に自由な民主的国家を開く道を助ける、そして列国との公正な講和を導き出すということを公然と打出したわけです。太平洋戦争になりましてからは、そういう形でこの連合国、つまり反フアシズム連合戦線の中に、中国のそういう人たち、つまり民族連合にささえられて、日本人としての立場を守つて国民代表的な形で参加しました。ところが、戦争が終りに近づきまして、アメリカからの協力が要請されて来ました。それはその民族連合からも切り離し、私たちをアメリカの雇い人として雇うという形式で、たくさんの金など出すということを申し入れて来たんです。で、私はそれは困ると断つたんです。そのときの状態は、私は小さいとはいえ、日本の独立的団体の代表である。で、反フアシズムの連合という短かい期間における共同目的には忠実である。だがアメリカ政府に忠実を誓う理由はない。この共同目的については、私が忠実を誓うだけでなく、お互いに誓おうじやないか。で、俸給というような形では私はお金は受取れない。むろん共同の事業にあなた方が経費を出すというんなら、それは共同の事業なんだから承知する。しかしもし私たちの目的と一致しない点があるならば、いつでもこの協定は破棄されるということを前もつて申し上げておく、この点に関する私の申し入れた協定書は、今日でもちやんと英文と翻訳を、国民に対していつでも堂々とものがいえるように私は証拠品を持つております。それからその後もそういつた誘惑はたびたび来ましたが、私は拒否しております。それから国に帰るころからは私の念願するところは、こうして一時占領され、みじめにされた日本国民の力の団結による独立の取返しだと思うのです。そういうことを念頭に持つておることを知つている彼らとしては、最初敬遠するという態度を私にとりました。むろん私としてはその態度でずつと押して来て、遂に病気で倒れたわけですが、朝鮮戦争前後からアジア諸民族に対する政策の破綻がアメリカに非常にはつきり現われた。そうすればかえつて中国に信用を持たれたような人たち、アジア人に信用を持たれたような人たち協力を無理やりな手段ででも実現しようとするような動きがあの種の謀略機関にあるということは、ちつともふしぎじやないという気がするんです。しかもこういう謀略がこういう形をとつて来るということは、もはやアメリカの立場が今日アジアにおいて崩れているいい証拠である、私はそういうふうに考えております。以上が大体私のこのことに関する歴史的な根拠だというふうに了解します。
  189. 田嶋好文

    田嶋委員長 あなたに協力を求めるべくやつたことだ、こういうことになるのですね。
  190. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 そうです。
  191. 田嶋好文

    田嶋委員長 と思うというのですね。
  192. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 そうです。
  193. 田嶋好文

    田嶋委員長 ちよつとお諮りしますが、大分疲れたと言つておりますから、十分くらいここで休みましようか。――瀬口君より非常に身体のぐあいが悪いからなるたけ質問を簡単にとの申出がございます。この場合委員長もさよう考えますので、質問者の委員諸君にはその意味お尋ね願いたいと思います。格別時間を区切るわけではございませんが、申出の趣旨を了といたしまして、委員諸君の尋問は三分程度に切り詰めて、質問はなるだけ一問一答の形でやつていただきたいと思います。なお瀬口君に申し上げますが、なるだけ御答弁はイエス、ノーの形でひとつ簡単にお願いします。松岡松平君。
  194. 松岡松平

    ○松岡(松)委員 証人からだが悪いんじや聞きたいことも聞けないのですが、あなたの監禁中――監禁という言葉を使いますが、その間の家庭の生活はどうなつておりましたか。
  195. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 それはずいぶん貧乏して苦労した模様ですけれども、その間知る事情がありません。ただ山田君からまあ子供も無事でいるというくらいの話を聞いて安心しておつたわけです。
  196. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 それは、ずいぶん苦労した模様です。だが、私実はあまり深い話をするひまもなく、御承知の通り出て翌日すぐ遊佐先生のところへ行きましたからよく知りません。
  197. 松岡松平

    ○松岡(松)委員 他から援助を受けたとか、あるいは多少のたくわえがあつたとか、そういうことはわからぬのですか。
  198. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 それは極度に貧乏しておつたようですが、友達が助けてくれたようです。
  199. 松岡松平

    ○松岡(松)委員 わかりました。友達とはだれですか。
  200. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 それは内山さんや、そのほか呉山貿易の人たち、貿易関係の知合いたちです。
  201. 松岡松平

    ○松岡(松)委員 貿易関係の知合いたち、内山さんその他。
  202. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 ええ。
  203. 松岡松平

    ○松岡(松)委員 その次に、あなたは講和条約の発効を中でお知りになつたのはいつごろですか。
  204. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 それはラジオを聞いておりましたから、大体そのときすぐ知りました。
  205. 松岡松平

    ○松岡(松)委員 その講和条約が発効すれば、アメリカから監禁され、調べを受けられる理由もないのだが、そのことについて何か抗議されましたか。
  206. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 抗議はいつもやつておりました。
  207. 松岡松平

    ○松岡(松)委員 いつもやつてつた
  208. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 ええ。
  209. 松岡松平

    ○松岡(松)委員 もう一点最後に聞きたいことなんですが、あなたは重慶におられたと、ざに、重慶で軟禁されたといううわさがあるのですが、それはどうなんですか。
  210. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 そういう事実は絶対にありません。
  211. 松岡松平

    ○松岡(松)委員 ありませんか。
  212. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 ええ。
  213. 松岡松平

    ○松岡(松)委員 重慶から日本向けの放送に従事されたことはありましたか。
  214. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 それもあまりやりません。というのは、私はときどきやりましたけれども、国府側から私の主張を改変されるような検閲を受けることを拒否しましたから、そういう理由で向うとしても折合いのついたときにときどきやる。
  215. 松岡松平

    ○松岡(松)委員 重慶におられたときに、アメリカ軍の要員と連絡されたようなことはありませんか。
  216. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 それはさつき申し上げましたような形で、私たちに協力を申し入れて来ました。それに対する私の態度は申した通りです。
  217. 松岡松平

    ○松岡(松)委員 その時分に交際された友人の方で、アメリカ軍の要員の方はありませんか。
  218. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 それはたくさんあります。
  219. 松岡松平

    ○松岡(松)委員 それはどのくらいの数ですか。
  220. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 たとえばニュー・デイール派の大使館の人たちとか、さつきの問題を持ち込んで来たような軍機関の人たちだとか、しかしそれはプライヴエートな交際はありません。
  221. 松岡松平

    ○松岡(松)委員 そこで最後お尋ねしたいのですが、私らも別に拉致されてもおりませんが、あなただけはたくさんの人の中から選ばれて拉致されて監禁されたということになると、先ほど委員長お尋ねになつたように、何かそこにあなたの持つておる大きな役割なり、役割を果し得る一つの可能性、そういうものをあなたに持ち来らしたとすれば、勢いこういうことを聞きたくなるのですがね。あなたは先ほど何べんも言つておられるが、あなたに協力しろということをしきりに求めた、結局協力ということになると、あなたと中共またはソ連の関係がおありになるんじやないですか。
  222. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 そんなものは絶対にありません。
  223. 松岡松平

    ○松岡(松)委員 ないですか、あなたは証人ですから、その点は明瞭にお答え願いたい。ありませんね。
  224. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 ありません。
  225. 松岡松平

    ○松岡(松)委員 そうすると、われわれはこの点が非常にわけがわからなくなつて来るのです。あなたを長い間監禁して、あなたに苦しみを与えて、協力しろ協力しろと言つたというのですが、それは何を協力するのかわけがわからぬですね。
  226. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 それは私さつき申し上げたはずです。そういつた意味で一種の軍の極東における謀略的な文化政策とか、いろいろなものが最近強く出つつあるように感じたのであります。
  227. 田嶋好文

    田嶋委員長 大川光三君。
  228. 大川光三

    ○大川委員 今日までの証人の調べの結果にかんがみて私はお尋ねをいたします。まず自殺の点について伺うのですが、「私は訴える」という声明書の中にも、自殺のことがうたわれておりますが、一体この声明書は、いつどこでどういう目的でお書きになつたか。
  229. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 それは私が釈放されて、その翌日朝、少し休みたいと思つて人と会うのを避けて遊佐医師の家で書きました。目的はそれに書かれておる内容ではつきりすると思います。
  230. 大川光三

    ○大川委員 この声明書を作成されるのに、だれかに相談されたり、またはその作成に立ち会つた人がありますか。
  231. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 そういうことで私はだれにも迷惑をかけません。
  232. 大川光三

    ○大川委員 そこで伺いますが、この声明書の中で、自殺を企てたという日が去年の十一月二十九日の夜半、夜中であると、こうなつております。ところが去る十二月十日の当委員会のあなたの証言では、去年の十二月の二日の未明であると、かようにお答えになつておるのであります。自殺を企てたというその重大な事柄について、声明書では十一月二十九日の夜半であるといい、宣誓された証言として十二月二日の未明だと言われておる。この日と時刻に食い違いがあるのでありますが、それはどちらが正しいのですか。
  233. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 これはうつかりしました。私が自殺するところへ移されたのが十一月二十九日で、自殺を決行したのは二日の未明、午前二時であつたわけです。ここで証言した通りなんです。
  234. 大川光三

    ○大川委員 そうすると声明書の分は……。
  235. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 疲れていて、そこへ行つたことから書こうと思つているうちに飛んだらしいのです。
  236. 大川光三

    ○大川委員 声明書の日時は違うんですね。
  237. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 ええ。
  238. 大川光三

    ○大川委員 証言の方が正しい、こうなりますね。
  239. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 そうです。
  240. 大川光三

    ○大川委員 そこでなおあなたの証言の調書に多少疑問が起りますのでこまかいことを伺いますが、自殺未遂の第一回にシャンデリアを利用して帯をつつた、こう言われるのですが、その帯のほかには、なわとかひもとか、こういうものはお使いにならなかつたのですか。
  241. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 手ぬぐいで輪をつくつて、これへはめて、ベルトをこれにかけて、そうしてひつかけまして、かけ金をとめて、二段になつておるわけです。そうして飛びおりたのです。
  242. 大川光三

    ○大川委員 そうするとシャンデリアが下へ落ちましたね。
  243. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 落ちました。
  244. 大川光三

    ○大川委員 そうすると手ぬぐいはどうなりましたか。
  245. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 手ぬぐいは、すぐそれごと便所の水槽へまた持つて行つてかけてやり直しました。
  246. 大川光三

    ○大川委員 そうすると、シャンデリアには手ぬぐいは残つておりませんね。
  247. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 ネクタイが残つてつたと思います。
  248. 大川光三

    ○大川委員 ネクタイをお使いになつたのですか。
  249. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 ネクタイは、なるべく切れることのないようにと思つて巻きつけておいたのが、それだけ残つております。
  250. 大川光三

    ○大川委員 便所の中の未遂事件ですが、あなたの証言によりますと、便所に行つて水槽の管にベルトをくつつけて下つたら今度はベルトが切れてころがり落ちて、下であえいでおつた。気がついて、これはしまつたと思つて、消毒用に置いてあつたクレゾールのビンをそのままとつて、約三分の二ばかり飲んで、それから意識不明に陥つた、こう言つておられますが、大体間違いございませんか。
  251. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 ありません。
  252. 大川光三

    ○大川委員 クレゾールのビン、それは便所のどの辺にあつたのですか。
  253. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 ちようどドアのかけ金が、私があばれたのだろうと思いますが、こわれて私ころがり出まして、そうすると、ここが手洗い場になつております。その手洗い場のすぐ下にクレゾールがあつて、私のころがり出た鼻先にあつたのです。
  254. 大川光三

    ○大川委員 そうすると、ドアの外にあつたのですね。
  255. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 そうです。
  256. 大川光三

    ○大川委員 外にあつたクレゾールを飲んで、そしてドアを中からまた締めましたか。あるいは入口で倒れたのですか。
  257. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 クレゾールを飲んで、便所が二つありますが、こわれた方はやめて、そしてこつち側に入つて内側から締めたのです。
  258. 大川光三

    ○大川委員 そうするとビンは。
  259. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 ビンは廊下に置いたままです。
  260. 大川光三

    ○大川委員 三分の二ばかり飲んだという、そんなはつきりした記憶があつたですか。
  261. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 半分ぐらいかもしれません。何しろたいへんおいしいもんですからたくさん飲んだような気がしました。
  262. 大川光三

    ○大川委員 実は山田証言とあなたの証言に食い違いがあるのでこのことを聞いたのでありますが……。
  263. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 半分ぐらいかもしれません。
  264. 大川光三

    ○大川委員 先ほど委員長の問に対してあなたは自供書を書いたということをおつしやいました。そうすると、アメリカ側があなたに言わそうという大体注文通り自供書ができたわけですね。
  265. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 そうです。
  266. 大川光三

    ○大川委員 あなたのその自供書をもつてただちに正式にあなたを裁判にかけておりません。これがたいへん解せぬのでありますが、あなたはどうお考えになりますか。
  267. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 ですから、私はそれが問題なんじやなくて、協力しなければお前はこういうことになつておるぞという弱味をつくられたのじやないかと思つております。初めから一種の脅迫的な謀略だつたというふうに考えております。
  268. 大川光三

    ○大川委員 それと、いま一つこれに関連しますが、四月二十八日講和条約が発効したその当時において、アメリカが日本の政府に何らの連絡もして来ていない、ここが一番疑問なんですが、その点についてあなたはどうお考えになりますか。
  269. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 とにかく頭からそういうことを問題にしないでやつておるように見ます。しかもそれが個人のところへ連れて行つたのじやなくて、B一七を使う人たちだということを言つております。
  270. 大川光三

    ○大川委員 もう一点だけ。声明書の中で、一応自供書ができてからはあなたは自由なきお客待遇を受けた、かようにおつしやつておるのでありますが、そういう場合に、あなたにたいへん好意を寄せておつた山田善二郎氏、この人を巧みに利用すれば外部との連絡もできる、事実外部との連絡をなさつておるのでありますが、そういういい連絡の方法を持つておりながら、なぜあなたは積極的に外部に救援をもつと早く求めなかつたか、またもつと積極的に真相を日本官憲に訴えて救いを求めなかつたか、これが疑問になりますが、その点いかがでございます。
  271. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 それは、私としては非常に用心しながら、もし事が発覚すればやみに葬られますから、そういう不安がありますから非常に用心しながら――それから山田のことも、それは一時は発覚されかけたんじやないと言つて青くなつたことがあります。そういう事情ですから、万全の注意深さでゆつくりゆつくりやつた。要するにそういうことです。
  272. 大川光三

    ○大川委員 そうすると、一年という長い間、絶えずあなたはやはり何かの方法で救援を求めようということについては努力しておられたのですね。
  273. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 そうです。それで、初めはとにかくどこで何者の手につかまつているかということを知つてもらうだけで、最初の道はつけたわけです。それから何がたくまれているか、救援の手はそろそろ打つてくれ――救援は、しかし私の考えでは、これは私も外の者も同じように考えることだと思いますけれども、もう終戦後の日本状態から考えまして、力の関係から、日本の警察にお願いしただけの力ではとうていむずかしい、国民的な輿論が大きく新聞社その他を通してささえてくれて初めて可能だということは、これは私たちとしてはもう自然に念頭に起りますし、そういう意味で慎重な用意をとつたのです。
  274. 大川光三

    ○大川委員 そうすると、たとえばたまたまあなたが現われた時期が人権擁護週間であるとか、あるいは労働攻勢が盛んになつて来た、何かことさらにそういう時期をあなたはお待ちになつていたというような気がしますが、どうですか。
  275. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 そんなことはありません。実際のところ労働争議はうすうす感づきましたけれども、その時期になりますと、十一月からこつちは新聞もラジオも見せられなかつたのです。
  276. 大川光三

    ○大川委員 いや、わかりました。
  277. 田嶋好文

    田嶋委員長 木下郁君。
  278. 木下郁

    木下(郁)委員 病気のところをはなはだ恐縮なんですが、簡単にお聞きします。あなたは前回国民政府の軍事顧問として勤めておられたと言いましたが、いつごろからいつごろまでお勤めになりましたか。
  279. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 これは中国の戦争――中日戦争が始まつて、私向うへ行つてから帰るまでお客分かという形で政府におつたのです。それを名目的に向うでは顧問という地位を与えたので、格別な仕事は、たとえば日本に対する宣伝というようなことに意見を出すことはありましても、具体的にどういう仕事というようなことはなくて、私は私の仕事をやりました。
  280. 木下郁

    木下(郁)委員 その後おもに接触された機関はやはり諜報的な関係ですか、宣伝的な関係ですか。
  281. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 諜報関係とはまるで関係がありません。宣伝の方です。
  282. 木下郁

    木下(郁)委員 先ほど、その機関ではアメリカの人にも友人として親しくはならなかつたけれども、その機関の関係で出入りしておつた人もあつて、よく知つている人もあると言つたのですが、それはアメリカだけでしたか。ほかの外国の人もありましたか。
  283. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 日本との戦争ということを考えまして、そうして将来の日本ということを考えて、一番大きな考えを持つていたのはアメリカですし、自然接触はアメリカに限られていました。
  284. 木下郁

    木下(郁)委員 その当時の国民政府の有力な将軍であつた陳誠将軍と親しくされておつたというように聞いておりますが、そういうことがありますか。
  285. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 そうです。
  286. 木下郁

    木下(郁)委員 反戦同盟というものをあなたが主宰されておつたが、その一員として働かれておつたか知りませんが、それでおやりになつてつたということですが、その反戦同盟というのは中国軍に対しても、こういうばからしい戦争はするなということを、やはり訴えて来ておりましたのですか、いかがですか。
  287. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 私はそのことにつきましては、中国人民日本の軍閥の侵略に対して、ばからしい戦争をするなという立場には立てなかつたです。
  288. 木下郁

    木下(郁)委員 それではまあ大いに抗戦せよ……。
  289. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 独立のために戦え、そして日本人民と手を結べ。
  290. 木下郁

    木下(郁)委員 そうしますと、これは誤解を招く危険が非常にあると思うのです。日本国民立場からすると、ちよつと中国の方に加勢するようなかつこうができて、日本の方にはばからしい戦争だ、負ける戦争だからやめよということは、反戦でなくて、敗戦的な働きのようにとられる危険が非常にあるのですが、そういう点について御考慮を払われましたですか。
  291. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 むろん私たちは軍部が戦争をしかけている。それは侵略戦争であり、国際的に孤立して、アジアを敵にして亡国に道を開くものである。だからこの戦争をやめて公正な講和に道を開け。中国についていえば、中国人民が自国の独立を守る防衛はしつかりやらなければいかぬ。そのことが日本について見れば軍国主義の進路をふさいで、日本人民と中国人民との提携の道を開くことである。
  292. 木下郁

    木下(郁)委員 それで日本の方で誤解を招かれる危険もあるから、その点についての考慮を払われたかという、あとの点……。
  293. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 一般的にいえば、中国に対する宣伝というようなことは、国際的友愛日本人民の立場というものを訴えましたけれども、戦争しろというふうには宣伝したことはありません。
  294. 木下郁

    木下(郁)委員 それから今度は最近の具体的な点に関係しますが、自殺を企てられたときに、内山完造さんあてに、ちよつと遺書みたような走り書のようなものをお書きになりましたか。
  295. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 ええ。
  296. 木下郁

    木下(郁)委員 その中に私は売られたというような趣旨を書いてあつたということを、あの山田君が証人として出て言つておりましたが、さような趣旨をお書きになつた記憶がありますか。
  297. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 遺書にはそういう言葉はありません。ただ最初の手紙を外に出してもらうのに、はかられたという意味のことを書きました。この最初の手紙は、一寸角ばかりの小さいものに、私がどういう境遇になつておるかということを知らせる、軍にとらわれているということが謀略によつてとらわれているということがわかるだけのこと、見る人が……。中国の故事をとつてちよつと書いてあつた
  298. 木下郁

    木下(郁)委員 私はちよつと聞きたいのは、あの証言の中に売られたというふうに山田君から聞いたものですから……。そうすると、それはそういう趣旨でなくて、はかられたというのは、アメリカのあなたをつかまえた諜報関係の人からはかられたという意味ですね。
  299. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 まあそういう意味ですね。
  300. 木下郁

    木下(郁)委員 それでお聞きしたいのは、アメリカがあなたにいろいろ審問事項を書いて、あなたとしてはでたらめに、ただそれを認めたと先ほどおつしやるのですが、その審問事項の中に、ちよつと自分でも、ああこんなことを知つているかと思うような節があつたんで、売られたんだ、だれか同志か、あなたのごく身近な入以外に知らぬことを、アメリカが知つておるものたから、それで私は売られたんだというような意味じやないですね。
  301. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 はあ、そんな意味ではありません。
  302. 木下郁

    木下(郁)委員 それから逮捕されたときが、前回は七時ごろだというふうに聞いたのですが、七時ごろというと――十一月の半ばの七時ごろというと、五時ごろから暗いのです。やはりその暗いときに散歩をずつとなさつておられましたか。
  303. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 散歩は病気療養の日課ですからやります。時間はたいてい午後ですけれども、お客があつたり、特別に日光が強い日というものは避けて、夕食後にやります。その日は多分客があつたと思つております。
  304. 木下郁

    木下(郁)委員 それでくどいようですが、暗やみを散歩しているのを来てつかまえたというような意味で、これははつきりあなたという身柄を百も承知の上でつかまつたんだというふうにはお考えになりませんか。それは向うが知つてつかまえたか、知らないでつかまえたかということは自分にはわからぬ――それは向うのことですからね、はつきりわからぬが、常識的に見て、この暗いときに出ている人をつかまえるというのは、やはり知つてつかまえたのではないかというふうにはお考えになりませんでしたか。
  305. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 さあ何とも言えませんが、つまりいきなりお前鹿地だろうというようなことを言うところを見ると、やはり知つてつたとも思える。
  306. 木下郁

    木下(郁)委員 それから最後にソ連のスパイとして勾留したんだ、賠償をアメリカに対しては求めないというのに釈放直前に署名した。それは大佐と称する人がもう出す、釈放することになつたから、これに署名せよというように言つて署名したのですか。これをお前署名しろ、それでなければ出さぬぞというような空気のもとに署名されたのですか。
  307. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 むろんそういう空気のもとです。
  308. 木下郁

    木下(郁)委員 これに署名しなければ出さぬぞというような空気のもとにやられた。あなたとしては出たい一方で書いた。
  309. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 そうです。
  310. 木下郁

    木下(郁)委員 それから山田証言にも出ているじらしているんだよということを言われたのですが、その点も先ほど集いろいろ御説明もありましたけれども、そのじらすというのは、結局アメリカが、協力せよ、端的に言えばアメリカの諜報網のために働けと注文、それになびくがごとくなびかざるがごとくという態度があなたのおつしやるじらすということに当る、そういうふうに理解してよろしゆうございますか。
  311. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 いやそうでなくして、さつき申し上げたように言質を与えないようにのらりくらりと、こういう意味です。
  312. 木下郁

    木下(郁)委員 その言質というのが、ある嫌疑を受けている。それを肯定するような言質を与えないという意味ですか、そうしますと。
  313. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 いやいや、協力するための彼らが求めようとしている思想条件ですな。思想的テストですから。
  314. 木下郁

    木下(郁)委員 だからその注文に応ずるかのごとく、応ぜぬかのごとくという意味ですか。
  315. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 いや絶対に応じない態度で……。
  316. 木下郁

    木下(郁)委員 そうすると、じらすということじやなくて、初めから聞いたときにそんなばかなことを聞くなといつて答えれば、それでおしまいになるはずですが、ちよつとわれわれから見ますと、山田がじらしているんだよとあなたが言われているのを聞いたことがありますということを言つたのですが、それは態度を初めから終始一貫しておれば、そういう問題は起らないし、またここでりくつを言うわけじやありませんけれども、あなたのいわゆるお客のような監禁だというような節もちよつとあるのですが、そこでそのじらすと言うた意味をはつきり伺いたいのです。
  317. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 つまり協力するというような言質を絶対にとられないような思想的態度を示したわけです。じらすということは、あなたがおつしやるようにいきなりけんかをふつかけて行くということじや、私の出ようとするための戦術的な顧慮ですな、それをなくすることになりますから……。
  318. 木下郁

    木下(郁)委員 それはわかりますが、だからアメリカに協力を求めるアメリカの諜報の方から言えば、まだ脈はあるぞと思わせるような答え書き方があつたのですかというのです。
  319. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 それはありません。だから初めから彼らは脈を持つているかどうかでなしに、脈を一生懇命探るためにそれをやつていたのです。
  320. 木下郁

    木下(郁)委員 そういう点でそれほどはつきりした態度がきまつておれば、自供書署名がどうも非常にちぐはぐになるようになりますが、その点を伺つても、もう大分お疲れのようですから……。
  321. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 どつちつかずのような態度をとつてつたのです。
  322. 田嶋好文

    田嶋委員長 ほかに田万廣文君、佐治誠吉君、後藤義隆君、古屋貞雄君、福井盛太君等からの発言の通告がありますが、非常に証人疲れているようでございますから、この中で特に聞きたいという方がありましたら、一言だけ許します。古屋君。
  323. 古屋貞雄

    ○古屋委員 本件は特に長い病状に置かれておつたあなたを監禁したという特殊な関係がありますので、私の希望は、委員会としてはつきり病状を記録にとどめておきたい。特にあなたが自供書を書かされておるし、最後に釈放される条件で書かされた書面の信憑力にも関係いたしますので、その病気の経過を承りたいと思います。何年ごろからどうした病気で加療し、どこで加療されたかということを、要点だけをひとつお述べを願いたい。る点は御遠慮願いたい。
  324. 田嶋好文

    田嶋委員長 ちよつと御注意申し上げますが、このところは速記録を読んでいただくと詳しく載つておりますので、特別に今委員長から申し上げた主要な点だけをお聞き願いたい。重複する点はご遠慮願いたい。
  325. 古屋貞雄

    ○古屋委員 その点は遠慮しましよう。それでは第一回の自供書を書かれましたときの病気の程度、ただいま委員長からお聞きになつたのではその程度がはつきりしません。どのくらいの程度でありましたか。
  326. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 それはとにかく医者か絶対安静と言つたのが、ほとんど一箇月続いております。それから病気の状態からいいますと、つかまる前までは結核菌が一応とまつてつたのが、私に近づく人はみなマスクをかけ、白い着物を着て、出入りに消毒液を使わなければならぬほど、その間の取扱いで悪化しました。そしてモールトン医師の言うところでは、所詮望みがないが、やれるだけはやろうという程度に悪化しました。それからのどに一滴も水が通らない期間が十日以上続きましたし、それから年末まで一箇月以上流動物だけ、正月ごろから少しずつ固形物を食べましたが、そういう状態で衰弱がひどくて、ほとんど一日のうち睡眠、それから目をさましてちよつとラジオを聞いてみる、また睡眠、その間には幻覚が起る、こういつた状態が二週間くらいは続きました。そういう状態は結核にはむろん一番悪い状態なんです。結核に影響するわけです。それが夏ごろまでにまた徐々におちついて来た。そういう関係でした。
  327. 古屋貞雄

    ○古屋委員 第一回の自供書をお書きつたのは、自殺未遂された直後ですか。
  328. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 直後です。
  329. 古屋貞雄

    ○古屋委員 そのときのあなたの意識は、明確に自分の意識が表明し得る状況でしたか。それとも断片的な、意識がはつきりしない……。
  330. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 それは机に向えば、そのときははつきりわかります。しかし意識が続きませんから、また眠ります。そうすると、もうそれはぼんやりとなつている。そんな状態で、非常にあいまいな状態です。
  331. 古屋貞雄

    ○古屋委員 示された要項があつて要項に基いてお書きになつたというのですが、そうしますと、相当長期間にわたつて要項を仕上げた、こういうことになるのですか。
  332. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 要項は向うで一ぺんに示されたわけですけれども、それを見ながら一週間から十日の間かかつてこしらえた。
  333. 古屋貞雄

    ○古屋委員 ただいまあなたが振り返つて、その当時の書いたものの記憶というものは、おわかりになるようなものはありませんか。
  334. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 さつき申し上げた程度に、骨はわかります。
  335. 古屋貞雄

    ○古屋委員 それから釈放されます前に書かされたのも、沖繩から午前四時ごろに立川に到着すると、おろされて、それから自動車で代官山に運ばれた後に書かされたらしいのですが、そのときも疲労し、精神的にも困憊されておつたのですか。
  336. 田嶋好文

    田嶋委員長 古屋委員に御注意申し上げますが、証人は大分疲れているし、事件の中心にはあまり関係がないようですし、猪俣君が盛んに聞かれたようですから、どうですか、早く帰してあげたら……。
  337. 古屋貞雄

    ○古屋委員 本人の意識程度がはつきりしていないから……。
  338. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 そのときは割合はつきりしておりました。
  339. 田嶋好文

    田嶋委員長 後藤義隆君、一点だけ、なるべく中心に触れて……。
  340. 後藤義隆

    ○後藤委員 ごく簡単に伺います。代官山に七月下旬に来られてから、かなり長い間代官山におられたわけですが、その代官山におる間に入浴はなさつたのかどうか。
  341. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 入浴は、便所の脇に浴場がついています。浴槽が……。
  342. 後藤義隆

    ○後藤委員 入浴はやるのですね。
  343. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 ええ。
  344. 後藤義隆

    ○後藤委員 散髪はどうですか。
  345. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 散髪は光田という軍曹が自分でやりました。監視人が……。
  346. 後藤義隆

    ○後藤委員 監視人の光田というのがやつてくれたわけですね。
  347. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 ええ。
  348. 後藤義隆

    ○後藤委員 それは二世ですか。
  349. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 二世です。
  350. 後藤義隆

    ○後藤委員 それから衣服はどうしましたか。これはもちろん代官山に来て後のことを聞いているのです。
  351. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 この通りです。
  352. 後藤義隆

    ○後藤委員 この通りといつて、しかしそれは夏でしよう。
  353. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 夏はゆかたを着ていました。ガルシェー大佐が持つて来ました。
  354. 後藤義隆

    ○後藤委員 それからそういうふうな光田とか川田とか高橋とかに話す言葉は、日本語ですか、英語ですか。
  355. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 日本語で話すこともあり、英話で話すこともあります。
  356. 後藤義隆

    ○後藤委員 それから代官山に来て後の食事ですね。それはどんなぐあいでしたか。
  357. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 その二世たちが自分で一人ずつかわるがわる当番でやつてくれました。
  358. 後藤義隆

    ○後藤委員 その二世の川田とか光田というふうな者が、一人ずつ当番で食事をつくつて、あなたのところに持つて来る……。
  359. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 そうです。
  360. 後藤義隆

    ○後藤委員 ほかに日本人というものはいないのですか。
  361. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 いないのです。
  362. 後藤義隆

    ○後藤委員 大体代官山には何人ぐらいそこの家には人がおつたらしいのですか。
  363. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 下の方は知りませんけれども、とにかくいつも私に顔を合せるのは三人です。
  364. 後藤義隆

    ○後藤委員 あまり大勢はいないのですか。
  365. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 おりません。
  366. 後藤義隆

    ○後藤委員 日本人の使用人というようなものは、全然心当りはないのですか。
  367. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 ないのです。
  368. 後藤義隆

    ○後藤委員 それからあなたに対して何か給与ですね、金か何かくれるというようなことはないのですか。
  369. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 全然ありません。
  370. 後藤義隆

    ○後藤委員 それからあなたが沖繩に行く前に、生命の危険を感じたようなことはありますか、ありませんか。
  371. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 私はおそらく所詮はこれはやみに葬られるのじやないかという危惧は、いつも持つておりました。それから所詮ある強制のもとに自殺もまたしなければならぬ、そう思つておりました。
  372. 後藤義隆

    ○後藤委員 特別何かそういうような生命の危険にさらされたというようなことはありませんか。
  373. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 それは短刀を突きつけられたというようなことはありません。
  374. 後藤義隆

    ○後藤委員 直接そういうふうなこと、はないのですね。
  375. 瀬口貢

    瀬口(貢)証人 ええ。
  376. 後藤義隆

    ○後藤委員 それからあなたは、これはずつと前のことですが、上海に行かれたときに、失跡の宣告か何か受けたようなことは……。
  377. 田嶋好文

    田嶋委員長 それは事実明らかになつています。大分疲れたようですから、明らかになつている点は聞かないで……。
  378. 後藤義隆

    ○後藤委員 それではよろしゆうございましよう。
  379. 田嶋好文

    田嶋委員長 他に発言がなければ、瀬口貢証人に対する尋問はこれにて終了いたしました。証人にはまことに病中のところ、長いことありがとうございました。  引続いて瀬口幸子君にお聞きいたすことにいたします。あなたもおからだがお悪いようですが、どうですか。質問には何分くらい耐えれますか。
  380. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 あまり長くはできないと思います。
  381. 田嶋好文

    田嶋委員長 三十分くらいはよろしゆうございますか。
  382. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 なるべく短かい方がいいと思います。
  383. 田嶋好文

    田嶋委員長 それでは引続きお聞きいたします。去る十二月九日以来本委員会におきましては、人権擁護の面から看過すべからざるものがあると考えまして、瀬口貢君こと鹿地亘君の事件について調査行つているのでありますが、証人にはこの趣旨にかんがみまして、十分の御協力をお願いいたしますも  それでは証言を求めることになりますが、証人は初めてのことでございますから、一言申し上げておきます。  昭和二十二年法律第二百二十五号、議院における証人宣誓及び証書等に関する法律によりまして、証人証言を求める場合には、その前に宣誓をさせなければならぬことと相なつております。  宣誓または証言を拒むことのできるのは、証言証人または証人の配偶者、四親等内の血族もしくは三親等内の姻族または証人とこれらの親族関係のあつた考及び証人の後見人または証人の後見を受ける者の刑事上の訴追または処罰を招くおそれのある事項に関するとき、またはこれらの者の恥辱に帰すべき事項に関するとき、及び医師、薬剤師、薬種商、産婆、歯科医師、弁護士、弁理士、弁護人、公証人、宗教または祷祀の職にある者またはこれらの職にあつた者がその職務上知つた事実であつて黙秘すべきものについて尋問を受けたときに限られておりまして、それ以外には証言を拒むことはできないことになつております。しかして、証人が正当の理由がなくて宣誓または証言を拒んだときは、一年以下の禁錮または一万円以下の罰金に処せられ、かつ宣誓した証人が虚偽の陳述をしたときは、三月以上十年以下の懲役に処せられることとなつておるのであります。一応このことを御承知になつておいていただきたいと思います。  では法律の定めるところによりまして証人宣誓を求めます。御起立を願います。  宣誓書の御朗読を願います。     〔証人瀬口幸子君朗読〕    宣誓書  良心従つて真実を述べ、何事もかくさず、又何事もつけ加えないことを誓います。
  384. 田嶋好文

    田嶋委員長 それでは宣誓書署名捺印を願います。     〔証人宣誓書署名捺印
  385. 田嶋好文

    田嶋委員長 御病気のようですから、かけてお答えつてけつこうであります。  証人は今どこにお住まいになつておられますか。
  386. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 東京都新宿区上落合一ノ三六。
  387. 田嶋好文

    田嶋委員長 お年は幾つですか。
  388. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 四十二歳。
  389. 田嶋好文

    田嶋委員長 瀬口貢君とはいつ御婚姻なさいましたか。
  390. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 昭和十三年。
  391. 田嶋好文

    田嶋委員長 どこで。
  392. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 上海で。
  393. 田嶋好文

    田嶋委員長 失礼なお尋ねかもしれませんが、だれかの仲介によつてですか。それともお二人が知合いになつて御婚姻なさつたのですか。
  394. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 二人の知合いです。
  395. 田嶋好文

    田嶋委員長 いつ日本の方へ帰つて参りましたか。
  396. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 昭和二十一年の五月。
  397. 田嶋好文

    田嶋委員長 瀬口貢君と一緒に帰つて来たわけですね。
  398. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 そうです。
  399. 田嶋好文

    田嶋委員長 それからの生活状況はどんな状況でした。
  400. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 生活状況と申しますと……。
  401. 田嶋好文

    田嶋委員長 日本に帰つてから今日までどういうふうにお二人で生活をなさつてつた。どこへお住まいになつて、病気もなさつたようですが、それらをちよつとかいつまんでお答えを願います。
  402. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 最初に博多へ上陸しまして……。
  403. 田嶋好文

    田嶋委員長 詳しいことはよいですが、中心だけでけつこうです。
  404. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 大分県の郷里から……。
  405. 田嶋好文

    田嶋委員長 それはどこですか。
  406. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 西国東郡三浦村堅来、そこに二箇月ばかりおりまして、夏に東京へ参りまして志村に九月までおりまして……。
  407. 田嶋好文

    田嶋委員長 委員の皆さんがお聞きになつていますから、少し大きい声でおつしやつてください。
  408. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 あまり大きな声が出ないのです。昭和二十一年の九月から東京都新宿区下落合四の二一三五に、昭和二十五年の十一月の終りまで住んでおりまして、昭和二十五年の十二月から現在の住所におります。
  409. 田嶋好文

    田嶋委員長 茅ケ崎の方にお住いになつたことがありますか。
  410. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 ございません。
  411. 田嶋好文

    田嶋委員長 茅ケ崎の方で、あなたの夫の貢君が、生活なさつてつたことはございますか。
  412. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 ございません。
  413. 田嶋好文

    田嶋委員長 藤沢の方はどうですか。
  414. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 藤沢市の鵠沼に、昭和二十五年の終りから二十六年の十一月の二十五日まで療養しておりました。
  415. 田嶋好文

    田嶋委員長 あなたも御一緒でしたか。
  416. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 私は現在の住所におりまして、向うにはおりませんでした。
  417. 田嶋好文

    田嶋委員長 昨年の暮れ近くになつて瀬口君がその療養先から姿を消したというような事実がありましたか。
  418. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 ございました。
  419. 田嶋好文

    田嶋委員長 それはどうして知りました。
  420. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 多分二十六日の昼ごろでしたと覚えていますが、看護婦が、昨夜先生がお帰りになりませんが、こちらにお見えになつていますかと言つて来ました。それつきりわかりません。
  421. 田嶋好文

    田嶋委員長 それを聞いてあなたはどうなさいました。
  422. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 ちようど私が昨年の夏過ぎて、十月ごろから血痰を吐いたり何かして寝ておりましたもので、それはどうすることもできないので、帰つてよく気をつけて、近所に聞いてごらんなさいと言つておきました。
  423. 田嶋好文

    田嶋委員長 近所で聞いてみなさいというので、そのままにしてあつたのですか。
  424. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 私としてはどうにもできませんでした。向うの療養先へ行けませんでしたから……。
  425. 田嶋好文

    田嶋委員長 御夫婦というものは、そんなに水くさいものですか。夫がいなくなつたというのに、近所を聞いてみなさいという程度で……。
  426. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 私は寝ておりましたし、子供もおりますから、自分で騒ぎまわるわけに行かないし、一日ぐらいのことだつたら、友だちのところへ行くということもあるだろうというくらいな気持だつたのです。
  427. 田嶋好文

    田嶋委員長 そういうような場合に、協力を求めて探していただくというような方は、東京にいらつしやらないのですか。
  428. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 私としては、別にいなくなつたとは思いませんでしたから……。
  429. 田嶋好文

    田嶋委員長 その当時はそれでいいとして、それから帰らなかつたわけでしよう。
  430. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 そうです。
  431. 田嶋好文

    田嶋委員長 それからどうなさいました。
  432. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 それから十二月まで、一月の間非常に心配しまして、親戚や知人と相談して、警察にでも届けようかと言つておりました。
  433. 田嶋好文

    田嶋委員長 親戚というと、どういう方面の親戚ですか。
  434. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 鹿地亘に妹があります。
  435. 田嶋好文

    田嶋委員長 何という方ですか。
  436. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 原ひろ子。
  437. 田嶋好文

    田嶋委員長 東京にお住まいですね。
  438. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 そうです。
  439. 田嶋好文

    田嶋委員長 その方に相談した……。
  440. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 はい。
  441. 田嶋好文

    田嶋委員長 知人というと、内山完造さんは……。
  442. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 内山さんはお留守で相談しませんでした。
  443. 田嶋好文

    田嶋委員長 そうするとどなたですか。妹さんが主となつたわけですか。
  444. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 ええ。
  445. 田嶋好文

    田嶋委員長 そして警察へは届出をしなかつたようですが、どうしてしなかつたのですか。
  446. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 十二月の暮れになりまして、お正月も近くなつた、まだ帰つて来ないと、これは届けなければいけないからというので、そのときは、元重慶におりました、捕虜になつていた人たちに相談しまして、届け出ようかと言つているところへ、手紙が本人の直筆で参りましたので、届け出ないことにしたのです。
  447. 田嶋好文

    田嶋委員長 元重慶におつて、捕虜になつていた人に相談したのですね。
  448. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 そうです。
  449. 田嶋好文

    田嶋委員長 そして警察に届けようかという話をしているところに、本人からの手紙が来た。
  450. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 そうです。
  451. 田嶋好文

    田嶋委員長 それはどういう方面からどういう方法で来たのです。
  452. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 それは鵠沼の療養先の石田さんという人のうちのポストに入つていたと言つて、それが入つていた日に看護婦が届けてくれました。
  453. 田嶋好文

    田嶋委員長 石田さんという療養先のうちのポストに入つていたのを、看護婦が見つけたわけですか。
  454. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 看護婦が石田さんのうちからもらつて……。
  455. 田嶋好文

    田嶋委員長 石田さんのうちから看護婦がもらつて届けてくれたのですか。
  456. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 そうです。
  457. 田嶋好文

    田嶋委員長 その内容はどういう内容ですか。
  458. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 その内容は、十一月二十五日の夕方散歩に出ていたら、途中で自動車にはねられた。ちようどその自動車の持主が、重慶で顔見知りの中国人だつたので、その人のうちで手当を受けている。その人は密入国なので、今は名前も住所も、言うことがで、きないけれど、回復したら帰るから、静かに待つていてくれ、大体そういう意味つたと思います。
  459. 田嶋好文

    田嶋委員長 それはあなたの夫の鹿地君の筆跡でしたか。
  460. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 そうです。
  461. 田嶋好文

    田嶋委員長 それから年を越したわけですが、年を越してからどうでした。
  462. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 一月の終りになつて、今度は私のうちへはがきが郵便で参りました。
  463. 田嶋好文

    田嶋委員長 はがきが来た……。
  464. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 はい。それには大分からだも回復したから、近いうちに帰るが、ついては鵠沼の部屋の家賃が一月で切れるから、家賃を払い込んでおいてもらいたい。要用のみと書いて、藤沢市上岡鹿地亘と書いてございました。
  465. 田嶋好文

    田嶋委員長 上岡にてですか。
  466. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 いいえ。
  467. 田嶋好文

    田嶋委員長 にてではない。上岡と書いて鹿地亘……。
  468. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 多分そうだつたと思います。
  469. 田嶋好文

    田嶋委員長 それも御本人の筆跡なんですね。
  470. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 そうです。
  471. 田嶋好文

    田嶋委員長 それからどうでした。一月を過ぎてから……。
  472. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 それからは、多分そう書いてありますから、帰つて来るだろうと思つておりました。まあ持病も出たし、自動車にはねられたというのだから、七本も骨を切つておりますし、きつとからだをはねとばされたか何かして、悪くなつておるからおそいのだろうと思つて、そのまま四月ごろまで過ぎました。
  473. 田嶋好文

    田嶋委員長 その聞は、今の重慶で捕虜になつてつた人たち、妹さんには、もう連絡がついたから、相談をかけなかつたわけですね。それともかけておつたのですか。
  474. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 いや、ただ中にそう書いてありましたから、まあたよりがあつたから、安心してくたさいと言つておいたたけです。
  475. 田嶋好文

    田嶋委員長 その人たちも、別にその先を探すようなことをしておつた様子はないのですね。
  476. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 まあ探しては見ようと言つておりましたが、方法がありませんし、待つておれば何とかまた消息があるだろうと思つておりました。
  477. 田嶋好文

    田嶋委員長 方法がないから待つてつた。それから四月過ぎてからどうなんです。
  478. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 四月の末ごろだつたと思いますが、内山書店主の内山さんが、ちよつとお話があるから来てくれというので伺いましたら、実はこういう手紙が来ておるけれど、大分前に来たけれど、あなたか病院で寝ているから、心配するといけないと思つてつていたのだといつて鹿地亘の直筆の小さな紙片を私に見せてくれて、そのときに山田という、鹿地さんが監禁されているところに一緒にいる人だという人が持つてきましたという話を聞きました。
  479. 田嶋好文

    田嶋委員長 内山完造さんの方へですね。山田君から連絡があつて、その手紙を持つて来た。そして完造さんからそういうことを聞いた。
  480. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 そうです。
  481. 田嶋好文

    田嶋委員長 それからまた日にちがたちますが、どうなりましたか。
  482. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 それから五月でしたか、六月でしたか、また山田さんという方が来たということを申されて……。
  483. 田嶋好文

    田嶋委員長 内山さんが言つたのですね。
  484. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 はい。そのときに私、山田さんという人がどういう人だかということをよく聞いておいてください。と内山さんに申し上げて……。
  485. 田嶋好文

    田嶋委員長 それは五月か、六月ですね。
  486. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 五月だつたような気がします。
  487. 田嶋好文

    田嶋委員長 それから暑くなつて、まだずつと帰らないわけですが、その間はどうなんですか。
  488. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 六月ごろだつたと思います。また山田さんが来られて、そのときには、今度自分が来られるのは九月ごろじやないかと思う、と言つていらつしやつたということを内山さんから聞きました。
  489. 田嶋好文

    田嶋委員長 今度自分が帰られるのは……。
  490. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 いえ、山田さんが今度連絡に来てくれるのは……。
  491. 田嶋好文

    田嶋委員長 今度の連絡に来てくれるのは九月ごろになるのじやないか、こういう話だつた。というのは山田君がですか。
  492. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 ええ、そういうふうに内山さんから聞きました。
  493. 田嶋好文

    田嶋委員長 山田君が内山さんのところへ連絡に来るのですね。九月ごろに連絡がありましたか。
  494. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 九月にはたしかなかつたような気がします。
  495. 田嶋好文

    田嶋委員長 八月は……。
  496. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 ございません。
  497. 田嶋好文

    田嶋委員長 七月、八月、九月はなかつたわけですね。
  498. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 はい。
  499. 田嶋好文

    田嶋委員長 それから十月に入るわけですね。その月はどうです。
  500. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 十月もなかつたような気がいたしますけど、よくわかりません。
  501. 田嶋好文

    田嶋委員長 よくわからない。それでけつこうです。十月の中ごろ何かありましたか。
  502. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 いえ、多分なかつたような気がします。
  503. 田嶋好文

    田嶋委員長 なくて、十一月に入つたのですね。十一月に捜索願が出ておりますね。これはどういうことで出したのですか。
  504. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 それは、九月の二十四、五日ごろから新聞社や雑誌社で、鹿地がいなくなつた、アメリカにつかまつているといういろいろな文書や消息が大分入つているが、ほんとうにいないのかどうかという、いろいろな問合せがありまして、それで皆さんたいへん心配してくだすつているということがわかりましたので、これはもう隠しておいてもしかたがないし、みんなが御心配してくださるならば、届出を出してこういう問題を公にしてもいいんじやないかと思つたので、十一月の八日に届け出ました。
  505. 田嶋好文

    田嶋委員長 公になつて来たので隠しておいてもしようがないので、それではやつた方がいいというので届出をした。こういうわけですね。隠しておいたという言葉がありますが、あなたは隠しておくつもりだつたのですか。
  506. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 いいえ。隠しておくつもりはないのですけれども、何しろ山田さんがおいでになつたときや、それから占領七年の間に、私ども国民の感情としては、アメリカにつかまつたとか、アメリカにどういうふうにやられたというときに、それを日本の警察に訴えてみたつて、どこへ持つて行つたつて、何にも役に立たないというような気持がしみ込んでおりまして、これを訴え出たからといつて、皆さん同情してくだすつても、どうにもなるものではないという気持が非常に濃厚だつたのです。もし皆さんが助けてくだすつて、どんなことでも抗議してくださるという気持になつたときと、皆さんにそういうふうにしていただいたときでなければ、かえつてこれを公になどすると、鹿地に危害を与え、また大事な山田さんという青年が、そのために犠牲にならないとも限らない。ただそれだけのことで届け出ませんでした。
  507. 田嶋好文

    田嶋委員長 捜索願を出してから、警察があなたのうちへ来てくれたわけですか。
  508. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 はい、おいでになりました。
  509. 田嶋好文

    田嶋委員長 何回お見えになりましたか。
  510. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 藤沢署が二回ばかりと、私が向うへ伺つたのと、戸塚署が二回ばかりおいでくださいました。
  511. 田嶋好文

    田嶋委員長 そのときに、あなたは都合四回ぐらい来ておるわけですが、今のような事情を話したわけですか。
  512. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 米軍の事情はお話しませんでした。
  513. 田嶋好文

    田嶋委員長 話してないようですね。どうして話さなかつたのですか。
  514. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 それはやつぱり私がいろいろ人から聞いて見たり、自分で見たときでも、アメリカの兵隊に日本人がなぐられておるところに巡査がちやんと立つていても、何もそれをとめることができないという状態が七年間あつたと思うのです。それで私といたしましては、そこまで警察の方がいくら私に同情してくださつても、徹底的にアメリカに対して不正をただしてもらえるか、どうかという疑問があつたので、実ははなはだ申訳ないのですけれども、信用いたしませんものでしたから、申し上げにくかつたわけです。
  515. 田嶋好文

    田嶋委員長 あなたのお気持もわかるようですが、しかし捜索願を出すということは、結局警察にたよろうという気分でなければ出せないと思いますがね。その警察を、捜索願を出しておつて否認するということは、何か矛盾があるのじやありませんか。
  516. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 それは当時まだ山田さんというものが出て来ていなかつたのです。もしこのことが警察から悪く伝わりまして、新聞社や何かに伝わつて山田という人に危害が行くようだと非常に因ると思いまして、やつぱり会つたこともない、そういうところに働いておる若い青年だとしますと、私としてはどうしてもその人のことを、自分の口からよそに漏れたために危害が行くということは、それはどうしてもできないということが、まずそのことを警察に言わなかつたという中では一番大き原因でした。
  517. 田嶋好文

    田嶋委員長 山田君をかばおうという……。
  518. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 はい。
  519. 田嶋好文

    田嶋委員長 警察に捜索願を出すというのはあなたの意思ですか。それとも周囲の人の意思によつてつたのですか。
  520. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 多少は周囲の人の意思でもあります。
  521. 田嶋好文

    田嶋委員長 主としてあなたの意思……。
  522. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 まあ新聞社の人たちから大分出さないと記事にしてしまうというようなことを言われたりしましたから……。
  523. 田嶋好文

    田嶋委員長 そこのところがちよつと納得できませんがね。警察に捜索願を出すということは、捜索してもらいたいという希望なんでしよう。そうするとあなたの方にはいろいろの状況で、どこにおるかということはほぼ見当がついておるわけです。そうする以上、そこを示さないで捜索してもらうことはできない。のに、あなたとしては警察を信用しないというのですね。捜索願を出してからでも……。それだから言えなかつたというのですね。
  524. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 どこにおるかということは私にわからないのです。米軍ということは……。
  525. 田嶋好文

    田嶋委員長 ほぼ米軍ということは見当がついておりましたか。
  526. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 米軍ということは漠然と見当がついておるだけです。
  527. 田嶋好文

    田嶋委員長 それを言わなければ警察も捜索はできないじやありませんか。
  528. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 それは後になつて言おうとは思つておりました。もし山田さんが、また内山さんへでもおいでくださつた場合にはよく聞いてみて、それから申し上げようと思つて――最初においでになつたときは、まだ申し上げなかつたわけであります。
  529. 田嶋好文

    田嶋委員長 どうですか、鹿地君が帰つた今日でも、まだ日本警察に対してあなたは信頼感をお持ちにならないのですか。今日でも信頼感を持たずにここへ来ておるわけですか。
  530. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 そういうことは今はございませんけれども、それが私としましては山田さんがおいでになつてから、猪俣先生のところへ行つて御相談しまして、それから新聞報道関係の方も非常に御心配くださつて、ようやくこれでは信頼してもいいという気持になりましたけれども、それまではあまり大して信頼はしておりませんでした。
  531. 田嶋好文

    田嶋委員長 出て来てから信頼する気になつたが、出て来る前はそういう気にはなれなかつたというのですね。
  532. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 ええ。
  533. 田嶋好文

    田嶋委員長 初め鹿地君から、自動車の事故があつて支那人のところに保護されている、こういう手紙が来たときに、あなたはどういうようにお考えになりましたか。
  534. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 その通りに考えました。
  535. 田嶋好文

    田嶋委員長 その通りに、文書の通りに解釈した……。
  536. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 はあ。
  537. 田嶋好文

    田嶋委員長 何かこれはおかしくないかなという感じはしませんでしたか。
  538. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 少しはおかしいでしようけれども、そういうこともあるだろうと思つておりました。
  539. 田嶋好文

    田嶋委員長 自動車事故でけがをして、支那人に保護されているだけで、何かこう、それからそれへとひんぴんと確実な連絡情報もありませんね。それが一年続いておりますね。
  540. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 いや、一年ではありません。それから四月までですから。
  541. 田嶋好文

    田嶋委員長 米軍ということがわかるまでは、四月ですね。
  542. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 はあ。
  543. 田嶋好文

    田嶋委員長 それでは四月と聞きましよう。それで、その間にいろいろ頭の中で想像してみたり、悩んでみたりしたことはございませんか。
  544. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 それは、いるところも、その人の名前も言えないと言いますから、非常に心配はいたしました。
  545. 田嶋好文

    田嶋委員長 心配しただけで、自分としては別に結論を下すようなところには行かなかつたわけですか。
  546. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 結論としましては、やはりそういうことだろうというところを、ぐるぐるまわりしておちつくわけです。
  547. 田嶋好文

    田嶋委員長 そういうところだろうというのは……。
  548. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 文面通りの……。
  549. 田嶋好文

    田嶋委員長 今は中共ですが、その当時は蒋介石政権下にあつた中国ですが、中国でのお二人の主とした生活というのは――生活の中心ですね、中心の仕事と言つた方がいいが、これは何だつたのですか。どういうことだつたのですか。この間内山完造さんからは、日本との間の戦争が起る前は承つておりますが、その後の状況がちよつと知りたいのですが。
  550. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 あちらにおりまして、終戦になるまでの生活と申しますと、第一、侵略戦争には反対だ、日本の軍国主義はやめてもらいたい、日本人にもそういう者ばかりではない、中国との親善をして、戦争をしないで仲よくやつて行こうという日本人もいるという立場から、中国人にいろいろな宣伝をしたり話をしたりすることと、もう一つは、戦争の犠牲になつた不幸な日本人の捕虜を、祖国のためにもう一度更生して、新しい日本をつくるために生き返るというような気持にさせ、るという、この二つの仕事を大体しておりました。そういう趣旨で生活しておりました。
  551. 田嶋好文

    田嶋委員長 その運動をするには、身の危険を感ずるとか、身の危険を冒して活動しなければならぬというようなことがありましたか。
  552. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 私は若かつたので、そういうことはあまり感じませんでした。
  553. 田嶋好文

    田嶋委員長 よろしうございます。委員質問を許します。瀬口幸子証人も御病気のようですから、委員諸君の尋問は、なるべく簡単に、軍複を避けられるようにお願いいたします。なお委員長としても遠慮をいたして聞いたつもりでありますから、抜けておつた点は大いに補充していただきたいと思います。猪俣港主君。
  554. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 ありません。
  555. 田嶋好文

    田嶋委員長 松岡松平君。
  556. 松岡松平

    ○松岡(松)委員 昭和十二年ごろに上海を脱出して、香港経由で重慶に入られたことがありますか。
  557. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 はあ。
  558. 松岡松平

    ○松岡(松)委員 それまで上海で御主人と一緒にどういう仕事をなさつていれたのですか。
  559. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 主人は中国の文学書の翻訳などをしておりました。
  560. 松岡松平

    ○松岡(松)委員 あなた自身は。
  561. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 私はただ家のことをやつたりなんかしておりました。
  562. 松岡松平

    ○松岡(松)委員 あなたは上海にどのくらい暮しておりましたか。
  563. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 その前に一年近くおりました。
  564. 松岡松平

    ○松岡(松)委員 それまではどこにおられた。
  565. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 それまでは青島におりました。
  566. 松岡松平

    ○松岡(松)委員 そうすると青島にどのくらいおられました。
  567. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 それは尋常二年のときから……。
  568. 松岡松平

    ○松岡(松)委員 それはお交さん、お母さんと一緒ですか。
  569. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 父と母が移民みたい、なものでして、私は満州で生まれましたから。
  570. 松岡松平

    ○松岡(松)委員 そうすると支那語は非常に詳しいわけですね。
  571. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 あまり詳しくありません。
  572. 松岡松平

    ○松岡(松)委員 香港から重慶に入られて、おもに主人の瀬口さんの活動はどういうことをしておられたのですか。
  573. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 今申し上げましたように、侵略戦争に反対だという日本人立場宣伝することとか、それから捕虜になつた日本の将兵の民主日本をつくるための組織の仕事をしておりました。
  574. 松岡松平

    ○松岡(松)委員 その間にアメリカ軍の要員なんかとおつき合いはございませんでしたか。
  575. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 要員ですか。
  576. 松岡松平

    ○松岡(松)委員 つまり軍人、軍属ですね。そういう軍に関係のある人と交わりがありましたか。
  577. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 太平洋戦争が始まつてからはございました。
  578. 松岡松平

    ○松岡(松)委員 上海でもですか。
  579. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 ございません。
  580. 松岡松平

    ○松岡(松)委員 重慶では。
  581. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 太平洋戦争が始まりましてから、一九四二、三年ごろからめりました、多少。
  582. 松岡松平

    ○松岡(松)委員 非常に関係の深いような人で、記憶に残つている人はありませんか。
  583. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 名前は今あまり覚えておりません。
  584. 松岡松平

    ○松岡(松)委員 現在の中共の幹部の中にお友達はないですか。
  585. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 中共の幹部……中国共産党ですか。
  586. 松岡松平

    ○松岡(松)委員 政府でも共産党でも。
  587. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 政府……あります。
  588. 松岡松平

    ○松岡(松)委員 どはたですか。
  589. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 郭沫若を初めたくさんございます。
  590. 松岡松平

    ○松岡(松)委員 その関係は普通のお友達ですか。
  591. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 そうです。
  592. 松岡松平

    ○松岡(松)委員 交際は深いですか。
  593. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 終戦後には向うも内戦がありましたし、行き来がありませんから、おつき合いがありません。
  594. 松岡松平

    ○松岡(松)委員 あなたはこちらへ帰られてから、中国のそういう友人あたりから、生活上の援助を受けられたことはないですか。
  595. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 それは生活上の援助といいますか、精神的な援助や何かはございます。
  596. 松岡松平

    ○松岡(松)委員 金を送つてもらうとか、物をもらうとか、そういう中国の向うの人からの援助はありませんか。
  597. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 それは香港におりましたときに、だれだれさんがセーターを持つて行つてくれと言われたとか、チョコレートを持つて行つてくれと言われたとかいうことはございました。
  598. 松岡松平

    ○松岡(松)委員 日本に帰られてから。
  599. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 はい、香港から来る人たちから。
  600. 松岡松平

    ○松岡(松)委員 そういう物はあるけれども金はない。
  601. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 金はございませんです。
  602. 松岡松平

    ○松岡(松)委員 それから御主人がいなくなられてから、後のあなたの生活はどなたからの援助ですか。
  603. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 友好協会や呉山貿易会社の内山さんや、そういうところからの援助を受けましたが、それはいなくなる前からもう三年も寝ておりましたから、足かけ四年くらい皆様方の御援助で生きておりました。
  604. 松岡松平

    ○松岡(松)委員 先ほどからのあなたの供述を聞いておりますと、自動車にはね飛ばされてから療養しておる四月までの間、大してあなたは驚きもあわてもしておられぬように感ぜられるのですが、今までにそういう行動瀬口さんにあつたのですか。
  605. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 いえ別に。
  606. 松岡松平

    ○松岡(松)委員 たとえばあなたに告げないで三日とか一週間、あるいは十日とか飄然と旅行などなさることが過去においてあつたのですか
  607. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 そういうことはございません。
  608. 松岡松平

    ○松岡(松)委員 ないとすると、どうもあなたは少し冷静過ぎますね。十一月自動車にはね飛ばされた、これは自分の夫ですからたいへんな問題です。それがわけのわからぬところに療養している。そのうちにわかるだろうということで、対岸の火事みたいに言つておられるようですが……。
  609. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 それは新聞記者の方にも、そういうふうに言われましたけれども、私は中国にばかりおりまして、日本の様子を日本人でありながら、あまり知らないで育つて参りました。中国ではそういうことはしよつちゆうあることのように、頭の中に入つておりましたものですから、そういうこともあるだろうけれども、気長に待つていればそういうときにはいいのじやないかという気持の方が強かつた
  610. 松岡松平

    ○松岡(松)委員 なるほど没法子だと思つて……。  あなたは中国におられた生活感情と、今日本に来られた生活感情と大分違いますか。
  611. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 生活感情と申しますと、どういうことでしようか。
  612. 松岡松平

    ○松岡(松)委員 そういうものの考ですね。
  613. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 どういうんでしようか。
  614. 松岡松平

    ○松岡(松)委員 つまり中国において生活しておられて受ける感情ですね、そういうものと日本に帰られて大分変化がありますかと申し上げておる。
  615. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 私自身のですか。
  616. 松岡松平

    ○松岡(松)委員 もう少し言いかえるならば、聞いておると、日本人の生活感情とぴつたり来ないようなものがあると思うのです。
  617. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 それはあるかもしれません。
  618. 松岡松平

    ○松岡(松)委員 たとえばあなたは夫が自動車にはね飛ばされて、六箇月以上もいなくなつておられるのに悠然としておられる。そういうことはわれわれの国民感情にはぴんと来ないですね。あなたは支那に育つて来たから、そういうことは支那にはありがちのことだ、こうおつしやつて、別にそうふしぎではないというふうに考えられる。
  619. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 心配はしておりましたけれども、別にそれをどうすれはいいかわからなかつたのです。
  620. 松岡松平

    ○松岡(松)委員 いろいろ世間ではうわさしていますね。スパイだとかあるいはダブル・スパイだとか、いろいろな問題がありますが、率直に言うてあなたはどうお考えになつておりますか、あなたの夫が中共関係並びにソ連関係スパイであつたとか、さらにその上にもう一つ逆にスパイであつたとか、いろいろなうわさが新聞にも出ておりますが、あなたはどう考えられますか、何かそれについて思い当ることはありませんか。
  621. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 思い当ることはございません。そういうことぐらいは言うだろうと思つていました。
  622. 松岡松平

    ○松岡(松)委員 そういうことぐらいは言うだろう……。
  623. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 アメリカで一年も監禁しておきまして、そして出して、日本人全体が騒いでおるときに、黙つて済ましておじぎしないんじやないかという気持ちがやつぱりありました。だから何か言うだろうと思つて……。
  624. 松岡松平

    ○松岡(松)委員 それではもう一ぺんさかのぼつて、あの時分の戦争状態の中における上海から重慶へ脱出して行かれたのは、どういう考えですか、これは今度のことに関連して来るからお聞きするのです。
  625. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 私は日本人中国に侵略戦争をしかけるのは間違つていると思いました。そういう戦争を日本人がする中で、一人でもそういうことに反対しているということが、私が生れて育つた土地の人たちにわかつてもらえればけつこうだ。それで鹿地亘と一緒に行つたわけです。
  626. 松岡松平

    ○松岡(松)委員 向うへ脱出して何をしました。
  627. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 先ほども申し上げましたように、脱出してそういう宣伝をしておりました。
  628. 松岡松平

    ○松岡(松)委員 そうすると、普通の人なら今の場合でも監禁されませんね。アメリカがかりに監禁したとしたならば、どこに一体よりどころがあつて監禁したと思いますか、何も思い当ることありませんか。
  629. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 それは私としましては、アメリカが監禁するのだつたら、太平洋戦争の終りごろになつて日本人に対する宣伝の仕事を鹿地亘がするようにしておりましたし、今日中国にもたくさんの友達がある、そういうことでもつてそういうことをまたやらせようとするのじやないかということをあとで考えましたけれども、それはあとになつて考えたことで、そのときはよくわかりませんでした。
  630. 松岡松平

    ○松岡(松)委員 つまり日本に対する宣伝というより、むしろ支那に対する宣伝という意味ですか。
  631. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 今度の場合、そのために使おうとするのじやないかという気持がしておりました。
  632. 松岡松平

    ○松岡(松)委員 どうもありがとうございました。
  633. 田嶋好文

    田嶋委員長 大川光三君。
  634. 大川光三

    ○大川委員 ごく簡単に伺います。内山書店へ呼ばれて行かれたとき、山田からの連絡があつたことを聞かされた。そのときにご主人が自殺を企てられたというようなことをお聞きにならなかつたのですか。
  635. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 直接には話は聞きませんでした。
  636. 大川光三

    ○大川委員 そのとき話はなかつたのですか。
  637. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 はい。
  638. 大川光三

    ○大川委員 それから御主人を救い出すことについて、特に内山完造さんに御相談になつたようなことはございませんか。
  639. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 それはたびたびどうして救い出すようにしたらいいだろうかということは、話したことはあります。
  640. 大川光三

    ○大川委員 御相談になりましたか。
  641. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 相談というようなことではなくて、お会いするとしようちゆうどうしたらいいだろう、どうしたらいいだろうと申しておりました。
  642. 大川光三

    ○大川委員 そのときに内田さんは、これは早く警察の方へ捜索願を出したらいいとかいうような御意見はなかつたんですか、あるいはそういうことはするなというような御意見でしたんでしようか。
  643. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 やつぱり山田さんのぜひひとつ救い出しの運動をやろう、命ということを考えて、もう少し慎重こういう気は起らなかつたですか。に待とうという御意見でありました。
  644. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 それは罪を犯してど
  645. 大川光三

    ○大川委員 山田さんのことを考えこか監獄に入つているというのなら、て、少し慎重な態度をとろうというの釈放運動でも何でもしようと思いますが、内山さんの意見ででもあつたのでが、何も罪を犯さないで、たださらわすね。れて行つたという事実しか私のところ
  646. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 そうです。にはわからないし、それを内緒で知らなかつたのですか。としの月二十八日に講和条約が発効うがないが、罪を犯さないで、たださ
  647. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 直接には話は聞きまいたして、日本は独立国になつたそうらわれて行つたということであれば、せんでした。いう機会にこそ、日本の警察を信頼しなおさろうから、そうやつてむちやして連れて行くくらいだから、ただ警察に露つたくらいでは、どうにもならないだろうという気持が非常に濃厚だつたのです。
  648. 大川光三

    ○大川委員 それでわかりました。
  649. 田嶋好文

    田嶋委員長 木下重範君。
  650. 木下重範

    木下(重)委員 前の質問で大体わかりましたが、そうしますと、最初鹿地瓦氏――今の御主人と一緒になつたときの主人の職業は何でしたか。
  651. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 作家でした。
  652. 木下重範

    木下(重)委員 作家といいましてもいろいろありますが、どういうものをおもにつくられておりましたか。
  653. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 当時は中国文学の研究を始めまして、魯迅の翻訳や中国の文学者の書いたものなども翻訳しておりました。
  654. 木下重範

    木下(重)委員 そこであなたが一緒になりました際に私生活においての懇意な出入りの方々はどういう方々でしたか。
  655. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 文学者だけです。
  656. 木下重範

    木下(重)委員 お名前を覚えられておる方で、御記憶のある方をおつしやつてください。
  657. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 中国人ですか。
  658. 木下重範

    木下(重)委員 中国人と日本人いずれも。
  659. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 たくさんいますから……。
  660. 木下重範

    木下(重)委員 特に御記憶の方々、あるいは特別に親交のあつたと思われるような方々のお名前を……。
  661. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 郭沫若、馮乃超、大体日本に留学しておられた方とおつき合いしておりました。
  662. 木下重範

    木下(重)委員 二、三の人でいいでしよう。今度は外地から引揚げて来て、郷里から東京へ見えられた。どういうことを東京でしようという話合いで主人と一緒に来ましたか。さらにまたどういう人をたよつて最初に東京に見えましたか。
  663. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 日本に帰りましてから……。
  664. 木下重範

    木下(重)委員 帰りまして郷里から東京に来ました際に、どういう方をおもにたよつて東京に見えたのか。また東京に行つてどういうことをしようとして主人と話し合つて、こちらに見えましたか。
  665. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 別にたれをたよつて来たわけでもありません。私ども外地の引揚げでありますから……。
  666. 木下重範

    木下(重)委員 ただ漫然と東京へ夫婦で一緒にやつて来るということは考えられない。やはり生活ということが先に考えられるが、行けばどうして生活をするか、どういうことで身を立てよう、どういう人をたよれるから東京に行つても生活ができるからということが、順序だと思います。その点の関係を聞いている。
  667. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 ちよつとわかりかねますが……。
  668. 木下重範

    木下(重)委員 外地から帰つて見まして、今度は東京へ来ますときは、ただ漫然と東京へ来ましても、生活の道も立ちませんでしよう。そうすれば主人との間に東京でどういうことをして生活を立てようか。なお東京にはどういう懇意の力になる人がいるからあの人と相談をし、あの人の援助を受ければ生活ができて行くというようなことについて、具体的な話合いをして東京に見えたのではないかと、こう聞いているのです。
  669. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 たよるといつても人をたよつて来たわけではありません。それから文士ですから、出版とかそういうものはみな東京でやつております。百姓でもないし、商売人でもないから、いなかでは生活にもならないから東京に来たわけであります。
  670. 木下重範

    木下(重)委員 そうしますと第一住居あたりに困るでしよう。東京へ行つて探せば家ぐらいはあるだろうというので来たのですか、住居等についてはあらかじめ連絡して来ましたか。
  671. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 私は病気で子供がおなかの中にいたもので、あとで東京に住居がきまつてから来た。それまでいなかの方におりまして……。
  672. 木下重範

    木下(重)委員 そういうことについて具体的に御主人と打合せて、夫婦間において話合いをしたことはないわけでありますか。
  673. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 住居はきまつたからということで……。
  674. 木下重範

    木下(重)委員 ということで主人が最初東京に来たということですね。  それからもう一点ですが、さつきからしきりに聞かれておられたが、けがをして最初にあなたの方に知らせがあつたときは、自動車事故で大けがをして重慶におつた捕虜の人に助けられて――今日わかつた状況によると、そのときに御主人の言い分によればアメリカ人からつかまえられた。そういう自分の身に危険を及ぼすような重大な事故について、いわばあなたに対してうそを言われておりますね。主人はちよいちよい夫婦間においてあなたにうそを言つてあとからあなたが気がついて、あれは主人はうそを言つたというようなことで、あなたの方でどうも不審に思うようなことはちよいちよいありましたか。
  675. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 ありません。
  676. 木下重範

    木下(重)委員 今度初めてでありますか。
  677. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 そうです。
  678. 木下重範

    木下(重)委員 主人の言つておることを開きますと、非常に身の危険を感じて、たれが考えてもどうか助かりたいという状態にあつたらしいですが、こういう重大なことについて、まるつきりあなたにうそを言うということは考えられない。ちよいちよい中国にいるときも、あなたに偽つて政策的に夫婦の間にうそを言うようなことはあつたのじやないか。
  679. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 そういうことは全然ありません。今度初めてです。
  680. 木下重範

    木下(重)委員 そこで今言う知らせには、主人も自分の世話になつているところも、はつきり書いてなかつたといいますね。あなたは要するに重慶に捕虜であつた人から助けられたというときに……。
  681. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 いえ、そう申しません。密入国した重慶で顔見知りの人と書いてありました。中国人だと書いてありました。
  682. 大川光三

    ○大川委員 その人についてあなたは心当りはなかつたですか。
  683. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 ありません。
  684. 古屋貞雄

    ○古屋委員 ちよつとお尋ねしますが、御主人が帰られて直後にあちらに監禁されている間に生命が危かつたんだが、やつと助かつてつたというような述懐をなさつたことはありませんか。
  685. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 述懐ですか、あります。
  686. 古屋貞雄

    ○古屋委員 そういう事実があつたんですね。それからもう一つは病気の自分――主人ですね。主人の言うのに、病気の自分に対して、自分の意思でもないことを無理に書かされた、そういう書面を書かされたという述懐はございましたか。
  687. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 はあそれもあります。
  688. 古屋貞雄

    ○古屋委員 何回ぐらい書かされたというこまかいお話はありませんか。
  689. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 それはまだあまり聞きません。
  690. 古屋貞雄

    ○古屋委員 それからもう一つ、沖繩に飛行機で連れて行かれて、そうしてまた日本に飛行機で連れもどされて、そうして釈放されたんだ、そういうようなお話をあなたにされたことはありませんか。
  691. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 あります。
  692. 古屋貞雄

    ○古屋委員 それをあなたから何かの機会に、新聞記者にお話になつたことはありませんか。
  693. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 帰つて参りました次の日か何か、ちよつと言われたので話しました。
  694. 木下郁

    木下(郁)委員 ごく簡単に、あなたは日支事変中から太平洋戦争にかけて、御主人の鹿地君が国民政府の顧問ということで、反戦同盟の世話をなさつているということは御承知ですね。
  695. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 それは正式には国民政府の顧問ではございません。
  696. 木下郁

    木下(郁)委員 国民政府の顧問ではないが、国民政府のある機関と密接な接触を保つて反戦同盟の活動をなさつてつたことはご承知ですか。
  697. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 それは承知しております。
  698. 木下郁

    木下(郁)委員 あなたはその方には何も御関係になつたことはありませんか。
  699. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 いつも一緒にいてしよつちゆう見ておりましたし、私も反戦同盟の一員ということになつております。
  700. 木下郁

    木下(郁)委員 その反戦同盟の一人として、やはりその同盟の運動には御関係になつて来たわけですね。
  701. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 大体反戦同盟というものの成員の大部分が、日本軍の中国側に捕虜なつた者でしたので、私は女ですし、故郷を断れて来た非常に不幸な戦争の犠牲者でしたから、その人たちのたとえば国民政府の捕虜に対する待遇というのは、そんなに上等じやないのですから、その人たちがもう少し苦しくなくなるようにというので、大体生活の方の世話とかなんとかいう方のことを、おもにやつておりました。
  702. 木下郁

    木下(郁)委員 それで御主人が戦争中に日本に向けて戦争を早くやめたがよろしい、兵隊も早く鉄砲を捨てて郷里の農村に帰れというような趣旨の放送をされたようなことは御承知ですか。
  703. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 それはございましたでしよう。
  704. 木下郁

    木下(郁)委員 そういうことはやはり反戦同盟の運動なんですか。その放送についてはやはり当時日本と戦つてつた国民政府も、それには協力しておるようですか。
  705. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 大体ある点は協力し、ある点は協力しなかつたと思います。
  706. 木下郁

    木下(郁)委員 それはおもにやはり宣伝とか諜報とかいうような部面を担当する国民政府の機関であつたのでしようね。
  707. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 大体宣伝でございます。
  708. 木下郁

    木下(郁)委員 それでそれにはやはりその当時国民政府と密接にやつてつたアメリカの宣伝というような方面を担当した人たちも、これに加わつてつたわけですね。
  709. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 そういうふうには加わつておりませんけれども、協力はしておりました。連絡はいたしました。
  710. 木下郁

    木下(郁)委員 やはりそういう系統のアメリカの人たちには多少知合いもあるし、また鹿地氏の反戦同盟を主宰して活動されたその活動の経歴というようなものは、アメリカの方でも相当よく知つてつたわけでしようね。
  711. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 非常によく知つておると思います。
  712. 木下郁

    木下(郁)委員 そういうような問題が今度の逮捕というような問題と関連しておるのだというふうにはお考えになりませんか。
  713. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 私はそういうふうに考えております。
  714. 木下郁

    木下(郁)委員 これは質問があつたかもしれませんけれども、御主人が急にいなくなつた、これはちよつとおかしいぞというような意味で、そういう方の平素の知合いの関係とか、あるいは動きの関係でいなくなつたのだというようにはお考えになりませんでしたか。
  715. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 そのときにはアメリカとは考えないで、むしろ台湾の系統というように思つておりました。
  716. 木下郁

    木下(郁)委員 国民政府の方ですね、それは今台湾におる国民政府の人とは、太平洋戦争、それからその前の日支事変中には、ごく密接にやつてつてたいへん懇意だつたけれども、その人たちが台湾にひつ込んでしまつて、そういう人たちとの間に開きができて、むしろ今支那本土の方に力を持つておる中共の方に関係が密接だから、それで台湾の方につかまるとかいうようなことでもあるのじやないかというお考えから、そういうふうにお考えになつたのですね。
  717. 瀬口幸子

    瀬口(幸)証人 そうです。
  718. 田嶋好文

    田嶋委員長 他に御発言がなければ瀬口祥子証人に対する尋問は、これにて終了いたしました。証人には長い間病中のところ恐れ入りました、ありがとうございました。  それでは暫時休憩いたします。午後二時半から再開いたします。     午後一時五十九分休憩      ――――◇―――――     午後二時五十七分開議
  719. 田嶋好文

    田嶋委員長 休憩前に引続き会議を開きます。  人権擁護に関する件について、調査を進めます。田中警視総監に対して、瀬口貴君事鹿地亘君の事件についてお尋ねすることといたします。  田中警視総監には、今申し上げました瀬口貢君事鹿地亘君の、今回の不法監禁という事実につきまして、調査を進めたかどうか、進めたといたしますなれば、いかような方法によつて進めたか、その結果はいかような事実が現われたか、現在警視庁として、その結果に基いて、いかようなる方法によつて、この事件の処理の終結をいたそうといたしておるか、これらの点について、お尋ねをいたしたいと思います。
  720. 田中榮一

    ○田中参考人 ただいま田嶋法務委員長からの御要請によりまして、警視庁といたしまして、今回の鹿地亘氏の不法監禁有無の、警視庁として捜査いたしました経過につきまして、一応本委員会におきまして御報告を申し上げたいと思います。  今回の鹿地亘氏の不法監禁に関する事件につきましては、不法監禁されたと認められる場所が、川崎市並びに茅ケ崎市及び東京都内と、数箇所にまたがつております関係上、地域管轄から見ますと、それぞれの担当の警察署もしくは警視庁におきまして、それぞれ分担をして捜査をするのが至当でありまするが、かようなことでは非常に不便を来しまするので、関係者、国警本部と協議いたしまして、一応国家地方警察本部におきまして、本件をとりまとめる役になつていただきまして、なお茅ケ崎並びに川崎市における事柄につきましても、便宜上警視庁においてこれを捜査するという方針を決定いたしまして、一応警視庁において、国家地方警察本部からの依頼によりまして、本捜査を実施いたしたような次第であります。  なお本捜査に先だちまして、すでに鹿地亘氏並びに関係の人々から、当法務委員会におきまして、それぞれ証言をいたしておりまするので、警察当局といたしましては、その証言を事実といたしまして、この証言の足らざる点、たとえば日にち、時間の問題、あるいは場所の問題、またはその状況の問題等で、陳述にやや不足のある点を、これを補正的に本人から事情を聴取するという態度で臨みまして、大体におきまして、この法務委員会における証言内容に、これを補足的に事情聴取をしたという態度で臨んだのでございます。  今までの大要だけを申し述べますると、鹿地亘氏外数氏より事情聴取の結果は、大体において当委員会における証言においてほとんど尽きておりまして、そのほかに特別に新しい事実もなかつたのでございます。  まず捜査の方法といたしましては、全体の事件を五つの部門によりまして、まず第一に昨年の十一月二十五日、鹿地亘氏が逮捕せられたそのときの状況、それから東京都内岩崎邸における不法監禁の有無、並びに川崎市におけるT・Cクラブ内における不法監禁有無の状況及び第四には茅ケ崎市内におきまするUSハウス第三一号邸内における不法監禁の有無の状況、それから東京都内渋谷区代官山における村井邸内における不法監禁の有無等の、五つの部門に区分いたしまして事情を聴取いたしたわけであります。  まず第一に、昭和二十六年十一月二十五日、鹿地亘氏の療養先と認められる藤沢市鵠沼地先において療養散歩中、午後七時ごろ鵠沼駅付近で、後方から来た米軍用乗用車の乗員五、六人に突然暴行を受け車内に連れ込まれ、目隠しの上某所に連行された、この事実につきましていろいろ傍証その他を捜査いたしたのでありまするが、この事実につきましては、現在のところ、目撃者その他参考人というものがほとんどありません。従いまして、この点につきましては、本人である鹿地亘氏の陳述を、そのまま受取るほかはないのでありますが、この点につきましては、現在のところ、これを裏づける一つも傍証というものがございません。この点は捜査を十分いたしたのでありますが、参考人、目撃者等が、現在のところございません。  次に昭和二十六年十一月二十五日から同月の二十九日まで文京区龍岡町七番地の岩崎邸内に連行されたのであります。その当時二階一室にとじ込められ、ベッドに施錠されてつながれた上云々という陳述があつたのであります。この点につきまして、一応当委員会における証言並びに鹿地亘氏から直接事情を聴取いたしたのでありますが、その陳述の内容は、当委員会におきまして陳述されたものと大体同じでございました。ただこれを裏づける何か参考人がないかというので、いろいろ物色いたしたのでありまするが、現在のところ、これを裏づける物的、人的の証拠というものがないのであります。たた当委員会におきまして事情を聴取されました斎藤正太郎、これはボイラー・マンをしておつたのでありますから、このボイラー・マンが二十六年の十二月初めころわずかの期間、二階のCIC使用の部屋に病人がいたらしいことを知つてつた、どうして病人がいたということを知つているか、その理由は、そのころ消毒液の備えつけ等があつたので、そのように推測した。従つて鹿地亘氏がその当時病気であつた、そうしてその病人が二階におつたというような陳述からいたしまして、これが鹿地亘氏ではなかつたかというように、一応考えられるのであります。  次に昭和二十六年十一月二十九日から翌年の二十七年三月の初めごろまで、川崎市新丸十東三の千百番地、これは東京銀行のクラブであります、俗称T・Cクラブといつておりますが、このクラブの階下の一室にとじ込められ、内外から監視をされた状態で取調べを受けた。十二月三日午前二時ごろすきを見て自殺をはかつた。これは法務委員会で鹿地質氏の陳述のあつた通りでありまして、この状況につきましては、当警視庁の係官の実情聴取に対しましても、大体当委員会におきまして陳述されたと、全然同じようなことを陳述したのであります。そこでこれを裏づけるものがないというので、いろいろ調査をいたしたのでありまするが、これも現在のところで、コックでありました山田善二郎君の供述からいたしまして、まず山田君がT・Cクラブにコックとして住み込んでいる際に、鹿地亘氏が移されて来た翌日ごろ、食事の用意をしたので、病人がだれか来たのだということを大体了知した。それからもう一つは、自殺未遂の事故に手伝つて、遺書を見て、病人が鹿地氏であるということを了知した。それから第三に、その後食事の持運びのために繁に出人するうち、鹿地氏の依頼で内山氏に連絡した。これによつて鹿地氏であることを確認いたし、また鹿地氏がここにおつたという事実を、これによつて確認できるのであります。内外の見張りは厳重で出人口に常に施錠をされていた。しかも前回法務委員会で陳述されました証吉と、ほとんど一致をいたしておるのであります。それからなお雑役として就業中の渡辺利三郎氏の証言でありますが、これも法務委員会証言を土台にいたしまして、いろいろ事情を聴取いたしたのでありますが、二十六年の十二月初めごろ、日本人で結核の病人が来ていることを渡辺氏が聞きまして、近寄つてはいけないということを言われたそうであります。また当時いた光田、川田という人はCICの人だということも聞いた。それから第三には、病人が自殺を企てたということを聞いた。第四には、病人が来てから邸内に見張り小屋が新たに設けられたということを本人は申しておるのであります。従つてこの点につきましては、はたして監禁されてあるかどうかということは、大体この事情からして一応考えられるのであります。それから榎本正雄という雑役でありますが、これも病人が自殺をはかつたということを聞いておつたということであります。それからガードとして勤務しておりました丹羽鈴雄氏、これは二十六年の十二月中旬、尾崎マネージャーから、Xが入つたから今晩から警戒を厳重にしてくれと言われたそうであります。また第二には、Xが病人であることを聞いて、かつ自殺を企てたということも聞いております。第三には、光田から、病人は自殺、逃亡のおそれがあるから注意しろという命令を受けた。それから第四には、廊下のドアにはかぎがかかつていたようであるということを陳述いたしております。それから夜間だけのガードの勤務で、福原聖道というのがおりますが、光田から、病人が来たから近寄つてはならない、顔もなるべく見るなということを言われたそうであります。それからなお福原は、小屋が新設されて、見張りをしておつたということも陳述いたしております。このT・Cクラブにおきまして鹿地亘氏が不法監禁されておつたかどうかという参考人としては、かような参考人以外にはないのであります。  それから第三に移りました茅ケ崎のUSハウスC第三一号、これは茅ケ崎市中島三千二番地にございまして、これは鹿地亘氏が昭和二十七年三月の初めごろから、同年七月二十三日ごろまでおつたようであります。この点につきましては、これはコックでありまする山田善二郎の供述によりますと、山田鹿地亘氏より一日先にここに来ていたようであります。この陳述によりますと、数日後、従来のものよりがんじようなかぎが二階廊下のドアにとりつけられた。それからその次に、その年の六月十日退職するまで、食事その他身のまわりについて鹿地氏の世話をしておつた従つて鹿地氏が茅ケ崎USハウスにおつた事実を確認できるのであります。それから斎藤正太郎、これはボイラー・マンでありますが、二十七年の三月初め、東京からこの茅ケ崎USハウス三一号に住みかわつて参りまして、光田軍曹の命で二階のロドアに新たに錠をとりつけた。それから第三は、そのころ病人が移されて来たが、その病人は岩崎邸にいた人物であつて、各国語のできる偉い人だと山田から聞いた、こういう陳述をいたしております。従つてこれが鹿地亘氏であるということを、斎藤正太郎が大体了知しておるのであります。それから鈴木長松というものが、鹿地亘氏がここにおつたということを確認いたしております。  それから最後に東京都内の渋谷区猿楽町五十七番地USハウス六六〇号、これは村井恒三という人の所有家屋でありますが、これにつきましては、今のところはつきりした人証並びに物証を得ておりません。ただこの家がその後進駐軍の人の接収が一ぺん解除せられまして、その後ある進駐軍関係者の方が借りた。借りてから後に、ここへ鹿地亘氏が移されておるということがわかつたのであります。それからなお鹿地亘氏がここへ連行される前に、たとえばいろいろな配電の工事であるとか、あるいはヒーターであるとか、ラジオであるとか、そうしたものを一応とりつけておりますので、これらの工事請負人その他関係者から、その当時の状況を聴取いたしたのであります。はつきりしたことは聴取できなかつたのでありますが、一応配電工事をしたことを、それからヒーターをとりつけたことというようなことは、大体わかつてつておるのであります。そのほかこの邸内においていかような方法で住居しておつたかということは、結局鹿地氏の当法務委員会におきまする証言内容によつて、大体了承できるのでありまして、この点につきましては、警視庁におきまして一応事情を聴取したことと、法務委員会における証言と、ほとんど一致いたしております。それで結論を申し上げますと、本件は現在のところいわゆる被害者と認められる鹿地亘氏並びに関係者数人について、一応事情を聴取いたしたのでありまして、従つて捜査の常道といたしましては、こうしたことは常に相手方状況等も捜査いたしませんと、ここに正しい判断に基く結論が出て参らないのであります。現在のところ御承知のように、この相手方関係場者と認められる人々は、当法務委員会における関係者の証言、並びに警視庁において捜査いたしましたその結果から、大体において軍人、軍属に属する人であろうということが、一応は推定できるのであります。従いまして、もしかりに軍人、軍属であるといたしましたならば、これは独立後といえども、行政協定に基きまして相手国の裁判権が行使せられるわけでありますので、現在のところ直接日本の警察がこれに当るということはできない建前に相なつておるのであります。従つて本件を十分に今後徹底的な捜査をいたしまするためには、やはり政府のしかるべき正当なるルートによりまして、相手の警察とかもしくは適当なる機関によつて、これらの人々について十分に徹底的な捜査を依頼するというはかなかろうと考えておるのであります。  一応警視庁といたしまして捜査いたしました状況だけを概略御報告申し上げた次第であります。
  721. 田嶋好文

    田嶋委員長 今までの経過はよく了承できたのでございますが、今後この捜査を続けて行く端緒というものはあるのか、ないのか。これ以上は警視庁でも捜査は不可能だ、こういうようなお考えでしようか、この点を承つておきたいと思います。
  722. 田中榮一

    ○田中参考人 関係者の陳述は、この当法務委員会におきます委員各位の非常に詳細な御質問に対して詳細に答えられておるのでありまして、当片におきまして事情聴取した際も、大体それ以上に出ておりませんので、警視庁といたしましては、日本側の関係者についての捜査というものは大体一応これで終了しておるのではないかと考えておるのであります。しかしながらただこれで終了したのではなくして、なおまた状況によつて、必要があるならばさらにまた新しい関係者を発見次第捜査いたしまして、事を明らかにいたしたい、かように考えておる次第であります。一応警視庁としましては、今まで事情を聴取したその結果をとりまとめ役である同家地方警察本部の方へ移牒いたしまして、そして国家地方警察本部におきまして、政府の方としかるべく今後の御交渉を願うようにいたしたい、かように考えておる次第であります。この点は国警本部とも十分に打合せ済みでございます。
  723. 田嶋好文

    田嶋委員長 もう一点だけ、鹿地亘氏の証言並びにその妻でありますところの瀬口幸子氏との証言とを総合いたしてみますると、現在の日本においては人命の危険を感じているということを述べているようですが、この点私たちはゆゆしき問題として、ほうつて置くことができないのでございますが、今後鹿地氏の人命等に対して警視庁は保障する対策と保障に対する信念があるかどうか、この点を承つておきます。
  724. 田中榮一

    ○田中参考人 鹿地氏が都内に姿を現わしましてから、あるいは鹿地氏に対する迫害行為がありはしないか、あるいはその他いやがらせ行為がありはしないかという関係からしたしまして、警視庁ではただいま相当厳重に本人の保護に当つております。なお今後とも十分に保護いたしまして、生命等につきましては絶対に保護し得る確信を持つております。
  725. 田嶋好文

    田嶋委員長 質疑の通告がありますから、これを許します。猪俣浩三君。
  726. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 ただいま警視総監は、向うの軍人、軍属が関係している、そうなれば、これはわれわれの捜査権に入つて来ないというような御答弁であつたかと存じますが、これは法務総裁にお聞きしなければなりませんが、行政協定に伴う刑事特別法の第十四条を見ますと、「行政協定により合衆国軍事裁判所が裁判権を行使する事件であつても、日本国の法令による罪に係る事件については、検察官、検察事務官又は司法警察職員(鉄道公安職員を含む。)は、捜査をすることができる。」こういうふうに書いてあるわけであります。あくまで日本の刑法の監禁罪に当る――今警視総監の報告を聞いておりましても、大体において監禁せられた状態であることは、当法務委員会における取調べ及び警視庁の裏づけ捜査によつても明らかになつている思うのであります。そういたしますれば、日本の刑法の違反であり、わが国の法令に違反した事実であるがゆえに、これならばこの行政協定に伴う刑事特別法の第十四条によりまして捜査権はあると思う。逮捕した場合にあるいは彼らの機関に引渡すようなことがありましても、捜査することはできると思う。第十四条の二項を見ますれば、「前項の捜査に関しては、裁判所又は裁判官は、令状の発付その他刑事訴訟に関する法令に定める権限を行使することができる。」こういうふうな規定もあるのでありまして、これは裁判所の令状によつても捜査ができる。かような意味におきまして、私は日本の警察がこれは捜査すべきものでないか。すなわち外国の施設でも、外国人についても捜査の段階においては捜査できるのじやないかと思うのでありますが、その点についてはいかようにお考えになつておられますか、お聞かせ願いたいと思うのであります。
  727. 田中榮一

    ○田中参考人 ただいまの御質問に対しましては、さような規定があるのでありますが、軍人、軍属に対しましても、これはただちに先方に一応引渡さなければならないことに相なつておりますので、裁判権はやはり先方にあるのでありますから、裁判権がある者が取調べる方が合理的であろうと考えております。たた今御質問のような趣旨で、日本側におきましても、われわれが捜査し得る範囲におきまして、日本の警察の捜査権のあとう限りにおきまして、もし相手方がたとい軍人、軍属でありましても、その傍証を固めるとか、あるいは関係者の証言を聞くとか、あるいは物的証拠を集めるとか、そうしたことにつきましては、日本の警察においてできる限り実施いたしたい、また実施すべきであろう、かように考えて現在も、先ほど申し述べましたことくになお必要があるならば、新しい参考人なり、そうしたものにつきまして今後も事情を聴取いたしたい、かように考えておる次第であります。
  728. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 これは警視総監よりも法務大臣の御答弁を伺うことにいたします。第十四条を見ますれば、合衆国軍事裁判所が裁判権を行使する事件であつても、日本の国の法令による罪にかかる事件についてはわが国において捜査権あるということが実に明白に書いてある。またしかるべきことと私どもは考える。何の遠慮はないと思う。これは外人をわれわれが当法務委員会に事実の証明をさせるために呼ぶことができるかどうかを、あとでまた法務大臣あるいは法制局長官にお尋ねいたすことにいたしますが、私どもはこれはできるという解釈をしておるのであります。しかしそれは警視総監に対してはこれだけにいたしておきます。  ただいまの報告を承ると、結局相手方の、不法監禁したいと思う人たちの調べができないから完全なことにならないけれども、警視庁の捜査いたした範囲においては、とにかく自由に鹿地が保護を求めてそこに静養しておつたよう状態にあらずして、何者かによつて監視せられ一室にとじ込められておつた状況であるということは警視総監は確認できるはずだと思いますが、その点を明白におつしやつていただきたいと存じます。
  729. 田中榮一

    ○田中参考人 ただいまの御質問に対しましてお答えいたしますが、現在の私どもの捜査の範囲におきましては、御本人の陳述並びに日本側の陳述内容をそのままわれわれは受取つたのでございまして、ただこうした問題は一方的な捜査だけでこれに断定を下すことはやや早計ではないかと考えております。しかしながらすでにこの法務委員会におきましても監禁されたような状況も相当詳細に陳述されておりますので、私どもといたしましてはこの事実につきましては、あるいはそういつたことがあつたのじやないかという一抹の疑いを持つておるのでありまするが、これにさらに決定的な結論を出すためには、先ほど申し上げましたような相手方の捜査をここにはつきりいたしますことによつて正しい結論が出る、かように考えておりますので、今ここで軟禁の事実があつたか、あるいは不法監禁の事実があつたどうかについて、断定的な結論を申し上げるのは控えさせていただきたいと思います。
  730. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 かような外国人によつて監禁せられたというような事案、しかもその監禁者はおそらく全部アメリカへ引揚げたんじやないかと思われる節があります。彼らは監禁中、鹿地あるいは山田らに対しまして、これが発覚すればわれわれは日本におらないはずであるというようなことを言つてつたそうでありますから、その関係者はほとんど帰国したんじやないかとも思われます。そうしてアメリカの大使館が、アメリカの政府がこの捜査に協力しないということになりますと、われわれがいかなる目に会つて相手方の事実がわからなければこれを認めることができない、こういうことになりますと私どもははなはだ危険を感ずるのであります。彼らが協力せずして、そうして自分の責任をのがれんとしてこれの裏づけをしない、否認しておる、ところがこれを調べることが当方としてはできないというような状態でありますると、いつまでたつても事実の確認ができないということになりまするならば、わが国民の生命身体の安全は保障できない。われわれが問わんとするところは、こちら側の捜査の結果においては監禁したと思われるが、もしさにあらずんばその反証を出してくれという態度に出ていただきたいと思うのであります。そういうことにならなければこれは永久に確認できない状態で放任される。さようなことでわれわれの生命身体の安全は保障できません。こちら側として尽せるだけの手を、法務委員会、あるいは警視庁が十二分に捜査されて、その結果監禁した事実はほとんど明白に打出されておる。それならば日本側の関係者の調査によつてはこれは確認できるが、しからざる点はあなた方から反証を出してもらいたいという態度に持つて行かなければけりがつかぬと思うのです。その意味において、私は警視庁がこの事件に対しまする一応の確認をなさることが、向うに談判をする前提じやないかと思うのでありますが、その点に対する御所見を承りたいと思います。
  731. 田中榮一

    ○田中参考人 もちろん警視庁といたしまして、ただ事実をそのまま羅列して、これを国警本部の方へ移すというのではないのでありまして、われわれといたしましてもこうした事件は、やはり徹底的にはつきりした事実をここへ答えとして出す必要があろうかと思います。従いまして現在日本警察側として尽すべき事柄は十分に尽し、なお相手方として措置すべき問題につきましては措置していただく。かような意味におきまして警視庁側といたしましても、政府に対して今後先方の調査すべきことは十分に調査してもらいたい。それによつて合せてここに一つの結論を出す必要があるのではないか。かような意見を付して本件を移牒いたしたい。現にさような意見を付して移牒をいたしておるのであります。
  732. 田嶋好文

    田嶋委員長 田万廣文君。
  733. 田万廣文

    ○田万委員 私はただいま猪俣さんから御意見がありましたことに関連してお尋ねしたいのですが、もしこれが反対に、日本側において日本国民がアメリカの軍属あるいは軍人を不法監禁いたしておつた場合には、必ずや相手国からその捜査、引渡しというようなことが出て来ると思うのです。行政協定、安全保障条約というものにつきましては、平等の原則に立つておる、私ども一応政府側の答弁を承つておるとそうなつておるのです。そういう点に対する御見解はどういうものでございましよう。
  734. 田中榮一

    ○田中参考人 今度の事件が、逆に日本人によつて外国人が拘禁されておつた場合においては、相当厳重な抗議が提出されるであろう、申出があるであろう、こういうお尋ねだろうと思いますが、あるいはそういう申出がある、かも存じません。また日本警察としましては、これに対して、もしそうした不法監禁の事実があると認めますならば、刑法の規定するところに従つて関係者を措置することは当然であろうと考えております。
  735. 田万廣文

    ○田万委員 警視総監の今の御答弁は、非常に筋が通つておると思うのですが、先ほどの御答弁では、鹿地亘氏の問題については、相手方に対する態度が非常に軟弱であるという結論が出ておるように私は考える。先ほど猪俣君も申されたように、こういうことがあつて、しかもアメリカ側において何らの責任を感じないというがごとき態度に終始せられることがあつたならば、ゆゆしき国際関係の危機を招来するものと私は思う、協力はとてもできないと私は考える、そういう大きな目的と鹿地亘という個人の問題とにらみ合した場合、アメリカ当局におきまして、当然この委員会に出て来て、その真相を打明けるべき義務があろうと私は考える、私は猪俣君と同感で、行政協定その他の関連した方面において、この委員会がいわゆる被疑者と疑われる不法監禁した人間を、ここへひつぱり出して調べる権利が私はあると考える。また反対にいえば、向う側に義務があろうと考える。こういうような重大な問題について、ただいま警視総監のお話によれば、正当なるルートによつて調査を依頼するというようなお答えでございましたが、そういうようななまぬるいことでは、とてもわれわれの人権の保障ということは得られないと私は考えるのですが、これは法律的な問題になつて、警視総監にお尋ねするのは少し無理もしれませんが、重ねてもう一度御信念を承つておきたいと思うのです。
  736. 田中榮一

    ○田中参考人 今回の事件に関しましては、警視庁といたしましては、要するに犯罪捜査という観点から当つておりまして、相手がいかなる外国であろうが、また拘禁された人がどういう人であろうが、私どもはそういう点は全然考慮に入れておりません。ただ一個人が外国の手によつて不法監禁されたかどうかということを客観的に答えを出したい、かような趣旨から、きわめて客観的な立場において本件を取扱つておるような次第でございます。従つて相手がどういう国であろうが、そういう点は私どもとしましては、全然考慮に入れておりません。この点だけはつきり申し上げておきます。
  737. 田万廣文

    ○田万委員 相手国がいかなる国であつても、それは考慮に入れておられないという確固不動の信念を持つていらつしやることは、私ども尊敬するのですが、その信念に立つた行動、裏づけというものが私はほしいのです。その裏づけ的な行為は、現在まで警視総監としてはどういうふうな方法をとつておられましようか、それを具体的にお示し願いたい。
  738. 田中榮一

    ○田中参考人 この裏づけといたしましては、先ほども述べましたように、結局この関係者について、相当長時間にわたりまして、本人から事情を聴取いたしたのでありまするが、権威ある法務委員会のあの証言以上に出ていないのであります。若干具体的な事実、ごく微細な点につきましては、新しい事実が出ておるのでございますが、また鹿地亘氏以外の参考人から相当詳しい事実を聞き出したいという考えから、非常な熱意をもつて捜査官が当つたのであります。しかしながら大体におきまして法務委員会証言より以上に出ていないのであります。なおいろいろな物的な捜査等もいたしておるのでありますが、しかしこれもやはり相手方の捜査と並行してやるべきが捜査の常道であろうと考えまして、現在それを待つておるような状態でございます。
  739. 田万廣文

    ○田万委員 最後に一点だめ押ししたいのですが、相手方の方においては、この事件について、われわれからいえば不法監禁をした被疑者、その人間に対して責任追究というか、そういう調査をずいぶんなさつておるようなことを承つておりますか。
  740. 田中榮一

    ○田中参考人 ご質問の趣旨は、相手方関係者に対する責任追究の点でありますか。
  741. 田万廣文

    ○田万委員 そうです。
  742. 田中榮一

    ○田中参考人 この点は私どもの責任でありませんで、その点につきましては、むしろ政府によつてやることがしかるべきであると思います。
  743. 田万廣文

    ○田万委員 その政府の力においてやつておる交渉の結果について、相子方の方で責任を持つてそれを追究しておるような事実があるかどうかということです。
  744. 田中榮一

    ○田中参考人 私はまだその点につきましては承つておりません。
  745. 木下郁

    木下(郁)委員 アメリカの方から発表されたのは、単にスパイの嫌疑でつかまえた、そして間もなく釈放したということだけですが、新聞ではいろいろのことが伝えられておりますけれども、有権的な資料としてはそれだけなのです。ところがそれに関連して、例の三橋という人が問題になつておるのですが、その人との関係を調べた結果、やはりアメリカが最初に逮捕したときに相当の資料を持つてつて逮捕したのであるかどうかということも相当間接にわかつて来るものと思います。アメリカの持つている鹿地の供述書というようなものはこちらにないとしましても、三橋の方の調べの結果はわかると思うのですが、そういう点は一体どの程度までお調べがついておりますか。
  746. 田中榮一

    ○田中参考人 今回の事件につきまして警視庁で取調べをいたしましたのは、鹿地亘氏の不法監禁の事実があるかどうかということについてのみ捜査をいたしておりまして、今お話の三橋の件につきましては、主として国警本部において捜査をされておりますので、むしろ齋藤国警長官の方へ御質問なさつた方が正確なお答えが出るのじやないかと思います。
  747. 木下郁

    木下(郁)委員 それでは後ほど国警長官に聞くことにいたします。
  748. 後藤義隆

    ○後藤委員 ちよつと一つだけお伺いいたしますが、鹿地が最後監禁されておつたという渋谷の代官山にある家屋を御調査なさつたかどうか。それからそこの家屋の所有者はだれであるか、またそこにはだれが住んでおるのかというようなことについて、お調べになつたことがありましたかどうですか。
  749. 田中榮一

    ○田中参考人 ただいまの御質問につきまして、警視庁としましてはその点を調べております。現在家主は村井惇子という方で、この家は二十七年の七月十二日ごろ接収解除に相なつております。その後進駐軍の方が、これは村井氏との個人的な貸借契約によりまして現在その家を借りておるのでございます。ただこれが進駐軍の家屋でございますのと、また本件の家宅捜索等につきましては、やはり事件の処理の手続といたしまして、先ほど私から申しました相手の人々の捜査と並行いたしまして、実地に調査する方が妥当であろうという考えからいたしまして、現在のところまだ具体的にかかつておりません。
  750. 後藤義隆

    ○後藤委員 そうすると村井という家主の人から借りておるのは進駐軍の人ですか、単純な個人ですか、そしてまたそれについては全然まだ鹿地のことをお調べにはなつておらないわけでしようか、どうなんでしようか。
  751. 田中榮一

    ○田中参考人 現在住んでおる方は進駐軍に属する人のようでございます。そうしてこの人につきましては、鹿地がここにおつたかどうかということにつきましては、現在まだ調べておりません。ただ話によりますと、この進駐軍の借りた人自体は実際そこにはいないのでありまして、ほかの者がそこに居住しておるようでございます。従つてこの進駐軍の人に聞いても、実際の事実はわからないのではないかと思います。
  752. 後藤義隆

    ○後藤委員 そうすると鹿地がはたしてそこにおつたかどうか、またおつたとすればどんな事情でおつたかとうことを、そこへ住んでおられる進駐軍の人に聞くことが、私は一番必要じやないか、こういうふうに考えますが、そごまでの手続をする意思はありませんか。
  753. 田中榮一

    ○田中参考人 この代官山の村井邸には日本人の使用人はおりません。大体においてこれは鹿地氏の陳述から推定いたしますと、やはりあるいは軍人、軍属に属する人がここに居住しておつたのではないかと考えております。従つてもしこれらの人々について事情を聴取するといたしまするならば、先ほど申し述べましたことくに、相手方の捜査ということになつて参りますので、この点につきましては成規の手続によつて措置する方が妥当であろう、かような点から調査しております。
  754. 後藤義隆

    ○後藤委員 何という人がそこに住んでおるかどうかということはやはり警視庁の手で調べて、そして成規の手続ということは、あるいは外務省を通じてという言葉ではないかとも思いますが、もしそれならばそういうふうなことを警視庁の方から外務省の方に通じまして、そしてそれをお調べになることが必要ではないかというふうに考えますが、ぜひひとつそれをやつていただきたいと考えます。
  755. 田中榮一

    ○田中参考人 さような意見を付して国警の方に移牒したことは先ほど申しました通りであります。
  756. 古屋貞雄

    ○古屋委員 今のことに関連してですが、家主さんから間取りなどはお調べになられたでしようか。二階の間取りとか、家の状況ですね。その点をちよつとお聞かせください。
  757. 田中榮一

    ○田中参考人 全部調査してございます。
  758. 古屋貞雄

    ○古屋委員 その内容はここで御発表できませんか。二階は何畳が何間でどういう構造かということ、それをお尋ねしたいのです。
  759. 田中榮一

    ○田中参考人 別に発表してはならぬことではありませんから発表いたしますが、何でも八畳――これは鹿地氏の証言と家主の言われることとほぼ一致いたしております。従いまして当委員会において鹿地氏の言われたことをそのまま御信頼願つてさしつかえなかろうと思います。
  760. 石川金次郎

    ○石川委員 ちよつとお伺いいたしますが、成規の手続ということで先ほど問題になつたのでありますが、その成規の手続ということをひとつ御説明願いたいのです。どういうことが成規の手続になりますか。
  761. 田中榮一

    ○田中参考人 これはむしろ政府の方からひとつお聞取り願つた方が正確な答えが出るかと思いますので、政府の方からひとつ……。
  762. 石川金次郎

    ○石川委員 それではあとでお伺いしてもよろしゆうございますが、あなたが成規の手続とおつしやつたものですから、あなたのお考えになつておる成規の手続というのはどういうのかとお聞きしておる。あとでまた政府の方々にお聞きした方がいいということでありますが、成規の手続を踏んでおやりになると承つたからお伺いしておる。
  763. 田中榮一

    ○田中参考人 これはやはりおそらく正式になりますると外交交渉になつて参りますから、私の考えでは、違つておるかもしれませんが、あるいは外務省を通じまして相手国の正当なる機関に交渉する。これは私だけの考えでありますが、そうではないかと考えております。
  764. 石川金次郎

    ○石川委員 この行政協定の十四条が先ほど問題になつたのであります。いろいろ御研究なすつたことと存じますが、この場合は十四条は外務省を通さなくては働かないというようにお考えになつたのでございましようか。
  765. 田中榮一

    ○田中参考人 やはり軍の内部のことでもありますし、警察が相手国の裁判権は持つておりませんので、やはり私は外務省を通じまして手続を経て、そうして相手国の国内におけるしかるべき機関によつて捜査してもらうというのが筋であろうと考えております。
  766. 石川金次郎

    ○石川委員 行政協定による刑事特別法を制定いたしましたが、そういう御説明が政府になかつたものでありますから、お尋ねいたしましたが、十四条はそのままあなたの方がこれに関連して捜査権を持つておると聞いたものでありますから、お聞きしたのであります。これはあとで政府からお聞きいたします。
  767. 田嶋好文

    田嶋委員長 それでは田中警視総監、どうもありがとうございました。  それでは次に齋藤国家地方警察本部長官、伊関外務省国際協力局長及び長谷郵政省電波監理局長より順次鹿地亘関係事件につきましてお聞きすることにいたします。続いて法制局次長林修三君、法務大臣犬翁健君がお見えになつておりますので、それぞれの立場において意見を聞くことにいたします。それでは齋藤国警長官。  齋藤国警長官には鹿地亘君の不法監禁事件につきまして今日まで国警としてのお取調べをいたしました状況並びにその結果がいかようになつておるかをまず承りたいと思います。
  768. 齋藤昇

    ○齋藤(昇)政府委員 鹿地亘氏の不法監禁事件につきましては、ただいま東京警視総監から御証言されましたように、監禁場所が数地警にまたがつております。外国関係もありますし、各自治体警察において必要な調査をしてもらつて、これをまとめて外務省その他に交渉をするということを国警本部でいたすというとりきめによつて調査をいたしておるのであります。警視庁の調査はただいま詳細に警視総監から述べられました通りであります。この報告を受けまして検討いたしました結果、われわれといたしましては一応不法監禁といいますか、軟禁といいますか、そういうような疑いも持たれるのでありますが、なお当該の軍人というものにについて調べない限りは十分容疑がはつきりいたしません。外務省を通じましてアメリカ側において調査をいたしておるということでありましたから、当方の警察の調べの内容を具しまして、アメリカ側調査の詳細を知りたいということを外務省に申し入れておるのであります。ただいまさような段階でございます。
  769. 田嶋好文

    田嶋委員長 先般法務委員会に齋藤国警長官においでを願いまして、委員諸君からの質問があつたわけでありますが、その質問の中で、アメリカ側において鹿地氏がスパイを認めたと思わるべき書類がある。この書類について今日発表する段階ではない。こういうお答えが齋藤国警長官からあつたわけでありますが、今日なおその書類の、と申しますか、書面と申しますか、その内容について発表をいたすことができない状況でございましようか。その点を承ります。
  770. 齋藤昇

    ○齋藤(昇)政府委員 ただいまの点につきましては、先般も申し上げましたように、三橋正雄の電波法違反容疑事件に関連いたしますので、この内容の詳細はその取調べがもう少し進むまでは発表いたすことを差控えさせてもらいたいと思います。
  771. 田嶋好文

    田嶋委員長 実は本日午前中に鹿地亘氏が当委員会証人として出て参りまして、自分自白調書を書いた。その自白調書なるものは、三橋とのスパイレポをやつてつて、それによつて捕えられたというようなスパイ事実についての自白調書であるというような答えがありました。しかしこの自白調書は向うが一つの線をきめて来て、その線によつて自分が整理をして書いたものである、こういうようなことをつけ加えておりましたが、そこまで鹿地君は発表されておりますが、あなたのお見になつた書類というものは、やはりそうした内容のものですか、どうですか。
  772. 齋藤昇

    ○齋藤(昇)政府委員 ただいま御指摘になりましたような、趣旨を相当詳細に書いたものでございます。ただ、その部分だけでなしに、鹿地氏が重慶におられて以降、主として終戦後でありまするが、終戦後の鹿地氏の行動に関連をした詳細な長い文革でございます。
  773. 田嶋好文

    田嶋委員長 そうしたスパイを認めた書類というのは一回出しておるのですか、また二回か三回ですか。あなたの知つた範囲内においてお答えを願いたい。
  774. 齋藤昇

    ○齋藤(昇)政府委員 相当長い手記と認められるものの中にありまするのが一つスパイに関連をいたしました事項のみを記述したものが一つ、この二種類であります。
  775. 田嶋好文

    田嶋委員長 鹿地氏は縦書きのもので去年の十二月ごろしたためたものがそうだということを言つております。ところが今おつししやつた相当部数の大きいもの一つと、それから自白のみをしたものが一回と、こう言われておるようですが、それは一体縦書きのもののみですか、横書きのものもありますか。
  776. 齋藤昇

    ○齋藤(昇)政府委員 縦書きのものと横書きのものと、それぞれ一通ずつあるわけであります。
  777. 田嶋好文

    田嶋委員長 それはいずれもスパイの事実を認めているわけですね。
  778. 齋藤昇

    ○齋藤(昇)政府委員 さようでございます。
  779. 田嶋好文

    田嶋委員長 やはり逮捕については、スパイということは、非常に重大性を帯びて来ると思うのですが、新聞紙上の毎日の報道を見ておりますと、あなたの方の情報として、三橋に関するスパイ事件が大々的に報道せられ、これに鹿地氏が関係あるがごとく報道せられておるわけなんですが、これらの点について、ある程度の現在までの状況並びに見通しをお聞かせ願いたい。
  780. 齋藤昇

    ○齋藤(昇)政府委員 鹿地氏の不法監禁事件自身につきましても、その逮捕の理由、動機、態様というものから始まるべきものだと考えるのでありますが、この点につきましては、先ほど申しましたように三橋正雄の電波法違反被疑事件と直接関係をいたしておるのであります。三橋の自供によりますると、鹿地氏と街頭連絡をやつてつた際に、相手方の鹿地氏が逮捕された、自分としては街頭連絡をやつている相手がどういう名前の人間であるかということは知らなかつた。最近新聞等によつて、それから後に、それが鹿地氏であつたということを知つた。かような自供をいたしておるのであります。この自供の真実性というものは、なお裏づけを要すると考えます。当時の周囲のいろいろな人たちその他につきましても、ただいま裏づけ捜査をいたしておるのであります。まず三橋正雄自身が何らかの意図をもつて自白したものでないかどうかということは、当初からわれわれも最大の関心を払つて取調べておるのであります。彼の自供する内容は、一々反対的な立場から一応疑ぐりながら調査をいたしておるのでありますが、しかし今日までの調査の結果では、一々裏づけをされて参  つておるのであります。まず第一には、彼は無電を打つていたということ、この無電はどこに、どういう呼出し符号で、こちらの呼出し符号はどういうので、幾日の何時何分に、しかもこちらの波長はどういう波長で、向うの波長はどういう波長でというとりきめられた暗号ブックを三橋は持つてつたのであります。それによりまして、三橋の逮捕直後、ちようど連絡をする日時がありましたから、そのときに電波監理局にお願いをいたしまして、さような波長でさような呼出し符号がどこから来るか、調査をしてもらいたいということを申し入れたのでありまするが、ちようどその通りの波長で、その通りの呼出し符号を電波監理局の各出先官庁でキャッチをいたしております。それによりますと、まさしくこれは国外であります。これらは三橋のさような事件を立証するものであると考えます。その以前にさかのぼりまして、電波監理局において、彼の暗号書の中にある、その時間に、その波長において、さような報道があつたかどうかということも調査を願つておるのであります。若干そういう事実も現われて参つておるのであります。かようにいたしますと、三橋は国外と無電連絡をやつてつたということは、ただいまの段階では私は確かであるという印象が得られると考えておるのであります。これが鹿地氏と、彼の言うがごとくつながるかどうか、ただいま裏づけ捜査をいたしておるのであります。もうしばらく時日をおかしいただきたいと存じます。
  781. 田嶋好文

    田嶋委員長 次に外務省伊関協力局長にお尋ねをいたします。  伊関協力局長には、先回当法務委員会においてお答え願いました以後において、外務省が、アメリか政府に、この鹿地亘氏の件について、いかようなる折衝を続けて来たか、その後外務省に対してアメリカ当局からいかような返答があり、いかような結果に今日なつておるか、この点をお伺いしたいと思います。
  782. 伊関佑二郎

    ○伊関政府委員 たしか先回ここで御説明いたしました日と思いますが、その日に、外務省から文書をアメリカ大使館の方に渡しました。この文書は鹿地氏の委員会における証言を引用いたしまして、もしこの証言に述べられておる事実が確認されるならば、確証されるならば、これは日本の法権を侵害する不法監禁を構成する、従つて至急これらの事実を調査し、かつ大使館の見解とともにこれを回答してもらいたいという文書を出したわけであります。その後もしよつちゆう先方に会いまして、私が督促をいたしております。また大臣も、大使にいろいろな機会に会いますので、また督促をいたしております。その後は十四日の日曜日の晩に、大使館から一応中間的な回答をよこしました。その回答はまだ発表いたしておりませんけれども、その回答で大使館が述べておりますことは、鹿地氏が言つておらるることと全然反対なんであります。結局大使館が申しますのは、本人の意思に基いて保護した、要するに鹿地氏は間諜行為をしたという事実を自白したので、生命の危険を感じたものと認められる。また当時肺病が非常に悪くなつて、健康が悪かつた、この二つの理由によつて、当分の期間保護してもらいたいという申出があつたので、これに応じて保護したのだ、というのがその回答にあるわけでありまして、両者の言い分が完全に食い違つておりますので、われわれといたしましては、大使館に対しまして、そうした結論を出すに至つた根拠になる具体的な事実とか、当時の状況等について、詳細に知らしてほしいということを申し出ておる次第でございます。先方は詳しい調査をするまで、もう少し時間がかかるというので、いまだに回答がないというのが現状でございます。
  783. 田嶋好文

    田嶋委員長 次に長谷郵政省電波監理局長にお願いいたします。  長谷郵政省電波監理局長には、電波監理当局として今日まで短波放送の電波法違反と申しますか、電波法違反事件をどのように取扱つておるのか、電波法違反事件というのは、今回の国警でやつております三橋事件最初なのか、これらの点についてお尋ねをいたしたいと思います。
  784. 長谷愼一

    ○長谷政府委員 お答えいたします。ただいま御質問のございました第一点の、短波の通信につきましての不法のものの監理の仕事でございますが、電波法が制定されましたときに、従来電波というものは、国がこれを管掌いたしまして、民間には特許するというような考え方になつておりましたのを、電波は国民のものである、国はこの国民のものである電波が公平に能率よく活用されるための、何と申しましようか、おもり役をやるというような考え方に改められまして、その際にちようど交通の交通整理と同じように、許されましたと申しましようか、国の許可を得た電波の使用が合法的に行われておるかどうか、一種の電波の交通整理という観点から、全国九箇所に電波監理局というものが設けられまして、それらの監視をいたして来ておるのでございますが、それとともに、日本の国内で不法に電波を発射するものをその際に発見いたしました場合には、それの、所在を突きとめまして、治安あるいは捜査関係の方と御連絡をいたしまして、電波監理当局には捜査権というものがございませんので、警察に御連絡をいたしまして、令状を発行されて、警官と御一緒に私どもの方の専門の技術家が容疑者の家へ入りまして、はたしてそこから電波を発射しておつた機械その他のものが、現実にあるかどうかというようなことの捜査に立ち会うというような形になつておる次第でございます。  なお従来まで、学生が無線の科学の研究に熱心なあまりに、許可を待ち切れずに電波を発射した、そういうようなものとか、あるいは成規の通信のやり方をしないで、許可を得ていない暗号文を利用したというような電波法違反等、最近までに相当件数はございます。今回の三橋何がしの電波法違反容疑の事件が決して最初ではございません。
  785. 田嶋好文

    田嶋委員長 三橋氏の今回の電波法違反事件について、あなたの方は国警協力をいたしておりますか。国警のみがこの事件に関与しておるのでございますか。お尋ねをいたします。
  786. 長谷愼一

    ○長谷政府委員 国警本部と協力のもとに、調査を進めております。
  787. 田嶋好文

    田嶋委員長 そうすると、先ほど齋藤国警長官の言われたように、三橋の自供する、明らかに外国に基地があると思われる電波を、あなたの方で接受した事実はあるのでございますね。
  788. 長谷愼一

    ○長谷政府委員 先ほど国警部長官からお話のあつた通りでございます。
  789. 田嶋好文

    田嶋委員長 ではこれで質問に入りましようか。質疑の通告がありますからこれを許します。松岡松平君。
  790. 松岡松平

    ○松岡(松)委員 外務省の方にお伺いしたいのですけれども、この法務委員会に現われたる鹿地氏の事件というものを、私たちが通観してみますと、まず第一に占領中における事柄と、それから講和条約発効後における事柄と、関係が二つにわかれて来ると思います。占領中における事柄であるから不法監禁ではないという考えを持つておるわけではありませんが、占領中において、米軍自体が鹿地氏を逮捕し、これを取調べておつたとするならば、その関係を明瞭にしなければならないわけでございます。また謙和条約発効後においては、向うは直接そういうことをすべき法的根拠は、私はなかろうと思います。ですから占領中における取調べにいたしましても、占領後の監禁状態にいたしましても、アメリカ側は、これに対して事実の内容を明確にすべき関係に置かれておると私は思うのです。それがいまだに明確にされていない。逆に新聞などにおいて、アメリカ大使館のスポークスマンが、スパイ云々というような放送をしておられる。そういう放送をする前に、この事態の内容を明瞭にすべきものであると私は考える。従つて外務省当局におかれては、すみやかにこの占領中における取調べ関係のてんまつ、並びに講和条約後において何ゆえにかようなことを続けておつたか、かりに本人の依頼であつても、アメリカ軍当局に保護をしてもらわなければならぬということは、常識的には考えられないことなんです。そういう異例な、変態的な状況を、わが外務省当局にも通告せずしてアメリカがこれを継続しておつたということは、これはただならさる事態であります。アメリカの方で単に保護の依頼によつてつた、そういうような答弁でわれわれ国民が納得できるわけのものではありません。この点は、外務省の話を聞いていると、どうも交渉が手ぬるいようです。私は率直に申し上げる。これは大いに発奮して談判してもらわなければ困る。現在のような状態でほつておかれたのではなかなか容易ならぬ問題だと思う。それからスパイであつたらあつたで、明瞭にせられることです。スパイであるということと、不法に監禁するということとは別なんです。いかに殺人を犯した人間であつても、法律によらずして逮捕、監禁、処罰、審問することはできない。これはアメリカにおいても、日本においても、イギリスにおいても、法治国においてはみな同じです。アメリカは法治国ではないということは言えない。法治国なんです。しかも文明国の代表的国家なんです。それが法的根拠を示さずして、ただ調べておつた。保護をしておつた。第一、逮捕して行つたときのことを述べておらぬのです。要求によつて保護しておつたということになると、なぜ逮捕して行つたか、その関係がわからない。あるいは自動車にはね飛ばされたのであるか、つかまえて行つたのであるか、あるいはだまし打ちにかけたのであるか、そういう関係も一切わからない。こういう事案を不明確な状態に置かれるということは、これは一大事でありまして、先ほどの御説明によつて受けた私の感じの程度では、これはとても納得できません。ひとつ大いに外交的な威力を発揮されて、少くとも文明国として、法治国として、アメリカはこの事態に明瞭なる解明を与え、そして責任ある態度をとるべきだと私は思う。その点についての外務省当局の所見を承りたいと思います。
  791. 伊関佑二郎

    ○伊関政府委員 占領中と発効後とにわけて考えられますが、占領中に米軍日本人を逮捕するとか、監禁するということは、違法ではありません。妥当であつたかどうかという問題はあると思いますが、それは米軍ができる権限を持つています。従いまして、私の方は講和発効後における事態というものに重点を置いて今調べております。もちろん一つの続いた事件でありますから、その占領中における最初の逮捕の理由という点につきましても、当然これは調べているわけであります。それからスパイであつたということと、不法拘禁とは全然別の問題ということは、もちろんその通りに考えております。スパイであつたかどうかにつきましては、現在警察の方て、お調べを願つております。私の方といたしましては、もつぱら不法拘禁になるか、ならないかという点に重点を置いて交渉しているわけであります。先般十四日に、先ほど申しました一応の回答がなされたのであります。アメリカ側ではこれを発表することに何らの異議がなかつたのでありますが、私の方で発表をとめております。と申しますのは、ただいまもおつしやいましたように、ただ保護したというだけでは国民が納得しない、やはりこれを裏づける事実がなければならぬ、そう考えましたので、その事実を早く知らせるようにということを今交渉しておるような実情でございます。
  792. 松岡松平

    ○松岡(松)委員 今のお言葉を承りまして、ぜひそれを実行していただきたい。ただ、先ほども申し上げましたように、講和条約が発効するときの引継ぎ、つまり経過の場合に、それまでに保護しておつたものならば、それを外務省当局に向うが通知しておらなければならぬ。この点を強くついていただきたい。これが私は重大なるポイントだと思う。保護しておつたとするならば、保護しておつた事実を伝えなければならぬ。なぜかと言えば、日本国民をアメリカ軍が保護しておるとすれば、これは外務省に関連の事項である。これを通知するのが国際的信義であります。その信義を守つたか守らなかつたかということが、私は重大なるポイントになると思いますから、どうぞこの点に特に交渉の重点を置いていただきたいと思います。
  793. 伊関佑二郎

    ○伊関政府委員 講和後の鹿地氏の拘禁になるかどう冷あるいは保護になるか、これにつきましては、私の方は何らの通報を受けておりません。国警長官の方も通報を受けておられないようでございますので、この点はどう見ましても手落ちであつたということは向うにすでに十分申しております。
  794. 田嶋好文

    田嶋委員長 後藤義隆君。
  795. 後藤義隆

    ○後藤委員 ちよつとお伺いしますが、外務省の方から、渋谷の代官山に鹿地が移つた後のことについて何か照会してありますかどうですか。
  796. 伊関佑二郎

    ○伊関政府委員 逮捕されましてから十二月七日に帰宅するまでの間全体について照会いたしております。
  797. 後藤義隆

    ○後藤委員 きよう初めてこれは鹿地の証言で明らかになつたことですが、代官山に移つてから、今度は沖繩の方に飛行機で連れて行かれて、そして代官山の方にまた連れて来られたというようなことを鹿地が証言したのですが、はたしてさようなことがあつたかどうか。あつたとするならば、何ゆえにさような挙に出たかというようなことも重ねてアメリカの方に照会してもらいたい。希望を述べておきます。
  798. 田嶋好文

    田嶋委員長 猪俣浩三君。
  799. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 今同僚委員諸君からも発言がありましたが、私どもははなはだ不可解なる感じを持つものであります。どうも外務省と国警とが協力してスパイ事件を誇大に放送して、そうしてこの不法監禁事件を消そうとしているのではないか、あなた方はそうでないとおつしやるけれども、私のふに落ちないことが多々ある。きのう、ある新聞の記者が二人私のうちに見えまして、鹿地がゾルゲ事件関係があるがごとき報道をした。それで私は憤激したのであります。そうすると、われわれもかようなことは希望しなかつたのであるが、デスクでやつた、それは外務省から頼まれてやつた、さようなことを言うのであります。私は今ここに新聞名前、記者の名前を言いませんが、場合によつては出します。あなた方はさようなことをやつておるかおらぬか、御答弁願いたい。
  800. 伊関佑二郎

    ○伊関政府委員 私は全然存じません。
  801. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 それではあとでそれを明らかにします。その記者が私はでたらめのことを言うたのじやないと思うのでありますが、それはそれといたしておきます。  このアメリカ側の発表というものは、私どもは実に日本を侮辱したものだと思うのであります。これだけの輿論を喚起している大問題について、実に簡単きわまる報告をやつておる。さすがに外務省もこれを発表できないで握つていらつしやる。その気持はわかるのでありますが、一体彼らが言うた通りの事実といたしまして、何らかのスパイ事件があつて逮捕した。しからばそれはいかなる機関のいかなる人間が逮捕したのであるかを突きとめてお聞きになつたかどうか。これをお伺いしたい。
  802. 伊関佑二郎

    ○伊関政府委員 私がこの事件関係があると私の頭で考えたことは、全部照会して調査を依頼しております。ですからその点についてももちろんあれしております。
  803. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 そうするとさようなことについても回答がなかつたわけですか。
  804. 伊関佑二郎

    ○伊関政府委員 結局大使館としましては、全部の姿を、全貌を明らかにしてはつきりしたものを回答したい、こう申しております。
  805. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 それはいつごろまで回答するという約束になつておりますか。
  806. 伊関佑二郎

    ○伊関政府委員 私の方はできるだけ早くと申しておりますが、期限は切つておりません。先ほどもお話がございましたが、関係者の一部には本国に帰つた者もおる、そういう点もありまして、多少調査が遅れるということを申しております。
  807. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 そうするといつ回答があるかわからない。ところがスパイ事件の方は毎日放送されている。そのスパイ事件については、向うからいかなるスパイをやつたということで逮捕したかということをお聞きになりませんか。
  808. 伊関佑二郎

    ○伊関政府委員 これは先般の中間回答の中にもその点は多少述べておりまして、共産主義者の諜報団――スパイ・リングと申しております――のために働いておつた、それで逮捕した、こういうふうに書いております。
  809. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 行政協定に伴う刑事特別法の第十四条というものがありますが、これをあなたの方ではどう理解されておるか、行政協定により合衆国軍事裁判所が裁判権を行使する事件であつても、日本国の法令による犯罪については、日本の警察権が及ぶ、捜査ができるのだという規定があるのでありますが、それに基いてわが警察権によつてこの被疑者と思われる者を捜査するということができるはずだと思うが、さようなことについて交渉なさつたことがありますか。
  810. 伊関佑二郎

    ○伊関政府委員 まだそういう交渉をする段階に参つておりません。
  811. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 段階に参らないということは妙だと思う。もう段階は終つている。いつその段階が来るのです。
  812. 伊関佑二郎

    ○伊関政府委員 両者の言い分が異なつておるわけでありまして、私の方としましては、アメリカ側から詳細な回答を得まして、それで国警その他と御相談しまして、ここで初めてそうした捜査が必要になるということになろうと思います。
  813. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 私どもは、日本の法律による違反なんだから、こちらから積極的にアメリカ大使館に交渉して――私はこの十四条は交渉しなくてもできると思う。まあ外交辞令として交渉するのもいいでありましようが、私はそれまでもしておらぬということに対してははなはだ不満であります。その意味において外務省が弱腰だという批評が出ている。そうして彼らのスパイのために逮捕したのだということだけを熱心にやつておる。これは私は均衡を失していると思います。しかしこれは今あなたを責めてもしかたがない。しかたがないのですが、この十四条に基きまして、向うがこういうふうにいつまでたつても返事を延ばしておるとするなら、積極的に交渉を開始する御意思はありませんか。
  814. 伊関佑二郎

    ○伊関政府委員 私の方はいろいろと外務省としても知りたいので、今までは向うに事実の調査を依頼しておつたのですが、本日になりまして、国警当局から警察で調べました結果に基いてこうした点を調査してほしいという書類も参りました。これも向うにさつそく届けておりますが、これらに対します返答が来ました上で次の段階を考えたいと思います。
  815. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 私は齋藤国務長官にちよつとお尋ねしたい。新聞紙の伝うるところによれば、あなたは鹿地亘を召喚して取調べるというようなことを発表しておるが、いかなる犯罪の嫌疑によつて召喚してお取調べになるのか、明らかにしていただきたい。
  816. 齋藤昇

    ○齋藤(昇)政府委員 私は召喚をして取調べをいたすという発表をいたしたことはございません。ただ現場の方で、いろいろな新聞記者の方々の取材から、そういう記事が出たのであろうかと考えます。しかしただいまの段階では、召喚をするかしないかはわかりませんが、警察機関において尋問はしなければならない段階が近づいておるということを申し上げます。
  817. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 しからばその尋問は刑事訴訟法による被疑者としての尋問であるか、ただ参考人として事情を聞くという程度のものであるか、どちらですか。
  818. 齋藤昇

    ○齋藤(昇)政府委員 ただいま検察庁側と協議をいたしております。被疑者として取調べるか、あるいは参考人として尋問するか、ただいま協議中でございます。
  819. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 なおお尋ねしたいことは、スパイ罪というものが現在何かの日本の法律にあるか、処罰している事例がありましようかどうか、承りたい。
  820. 齋藤昇

    ○齋藤(昇)政府委員 スパイ罪と申しますか、そういつたものはございません。御承知のようにただいまでは、いわゆる駐留軍の機密を諜報した者に対する刑事特別法がございますが、それ以外にはございません。ことに鹿地氏の事件は、この刑事特別法の制定せられる以前の事件でございます。従つてそのものといたしましては、政令三百二十五号は罰則は残つておりますが、しかしこれによつてやるかやらないかということはまだきめておりません。少くとも三橋の電波法違反被疑事件、これに関連をいたしまして調査を進めたい、かように考えております。
  821. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 しからば三橋の電波法違反事件、これに鹿地がかりにレポを勤めておつたとして、電波法のいかなる規定に違反するのか、明らかにしていただきたい。
  822. 齋藤昇

    ○齋藤(昇)政府委員 三橋をしてそういう方法で電波を発せしめるという意図があるということが明瞭になれば、あるいは共同正犯になるかもしれません。あるいは誓助になるかもわかりません。また事件と関連して証人としてという場合も考えられるのであります。これは三橋がだれに命ぜられて、そしてどういうものをどうして打つてつたかということを明瞭にする必要がありますから、その点でやはり取調べは必要たと思つております。
  823. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 そうすると、電波法の違反になるかどうか、それもわからぬ場合においては、ただ参考人あるいは証人だというような程度であると今見えるのでありますが、さような場合におきまして、あなたが、鹿地がこの三橋の電波法違反――新聞はこれをスパイと言つておりますが、スパイ問題について関連があるということを国会で証言なされたのは本月の十一日、三橋が身の危険を感じたと言つて国警へ飛び込んで行つたというのは九日です。爾来まだどれだけのつながりがあるか、参考人で呼ぶのであるか、証人で呼ぶのであるか、被疑者であるのか、それさえわからぬというのに、鹿地の名前をいち早く出され、しかもなお同じような関係のものは二、三人あると称しながら、その名前は一切出ていない。私はここに異常性を感ずる。こういうようなスパイであるとか何とかいう問題は、複雑怪奇の問題でありまして、いかなる場合におきましても、相当長期間の捜査をし、相当の証拠をつかんだ上でなければ、これは公表されないはずなんです。しかるに現在まだ被疑者であるか、参考人であるか、証人であるか、それさえ決定できないような者に対して、いち早くその名前を発表されたのはいかなる御趣旨でやつたのであるか承りたいと思います。
  824. 齋藤昇

    ○齋藤(昇)政府委員 先般の法務委員会で、鹿地氏とのつながりがあるかどうかという質問答えまして私は申し上げたのでありますが、ことさらに鹿地氏の事件三橋に結びつけるために宣伝をいたすという考えは毛頭ございません。
  825. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 私どもは鹿地が今不法監禁で問題になつているがゆえに、なおさら鹿地の名前を出すことは最後であらねはならぬと考える。あなたはその他のことについては、何を聞いても答弁なさらなかつた。しかるに鹿地の名前だけいち早く出された。もし何ら他意ないとするならば、はなはだぼくは不謹慎だと思う。これがために鹿地がどのくらい迷惑をこうむつているかわかりません。あるいはさようなレポをやつたかもしれぬ。しかし日本の国法において、それだけでこれを処罰することは困難である。電波法違反の幇助とか共犯とかいうことにならねばなりませんが、それには少くとも一応鹿地を調べて、鹿地の言い分を聞いた上でなければ、疑いさえかけられないはずである。かような複雑怪奇な捜査事件を、鹿地の一片の弁明も聞かずして、これを公表なさるということは、一体さような事例が過去にあつたでしようか、私どもは寡聞にして聞いておらぬ。九日に来たのでしよう、そこでそういう事実が初めて出て来たと称し、十一日にこれを公表する、同じようなスパイ事件を織り込んだアメリカ大使館の発表が同時に行われた、しかも伊関局長は、国警は確認しましたといつて法務委員会に報告になつたあとから取消されたけれども、鬼の首でも取つたような態度で報告された、この一連の関係において国民は相当の疑惑を持つています。私どもはあなた方の態度にはなはだ遺憾の意を表さなければならぬ。爾来鹿地のところにはいろいろな脅迫やいろいろなおどかしが参つておる。ですから今日においても非常に恐怖を感じ、これは政府がアメリカ政府と共同して大衆をあおり立てて、何らかの暴力によつて鹿地を抹殺しようとするんじやないかというような非常な恐怖に襲われている。もしさようなことがありましたならば、わが国警長官は殺人罪やなんかの因果関係が出て来るんじやないかとまでも私は考えます。(笑声)どうもさような不可解な態度でありますが、しからば鹿地以外になお二、三人ある者の氏名をあげていただきたい。だれとだれです。
  826. 齋藤昇

    ○齋藤(昇)政府委員 先ほども申します通り、鹿地氏の名前がどうしても出て来ざるを得ないのは、アメリカ大使飢側においても、鹿地氏はこういう理由で逮捕したということを発表せられました、それ以来委員会あるいはその他においても、鹿地氏と三橋のつながりはどうかどうかということを要れますので、従つて私はこれはただいままでの程度においては申し上げざるを得なかつたのであります。この点は御了承を願いたいのであります。しかしながら先ほどから申しますように、三橋の問題、それからことに鹿地氏との連絡の問題、これは捜査中でありますので、捜査が完了しなければ、確実であるとは申し上げられません。ただいま過程中であると申し上げたのであります。しかしその印象はどうかというお尋ねでございましたから、少くとも三橋事件は、相当裏づけがある。その後の鹿地氏とのつながりにおいても、裏づけの捜査において、どうも黒いという印象であると、これはお尋ねがございましたから、申し上げたのであります。他に直接関係をいたしますものといたしましては、ただいまどこにもまだ名前が出ておりませんので、これを申し上げたくないと思います。
  827. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 あなたが発表できないというのは了とするのです。他人の名前は一切発表できない、捜査中だと言いながら、鹿地の名前だけはいち早く発表された、そこに私どもは疑義を持つことをあなたに申し上げておく。  そこで三橋の電波法違反嫌疑というのは、電波法の第何条でございますか。
  828. 齋藤昇

    ○齋藤(昇)政府委員 第四条でございます。それに基く罰則は第百十条であります。
  829. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 第百十条はたくさん書いてありますが、この百十条の中の第何号でございますか。
  830. 齋藤昇

    ○齋藤(昇)政府委員 第一号でございます。「第四条第一項の規定による免許がないのに、無線局を運用した者。」
  831. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 そうしますと、免許がないのにかかわらず、無電を運用したということですが、一体これにレポを渡したというようなことが、何か関係が出て来ますか。運用とは一体どういうことなんだ。三橋という男は、そういう無電局を設けて放送をやつてつたかもしれぬ。但しそれに何らかの案文を渡して放送を頼んだと仮定をいたしましても、それがこの無電局の無断設置という第四条違反に当てはまるというのは、一体どこから出て来るのです。
  832. 齋藤昇

    ○齋藤(昇)政府委員 免許がないということを知つておりながら、この無線局を運用さしたということになれば、やはりそういう関係を持つ、かように考えております。
  833. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 そうすると、レポを渡したというだけでは犯罪にならぬが、その渡された男が無電を持つてつて、その無電でもつてどこかへ連絡すると思うことを知りながら渡したとすれば犯罪になる、こういうのですか。レポを持つているものがレポを渡せばすぐそれが犯罪になるという意味なんですか。
  834. 齋藤昇

    ○齋藤(昇)政府委員 ただ単にレポを渡しただけでは犯罪にはなりません。
  835. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 しからばさようなことは人間の意思解釈があるわけなんです。そういう認識を鹿地が持つてつたかどうか、鹿地を調べなければどうしてわかるのです。しかるに三橋が違反だということで、かりにアメリカが無理に書かしたその自供書を事実なりとしても、それからすぐ鹿地が共犯になるなんということは出て来ないはずだ。鹿地の意思を聞かなければならない。さようなことをあなたがただちに関係があるごとく言つて発表なさるということは、どういうことなんですか。
  836. 齋藤昇

    ○齋藤(昇)政府委員 ただちに関係するとは申しておりませんので、そういう容疑もある。しかしこれはただいま検察庁と打合せ中で、どういう方法でやるかということを打合せ中だ、かように申しております。そういう意思を持つておるということをまだ断定はいたしておりません。
  837. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 ますますもつて奇怪だと思うのです。日本人国民性としてスパイなんということに対して非常に敏感なんです。あれは東條内閣時代の印象が日本人にまだ残つておる。人権蹂躪問題なんかよりも、スパイ罪の問題が出て来たら、そつちへみんな傾いて来てしまう。スパイをやつたようなやつはくびり殺されてしまつたつてしようがない、こういうような意見の人が出て来るのであります。私はその日本民族の精神的盲点をあなた方はついたのだと思う。今承れば、人聞は疑えばいかなることも疑えるので、風が吹けばおけ屋が喜ぶという論理までも出て来ます。しかし問題のこの人に対して、さような薄弱な根拠でもつて、すぐこれを発表するということは、私はどうしてもとれない。何かあなた方の背景に何らかのもくろみがあるとしか思えないのですが、これはしかし輿論に訴えて、輿論の判断をまつよりしかたがない。今ここであなたとやつたつて水かけ論になる。しかし私ははなはだ奇怪な態度だと思うのです。鹿地という人が問題の人でなければいい。問題の人である際に、まるでアメリカの処置を当然とするがごとき印象を与えることを国警入ずから乗り出してやつておる。そうして不法監禁の事実についてはこの行政協定の刑事特別法の十四条の発動も何も考えておらぬ。ただスパイスパイということばかり言つておる、こういうことはわれわれの生命、身体の安全を保護する立場じやないと私は思うのであります。はなはだ遺憾に存ずる。ですから鹿地の奥さんが警察は信頼できなかつたから届出ができなかつたという証言を裏づけるような態度になるのじやないか、私どもはそういうふうに思うのです。日本の国家警察なんというところはただちにアメリカ側の体面を立てることばかりを考えてやつているやに私どもは考えられます。私はスパイ罪ないということは犯罪でもない。そこでお聞きいたしますが、一体電波法違反問題はたくさんあるということを今監理局長がおつしやられましたが、一体その処罪はどういうことになつておりますか、それらの処罰に対して逮捕監禁して、そうしてこのくらい大騒ぎなんということをやつたことは、一体何件ありますか承りたい。
  838. 齋藤昇

    ○齋藤(昇)政府委員 電波法違反の取扱いにつきましては長谷長官からお答えがあると思いますが、私の聞いておりまする範囲におきましては外国とこういつた秘匿された方法で電波の交流を持つていたということは、私の知つている限りでは今度が初めてであると思う。今までにありましたアマチユアがやつていたというのとは事情を非常に異にしておると考えます。
  839. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 なおこれも新聞の伝えるところでありますが、さつきあなたが申された何とかいう波長に合せて相手を呼び出してみたところが出たというのは、それはいつの試験ですか。
  840. 齋藤昇

    ○齋藤(昇)政府委員 十二日の夜半でございます。
  841. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 そうするともう鹿地事件なるものはそのままに世界に伝播せられております。たといこの怪電波の先がソ連、中共なりとして一体十二日にそんな試験をやつて、それがどうもうまく向うが誘いに乗つて出るとか、向うが三橋に対して誘いかけて電波を送るということは、われわれ常識上考えられない。しかもソ連の機関紙には大大的に報道せられている。そういう以後においてさような試験をされたことが正確なものであるかどうか。私どもはしろうとでわからないのですが、もし新聞にソ連、中共と三橋とが何かのそういうスパイ的な電波のやりとりがあつたとしましても、これはもう向うが非常に注意するでありましよう。一体さようなことはあり得るものでありますかどうか、所見を承りたい。
  842. 齋藤昇

    ○齋藤(昇)政府委員 十二日には向うの呼出し符号が予定の通り盛んにあつたのでありますが、こちらの応答ができなかつたのであります。十五日の夜半も予定になつておりましたから、そのときもあるであろうかというのでやつたのでありまするが、十五日には向うからは何の応答もなかつた。従いまして十二日にこちらから応答ができなかつたということによつて向うは察知をしたであろうかと、かように判断をいたしております。
  843. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 一体それは相手というのは外国であるとおつしやつたが、どこら辺だということはわかるのですか。
  844. 齋藤昇

    ○齋藤(昇)政府委員 あまり申し上げまするとまた先ほどのようなおしかりのようなことに私はなるじやないかと思うのでありますが、大体これはウラジオ方面ということになつている。
  845. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 そこであなたに常識上判断していただきたい。鹿地事件が発表されたのは六日の全国の新聞であります。しかも鹿地がもうすでにどこかへ軟禁されているというような報道は週刊朝日にも出て来ている。それは十一月中である。しかも怪文書なるものが出たのは九月中であります。しかるにもしすでにウラジオ、ソ連という相手があるものとするならば、それまで何も知らないでぽかつとこつちを呼び出すというようなことはあり得ましようか。私は常識上考えられない。
  846. 齋藤昇

    ○齋藤(昇)政府委員 ずつとあつたものと考えます。先ほども申しまするように、電波監理局の今までの記録にもそういうものが現われているところを見ますると、このことが続いておつたと考えられます。ただ鹿地氏が逮捕をせられましてしばらくの間は中断をさせられておつたものであります。
  847. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 この三橋はアメリカの何らかの機関によつて、シベリアから帰つて来たときにスパイの嫌疑をかけられて調べられたことがあるそうですが、その事情を御説明願いたい。
  848. 齋藤昇

    ○齋藤(昇)政府委員 本人は、いつかそういう調べを受けたという自供をいたしております。
  849. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 いかなる機関で調べを受けたわけですか。
  850. 齋藤昇

    ○齋藤(昇)政府委員 いかなる機関でありましたか、私ははつきり覚えておりません。本人も機関の名前をあげましたかどうか、私ただいま明らかにいたしておりません。
  851. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 それはかんじんなところなんだがな。それはおわかりにならない。それから三橋というのは家を新築したそうですが、その資金はどこから出たかをお調べになりましたか。
  852. 齋藤昇

    ○齋藤(昇)政府委員 本人は某国の大使館からもらつたと……。
  853. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 その家を新築した時期と、アメリカの何らかの機関によつてスパイ嫌疑で調べられた時期と、どういうことになりますか。
  854. 齋藤昇

    ○齋藤(昇)政府委員 家と建てた方は後になつております。
  855. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 そうすると、あなた方それをふしぎに思いませんか。アメリカのスパイ容疑で調べられた――この実情もあとで私どもは国会に明らかにしたいと思うが、相当の厳重な調べである。そうして彼を放したのです。しかるにその後、某国というのはあなたはどこをさすのか知らぬが、それがソ連、中共だとするならばりくつが合いません。その某国というのはアメリカじやありませんか。
  856. 齋藤昇

    ○齋藤(昇)政府委員 アメリカではございません。
  857. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 そうすると私どもの常識ではどうも首肯できません。アメリカのそういうスパイ嫌疑でもつて調べる方法というのは、相当峻烈をきわめている。それは幾多の材料がある。そうして忠誠を誓つた者を放してやつている。三橋はそういう経験を得ているのです。その人間が、某国から堂々と金をもろうて家を新築し、無電機械をすえつけてやるなどということは、よほど剛胆な徹底的な人物でないとできませんよ。三橋という人物はそんな英雄でございますか。
  858. 齋藤昇

    ○齋藤(昇)政府委員 さような英雄とは存じませんが、特別な性格の持主であろうかと考えます。
  859. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 私はその辺の事情をよくお調べ願いたいと思うのです。あなた方は二重スパイのような放送をしておるけれども、ぼくらのちよつと調べたところによれば二重スパイじやありません。アメリカに締められた後はアメリカのスパイになつておる。またアメリカの何らかの機関によつて締めつけられた後に、彼が堂々と家を新築して反対側のスパイをやるなんということは普通の人間にはできません。だから私は英雄だと言つたのです。英雄であるか、豪傑であるか、それはとてもおそろしい人物でなければならぬが、われわれの聞くところによれば、三橋というのはさような人物とは思われない。何となれば、スパイをやるだけの豪傑が警察へ保護を求めて行くなんということは、間諜Xにとつては歴史上ないことじやないかと思う。そんな人物が一体そういう芸当ができるか。そういうことに対して、あなた方は疑惑を持つてお調べになつたかならぬか、それをお聞かせください。
  860. 齋藤昇

    ○齋藤(昇)政府委員 先ほどスパイの容疑でアメリカ側に調べられたと私申したかと思いますが、スパイの容疑ではなくて、ソ連抑留中の事情について聞かれたということでありましたので、その点は訂正をいたしておきます。しかし本人がある特定の国に忠誠を誓つてスパイをやるという誓約をいたしました場合に、その誓約に反した行動をしたということが明らかになつた場合には、どういう処罰を受けるかということは、私は非常に敏感であろうと考えます。従いまして三橋氏が今回さような非常に恐怖の念を持つて来たということは、私は考えられることではないかと思うのであります。しかし一面ただいまお尋ねのような、あるいはこれは何らかの仕立てられたものではないかという面も考えなければなりません。当初から私は厳重に一々の材料をむしろ反対的な目をもつて検討をするようにということを強く言い渡し、絶えず私もその目をもつて検討をいたしておるのであります。その点は御了承いただきたいと存じます。
  861. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 その態度は了といたします。今言つたように、仕立てられた疑いも十二分にあるのであります。それだのに、あなたの方が鹿地の名前をいの一番に出されたことは、繰返し私どもは遺憾に存じます。しかしこれはもうおつしやつてしまつたのだからどうしようもない。今後私は新聞発表についても御留意願いたい。毎日のように、三橋スパイ事件に鹿地関連あり、警察は確信を持つておるというような報道がされておる。これはあの今心身ともにしいたげられておりまする人物にとりましては、気の毒な状態であります。そうして脅迫文は舞い込む、売国奴といつてののしられる哀れな状態であります。そうしてまつたくの無一物の状態スパイをやつた人間なら、相当の蓄財がなければならない。着のみ着のままで、シヤッさえありません。そういうときに、またスパイスパイといつてはやし立てられる。そうして一人の人間がようやくにして助けられたのに、今度は世間的に葬られるというような原動力を国警がつくり出しているというふうな印象をわれわれは受けるのです。承るところによれば、まだ何らの嫌疑をかけられる大した材料もないのに発表されましたことははなはだ遺憾に存じます。  なお法制局長官に承りたい。
  862. 田嶋好文

    田嶋委員長 法制局長は今病気中でございまして、次長の林君が出て来ておりますから、そのつもりでお尋ねを願いたいと思います。
  863. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 法制局に伺いたいのですが、行政協定に伴う刑事特別法第十四条、これは合衆国に裁判権のある合衆国の軍人、軍属に対しても、日本の法令に違反した罪の嫌疑がある場合には、日本の検察官、警察官は捜査権が発動できる、こう解釈しますが、法制局の御解釈はいかがですか。
  864. 林修三

    ○林政府委員 今おつしやいました通り、この刑事特別法十四条は、日本の法令に違反した場合におきましては、駐留軍の将兵といえども捜査権がございます。ただ問題といたしましては、その捜査の内容でございますが、これはまた行政協定の十七条に、たとえば施設、区域内の捜査のこととか、あるいは駐留軍の使用する財産についての捜査の方法とか、こういうことについての一定の制限はございますが、捜査権は持つていると存じます。
  865. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 もしアメリカの大使館が発表したるがごとく、鹿地を抑留しておつた者がアメリカの民間人であるとすれば、わが国の裁判権がこれに及ぶものであると思うが、所見いかん。
  866. 林修三

    ○林政府委員 これは一般の民間人で、いわゆる国際法上の治外法権なる特殊の特権を持つておらない者であります限り、当然さようなことであろうと思います。
  867. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 逮捕した者及び監禁した者がアメリカの軍人である、しかし、その監禁した場所は、日本の民間人の家を民法の借家契約によつて借りた場所であつたという場合におきまして、その家屋の実地検証なり捜査権は、私はただちに発動できるものと思いますが、いかがですか。
  868. 林修三

    ○林政府委員 これは刑事特別法第十三条の規定がございます。合衆国軍隊の使用する施設、区域内におきまする捜索につきましては、合衆国軍隊の権限のある者の承認を受けて行う、あるいは先方の軍隊の権限のある者に嘱託して行う、かようになつております。また合衆国軍隊の財産につきましても、同様な規定になつております。それから区域にあります合衆国軍隊の要員の身体、財産につきましては、同条の第二項に規定がございますが、前項の場合と同様になつておりまして、やはり嘱託をするか、あるいは先方の権限ある官憲の承認を得て行う、かようになつております。ただ第二項には但書がございまして、いわゆる現行犯である場合と、その特殊な例外規定は行政協定の十七条を受けまして、但書で、被疑者を逮捕するために捜索する場合、逮捕の現場で差押え、捜索もしくは検証する場合、かような場合にはそういうことなしに検証、捜索をすることができることになつております。
  869. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 今あなたの解釈によると、不法監禁事件に関する限り、日本の警察、検察庁はこの行政協定に基く刑事特別法の趣旨に従つての活動を何にもやつておらぬとわれわれは考える。あちら様だと腰を抜かしてしまつているのではないか。私はその点に対してもはなはだ遺憾でありますが、別にあなたを責めるのではありません。あなたの解釈からいえば、今の鹿地事件でもできる場合が多々ある。しかるにあちら様については何らの捜査権を発動しておりません。これは私ども遺憾だと思います。なおお尋ねいたしますが、この不法監禁事件関係いたしました光田とか川田とか、あるいはその他の諸君を国会に呼んで事情を聞くというようなことは、法制上許されることですか、許されませんか。
  870. 林修三

    ○林政府委員 実は今おあげになりました光田その他の人の資格がどういうものでありますか、私、詳しくは存じませんが、大体、場合を二つにわけて考えてみたいと存じます。一つはこれが駐留軍の構成員である軍人、軍属である場合でございますが、これは国際法の原則の解釈の問題に相なると存じます。一般の国際法の原則におきましては、適法に駐留を認められました軍隊の構成員は、特殊の特権を持つておるわけでございまして、刑事、民事の裁判権についても、特殊の特権を持ちますし、また、こういうふうに強制権をもつて証言をさせられるということにつきましても、特別な条約等がない限りは、やはりそういうことを強制されないという特権を持つておるものであろうと考えておるのであります。もちろん本人が承諾いたしますれば別問題でございますが、強制権をもつて証言を求めるということは、国際法の原則からいえばできないのではないかと考えております。ただ、刑事事件、民事事件証人等につきましては、御承知のように行政協定の十八条の中にも特殊な協調規定がございます。これを受けまして、刑事特別法なり民事特別法ができておりますが、かような事件につきましては、その認められた範囲におきまして証言を求めることはできると存じますけれども、国会において証人として証言を求めるということは、これは刑事事件でも一般の民事裁判事件でもございません。従いまして、やはり、国際法の原則に従いまして、かりに今おあげになりました人物が駐留軍の将兵であるという場合にはできないと申し上ぐべきではないかと存ずるわけであります。ただ、これは身分が違いますれば、また別問題であろうと思います。
  871. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 岡原刑事局長が出ておりますから、ちよつとお尋ねいたしたいのですが、この鹿地の不法監禁事件に関しまして、それに関連いたしましたる光田、川田、高橋あるいはG大佐、キヤナンを鹿地が告訴いたしましたらば、検察庁はいかなる取扱いをなさいますか。
  872. 岡原昌男

    ○岡原政府委員 検察庁といたしましては、事件の告訴がございますると、一応受理いたしまして事件として立てるわけでございます。ただいまも御指摘の刑特法の十四条にのつとリまして、一応捜査権はございますから必要と思われる程度の捜査をいたしまして、そこで判断をあちらにまかすために事件を移送する――と申しますか、法律的に正確な移送ではございませんが、さようなことになろうかと存じます。
  873. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 そうすると、川田とか高橋とかいう人間が今軍人をやめて民間人になつておる場合には、われわれが告訴したらどうなりますか。キヤナンという人は民間人になつたのではないかと思うが、そのアメリカの住所もちやんとわかつている。そのアメリカの住所を表示して告訴しましたら、どういう手続になりますか。
  874. 岡原昌男

    ○岡原政府委員 ただいま身分につきまして、たとえば現在普通のシヴイリアンになつてつたらどうかというお話がございましたが、その点につきましては、もしさようなことになつて私人としての行動でございますれば、もちろんわが方に裁判権もございまするし、捜査権はいずれにせよわが方にあるのでございますから、必要と思われる手続は普通の刑事訴訟法にのつとつて全部やれるわけでございます。
  875. 田嶋好文

    田嶋委員長 その場合、今の鹿地君の言葉から出ている相手方の二世という人は、今日のところ各方面の証拠それから陳述を聞いておりましても、まだ軍人か、軍属か、一般人かということがわかつていない。明確にできない場合はどうするのですか。こちらからもう民間人として認定して、捜査権を発動してやることはできないのですか。そうしてそれが軍人だとわかつたときは、どういうような手続をとるのですか。
  876. 岡原昌男

    ○岡原政府委員 大体検察庁におきましては、その当人に対して裁判権があるかないかということは、決定的に重要な事項でございますからして、手を尽してもちろん調べはしなければならないと思います。但しただいま委員長から御指摘のように、あるいは手を尽して調べたけれども、結局わからぬというような場合もあろうかと存じます。さような場合におきましては、わが方において起訴するもあえて妥当ならずとの非難は受けないものと私は考えますので、さような場合においてはこれを起訴すべき案件でございましたら起訴してさしつかえない。但し後日これがはつきりいたしました場合には、そのいずれかに確定できる、かようになろうかと存じます。  それからもう一つ、特に御追究がありませんのではつきり申し上げませんでしたが、こういう場合があると考えられます。それは犯罪当時におきましては軍の身分を持つてつたけれども、その後民間人に下つたというような場合でございます。この場合におきましては、行政協定並びにこれに基く刑事特別法はただちには乗つて来ないのでありますが、例の軍人あるいは軍属が軍の行動としてやつた場合の国際公法の一般の原則がこれにかぶつて参りますので、その趣旨のもとにおいて処理することになろうかと存じます。
  877. 田嶋好文

    田嶋委員長 そこでもう一つ聞きますが、まだこの事件に対して、軍人か軍属か、シヴイリアンかいずれかは、外務省が向うに交渉しているが相手方の返答がないのでわからないような様子なんですが、この場合わからないで済ますことはできないと思うのです。もしそのままアメリカが回答して来ないような場合には、日本政府としては今日からそれに対する用意はありますか。その問題に関連するのは、おそらくこれはほうつておくと、鹿地君の方からは今猪俣さんの言うように告発状が出るかもしれない。告発状が出た場合のことを考えて行かなくちやいかぬと思いますが、どういうふうにお考えになつているか。
  878. 岡原昌男

    ○岡原政府委員 一応われわれの考え方といたしましては、積極的にその身分が証明されない限り、わが国において犯された犯罪はこちらに裁判権がある、かような建前をとつてさしつかえないものと存じます。
  879. 林修三

    ○林政府委員 先ほど猪俣委員お答えいたしました点につきまして、私どもはその後御質問がございませんでしたので、ちよつとはつきりさしておきたい点がございます。この国会における証人喚問のことでございますが、先ほど申しましたように、条約上認められました駐留軍の軍人、軍属、構成員につきましては、特別な条約等の規定がなければ、強制力をもつて証言を求めることができないのではないかと申し上げましたが、これはそれでよろしいのでございますが、そのほかのステータスを持つている場合でございます。一般民間人の場合はもちろん問題はございませんが、ただこれが軍人、軍属ではなくして先方の政府の公的機関の職員である、いわゆる一般の官吏あるいは公務員であるというような場合にどうかという問題でございますが、これにつきましてはただいまこれらの者が当然国際法上の特権を持つということははつきりした根拠はございません。これはおそらく今までの慣例を見ますと、やはり本人の承諾をもつてやるということが国際礼譲上認められるところではないかと思います。
  880. 田嶋好文

    田嶋委員長 この場合猪俣君にお尋ねいたしますが、鹿地君に聞こうと思つて聞くことを忘れたのは今の点なんです。鹿地君自体がなぜ告発をしないかという点が一つのふしぎになつて来るんですが、あなたは鹿地君の担当弁護人としてその点はいかようにお考えになつておりますか。委員会にお考えを承つておきたい。
  881. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 実はそれと関連いたしまして、沖縄へ連れて行かれたというような重大なこともあつて、今まで出さなかつた。そこで、相当それはおかしいじやないかという御疑念はもつともだと思うのでありますが、最初八日の日に「私は訴える」という声明書を書きまして、この全文を法務委員会へ出してもらいたいと言つたのを私の方のさる知恵で二、三行抜けたところがある。これはどういうところであるかと申しますと、ソ連のスパイをやつておるうちにつかまつたということを承認し、アメリカ政府に対して損害賠償しないということを承認せよ。それを条件に釈放されたということが書いてある。そこでそれを私は抜いて発表したのであります。それは私の意見でもあり、鹿地もそれに同調したのでありますが、とにかく命は助かつて来ている。アメリカ側が事実を率直に認めて、これはどうも間違つてつた、今後かようなことはいたしません、という日本政府に対して謝罪をするとともに、将来の保障をいたしますならば、こういうあまり日米の感情を悪化させるような、あるいはまた反米的な態度をとつている人たちにいい材料を提供する、こういう態度はしないでしようというような実は気持であつたわけです。いま一つはごらんの通りの身体の状況で、長い間の質問になかなか耐えかねる。そこで最初の十日の日は、医者が鑑定した二十分という条件付で、これは委員長に私は申し上げたのでありますが、そういう二十分間でしやべるとするならば、かんじんの不法監禁の全部を詳しく言うて、あとスパイ事件なんということは、これはなかなかめんどうな問題であつて、長い間説明しないと事情は明らかにならぬのであるから、そういう問題はなるべく触れずに、そして確かに監禁せられたということだけはつきり言おうではないかというようなことで、鹿地君にもそれを私は勧めたのであります。それがまあ一時間近くになりまして、顔中からあぶら汗が出まして、二日間三十八度三分から五分くらいの熱が下りませんで、寝込んでしまいました。そこで鹿地の心境といたしましては、そういう状態アメリカ側の率直な表明を待つてつたのであるが、ところがスパイ扱いにされて、そうしてそればかり宣伝されて、しまいには保護を求めたんだ、そうして病気療養を兼ねて彼がアメリカのスパイをしたので、出るというとソ連側の何かそういう情報網の首魁にやられるという危険のために保護を求めたごとき意味アメリカ側の態度になつて来たので、そこで鹿地氏も、それならば一切のことを表明するより道がなくなるということで、本日の証言になつたので、告訴をしないということも、今申したような心情とつながりがあるのであります。そこで今日に至るまで向うが事実の真相を明らかにしないし、日本の政府もいかなる交渉をやつているのであるかきつばりわからぬ。そこで告訴しようじやないかということを鹿地君も考えて、私にも相談をしてあるのであります。そこで本日の質問になつたのでありまして、ほかの川田とか光田とかいうのは、日本内地にいるやら帰つたやら、ほとんど帰したのではないかと思われますが、キヤナンというのは先般帰りました。この住所は私の方でわかつているのであります。そこで告訴しようかというような相談を今鹿地君ともやつているのでありますが、そういう心理の経過があつて今日参りました。
  882. 田嶋好文

    田嶋委員長 わかりました。  それでは本日はこの程度にいたし、次会は、明日午後一時より理事会、午後一時半より委員会を開会することにいたします。  本日はこれにて散会いたします。     午後五時三十分散会