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1952-12-10 第15回国会 衆議院 法務委員会 第10号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十七年十二月十日(水曜日)     午前十時四十四分開議  出席委員    委員長 田嶋 好文君    理事 高橋 英吉君 理事 松岡 松平君    理事 小畑虎之助君 理事 石川金次郎君    理事 猪俣 浩三君       相川 勝六君    久野 忠治君       小林かなえ君    佐治 誠吉君       花村 四郎君    福井 盛太君       古島 義英君    星島 二郎君       松永  東君    大川 光三君       清瀬 一郎君    後藤 義隆君       長井  源君    木下  郁君       田万 廣文君    古屋 貞雄君       風見  章君  委員外出席者         証     人         (著述業)   鹿地  亘君         証     人         (元駐留軍要         員)      山田善二郎君         証     人         (書籍商)   内山 完造君         証     人         (元岩崎別邸使         用人)     齋藤正太郎君         専  門  員 村  教三君         専  門  員 小木 貞一君     ————————————— 十二月九日  委員根本龍太郎君辞任につき、その補欠として  佐治誠吉君が議長の指名で委員に選任された。     ————————————— 本日の会議に付した事件  証人出頭要求の件  人権擁護に関する件(鹿地亘関係事件)     —————————————
  2. 田嶋好文

    田嶋委員長 これより会議を開きます。  人権擁護に関する件について調査を進めます。本日は鹿地亘君の事件につきまして昨日決定いたしました通り鹿地亘君、山田善二郎君、内山完造君、齋藤正太郎君以上四名の証人より順次証言を求めることといたします。  ただいまお見えの方は鹿地さんですね。
  3. 鹿地亘

    鹿地証人 そうです。
  4. 田嶋好文

    田嶋委員長 これより鹿地亘君の事件につきまして証言を求めることになりますが、人権擁護の面より看過すべからざるものがあるとして本委員会が特に本件を取上げて調査することに決定いたしました。その趣旨にかんがみまして、本委員会調査には十分の協力を願いたいと存じます。  それではただいまより証言を求めますが、証言を求むる前に証人に一言申し上げます。昭和二十二年法律第二百二十五号、議院における証人宣誓及び証言等に関する法律によりまして、証人証言を求める場合には、その前に宣誓をさせなければならぬことと相なつております。  宣誓または証言を拒むことのできるのは、証言証人または証人配偶者、四親等内の血族もしくは三親等内の姻族または証人とこれらの親族関係のあつた者及び証人の後見人または証人の後見を受ける者の刑事上の訴追または処罰を招くおそれのある事項に関するとき、またはこれらの者の恥辱に帰すべき事項に関するとき、及び医師歯科医師、薬剤師、薬種商、産婆、弁護士、弁理士弁護人公証人、宗教またはこれらの職にある者またはこれらの職にあつた者がその職務上知つた事実であつて黙秘すべきものについて尋問を受けたときに限られておりまして、それ以外には証言を拒むことはできないことになつております。しかし、証人が正当の理由がなくて宣誓または証言を拒んだときは、一年以下の薬錮または一万円以下の罰金に処せられ、かつ宣誓した証人が虚偽の陳述をしたときは、三月以上十年以下の懲役に処せられることとなつておるのであります。一応このことを御承知になつておいていただきたいと思います。  では法律の定めるところによりまして証人宣誓を求めます。御起立を願います。  宣誓書の御朗読願います。     〔証人鹿地亘朗読〕    宣誓書   良心に従つて真実を述べ、何事もかくさず、又何事もつけ加えないことを誓います
  5. 田嶋好文

    田嶋委員長 それでは宣誓書署名捺印して下さい。     〔証人宣誓書署名捺印
  6. 田嶋好文

    田嶋委員長 これより証言を求めることになりますが、証言証言を求められた範囲を超えないこと、また御発言の際にはその都度委員長の許可を得てなされるようお願いいたします。
  7. 猪俣浩三

    猪俣委員 委員長にお願いがありますが、鹿地氏は病後長い間身体の自由を失つておりまして、その身体及び神経が非常に疲労いたしておるのであります。遊佐医師の診断によりましても二十分以上こういうような雰囲気に置くことは、非常に身体に障害を来すということでありまするので、いずれ回復をいたしましたならばいかなる長時間でもお調べに応ずるけれども、本日は二十分程度調査終つていただきたいという切なる願いでありますので、さようにおとりはからい願いたいと存じます。なおはなはだ失礼なかつこうであるが、外套を潜ることを許していただいて、それが抑留されたときの着の身着のままの姿で現われておりますので、この状態を許していただきたい、かようにお願いします。
  8. 田嶋好文

    田嶋委員長 現在の健康はいかがでございますか。
  9. 鹿地亘

    鹿地証人 現在の健康状態は……。     〔「新聞社の方出てもらわなければだめだ」と呼ぶ者あり〕
  10. 田嶋好文

    田嶋委員長 これでは尋問できない。新聞社写真班やめてください。新聞社写真班一切出てもらうことにします。  それでは尋問を始めます。陳述身体のぐあいが悪くなつた節は遠慮なく委員長まで申し出てください。本件限つて着席のままを許します。それから外套はそのまま許すことにいたします。  証人にお伺いいたしますが、まずもつて証人のお年と住所を伺いたいと思います。
  11. 鹿地亘

    鹿地証人 私は明治三十六年五月一日生れです。それから住所ははなはだむずかしいので、つかまつときは私は本鵠沼におりました。今そこはありません。家族は私が入院したり療養先に行つたりしている間に長い間離れておりまして、その間に引越しをしました。その先は今の上落合の一番地三十六です。しかし私今度出てからそこへ一旦顔を出しましたけれども、いろいろな方が急に押しかけて来てとうていからだを休めることができないと思つたものですから、私の先生にあなたの家にいないということにしておいてくれといつて遊佐先生の家に置いてもらいました。
  12. 田嶋好文

    田嶋委員長 住所はつきりしないというわけですね。
  13. 鹿地亘

    鹿地証人 そうです。
  14. 田嶋好文

    田嶋委員長 証人の略歴を簡単に述べてください。
  15. 鹿地亘

    鹿地証人 最後学校だけでようございますか。
  16. 田嶋好文

    田嶋委員長 最後学校からでけつこうでございます。
  17. 鹿地亘

    鹿地証人 最後は私は昭和二年の春に東京帝国大学文学部国文学科を出ました。それから職籍についたことはなく、作家としてずつと生活を続けて参りました。一九三四年の春治安維持法によつて逮捕されました。
  18. 田嶋好文

    田嶋委員長 一九三四年に治安維持法によつて日本官憲逮捕されたのですか。
  19. 鹿地亘

    鹿地証人 そうです。そから翌三五年の十一月に未決を終つて、その年末に公判で懲役二年執行猶予五年の刑を受けました。
  20. 田嶋好文

    田嶋委員長 懲役二年執行猶予五年ですね。
  21. 鹿地亘

    鹿地証人 そうです。それから昭和十一年の一月末に中国文学研究を目的として私の尊敬していた中国の女学者魯迅先生のところへ行きました。
  22. 田嶋好文

    田嶋委員長 それは日本でですか。
  23. 鹿地亘

    鹿地証人 上海でです。
  24. 田嶋好文

    田嶋委員長 上海渡つたわけですね。
  25. 鹿地亘

    鹿地証人 そうです。そうしてそこで戦争を迎えたわけです。私はこの戦争がアジア諸民族に非常に不幸であることを感じ、軍部の戦争政策に反対するために中国人たちと協力して反戦運動をやりました。
  26. 田嶋好文

    田嶋委員長 中国の方たと協力して反戦運動をやつたのですね。
  27. 鹿地亘

    鹿地証人 そのために日本軍官憲の警戒をくぐつて国民政府側にようやく受入れられるまでにこぎつけて約八箇月を経、三八の三月に向う行つて、それから演目に入りました。その後中国を転々としましたけれども……。要するに国民政府軍事委員会顧問という形で……。しかし私は……。
  28. 田嶋好文

    田嶋委員長 国民政府軍事委員会顧問という資格を持つたのですね。
  29. 鹿地亘

    鹿地証人 そうです。しかし私は自由に日本人の問題を私の国民的な、自主的な立場でやるという権利をずつと闘い取ることに努力し、そうして将来日本戦争終つたあとに再び元のような専制的な軍国支配に帰らないように運動するための幹部をつくりたいと思いまして、捕虜の教育とその世話をやつて来ました。
  30. 田嶋好文

    田嶋委員長 そうするとこういうことになるのですね、三八年の三月漠口行つて国民政府軍事委員会顧問なつたんだが、それは中国の機関になつたわけではないので、自分としては日本人民解放ということを常に考えて国民政府に縛られることなく、日本人民解放に向つて常に行動をとつてつたと、こういうわけですか。
  31. 鹿地亘

    鹿地証人 そうです。ですからそれはその地位によつて与えられる任務もありますが、そのことが私の国民的な自主的な立場抵抗する限りは常に私は拒否して参りました。従つてこのことは国民政府の一部では私を非常に快くなく思つておる人もおります。それで戦争が終ると、これらの組織された捕虜たちを帰してくれることを要求し、これを日本人民反戦同盟、その名前が示します通りの性格の団体をつくつたんです。その人たち国内に送り帰し、国内人民運動自分意思で自由に選んで進んでいくようにして私はわかれました。それからその団体はなくなつたわけです。
  32. 田嶋好文

    田嶋委員長 終戦後は日本捕虜を一日も早く内地に送還するような運動中国においてしておつた、こういうことですね。
  33. 鹿地亘

    鹿地証人 ええそうです。それから終戦の翌年でしたか、二十二年ですな、五月に帰国しました。以来日本民主化運動のために——しかもその民主化というものは、私としては日本人民が国民的に団結して、古い専制支配の基礎をなくして、自立した力をつくり出すように、一致した力をつくり出すようにという願い民主運動をやつて来ました。昭和——西紀で申し上げます、四八年から……。ところが非常に無理をしたために、ひどい結核に侵されて、ほとんどそういう仕事から——まあ私の仕事といえば文筆的な仕事ですけれども、十分出来ないようになつて、翌四九年に胸郭成形術東京清瀬病院で受けました。この手術は約半年おいてもう一回やりました。現在私は右側の肋骨を七本持つておりません。左の方にも現在、まだその当時から回復し切れない浸潤がありまして、これは今でもこうしておると息切れがします。二十分くらいの散歩ができるのがせいぜいという健康状態でございます。
  34. 田嶋好文

    田嶋委員長 帰国後のお住いはどこでしたか。
  35. 鹿地亘

    鹿地証人 帰国後は下落合四丁目の——番地はよく今覚えておりません。四丁目の三千何番かだつたと思います。その家から病院に入りましたから……。
  36. 田嶋好文

    田嶋委員長 藤沢市に住んでおつたということですが、これはいつごろからお移りになつたのですか。
  37. 鹿地亘

    鹿地証人 それは手術終つて動けるようになるまで、病院には約一年おりましたから、やつとまた少しずつ散歩ができるという状態になつてから——五〇年です。
  38. 田嶋好文

    田嶋委員長 五〇年。
  39. 鹿地亘

    鹿地証人 五〇年の十二月に参りました。
  40. 田嶋好文

    田嶋委員長 あなたのお家族はどういうことになつているのですか。
  41. 鹿地亘

    鹿地証人 家族下落合に住んでおります。
  42. 田嶋好文

    田嶋委員長 何人で、奥さんとお子さんの関係は……。
  43. 鹿地亘

    鹿地証人 妻と女の子が二人あります。小さい女の子です。
  44. 田嶋好文

    田嶋委員長 奥さんと御一緒にいられるわけですね。
  45. 鹿地亘

    鹿地証人 ええ、そうです。
  46. 田嶋好文

    田嶋委員長 そこでお尋ねいたしますが、昭和二十七年の——ことしですが、十一月の十二日、あなたの奥さんから藤沢市警にあなたの捜索願が出されたということですが、これはあなたは御存じつたんですか。
  47. 鹿地亘

    鹿地証人 私はそれは監禁されている最中で何も知りません。むろんこれは釈放されてから知りました。
  48. 田嶋好文

    田嶋委員長 釈放されてから知つた。いつからあなたは藤沢のその当時の住居から離れるようになつたか。
  49. 鹿地亘

    鹿地証人 それは昨年十一月の二十五日の夕刻に散歩中に逮捕されてからです。
  50. 田嶋好文

    田嶋委員長 昨年十一月の二十五日、散歩中に逮捕されたのですね。
  51. 鹿地亘

    鹿地証人 そうです。
  52. 田嶋好文

    田嶋委員長 逮捕というとどういうことですか。
  53. 鹿地亘

    鹿地証人 もつと適切にいえば人さらいだと思います。
  54. 田嶋好文

    田嶋委員長 どういう方法でさらわれたのですか。
  55. 鹿地亘

    鹿地証人 それはちようど江之電の鵠沼付近道路にさしかかりましたとき、一台の軍用車うしろからやつて来て軍用乗用車です。ヘッドライトに目がくらんで、私はちよつとそれを避けようとしたとき、いきなり横づけにされて、中から五、六人の制服、私服の軍人がおどりかかつて、ものを言う間もなくなぐり倒されて、両手をうしろにねじ上げて、車に引ずり込まれました。私はそのとき——その状況をお話しましようか。
  56. 田嶋好文

    田嶋委員長 状況を話してください。
  57. 鹿地亘

    鹿地証人 私はどういうことか穏かに話してくれと言つたら、そのうちの長身の若い軍人——まあ私そういう英語はよくわかりませんけれども、「何をつ」という調子ですな。それでいきなり私のみずおちに一発くれたわけです。
  58. 田嶋好文

    田嶋委員長 こぶしであなたのみずおちをなぐつたわけですね。
  59. 鹿地亘

    鹿地証人 そうです。それから手錠をかけられ、白い布で目隠しをされて……。
  60. 田嶋好文

    田嶋委員長 手錠をかけて、白い布であなたを目隠ししたのですね。
  61. 鹿地亘

    鹿地証人 ええ、そのまま私にはどこかわからないが、一時間以上の間運び去られたわけです。
  62. 田嶋好文

    田嶋委員長 一時間以上の聞かかつて運び去られた……。
  63. 鹿地亘

    鹿地証人 ええ、そうです。この指揮をした人がだれだか、どこへ連れて行つたのか、やつたのがたれであるかということは、あと新聞の発表で出てから知つたわけです。それは私には一切何も告げられません。車の中で私は二人の軍人両側をはさまれながら、前の席の指揮者——それはのちにわかつたところではキヤナンという中佐つたわけですが、尋問されました。名前を聞かれたので、私は知らないと答えました。そうするといきなり私のひざゴム棒状のものでなぐりつけました。そうしてもう一ぺん名前を聞きました。私はもう一ぺん知らないと答えました。そうするとまたなぐりました。こうして何回か繰返されました。最後にうそをつくな、自分の名を知らぬはずがあるか、こう言われました。これは全部二世の人が一人ついておつて通訳したわけです。そう言われたので、私は今度は、そんならはつきり言い直すが、自分の名を知つてつても言わないと答えました。私はなぜこういう拷問に対して名前さえ言わないかという理由を、皆さん国民大衆を代表されている議員諸君の前ではつきり声明します。
  64. 田嶋好文

    田嶋委員長 その時間は何時ごろでしたか。
  65. 鹿地亘

    鹿地証人 それは逮捕されたのが七町ごろですから……。
  66. 田嶋好文

    田嶋委員長 逮捕されたと思うのが七時ごろ……。
  67. 鹿地亘

    鹿地証人 ええ、ですから七時ちよつと過ぎておつたかと思いますが、とにかく夕食後の散歩をいつも私は定期的に——健康上の理由散歩しておりますから、それは天気の都合で昼になつたり、夜になつたり、夕方になつたりします。今のことについて私は自分としての態度を声明すれば、名前を告げないというのは、これは私の日本国民としての自由と尊厳の問題だからです。人の名前を聞くなら、まず自分名前を告げるがいい、こう思つているからです。祖国のこの地上において、何者ともわからぬ外国人、しかも何の手続もない逮捕を受けながら、ひざを屈して一方的に自分の名を告げる、これは私の国民的誇りが許しません。私はそれで一切彼らの相手にならないということを決意しました。
  68. 田嶋好文

    田嶋委員長 そこでなぐられたときに、傷等はつきましたか。
  69. 鹿地亘

    鹿地証人 そのときは傷はつかなかつたと思います。
  70. 田嶋好文

    田嶋委員長 あなたが逮捕されたと思うときは、人通りはどうでしたか。
  71. 鹿地亘

    鹿地証人 人通りはまつたくありませんでした。
  72. 田嶋好文

    田嶋委員長 いつもあなたの散歩するところは人通りがないところなんですか。
  73. 鹿地亘

    鹿地証人 いや、そういうことはありません。鵠沼のあのあたり学校や住宅が多くて、そういう時刻に人が通らないときがよくあるのです。
  74. 田嶋好文

    田嶋委員長 たまたま人通りがなかつたのですか。
  75. 鹿地亘

    鹿地証人 そうです。
  76. 田嶋好文

    田嶋委員長 そのときにやられた……。
  77. 鹿地亘

    鹿地証人 そうです。
  78. 田嶋好文

    田嶋委員長 場所をもう少し明確にしておいていただきたい。
  79. 鹿地亘

    鹿地証人 鵠沼停車場から藤沢の方へ向う道です。
  80. 田嶋好文

    田嶋委員長 鵠沼停車場から藤沢の方に向うどの辺ですか。
  81. 鹿地亘

    鹿地証人 そうですな、向つて百メートルくらい歩いたところですか……。
  82. 田嶋好文

    田嶋委員長 向つて百メートルくらい歩いたところで……。
  83. 鹿地亘

    鹿地証人 二百メートルくらいかもしれない……。
  84. 田嶋好文

    田嶋委員長 そこをはつきりしておいてください。二百メートルですか、百メートルですか。
  85. 鹿地亘

    鹿地証人 どうも距離の観念はあまりはつきりしません。
  86. 田嶋好文

    田嶋委員長 家のあるところですか、家のないところですか。
  87. 鹿地亘

    鹿地証人 両側に家はありますけれども屋敷で、一方は電車道電車道をはさんで、両側に家があります。
  88. 田嶋好文

    田嶋委員長 あなたが逮捕されたと思う場所は、家の前ですね。
  89. 鹿地亘

    鹿地証人 ええ、そうです。
  90. 田嶋好文

    田嶋委員長 そこであなたとしては逮捕されるとき、声はあげませんでしたか。
  91. 鹿地亘

    鹿地証人 私は残念ながら大きい声をあげるだけの力が肺にありません。ですから何ら抵抗なしにひつぱり込まれました。
  92. 田嶋好文

    田嶋委員長 何ら抵抗もしないで軍用車にひつぱり込まれた……。
  93. 鹿地亘

    鹿地証人 そうです。抵抗力がなかつたからです。
  94. 田嶋好文

    田嶋委員長 あなたのそばにいつもおつたという二世の方、これはお名前御存じないですか。
  95. 鹿地亘

    鹿地証人 逮捕されている間ですか——これはずつと一貫して初めの方からその状況を説明した方がわかりよいのじやないかと思います。とにかく一時間ばかり後に連れて行かれて、目隠しをされたまま、ある建物の二階だと思います。階段をなかばかつぎ上げられまして、一室に連れ込まれまして、そこでうしろ向きのままいろいろ尋問されたのです。それは最初は名前からですけれども、一切答えないと答えて、それを夜明けまで繰返しました。その答えない理由は、さつき申した通りです。この調べが始まる前に、英語ができるかと尋ねられたので、これも私は答える意思がないので、知らぬと言つた。むろん私は多少はわかります。そうするとその人たちは、つまり中佐を中心として、英語相談を始めました。こいつはやつかいだぞ、あまりひどい肉体的拷問を加えると参つてしまう。——そうです、その前に、車の中でこういうことがあります。私はそういう状態つたものですから、息が切れて、ほとんど息詰まるようにあえいでいたのです。そうすると、君は肺が悪いか、肺は悪い、どういう状態か、骨がない。そうしたら、よし直してやる、そう言いました。それから私を連れて行つて、しばらくの間に医者に問い合せたものらしいのです。その結果が今の相談になつたので、三人の医者に問い合せたら、皆一撃で死ぬ、だからこいつはゆつくりかかつて扱わなければならぬというふうな意味のことを言つておりました。それはその少佐、後に中佐になつたという人が、私にそういうことをはつきりと言いました。人道拷問なんということはきらいだけれども、場合によつてはやむを得ぬ、とにかく私に対する態度としては、いつまでもこういうやり方で、お前が名前を言うまで問い続ける、死に至らない程度肉体的拷問も場合によつては加える、そのほか静脈に麻薬を打つて、お前に無意識のうちにしやべらしてやる、そういうことまで言いました。そういう状態が続いたわけですが……。
  96. 田嶋好文

    田嶋委員長 あなたのおからだのぐあいもありましようから、詳しいことはあとでまた補充的な質問もありますから、簡潔にしていただきたい。
  97. 鹿地亘

    鹿地証人 それでは簡単に申し上げます。二日目に私は病院に、それも目隠しをされて連れて行かれたので、わからなかつたのですが、レントゲンをとりに連れられて行つたのですが、レントゲンを持つて来た上書きにあるサインでもつて、私はそれが中区の病院であることを発見しました。それから数日おいて、それは後にわかつたのですが、モールトンというお医者さんが診察にやつて来た。そうして私の病状を見て、このままでは半年持たない、私自身にもこれは根本的に治療する方法はないけれども、できるだけは自分人道上の問題として、医者としてやる。私はこのお医者さんの言葉には敬意を払つております。そういうことがあつたあと、しつこいそういつた種類尋問が続きました。それでもつて私はほとんど自分で気力がなくなつてしまつた。それを今度治療してやるといつて、その少佐が私付きに看護並びに世話をするという名目で監視につけたのが、光田という——その人はビル・田中とも言つております。その人をつけたわけです。その人はずつと釈放されるまで私についております。
  98. 田嶋好文

    田嶋委員長 釈放されるまであなたは外部との接触を全然断たれておつたということになりますか。
  99. 鹿地亘

    鹿地証人 ええ、向うは断つてつたつもりです。
  100. 田嶋好文

    田嶋委員長 あなたはどうなんですか。
  101. 鹿地亘

    鹿地証人 私はこういうやり方に対して抵抗する手段を考えました。それから私の最初連れられて行つた所から、二十九日の夜にまた私を目隠しをして——後にそれが川崎市であるということが自然にわかつて来たのですけれども、それは買物袋や何かにあるもので私はわかつたのです。そのかなり広い別荘風の家に連れて行かれて、一室に監禁されました。そこで光田が私を世話して、ストマイの注射などをモールトン医師の指示に従つてつたわけです。
  102. 田嶋好文

    田嶋委員長 わかりました。そうすると、もう一度お尋ねしますが、外部との接触向うは断つたつもりだが、あなたとしては断たれてはいなかつたということですか。
  103. 鹿地亘

    鹿地証人 いや外部とは断たれております。向うとしては断たれておりましたが、そのとき光田の話では、自分一人にしか会つてはならないと言われていたらしいのですが、これが少々なまけものだつたとみえて、元岩崎に勤めておつて、コックをやつている、つまり進駐軍要員ですか、今度私を助けてくれた山田善二郎君を、飯運びに使つたわけです……。
  104. 田嶋好文

    田嶋委員長 簡単にお話願いたいのですが……。
  105. 鹿地亘

    鹿地証人 この人が次第に、私の様子を見、その後私が自殺を企てたりしたことを見て感動し、彼自身進駐軍要員としての生活で、いろいろと考えさせられておつたところだつたので、同じく同胞としての心が沸き立つて来たわけです。私は初めやはりこの人をそういうところにいる人と思つて、用心しておりましたが、結局、非常に純情ないい青年であるということがわかつて来て、いろいろ話をするうち、事情を打明けて、私はこういう状態でこういう所に行方不明になつておるということを、私の友人である内山完造さんに伝えていただくように頼みました。そしてあの方はそれをやつてくれたわけです。その後そういう方法で、ときどき山田君は私の使いをしてくれました。
  106. 田嶋好文

    田嶋委員長 そうすると、相手外部との接触を断つたつもりであるが、あなたの身辺に、山田君、それから光田あたりができて、外部との接触は保とうとすれば保たれる状況にあつた、こういうことですか。
  107. 鹿地亘

    鹿地証人 いや、光田は絶対にそういうことでなく、向う監視人です。
  108. 田嶋好文

    田嶋委員長 そうすると、山田君が外部との接触を保つてくれるようになつた……。
  109. 鹿地亘

    鹿地証人 そうです。
  110. 田嶋好文

    田嶋委員長 逃げようとすれば逃げられたのですか。
  111. 鹿地亘

    鹿地証人 絶対に逃げられません。むろん私は一つの部屋にかぎで締め込まれておるのです。しかもその外にむろん番人がついていたものと思います。しかしどうも私の顔を見てはならぬというふに、みな言われておつたように思います。
  112. 田嶋好文

    田嶋委員長 通信をしたというのですが、第一回の通信はいつごろしたのですか。
  113. 鹿地亘

    鹿地証人 それは通信に二通りあります。第一回目は、軍の方で、家族が心配しておるだろうから、道路上で事故が起つたから、しばらく知合いのうちにいる、すぐ帰るから、安心して待つているという手級を書け、そう言われて、私はそれはそうやつたら、私もとにかく生きていることがわかるだろうと思つて、書きました。それに家族のために金を添えてやると言われましたが、それは私は絶対にお断りしました。
  114. 田嶋好文

    田嶋委員長 それはいつごろですか。
  115. 鹿地亘

    鹿地証人 これは私の自殺の経過をお話してからの方がいいと思います。そのあとのことです。
  116. 田嶋好文

    田嶋委員長 自殺はいつごろですか。
  117. 鹿地亘

    鹿地証人 私が自殺をはかつたのは、去年の十二月二日の未明です。
  118. 田嶋好文

    田嶋委員長 去年の十二月の二日に自殺を企てた力その後に今の要求によつて家族に対して自筆の手級を書いたのですね。それはいつごろですか。
  119. 鹿地亘

    鹿地証人 それは十二月の末です。あるいは一月であつたかと思います。はつきり覚えません。というのは、私案は非常に無理な難題をふつかけられまして、つまりこれは一言でいえば、私の声明にあります通り、国民的な誇りを失つて、他国のスパイになれ、自分たちの手先になれ、それでなければ死を選ぶか、どつちかだ、こう言われましたので、初めはそれに無言でずつと答えなかつたのが、さつき申し上げたような事情で、もう心身ともにへとへとになりまして、これは私は自殺して、死をもつて抗議しよう。それでその抗議をするためには、相手の気をゆるめる必要がある。なぜならば、私はずつと一室に足錠で鉄のベッドに縛りつけられておりました。
  120. 田嶋好文

    田嶋委員長 ちよつと待つてください。一室の中に閉じ込められて、足錠をかけられて、ベッドの足へですか。
  121. 鹿地亘

    鹿地証人 そうです。ベッドの金のさしえに鎖で縛りつけられておりました。
  122. 田嶋好文

    田嶋委員長 そうしてあなたに今言つたような要求をつきつけて来たわけですね。
  123. 鹿地亘

    鹿地証人 そうしてさつき言つたよう方法で絶えず繰返されるわけです。私は健康状態かないつて……。
  124. 田嶋好文

    田嶋委員長 そこであなたは自殺をはかつたというわけですか。
  125. 鹿地亘

    鹿地証人 だから鎖などはとつしまう程度に妥協したいと思つて、それから私は名前も言うし、向う様と話をするようになつた。それではとにかく治療しながら話すといつて、移されたところで——十二月の二日です。もうしよせんモールトンさんも言われる通り、自然に死ぬだろうし、自然に死ぬよりは、私は自分意思はつきり示したい。それでそれに気づかれないようにするために、夜の午前二時を選んだのです。自殺の経過を申し上げますか。
  126. 田嶋好文

    田嶋委員長 簡単に言つてください。
  127. 鹿地亘

    鹿地証人 最初はシャンデリヤに帯をつつて下りました。そうすると、これがこわれて落ちたのです。そこで便所に行つて、水槽の管にくつつけたら、今度は私のベルトがちぎれた。そのときは一旦は締つたのです。しかしもう締つて意識を失つて、気がついてみると、帯がちぎれて、私はころがり落ちて、下であえいでおつたわけです。気がついて、これはしまつた思つてちようど私は病人ですから、消毒用に置いてあつたクレゾールのびんをそのままとつて、約三分の二ばかり飲んで、それから意識不明に陥りました。ところが残念なことに、翌日の夕刻意識がさめてみたら、私は手当を受けておつたわけです。それからは病状からいいますと、もう肺の方はひどく進行しましたし、そのことは、私のそのときの状態を目撃した山田君からお聞きになつてくださるといいと思います。それで食物も水一滴のどに入らつい。それは焼けてしまつた。ここが動かない。医者もこれはあぶないだろう、とにかく水一滴でも入るようになるまではと言われておつたのですが、その間動けない私を、科学的にいろいろと操作して手当してくれた。そのとき医者は、自分を悪く思うな、私はあなたの政治的な立場もわからぬ。ただ医者としての義務でやるんだ、そう言われて、私もその人を了承したわけです、それでいろいとの種類の薬をたくさん打たれて傷もだんだん治つて参りまして、多少手に傷あとが残つておりますが、そのとき薬で焼けた跡です。これは痕跡になつて消えません。約四週間近くになつたら、多少ミルクが通るようになりまして、それからは一層自殺の危険などもあると思われてきびしくなつたわけです。もかし私の決意や、人間的な態度、それも向う様も多少わかつてくれたんだと思いますが、こういう方法ではいかぬと思つたのでしよう。そこで今度は非常に紳士的な態度を装つて接触して来ました。そういう監視の中では、私はとうてい再び自殺を決行する機会がないと思いましたので、長く機会を待とうという気持になつて、それから基本的に私の誇を失わない限りは、彼らと穏やかに話もするという態度をとるようにして来たんです。それはこの春の二、三月ごろになつて……。一応そこで切りましよう。
  128. 田嶋好文

    田嶋委員長 体のぐあいはどうですか、まだよろしいですか。
  129. 鹿地亘

    鹿地証人 多少苦しいのですが…。
  130. 田嶋好文

    田嶋委員長 もう少しちよつとで終ります。もう少し続けます。手紙を出したのは、その自殺後そういう自由が許されるようになつたので手紙を出した……。
  131. 鹿地亘

    鹿地証人 それは多分軍の方で短期間に私を何とか降参させて家へ帰すということで、そういう点でその少佐は考え方が非常に乱暴な人なんです。
  132. 田嶋好文

    田嶋委員長 短期間で家へ帰すという意味であつたから、手紙を書かせたのですか。
  133. 鹿地亘

    鹿地証人 私が降参して帰るだろうというふうに思われたので……。
  134. 田嶋好文

    田嶋委員長 その手紙は家へ届いておりますか。
  135. 鹿地亘

    鹿地証人 届いております。
  136. 田嶋好文

    田嶋委員長 そうすると家族の方々は、その状況をほぼ知つてつたわけですね。
  137. 鹿地亘

    鹿地証人 全然わからぬわけです。車にひかれて人の世話になつているということですから、どこにいるのやら、そんなばかげたことがあるのやら、しかしどこかに生きてはいるらしいという気持だつたと思います。
  138. 田嶋好文

    田嶋委員長 二回目の通信はいつごろですか。
  139. 鹿地亘

    鹿地証人 二回目もやはり光田がその少佐の許可を得て、近いうち、二箇月もしたら帰れるだろうから、そのつもりで安心してくれという意味で出したんです。
  140. 田嶋好文

    田嶋委員長 新しい年になつてですか。
  141. 鹿地亘

    鹿地証人 そうです、本年です。
  142. 田嶋好文

    田嶋委員長 それだけですか、通信は。
  143. 鹿地亘

    鹿地証人 それからあとは、つまり今度はそういうものとは違つて真相を、つまり私は軍に監禁されているということを山田君に頼んだ。それで書いた手紙は保存してあります。
  144. 田嶋好文

    田嶋委員長 それはいつごろからですか。
  145. 鹿地亘

    鹿地証人 手紙そのものをやつたのは一回で、それから二度目には口頭で伝えてもらつて……。
  146. 田嶋好文

    田嶋委員長 手紙をやつたのは一度で、その後は口頭で……。
  147. 鹿地亘

    鹿地証人 いや、手紙を二度やつたかもしれません。
  148. 田嶋好文

    田嶋委員長 一度か二度やつたわけですね。それはいつごろですか。
  149. 鹿地亘

    鹿地証人 それは一度ですな。時期は、私が自殺の失敗をやつてから、つまり同胞的同情で山田君が私に接触してくれるようになつて、かなり私も山田君は信頼できると思うようになつてからですから、多分自殺決行後、少くとも一箇月半かそこらあとじやなかつたかと思います。
  150. 田嶋好文

    田嶋委員長 これをお聞きするには、あなたの奥さんから出ておる捜査願が十一月十二日なんです。その間に、今言つたよう奥さんへの通信があるわけです。それを明らかにしておきたいと思うからお聞きしておるわけです。知つておるだけひとつ……。
  151. 鹿地亘

    鹿地証人 しかし私は、そのことに関しては初めはあまり荒立てないで様子を見てくれというくらいな気持でおりました。外の人もそんな気持ではなかつたかと思います。その後、私としては、もし私がやつぱり中で死ななければならないはめに陥るならばという気持で、だんだん外の人たちにそれを知らせてもらいたい気持を持ちましたけれども、おそらく家族としてはそれだけの勇気が出なかつたのではないか。相手がやはり大きいカを持つておるものだから……。
  152. 田嶋好文

    田嶋委員長 そうすると、こう聞いておいてよろしゆうございますね。その後、山田君を通じて一、二回の手紙を出し、山田君を通じて口頭で軍に監禁せられておつたということを家族に連絡した、その日時等ははつきり記憶はない。こういうことですね。
  153. 鹿地亘

    鹿地証人 大体において春から夏にかけてです。最後は多分山田君がその川崎の家を出てから……。
  154. 田嶋好文

    田嶋委員長 よろしゆうございます。  今出した手紙はどこにあるのですか。
  155. 鹿地亘

    鹿地証人 その手紙は私の家族が持つております。
  156. 田嶋好文

    田嶋委員長 大分お疲れのようですから、急ぎますが、こういう人々を知つておりますか。これは知つているか、知つていないか、簡単にお答え願つてけつこうです。山田善二郎
  157. 鹿地亘

    鹿地証人 それは知つております。今私が言つた人です。
  158. 田嶋好文

  159. 鹿地亘

    鹿地証人 知つております。
  160. 田嶋好文

  161. 鹿地亘

    鹿地証人 正太郎という名前は知りませんが、そのおじいさんが次に私が移されたところのかまたきをしておつたことを知つております。
  162. 田嶋好文

    田嶋委員長 次に移されたところというのは……。
  163. 鹿地亘

    鹿地証人 今私が言いかけたのですが、川崎から茅ケ崎に移されました。
  164. 田嶋好文

    田嶋委員長 これはあなたの周囲にいつも現われておつた方ですか。
  165. 鹿地亘

    鹿地証人 いいえ私に合わされないはずだつたのを、何かの都合で私に飯を運ぶ人がいなくて、その人がかわりに運んで来たことがあつて私は知つております。
  166. 田嶋好文

    田嶋委員 あなたに飯を運ぶ人がたまたまいなくなつて、この人が臨時に運んで来て知つた、こういうことですね。
  167. 鹿地亘

    鹿地証人 ええ。
  168. 田嶋好文

    田嶋委員長 渡邊利三郎。
  169. 鹿地亘

    鹿地証人 その名前は知りません。顔を見たら知つているかもしれません。
  170. 田嶋好文

    田嶋委員長 榎本正雄。
  171. 鹿地亘

    鹿地証人 知りません。
  172. 田嶋好文

    田嶋委員長 明昌保。
  173. 鹿地亘

    鹿地証人 それは新聞記者の方ですね。きよう初めて知りました。
  174. 田嶋好文

    田嶋委員長 山崎きみ子。
  175. 鹿地亘

    鹿地証人 それは私の看護婦として手術後私につき添つてくれた看護婦です。
  176. 田嶋好文

    田嶋委員長 鈴木長松。
  177. 鹿地亘

    鹿地証人 知りません。
  178. 田嶋好文

    田嶋委員長 鈴木エツ。
  179. 鹿地亘

    鹿地証人 知りません。
  180. 田嶋好文

    田嶋委員長 中島門吉。
  181. 鹿地亘

    鹿地証人 それは今度初めて新聞で見ました。
  182. 田嶋好文

    田嶋委員長 これも知らないわけですね。
  183. 鹿地亘

    鹿地証人 知りません。つまり私は何にも知らされなかつたわけです。
  184. 田嶋好文

    田嶋委員長 今度お宅に帰つて来たのは、幾日の何時にどういう方法でお宅の方に帰つて参りましたかTL
  185. 鹿地亘

    鹿地証人 次々と私は居場所を移された最後のところが、これは学校の放送でわかつたのですが、代官山の猿楽小学校の前の別荘風の家です。
  186. 田嶋好文

    田嶋委員長 それが最後場所なんですね。
  187. 鹿地亘

    鹿地証人 最後です。そとから私は出されたわけですが、出されたのは、つまり外側の皆さんの関心が非常に高まつてくださつて、その御声援で向う側が驚いて出したというわけなんです。そういう事情ですから、その前に、日本国民の雰囲気が強いところから遠ざけるようねことを言つたこともありますが、それは私はこの際申し上げません。つまりまあ遠慮します。それで東京の町へ、七日の夕刻、突然その日になつてから釈放する——それまではずつと米軍と協力する意思そのほかをしつこく迫つて来ておりましたが、あなたの意思を尊重して御自由にやりなさい、私の方はそれは認めて帰ましすと言つて帰してくれたのは、やはり外の圧力のおかげであつたと私はたいへん感謝しております。車はジープに乗せられまして、青山付近の——神宮外苑付近だと思いますが、ほうりつぱなされました。そのときも、さしあたり困るだろうからと言つて、金を出そうとしましたが、私は断りました。ただ私はからだも悪いし、車代だけをくれと言つて、車代を千二百円もらつて、そこからタクシーを拾つて、ともかくまだ私の知らない落合の三十六番地を探して帰つて来ました。そのあとは、新聞で非常に私のことを同情してくださる声が高い、そのおかげだつたということもわかつたので、実は皆さん新聞社の方には済まないと思いましたけれども、押しかけられては、実はもうへとへとでしたから、しばらく家を離れた方がいいと思つて、明け方前に遊佐さんのところに隠してもらつたのです。
  188. 田嶋好文

    田嶋委員長 遊佐さんというのはだれですか。
  189. 鹿地亘

    鹿地証人 お医者さんです。
  190. 田嶋好文

  191. 鹿地亘

    鹿地証人 場所下落合です。
  192. 田嶋好文

    田嶋委員長 下落合の遊佐さんというお医者さんの家に、明け方から今日までずつといたわけですか。
  193. 鹿地亘

    鹿地証人 そうです。
  194. 田嶋好文

    田嶋委員長 帰つて来てから今日まで、どなたかにお会いしましたか。
  195. 鹿地亘

    鹿地証人 私はまだ環境の条件からいつて、私の路の安全を自分で確信がありません。従つて私を保障してくれる人たちについては申し上げません。
  196. 田嶋好文

    田嶋委員長 さつきあなたは、言えないということで、何か遠いところへというような言葉で表示していたのですが、それは証人として証言を拒むわけですか。それとも外交関係にいろいろ影響するからということから遠慮するのですか。
  197. 鹿地亘

    鹿地証人 そういうことで遠慮するわけです。人が困らないようにという意味です。
  198. 田嶋好文

    田嶋委員長 人が困らないようにというのは外国の方ですか。
  199. 鹿地亘

    鹿地証人 そうです。
  200. 田嶋好文

    田嶋委員長 あなたを逮捕した機関の責任者の氏名とか階級とかいうようなものは、今になつてもわかりませんか。
  201. 鹿地亘

    鹿地証人 私は山田君との話で、最初に私を逮捕したのがキヤナンという少佐であることはわかつております。それから今度はキヤナンという人が、これは二月の末ごろでしたが、いろいろ前の状態を続けて私と話をするようになつてつたときです。むろんその間はほとんど彼と顔を合せておりませんが、突然二人の軍人を連れて来まして、一人はガルシェ大佐といつて紹介されました。一人はそのつき添いのワトソンという大尉だといつて紹介されました。それでキヤナンという人は私に、私の用事はあなたにはもう済んだ、今後のあなたはこちらの方に渡すから。——私はそれを質問しました。あなたの用事が済んだのだつたら帰してくれ。しかし彼は、いや、ともかくもうあの人に話しなさいと言つて、振り切つて行つてしまいました。
  202. 田嶋好文

    田嶋委員長 それはいつごろですか。
  203. 鹿地亘

    鹿地証人 今年の二月の末です。それから今度軍の声明を見ましたが、CICの関係は短期で済んだと言つているのですから、私の方もこれを尊重して、このことはもう問いません。けれども、そのときガルシェという大佐は、私が抗議したのを笑つておりましたが、自分は取合わない。そのあと私は、抗議したつてどうしたつてしかたがないのだし、監禁されていたら運ばれて行くよりしかたがなかつた。これは服従でも承認でもありません。こういう状態で、その人が中心になつて、さつきの光田と、そのほかに今度新しく二世が二人、白系露人らしい軍人が一人——二世の方は後に名前がわかりました。というのは、代官山に行つてからは、その人たちにみんなかわりばんこで私を監視させたのです。
  204. 田嶋好文

    田嶋委員長 名前を言つてください。
  205. 鹿地亘

    鹿地証人 名前はジャック高橋というのが一人、それから一人はジミーとだけ言つておりましたが、下の名前はわかりません。そういう人たちがついて来ておつたわけです。だからここで一つただしておきたいことは、なるほど短期で済んだが別の機関に移つたとCICが言われるなら、そういうこともあるかもしれないが、CICとしては御存じないことはないので、CIC、少くともキヤナンという人は、自分が責任をもつて引渡したわけなんです。それからガルシェという大佐も、絶えず自分が最高決定者でないということを私に話しておりましたから、関係はあるものと私はにらんでおります。
  206. 田嶋好文

    田嶋委員長 最後にお尋ねいたしますが、そうすると、帰る直前までやはり一室の中にかぎをかけられて、そして外部との接触を断たれて監視人がついておつたわけですか。
  207. 鹿地亘

    鹿地証人 毎日二人ずつついておりました。
  208. 田嶋好文

    田嶋委員長 帰る直前まで同じような状態が続いたわけですね。
  209. 鹿地亘

    鹿地証人 そうです。但し昼間だけは——私、抵抗力がありませんから、障子を締め切つた中の二階で、階段から下はむろんのぞけませんけれども、二階では一室に寝るときだけ監禁して、昼間はほかの人たちのところにほんど障子を締め切つた中で、まあ空気を入れかえることはありますけれども、外から見られないようにして私を監禁しておりました。
  210. 田嶋好文

    田嶋委員長 洋間なんですか、日本間なんですか。
  211. 鹿地亘

    鹿地証人 そのときは日本間でした。それまではずつと洋間です。
  212. 田嶋好文

    田嶋委員長 ドアで出入りする…。
  213. 鹿地亘

    鹿地証人 そうです。
  214. 田嶋好文

    田嶋委員長 最後はドアでなしに、ふすまと障子ですか。
  215. 鹿地亘

    鹿地証人 そうです。私が夜寝るときに締め込まれるところは、ドアでかけられるようになつた多少物置風のところでした。
  216. 田嶋好文

    田嶋委員長 委員長尋問はこれで終ります。おからだどうですか。
  217. 鹿地亘

    鹿地証人 実はこれ以上もう続きそうもありませんけれども、私一言だけ言わしていただきます……。
  218. 田嶋好文

    田嶋委員長 ちよつと休みましよう。
  219. 鹿地亘

    鹿地証人 休んでも、もうからだがだめだと思います……。
  220. 田嶋好文

    田嶋委員長 それでは証人に申し上げますが、まことに申訳ございませんが、特に証人のからだのぐあいを勘案いたしまして、各委員からの質疑があるはずでしたが、これを適当な機会に譲ることにいたしまして、委員からの申出によりまして、委員長から二、三補充質問をいたすことにいたします。  逮捕されたときの状況で、あなたを知つて逮捕だと思われるのですか、それともあなたということを知らずにやつたと思われるのですか。
  221. 鹿地亘

    鹿地証人 それはわかりません。だつて向うは当然自分知つていそうなことだつて、私にに尋ねる必要もないようなことを調べていますから、知つてつてわぎと尋ねているようにも見えるし、知らないようにも見えますし……。
  222. 田嶋好文

    田嶋委員長 あなたを知らないで逮捕したとも思われるし、知つて逮捕したとも思われる……。
  223. 鹿地亘

    鹿地証人 ええ。ですけれども、あとの方で私に対する態度がかわつたのを見ると、これは私の決意によつて動かされたのか、あるいはあとで知るようになつて態度をかえたのか、それはわかりません。
  224. 田嶋好文

    田嶋委員長 それから、さつき軍からいろいろと求められたという言葉がございましたが、何をあなたに要求したのですか。
  225. 鹿地亘

    鹿地証人 それは最初のキヤナンさんの場合は、もう向うでも片づいたと言つておりますから、私もそのことを尊重して当分申し上げません。
  226. 田嶋好文

    田嶋委員長 これは非常に大切なことだと思うのですが……。
  227. 鹿地亘

    鹿地証人 じや申し上げます。要するにガルシェという人は、多分私を何かの、つまり日本人民の不利になるような、文化人としての立場、私の思想をかえさして、宣伝に使おうというような意図を持つてつたんではないかと思います。なぜかなら、とにかく私が中国でやつたようなことをやつてくれ、こう言いました。
  228. 田嶋好文

    田嶋委員長 あなたが中国でやつたようなことをやつてくれということを強要したのですね。
  229. 鹿地亘

    鹿地証人 米軍と一緒に、それを米軍の立場からやれ……。
  230. 田嶋好文

    田嶋委員長 それ以外の求めばなかつたわけですね。
  231. 鹿地亘

    鹿地証人 そのときはガルシェさんからは、それはどういうことかともう一ぺん尋ね直したら、いずれあとで話すと言つて話しませんでした。それは最後になつてから、今度は私の経歴や思想を非常に詳しく調べた後にいろいろの質問があつて、もう一ぺん協力の基礎があるか。私は政治的にアメリカの極東政策には、日本国民として賛成できない、だから協力の基礎がないということを申し上げました。
  232. 田嶋好文

    田嶋委員長 これははつきりお答え願いたいのですが、最後まで求められたことは、アメリカ軍に協力せよ、こういうことを求められたわけですね。それ以外の求めばなかつたわけですね。
  233. 鹿地亘

    鹿地証人 具体的に何をしろということは言われませんでした。あとで言うということを言つておりました。
  234. 田嶋好文

    田嶋委員長 あとで言うということを云つて最後まで具体的のことは言わなかつたのですね。
  235. 鹿地亘

    鹿地証人 それで最後に私は再びそういうはつきりした意思表示をしたときに、ちようど外の輿論が起つてつたわけなんです。それで何か非常にあわてた様子で、取急いで、自分としてはもつと考えて見る、だが軍としてまだ頼むことがあるかもしれない。しかし多分それは私はできない、できることではないと思うということを言つておるやさき、こういう状態になりまして、私はあなたの意思を尊重すると言つておつぽり出したのです。
  236. 田嶋好文

    田嶋委員長 あなたと中国共産党との関係は、どういう関係にありますか。
  237. 鹿地亘

    鹿地証人 それは中国共産党には知合いもたくさんあります。国民党にあると同じくらいあります。だが、それは別にどんな関係もありません。
  238. 田嶋好文

    田嶋委員長 現在中国共産党に入党しているわけでもありませんね。
  239. 鹿地亘

    鹿地証人 まさか、私は日本人ですから。日本共産党にも入つておりません。
  240. 田嶋好文

    田嶋委員長 それから転々としたということでしたが、何回くらい転々としましたか。
  241. 鹿地亘

    鹿地証人 一番最初連れて行かれたところから数えますと、それが第一回、次に、川崎に連れて行かれ、茅ヶ崎に行つた。それから世田谷の代官山、それから出たのであります。
  242. 田嶋好文

    田嶋委員長 四回ですね。
  243. 鹿地亘

    鹿地証人 ええ。
  244. 田嶋好文

    田嶋委員長 それから最後猪俣弁護士にし渡した一九五二年十二月八日付の鹿地亘という署名をいたしました「私は訴える」という書面、これはあなたがお書きになつたのですか。
  245. 鹿地亘

    鹿地証人 そうです。私はずつと毎日、機会があつたらこのことをやるという決意を持つておりましたから、出ると一番先にこれをやる機会を持ちたい。それで休みに行つたらすぐやりました。
  246. 猪俣浩三

    猪俣委員 もう委員長最後の約束通り打切つていただきたい。
  247. 田嶋好文

    田嶋委員長 今、理事会できまりしたので、この程度で質問を終ります。証人、どうも長いことありがとうございました。  それでは一時まで休憩いたすことにいたします。一時から先ほど申し上げました残り三人について調査を進めることにいたします。     午後零時一分休憩      ————◇—————     午後一時二十分開議
  248. 田嶋好文

    田嶋委員長 休憩前に引続き会議を開きます。  人権擁護に関する件のうち、鹿地亘君の事件につきまして続いて証人より証言を求めることにいたします。ただいまお見えの方は手をあげてください。山田善二郎さん。——内山完造さん。——齋藤正太郎さん。——ですね。 これより鹿地亘君の事件について証言を求めることになりますが、人権擁護の面から看過すべからざるものとして本委員会が特に本件を取上げてその真相を究明することに着手した経緯を御了承の上、本委員会調査には十分の御協力をお願いいたします。  それではこれより鹿地亘君の事件につきまして証言を求めることになりますが。証言を求むる前に各証人の方々に一言申し上げます。昭和二十二年法律第二百二十五号、議院における証人宣誓及び証言等に関する法律によりまして、証人証言を求める場合には、その前に宣誓をさせなければならぬことと相なつております。  宣誓または証言を拒むことのできるのは、証言証人または証人配偶者、四親等内の血族もしくは三親等内の姻族または証人とこれらの親族関係のあつた者及び証人の後見人または証人の後見を受ける者の刑事上の訴追または処罰を招くおそれのある事項に関するとき、またはこれらの者の恥辱に帰すべき事項に関するとき、及び医師歯科医師、薬剤師 薬種商、産婆、弁護士、弁理士弁護人公証人、宗教またはこれらの職にある者またはこれらの職にあつた者がその職務上知つた事実であつて黙秘すべきものについて尋問を受けたときに限られておりまして、それ以外には証言を拒むことはできないことになつております。しかし、証人が正当の理由がなくて宣誓または証言を拒んだときは、一年以下の禁錮または一万円以下の罰金に処せられ、かつ宣誓した証人が虚偽の陳述をしたときは、三月以上十年以下の懲役に処せられることとなつておるのであります。一応このことを御承知になつておいていただきたいと思います。  では法律の定めるところによりまして証人宣誓を求めます。御起立を願います。  宣誓書の御朗読願います。山田さん、代表して宣誓書朗読してください。     〔証人山田善二郎君各証人を代表して朗読〕    宣誓書   良心に従つて真実を述べ、何事もかくさず、又何事もつけ加えないことを誓います  それでは宣誓書に罰名捺印してください。     〔証人宣誓書署名捺印
  249. 田嶋好文

    田嶋委員長 山田さん、内山さん、齋藤さんの順で尋問を行うことといたしますから、内山さん、齋藤さんは、しばらく元の控室でお待ちを願いたいと思います。  これより証言を求めることになりますが、証言証言を求められた範囲を超えないこと、また御発言の際にはその都度委員長の許可を得て答えるようお願いいたします。なおこちらから証言を求めるときはおかけになつてよろしゆうございますが、お答えの際は御起立を願います。  それでは山田善二郎さんにお尋ねいたしますが、まず型通りではございますが、あなたのお生れになつた日及びあなたの今お住まいになつておるところをお答え願います。
  250. 山田善二郎

    山田証人 昭和三年一月三十一日生れです。現在の住所は静岡県田方郡韮山村南条六百九十二でございます。
  251. 田嶋好文

    田嶋委員長 あなたは鹿地亘さんという方を知つておりますか。
  252. 山田善二郎

    山田証人 知つております。
  253. 田嶋好文

    田嶋委員長 どこで、どういうときに知合いになつたのですか。
  254. 山田善二郎

    山田証人 その前に少し述べることがあります。それは私の勤めていた機関のことを述べたいのです。
  255. 田嶋好文

    田嶋委員長 それでは、それを述べてください。
  256. 山田善二郎

    山田証人 私の働いていた機関は、元CICの一部のような機関で、私は、これははつきり申せませんけれども、そこに働いておりまして、そうしてその機関が昨年の大体二月ごろであつたと思います。そのころに……。
  257. 田嶋好文

    田嶋委員長 機関というとアメリカの……。
  258. 山田善二郎

    山田証人 そうです。アメリカの諜報機関のことです。二月ごろに川崎の東川クラブ、われわれは俗称TCと申しておりましたけれども、そこを接収し、一つの非常に小規模な派遣隊といいますか、そういつたような形のものをつくつておつだわけです。そこに働いておつたときに、一人の病人を連れて来るから室を準備しておけと言われたのが大体十一月の下旬ごろであります。私たちはその病人がどんな存在であり、またどんな人物であるかということを一切秘密にされてわかりませんでした。それから病人が連れて来られてから一週間以内、大体二、三日過ぎです。私が寝ておりましたときに、光田という軍曹が突然人を……。
  259. 田嶋好文

    田嶋委員長 光田……。
  260. 山田善二郎

    山田証人 ウィリアム光田と言います。
  261. 田嶋好文

    田嶋委員長 これは日本人ですか。
  262. 山田善二郎

    山田証人 二世です。光田という軍曹が突然、人をつかわして私の寝室に至急来るようにという命令があつて……。
  263. 田嶋好文

    田嶋委員長 人をもつてあなたの寝室に出て来るように言つたわけですね。あなたのおつたところの番地はわかりませんか。
  264. 山田善二郎

    山田証人 番地は川崎市新丸子東三丁目一千一百番地です。
  265. 田嶋好文

    田嶋委員長 そこに今あなたの言つた諜報機関が存在していたわけですね。そこえ、あなたが寝ているとき、光田という軍曹が人をもつて起しに来た……。
  266. 山田善二郎

    山田証人 そうです。私は何事が起つたかと思つて、急いで行つたわけです。そのときに光田軍曹が医者のかけるガウンと、頭に白いキヤツプというのですか、ああいつたものと、マスクをかけて、その病人の部屋に入つて来いといわれて、一緒に入つてつたわけです。
  267. 田嶋好文

    田嶋委員長 光田という軍曹がそういう服装だつたのですか。
  268. 山田善二郎

    山田証人 私も……。
  269. 田嶋好文

    田嶋委員長 光田という軍曹もそういう服装をし、あなたにもそういう服装をさせて、入つてつた……。
  270. 山田善二郎

    山田証人 そうです。
  271. 田嶋好文

    田嶋委員長 病人の部屋というのは、あなたの寝室の隣ででもあつたのですか。
  272. 山田善二郎

    山田証人 いいえ、建物が違つておりました。
  273. 田嶋好文

    田嶋委員長 それを言つてください。どういうところへ連れて行つたのですか。
  274. 山田善二郎

    山田証人 つまり病人は、東川クラブの建物ですね、そのちよつと離れた一室にかくまわれておつたのです。
  275. 田嶋好文

    田嶋委員長 やはりその家の中の別の室ですね。
  276. 山田善二郎

    山田証人 私は別の建物におりました。
  277. 田嶋好文

    田嶋委員長 証人のおつた別の建物は、同じ一廓の中にある建物ですか、全然独立した家屋ですか。
  278. 山田善二郎

    山田証人 私が当時寝ておりましたところは、全然独立した家屋です。  私は何事が起つたのかと思つて一緒に入つてつたときに、その病人がおるとおぼしき部屋に、ちようどこういつたような形のシヤンデリヤ模様ですが、それがもげて下におつこちておつたわけです。そうしてそれに手ぬぐいとネクタイがゆわえつけてあつた
  279. 田嶋好文

    田嶋委員長 そのシャンデリヤに手ぬぐいとネクタイがゆわえつけてあつたのですね。
  280. 山田善二郎

    山田証人 そして病人の姿が見えなかつた。ですから私はそこで初めて異様な空気を感じて、何が起つたのかと思つてびつくりしたわけです。そして光田軍曹と一緒に便所の方に行きますと、その便所の中にかすかなうめき声が聞える。そうしてその入口にあつたクレゾールのびんが倒れて、薬液が半分以上入つておりませんでした。そしてドアーをあけようと思いますと、ドアーは中からかぎがかかつてつて全然あかないわけです。それで光田軍曹は私に便所の上から中に入つてかぎをあけるように言われ、私も無我夢中で中に入つたわけです。すると、そこに一人の病人が倒れていた。もちろんまわりには嘔吐物とか、たん、そういつたものがが、口元といわず、シャツ、ズボン、そういつたところにも飛散しておりました。無我夢中のうちに二人で、光田軍曹は肩を持ち、私に両足を持つて彼を一応ベットに連れ込んだわけです。その時に光田軍曹は、ベットのわきにあつた小さなデスクの上に一枚の紙切れと、その上に懐中時計が置いてありましたが、その二つを見つけたのです。これは大体一仕事終つて見つけたわけです。そして幸いといいますか何といいますか、光田軍曹に日本語は話すことはできましても、読むことはそんなに得意でなかつたわけですから、私にそれを読むように言われました。それに「内山様、私は信念を守つて死にます。時計は一時を、鹿地」そしてちよつとスペースをおきまして、「看守の方に御迷惑をおわびします」。
  281. 田嶋好文

    田嶋委員長 「内山様、私に信念を守つて死にます。時計は一時を、」…。
  282. 山田善二郎

    山田証人 一時をさすという意味だろうと思います。その次に「鹿地」と書いてありました。そしてちよつとスペースを明けまして、「看守の方に御迷惑をおわびします。」 という走り書きの遺書があつたのです。私はそれを光田に声を出して読んで聞かせたのです。そこで私は初めて鹿地という人物を知つたわけです。
  283. 田嶋好文

    田嶋委員長 それはいつの話ですか。
  284. 山田善二郎

    山田証人 それは日にちははつきり覚えませんですけれども、去年の十一月下旬か十二月上旬あたりつたと思います。
  285. 田嶋好文

    田嶋委員長 去年の十一月の下旬か十二月の下旬ころ、それが鹿地という人を知つたもとですね。
  286. 山田善二郎

    山田証人 そうです。
  287. 田嶋好文

    田嶋委員長 それからあなたと鹿地君とのつき合いというのですか、交渉というか、接触というのか、それはどういうふうに今日まで展開されておつたのですか。
  288. 山田善二郎

    山田証人 私が初めて接したのはそれが機会です。それ以後というものは、ペニシリンとストレプトマイシンの注射を光田が常にやることにきまつておりました。食事はもちろんかれがやるべきものを、私にときどき持つて行かすようにしておりました。そういう状態がだんだん続いておつて、そのうちに三食常に私が持つて行くというような状態に変化して行つたわけです。そうして芽ケ崎に移るころ、完全に私が身のまわりの世話をするというような……。
  289. 田嶋好文

    田嶋委員長 茅ケ崎に移るころというのはいつごろですか。
  290. 山田善二郎

    山田証人 それは大体今年の三月の上旬ごろ。
  291. 田嶋好文

    田嶋委員長 茅ケ崎のどこに移つたのですか、
  292. 山田善二郎

    山田証人 私ははつきりその住所は知りませんけれども、茅ケ崎の駅を海岸方面に降りてまつすぐ行きますと、海岸に突き当る前にロータリーがあります。そのロータリーを左に曲つて海岸通りをずつと進んで行くわけです。そうすると、左に折れる一つの細い道があります。そこの道の角の立札にUSハウスの、C三だろうと思いますが、標識がある。もう一つそこを進んで行くわけです。
  293. 田嶋好文

    田嶋委員長 幾らくらい。
  294. 山田善二郎

    山田証人 道を左に折れずに進む。そうすると、もう一つのところにUSハウスC三一という……。
  295. 田嶋好文

    田嶋委員長 幾らくらい進んで…。
  296. 山田善二郎

    山田証人 時間にして大体三分ぐらい進んだところにUSハウスのC三一がある。
  297. 田嶋好文

    田嶋委員長 家ですか、標識ですか。
  298. 山田善二郎

    山田証人 標識です。その道を左に折れてずつとまつすぐ……。
  299. 田嶋好文

    田嶋委員長 それは何メートルくらい。
  300. 山田善二郎

    山田証人 何メートルかわかりませんけれども……。
  301. 田嶋好文

    田嶋委員長 時間にして……。
  302. 山田善二郎

    山田証人 時間にして大体五分くらい。
  303. 田嶋好文

    田嶋委員長 歩いてですね。
  304. 山田善二郎

    山田証人 そうです。そうすると、その道の右側に、米軍管理財産につき立入禁止という大きな標識がある。そこがC三一という建物です。そこに私が六月十日やめるまでおつた
  305. 田嶋好文

    田嶋委員長 そこに鹿地さんが移されたわけですか。
  306. 山田善二郎

    山田証人 そうです。
  307. 田嶋好文

    田嶋委員長 それはいつごろ。
  308. 山田善二郎

    山田証人 三月上旬あたり
  309. 田嶋好文

    田嶋委員長 その移される前から一切めんどうをみるようになつたというのですが、どういうめんどうですか。
  310. 山田善二郎

    山田証人 要するに三度の食事を運ぶこと、それから書物の購入ですね。
  311. 田嶋好文

    田嶋委員長 それから……。
  312. 山田善二郎

    山田証人 ふろに入りませんでしたから、からだをふくときのお湯をくんで持つて行く。それから部屋の掃除、それから洗濯物を持つて来て、一応外にほして日光に当てる。それを洗濯屋に持つて行く。
  313. 田嶋好文

    田嶋委員長 そういうめんどうをみておつたのですね。
  314. 山田善二郎

    山田証人 そうです。
  315. 田嶋好文

    田嶋委員長 鹿地さんのそのときの生活環境というか、生活状況というのはどんなものですか。部屋に監禁されておつたのですか。
  316. 山田善二郎

    山田証人 もちろんそうです。
  317. 田嶋好文

    田嶋委員長 どういう方法によつて
  318. 山田善二郎

    山田証人 要するに、移転したものですから、建物が二つあるわけです。
  319. 田嶋好文

    田嶋委員長 前の建物。
  320. 山田善二郎

    山田証人 前の建物は、その部屋に入るまで廊下がちよつと長いのですが、廊下のドアーにかぎをかける。そうして窓以外はすべてかぎがかかつておりました。
  321. 田嶋好文

    田嶋委員長 洋館ですか。
  322. 山田善二郎

    山田証人 日本間のたたみをはずし、その下にリノリウムをしいて…。
  323. 田嶋好文

    田嶋委員長 その周囲はどういうふうな……。
  324. 山田善二郎

    山田証人 周囲は大体木に囲まれておりましたけれども……。
  325. 田嶋好文

    田嶋委員長 ふすまですか、障子ですか。その部屋の中です。
  326. 山田善二郎

    山田証人 その部屋のまわりが、三万が障子に囲まれており、さらにそのまわりが廊下になつているわけです。その外側が窓によつて……。
  327. 田嶋好文

    田嶋委員長 障子で、廊下があつて、そうしてガラスがあるんですね。
  328. 山田善二郎

    山田証人 そうです。ガラス窓です。窓は全部開放されたような、大きな……。
  329. 田嶋好文

    田嶋委員長 ガラスは大きいガラス。
  330. 山田善二郎

    山田証人 いいえ、こういつたように小さく窓があるのではなくて、非常に広く窓がとつてありました。
  331. 田嶋好文

    田嶋委員長 日本の建物でしよう。
  332. 山田善二郎

    山田証人 そうです。
  333. 田嶋好文

    田嶋委員長 窓というと、ガラスの入つた障子のようなものですね。
  334. 山田善二郎

    山田証人 いいえ、その窓は開き窓です。開閉する引戸ではないわけです。
  335. 田嶋好文

    田嶋委員長 特別につくつたのですか。
  336. 山田善二郎

    山田証人 銀行のクラブですから、多分そんなような形につくつたのでしよう。そして守衛が常にまわりを…。
  337. 田嶋好文

    田嶋委員長 それはどういうように錠をかけてあるのですか。
  338. 山田善二郎

    山田証人 その窓には別に錠はかけてありません。
  339. 田嶋好文

    田嶋委員長 中の障子は……。
  340. 山田善二郎

    山田証人 障子は開放されておりました。
  341. 田嶋好文

    田嶋委員長 そうすると錠を周囲にかけてあつたというのはどこですか。
  342. 山田善二郎

    山田証人 要するにドアですね。
  343. 田嶋好文

    田嶋委員長 廊下のドアだけでしよう。
  344. 山田善二郎

    山田証人 廊下のドアのほかに入口もあります。そういつたとびらはすべて錠がかけてあつて、窓はかぎがかかつておりませんでした。
  345. 田嶋好文

    田嶋委員長 外へ出ようとすると出られるのですね。
  346. 山田善二郎

    山田証人 出る意思があれば出られますけれども、まわりは守衛が常に……。
  347. 田嶋好文

    田嶋委員長 まわりは守衛がおるが、出る意思があれば出られる状況にあつた監視は何人ぐらいついておつたのですか。
  348. 山田善二郎

    山田証人 それは光田が看視かたがた看病するという形でありましたけれども、日本人の守衛は、その当時は夜だけ監視するという形だつた
  349. 田嶋好文

    田嶋委員長 昼間は光田一人ですね。
  350. 山田善二郎

    山田証人 いいえ、そのほかに渡邊利三郎さん、榎本正雄さん、この両名に、もう一人おりました。ちよつと名前は忘れましたが……。
  351. 田嶋好文

    田嶋委員長 そこでは光田が一番の頭ですか。
  352. 山田善二郎

    山田証人 そうだつた
  353. 田嶋好文

    田嶋委員長 その下に榎本、渡邊、あなた……。
  354. 山田善二郎

    山田証人 まだ相当日本人はおりましたけれども、要するにその方たちは庭を手入れする職務だつたわけです。つまり庭の手入れをするのと、昼間の監視というものを兼用させられておつた。そこに働いている日本人の人数を極力減らして、いろいろな任務を負わせるというようなことだつた仕事そのものが楽だつたものですから、そういうことをさせられたんだろうと思います。
  355. 田嶋好文

    田嶋委員長 鹿地氏がそこから逃げ出そうとすれば逃げ出せる状況か、逃げ出せない状況か。監視状況は。
  356. 山田善二郎

    山田証人 その建物の付近すべては、鉄条網によつてめぐらされておりましたから、たとい逃げようと思つても逃げることはできないと思います。
  357. 田嶋好文

    田嶋委員長 周囲は鉄条網によつてめぐらされておつたから、庭に出ることはできたが、庭から外に出ることはできない……。
  358. 山田善二郎

    山田証人 はあ。
  359. 田嶋好文

    田嶋委員長 その部屋は何畳ぐらいの部屋ですか。
  360. 山田善二郎

    山田証人 部屋そのものは十畳ぐらいの部屋です。
  361. 田嶋好文

    田嶋委員長 それから茅ヶ崎へ移つたわけですね。茅ケ崎の方はどういう状況でしたか。
  362. 山田善二郎

    山田証人 茅ケ崎の方は二階に二間と便所がありまして、その二間は鹿地さんのために使われておりました。その部屋を連絡するための一つのとびら、それはあけ放たれておりましたけれども、他のとびらはすべてくぎづけされておりました。その部屋に入るための一つのドアは開き戸だつた。それは常にかぎをかけておくというあれで、その部屋には窓が三箇所ありました。その一つはくぎづけにされ、残りの二つは開放されるようになつておりました。そのくぎづけにされた窓の裏、結局表側です。そちらにだろうと思いましよが非常ばしごがかかつておりましたが、そういう理由でそこはくぎづけにしたのだろうと、これは私の推察です。
  363. 田嶋好文

    田嶋委員長 そうすると鹿地さんは、その中の行動は、二間と便所へ行くことは自由なんですね。
  364. 山田善二郎

    山田証人 そうです。
  365. 田嶋好文

    田嶋委員長 外はどうでした。前の家のように鉄条網は張つてつたのですか。
  366. 山田善二郎

    山田証人 いいえ。外には鉄条網は張つておりませんでした。
  367. 田嶋好文

    田嶋委員長 今度はどうですか、庭に出られる自由は。
  368. 山田善二郎

    山田証人 庭に出られる自由は一切禁止され、そうして一切出るような条件のもとには置かれておりませんでした。
  369. 田嶋好文

    田嶋委員長 そこにおつた人は、前の方と同じ人たちでしたか。光田さんとか、渡邊、榎本……。
  370. 山田善二郎

    山田証人 いいえ、違います。そごにおつたときは光田という軍曹が病人——つまり鹿地さんを世話をする。それからそのほかに本郷の岩崎邸におつた当時の兵隊が二人来ました。一人は二世の川田泉、という名前だろうと思います。名前はつきりわかりません。それからもう一人はブロビオ、これはどういう人物であるかといいますと、話によると戦時中は日本の横浜におつたそうです。つまり白系ロシヤです。向うから亡命して来て、戦時中は日本におり、そうしてそれ以後米国の市民権をとつて軍人になつたという兵隊らしいです。階級は曹長、川田も曹長だつたでした。光田は軍曹、この三人がおりました。そしてこの三人の兵隊の仕事は、光田は病人の看護またはG大佐が来たときの通訳を勤めておつた。それから川田はおもに会計方面、要するにそこの食料を買つて来たりすることだつた。ブロビオの仕事は全然なかつたように思います。
  371. 田嶋好文

    田嶋委員長 あなたは……。
  372. 山田善二郎

    山田証人 私はそこで食事をつくつて、病人に出すということと、ほかの兵隊にも食べさすということが私の仕事でした。
  373. 田嶋好文

    田嶋委員長 そのときの状況ですが、そのとき、なぜ鹿地さんをそういうような状況に置いてあつたと思われますか。
  374. 山田善二郎

    山田証人 ちよつと私はそれはつかめないのですが、結局どういう意味からのなぜなんですか。
  375. 田嶋好文

    田嶋委員長 その前に、こう聞きましよう。光田軍曹だとか、川田とか、またこれら以外の人が鹿地亘氏と何か話をしたり、また尋問をするというような形をとつたり、そうした状況は、あなたは見たととはなかつたですか、あつたですか。
  376. 山田善二郎

    山田証人 そういうことは一切見たことはありませんでした。
  377. 田嶋好文

    田嶋委員長 そうすると、結局家の中に閉じ込めて置いてあるという状況だけを目撃しておつたわけですね。
  378. 山田善二郎

    山田証人 いいえ、そのほかに目撃はしませんでしたけれども、こういうことを聞きました。それは光田という軍曹が酒を飲んだあるとき、どうだい山田、二階の病人はおれたちに協力してくれる可能性があるか、そういう意味の質問を私にしたことがありました。そのほかに一週間に月曜と金曜だと思いますその日に、われわれ自身でもG大佐と言つておりましたから、本名はわかりませんでしたが、G大佐が来られ、大体昼までに来て、昼に食事をして、それから鹿地さんの部屋に上つて行つて約三十分から四十分くらい話をしておつた、ということを繰返しておりました。私がやめるまで……。
  379. 田嶋好文

    田嶋委員長 それは毎日ですか。
  380. 山田善二郎

    山田証人 月曜と金曜です。
  381. 田嶋好文

    田嶋委員長 これは月曜、金曜と、ずつと確実にやつていたのですか。
  382. 山田善二郎

    山田証人 確実にです。
  383. 田嶋好文

    田嶋委員長 確実に三十分から四十分鹿地氏の部屋に入つてつた状況を見たことがある……。
  384. 山田善二郎

    山田証人 そうです。
  385. 田嶋好文

    田嶋委員長 しかしどういう話をしたか、これはわからない……。
  386. 山田善二郎

    山田証人 それは鹿地さんが私に話してくれたことがありますから……。
  387. 田嶋好文

    田嶋委員長 どういう話をしましたか。
  388. 山田善二郎

    山田証人 それは向うのポケット・ブックで、元共産党の要するに転両者、その君たちの手記を、研究社の辞引とともに——研究社の辞引は、ポケット・デイクシヨナリイでなくて、大きなものです。それを持つて来て、鹿地さんのところにあげたことがありました。
  389. 田嶋好文

    田嶋委員長 G大佐があげたのですか。
  390. 山田善二郎

    山田証人 そうです。持つて来てあげたのです。その日彼が帰つてから、私が鹿地さんのところに行つたときに、その本を私に見せて、こういつた本を読んでみろと勧められたということを聞きました。それから大佐二、三週間後だろうと思いますが、そのG大佐にあれを読んでみてどう思うかということを聞かれて、まだ返答をせずに少しじらしてやるのだということを、鹿地さんが……。
  391. 田嶋好文

    田嶋委員長 じらしてやるのだと……。
  392. 山田善二郎

    山田証人 じらしてやるのだ——その言葉は、じらしてやると言つたかどうかは記憶にありませんけれども、要するにそういつたような意味のことを言われておりました。
  393. 田嶋好文

    田嶋委員長 それ以外に目撃した事実はないですか。
  394. 山田善二郎

    山田証人 鹿地さんから聞いた言葉で、もう一つあります。それはもちろん自殺が未遂に終つてから以後ですが、そのG大佐が、私とあなたと友達になろう、要するに親しくなろうというようなことを、申し出て来たことがあるそうです。そのときに鹿地さんは、アメリカがアジアに対して侵略行為をせぬ限りは、それを約束するならば、アメリカに対して協力してもよろしいという返事を、与えてやつたと言つたことがあります。
  395. 田嶋好文

    田嶋委員長 それはいつごろの話です。
  396. 山田善二郎

    山田証人 それは記憶にありませんが、たのか茅ケ崎に行つてからそういう話をしたと思います。
  397. 田嶋好文

    田嶋委員長 茅ケ崎であなたは露地さんの家庭の方に何か連絡をしてやつたことがありますか。
  398. 山田善二郎

    山田証人 あります。それは前後四回あります。
  399. 田嶋好文

    田嶋委員長 それを言つてください。
  400. 山田善二郎

    山田証人 一回目は大体二月下旬だと思います。そのとき鹿地さんは私にそれを読んでもかまわないと言つて、私に見せてくれました。そこで鹿地さんの前では読まなかつたが、どのようなことが書いてあるかと思つて、読んでみた。そうすると自分を忘れてくれ、子供をたのむ、人に売られたという意味のことが書いてありました。
  401. 田嶋好文

    田嶋委員長 人に売られたとはどういう意味ですか。あなたがそう思うのですか、そう書いてあつたのですか。
  402. 山田善二郎

    山田証人 そう書いてあつたように記憶しております。私が今でも覚えているのは、自分を忘れろ、それから子供をたのむですね。記憶にあるのはその程度だと思います。
  403. 田嶋好文

    田嶋委員長 それが最初ですね。その次は……。
  404. 山田善二郎

    山田証人 第二回目は、四月の下句か五月の上旬だつたと思います。そのときは銀紙に包んで、要するにタバコの紙ですね、それに包んで、さらにその上を紙で包んで持ち出したのですけれども、その内容はほとんど記憶にありません。ただ要するにG大佐という人物が来て、一週間に二回ずついろいろ調べるというようなことが書いてあつたはずです。三回目はそこを私がやめたときです。やめたときに持ち出した。これは一冊のノートの中に、先ほども話したG大佐が共産党の転両者の手記を読ませた。それに対してどうであるかという質問に対して、論文のようなものを鹿地が書いたようです。それの写しです。それと子供に対する自叙伝のようなもの、それから詩です。それを一冊のノートに書いてあつたそれを私は持ち出したのです。
  405. 田嶋好文

    田嶋委員長 それは八月ころになるのですか。
  406. 山田善二郎

    山田証人 いいえ。それは結局やめたときですから、六月の十日です。
  407. 田嶋好文

    田嶋委員長 それからまだありますか。
  408. 山田善二郎

    山田証人 それはすべて内山先生を通じて渡しました。要するに内山先生に渡したわけです。それから四回目は、私はいろいろ安否を気づかつて調べたわけです。たとえば東川クラブで働いておつたときのマネージャーのうちへ行つて聞いてみたり、また茅ケ崎のあたり行つてみた。そしてまだ元気でおるらしい。それから近いうちに帰つて来るような話であるからということを伝えたわけです。私が連絡をしたのは前後四回、以上申しただけであります。
  409. 田嶋好文

    田嶋委員長 それはやはり内山さんに連絡したわけですね。
  410. 山田善二郎

    山田証人 そうです。
  411. 田嶋好文

    田嶋委員長 証人はそれから以後今日まで、どういう行動をとつたのですか。
  412. 山田善二郎

    山田証人 六月十日にやめて、私はすぐ横須賀のアメリカ海軍基地、あそこの補給部の会計課に七月一日から勤めておりました。そして十一月二十二日ですか、週刊朝日のあの事件の記事を見て、びつくりしてすぐやめて、内山先生のところへ飛んで来たわけです。
  413. 田嶋好文

    田嶋委員長 というのは、奥さんの失踪捜索願……。
  414. 山田善二郎

    山田証人 いいえ。あのときに、週刊朝日の私の実名が出ておつた。伊豆の山田という人物がひそかに連絡をした。そしてこのことはだれにも言わないでくれ。もし見つかつたら命が危険だからというようなことが、私の言つたこととして記事に載つてつた。要するに私の名前と、それから伊豆あたりに住むというような住所と、それもほぼ確定的なものだつたので、私はびつくりしてやめて来たわけです。
  415. 田嶋好文

    田嶋委員長 そうすると、やめたというのは、身辺の危険でも感じたのですか、秘密を漏らしたというので、恐しくなつたのですか。
  416. 山田善二郎

    山田証人 もちろん身辺の危険を感じました。
  417. 田嶋好文

    田嶋委員長 どういう危険を感じたか。
  418. 山田善二郎

    山田証人 それは川崎に働いていた当時に、女中が三人おりました。そのうちの一人が、私のところに金を借りに来たことがあります。そのときに、光田という人間に浦賀の駅の近くで会つた、そのときに光田は、私がどこに勤めているか、そしてどこに住んでいるかということを聞いたそうです。その女の言うには、はつきりしたことは知らないけれども、横須賀の海軍基地に勤めていることは確かだという返事をしたそうです。そうしたらその光田軍曹は、それならば会える、と言つて別れたそうです。そこに私は非常な心配をしたわけです。
  419. 田嶋好文

    田嶋委員長 どういう心配を……。
  420. 山田善二郎

    山田証人 つまりアメリカ軍に働いておつたわけですね。機関は違つても、アメリカの軍の機関に働いておつたから、彼らはそれで会えるというところに、私は非常な危険を感じたのです。
  421. 田嶋好文

    田嶋委員長 どういう具体的な…。
  422. 山田善二郎

    山田証人 つまり私自身鹿地さんと同様な、やみに葬られんという危険を感じた。向うが機密の漏洩を防ぐために、私自身を葬る……。
  423. 田嶋好文

    田嶋委員長 ということをあなた自身が心配したわけですね。具体的に危険が迫つたわけじやない。あなた自身がそう考えたわけですね。
  424. 山田善二郎

    山田証人 そうです。
  425. 田嶋好文

    田嶋委員長 それからどういう行動をとつたのですか。
  426. 山田善二郎

    山田証人 それから内山先生とも相談して、一番最初に、社会タイムスの記者もいました、その方と一緒に、海野先生のところに行きまして……。
  427. 田嶋好文

    田嶋委員長 海野晋吉という弁護士ですか。
  428. 山田善二郎

    山田証人 そうです。それ以後はすべて猪俣先生——猪俣先生は二十四日に、鹿地さんの奥さん内山先生と国会に来て面会しました。二十四日以後すべて猪俣先生におまかせして、現在まであるところに隠れているわけです。
  429. 田嶋好文

    田嶋委員長 最後にもう一度聞きますが、鹿地氏は何のためにそうして勾留、留置せられておつたとお考えになりますか。それはわかりませんか。
  430. 山田善二郎

    山田証人 何のために逮捕したかということは、私はわかりません。ところが何のために長い間軟禁しておつたかという理由は、二世の光田の言つた言葉ですが、協力してくれる可能性があるかという質問の言葉と、鹿地さんの言つた、G大佐が友達になろう、親しくなろうと言た言葉、それからしてみて、彼らのために——彼らは諜報機関をやつている一味ですから、その手先にするために利用しようという意思があつたということは、私は言い切れると思います。
  431. 田嶋好文

    田嶋委員長 諜報機関の手先にしようという……。
  432. 山田善二郎

    山田証人 そうです。要するに利用価値があれば……。
  433. 田嶋好文

    田嶋委員長 あれば手先にしようという意味でとめておつたように想像されるというのですね……。
  434. 山田善二郎

    山田証人 そうです。
  435. 田嶋好文

    田嶋委員長 委員長の質問はこれで打切ります。  委員からの発言の通告がありますから、その発言にお答えを願いたい。福井盛太君。
  436. 福井盛太

    ○福井(盛)委員 ちよつと遅れて入りましたので、重複するかもしれませんが、証人鹿地の自殺をはかつたときに遺書を見出したということでしたが、それから後、証人はいかなる態度をとつたか、どういうふうな仕打ちをしたかということを承りたい……。
  437. 山田善二郎

    山田証人 それは鹿地さんに対する態度ですか、アメリカ軍に対する……。
  438. 福井盛太

    ○福井(盛)委員 あなたが鹿地さんに対してとつた態度、それからその後の仕打ちですね、アメリカ軍に対して……。
  439. 山田善二郎

    山田証人 それは初めてその遺書を読んだときに、私は非常に打たれるところがあつた。要するにアメリカ軍の何かの権力、それに死をもつて抗議しようとした。そうしてそれが失敗に終つて、苦しんでいる人を目の前に見たときに、私は非常に打たれるところがあつた。そうして何とかして私はこの人のために自分のでき得る最善を尽すべきが、私の義務ではないかと思つたのです。なぜそういうように打たれたかという一つの理由は、私は過去七年間進駐軍に働いておりましたけれども、あるときは豚箱に入れられてみたり、MPになぐられたり、あるときはコップ一個を割つたら百円弁償しろとかいうふうに、あらゆる方面から非常に苦しめられて来た。結局私に対して加える力は権力をかさに着た力、鹿地さんに加える力は権力というものの力です。加える力は異なつてつても、加えられた者同士のお互いの感情、そういうものは通ずるところがあつたのです。
  440. 福井盛太

    ○福井(盛)委員 わかりました。アメリカ軍の方にそれを通じたのですね、すぐその状況を報告したのでしようね。
  441. 山田善二郎

    山田証人 それは光田軍曹が……。
  442. 福井盛太

    ○福井(盛)委員 光田軍曹にあなたが報告したのですか。
  443. 山田善二郎

    山田証人 どういう点ですか。
  444. 福井盛太

    ○福井(盛)委員 あなたが発見してそういう状況を見たでしよう。それからそういうふうにあなたが感じられたものだから、すぐそれからとつた態度ですね。
  445. 山田善二郎

    山田証人 それは彼らには通告しないわけです。
  446. 福井盛太

    ○福井(盛)委員 そうすると、あなたはどうしたのですか。
  447. 山田善二郎

    山田証人 私は鹿地さんのために、また鹿地さんの家族のために、連絡をしたいというように考えたわけです。そこに働きながらですね。
  448. 福井盛太

    ○福井(盛)委員 それから中に鹿地君が入つているうちの状況を承りたいのですが、食事などはどんなものを食べさせていましたか。
  449. 山田善二郎

    山田証人 食事は大体われわれが食べておつたと同じような食事です。つまり肉を食べるときは肉を食べる、野菜を食べるときは野菜を食べる……。
  450. 福井盛太

    ○福井(盛)委員 普通のものですね。
  451. 山田善二郎

    山田証人 そうです。別に病人であるから何かというようなことはありません。茅ケ崎におつたとき、こういうこともあります。それは光田と川田という者が、表面ではむつまじくしておつても、心の中では対立しているようなところがあつた。それで川田が結局食事とかそういつた方面の責任者であつたわけです。それで光田が憎いあまりだろうと思いますけれども、二階の病人、あんなやつは死んじやつた方がいい、おれだつたら殺すと言うのですね。あんなやつにはこういううまいぜいたくなものを食わしてやる必要がないと言つて、卵を出すならば小さなものを出す、また肉を出すならば小さな肉の切れを出す、こういうようなこととはありました。しかしそれも自然に薄らいで行つて——結局その川田という人間そのものも薄つぴらな人間だつたのだろうと思います。そのうちにだんだんそういつた態度がなくなつて、ぼくはむしろあのお答さんに同情するというようなことを言つたこともありました。
  452. 福井盛太

    ○福井(盛)委員 それから外には出さないようなお話ですが、室外運動などはさせないのですか。
  453. 山田善二郎

    山田証人 一切室外の運動はさせませんでした。結局部屋から一歩も出ることは許されておりません。
  454. 福井盛太

    ○福井(盛)委員 その部屋に監視人はいたのですか。
  455. 山田善二郎

    山田証人 監視人はおりません。
  456. 福井盛太

    ○福井(盛)委員 それからその家は独立した家なんですか、アパートみたいになつているのではなくて、独立した家のようでしたか。
  457. 山田善二郎

    山田証人 茅ケ崎におつたときは、中島何とかという方の別荘です。
  458. 福井盛太

    ○福井(盛)委員 あなたはその家に一緒に住んでおつたのですか。
  459. 山田善二郎

    山田証人 私はその一階の一室に、齋藤正太郎さんと一緒に住んでおつた。そうして鹿地さんは二階に、他の者はだれもおりませんでした。
  460. 福井盛太

    ○福井(盛)委員 いま一点……。先ほどG大佐のお話が出ましたが、G大佐はどういう役目だつたか、御存じですか。
  461. 山田善二郎

    山田証人 それは私ははつきりわかりませんけれども、非常に世界の各国を遍歴して来たように、話から察すると見受けられ、また日本の歌舞伎、ああいつたものにも興味を持つているらしいのです。それから日本語をしやべるよりも、読み書きといつた方が割合得意、そういつた方に精通しているような存在です。ちよつと見ると、弱々しいインテリ・タイプの人です。この方がどういう職務かということはわかりませんでしたけれども、何かあの中では相当な権力があつたらしいです。それはあるとき川田がこういうことを言いました。つまり郵船ビルデイグに総司令部の第二課があつたらしいのですが、G大佐が大佐がその機関の中に顔を出すと、ほかの連中はみなびくびくしているけれども、おれは平気だということを得意になつてつたということです。だから相当な権力はあつたと思います。
  462. 福井盛太

    ○福井(盛)委員 あなたがなさつておる仕事というのは、三度の食事とか、部屋の掃除、洗濯というようなことでしたか、それの用以外には、その部屋に入つて行つて話することはできないのですね。
  463. 山田善二郎

    山田証人 それ以外には私自身しませんでした。
  464. 福井盛太

    ○福井(盛)委員 それでは私はこれで終ります。
  465. 大川光三

    ○大川委員 自殺未遂事件が起つてから、鹿地氏は部屋の中に閉じ込められたということはわかりますが、部屋の中では身体の自由はあつたのですか、それともくくられておつたのですか。
  466. 山田善二郎

    山田証人 私の見た範囲では、部屋の中でくくられたことはありません。要するに寝たいときは寝、起きたいときは起き、本を読みたいときは読む、部屋の中の自由は許されておりました。
  467. 大川光三

    ○大川委員 それは東銀川崎クラブ時代も、茅ケ崎に来てからも、室内での自由は許されておつたのですか。
  468. 山田善二郎

    山田証人 許されておりました。
  469. 大川光三

    ○大川委員 鎖でくくられるとか、拘束は受けておりませんね。
  470. 山田善二郎

    山田証人 そういうことはありません。
  471. 大川光三

    ○大川委員 証人自身は、勤務先から自由に外出する機会にあるのですか。
  472. 山田善二郎

    山田証人 川崎に勤めておつたころは、全部が全部そこに寝とまりをしてやつてつたという状態ではないわけです。結局日本人のある者は通勤し、ある者はとまつてつたという状態ですから、私たちの買物、食糧とか本を購入するために外に出て行つたりするというときは自由なんです。ですから、休みのときも出て行くときは自由なんです。
  473. 大川光三

    ○大川委員 そこで鹿地氏がこういうところに拘禁されておるということについて、あなた自身は、相当な義憤と申しますか、同情を持つたろうと思いますが、あなたが自発的に外部へこのことを通報して、鹿地氏を救い出そうというようなことについて自発的な行動はおとりにならなかつたのですか。
  474. 山田善二郎

    山田証人 要するに私が連絡をしたというのは、すべて私が自発的にやつたことです。ですから鹿地さんは、それに対して最初は、非常に懐疑的であつたろうと思います。ところが初めて行つて来て、それを通告したときに、ほんとうにあそこで初めて心から笑つたと言つて過言ではないと思います。非常ににつこりと笑つて、どうもありがとうと言つたことは、私の記憶に明白なあれです。ですから私がやつたことは、すべて私が自発的に連絡した。
  475. 大川光三

    ○大川委員 ところが先ほど外部に手紙あるいはノートによつて連絡したのは四回だとおつしやいましたね。そうすると結局鹿地氏の意思に基いてあなたが手紙をことずけたり、ノートを持ち出したりしたのは、結局鹿地氏の意思に基いたのであつて、あなたが自発的にやつたというようには受取れないのですが、どうですか。
  476. 山田善二郎

    山田証人 それはこうなんです。私が連絡をするから何かあるかというふうに出たのが最初です。二回目も茅ケ崎に移つて、そろそろおちつき出して、おちついたからまた連絡をするからというわけでまた出した。三回目の連絡のときも、ここでいざやめるから家に持つて行くものがあるのだつたらというわけで私が持ち出した。ですから最初の二回ですね。四回番は全然鹿地さんとは連絡はなかつたわけです。私が内山先生のところに行つたのです。ですから最初の二回は走り書きで書いてあつた鹿地さんは用意はなかつたわけす。
  477. 大川光三

    ○大川委員 念を押して聞きますが、結局あなたは自殺未遂事件の以前には、鹿地さんは御存じないですね。
  478. 山田善二郎

    山田証人 以前にはありませんでした。
  479. 大川光三

    ○大川委員 そこでその自殺の未遂事件があつた昨年の十一月二十九日ですか、その日から、あなたが茅ケ崎を出られる六月まで、確かに本人が川崎や茅ケ崎におつたということは断言できるのですね。
  480. 山田善二郎

    山田証人 それはできます。
  481. 大川光三

    ○大川委員 六月まで本人がおつたということを知つているのは、あなた以外にどういう人がありますか。
  482. 山田善二郎

    山田証人 私以外に、川崎当時は病人を見ることは全部禁止せられておつたのです。そこのそばに近寄ることをですね。ところが病人がおるという話は、あそこに働いておつた従業員は全部知つております。そうして茅ケ崎に移つてからと私一緒に働いた斎藤正太郎という方があります。その方が——要するに最初行つた当時は、まだ鹿地さんの部屋のかぎができておりませんでしたから、それをすえつけるために上つたこともあり、私がやめて以後二、三回食事を持つてつたこともあります。
  483. 大川光三

    ○大川委員 何日ぐらいが病気時代でしたか。
  484. 山田善二郎

    山田証人 私がおる間全部病気時代です。
  485. 大川光三

    ○大川委員 その間毎日食事を持つて行かれたりして会つておられるのですが、本人はそこにおつたことを苦痛に考えておつたか、比較的平気でそこにおりましたか、あなたの受取つた感じは……。
  486. 山田善二郎

    山田証人 それはもちろん非常に苦痛に感じておつたと思います。というのは、いつごろ出すんだろう、どうしてこんなことをやつているんだろうかということを私に聞いたこともずいぶんあります。
  487. 木下郁

    ○木下(郁)委員 二、三点お聞きします。あなたが書物を買いに行つたというような話でしが、どういう種類の本でしたか。
  488. 山田善二郎

    山田証人 私が買いに行つたのは中央公論とか世界、改造、そういつた月刊雑誌、そのほかに「魏志倭人伝」というのもありますが、また「アンナ・カレーニナ」、「復活」とか、最近のあれでは「真空地帯」、「広場の孤独」、そういつたような雄志を主として買いました。要するに理論的なようなものですね、そういつたようなものを買つて来た記憶はありません。
  489. 木下郁

    ○木下(郁)委員 あまりむずかしい本は買わなかつたのですね。
  490. 山田善二郎

    山田証人 はい。
  491. 木下郁

    ○木下(郁)委員 その支払いなんかは、どういうふうにやつておりましたか。
  492. 山田善二郎

    山田証人 支払いは光田が私に金を渡すわけです。また茅ケ崎に行つてから、光田自分で買つて来たこともあります。光田が私に金を渡す、私がそれを買つて領収書をとるわけです。そうしてその領収書を光田の要求したときに渡すというふうにしておりました。ですから、現在この一軒の本屋は工業都市にありますから、その工業都市の本屋に聞いても、私が買いに行つたということはわかります。
  493. 木下郁

    ○木下(郁)委員 買う本というのは、光田から聞いて、あなたが買いに行つたのですね。
  494. 山田善二郎

    山田証人 いいえ。鹿地さんがこういう本がほしいというものを私が自由に買つて来ることができました。
  495. 木下郁

    ○木下(郁)委員 それはやはり食事のときにそういう話があるのですか。
  496. 山田善二郎

    山田証人 そうです。
  497. 木下郁

    ○木下(郁)委員 それから衣類はどういうふうにしておりましたか。さつき洗濯とかなんとかいうことがあるが、着て行つたのは着のみ着のまですがね、やはり占領軍の衣類か何かをずつと着ておつたのですか。それとも病衣のような……。
  498. 山田善二郎

    山田証人 それはすべて私が日本の物を買つて来たのです。または光田軍曹が自分で買つて来たこともあります。
  499. 木下郁

    ○木下(郁)委員 それから占領軍の看視の人なんかの話がいろいろありましたが、G大佐とかなんとかいう人でなくて、中国の人とかいうような人が会いに来たようなことはなかつたですか。
  500. 山田善二郎

    山田証人 鹿地さんに対してはありませんでした。要するに鹿地さんに接触を許されたのは、私がおつた当時、光田と私と二人だけだつたのです。
  501. 木下郁

    ○木下(郁)委員 食事はあなたがしよつちゆう持つてつたということですが、これは持つて行つて、そのそばでずつとお給仕みたいなことをして、話をしながら、あとを片づけるとか、そんなふうにそこに多少のゆとりがあつたのですか。それとも非常に厳格な持つて行き方をしておつたか。
  502. 山田善二郎

    山田証人 それは大体御飯のときやなんかだつたら、どんぶりに入れて持つて行き、そこに置いて、食べ終つてからとりに行く、またはそのままほうつておいて、次の食事を持つて行くときに、前の——たとえば夕方だつたら昼の皿を持つて帰るというようにしておりました。
  503. 木下郁

    ○木下(郁)委員 さつき聞かれたようでしたけれども、川崎で自殺未遂という大騒ぎがあつてあなたがかけつけたとき、足をつながれているとかなんとかいうことはなく、便所に自由に行かれるようなありさまだつたのですね。
  504. 山田善二郎

    山田証人 便所には自由に行かれました。
  505. 木下郁

    ○木下(郁)委員 それからこれはあなたのことに関することですが、あそこに勤めて、それから今度やめてすぐ横須賀に勤めたのは、これはだれかの口添えがあつたのですか。それとも新聞の広告か何かを見て希望して就職したのですか。
  506. 山田善二郎

    山田証人 私はやめて横浜あたりに勤めようかと思つたのです。ところが当時アメリカ軍は横浜から分散するような形でした。要するに接収解除して、あそこを分散して、一箇所に集中するような傾向だつたわけです。ですから横浜の中に職を探すということはちよつとむずかしいと思つた。その当時横須賀の海軍基地で……。
  507. 木下郁

    ○木下(郁)委員 職を探すのではなくて、あなたが採用されたのは、フリーで行つて、行き当りばつたりにやつて採用してもらつたのか。それとも何かの手づるがあつて、そういう職を募集しているとかなんとかいうことで採用に出かけて行つたのか。
  508. 山田善二郎

    山田証人 それは私が自分行つて、試験を受けて採用されたわけです。
  509. 木下郁

    ○木下(郁)委員 それから鹿地さんは何か本を読んだりしているのでしようが、書きものなんかは自由にできたような様子でしたか。それから何か書きものでもしているような様子がありましたか。原稿用紙とインクとペンというようなものは、その部屋にあつたのですか。
  510. 山田善二郎

    山田証人 ありました。つまりほしいものは、大体何でも買つて来るというような形だつた。インクがほしいといえばインク、紙がほしいといえば紙、それから水彩画なんかもやりましたから絵の具、そういうものも、要求したものは買つてくれました。
  511. 木下郁

    ○木下(郁)委員 何か手記みたいなものでも書いたような様子はわからぬですか。
  512. 山田善二郎

    山田証人 手記というと……。
  513. 木下郁

    ○木下(郁)委員 自分の論文かもしれませんが——あなたも論文を少し持つて出たという話でしたが……。
  514. 山田善二郎

    山田証人 それを書いておつたときに、私に見せてくれました。
  515. 古屋貞雄

    ○古屋委員 三点ばかりお尋ねいたしますが、第一の点は、昨年の十一月二十九日の夜の鹿地さんが自殺未遂になられたときに、あなたが発見した遺書ですが、その遺書はどういうような処置をいたしたのでしようか。
  516. 山田善二郎

    山田証人 それはすぐ光田軍曹が自分が持つてポケットに入れて外に出て行きました。結局その遺書を持つて何か処置をしようという目的でなくて、その自殺未遂に終つた鹿地さんを看病するために外へ出て行つたわけです。ですからそれ以後その遺書がどうなつているかわかりません。
  517. 古屋貞雄

    ○古屋委員 その遺書の内容を証人はよく存じておりますか。
  518. 山田善二郎

    山田証人 それは私が読んで聞かせたものですから、記憶は明確に残つております。
  519. 古屋貞雄

    ○古屋委員 どんなことが書いてあつたのですか。
  520. 山田善二郎

    山田証人 内山様として、そこから行が少し離れるわけです。そして、信念を守つて死にます、時計は一時を、鹿地——そして少しスペースをあけて、看守の方に御迷惑をおわびします。そういう遺書だつたのです。
  521. 古屋貞雄

    ○古屋委員 あなたは大分鹿地さんに同情されたようでございますが、鹿地さんと二人で相談して、さような監禁の場所から逃げ出すような相談をした事実があつたかどうか。それからなおもう一つは、あなたが何とか考えて救い出したいというようなことを考えた事実があつたかどうか。
  522. 山田善二郎

    山田証人 鹿地さんと私と相談して逃げ出すという計画を立てたことは一切ありませんでした。救い出したいという気持は、私は非常に持つておりました。ところが私が救い出したいからといつて、警察にすぐ訴えたならばどうなるか。またこれを大きく公に発表して鹿地さんの身辺を気づかつたのです。ですから、ごく内密裡に内山さんところを通じて鹿地さんのお宅と連絡して、帰つて来られるときを待つというような手が最良だろうと思つて、その道をやつたのであります。
  523. 古屋貞雄

    ○古屋委員 そうすると、救い出し方についてもし間違いでもできますならば、鹿地さんの命にかかわるというような危険があつたというようにお考えになつておられたのですか。
  524. 山田善二郎

    山田証人 要するに、ある一種の確証をもつてそうだ、こういう証拠があるからあれだというのじやなくてですね。
  525. 古屋貞雄

    ○古屋委員 あなたのその当時のお考えがね。
  526. 山田善二郎

    山田証人 そうです。
  527. 古屋貞雄

    ○古屋委員 それからもう一つ、鹿地さんの夜お休みになるときの事情などは、あなたわかりましたか。
  528. 山田善二郎

    山田証人 いえ、わかりません。
  529. 古屋貞雄

    ○古屋委員 先刻部屋の中では自由であつたというようなことの証書をしておりましたが、そうすると、夜はあなたの知らないときにどういう処置をされたか、それはあなたにはわからないのですか。
  530. 山田善二郎

    山田証人 わかりません。おそらく寝る以外には何にもしていなかつたと思います。
  531. 古島義英

    ○古島委員 ちよつと一、二点伺いたいのです。あなたが昨年の十一月か十二月の初めに、突然光田軍曹に呼ばれたということを言いましたが、そのとき初めから、マスクをかけて来いとか、あるいはガウンを着て来いと言われたのですね。
  532. 山田善二郎

    山田証人 そうです。
  533. 古島義英

    ○古島委員 あなたは、そういうマスクをかけろとか、ガウンを着て来いとか言われたときに、どう思いましたか。何事だと思いましたか。
  534. 山田善二郎

    山田証人 そのときにもう何が何だか——まだ寝て目がさめてしばらくだつたものですから、言われるままに入つた。そして部屋に入つてから、病人が見えない。それで電燈が落ちているというところを見て、異様な、これは何かあつたなと感じたのです。ところが実際病人を便所から救い出すときには、無我夢中で、何が何だか夢中でやつたという以外に、言う言葉はないと思います。
  535. 古島義英

    ○古島委員 部屋に入るとシャンデリアが床にでも落ちておつたのですか。
  536. 山田善二郎

    山田証人 元から切れておつた。それでネクタイと手ぬぐいがゆわえつけてあつた。ですから、あそこで首をつろうとしたけれども、簡単にもげて落ちて全然つり切れない。それでクレゾールを飲むというのは第二の手段として選んだと思います。私の想像ですが……。
  537. 古島義英

    ○古島委員 それを見たときにあなたはそう思いましたか。
  538. 山田善二郎

    山田証人 要するに、電燈がおつこつて、手ぬぐいがゆわえつけてあるのを見て、そこでピンと来たわけです。
  539. 古島義英

    ○古島委員 そうすると、病人が便所の中におることを発見する前に、もうこれは自殺未遂でもあつたのだろう、こう考えましたか。
  540. 山田善二郎

    山田証人 そう考える余裕はありませんでした。
  541. 古島義英

    ○古島委員 あなたが病人の足の方をかかえて、光田軍曹が胴の方をかかえて、そして部屋にもどつた。部屋にもどつてから初めてそう思つたわけですか。
  542. 山田善二郎

    山田証人 要するに、光田に連れられて入つてつたときに、電燈がおつこつてつたところで、これは自殺未遂をしたのだなとか、そんなふうに考える余裕はありませんでした。
  543. 古島義英

    ○古島委員 病人を連れもどつてから気がおちついて初めて……。
  544. 山田善二郎

    山田証人 何のために自殺したかということを、遺書を見てそこで初めてわかつて来たわけです。
  545. 古島義英

    ○古島委員 そうすると、テーブルの上に遺書があつたというのですね。幾度も繰返して言うが……。
  546. 山田善二郎

    山田証人 そうです。
  547. 古島義英

    ○古島委員 それには内山さんの往所が書いてありましたか。
  548. 山田善二郎

    山田証人 ありませんでした。ですから私は最初それを見たときに、神奈川県知事の内山岩太郎さんなのかなというような想像もしたわけです。
  549. 古島義英

    ○古島委員 そこで内山さんにあなたがいろいろな連絡をとりましたね。連絡をとるときの往所は別に聞いたのですか。
  550. 山田善二郎

    山田証人 一番最初に鹿地さんの留守宅——上落合ですか、下落合ですか、その往所を聞いて行くはずだつたのですが、わからなかつた。そしてそのときは結局無為に帰つて来たのです。それから二、三日だつたか一週間くらいたつて、もう一軒どこか家を連絡できるところがあつたら知らせろということで、内山さんの往所を知らせたわけです。
  551. 古島義英

    ○古島委員 そうすると下落合の方に行つたけれども、結局見当らなかつたから、ほかの方に連絡する場所があつたら連絡したいということをあなたの方から言い出したのですか。
  552. 山田善二郎

    山田証人 そうです。
  553. 古島義英

    ○古島委員 その結果内山さんのところをたずねた……。
  554. 山田善二郎

    山田証人 そうです。
  555. 古島義英

    ○古島委員 内山さんに連絡したら、内山さんはどう言いました。
  556. 山田善二郎

    山田証人 さあ、そのときは私ははつきり記憶に覚えておりませんけれども、どうもありがとうということを言いました。
  557. 古島義英

    ○古島委員 さだめて一年もいなかつたから。
  558. 山田善二郎

    山田証人 いや、一年もじやない、もつと早かつたのです。そして金でも必要なことがあるかということを聞いたと思います。要するに金というのは鹿地さんのための金ですね。そうしたらそういつたことは必要じやないと言つた
  559. 古島義英

    ○古島委員 小づかいですね。
  560. 山田善二郎

    山田証人 そしてそのほかに、うちの者は、奥さんが病気になつて、最近病気が回復してちよつとした仕事もできるようになつたらしい。また子供も中学校に上つた、そうしたことを知らせてくれと言いました。
  561. 古島義英

    ○古島委員 内山さんのところに行つて下落合鹿地さんの奥さん住所を聞かなかつたのですか。
  562. 山田善二郎

    山田証人 聞きませんでした。鹿地さんの奥さんに会つたときは、私が横須賀の海軍基地をやめて、こちらへ飛び出して来たときに初めて会つたのです。それまでは奥さん住所奥さんに会つたこともありませんでした。
  563. 古島義英

    ○古島委員 あうたの方は第一着に下落合奥さんのところを尋ねて、それが見つからぬためにやむを得ずほかの連絡場所を聞いてから内山さんのところに行つたら、とりあえず奥さんはどこにおるでしようということを聞かなければならぬ道筋ですが、どうですか、聞かなかつたのですか。
  564. 山田善二郎

    山田証人 いいえ、それは鹿地さんに大丈夫だということを聞いていたわけです。そのときにこの方だつたならば絶対私も信頼している人だし、また非常なクリスチャンだから、それで一切こうしたことを公にするということはしない、絶対信頼の置ける人だからという話で、一切を信用して連絡したわけです。ですから私自身内山さんに会うことによつて奥さんに会う必要は感じなかつたのです。
  565. 古島義英

    ○古島委員 内山さんと鹿地さんはよほど懇親な方のように考えておりますが、懇親な鹿地という人がしばらく見えなかつたのですから、いかにもその抑留されているようなことをあなたの方で連絡をとればびつくりぎようてんするわけだが、その模様はどうでした。
  566. 山田善二郎

    山田証人 もちろんそれは驚いておりましたね。
  567. 古島義英

    ○古島委員 驚いて、みずから何とか救出しようというようなことをそこで言いそうなものですね。あなたと相談しそうなものですね。
  568. 山田善二郎

    山田証人 さあ、それは内山先生に聞いてみなければわからないです。
  569. 古島義英

    ○古島委員 いや、あなたに相談しそうなものと思うが……。
  570. 山田善二郎

    山田証人 私は一切相談はしませんでした。それをすることが精一ぱいだつた。このことは一切ほかの人には口外しないでくれと言つて来たわけです。ですから救出ということよりも、とりあえず連絡するということが精一ぱいだつたのです。
  571. 古島義英

    ○古島委員 連絡の目的は、何とかして救い出そうという意味から連絡したのでしよう。しからばただ場所だけ知らせてありがとうだけでは済まぬと思う。そこで大いにあなた方が相談して、それじやこういうふうに救い出そうと、奥さんのところに一緒にたずねて行つて対策を講じようとか何かそこに出て来るはずですが、どうですか。
  572. 山田善二郎

    山田証人 それは二回目か三回目に連絡したときに、私が言つたこともあります。ということは、何か組織を借りるなり訴えるなりしてやつてみたらどうかということを言つたときに、そうやつた場合、やはり鹿地さん自身の命があぶないんじやないか、ですからもう少し待とうということを内山さんはおつしやつておりました。
  573. 古島義英

    ○古島委員 抑留されて誇ることがほかへわかると、鹿地さんの命があぶないというので救い出しにはかからなかつた、こういうわけですか。
  574. 山田善二郎

    山田証人 そうです。要するに私は鹿地さんと常に生活を一緒にしておつたわけですから、それによつて事態に変化があれば連絡ができたわけです。その命が危険になるとか、またどこかとんでもない方に送られるとかいうようなことがあつたならば……。私が思うには、事態をもう少し静観して、ただ現在のところは元気でいるということを聞いて、それだけで満足しておつたんじやないかと思います。要するに救出運動は、もう少し事態の発展いかんを見てからにしようという意思であつたんじやないかと思います。私自身もそうです。
  575. 古島義英

    ○古島委員 あなたがコックをやめるときに、あなたとか齋藤さんとかが、光田その他向うの兵隊にえらい侮辱を受けたとか、あるいはおもちやにされたとかいうようなことでけんかをしたということですが、どんなけんかですか。
  576. 山田善二郎

    山田証人 芽ケ崎に移つてから、あれは一つの理由によつてすべての私たちの欝憤が爆発したわけです。それは初めてあそこに勤めたときに、私が鹿地さんのために食事を持つてつたり掃除もしたりすると、川田は、お前はばかだ、気違いだ、共産党のあんなやろう、死んだつていいやろうに何だつてつてやるんだ、そもそもお前は光田のためにぺこぺこしておると、頭から罵倒された、そういつたこともあります。また一箇月たつて給料をもらうときに、おれに給料は幾らくれるかと光田に聞いたときに、初めは二万円は下らないと言つてつたのですが、いぎ手にもらつたときには一万三千円くらいでした。それとラッキー・ストライク四本しかくれない。私はそれに対して約束が全然違うと抗議を申し込んだら、お前は日本の会社に行つたら今こんなにもらえない、一万幾らだつてもらえないかもしれない、そのタバコは千三百円だ、だからそんなに文句を言うことはないと言うのです。だからぼくは言いました。それは正式なルートから買えば千三百円するかしれぬが、われわれがこれを売るときは七百円か八百円くらいにしか売れない、約束が全然違うと言つたわけです。何のために進駐軍のこんなところに働いているか、何もアメリカ軍のために尽すためじやない、こう言つてつたのです。要するに食うためにわれわれはこうして働いているんだ。家との連絡も許されていないし、外出も一週間に一回ありましたが、その間は家から一歩も出されない。要するに出ることを向うでは希望しないわけです。そういつた苦しい、詰められた生活をなぜわれわれはがまんしておるか、私ががまんしておるのは、生きて行くためにはしかたがないからだ。もしアメリカ軍でもつて、またあなたのところで給料をそんなにくれないならば、私は明日からでもやめると言つたのです。そういうこともありました。またこれは齋藤さんが来てから聞けばよくわかりますが、なぐつてみたり、ねじ伏せてみたり、齋藤さんに、お前は何で頭がはげたのかとか、ちよつとここでは言えませんが、そういつた最低の言葉を使つて侮辱した。それを私は同じ日本人として見ていて、実に煮えくり返る思いなんです。また私に対してなぐりつけたりする、それに対してぼくが抗議を申し込んだら、向うはまつ赤になつてぷんと怒る。ブロビオという兵隊だつたが、怒つてなまいきだというようなことを盛んに言うわけです。それでとうとうがまんし切れなくつて私はやめたのです。
  577. 古島義英

    ○古島委員 そうすると、川田は、あんな病人と言わずに、あんな共産党のやつは、こう言つたのですね。
  578. 山田善二郎

    山田証人 共産党と言つたかどうか私記憶はないのですが、そのときに言つた意味は、アメリカ軍に反抗しているという意味で言つたんだろうと思います。あんな人間は社会事業とか社会運動の意味はわからないのですから、ちよつと彼らに反対すればすべて共産党になるんだろうと思います。
  579. 古島義英

    ○古島委員 あなたは初めに、川田があんな共産党のやつに、と言つたと言いましたが、おそらくは共産党扱いをしておつたのでしようね。鹿地さんは病人と言うか、その病人に、ああいうふうな共産党みたいなやつに何もやらぬでもいいじやないかとか……。
  580. 山田善二郎

    山田証人 私がそのとき想像したことは、鹿地さん自身は、完全に共産党、またはそれに類似した、要するに共産党のシンパとか、そういつたものに兵隊からは見られていたと思います。上層部ではどう思つていたか知りません。
  581. 田嶋好文

    田嶋委員長 後藤義隆君。あと証言がございますから、なるだけ重複をしないように。
  582. 後藤義隆

    ○後藤委員 承知しました。あなたが川崎におる時代に、給料を受取つたことがありますか。
  583. 山田善二郎

    山田証人 はあ、受取つたことがあります。
  584. 後藤義隆

    ○後藤委員 川崎で幾らもらつていましたか。
  585. 山田善二郎

    山田証人 その当時は大体一万七千円から、多いときは一万九千円ぐらいもらいました。
  586. 後藤義隆

    ○後藤委員 鹿地は給料か何か……。
  587. 山田善二郎

    山田証人 一切そんなものはありません。
  588. 後藤義隆

    ○後藤委員 あなたは給料をどこからもらうのですか。
  589. 山田善二郎

    山田証人 川崎に勤めておつた当時は、私たちの職籍は横浜のCIDです。ところが彼らの仕事はCIDの仕事ではないのです。ですからその機関が非常にデリケートなんです。そしてその当時は私たちは横浜のCIDから正式なルートを通じて給料をとつておりました。
  590. 後藤義隆

    ○後藤委員 実際に給料を受取るのはどこで受取るのですか。
  591. 山田善二郎

    山田証人 受取るのは、川崎におつたときは、そのマネージャーが持つて来てくれるか、またはこちらから代表がとりに行きました。ところが茅ケ崎に移つてからは、彼らの機密費から出たのです。
  592. 後藤義隆

    ○後藤委員 茅ヶ崎に移つてからはだれからもらうのですか。
  593. 山田善二郎

    山田証人 川田という軍曹です。
  594. 後藤義隆

    ○後藤委員 個人ですか。
  595. 山田善二郎

    山田証人 要するに彼らの軍の機密費です。そして私たちは要求したのです。というのは、バスも身分証明書もない。ただ給料だけぽんともらうよりも、C工Dなりどこなりに私たちの籍を置いてくれと言つたのです。というのは、健康保険とか、そういうことも関係があるし、また町で何か事故が起つた場合に、私たちの職籍がないと困るから、そう言つて要求したことがあります。そのときに、これはここのあれではそういうことができないからといつて、一切そういつた考慮を払つてくれたことはありません。
  596. 後藤義隆

    ○後藤委員 それから鹿地は川崎でも茅ケ崎でも、給料は受取つたことはありませんか。
  597. 山田善二郎

    山田証人 それはもう一切ないと思います。あれば、あの当時親しくしておつたのですから、金をくれたといつて見せることは確実だろうと思います。とにかく向うが、こんなもの見ろといつて見せた人間が、金をもらつたときは、おそらく私に見せると思います。
  598. 後藤義隆

    ○後藤委員 それから鹿地の散髪はどうしておつたのですか。
  599. 山田善二郎

    山田証人 それは光田さんが何かはさみを持つて行つて——はさみを持つて行つてかるのですから、うしろの方を切るだけです。ひげは、ひげをそりたいからというと、かみそりを部屋に持つて来るわけです。そして大きな手洗いか洗面器のようなものにお湯を入れて来るのです。
  600. 後藤義隆

    ○後藤委員 外部から理髪屋さんを連れて来るとかいうことは……。
  601. 山田善二郎

    山田証人 一切ありません。
  602. 後藤義隆

    ○後藤委員 そういうことはやつておらなかつたのですね。それからさつきほかの人が聞いたことですが、タバコなんかは鹿地は吸わないのですか。
  603. 山田善二郎

    山田証人 タバコは吸つておりました。
  604. 後藤義隆

    ○後藤委員 そんな場合はどうするのですか。
  605. 山田善二郎

    山田証人 それは、もしなくなれば、そう言えばすぐ持つて来るのです。
  606. 後藤義隆

    ○後藤委員 向うのタバコですね。
  607. 山田善二郎

    山田証人 そうです。
  608. 後藤義隆

    ○後藤委員 被服は日本の着物を買つてあるのですか。
  609. 山田善二郎

    山田証人 日本の着物をその都度買つてつたわけです。夏になつたときに、こういうことがあります。G大佐が更に、ゆかたを持つた来た。その次に来るときにまた持つて来たことがあつた。そしてそのほかの衣服——下着とか靴下か、そういうものは、すべて町へ出たときに買つて来た。
  610. 後藤義隆

    ○後藤委員 その代金は、さつき言つた光田から……。
  611. 山田善二郎

    山田証人 それは川崎におつた当時は私がやつておりましたけれども、茅ケ崎に行つてからは食糧といつた、そういう方面は川田がやる。そして鹿地さんの衣服とか、そういつた方面の予算、会計は光田がやつておりました。ですから予算は二人が分担しておつた。そしてその予算を月々報告するわけです。その報告を受けに東京からキャプテン・ミューハートという大尉がたしか火曜日の午前だと思いました、必ず軍服を着て来るのです。
  612. 後藤義隆

    ○後藤委員 それから川崎の家ですね、鹿地のおつた部屋は、二階ですか一階ですか。——平屋ですか。
  613. 山田善二郎

    山田証人 それは二階建の建物でしたけれども、一階に住んでおりました。
  614. 後藤義隆

    ○後藤委員 一階でしたのですね。それから川崎から茅ケ崎に行つたときには、ジープか何かで行つたのですか。何で行つたのですか。あなたと一緒ですか。
  615. 山田善二郎

    山田証人 私はそれより一日先に川崎からジープで行つた。そして第二京浜国道の角、要するにそこにさしかかるところで、東京の方から来る自動車を待つてつた。それは乗用車です。それに私が荷物を積んで茅ケ崎まで行つたわけです。そしてその夜ですか翌日の夜ですか、私は一日とにかく先に行つてつた。その日に鹿地さんが連れて来られた。それはマスクをかけられて来たことは確実です。というのは……
  616. 後藤義隆

    ○後藤委員 マスクですか。
  617. 山田善二郎

    山田証人 マスクというより目隠しです。というのは階段のわきに私たちの部屋があつた。すぐ近くです。そしてそこを上つて行くときに光田が、いいですか、足元を気をつけてと言つて、不自然は足音でばたばたやつていた。そしてその翌日食事を持つてつたときに、苦しかつたですかと言つたら、こことここをやられたからきゆうくつだと言つておりました。
  618. 後藤義隆

    ○後藤委員 目のところですね。それからかぎのことですが、内からかけるのですか。
  619. 山田善二郎

    山田証人 もちろん外からです。
  620. 後藤義隆

    ○後藤委員 どろぼうの用心に内からかぎをかけることもあるですね。そういう意味で内からかけるのですかと言つたのですが、それは監禁するような意味で外からかぎをかけるのですか。
  621. 山田善二郎

    山田証人 建物そのものにだれか入ることを防ぐためには中からかけておりますでしようが、ところが鹿地さんも部屋からは、一歩もだれも出さないためにかぎは外からかかつておりました。
  622. 後藤義隆

    ○後藤委員 かぎの形から見ると、監禁されたようなかつこうになつておるわけですね。
  623. 山田善二郎

    山田証人 もちろんそうです。
  624. 大川光三

    ○大川委員 委員長ちよつと関連して——鹿地氏が自殺未遂をして、あなたと光田とで鹿地氏を運び込まれたという部屋は前からの部屋ですね。
  625. 山田善二郎

    山田証人 そうです。
  626. 大川光三

    ○大川委員 そこには鉄のベッドがあるのですか。
  627. 山田善二郎

    山田証人 そこは鉄のベツドです。
  628. 大川光三

    ○大川委員 その鉄のベッドに結びつけてあるとか、あるいはその部屋に人をくくる鎖というようなものはなかつたのですか。
  629. 山田善二郎

    山田証人 そういうものはありませんでした。ですからネクタイと手ぬぐいで……。
  630. 大川光三

    ○大川委員 別に鎖はありませんでしたね。
  631. 山田善二郎

    山田証人 別にありませんでした。
  632. 田万廣文

    ○田万委員 二、三お尋ねしたいと思います。鹿地さんがひつぱられた、そのひつぱつた当事者というのはCICの正規の機関であるということには間違いございませんですね。
  633. 山田善二郎

    山田証人 それは間違いないです。というのは、それは逮捕した人ですね。逮捕した人が——、私がその人の家族のところで働いておつたことがあるわけです。約二箇年半ですが……。その方は正式の陸軍中佐です。それからG大佐というのは一回川崎に大佐の肩章のついた軍服を着て来た。そのほかの兵隊は日常私服を着ておりましたけれども、軍服は持つてつた。それから会計係りの将校ですね、その人は必ず軍服を着て来ることを常としておりました。ですからこれは正式な軍の機関です。
  634. 田嶋好文

    田嶋委員長 ちよつとそこで今の委員の質問というのは、逮捕された当時のことですか、今証人が述べている——今までの述べているときのその軍当局の話ですか。どうなんですか。
  635. 田万廣文

    ○田万委員 両方含んで——
  636. 田嶋好文

    田嶋委員長 両方含んで答えてください。
  637. 山田善二郎

    山田証人 ですから逮捕した軍人ですね、要するに逮捕した人も軍人であり、また以後茅ケ崎に連れて来られた以後、会計係りの将校も……。
  638. 田嶋好文

    田嶋委員長 逮捕したときは君は知らないのだろう。
  639. 山田善二郎

    山田証人 知りません。ところが逮捕した機関を私は知つておる。逮捕した機関の責任者です。要するに東川クラブという川崎にあつた、そこの本部が岩崎邸にあつたわけです。そこの一番の責任者が陸軍の中佐であつた…。
  640. 田嶋好文

    田嶋委員長 逮捕した当時の状況は知らないのだね。だれが逮捕したかという……。
  641. 山田善二郎

    山田証人 知りませんけれどもその機関が、そのだれかが逮捕したということは知つています。
  642. 田嶋好文

    田嶋委員長 想像するのだね、きみは……。
  643. 山田善二郎

    山田証人 はあ。
  644. 田嶋好文

    田嶋委員長 想像なら想像と言つてください。
  645. 田万廣文

    ○田万委員 逮捕せられた一番最初の状況というものは想像ですか。あるいは鹿地さんから聞いた話の結果からそういうふうに考えるのですか。
  646. 山田善二郎

    山田証人 逮捕したときの——私はこういう話も聞いたこともあるのです。グラスコーという岩崎邸におる外人ですね。その人が逮捕したときに鹿地さんと一緒に約一晩寝たわけです。
  647. 田嶋好文

    田嶋委員長 聞いたのだね。
  648. 山田善二郎

    山田証人 ということを聞いたのです。鹿地さんは結核であつたのであとで非常に気持が悪かつたということを聞きました。
  649. 田嶋好文

    田嶋委員長 本人から聞いたのか。
  650. 山田善二郎

    山田証人 第三者です。聞いてみると、逮捕した機関は軍の機関であつたものですから、私はそうだと思います。その機関の名前はCICとも何とも言えないわけです。
  651. 田嶋好文

    田嶋委員長 グラスコーという人が言つたということをだれから聞いた……。
  652. 山田善二郎

    山田証人 それは私も接触したことがありますから……。
  653. 田嶋好文

    田嶋委員長 いや、第三者というのはだれか。
  654. 山田善二郎

    山田証人 それはだれだからよつと記憶に思い出せません。
  655. 田万廣文

    ○田万委員 次にお尋ねしたいのは、あなたは食事を運んで持つて行かれた。食事するときにでもやはり監視人というものはそばについているわけですか。
  656. 山田善二郎

    山田証人 いや、部屋の中には結局おりませんから……。
  657. 田万廣文

    ○田万委員 少しぐらいであれば話もできる状況にあつたわけですね。
  658. 山田善二郎

    山田証人 あつたわけです。
  659. 田万廣文

    ○田万委員 その状況下においてあなたと鹿地さんの間に、なぜ自分はこういうところにひつぱり込まれておるか、あなたから言えば、なぜあなたはこういうことをやられておるかというお話がかわされたと私は思うのです。
  660. 山田善二郎

    山田証人 はあ、あります。
  661. 田万廣文

    ○田万委員 先ほどの御証言によると、鹿地亘がひつぱり込まれた理由について、どなたかお尋ねがあつたような模様ですが、そのときには自分はつきりわからないが、しかしG大佐が親しくなろうとか、あるいは光田が酒に醉つてつた晩のこと、二階の病人は協力してくれると思うがというようなことを尋ねられた、そういうところを考えてという答弁があつたのですが、具体的になぜひつぱつたかということを……。
  662. 山田善二郎

    山田証人 具体的にはなぜひつぱつてつたかということを私は知りません。
  663. 田万廣文

    ○田万委員 そういう話が当然かわされたと思うのですが……。
  664. 山田善二郎

    山田証人 かわしたことはあります。というのは、私がなぜひぱつて来たかということを質問したことはありません。
  665. 田万廣文

    ○田万委員 なぜひつぱつて来られたかということですね。二人が話ができ得る状況下にあるのでしよう。だからしてそれは根本的な問題にひつかかつて来ると思うのですがね。
  666. 山田善二郎

    山田証人 何のために逮捕されたかということを鹿地さんは質問せられたということを言つたことがあります。それ以後のことですね。何のためにこうして置くんだろうということを鹿地さん自身がぼくに聞いたこともありますし、ぼく自身鹿地さんにそういうことを聞いたこともあります。結局二人とも漠然としてわからなかつた
  667. 田万廣文

    ○田万委員 二人とも話し合つたけれども、なぜひつぱられたという理由がわからなかつた、わからぬで来ている……。
  668. 山田善二郎

    山田証人 そうです。要するに私がG大佐の話を鹿地さんに話したところから、鹿地さんもそういうことじやないかという気持があつたかもしれません。私は光田からその話を聞いて鹿地さんのところに翌日食事を持つてつたときに話のついでに知らせた。きのうこういうことを聞かれたということを話したときに、それでわかつた、そうならこつちも考えがあるということを言つたことがあります。そういう目的であるということであれば……。
  669. 田万廣文

    ○田万委員 わからないといつたことであれば……。
  670. 山田善二郎

    山田証人 光田軍曹が私に協力してくれる可能性があるかどうかということを私に聞きましたね。それを私が話したときに、鹿地さんはそれならこちらにも考えがあるということを言つたのでありますが……。
  671. 田万廣文

    ○田万委員 それなら考えがあるという考えは、どういうことの考えかという話もなかつたわけですね。
  672. 山田善二郎

    山田証人 そういう話はありませんでした。結局私の話したのは、その鹿地さんの直接の原因というものに対してはあまり触れなかつた
  673. 田万廣文

    ○田万委員 聞いたけれどもわからないということが落ちだつたわけですね。
  674. 山田善二郎

    山田証人 そうですね。両方ともわからなかつた。ただ想像からしてみると、さつき言つた目的だろうと思います。
  675. 田万廣文

    ○田万委員 一番先にあなたが発見したときには自殺未遂のときだつたというのですが、そのときの服装は洋服でしたか、和服でしたか。
  676. 山田善二郎

    山田証人 そのときの服装といいますと、要するに日本のシヤッですね、長袖のシヤッを着ておつた。それからズボンですね。ズボンははいておりました。便所の中におつたときですね。そして部屋のすみの方に鳥打帽子とオーバーのようなものがかかつておりました。多分オーバーだろうと思います。それ以外に別に何もありませんでした。
  677. 田万廣文

    ○田万委員 着物を着ておつたとか、服を着ておつたとこういうことについてはどうですか。
  678. 山田善二郎

    山田証人 服を着ておりました。服つて要するにシヤッですね。上着は着ておつたような記憶はなかつた
  679. 田万廣文

    ○田万委員 着ておらなかつた、洋装だつたわけですね。
  680. 山田善二郎

    山田証人 そうです。
  681. 田万廣文

    ○田万委員 それからシヤンデリアから落ちたときに、バンドがかかつてつたのですか、帯がかかつてつたのですか。
  682. 田嶋好文

    田嶋委員長 それは何回も聞いております。
  683. 田万廣文

    ○田万委員 先ほど聞いておると、タオルですか、ネクタイですか——きよう鹿地さんのお話を聞いておると、聞き違いかもしれませんけれども、帯というようなことも言われておうたから……。
  684. 山田善二郎

    山田証人 バンドというとバンドもかかつてつたかもしれません。
  685. 田万廣文

    ○田万委員 三つぐらいかかつてつたわけですね、タオルにバンドに…。
  686. 山田善二郎

    山田証人 それから私はつきりわかりませんけれども首のまわりにタオルと手ぬぐいがかかつてつたかもしれません。タオルと手ぬぐいか、ゆはえつけておつたものがあつたことはたしかです。
  687. 田万廣文

    ○田万委員 あなたが便所の中に入つてつたときは人事不省に陥つていたのですか。
  688. 山田善二郎

    山田証人 全然人事不省です。
  689. 田万廣文

    ○田万委員 次にお尋ねしますが、内山さんにいろいろ連絡されたのは、四回あると言われましたね。これは口頭で鹿地さんから話を聞いたままをお伝えしたこともありまた書いてもらつたものを持つてつたこともあるわけですか。
  690. 山田善二郎

    山田証人 最初の三回は書いたものを持つてつたわけです。それと同時にこういつた状態におつて、非常に健康状態も回復しておるようだということを私が話したこともあります。鹿地さんがどうだこうだと言つてくれということはなかつたように思います。そして最後に一回、それはもうやめてから以後のことだつたものですから、むしろもう帰つて来てやしないかという期待かたがた行つた。というのはその前にその後の動静を探りあさつたときに、近いうちに帰るような話があるということを聞いたものですから……。
  691. 田万廣文

    ○田万委員 元、鹿地さんが中国関係でどういう仕事をしておつたかという身分上の話をあなたに打明けたようなことはございませんか。
  692. 山田善二郎

    山田証人 それは、こういうことを言つたことがあります。ぼくは中国に行つたときは、こじきから急に大臣のようなものに成り上つたのだということを言つたことがあります。また毛澤東と会見した話もしたことがあります。
  693. 田万廣文

    ○田万委員 その詳しい話はしなかつた……。
  694. 山田善二郎

    山田証人 中国で何をやつたかということは……。
  695. 田万廣文

    ○田万委員 その仕事の内容は……。
  696. 山田善二郎

    山田証人 仕事の内容は聞きませんでした。
  697. 田万廣文

    ○田万委員 こじきから大臣になつたという経過は……。
  698. 山田善二郎

    山田証人 要するにこじきとはどういう状態であつたかということも聞きませんでした。ただこういうことを話したことはあります。それは、当時の日本軍の捕虜、そういつたものに何か関係しておつたというよな話を聞いたことがあります。
  699. 田万廣文

    ○田万委員 以上であります。
  700. 猪俣浩三

    猪俣委員 証人昭和二十七年十一月二十五日、鹿地亘氏に関する覚書なるものを当委員に提出されておるのでありますが、これは間違いありませんな。
  701. 山田善二郎

    山田証人 要するにそこに書いてあると思いますけれども、ネクタイと手ぬぐいが結びつけてあつたとか、そういつたような、要するにほんのささいなこと、そういうもの以外、あとほかのものは、すべて間違いない。要するにそでの破けておつたものと破けてないものというようなことです。
  702. 猪俣浩三

    猪俣委員 ささいな事実の記憶違いはあつたけれども、それはささいなことで、ここに書かれていることは間違いない。
  703. 山田善二郎

    山田証人 はい、間違いありません。
  704. 猪俣浩三

    猪俣委員 これを当法務委員会に私が証拠として出してもさしつかえありませんね。
  705. 山田善二郎

    山田証人 ありません。
  706. 猪俣浩三

    猪俣委員 それからここに写真が数葉ありますがこれを見てください。     〔証人に写真を示す〕
  707. 猪俣浩三

    猪俣委員 一枚目は、電信柱のような柱にC三一という横文字が書いてあるが、ここに鉄条網と思われるもの一張りめぐらされているがこれはどこです。
  708. 山田善二郎

    山田証人 これは芽ケ崎の駅の道の狭い道路があります。その四つかどあたりの近所の電信柱にあつたように記憶いたします。
  709. 猪俣浩三

    猪俣委員 それはあなたが六月十日まで勤めておつた芽ケ崎の三十一号館というのか……。
  710. 山田善二郎

    山田証人 その近所です。
  711. 田嶋好文

    田嶋委員長 それも証拠として出るのですか。今の写真もこつちに出すのですか。
  712. 猪俣浩三

    猪俣委員 必要ならば出します。
  713. 田嶋好文

    田嶋委員長 出すとすれば、番号をつけてください。
  714. 猪俣浩三

    猪俣委員 それでは番号をつけます。今のが一、それからこれが二。     〔証人に写真を示す〕
  715. 猪俣浩三

    猪俣委員 これはどこの写真ですか。
  716. 山田善二郎

    山田証人 この二の写真ですね、これは建物に入る……。
  717. 猪俣浩三

    猪俣委員 どこです、場所は。
  718. 山田善二郎

    山田証人 芽ケ崎です。これは芽ケ崎の建物です。このかきねは、まだ新しいものです。というのは、私が勤め出したころに、ちようどこれを新しくつくつている職人が二、三人おりましたから……。そしてここを入つて、大体この辺に建物があるわけです。
  719. 猪俣浩三

    猪俣委員 そうするとと、それは芽ケ崎の鹿地氏がおつたというところの入口ですね。
  720. 山田善二郎

    山田証人 そうです、入口です。
  721. 猪俣浩三

    猪俣委員 鉄条網が張つてありますね。
  722. 山田善二郎

    山田証人 これにはありません。これは要するに池がある。あそこの建物に付随した池があるのですが、その池の近くににC三一という札があつたように記憶いたします。多分これがそうだろうと思います。通路ではなくて、池に面したところ……。
  723. 猪俣浩三

    猪俣委員 その次、三。     〔証人に写真を示す〕
  724. 山田善二郎

    山田証人 これは芽ケ崎の建物です。鹿地さんの幽閉されておつた…。そうしてここに見えるこれが便所です。これが光田、ブロビオのおつた部屋です。この二階の奥の向う側の方の部屋に鹿地さんがおつたわけです。これは茅ケ崎の建物の裏の方です。
  725. 猪俣浩三

    猪俣委員 三十一号の建物の裏…。
  726. 山田善二郎

    山田証人 そうです、裏の方です。畠の方から写した。それからナンバー五は、これは横です。横というか、前というか、あそこは玄関も何もわからないのです。要するに鹿地さんのボイラーの建物の反対側です。反対側から写したものです。
  727. 猪俣浩三

    猪俣委員 その次。
  728. 山田善二郎

    山田証人 ナンバー六、これは川崎の東川クラブの入口す。
  729. 猪俣浩三

    猪俣委員 T・Cというのだね。
  730. 山田善二郎

    山田証人 そうです。現在こういつた木がありますけはども、当時はありません。このわきにテニスコートがあります。
  731. 猪俣浩三

    猪俣委員 その入口には針金みたいになつていやしませんか。
  732. 山田善二郎

    山田証人 はあ、張つてあります。これは私たちが勤め出したころから……。
  733. 猪俣浩三

    猪俣委員 鉄条網みたいなものが……。
  734. 山田善二郎

    山田証人 そうです。
  735. 猪俣浩三

    猪俣委員 そうすると鉄条網みたいなものが張つてつたのは川崎のT・Cクラブですね。
  736. 山田善二郎

    山田証人 そうです。
  737. 猪俣浩三

    猪俣委員 そこに鹿地氏がやはりおつたわけですね。
  738. 山田善二郎

    山田証人 そうです。
  739. 猪俣浩三

    猪俣委員 次。
  740. 山田善二郎

    山田証人 ナンバー七、これはあそこの建物を今改造中だろうと思います。川崎のT・Cです。改造中ですから、これを見たところではどこの部分だということはわかりません。
  741. 猪俣浩三

    猪俣委員 それからあなたの履歴書及び職歴を書いて私に渡したが、これは今でも間違いありませんね。証拠として当委員会に出してもよろしゆうございますか、訂正するところがあるかないか。
  742. 山田善二郎

    山田証人 これは間違いありません。しいてこれに入れようとすれば、ただそのほかに短期間勤めたところがある。
  743. 猪俣浩三

    猪俣委員 省略したところが多少あるけれども、それに間違いなし……。
  744. 山田善二郎

    山田証人 間違いありません。そのほか年月日に多少の誤謬があるかもわかりません。
  745. 猪俣浩三

    猪俣委員 証人日本共産党に関係したことはありますか。
  746. 山田善二郎

    山田証人 そういつた思想的なものとか、組合に入つたことはありません。労働組合にも入つたことはありません。
  747. 猪俣浩三

    猪俣委員 それから鹿地亘氏と本件について面接した前に、何らかのことで知つてつたことがあるか、名前を聞いたことがあるか。
  748. 山田善二郎

    山田証人 一切面接したことはありません。また新聞で記憶にあるような気もするのですが、要するにそれは鹿地さんが中国から帰つて来たときの記事がちようと記憶にあるような気がします。
  749. 猪俣浩三

    猪俣委員 そうすると鹿地氏が自殺を企てて、それを助け出したとき初めて鹿地氏を見、初めてその後鹿地氏と話し合つただけで、それ以前一切関係がないということになりますね。
  750. 山田善二郎

    山田証人 そうです。
  751. 猪俣浩三

    猪俣委員 内山完造という人は、あなたは前から知つておりましたか。
  752. 山田善二郎

    山田証人 それは鹿地さんから手紙を依託されたときに初めて知つたのです。
  753. 猪俣浩三

    猪俣委員 その以前は名前を聞いたことはありますか。
  754. 山田善二郎

    山田証人 ありません。
  755. 猪俣浩三

    猪俣委員 どういうことをやつてつた人であるかも知りませんか。
  756. 山田善二郎

    山田証人 知りませんでした。
  757. 猪俣浩三

    猪俣委員 それから今鹿地氏が川崎のT・Cに幽閉せられ、後に茅ケ崎に移され、それを監視しておつた者光田あるいは川田という軍曹だというのであるが、彼らが軍人であるということはどうしてわかります。
  758. 山田善二郎

    山田証人 それは川田に階級を聞いたことがあります。そのときに曹長だと言つたことがあります。光田が軍服を着て歩いていた姿を見たこともあります。ブロビオが軍服を着たのを見たこともあります。
  759. 猪俣浩三

    猪俣委員 それから鹿地氏をときどきたずねて来て何かを聞いておつたG大佐が軍人であるということはどうしてわかりました。
  760. 山田善二郎

    山田証人 これは彼が、逮捕したキヤナン大佐ですね、それともう一人私服を着た人たちと東川クラブに来たことがあります。要するに茅ヶ崎に移る前に逮捕した機関がつぶれるというような話がありまして、そのときに軍服を着た姿を一回見た覚えがあります。
  761. 猪俣浩三

    猪俣委員 いま一点、その川崎のT・Cにおいても、あるいは茅ケ崎の三十一号館においても、鹿地氏の出入口には鍵がかけられておつた、それは日本人としてはあなただけ知つておるのであるか、齋藤老人も知つておりますか。
  762. 山田善二郎

    山田証人 茅ヶ崎におつたときには私も齋藤さんも知つております。川崎におつた当時には、あそこの鍵がかかつてつたというのは大体女中、メード、それから他の君たちもほとんど大部分知つておると思います。というのは私が飯を持つて行くときに必ず鍵を持つて行く、また光田に預けられたということも知つておる者もあります。
  763. 猪俣浩三

    猪俣委員 それから川崎のT・Cにおつた時分に、そのクラブの構内に家がありましたか。——こう聞きましよう。川崎のT・Cにあなたがつとめておつた時分に、その同じころ、これは非常に広い屋敷だそうだが、中にそこにつとめておつたような人で世帯を持つてつた人がありましたか。
  764. 山田善二郎

    山田証人 それはありました。川崎のT・Cに大きな池があります。その池の両側に面してといつたような形に——両側に面してでなく、大体池をはさんでこういうような形に家があつた。そうして一箇所片方に鹿地さんが監禁されておつた建物があり、それは二階屋です。もう一軒は渡邊さんと榎本さんが住んでおつた長屋があります。それから鉄条網を越したずつと遠くの方の新丸子寄りの方に野球場とかテニスコートがあります。その管理人の家もあります。
  765. 田嶋好文

    田嶋委員長 なるべく具体的に言つてもらわないと速記にとれませんから……。
  766. 猪俣浩三

    猪俣委員 それではこういうふうに聞きましよう。今あなたが言つたその構内に世帯を持つてつた人がある。その人の中に榎本という人はおりますか。
  767. 山田善二郎

    山田証人 おります。榎本正雄。
  768. 猪俣浩三

    猪俣委員 それはやはりT・Cクラブにつとめておつた人ですか。
  769. 山田善二郎

    山田証人 そうです。
  770. 猪俣浩三

    猪俣委員 それから渡邊……。
  771. 山田善二郎

    山田証人 渡邊利三郎という人もいた。この人には男の子供が二人おりました。
  772. 猪俣浩三

    猪俣委員 この渡邉利三郎、榎本正雄らとあなたは話したことがありますか。
  773. 山田善二郎

    山田証人 あります。
  774. 猪俣浩三

    猪俣委員 あなたの額を見ればこの両人もわかるわけですね。
  775. 山田善二郎

    山田証人 はい。
  776. 猪俣浩三

    猪俣委員 そうしてあなたがT・Cクラブでいかなる仕事をしておつたかはわかりますか。
  777. 山田善二郎

    山田証人 わかります。
  778. 猪俣浩三

    猪俣委員 それからいま一つ、あなたがT・Cクラブに勤めているときに、日本の病人がここに来ることになつたというようなことを聞いたことがありますか。
  779. 山田善二郎

    山田証人 あります。
  780. 猪俣浩三

    猪俣委員 そうしてその病人は来たわけですね。
  781. 山田善二郎

    山田証人 そうです。
  782. 猪俣浩三

    猪俣委員 それがあとから思い出して鹿地氏であつたのですか。
  783. 山田善二郎

    山田証人 あとから思い出して鹿地氏であつたというよりも、遺書を見たときに、ああ、この病人が鹿地氏であつたかと、気がついたわけです。
  784. 猪俣浩三

    猪俣委員 そうすると鹿地氏がまだT・Cクラブに来ないうちにすでにそこに勤めておつた人には何らかの病人  の日本人がそこに来るということはわかつたんですね。
  785. 山田善二郎

    山田証人 そうです。それは鹿地氏の監禁された部屋は、元はだれも往んでおらない、がらんとした部屋だつたんです。人気のないその部屋に来るから、そこに入れるから部屋のしたくをしておけという命令があつたわけです。
  786. 猪俣浩三

    猪俣委員 だれから……。
  787. 山田善二郎

    山田証人 それは光田軍曹だろうと思いました。
  788. 猪俣浩三

    猪俣委員 それはそのT・Cクラブに来る前にどこにおつたということがそのときわかりましたか。
  789. 山田善二郎

    山田証人 わかりませんでしたけれども、想像がつきます。それは本郷の岩崎邸から連れて来られるというような想像はつきます。
  790. 猪俣浩三

    猪俣委員 どうしてそういう想像がつきますか。
  791. 山田善二郎

    山田証人 というのはそこが本部であつたのです。
  792. 猪俣浩三

    猪俣委員 T・Cクラブにあつた機関の本部が岩崎の別邸にあつたから、そこから連れて来られたものだと考えられる、こういうことになるのです か。
  793. 山田善二郎

    山田証人 はい、そうです。
  794. 猪俣浩三

    猪俣委員 齋藤正太郎という人はどこに勤めておるのですか。
  795. 山田善二郎

    山田証人 その人は相当長い間岩崎邸に勤めておつたわけです。それで終戦後すぐ占領軍があの建物を接收すると同時に、あそこの建物で働いておつたわけです。
  796. 猪俣浩三

    猪俣委員 その齋藤氏が後にあなたと会うようになりましたね。どこで会われました。
  797. 山田善二郎

    山田証人 それは茅ケ崎に移つてつた、私が移されたときに初めてわかつた。その前に本郷の岩崎邸に行つたことがありますけれども、そのときに顔を見たこともありますけれども、齋藤という人だと知つたのは茅ケ崎に移つてから初めて知つたんです。
  798. 猪俣浩三

    猪俣委員 そのときに茅ケ崎で齋藤といろいろ話をした際に、齋藤が何か鹿地という名前を言わぬにしても、鹿地氏に関することを言いましたか。
  799. 山田善二郎

    山田証人 いいえ、一切言いませんでした。
  800. 猪俣浩三

    猪俣委員 岩崎邸に何か日本人がいたというようなことを言いませんでしたか。
  801. 山田善二郎

    山田証人 それは言わなかつたように思います。要するに鹿地さんのことをほのめかすような言葉ですね、あの人間は岩崎におつたんだというよよなことは言つた覚えはないと思います。
  802. 猪俣浩三

    猪俣委員 それでは昭和二十六年の鹿地氏の拉致された直後、何人かが岩崎邸に連れ込まれたというようなことについて話をしたことはありませんか。齋藤老人は……。
  803. 山田善二郎

    山田証人 いいえ、ありませんでした。
  804. 猪俣浩三

    猪俣委員 ない……。
  805. 山田善二郎

    山田証人 はい。
  806. 田嶋好文

    田嶋委員長 ちよつと待つて下さい。この写真はだれがとつたんですか。
  807. 猪俣浩三

    猪俣委員 それは写真を写すに上手なしろうとがとつたと思いますが、実際写した人は社会タイムスの記者だと思いますが、ただその名前は今私はわかりません。
  808. 田嶋好文

    田嶋委員長 こつちがとつたわけではないのですね。
  809. 猪俣浩三

    猪俣委員 こつちがとつたわけではない。山田君の言うことを裏打ちさせるために、わざわざ私が他人をとりにやつたんです。
  810. 田嶋好文

    田嶋委員長 これは証拠としてこつちに出すのですか。
  811. 猪俣浩三

    猪俣委員 まああとで……。
  812. 田嶋好文

    田嶋委員長 ちよつと委員長からもう一、二点聞きますが、あなたさつき諜報機関、諜報機関ということを言つていらつしやるのですが、この諜報機関というのはどういう系統のものだと思つておるのですか、あなたの言つておるのはどういう仕事をするものなんですか。
  813. 山田善二郎

    山田証人 私はその仕事に関してわれわれ日本人は一切従事することはできませんでした。雑役とか、そういつたもの以外は……。ところが話によると、その人の名前を言つてもいいですが、迷惑をこうむると思いますから私は言いません。その方の話によると、またほかの人の話によると、元CICに所属しておつたわけです。またキヤナンという中佐ですね、この人も横浜のCICに籍があつたわけです。そしてCICとはまた別個なものをつくつたわけなんです。同じような仕事をするのでありますけれどもCICに所属せずに、直接総司令部の方に接続するというような話を聞いたたことがあります。
  814. 田嶋好文

    田嶋委員長 これは何かあなたは文書で見たり、確実な人から説明を受けたことがあつてそうおつしやるのですか。
  815. 山田善二郎

    山田証人 文書で見たことはありませんが、確実な人から聞いたのです。また光田軍曹、川田もそう言つたことがあります。というのは、あそこの機関がつぶれるときに、CICとの勢力争いによつて結局つぶれた……。
  816. 田嶋好文

    田嶋委員長 あそこの機関とはどこですか。
  817. 山田善二郎

    山田証人 岩崎邸にあつた機関です、そこがつぶれた……。
  818. 田嶋好文

    田嶋委員長 そこがつぶれたのは……。
  819. 山田善二郎

    山田証人 その原因ですね、それはCICとの勢力争いでつぶれたのだということを聞いたことがあります。それは川田自身も、光田も言つております。そうしてみると、CICとの勢力争いというのは、諜報機関よりあり得ないのではないかと私は思つております。
  820. 田嶋好文

    田嶋委員長 あなたが思つているのだな。
  821. 山田善二郎

    山田証人 そうです。
  822. 田嶋好文

    田嶋委員長 そうすると諜報機関というのはあなたがそう思つているのであつて、間違つておる場合があるかもしれない、こういうのだね。
  823. 山田善二郎

    山田証人 でも、ほとんど、それは確実ではないかと思います。要するに確実な証拠がないからそう言うのです。
  824. 田嶋好文

    田嶋委員長 確実なためには証拠を出さなくてはいけない。それはあなたの推察ですね。
  825. 山田善二郎

    山田証人 そうです。
  826. 田嶋好文

    田嶋委員長 だからあるのなら、ここで言いなさいということです。
  827. 山田善二郎

    山田証人 ただそう思つているということです。
  828. 田嶋好文

    田嶋委員長 あなたが思つているということですね。
  829. 山田善二郎

    山田証人 はあ。
  830. 田嶋好文

    田嶋委員長 それからかぎの保管、あなたが茅ケ崎に行つた場合、それからその前にかぎの保管はだれがしていたのですか。そしてだけが使用していたのですか。
  831. 山田善二郎

    山田証人 茅ケ崎に行く前の川崎当時のかぎの保管は、光田がしておつたとすいます。ただかれが外出したりする場合には、私にまかせました。そうして茅ヶ崎に行つてから、一つは光田が持つて、一つは私なり適当なところ、たれの目にもつくような、要するに関係者の目につくようなところにありました。
  832. 田嶋好文

    田嶋委員長 あつた鹿地氏から、ひつぱられて行つた直後の状況を聞いたことがありますか。
  833. 山田善二郎

    山田証人 どういう状況ですか。
  834. 田嶋好文

    田嶋委員長 どういうふうにしてひつぱられて行つて、どういうふうにして、あなたと知合いになるまで監禁せられておつたかということです。
  835. 山田善二郎

    山田証人 それは聞いたことがあります。それは一ぺんに全部話したわけではないのです。いろいろ話をしたときに、ぽつぽつ言つたことを総合してみますと、鵠沼散歩しておつた、そのときに突然自動車にはさまれて連行された。そうして何も知らない所に連れて行かれて、そこで名前を言え、と言いながら、むちのようなものでなぐられたというようなことを話した記憶があります。そこでもつて食事を出されても、それを拒否し続けていた。また名前を言うか死を選ぶかというのですから、要するにお前これをしなかつたら死ねという死を暗示した言葉ですね、それを言つた鹿地さんは話しました。そしてまた一番最初写真をとられ、指紋をとられた、そうして一番最初自分名前を言つたときに向うが質問したのは、内山完造という人物はどういう人物かと聞いたそうです。その程度で、あとはつきりした記憶はありません。
  836. 田嶋好文

    田嶋委員長 鎖で足を縛られて、鉄の寝台のさくにつながれておつたというようなことは、聞いていないですか。
  837. 山田善二郎

    山田証人 それは聞いておりません  けれども、その程度のことは、私が見たこと、これは言えませんけれども、ほかのことから想像してみると、あり得ると思います。
  838. 田嶋好文

    田嶋委員長 聞いたことはないのだね。
  839. 山田善二郎

    山田証人 はあ。
  840. 佐治誠吉

    佐治委員 山田さんに一言だけお尋ねします。茅ケ崎の部屋にかぎが外からしてあつた、と言いますが、その部屋の中には便器か何か置いてあつたのですか。
  841. 山田善二郎

    山田証人 それは便所と洗面所、水道が通つております。そういうものは備えつけてあります。
  842. 佐治誠吉

    佐治委員 部屋にあるのですか。
  843. 山田善二郎

    山田証人 はあ。
  844. 佐治誠吉

    佐治委員 そうすると、川崎の場合にはやはりその部屋に便所があつたのですか。
  845. 山田善二郎

    山田証人 要するに部屋にあつたというよりも、その建物の一角に、部屋と連絡してそれが備えてありました。その一角に入るには一つの通路しかなかつた、そうしてそこに常にかぎがかけてあつたのです。
  846. 佐治誠吉

    佐治委員 外側にかぎをかけるのですね。
  847. 山田善二郎

    山田証人 川崎当時は外側にかぎをかけるというのではなくて、ドアそのものにかぎを備えつけてありましたから、かぎは中からも、かけようと思えばかかります。
  848. 松岡松平

    ○松岡(松)委員 ちよつとお尋ねいたしますが、この茅ケ崎の家には、ほかにこういう種類の人がおりましたか。
  849. 山田善二郎

    山田証人 ほかにはおりませんでした。鹿地さん一人だつたです。
  850. 松岡松平

    ○松岡(松)委員 そうすると平生その家はどうなつているのですか。
  851. 山田善二郎

    山田証人 私がいた当時——平生は何も別にしないわけです。
  852. 松岡松平

    ○松岡(松)委員 先ほどあなたは諜報機関だということを知つているとおつしやつたが、どうして諜報機関だということがわかるのです。
  853. 山田善二郎

    山田証人 結局一週間に二回総司令部の第二課——第二課となぜ言えるかというと、ほかの兵隊たちは郵船ビルということを言つているわけです。その郵船ビルは第二課なんです。これはだれしも知つておることと思います。第二課は諜報とかそういつた方面が専門なんですから、そうしてみると、これは確実な諜報機関であります。その人が二回来て調べたのです。
  854. 松岡松平

    ○松岡(松)委員 キヤナンとかほかの人が鹿地氏に会いに来たときに、廊下などで何か語り合つていたことを小耳にはさんだことはないですか。
  855. 山田善二郎

    山田証人 語り合つているところを見たことはありますけれども、聞いたことはありません。
  856. 松岡松平

    ○松岡(松)委員 その内容はわからないですか。
  857. 山田善二郎

    山田証人 内容はわかりませんでした。要するにそういうようなときには、われわれはそばに近づけませんでした。
  858. 田嶋好文

    田嶋委員長 他に発言がなければ、山田証人に対する尋問はこれにて終了いたします。証人には御苦労でございました。  次に内山証人にお尋ねいたしますが、その前に、先ほども申し上げました通り証人として偽証の制裁がございますから、御注意の上お答え願いたいと思います。  証人住所、生年月日をおつしやつてください。
  859. 内山完造

    内山証人 東京千代田区神田一橋二ノ三内山嘉吉方内山完造、生れは明治十八年一月十一日であります。
  860. 田嶋好文

    田嶋委員長 証人の略歴を申してください。
  861. 内山完造

    内山証人 私は小学校を卒業していない人間でありまして、十三歳の当時、明治三十年十月大阪に洋反物商の小僧として出かけて参りまして、それからずつと大阪、京都で小僧を働いておりました。二十八歳のときに大阪の北浜一丁目参天堂と申します薬屋の上海出張員として行くことになりました。それは大正二年の末であつたと思います。その後中国の各地を商売の広告と売込みをかねて旅行しておりまして、大正五年でしたか、結婚いたしまして、上海に家を持つことになりました。続いて家内の内職といたしまして、内山書店というささやかな日本の書籍——特にその初めは夫婦ともキリスト教の関係で、キリスト教の書籍を販売し始めました。常に私は広告、売込みのために長江沿岸を初めといたしまして、南の方の各地を私の担任区域として旅行しておりました。そのうち家内の始めました内山書店の方が非常に皆さんの御支援を得まして、だんだん発展して参りまして、遂に私は参天堂と申しまする薬屋の店を十七年間勤めてやめることになりました。その後家内の内職であつた内山書店を私がかわつて経営するようになりました。その間に中国の人、日本の人、非常にたくさんの方々にお客様になつていただきまして、私自体の店としては不似合いなほど実は繁昌したのであります。その間にお客様の筋は、大体におきまして日本人の方が三分の一で、三分の二は中国の方でありました。私は中国の人と日本の人とを問わず、皆さんを平等に扱うという建前から、とかく読書階級の方はお金のない方が多いのでありますので、皆さんに貸売りを始めました。それはたとい四川省の奥におる中国の人でも、雲南省の人でも、手紙、はがき一本で注文して来られれば、こちらからは貸売りで送つたものであります。しかしその間におきまして、中国の人々の確かさというものを経験いたしまして、三十年間経営いたしました間に、私の店は欠損をいたしましたことわずかに五万円足らずであります。そうした経営をいたしますにあたりまして、日本の仕入先の方からはしきりに、君の経営振りはあまりに放胆過ぎる、だから警戒することが必要だということを注意されたのであります。しかも私は依然としてその方針を曲げずに参りました。日本の方にも中国の方にも、実は私どもの店は非常に信用されまして、少しも不安ということがなかつたのであります。当時東京の方でも、仕入先に対する計算の正確なことは、内山書店は実によくやると言われてほめられておつたわけでありまして、その影響か、戦争に入りましてから後も、仕入先の方から、ぜひ発展してくれ、よその店はみんな発展するのに、君の店だけはじつとしておるが、どういうわけかという質問を受けました。それで私は、戦争の波に乗つて営業を広大することはいたしません、私はあくまでもこの際は私のお客様に対して忠実に仕えなければならぬ、発展するということは一切いたしませんということを申しましたところが、当時の一番大きい仕入先であつた株式会社東京堂の重役さん方は、私の経営に対して非常に不満であつたとみえまして、そのときはそれでけつこうですということでありましたが、ただちに漢口に東京堂が直接経営する書籍店を開業することになりましたとみえて、私の店に東京堂から一人の若い人が出て参りまして、これから漢口に行つて店を開くについて援助してくれということでありましたので、何でも御用がありましたらいたしますとお引受けしておきました……。
  862. 田嶋好文

    田嶋委員長 そこのところはもう少し簡単に……。
  863. 内山完造

    内山証人 それではできるだけ簡単に申し上げます。その後いろいろの問題がありますが、簡単にいたしまして、内地からヨーロッパに行かれる方もしくは中国へ視察においでになる方は非常にたくさんですが、私の方へお寄りくださつて、いろいろと中国のことを、私が少しばかり興味を持つてつております中国の研究についてもお話したことが数知れずあるのでありますが、その間にまたいろいろと紹介状を持つて来る人がありました。その中に鹿地亘君が紹介状を持つて来たのであります。これの紹介者がだれであつたかということは、はつきり今覚えませんけれども、とにかく紹介状を持つて来まして……。
  864. 田嶋好文

    田嶋委員長 いつごろのことですか。
  865. 内山完造

    内山証人 それはたしか昭和十一年か二年だと思いますが、私実は数字の記憶が非常に悪いので、あしからずお許しを願いたいと思います。たしか十一年か十二年だと思います。  そしてそのときの話によると、遠山滿という劇団の座付作者として、青島をまわつて上海まで来たようであります。そうして、私はこういう一座におりたくない、ぜひひとつ中国文学をもつと身を入れて勉強したいと思うということでありまして、私は一面識でありましたけれども、それはよかろうと申しました。見まするなり、実は非常にまじめないい青年だと思いましたので、当時私の家と非常に親しい関係にありました文豪魯迅が始終参りますので、魯迅先生に私が鹿地君を紹介いたしましたところ、ひとつよく話してみましようというようなことから、自分の家へ連れて帰つて話をされたようでありました。後に、非常にまじめなよい青年であります、だからひとつ私が教えましようというて、魯迅先生がそれから以後は非常に親切に教えてくだすつたわけであります。  しかし生活費をどうして出すかという問題から、まず生活費というものは自分で稼ぐことが第一だ、だからひとつ自分で稼ぐことをやるがよかろうというので、また私の友人であり、当時上海日報に勤めておりました新聞記者の日高清磨瑳と申します人、この人は現在宮崎市の日向日日新聞の重役をしておりますが、この日高君にまた紹介いたしまして、ひとつ援助してやつてくれということで、日高君は同文書院の卒業でありますために、中国語に堪能でありましたので、日高君の中国語と、鹿地君の日本の勉強である国文とをつきまぜて、そして中国文学を翻訳して生活を立てるということを——実はこれは私がかつてに考えたわけでありますが、そういうことを考えまして、私の友人でありまする、この間死にました改造社の社長山本實彦氏に私から手紙を出しまして、魯迅の選によつて中国の新しい文学を日本に紹介したいと思う、改造でこれを毎月文芸の面において一篇ずつ発表したらどうかということを私が照会いたしましたところが、山本氏から、それは非常におもしろい、しかるべくやつてくれ、おれの方は毎月それを掲載するからということでありまして、それから五回ばかり中国の新しい文学を改造に載せたのでありますが、当時日本では中国に対する考え方が非常に浅かつた。相かわらず日清戦争ころのような考え方で中国を見ておる人が多かつたと見えまして、さすがの改造も、中国文学は非常に評判が悪いので、これ以上続けることができないということで、それは終りになりました。しかしその間とにかく毎月一篇ずつ翻訳して載せておりましたために、鹿地者の翻訳も大分上手になつたようでありました。その後あまりかわつたことはありませんでしたが、それがやまりましてからも、なお鹿地君は翻訳を続けまして、中央公論あるいは文芸春秋とか朝日新聞とか、そうした方面に短かいものを翻訳しては載せておりました。それが彼の生活の資であつたのであります。  その後大したこともなしにずつと送つておりますうちに魯迅が病気いたしまして、その病気がこうじて、一九三六年十月十九日に遂に魯迅はなくなつたのであります。その魯迅がなくなりましたときにも、鹿地君は非常にごやつかいになつておりました関係から、いろいろよく世話をしてくれました。そして間もなく改造社から佐藤春夫編集顧問を中心にして魯迅の全集を日本で出版したいと思う、よろしく頼むという手紙が参りましたので、私もいろいろ奔走いたしまして、魯迅の未亡人であります許廣平と申します夫人と、それから魯迅の愛弟子でありまする湖風、そうした人々を加えまして、鹿地君、それから日高君などにともに翻訳の衝に当つてもらうことになりまして、その他翻訳者はたくさんありましたが、七冊の第一巻から第七巻までの大魯迅全集というのが日本で出版されたのであります。その翻訳の特に雑文の部分は鹿地君がほとんど引受けて翻訳したものであります。その間も翻訳料が入りますために、生活はとにかく一人前の生活を続けて来たわけであ  ります。その間において、今日の夫人でありまする池田幸子氏と結婚したわけであります。そうしまして私たちは常に近いところに住まいして往来しておつたわけであります。私の方はまたいろいろの方が来られていろいろのことがありますために、その都度文学の関係の人のことでありますと、ときどきお手伝いを願つておりましたが、鹿地者も多くの中国人との間に友達ができるようになりました。  鹿地君が病気いたしまして、たしか国民病院にわずかの間でありましたが入院したことがありました。その後また鹿地君の夫人が病気いたしました。これは戦争の始まる直前であります。日本人病院に入院いたしますと、これは盲腸炎であるというので、切開しなければならぬというのでありましたが、本人は切開をきらいまして帰つて来ました。その当時鹿地君は魯迅全集の翻訳の関係上、魯迅の未亡人の住まいの近所に移ることが非常に便利だということで、その間にもはやフランス租界の魯迅未亡人の宅に近いところに部屋を借りて移つておりましたが、そこへ帰つて参りまして、さらに当時、ドイツからたしかナチスの関係で追い出されたというお医者さんがありまして、その人に診察を受けたところが、これは盲腸炎ではない、子宮病だということで、わずかに十日間ばかりの薬をもらつてその病気は全快したのであります。
  866. 田嶋好文

    田嶋委員長 病気のこともいいのですが、あまりこまかく入らないでひとつ概略お願いしたいと思います。
  867. 内山完造

    内山証人 はい。しかしその辺からやらないと……。そうこうしているうちに、今の戦争が身近に迫つて参りまして、ほんとうに直前になりましたときに鹿地君が私の店に参りました。そのときのことは「脱出」という本に書いてある通りであります。大体においてあれは間違いないと思いますが、私は鹿地君夫婦を日本へ帰つてもらいたいという希望をもちまして、当時の領事館の特高課と連絡いたしまして、どうか安全に日本へ帰してもらいたい、そしてどうか日本で安全に生活をさしてもらいたい——どうも少し左翼がかつた作家なんかは非常に虐待を受けておるが、それは困る。鹿地君は中国でひとつもそうした面に運動しておる人でもなければ、ただ中国文学を勉強するためにやつているんだから、よろしくたのむと申しましたところが、相談の結果、よろしい安全に送りましようというようになつたということを聞きまして、それではそうしましようというので実は帰すことにしたのでありまするが、ちようど最後に私の方へ参りまして、私の店で話をしておるときに、ドンドーンとついに上海事変が始まつたわけであります。そのときに、それじやすぐに帰つて一まとめにして出て来ぬと船に乗れぬからというので帰しましたところが、その日に帰りますと同時にフランス租界に戒厳令がしかれまして、出ることができなくなつたのであります。それきり実は私とも関係が絶えたわけであります。大体におきまして鹿地君との初まりの関係は、そういうところにあるのであります。ほかには今思い当りません。
  868. 田嶋好文

    田嶋委員長 中国での国民政府との関係御存じないのですね。
  869. 内山完造

    内山証人 これは私はあとで聞いたのでありまして知らないのです。
  870. 田嶋好文

    田嶋委員長 今度今国会で問題になつておる鹿地君の問題が起きたわけですが、この問題についてどういう関係であなたが御関係になるようになつたか、この点をひとつお答え願いたい。
  871. 内山完造

    内山証人 これは今申しましたように、よほど前から鹿地君と私とは関係がありました。終戦になりましてから、重慶から鹿地君が上海へ帰つて参りました。そうしてこのときに私は知らずにおりました。ところがあとでわかつたのは、鹿地向が旅館に入つておりましたときに——重慶で子供が二人できておりました。男の子と女の子の二人でありますが、男の子の方が宿の窓の不完全なために三階の窓から落ちて死にました。その不幸が私に鹿地君が帰つておるということを知らせたのでありまして、それでその葬式にも実は立ち会いましたが、それからしばらく上海におります間、常に私の方も行き来しておりましたし、始終私の方へも出て来ておりました。女の子の方がいつも私のおりますところへ出て来ますのは、私の近所に日本人の子供が多くおるので、それなんかと遊ぶために出て来るのでありますが、始終来ておりました。そういう関係で、終戦後も実は交際は続いておりましたが、そのときの話に、現在台湾におる陳誠将軍が、非常に鹿地のためにいろいろ世話をしてくれたということを聞いておりました。鹿地君が日本へ帰りましたのは、たしか四月ごろだつたと思いますが、私はあつちに残つておるつもりでずつと残つておりました。そうして帰るのに、向う日本のおちつき先がなければ困るということで、それではとあえず私の弟の店の神田一ツ橋の内山書店というのにおちつくがよかろうということで帰つてもらつたわけであります。その後、私は二十二年の十二月に国民政府転覆陰謀団団長というような、何でも怪しげな名前をつけられて上海を強制的に送り出されたのであります。帰つて参りましたところが、その間こつちへ帰つている鹿地君が非常に評判が高くなつて、いろいろな著述も出しているということも知つてはおりましたが、帰つて来ましてから、私の考えでは、私はもう商売はしないというようなつもりで帰りましたので、鹿地君とはあまり交際もせず、私は実は旅行ばかりしておりましたので、直接つき合うということはなかつたのでありますが、鹿地君がおらなくなつたという事実はよほど後に聞きまして、私は旅行から帰つて初めて聞きまして、これはたいへんなことが起つた、えらいことだなどと思つたのでありますが、しかしそのときはまだ相手中国の人のところに行つているというようなことを聞きましたので、かつて中国におきましては、御承知のようにほう票と申しまして、例の人さらい事件というものが常にあるのであります。これは私のいるうちにも上海で二人は確かに人さらいにかかつて、帰りましてそのてんまつを聞いておりますので、中国人ならばこれは大したことはないというふうに少しばかり実は軽く考えておつたのであります。それでも私は始終旅行しているものですから、直接その後の状態なんかあまり知らなかつたのでありますが、そのうちに何だかこれはどうやらアメリカ人らしいということを聞きまして……。
  872. 田嶋好文

    田嶋委員長 それはいつごろの話です。
  873. 内山完造

    内山証人 それは本年の初めでしよう。やはり二月の初めごろじやないかしら。
  874. 田嶋好文

    田嶋委員長 どこからお聞きになつた……。
  875. 内山完造

    内山証人 鹿地君の妻君の話で、どうもそうらしいというようなことを聞いたのでありますが、そうしておりますと、さき証人に出ました山田善二郎君ですか、突然私のところへたずねて来られまして、そうして一枚の小さい細い書いたものを渡されて、鹿地さんからのものです、奥さんの方へ届けてもらいたいということでありました。そのときにも少しばかりお話を聞きましたけれども、とにかく初めて会つた人でありますし、私も詳しいことは聞きませんでしたが、そのときに山田という名前も聞きました。そうしてアメリカ人の機関であるということも聞きましたが——どんな機関であるか知りませんけれども、機関であるということも聞きました。そうしてその鹿地君の書きましたものを奥さんに渡すのを見ました——ちようど鹿地君の奥さんはその時分に病気で寝ておりまして、見ましたところが、自殺しそこなつたこと、それから子供のことを頼むというようなことが書いてありましたので、これを今見せたら、きつと妻君は卒倒するようなことが起きはせぬかと思いましたので、それは実に私はしばらく伏せておきました。そうしてよくなつて来るのを待つてから知せようというので、伏せておきまして、しばらく——何日間でありましたか、大分長い間私は伏せておきました。そうしてよくなりましたときに実は見せたのであります。その後また山田君は三回ばかり来てくれたと思いますが、一回は私がおりませんときであります。それから最後に来てくれたのは、今年の九月ごろでしたかと思いますが、何にも書いたものを持つて来ずに、ただ口で伝えてくれたのであります。二度目に会ましたときにも、ちよつと小さいものに書いたものを持つて来てくれました。それも妻君の方へ渡してやりました。そのときのことははつきり覚えません。それから最後に来てくれたときには、もう間もなく放免されるのじやないかと思いますというようなことで、実は非常に安心いたしました。すぐに私が飛んで行つて知らしたのでございます。そうすると妻君は非常に安心しておりました。ところがその後一向放免される気配もなく、遂にその後突然としてあの怪文書というものが出ましたときに、国際新聞、社会タイムスの人々から、こういう投書が入つて来たので、われわれの方では発表しようと思うという話がありました。ちよつと待つてください。どうも外国関係だとすると問題が大きいから、どうかこういうものはできるだけ慎重にしてもらいたい——だけでなしに、どうか専門家の方の御意見を伺つて、それによつて行動しないと——何としても命を無事に持つてつて来なければならぬということが私の願いであります。どうかそういうふうにお願いしたいと言つて実は発表を待つていただいたようなわけであります。その辺までのところを一応申し上げます。
  876. 田嶋好文

    田嶋委員長 奥さんから今年の十一月十二日の日に捜索願藤沢の市警の方に出されておりますが、これにあなたは御関係なさつたのでありますか。
  877. 内山完造

    内山証人 これには、私はちようど広島のアジア会議に出席いたしまして、そのついでに門司の方に行つておりました。それで実は知りませんでした。門司で朝日新聞に出ているのを読みまして、初めて知つてびつくりしれわけでありますが、しまつた、これは命の問題だと思つて実は非常に心配したわけであります。
  878. 田嶋好文

    田嶋委員長 どういうわけで捜索願を出したか、その後もお聞きになつておられませんか。
  879. 内山完造

    内山証人 詳しいことは一向そのことについては私聞ておりませんけれども、もうどうしてもたまりかねて出したのであろうと実は思つております。
  880. 田嶋好文

    田嶋委員長 それから第一回の山田君の持つて参りました書面、これは鹿地君の自筆に間違いなかつたか。
  881. 内山完造

    内山証人 私はこれを見まして、自筆に間違いないと信じております。
  882. 田嶋好文

    田嶋委員長 その文書は、何か山田君の言うところによりますと、もうあきらめた、子供をかわいがつてやれ、そういうようなことが書いてあつた。あなたに対して時計を何とかというようなことを……。
  883. 内山完造

    内山証人 それは覚えていない。(「人に売られた」ということだ。」と呼ぶ者あり)人に売られたというようなことは書いてあつたと思います。
  884. 田嶋好文

    田嶋委員長 人に売られたというようなことが書いてあつた……。
  885. 内山完造

    内山証人 そういうことは書いてありました。
  886. 田嶋好文

    田嶋委員長 それからこの捜索願が出たということ以来、この問題がやかましくなりまして、その後今日までとられましたあなたの行動、これを一つ簡単に……。
  887. 内山完造

    内山証人 これは別に私は何も行動を実はとつておりませんですけれども、猪俣さんにお願して行くときに一緒に参りました。山田君が出て来てくれまして、これはいよいよ公にするよりほか道がないというこうなことは考えました。私はことさらに行動は何もとりません。ただ猪俣さんにお願いに行きますときに、私は一緒に参りました。
  888. 田嶋好文

    田嶋委員長 委員長からの尋問はこれで終ります。委員諸君の間で御質問がございましたら、御発言を願いたいと思います。
  889. 木下郁

    ○木下(郁)委員 ちよつと二、三点伺います。日支事変が昭和十二年から始まつて、ずつとあなたは上海にいらつしやつたのですか。
  890. 内山完造

    内山証人 さようでございます。
  891. 木下郁

    ○木下(郁)委員 今度戦争が始まつて、その間に鹿地君が国民政府の方の軍の顧問になつてつたというようなことは、その当時御承知でしたか。
  892. 内山完造

    内山証人 いや私ちつともその当時は聞いておりません。
  893. 木下郁

    ○木下(郁)委員 それからその当時いろいろ反戦的な放送なんかをなさつてつたというようなこともお気づきになりませんでしたか。
  894. 内山完造

    内山証人 うわさは聞いておりましたけれども、反戦というのは、先生は大体前から戦争に反対の人でありましたから、あるいはそんなこともあつたかと思いますけれども、どうもその辺ははつきりわかりません。うわさは聞いておりました。
  895. 木下郁

    ○木下(郁)委員 さつきのお話の中で、手紙の中に人に売られたという言葉があつた。その意味は、何か同志とか友達とか、よくわかりませんけれども、自分の身近な人だけ知つておるようなことを、拉致していた米軍の方で知つているものだから、これはだれかがおれのことを売つたのだ、そのためにおれは拉致されたのだという趣旨に、お読みになつたときにはおとりになりましたか。そういう点はどういうふうに考えておりますか。
  896. 内山完造

    内山証人 私はそのときには、これは中国式の金にでもするという意味か、あるいは何か使うというつもりでやつたのではないかと思いました。
  897. 木下郁

    ○木下(郁)委員 それからその後戦争が済んでから、上海鹿地君とお会いになつているのですが、そのときに、戦争中軍の顧問として活動し、そのいきさつなんかを語り合つたことはありましたか。
  898. 内山完造

    内山証人 特に顧問としてというようなことは聞きませんでした。私実は政治とか軍事とかの方面はあまり人と話さないたちの人間で、私自身もきらいであまりやらないのですが……。
  899. 木下郁

    ○木下(郁)委員 懇意なお世話をなさつた鹿地君が、戦争という大事件の間にやつたことなんですから、多少話題に上つたのではないか。
  900. 内山完造

    内山証人 多少話題には上つたのですが、今記憶に残つているような話はなかつたと思います。
  901. 木下郁

    ○木下(郁)委員 陳誠将軍とたいへん親しくしているというさつきのお話でありますが、それはやはり軍の顧問をしたときのいきさつからですか。
  902. 内山完造

    内山証人 顧問ということは、実は私はつきり聞いていないのですが…。陳誠将軍は中国でも正義派だと言われるような人だそうですが、自分らが非常に苦しいことがあつたが、そのときにあの人に非常に助けてもらつたということを言つておりました。
  903. 木下郁

    ○木下(郁)委員 それから戦争が済んだ後も、今ああいうふうに中共が本土の方はとつてしまつた国民政府は台湾に逃げ込んでおるようなわけですが、それまでになる間に、内地に帰つて昭和二十二年あたり陳誠将軍と多少の連絡とかつき合いとかはなかつたのですか。
  904. 内山完造

    内山証人 私の想像しておりますところでは、帰つて来てからの鹿地君のやつておることは、かえつて陳誠将軍に対しては反対のようなことになつておりはせぬかと思つてつたのです。そこで今度の拉致問題も、あるいはそういう点から手が伸びたのではないかとさえ私は疑つたのです。
  905. 大川光三

    ○大川委員 二月ごろに山田さんが初めて証人のうちにたずねて来た。そのとき紙切れを持つて、それを奥さんに渡してくれ、こういうことがあつたわけですね。
  906. 内山完造

    内山証人 そうです。
  907. 大川光三

    ○大川委員 そこでそのときに山田から、鹿地氏が前年の十一月二十九日ころに自殺しかけて、結局自殺未遂の事件があつたというような話をお聞きになつたことがありますか。
  908. 内山完造

    内山証人 ちよつと聞きました。
  909. 大川光三

    ○大川委員 ちよつとですか。
  910. 内山完造

    内山証人 それで遺書らしいものがあつたのですけれども、それはとつて破られたか焼かれたかしたはずだという話がありました。
  911. 大川光三

    ○大川委員 そのときに山田さんから、自殺未遂事件というのが一応あなたの耳に入つたのですね。
  912. 内山完造

    内山証人 はい、一応私は聞きました。
  913. 大川光三

    ○大川委員 それで第一回目は紙切れの手紙、それから第二回目も紙切れ、  第三回目のときかに少しノートらしいものを持つて来た。
  914. 内山完造

    内山証人 そうらしいのですが、私ちよつとそのときおりませんでした。池田という妻君の方には渡つておると思います。私の方に持つて来て、私の弟の方でお届けしたと思います。私は後に帰つて来まして……。
  915. 大川光三

    ○大川委員 証人は直接ノートは受取つておらぬけれども、多分家の者が鹿  地の妻に渡したはずである……。
  916. 内山完造

    内山証人 ええ、渡してあるはずであります。
  917. 大川光三

    ○大川委員 けつこうであります。
  918. 福井盛太

    ○福井(盛)委員 私ただ一点お尋ねしたいのですが、それは鹿地氏の人柄を知る上においてお聞きしたいと思うのです。あなたが向うにいらつしやる間に、鹿地氏と大分お近しくしておられたのですが、交友として魯迅とか陳誠将軍と鹿地氏は親しくしておられたようですが、そのほか日本人並びに中国人で鹿地氏はどんな人と親しておつたかということをお聞きしたい。
  919. 内山完造

    内山証人 そうですね、先生はあまり中国語が自由でありませんから、中国人の間にはあまり大勢の友達は上海当時はなかつた。しかし魯迅の家に出入りいたします人々の中には、日本語の達者な人がずいぶんおりました。今の湖風などという人は日本語が非常に達者です。それで自然親しくなつたわけであります。しかしこの人なんかはみんな文芸家でありまして、日本側でも文芸に関係するような人には多少あつたと思いますが、上海そのものに文芸家があまりおりませんから、あまり広い範囲には先生は友達はなかつたと思います。
  920. 福井盛太

    ○福井(盛)委員 では特定な人というのは……。
  921. 内山完造

    内山証人 特定な人というのは記憶しておりません。今の日高清磨瑳とか、この人らは記憶しておりますが、そのほかにはあまりなかつたように思います。私の近くにおりまして、常にひまがありますと私のところに来るか、魯迅先生のところに来ておりました。
  922. 福井盛太

    ○福井(盛)委員 文芸家にもいろいろありますが、魯迅先生はどういう派の人ですか。
  923. 内山完造

    内山証人 魯迅先生中国では大体初めのうちは文学研究会という方に属していたので、少し古いということで、盛んに攻撃された人であります。
  924. 古屋貞雄

    ○古屋委員 一点承りたいと思います。鹿地さんが中国にいらしやるときの状況をよく御存じでしようが、中国の革命運動などに関係したような事実はございましたか。
  925. 内山完造

    内山証人 どうも関係はないように思います。革命と申しましても、どの革命ですか。
  926. 古屋貞雄

    ○古屋委員 中共の革命。
  927. 内山完造

    内山証人 中共の革命には関係はまつたくないと思います。
  928. 古屋貞雄

    ○古屋委員 それから実際の政治などに関したようなことはございませんか。
  929. 内山完造

    内山証人 政治には関係していないと思います。
  930. 古屋貞雄

    ○古屋委員 そうすると中国にいらつしやるころは、創作や文学の方ですね。
  931. 内山完造

    内山証人 もつばら文学の方でございます。
  932. 田嶋好文

    田嶋委員長 もう発言はございませんか。——他に発言がなければ、内山証人に対する尋問はこれにて終了いたしました。どうも証人御苦労様でした。  続いて齋藤証人より証言求めることにいたします。——では証人にお尋ねいたします。  先ほどお伝えいたしましたように、証人に対しては偽証の制裁がありますので、その点御注意してお答え願いたいと思います。  まず初めにお生れになつた日、御住所をお答え願いたいと思います。
  933. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 明治二十年四月二十一日生れ。
  934. 田嶋好文

    田嶋委員長 御住所は……。
  935. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 文京区切通坂一。
  936. 田嶋好文

    田嶋委員長 次に証人の略歴をお聞きしたいのですが、あまり前のことは必要でございませんので、終戦以来の略歴でけつこうですからお答え願いたい。
  937. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 切通坂の岩崎邸において大正三年二月三日以来勤務しておりました。
  938. 田嶋好文

    田嶋委員長 お仕事は……。
  939. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 仕事はおもに電気でございますが、電気、ガス、水道、機械、工業関係を担当しておりました。
  940. 田嶋好文

    田嶋委員長 電気ガス、水道、機械工業……。
  941. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 ボイラーなど……。
  942. 田嶋好文

    田嶋委員長 それは何するのです。
  943. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 岩崎邸の中にある方々のすべての技術を受持つてつたんです。
  944. 田嶋好文

    田嶋委員長 管理ではないのですね。
  945. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 そうではない。
  946. 田嶋好文

    田嶋委員長 あなたが技術を請負うというのは……。
  947. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 それを担当しておりました。技術関係をすべてやつておりました。
  948. 田嶋好文

    田嶋委員長 要するにこわれたときは直す、それから新設することもあ る、こういうことでございますか。
  949. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 そうでございます。
  950. 田嶋好文

    田嶋委員長 新設したり、修繕したりする……。
  951. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 あるいはそれを見まわつておいて、悪いところは自分のできることは自分でやるし、また手に負えないところは職人を頼んで……。
  952. 田嶋好文

    田嶋委員長 何でも含まれる、新設したり、修繕したり、これらを管理する仕事を担当しておつた、こういうことですね。
  953. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 そうでございます。
  954. 田嶋好文

    田嶋委員長 それはいつまで続きました。
  955. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 昭和二十二年の五月…。
  956. 田嶋好文

    田嶋委員長 昭和二十二年の五月それが終えたんですね。
  957. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 はあ。
  958. 田嶋好文

    田嶋委員長 それからどうなさいました。
  959. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 それから進駐軍に勤めておりました。あそこは昭和二十一年の五月十五日にアメリカ軍の接收となつてアメリカ軍が入つたんです。
  960. 田嶋好文

    田嶋委員長 それであなたはやはりその仕事を継続しておつた……。
  961. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 それは岩崎邸も両方兼業しておりまして、岩崎邸は退職したのは二十二年十月三十日であります。
  962. 田嶋好文

    田嶋委員長 兼務しておつたわけですね。
  963. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 そうでございます。
  964. 田嶋好文

    田嶋委員長 二十二年十月三十日まで両方兼務しておつた……。
  965. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 そうでございます。
  966. 田嶋好文

    田嶋委員長 二十二年十月三十日に岩崎邸の方はやめた。
  967. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 はあ。
  968. 田嶋好文

    田嶋委員長 それからどうしました。
  969. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 二十三年の何月でございましたか、今の聖公会神学院というキリスト教会があります。ここに売却したわけでです。
  970. 田嶋好文

    田嶋委員長 だれが売つたんです。
  971. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 岩崎邸が……。それで二十四年五月に教会の者が皆入つたわけです。教会の学生たちが入つたわけです。
  972. 田嶋好文

    田嶋委員長 それであなたはどうしておつたんです、二十二年十月三十日以来は……。
  973. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 やはりそこにおりました。
  974. 田嶋好文

    田嶋委員長 進駐軍の要員としておつたわけですね。
  975. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 はい。
  976. 田嶋好文

    田嶋委員長 そうすると二十四年五月に学生が入つて来てもなおおつたんですか。
  977. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 そうでございます。今度は進駐軍の要員としておりました。
  978. 田嶋好文

    田嶋委員長 いつまでおつたんです。
  979. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 解散になるまで。二十七年の一月二十一日にハウスが解散になりました。解散になつて、雇人は三月十五日に皆引上げたわけです。私だけは管理人として残つておりました。
  980. 田嶋好文

    田嶋委員長 今日まで……。
  981. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 私は管理人として残つて、二十七年の三月二日に茅ケ崎に行つてくれというわけで……。
  982. 田嶋好文

    田嶋委員長 二十七年三月二日に茅ケ崎に行つてくれ……。
  983. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 茅ケ崎ということを言われないで、最初行つたわけですが……。
  984. 田嶋好文

    田嶋委員長 行つてくれということで、そこにその日まで、三月二日までおつたわけなんですか。
  985. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 そうでございます。二日にちよつとまたよそにまわつてくれというわけで、どこに行くんですかと言つたら、横須賀方面だというわけです。
  986. 田嶋好文

    田嶋委員長 ちよつと待つてください。二十七年の一月二十七日にハウスが解散になつたと言いましたね。このハウスというのは何ですか。
  987. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 ハウスというのは、進駐軍の入つておる今の岩崎邸が解散になつたわけです。
  988. 田嶋好文

    田嶋委員長 進駐軍の入つているところをさすのですか。
  989. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 進駐軍の入つているところを本郷ハウスといつて名前をつけたのです。
  990. 田嶋好文

    田嶋委員長 どういう人が入つて、どういうう人が利用していたのですか。
  991. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 アメリカ陸軍のCICが入つているわけです。
  992. 田嶋好文

    田嶋委員長 CICのどういう人が入つてつたのですか。
  993. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 それはみんな事務をとつておりますから、詳しいことはわかりません。
  994. 田嶋好文

    田嶋委員長 CICということはどうしてわかつた
  995. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 CICということは聞いておりました。
  996. 田嶋好文

    田嶋委員長 だれから聞いておつた
  997. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 みんなCICと言つておりました。
  998. 田嶋好文

    田嶋委員長 みんなあなたの同僚ですか、アメリカの人からですか。
  999. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 同僚です。マークのついたあれも見ました。
  1000. 田嶋好文

    田嶋委員長 CICという看板が出ておつたのですか。
  1001. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 看板はないけれども、このくらいのものに書いてあるのが飾つてつたのを見たのです。
  1002. 田嶋好文

    田嶋委員長 看板は出てない。
  1003. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 あすこは看板は全然出さない。ハウス番号もあるのだけれども、それは全然出さない。
  1004. 田嶋好文

    田嶋委員長 ハウス番号も出さないで、CICの看板も出してなかつた
  1005. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 そうです。
  1006. 田嶋好文

    田嶋委員長 これくらいのものがもつたというのは、どういうことでか。
  1007. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 これくらいのものがうちにあつたのです。CICということは皆わかつておりました。CICということは皆言うておりますから、別にこれといつて……。
  1008. 田嶋好文

    田嶋委員長 うちの中にあつたというのは、どこにあつたのですか。
  1009. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 うちの中に立てかけてあつたのがCICの……。
  1010. 田嶋好文

    田嶋委員長 うちの中というのは……。
  1011. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 部屋の中に……。
  1012. 田嶋好文

    田嶋委員長 部屋の中に、CICの看板がとつてのけてあつたわけですか。
  1013. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 のけて立てかけてあつたのです。
  1014. 田嶋好文

    田嶋委員長 あなたは英語がわかりますか。
  1015. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 わかりません。
  1016. 田嶋好文

    田嶋委員長 それがどうしてCICの看板だということがわかりましたか。
  1017. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 CICは読めます。
  1018. 田嶋好文

    田嶋委員長 CICと書いてあつた英語はしやべれないが、CICというローマ字ぐらいはわかるのですね。
  1019. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 そうであります。CICと書いてあつたから、CICと思つてつたのです。同僚もそう言つておりますから……。
  1020. 田嶋好文

    田嶋委員長 あなたの同僚もみんなCICのハウスだと思つていた。それでそう思つてつた
  1021. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 はあ。
  1022. 田嶋好文

    田嶋委員長 中におる人の名前御存じないですか。どういう人がおつたか。
  1023. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 人の名前ですか、人の名前は時折かわりましたから、しよつちゆうかわつておりましたから、私はボイラーの方へ行つたり、あつちこつち飛びまわつて、悪いところは修繕して、自分の工事場もありましたから、そこに行つておりましたので、実際詳しいことはわかりません。
  1024. 田嶋好文

    田嶋委員長 おもだつた人の名前、一人もわからなかつたのですか。
  1025. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 近くになつては、キヤナンとかいうのが大将になつておりました。
  1026. 田嶋好文

    田嶋委員長 キヤナン……。
  1027. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 キヤナンとかいつておりましたが、英語の発言はよくできませんが、日本人の要員はそう読んでおりました。
  1028. 田嶋好文

    田嶋委員長 近くというのは、ことしのことですか。
  1029. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 そうでございます。去年もおととしも、よほど前からおりました。四、五年になりますか。
  1030. 田嶋好文

    田嶋委員長 これはかしらのような人ですか。
  1031. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 それがかしらになつております。
  1032. 田嶋好文

    田嶋委員長 もちろん顏は知つておるわけですね、キヤナンの顔は。
  1033. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 そうです。
  1034. 田嶋好文

    田嶋委員長 去年の暮れかことしの初めごろ、あなたのおつた岩崎邸に、日本人の病人が運ばれて来たようなことも御存じないですか。
  1035. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 それは日本人ということは知りません。ただ病人で、結核患者が入つておるということを聞いておりました。それというのは、これくらいばかりの深い皿に消毒液を入れて、食事を運んで行くたびに、食器を消毒することは知つております。
  1036. 田嶋好文

    田嶋委員長 日本人外国人か知らないが、肺病人がおるということは、食器を常に消毒しておるので、それを見まておるから知つてつた
  1037. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 はあそうです。
  1038. 田嶋好文

    田嶋委員長 聞いたことはなかつたですか、どなたかから……。わかりませんか。
  1039. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 それはだれも知りませんでした。ただ病人がいるということをだけでした。肺の病人がいるから、だからみんな気をつけて、食器はうちのものとまぜないようにしてくれということ……。
  1040. 田嶋好文

    田嶋委員長 肺病の病人がいるから、食器はうちのものとまぜないよう  にしてくれということで、病人がいることは知つてつた
  1041. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 そうです。
  1042. 田嶋好文

    田嶋委員長 その病人の名前は知らなかつたか。
  1043. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 知りません。多分朝鮮人だろう。それはみんなの想像です。朝鮮人か支那人だろうという……。
  1044. 田嶋好文

    田嶋委員長 朝鮮人か支那人だろうといううわさもあつた
  1045. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 ええ。
  1046. 田嶋好文

    田嶋委員長 顔も見たことがないですね。
  1047. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 ないです。
  1048. 田嶋好文

    田嶋委員長 いつごろまでおつたようですか。
  1049. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 去年の十一、二月ごろでしようと思いますが、はつきりわかりません。
  1050. 田嶋好文

    田嶋委員長 十一月か、十二月ごろまでおつた
  1051. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 ええ、長くはいないだろうと思います。十一月の末であつたか、十二月かはつきりわかりません。
  1052. 田嶋好文

    田嶋委員長 その病人はいつごろから来たようですか。
  1053. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 それがよくわかりませんが、とにかく十一月ごろだろうと思います。
  1054. 田嶋好文

    田嶋委員長 十一月ごろ来たように思う。そして長くはおらなかつたように思う。
  1055. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 そう思います。
  1056. 田嶋好文

    田嶋委員長 一箇月くらいおつたのですか。
  1057. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 だろうかどうか、時折外に出ると赤い薬がありましたから、あのときは多分いたときだろうと思います。
  1058. 田嶋好文

    田嶋委員長 いつからいつまでおつたかわからないが、そう長い期間じやなかつた
  1059. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 ええ。
  1060. 田嶋好文

    田嶋委員長 その病人をどういう意味で連れて来ておつたかというようなことは、あなたたちの間にうわさは出なかつたのですか。
  1061. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 うわさも何も、知らないうちに来ておるのだから……。そういう病人が来るときには全然立ち寄つてはいけないことになつておりますから、全然わかりませんです。それは女たちもわからないです。
  1062. 田嶋好文

    田嶋委員長 女たちも知らない。
  1063. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 ええ。
  1064. 田嶋好文

    田嶋委員長 聖公会神学院ができて、生徒が入つたわけですが、その病人のおる部屋と、そうした学校の生徒のおるところとは離れているのですか。
  1065. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 離れて往復できないようにしているのです。用があれば入つて来るけれども、学生たちは全然入つて来られないのです。
  1066. 田嶋好文

    田嶋委員長 さくでも設けてあるのですか。
  1067. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 錠をおろしてくぎづけにして、ここからこつちは進駐軍、ここから向う学校の方ということにして……。
  1068. 田嶋好文

    田嶋委員長 そのさくは阿ですか、鉄のさくですか。
  1069. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 いえ、そうじやない。みんな錠をおろしているのです。
  1070. 田嶋好文

    田嶋委員長 錠をおろしているというと、普通の板べいですか。
  1071. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 いえ。普通のドアになつているのです。日本間と洋間とがわかれているのです。
  1072. 田嶋好文

    田嶋委員長 家の中で錠をおろして……。
  1073. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 西洋館と日本間のところは、幅は狭いのですから。
  1074. 田嶋好文

    田嶋委員長 学生と進駐軍の方とは行き来ができないように仕切つてある。
  1075. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 そうです。
  1076. 田嶋好文

    田嶋委員長 あなたは茅ケ崎へ移つたということですが、茅ケ崎はどこへお移りになつたのですか。
  1077. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 茅ケ崎といつたつて、あそこのところも何もわかりませんです。それというのは、とにかく来てくれというので、自動車に乗つて、どんなところだかわからないので、それじや一ぺん見学に連れて行つてもらおうというわけで、ボイラーもたかなければならないし、とにかく人はいないのだから、女も使わないから、それで何もかにもやつてもらわなければいかぬというわけで、まあできるかできないか、年もとつているから、めんどうな仕事はやらせないから来てみてくれというわけで、自動車でもつて行きました。どこだか行先はわからないのです。
  1078. 田嶋好文

    田嶋委員長 行つただけで勤めはしなかつた
  1079. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 行先はわからないのです。どこだろうと言つたら、横須賀の近所だろう。それじやあ横須賀の近所なら行つてみようという気があつて、車で送つてもらつたわけです。どこまで行つて——横須賀というところは汽車では通つたけれども、自動車道はちつとも知らないから、こういうところかなあ、ああいうところかなあと思つて見て来たが、とんでもない、方角が違うと思つたら、江の島が見えました。江の島が見えたから、これはとんでもないところじやないか、横須賀というと、もう少し左の向うのはじだよと言つたら、アッハッハッと笑つていた。それからどこまでも行つたので、ああ、これは大磯の方かなと思いました。それからどこまでも行つてから、右の方に入つてつた。それからまたずつと中をぐるぐるまわつて、ここだといつておろされた。そうしたところが、さびしいから、これはひどいところだなと思つておりました。そして今度はじいつと見たら、井戸がえの男が三人か四人おりましたから、井戸を見たらきたないから、ここだけはきれいに掃除してくれといつて——それは二度目だけれども、一度目はそれで帰つたわけです。二度目に、今度明日から来てくれというわけだつたから、明日といつても、世帯持が一日でもつてすぐに家をあけて行くということはできないのだから、まあ二、三日待つてくれということで、三月の二日まで待つてもらつたわけです。だから三日ばかり余裕がありましたかな。それで夜具ふとんを持つてつてもらつたわけです。それから今の逆もどりのようだけれども、今申し上げた話になつたわけです。井戸を見て、井戸が悪いから、井戸は十分きれいにしなくちやいけないからと言つているうちに、おい、齋藤君、ぼくらは帰るから、あとは頼むよというのですよ。頼むといつても……。
  1080. 田嶋好文

    田嶋委員長 それはだれですか。あなたを連れて行つた人は何という人ですか。
  1081. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 一度目に行くときと二度目とは違いますから……。
  1082. 田嶋好文

    田嶋委員長 初め連れて行た人はだれですか。
  1083. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 初めは将校に連れて行かれました。
  1084. 田嶋好文

  1085. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 藤本といいますがね。
  1086. 田嶋好文

    田嶋委員長 日本人の二世ですか。
  1087. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 二世です。
  1088. 田嶋好文

    田嶋委員長 二回目は。
  1089. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 二回目はブロビオとばかり言つておりますが、どういう名前ですかね。私たちはブロビオブロビオと呼んでおりましたがね。
  1090. 田嶋好文

    田嶋委員長 白系露人ですね。
  1091. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 そうです。
  1092. 田嶋好文

    田嶋委員長 その人が連れて行つたのですか。
  1093. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 それが連れて行つて、荷物をおろしてちよつとたつたら、もうぼくは帰るからあとは頼むよと言つた。いや、じようだんじやない。食事も何にもないのですから、これじやいけない、だめだよ、どうすればいいのだよと言つたら、いや、そこらをあけたらカン詰があるから、あけて食べていると言つてさつと行つちやつた。そうしたところが、知らない土方みたいな職人で、井戸がえしている男が三、四人いて、あと自分一人です。これじやしようがない。しかし腹もこしらえなくちやいけないし、困つたなと思つた。それで今度職人たちに聞いたら、二十分か二十五分駅の方に行くと何か売つているというので、それで三食分ほどパンを買つて来ました。行くときにもずいぶん遠く歩きましたが、パンを買つて用意をした。そして夜になつて、一人さびしく、あの町はずれで、風がゴーゴー吹いて、二月だというのに火もないのでしよう。そこでふるえておつたところに、連れの兵隊が来ました。
  1094. 田嶋好文

    田嶋委員長 連れの兵隊というのはだれですか。
  1095. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 川田というのです。それが来て、とてもお腹がすいてこうこうというわけで、ハンを買つて来た、パンを食べないかと言つたら、いいよいいよ、ぼくは食べているからいいや、もう二人ならば大丈夫、さびしくないというので、その日一晩とまつて、その次の日になつた山田さんが来たのです。
  1096. 田嶋好文

    田嶋委員長 山田善二郎とはそこで知合いになつたのですか。
  1097. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 そうです。
  1098. 田嶋好文

    田嶋委員長 それであなたは茅ケ崎にいつまでおりましたか。
  1099. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 茅ヶ崎には七月二十日までおりました。
  1100. 田嶋好文

    田嶋委員長 それでやめたのですか、七月二十日で。
  1101. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 ええ、私はもうボーイの方もコックの方も、何にもかも手を出してやつておりましたのですからね。それで朝の食事をしまして、皿を洗つているうちに、東京から光田かだれかが帰つて来ておつた。それで外にいて、三人でもつてペシャペシャ話し込んでいた。食器を洗いながら見ましたが、何をしやべつているのかなと思つていたら、三人ともどつと中に上つて来て、川田が、おい、齋藤帰ろうよというので、食器はまだ半分洗いかけていたから、何だ、どうしたのかといつたら、もういいからすぐ東京に帰ろう、おれはこれから東京に帰るのだから急いですぐ帰ろう、急いで帰るといつても、食器がこれだけあるのにと聞いたら、いいから帰ろうよ、ここはもうあとはいいのだからというので、それであと十分かそこらのうちに自分の荷物を片づけて帰つて来た。
  1102. 田嶋好文

    田嶋委員長 それは七月二十日にですね。
  1103. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 そうです。
  1104. 田嶋好文

    田嶋委員長 そうすると、この七月二十日までにこの家におつたのは、どなたとどなたですか。
  1105. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 兵隊ですか。
  1106. 田嶋好文

    田嶋委員長 兵隊はどなたで、それから使用人はどなたですか。
  1107. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 使用人は私一人。
  1108. 田嶋好文

  1109. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 山田さんは大月八日か十日ごろ……。
  1110. 田嶋好文

    田嶋委員長 それまでは山田はおつたのですね。
  1111. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 そうです。それから山田さんが帰つてかう、河村という本郷ハウスにいたときにボーイをしていた男がおりました。それをちよつとでいいから、一週間か二週間でいいからといつて、連れて来てもらつたのですが、それが二週間だかいたわけです。
  1112. 田嶋好文

    田嶋委員長 兵隊はだれとだれですか。
  1113. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 川田、光田。それから行くときには高橋というのがおりました。
  1114. 田嶋好文

    田嶋委員長 光田という二世がおつたのですか。
  1115. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 ええ。それから高橋というのは、事務員だか何だか、それはわかりませんけれども、高橋と呼んでくれというから……。
  1116. 田嶋好文

    田嶋委員長 高橋というのもおつたのですか。
  1117. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 ええ。
  1118. 田嶋好文

    田嶋委員長 これも二世ですか。
  1119. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 そうです。
  1120. 田嶋好文

    田嶋委員長 プロビオというのは、山田さんが出たあと四、五日しまして東京から来たわけです。それでプロビオさんと交代になつたわけです。
  1121. 田嶋好文

    田嶋委員長 山田の出た直後に高橋とブロビオと交代になつたのですね。
  1122. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 そうです。
  1123. 田嶋好文

    田嶋委員長 そのほか、将校だとかなんだとか、ここに出入をしませんでしたか。
  1124. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 出入りはしておりました。出入りといつても、しよつうちゆう来ておるのではないのですけれども、一週間に一ぺんか見えました。
  1125. 田嶋好文

    田嶋委員長 だれが来たのですか、一週に一ぺん。
  1126. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 あれはミユーハートというのですか、何というのですか、ミユーハとばかり言つておりましたが……。
  1127. 田嶋好文

    田嶋委員長 これは将校ですか。
  1128. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 将校です。
  1129. 田嶋好文

    田嶋委員長 アメリカの人ですか。
  1130. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 あれはロシヤ系という話もちよつと聞きましが、実際のところはわかりません。
  1131. 田嶋好文

    田嶋委員長 何した来たのですか。
  1132. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 何しに来たか、こいつはわかりません。
  1133. 田嶋好文

    田嶋委員長 今言つた以上外にだれかいなかつたのですか、そう家の中に。
  1134. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 中にはおりません。——いや、それはお客さんがいるわけです。
  1135. 田嶋好文

    田嶋委員長 お客さんつてだれですか。
  1136. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 お客さんというと、今思えば鹿地さんですけれども。
  1137. 田嶋好文

    田嶋委員長 お客さんというのは鹿地さんのことですか
  1138. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 そうです。
  1139. 田嶋好文

    田嶋委員長 それをあなたたちはお客さんと呼んでいたわけですか。
  1140. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 そうです。
  1141. 田嶋好文

    田嶋委員長 そうすると相当接待したわけですか。
  1142. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 接待はできる範囲内に、私らがもう腕をねじつてつたわけですがね。ろくなものはできなかつただろうけれども、まあ口以上にはやりました。
  1143. 田嶋好文

    田嶋委員長 お客さんと呼ぶ人がそこにおつて、お客さんにふさわしい料理を食べさせたというのですか。
  1144. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 コックさんもいるのだけれども、山田さんのいないときには、私らがやりました。
  1145. 田嶋好文

    田嶋委員長 あなたが腕をふるつてつたわけですね。
  1146. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 そうです。
  1147. 田嶋好文

    田嶋委員長 そのお客さんはどういうお客さんということは、知りませんでしたか。
  1148. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 ええ。それはやはりさつき言つた通り、単に想像でもつて、朝鮮人か支那人だろうということは頭にしみ込んでおりました。そうすると山田さんの帰つたあと、私らが今度食事を時折持つて行きました。
  1149. 田嶋好文

    田嶋委員長 そのときに見たのですか、顔を。
  1150. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 顔も見ちやいかぬというのだけれども、こういうようにおぜんを持つて、まさか顔を見ないわけにも行きませんからね。それでドアは錠がおりておりますから、それをノックして、あけてもらつて、そこにまるテーブルがあつてそこへ持つてつたわけです。
  1151. 田嶋好文

    田嶋委員長 山田君が帰るまではお客さんという人の顔を見たこともなければ、その近くへ行つたこともないのですか。
  1152. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 ないです。
  1153. 田嶋好文

    田嶋委員長 朝鮮人か支那人だと自分たちは思つていたのですね。
  1154. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 そう思つていたんです。
  1155. 田嶋好文

    田嶋委員長 山田君が帰つてから後は、自分がぜんを運ぶようになつた。そのときには顔を見てはいけない…。
  1156. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 それは顔を見てはいけないというので。見ないようにしていました。
  1157. 田嶋好文

    田嶋委員長 顔を見ないようにして渡せということだが、そういうことはできないから顔を見た。
  1158. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 そうです。
  1159. 田嶋好文

    田嶋委員長 見たらそれはどういう人か……。
  1160. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 ところが、頭には朝鮮人か支那人ということが入つているでしよう。そこへ支那服みたいなのを来ている。ちようど支那人ではよく見受ける服装でしたから、それで顏を見てもおとなしそうな顏で、これは支那人だなというあれがしました。
  1161. 田嶋好文

    田嶋委員長 名前は聞きませんでしたか。
  1162. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 聞きません。
  1163. 田嶋好文

    田嶋委員長 どういうような部屋に入つてつたのです。
  1164. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 急匂配の家の二階に部屋があつたものですから、まん中は高いけれども端が低い、大きさは三間半ぐらいですか。最初は一部屋だつたのですけれども、間もなく隣にまたそういう部屋がありましたから、まん中の部屋を明けて二つ一緒にしたのです。
  1165. 田嶋好文

    田嶋委員長 初めは一部屋で、何畳ぐらいでしたか。
  1166. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 だから一間半の二間半か三間ぐらいです。
  1167. 田嶋好文

    田嶋委員長 その一部屋で次にその隣の部屋を開放した。
  1168. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 やはりそのような部屋が二部屋あつて、一部屋には兵隊がとまることになつてつたけれども、狭いからそのベットを下におろしてしまつて、片方食堂にしようというわけで、二つ一緒にしたわけです。
  1169. 田嶋好文

    田嶋委員長 部屋は錠をおろしてあつたわけですか。
  1170. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 はい。錠は大したものではないですけれども、つけろと言われて、私はつけたわけです。
  1171. 田嶋好文

    田嶋委員長 あなたがつけろと言われてつけたわけですね。
  1172. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 そうでございます。
  1173. 田嶋好文

    田嶋委員長 その錠はどんな錠です。
  1174. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 鉛筆ぐらいの棧になつているやつがあるんじやないですか。ドアでもなんでもあけてぐるつと横にまわすやつ……。
  1175. 田嶋好文

    田嶋委員長 楕円形のやつですか。
  1176. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 あれと、それからリングがあつてひつかかるやつがありますね。あれをつけました。
  1177. 田嶋好文

    田嶋委員長 そのお客さんという人が出られないようにしたわけですか。
  1178. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 まあそんなわけになつております。
  1179. 田嶋好文

    田嶋委員長 どうです。出ようと思えば出られるのですか。
  1180. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 家はあの通りきれいになつているから、大きい錠はとつてもできない。まあ形式的にやつたわけです。出ようと思えば、うんとやればできないわけではない。もつとも破ればそのままだけれども、出る気なら出られますね。木ネジが細い小さいものですから。
  1181. 田嶋好文

    田嶋委員長 あなたとしては形式的につけたんだから、無理して出ようとすれば出られるということですね。
  1182. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 そうです。
  1183. 田嶋好文

    田嶋委員長 その人に監視はついておつたのですか。
  1184. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 あのときはもう下の部屋にいるわけです。
  1185. 田嶋好文

    田嶋委員長 だれが、兵隊さんが……。
  1186. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 兵隊がです。けれどもしよつちゆうそこにいるわけではないです。たいくつまぎれに外へ出て、あるいは駅のあたり行つて遊んでおつたりするものだから、あそこが留守のときもある。けれどもどんな人が来るかわからぬから、だれか一人は留守居番はいるわけです。
  1187. 田嶋好文

    田嶋委員長 それはそのお客さんという人を監視するんですか。監視ではなしに、そこがハウスになつているからそこにおるんですか。
  1188. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 留守居番です。留守居番がいなくちやできないでしよう。電話もあるんですから。どんな用があるかわからないから、どうしても一人は残つておるようです。
  1189. 田嶋好文

    田嶋委員長 どうなんです。それより錠をおろしたりしているんだから、お客さんというのを監視しているために特におつたんじやないですか。事務をとるという目的よりも、お客さんを監視する意味でおつたというわけじやないんですか。
  1190. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 監視するともいえるでしようね。けれども、とにかく一応錠をおろしてあるのだから、そのわきにはおりまりません。だから戸があいておれば、すつと出て、まつすぐに行つて、私らのいる部屋の外を通つて外へ出られるわけです。
  1191. 田嶋好文

    田嶋委員長 お客さんは中でどういうようなことをしていたんです。
  1192. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 食事のとき、ただ持運びするときだけしか見えませんですが、テーブルの上には絵の具のようなものもありましたし、本もありました。ですから絵を書いているなということはわかつたんです。絵の筆みたいなのが置いてあつたのです。
  1193. 田嶋好文

    田嶋委員長 何かお客さんに対してそこにおる人たちが、共産党員だとかなんとかいうような話をしておつたことはなかつたんですか。
  1194. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 そんなことは聞きませんが、自分の頭には、その顔を見てからおとなしいようだ、風格のあるような人だから、偉い人だということが頭に浮んだんです。だから、そういう人から、何か朝鮮戦争について利益を得ているんじやないかなと思つておりました。
  1195. 田嶋好文

    田嶋委員長 朝鮮戦争のためにとめられておると思つたんですか。
  1196. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 いや、それから何かいいくふうを受けるようなつもりでやつたんじやないかと……。
  1197. 田嶋好文

    田嶋委員長 朝鮮戦争があるから、そのお客さんからいい知恵を受けようとしてそこに置いてある、そう考えたのですね。
  1198. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 そう考えておつたのです。
  1199. 田嶋好文

    田嶋委員長 それくらい穏やかであつたのですね。
  1200. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 穏やかでありました。
  1201. 田嶋好文

    田嶋委員長 お客さんから文句も出なかつたのですね。
  1202. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 出ませんでした。いつも持つて行くと、ごちそうさまでした、御苦労さんでしたと言つておりました。
  1203. 田嶋好文

    田嶋委員長 御苦労さんと言つて、普通のあいさつをしておつたのですね。
  1204. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 そうです。
  1205. 田嶋好文

    田嶋委員長 おじておるような風、無理にとめられて脅迫されておるような模様は見えなかつたのですか。
  1206. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 そういう模様は見えませんでした。
  1207. 田嶋好文

    田嶋委員長 山田君があなたに何か話したことはないのですか。お客さんから連絡を頼まれたとかなんとか…。
  1208. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 そんなことはありません、名前も数えてくれないのです。この人がえらい本を著わしたのだと言つて、本を見せてくれたのです。何という人ですかと言つたら、ばちんとやつたのですから、私はめがねもかけていないのに、一間も離れておつて、全然名前も何もわからないわけです。
  1209. 田嶋好文

    田嶋委員長 あなたは鹿地亘という人を知つておりますか。
  1210. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 その人はタイムスから記者が参りまして、その人から初めて聞きました。
  1211. 田嶋好文

    田嶋委員長 どう言つて……。
  1212. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 「最初どこにいたのですか」「茅ヶ崎から来た」「どうして知りましたか」と言つたら「山田君から聞いた「」まだいるのですか」と言つたら「さあ、それを聞きに来た」というわけです。「一体お客さんというのはどんな人ですか、日本人ですか」と言つたら「日本人だ」と言う。」それじやその日本人は何という人ですか」と言つたら、小さく話をしたのだけれども、わしにはよく届かなかつたです。それで日本人ということでもつて奥さんば非常に病気して心配しておるのだから、これを探すのだ。「それは気の毒だね」と言つて記者に話をしました。それでその名前を言つたけれども、ただ一ぺん小さい声でもつてつたものですからそのときはまだわからなかつたのです。
  1213. 田嶋好文

    田嶋委員長 そのときにまだ鹿地さんということはわからなかつたのですね。
  1214. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 二度目に共同通信ですか、新聞社から訪ねて参りまして、その人から鹿地亘ということを聞いたのです。
  1215. 田嶋好文

    田嶋委員長 あなたは鹿地さんの顔をその後見た見たことがありますか。
  1216. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 その後は、あすこにおりましたから見ました。
  1217. 田嶋好文

    田嶋委員長 その後ですか。
  1218. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 ありません。
  1219. 田嶋好文

    田嶋委員長 きよう会つたのですか。
  1220. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 会いません。とにかくぼくは、一食でもあげたのだから、気の毒だという意味で、会いたいと思つて、八日の日ですか、家に帰つて来たと言つたから、その晩にお伺いしようかと思つたら、今ではおそいし、また新聞記者でごたごたしておるから、あすの朝早く行つてみようがなと思つたのです。
  1221. 田嶋好文

    田嶋委員長 そうすると、あなたはお客さんの顔は知つているけれども、鹿地さんという人の顔は今日に至るまで知らないというのですね。
  1222. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 ええ。だからそれはおぜんを運んで知つています。
  1223. 田嶋好文

    田嶋委員長 いやそれは。お客さんの顔でしよう。お客さんの顔は知つているが、いまだ鹿地と名乗つた人に会つたことはないから、それが鹿地さんかどうかということはわからない、こういうのですね。
  1224. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 そうです。
  1225. 田嶋好文

    田嶋委員長 委員長尋問は終りました。
  1226. 大川光三

    ○大川委員 そのお客さんという人は、あなたが芽ヶ崎へ行かれる前からおられたのですか。
  1227. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 私が行つてから来られたのです。
  1228. 大川光三

    ○大川委員 あなたより後ですか。
  1229. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 そうです。
  1230. 大川光三

    ○大川委員 何日ほど後ですか。
  1231. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 さあ、よくわかりませんが、一週間かそこらじやなかつたかと思います。ちようどこちらへ来たときには、まだだれもおらなかつた
  1232. 大川光三

    ○大川委員 そうすると、あなたの行かれたのは今年の三月二日ですか。
  1233. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 はい。
  1234. 大川光三

    ○大川委員 その三月二日から一週間ほど後にそのお客さんが来られた…。
  1235. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 ええ。やや一週間かそこらだろうと思いました。はつきりしたことはよくわかりません。
  1236. 大川光三

    ○大川委員 とにかくあなたよりあとに来られた……。
  1237. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 そうです。
  1238. 大川光三

    ○大川委員 そのお客さんは病人らしく見えましたか。
  1239. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 それはわかりません。全然見ませんから。
  1240. 大川光三

    ○大川委員 いや。食事を運んで行かれた当時は。
  1241. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 そのときは、食事によつて大分食べるようになりまして、今度は大分全快したということを聞いておりました。
  1242. 大川光三

    ○大川委員 食事は重湯とかミルクとかいうのでなくして、普通のあなたたちの……。
  1243. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 普通の食事です。
  1244. 大川光三

    ○大川委員 普通の食事を運んで行かれて、格別病人らしくは見えておらない……。
  1245. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 そうであります。ただ顔は少し青白くなつておりましたけれども、支那人としては似たように思いましたから。(笑声)
  1246. 大川光三

    ○大川委員 そうすると、その入口にかぎをつけたというのは、あなたが初めてつけられたので、それより前にはなかつたようですね。
  1247. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 なかつたのです。
  1248. 大川光三

    ○大川委員 そうしてそれは申訳的につけたもので、事実は出ようといつたらそのかぎを破つて出られるのですね。
  1249. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 ええ、破れば出られるでしよう。
  1250. 大川光三

    ○大川委員 同時に、その部屋を出れば一般外部にも出られますか。監規の眼を盗んで外へ出ようと思つたら…。
  1251. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 ええ、出られます。段々をおりて行くと、すぐ土間で、三間ぐらい向うからドアをあけて外へ出られる。外へ出てもまだ屋敷の中で……。
  1252. 大川光三

    ○大川委員 全然屋敷から出る場合は。
  1253. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 屋敷はずいぶん広いから、それから出ると、町がたくさんありますから……。
  1254. 大川光三

    ○大川委員 町へ出ようと思つても出られますね。
  1255. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 出られます。
  1256. 大川光三

    ○大川委員 出ようと思う気があれば、難なく町にも出られるのですね。そういう状態ですね。
  1257. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 まあそうでございます。それから窓や何かでも、おりようと思えば、錠があるけれども、窓は網戸、ガラス戸、板戸と三重になつている、それがいつもあいている。だから、そこからおりて逃げようと思うならば、外へ逃げることができるのです。
  1258. 大川光三

    ○大川委員 わかりました。それからもう一つは、その部屋に一週間に一度くらい将校風の人が来る、その中へ入つてお客さんと話しているらしい…。
  1259. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 そうらしいのです。
  1260. 大川光三

    ○大川委員 その将校らしい人が来たときに、特別にコーヒーを持つて来いとか、ケーキを持つて来いとか、特別なものは出さなかつたですか。
  1261. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 それは私らの普通のテーブルの上でもつてコーヒーを飲む。食事一ぱい。たいていお昼前に来て、お昼がすんで、二時か三時ごろ帰つて行く。
  1262. 大川光三

    ○大川委員 あなたが、その将校風の人とお客さんと話する場合に、お茶とかコーヒーは運んで行かなかつたか。
  1263. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 それはないのです。
  1264. 大川光三

    ○大川委員 二人が話しているとき に、部屋の近くには行つたことはありませんか。
  1265. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 ありません。全然そういうときは私たちはドアの向うに入ることはできない。
  1266. 大川光三

    ○大川委員 そうすると、いわゆる将校風の人がお客さんに会いに来るのは、あたかも朝鮮戦争のことなどでいい知恵でも借りに来るのだ、こういうふうに見受けられた。
  1267. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 そういうふうに思いました。
  1268. 大川光三

    ○大川委員 そうなると、将校風の人は部屋から出て来たときでも、えらい気色ばんでいるとか、怒つているとか、興奮しているとか、そんなことは見受けられませんでしたか。
  1269. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 そんなことは見受けられません。
  1270. 大川光三

    ○大川委員 普通にお客さんに応対して、また出て行く。それから週に一回とおつしやいましたが、一回でしようか、二回でしたか。
  1271. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 一回です。
  1272. 大川光三

    ○大川委員 何曜日という日はきまつていなかつたか。
  1273. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 いや、たいてい月曜日……。あれは月曜だつたんでしようかな。
  1274. 大川光三

    ○大川委員 わからなかつたらよろしい。とにかく週に一ぺんはさまつたように来るのですね。
  1275. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 雨の降つたときには、私の知つている範囲内では三回くらいも来ませんかな。
  1276. 大川光三

    ○大川委員 その将校風の人は、いつも車に乗つて来るのですか。
  1277. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 そうです。普通の車で来るときもあるし、帰りにジープでもつてあそこの駅まで行きます。駅から省線でもつて何します。
  1278. 大川光三

    ○大川委員 省線のときにはわからぬですね。
  1279. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 省線まで送つて行くのだということを言いました。
  1280. 大川光三

    ○大川委員 ジープで来たり普通の自動車で、とにかく送り迎えされている、こういうことになりますね。
  1281. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 そうです。
  1282. 大川光三

    ○大川委員 それからあなたが茅ケ崎をやめられるときは、お客さんはまだ残つておりましたか。
  1283. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 お客さんはおりました。そのときは顔は見ないけれども、お客さんの食器は出ておりました。
  1284. 大川光三

    ○大川委員 お客さんは、まだおつたのですね。
  1285. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 おつたことになるのですね。
  1286. 大川光三

    ○大川委員 それからう一つですが、その茅ケ崎おられたときに、兵隊にあなたはなぐられたり、このはげ頭とか言つて侮辱を受けた、そんなことはありませんか。
  1287. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 あります。
  1288. 大川光三

    ○大川委員 だれですか。
  1289. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 川田。
  1290. 大川光三

    ○大川委員 川田。光田というのはおらなんだか。
  1291. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 光田もおりましたけれども、光田さんは、そんな乱暴なことはしませんでした。川田というのは、まるで暴力団みたいな……。(笑声)
  1292. 大川光三

    ○大川委員 川田に乱暴なことをされた、こういうことはあるのですね。
  1293. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 そうです。
  1294. 大川光三

    ○大川委員 それから、さつきちよつとあなたのお言葉に出ましたが、結局お客さんは、特にその部屋に監禁されているというふうな様子は見えなかつたのですか。
  1295. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 まあ錠はつけてあるけれども、監禁といえば監禁になつて来るのだけれども、そう大した厳重だというあれではない。
  1296. 大川光三

    ○大川委員 あなたの受けた感じは、監禁とは思わなかつたのですね。
  1297. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 監禁といえば、非常に楽な監禁。
  1298. 大川光三

    ○大川委員 反対に、むしろ身の安全を保障するためにかくまわれているのだというような感じはなかつたのですか。
  1299. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 そんなような感じは、ないようにも考えられた。
  1300. 大川光三

    ○大川委員 どつちでしようね。いわゆる軟禁されているのか。反対に、保護するためにかくまわれているのか。どつちのようにお考えになつているか。
  1301. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 錠をおろしたところを見ると、監禁のようだけれども、そうかといつて頑丈なやり方ではない。病気だから、こういう閑静なところでもつて保養している、胸が悪いので保養しているとも言える。保養しているのなら錠はおろさなくてもいいし……。(笑声)それもかたい錠はやらいので、ちよつとまあこういうふうにでもやればとれそうな、貧弱なもので、二分か三分くらいのねじでとめてあるのですから、手でぐんとやればすぐとれます。だから……。
  1302. 大川光三

    ○大川委員 無理やりの監禁とは思えなかつたのですね。
  1303. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 ええ思えません。
  1304. 花村四郎

    ○花村委員 始まりの岩崎邸におつた病人ですが、部屋の掃除はだれがやるのですか。掃除夫がおつて……。
  1305. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 将校が入つていると、みんな係り係りがしておるのです。普通の将校は二人ぐらいですが、病人の部屋は病人一人だけですから……。
  1306. 花村四郎

    ○花村委員 病人が掃除をするのか、あるいは一般の掃除夫が掃除をしておつたのですか。
  1307. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 それはよく知りませんが、多分兵隊があそこだけやるのだろうと思います。
  1308. 花村四郎

    ○花村委員 向うの兵隊が掃除を。
  1309. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 二世の受持の兵隊がありました。
  1310. 花村四郎

    ○花村委員 茅ケ崎に行つてからでもやはり岩崎邸におつたように病人扱いをしたわけですか。あれは肺病患者だという触れ込みで、やはり岩崎邸におつたようにその食器なども消毒したわけですか。
  1311. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 最初はそうらしかつたのです。
  1312. 花村四郎

    ○花村委員 そうらしかつたと言つたつて、あんたが……。
  1313. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 私のときは消毒したの一回だけですから……、あとはよくなつて、みんな私らの食器と同じようでした。
  1314. 花村四郎

    ○花村委員 それからあなたが錠をおろすようにしたというのだが、これは錠をおろすように命ぜられられたのですね。
  1315. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 そうでございます。
  1316. 花村四郎

    ○花村委員 命ぜられたのだが、その錠はどういうものを使うかということは、あななの任意でやつたのですか。向うでこういうものを使えと言つて指示したのですか。
  1317. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 それは買つてもらわなくちやできないと言つてつてもらつた。それじやこれをやつてくれと言つて、持つて来られたから、それをとりつけたわけです。
  1318. 花村四郎

    ○花村委員 それから部屋の掃除はだれがやつていたのです。本人ですか。
  1319. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 あれは光田が……。
  1320. 花村四郎

    ○花村委員 兵隊がやつていたのですね。
  1321. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 そうです。
  1322. 花村四郎

    ○花村委員 そのかぎをおろすところが出入口ですか。
  1323. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 そうでございます。
  1324. 花村四郎

    ○花村委員 ほかの窓にはかぎはなかつたか。
  1325. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 なかつたのです。それには最初くぎを打つたけれども、これでは風ぎ通らない。三枚も戸がありましたから、なかなか錠をおろす方法がなかつた……。
  1326. 花村四郎

    ○花村委員 そこから出入りはできないのですか。
  1327. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 そこからおりればおりられるのです。
  1328. 花村四郎

    ○花村委員 それは二階ですね。
  1329. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 二階ですけれども、それは足が丈夫な者なら、逃げる気ならいくらでも逃げられるのです。ただ屋根伝いに行くのですから……。
  1330. 花村四郎

    ○花村委員 それから飯を持つてつたときに、顔を見てはいかぬというのだが、従つてその部屋のそばへも寄りついてはいかぬとか、あるいはまた入つて行つても、話をしてもいかぬとか、いろいろ制限されていたのですか。
  1331. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 そうでございます。
  1332. 花村四郎

    ○花村委員 それならあなたが食器を持つて行つて話した言葉の使い方で、日本人ということはわかりませんでしたか。
  1333. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 初めからであれば日本人とすぐ見えるのですけれども、一番最初から朝鮮人という頭でおりましたでしよう。そこへ持つて来て今度行つてみたときに、服装が支那人の服装みたいだつたから……。
  1334. 花村四郎

    ○花村委員 それで言葉使でわからなかつたのですか。
  1335. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 あとでその人が支那に長らくいたという話も聞いておりました。
  1336. 花村四郎

    ○花村委員 わからなかつたが、錠前をおろしてそういうところにおるのだから、これはちよつと変だなと思つて、何に来ているか聞いてみるような気分にならなかつたのですか。
  1337. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 それは話しはいかぬ、見ちやいかぬということなんですから…
  1338. 花村四郎

    ○花村委員 向うの命令を遵奉したわけですな。
  1339. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 そういうわけです。
  1340. 花村四郎

    ○花村委員 便所に行くのはどういうように……。
  1341. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 便所は中にあるのです。
  1342. 後藤義隆

    ○後藤委員 お聞きしますが、岩崎邸におつた病人と今の茅ケ崎に行つた病人とは同じ人だということがわかりますか、どうですか。
  1343. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 それは聞いてわかりました。
  1344. 後藤義隆

    ○後藤委員 だれから……。
  1345. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 山田君から聞いたのです。山田善二郎さんから……。
  1346. 後藤義隆

    ○後藤委員 いつ聞いたのですか。
  1347. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 あの当時です。日にちはよくわからない。
  1348. 後藤義隆

    ○後藤委員 どこで……。
  1349. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 茅ヶ崎で……。四畳半に二人で寝ておりましたから、いろいろな話からそれを聞いております。しかし日本人だということは聞かないのです。これは厳格にとめられておつたものだから言わなかつたんだろうと思います。
  1350. 後藤義隆

    ○後藤委員 あなたは岩崎邸におるときに、あなたの給料はどこからもらつてつたか。
  1351. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 やはり軍の方から……。
  1352. 後藤義隆

    ○後藤委員 茅ケ崎に行つて後は…。
  1353. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 やはり事務所だろうと思いますが、川田が持つて来てくれたのです。それは軍の方と違うということを言われました。それだから退職金も何も出て来ないわけです。
  1354. 後藤義隆

    ○後藤委員 中のお客さんは、部屋の外に出て運動ということは一切やらないのですか。
  1355. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 やらないのです。
  1356. 後藤義隆

    ○後藤委員 それは本人自身が出ないような模様ですか、制限されておつてさせないような模様なんですか。
  1357. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 やらないのです。
  1358. 後藤義隆

    ○後藤委員 それば本人自身が出ないような模様ですか、制限されておつてさせないような模様なんですか。
  1359. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 それはとにかく小さくとも錠をかけているので外へは出られないわけですから……。運動時間として与えたところは見ておりせん。
  1360. 後藤義隆

    ○後藤委員 二階の窓は何箇所あつたのですか。
  1361. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 部屋の中は二箇所、部屋の外へ出てろうかのところと便所と、四箇所ばかりございます。
  1362. 後藤義隆

    ○後藤委員 どこか一箇所くぎづけにしてあるところはなかつたですか。
  1363. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 一番最初に窓をしめろ、錠をおろせと言われてくぎを打つてみたけれども、戸と戸の間の幅がよほどあるのです。そこにするには大きな仕事をしなければ、三枚の戸がとまるようにできない。一面の戸をたてるのが非常にめんどうだつた。だから最初くぎを打つても、くぎは役に立たぬだろうと思います。
  1364. 後藤義隆

    ○後藤委員 そうすると、最初二階の窓をくぎづけにするようにという話は、一応あつたのですか。
  1365. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 私の知らないうちにくぎを打つて、境の戸はおぎ打ちになつてつたので、それをぼくは抜いたのです。一番最初一間であつたのですが、一間と二間の境のところはくぎを打つてつたから、私が抜いて二間一緒にしたのです。その一番外の方の戸をあかないように、さんでやつただけです。
  1366. 後藤義隆

    ○後藤委員 わかりました。
  1367. 猪俣浩三

    猪俣委員 さつきあなたは言つたのであるが、錠は円い輪のものにはめるような錠と、横にひよいとあける錠と、その二つですか。
  1368. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 二つとも一緒のやつをつけたような気持がします。リングにがばつとこうやるでしよう。普通ならリングに南京錠をかげるとかするでしようが、そういうふうにしないで、何も錠はかけずにただばちんとして、こういうふうにひつかけるようにだけしてあつた
  1369. 猪俣浩三

    猪俣委員 そこで、これはあなたの感想になるかもしれぬけれども、そんなものはいつも出ようとすれば出られるのだというあなたの証言だけれども、あなたそれを見て、顔を見てはならぬ、しやべつちやならぬ、しかもいくらささやかなものであつても、外部がらかぎをかけておくのだ。そうしてあなたがそこへ三月二日に行つてから、七月二十日にやめるまでの間は、一歩もその部屋から外へは出ないでしよう。
  1370. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 だろうと思いますが。
  1371. 猪俣浩三

    猪俣委員 そうしてみると、何かアメリカの偉い人たちがごきげん伺いに来て、知恵を授けられるようなお客さんであつたとあなたは考えたのかね。
  1372. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 そうでもないかしらぬ、何が何だかそれはわしらには、ちつともわからなかつたですがね。
  1373. 猪俣浩三

    猪俣委員 あなたはそんなふうに考えたのか、考えたとするとこれは疑わざるを得ない。おかしいじやないか。あなたどうです。自分自身が寝るときに、自分がかけるのじやない、だれか人が錠をかける、そうして顔を見ちやならぬ、しやべつちやならぬというようなことを、召使いのようなものに言われて……。
  1374. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 しやべつちやいがぬというのは、すべてこつちの秘密の何であるから、全然話なんかしてはいけない……。
  1375. 猪俣浩三

    猪俣委員 それは向うの偉人になら言うかもしれぬが、君らに言う必要はちつともないことで、君らにしやべつちやならぬ、顔見ちやならぬというお客さん、しかもかぎをかけられて一歩も出たことのないお客さんを、そんなアメリカの人がごきげん伺いに来て知恵を授けられるようなお客さんと考えたのか。
  1376. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 最初はそうじやないかと思つていたんですよ。
  1377. 猪俣浩三

    猪俣委員 最初はそう思つていたが、それから中ごろはどう思つたというのです。
  1378. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 それは私も臭いと思つたけれども、日本人とは思わなかつた
  1379. 猪俣浩三

    猪俣委員 日本人とは思わぬにしても、そういう状態は臭いとは思つたかね。
  1380. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 いくらか思つておりましたがね。その当時はもう何もなかつたですよ。わしらはそこにつききりでなく、あちこち掃除や何かしていたものですから。
  1381. 猪俣浩三

    猪俣委員 あなたは鹿地事件というものが新聞に出たことを知つていますか。
  1382. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 知つております。
  1383. 猪俣浩三

    猪俣委員 その後何かあなたの顔見知りの向うの二世の兵隊が、あなたのところへ尋ねて行かなかつたか。
  1384. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 わしのところには来ません。
  1385. 猪俣浩三

    猪俣委員 会つたこともないか。
  1386. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 わしは会つたことはないです。二世の人が、前田というのがそうかもしらぬ、その前田というのは来ているかもしれぬが、わしは全然会つていませんよ。
  1387. 猪俣浩三

    猪俣委員 たれにも会わないかね。
  1388. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 わしはこつちへ来てから——それは会つておりますよ、将校なら……。
  1389. 猪俣浩三

    猪俣委員 その人から全然話はなかつたかね。
  1390. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 あのお客さんどうなつたんですか、まだおるのですかと言つたから、いいえもういないだろうと言つただけです。
  1391. 猪俣浩三

    猪俣委員 先ほど聞き漏らしたが、一週間に一度あなたのところに尋ねて来たというのは、アメリカの将校かね。
  1392. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 何といいますか、ロシヤ系という話は聞いておりましたが。
  1393. 猪俣浩三

    猪俣委員 ロシヤ系かは知らぬが、アメリカの将校か。
  1394. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 そうです。
  1395. 猪俣浩三

    猪俣委員 それは軍人ですか。
  1396. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 そうです。
  1397. 猪俣浩三

    猪俣委員 どうして軍人だということがわかつたか。
  1398. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 軍服を着ておりましたから、軍人だと思いました。
  1399. 猪俣浩三

    猪俣委員 何という名前でしたか。
  1400. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 ミューハートということとしか知りません。
  1401. 猪俣浩三

    猪俣委員 それは階級はどのくらいの人だ。
  1402. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 あれは大尉あたりじやないですか。
  1403. 猪俣浩三

    猪俣委員 大佐じやないのか。G大佐とか呼ばれている人が来たことはないか。
  1404. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 それは名前は知りません。
  1405. 猪俣浩三

    猪俣委員 大佐級の人は来たことはないか。
  1406. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 知りませんね。私服の人は来たことはあるけれども。
  1407. 猪俣浩三

    猪俣委員 偉そうな人かね。
  1408. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 おとなしい人ですが、偉いとはちつとも見えませんでしたがね。
  1409. 猪俣浩三

    猪俣委員 その人が来ると、川田とか光田とかがちやんとおじぎしておつたようなふうか。
  1410. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 やはりばか話などしておりました。あれは週に二回でしたか来ました。
  1411. 猪俣浩三

    猪俣委員 そこであなたは最初そのお客さんが来たときには、結核患者として食器の消毒をしておつたのを見たことがあると言つたね。
  1412. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 ええ。
  1413. 猪俣浩三

    猪俣委員 そのときに、あなたが岩崎邸にいた時分来たお客さんと同じお客さんだと思つたんじやないか。あなたはこれは岩崎邸に来たお客さんの、支那人か朝鮮人だと思つた、こう言うのでしよう。
  1414. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 そうです。
  1415. 猪俣浩三

    猪俣委員 今度茅ケ崎に来た人も、支那人か朝鮮人だと、もうあなたの頭が固まつていたんでしよう。そうするとあなたは同じ人間が来たなということを考えなければいかぬ……。
  1416. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 考えました。考えて、そこで聞いたらやはり……。
  1417. 猪俣浩三

    猪俣委員 そうすると山田から聞いたからそう思つたのでなく、大体これは岩崎に来たお客さんと同じお客さんだなと、そのときあなた自身も考えたわけだね。
  1418. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 聞いたから、ああそうかなと思つていたんですよ。
  1419. 猪俣浩三

    猪俣委員 聞く前には考えなかつたか。
  1420. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 まだそのその当時——間もなく聞いたんですがね。これは岩崎に来たお客さんだと。
  1421. 猪俣浩三

    猪俣委員 あなたはそれに違いないと思つたか。
  1422. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 そうです。
  1423. 猪俣浩三

    猪俣委員 違いないと思うようないろいろな状態があつたわけですか。
  1424. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 状態というか、同じお客の取扱いですから……。
  1425. 猪俣浩三

    猪俣委員 これはさつき聞き落したかもしれぬが、その非常に辺鄙なところにある茅ケ崎の家を見に行つたときに、それはあき家であつたのか、もうすでにだれか住んでいたのか。
  1426. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 住んでいないでしよう。ぺンキ屋が来て塗つておりましたし、土方風の者がそこらを片づけたり、井戸も掃除しておりましたから。
  1427. 猪俣浩三

    猪俣委員 そうするとあき屋であつたのを入つたわけだね。
  1428. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 そうです。
  1429. 猪俣浩三

    猪俣委員 山田という青年がいたわけだが、その青年がおつた時分にはその青年が主として鹿地——鹿地じやない、その二階のお客さんに応接しておつたわけですね。
  1430. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 そうです。
  1431. 猪俣浩三

    猪俣委員 山田がいなくなつたので、今度はあなたがかわつて、顔を見ないようにこれを持つてつた、こういうわけですね。
  1432. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 ええ。それは光田という二世がおりまして、その人がやることになつてつたのが、やはり私が早く起きて、準備万端やつてつたものだから、君が持つて行つてくれ、ああそうかというわけで、それが四、五回ありました。
  1433. 猪俣浩三

    猪俣委員 それからさつきその錠は押せばあくというのは、結局錠をこわすことになるわけだね。
  1434. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 そう言えばそうです。
  1435. 猪俣浩三

    猪俣委員 そうすると、錠をこわすと、下におる人に音が聞えますか。
  1436. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 あれをぐつとこうやつたら聞えはしないと思います。下でぎやあぎやあやつておるから。それは耳をそばだてておつたらどうかわかりません。黙つてつてミリツといつたら聞えるはずでしよう。
  1437. 猪俣浩三

    猪俣委員 それから結核患者のような病人が、その二階あたりからおりて逃げたとして——下にだれかがおるわけだが、駅まで逃げおおせるだろうか。相当駅まで離れておるところでしよう。
  1438. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 そうです。
  1439. 猪俣浩三

    猪俣委員 どう考えます。
  1440. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 病人ぎ走るんなら、とつつかまえることはできるでしよう。だけど時間がたつてしまえば、どこかに隠れたらわからないようなあの松原だから、一人、二人では見つからぬ場合がないとも限らない。見つかればすぐつかまると思います。
  1441. 猪俣浩三

    猪俣委員 山田君が七月十日にやめたわけだが、何の理由でやめたのか。
  1442. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 それは前々から意見が合わなかつたし、あまりばかふざけばかりしておつたから憤慨しておつたのです。そこへもつて来て、ちようど二人でキッチンで働いておつて、わしが皿を洗つていたときは、はいたたきみたいなものでなぐつたりしたものだから、それで前々からのこともあつて、けんかしたわけですが、人を侮辱するものじやない——よほどくやしかつたと見えて、すすり泣きしていました。しやくにさわる、もうぼくは帰ると言つてつてしまいました。
  1443. 猪俣浩三

    猪俣委員 それからその二階のお客さんというのが、川崎の方からここへ移されて来たんだというような話を、山田から聞いたことはありませんか。
  1444. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 そこにいたということは聞いております。
  1445. 猪俣浩三

    猪俣委員 もう一ぺん……。
  1446. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 玉川でなし、何といいますか、あそこにもといて、それからこちつちにかわつたということは聞いております。
  1447. 猪俣浩三

    猪俣委員 だれから。
  1448. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 山田君から。
  1449. 猪俣浩三

    猪俣委員 山田君から、もと玉川の方にいたやつをこつちに連れて来たんだということを、茅ケ崎であなたは聞いたんですね。
  1450. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 そうです。
  1451. 猪俣浩三

    猪俣委員 さき、そこにいた人の名前として川田、光田。高橋というような名前をあげられたが、これはいずれもアメリカの兵隊ですね。
  1452. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 兵隊です。
  1453. 猪俣浩三

    猪俣委員 二世であつても、とにかくアメリカの兵隊ですね。
  1454. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 ええ、そうです。
  1455. 猪俣浩三

    猪俣委員 それから河村というのは何ですか。
  1456. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 河村というのは、岩崎の家にいたときに、ボーイしておつたです。
  1457. 猪俣浩三

    猪俣委員 これは日本人ですか。
  1458. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 そうです。それが今度解散とともに、よそへまわつてつたんですが、よそにいたのを、今岩崎さんがいないために、わし一人じや手がまわらぬというので、一時手助けに頼んだんです。
  1459. 猪俣浩三

    猪俣委員 すると河村というものは、岩崎家にいたし、茅ケ崎にもちよと手助けに来た。日本人ですね。
  1460. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 そうです。
  1461. 猪俣浩三

    猪俣委員 今どこにいるかわかりませんか。
  1462. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 ええ、教えてくれないです。
  1463. 猪俣浩三

    猪俣委員 すると、河村君の住所は、あなたはわからない……。
  1464. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 わかりません。
  1465. 猪俣浩三

    猪俣委員 だれが教えてくれないのですか。河村自身が言わないのですか。
  1466. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 ええ。うちの玄関でしばらく話していて、どこにいるんだ——もう教えないです。秋葉原の近所の工場にいるということを、よその流れ話で聞いておりますが、本人は全然教えないです。
  1467. 猪俣浩三

    猪俣委員 さき、この本が二階の人が書いた本だと言つて、あなたが名前見ようとしたらピシヤッと閉じたというのは、だれが閉じたんですか。
  1468. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 山田君です。こういう本を著わしてる——そこら辺くらい離れておりますから、わしじやこまい字は見えません。パチンとやられて、たくさん本のあるところへやるんだから、わからないです。だから日本人も何も全然そのときはわからないです。
  1469. 猪俣浩三

    猪俣委員 するとあなたは、このお客さんは岩崎邸から川崎に移され、ここに来たと話したけれども、日本人であるとか、あるいはこれが鹿地なる者であるということは、あなたには最後まで話をしなかつた
  1470. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 しなかつたです。
  1471. 猪俣浩三

    猪俣委員 それは、そういうことはとめられてあつたんでしようね。鹿地  なんて名前を出すことはとめられておつたんでしようね。しやべくちやならぬというように。
  1472. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 だつて鹿地という——こつちでもつて知らないですから、だれだか何だかちつともわかりやしない。全然教えないですから。
  1473. 猪俣浩三

    猪俣委員 だけれども、あなたが見ようとしたら、ピヤシと閉じたところを見ると、山田鹿地ということを知つてつたけれども、あなたに知らせまいとしてやつたとしか見られないわけですが。
  1474. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 そうです。
  1475. 猪俣浩三

    猪俣委員 そこで山田がそういう行動をとつたことは、いわゆるアメリカの人たちから知らしちやならぬと言われたんだろうと思うんですが……。
  1476. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 そう思います。だから、教えないし、どこまでも聞こうという気にもならなかつたわけです。
  1477. 猪俣浩三

    猪俣委員 それからなお、この二階のお客さんのことについては、あまりそこらに行つてしやべるなというような口どめをされましたか。
  1478. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 それは全然お客さんということは知らしちやいかぬことになつてるんす。
  1479. 猪俣浩三

    猪俣委員 そういうように向うの、アメリカの兵隊から言われておつたんですね。
  1480. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 そうです。
  1481. 古屋貞雄

    ○古屋委員 あなたは三月二日に茅ケ崎に行つたんですね。
  1482. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 はあ。
  1483. 古屋貞雄

    ○古屋委員 それから山田と二人で四畳半に、ずつと山田がやめるまで寝とまりしておつたんですか。
  1484. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 そうです。
  1485. 古屋貞雄

    ○古屋委員 その間に山田から二階のお客さんは自殺未遂したというような話を聞かなかつたですか。
  1486. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 全然聞きません。それは新聞によつて知つただけです。
  1487. 古屋貞雄

    ○古屋委員 それから二階のお客さんは、自分意思散歩に出たり、自分の欲する屋敷の方に出たりするようなことができるような状況にあつたですか。
  1488. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 それは願つたらなんだろうけれども、ひとりでに出るというふうにはできない——見たこともありません。そういう運動を与えるという話を聞いたこともないです。
  1489. 古屋貞雄

    ○古屋委員 あそこにかぎがかかつており、階段があり、そういう関係上、自分意思散歩にいつでも出られる、そういうような状態であつたかなかつたか。
  1490. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 それは自分意思ではとてもできないですね。
  1491. 古屋貞雄

    ○古屋委員 そうすると、先刻あなたは委員長からのお問いに対して、無理にとめられてるようなふうでもなかつたというようなことを言われたんですが、自分意思で出られないというなら、とめられてるということになりますが、どつちですか。
  1492. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 とめられているわけです。だから無理にやれば、いくらでもあけられるというわけです。
  1493. 古屋貞雄

    ○古屋委員 無理に逃げたり、力を出して飛べば逃げられる、しかし自分の自由意思では出られない、そうするととめられてるというわけですね。
  1494. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 ええ。
  1495. 古屋貞雄

    ○古屋委員 それから茅ケ崎の家に光田、それから川田、高橋というような人は、何か特別な仕事でもずつとやつてつたんですか。
  1496. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 それはみな受持々々になつていますが、川田というのは、あそこの責任者となつて、食糧はみな川田が担当しておつたです。東京に来れば買つて来るし、それから町に出て買つて来るし。それから光田というのは、お客が入用なものを買つたり、あるいは話相手に行つたり、さびしいからお客さんの所に行つて遊んで来る、碁を打つて来る……。
  1497. 古屋貞雄

    ○古屋委員 すると、そのお客さんをそういう状況に置くこと以外に、特別に仕事でもやつてるようなことがあつたのか。あなたが見た様子がですよ。お客さんをそういうふうに大事にやるために、みなそこにおつたのか、どういうふうに感じましたか。
  1498. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 二人はその通りで、あとの一人は、しよつちうタイプをやつてました。何のタイプか知らぬけれども、タイプを打つておりました。
  1499. 古屋貞雄

    ○古屋委員 すると、あなたに井戸の世話をやらしたり、窓並びにかぎなどつくらしたり、そうしてからあとにお客さんが来たのか……。
  1500. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 こしらえたあと、約一週間ぐらいじやなかつたろうかと思いますが……。
  1501. 古屋貞雄

    ○古屋委員 するとお客さんを迎えるために、錠をこしらえたり、井戸の関係をこしらえたり、いろいろやつたということは……。
  1502. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 井戸つたつて、飲料水です。
  1503. 古屋貞雄

    ○古屋委員 それから高橋という人はタイプを打つてるんだが、ほかの人はほとんどお客さんのために働いておつたわけですか。
  1504. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 まあ、そうですね。
  1505. 古屋貞雄

    ○古屋委員 すると、偉いお客さんを迎えるので、一切万端手はずしてやつてつた、こういうふうに考えられる……。
  1506. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 はあ。
  1507. 田万廣文

    ○田万委員 先ほどあなたのお話の中に、そういうような病人が入つたときは近寄らせないというような、最後のところはちよつとはつきりしませんが、とにかく近寄れない……。
  1508. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 近寄れないです。
  1509. 田万廣文

    ○田万委員 という話があつたが、そういうような病人といふ意味はどういう意味なんでしようか。
  1510. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 それは茅ヶ崎においてですか。——茅ケ崎においては別に私は、受持人のほかは行けないことになつておりましたから、受持ちの人が二人、二世とそれから山田さんとは近寄れるが、あとは近寄るべき筋合いのものでもありませんから……。
  1511. 田万廣文

    ○田万委員 私が尋ねているのは、そういうような病人が入つたときは近寄れない、近寄らせないというか、そういう病人というものはどういう意味のものであろうか。考えようによつたら、こういうような病人以外に、やはり病気とかなんとかいう名義で、ほかに入つた人があつたのではなかろうかというような疑問を持たれるような言葉であるから、私はお尋ねしておるのですが、ほかにおつたのですか。
  1512. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 だれもいないのです。お客さんというのは一人だけです。
  1513. 田万廣文

    ○田万委員 それならそういうような病人が入つたときはという意味は、これは間違いですか。
  1514. 齋藤正太郎

    ○齋藤証人 そういうような病人というのは、ただあの病人だけです。
  1515. 田万廣文

    ○田万委員 けつこうです。
  1516. 田嶋好文

    田嶋委員長 他に御発言がなければ、斎藤証人に対する尋問は、これにて終了いたしました。証人、どうも長いこと御苦労でございました。これにて本日の証人尋問は全部終了いたしました。  この際お諮りをいたします。鹿地亘君の事件につきまして、明十一日東銀川崎クラブの使用人渡邊利三郎君、榎本正雄君、茅ヶ崎のC三一号の管理人鈴木長松君、鹿地亘君の奥さん池田幸子君、国警の渉外関係官、外務省の関係官、以上六名を証人として出頭を求め、調査を進めたいと存じますが、御異議ざざいませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  1517. 田嶋好文

    田嶋委員長 御異議なければさよう決しました。それでは委員長において所要の手続をとることといたします。  明十一日は午前十時より開会いたします。本日はこれにて散会いたします。     午後五時三十四分散会