○田中参考人 ただいま
田嶋法務
委員長からの御要請によりまして、警視庁といたしまして、今回の
鹿地亘氏の
不法監禁有無の、警視庁として捜査いたしました経過につきまして、一応本
委員会におきまして御報告を申し上げたいと思います。
今回の
鹿地亘氏の
不法監禁に関する
事件につきましては、
不法監禁されたと認められる
場所が、川崎市並びに
茅ケ崎市及び東京都内と、数箇所にまたが
つております
関係上、地域管轄から見ますと、それぞれの担当の警察署もしくは警視庁におきまして、それぞれ分担をして捜査をするのが至当でありまするが、かようなことでは非常に不便を来しまするので、
関係者、
国警本部と協議いたしまして、一応
国家地方警察本部におきまして、
本件をとりまとめる役にな
つていただきまして、なお
茅ケ崎並びに川崎市における事柄につきましても、便宜上警視庁においてこれを捜査するという方針を決定いたしまして、一応警視庁において、
国家地方警察本部からの依頼によりまして、本捜査を実施いたしたような次第であります。
なお本捜査に先だちまして、すでに
鹿地亘氏並びに
関係の人々から、当法務
委員会におきまして、それぞれ
証言をいたしておりまするので、警察当局といたしましては、その
証言を事実といたしまして、この
証言の足らざる点、たとえば日にち、時間の問題、あるいは
場所の問題、またはその
状況の問題等で、陳述にやや不足のある点を、これを補正的に
本人から事情を聴取するという態度で臨みまして、大体におきまして、この法務
委員会における
証言内容に、これを補足的に事情聴取をしたという態度で臨んだのでございます。
今までの大要だけを申し述べますると、
鹿地亘氏外数氏より事情聴取の結果は、大体において当
委員会における
証言においてほとんど尽きておりまして、そのほかに特別に新しい事実もなか
つたのでございます。
まず捜査の方法といたしましては、全体の
事件を五つの部門によりまして、まず第一に昨年の十一月二十五日、
鹿地亘氏が逮捕せられたそのときの
状況、それから東京都内岩崎邸における
不法監禁の有無、並びに川崎市におけるT・Cクラブ内における
不法監禁有無の
状況及び第四には
茅ケ崎市内におきまするUSハウス第三一号邸内における
不法監禁の有無の
状況、それから東京都内渋谷区
代官山における村井邸内における
不法監禁の有無等の、五つの部門に区分いたしまして事情を聴取いたしたわけであります。
まず第一に、昭和二十六年十一月二十五日、
鹿地亘氏の療養先と認められる藤沢市
鵠沼地先において療養
散歩中、午後七時ごろ
鵠沼駅付近で、後方から来た
米軍用乗用車の乗員五、六人に突然暴行を受け車内に連れ込まれ、
目隠しの上某所に連行された、この事実につきましていろいろ傍証その他を捜査いたしたのでありまするが、この事実につきましては、現在のところ、目撃者その他参考人というものがほとんどありません。従いまして、この点につきましては、
本人である
鹿地亘氏の陳述を、そのまま受取るほかはないのでありますが、この点につきましては、現在のところ、これを裏づける
一つも傍証というものがございません。この点は捜査を十分いたしたのでありますが、参考人、目撃者等が、現在のところございません。
次に昭和二十六年十一月二十五日から同月の二十九日まで文京区龍岡町七番地の岩崎邸内に連行されたのであります。その当時二階一室にとじ込められ、ベッドに施錠されてつながれた上云々という陳述があ
つたのであります。この点につきまして、一応当
委員会における
証言並びに
鹿地亘氏から直接事情を聴取いたしたのでありますが、その陳述の
内容は、当
委員会におきまして陳述されたものと大体同じでございました。ただこれを裏づける何か参考人がないかというので、いろいろ物色いたしたのでありまするが、現在のところ、これを裏づける物的、人的の証拠というものがないのであります。たた当
委員会におきまして事情を聴取されました斎藤正太郎、これはボイラー・マンをしてお
つたのでありますから、このボイラー・マンが二十六年の十二月初めころわずかの期間、二階のCIC使用の部屋に病人がいたらしいことを知
つてお
つた、どうして病人がいたということを知
つているか、その
理由は、そのころ消毒液の備えつけ等があ
つたので、そのように推測した。
従つて鹿地亘氏がその当時病気であ
つた、そうしてその病人が二階にお
つたというような陳述からいたしまして、これが
鹿地亘氏ではなか
つたかというように、一応考えられるのであります。
次に昭和二十六年十一月二十九日から翌年の二十七年三月の初めごろまで、川崎市新丸十東三の千百番地、これは東京銀行のクラブであります、俗称T・Cクラブとい
つておりますが、このクラブの階下の一室にとじ込められ、内外から監視をされた
状態で取調べを受けた。十二月三日午前二時ごろすきを見て自殺をはか
つた。これは法務
委員会で鹿地質氏の陳述のあ
つた通りでありまして、この
状況につきましては、当警視庁の係官の実情聴取に対しましても、大体当
委員会におきまして陳述されたと、全然同じようなことを陳述したのであります。そこでこれを裏づけるものがないというので、いろいろ
調査をいたしたのでありまするが、これも現在のところで、コックでありました
山田善二郎君の供述からいたしまして、まず
山田君がT・Cクラブにコックとして住み込んでいる際に、
鹿地亘氏が移されて来た翌日ごろ、食事の用意をしたので、病人がだれか来たのだということを大体了知した。それからもう
一つは、自殺未遂の事故に手伝
つて、遺書を見て、病人が鹿地氏であるということを了知した。それから第三に、その後食事の持運びのために繁に出人するうち、鹿地氏の依頼で内山氏に連絡した。これによ
つて鹿地氏であることを確認いたし、また鹿地氏がここにお
つたという事実を、これによ
つて確認できるのであります。内外の見張りは厳重で出人口に常に施錠をされていた。しかも前回法務
委員会で陳述されました証吉と、ほとんど一致をいたしておるのであります。それからなお雑役として就業中の渡辺利三郎氏の
証言でありますが、これも法務
委員会の
証言を土台にいたしまして、いろいろ事情を聴取いたしたのでありますが、二十六年の十二月初めごろ、
日本人で結核の病人が来ていることを渡辺氏が聞きまして、近寄
つてはいけないということを言われたそうであります。また当時いた
光田、川田という人はCICの人だということも聞いた。それから第三には、病人が自殺を企てたということを聞いた。第四には、病人が来てから邸内に見張り小屋が新たに設けられたということを
本人は申しておるのであります。
従つてこの点につきましては、はたして
監禁されてあるかどうかということは、大体この事情からして一応考えられるのであります。それから榎本正雄という雑役でありますが、これも病人が自殺をはか
つたということを聞いてお
つたということであります。それからガードとして勤務しておりました丹羽鈴雄氏、これは二十六年の十二月中旬、尾崎マネージャーから、Xが入
つたから今晩から警戒を厳重にしてくれと言われたそうであります。また第二には、Xが病人であることを聞いて、かつ自殺を企てたということも聞いております。第三には、
光田から、病人は自殺、逃亡のおそれがあるから注意しろという命令を受けた。それから第四には、廊下のドアにはかぎがかか
つていたようであるということを陳述いたしております。それから夜間だけのガードの勤務で、福原聖道というのがおりますが、
光田から、病人が来たから近寄
つてはならない、顔もなるべく見るなということを言われたそうであります。それからなお福原は、小屋が新設されて、見張りをしてお
つたということも陳述いたしております。このT・Cクラブにおきまして
鹿地亘氏が
不法監禁されてお
つたかどうかという参考人としては、かような参考人以外にはないのであります。
それから第三に移りました
茅ケ崎のUSハウスC第三一号、これは
茅ケ崎市中島三千二番地にございまして、これは
鹿地亘氏が昭和二十七年三月の初めごろから、同年七月二十三日ごろまでお
つたようであります。この点につきましては、これはコックでありまする
山田善二郎の供述によりますと、
山田は
鹿地亘氏より一日先にここに来ていたようであります。この陳述によりますと、数日後、従来のものよりがんじようなかぎが二階廊下のドアにとりつけられた。それからその次に、その年の六月十日退職するまで、食事その他身のまわりについて鹿地氏の世話をしてお
つた。
従つて鹿地氏が
茅ケ崎USハウスにお
つた事実を確認できるのであります。それから斎藤正太郎、これはボイラー・マンでありますが、二十七年の三月初め、東京からこの
茅ケ崎USハウス三一号に住みかわ
つて参りまして、
光田軍曹の命で二階のロドアに新たに錠をとりつけた。それから第三は、そのころ病人が移されて来たが、その病人は岩崎邸にいた人物であ
つて、各国語のできる偉い人だと
山田から聞いた、こういう陳述をいたしております。
従つてこれが
鹿地亘氏であるということを、斎藤正太郎が大体了知しておるのであります。それから鈴木長松というものが、
鹿地亘氏がここにお
つたということを確認いたしております。
それから
最後に東京都内の渋谷区猿楽町五十七番地USハウス六六〇号、これは村井恒三という人の所有家屋でありますが、これにつきましては、今のところはつきりした人証並びに物証を得ておりません。ただこの家がその後進駐軍の人の接収が一ぺん解除せられまして、その後ある進駐軍
関係者の方が借りた。借りてから後に、ここへ
鹿地亘氏が移されておるということがわか
つたのであります。それからなお
鹿地亘氏がここへ連行される前に、たとえばいろいろな配電の工事であるとか、あるいはヒーターであるとか、ラジオであるとか、そうしたものを一応とりつけておりますので、これらの工事請負人その他
関係者から、その当時の
状況を聴取いたしたのであります。はつきりしたことは聴取できなか
つたのでありますが、一応配電工事をしたことを、それからヒーターをとりつけたことというようなことは、大体わか
つて参
つておるのであります。そのほかこの邸内においていかような方法で住居してお
つたかということは、結局鹿地氏の当法務
委員会におきまする
証言内容によ
つて、大体了承できるのでありまして、この点につきましては、警視庁におきまして一応事情を聴取したことと、法務
委員会における
証言と、ほとんど一致いたしております。それで結論を申し上げますと、
本件は現在のところいわゆる被害者と認められる
鹿地亘氏並びに
関係者数人について、一応事情を聴取いたしたのでありまして、
従つて捜査の常道といたしましては、こうしたことは常に
相手方の
状況等も捜査いたしませんと、ここに正しい判断に基く結論が出て参らないのであります。現在のところ御承知のように、この
相手方の
関係場者と認められる人々は、当法務
委員会における
関係者の
証言、並びに警視庁において捜査いたしましたその結果から、大体において軍人、軍属に属する人であろうということが、一応は推定できるのであります。従いまして、もしかりに軍人、軍属であるといたしましたならば、これは独立後といえども、行政協定に基きまして
相手国の裁判権が行使せられるわけでありますので、現在のところ直接
日本の警察がこれに当るということはできない建前に相な
つておるのであります。
従つて本件を十分に今後徹底的な捜査をいたしまするためには、やはり政府のしかるべき正当なるルートによりまして、
相手の警察とかもしくは適当なる機関によ
つて、これらの人々について十分に徹底的な捜査を依頼するというはかなかろうと考えておるのであります。
一応警視庁といたしまして捜査いたしました
状況だけを概略御報告申し上げた次第であります。